はてなキーワード: ツクヨミとは
むりやりに大絶賛してみる!
まず制作陣がガチで天才だから、この物語への主な批判ポイントが、そのまますべてSF設計の土台なんだよね。
たとえば、キャラの葛藤がないとか、ご都合主義のAIっぽさとか、リアリティがないとか、散々な言われようだけれど。
それって『超かぐや姫』の核心なんだよね。
なぜかって……本作は、『神に喧嘩を売ってでも人間を作りたい』ってのがメインテーマだから。
超簡単に表現すると、人間らしさが消えちゃった彩葉と、ほんとうは人間じゃないかぐやが、「パンケーキを食べておいしい!」と感じたい話。
これこそが『超かぐや姫』の始まりであり、終わりに至るまですべて。
その為には、超早送りでびゅーんっと駆け抜けて、配信界の頂点にたどり着いて、「資本主義バンザイ!」でドパガキから集金しまくって、神の領域に挑戦しなきゃならない。
まるで全部乗せのパンケーキ、すべて持った超人のエネルギーで。
言うなれば、『令和のセカイ系はサイコパス』、うじうじと理屈を語るよりも、葛藤さえもハイスピードで終わらせて、きみとぼくの為――彩葉とかぐやの為だけに、神の理屈をねじ曲げにゆく。
(※セカイ系とは? 「きみ」と「ぼく」という、 ちっちゃな関係性が、 国家や社会をすっ飛ばして、世界のあり方に直結する話)
すなわち、新時代のセカイ系は、狂気で踏み込む決断主義、なにもかも舐め腐って、日本の古典――竹取物語をぶち破らなきゃならない。
天の羽衣を脱ぐ、綺麗事を捨てて、パンケーキの為だけに成り上がる話。
そこまでやらなきゃ、宇宙一の負けヒロインであるかぐやを、地獄の円環構造から救えない。
逆に言えば、それを実現させるまでは、まるで水と粉のパンケーキ、感情移入できないくらいぱっさぱさ――人間味がない、AIみたい、機械的なんですよ。
たとえば、主人公の酒寄彩葉17歳JKは、【楽しんでる場合やあらへん……いちばんやないとあかん】って母親に冷たく言われ続けたせいで、完璧主義のマシーンになっちゃったと。
つまり、学生なのに週5日のバイトで一人暮らし、東大を目指す受験勉強、プロゲーマーばりの腕前、こんだけ詰め込みすぎなのは、いわゆる『過剰適応』って奴。
いじめられっ子がなぜか笑うのと一緒で、『苦しさを100%抑圧』している。
まるで広末涼子の爆走185キロ、人間って一度狂うと止まらないんだよ。
さらに彩葉は、Vtuber月見ヤチヨの歌声に惚れ込んで、ガチガチに推し活もやっていると。
ここでも批判の声――「推し活が記号的、ただの舞台装置」みたいな意見があるけれど、これはSF的にも心理面でも必要不可欠なんですよ。
どういう事かって、彩葉は疲れすぎな日々に、お母さんからの罵倒が幻聴として聞こえていて、それを防ぐためにイヤホンをつけて、ヤチヨのRememberを聴き始めたと。
それもあって、○人的スケジュールなのに、なぜか感動できたり黄昏れたりと、一見余裕があるように見えるのは、その瞬間だけが抑圧からの解放――人間性を取り戻せているから。
その証拠に、「推しがいなければ生きられない」という考えで、食欲がない鬱状態のときも、推しさえ見ればちょっとずつ食べられる、そんな描写もされていて。
もはや推しというより神様――だからこそ彩葉は、月見ヤチヨの神棚アクリルスタンドを大事に飾っているんだよね。
しかもSF的にエグいのは、『超かぐや姫』って本質的に『神○し』のお話になっていて。
「パンケーキを食べたい」というエゴの為に、冗談抜きでドパガキも資本主義もハックして、運と才能とお金と人脈でフルスイングする。
そして、もう一人のヒロインかぐやは、さっきも言ったとおり、本来、人間ではなくて、じゃあ何者かって、月に住んでいたむなしい存在――肉体のない思念体なんですよ。
なので、地球に舞い降りて人間の肉体を得てすぐに、「自由な毎日が楽しいなぁぁ!」って欲望が大爆発する。
その最たる例としては、彩葉が睡眠を削ってまで働いて、がんばって貯めたお金――12万円を使い果たしたことがあって。
ちなみにこのシーン、「彩葉の怒りがあまりにも薄い!」って批判が多いんだけれど、それへの反論は秒速で終わるんだよね。
まず彩葉のため込んだ12万円は、超現実主義なお母さんの呪縛なんだよ。
【この世で頼れるんは自分一人や】、【今日の百円は明日の千円や】みたいな、冷たい言葉を吐かれすぎて、「心が壊れても頑張らなきゃ」という呪いになっている。
つまり、今までずっと無駄なく効率的に生きてきて、完璧主義の廃人になっていた彩葉に、無駄遣いでショック療法――かぐやはこれでもかとご馳走を振る舞った。
人間を人間たらしめるクオリア――簡単にいえば、おいしいという感情、「生きている!」という感覚を取り戻せたと。
その結果、このあと少しして風邪を引くんだけれど、それは別な言い方をすれば、やっと風邪を引けたんだよね、甘えと弱さを出しきって、これでもかと人間らしく。
今まで母親の祟りにやられて、完璧超人のマシーンだった彩葉が、かぐやによって人間性を蘇らせたってこと。
そう考えると、もはや妖怪人間ベムよろしく、「早く人間になりたい」ってのが、『超かぐや姫』のキモなんですよ。
そして、この物語のマジで恐ろしいところは、かぐやが元々暮らしていた月の世界なんだよね。
ここってのは味も温度もない巨大な水槽みたいで、喜びも悲しみもなくて、生きることも死ぬこともできない、永遠なる空っぽの場所であると。
でもって月の住人たちは、ゲームのNPCと同じで、無感覚の日々を繰り返すという、究極的にむなしいシステムに閉じ込められていて。
そんな中、かぐやだけが奇跡というかバグの発生によって、「寂しい! 退屈! 死にそう!」って、みるみると自我が芽生えて、月から飛び出しちゃったんだよ。
そして流れ星のようにキラキラと、『もと光る竹』という宇宙船に乗って、そのまま地球の電柱にビリビリビリってぶつかってゆく。
すると、一瞬でゲーミング電柱になるんだけれど、これは月のテクノロジー、地球環境に馴染むべく、そこに最適化された肉体――今回は赤ちゃんの体を用意して、かぐやの思念体が入り込んでゆくと。
そんでドパガキよろしく、タブレットでネットサーフィン、高速で情報収集をすることによって、その知識量に合わせてハイスピードで、女子高生くらいの見た目に変化するんだよ。
なので、普通の人間たちとは違って、文字通り、恥も外聞もないから、持ちうる力は『すべて出す』を地でゆく、このあと一瞬にして配信業でのし上がるんだよ。
そもそも、かぐやが彩葉のお金で勝手に、ライバーになる為のスマートコンタクトを買って、メタバースの世界ツクヨミにログインして、大観衆の前でいきなり叫ぶ売名行為までやって、終始、大暴れするんだよね。
なのでよくある批判――「子育ての苦しみがない」、「生配信の世界は甘くないぞ!」ってのは、筋の通ったやり方で回避できる。
そうこうして、「パンケーキがおいしい」と思えるくらい、かぐやは人間の幸せを覚えてゆく。
でも残念ながら、『かぐやは月の秩序を乱すバグ』と見なされて、月の世界へと戻されてしまう。
これは日本の古典である『かぐや姫』の結末通りで、強制的なバッドエンドを迎えると。
まず月に戻されたかぐやは、また何もない水槽の中に入れられて、虚無の永久ループに閉じ込められると。
しかも以前と違うのは、主人公の彩葉と出会って、笑ったり歌ったり、パンケーキの甘さを感じたりで、幸せを知ってしまったからこそ、その絶望はより深いんだよね。
5億年ボタンの比じゃないさみしさ、『生と死の狭間』にある闇のような場所で、永遠のひとりぼっち。
でもそんなある日、38万キロの彼方――地球惑星から、懐かしい歌声が聞こえてきて、「もう一回だけ地球に行こう! 彩葉に会いたい!」って、奇跡で飛び起きることができた。
でも運命は残酷で、「また宇宙船に乗って地球に出発だ!」ってときに、タイムトラベル機能をオンにしたもんだから、なんと制御不能でバコーンって隕石と衝突して、8000年前の地球にぶち飛ばされたんだよね。
すると何が起きたか、宇宙船のシステムがエネルギー切れ、月のテクノロジーが使えないせいで、最適な肉体を作り出せない、前と違って赤ちゃんにもなれない、ただの思念体――魂だけで放り出されたと。
それはつまり、声も出せない、誰とも話せない、誰の目にも見えない、永遠に続く孤独がはじまった。
これは昔の名作、『STEINS;GATE』のトラウマ回と似ていて、とある女の子が不完全なタイムマシンに乗ったら、時間跳躍のときにダメージを食らって、自分の名前以外すべてを忘れちゃったんだよ。
とてつもない使命、大切な約束があったのに、のうのうと生きてしまったことを悔いて、【失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した】、そう書き綴って……そのまま自殺するんだよね。
そして、かぐやの場合はより怖い――寂しくても退屈でも永久に○ねないから。
なので、「彩葉! 彩葉! 彩葉!」って発狂するんだけれど、それは声にも叫びにもならなくて、いつまでも絶無なんだよね。
泣きながら膝を抱えようにも、そこには涙も膝もない。
けれど1%の奇跡として、宇宙船に乗り込んだときに、地球で彩葉からもらった、たまごっちみたいな携帯ゲーム機、そこに『犬DOGE』という柴犬、電子のペットがいて。
その結果、シャットダウン直前の、宇宙船による最後の力で、たまたま近くにいた、かわいいウミウシ――海のウサギとも呼ばれる生物をスキャンして、そこに犬DOGEの軽いデータをぶっ込めた。
これはつまり完成済みのハードウェア、しょぼいけれどロボットの出来上がり。
だから、ウミウシにログインした犬DOGEをハッキングして、思念体のかぐやが入り込んで動かせるってこと。
そうこうしてウミウシのかぐやは、不老不死の日々を進んでゆく、それも8000年。
縄文時代、平安時代、戦国時代、あらゆる時代に漂って、大量の出会いと別れがあって、もちろん戦争による○し合いもあって、破壊と再生が延々と繰り返される中、かぐやは孤独な観測者として、それらを眺め続けたんだよね。
毒も薬も酸いも甘いもカオスも、すべて飲み込みながら。
そうやって膨大な時が流れて、人類は血みどろの歴史の果てに、電話に冷蔵庫にテレビに、そしてインターネットという、高度な文明を誕生させるんだよ。
