はてなキーワード: クリエイターとは
MagMixによると、今年初めに日本の経済産業省(METI)が公表した資料に基づけば、2024年に国内エンターテインメント産業が受け取った補助金は67.7億円、約4,250万ドルだった。
しかし、その総額の54.9%は実写産業に向けられており、アニメは12.6%、ゲームは10.7%にとどまっていた。これは大きな偏りがあることを示している。
それだけではない。アニメ産業の内訳を見ると、補助金の主な使途はプロモーション、ローカライズ、流通であり、実際の制作者に渡った割合は0.0%だった。つまり、アニメ制作の現場スタッフに直接行き渡る政府支援は、ほとんど存在しなかったということだ。
ここで見た限りでは、経済産業省(METI)はこの不均衡を認識しており、クリエイターが恩恵を受けられるように制度を変更したいと考えているようだ。
ただ、問題に見えるのは、これは経産省の変更が意味を持つためには、業界全体に何らかの法的な大改修が必要なタイプの話だということだ。業界の構造を理解せず、言い方や制度設計を間違えると、企業が遠回しな形でそのお金を懐に入れるだけになり、簡単に裏目に出る可能性がある。
実写が他と比べてこれほど多くのお金を受け取っていることには驚いた。もっと早い段階で、誰もそれをおかしいと思わなかったのだろうか?
①日本国外の人々は、日本で実写映画側がどれほど大きな力を持っているのか、またアニメやゲームがどれほど見下されているのかを、あまり理解していないと思う。
皮肉なことに、最も多くの収益を生み出しているのはアニメやゲームだ。それにもかかわらず、それらにもっと資金を向けようとする動きがあるたびに、「多様性の重要性」や「業界全体を底上げする必要性」といった議論が持ち出され、オタク文化にお金が流れるのを阻止するために使われる。
誰もこの状況をおかしいと思わない。なぜなら、アニメや漫画業界の人々、つまり「最下層の趣味」と見なされている分野の人々は、自分たちの「身分」に見合った扱いを受けているだけだと見なされているからだ。
②それにも十分な理由はある。日本の実写作品は長い間、非常に高く評価されてきたし、実写側の業界ははるかに長い歴史を持ち、制度的にも確立されているからだ。
一方でアニメは、実際に大きく伸びたのはここ数十年のことであり、文化的な存在感や収益性という点では、明らかに新参者の側だ。
③つまり彼らは、実際にはそれほど大きな収益を生まない、アート系映画祭での評価のような評判を気にしているということですね。
『鬼滅の刃』は今ではおよそ10億ドルほど稼いでいて、非ハリウッド映画として初めて年間世界興行収入1位になった作品ですが、その数字にその売上は含まれているのでしょうか? 日本国内のチケット売上では、日本がこれまで作ったどの作品よりも上回っています。
まあ、アニメは成功しすぎていて補助金を受ける必要がない、と言うこともできるかもしれません。ただ、実写映画側の人たちは「支援が必要な業界」というレッテルを貼られたくはないでしょうね(笑)
BL(ボーイズラブ)文化は、男性同士の恋愛・性愛を描くフィクションを中心に発展してきた。しかし、その消費構造が実在のゲイ・バイセクシュアル男性を素材として搾取しているのではないかという批判は、当事者コミュニティから繰り返し提起されてきた。
具体的には以下の論点がある。
これらの主張には一定の妥当性がある。しかし、「フィクションだから無関係」という論理は、RPSや実在コミュニティへの侵入行為には適用できない。また、「理解の入口になった」という功利的正当化は、当事者が現に被る不快や搾取を帳消しにする根拠としては不十分である。
