はてなキーワード: 徹頭徹尾とは
久しぶりに映画を鑑賞したので、感想を備忘録としてまとめておく。
ネタバレ注意。
年の暮れも近づいて寒風が吹きすさぶなか、これほどの恐怖と癒しを味わえるとは思わなかったので、いい記念になった。
『スカーレット』について論じる前に、前提に触れておきたい。
少年少女を主人公に据えて普遍的かつドラマチックな物語(以降、ドラマと呼ぶ)を展開する場合、シナリオのテーマは必然的に「これから大人になる子供たちへの応援歌」になる。
何故かと言えば、大人にならない人間はおらず、あらゆる受け手に刺さるテーマだからだろう。
こうなると、あらゆるシナリオ上の敵は「大人になるための障害物」「大人になることへの恐怖」ということになる。
最終的に、物語の中で主人公はこれらの強大な敵を乗り越えて、大人になっていくということだ。
これはたくさんのドラマに触れてきた人なら自明のことだと思うが、親を超えればいい。
つまり、大抵の子供のドラマにおいて、テーマは「親殺し」になる。
古今東西、子供が主役のドラマは星の数ほど生まれているが、脚本家には何を「親」にして、どう「殺す」のかが問われるだろう。
ここで、『スカーレット』の話に戻ろう。
先の前提を鑑みて『スカーレット』のシナリオを俯瞰した時、スカーレット(主人公)はどう「親」を「殺した」のか。
結論から言うと、スカーレットは親を殺せなかった。正確には「殺さなかった」。
「殺し方がうまくなかった」とか「殺しはしたが中だるみした」とかではない。「殺さなかった」のである。
カレーを作ろうとしたがルーを買っていなかったレベルの失敗で、これは叩かれても仕方がない。
なぜこんなことになったのか。
おそらく、これは脚本が下手とかそういう次元の問題ではないと私は感じた。
話は脱線するが、果てしなきスカーレットはハムレットを翻案したものなので、ハムレットの構造にも触れなければいけない。
ハムレットは行間のある物語であるため、様々な解釈があるが、端的に言えば主人公は「父の呪い」から始まり、「父の呪いを断ち切って」己の遺志だけを残して死んでいく。
詳しくはここでは割愛するが、ずっと父の呪いに悩まされ、懊悩していたハムレットであったが、最後は純粋な義憤によって剣を取って悪を処断し、理性的な政治家として死んでいくのである。
もう一度『スカーレット』に戻ろう。
ハムレットのテーマを踏まえると、『スカーレット』は「どう親を殺すか」という問いだけではなく、この「ハムレットがどう悩み、どう大人になったか」を翻案するという大変重い十字架を背負って出発している。
ハムレットは数多くの翻案作品があり、翻案を明示していなくてもハムレットをフレームワークとして利用したと思われる作品は数多くある(ディズニーのライオンキング等)。
残念ながら、『スカーレット』に関しては「戦って負けた」とは言えない。不戦敗である。
何故そう言えるのか。
ここからネタバレになるが、何と『スカーレット』では、父の呪いが最後にやってくる。
物語の大団円、最後の最後に父の亡霊が「自分の人生を生きろ」と告げ、スカーレットが子供のころに描いた父の似顔絵(母親に破り捨てられたもの)に変化して消えていく。
恐怖である。「親殺し」どころか、これで主人公は「親の命令に囚われて一生を生きる」ことが確定してしまった。
死者の国を旅し続けて、数多の試練を乗り越えた末に、似顔絵を描いた幼少の自分の精神に戻ってしまったのである。
その後王になったスカーレットは、集まった民衆に向かって無邪気に父から受け継いだ理想をそのまま語り、条件付きの平和を約束する。
いやいやいや。なぜそうなる。
単純に突っ込むとこれで終わりなのだが、冷静に登場人物を振り返っていくと、この物語が内包している恐怖が浮かび上がってくる。
劇中冒頭の処刑時に主人公に聞こえない遺言を呟き、終盤まで主人公を惑わせつつ、最後に呪いを仕掛けてくる「偉大な父」である。
劇中、なぜか腑抜けとして扱われているが、親しみやすい人柄で子(スカーレット)と民衆からの信頼は篤い。
特に正義もなく極悪非道を貫いているサイコパスのラスボスである。
民衆から慕われている王(アムレット)を民衆の前で殺害できる政治的な超能力を有している。
死の間際、スカーレットの顔面に唾を吐きかけてくるレイパー役も担っている。
あらゆる悪人に手を差し伸べて怪我を癒す看護師であり、道中でスカーレットに守られ続ける存在である。