そんなある日、かぐやはウミウシの身体のままで、パソコンのキーボードを押して、『Hello,world!』って入力した。
つまり、8000年の時を経てとうとう……想いを伝えられるようになった、孤独な旅がやっと終わった。
その瞬間かぐやは壮大な夢を思い描くんだよ。
それってのは、地球での血なまぐさい争いとか、ひとりぼっちとは無縁な、ユートピアの仮想空間を作ること。
要するに、『水も波も立たない巨大な水槽である』月の寂しさを、他の誰にも味わって欲しくないってこと。
だからこそ、ここでの仮想通貨『ふじゅ~』は、水のように、あぶくのように湧き出てくる。
まさにドパガキよろしく、人の心が踊れば踊るほどに、無尽蔵に金が降り注ぐんだよ。
そうしてかぐやは、ウミウシの身体をよじりながら、htmlを書いてアクセス解析もして、とにかく試行錯誤しているときに、はっと衝撃的なことに気づく。
それってのは、自分がゼロから築き上げてゆく仮想世界が、かつて彩葉と遊んだツクヨミだってことに。
そして、彩葉が歌声に惚れたVtuber月見ヤチヨは私なんだってことに。
すなわち、ぐるぐると同じ輪廻を巡って、この8000年の孤独も含めたループが、何百回、何千回、何万回も続いているのかもしれない。
これをむりやり表現するならば、『メタ的ディストピア円環構造』だね。
つまり、『感情を持った思念体』のかぐやが、月から地球に来て赤ちゃんとして生まれる→彩葉と幸せな時間を過ごす→月の世界に戻される→歌が聞こえて脱出を決意……でも隕石に衝突→8000年前の地球に吹き飛ばされる→そして今の今に繋がる――
めちゃくちゃ残酷なことに、この円環構造の中で、常にかぐやは自我があって、しかもその時間の大半、メタ的視点――実体のない魂のような存在として、声にならない声を上げながら、ずっとひとりぼっちで過ごしている。
そしてこの、『メタ的ディストピア円環構造』をぶち壊すには、バグを伝染させる必要があった。
もっと単純な話、心の底から「パンケーキがおいしい!」と思えること。
彩葉のケースで言えば、月のシステムみたいな完璧主義をやめて、泣いて甘えること、自分の意思で進路を決めること、ホンモノの反抗心で母親にぶつかること。
そのうえで最大の敵は、退屈で○にたくなるほど整った、穢れなき月のAI的世界なんだよね。
だからこそ、ドパガキも資本主義も運も才能も醜さも、Rememberという推しの曲もすべて総動員して、綺麗事抜きの人間らしさで殴り返した。
ありとあらゆる手段で、『竹取物語』の運命――かぐや姫は月に帰るという、神様の結末を破壊する為に。
それはつまり、彩葉の推し――神様だった月見ヤチヨ(かぐや)に、『終わりのある人間としての人生』を与える、今度は自分が神様よろしく、生命を誕生させるってこと。
ちなみに当初、メタバース(ツクヨミ)の世界では、かぐやを連れ去りに来る、月人(つきじん)という大勢の敵を、ゲームのシステムに落とし込んで、プロゲーマーの力とチートによって倒そうとしたんだよ。
現実世界じゃ負けるに決まっているから、ゲームの敵キャラにダウングレードさせようとした。
でもそんな甘っちょろい敵ではなくて、まるで勝ち目がなかった。
その結果、映画の途中でスタッフロールが出て、「めでたし めでたし」って、皮肉なエンディングが軽く流れるんだよね。
でも彩葉はその終わりを許さずに、ツクヨミという仮想空間――一億総ドパガキ社会ってくらい、ユーザー数の多い場所で、ハイスピードで配信者として売れて、べらぼうに儲けたお金と、人脈をフル活用して、10年間、ロボット工学をはじめとした科学技術を学んでゆく。
なぜかって、かぐやの思念体を入れる義体――それも寿命のあるホンモノの生命体を作りたいから。
これこそが『超かぐや姫』のすべて。
つまり、愛とは綺麗事ではない、愛≒平和ではない、愛とは能動的なバグなんだという、パンケーキを食べておいしいと感じる話。
↓『本音のおまけ』
冒頭で、「むりやりに大絶賛してみる!」と宣言したとおり、映画版の『超かぐや姫』は、ファミ通の文庫版も読んで、SF設定もメモして、登場人物の背景も学んで想像して――つまり、こちら側でかなり踏み込んで視聴しないと、ちんぷんかんぷんな事ばかりだ。
とはいえ、90年代2000年代を振り返りゃ、映画であれ音楽であれゲームであれ、たった一本、たった一枚、たった一作を繰り返し……狂ったように楽しむものであった。
たとえば、FFや聖剣伝説をやるときにはアルティマニアという、ごっつい攻略本を買ってプレイ前から読みふけっていた。
そう考えりゃ、『超かぐや姫』の円環構造よろしく、ぐるぐるとリピートする事が大前提の作品があっても良いのかもしれない。
しかも『超かぐや姫』 の場合、知識と考察を重ねるごとに、「この複雑な円環構造のSF設計を考えると、これはこれでアリかもな」と思えてきて、じわじわと評価点が高まる。
超かぐや姫
しかし、私は全くハマれなかった。
双方に共通するのは気合の入ったアクションシーンだ。神作画だなんだ言われているけど、私は正直動き回るキャラクターたちをみて「この人たち何やってんの?」と思ってしまった。
たしかに映像はすごかったよ。でも、展開的に必要性を感じられなかったというか、アクションシーンを入れるために脚本を捻じ曲げて無理矢理ぶちこんでいるように感じた。
ライブのためとはいえ、なんで迎え撃つ相手に有利なツクヨミ世界にわざわざ潜りこむんだよ、とかね。
かぐやとの別れという悲劇的なシーンのはずなのに、勝手に不利な世界に飛び込んでよく分からないゲームのシステムで戦って負けて、なぜか現実世界で消滅!涙のお別れ!ってされても全然のめり込めなかったよ。
最初にKASSENが最初に出てきたシーンもそう。ルールがよくわからないので何がどう熱い展開なのか雰囲気で「そういうもんだ」と受け入れるしかない。なんかキラキラ動いてなんか盛り上がってる~ぐらいの感想を抱いて終わる。そしてそのシステムを物語上重要な防衛戦に使っているから、なんでそれがかぐやを守るために使えているのか、どういう状況なら守れていることになるのかよくわからない。
終盤にヤチヨ明かされた情報をもとにヤチヨの心情を想像すると思うところはあるけれど、重要な転換点になる別れのシーンがコレだったので素直に感動できなかった。問題の解決も宣言して過程全カットだったし。
あとハッピーエンドにするって宣言してその場の雰囲気に流されて真っ先に諦めんなよ、かぐや。
そんで責務果たしたらあっさり戻ってこれんのかよ(だからこそ月に戻るの受け止めたのかもしれないけどさ)。
状況が状況とはいえ薙刀振り回すかね。まあこっちは薙刀が物語上重要なファクターになっている分まだ理解できる。
でも、その直後で千鶴の母親はどういう心境でバレエ見に来て温かいまなざし送ってるんだよ。面の厚さが怖いよ。
なんかいい感じに終わったけど終盤も終盤だったのでそれが引っかかってしまって、素直に楽しめなかった。
(この作品に関しては主演3人の演技がよくなかったのもある。驚き方とか笑い方がわざとらしくて最後まで慣れなかった)
ここまで行ってなんだけど、すべての映画でアクションシーン自体が不要とは思っていない。私も見ていて楽しいと思うし、記憶に残るし、わかりやすい宣伝要素にもなる。でもこの2作は脚本の大筋はよかったのにアクションを入れるために歪んだような部分が見受けられて、そこがノイズになってうまく楽しめなかった。特に超かぐや姫は明らかに尺が足りていない展開だったから余計に残念だったな。
アクションシーンを槍玉にあげてしまったけど、この2作品に関してはどちらも脚本の問題だね。
タイトルのとおり、昨今の企業を取り巻く生成AI関連の炎上について、思うことを取り留めなく書いていく。
はてブで記事を書くのは初めてなので、色々と拙い点があることはご容赦いただきたい。
筆者は本業でSEをやりながら、しがない同人字書きをかれこれ十年以上続けている。
生成AIの利活用は業務では既に欠かせないものとなっている一方で、作家個人の創作性が重要視される同人活動においては、まだまだ全体として忌避感が強い印象だ。
少し前の話だが、同人誌印刷所ツクヨミが宣伝用の画像の一部について、加工の過程で画像生成AIを利用したことが指摘されて炎上、謝罪する事態となった。
この謝罪ポストを見かけた時に、「これってそんなに激詰めされるほどのことなのか?」と感じたことが、今回の記事を書くきっかけとなった。
https://x.com/i/status/2022628318609326210
生成AI、特に画像生成AIの是非については、活発であると同時にやや過激な議論が日夜交わされているが、筆者としては「知的財産権への配慮のない生成AI利用が許されないのは当然として、生成AIの利用全てに目くじらを立てるのも如何なものか」というスタンスだ。
モラルのないAI利用者がいることも、「自分の作品を盗まれる!生成AIの利用は絶対禁止するべき!」と過敏になる作家がいることも、彼らの間での主張が平行線なことも、きっと今はどうしようもない。
生成AIと知的財産権の侵害に関する判例が蓄積されるに伴い、より建設的な議論の中である程度の「ライン」が社会に浸透していくことを願うのみだ。
AI推進派や反AI派、どちらかに与してレスバをしたいわけではないので、この気持ちをこの記事の中に残しておく。
本業で所謂システム開発をしている筆者は、業務において頻繁に生成AIを利用している。
主な利用用途は以下だ。
筆者が属する企業で契約している生成AIは、オプトアウト設定により社内情報を学習しないようになっているが、念のため筆者はプロンプトに社内情報は入力せず、一般的な知識を問う内容にするように心がけている。
生成AIはあくまで業務の補助としてのみ利用しており、設計やレビューなどは全て引き続き筆者のタスクだ。
ちなみに、弊社は規定によりAIが生成した文章や画像の外部公開は認められていない。
社内で公開する際もAIによる生成であることを明記すること、第三者の知的財産権を侵害するようなプロンプトは入力しないことを定められている。
特に厳しい規定だとは思わず、企業のコンプライアンス遵守のために当然の制限だと感じている。
同時に「プライベートでもこれくらいの意識で生成AIを利用する分には問題ないのでは?」と思うのだ。