より深刻なのは、この問題が指摘されたとき、腐女子コミュニティの一部が「ホモフォビアと戦ってきたのは我々だ」という自己正当化に走り、当事者の批判を封殺する力学が働くことである。マジョリティ(異性愛女性)がマイノリティ(ゲイ男性)の表象を占有し、かつその批判に対して「我々こそ味方だ」と主張する構造は、植民地主義的な知の収奪と相似形をなしている。
『イナズマイレブン』(主要キャラクターは中学生)、『忍たま乱太郎』(忍術学園の生徒は10歳前後の設定)など、明確に未成年と設定されたキャラクターのR-18 BL二次創作は、pixiv・同人誌即売会・SNSなどで大量に流通している。
| 論点 | 現行法の状況 |
| 著作権侵害 | 二次創作は原著作物の翻案権・同一性保持権を侵害しうる。権利者が黙認しているに過ぎず、合法ではない。いわゆる「グレーゾーン」は法的に保護された領域ではなく、権利者の好意に依存した状態である。 |
| 児童ポルノ該当性 | 日本の「児童買春・児童ポルノ禁止法」は実在の児童を対象としており、創作物(絵・小説)は現行法上は児童ポルノに該当しない。ただし、国際的にはフィクションも規制対象とする国がある(豪州、カナダ等)。 |
| わいせつ物該当性 | 刑法175条のわいせつ物頒布罪の適用可能性は理論上残るが、同人誌に対する摘発例はほぼない。 |
法律上「違法ではない」としても、10歳や13歳に設定されたキャラクターの性行為を詳細に描写し、それを大量に流通させる行為が倫理的に問題ないと言えるかは別の問いである。
腐女子コミュニティ内では「キャラクターは絵であり実在しない」「被害者がいない」という論理で正当化されることが多いが、この論理は男性向けの「ロリコンもの」に対しても同様に適用されなければ一貫しない。にもかかわらず、後述するように、男性向けの未成年キャラクター性的表現には激しく反対しつつ、自陣営の同種の表現には寛容であるというダブルスタンダードが指摘されている。
一部の権利者はガイドラインで性的二次創作を明示的に禁止している。しかし多くの場合、個別の対応コストや炎上リスクを恐れて黙認しているに過ぎない。この黙認を「許可」と読み替える文化的慣習は、権利者に本来不要な負担を強いている。
近年、英語圏の社会正義運動(いわゆる「Woke」)の言説——特にジェンダー論、ポストコロニアル批評、インターセクショナリティなど——が、日本のSNS上で選択的に翻訳・引用され、特定の表現を攻撃するための武器として使用される事例が増加している。
Woke言説そのものが問題なのではない。ジェンダー論やポストコロニアル批評は学術的に重要な知的伝統である。問題は、それらの理論が本来持つ複雑さや内部批判を捨象し、自陣営に都合の良い部分だけを切り出して「正義の棍棒」として使用する態度にある。
これは理論の誠実な適用ではなく、権威の借用による言論封殺である。そして、この手法が最も頻繁に向かう先が、男性向けのオタクコンテンツである。
「マシュマロ」「Peing」などの匿名メッセージサービスを利用した攻撃的メッセージ(通称「毒マロ」)は、腐女子コミュニティにおいて深刻な問題となっている。内容は以下のようなものである。
毒マロや晒し(SNS上で特定の作者・作品を名指しで批判すること)の結果、創作者がアカウントを削除し作品を非公開にする「筆折り」は日常的に発生している。これはコミュニティ内部の表現弾圧に他ならない。
特に注目すべきは、加害者もまた女性であり、被害者もまた女性であるという点である。「女性が女性を潰す」構造は、フェミニズムの言説では説明しにくいため、しばしば不可視化される。
腐女子コミュニティでは、特定の行動規範(「検索避け」「鍵垢での運用」「R-18はワンクッション」等)について定期的に激しい議論が発生し、「学級会」と呼ばれる。これ自体はコミュニティの自治として機能しうるが、しばしば規範の押し付けと逸脱者への制裁に変質する。
