はてなキーワード: 星野とは
時は現代、されどその様は戦国絵巻を彷彿とさせる。日産自動車、世界の自動車産業を牽引する巨艦。その内部では、63人の役員たちが、それぞれの野心と信念を胸に、静かなる、しかし熾烈な権力闘争を繰り広げていた。
物語の始まりは、カリスマ経営者、カルロス・ゴーンの失脚からである。彼の築き上げた帝国は、その崩壊とともに、新たな覇権を求める群雄割拠の舞台へと変貌した。
若きCEO。彼は、ゴーン後の日産を再建するため、大胆な改革を推し進める。しかし、その手法は、古参の役員たちの反発を招き、社内には不協和音が響き始める。
紅一点の副社長。彼女は、女性ならではの視点と、卓越した交渉力で、社内の勢力均衡を図ろうとする。しかし、男社会の壁は厚く、彼女の理想は、しばしば現実の前に打ち砕かれる。
かつてゴーンの片腕と謳われた男。彼は、その野心とカリスマ性で、再び日産の頂点を目指す。しかし、過去の栄光は、今の彼にとって足かせとなり、彼は孤独な戦いを強いられる。
そして、その他大勢の役員たち。それぞれが、それぞれの思惑を胸に、この権力闘争に身を投じていた。彼らは、時に協力し、時に裏切り、時に謀略を巡らせながら、自らの生き残りをかけて戦う。
日産の命運をかけた、役員たちの群像劇。そこには、人間の欲望、野心、そして誇りが複雑に絡み合い、歴史のうねりとなって、未来へと続いていく。
この物語は、現代の企業を舞台にした戦国絵巻である。そこには、司馬遼太郎の描くような、歴史のダイナミズムと、人間の業が色濃く反映されている。
ここは結構納得した。
自分はあまり「これは少女漫画・少年漫画だな」とか意識して漫画を読まないから気づいてなかったけど、もともと少女漫画的にとらえて読んでたから最後のオチがそれまでとちぐはぐに感じたんだなって。
推しの子の話が話題になっていて、推しの子は少女漫画か?というので盛り上がっている。
ババア視点で言うと1990年代以前の漫画であれば推しの子は少女漫画足り得るし、1990年代以降であれば少女漫画は少女漫画以外の年代誌や性別誌へ対して制作技法や描画技法として広く普及し始め得たタイミングなので1990年代以降の漫画しか知らない若い世代であれば少女漫画ではないと感じるのではないかな。
少なくとも「1980年代の花とゆめへ掲載されていそう」と言われたら私はそう感じるし、逆に「1980年代の少年誌や青年誌では掲載されない」と感じ、年代で区切ると1993年以降にスクウェア・エニックスから発行された月刊Gファンタジー以降しか、年齢と識字能力の都合で、知らないのであれば間違いなく推しの子が少女漫画だなんて感じないでしょうね。
月刊Gファンタジーは前述したように少女漫画以外の年代誌や性別誌へ対して制作技法や描画技法として広く普及し始め得たタイミング、それを当たり前にしようとした、当たり前にした、当たり前になった辺りの分水嶺と解釈できるんじゃないかな。
------
今度は男性キャラクターの話に移りますが、古い話になって悪いけれど「男性キャラクターを創造するにおいて大事であることが3つある」と、師や担当編集者、当時の編集者に習ったことを伝えます。
それは「少年か大人か」「善か悪か」そして「漢か紳士か」です。
最後の3つ目が当時の少年漫画と少女漫画を区分けする大きな要素で、登場する男性キャラクターに漢が多ければ少年漫画、紳士が多ければ少女漫画になる。これは絶対的な基準ではないのだけれどゼロからキャラクターを作るのに良い指針であると当時は習った。
今では紳士な男性キャラクターで占められている男性向け漫画なんて普通だから使いにくい指針ではあるかな?ただキャラクターを作る際はまだまだ参考に出来る指針ではあると思う。
------
さて続いて、読者の感情移入先という話になるのだけれど、推しの子が少女漫画である場合に主人公が星野アクアであるならば感情移入しにくいのではないか?という疑問が湧きます。
ただそれは、例えばはてなの主要年齢層を推測し、わかりやすい例を出すならば「赤ちゃんと僕」や「っポイ!」で当時の読者が感情移入できなかったのか?と言えばそうではないはずだよね?
