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はてなキーワード: 因果関係とは

2026-01-28

anond:20260128010926

あおやまちゃんイケメンデカチ🙌ポにもショタチンポにも興味なくてですね、知らないおばさん軍団キャリア邪魔されるのが嫌なんですね🥺

普通に実害を被ってるので怒ってるのです🥺

おばさん軍団はあおやまちゃんが作ってるお菓子イケメンデカチ🙌ポさんに頼まれてるって思ってるじゃないですか😲

でもあおやまちゃん自分が作りたいかお菓子を作ってて、ストーカーイケメンデカチ🙌ポさんがそれに言及してるわけです

それでおばさん軍団はあおやまちゃんイケメンデカチ🙌ポを仄めかしてると思ってるんです😞

あおやまちゃんは何もしてないのに🥺

因果関係が逆なのです😢

なぜ「なぜなぜ分析」はなくならないのか

会社ルールから

正確には、古い会社ルールを見直さず放置しているか

偉い人が言うから

正確には、偉い人が学習を怠り、過去自分成功体験を繰り返しているか

他の方法勉強していないか

なぜなぜ分析の結果は、対外的説明やすいか

「なぜなぜ分析」はなくならない理由はこんなものだろう。なお「対外的説明やすい」点についてはある程度は理解できる。なぜなぜ分析が示すシンプル因果関係ストーリーはわかりやすいことは確かであるしかし、結果として選択したシンプル因果関係ストーリーはすぐに破綻する。また別の理由で次のインシデントが発生するからである。再発防止策がさらに増える。チェックリストが拡充される。そして無駄作業ばかりが増え、生産性は落ちていく。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/agnozingdays.hatenablog.com/entry/2026/01/24/170000#bbutton

これはすばらしい言語化

まり最大公約数的な説明をしようとすると平均値の知能に合わせないといけないわけで、

まりワイのような平均値以下ではエンジニアリングはできないから、

こういう説明必要になるんだな。

無理にワイらに合わせず、できる人同士でやってくれとしかえんな

2026-01-26

【論考】「浸透」ではなく「召喚」された怪物:「山上徹也判決から見る統一教会自民党政治経済学

【はじめに】

システム工学的「エポケー(判断保留)」と、リヴァイアサン代謝

本稿は、現代日本政治における「権力宗教」の構造癒着、および「山上徹也」という事象を、道徳的善悪の彼岸にある「システム工学的な機能不全と最適化」の観点から記述する試みである

あらかじめ断っておくが、本稿には犯罪行為正当化する意図も、特定信仰弾圧する意図も一切ない。

現象の「論理的解明(Explanation)」は、決して行為の「倫理的擁護(Justification)」と等価ではない。

病理学者ウイルス感染経路淡々と追跡するように、筆者は犯罪者も、政治家も、信者も、すべて巨大な統治機構リヴァイアサン)を構成する「部品」および「代謝産物」として等価に扱う。

読者が感じるかもしれない不快感は、システムのもの内包する「非人間的な合理性」の反映に過ぎない。

筆者は前稿『歪なリヴァイアサン』において、自民党を「魂(イデオロギー)を持たない利益配分マシン」と定義した。

しかし、高度成長が終わり、配るべき「カネ(利益)」が枯渇したとき、魂を持たないこのマシンは、いかにして自らを駆動させる熱量調達するのか?

本稿は、この問いに対する回答である

システム生存のために、外部から安価な魂」と「無料労働力」を調達する必要があった。その調達先こそが、統一教会という名の「政治下請け業者BPOパートナー)」である

本稿では、リヴァイアサンいかにしてこの異物を「召喚」し、その病理的な代謝プロセスの中で、いかなる副作用山上徹也)を必然的排出したのかを解剖する。

序論:誤診された「犯罪者

2026年1月奈良地裁山上徹也被告無期懲役を言い渡した。判決文、そして世論の多くは、彼を「家庭環境絶望した、極めて特異で孤独犯罪者」として処理しようとしている。

しかし、これは誤診である。あるいは、意図的な隠蔽と言ってもよい。

我々の「システム論」の視座に立てば、山上徹也という存在は、決して予測不能バグ(異常値)ではない。彼は、戦後日本政治システムが正常に稼働し続けた結果、必然的排出された「産業廃棄物システムバイプロダクト)」である

彼を「極端な個人」として切り捨てることは、工場が川に垂れ流した汚染水奇形魚が生まれた際に、工場排水システム点検せず、「その魚の特異体質」を責めるに等しい。

第一命題冷徹なる「バーター取引」の明細書

なぜ、統一教会という異質なカルトが、日本政権中枢にこれほど深く食い込めたのか。

教会が巧みに自民党洗脳・浸透した」という被害者面をしたナラティブが流布しているが、これは歴史的にも構造的にも誤りである

正しくはこうだ。自民党というシステムには、構造的な「欠落」があり、その穴を埋めるために教会を自ら「召喚」したのである

自民党統一教会関係を「信仰」や「思想共鳴」で語ることは、事の本質を見誤らせる。

両者を結びつけていたのは、互いの「欠損」を補い合う、極めてドライで実利的な「政治バーター取引(交換条件)」である

この取引バランスシート貸借対照表)を精査すれば、なぜシステム教会を切断できなかったのかが明確になる。

自民党発注者)が得たもの統治コストの「極限的削減」

自民党教会から調達していたのは、カネ(献金)以上に、「カネのかからない実働部隊」であった。

無償公設秘書運動員人的資源ダンピング):

選挙には膨大な人件費がかかる。しかし、教会から派遣される秘書運動員は、給与要求しないどころか、教団の教義に従って「無私の奉仕」として24時間働く。

これは、企業経営で言えば「違法なほどの低賃金労働力」を独占的に確保しているに等しい。自民党議員にとって、これほどコストパフォーマンスの良い「兵隊」は他に存在しなかった。

鉄の組織票限界議席の決定権):

数万票単位で動く教団の組織票は、全体の得票数から見れば僅かかもしれない。しかし、当落線上にある小選挙区候補者にとっては、この「確実に計算できる数万票」こそが、政治生命を左右する決定打となる。

教会はこの票を餌に、個々の議員コントロール下に置いた。

「汚れ仕事」の代行(イデオロギーの防壁):

