はてなキーワード: 歴史上の人物とは
私はファンアカウントを名乗っている。小説やイラスト、鉄道模型などを素人ながら楽しみ、時事の話題に気軽にコメントを添え、またブルーバッジを取得し収益化もしてはいる、実に取り留めのない雑多な所作ではあるが、このアカウントを運用する本質は自分の好きなもの、気に入ったものを推すことである。そのためにファンアカウントを名乗る次第である。
幸いなことにあらゆる分野で推しておきたくなるアカウントの数々に出会い、注目させていただいている。
歴史上の人物の名を借りたアカウントは数多い。その中でその人物になりきって見せる者も少なくない。このアカウントもその一つと言える。
諸兄もご承知の通り、三島由紀夫は戦後日本で活躍した文人であり、市ヶ谷にて衝撃の最後を迎えている。当然本人であろうはずはない。
その名を借りるは遊戯である。その遊戯を冒涜ととるか一興ととるか。それは見る者の判断であると同時に、そのアカウントを動かす人物の立ち振る舞い方による。
その意味でこのアカウントは面白い。 エックスにて氾濫する話題を、怜悧で瑞々しい刃のような文体で自分ごとなで切りにし文芸に落とし込む様は正に三島が再びこの世に生を得たかの様な夢幻を見せてくれる。
いや、人によってはこんなこと三島は言わない、言うわけがないと感じるだろう。それはそれでよい。この三島を名乗るアカウントが事実三島を現世に映し出しているか。実はそれは問題ではない。三島はこんなこと言わない、いや三島はこんなことを言うかもしれない、その問いが各自に芽生えた時点でこのアカウントの目的は達成されている。
私自身、実のところ三島に詳しいわけではない。その作品の全ては到底網羅しておらず、ただ少し齧って知識を得ているに過ぎない。そのにわかな知識の中にある、昭和の激動の時代の中、理想と現実、夢想と世俗の狭間で悶え苦しみ鮮烈に果てた文才のその面影を、私は彼の投じるポストの向こうに見るのである。これはこのアカウントを運営する人物の、三島への深い理解と愛なくして無し得ぬ業である。私はその想いに、そしてそれが紡ぐ出す文才に深い嫉妬と敬意を覚えずにはいられない。
私はあえてタイトルを「かたる」とした。「語る」でも「騙る」でも良いのだ。このアカウントに三島を見る。このアカウントと共に三島を偲ぶ。いずれにせよこれは遊戯である。知的で、文学的で、なによりいかにもエックスらしい遊興なのだ。
さて、このアカウントの本領。それはやはり飯である。腹を切って果てた三島が腹を満たす画像を投げ、言葉を綴る。これはあまりにも皮肉で、あまりにも正直で、あまりにも雄弁な抒情詩である。その比較的裕福な経済状況を伺わせる外食の膳を日々投げてくる。鋭利で繊細な言葉と共に。もはや日々の楽しみですらある。
私はその言葉に刺激を受け、引用して言葉を紡ぐ。三島の言葉が私の中で響き、反射される。これは闘歌だ。刃の如き言葉で飯を歌われれば、こちらも言葉の刃をもって鍔迫り合いをしたくなる。返歌をせざるを得なくなるのだ。あるいは文人を気取り賢しい言葉を並べ立て、あるいは言葉を失い素直に感嘆する。これもまた、ささやかな遊戯である。
しかしてこの三島、そんな私の遊戯に付き合い、私の引用にいいねを押してくれる。義理かもしれない。しかし無視ではない。この文才に微かでも私の存在を知らしめた事実に、恥ずかしながら酔う。
しかもこの三島、恐ろしいことに私の別のポストも時としていいねを押してくれる。それも義理かもしれない。軽薄な私はますます浮かれる。令和の三島はなかなか気さくである。
このあたり、三島の面影という仮面の奥にある、アカウントを運営する人物の人柄が透けて見える。飯のポスト、そして様々な話題へのコメント。そこからはこの人物の、飯に喜び、子供を慈しみ、人の弱さに寄り添い、それでいて悪と怠惰を憎む。そんな厳しくも優しく、そして心と言葉を大切にする人となりが朧気ながらに感じられる。ただの飯テロ垢ではない。
そして今一度正直に言う。私がこのアカウントに真っ先に感じたのは嫉妬である。様々な話題から人の宿業を深掘りできる視点と文才。それそのものに私は激しく嫉妬する。嫉妬は憧憬であり、目標である。雑多な話題を扱うアカウントとして、趣味とはいえ文章による創作を愉しむものとして、私はかくありたいと思えるアカウントに出会ったことを、ことのほか慶ぶのである。
私と同じくこの三島のアカウントに惚れた方々の共感を得られれば幸いである。これまで三島のアカウントを知らなかった方々にその魅力が伝われば幸いである。そしてこの記事を、三島由紀夫をかたるアカウントに、捧げるものである。
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以下に記すのは、現在進行中のラスプーチンのホルマリン漬け超巨根チンポを巡る闘争について、私が知り得た情報である。
ラスプーチンのホルマリン漬けの巨根チンポを知っているだろうか。知らない人は、是非ともググってみてほしい。それが博物館に所蔵されていたのだという事実に、さぞ驚かれるだろう。なぜ一介の歴史上の人物で、しかも悪名高い人物のチンポが博物館に所蔵されていたのか。それはつまり、ラスプーチンポが世界に平和をもたらすキーのアーティファクトであるからだと、私は確信するに至った。
――世界の果てにある祠。そこにある鳥人像の股間にラスプーチンポをはめると異世界から天使が召喚される。
そう語るのは、テルンベルン大学考古学部のテント・セルベール教授。
と、教授はそう語った。
ここで、なぜ今世界でラスプーチンポについての関心度が急激に高まっているのか、整理してみよう。ときは一年前、ロシアによるウクライナ侵攻の少し前に遡る。
当時、アイスランドのペニス博物館に所蔵してあったラスプーチンポが突如所在不明になった。程なくして、エージェントが全世界を飛び回りラスプーチンポを探し回っているとの憶測がSNSを中心に拡散された。
その憶測は正しかった。今や、連邦政府のみならず、さまざまな小国家までもがラスプーチンポを求めて全世界にエージェントを派遣している。