腐女子コミュニティの一部には、以下のような暗黙の序列意識が存在するとの指摘がある。
この序列は、「BLは高尚なフィクションだが、夢小説や男女の恋愛は自己投影で低俗」という偏見に基づく。
ここに深刻な矛盾がある。腐女子コミュニティの一部は、自らの表現が社会から偏見を受けてきた歴史を語りつつ、同じ女性向け創作者コミュニティ内で別のジャンルを蔑視・攻撃している。被抑圧者が別の被抑圧者を踏みつける構造であり、「連帯」の理念とは正反対の実態である。
近年、以下のような事例が繰り返し報告されている。
これらの運動に共通するのは、主観的な不快感(「お気持ち」)を客観的な権利侵害であるかのように主張する論法である。「私が不快に思う」→「それは社会的に有害である」→「規制されるべきだ」という三段跳びは、法的な権利論としては成立しない。
しかし、SNS上の炎上は企業にとって実害をもたらすため、法的根拠がなくとも事実上の表現制限として機能している。これは私的検閲(private censorship)の問題である。
最も深刻な問題は、男性向けの性的表現を攻撃する主体が、自らは第2章で述べたような未成年キャラクターのR-18 BLを消費している場合があるという点である。
その2 前の続き
主人公の下呂くんは女性に免疫のない「毒使い」。行動を共にする結婚アドバイザーの城崎は、見た目は美女だが実は男性という。
特殊能力を持った殺し屋と闘いながら、様々な女性と出逢う展開ってところか。
登場人物の名前は、他にも姫川や嬉野など温泉地の名前にちなんでいるのが特徴的。
アクションシーンもよく動いて凄いと感じるけれど、私としてはバトル以外のシーンの方が好き。
メシアニメは私の好物です。メイドさんもかわいいし、食べ物も美味しそう。
コンビニおにぎり、ナナチキ(セブンイレブンジャパン)、信玄餅(桔梗屋)、たまごボーロ(大阪前田製菓)、サトウのごはん(サトウ食品)、ポカリスエット(大塚製薬)、築地さとうビーフカレー(吉祥寺さとう)、おいしい牛乳(明治)、はちみつ&れもん(加藤美蜂園本舗)、いちごチョコクリーム(マリオンクレープ)など、実在する製品が多数登場。コンビニもセブンイレブンがそのまま描かれている。
食べ物以外にも豆知識が紹介されたり、「鍵をきちんとかけたか気になって確認したくなる」「鯛焼き、頭から食べるかお尻から食べるか問題」など、日常の「あるある」を挟むのもポイント。
おいしそうだし、かわいいし、勉強になるし、ずっと見てられる。
担任の先生は可愛い顔でグラマーだけど、学校中では「怖い先生」と噂されている。
でもそれは単なるコミュ症なだけで、実は声もひょろひょろで体力もない、よわよわ先生だった。
ラッキースケベ系ですね。あと皆んな体の大きさに比べて顔が小さい。
これ、15分でいいかなー。
首を切ることで前世の力を引き出し、前世の偉人の才能を得た者たちが戦うバトルアクション。
主人公は天下の大泥棒・石川五右衛門の才能を持ち、他者の才能まで盗み出すことができる。
「全ての才能を盗み出し、歴史を総括するほどの人物になってやろう」と思っているが、根は優しい人。
人によっては「ドッペルゲンガーは恋をする」というタイトルで知られているかも。
舞台は静岡市。パーマンのコピーロボットのように、能力で生まれた自分のレプリカが学校へ通う物語。
レプリカが過ごす青春や恋、そしてそれを通して本体側が変化していく様が描かれている。
5話でタイトル回収、一旦終わりといった感じ。
〜これはいじっぱりな二人が、「愛してるゲーム」に翻弄される物語である〜
幼なじみ同士で、「愛してる」って言って照れさせた方が負けというゲームを続けている、恋愛頭脳戦。
