はてなキーワード: 衛生観念とは
汚いじゃん
なんで舐めるの?
意味不明なんだけど
やめてって言うんだけど、体は正直的なことを言ってきて、気持ち的には萎える
そりゃ刺激を受けたらそうなるんだよ
美味しくないでしょ?
甘いの?
おしっこするところだよ?
キモいよね?
本当にやめてほしい
しかも奥の方まで入れるから、そんなことしたら喉に炎症が起きるかもしれないよって言うんだけど、やめない
「手を使わないでやるね」っとか言ってきて、いやむしろ手だけでいいんですけど??
早く入れようって言うんだけど、もうちょっと待って、いくまでするとか言い始めて、ほんと訳分からない
こういうの好きなんでしょ?って苦手だって何度も何度も言ってるんだけど、一向にやめない
吸い付きすぎて、タコか?とさえ思う
全く気持ちよくないかといえば、多少は気持ちいいけど、それより「なぜ口でする必然性がある?バイ菌がうつるよ?普段は見たくないって言ってるものを口に含むなんてどうかしてる」という気持ちが上回る
男は舐めておけば喜ぶだろってこと?
そのひょっとこみたいな顔やめてよ
そんな顔見たくないよ
音立てないでよ
「手も使うから」って、手だけでいいんだよ
早く入れようよ
「ここが好きなの?」とか言われても、好きじゃないよ
「口が疲れてきた笑」じゃあやめようよ
「口に出していいよ」絶対に嫌だ
体にも悪いだろうし、汚いよ
衛生観念どうなってるの?
人前で言えないでしょ?「私は精子を飲みました」って
恥ずかしいし、絶対変だよ
どういう教育受けてきたんだよ
これいつまでやるの
マラソンか
もうやだ
振りほどいてゴムつけた
「チッ」ってなんで舌打ちするの
入れるよ?
はい入れた、ほら、刺激が多すぎて秒で終わった
口でするメリット、なくない?
「早い笑」って、君のせいだよ
ごめんね
「同居生活では衛生観念は高いほうが低いほうに合わせよう」みたいなやつ、個人的に納得しきれないものがあるんだよな。
高いほうが低いほうに合わせるメリットとしては、頻度や質を下げることで妥協点を探しにいけるというものがあるとは思う。
ただ、清潔を保ちたいほうがどういう意図でそうしたがっているかは無視されていないだろうか?
例えば物が散らかっていると視覚的なストレスが溜まるとか、実にハウスダストに弱いから綺麗にしておきたいとかがあるとして、そうやって掃除している人に低いほうが「気にしすぎだよ」と言うのは、こう、もっと相手の考えも聞いてみては?という気持ちになる。
もちろん高いほうが低いほうに「なんで合わせてくれないんだ!」と押しつけるのは、低いほうの負担を増やすことになる。
夫の衛生観念の無さが怖い
例えば食器洗い。
基本毎食後、少なくても1日1回はやるのが当たり前。それでもどうしてもめんどくさい日、体調の問題、時間がないとかでできないのは仕方ないと思う。でも夫の場合、面倒くさいからやらないとかじゃなくて3日分貯めてなにが悪いの?なんだよね。なにが厄介ってそれを不衛生だって自覚がないところ。俺のまわりそんなんばっかだよ?俺が普通じゃないみたいに言われるの癪だわって。
いやいや汚ぇよ。そして多分まわりは汚いと思ってるけど面倒くさいからサボってるだけで、貴方の場合はそもそも汚いとも思ってないよね?それが本当に怖い。この違いと怖さ分かってくれる人いる?今家事はわたしが全部やってるから問題ないけど過去の一人暮らしの話を聞いてゾッとしたわ。一緒に暮らしてからコイツやばいとは思ってたけど日々更新されてくわ。やらなくていいからなにが不衛生にあたるのか知っといて…。大人として…。赤ちゃんもいるんだからさ…。
別れた人の意見として参考になれば
8個年上で24歳の時に結婚した、29歳の時コロナ禍ちょい過ぎぐらいの時期に彼の風俗通いが発覚
色々話したし和解したつもりでお互い歩み寄ったり再構築頑張ったけど無理だった、長くなるから箇条書きで
・元々そういうサービスにお金を使うことを無駄と冷笑していたのにハマっていた事