「赤ちゃんと僕」や「っポイ!」は前述したように少女漫画以外の年代誌や性別誌へ対して制作技法や描画技法として広く普及し始め得たタイミングで登場した漫画で、まだ1990年代以前の少女漫画の空気感が流れていて、「赤ちゃんと僕」や「っポイ!」に登場する男性キャラクターは紳士が大半となっている。
そういう目線で見ると、推しの子の男性キャラクターは紳士ばかりなのです。
------
さてさて、更に続けて推しの子のキャラクターを見ると面白いことがわかってくる。
SNSなどでリアクションを確認していると、非常に低年齢だと思われるアカウントでは星野ルビーに共感し、高校生前後くらいだと思われるアカウント以上になると有馬かなへ共感を示す傾向がある。
実際に、プリキュア卒業組の女の子に推しの子はウケたと言われ、その子達がアニメイトなどで手にしているグッズを見ると小学生くらいの女の子は星野アイや星野ルビーのグッズを、高校生くらいになると有馬かなやMEMちょ、黒川あかねなどのグッズも手にするようになっているのを見ることができちゃう。
つまり、低年齢組が推しの子の世界を見るときの視界は星野ルビーで、それ以上になると視界が有馬かなやMEMちょ、黒川あかねになる傾向がどうやら少しだけあるようなんだよね。
星野ルビーの視界で見ると大好きなお兄ちゃんと頼りになるお姉さんたちの居る世界、有馬かなの視点で見ると大好きな男の子とその妹や女友達の居る世界、MEMちょの視点で......みたいな感じで様々な推しの子の世界が見えてくるんだ。
------
ではなぜ推しの子の主観のほとんどが星野アクアなのか?と言えば媒体が青年誌だからだ。
でも星野アクアは少女漫画的な紳士である、ここに青年誌と推しの子にミスマッチが起きるのだけれど赤坂アカ先生はこのミスマッチを解消する面白い解決策を使った。
推しのアイドルの子として転生したいというオッサンの汚い欲望みたいなコメントがあったけど、指摘は間違っていないんだ雨宮吾郎がその投影を担っている。しかし星野アクアはそれを担わず紳士として振る舞った。
推しの子の主人公は漢であり紳士、これが最大の面白さであり納得しにくい部分だったんだ。
------
星野アクアとして転生してからずっと紳士として振る舞ったが、最後の最後に星野アクアは漢として振る舞った。
読者は唖然だ「星野アクアは紳士じゃなかったのか?」と。「まさか漢の王道を最後に持ってくるとは」と。そしてこれまでの全てを吹き飛ばして「この漫画誌はりぼんではなくジャンプです!!!」と宣言した。
現代は女の子もジャンプを読むしジャンプには少女漫画風の作品も掲載されるという時代、そこで「ラストにジャンプする」というオチ。
ここがりぼんなら「可愛い女の子主人公の腕の中で」くらいの演出はあるだろうけれど、漢は無様を晒さないのでたった1人でケリを付ける。
ヤングジャンプに掲載された推しの子は雨宮吾郎ではじまり、星野アクアで物語の大部分を進めて、雨宮吾郎で締めることを選んだんだ。
------
これがりぼんならば星野アクアで締めたと思います。そういう意味で推しの子は少女漫画であり少年(青年)漫画でありました。
だからこそ、少女漫画であると評価する古い感性の人が居て、プリキュア卒業組にウケ、男性読者も多数獲得し、少女漫画なわけがないだろうと新しい感性の人が居て、実写化へ新しい感性の女性ファンが詰め寄っているわけです。
・昨日何食べた?(モーニング)
・WORKING(ヤングガンガン)
自分では思わなかったけどネット上だと少女漫画(女の子が主演で頑張る系だから?)だと言われてるもの。
男向けのエロ描写はかなりあるので除外。でもコスプレやかわいいに憧れる女の子はままいるので人気らしい。ToLOVEるみたいなのを好きな女の子層って一定数いるし(自分)、わかるっちゃわかる。
作画がえろ可愛い絵で有名な横槍メンゴ先生。クズの本懐や君は淫らな僕の女王(作画)、レトルトパウチなど、身も心もぐちゃぐちゃな女の子を描いてるイメージだったので除外したが、推しの子ではポップな絵柄に少し変えてるし、青年向けを知らない層からすれば、推しの子は普通に可愛いアイドル漫画にしか見えないのでそれはそう。
少女漫画ってより、サンデーにありそうな、からかい上手の高木さん系、となりの関くん系かと思ったけど、そもそもその2つもThe少年漫画かと言われると微妙。
・ぼっち・ざ・ろっく!(まんがタイムきららMAX)
-----------------------------
アフタヌーン、ガンガンなどの面白ければOKの雑誌達に見事取られてるね。あとは、ネット系だと読者はほぼ半々だから“少女漫画”って銘打つと先入観のある男性読者に避けられるのを阻止するための作戦かな?(ジャンプラは男女が比6:4)
でも今更、少女漫画雑誌で女主人公のバトル漫画をやっても、今の購読者は、これは少女漫画じゃない!ってなるから伸びないだろし、それで作者を跳ね除けたら別雑誌へ行って成功してしまって、新しい作家が生まれない…。の悪循環だろうな。おいたわしや。
だからか、アニメに関しては、プリキュアの次はきらら系か悪役令嬢になるらしいね。知らんけど。(シスターフット、女同士の湿度の高い友情のことらしい。最近知った。)(世界線が違えば少女漫画のガチスポコン漫画を別の意味で楽しむ百合好き男達が居たかもしれない)
-----------------------------
関係あるか微妙だけど、女主人公やダブル主人公(ドラえもんに感情移入できないからのび太を主人公に置くみたいな)の少年漫画増えたよね。
脳噛ネウロ、めだかボックス、約束のネバーランド、あかね噺、アクタージュ、ルリドラゴン。
-----------------------------
ちな、数々の少女漫画雑誌が恋愛しかやってない中で、唯一、花とゆめ(動物のお医者さんなど)がファンタジーを絡ませて(暁のヨナなど)上手いことやっていたんだけど、編集長が変わったかなんかで別冊マーガレット風になってしまったらしい(多聞くんいまどっち!?)。知らんけど。
と思いつつも、薬屋のひとりごとの作者さんを捕まえたらしく、花とゆめで連載中らしいので、悪役令嬢系が流行ってさらに売上が落ち込んでそうだが、長い目で見れば起死回生するのかも。
まあまあ、そもそも、少女漫画は実写化映画化はめちゃくちゃしているので、マクロ的に見れば男に比べて女性は2次元に興味を持つのに見えない壁があるのかもしれない。お金はかなり落とすけどね。