幼少の頃は単なる「からかい」だったようだが、互いを意識するようになってからは、この関係を繋ぎ止めるためのゲームになっているようにも感じる。
サンデーならではの、「魔法使いが長生きしすぎるやつ」「勇者の声マジイケボだよね」「あの世界の住人銅像たてすぎじゃない?」といった小ネタがあったり。
3年ぶりの2期。
異世界転移した先で万能農具を片手に農業生活をしていたら、様々な種族が移住してきて、村ができて村長になっちゃいました。さらに子供も出来ちゃった。
鉄腕ダッシュの「DASH村」や「DASH海岸」が好きな人は好きかも(あそこまで本格的ではないが)。
異世界でのんびりスローライフと言いながらバトル多めになる作品が多い中、こちらは基本的に農業や村開拓を続ける感じ。
4話で村民同士が戦う武闘会(お祭り行事)があるが、農業アニメと舐めていたら驚くくらい、しっかりとしたバトル描写になっていた。
きらら。秋田から東京のお嬢様学校へ編入するはずだったのが、女子寮を兼ねる漫画喫茶「ヘッジホッグ」に住み込みで働くことに。
住居は一畳間、漫画喫茶暮らしということでこのタイトル。あとはいつもの可愛い女の子たちの日常コメディ。
客があまり登場せず、登場しても店内トラブルで帰ってもらうことが多いため、経営している感があまりない。
荒川弘が描く幻怪ファンタジー。1話の驚きの展開で、掴みはオッケーじゃないでしょうか。
主人公の「どうなってんだよ、これ」「なんなんだよ、なにがおこってんだよ」という反応、私自身もまさにそれでした。
OPはVaundy、EDはyama、Vaundyとのタッグで、作詞・作曲・編曲をすべてVaundyが担当している。
冴えない陰キャだった頃の自分へタイムリープし、灰色だった青春を「虹色に染めてやる」という作品。
主人公はコミュ障ではあるものの、前世でもそれなりの経験を重ねており、第二の人生ではあっさりカースト上位にいてモテる「強くてニューゲーム」状態。
ただ自己肯定感は相変わらず低く、そんな主人公と周囲の間に生まれる「不協和音」や「ギスギス感」が個人的に好き。
3話でAqua Timez『決意の朝』が歌われる。もう20年前の曲なんだよなー。
幼馴染が主人公を「あなた」と呼ぶ点には少し違和感を感じる。名前呼びか「あんた」ならしっくりくるのだが。詩ちゃんかわいい
OPは前島亜美、EDは愛美。EDのアニメーションの担当は、ズーマー好きなんかな。
主人公の女の子・スピカは、ある日言葉を話す猫と出会う。その正体は有名な天才魔術師。
お互いの利害が一致し、猫と師弟関係を結んで1等魔術師を目指す物語。
スピカは猫の封印を解くことができる(時間制限あり)。封印解除には魔力の注入が必要だが、ただし魔力は尻に入れる。
「天才になれなかった全ての人へ」2019年にドラマ化されている。
絵を描くのが好きだけれど才能がない光一。
絵の才能を持ちながら、父の死をきっかけに描くことを止めてしまった左利きの女の子、エレン。
仲がいい訳ではなかったが、結果的に光一がエレンの背中を押す形となり、それぞれの人生が進んでいく。
光一の社会人パートは緊張しながら見るなあ。私にも神谷さんみたいな人いたなあ
テレビではテレ東系列,AT-Xだけ。一部地方では放送されていない。これ全国放送してほしかった
OPはALI、ちょっとバブルガム・ブラザーズのWON’T BE LONGを思い出す歌。
1年ぶりの2期。前世では最強の王と呼ばれながらどこか孤独な人生だったが、転生先では家族や友人に囲まれながら心身共に成長していく。
今シーズンも地上波はテレビ東京のみで、全国ネットではない。BSでも放送して欲しかった。
OPはSIX LOUNGE、EDは22/7。Season1のEDはアーサーが走りながら成長していく感じだったが、Season2はテシアがそんな感じ。