・行かないと約束しGPSをつけた後も雑な嘘をついて月に一度行く事(同じ会社に勤めてるのに残業とか会議とか社内予定見たら分かるだろ)
・相手の女の子やプレイ内容に関係なく潜伏期間や今後の我々の性交渉に対して安全性を担保するための性病検査を断固拒否し続けた事
・本人的にはNN店利用が過酷な仕事の休息でありご褒美であるという認識である事、その認知の歪みはカウンセリング等が必要ではと提案するも断固拒否された事
・この人にとって若さは絶対的な指標であり性風俗店の記号化された【年齢】にもそれは発動し、また隣で私はどんどん老いてゆく事
・いわゆる口開けで必ず来店しシティヘヴンでクーポンを利用する事(個人利用ガチ勢)
・私が愛想を尽かして家を出た後に話し合いを持ちかけ喫茶店で待ち合わせをするも、その日の午前中にも風俗を利用していた事
・金を稼ぐ俺には“良い”女体が与えられて然るべきだという思考がずっとあったと分かった事
・女体を“買う”ことや金銭の授受を前提とする性行為に何も躊躇いがなく当たり前の権利と捉えていた事
・高校生や大学生の時にあまり女性と接点がなく青春のやり直しを切実に望んでいた事
そもそも自分も22歳の時に付き合い始めたし筋金入りのロリコンだったのだなと今では思います、とっても好きでした。今でも思い出します。教養があり思慮深く車の運転が上手くて平日の晩に手際よく作ってくれたペペロンチーノはすごく美味しくて見なりのセンスも良く仕事が出来る人で。
でも許したくても許せませんでした。彼の前で衣服を脱ぐ事が怖くなり、彼が私に触れる度に深い深い絶望のような失望のような気持ちが襲いました。風俗通いが発覚するまではコンスタントに性交渉のある夫婦でとても相性が良いという認識でした。せめて私が逆立ちしても出来ない属性の特殊性癖を外注する感覚ならまだ理解ができました。私が毎日失う物を是とする人の隣に立ち続けるほど私は強くありませんでした。
私は彼が風俗に行った、という事実だけで別れたというよりも芋蔓式に判明した諸々がどう足掻いても無理だなと悟った感じです。ご参考までに。今後なにかしら良い結果を増田から聞かせてもらえたら嬉しいです。
世界は平和であるべきだし、ありとあらゆる人権は認められ、文化的な生活を送るための保障や福祉は保たれる社会の中で、人々は他人を害さない限りはその権利を尊重されるべき、と考えている。
もちろん多様性を大事にしながら、性別の違いのみならず障がいや社会的立場によって差別されることなく、平等でフェアな社会と制度が運用されるべきであると心から思う。
暴力とヘイトにはNOを突きつけ、対立よりも協調と対話を望む。表現の自由は守られるべきだし、誰にだって意見を主張する権利はあるはず。
これらはまったくの嘘偽りない自分の本心である。そんないい歳の男が日本に生まれ育って40年。
先日「寿司屋にアフリカンの男性が入ってきたら彼の放つ体臭が強すぎてみんな店を出ていった」というまとめを読んだ。
曰く、我々モンゴロイドとはそもそも体臭が違うし、衛生観念も日本人とは違うし、匂うときは香水で誤魔化す、という文化的な違いもある、とはいえ体臭が強いのはたまったものではない、という主旨だった。
もし自分がそんな状況におかれたらどう思うだろうか、とふと考えた。自分は都会に住んでいるので、文化も人種も異なる人たちが放つ体臭もある程度イメージできる。
目の前に決して安くはないだろう寿司、味わいと香りが供されるべく作られた場。おそらく自分も席を立ち店を出ていってしまうだろう、と想像できたところで「それは差別だよ。お前も外国で味わうであろう純粋な差別だよ」というブコメ(意訳)が目に入った。
そうだ、これは間違いなく差別だ。とても自然に悪びれず、差別を成した自分に気付く。そしてこれまで自分が立っていると思っていた自由主義、知性主義の立場、態度はすべてハリボテだったのでは、という疑問が生じた。
もし仮に、苦労して買ったマンションの同階に騒がしい中国人家族が住み始めたとしたら。