-----------------------------
-----------------------------
蛇足。
バクマンの3話で、中学生の主人公達が「セックス、レイプ、妊娠、中絶。ああ言うのは嫌だよな」「それは少女漫画とかくだらない恋愛小説だろ」って言ってた謎が解けた。
数年前はフォロワー数が200万超えの日本屈指のインフルエンサーだったが、実態としては炎上したネタを自分で改めてまとめて紹介している事が多かった。また最近まではてブのトップエントリーもよくまとめて紹介し直していたっぽいのも公然の秘密(漫画紹介とか)。悪く言うと、フォロワー数が多いだけの再拡散アカウント。ただ、たまにタレコミなどで独自色を出す事もあり、はたまたネットで見かけた適当な特ダネを裏とりもせずまとめることがあった。
そして知っての通り、星野源と新垣結衣の離婚デマで炎上。それも事務所が少し前にの営業利益を27億円→17億円に大幅下方修正したのを「これは所属アーティストの不倫報道の隠蔽工作費の10億円だ」とか決めつけたっぽい。Colaboが10代の女の子に生活費の見積もりを出させたとき、1人の収入が14万円だったのを「これは生活保護の14万円と一致するから生活保護だ」と決めつけた人と同じぐらいのレベルである。
星野と新垣の件はどうも大人の対応をしたアミューズとナシつけて訴えられなかったようだがが、今度はとあるYouTuberが殺人事件の犯人だとかデマを流した挙げ句、あたかもそのYouTuber本人がそう誤解させるような発言をしていたとか言い訳しており、こっちはもしかしたら本人から被害届が出されて刑事事件になっているかもしれない。
本人はツイ廃(ポス廃)というやつなのでX垢を何個も持っており毎日投稿していることを考えたら、もう滝沢ガレソはフェードアウト傾向に入ってるのだろう。フォロワー数が200万人いてもインプレッション収益は微々たるものらしいし、本人もどこか忘れたか確か結構有名な起業に努めているのでお金は動機にはならない。
お疲れ様でした。
紅白歌合戦での楽曲変更について、あまりに浅はかで間抜けで、星野さんにも失礼なことを「義憤として」「良かれと思って」喋っているバカを何人も見て心からげんなりした。本当に星野さんが可哀想だ。
『地獄でなぜ悪い』の件に関する議論というか了解は、まず下記の四つの要素から成っている。
①『地獄でなぜ悪い』の詞は、星野源さんが闘病生活中に感じたことを綴ったものであり、それぞれの孤独と苦境の中で動けないでいる人の肩を優しく抱く連帯の歌である。
②紅白歌合戦は、公共放送を標榜するNHKの、とりわけ注目度の高い看板番組のひとつであり、老若男女に高い知名度を持ち一種の権威であるとされてきた。アーティストのファンが自ら視聴するライブやフェス、民放の音楽番組とは異なる一定の「公共性」を持った場であると多くの人に認知されている。
③『地獄でなぜ悪い』は園子温の映画の主題歌としてオファーを受けて発表されたもので、かつ映画と同名であること。園子温は性加害・ハラスメントの告発を受けており、被害者が自殺しているという経緯があること(さらに言えば同映画には、園の性暴力の共犯とされた俳優も出演している)。
星野源は『ドラえもん』など、主題歌のオファーに対して真摯に対象作品に向き合って楽曲をつくるアーティストのひとりと目されており、同曲にも映画を念頭にした要素(「地獄」という言葉の使い方など)はある。
④タイミングとして、滋賀医大のレイプ事件の逆転無罪判決や、性行為強要があった岸和田市長の不信任決議を受けての議会解散、さらには中居正広とフジテレビのレイプ疑惑など、「男性による性暴力が、市民感覚として正しく罰せられていない」という印象を覚えるニュースが立て続いていた時期だった。
【1】星野源さんの体験をもとにした、切実でかつポジティブなメッセージを含んだ楽曲である『地獄でなぜ悪い』を、ことさらに封印・タブー視する必要はない。ファンが『地獄でなぜ悪い』を愛することに何の問題もない。
【2】ただし、その成立の経緯から「性暴力の加害者を連想させる」という指摘が難癖とは言えないほど隣接しているのは確かだ。
(「星野さんの個人体験をもとにした歌なんだから園子温は関係ないじゃないか!」という反論は無理筋である)
【3】公共放送の権威的な番組で【2】のような要素を含む楽曲を、世論が性加害の報道に敏感になっている時期に放送するのは、「NHKは園子温の性加害を大した問題とは思っていないし、国民の多くもそうだろうと考えている」というメッセージになりかねない。
(「過去に何度もフェスで演奏されてたし、NHKの番組でも流れたのになんで急に怒られなきゃならないの!?」という反論への回答)
この【1】~【3】を、問題視する側もそれに反発する側も取り違えてはいけないと思うし、ほとんどの人はちゃんと腑分けして語れていたと思う。
問題になっているのはあくまで【3】、「今、紅白歌合戦で流すのには、ふさわしくないバックボーンを持つ曲なのではないか」という一点のみだ。
そして、星野さんサイドは昨日、披露する楽曲を『ばらばら』に変更すると発表した。
その数時間前にあまりに醜悪な松本人志の無反省で無神経なインタビュー記事で目を汚してしまっていた私は、あのステートメントの星野さんの(ご本人の、あるいは事務所としての)バランス感覚に心打たれた。
論点になっている各レイヤーに言及し、問題が【3】であることを正しく解説し、「私たちは、あらゆる性加害行為を容認しません。」と結ぶ。そしてもちろん、楽曲を愛するファンへのフォローも忘れない。
変更された楽曲が『ばらばら』なのも良い。
かつて星野さんはこの曲についてインタビューでこう語っていたそうだ。
>みんながばらばらなことを考えながら集団を持続させていくのって、むちゃくちゃめんどくさいんですけど、それが健全なんじゃないかなと思います。ばらばらのままでも「ひとつ」のものを生み出せるだろうっていう、そんな歌だと思います。
今回の件で、撤回しろと怒りの声を上げた人も、それに対して楽曲と星野さんを守ろうと反駁した人も、楽曲変更に安心した人も悲しんだ人も、誰も間違っていたとは言わない。「ばらばらのままで良い」そのままで良いと優しく抱きとめるような選曲だ。
あーあ!直接の加害者でもなんでもない星野さんたちがこんなに「正解」を叩き出して聴く人を安心させてくれたのにさ!松本人志はさ!!!!