テシアがヒロインなのは分かるけど、私の中ではジャスミンがヒロイン。
『野生のラスボスが現れた!』と同じく、アニメと同じタイミングでサンソフトからゲーム化された作品。
夏休みの前日に当たる終業式の日、教室に入ろうとした瞬間に異世界転移してしまう。
過剰とも取れるオーバーリアクションや奇行が目立ち、テンションが変なアニメに感じたかな。
転移直後に出会ったエルフとは2話で別れ、主人公は新たなパーティーを組む。
一方、エルフたちのパーティーストーリーも並行して進んでいて、これまた1クールでは収まりきらない感じかな。
天才王子と自称悪役令嬢ポンコツ転生者との、ハートフルストーリー。
令嬢バーティアは転生者、王子セシルはゲーム世界のキャラクター。
乙女ゲームの悪役令嬢へ転生してしまうというよくあるパターン。
が、特色は、よくある転生悪役令嬢話とは役割が逆になっている点。
通常はゲームの展開を全て知る転生者が世界を変えていくものだけれど、
今作は、完璧なセシル殿下がバーティアを観察し、言動や行動を基に世界を変えていく展開が面白い。
感情などないようにあれこれこなすセシルだが、オモシレー女、バーティア嬢に心動かされていく。
EDの絵いいなー。
2期で飽きてきたのだけれど、今回は好きかも。主にテンポが良くなった気がする。
「愚者の奇行団」とは対立したくなかったという思いも何とかなりそうだし。
ハッコンのランクがついにレベル3へ。ランクアップは1期7話以来。
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の作者による作品。
四季の神々から与えられた特別な力で各地に季節を巡らせるという世界のお話。
そんな春の季節の「代行者」と、その代行者を守る護衛官の物語が描かれている。
その時何があったのか、そして戻ってくるまでに何があったのかは、毎話少しずつ明らかにされていく。
6話まで観ると大体の状況が掴めてくるのと、EDの持つ意味も分かってくる構成。さくらの声の人の演技にちょっと感動。
それぞれのエピソードの終盤で登場人物の感情が溢れる様子、感動を誘う演出は、まさに『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』といったところ。
タイトルも内容もなかなかクセのある作品。現代アニメーションの見本市。
女神の力で別の世界の「何か変なモノ」に転生し、その世界を見届けて人生を終え、女神の元へ戻って異世界での出来事を確認する。そしてまた転生しての繰り返し。
転生先の世界は毎回異なるクリエイターが担当しており、アニメだけではない多様な表現が試されてる。
特殊な映像や演出が目に飛びすぎて、全然話が頭に入ってこない……というより、むしろ「違う面白さ」がある。
EDはshallm。EDでは本編のメイキング映像が流れるのも特徴的。
女の子が酒を飲む作品です。 私の中でこういった系は『たくのみ』以来かもしれない。あと今作はタイトル通り百合度が高い。
お酒の豆知識をゆっくり解説してくれるコーナーがあるが、どう聞いても、どう見てもひなたとあおいです(クレジットには「スマホの声」と記載)。
いいですね、酒アニメ。私も角打ちによく行きます。私は芋のくっさいのが好きです。 酒の味なんて分からず、酔いと雰囲気だけ楽しむ「ダメな大人」になってしまいましたが。
EDは毎回同じ曲だが、歌う人(キャラ)が毎回違う。 EDアニメーションも毎回異なり、登場人物の「ある日のストーリー」を描く《ヤマノススメ Next Summit》方式。
2年ぶりの2期。間があいたが1期振り返り特番があったので助かった。
魔法至上主義の世界で、まともに魔法が使えない「落ちこぼれ」主人公が剣で活躍する話。