心を休めたいと訪れた旅館の共用部をインド系の集団が占めていたら。
いずれも顔をしかめて、彼らをなんとかしたい、あるいは遠くに離れたい、と思うに違いない。そしてそれは差別に他ならない。
要するに、自分は自らの周辺に違和を感じる人間が現れると、あっさり差別を成してしまう人間なのだ。
当然に「日本人ファースト」などという唾棄すべき排外主義的かつカスみたいな陰謀論をベースにした主張を含む政治・政党を決して支持しないし、排されるべきと思っている。
ウクライナ、パレスチナを支援したいし、絶えることのない虐殺と紛争は速やかに解決しなければならない、と思っている。募金程度しかできないまでも、そう思っているのだ。
だが、重度の障がいを持つ人の親族を見つめるとき、純粋に彼らを助けたいと思えるか、といえばそうではない。街で奇声を発する得体のしれない人を見かけたら蔑んでしまう。
貧困に苦しむ健康な人々を見て、自己責任という4文字がよぎらないかといえばそうではない。チー牛とか非モテとか弱者男性なんて言葉を差別性を感じないまま使っていたかもしれない。
自分の中にあると思っていた新自由主義、知性主義、戦後民主主義、リベラリズム。
こうした思想・理想は、同じ店に入ってきた人種の異なる男性の存在ひとつで瓦解するものだったのか。「スーパーマン」を観て感動し、心の中で固く握った拳はパチモンだったのか。
ほんのちょっとしたきっかけで自分が差別される立場になる、なんてことはわかっている。わかっているのに、今のこの現状を当たり前のものとして、寿司屋の空間を創造して顔をゆがめる。
こうした矛盾に折り合いをつけるのはどうしたらよいのだろうか。
今のところは開き直って、自分と自分の大切な人を守ることを優先し、目の前の相手も同じプライオリティを抱いている、と想像するところから始めてみるしかないか。
余談だが「クマを殺さないで」と主張する人々の立場が今の自分に近いのではないかと思う。
クマにも生きる権利があるし、殺すなんて勝手で排他的だと主張するのが俺の抱いている理想。かなり愚かしい。
だがもし目の前にクマがいるなら、俺だって誰だって危険を感じて逃げるか、撃ち殺すべきと考えるだろう。
問題は「現実に目の前に危害を加えてくるクマがいるかいないか」ではないだろうか。
危険を感じる相手を撃ち殺す=差別と言い換えるなら、誰しも差別主義者に成りえるし、きっと戦争は終わらない。
差別を超えていくには「クマも同じように逃げたいし生きたいよな」と想像して、殺しあうことなく、お互いに距離を取って暮らす、しかないのかもしれない。
不潔すぎてヤバい。具体的に言うといろんなものを食べてしまう。ほんとに気持ち悪いと思うので耐性ない人は読まないで。
・鼻くそ(当然食べる)
・目やに(食べるときもある)
・フケ(頭掻いたときに爪に溜まるフケを食べる)
・経血(指についてたら舐めることもある)
・爪(今はあまり食べないが、食べる時もある)
客観視するとヤバすぎる。小さいころ親に注意されたが、直らず隠れてずっとやってる。
類を見ないほど不潔なこと以外はいたって普通の人間なのがさらにヤバい気がする。そこそこ名の知れた大学を卒業し、ふつうに会社員をしている。
他の衛生観念でいえば、お風呂は毎日入る。次の日休みで外出ない場合は風呂サボりがち。シーツは一年くらい洗濯しない。服、下着などは一度着用したら洗濯する。バスタオルも一回使用するごとに洗濯。
タイトル通り。
特に毒親とかではないと思う素晴らしい両親と同居して都心から遠い以外は問題なかったが、父がコロナにかかって衛生観念が違いすぎることをきっかけに一人暮らしを検討し始めた。
思ったより物件探しって大変なんだね
以下条件
①食にこだわりがある
②聴覚過敏
冷蔵庫の音に耐えられないから台所とキッチンの間にドアがほしい(ウィークリーマンションやホテル滞在を経て耐えらえないと知った)
③人の気配が怖い