同人誌印刷所のツクヨミの件は、①生成AI利用した画像をそのまま公開したこと、②その過程においてガバナンスが効いていなかったことについては批判されて然るべしだが、そこから飛躍して「今後生成AIを一切利用しないことを誓約しろ」とまで求めるのは行き過ぎていると感じる。
生成AIの利用を一切禁止した場合、例えば、印刷所のホームページをよりユーザーフレンドリーにしたいので生成AIを活用してソースコードを見直すことも許されないのだろうか。
もちろん専門家に発注すれば求めるものは出来上がるだろうが、生成AIの活用により安価に同等の成果物が得られ、結果的に消費者に提供するサービスの価格にその分が還元されると企業が言ったら、消費者はそれを受け入れるのだろうか。
一個人が自分好みのイラストのために生成AIを利用することと、企業が業務効率化のために生成AIを利用することを、一緒くたにして批判するのはそろそろ止めたほうが良いのではないか。
生成AI利用の何もかもを吊るし上げる行為は、今後消費者が受け取ることが出来たはずのベネフィットを失わせるだけではないだろうか。
正直に言えば、この記事を書いている時点から既に「こいつは字書きだからこんな呑気なことが言えるんだ」だの「絵描きの危機感が理解できるわけがない」というツッコミが聞こえてくる。
絵描きの気持ちを正確に理解することは、確かに絵を描かない筆者には不可能だ。
だが、一介の創作活動をする者として、自身の著作物への権利侵害となりうる生成AIの利用方法に脅威を感じることについては、共感できるものだと思っている。
筆者の所感だが、作家の生成AIに対する忌避感は、「インターネット上に公開した自作を勝手に学習され、その創作性を搾取されることに対する無尽蔵の恐れ」から来るものだと認識している。
実際、特定の作風を模倣する形で生成AIを利用するユーザーはいる。
モラルのないユーザーのモラルのない行為は好きなだけ糾弾すれば良いが、生成AIがインターネット上のコンテンツを学習すること自体を否定するのは、個人的には違和感がある。
生成AIがコンテンツを学習をしただけでは、まだ誰の何の権利も侵されておらず、悪意をもったユーザーが生成AIが学習したコンテンツを悪用した時に、初めて権利侵害が成り立つものだと考えているからだ。
インターネットとは膨大な知の蓄積であり、これまでその活用によって恩恵を受けてきた人間が、どうしてプログラムが機械的にそれらを学習することを否定しようとするのだろうか。
人力で苦労していたものを省力化できることのメリットの方が絶対的に大きいと思うのだが。
法整備が追いついてない点や利用者にリテラシーが浸透していない点などの課題は確かにあるが、だからこそ、現在の企業は業務における生成AI利用に細心の注意を払って取り組んでいるのだ。
少なくとも弊社はそうだ。
そして、そういった企業は今後も増えていく。
それでも、上述した課題が解消されない限り、ヒステリックに生成AIの排除を企業に対しても叫び続けるのだろうか。
発信した情報が誤っていても、それを有識者が訂正することで、インターネット上に蓄積される情報は少しずつ洗練されていく。
そうすることにより、「誰かが困った時にはインターネット上の誰かの残した情報が助けてくれる」という認識をエンジニアは共有しているものだと、この仕事をしていて筆者は感じている。
同人活動においても、同様のことがあるはずだ。
初めて同人誌を作る時、印刷所の選び方や原稿の作り方、イベントの申し込み方、それら全てを筆者はインターネットを通じて学んだ。
先人たちが残してくれた記録に、大いに助けられたのだ。
AIは、そんなインターネット上の知恵に、より手軽にアクセスできるようにしてくれる手段である。
道具に善悪はない。罰する対象となるのは、あくまで道具の利用者の悪質な行為であるべきだ。
道具そのものや道具を使うこと自体に対して非難することはおかしい。
感情的になるあまり、その点を混同することがないようにしたい。
繰り返すが、確かにAIはあなたの作品を学習するかもしれない。
それはインターネット上に作品を公開した時点で避けられないことだ。
けれど、学習されただけでは、まだ誰もあなたの作品を盗むことも、その作家性を脅かすこともしていないのだ。
同人誌印刷所のツクヨミは、文字加工の仕上げに生成AIを利用したと報告していた。
加工対象となったのは一般的な文字列で、企業のロゴですらなく、加工の内容にも特別なデザイン性があるようには見えなかった。
「利用したAIの学習元に自身の作品があるかもしれないから許せない」というのは、カスタマーハラスメントではないか。
「生成AIを利用したのだから、いつか顧客の作品をAIに食わせるに違いない」というのは、あまりにも下衆の勘繰りであるし、企業というものを馬鹿にしているとすら感じる。
消費者の生成AIに対する過敏さを理解している企業は、できるだけその感情を刺激しないように日々試行錯誤しながら、社内規定を整え、従業員のコンプライアンス教育に努めているのだ。
あなたは、まだ何も盗まれていないにも関わらず、生成AIを適切に利用しただけの企業を、まるで盗人かのように無条件に糾弾してはいないだろうか。
今一度、立ち止まって考えてみて欲しい。
この感想は
・ネタバレ有り。全開。
・自分向け。論理的・構造化した文章ではない。MECEではない。散文。
以上ネタバレ防止改行ここまで
(1)自由を賛美しているように見えるが、実際には自由ではないように見えた
富・名誉・勝利・競争といったものから、自由ではないように見えた
例えば
・ツクヨミの「クリエイターがポイントを貰える」というシステム
悪意のある見方だとは思うが、もし、
・かぐやはヤチヨカップで無数にいる底辺配信者~そこそこどまりの1人で終わり、
・2人は貧しい暮らしを続けていて
・それでもツクヨミでのモブとしての生活やリアル屋台や花火大会といった、富と名誉と勝利を伴わない思い出を2人で作って仲良くはなった
このような場合、かぐやといろはが月から迎えがきたとき、本編と同じくらいに、2人は別れを惜しんでいただろうか?
私はそうであってほしいと思うし、たぶんそうだと思うが、そうではないと本編から言い切るのがやや難しい程度には感じる
天の羽衣による自由意志そのものの欠如や、変化のなさ、大量の仕事といった何かであって
かぐやが「富・名誉・勝利・競争」の敗者だったから不自由だったというわけではない
(月に、それらがあるようには見えない。「権威」だけはあるかもしれないが。)
したがって仮に、超かぐや姫が「富・名誉・勝利・競争」に肯定的であったからといって、脚本上に論理的な矛盾があるとはいえない
ではなぜ富・名誉・勝利・競争に言及したのかというと、これは作品と関係なく自分の考えとして、友情あるいは愛情は、それらとは無縁に成立してほしかったからなんだと思う
8000年の思い出をヤチヨがいろはに語るときに出現させたのは、あのボロ屋とコーラと安物のお菓子であったことから
2人にとって富や成功がなくとも友情/愛情は成立していると、そう描写していると理解することにしたい
(2) 「俺TUEEEEE」「ハイスペの私が幸せになりました」という物語に見えた
かぐやとヤチヨは特殊な事情があるので良いとして、普通の人間であるはずのいろはが有能すぎた
かぐやが一目惚れするくらいに容姿がいい、というのはまあ恋愛ものだから良いとして
東大行けそうで、世界一ライブで演奏できる程度の作曲と演奏ができて、プロゲーマーとゲームでも勝負できる
ゲームについては、いろはが「実力差がありすぎる」ようなセリフはある
しかし兄が舐めプしたような描写は見当たらないし、観客から「プロゲーマーが舐めプしてる」というような批判が見当たらないので、兄は一定程度はちゃんとプレイしたのだろうし、
そのプロゲーマーの兄相手に、試合後にファンが増える程度に試合が成立している
公平のために言うと、
むしろ最近~今の流行りであって実際に興行的に大成功しているとか、
今のトップ配信者は事実そういうハイスペの極みな人だよねとか、
いろはが普通の人間ではないから、こういう奇跡のような物語になったのだろうとか
ハイスペだったり共感性が高い人だと視聴していて快の強い物語かもしれないとか、
いろいろ理屈はつけられるとは思う
また、二昔前くらいの作品のように「勉強=自由の否定=悪 / 芸術・遊び・スポーツ=自由=善」のような単純化を拒み、いろはの学業の努力を否定しなかったのは評価できる
それでもなお、その過程で法学部を明示的に否定する必要はなかったなと感じてしまう
例えばビターでは空白のままで、ハッピーエンドでは東京科学大学の名前が入っているような描写だと良かったのかもしれない
法が間接的にではあるが劣るものとして暗示されたようにも感じられる描写は好きではなかった
この作品では語られなかったし語る時間もないことは理解するが、
力も利害も思考も立場も異なる人間たちが、一定程度に公平かつ効率な社会を成立させている要因として、法や法を支える人権思想がある
そうした法の制定と執行を正しくあるよう務める各機関の職員や、法を学んだ後に民間で働く人の努力がある
卑近な例を出せば、この作品のスタッフロールにだって法務として4人の名前が載っている
映像作品が世に継続的にでるのは、数多くの有名スタッフの努力はもちろんだがそれだけではなく、
法務のような人がこういった作品の権利が不当に害されないように努力しているからでもある
(4) ただ、好きになった部分もいっぱいあった
なんかそういう自分の意見を難癖と感じるくらいには、キャラのことは好きにはなったとも思うし、物語も一定程度好きではあるんだと思う
このあたりはとても良かった
・「かぐやにはわかんない」と言いたかったんじゃなくて「言いたくなかった」といったいろはとか
・かぐやが月に拉致されたときに泣いたり叫んだり取り乱したりせずにチームに挨拶してすぐに別れるいろはとか
・8000年の記憶の中で、かぐやに温かい言葉をかける人たちとか
・母、兄、妹の関係が短い時間の中で納得感のあるものになっているとか
おわり
その論だと、「日本人の視聴者」と「劇中の登場人物」は同じ知識レベル(「竹取物語」を知っている)と考えられるが、
「竹取物語」では地球の軍勢は月の軍勢に対し太刀打ちできなかったということを共通の前提知識として、
であればなぜそもそも「月の軍勢と対決し、かぐやの奪還を阻止する」という判断をしたと思う?