……というのはさておくとして。
冒頭に立ち返る。私が憤っているのは、これだけ誠実でバランスの取れた回答を星野さんサイドが出したのに、まだ上記のような論点整理をごちゃごちゃにしたまま、とんだお門違いな文句をぶーこらぶーこら垂れているファンがいることなのだ。
そういう奴は大抵、最近覚えたからよく意味も分からずに「キャンセルカルチャー」という言葉を使う。
「ファンでも被害者当事者でもない第三者のクレームで楽曲が踏みにじられて悔しい」とか「歌いたい曲も歌えない源さん可哀想」とか言うんだ。挙句には、「『ばらばら』の選曲は最高の皮肉だ!『クレーマーとは分かり合えないし分かり合う必要もない』という決別の表明だ!」みたいなこと言ってはしゃいでる奴まで。
害悪だよ。気持ち悪い。こんな奴らが「私たちが源さんを一番心配してるし一番気持ちが分かってる!」と息巻いて、批判者への人格攻撃を繰り返す。
お願いだ。もう喋らないでくれ。SNSアプリをぜんぶ削除しろ。
楽曲変更の前に「星野さんはNHKから頼まれたから歌うだけなのに叩かれて可哀想!」みたいなことを言ってる奴もいたな?お前らもだよ。
何か?星野源はNHKから「あの歌うたってくださいよ~」とオファーされたら、自分の頭で何か考えることもなく「は~いうたいま~す」と脊髄反射で答え、歌うなと言われたら「は~いうたいませ~ん」とこれまた脳みそを経由せずに答えるような、思考能力も責任能力もない無自我のデクの坊の昆虫だとでも思ってるのか?
星野源は「こういう経緯でつくられた曲だから、性被害者への二次加害になりかねないよ」と言われて、「うるせえな!俺の芸術に文句をつける愚民どもがよ!」と開き直って批判者たちに背を向けて嘲笑するために紅白で歌うような傲慢で性格の悪いカスだと思ってるのか?
いくら自分が傲慢で性格が悪くて無能のデクの坊だからって、それを星野さんに投影するのは失礼だよ。
あの選曲に悪意や皮肉が込められてるって言う奴は、「飯を食い糞をしてきれいごとも言うよ」「嘘で何が悪いか ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ」という星野さんの歌を聴いたことがあるのか???
マジでいい加減にしてくれ。せめて星野さんが可哀想なんて言わずに「俺は心が狭くて想像力がないから『地獄でなぜ悪い』を紅白で歌われて傷ついたり不快に思う奴の気持ちなんて分からん!そんな奴は俺の敵だから死ね!」と正直に言ってくれ。正義ヅラすんな善人ヅラすんな。私は星野源じゃないからお前らと共存なんかしたくない。
「増田は星野アクアさまというタイトルの童話を知っているかな?」
むかしむかし、ある国に星野アクアという聡明で勇敢な若者がいました。彼の妹、星野ルビー、そして彼の母、星野アイと共に、アクアは平和な日々を過ごしていました。しかし、ある日、国を脅かす大きな危機が訪れたのです。
悪の魔女が国中の光を奪い去り、人々は深い暗闇に包まれてしまいました。星野アクアは、妹と母を守るため、そして国中の人々を救うため、魔女を打ち破る決意をしました。星野アイは、優しさと愛情でアクアを支え、星野ルビーは、光る宝石のような希望を胸に、兄と共に旅に出ます。
道中、彼らは数々の障害に直面しましたが、家族の絆と互いを信じる気持ちで乗り越えていきました。ついに、3人は魔女のいる城にたどり着き、力を合わせて魔女を倒すことに成功しました。国には再び光が戻り、人々は平和に暮らせるようになりました。
この物語の教訓は、「どんなに暗い時でも、愛と信頼があれば光を取り戻せる」ということです。ℋ𝒶𝓅𝓅𝓎 ℰ𝓃𝒹.