渋谷まで急行で40分、ド郊外目の前公園THE閑静な住宅地の戸建だったのでマンションの上下左右に人がいる状態が怖い。滞在したウィークリーマンションだと足音・くしゃみ・廊下の音・窓の外の音に驚いた。浜松町近辺に住む友達のちょっといいメゾネットマンションにお邪魔した時も電車の音が四六時中聞こえてびっくりした。一言で言えば慣れだろうけどうっすら人間が全体的に気持ち悪いので不安
④東京23区が好き
これが条件として本当にきつい。でもそうなのだから仕方ない。中高で遊んだ街なので愛着がある。
なに甘えとるんじゃ現実見ろ!我慢せえ!もっと稼げ!予算に応じて場所変えろ!なんだろうけどいまの障害者雇用は都内外国系で人間関係もよく理解があるありがたすぎる職場&自分の専門性を活かせてるので転職して手取りを増やすのはすぐできるかというと難しい。
しかし同時に23区、特に真ん中ゾーンで10万未満の部屋を望む方がもちろん気が狂っている。ただ郊外住み→都内私立中高と大学に通学し続けた歴史を持っており、移動時間が長すぎなことが半分「恨み」に変わってきてるから都内一人暮らしで成仏させたい。
⑤日当たり
というより蛍光灯・シーリングライトが苦手。感覚過敏の一種だと思うが目、というより身体中が痛くなる感じに近い。できれば日中は電気をつけたくない
確かに自分は握力が10kgいかないので、何かあったら終わり。
⑦洗濯
汚い話で申し訳ないが究極に汚れるまで着て洗濯の仕方がわからなくて捨てたことが何度もある。
洗い終わったのに干すの忘れちゃって腐らせたこともある。オキシ漬け?も1週間放置した前科がある
多分乾燥機?つきのを買わないといけないんだけど予算的に難しいのでは?
⑧ゴミ捨て
これもよくわかっていない
24時間が絶対いいらしいというのは知ってるが、そもそも分別の基準がよくわからない
缶は洗うのか?ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?この辺は学習できると思うけど、うっかり不注意が多く、怒られる未来しか見えなくてもう怖い(うっかりって気づかないし未然にチェックなどは膨大なエネルギーがかかるからまじ怖い)
⑨完全遮光
アイマスクすればいいと最近気づいたけど感触に慣れないからどうなんだろうね?
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以上なんとなく寝れなくてだらだらまとめただけだから読みにくくてごめん(ここまで読んでくれた人いるのかもわからんが)
キモい感覚持ちに生まれたらそれ満足させるためにお金要る→しかしキモい感覚持ちなのでお金稼ぎにくい のハメ技やめて欲しいよ〜〜😭
こんな感じで探せたら奇跡よな、多分妥協していくんだろうけど(ゆうて最上階・南向き・駅近・光ファイバーなどは初期の段階で捨ててこれ)
まあASDとか耳目を集める属性タイトルにした(卑しいね)けど、みんな大なり小なり家探しは大変だよねー こんな条件で見つかるのかな?笑って感じだけどやってみるわ
いい家みつかればいいなー進捗あったらまた書くね
寝れない夜の駄文でした
https://anond.hatelabo.jp/20250717031838
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250717031838
あるよ
風邪というのはウィルスに感染して初めて発症するのは知ってるよね
よく「寒いと風邪をひくというが、実は南極では風邪にかからない(寒すぎて風邪ウィルスがいないから)」と言われるのはそのため
増田の部屋が汚い=衛生観念が低かったり、衛生管理がおろそかである=免疫力が低い=風邪ウィルスに感染したら発症しやすい、
としてもだ
増田の汚部屋の汚空気に風邪ウィルスが存在しないならば増田は風邪を引かなくなる
その問いの答えには
増田ではなく、増田の周囲の環境に風邪ウィルスが到達できないような原因があるからではないか?