子供を守って通り魔に刺されて死者の国にやってきて、愛の歌だけでスカーレットを現代の渋谷に飛ばし、ダンスと歌でスカーレットを精神的に生まれ変わらせた。
死の間際、スカーレットに「いきたい!いきたい!」と言わせて死者の国から旅立たせる白馬の王子様役も担っている。
スカーレットはなぜこんなにも性的なメタファーを遠慮なく使われているのか、SNSでは非難も起きていたが、冷静になってほしい。
アムレットは一生を呪ってくるリアルな父、クローディアスは自分を愛してくれずネグレクトする悪魔の父、聖は本来望まれている理想の父だ。
この物語は「父の言いつけを守り、悪しき父に耐えることで理想の父に愛される」という構造になっている。
そう、描き手は「父から愛される」ことを心の底から望んでいる。
「親殺し」ではなく、「親の言いつけを守ることで親の愛という永遠の平和が約束される世界を取り戻す」物語なのである。
王になったスカーレットが民衆に条件付きの平和を約束したのも、このように解釈すれば納得がいく。
「描き手がそのように愛を受けてきた」からだ。
描き手はおそらく、条件付きの愛しか知らない。
何故スカーレットは唾を吐かれたり「いきたい、いきたい」などと言わされているのか。
「可愛らしい女の子でなければ愛を受けられない(自分が愛されないのは女の子ではないからだ)」
「女の子なのだから、遠慮なく父の愛を受けられるはずだ(息子ではない存在なら愛を受ける資格があるはずだ)」
「性的に求められることが愛だ(自分が愛されないのは性的に求められない存在だからだ)」
つまり、描き手は自分の代わりに少女主人公に父からの虐待と愛を存分に受けさせている。
それによって癒しを感じているのだろう。
私は過去の細田守作品をほとんど知らないが、この作品がこの有様なら、おそらく主人公に関わる男性陣は全員「父化」しているのではないか。
ネグレクトしてくる悪魔の父か、なんだかんだで主人公を愛してくれる理想の父かのいずれかだ。
禁止ツッコミは「FGOそのものがつまらん」とは先に言わせてもらう。
今やってる「ファイナル・ハロウィン2025 ~パンプキンプラネットに輝く歌姫~」っていう実質第何回目かわからんFate EXTRA CCCコラボシナリオなわけなんだけど
その理由が「サーヴァント・ユニヴァース」って設定にあるのな。
FGO知らん人向けの説明は省くけど端的に言ってしまうと「Fateのキャラを使った解像度の低い雑なアメコミ風世界観」があって、今回のイベントはそこが舞台。
で、何がつまんねえかって言うと
エリザベート・バートリーっていう、TYPE-MOON設定では「生前に600人を美容目的で殺した」「夫との間に6人の子供を産んでいる」「拷問が趣味で自分のメイドに、そのメイドの娘の生皮を生きたまま剥がさせて殺す」「領民の若い女性を殺し尽くしてしまったので他領の貴族の女性までパーティで呼んで殺す」
という最悪な連続殺人鬼というバックボーン持ったキャラで、今まで散々彼女をイジってきたのは「冷静になると生前の罪悪感に苛まれるから今しか考えずに狂うしかない」ってのはいいんだ。
キャラとしてそれで成立している。
問題は、そのキャラが強くなる為に「サーヴァント・ユニヴァース」っていう何でもありな世界にお膳立てしてもらうしかなかったっていう事。
例えば近年だと「ツタンカーメン」なんかは「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」の弟のテオの策謀によって「肉体的ハンデを克服したツタンカーメン」という形で本来ありえない姿になるという形で強化された。
これはFateシリーズの「時代も国も神話も違う者同士が交差する」っていう作品が持つ魅力をちゃんと使っていてとても良い例。
キャラクターを強くするというのはこういう形を使ってやってほしい例。
それに対してユニヴァース系がつまんねーのは
月姫のキャラのシエルをスターシエルにするのとか、今回のパーフェクト・エリザベートもそうなんだけど。徹頭徹尾雑と言うか
Fateの面白さである「時代も国も違う英霊達が織りなす物語の帰結として起きた出来事」でもなんでもない事で「あのキャラクターがすごくなった姿」ってのを描写した事。
いや、今回はスペースアポロンの誘導だろ?って思うかもだけど、サーヴァント・ユニヴァース使った時点でもうなんでもありすぎて