2期では落第し、失意に沈む主人公ウィル。街では年越しの大結界を張る行事が行われていた。
無事に結界が張られたと思った矢先、不穏な魔法円が出現し、街はモンスターに襲われる。
1期ではダンジョンを潜っていたら本来ここには現れるはずがない高レベルなモンスターが登場したり、
今回は街が突如戦場になったりと、ダンまちを見ている人は既視感を抱く展開(原作者が同じ)。
まさか第16話の杖と剣が交わるウィストリアまでがプロローグだったとは
2009年にKAT-TUNの亀梨和也でドラマ化されている。 美味しんぼのワイン版と表現するのは少し雑か。
1話ではそこまで気にならなかったけど、さすがに2話以降は気になってきた。(プロの声優ではないとはいえ、それでも上手い方だとは思う)
話は面白いのだけれど、やはりこの声と展開の早さが、私にはちょっとしっくりきません。
田舎の空き家を管理する主人公と、そこに集まる霊獣たちの物語。
異世界放浪メシの「フェル」に似たキャラクターがいるので、スライムの「スイ」がいても違和感なさそう(「我、山神ぞ」すみません)。
主人公には霊を祓う力があり、メモ用紙に文字を書くだけで、その辺の陰陽師以上の力を持つ霊祓いアイテムになる。
背景がすごく綺麗で、そこまで大盛り上がりする展開はないけれど、落ち着いて見られる個人的に結構好きな作品。
めちゃくちゃ好きなんだが。
歌劇学校を舞台に、決して華やかではない「人と人との歴史を紡ぐ青春群像劇」。映画にしてもいいのでは。
話によって焦点を当てる登場人物が変わり、時代や場所も淡島・鎌倉・広島ところころと変わるため、少し頭の中が大変に感じる人もいるかも。
登場人物はそれぞれどこかで繋がっており、後になって「この人はあのエピソードの人か」と気づくと楽しくなる。
公式サイト(https://awajima-anime.com/story/)の各ストーリーページ下部にある相関図を見ると、つながりが分かりやすい。
同作者の過去作で、鎌倉が舞台だった『青い花』(漫画/2009年アニメ化)とも少しつながりがある。
1年半ぶりの4期。私は少数派かもしれないけどバトルより会議の方が好きです。
勇者と魔王みたいな善悪2者対立した話なら力でバトって分かりやすいんだけど、
こうも役者や国や思惑が増えてきたら会議がないとしっくりこないので。
さてこの度はテンペスト評議会への参加の件。欲まみれで舐めている議員たちはどうなるか
昨夜から腹の調子が悪かった。原因はわかっている。昨日の昼、賞味期限が怪しいマヨネーズを「加熱すればいけるだろ」という謎の全能感とともに、安い鶏胸肉にドバドバかけて焼いて食ったからだ。
午前10時、川崎の狭いワンルームで目が覚めた瞬間、腸内が「非常事態宣言」を告げていた。冷や汗とともにトイレへ駆け込もうとしたが、無情にもあと数歩というところで括約筋が白旗を上げた。情けない話だが、40を過ぎた大人が自宅の廊下で大便をもらすという、人生の底が抜けるような経験をした。シャワーを浴びながら、俺は何をやってるんだろうと、タイルにへばりつく虚無を見つめるしかなかった。
洗濯機を回しながら、現実逃避のためにSNSを開く。タイムラインは相変わらず地獄だ。
今、ネットで最もホットな娯楽は、俺のような層をターゲットにした「キモくて金のないおじさんたたき」だ。若くて綺麗なアイコンたちが、容赦のない言葉で「社会のコスト」「不潔の権化」と、俺の存在そのものを否定してくる。
それに呼応するように、クリエイター界隈では熾烈な「AIたたき」が続いている。
「AIは盗作だ」「魂がない」という叫び声。かつては俺も絵を描いていたが、今やプロンプト一つで俺の10年分を凌駕する絵が出てくる。その残酷な効率の良さを叩かなければ、自分の存在価値を保てない彼らの気持ちもわかる。だが、AIを叩く側も、叩かれる側も、結局は「何者か」になりたいという執念に焼かれている。俺のように、すでに灰になった人間からすれば、それは遠い国の内戦を見ているような気分だ。