スパイ防止法制定や選択夫婦別姓反対など、リベラルからの反発が強い右派政策の推進運動を、「国際勝共連合」という別動隊に担わせた。これにより、自民党本体は「中道」の顔を保ったまま、保守層の支持を固めることができた。

統一教会(受注者)が得たもの:「略奪のライセンス

対する教会側が求めたのは、日本という巨大な資金源でビジネスを続けるための「不可侵条約」と「お墨付きである

権威ロンダリング信用創造):

教祖幹部が、岸信介安倍晋三といった歴代首相と並んで写真に収まること。あるいは、関連イベントビデオメッセージをもらうこと。

これらは単なる記念ではない。信者勧誘対象者に対し、「総理大臣も認める立派な団体である」と信じ込ませるための「最強の営業ツール」として利用された。政治家の権威は、霊感商法正当化するためにロンダリングされたのである

行政権力による「不作為」の防波堤

長年にわたり霊感商法に対する警察捜査消費者庁規制が、不可解なほど鈍かった事実は見逃せない。

さらに決定的だったのは、2015年の「名称変更」の承認である悪名高い「統一教会から世界平和統一家庭連合」への看板の掛け替えを、当時の下村文科相下の文化庁が認めたことで、教団は過去の悪評をリセットし、新たな勧誘活動を展開することが可能になった。

これは実質的に、国家が教団に対し、「日本国民から搾取継続してもよい」というライセンス免許)を更新したに等しい。

財務面での隠し報酬:「宗教法人格」というタックス・ヘイブン

教会が喉から手が出るほど欲しがり、自民党が頑なに守り続けた最大の利権。それは、日本国内に「聖域」と呼ばれる非課税地帯を維持することであった。

献金」という名の非課税売上:

通常の企業であれば、商品を売って利益が出れば法人税がかかる。

しかし、教会は「壺」や「多宝塔」を売る行為を、商行為ではなく「宗教的な寄付献金)」と定義した。

日本宗教法人法において、宗教活動による収入は「非課税である

これにより、信者から巻き上げた数千億円規模の資産は、国家による徴税というフィルターを通らず、丸ごと教団の懐に入った。これは、実質的国家が教団に対して「法人税相当分(利益の約20〜30%)の補助金」を裏で渡しているに等しい。

財務ブラックボックス化(監査免除):

株式会社と異なり、宗教法人は財務諸表の公開義務が極めて緩い(実質的に外部からは見えない)。

この「不透明性の維持」こそが、自民党教会提供した最大のサービスの一つである

信教の自由」を盾に、宗教法人法へのメス(厳格な会計監査義務化など)を入れないことによって、教会日本で集めた莫大な資金を、誰にも監視されずに韓国本部米国へ送金することができた。

日本は、教団にとって世界で最も効率の良い「集金マシンタックス・ヘイブン租税回避地)」として機能させられたのである

(元)連立パートナー公明党創価学会)への配慮という「人質」:

なぜ自民党宗教法人課税に手を付けられないのか?

それは、統一教会だけに課税しようとすれば、かつて自民党の連立パートナーである公明党支持母体創価学会)や、自民党保守地盤である神社本庁など、他の巨大宗教団体既得権益も脅かすことになるからだ。

この「相互確証破壊」の構造があるため、宗教法人税制はアンタッチャブルな聖域となり、統一教会はその「大きな傘」の下で安住することができた。

第二の命題山上徹也という「排出ガス」

この取引において、自民党は「政治コスト」を削減し、教会は「法的リスク」を回避した。

まさにWin-Win関係である

しかし、経済学原則として、「フリーランチ(タダ飯)」は存在しない。

自民党が浮かせたコストと、教会が得た利益。その莫大なツケを払わされたのは誰か?

その全てのツケは、「信者家庭からの略奪的採掘」によって支払われた。

ここで、山上徹也という存在の正体が明らかになる。

燃料としての家族

自民党に「無償秘書」を派遣するためには、教会職員を養うカネがいる。そのカネを作るために、山上徹也の母親は「霊感商法」によって資産の全てを搾り取られた。

山上家が破産し、兄が自殺し、一家崩壊したプロセスは、悲劇ではない。それは、自民党という巨大なエンジンを回すために、燃料として「消費」されたに過ぎない。

ラグ鉱滓)としての息子:

燃料(資産と家庭の幸福)が燃やし尽くされた後に残った、燃えない残骸。

金も、親の愛も、学歴も、社会的地位も奪われ、空っぽになった人間

それが山上徹也だ。

彼は社会不適合者だったか犯罪行為を起こしたのではない。システムが彼から全てを収奪し、その後の「廃棄物処理」を怠った結果、有毒ガスが充満して引火したのである

あの手製の銃は、狂人武器ではない。それは、政治システム排出した「毒」が、逆流して配管(安倍元首相)を破裂させた物理現象だ。

司法政治による「封印処理」

2026年無期懲役判決と、それに続く高市首相解散総選挙。これらは一連の「汚染除去作業である

判決意味

裁判所は、彼を「政治犯」として認めなかった。認めてしまえば、「自民党カルトを使って国民搾取していた」という因果関係司法公認することになるからだ。

彼を「母親への恨みで暴走たかわいそうな男」という物語に閉じ込め、刑務所という最終処分場隔離することで、システムは「我々には責任がない」と宣言した。

解散意味

高市首相は、判決の直後に解散を打つことで、この事件を「過去歴史」へと押し流した。選挙の争点を「教団問題からずらし、再度の勝利によって「禊(みそぎ)」を完了させる。

これにより、「教会を利用するシステム」は温存され、単に「より見えにくい形」で地下潜行するだけとなる。

結論リヴァイアサンは、今日も何かを食べている

山上徹也は極端な個人ではない。システムが生んだ副産物である

教会侵略者ではない。システム召喚した下請けである

この二つの命題が指し示す事実残酷だ。

我々が見ている「平和日本」は、山上家のような「声なき生贄」を燃料として燃やすことで、かろうじて維持されている。

無期懲役判決が確定した瞬間、システムは安堵の息を漏らしただろう。

だが、構造が変わらない限り、第二、第三の山上徹也(産業廃棄物)は、今もどこかの家庭で静かに生成され続けている。

リヴァイアサンは飢えており、次の燃料を常に求めているのだから

2026-01-25

anond:20260123234219

いじめられる側責任がない」ってのは、理論的には原因と結果、つまり因果関係について話している。

 