それにツクヨミ内であれば月の軍勢と渡り合えるとしても(結果的にそうであったようだが)、
ツクヨミ内のかぐやの奪還阻止が成ったとして、現実世界のかぐやの奪還が阻止できないのであれば、意味がないのではないか?
かぐやと現実世界で交流できなくなってもツクヨミ内で会えれば良しとするのであれば、月からツクヨミにインできることを確認しておく必要があるし、
通じてないな・・・・・・2か所を個々に防衛するより1か所の方が楽だろう
(リソースが限られている中で、2か所防衛するのと1か所防衛のどちらでも同じ結果が得られると予想される場合は、防衛対象が少ない方を選ぶのが合理的で、自然な判断だろう)という話だよ
自然に考えればそうなると思ったが、劇中では現実世界のかぐやを防衛すらせず、ツクヨミ内でのみそうしていたが、その理由は何だろう? という疑問だよ
配信でのみ公開→劇場公開決定という話だったから、それほどいい映画なのかあ・・・と思って観てみた感想が表題
→この映画の見どころは、キャラクターデザイン(見た目のみ)とアニメーションの2点
ただし、キャラクターの心情、行動原理、世界観、物語の構成、映像や音楽の演出等は最悪で、
映画を観慣れた人間には、この内容で2時間半はキツいと言わざるを得ない
→要は、物語の展開に必要な性能を持たされているのはわかったが、必要のない設定が多いと思った(チェーホフの銃)。また、
努力や精神的な成長や考え方の変化がみられず、キャラクターとして魅力的でないため、かぐや→彩葉の感情に共感できなかった
アニメーションが綺麗でよく動くのはとてもよかった
下記は詳細:
・かぐやとマブになった経緯
→これが描かれていない
同棲したり、共同で配信活動したり料理したり夏祭りに行ったりという描写はあるが、他に何もない
かぐやが電柱から現れ、当初は経済的な感覚が欠落していたり、普段の生活を乱したりするので、彩葉はかぐやを
迷惑に思うのが普通だと思うが、急に布団に入られたりしても嫌がるような描写は当初からなく、どんな感情か想像できない
そうしてかぐやに対する見方を改めるような、精神的な距離を近めるような表現が全くないまま、
月に帰る段になると、いつの間にかそういう感情を持っていたような描写を入れてくる
百合をやるならこういうところを重視する必要があると思うが・・・・・・
・優等生
→オチ(機械の肉体を作り、かぐやの精神を実質的に受け継いだヤチヨを移植して現実に顕現させる)にたどり着くためには、
→ただし中盤では法学部志望であったようだが、そう設定した必要あったか?
(文系選択であったが理系に進路変更した、という点で彩葉のかぐやを想う気持ちの強さを示した?)
→父親は理解者であるが母親はそうではない、という主旨の描写があったが、具体的な内容はわからなかった(言及あった?)
→終盤で母親とよりを戻したらしき描写があったが、内容が明かされず、よくわからないうちに解決していた
→おそらく序盤のかぐやとのシェアハウス状況を作るために、親元を離れた単身状態にする必要があったため?
・兄
→序盤、存在の示唆すらなかった理由は?プロゲーマーの一が兄であると明かされたときも驚きや感動の流れではなかった
→かぐやとのシェアハウス状態から引っ越しをする際の保証人という物語上の役割があったが、
そもそも彩葉が単身生活を開始できていることから、母親は彩葉の保証人をする意思はあると予想される
→例えば、単身生活開始にあたっては保証人になってもよいがその先は不可、みたいな合意を親としていたのか?
→兄設定必要あった?ただのプロゲーマー(かぐやや彩葉の実力や人間としての魅力とかを認めてパトロンになる)で十分では?
・ゲームが上手い
→プロゲーマーの相手ができるほどの実力がある(プロゲーマーで、昔からずっとゲームをやっていたという描写のある兄とほぼ対等)が、
・ピアノが上手い
→かぐや用の新しい曲を作るという話があったが、どの曲だったのかわからなかった
→ライブシーンでシンセを弾いているが、どの音か判別できない(主人公が楽器をやっているのにソロパートすら設けないのか?)
・友人について
→出てきた2人はインフルエンサーのようだったが、その情報いる?
→どんな存在なのかやどんな気持ちなのかがわからないので、キャラクターとして魅力的でない。彩葉→かぐや・ヤチヨの感情に共感できない
アニメーションが綺麗でよく動くのはとてもよかった
下記は詳細:
・正体について
→「かぐや」は月の人(実存)で、彩葉との交流後、天の羽衣を着せられた際に地球での記憶や感情を失ったが、
月に帰った後に彩葉の歌を聞き記憶を取り戻し、地球に再度向かうことにした。道中の事故でかぐやは死亡したが、
地球に到着できたFUSHI(元・犬DOGE)が地球でかぐやの情報を伝え残していったことで、8000年程度かけて、
「竹取物語」として、また色々な媒体でかぐやの情報が蓄積され、多少の尾びれはついているがそれらの情報を統合するかたちで、
現代になって生成AIかそれに類する技術により、ツクヨミ上でヤチヨとして、かぐやと同様の行動や回答を出力できるような
(表面的には)情報生命体というべき人格を得た、という経緯と思ったが・・・これで理解正しい?
→初の料理でも(コストや材料のやりくりの観点が抜けているが)上手くできる、という描写があるが、
自力でVtuberのLive2Dモデル?を作成した際は上手くできない、のは理由がある?
→配信活動を開始した後、全員がクリエイター!などと言っているツクヨミで、なぜトップ帯のランカーとなれたのか?
かぐやを他と差別化するのは何だったのか?あたりがダイジェスト的に映像が流れるばかりで、何もわからなかった
→彩葉からかぐやに対する感情と同様に、こちらもわからないうちに終わった
かぐやの目的が、月の定型的な生活に耐えられず地球の感情的で刹那的な生活に憧れたから、というものとして、
彩葉はたまたま最初に遭遇した地球人で、またあくまで戸籍のないかぐやの居候先として便利だった、というだけになってしまう
(彩葉からかぐやに何か提案をした記憶がない。かぐやは自ら上記の目的達成のため配信活動を始めていた)
つまりこの映画を百合に分類するとして、それに導く感情や過程が見当たらない
→何がメインの物語なのかよくわからない。おそらくアニメーションは重視しているようだが、他の全ての面で面白くない
下記は詳細:
→かぐやを迎えてからの彩葉の生活維持(かぐや幼少期(1~2日)を除く)、
ヤチヨとのライブのためのかぐやの配信活動、ヤチヨ顕現のための彩葉の研究開発、
普通はその過程で、キャラクター同士の感情の変化があったり、何かを強く目指している理由が漏れ出たり、
視聴者にキャラクターの魅力を感じさせるいい機会だと思うんだが・・・・・・
→要は、開始時点と終了時点の状態はわかるものの、その中間で起こっている(と思われる)変化が何であったか、
それが重要な点のはずだが、それを映さないようにしているようで、始めから終わりまでスッキリできない
→特に、彩葉がヤチヨのための義体開発を、高校卒業から10年で達成できるとは思えない
高校を出て、大学が4年、修士博士で5年、飛び級しても10年は無理だ。監督は研究とかそういうの知らないのかな?
彩葉が年寄りになった頃にやっと出来上がって、「おばあちゃんになっちゃった」「私もおばあちゃんだよ」みたいにした方がいいオチでは?