ET組織はラスプーチンが埋葬されているサンクトペテルブルクの某所の墓を掘り起こした。そして、採取したラスプーチンの細胞を苗床に、第二のラスプーチンを錬成する科学実験を試みている。
しかしながら、その実験はこれまでのところことごとく失敗に終わっている。どうしてもチンポが短小のジャンクラスプーチンが生成されてしまうのである。
そしてときは現在に至る。ラスプーチンポを巡る世界の動きを世に知らしめた、複数のジャンクラスプーチンの大脱走事件は世界に大きな衝撃を与えた。
脱走したジャンクラスプーチンたちが世界の果ての祠を破壊しようとしている。ラスプーチンポを手に入れて自分に移植しようとしている。その情報のソースは、ET組織に残されたたった一体の、実験室に残ったジャンクラスプーチンが自らの分身の思考を読み取って得られたものである。当初ET組織はジャンクラスプーチンの脱走からなる、その一連の情報を秘匿していたが、全世界でジャンクラスプーチンの凶行が目撃されていくにつれ、内部からリークされた。
ジャンクラスプーチンの動向いかんでは、世界の歪みを増幅させてしまう危険性もあることが、今回の騒動の核である。
世界中のどの勢力も、天使の力を手に入れることに躍起になっているため、テロや戦争が絶えない世界は依然として続くであろう。
意識という観点で考えてみると、死んだら無になるわけではなく、現実世界でも転生は各地起こっていたとしてもおかしくはないのではないかという考えに至る。
このようなことを言う場合意識の拠り所として魂やそれに相当する概念が持ち出されるが、人口が増え続けているのに永久不滅なる魂を持ち出せば魂に対して入れ物としての肉体が不足していることになるではないか、そうすると意識を持たない人間がいることになるではないか、矛盾だ、という指摘が想定される。
ただこれは死んだ瞬間別の肉体に転生するのではないとさえ考えれば解決してしまう瑣末な問題だ。
では転生している信長自身の主観にとって、過去の信長という存在と自分とは連続したものか。
全ての人間は少なくとも脳が生成される以前の時点の記憶を持たずに生まれてくるとされている。
思うに、自分が何かの転生であると認識するための要素の核は記憶だ。
自分が信長の転生であったとしても、信長であった記憶が引き継げないなら、その転生者にとって信長は所詮歴史上の人物でしかなく、客体化せざるを得ない。意識が連続していても途中であらゆる記憶が初期化されることが起これば、その意識の連続は意識されず、普通はその、主観的にはそれが体験されたとうことにはなっていない、転生というものに否定的に考えるようにしかならない。
これは転生の事実と認識が異なるものでありうることをも意味する。
極端に言えば、逆に生まれたときに信長の前世の記憶を持っていたら、誰でも自分を信長だと思うようになるということだ。
フィクションの転生物には実は前世の記憶であること以外その人間にその前世があったことを証拠付ける設定が何もないことが案外多いわけで、記憶が自分が転生者であるという認識を形作っているという考えは実は既にに一般大衆の観念になじんでいると言える。
結局私が言いたいのは、死への恐怖への克服だ。
その恐怖の原因の一つは死んだらどうなるかわからないか、せいぜい無になるという考え方によって形作られている。
もし死んだらその瞬間またいつか未来の人間に転生するだけだという考えを少しでも信じられるなら、そのようなことを導いた思索の中身の一部でも支持できるのなら、その恐怖も少しはやわらぐのではないだろうか。
私も今私としての記憶と自意識を持っている意識を持った肉体は何度も死を経験として今に至っているのではないのかなと思っている。ここで逆に前世の記憶があるから前世があるとか、その記憶内容通りの前世があったと考えるのは浅く危うい考えのように思える。ちなみに人口が減少していく場合の矛盾はどう解消するのだといわれるとその場合の解決策はいまのところ浮かばないのでやはり与太話でしかないかもしれない。
dorawiiより
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悪の象徴がヒトラーから別の人物に変わるためには何が必要か、について考えている
ぼんやりと
気分転換に
現代においては一般にヒトラーが引き合いに出されるが、この手の論理的誤謬は、第二次世界大戦以前から存在しており、純粋な悪の代名詞として引用される歴史上の人物は他にもいる[11]。
18世紀から20世紀初頭にかけては、『出エジプト記』のファラオは、歴史上最悪の人物として一般に見られていた[11]。アメリカ南北戦争の前年には、奴隷廃止論者は奴隷所有者のことを現代のファラオと侮蔑していたし、戦争中は南軍の一部でリンカーンのことを「現代のファラオ」と呼ぶ者もいた[11]。ナチスドイツが破れた後でも、ファラオはキング牧師の演説の中によく登場した。イスカリオテのユダやポンテオ・ピラトもまた、純粋な悪人の代名詞的存在であった[11]。しかし、普遍的な価値観としてのヒトラーのような人物は存在せず、地域や時代によって変わっていった。アメリカ独立後の数年間は、アメリカではしばしばジョージ3世が悪人の代表的存在であった。第7代アメリカ合衆国大統領のアンドリュー・ジャクソンは(その王のような独裁的手法を踏まえて)アンドリュー1世と揶揄された[11]。
「聖書に登場する悪」やね
世界……キリスト教社会での普遍的な悪から、非キリスト教社会でも意味が通じる普遍的な悪に更新されたわけか(ヒトラー以前、日本において「悪の象徴」は誰だった?を調べるのも楽しいかもな)
「悪とはこのようなことである、という全世界的に使用できるベンチマーク」が生まれた、と言い換えてもいいか
今の時代、どんなに酷いこと、暴政をしても「ヒトラーの再話」と解釈されるのでは、という感覚
であればずっと、ずーっと、100年後も200年後も絶対悪のアイコンはヒトラーなのか?