推しの子は単行本派だったけどあまりにもTwitterがザワついていたため耐えきれずWebとアプリで最終話まで読んだ。読んだらもっと耐えきれなくなったので初めてはてブを書いている。匿名で……。
・打ち切りエンドすぎる
・真犯人がニノだったら「アイドル」と小説の意味も違ってくるぞ!と思ってたけど結局カミキだった。ぽっと出のニノが黒幕よりは良かったけども。
・これだから自らの命を蔑ろにする奴はダメなんだ。結局その瞬間の甘美な自己犠牲(笑)に酔って後先考えていないだけ。命を有効活用するにも無駄遣いすぎる。アクアはもっと上手くやれたはずだし、先手で不意打ちなんだからこちらがコストを払う必要はないはず。自分の命を勘定に入れるのは最終手段にしようや……。もうお前だけの命じゃないんやぞ
・ルビーと有馬かなとあかねがあまりにも可哀想すぎる。全員で草。有馬かな、正ヒロイン競争では勝ったけどそもそも「恋愛」というものの価値が意味をなさなくなったから相対的に負けた。ルビーの人生に負けたんだ。
・ハーレムものの主人公が全員からの好意を一定に保ったまま誰からも恨まれることなく死んだから地獄。大切な人を失った女の子が3人生まれました、あーあ。
・アイは生まれもった「愛情」の欠如から来る闇を「嘘」で覆い隠してアイドルをやっていたけど、ルビーは元から素直だし、現世では愛も受けてるし、アイのことも世間に公表して復讐も終わったからこのままだとただの素直なアイドルになってしまう。「私は今日も嘘をつき続ける(=それが魅力)」をやるために、「最愛の人を喪った悲しみを表に出さない」という闇?を抱えさせられた?の?だろうか?と解釈して納得したけどいらね〜!!!!大団円バースの別ルートを見せてください。
・てか自分から死んどいて死ぬ瞬間は「苦しい、後悔、生きたい」とか思うの本当に勘弁してほしい。これだから自殺は(自殺のアンチ)。馬鹿馬鹿馬鹿アーホ!ドージ!マヌケ!大切な女の子待たせてんじゃねえぞ!せめて自分から死ぬなら苦しまないでほしい。アヘ顔ダブルピースのまま「うれし〜〜〜!きもち〜〜〜!ありがとうございました!」つって死ねる奴以外は死ぬなよナメてんのかカスがよ死ね
・ツクヨミ何?
・「同じ轍を踏むわけねえだろ!」まではいい感じだったのにな〜〜〜〜😭😭😭😭
ここも黒川あかねはCIAではありませんが……?にはなったけど。自ら望んだとはいえそんな危険な役回りをやるなやらせるな
・最終話周辺の2-3話、コマだけの無言カットが多くてどこまでが赤坂アカ先生がディレクションしたのか気になる。メンゴ先生の負担デカくないか?
・えーーん、バッドエンド嫌だ……って思って読み進めてたけど、その割に最終話はあっさりしてるしまるで打ち切りすぎるよ。人気も時間も予算もあったと思うんだけどな……。
・有馬の死体ビンタ、ネットではめちゃめちゃ叩かれてたけど思ったより気にならなかった。直後のミヤコさんビンタで相殺されてるし、その後の台詞と文脈聞いたら泣くしかないでしょこっちも。むしろよく発狂しなかったまである。
・星野アクア死んだって聞いて可哀想だと思ってたけど自殺すぎて許せなくなってきた。
・「ママとお兄ちゃんが照らしてくれた、未来を!」じゃないよほんとにこれでこの漫画終わったんか???自分でも言ってたじゃないかアイドルの寿命は短いって。「どうしようもないほど楽しいお仕事!」が終わったときにルビーちゃんも自殺しちゃいそうで怖いよ。みんな病んでる。何!?別にタイトル回収というわけでもテーマに沿ったわけでもないからこのエンドにした目的がわからなくて怖い。逆にルビーに因果が集まりすぎてて、天童寺さりなの命にはそれほどの価値があったのか?(疑問)になってしまっている。
両親を失った命の重みに耐えられなくて闇堕ちしたカミキに対して、様々な人の命の重みを背負って嘘をつきながらアイドルをやってる星野ルビーの善性と強さをもって勝利としたのか?
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
---
[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……
https://anond.hatelabo.jp/20241023001913
ツリーを見てみると週刊チャンピオンやあろうことか少女漫画を一緒くたでまとめ切った方もいらしてすごいなと思いつつ、自分が愛読している雑誌で自分の手でどうにか出来そうなのはどこかな?と考えた末に選んだのはこの雑誌でした。
自分が読んだ時の実感と漫画史においての位置とこの雑誌の不遇というか地味というか中途半端なところを捉えつつ僭越ながら書かせていただきます。
この雑誌の創刊から連載されているレジェンド。中居正広がごきげんようでSMAP内での格差をボヤいてすぐに企画されたテレビドラマでも知られている、あともう少しで40年というロングセラー。
初っ端で辻調服部に喧嘩を売ったり最近ではマナー講師を血祭りにしたりするが普段は素朴な和食職人物で『江戸前の旬』をはじめ青年誌に多数のフォロワーが。
ストーリーテリングが下手なので先輩後輩が突然消えたりするがそれも意外と飲食店あるあるなので気にならないという奇跡。最近再遊記の久部さんが合流したのでもう少し話が落ち着きそう。
ヤングサンデーで武田鉄矢と組んで坂本龍馬を描き切り名実ともに小学館巨匠漫画家のひとりへ。『おーい龍馬』のときでもたまに見せる残虐シーンの迫力にただものではない雰囲気を出していたがスペリオールへ移籍した今作でリミッターが脱落。