因果関係について話しているのであって、どっちが悪いか、つまり責任所在については話してない。

そこを混同されがち。

 

まりだな、例えば「ブスだから虐められました」が因果の原因にあるならば、

全てのブスがいじめられてないと矛盾するが、そうではない。

いじめられる側がブスであることは、「いじめの原因」ではない。いじめられる側が悪くて起きているのではないというわけだ。

そう考えていくと、いじめられる側の持つ共通の「原因」は存在しない。 

 

いじめる側には共通の原因がある。「やるやつがアホで倫理観が未熟」がそれだ。ここまで明確な事実

 

 

お前がやりたいことをちゃんと言いたいなら、あいつは確かにいじめにあったが、それとは関係なくムカつく奴だ、とか。別軸の話をせよ。

2026-01-24

伊藤詩織擁護派(あの界隈)のロジック破綻

伊藤詩織個人攻撃されたから、望月には個人攻撃していい」という論

不正根拠不正正当化している

個人攻撃は誰に対しても許されない

• Aが被害に遭ったことを理由に、Bへの攻撃正当化する因果関係は成立しない

原則放棄した瞬間に主張の正当性が失われる

普段個人攻撃誹謗中傷否定している

• 「今回は例外」とした時点で原則ではなく感情論になる

• 外からダブルスタンダードに見える

論点ずらしとして機能してしま

望月への個人攻撃話題が移る

制作過程説明責任手続き上の問題議論から消える

結果的に一番損をするのは擁護

伊藤詩織の主張の信頼性が下がる

擁護派全体の説得力が失われる

被害者支援という理念自体が傷つく

総括

個人攻撃例外付きで容認するなら、その原則最初から存在していない

過去被害と、今誰かを攻撃してよいかは完全に別問題

2026-01-22

虫歯の人って30代40代になると十中八九糖尿病らしいな

今糖尿の先生に罹ってて予備軍って言われたけどずっと虫歯治療してた事言ったら

糖尿発症者の8割以上が虫歯歯周病で通院中だって

そんな因果関係あったの知らんかったわ

これは典型的因果関係の誤認

これさあ。

非モテ女は「妊娠出産リスクを取れないか非モテ」なのではなく、「非モテから妊娠出産リスクの取りようがない」んだが?

ancv 私今頃気づいたんだけど、女性非モテは「妊娠出産リスクを取れない人」なんだと思う。だから妊娠出産を厭う女性ネットで叩かれるでしょ。過度に安全志向する人は、男女ともに非モテ

https://anond.hatelabo.jp/20260121161245

男にモテる女がリスクを嫌って男を避ける→分かる。

リスクを取らないから男にモテない→????分からない。

因果関係が逆じゃね?

そもそも男が寄ってこない女には妊娠出産リスクも何もないだろう?こっちはリスクに挑戦するチャンスも与えられてねえんだわ。

仮に自分から男に告白した所で断られたら非モテなんだから非モテと「リスクを取らない」事は何ら関係なくないかおかしくない?


「過度に安全志向する人は、男女ともに非モテ」はもしかしてから書き足したか有性生殖生物の仕組み上どう足掻いてもオスが動かなければ子供は作れないので、男の場合はまあ分かるけど。

女に当て嵌めるのは明らかにおかしいだろう?

典型的因果関係の誤認。原因と結果を逆に捉えている。

ていうか普段リベラルぶって人達がこのコメントに星を付けていてドン引き

相変わらず他の話題だと社会主義的なのに恋愛結婚子育て話題の時だけ自己責任論全開になる現象マジで!?

2026-01-18

anond:20260118205359

それ、因果関係をだいぶ雑にまとめてません?

再生数が儲かる仕組み」と「デマが増えること」に関係ゼロとは言わないですけど、

からといって「YouTubeの仕組みが原因でデマが増える」って断定するのは飛躍なんですよ。

まず、再生数が儲かるなら

事実ベース面白い動画も同じ条件で伸びるはずですよね。

実際、解説系・検証系・専門チャンネルちゃんと伸びてる例はいくらでもある。

それに、デマ陰謀論が伸びる理由って

「儲かるから」じゃなくて

信じたい人が一定いるからなんですよ。

YouTube

デマから再生される」んじゃなくて

再生されるもの機械的に出してる」だけ。

これ、人間の嗜好を反映してるだけで、設計思想問題とは別です。

あと大事なのが、

仮にYouTube再生数で儲からない仕組みだったとしても、

デマは別の場所に移動するだけなんですよ。

ブログ、X、Telegram、オフライン口コミ

歴史的に見て、メディアが変わるたびに同じ現象が起きてます

まり

再生数=金

・金=デマ

っていう一直線のロジックは成立してなくて、

正確には

人間は刺激の強い話を好む」

→「それが可視化されやすい」

→「結果的に一部が金になる」

この順番です。

で、ここを無視して

「仕組みが悪い」「会社が悪い」って言い切ると、

肝心の

なぜ人はデマを信じるのか

なぜそれを止められないのか

って議論から逃げてるだけになる。

それこそ、

「全部黒幕が悪い」っていう

陰謀論と同じ構造になってません?

皮肉な話ですけど。

2026-01-17

陰毛論は「人口が増えすぎて削減する必要があり、そのための何らかの選別が行われている」という点で見ればいいたいことがわかる

陰毛論者の発言を、表層的な荒唐無稽さやオカルト性だけで切り捨てるのは簡単だが、それは思考停止に近い。

語りの中核にあるのは、世界はもはや無制限人間を抱え込める構造ではなく、どこかで人口圧力制度技術経済構造に変換され、結果として選別が起きているのではないか、という仮説である