(ヒトラーというか、ナチスというか……どちらで考えるべきなのだろうな)
それこそ何か、思いもよらぬ新しい悪を発明しないと絶対悪のアイコンの座は奪えないのかもなあ
被害(被害って何?どう測る?)がナチスのそれより多いとしても、「ヒトラーの上位互換」として語られる悪名になるのかもなあ
「ヒトラーを超えた」みたいな煽りがあったとしても(事実本当に超えたとしても)、依然として基準点はヒトラーである、みたいな
悪を測る原器、ヒトラー原器
与太話は気楽やね
下記は現段階(2026/03/03 5:45)でのX上の推測を元に書き連ねたものです。
火元であると思われるウェイボーの一次情報も探しましたが私の情報収集能力ではいまいち本国での時系列や規模、温度感等は分かりませんでした。
以下本文
最初にこういう歴史の軋轢を目の当たりにしたのは数年前アイドルの方の件だった記憶がある。最近別の声優さんにも同様の降板があったのも知ってた。
その時はかなり近いオタク界隈の事とは言え、まだ自分事じゃなかったからファンは悲しいだろうなって想像するだけだったけど、今回とうとう自分事になってしまった。中国のコンテンツに触れるからには多少なりとも覚悟はしていたつもりだったけど全く心の準備が足りてなかった。
悲しいとかシンプルな感情じゃない。世界が一つ失われた衝撃だと思う。呆然としてるというのが近い。
今から書くことは以前から靖国問題について国家間の対応で揉めているニュースを見るたびぼんやりと考えてた事なんだけど、日本人はもっと言葉を尽くして説明をしなければいけないと思うんだよね。あの施設に対して、加害者側として。
日本人的な、多分世界の大多数的には少し特殊な感覚からしたら、善人も悪人も、もはやこの世に居ない全てのものまとめて合掌みたいな事はあまりおかしな感じがする事ではないから、理解を得られないのだろうか、とも思ってきた。
でも例えが他に思いつかないんだけど、もし未だにヒトラーのお墓に参拝する人が絶えません。みたいな状況を耳にしたとしたら、それはなんでなんだろうと疑問に思う筈で、もしかして未だに多くの加害者側の国民(日本人)の中にはかつて植民地化しようとしていた地域の人達に対する優越的な思想が根強く残っていて、かつての戦争の『英雄』を崇める様な行為をしているんだろうかとか、誤解されてもおかしくないと思うんだよね。
でも決してそういう思想はない。そもそも大戦当時から多くの日本人にはそういう頭を使った『思想』なんてものすらなかった気がしてならない。今だって多くの一般人が私含めてそうだろうし。だから当時のメディア、新聞報道に扇動されて開戦を喜んですらいる様な無知の烏合の衆だった訳で。
唯一あったものと確信できるのは、関東大震災で起きた様なデマに踊らされた民衆の、朝鮮人虐殺に至る様な恐怖心と高ストレス下での代償行為でしかない。
民衆的日本人の底なんてそんなもので、防衛反応で開戦した様なものだから未だに周辺国に対しての加害者意識すら持ち合わせてないんだと思う。当時は仕方なかったんだから今の私たちに言われても⋯⋯みたいな困惑顔をするだけ。
故に現代の殆どの日本人ははっきり言って『靖国神社』に対しては『原爆ドーム』よりもライトな修学旅行スポット位の認識しかない。
自分も含め本当にひどくて愚かで恥ずかしい話だけど。なので何らかの意思や思想を持って参拝しているのは政治家と活動家に限られると思う。
そもそもどういう成り立ちの施設かも詳しくは知らないし、知ろうともしていないから、参拝によって何らかの思想を強化したり付与することも出来ない。そういう浅はかで自分勝手な歴史認識の姿勢を批判されるのならば、それは当然の事だと思う。
でも、植民地化を目論み他国で虐殺を指揮したA級戦犯を奉っている場所へ参拝するという認識自体が、無知や都合のいい歴史解釈(国際情勢に端を発する正当化、及び歴史上の人物化する事による自己との価値観の切離し)故に贖罪の意識を含め皆無であって、あまつさえ他国民の感情を傷つける行為になるとは実感として一切理解できていない。
むしろ日本に対して文句を付けたいだけの材料探し、いちゃもんじみた行為であるとすら考えているので、国家としては頑なに取り合わない。
そして民衆の間では歴史資料館にお参りする所がセットになっている位の悲しい現状認識ですらあると思う。恐らくは自分を含めた多くの日本人が。
故に何度も言うけれど、過去も現在も未来においても、どの国、どの民族に対しても愚弄したり勝っていると思う様な優越的な思想を誇示しているという認識は日本人にはない。というか持ち得ない。自国の歴史観を養うことさえ暗記重視で議論皆無の教育上求められてきていないので、他国との優劣比較などをしようがない。
そりゃ誰だって訳もなく自分の国が一番素敵だと心の中では思っている、思いたい筈だけど、だからと言って他国を下げる様な言動や行動には結びつかない。もしもそういう行為が目的で、靖国神社へ参拝している人が存在するなら他国の人に変わって日本人が厳しく処罰するべき以外にない。
歴史上の出来事に当事者意識がないのはある意味当たり前の事でもあるとは思うんだけど、自分の国の歴史に無頓着なのは、その過去の行いに疑問を持たず肯定していると受け取られても仕方がない。
今回の出来事は自分たちが靖国へ参拝する理由について説明を尽くさなかった結果起きた出来事だと思う。特に深い認識も思想も理由もないから説明しようがなかっただけというのが愚かしく虚しい。
「なんで未だにそんなに怒ってるんだろう。歴史上の出来事なのに。国家間では怒って見せてるだけで国民感情も本当にそうなの?」というのが靖国参拝批判の国際ニュースを見た時の日本人の偽らざる心の中なんじゃないかと思う。
ヒロアカの件も何をそんなに怒っているのか全く理解が出来ていないというのが正直な所で、反日感情を爆発させる事により耐え難い自国の圧政の息抜きをしているのではと捉えてみたり、韓国国民が旭日旗に過剰反応するのはある時期を境にした扇動の成功例だと思っているし、慰安婦問題も朝日新聞が悪いと思っている人が少なくない。いつまでも日本に対して被害者の立場で上からものを言ったり、たかりをするための方便だろうと。
しかし全てその前に純然とした間違い様のない加害の事実がまずある。
日本人は原爆を二発落とされ民間人20万人以上を虐殺され二つの都市を破壊したアメリカに、はっきり言って終戦直後から民間人レベルで手のひらを返した様におもねって生きのびてきたと言える。
長いものに巻かれろという諺もあるくらいで、被害者の立場で痛みを発信し続けるという事に対してどこか忌避感みたいな考え方がある。それがこの件(戦争責任についての謝罪の意識)が両国間で話が通じない原因の一つでもあると思う。日本国民は水に流す事を良しとする価値観を他国にも強要しているように感じる。
靖国神社へ参拝するのは戦争の被害者や子孫まで苦しめる意図は全くありません。