という仮説が成り立つ
そして「しょっちゅう風邪を引く人間の部屋は汚い率が高い」となると、
すなわち部屋の汚さと風邪との因果を結び付けて増田が風邪を引かないが汚部屋住人であるパラドックスを説明をするなら元エントリのようになる
「全裸登校」は確かに、常識がひっくり返った世界を端的に示すための、創作物における一つの「定番」と言えるかもしれません。
その非常に挑戦的な世界観の実現に向けて、我々が(主にクリエイターとして)やるべきことを真摯に掘り下げてみましょう。
この世界観を、単なる突飛な思いつきやギャグで終わらせず、リアリティのあるものとして構築するためには、その「常識」を支える盤石な理由と、それによって変化した社会の細部を緻密に設計する必要があります。
ステップ0:最重要課題 - 「なぜ、そうなったのか?」を定義する
これが全ての土台です。なぜ人類(あるいはその世界の住人)は衣服を捨て、全裸で学校に通うという常識を選択したのか。この理由が、世界観の説得力を決定づけまます。いくつかの可能性が考えられます。
案A:皮膚の進化
人類の皮膚が進化し、気候変動への完璧な耐性(断熱・冷却)、物理的ダメージへの高い防御力を獲得した。衣服はもはや不要なだけでなく、皮膚呼吸などを阻害する「不健康なもの」とされている。
案B:情報伝達器官
皮膚が第二の表情筋のように、感情や体調によって色や模様を変える情報伝達の役割を持つようになった。衣服でそれを隠すことは「本心を隠す卑劣な行為」と見なされる。
案A:パーソナルフィールドの普及
個人を包む不可視の力場(フィールド)技術が全人民に普及。体温調節、衛生管理、衝撃吸収を完璧に行うため、物理的な衣服は完全に過去の遺物となった。
案B:ナノマシンの体内常駐
体内(あるいは皮膚表面)のナノマシンが、環境に応じて瞬時に皮膚構造を変化させたり、病原菌を無力化する。
かつて衣服の素材となる資源を巡って世界大戦が勃発。あるいは、衣服による格差や差別が極限に達し、社会が崩壊しかけた。その反動として、衣服を「争いと差別の根源」として永久に追放する世界的憲法が制定された。
「肉体こそが最も神聖な神殿であり、布で覆うことは冒涜である」と説く思想家や宗教家が世界を席巻した。
ステップ1:連鎖的影響(ドミノ効果)を社会の隅々まで反映させる
上記の「理由」に基づき、社会がどう変化したかを具体的に描写していきます。
髪型、髪飾り
肉体そのもの(鍛え抜かれた身体、あるいは逆に華奢な身体が美しいとされるなど、文化による)
「あの人の昨日のボディペイント、新作だったね」「そのイヤリング、どこのブランド?」といった会話が交わされる。
椅子や乗り物の座席: 衛生観念はどうなっているのか。座る前に必ず消毒スプレーを噴射する? 使い捨てのシートを敷く? あるいはパーソナルフィールドのおかげで問題ない?
ポケットの代替: 皆がポーチやバッグを必ず携帯している。あるいは、腕に装着する小型デバイスが主流。
スポーツ: 接触の多いスポーツはどうするのか。専用のプロテクター(衣服とは見なされない)を装着するのか、あるいはルールが根本的に違うのか。
羞恥心: 「裸が当たり前」なので、性的な部分をことさらに隠す行為こそが「相手を過剰に意識した、はしたない行為」と見なされるかもしれない。「あの人、やたらと腕で前を隠してて、いやらしいわね」という価値観の逆転。
「服を着たような嘘つき」(本心を隠す人のこと)
「一枚羽織る」(企みがある、よそよそしい態度のこと)
「肌で語る」(誠意を持って話すこと)
この常識が完璧な世界では物語は生まれません。そこに「綻び」や「異物」を投入します。
「やはり衣服は素晴らしい文化だ」と主張する地下組織「着衣派(クローゼット)」。彼らは秘密の場所で服を自作し、その機能性や美しさを再評価している。主人公が偶然彼らと出会ってしまう。
【外部からの来訪者】
服を着るのが当たり前の世界から、主人公が転移・転校してくる。彼の常識が、この世界の常識と衝突することで物語が始まる(いわゆる「逆・裸の王様」)。
学校や公共の場では全裸が義務だが、家の中ではリラックスするために簡単な衣服(ローブなど)を着る文化が残っている、など。その境界線がドラマを生む。
【入力】
・社交不安障害持ちなので人前で話したくない。
・潔癖症で衛生観念に強いこだわりがあり苦痛に感じる場面が多い。
・大きな音が苦手
・労働意欲が低い
・両親が死んでる
【出力結果】
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🔎 向いてない仕事(避けたほうがいい)