(インターステラー的な終わり方)
→ゲームのルール紹介が序盤に数秒あったが、ダイジェストの一部という具合で、注意して聞いておくべき部分には見えないが、
中盤ではこれのために長い時間が割かれていた
ゲームのルールがわからないうえ、ルールを把握する必要があるほどの重要パートでもないとみられるが、
本当に長い時間このゲームをやっているので、このまま観てていいのか?ネトフリだし巻き戻して確認した方がいい?という不安が最後まで拭えない
→重要シーンではないのだが、とりあえず3DCGモデル(キャラクターやステージ)を作ってしまったので、カネもかかってるし、
使い切らなきゃあなあという製作側の意思が滲んでいて、観ているこちらが恥ずかしい感覚になった
→かぐやが月に連れ戻される場面もこの空間だったが、単に(全手描きより)戦闘シーンにしやすかったからに見えた。必要性は全くみられない。
現実(地球)よりもツクヨミの方が月に近い世界であるなら、かぐや防衛のためにはツクヨミにインせず現実空間で保護すべしという判断にならないのか?
(「竹取物語」ではかぐや姫奪還の月の軍勢には太刀打ちできなかったので、ツクヨミだからまだ健闘したんだ、と受け取ればいいのか?)
→本当につまらない。ライブシーンはせっかく仮想世界たるツクヨミなのに現実と大差ない演出で(監督はマクロスシリーズとか見ないの?)、
楽曲もちゃんと歌わない(歌唱中にセリフ調の部分があったり、笑い声が入ったりして、傾聴して聴けるほど長くすらない)
まともに歌声が聴けるかどうかのロングトーンがあるのは冒頭のヤチヨ(CV早見沙織)の曲(これも短くてワンコーラス聴けない)だけで、
せっかく早見沙織を起用しているのにその程度なのは本当にもったいない・・・・・・
他の主人公格が歌重視の声優ではなさそうなので、まあ残当とも思えるのだが、あのキービジュアルで音楽軽視なの?
→こういう物語が紙よりも薄い作品は、劇伴や映像表現で無理やり感動させるくらいしかないんだけど、全然やる気が感じられない
数日前に観て、モヤっとした気持ちが晴れないので書いた。
俺はした! もし君がまだ「超かぐや姫!」を見ていないのならばネトフリを契約し今すぐ視聴することをお勧めする!!
とは言いつつこんな記事を見に来る奴はどうせもう見ているだろうから俺はようしゃなくネタバレをするが、まだ見ていないごく一部の君はネタバレを喰らって憤慨するだろうが超かぐや姫!をまだ見ていないのにこんなところにくる君が悪い。成仏しろ
じゃあ前置きが終わったので俺が超かぐや姫!を最初にみたときの話?をするんですけど?主人公がこんなハイスペックなのは隔世の感を感じるなあなどと思いながら見てたら、なんかのアレで電信柱が光るわけです。一旦そこまで話を飛ばします
一般的な作劇上のセオリーにおいて、なんかもう無茶苦茶な嘘をついて良いのはひとつだけ、それも作品冒頭だけなんですね~
フィクションというのは土台嘘なのだが、よいフィクションはルールのある嘘という点においてただの虚言クソやろうのホラ話とはちがう。作品がどのくらい噓をつくのかというレギュレーションを最初に示し、その範囲で物語をなんかする
皆さんわかりますか?この話はニンジャがスゴイ!!みたいな奴は最初にやるからゆるされるのであって、あとからニンジャが出てきて殺したらそれはダメだということです。でもニンジャが出て殺す前提の作品にサプライズニンジャメソッドは適用されない。いいね?
しかしこの作品はふたつ嘘をついている。「VRのなんかがスゴイ!!」「かぐや姫は実在した!!」のふたつである。じゃあこの作品がもうダメかというとそんなことはなくて、この二つの嘘が後で統合されれば全然問題はないです。竹林の竹が実際には全て地下茎で繋がった一本の竹であるようにね。具体的にどういうことか例を挙げると「ニンジャがスゴイ話」を最初にした作品で、「ドラキュラは実在した!!」のはダメではあるのだけれど、ここに「ドラキュラはニンジャだった」という情報開示をすることで、ニンジャがスゴイ話にドラキュラが出てくる回はスゴイ名エピソードになりえます。皆もニンジャがスゴイ話にドラキュラが出てくる回を読もうね
まあ何が言いたいかというと、要するにこの作品の「VRのなんかがスゴイ!!」「かぐや姫は実在した!!」という二つの嘘は、最終的に「かぐや姫はVRのなんかだった!!」という情報開示により統合されることが予想されるということだ
この話の序盤はかなり無茶苦茶な剛腕で進めているので、たぶん嘘の統合はそんなに難しくないのでこの制作陣であればうまくやれるでしょう。話を続けます
この超かぐや姫!の制作陣がうまくやるだろうという予測もなにも別に無根拠ではなくって~、作劇的に情報を置きに行ってる感がすごいしたからなんですね~
この作品のいわゆる1stターニングポイントまでの4分の1、かなり詰め込んでいる4分の1で、いろはがかぐやを拾って、育てて、VR世界でライブを見ててっぺんを取る!と決めるところまで、かなりハイテンポで進めないとこのストーリー分量は4分の1には収まりきらない。それでいていろはの友人たちとの絡みなどこの時点ではあまり利きのない布石も打っている。かなりキツいタイムスケジュールであるにもかかわらずだ
一方で、「いろはは音楽やってる」という情報の開示はライブの後、いざ配信するぞ、という段になるまで表に出てこない。これはかなり考えられた情報開示のタイミング調整であり、この情報の初出は冒頭部分でついやってしまいがちでありながらここまで引っ張っても問題なく、かつ後出しすることでかえって重要な情報であることを匂わせすることできるのだ。そうだね。わざわざ後だししたということは、この後大事に使う場面が来るってことだね。「主人公の作曲」要素はあとでテストに出ます。覚えてお香(匂いは記憶と強く結びついている)
で、電信柱が孕んで子育てをしてライブを見て配信を始めるのだが、そこでなんかいけ好かない感じの奴らがでてくるのである。
こいつがなんと帝である。帝であるからには結婚を迫り、しかも後ろにいるのはメス男子だったのだ!!!!!!!
しかし待ってほしい。この男、帝なのに顎があまり尖っていないのである。じゃあ良い奴なのか?!!それともこいつもメス男子なのか?!!
メス男子であってほしい
しかし待ってほしい。顎が尖っているかどうかで人を判断してはいけない。多様性のなんかがあれなのでそうゆうのはよくない。たとえ顎が尖っていても帝はいうまでもなくドブカスだし初期城之内君は結構なカスだ。でも闇遊戯も初期はカスだよ。じゃあこいつもカスの可能性があるので気をつけましょう
(しばらく視聴)
ところがどっこいここで衝撃の真実ゥ!! 帝はおにいちゃんで、しかも結構妹LOVEだったのだ。結果としてこいつの矢印は妹がタゲ取りして、しかもねちょねちょした感じの恋愛方面ではない処理をされてしまった。びっくりである
びっくりであるが同時に上手くもある。かぐや姫が男と結婚させられそうになるくだりなんてのは今時マジで誰も望んでいないのでうまいことゴミ箱にポイするにあたって、初登場時に納豆くらいねちょねちょしそうだった帝は後を引かない東南アジアの納豆を乾燥させて粉にしたやつのおせんべいくらいのカラッとした感じで話をさっさと終わらせてしまった
ほならお兄ちゃんはこれ以降後ろの奴とメスになっててくださいね。たぶんこのアニメは2人は幸せなキスをして終了するアニメなのでその背後でついでに幸せなキスをしててほしいランキング第一位!!
おちついて聞いてほしい。CV早見沙織はすべからくママだという主張に関しては反論の余地はないのだが、今回はそれとは別にヤチヨの中の人は高確率で主人公の母親であるという話をしている。家元リアリティショックに負けてはいけない
中盤の時点でいろはの抱える問題の根っこが解決しないままお兄ちゃんがおしまいになったということから、このままいろはのストーリーラインは家族関連の話で進めていくことは窺い知れたし、中ボスに過ぎないお兄ちゃんの後にさらなる大ボスが控えており、その大ボスとの対決がいろはのクライマックスになることは予想に容易い
大ボスはもちろん母親に決まっており、作品を走る二つのストーリーライン、いろは関連のルートとかぐや関連のルートは最終的に有機的に統合され、混じり合って一つのハッピーエンドへ到達するのは間違いない
そしてその二ルートの統合は「VRのなんかがスゴイ!!」と「かぐや姫は実在した!!」の二つの嘘の統合によってなされるはずであり、「かぐや姫はVRのなんかだった!!」という解へとつながる情報開示の鍵はおそらくヤチヨの握っている謎であるはずなのだ
前提として、ヤチヨはなんらかのなんかを抱えている
あそこまで話の中核に据えられて、主人公がご執心でありかつあの距離感を出してくるAIが特に何の因縁もないシンプルAIだったらびっくりである
つまりヤチヨはただのAIなどではなく、中に人が入っている(Vの中の人のような形に限らず、エヴァの中に母親が入っている、といった例を含む)パターンのAIであろうことは間違いないし、ここで中に入っている人が今まで一切話に登場しなかった知らない人であることはまああり得ない。常識的に言って既に登場した、あるいは名前が挙がった人物の中にヤチヨの中の人候補は絞られる
そしてここまでで大きな存在感を示していながら、その実態がほとんど描写されていない、物語のコア部分に据えても問題のないキャラクターといえば、そう、母親だね。あるいは父親という線もあるが、その場合は恐らく父と母の複合になるだろう
ひとまずはヤチヨ=母と捉えるのが一番座りが良い
(あるいは父を継いだ)母こそがヤチヨAI、ひいてはツクヨミ世界の開発者であるとすれば、なんか「これ必要か?」と感じざるを得ないいろはやお兄ちゃんのやたらハイスペックな描写にも、異常技術と異常ワーカーホリックっぷりでツクヨミをワンオペで作っちゃった仕事面ではバチクソ有能な母の遺伝という説得力が産まれる。
そして音楽をやっている(※重要情報覚えてお香)いろはに音楽をやらせたのは両親、つまり母は音楽をやっているし、ヤチヨはライブをやっている
母はライブができる
思い出してほしい。映画冒頭でいろはと母との確執について解説したのはヤチヨ(CV早見沙織)である。ヤチヨ=母がいろはは母親とバチクソ仲が悪いのである~という韜晦に自嘲を隠したナレーションをするのはまさに二周目視聴で「そういうことだったのかよ」となる演出であり、らしさを感じさせる要素である
加えて言えば激推ししているライバーの正体がいがみ合っている肉親であるというのはあまりにも鉄板の展開だ。この鉄板で肉を焼いて御飯を三杯食える
そしてここまでいろはによるかぐやへの楽曲提供はなんやかや過去曲だけで乗り切っており、曲を書けなくなってしまったいろはが心理的な障害を乗り越えて再び曲を書く、という展開がクライマックスへ繋がることはもうそんなん誰が見ても明らかである!!(明らかだね!!!)