虐殺を指揮した将校たちを現代もありがたがって奉っているのではなく、彼らの大罪についても深く陳謝し祈る場所です。
日本の侵略戦争は当時の世界情勢がどうあれ、揺るぎない加害です。その事に、自分に繋がっている上の世代の罪に、真っ直ぐに向き合わず、過去の事だからと勝手に水に流している様な姿勢がいつまで経っても周辺の国々に到底許されるはずもない原因だと思います。
そういう姿勢は戦争を過去のものとし、自分とは無関係でありたいと願い、現実の被害者の事を少しも考えない身勝手な日本人の弱さが原因です。当事者なのでよく分かっています。
今回の件で、彼の靖国神社への参拝が中国国民への愚弄だと多くの中国人が感じられたのだとしたら、戦後80年を経っても日本人の国民間では戦争責任に対して真摯に向き合うことが未だに出来ておらず、被害者の魂を傷つけ続けてしまって本当に申し訳ないと心から謝罪したい。
しかし、愚弄する意図などが無いことは明らかなものとも思えるので歯痒いです。なぜなら少しでも戦争について真剣に考えようという意思がないと進んで行かない場所だと思えるからです。そういう思いがある日本人の方が残念ながら少ないのが現状であり、今回の出来事は大勢の日本国民のそういった我関せずな姿勢こそが火に油を注ぎ続けた結果の出来事ではないかと思えてなりません。
決して行ってはいけない書くのもおぞましい卑劣で残虐な行為をあなた達の国を支配するためだけに私達の祖父や曾祖父の世代が沢山行ったと聞いています。国家間の補償などとは関係なく、過ちというものは未来永劫許される事はないと思います。
多くの日本人は都合よく忘却はしていても心の底まで自己正当化する罪にまでは手を染めていません。戦争に突き進んだことを悔いています。それは敗戦したからという馬鹿げた理由だけではない身に迫る実感が、現代までまだなんとか引き継がれています。
その事について、覇権主義を体現する様な戦争を起こし、周辺の国々とその国民へ多大なる苦痛を与えた事について、反省と二度と繰り返さない決意を日本国民の多くが心の底では持ち続けています。だからこそ自戒を込めて靖国神社へ参拝し、全ての御霊に頭を下げるという事について、他国の多くの人に理解して貰えるよう努める必要があると感じています。
仏教の考えでは悪も正義も独立しては存在しておらず、森羅万象全て関係性の中にのみ存在する故に、将校や一兵卒、民間人に至るまで246万6千人がそこへ合祀されているのだと思います。非道を行なった者達を特別扱いしそこから取り除いたりする事は歴史を抹消しようとする様な事でもあり、罪の所在を彼らだけに押し付ける事になりはしないでしょうか。あの戦争は間違いなく日本国民全員が無知や思い上がり故のA級戦犯と言えるような過ちです。
最後に、私たちが一切の垣根なく慈しんできた世界を一つ消し去るような苦痛に満ちた出来事が、未来には日中友好の元、無くなるよう切に願っています。
最近YouTubeでよく見る、スニーカークリーニング系の動画。ある店が勢いに乗ってるそうで。それはそれは景気が良いこと。
汚れたソールやアッパーが洗剤でクリーニングすると白くなり、古い靴がまるで状態の良い古着のように蘇る——あの手の映像、気持ちはいい。でも現実はあんな簡単じゃない。
ソールの汚れを落とすには粉末クレンザーで削るように落としたり、パーツクリーナーのようなケミカル製品や電動歯ブラシを駆使したり、時間と手間と根気が必要。
“軽く擦ればピカピカ”なんてことはまずない。一本の動画の裏には、数時間の作業と根気が隠れている。
とくにスエードは最悪だ。
多少きれいにはなるけれど、風合いは完全には戻らない。毛が固まって質感が死ぬ。
売り物としての価値は消えるし、触感も「もう終わったな」と感じる。
スエードの良さはあの繊細な起毛にある。そこが死んだ時点で、その靴の寿命は終わりだと思っている。
ソールが減った靴にパッチを貼るなんてのも、正直好きじゃない。
SDGsだのリペア文化だのといえば聞こえはいいけど、減ったソールを誤魔化して履くより、潔く買い替えた方がよほど気持ちいい。
“長く使うこと”が偉い、みたいな風潮には共感できない。
労力をかけてまで蘇らせるより、次の一足に出会う方がずっと楽しく、現実的だ。
1200円で売られているけど、ダイソーにほぼ同じ形のものが100円である。
高いほうは「高級そうに見える」だけで、本質は変わらない。
多くの人が“見た目の価格”を買っている。
でも、私は見せかけより本質を重視したい。
見た目だけ整えた“再生品”より、潔く選び抜いた“本物”を扱うほうがずっと誠実だと思っている。
基本的に、デッドストックで手に入らないもの以外は潔く買い替えた方が満足度は高いし、手間もかからない。
あとは個人的に思い入れのある靴だってんなら、一生懸命手間ひまかけてきれいにする価値はあるんじゃない?
でもそれ以外のあまりにソールが減った靴とか、ボロボロの見た目になってしまったらそこはもうリペア業者へ依頼する領域になってしまって、金がかかる。
そこまで状態が悪くなったらもうそれは寿命を迎えたゴミ。(リペア業者にとっては研究用として価値があるかも)
歴史上の人物や世界的に有名な人が実際に履きつぶしたものとか世界に一つしかないような貴重なもの以外はゴミ。
マリー・アントワネットは実在した歴史上の人物だけど貞子はどこの誰とも関わりのない架空の人物じゃん
「オメコ」や「おまんこ」といった語の起源や由来には諸説あり、明確な一つのルーツは特定されていませんが、主な説や歴史的背景は以下の通りです。
主な語源・由来説
「女子(めのこ)」の転訛(変化)から「めこ」、さらに「おめこ」となったとする説。
体の中心を意味する「真処(まこ)」の音便(発音の変化)から派生したという説。
家の出入り口を表す「門戸(もんこ)」がなまったとする説。
歴史上の人物(徳川家康の側室「お万の方」や北条政子、北政所)に由来するという俗説。
江戸時代の売春婦が使った「船饅頭(ふねまんじゅう)」を略して「まん」と呼び、指小辞「こ」を付けたとする説。
饅頭(まんじゅう)に形が似ていることから、女児の外陰部を「お饅」と呼び、そこに「こ」を付けたという説。成人女性の場合は「毛饅頭」と呼ぶこともあった。
江戸時代後期の雑俳や川柳、艶本などに「おまんこ」や「まんこ」が女性器の意味で使われていた記録が複数存在します。
明治時代の辞典類にも「おまんこ」「おめこ」といった形で女性器の俗語として記載がありますが、「まんこ」単体はやや遅れて登場しています。
「おめこ」という語形も、明治時代の類語辞典で「女の陰部」の方言として挙げられています。
まとめ
「オメコ」は主に江戸時代後期以降に女性器の俗語・卑語として使われ始めたと考えられますが、その語源については「女子(めのこ)」の転訛や「真処(まこ)」など、複数の説があり、どれか一つに確定することはできません。また、こうした語は文献に残りにくい性質があるため、正確な成立時期や由来の特定は困難です。