英雄とされた数々の武将たちやその配下の忍者、刺客その他が凄腕のスナイパーである無垢な美少女あずみの手によってどんどん殺される。味方もモブも平等に斬られて命を落とす。そしてちゃんと血みどろに表現する。
そしてこのあずみという美少女、無垢という設定の元よく全裸になる。修行の滝行で全裸。お風呂で全裸。戦って切り刻まれて半裸。よく本番やらなかったな。作者の好みがそっちじゃなくて良かったな。(当時実写主演が決まってた上戸彩に過大な期待と心配があったという)
実写化も落ち着き人気が下火になったなと思ったら話をまとまらないまま終了。突然題名が『AZUMI』舞台が幕末となる。というよりは舞台は前作『おーい龍馬』の世界に入りあずみはついに…(これは読んでくれ)
小山ゆう恐るべし。今ビッグコミックで描いているけど大丈夫かな……。
天才原田の「イエース!!」が話題になりついにこの作品がこの雑誌の看板まで登り詰めた。だって最初の頃このマンガで一番目立ってたキャラクターは藤本くんでも佐倉さんでもあの芹沢達也でもなく「ラーメン王石神秀幸」だったんだから。化けたよホント。
オーソドックスな主役藤本くんの成長譚だった発見伝の次に「誰も共感できない天才」ゆとりちゃんを主役に据え上司芹沢の苦労を引き出しラスボス芹沢とは違った側面を引き出したのも憎い。『銀平飯科帳』(たまには新作書いてください)を挟んで再び出てきたときには芹沢達也というキャラクターが完成していた。その間に脇のキャラクター造形が一段と深みを増し(永友とか坪内とかよく考えついたな。モデルが誰だろう…)現在にいたる。
麺一郎・汁二郎・具三郎のあとどういう風に物語を作っていくのか、ちょっと目が離せない。
トリリオンゲームと迷ったが池上遼一の「ストレート」を分かっていないと「魔球」が分からないということでこの作品を。
ヤクザと政治家という表裏のサクセスストーリーを同時進行に描き10巻という巻数でまとめ上げた手腕が見事。
マイケル・クライトン原案の『ER緊急救命室』がブームとなり医療もののドラマやマンガが作られたが程よいエンタメ性とキャラクター造形の上手さで最大の影響を与えた作品。2006年の実写化ドラマ化からフォロワー作が目白押しとなる『コードブルー』から『ドクターX』に至るまで医龍が無ければ存在し得なかったと言っても過言ではない。
もともと他の小学館の青年誌に比べて年齢層がなかなかはっきりせず漫画家が集まりづらかった。転機はヤングサンデー休刊によって作家がここまで辿り着いたことだと思われる。
今回選べなかった作品は以下の通り
岡崎さんの話より自分語りの方がやりたそうな感じがずっとあったが、本当に岡崎さんと仲が良かったのかねえ?
きれいなサイバラ。まあ少しずつキレイなままでいられないところがチラホラ。
汚いサイバラ。画力勝負は羽海野先生を担ぎ出したのが最大の功績。高須のアレはもうすでにギャグですらならなくなった。クマでごまかしているが細かく見るとさあ。
哲也の頃から星野先生の眼がたまらない。ヤバい人の描き方いつもすごいよなあ。森高先生はグダるクセどうにかして下さい。
星里もちるがギアに入ったのがスペリオール時代。特に『本気のしるし』は凄かった。凄かったけど選びたくない。あとこころ掴まれたのは『夢かも…』の方。
すごい作品ですよ。よくこんなの描けるなと。これからどう評価されるかちょっと分からないけど、選びたくない。そういう作品なので覚悟を。
モーニング、ヤンサン、スピリッツで傑作をものにしながらここは合わなかった。
最悪の想像をしながらコタロー中心にコミュニティができてくるし現実の苦さが時々感じるのもいい。結末もベストじゃないけどそれしかないのかあという納得も。
書いていたはずなのに抜けてて顔面蒼白に。とはいえギリギリ次点なのは吾郎と理代子の性的な強さについて行けなかったのと第二部になってから長官になり責任に押し潰されつつある吾郎のキャラに違和感を感じて。
サンダーボルトもすごい作品だしムーンライトマイルで培った描写力が生かされて思わずため息が出るのだがこれはファーストガンダムありきなんだよなあと。
芥川・直木同時候補はさすがに冷ややかになる。曽田正人や細野不二彦ならある程度カタチを見せるけど『龍と苺』もそうだがサンプルの出し方が下手。
身体のことは多分どのサッカーマンガより知識量が多い。だからプロ選手からの支持が大きいんだろうな。下部リーグにしては上手すぎるのはご愛嬌か。
これはこれから。『覚悟』や『シグルイ』とは別の話の流れが見えるのが頼もしい。
佐村河内サイドからもう一度盗作事件を掘り起こすつもりだったのに聴覚障害について触れていくうちにいろいろ見えてくることに。それでも佐村河内夫妻はひどいけど。
(追記)
こんな文章が、思ったよりもバズってびっくりしたので、ツイッターで「フレンチ自作沼(アカウント名は@French_jisaku)」というアカウントを作成しました。
フレンチ自作界隈の人がいたらフォローしてもらえると嬉しいです。
おおよそ素晴らしいことが書いてあるけど③だけ解像度が低い気が…というのも、料理というのは基本的には科学と同じで味に再現性を持たせる必要があり、そのためには分量を正しく理解し守る必要がある(この分量の正確さをレシピなしでも把握できているのがプロ)。その上で、③では"短時間だとミスった時のリカバリができず"とあるけど、正確な分量を計って料理をすれば大きな失敗はなく連鎖的に料理が崩壊することはまずあり得ない。短時間の作業でのミスとして、例えばイタリアンならカルボナーラの卵に火を通し過ぎる等の失敗はあるかもしれないが、少なくともそれで全体が大きく崩れることはない。
”崩壊”という表現は強かったな、というのと、単に私がインド料理や中華料理にそこまで沼ってないからかもしれません。