「本来ならありえない状態」を実現させるって、脚本力さえあれば可能だと思うんだよ。
FGO以外の今やってるFate漫画作品ってどれもこれも面白いと思うんだよね。
「フェイト/エクストラ CCC FoxTail」「プリズマイリヤドライ」「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」「Fate staynight(UBHとHFと衛宮ごはん)」「サムライレムナント」「蒼銀のフラグメンツ」「帝都聖杯奇譚 Fate/type Redline」
生きているマスターと、一度死んだ英霊であるサーヴァントが織りなす物語とドラマ。なんでもありじゃなく、その世界観が積み重ねたルールの範囲内でそれぞれのキャラクターが目的に向けて足掻くからこそ、様々な要因が絡まって織りなす戦いの果てに想定外の飛躍がある。面白い。
FGOは他作品に比べて全体的にすげえ雑な事が多くて萎える事が多い。
それなのに一番人気あるのがFGOってのが本当に解せない。
面白くなかっただろ?ファイナルハロウィン・・・。奏章4も。ヴァニッシュドビギニングも彼の名はダンテ~ホテル・デノヴォのコンシェルジュ~も小野小町古今抄 〜雪消月のキラキラ蓮華〜も
もちろん今年でも「ぐだぐだ新選組ジ・エンド」「落涙の翼」「育て!マイリトルドラゴン」は面白かった。ただ、打率めっちゃ低いよなって。
サーヴァント・ユニヴァースはその設定が出た途端につまんないの確定するからもう使わないでほしい。ほんと。
あと、ぐだぐだ新選組については同じ国・似たような時代の人間で固めすぎて同窓会にしすぎるのも考えものだなって思いました。面白かったけど。
【追記】
そりゃ言うだろう、逃げ道だよ
エロはあってもいいが18禁にして未成年に見せるなって言ったのと一緒
さんざん社会への影響(それが無意識なものも、意識的なものも)を語っておきながら
なぜか突然、ここだけ商業主義に目覚めてさ
裸を描いたらノイズだろうって言い出すんだよ
びっくりだよ
“絵だけど、未成年だぞ”
だからでしょうに
ノイズうんたらいうなら自宅の風呂で24歳が水着なら間違いなくノイズだよね
うそでしょう?
でもそれを【後付】で
まるで自分の手柄です、配慮したのは重要です、だから覇権です、みたいにいわれたらムカつくべ
かんけぇねぇんだよ
その思想を作品にまぶしてなんの問題もないって、本気で考えてるならさぁ
放送前に言えば良いんだよ
ぼざろは“絵だけど、未成年だぞ”を大事にして公式が搾取を推奨するかのような演出は行いません
乳揺れとか子供に見せられません
って、アニメ雑誌からのインビューに【放映前】に答えてみろっていうんだ
ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーー
これ着火点がノイズで始まって、すっかり「問題はノイズなんだ」って話に、みんな引っ張られてたよね
都合よくそっちに火が付いたから、擁護する人はみんな「ノイズ問題」に逃げちゃってさ
みたいな話しかしないんだけども
違うべ
ドラマが恋愛至上主義を押し付けんなもそういう一巻の話だったし
なんならオリジナルを出したとまで言って
“絵だけど、未成年だぞ”と語り
“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”はナシ
乳揺れは子供に見せられない
前後を読めばわかるけれど、バリバリにDEI思想が語られていくのに、なんでか水着の話のときだけ「覇権のためのノイズ」とか言い出す
作者も協力的だったと
もちろん、「過激な作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」とも語るが
となっている
でもなんでか、この一文を以って、エロ要素を否定してないって擁護が湧いたんだよ
温泉シーンがある、ゆるキャン△はしかし、覇権のノイズだったろうか?
あの全裸シーンはNGとされるべきか
ストパンはR18になるべきか?
でさ
逆に聞きたいわけよ
作者が反発したら乳揺れ描くんか?
【公式から】『さぁ搾取してください!』と言わんばかりの作品を描くんか?
でも、それは語らないんだよ
作品から降りますとか、私が携わるなら絶対に描かせないというなら
商業主義として描きますってなら、熱く語った責任の話はなんなの?と
“絵だけど、未成年だぞ”
は大事にしていくだけ?