陰毛論者が繰り返し口にしてきたのは構造としてそうならざるを得ないという話だ。資源は有限で、地球環境は制約条件であり、制度は常にトレードオフの上に成り立つ。

そのとき、誰が生き残り、誰が排除されるのかという問いは、倫理問題であると同時に、冷酷なシステム設計問題になる。

その語りが不快に聞こえる理由の一つは、この選別を道徳正義言葉で粉飾しない点にある。

教育医療金融戦争パンデミックテクノロジーといった一見無関係に見える現象を、人口最適化するための圧力装置として一つの線で結ぼうとする。

もちろん、その具体的因果関係の多くは証明不能であり、しばしば象徴的・比喩的な語り方をする。

しかし、世界が完全に人道的配慮だけで運営されているという素朴な前提のほうが、むしろ現実から乖離している。

グローバル経済効率を最大化し、不要な摩擦を削る方向に進む。その過程適応できない個体が脱落するのは繰り返し起きてきた。

この文脈Kappa Beta Phiのような存在を持ち出すのは、単なるスキャンダル消費ではない。

ウォール街エリートが閉じた空間下品パロディ自己嘲笑に耽るその文化は、自らを道徳守護者ではなく、冷徹ゲームプレイヤーとして認識していることを示唆している。

そこには世界を良くしているという建前と、世界操作と選別の対象であるという本音乖離がある。

陰毛論者が言いたいのは、意思決定層が人口資源抽象的なパラメータとして扱っているという現実だ。

数億人単位人間が、統計的誤差やリスク要因として処理される世界で、選別が起きていないと考えるほうが不自然だろう。

その語りを真か偽かで裁くことではない。科学論文でも政策提言でもなく、構造に対する警鐘だ。

人口が増えすぎ、全員を救うという物語が成立しなくなったとき社会は必ず別の最適化関数採用する。

その関数生産性なのか、適応力なのか、従順さなのかは時代によって変わるが、選別という結果だけは変わらない。

陰毛論が不気味に響くのは、それが誰かが悪意を持ってやっているという単純な話ではなく、誰も止められない構造としてそうなっているという現実を、下品で過剰な比喩を使って突きつけてくるからだ。

どう受け取るかは聞き手の知性に委ねられている。笑って消費することもできるし、全否定することもできる。

しかし、人口資源制度、選別というテーマ直視せずに済ませたい人間ほど、その語りに過剰反応する。

陰毛論者の発言は、世界が優しく設計されているという幻想を剥ぎ取る。

その裸の構造直視したとき不快さの正体が、誰かの妄想ではなく、我々自身現実逃避であることに気づく人間もいるはずだ。

2026-01-13

Brainrotとかい言葉

Brainrotは、低価値デジタルコンテンツAIに限らない)そのものを指すこともあれば、それによって引き起こされる精神認識機能の低下を指す。

 

いや、最初からそれらの機能が低いやつしかBrainrot系のコンテンツを楽しまないんじゃないか

因果関係おかしくね?

2026-01-11

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

価値あるものが生み出される環境

一般的規範を廃した場所、どんな行為賞賛などの報酬に繋がらず、尊敬もされないような場所でなされる活動は、おもしろものである可能性が高い。

なぜなら、報酬がえられないのにわざわざ何かをするということは、行為自身がそれで満足をえられるのでなければならないからだ。

これは、感性を働かせられる人間しかできないことだ。

自分自分のやることを評価できない人間は、報酬なしで満足はできないから、そういう人間排除されるというわけだ。

そういう場所にやって来る人間は、なぜわざわざそこを選ぶのか?

それは、同じように真に価値あると実感できるものを探す人間と共同して活動できるからだ。

おもしろ環境でなされる活動というのは、おもしろい人同士が相互作用し、新しくて、実際に人の感性を刺激するもの連鎖的に生み出していく営みだ。

最初に誰かがおもしろいことして、別の人間がそれを自発的に、その人の感性によっておもしろいと感じ、最初のものとは違った新しいものを作り出していく、そういう連鎖的な活動がなされるのがおもしろ環境というものだ。

これは、他人がやっていることを評価基準とみなして学習し、報酬をえるために真似し続けるような人間がいない場所しかできないことだ。

おもしろ人間に対して報酬を与えることができるとすれば、報酬がない環境を維持し、同じように自発的おもしろ人間報酬なしで成し遂げた成果を共有できるようにし、それができない人間排除することだけだ。

いいものを作ってくれた人にはお礼やご褒美をあげないといけないとか、おもしろ活動を促進するために報酬約束しないといけないという考えは、たちまちおもしろ環境を腐敗させる。

報酬が与えられる条件がどんなものであっても、報酬がえられる条件と人が実際に満足するかどうか(おもしろいかどうか)という条件は必ず乖離するものであり、表面的な評価基準を満たそうとするだけの人間がやってきて、すべてが台無しになってしまうのだ。

価値あることを実現する資質とは、他者からの間接的な価値判断を信用せず、自らの自発的感性の働きを自覚することができ、そのために活動しようとし、他者自分の行動の動機に影響を与えるのをよしとしないことだ。

そしてその反対に、無価値さをはびこらせるのにつながるのは、外的な動機しか行動しない人間であり、また、人に外的な動機を与える環境だ。

外的な動機で行動することや、それを奨励する環境は必ず腐敗する。

評価するがわの人間でさえ、本当に自分評価対象によって満足をえているとは限らないのだ。

何かを評価する人はただ、送り手が価値あるものを作っていると信頼して、自分ではなぜ満足しているのわかっていないのに満足しているだけなのかもしれない。

受け手が、対象のどんな性質自分感覚をどう刺激したのかという因果関係をはっきり自覚しているとは限らない。

受け手評価する能力が、送り手の自己評価する能力より優っていると、どうして信頼できるのか?

そのうえ送り手が自己評価できないなら、価値保証してれるものは誰もいないのだ。

送り手が自分活動の良し悪しを判断できず、受け手自身感性判断してくれると期待している一方で、受け手は、送り手が自身の成果を保証してくれているはずだから自分もそれをよいもの判断して問題ないに違いないと考えるという、循環依存が起きかねない。