そして「親と途中まで一緒に作った思い出曲」が出てくるときた(しかも「なぜかその曲のフレーズがヤチヨのデビュー曲と重なる」という確変演出付き)
いろはラインの「家族との確執ルート」の障壁を乗り越えることがかぐやのための曲の完成へ繋がり、完成した曲の存在が八方塞がりのかぐやルートにおける突破口になる。これはふたつのストーリーラインの統合としてこれ以上なく綺麗な形であり、ライブシーンを主軸に置く本作のクライマックスにふさわしい展開である。
でもうちのおかんがいうにはおかんは家元じゃないらしいねん。おかんが言うにはいろはとかぐやの2ショットにヤチヨが挟まって来ても全然良いって言うねんな
自他共に認める百合作品に主人公の母親が挟まって来たら普通ちゃぶ台ひっくり返すもんな
おれのタイムラインにはヤチヨに狂うオタクが結構氾濫していて、ヤチヨはメディアでいっぱい露出して、なんかすごいオタクがヤチヨに興奮しているんや
そう、我々は知っている!
ソシャゲで娘を差し置いて大量の衣装違いをことあるごとにピックアップされて作品の稼ぎ頭になっているふしだらな母を!!!!
うわぁあああああああああ!!!!
超かぐや姫!は……!!
主人公の母親が主人公を差し置いてタイムラインを制圧し、作品の稼ぎ頭になる家元作品だったんだァアア〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!
どうサバを読んでもアラフォー以上のおまえの母親は可愛い衣装で歌って踊る母は完璧で究極のアイドルであり金輪際現れない 一番星の生まれ変わりなのである
おまえは伝説のアイドルの隠し子であり妹も居る。妹の名前はかぐやといい、おまえの母親が電信柱孕ませ棒で電信柱をファックして妊娠させた人間にもなれず電柱にもなりきれぬ哀れで醜い可愛い我が娘だ
すくえるのである。この話はバッドエンドで終わるかぐや姫を超え、超絶ハッピーエンドを掴み取る超かぐや姫!である
こうゆう作品とかの奴に関していうとだいたいの場合、主人公の対立する主人公の母は主人公の鏡像であり、主人公の辿るかもしれない未来のひとつの具現である。
出来のよい作品ほど、このたぐいの過去から未来への継承とゆうやつを上手くやる。作品のタイムスケールを広げて壮大にし、前の世代の悲願や次の世代の希望を主人公の肩に載せることですごくすごいことになる。この時間軸方向に話を大きくして、というのはなんか8000年とか言って単にデカい数字を持ち出して壮大な話なんだぜ!!とぶちあげるだけではダメである。そうゆうのはクソみたいななろう系がステータスオープンして999999999999とかやるのと同じくらいの効果しかない
丹念に描いた本編の構造をコピペして、同じ骨子を持つ構造を繰り返した別の物語を匂わせることで、本編と同じ強度を持つ構造に視聴者が細部を空想で肉付けする余地をちらつかせることができて物語的強度が担保されるのである
超かぐや姫!の場合、過去が母=ヤチヨ、現在がいろは、未来がかぐやだ
家出したいろはと家出したかぐや、ふたりが逃げ出した実家と月は同じものであり、その月もまた過去に何かに反発した母が必死に造り上げたものだった
そうゆう一本の軸があるからその強靭な屋台骨に沿った世界が立ち上がり、大きく物語の世界観が展開できるのである。二つのストーリーラインがなんかあんまり絡み合わずにそれぞれ勝手になんかうまくいった感を出してもダメだよダメダメ
物語構造上、先にいろはのクライマックスが来るのでこっちを先に語ろう
とりあえずいなくなったヤチヨを探してツクヨミ中を駆け回るいろはの前に釘宮理恵が現れて、ヤチヨの下へと案内してくれるシーンから話を始める
「本当に真実が知りたいのか」と問うウミウシに、いろはは迷いなく知りたいと答え、その結果としていろははツクヨミから強制ログアウトをさせられる
ウミウシの案内に従って走るいろはだが、その道中の景色はあまりにも見覚えがある景色だった。
案内は何の変哲もないマンションの一室の前で途切れ、いろはは玄関ドアの前で立ちすくむ。なぜってそこはいろはが誰よりもよく知る場所だったから
画面に映る「酒寄」家の表札。ここで視聴者にも家元真実の一端が開示される
なぜ実家に?
ヤチヨの下へと案内してくれたはずの釘宮が示したのはいろはが飛び出した酒寄家のドア。こんな場所にヤチヨが居るはずがない……
しかし見慣れた我が家へ足を踏み入れたいろはが目にしたものは…
ツクヨミですらない現実の実家のリビングで、当たり前のようにくつろぐ月見ヤチヨの姿である!! そして一瞬のノイズが走り、ヤチヨが振り返る!!!
「あら、珍しいのね。どうしたのいろは」
こ、このヤチヨのCVは早見沙織ではない…ッ!!CV坂本真綾!!! ヤチヨが…実家のリビングで母親の声で喋っているッッッッ!!!
家元リアリティショックで指ひとつ動かせないいろはの視界から、徐々に実家のリビングのテクスチャが剥がれていく。その晒された地金に映るのは薄暗いサーバールームと母親の姿。そして点滴に繋がれやせ細った自分の姿――!!
イヤ…幻術じゃない……!
そもそも物語開始時点ですでにVRの中であり、この話は徹頭徹尾仮想現実の中で進行していたのだ。いつからVRでないと錯覚していた?
現実においてはかぐやと出会う直前で過労で倒れて緊急搬送され実家近くの病院へ運び込まれていたのだ
そしてヤチヨAI、ひいてはツクヨミの開発者である異常技術モンスターである母親が、ツクヨミのプロトタイプとして過去に制作したのが「月」
目を覚まさないいろはを療養させるため、「月」の辺縁に再現された現実世界を月の外側だと勘違いしたかぐやが逃げ出してきたのが物語の発端である
超かぐや姫、舞台は今より少しだけ未来の日本、電柱がある住宅街や街の様子からどれだけ遠くても100年いくかいかないかくらいだろうか。
主人公である酒寄彩葉はバイトしつつワンルームのアパートに住んでおり、時折友達とゲームをして遊んでいる。
このゲームというのが「ツクヨミ」なる仮想空間でアバターを用いて遊ぶ、いわゆる「VRゲーム」だ。
人々はコンタクトレンズのようなデバイス(スマートコンタクト=スマコンと言うらしい)を使用し、目を瞑る事でゲーム体験を楽しめる。
作中の描写を見るに手や足などで操作するデバイスはなく、モーションキャプチャで動かしているのかと思いきや、
隣同士で激しく遊んでもぶつかったりしない所を見るに、脳波か何かを読み取って動かしているんじゃないだろうか。
とても恐ろしい。
技術としては大変凄く、ちょっとぼんやり光っているのも何やら近未来感あって格好いい。
現在でもVRゴーグルというものはあるのだが、いかんせん重く、取り回し辛いのが現状である。
俺コンタクトレンズだめなの。
ネットフリックスが満を持して手掛けた『超かぐや姫!』がゴミだった。
まあまず『ワールドイズマイン』や有名ボカロ曲を使ったプロモーションを全面に押し出してきていた時点で怪しいものを感じていた人は多いと思うのだが、
その予感は当たっていましたね。
「百合っぽければいいんでしょ」とか「長い時間をかけて思いを募らせてればいいんでしょ」、「とりあえずライブ入れておけばいいんでしょ」
という、現代の客をナメてナメて舐め腐った作り手の意識が出尽くしてしまった、典型的な『若者舐めてる系』の創作である。
いやまあ、実際のボカロ曲の選定を見るに、自分を10代だと思い込んでいる30代とか40代のおっさんとおばさんがメインターゲットなのは明らかなのだが。
ちなみに俺はアニメは一応2回見て小説版は見て、ガイドブックを参考にこのレビューを書いている。
※ガイドブックは絵もテキストもクソ浅い情報しか載ってないのに3000円以上も取るのかよ、という客をナメたものなので買うのは推奨しない。
☆良かった所
・曲、声優の演技
■悪かった所
シナリオ、キャラクターを中心とした「良かった所」以外の全てがゴミ
■シナリオについて
ガイドブックによるとメイン声優陣が「複雑すぎる話を最初は飲み込めなくて~」と言ったことを全員語っているが、それはまあその通りである。
この話にシナリオなんてものはほとんどないからだ。っぽくしているだけで、ぶっちゃけ大したことはやってないというかシナリオ構造自体が破綻しているのだからキャラの想いなんてものはなくて当然である。
複雑なんじゃなくてシナリオになってないのだ。というか、キャラクターの行動原理がわからないのだから当然だろう。最初から製作陣がわかっていないものを説明しろと言われても無理なものは無理なのである。
なんでこいつら配信してんの?いやまあ表層的なことはわかりますよ。歌に救われた(笑)とか、推しに救われた(笑)からだよな。
まあ、それならそれでしっかりそれを描いてくれないと説得力がないんですよね。
そういう人間の過程を描く能力がないから、チラ見せしてそれっぽい視聴者の都合のいい妄想に頼ってるんだよな。
「能力がなくてやれなかったこと」を「あえてやらなかった」って言うのやめません?「ストレスフルな展開はあえて外しました」じゃないんだよね。
単純にキャラクター設定が適当で、話の構造作りも適当だから、ちゃんと人間の関係性描くことができなかっただけですよね。
要するに人間と人間の機微なんてものを描く能力がないんですよ。監督に、脚本に、スタッフに。
■キャラクターについて
それなのにインタビューによれば監督は「人間同士の密接な結びつき」を書きたいらしい。
それで、その密接な結びつきとやらはどこにあったのだろうか?