ノイズの話で隠されてたけどもっとヤバイこと書いてる、みたいにね
だからこそ
炎上理由の「ぼざろ脚本家に作品に介入するレベルの強めのDEI思想が判明」を極論拾って「ぼざろは駄作とされた」と言い換えてまで、今回の件をズラしたいのかねぇ。こういうのこそ「曲解」ではないかね
と書いたんだよ
ちなみに記事中じゃ誤魔化してるが
「ぼざろはいいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストがポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家の一言で後から評価を変えるの、あまりに党派的過ぎるだろ。
話をズラしてんじゃねぇよって突っ込みだ
これを署名運動と紐づけたいようだが
あのやり方は糞くらえだよ
たださ、語られなければ知らずに居れたことも、語られちゃったらダメだろ
「なんで今更」系のズラシ批判が最高に臭い。そんなの「脚本家の独白によって、まさに今、違和感に形がついた」からだよ。その発言者がスタッフである必要はないが、スタッフの自慢話であるのは最低だって話
これは、今炎上してるのは、そこに今まさに形が付いたからだって話な
そういう文脈も何もなしで
適当に継ぎ接ぎで
ほらほらほらほらほ、むじゅーーん
ってやるのダサいよ
前に見た時はうーん60点くらいかなと思ってたんだけど、スピンオフの「カマキリ」を見た後に見返したら、意外とっていうかかなり頑張ってて72点に上方修正した。
スピンオフのカマキリは「殺し屋はつらいよ会社編」で、既存の大企業とそこに振り回される中小零細企業、そして新興のテック大企業という世界中で繰り広げられている仁義なき企業バトル、を殺し屋で再現した感じだったけど、キル・ボクスンは「殺し屋はつらいよ社会人編」って感じの映画だった。
バリキャリのエリート殺し屋でシングルマザーのボクスンは娘とはちょっと険悪で、格下の同僚とセフレ関係にあり、社長からは寵愛され社長の妹の理事からはなんか嫌われてる。他社の殺し屋仲間と定期的に集まって酒盛りをするくらいには社会性があるけど、エリートで世界が違いすぎてみんなからちょっとずつ疎まれている。またシゴデキすぎて後輩の育成をサボっておりそこも会社から疎まれている。属人性が高すぎるのだ。
な~んか居心地悪いし忙しすぎて娘とはうまくいかないので契約更新しないで退職しようかなと思ったところで、絶対受けないと宣言していた仕事を理事の陰謀で受けさせられまんまと失敗(拒否)。社長、理事からは示しがつかないと叱責を受け、その仕事はセフレの同僚に。さらに理事の陰謀で飲み会仲間全員から命を狙われ返り討ちにするも、他社の人間に手を出したことでより状況が悪く。ブチ切れたボクスンは理事を殺害し、社長との決闘に挑むのであった。
ここにセフレの同僚はボクスンを寵愛する社長に目を付けられて仕事を絞られてたり、娘はレズビアンで学校ですったもんだりあったりと人間関係が複雑に絡み合い、ボクスンはうんざりする展開が続く。
よかったところはまずアクション。カマキリがアクションインフレーションについていけてない感があったけど、ボクスンは今見てもやっぱり頑張ってた。多対多のアクションもいいし、一対一のアクションもいい。壁を挟んでぐるぐる回りながらボクスン組2人と飲み仲間3人がアクションを繰り広げるところはフレッシュだった。
読みの鋭いボクスンが「先の展開が読める」のを実際にアクションをしてそれが巻き戻る、という手法自体はまぁありがちではあるがそれが「永遠に手を読んでも読んでも勝てない」という圧倒的な戦力差の表現に使っているのもアクション一つ一つが頑張っているのもあって見ごたえがあったし、そこまでして最後には「お前私のこと好きだろ、いつからだ?」とめちゃくちゃ俗な心理的揺さぶりをかけて勝つという展開もバリキャリ実務屋のボクスンらしくてよかった。
ボクスンは徹頭徹尾、冷酷な実務屋で勝つのが美学というのが冒頭のヤクザとの決闘シーンから貫かれており、同じように実務屋でありがならもある種のロマンチストである社長と対を成していてよかった。これも社会人あるあるかもしれない。
逆に娘のレズビアンパートは正直、まぁ、興味深くはあったけど別にいらんかったかな。
お互いに秘密がある親子っていうのはテンプレでそれ自体も面白くはあるし、最終的に娘を守るために弱さを見せることで娘の信頼を勝ち取るボクスンという構図は美しくはあるけど、でもやっぱ「殺し屋」と「レズビアン」を同じ秘密があるといするのは倫理的にどうなんだという気持ちもある。