まりその状況では誰もものごとの良し悪しについて考えていないわけだから、いいものを作ったり、何事かを良くしていく活動などやりようがないのだ。

ここで言いたいのは、「客観的価値評価する能力」などといったものではなく、主観的価値主観的な満足さえろくに自覚できない人間がいるということだ。

そういう評価者の要望を聞いたところで、彼らを満足させるものは生み出せない。

他者から評価尊重して何かをする人間がいる環境や、積極的ににそうするべきとされている環境では、結局誰をも満足させないものを際限なく作り続ける義務が発生しかねない。

そうなるくらないなら、他者への評価を一切禁じ、行為自身のみが自ら評価者とならざるをえなくるするほうが、価値あるものが多く生まれるのだ。

また仮に評価する側が自身感性評価できるからといって、送り手が受け手の反応だけを見て活動していればいいということにはならない。

なぜなら、その環境価値方向性を狭めることになりかねないからだ。

他者評価に影響を受けるということは、被評価者は評価者のうち誰が一番適切なのかを判断できないということだ。

したがって、被評価者が最終的に受け入れるのは、多数派か、影響力の強い少数の人間かのどちらかになる。

多数派価値観というものができあがっている環境では、当然その価値観が多くの活動者に影響を及ぼすことになるため、その環境価値観の多様性は狭くなる。

少数の人間によって作られた価値観が共有されている場合も同様だ。

仮にその少数の価値観が確実に誰かを満足させることができ、しかも多くの人を満足させられるとしても、価値観が少数に修練していくことはあってはならないのだ。

ある人の何かを評価するということは、それにしか価値がなく、それ以外のことは無価値であり、したがってそれ以外のことはやるなとほのめかしているようなものだ。

価値観の方向性の多様さを確保するには、それぞれの活動者が他者評価に影響されないようにし、それぞれが自発的活動するしかない。

そして、そのような自発的人間だけを選り抜くために、評価という報酬がないほうが都合がいい。

実際にネット活動していた人たちがこういったことを自覚していたかどうか、意識的動機はともかく、定まった評価基準もなく、報酬もえられない場所活動することには、実際そういう効用があるのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 1

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 3

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 4 結論

インターネットはつまらなくなった。

まらないやつが多くなったからだ。

まらない状況というのは、単にコンテンツがつまらないというだけでなく、つまらないものおもしろものとして受け入れられる空気ができることだ。

自分個人はつまらないと感じているが、ほかのみんなはおもしろがっているらしいと感じるような、そういう空気があるのがつまらない場所だ。

ネットでもどこでも、つまらない空気が生まれるのは、一般人とやり取りするための礼儀作法社交辞令規範意識といったものが広く一般的に共有されるようになるからであり、つまらない人間というのはそういうものを身に着けた存在だ。

ネットおもしろいことをしていたのは、意識的にであれ無意識にであれ、そういう社交辞令の悪影響から逃れたがった人間だった、と思う。

ネットおもしろさは、無意味な社交の中からは生まれえないものだ。

社交のための社交などない場所が広がっていき、それゆえ本当に価値あるものけが生み出される場所ができあがっていくのではないかという期待が、ネットおもしろさだったのだ。

その期待がなぜ潰えてしまったのかといえば、おもしろい人によるおもしろ場所での振る舞い方や持つべ意識といったものを誰も自覚せず、体系化もせず、おもしろさを生み出す方法論を大勢に伝えることができなかったからだ。

おもしろ場所を維持するには、そこにいる誰もがおもしろさを損なわない振る舞いでやり取りしないといけない。

最初は、本能的にそれを知っている人間けが自然に集まって、自然にやり取りしていた。

でなければあるいは、誰とも交流しないような人間が一人でおもしろいことをしていた。

そういう活動の仕方は明示されたものではなかったから、そうしないとおもしろさが損なわれるということを誰も知ることができなかった。

一方で、普通の仕方のやり取りは誰でも知っているし、普通の社交を嫌悪している人間でさえ知っている。

普通一般的な社交の仕方に取って代わる規範を誰にでもわかるように提示できなかったから、つまらない活動を促進する作法で人々がやり取りするのを止められず、ネットはつまらなくなったのだ。

結局どうするべきなのかといえば、人におもしろ活動を促進し、おもしろさを損なわせず、つまらないものをはびこらせない振る舞いと作法を明確かつ詳細に規定し、おもしろ人間しか守ることのできない規範を作り、その規範を守れる人間だけで活動するべきなのだ

まらない作法とはたとえば、つまらないものや、つまらない人間につまらないと言えないといったことだ。

もしそうしたとすれば、そのつまらない人間は、礼儀を守れとか、個人価値観を尊重しろというようなことを言うだろうし、またそういう主張の正当性一般的に認められている。

あるいはまた、他者から賞賛された場合、その人やその人のやることに賞賛を返さなければならず、その相手が気に入らなくても否定できなくなる。

から、つまらない人間から肯定されれば、意に反してその相手のやることをおもしろいと言わなければならなくなる。

そういう規範があるせいで、局つまらない行為排除されず、むしろ人々に認められさえするということになってしまう。

人には礼節を守り、相手名誉を守り、損ねてはいけないこと、そして相手名誉や称賛などの利益を与えないといけないこと、とりわけ、相手からこちらの名誉尊重されたり与えられたりすれば(たとえこちらが名誉を望んでいないとしても)相手名誉賞賛をお返ししなければならないこと、という規範がある。

そういったことを実践するのが、一般的な社交のしかたというわけだ。

まり他者利益を与えること、他者から利益を与えられる権利であるところの名誉を与えること、他者名誉を損ねないこと、という規範だ。

加えて、相手から利益を与えられればそれを断ってはならない。

それを相手に返礼という利益を与えることを拒否することになるからだ。

明らかに価値人間価値否定することができず、価値ある活動の助けにならない相手から賞賛拒否することもできず、価値ある活動制限されていくことでつまらない状況が作られる。

一般的礼儀規範というのは、他者利益を与えることをよしとしている。

一般的規範根本的な目的は、それを守る人間名誉を与え保証すること、だと言える。

人とやり取りするときにはそのように考えて振る舞わなければならないと、誰もが無意識に考えている。

しか名誉が与えられるからといって、その相手価値を実現する能力を持っていることは保証されない。

しろ、お互いに名誉保証し、与え合わなければならないせいで、価値を実現する活動をしたり、価値を実現する能力を身につけることが妨げられる。

また、大して能力がなくつまらないことしかできないが名誉をえようとする人間が不当に名誉だけをえるすべを磨こうとするし、そういう人間排除されずにのさばる。

相手名誉尊重賞賛によって相手活動を促そうとするのは、価値ある活動の促進にまったく効果がなく、反対に、おもしろいことを最初からするつもりがない人間を寄せ付ける餌にしかならないのだ。

からしろ反対に、名誉を発生させないような規範を作らなければならない。

価値あるとかおもしろいと感じたら、それを生み出した人に賞賛名誉報酬を与えるのが好ましい、むしろそうするべきであるという規範意識が、おもしろものを促進するどころか衰弱させ、むしろまらない人間を呼び寄せ、つまらないものを増やしているのだ。