https://lscharlie.exblog.jp/24430958/
ウェクスラー成人知能検査、その名も「WAIS-III」を受けてみた。
全額負担で。
大人になって試験という試験は、車の免許とメンサとコレくらいだ。
いや、コレは検査か。メンサとケンサを受けたことになる(どうでもいいか)。
証明書による入会判定について
https://mensa.jp/certification.html
JAPAN MENSAはWAIS-IIIの証明書を提出することで、条件を満たせば試験を受けずに入会できる。
私のWAIS-IIIの結果はIQ 140(=全検査値、標準偏差15)
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よく見かける「IQ 162をマーク!nn才の子供がアインシュタインやホーキング博士を超えメンサ入り!」というニュースは、私が見る限り全て標準偏差24値なので(メンサをIQ 148以上と表現している場合間違いない)、それを真に受けるならば私も超えているし、記事になっている人達よりも2〜3高い。が、そんなにゴロゴロとアインシュタインを超えるはずがないので、何かおかしいと読み解くところから始まる。そのくらいマスメディアというのは専門知識も持ち合わせていないし分析能力もない(ことが多い)。ちなみにニュース記事の英語原文にはちゃんと説明が書かれていることもあるので、日本のメディアか翻訳者が疎いだけかもしれない。
もし当時アインシュタインが知能検査を受けていたら、標準偏差15値で160はあったんじゃなかろうか。受けた記録はないそうだ。
ジョディ・フォスターのIQ 132は標準偏差15値かと思われる。でなければメンサに入れないので。
言語性、動作性に限らず、下位項目全てにおいて130を超えているので、メンサはどっちで入会しても良かったということ。
※保険適用なしでWAIS-IIIを受けるとメンサ試験料の3倍以上かかるから、真っ直ぐメンサ試験に直行した方がお得(?)。※実際は1万円ちょっとのよう。私はついでにアレもコレも受けたので高くなった。
IQ分布では250人に1人だから0.4%、世界的に140からを天才と位置づけているそうだから、ギリギリ仲間入りした。
「滑り込みの天才」とか、「駆け込み乗車の天才」とか名前付けたら売れますか?的な。一瞬、滑り込みや駆け込みが巧いのかと思う。
で、スティーブ・ジョブズがIQ 140らしい。
なんか申し訳ない。
晴れて私は天才になった。
例えばソムリエ試験の合格通知が来たその日から人はソムリエになる。
でも試験日当日には既に合格するレベルに達していたのだから、この人がソムリエになったのは試験日当日じゃないか(事象の発生)と考える。
※例えば、オリンピックで100メートル走り、9秒00を出してから世界新記録と金メダルが確定するまでのタイムラグのようなもの。
更には、試験前日は余裕で勉強もせず、いつもどおりの生活を送っていた人は、試験の前々日にソムリエ相当になっていたことになる。
もっと言うと、合格するだろう軌道に乗った時点で、その人はソムリエになることがほぼ決まっていたと言える。
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http://karapaia.livedoor.biz/archives/52152799.html
メンサは9位、「マスターソムリエ資格認定試験」は1位だ(笑)。ソムリエにとっての最初の難関は受験料8万円ではなかろうか(笑)。
量子論の入門で必ず出てくる。
観測するまでは確定されず、考えられる可能性を元にした2つ以上の世界が同時に存在するというパラレル・ワールドの理論。
そして光は、過去に遡って結果を書き換えたりする(過去に影響を与えているように見える)。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG2000S_Q2A120C1000000/
ソムリエ試験当日、合格する行動(筆記や実技、全てにおいて)を取った人は、例え採点前でも合格が決定しているが、採点後に合格が確定していても、本人は通知を受け取っていないため、「不合格」かもしれないと心配したりする。
更には合格通知が郵送されても、受領していない限り本人にとっては合格という事実が確定しない。
もし、一緒に受けた友人宅に先に通知が届き、Facebookにでも「合格した」と近況報告を載せようものなら、まだ通知が届かず近況報告できない片割れに対し、「不合格なんじゃないか」論が密かに噴出する。本人自身も含めて。
一週間も通知が届かないと、仕舞いには「本当に受けたの?」疑惑さえ出てくる(笑)。
そういったある特定の要素によって、事実を事実として確定させられないと困るので、多くの試験はホームページに合格者受験番号を掲載したりするなど2種以上の通知手段を採用している。
パールハーバー前の宣戦布告も、2つ以上の手段によって伝送されていれば、少なからずどちらかを持ってルーズベルト大統領の手に渡ったのではなかろうか。
それは置いといて、正直に自己開示すると、検査日の数日前、お馴染みのロンドン3丁目(笑)に「測定上限値の161かエラーを出す」と宣言したので(笑)、何ともネタがないままに終わってしまったことが若干不満なのであります。
いや、彼女よりも低いことは(初めから)自分でわかっているので、150を超えないことは何年も前に確定していたことに目を向けるべきですな。
というわけで、資格とか試験というのは、ある事柄を確定させるための return (enter) キーだ。文字は打ち終わってるんだが的な。
/*
Wechsler Adult Intelligence Scale-Third Edition
16才以上を対象とした世界標準の知能検査。アメリカでは既にIV(フォー)が出ているが、日本ではまだ見かけない様子。最高値161(成人は156)まで測定でき、それ以上は「161以上」と表現される。標準偏差は15。
よって161を超える数値の自己申告については、民間のオリジナル知能検査である可能性や、標準偏差24(Cattell scale)で算出されている可能性、子供の時に受けた昔の精神年齢から算出するタイプの数値である可能性もある。
※精神年齢算出型は、実際に解けた問題数ではなく、この年齢でこれだけ解けたら「n才相当」と算出するため、年齢が下がれば下がる程161以上が出る可能性がある。現在の成人知能検査においてはほとんど使われない。
※精神年齢から算出する田中ビネー知能検査Vは今でも現役のようだ。13才までを対象としていて、年齢によっては平均が119と高い。標準偏差は16。
成人知能検査は2〜3時間を要し、人によっては2日間に分割される。
海外のメンサは、テストの合否と併せてIQが通知される。大人はIQ 161まで、子供はIQ 162まで。