カマキリは正直あんまハマらんかったけど、キル・ボクスンを見直してみたらやっぱりこっちはよくできてた。
作中でカマキリのことや、カマキリのヴィランのトッコ爺さんのことも話だけは出てきていて、そこもニヤリとさせられたのもよかった。
外野のフェミが文句つけてきてるなら反発するのは、まだ分かるんだよ。だけど脚本家吉田氏は制作サイドだよな? しかも原作者には承認どころか感謝までされてる。燃やす意味が分からない。例えばマシリトが鳥山に「ブキミなものを描くな」と言ったら炎上するのか。
それでも脚本家が原作を批判したなら、まだ分かるんだよ。だけど一般向けアニメで裸を描くとノイズになるって話だろ。原作の表現をそのままアニメ化するとノイズになる、ということ。原作は原作で何も問題ないんよ。
性的搾取絶対ダメって態度なら、まだ分かるんだよ。だけどそういうのが売りの作品ならアリと明言してるし、タイバニだってそうだったろ。「抵抗がある」とか「個人としてはやりたくない」とかでモラル的にアウトなんて言ってない。無意識のうちに当たり前とされてる描写をするんじゃなく、意識的に取捨選択するのが大事、正しいか間違ってるかじゃなく、自分の考えを監督に提案して話し合える現場が作品のクオリティを上げると言ってる。
視聴者を責めてるなら、まだ分かるんだよ。だけど「ファンの皆さんにはキャラクターをどう捉えてもらっても構いませんし、個人で何を描いても、何を想像しても自由」と明言してる。発信する側である自分の態度として「搾取してください!と言わんばかりにばら撒く」のは抵抗があると言ってる。あくまでアニメ制作の自分の振る舞いへの自制心の話な。オマエラをとがめてる訳じゃないから被弾しに出て来なくていいぞ。
作り手の自分のポリシーを説明してるだけなのに、赤の他人がキレてるのは意味が分からないすぎる。自分の作りたいものを作りたいように作ってるんだから、勝手にしていいだろ。徹頭徹尾他人を責めないが自分の振る舞いには意識が高い………脚本家としての責任感の高さが評価されてるからこそ、制作チームに呼ばれてヒットを連発してるんだと思うがね。
まんがタイムきららMAXとは芳文社から出版されている月刊4コマまんが雑誌である。定価は500円弱。キャッチフレーズは「ドキドキ★ビジュアル全開マガジン」
連載漫画本数は20本強。ということもあって、表紙に掲載マンガ全部のタイトルが載ることはない。(近年のまんが雑誌の通例で休載がしばしばあるが、予告あり休載も突然休載もあるので油断できない。さらには単行本作業休載が予告されていたのに突如掲載されたという事例も報告されている)
閑話休題。週刊ジャンプ同様人気があるのは前の方、という原則に加えて、表紙に「これ載ってますよ」と表記されるのは人気作品のあかしな訳。で不動の一枚看板が「ご注文はうさぎですか?」。それ以外には「単行本発売告知」があるまんがとかも表紙に載る。
ぼざろはもっと推されているかと思ったが表紙に載らないこともある模様。
はまじギャグは徹頭徹尾…というと言い過ぎだが、ほとんどが登場人物のキモイ行動・外見を嘲笑うことによって成立している。主人公は全面的にそうで、アル中いじりも雑草食べるベーシストもそう。ギターボーカル喜多もちょくちょくキモい。 主人公妹(後藤ふたり)が姉に働きかけるシーンはー年齢勾配があるので許されているがーほぼ全面的に陽キャ→陰キャのイジメによる笑いである。 ライブハウス店長は「ぬいぐるみと一緒じゃないと眠れない」と暴露されバカにされ読者は(ここで笑って下さい)と指示される。
アニメしか見てない人は知らないだろうが、その後着々と登場するキャラクターは増えており、ライバル・結束バンドの厄介ファンもやはり奇行種である。
あとは時事ネタのたぐいね。ビッグモーター…まとめサイトで尻馬に乗ってるブクマカみたいで共感性羞恥。
とても面白い議論だ。この歳までオタクをやってて良かったとさえ思える。久々に深く踏み込んだ創作論に出会った。
「原作ではひとりちゃん(※主人公の後藤ひとり)が水風呂に入るシーンで裸になっているんですが、アニメでは水着にしてもらいました。ぼざろがそういう描写が売りの作品ならいいと思いますが、そうではないと思いますし、覇権を狙う上ではそうした描写はノイズになると思ったんです」