これを書いた時に脳裏にあったのはスパイスのテンパリングでした。スパイスのテンパリングは、スパイスごとの香気成分抽出温度がすごいシビアかつ、そこをのがすと苦い種になってしまうという実感があったので、テトリスに近いな、という印象を持っていました。
イタリアンのパスタの場合も、フレンチに比べると複数行程同時並行かつ短時間で仕上げるので、ルポゼの間にソースを仕上げればOKのフレンチよりはシビアな印象がありますね。
お客さんに作り方聞かれても説明できないよ
フレンチを作り始めればわりと用語は覚えるかな、と思ってます。なぜなら私がそうだったからです。
動画を見て、レシピ本を見て、実際につくっていくうちにミジョテとかシノワ、パッセ、タミゼ、クラリフェ、リソレ、アセゾネとかその辺の頻繁に出てくる用語は自然に覚えるんじゃないかなと思っています。
なので、これを読んだ人はあまり気にせずにフレンチを作るところから始めてもらえると嬉しいです。
別に店に行ってシェフに話しかける必要だってないです。多分作ってると店にはいきたくなるとは思いますが。
日本の一般大衆にレストランのフランス料理を作ることなんて勧めるもんじゃない
勧めるなら家庭料理
一生ものの沼としてのフレンチを紹介したかったので、家庭料理を入り口にするアプローチはやめました。
まず家庭料理だと、プロの味を食べて自作との差分を楽しむことができないのが一つ。
あと、ミクニさんのレシピもそうですが、基本的には短手番なレシピが多いので、時間が溶けていくような趣味にはならないかな、という理由もあります。
あと、誤解なきようにお伝えしておきますが、自作をどこまで極めてもプロを超えることはないです。
理由は三点あって、
①そもそも調理技術で絶対にかなわない:せいぜい二か月に一回作る素人と、365日作っているプロではまったく比較にならない技術差があります。
②フォンやソースは大ロットで作ったほうが美味しい:ソースやフォンの味と仕込む量は比例するため、一回に10L仕込むプロと、せいぜい1Lしか仕込めない素人では味に差が出ます。
③入手可能な食材品質に差がある:プロが扱う品質の食材を一般人が入手することは極めて困難です。例えばジビエ。プロは契約した猟師さんから送ってもらえますが、素人は楽天で買うしかありません。魚もピンのもの(例:分厚いアマダイ)は素人向けには販売していません。
ただ、あくまで趣味なので、プロの味を超えられなくても、何ら問題ないと思っています。
藤井くんに勝てると思ってやっている将棋沼の住民はいないでしょうし、ツールドフランスに出場できるとおもっているロードバイク沼の住民もいないでしょう。
(本文)
https://anond.hatelabo.jp/20240925202106
元記事はこれ。この増田、ならびにこれを読んで高い飯を食ってみたいなーとおもった人に、全力でフレンチを薦めたい。
それも、ただお店に食べに行くのではなくて、
という楽しみ方を紹介したい。
・この楽しみ方はある程度の自炊スキルがあることが前提となる。
・具体的には、包丁を多少扱うことができて、強火と弱火の違いが判る、大さじや小さじの意味が分かる程度には自炊ができる人向けのエントリである。
・お店で出てくるような、ある程度本格的かつ王道なレシピのほうがよい。
・具体的には牛肉+ソースボルドー(赤ワインのソース)とか、真鯛+ソースヴァンブラン(白ワインのソース)くらいから始めるとよい。
・あまりシンプルなレシピすぎると②の楽しみ方ができないため、「簡単!おうちビストロメシ!」みたいなのは避けた方がいい。
・具体的には以下の二つのYoutubeチャンネルを見ることから始めるとよい
George ジョージ https://www.youtube.com/channel/UCP2gnyy_-ToZeIDw6qeI6HA
Bocuse at Home by シェフ星野晃彦 https://www.youtube.com/@bocuseathomebyteruhikohoshino
・複雑な料理も避けた方がいい。具体的にはパイ包みやパテ系の死ぬほど複雑で構築的なメニューは、最初は避けた方がいい。100%失敗するのと、複雑すぎてどこが失敗したのかが切り分けできないので。
・①で自分の作ったメニューと同じものを実際に食べに行こう。①の答え合わせの感覚だ。
・いきなりロブションとかのハイエンドなグランメゾンに突っ込むのではなく、ランチで5000円程度の店に行くのが無難。
・なぜならば、この段階ではフレンチへの解像度が低すぎるため、グランメゾンのフレンチを食っても、値段相応のよさがわからないから。
・実際にプロの作ったものを食べるといろいろな気づきがある。なぜなら自分で作ったことがあるので、解像度が段違いになっているから。
・ほとんどのケースでは、プロが作ったもののほうが圧倒的にうまい。なぜか考えるのがこのパートの楽しみ方だ。
・例えば真鯛のポワレ、ソースヴァンブラン(白ワインのソース)を食べたとする。「自分でやると身がぱさぱさになっちゃったな……。火入れの仕方の違いなのか、鯛のポテンシャルの違いなのか、何が違うんだろう。鯛を見た感じ、身の分厚さは変わらないから火入れの仕方が違うのかもしれない。ソースもとっても香りが豊かだな、なんかハーブを入れているのかな……。ソースにはかなり酸味をつけているな、自分でやるときもこれくらい酸味をつけてみるか……。」みたいなことを考えながら食うと、漫然と食べているよりも圧倒的に美味しく感じる。
・厨房が激しく忙しいとき以外は、「とっても美味しかったです。もし可能なら、シェフに話を聞きたいんですが……」といえばだいたいシェフに話を聞ける。