精神のザワつきを抑えるために、引き出しの奥からアンフェ(もちろん処方薬の類だ、誤解しないでほしい)を引っ張り出す。脳内に無理やりドーパミンの橋を架け、沈みゆく意識を水面に繋ぎ止める。集中力は上がるが、代わりに食欲は完全に消え去る。
それでも何かを腹に入れなければと、駅前の回転寿司へ向かった。
ゴールデンウィーク明けの、どこか投げやりな雰囲気の店内。流れてくるのは、乾燥してカピカピになったネタばかりだ。かつては「自分へのご褒美」だった寿司も、今や喉を通る単なる冷えた有機物でしかない。
隣の席では、大学生くらいの若者が「AIで生成したエロ画像で小銭を稼ぐ方法」を熱心に語っている。俺はガリを噛み締めながら、マヨネーズで腹を壊した自分の惨めさを噛み締めた。
「もらした」あの日から数時間、俺は誰かに触れてほしかったのかもしれない。金で買える優しさ、金で買える肯定。
呼び込みの男に促されるまま、雑居ビルの一室へ。
相手をしてくれた女性は、俺の加齢臭や薄くなった頭髪に嫌な顔一つせず、マニュアル通りの微笑みを浮かべてくれた。そのプロフェッショナリズムに救われ、同時に絶望する。彼女たちが売っているのはサービスだが、俺が買っているのは「俺がまだ人間として扱われる」という幻想だ。
懲りていないわけじゃない。ただ、これくらい強烈な味付けをしなければ、人生の味気なさに耐えられないのだ。
SNSを開けば、今日も誰かが誰かを叩き、AIが進化し、俺のような「キモ金」が透明化されていく。
明日も仕事だ。アンフェで覚醒させた脳を、安酒で無理やり眠らせる。
廊下の汚れは綺麗に拭き取ったはずだが、鼻の奥にはまだ、あの決定的な「敗北の臭い」がこびりついている気がしてならない。
・風俗(60分) 15,000円
・マヨネーズ 398円
残金:絶望的
まず、この「モイスチャー」って商材は40年以上前から売られてる古いスキンケアシリーズ。
それも資生堂ドルックスのように定期的にコスメヲタの間で話題になるような「隠れ名品」といったポジションではなく、現役世代は誰も使ってない、なぜ未だに売られているのかまったくわからないポジションのおばあちゃんコスメ。
レトロコスメでよくある「すごい美肌のおばあちゃんが若いころからずっと使っていた」ってエピソードもあんまり聞かない。
売ってるメーカーすら「絶滅危惧コスメ」なんて自嘲しちゃってるぐらい存在感ない、でもドラストやスーパーの片隅においてある、そういう商品なのね。
今回バズるまで見た目は知ってるけど名前知らんかった(そういう意味では炎上マーケティング成功している)
明色奥様シリーズの自然派緑バージョン、みたいなもんだと思ってたわ
まあまともに考えてどっかでリノベしないとどうにもならないシリーズだったのに、ずっと作り続けたのはウテナの美学なのかこだわりなのかだと思うけど
それの認知を高めようと、昭和レトロがテーマのクリエイター・インフルエンサーを起用してAIも活用した昭和っぽい広告を3シリーズ作ったが不発。少なくとも観測範囲で話題になってるのは見かけなかった。
この広告も、まあ本気の昭和レトロ愛好家が見たら怒るクオリティだったが、そういう人の絶対数が少ないから不発に終わるだけで炎上はしなかった。
そもそも、昭和レトロコスメを若い子にも認知させよう、というコンセプトで、なぜに「昭和あるある」でプレゼントキャンペーンを打つのか本当に意味がわからないし、なんとなく「AIでやれば若い子の話題になるでしょ(鼻ホジ)」って安直さが否めない