「現実ではそんな会話しない」と強く否定した“女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”なども含め、そういうシーンはアニメにおいては何気ないよくあるものと考えてしまっていたが、吉田恵里香さんは「それを売りにしている作品でない場合においてはノイズ」と言い切る。
「原作がまず素晴らしく、原作サイドもとても協力的で、監督含めスタッフも音楽チームも本気で動いてるし、けろりらさん(※キャラクターデザイン/総作画監督)もすごく良い絵を描いてくれている。制作の段階からこれなら覇権が取れるって思える作品なのに、そうしたノイズがあると多くの人に見てもらえなくなってしまいます」
「現実的に考えても、ギターを弾きながら胸が不自然に揺れ続けるみたいなことはないわけですし、そういう描写があったら私は幼い息子にその作品を見せるのを躊躇する。自分の子どもに見せられるかどうか、というのは大事にしている基準です」
面白い。
…ということ。
目標は徹頭徹尾、アニメを観てもらう(売る)に置かれてるのが重要だ。
エンタメ作品は結局商売なのだから、より多くの人に見てもらおうとするのは商業的に正義だ。
それでも、勝手な原作改変は原作者を傷つけるリスペクトのない行為として叩かれるだろう。
実に面白い状況だ。
これに反論してる人たちの心の中には、『原作者の意思』よりも、『売れるために工夫する自由』よりも、さらに優先度の高い、何かが存在することになる。
○ご飯
朝:カシューナッツ。昼:マクドナルド(月見)。夜:天かす梅干しうどん。人参とキノコと大根のスープ。ギョニソ。トマト。ヨーグルト。バナナ。間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
それと風古戦場に向けてシエテHLとジークフリートHLを周回。
○ポケットモンスターパール(序盤ポケモンと電気袋組の旅)テンガン山〜四天王・チャンピオンを攻略してクリア。
序盤ポケモン旅は毎回終わりの方は苦労するんだけど、ムクバードが徹頭徹尾強くてかなりサクサクプレイできた。
飛行、ノーマル、格闘の三つの範囲が広くて強いしどの技も命中威力ともに安定してた。その上特性の威嚇も腐らないいい特性で、エースの中のエースだった。
ビーダルは水技は旅では強いよねって感じなんだけど、タイプ一致で打てるのは良いね。特性の天然は時々相手の小さくなるを無視れるのが、嬉しかったかな。
パチリスは流石に非力で旅で使うには辛かった。補助技もあんまり選択肢がなくて怒りの前歯で無理やり削っておくぐらいだった。とはいえ、電気技の通りは良いので活躍の場面はあったので良きは良き。
そんなわけで赤緑、金銀、RSに続いて4回目のこのルールでの旅だけど、やっぱり最初から主要メンバーが揃って、それが弱いけど育てていく楽しみがあって好きなルールだ。
ムクバードは弱いとかじゃなかったけど、まあそういう周回があるのも面白い。
○週刊少年ジャンプ2025年9月15日発売の感想(紙は明日)
・さむわんへるつ
大喜利やネタハガキを題材にした漫画やフィクションは割とあるんだけど、少年ジャンプらしい真っ直ぐさがあって心地よかった。
こういうジャンルは斜に構えて冷笑しようとすればどれだけでも批評という名の茶化しが出来るんだけど、作品が王道するなら僕も真正面から楽しみたいと思った。
今後に大期待。
作者お得意の謎のゲーム回。
今回は恋愛ゲームなので、性癖を弄る際に明らかにバランスを欠き過剰すぎたあの頃を連想して身構えたが、ちゃんと流行りを抑えつつギャグになっていて、面白かったしエロかった。
・ピングポング
四戦目決着。
回数の問題ではない。
こちらの関心は障害の存在は個性を否定する証明としては使えないだろうということにあり、またこの一人をいかに説得するかが焦点だった。
お前の話は徹頭徹尾そこから話がずれていて(なぜが私がどう考えているかの話を始めてる時点でずれてる)説得の参考になるものではない。
一人じゃなくてn人だったらお前風に言うならn回言われることで、やはりお前の主張は論破された=説得の参考になるものではなかった、ということになる。
回数じゃなくて、その場にいた「あれは障害」というスタンスの人全員に言われるかどうかが問題。
今回は一人だけだったから、一回言われたらそれで全員ということになるというだけ。
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