・自分が美味しいと感じたポイントと、どうやってそれを実現しているのかをシェフに尋ねてみよう。③で自分で分析した内容の答え合わせをするのだ。
・鯛はどう火入れしているんですか?(フライパンだけ?フライパン+オーブン?)とか、聞きたいことは山のように出てくるはず。
上記①~④を繰り返す。最初は比較的難易度の低い料理から始めて、だんだんと複雑な料理にステップアップしていく。
多分二年くらいやってから、いわゆるグランメゾンにいくと、その高度な技術と美味しさ、芸術的なまでのアイデア力に感動するはず。
この項目では、なぜカレーでも中華でもイタリアンでもなく、フレンチをオススメするのかを説明したい。
・上にはったYoutubeチャンネルを見てもらえばわかると思うが、ソースから自分で仕立てるとなると、平気で二日三日かかる。
・段取りの設計→材料の調達→下ごしらえ(ソースベースの作成、肉のマリネなど)→仕上げ(火入れ、付け合わせの作成)で、週末まるまるつぶせたりする。
・しかも待ち時間もそれなりに長い(ソースベースの作成時など)ので、ネトフリも捗る。
・フレンチはそもそも、エスコフィエとかいうオッサンが100年以上前にフレンチの技術やレシピを体系化し、公開したことで爆発的に広まった料理(いまでいうオープンソース化)。なので、他のジャンルに比べると圧倒的に体系化されていて学びやすい。
・また、日本はフレンチ大国なので、日本語のソースも非常に多い。大型書店で、料理コーナーにいくと、和食の次くらいにフレンチの料理本が充実していると思う。
・他ジャンルに比べると、中級者に進むときの勉強のしやすさが段違いである。例えばカレーや中華にハマるオッサンは多いと思うが、この二つのジャンルは食文化のゆたかさのわりには日本でアクセス可能な学習ソースがきわめて少ない。初級レベルでは問題にならないのだが、深めようとしたときには、日本語文献の乏しさに加えて、そもそも体系化されていないので、学習難易度が跳ね上がる。
・作るときの深めやすさに加えて、食べるときの深めやすさも段違いである。フレンチをやる人は大体みんな調理学校で基本的な調理技術を身に着け、それなりのレストランで就労しているから、安価なお店でも高価な店でもベースとなる技術は同じ場合が多い。
・例えば鮨の場合は、2000円の回転ずしと二万円の鮨では全然別の技術が用いられている。根本的に握り手のキャリアルートが違うからである。2000円の回転寿司はバイトがロボットを操作して握るし、二万円の鮨は専門的な店で修行を積んだ職人が握るのである。一方でフレンチの場合は二万円の店で働いていた人が独立してビストロやって2000円のランチをだしていることは余裕でありうる。
・だが、他ジャンルに比べると美味しい味を作りやすいと感じる。
・これはA.多数の工程を時間をかけて積み重ねていくという調理プロセスと、結果として、B.足し算の料理である、ということに起因する。
A.多数の工程を順に組み合わせていくという調理プロセス:例えば中華(特に四川系)やインド料理、イタリアンは多数の工程を短時間で重ねていくことがおおい。短時間だとミスった時のリカバリができず、連鎖的に料理が崩壊していくことになる。ゲームとしてはテトリスとかぷよぷよにちかい。一方でフレンチの場合は一個一個の作業を丁寧にこなしていけばそれっぽいものができあがる。こっちはマインクラフトっぽい。
B.足し算の料理:フレンチは味の要素が多い。肉のうま味や、ワインの酸味、甘味、バターの脂質やハーブの香りを積み重ねていく料理である。そうすると必然的に美味しさのストライクゾーンは広くなる。食材の持つうま味も苦味も臭みも、すべて一皿に詰め込むのがフレンチの基本思想である。これが和食だとどうか。和食は徹底して引き算の料理である。食材の持つ性質のうち、客に見せたい部分以外をすべて除去し(野菜をゆでこぼすのとかね)、組み合わせるのが基本思想である。味の要素が少ない分、ピントを合わせるのも非常に難しくなる。引き算に失敗したり(例えばえぐみが出るとか)、そもそも見せたい部分を間違えてました、とかね。
・調理学校のカリキュラムとかを見てもらうとわかるけど、大体西洋料理と和食に分かれていて、西洋料理の技術のベースはフレンチである。
・フレンチを一通りやると、肉や魚の火入れも格段に上手になる。小麦粉を使ったルーが使いこなせればシチューやカレーも簡単に作れるようになる。ソースオランデーズが作れればカルボナーラはお手の物だ。
・スタートキット編の楽しみ方を一年くらい続けていると、一通りのものは作れるようになっているはず。
・具体的には、肉の火入れは肉を触ればわかるようになるし、魚も皮をパリッと焼くのはお手の物、くらいにはなっているはず。なんとなく手癖でソースボルドレーズとかソースヴァンブランくらいは作れるようになっていると思われる。
・そこから先にステップアップするなら、プロ(の中でもレジェンドシェフ)の書いている本を読むのが一番よい。
・レジェンドシェフの料理本を読む→作る→お金をためてレジェンドシェフの店に行く→もう一回作る、を繰り返せば無限に時間が溶けていく。
・基本的には近所の大型図書館(住んでる自治体の旗艦図書館)にいって、フレンチ料理本コーナーで厳つい雰囲気を出している奴を手に取ればOK。
・僕のバイブル
・アランシャペルの下で長年働いていたこれまた有名なシェフ。シェフの間でも当初をバイブルに挙げる人は多い。
・辞書的に使うのもよい。また、一個一個ソースを作ってクリアしていくだけでも楽しい。
みんなもフレンチ、作ってみような。