こいつら、結局なんで仲良くなってんの?お互いがお互いを必要とする理由って何?なんで配信者やりたいの?結局さ、人間が描けてないんだよね。
彩葉は趣味バイトやりながら東大合格余裕で、ゲームはプロゲーマー級、実のお兄ちゃんは超人気ライバーという「悩み」があるのも烏滸がましいレベルの超人である。
いや、わかるよ、苦労してるところを人に見せまいとしたり、父親の死(笑)とか母親との衝突(笑)があったもんな。悩む悩む。ダイジェストでやられたからしっかり伝わってきたよ。
俺も東大法学部余裕でゲームだけで稼げる腕があったら彩葉みたいな『周囲の空気を読む人間』になるわ。
やっぱね、そんなハイスペ人間なら、推しの歌だけを頼りに自分の辛さを覆い隠して笑う人間になっちゃうよね。わかるわかる。ならねえよ。アホかと。
まあ、ハイスペだから絡んでる友達もハイスペってのはリアリティあってよかったと思います。(友達連中は美容系インフルエンサー(笑))
そういうスペック高い人間以外は画面に映りすらしないのが監督の人柄がよ~く出てますわね。とても人生に悩む少女を描けていたのではないでしょうか。
カグヤやヤチヨの所も、もうね、浅いなどというものではない。
ヤチヨはなんとカグヤだった!8000年間、彩葉を待ち続けていたのだ!!!って言われてもねえ。
監督自身が言ってるように、『Fate』の士郎とエミヤの関係性やってみてえ!くらいの浅い思いつきでしかないな、と思いましたね。あーわかるわかる、何か8000年の時を経たことで
カグヤを見守る翁と媼になったんだよな。意味わかんねえ通り越して馬鹿なんじゃねえの?なんかそれ話として意味ある?ないよね?
それでやることが結局ライブかよ、という浅さね。こいつら何?ずっとアイドルやりたかったわけ?結局Vtuberとか配信文化ってものへの理解が浅いからこういう表現になっちゃうんだよな。
で、なんだっけ「キャラクターがいかに印象に残るか、生涯を通じて人格が変化していくことのエモさを書きたい」んでしたっけ。描けていましたか?
「自分が育てることになったわがまま娘が自分が推していたわがまま娘だった」ことが大変ドラマティックで、2時間使ったらしいのだが、何言ってんだって感じ。
そのギミックから逆算して話を作ってるせいで、いや、話になってませんよね、としか言いようがない。だってどこにドラマがあるのか描いてねえんだもん。
結局その「チラ見せ」でなんか都合のいい話を君の中で膨らませてくれ!ってスタイル、やるならやるでちゃんとやれよ。
2時間ちょいあれば『もののけ姫』くらいの肉厚な人間描写はできるんですよ?なんで出来ないんですか?スタッフ陣に才能ないからじゃないですか?
■それっぽさだけで構成された配信文化とゲーム文化と戦闘シーン
輝夜月から1ミリも進化してないVtuber像と、Apexやっとけばいいんでしょっていう浅い作中ゲームと、
なんかとりあえず戦っとけばいいんでしょ?っていう月人相手の戦闘シーンと、もうなんか突っ込むのもめんどくさいくらいのそれっぽさの集まり。
しかもそれぞれがストーリーに対して何の寄与もしてないという。配信者ものって、結局視聴者はバズるためだけの道具というか舞台装置みたいなもんだししゃーないんだが。
他の監督だったら最後の戦闘シーンはツクヨミの他の視聴者たちもカグヤのために立ち上がって戦うくらいのハッタリ・サービスは見せてくれてたというか、
カグヤやいろPの配信やSNSで繋がることの真の意味でのエモさみたいなのも描いてたと思うんですよね。まあ、この作品の製作陣は視聴者なんてどうでもいいと思ってるからそんなん必要ないか!
何回も言うけど舐めてんだよね、話を。「なんかエペっぽく戦ってるシーンあればエモいっしょ」くらいの舐め。「輝夜月っぽいことやってりゃバズんでしょ?」みたいな舐め。「有名ボカロ曲カバーさせときゃいいっしょ」みたいな舐め。
■「世の中への舐め」
『決めたら叶う』が基本なんだよね。この話。子供を育てることも、家族を説得して引っ越すことも、世界を席巻する仮想世界でトップの人気を得ることも、
因果の先でハッピーエンドにすること(笑)も、とにかく決めたら、あとはダイジェストでそれが叶えられていく。何故なら登場人物がハイスペだからです。という身も蓋もない話。
10年研究すれば完全な義体も作れるし、行くことを決めたら月の仕事を終わらせて地球に行くことも叶うし、カグヤとヤチヨのなんかよくわからん分裂?3人でハッピーになりたいみたいな都合のいい結末も叶う。
彩葉もカグヤもヤチヨも、全部『悩むけど決めたら全部叶う』が基本。まあこれはしょうがない。今のアニメ観てる視聴者層って何かを決めることがまるで一大事みたいに思いこんでるからね。
それに加えて、結局、監督の恵まれたエリート思想が見え隠れするよね。アニメを作る能力もある、予算もある。じゃあ何をするかというと決めることだけなんですよ。
「何をするか決定する」ことにこの物語は終始一番の価値を置いている。世の中の99割のゴミは何かを決めた所で実力とリソースの不足でそれが叶うことなんてないのにね。見てて悲しくなってしまったよ。
このアニメを見て少しでも何か感情的になったゴミは自分が何かを決定したところでハッピーエンドになんてたどり着けないことを胸に刻んで生きていこうな!
監督脚本の「こんなもんでよかんべ」という舐めが見えてくるのに、視聴者=ゴミは感動しちゃってるらしいので、その非対称性でホント悲しくなるよ。
細かい過程とか、情動とか、どうせ理解できないし、こんなもんでいいでしょ。キャラが何か悩むフリして、ライブ見せとけばいいんだよ。という『舐め』。
まあしょうがないか、こんなアニメで喜んじゃってる層は舐められるに値するよね。
「ワイズマ」に思い入れがあるならちゃんとライブシーン描けよ問題。
この「ワールドイズマイン」、山下監督たちスタッフが滅茶苦茶こだわっている部分らしく、初報のPVでも使ってるし、
早見沙織もインタビューで製作陣のおこだわりを語ったりしているのだがそれにも関わらず、『生歌収録(笑)』にこだわって、なんか微妙な歌と化している。
特に途中の面白グラサンをかけてかぐやがヤチヨに変な踊りを繰り出し、ヤチヨはそれを見て笑う…というシーンがあるのだが恥ずかしくて見ていられない。
陽キャに憧れた陰キャがカラオケでふざけてるのを見せられるような羞恥だ。歌ってる時に身内でギャハギャハ笑ってるアイドルとか誰が望んでるねん。
ていうか思い入れがある曲なら真面目に表現しろよ。終始、どこか照れてんだよね、この作品。結局、「配信見てる客」なんてどうでもいいっていう監督の精神性が現れてるよね。
何回も言うけど、『コンテンツを受容する側を舐めまくってる』ことがにじみ出てるシーンだと思いました。
ていうか百合やりたいのか知らねえけど取り合うシーンいる?歌えよ。歌を。ワールドイズマインだぞ、ワールドイズマイン。なんでちゃんと歌わねえんだよドブカス。
■総論
監督とPの『竜とそばかすの姫』のライブシーンだけ抽出して変な細田展開減らしたら受けるんじゃね?という目論見はある程度成功したと言えるだろう。
お話は2時間20分かけてやる内容ではないがキャラクターのエモーショナルにフォーカスしてMVとして見るといいんじゃないっすか?
豪華なMVだよね。竜とそばかすの姫から余計な要素抜いた感じ。
まあ、細田作品それっぽいエモさを褒めてたような人間が褒めるタイプの駄作。お前、サマーウォーズとか好きそうだよな笑
女が主軸で中身の大半がガールズトークみたいな話で、あとはちょっとした作画オタクがほめそやしてるだけ。
なんか派手なライブがあって、それっぽい推しがよくわからない感動的なことしてればそれで良いという、人モドキには向いてるんじゃないでしょうか。
ストーリーもバトルも配信もダンスも全部意味ないけどエモっぽければいいっていう、舐めた作品を見て情動が動くような人って何かが欠けてると思うんですよね。何が欠けてると思います?