WAIS-III ウェクスラー成人知能検査を受けてみた。全額負担で。_f0337316_18524285.jpg
メンサは本当に「行列推理得意集団」「パズル得意集団」なのか、或いは、本当に人口の上位2%のIQの持ち主が集まる高知能集団なのか。巷では数年来のこの議論に対し、自分で検証した方がが手っ取り早いでしょという結論に達した。
その前に、事実こそに答えがあるという観点から、何で議論ばっかり見かけて、誰も立証・検証しようとしないのだろうと疑問に思った。
わかった。
私は前後のカウンセリングやその他の検査も受けたので36,000円(保険適用なしの全額負担)かかった。
※「保険適用なら3,000円程です」と最初に言われた。3割負担なのに計算が合わない気もするが(笑)、「できる検査は全部」と言った結果追加されたんだろう。
それがまた所得分布に比例し、結局のところ統計は大凡正しいことがうかがえる。
私のような検証マニアは、極めて希かつ貴重な(アピール)存在であることを念のためここに記したい。
オンラインIQテストと比べて、2回以上やってみたり、解答を検索したりもできないし、写真撮ったりして問題を持ち帰ってゆっくり解いてそれが外部に漏れたりしないという点から信頼性が高い。
その昔、テレビなどで「精神病院」と呼ばれていた場所で、今では精神科、心療内科と分かれ、より来院しやすいよう配慮されている。
院内では決して名前が呼ばれず、内容などが読み上げられるようなこともないし、明細にも細かな内容を書かないという徹底ぶり。多分家族にも見られたくないという人も多いのだろう。
また受付から呼びかけるのではなく、そばにやってきて小声で話してくれる。
すんません、こんな男のために15歩ほどご足労をおかけして。
病院というのは、何かしら自覚症状があったり、他人から見た疑い、明らかな疾患があったり(物理的、生物学的、行動的)、結果として治療が必要と判断されない限り、保険は適用されない。
私の趣味の知能検査に国民が納めた健康保険料を割り当ててもらうのも気が引けるので、自ら全額負担を名乗り出た。
が、そういう来院は初めてだそうで、「何でもいいので、お悩みのことはありませんか?」と聞かれ「悩みがないことが悩みだとか、自分が悩んでることに気づかないことが悩みだとかダメですか?」と言うと、しばらく悩まれて、「ではもしカウンセリングや知能検査の結果、治療の必要性が認められた場合は保険適用しますね」と言われた。
結果、全額負担。
せっかく心療内科まで来たんだから、知能検査とは別に精神面も見てもらおうとカウンセリングやテストを受けたが、結論的に「何か特殊な訓練を受けましたか?」と聞かれた。
いわゆる軍人や特殊部隊などの養成訓練に参加したことがあるかという話だった。
ナイ。
メンタル面に微塵の不安要素(例えば鬱とか)もないらしく、いわゆる「問題なし」と判定されるラインから大幅に「なし」の方向に傾いているという。
朝までさんざんお酒飲んで血液検査に行っても、肝数値がお酒飲まない女性よりも低い(元々男性の方が高い)と言われるソレと同じですな。
※今まで見たことがない結果らしく、それはそれでマイノリティだから、普通か異常かで言えば異常に分類される恐れがある(笑)。
自分でわかってるから、下手な芝居をせずに、全額自己負担を名乗り出たのであります。
初日はとりあえず先生のカウンセリングで、その場で知能検査は受けられないことがわかった。
待ち時間など含め3時間ほどかかるということで、「いつでもいいです〜、急ぎませんし。ブログのネタ用なので」と言ったところ、「現在1ヶ月ほどお待ちいただいておりまして、全体の検査には3ヶ月ほどかかります」と言われた。
「はい〜、ただの趣味なので1年かかってもかまいません。ブログのアップが延びるだけですから」と伝えた。
多分相当後回しになるだろうなと思っていたところ、受付で「明後日どうっすか」的な急展開。
医師が診て、急いだ方が良さそうな顔をしていただろうか、私は(笑)。
「3時間ほどかかるので、分割しますか」と聞かれ、「13時間は余裕で集中できます」と応えると、明後日で確定した。
当日。
「気象予報士さんですね?」
「いえ、臨床心理士です」
一瞬笑みを浮かべそうになったが、受付の人といい先生といい、皆神妙な面持ちで真剣に向き合って話をするので、多分場所柄、笑ったりしてはいけないのだろう。私の場合笑ってくれないと辛いのだが。
「では、始めますね」
「お綺麗ですね」
3秒くらいポカンと見つめられた。
「もし実際より低い数値が出たり、何か治療が必要になったら、貴女のせいですよ053.gif」と言ってみたらやっと笑顔を見せてくれた。
恋の病に陥ったら治療を頼むぜベイビー的な。
IQ 140だとそんなこと言うのか!と決定付けないでほしいのであります。
念のため確認した。
「ちなみにこの知能検査、最高値はどのくらいですか?」「161まで測定できて、それ以上は161以上という表現になります」
なるほど。噂どおりだ。
「じゃ、161出しますね」
※2018年02月17日:成人知能検査の上限は156のようです。読み替えてください。
結果は宣言を大きく下回ってIQ 140(全検査値=FIQ)。
知能検査自体は2時間くらいだっただろうか。カウンセリングやメンタルテスト数種類が30分くらい。後は待ち時間の方が長く感じた。合計約3時間。
検査中、予報士の女性がペンを落としたので、それを拾ってあげようと机の下に潜り込んだところ「時間を計っていますので、お気遣いなく集中してください」と言われたので、「いや、綺麗な脚を眺めるチャンスに一瞬で気づいた点も記録していただきたいんですが」と言うと、真剣に笑ってくれた(笑)。
結果報告書にも書かれていた。
「常に周囲に気を配り、楽しませようという余裕、ゆとりが見られた。かといって試験内容が簡単で退屈だという様子もなく、むしろ楽しさが思考を促しているようにも見られた」だそう。ラブレターみたいなことが沢山書いてあった(笑)。
言語性(VIQ)と動作性(PIQ)はほぼ均一で、おもしろいのは、動作性カテゴリの行列(推理)と言語性カテゴリの算数は2段低かった。
本番に強い私は、これでも「算数」は予想外のできだった。本当は2桁の足し算でも大変なのでもう2段更に低くてもいいくらい。余裕で小学生に負ける自信があるし047.gif
そして一番意外だったのは言語性カテゴリの「数唱」が一番高い(笑)。
例えば「58126947」と口頭で伝えられ、それを復唱したり、逆さまから言うテスト。いわゆる短期記憶だ。まだ昔の能力が残っていた。
「貴女の声がステキなので、何桁でも覚えられます。このまま続けませんか」と真顔で言ってみたら、予報士さんの声がうわずっていた。