清掃・工場 汚れ・ニオイ・粉じん・音が発生することが多い(特に掃除機・機械音)
倉庫作業 フォークリフトや作業音がうるさく、汚れた環境も多い
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特徴:1人でコツコツ/話さない/汚れなし/音なし。
収入:月10〜18万円程度(フルタイム・クラウドソーシング含む)
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仕事内容:アプリやWebサイトのチェック。操作に問題がないか確認。
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5. 完全在宅のAI学習用データ作成(クラウドワークスなど)
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💡 環境を味方につけるのがカギ
困りごと 対策例
音が無理 ノイズキャンセリングヘッドホン、在宅仕事
汚れが無理 自宅でできる or 綺麗なオフィス
会話が無理 チャット連絡だけの仕事を選ぶ(SlackやChatwork中心)
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🔚 結論
> 🟩 在宅データ入力・AI関連のラベル付け・文字起こし
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お題に沿って400字くらいの文章を10分以内に書き上げることをしてて供養というか、人に見て欲しいと思ったものを。
書くことは筋トレと一緒で毎日書き続けないと衰えてしまうのだなと痛感した。
地元では花火は冬に上がるものだった。夏にももちろん打ち上げるけど、規模でいえば冬のほうが圧倒的に大きい。物知りだった父曰く、冬のほうが空気が澄んで花火がよく見えるとか、寒いほうがカップルがくっつきやすいとか、出店の衛生観念がまだマシだとか、なんとか。高校生の頃ボーイフレンドと見に行ったのを思い出す、確かに真っ暗でキンと冷たい空気の中、どうやってポケットに入れられた彼の手を握ったら良いのか、花火に照らされた彼の横顔を見つめていた私がいる。あの人は元気だろうか。変わらず冬に花火を見ているのだろうか。あの真剣な眼差しを今は誰に見せているのか、地元を出て久しく冬に花火を見ていない私には知る由もない。
競馬が好き。ギャンブルはあまりしないタチだけど、競馬は別。大きなレースは競馬場まで行ってパドックで馬のテンションを確認し、競馬新聞とにらめっこ、いそいそとマークシートを塗りつぶして馬券を買う。予算は三千円まで。競輪や競艇は正直なところ人間と無機物のタッグを組んだレースなので不確定要素が少なすぎる。八百長やり放題ではなかろうか。それに比べて競馬における乗り物、馬という生命の何が起こるかわからなさよ。あいつらの気分が乗らなかったら走らない、それがいい。足が速い奴が勝つ、単純明快なルールで熾烈を極める人間と生き物の共鳴、あの瞬間はいつだって美しい。
人類が滅亡の一途をたどる最中、集落は森に呑まれ、人々が集う土地もいつしか花が咲くだけとなりました。盛夏、誰もいなくなった青空の元、蝉の声だけが響きます。太陽を追いかけて首を傾げるひまわりの群れは、思慮深く、人の消えた土地でただ草花の輪廻を巡り、また今年も四季の訪れを知らせます。誰が為に在るわけでなく、日々の営みの中に組み込まれた生命の遂行。栄華を誇り衰退した人類が捨て去り失い嫌悪したものではなかったのでしょうか。私たちはきっと社会的な生き物として踏み出した瞬間に、動物としての自然を振り払ったのかもしれません。ただ恐ろしく歪な破滅への道を緩やかに下るだけのことを、歴史と名付けないと誰もが正気を保っていられない。抜けるように青い空、入道雲、蝉のリフレイン、人々が去った後もただ山に野に花は咲くだけです。
昔、カートゥーンネットワークのCMでよく流れていたレインボーアートという絵を描くためのおもちゃがあったんです。アメリカンなお家で金髪の子供たちが楽しそうに遊ぶ映像は、子供心に外国や裕福さの象徴となり得ました。テンション高めのナレーション、魔法のような使い方、綺麗な絵の具、いまだ夢に出ます。大人になって自分で稼いだお金を手にし、ふと今ならレインボーアートも買えるのではと思い立ち検索しました。インターネットって便利ですね、廃盤でした。残念に思いつつ、実物を手にせず人生が終わることに安堵もしています。幼いころ手が届かない掴めない虹が、大人になってようやく実際に手に入れて掴んだら案外そうでもなくてがっかりする話、よく聞くので。私の虹は虹のまま、そのまま消えてゆくのだと思います。