長ったるい俺のレビューなんて読まなくていいよ。この一言だけ覚えて帰ってください。
お前には人生がない。
何かを決めるだけで全て叶うような浅い話に共感する、夢見がちな、自分を可能性に満ちた存在だと誤解してるゴミ。
そんな人間はそれこそ早く決めるべきだろ。その価値のない人生のような何かをどうするかを。
お前には人生がない。
もうずっとこんな感じ。
今後もずっとこんな状態なんかなと。
前からこんな感じだったのが単に金払わなくなっただけではあるんだが。
吸血鬼が好き勝手にコミュニティともバイオームともつかないものを作り上げまくるせいでよりダークソウルっぽさが増した和風ホラーナンセンスギャグソウルライクバトルアクション。前読んだ所から読み始めたんだけど、話を忘れてるな—と思って最初の戻ったあと気づいたら全部読んでた。そして前作の47日後も全部読んでしまった。無印もそのうち読み直すか。
AI画像生成をゲームシステムに組み込んでくるゲームが日本から出てくるのが嬉しい。学習元の悪魔絵師こと金子一馬の絵柄が強烈なのでAI生成でもそれっぽさがちゃんとある。なんか色々と意味不明な世界観もメガテンライクな空気が持つトンチキさで飲み込めてしまえているのが強い。ただ、ローグライクカードゲームとしての出来としてはスマホゲーレベルだなって思うし、成長要素がアーチャー伝説とかの方式なのとかもゲームバランス調整投げ捨ててねーかと感じた。
神魔狩りのツクヨミ
メガテンのイラストレーターの絵をAI生成することを売りにしてるデッキ構築ゲー
数日前にリリースされた
初動で全然なので低空飛行で終わるだろう
デッキ構築ゲーでカード集めたり強化したりしながらダンジョン潜るパーマデスのやつ。
カードも全てがAI生成な訳ではなく事前に用意されたカードプールがある
それとは別に時々イベントが起きてAI生成のカードがもらえる(1日3回程度まで以降は課金)
かなりきっちりしたテンプレートがあってそれをちょっとずらしてる程度
ただ基本のカードプールよりは一回り強いカードが出るようになっているので
これで良い攻撃カードを引けてるとかなり楽になるし(ちなみに一度生成したカードは以降のランで持ち込める)
引けて無いとつらい
パーマデスといったがトルネコというよりはチョコボ型のデザインで
永続成長要素がかなりある
これがガチャになってる
無課金でも長期でやれば全回収できそうな量ではある(今後の追加は知らん)
当方スーファミの真メガテンからペルソナ5まで大体プレイしている年だけ食ってるライトゲーマー。先行体験版をプレイする権利を得たので2日くらい触ってみた。
ダンジョンに出入りする度にマップが変わり、手持ちのカードや持ち物がリセットされるローグライクゲーム。道中で手に入るカードや持ち物も都度変わるので、どう立ち回るか考えないといけないのが大変だけど戦闘は楽しい。
AI生成されたカードが大量に出てくるんだけど、どれもちゃんとしてるように見えて微妙に歪で気持ち悪い。んだけど、AI生成された絵を描いたのが、大元の絵を描いた悪魔絵師の偽物、っていうゲーム内設定なので気持ち悪くても納得感があるのがとても良い。偽物が描いてるんじゃしゃあねえよな、ってなる。良いAIイラストの使い方だと思う。
戦闘が楽しすぎてあっという間に時間が溶けるのがしんどい。何度も戦ってればレベルが上がってダンジョン中でもらえる装備品の種類が増えるので、勝てる可能性も広がるんだけど、素人だから脳筋装備と脳筋カードでデッキ組む方法しか思いつかなくて時間だけ食われて中ボスに永遠に勝てない。
気づいたら日付回ってるし、得た物はデジタルコンテンツだけだし、楽しいけど「なにやってんだろ……」感がすごい。ゲームやる時間で本読めば良かった。
課金前提のゲームではあるけど、課金してもらえるカードは大体偽悪魔絵師の描いたAIイラストだし、思い入れのあるキャラの絵でもないし、これから思い入れが生まれる可能性もなさそうだし、手元に現物が残るわけじゃないし、ゲーム内でしゃべるわけでも動くわけでもないし、課金までしてやるゲームだろうか?多分やらない。装備品の種類を増やすための課金もできるけど、古い人間なのでソシャゲで装備品に課金するという行為がそもそも理解不能。持ってたって誰に見せびらかせるわけでもないし、主人公やサポートキャラの見た目が変わるわけでもないし、ダンジョン内で確実に出てくるとは限らないし。いろいろ有利になる月間パスへの課金もできる。つまり月間パスに課金しないといろいろダメで無理な感じなんだろうな。
何らかの実験や調査に協力してください、費用は運営が負担します、時間だけください、みたいな、それこそ現状の体験版だったらやってもいいけど、自分から進んでやることはない。敢えてだと思うけど、なんかズレてるような滑ってるような生まれたてのコンピュータが発する感情的なものを彷彿とさせる「戦イニ備エヨ」みたいな字幕の雰囲気とか、綺麗でレスポンスが速いUIとか、サクサク進む戦闘処理とかはすごく良い。家庭用ゲーム機でもPCでも買い切りの方がまだいいんじゃないか。ゲームシステムに中毒性があるだけに、なんでソシャゲなんだよ……という気持ちが強い。一区切りになるまでのプレイ時間が長くなるのが本当にキツい。セーブはできるけど再開したら手持ちのカードや装備で何がしたかったのか忘れてそう。女神異聞録ペルソナの一時中断みたい。
あと出てくるキャラやダンジョン途中にいる中ボス級の敵のバックグラウンドとか性格がわからないというかつかみどころがなさすぎて、全く感情移入できないので、その辺しっかり教えてほしいです。いや正式リリース版はやらんだろうけど。サポートキャラの「むつ」だっけ?バックグラウンドがわからないと全然ブヒれん。イラストの時点でブヒるためのキャラではないんだろうけど。垣間見える設定に可能性は感じるので、サ終になる前にちゃんと全出しできるといいね。
雰囲気は大体真メガテンなので、あの頃のアトラスが好きな人は好きだと思うけど、逆に怒り出すかもしれない。
とりとめなく書いたけど、全体的には好きでした。サ終したら買い切りソフトで出してください。将来ソシャゲの歴史の本が発行されるとして、タイトルの記載のみで消し去るには惜しい。
推しの子は単行本派だったけどあまりにもTwitterがザワついていたため耐えきれずWebとアプリで最終話まで読んだ。読んだらもっと耐えきれなくなったので初めてはてブを書いている。匿名で……。
・打ち切りエンドすぎる
・真犯人がニノだったら「アイドル」と小説の意味も違ってくるぞ!と思ってたけど結局カミキだった。ぽっと出のニノが黒幕よりは良かったけども。
・これだから自らの命を蔑ろにする奴はダメなんだ。結局その瞬間の甘美な自己犠牲(笑)に酔って後先考えていないだけ。命を有効活用するにも無駄遣いすぎる。アクアはもっと上手くやれたはずだし、先手で不意打ちなんだからこちらがコストを払う必要はないはず。自分の命を勘定に入れるのは最終手段にしようや……。もうお前だけの命じゃないんやぞ
・ルビーと有馬かなとあかねがあまりにも可哀想すぎる。全員で草。有馬かな、正ヒロイン競争では勝ったけどそもそも「恋愛」というものの価値が意味をなさなくなったから相対的に負けた。ルビーの人生に負けたんだ。
・ハーレムものの主人公が全員からの好意を一定に保ったまま誰からも恨まれることなく死んだから地獄。大切な人を失った女の子が3人生まれました、あーあ。
・アイは生まれもった「愛情」の欠如から来る闇を「嘘」で覆い隠してアイドルをやっていたけど、ルビーは元から素直だし、現世では愛も受けてるし、アイのことも世間に公表して復讐も終わったからこのままだとただの素直なアイドルになってしまう。「私は今日も嘘をつき続ける(=それが魅力)」をやるために、「最愛の人を喪った悲しみを表に出さない」という闇?を抱えさせられた?の?だろうか?と解釈して納得したけどいらね〜!!!!大団円バースの別ルートを見せてください。
・てか自分から死んどいて死ぬ瞬間は「苦しい、後悔、生きたい」とか思うの本当に勘弁してほしい。これだから自殺は(自殺のアンチ)。馬鹿馬鹿馬鹿アーホ!ドージ!マヌケ!大切な女の子待たせてんじゃねえぞ!せめて自分から死ぬなら苦しまないでほしい。アヘ顔ダブルピースのまま「うれし〜〜〜!きもち〜〜〜!ありがとうございました!」つって死ねる奴以外は死ぬなよナメてんのかカスがよ死ね
・ツクヨミ何?
・「同じ轍を踏むわけねえだろ!」まではいい感じだったのにな〜〜〜〜😭😭😭😭
ここも黒川あかねはCIAではありませんが……?にはなったけど。自ら望んだとはいえそんな危険な役回りをやるなやらせるな
・最終話周辺の2-3話、コマだけの無言カットが多くてどこまでが赤坂アカ先生がディレクションしたのか気になる。メンゴ先生の負担デカくないか?
・えーーん、バッドエンド嫌だ……って思って読み進めてたけど、その割に最終話はあっさりしてるしまるで打ち切りすぎるよ。人気も時間も予算もあったと思うんだけどな……。
・有馬の死体ビンタ、ネットではめちゃめちゃ叩かれてたけど思ったより気にならなかった。直後のミヤコさんビンタで相殺されてるし、その後の台詞と文脈聞いたら泣くしかないでしょこっちも。むしろよく発狂しなかったまである。
・星野アクア死んだって聞いて可哀想だと思ってたけど自殺すぎて許せなくなってきた。
・「ママとお兄ちゃんが照らしてくれた、未来を!」じゃないよほんとにこれでこの漫画終わったんか???自分でも言ってたじゃないかアイドルの寿命は短いって。「どうしようもないほど楽しいお仕事!」が終わったときにルビーちゃんも自殺しちゃいそうで怖いよ。みんな病んでる。何!?別にタイトル回収というわけでもテーマに沿ったわけでもないからこのエンドにした目的がわからなくて怖い。逆にルビーに因果が集まりすぎてて、天童寺さりなの命にはそれほどの価値があったのか?(疑問)になってしまっている。
両親を失った命の重みに耐えられなくて闇堕ちしたカミキに対して、様々な人の命の重みを背負って嘘をつきながらアイドルをやってる星野ルビーの善性と強さをもって勝利としたのか?