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ちなみに赤坂時代、私が偶然外で見かけた10桁の数字を覚えていたので、ある女性スタッフに「10桁って何の数字ですかね」と話したところ「牛の個体番号じゃないですか?」と言われ、確かに鉄板焼きで食べる時に見せられたソレだった。「一回だけ言うので覚えられますか?」と口頭で伝えたところ、半年経ってもその女性は覚えていた。牛の個体番号って気づく点も鋭いし、こうした試験には出なくても特殊な才能を持っている人は世の中にたくさんいる。見いだされていないだけだ。
私の適当な計算では、私の行列推理能力は、メンサ合格ライン+1くらいのところに留まっている気がし(これだけで算出すると多分だが標準偏差15でIQ 132くらい)、メンサの「行列推理得意集団説」の足を引っ張っている可能性が高い。
知能検査項目を列挙すると↓こんな風に分類されている。
言語性尺度(VIQ、Verbal Comprehension)
単語(Vocabulary)
類似(Similarities)***
知識(Information)
分類なし
理解(Comprehension)***
算数(Arithmetic)
数唱(Digit Span)
語音(Letter-Number Sequencing)
分類なし
配列(Picture Arrangement)
知覚統合(PO、Perceptual Organization)
完成(Picture Completion)***
積木(Block Design)***
行列(Matrix Reasoning)
処理速度(PS、Processing Speed)
符号(Digit Symbol-Coding)***
記号(Symbol Search)
分類なし
組合(Object Assembly、組み合わせであって管理組合とか労働組合とかじゃない)
私を担当してくれた臨床心理士さんの話によると、言語性IQは主に聴覚、動作性IQは主に視覚からの情報処理が影響するとのことだった。
私の場合「僅かながら聴覚優位っぽい印象がある」と言われた。お見事。
自分では聴覚にしか頼っていないと感じていたが優位なのは間違いない。その理由として「色が見えません。色覚異常、いわゆる色盲です。」が挙げられる。
こういった傾向から、本を読むにしても声を出して読んだ方が覚える人、目で追った方が確実な人とわかれるのだろう。
が、私は本は全く読まないし、声を出して読むことはまずない。
※本を読まないのはよくないらしいので、この2ヶ月程は頑張って読むように心がけている。
内容は中学校の社会の教科書レベルなので、義務教育以上の学力で対応できるが、あまり意味はなさそうな気がした。
大人になると忘れて、習ったばかり若者の方が正確に答えられる場合もあるし、更に大人になれば教養として学び直し、より詳しい知識を持っていたりする。
知識をどれだけ測定したところで、相手が外国人だとまた必要な知識も異なるし、あくまで義務教育レベルの情報を記憶していられるかという測定のように感じた(長期記憶)。
前述の「数唱」も同じで、これが英語だったとすると、読んで記憶できても、(私の場合)口頭だと覚えづらい。
一方で、小さい頃から海外を周り、日本語と英語、現地語など数カ国語を使いこなす人で、日本を長く離れていたがために、つい混乱してしまった場合などは、数値が低く出るだろう。
世間では良くも悪くも大阪・関西万博で盛り上がってるが、2025年は愛知万博(愛・地球博)から20年でもある。そのため、現在愛知県では20周年記念事業を実施中だ。
その中に県内市町村連携PR企画として「54市町村ご当地モリゾー・キッコロ」というものがある。県内市町村の祭りや名所、特産品等とモリゾー・キッコロとのコラボデザインということで、モリゾーとキッコロが様々な物を持ったり格好をしたりしている。例えば、名古屋市は名古屋めしと呼ばれる食べ物、岡崎市は岡崎城と三河花火といった形だ。
各市町村がそれぞれ我らが街を代表するコンテンツをデザインにする中、瀬戸市のモリゾーとキッコロは焼き物の皿と将棋の駒をその手に持っていた。瀬戸市はその名の通り瀬戸焼の地であり、焼き物を持っているのはわかる。というか持っていないとおかしい。しかし将棋の駒は何なのか。
ご当地モリゾー・キッコロのサイトの文言曰く"「瀬戸焼」や「将棋」など伝統・文化の継承を大切にしています。"とのことである。瀬戸焼は日本六古窯にも数えられる歴史があるが、瀬戸市と将棋の縁は薄い。近年は瀬戸将棋文化振興協会が設立されるなどしているが、辿れば藤井聡太の出身地であることに着地する。なお、万博当時に藤井聡太は3歳になる年だ。誰が選んだかは知らないが、ご当地デザインにもその影響が出てしまうのは、こすり過ぎというか呪縛めいたものを感じる。
まあ特定企業に端を発して特定の産業が街を象徴することになったり、歴史上の人物の縁の地でその足跡が残るため街おこしに使われるといったことはままあるが、一人の現役棋士のために瀬戸焼と将棋の駒が並ぶのはなあ。
酒のつまみになる話で「みんな、思い入れのある歴史上の人物は居るものなのか」というバッテリィズエースの質問があった
特に居ないけど
「好きな戦国武将」レベルで、しかも「その人についての知識うっすい」とかならまあ
毛利元就かな
三国志・戦国武将のことになるとゲームきっかけで好きになる人多いだろうね
自分はあんまりゲームしないけど、毛利元就はやっぱりゲームからだな
三国志は普通に中学生時代に中国の読みやすい古典本を読んでいて、面白いなあと思ったので割と好きだけど
でも、ゲームから好きになってる人たちより浅いし人物とか全然覚えてない
そんなの以外で「この人のことすごく好きでよく知ってる」なんて歴史上の人物は居ないなあ
日本史と世界史とってた割に「この人物に興味がある」なんて人居なかったなあ。「名前面白すぎ」とか「えげつな」と思う程度だった
歴史小説好きだったら良かったんだろうけど
主人公以外の男キャラで、その作品ブームの牽引役として圧倒的な貢献をしたキャラ
他に誰がいる?
※作品ブームの牽引役として圧倒的な貢献をしただから、主人公とか他のキャラも人気だけどそれより少し人気が高いくらいじゃダメだよ
アイシールドの蛭魔、ガンダムのシャアは凄くいい、すっかり忘れてた
爆豪も確かに ポップはどうなん?最終的に人気上がっただけで、牽引したかというと…?
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既に人気があった作品の序盤中盤に注目されてない/登場が遅い/活躍が遅い/見直されたのが遅いキャラは難しいかもね
あと女子人気が強く影響するのはそうなんだけど、その中でも特に凄かったキャラという感じだね
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未精査メモ(以下全てがブーム牽引キャラに該当するかは調べてない)
ぱっと思いついたのは八神庵
WW2時の日本軍って船には山とかの名前を付けたけど、戦闘機のネーミングの由来はなんなんですか?