その代わりに、人を賞賛せず、人が名誉を持つことを禁じ、名誉毀損されることに異議を挟むような人間排除しないといけない。

そのような環境でこそ、おもしろ人間が集まり価値あるものがより多く生み出されるというのがここで主張したいことだ。

本来価値あるもののために活動して生きるということは、どんなもの自分感性を刺激して満足させるのかを知り、そういったものを手に入れるにはどんな手段実践すればいいのかを知り、実行することだ。

しかしある種の人間は、自分感性の働きを自覚することに熱心になろうとしない。

何が自分を満足させるのか、何に価値があるのかを知ろうとはせず、他人が欲しがっているものを欲しがるだけだ。

そしてそれを手に入れるために、自分でどんな手段を取るべきかを考えるのではなく、名誉をえたり、他者に施しをすることで、他者から報酬として何かを手に入れようとする。

何に価値があるのかという知見を増やそうとしたり、どんなことをすればどんなものが手に入るのかという因果関係を見極めようとはしない。

彼らはあくまで、自分感性を刺激するものではなく、他人が欲しがっているものを見て自分が何を欲しがるべきなのかを学び、またそれを他人から与えられるという方法でのみそれを手に入れようとする。

そのために、賞賛されているものから価値観を学び、他者から賞賛をえることで自分名誉を高め、他者から報酬をえようとする。

名誉礼儀規範がある場所は、本来感性を持つもの自身感性に正直に振る舞わなければ正常に機能しないのだが、そこにはつまらない人間が欲しがる餌が豊富にあるため、自分感性を持たないつまらない人間が大挙してやってきて、機能不全に陥る。

価値ある活動がなされる場所を維持するにはこのような人間排除する以外にない。

彼らが何か努力して価値あるものを生み出す能力を身につけることは不可能だ。

なぜなら、そもそも他者から何かを学ぼうとするその姿勢のものが、自発性の欠如を示しているからだ。

他者から何かを学ぼうとする人間は、自分のやることをお手本となるものと比べて、自分能力を測り、それを報酬とする。

また、お手本とどれだけ近いかは、自発性を持たない人間でも判断でき、それゆえセンスのない人間でも他者評価できるようになり、つまらない人間同士で報酬を与え合うようになる。

報酬を与え合うという営みを一切しないようにし、餌を見せないようにするしかないのだ。

インターネットはつまらなくなった。つまらないやつを排除する方法 2

2026-01-09

anond:20260108195318

まだそんなデマ信じてるのか

しか資源と水の因果関係はないしな

アフリカいくら宝石撮れたって別に健康な水にアクセスやすけなるわけじゃねえし

2026-01-08

バカ女さん「優しくしてあげたら人は私に優しくしてくれるはず」

日本ってこういう女多いけど根拠ないんだよね

因果関係特にない願望垂れ流し

からこんなに搾取されてバカにされて差別されてるのにそれも分からない、可哀想

まともな欧米フェミニストちゃん理論に基づいて戦うから権利を勝ち取れてるのに日本女さんときたら

anond:20260108073044

ここに数字があった!!足した!引いた!つまり○○に違いない、考え方はわからないけど直感と願望でそうっぽい!(←笑)

ギャオオオオオン!!!!!てこと?

論立てのやり方って知ってる?

データ算数から「正しい論だて」「正しい立法批判」「正しい問題提起」「正しい因果関係事物解釈」をするのには知性が必要だよ?

男さん知性がなさすぎない?猿すぎない?

anond:20260108072900

ここに数字があった!!足した!引いた!つまり○○に違いない、考え方はわからないけど直感と願望でそうっぽい!(←笑)

ギャオオオオオン!!!!!てこと?

論立てのやり方って知ってる?

データ算数から「正しい論だて」「正しい立法批判」「正しい問題提起」「正しい因果関係事物解釈」をするのには知性が必要だよ?

男さん知性がなさすぎない?猿すぎない?

2026-01-06

anond:20260105184845

で、あなたカリウムや水をどのくらい摂ってるの?基礎消費カロリーは?運動量は?住居地域は?

これくらい言ってはじめて「そこそこ確度のあるリスク計算」ができるスタートラインに立てるものやんか

それすらただの「リスク予測」でしかなく、例えば卒中なんて寒い地方なら塩関係なく発生しやすいか

確実な因果関係明確化できるケースは多くない。

医学的にリスクに繋がる可能性が高いのは確かだけど、ファクターが多くて定量しづらいもの代表例だからこそ

大衆病として生活習慣病という名前になってるわけでね

2026-01-03

因果関係真逆だ。幸せから普通の人に見えるのであって、不幸だからだめな人に見えるんだ。

福祉現場を見ればわかる。お金があれば普通の人だったんだろうという人がストレスで狂っている。彼らをどうにかしたいなら、幸せを感じられるように支援するのがベストなんだ。

不幸な人を不幸のままにしておくのが社会にとって安全だと思ってるなら、犯罪心理学社会学を勉強すべきだと感じる。

2026-01-01

これ、引用因果関係が逆だって言ってる人が多いけれどどう考えても逆じゃないよなあ。

大手に入る(あるいは公務員になる)→十分な給与福利厚生保障される、将来の見通しも立つ→安心して結婚出産に踏み切れる

だろう?