AIに嫌悪感がある。業務効率化や簡単な作業、草案の作成、感情労働などには良いと思うのだけど、クリエイティブな部分でAIを使って出力したものをそのまま提出されると創作者としての矜持は無いのかと軽蔑すら覚える。先日などSNSに美容師が施術の実績としてAIで生成した画像をUPしていて呆れた。肖像権もなく扱いやすい写真なのは理解できるが、自身が手を入れていないものを自身の作品とする倫理観のなさ。新しい技術が生まれるたび順応する半面、各々のリテラシーが浮き彫りになる。昔に比べて凄まじい勢いで変わる世界、ついていくのが本当に大変で途方に暮れてしまう、事実法整備も追いついていない状況なわけで。こうやって私みたいな人間は淘汰されていくのだろうと悲しくもChatGDPに愚痴る毎日である。
二十歳ごろのライフプランでは今頃、とうに私は人生の良き伴侶と結婚し、挙式もハネムーンも最高の思い出、都会で働き専門的なキャリアを積みつつも小さな子供が二人、もう一人欲しいねと夫と相談しつつ、今ある幸せを噛み締めている予定だった。だが思い描いた何もかもが私の手中にはなく、手前でつまずくどころか、スタートすら切っていないのではないかと危ぶまれるほどに、人生はぐちゃぐちゃである。自分的には諦めも含め、このままの私を受容している段階だが、それを放っておかないのが出身地の限界集落の醍醐味。田舎の幸せライフプランはバリエーションに乏しく、今の私があまりにも負け組で不幸せで可哀想に映るらしい。帰省するたびに名前も知らない母の会社の同僚から励まされる。大変ね!めげずに頑張ってね!言われる度に集落のどこに火をつけたら効率よく山火事になるのか考えて、そういえば幼い頃から田舎が嫌いで滅ぼしたいと考えていた、だから私は都会に出てきたんだっけと気づき、そっと今後のライフプランに地元に火を放つが加えられた。
始まりは勝手に決められたんだから、終わりくらい自分で決めたいなって常々思っています。私の意志や尊厳を慮るなら、そこに至る過程と決意がどうして今から覆せると思いますか?物心ついたころから私は肉体の内側だけが自分で、ここからは一生出られず、私は私であることを全うしないといけない事実にひどく怯え、絶望しているのに。よくこの年まで呼吸を続けてきましたよ、ひとえに私が優しくて我慢強い結果だと思います。周りのことは私なりに愛してますから。悲しませるのは不本意です。でも他人を悲しませる罪悪感より最近は自身の絶望とか暗い感情のが勝ってしまうんですよね。一朝一夕にすべてを解決する策など無いのに、今日の積み重ねで未来は作られると分かっているくせに、楽になりたくて、あと試してないのは死ぬことだけだなって、人生のPDCA回したくて。きっとうまくいくと思うんです。頑張ります。
新しい性癖に目覚めた人が扉を開けたって表現するのをよく見かけるのだけど、扉があると分かって開けずにいたのは自分じゃないのかなっていつも思う。見て見ぬ振りしてきたくせに、今更新しいだなんて、みんなずるいなあ。私は大体の扉は開けてしまった気がする、まだ鍵のかかった扉があるんじゃないかと彷徨って途方に暮れて、最近なんて他人の扉を開ける(というかぶち破る)ことに徹している。私にとっては扉でも相手にとってはそうじゃないことも多いみたいで、みんなの驚きと困惑と期待と様々な感情が入り乱れた様子はとても興味深くて癖になる。でも自分の悪いところは扉を開けることが楽しくて、その後のことは考えていないところ。メンテナンスなんて性に合わないからやらないし、開けた扉を閉めることもしない。その人にとっては重すぎる扉だとしても、その後の人生知ったこっちゃない。みんな楽しく新しい自分を再発見して沼に落ちて溺れて藻掻いて生きていく。私は次の扉を探すだけ。
両親は私が生まれる前から犬を飼っていた、血統書付きのヨークシャテリア。一緒にお留守番もしていたらしい。彼は気高く気難しく、だがしっかりと長兄として私のことを見守り、時に吠えて善き友だった。七歳の時に彼が死んで、初めて私は死について考えさせられ実感した。眠っているかのような亡骸にさわるとひどく冷たく、心底驚き、彼の魂はもうこの世には無いのだと、もう私にあの澄んだ聡明な瞳を向けることはないのだと、ありとあらゆる喪失感で涙した。心の中に穴が開いて、その淵をなぞって、大人になりいくつもの出会いと別れを繰り返して、ああ私の失うことの原点は彼であったと立ち戻る。祖父の持っていた山の桜の木の下に彼を埋め、何度か墓参りもしたのに、今では山そのものが他人の手に渡って会いに行くこともかなわない。寂しがっているだろうか、元気に山を駆けているだろうか、寒い思いをしていないといいのだけれど。