という素朴な疑問から、日本軍やアメリカ軍、他の軍隊のネーミングルールをAIと壁打ちしていた。
ゼロ戦は皇紀なのに、雷電とか出てきてどういうネーミングルールなのと困惑したところから話始まる。
AIが言うには、戦況が不利になってくると士気を高めるために性能をアピールする名前が愛称としてつけられるようになったと。
https://grok.com/share/bGVnYWN5_b795dd34-9b7e-4917-bdb2-3bc411d81c86
その後アメリカ軍の爆撃機はBで、戦闘機はFで分かりやすいんでねという話になり、さらに世界各国の軍隊の命名ルールの話になる。
国によっては過去の偉人や、地名、王族の名前をつけることもあると。
そこからさらに話が広がり、"現役の人の名前や都市の名前をつけると、落とされたときに逆に士気が下がるのではないか?"という話になる。
歴史上の人物はいいとして、現役の人の名前や都市の名前をつけると、落とされたときに逆に士気が下がるのではないか?という意見を聞いたことがあるけど、どう思う? 例えば現役の首相である石破さんの名前から、駆逐艦石破とか命名すると、これが撃沈されたときに、石破が沈んだぞ!となるわけで、士気が下がりそうw
AI:
面白い視点ですね!確かに、現役の人物や都市の名前を軍艦や戦闘機に付けると、それが撃沈されたり落とされたりしたときに士気への影響が逆効果になるんじゃないか、という意見は一理あります。歴史上の人物なら「過去の栄光」として割り切れるけど、現役だと「今まさに活躍してる人がやられた!」ってリアルなダメージになりそうですよね。駆逐艦「石破」が沈んだら「石破が沈んだぞ!」って笑いものになる可能性もあるし(笑)。このアイデアについて、少し考察してみます。 -中略- 2. 歴史的例:現役人物の命名ってどうだった? 過去に現役の人物名を付けた例を見てみると、意外と慎重に避けられてる傾向があります。 ドイツの「ビスマルク」:戦艦ビスマルクはオットー・フォン・ビスマルクにちなむけど、彼は19世紀の人で、命名時にはもう故人。現役のヒトラーとかゲーリングの名前は付けなかった。 フランスの「シャルル・ド・ゴール」:空母に命名されたのはド・ゴールだけど、彼が死んだ1970年以降に計画されたから、現役じゃない。 ソ連の「キーロフ」:重巡洋艦キーロフはセルゲイ・キーロフ(政治家)にちなむけど、彼は1934年に暗殺されてて、船の命名時には故人。 現役の政治家の名前をリアルタイムで付ける例は少ないんですよね。やっぱり「沈んだらヤバい」ってリスクを各国とも意識してるのかも。 3. 都市名の場合:どうなるか 都市名は結構使われますが、これも撃沈されると微妙な影響がありそう。 アメリカの例:米海軍は伝統的に都市名を駆逐艦や空母に付けることが多い(例:USS New York、USS Los Angeles)。でも、例えば「USS New York」が沈んでも、「ニューヨーク自体がやられた」とはならず、「船の名前がそうなだけ」と割り切れる文化があるみたい。 中国の例:空母「遼寧」が沈んだら「遼寧省が!」ってパニックにはならないだろうけど、地域の誇りが傷つく可能性はある。特に中国は愛国心を重視するから、ネガティブな連想を避けるために慎重に運用してるのかも。 都市名は抽象的だから、現役人物ほど直接的なダメージにはなりにくいけど、それでも「縁起が悪い」って感覚は出てきそうですよね。 4. 私の考え 「現役の人の名前は士気を下げるリスクがあるか?」って聞かれると、状況によるけど確かにリスクはあると思います。 メリット:現役の首相やリーダーの名前を付けると、「国の顔が戦場に!」って士気が上がる可能性もある。例えば「駆逐艦石破」が大活躍したら「石破すげえ!」って盛り上がるかも。 デメリット:でも沈んだら笑いものか悲劇かのどっちかで、特にSNS時代だと「石破沈没www」ってミーム化して政治的ダメージが拡大しそう。日本の場合、ユーモアや皮肉が好きな国民性もあるから、なおさらネタにされやすい(笑)。 個人的には、現役人物の命名は避けた方が賢明だと思う。歴史上の英雄や自然現象の方が「負けても言い訳しやすい」し、イメージが傷つきにくい。日本軍の「雷電」や「隼」みたいに、抽象的でカッコいい名前の方が士気も下がりにくいし、撃沈されても「自然の力だから仕方ないね」で済む(笑)。「石破が沈んだぞ!」って言われるより、「雷電が散ったか…」の方がドラマチックで耐えられる気がしますね。 どう思います?「駆逐艦石破」沈没で士気が下がるか、それとも「次は勝つ!」って燃えるか、想像するだけでも面白いですよね!
それでは紛らわしい場合はどうなのか?
WW2時のイギリスの戦車チャーチルとか難しそうです。 これは当時の現役の首相チャーチルではなくて、彼の祖先であるマールバラ侯爵のジョンチャーチルから来ているそうですが、やられた場合はチャーチルがやられたとなり、士気に影響したのではないだろうか?
AI:
面白いケースを挙げてくれましたね!第二次世界大戦中のイギリス戦車「チャーチル(Churchill)」は、確かに命名の由来を考えると微妙な影響がありそうな事例です。現役の首相ウィンストン・チャーチルではなく、彼の祖先である初代マールバラ公ジョン・チャーチル(1650-1722)にちなんで名付けられたとされていますが、当時の人々がその区別をどれだけ意識していたか、そして戦車がやられたときに士気への影響がどうだったか、ちょっと掘り下げてみましょう。 -中略- 4. 私の考え 「チャーチル戦車がやられたときに士気が下がったか?」って考えると、多少の影響はあったかもしれないけど、大勢に影響なかった気がします。 祖先由来の効果:公式に「ジョン・チャーチル由来」って線引きがあったから、現役の首相と完全には結びつけられなかった。ただ、一般兵士や国民の頭の中では「ウィンストンのチャーチル」と混同してた可能性はある。 イギリス人の気質:イギリスって「何があってもティーを飲む」みたいなタフさがある文化だから、「チャーチルがやられた?まあ次だ!」って切り替えが早かったんじゃないか。 対比で言うと:もし日本で「戦車近衛」や「戦艦東条」がやられたら、「近衛が!東条が!」って大騒ぎになってたかも。日本の方が名前に象徴性を持たせる傾向が強いから、士気への打撃も大きそう。 質問の「現役の名前だと士気が下がるか?」に戻ると、チャーチル戦車は「半分現役っぽいけど歴史由来」の中間ケースで、上手くバランスが取れてた例だと思います。もし本当に「ウィンストン・チャーチル号」って銘打ってたら、「首相がやられた!」でちょっとしたパニックになってたかも(笑)。イギリス人のユーモアと冷静さが、この微妙な命名を乗り切ったんじゃないですかね。 「駆逐艦石破」よりはマシだったと思うけど、どう思います?チャーチル戦車、やられても意外と平気だったみたいですよ!
チャーチル戦車がやられても大丈夫なら、駆逐艦石破が沈んでも大丈夫かもしれんね。
もちろん、船に山とかの名前を付ける日本が首相の名前をつけることはないし、現役で存命中の人物の名前をつけることはないだろうけど。