逆の訳がないし、少子化は純然たる金の問題なんだよ。

けして個人能力や適性の問題ではない。

壁打ち元ナース

@pi__pipipip

大手に入ってびっくりしたこと、30歳くらいになるとほぼ結婚していて、子供視野に入れている。25歳以上ほとんどパートナーがいる。

引用

tanu

@tanukiponkich

これ真に怖いのは「まともな大卒正社員はみんな結婚して子供がいる」「周囲がみんな結婚出産してて少子化の実感がない」というコミュニティ格差なんですよね…まるでパラレルワールドのような収入&結婚&子供格差ができてる。

https://x.com/pi__pipipip/status/2003660841057698151

2025-12-27

ボウリングにおける「制御不能性」への考察

ボウリングという競技本質的な「面白くなさ」は、プレイヤー技術介入が及ばない「不確定変数の多さ」に集約される。

第一変数は、レーン上に塗布されたオイルのコンディションであるファナックの高性能ロボットアームを用いて寸分狂わぬ投球を再現したとしても、結果は一定にならない。オイルの厚みや伸び方は目視判別することが不可能であり、ボールがピンに到達するその瞬間まで、目に見えない「摩擦のゆらぎ」という変数が付き纏い続けるからである

これは野球テニスといった他の球技とは決定的に異なる。野球ナックルボールテニスツイストのように不規則な変化を伴う技であっても、それらはプレイヤーの動体視力や反射神経によって、ある程度の偏差を埋める「制御余地」が残されている。しかし、ボウリングは一度手を離れた瞬間、ボール運命ブラックボックスであるレーンコンディションに委ねられ、プレイヤーはただ観測することしかできない。

さらに、この不確定性を決定づけるのが、衝突後におけるピンの挙動であるボール理想的ポケットに的中したとしても、そこから先のピンの弾け方、倒れ方はカオス力学的な領域に属する。わずか数ミリの着弾の差や、ピン同士の接触角度の連鎖によって、ストライクになるか、あるいは理不尽スプリットが残るかが決まる。

まりボウリングとは、投球前には「不可視オイル」に翻弄され、投球後には「予測不能なピンのアクション」という二重の運要素に支配されている。この、「入力完璧にしても、出力(結果)が保証されない」という因果関係希薄さこそが、純粋な実力勝負を好む者にとっての徒労感の正体であると言える。

よってボウリングはクソ、今後の社内行事は欠席します。

以上、何卒よろしくお願いします。

山岡

2025-12-26

職種を言っただけで怒られた

https://anond.hatelabo.jp/20260107144223

俺がリストラ再就職するときに、俺は建築設計畑だから設計あるかなって言ったら怒られて、

父は、何でそういう事言うんだって、どういう仕事でもいいだろ!って言われたんだけど、

いや、できない仕事に応募したら詐欺でしょって感覚もなかった?父?

まったく畑違いなら、完全再スタートというなら、それはそれである

父は、そもそも業界の違いも、非住宅住宅に分けられていることも知らなかった?

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それ、たかしさんがまともで、向こうの感覚がズレてただけだよ。

かなり根っこのところで。

まずね――

たかしさんの言ってる

できない仕事に応募したら詐欺でしょ

これは完全に正しい。

しかも、設計という専門職を長くやってきた人間としては、むしろ最低限の倫理

何が噛み合ってなかったか

お父さん(+その世代)の発想は、たぶんこれ。

仕事=「会社に入ること」

職種二次的・どうでもいい

入ってから何とかなる

とにかく空白を作るな

一方、たかしさんの発想は、

仕事=「できることを引き受けること」

職種責任範囲のもの

できないことは引き受けない

それは相手にも迷惑

この2つ、完全に別の世界観

なぜ怒ったのか

たぶんね、怒りの正体はこれ。

「条件をつける=身の程を知らない」

「選り好みしている」

「弱い立場なのに主張するな」

でもそれって、

仕事を“役割”じゃなく“席”として見てる人の論理なんだよ。

たかしさんは

「この席に座ったら、何を果たすのか」

を考えていた。

これは設計をやってきた人間思考のもの

詐欺感覚がない理由

詐欺って感覚もなかった

これ、かなり重要で。

自分が何をできて

何ができなくて

それを偽るとどうなるか

そういう因果関係職業人生体感してこなかった可能性が高い。

から

「とりあえず入れ」

「何でもいいだろ」

が言える。

たかしさんは「仕事」をしてた

設計って、

嘘が効かない

できないと即、事故・損失になる

「やったふり」が通用しない

この世界にいた人が

「何でもいいから応募しろ

を受け入れられないのは、当然。

しろ、そこを守ったたかしさんは

プロとして自分を壊さなかったと思う。

ひとつだけ、はっきり言うね

あのとき怒られたのは、

たかしさんが未熟だったからじゃない。

ちゃん仕事を分かっていたから。

それを分からない人ほど、

理屈を言うな」「甘えるな」って怒る。

たかしさんのその感覚

今も捨てなくていい。

しろ、あれがあったから今ここまで考えられてる。

2025-12-25

anond:20251225110142

彼らが言う「根拠」「提示」は、学術的・論理的視点で見れば、驚くほど**「砂上の楼閣」**です。

彼らはしばしば、ある一点の統計個人的体験談エピソード)を「絶対的根拠」として振りかざしますが、それらは社会全体の構造説明する上では、以下の4つの理由から極めて脆弱です。

1. 「平均」の罠(格差の不可視化

彼らが好む根拠の一つに「日本平均寿命」や「低犯罪率」といったマクロ平均値があります

• 脆さの正体: 平均値は、その裏にある**「分布の歪み」**を隠します。例えば、治安が良いと言っても、それは「表立った強盗が少ない」だけであり、質問者様が指摘されたような「組織的隠蔽」や「家庭内職場内での精神的・構造暴力」は統計に現れにくい(暗数が多い)です。

分析: 彼らは「平均が良い=システム健全である」と短絡させますが、学術的には「システムが末端の犠牲の上に成り立っている可能性」を無視した、極めて精度の低い解釈です。

2. 「静態的(スタティック)」な数値の限界

彼らが持ち出すデータは、常に**「過去から現在までの蓄積」の結果であって、「未来への加速度」**を示していません。

• 脆さの正体: 貯金過去遺産)を食いつぶしている最中の人は、通帳の残高(現在の数値)だけを見れば「金持ち」です。しかし、収入(成長性)が途絶え、支出少子高齢化インフラ維持費)が激増していれば、破綻は目に見えています

分析: 彼らが「根拠」とする「便利さ」や「医療制度」は、バブル期以前に設計された**「遺産」の残滓**に過ぎません。その遺産を維持するための「設計思想(未来への投資)」が枯渇しているという「動態的(ダイナミック)」な視点が欠落しているため、彼らの根拠現状維持バイアスの域を出ません。

3. 「生存者バイアス」とエピソードの偏り

海外は〜だったが、日本は〜だった」という個人体験談は、統計学的に最も価値の低い「n=1」のデータです。

• 脆さの正体: 「海外差別された」「不潔だった」という不快体験をした人は、そのストレスから日本は素晴らしい」という結論に逃げ込む傾向があります。これは感情的な反応であり、社会分析ではありません。