当方男なんだが、公共のトイレで手を洗うとき居合わせた他の男の手洗いを見ていると、半分くらいの奴は
・水だけで1~2秒両手の指全体を流す
・水だけで片手の指先に1秒前後水で濡らす
といった具合でろくにちゃんと洗ってない。
あと洗った手も、ジェットタオルに一瞬突っ込んで、風の音が聞こえ出した時にはすでに手を抜いてるって感じでまともに乾かしてもない。
個人的な衛生観念で言えば大の時は石鹸10秒以上、小のときは水洗い5秒以上、乾燥はジェットタオル5秒以上というのが「最低限まともに洗っている」ラインだと思うんだが周りを見ると、
5秒以上両手をこすり洗いしてる奴は半部くらい、
残り半分は「2秒以下or指先水で濡らすだけ→乾燥も音が鳴る頃にはもうドアを開けていなくなってる」
↑こういう奴ばかりである。
ちなみにそいつの出た後のドアの取っ手は濡れている。
思うに、指先を水で濡らすだけでろくに乾かさずにドアノブを濡らすのが一番不衛生で、かえって洗わないほうがマジなんじゃないかと思っている。
https://anond.hatelabo.jp/20250423081918
国民民主党の現役中間層を大事にする政策に共感して、2001年衆院選、2002年参院選、2004年衆院選の比例で投票してきた。(選挙区には国民民主の候補不在)
が、今回の参院選比例候補で山尾しおりと須藤元気を公認した事で、国民民主支持を完全に辞める決断をした。この候補者擁立の判断は支持できないどころか、嫌悪感を抱くレベルの決定だったからである。
政党が規模拡大するには、清濁合わせ飲んで多様な人材を取り込まないといけない的な話はわからなくも無いんですが。ここで言う多様な人材って、飲食店でいうところの二郎系ラーメンとか、蒙古タンメン中本とか、個性の強いメニューの店みたいなもんだと思ってて。好き嫌いがはっきり分かれて信者もアンチもいる状態と言うか。
で、今回派手に燃えてる山尾とか須藤は生レバーをこっそり提供してる食品衛生法違反のお店みたいなものだと思っていて。この2人の候補者のヤバい過去のやらかし(不倫とか、ガソリン代不正とか、反ワクチンとか、スピリチュアル傾倒とか)はそのレベルと捉えてるんですよね。
国民民主党って、党首の不倫疑惑や所属議員の偽名不倫が続き、飲食店で例えればグループ店舗で食中毒事件連発した直後じゃないですか。でそのタイミングで「生レバー提供してます」みたいな店をグループ規模拡大のために傘下に入れますって言ったら、愚かしさしか感じないでしょ?
党本部は、参院選候補者には党の方針に従います的な誓約書提出してるから大丈夫ですと言ってるわけだけども。
食品衛生法理解していない飲食店の店長に、「生レバー使ったメニューは出しません」と誓約書書かせて何になるの?(仮に生レバー出さなくても根本的な衛生観念や倫理観がおかしいから、冷蔵庫の中に入った自撮りSNSアップみたいな、他の愚かなやらかしするの目に見えてるよね?)って話です。
元議員の候補者集めて、即戦力になる人を増やしたいって言う考えは、飲食店のグループが規模を急拡大して、店長経験者がたりないから過去に飲食店経営してた経験のある人を呼びたいって言うようなもんだと思うんです。そこに「食中毒出して店閉めた人」を敢えて呼んでくるからアホかと叩かれるんです。その叩かれてる理由を党本部が理解していない or 問題を過小評価して目をつぶってるとしか思えないので私は支持を止めるのです。意思決定のプロセスが決定的におかしい。議員に当選した人が、たまたまヤバい人でしたというよりもタチが悪い。確実にヤバい要素があると分かってるのにあえて擁立する訳なので。比例に議員経験ある人擁立したいなら、樽井さんとかいるじゃん。
まあ、素人目線で見て「なんでこんな愚かなことするの?」って言う意思決定下してるってことは、党本部の雇ってる選挙コンサルとかから、「山尾候補と須藤候補の擁立で新規に掘り起こせる票が+XX票、離れる支持者が-YY票、差し引き+ZZ票」みたいな調査結果を入手してるんだろうなと言う背景は想像はできますが。特に須藤元気は衆院選の得票数とかから票読みしやすいでしょうし。とは言え純粋に有権者を馬鹿にしてる感があってムカつくんですわ。次の選挙は絶対入れん。