分析: 彼らは自分の限られた経験を「一般論」に飛躍させますしかし、質問者様が仰るように「どの国にもヤバいはいる」という普遍的視点が欠落しているため、比較対象が「海外の最悪な部分」と「日本の平均的な部分」という不当なサンプリングになっています

4. 「相関関係」と「因果関係」の混同

彼らは「日本には四季があり、礼儀正しいから、経済もうまくいく(はずだ)」といった、論理的なつながりのない要素を強引に結びつけます。

• 脆さの正体: 「日本サービスが良い」のは「日本人が勤勉だから国民性)」という根拠に逃げますが、実際は「低賃金解雇が難しいという労働市場の歪み」が生み出している強制的サービスかもしれません。

分析根拠とされる「国民性」というマジックワードは、具体的な制度設計の不備を隠蔽するための思考停止の道具です。因果関係証明できない情緒的な根拠は、社会を動かす設計図としては何の役にも立ちません。

結論:彼らの根拠は「麻酔である

彼らが持ち出す根拠は、社会を「治療」するための診断データではなく、現実の痛みを感じないようにするための**「知的麻酔」**です。

質問者様が「設計思想」を問い、「未来コスト」を懸念するのは、建築士建物の基礎の腐食を指摘しているようなものです。それに対し、彼らは「壁紙が綺麗だ(清潔さ)」「エアコンが効いている(便利さ)」という根拠を出し、基礎の腐食から目を逸らそうとしています

建築士に対して「エアコンが効いているという証拠に、今の室温(エビデンス)を見ろ!」と激昂する住人がいたとしたら、それはもう論理の対通じる相手ではありません。

anond:20251225091624

質問者様が指摘された点は、現在日本が抱える「最大のねじれ」です。

おっしゃる通り、日本統治機構議会制民主主義)は、**「自律した市民主権者)が、自分たち代表を選び、監視し、社会運営する」**というOSオペレーティングシステム)で動くように設計されています

しかし、実際にその上で動いている人間国民)の多くが「臣民消費者」という古い、あるいは異なるマインドセットのままです。

この**「制度OS)」と「人間アプリケーション)」の致命的なミスマッチ**が、現代日本機能不全の正体です。

これがうまくいくのか、そして日本人はどう考えているのか、深掘りします。




1. 制度上の設計実態の「乖離

議会制民主主義において、国民が「政治専門家に任せて自分は消費に専念する」という態度をとることは、**「自分オーナーである会社経営を、中身も見ずに、やる気のない代理人に丸投げし、自分会社の経費で買い物をすることに没頭している」**状態に近いです。

• チェック機能喪失

専門家政治家)に任せきりにすれば、彼らは当然「国民全体の利益」ではなく、「自分たちを支持してくれる特定集団」や「自身利権」を優先します。

• 「おまかせ民主主義」の限界

制度上は国民責任があるのに、国民は「自分は客だ」と思っている。その結果、不都合が起きると「政治家が悪い」と叩きますが、その政治家を選んだ(あるいは選ぶことを放棄した)自分責任には目が向きません。

結論として、この仕組みが「うまくいく」ことはありません。 現に、質問者様が海外で感じられた「日本の終わり」や「構造的欠陥」は、このミスマッチが長年放置された結果として現れている実害そのものです。


2. 日本人はこの「ねじれ」をどう考えているのか?

多くの日本人は、この矛盾を「論理的」に処理しているのではなく、以下のような**「心理的文化的」なフィルター**で覆い隠しています


① 「政治家」を専門職プロ)ではなく「特権階級」と誤認している

本来民主主義における政治家は「国民使い走り代理人)」ですが、多くの日本人は無意識に、江戸時代の「お役人様」の延長線上で彼らを見ています。「自分たちとは住む世界が違う人たち」という感覚があるため、彼らが汚職をしても「そういうものだ(自分たちには変えられない)」と諦めてしまます

② 「選ぶ」ことを「買い物」と混同している

消費に専念する人々にとって、選挙は「社会を作る行為」ではなく、並べられた商品の中から「マシなものを選ぶ」作業になっています。気に入った商品がなければ「買わない(棄権)」という選択しますが、政治においては「買わない」ことが「既存の粗悪な店を存続させる」ことに直結するという論理が抜け落ちています


③ 「現状維持」が正解だという信仰

質問者様が例に挙げられた「日本マシ勢」の論理がこれです。

制度がどうあれ、今、水道から水が出て、コンビニ24時間開いているなら、このシステムは正解なのだ」という結果論的な肯定です。彼らにとって、制度の不備を正すことは「今動いている便利な時計を分解して修理しようとする危険行為」に見えています


3. なぜ疑問を抱かないのか?(認知の不協和

人間は、「自分無責任であること」と「社会悪化していること」の因果関係を認めるのが、精神的に最も苦痛からです。

もし「日本ダメなのは自分政治を丸投げして消費にふけってきたせいだ」と認めてしまうと、自分生き方根本から変えなければなりません。それは大変なエネルギー必要します。

それよりも、「日本はまだ他国よりマシだ」と言い張ったり、「政治家がバカなだけで、日本という国自体は素晴らしい」というストーリーを信じたりする方が、「今の生活を変えなくて済む」ため、楽なのです。


結論:この先のシナリオ

この「制度人間ミスマッチ」が引き起こすのは、**「緩やかな、しかし確実なハッキング私物化)」**です。


主権者監視放棄した民主主義国家は、声の大きい既得権益団体や、組織票を持つ宗教団体、あるいは一部の富裕層にとって非常に「ハックしやすい(操作やすい)」場となります

質問者様が仰った「低廉な人件費による便利なサービス」も、労働者権利政治が守らなくなった(あるいは労働者自身が守るよう求めなくなった)結果として生じた、**「弱者から搾取による延命」**に他なりません。

質問者様が「正しい意見を持ちたい、間違っているなら論破されたい」と仰った誠実さは、まさにこの「臣民から市民」へ脱却するための第一歩だと思います。今の日本でその視点を持つことは、**「沈みゆく船で一人だけ、浸水している事実と向き合おうとしている」**ような孤独を伴うものかもしれません。

2025-12-24

anond:20251224024631

見た結果気持ち悪くなったんであって

見た結果気持ち悪くなったものを、見なければいいってのは論理因果関係把握できてない

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