この商品を使ってたのは、80年代レトロを懐かしむ世代(=バブル世代)よりもっと上の70代とか80代だし、ヘチマコロンとか美顔水ぐらいの歴史があればまだしも、中途半端なレトロは全方向的にダサい。
そこで基軸を切り替えて今回炎上したセーラームーン風の変身アニメを作ったわけだが、これはすでに昭和ですらないし、愛着のある世代から見ると馬鹿にしたような仕上がりで炎上した
昭和レトロを狙うなら、むしろぴえろ魔法少女風にすべきだったかもしれない。それなら「なんか見たことあるけど何かに似てるわけではない」みたいな作り方はできただろうし
まあ、どうせ規定路線通り話題にならずに不発だったと思うけど、つつがなくキャンペーンを終えることもできたんじゃないのか
長く廃番にせず大事に売るのは偉いように思うが、令和の世はコスメに詳しくない人もセラミドだナイアシンアミドだビタミンCだと成分で選ぶ時代で、「昔ながらのスキンケアが安心」って価値観自体が古くなってきてる
たとえばロートの極潤シリーズとか花王のキュレルとか資生堂のアクアレーベルとか、同じようなプチプラ価格帯において、最新の研究成果を採用して「潤いを守る」とかいう訴求をもっと本気でやってるブランドがいっぱいある
大手企業ではない「ちふれ」だって、定期的にリニューアルを繰り返してるし、有効成分をきっちり配合して(全成分の配合割合まで公開されている)話題になっている。そんな中どう戦うのという話である。
さらに、プチプラコスメって「洗面所において家族みんなでぱしゃぱしゃ使える」ってことが最大の価値なのに、ガラスボトルで150mlではそれができない。すぐなくなるし落とせば割れる。
たとえば、ガラスボトルに紙シールの謎パケやめて、500mlの大容量を出すとかできなかったんだろうか?
鎮静と保湿だけで使うなら、いらない成分は刺激になるからむしろアロエエキスだけってシンプルさがいいんだよ、ってだれか成分系のコスメインフルエンサーに言わせたりすりゃ動いたんじゃないの
商品にまったく向き合わず、広告に金かければどうにかなるでしょってのはナメてるし、AI使って中途半端にケチったイメージにもなっちゃってる
元コンテンツへの敬意というより、商品に対する掘り下げもユーザーに対する洞察もあんまり感じないというとこで、なんか気持ち悪い案件だなって感じたわね。
スキンケア化粧品でAIおもしろ広告を見たからといって、これ使ってみようってことには絶対ならない、それは確か。
少女革命ウテナと正式にコラボすればって言ってる人もいたけど、そういうコラボば効くのはもともと売れてるシリーズか、メイクものでかわいいパッケージ作れる場合で
そもそも売れてないものにキャラクター絵をくっつけたからといって売れるということはまあない。
今は、化粧品の広告に面白さや話題性って不要で、なぜなら化粧品を手に取る時の気持ちはむちゃくちゃ切実なんだわ
特にスキンケア化粧品は、消耗品だけども、カップラーメンみたいに「面白そう、食べてみよう」って手に取るものじゃなくて、自分の肌を預けるものとしてみんな真剣に選んでるわけだし
商品に対する信頼や愛着や憧れがまずあって、コラボはそれに上積みする要素でしかない
個人的に、自分がこの商品のプロモするなら「昭和あるある」じゃなくて団塊マダムやその子、孫に「次世代に語り継ぎたい美容」とか「おばあちゃんに聞いた美の秘訣」を聞く企画すると思う レトロコスメのセールスポイントなんて「地味だけどずっと使ってる人がいる」その1点だけなのだし。
超かぐや姫!は売り出し方が気に食わなく、なんとなく忌避していたのだが、信頼している友人がお勧めしてきたので視聴することにした。
普通に面白かったし、終盤の方はなんなら泣きながら視聴していた。
監督自身が長編映画の制作をあまり経験していないという背景もあるのだろうが、その辺の話は一旦置いとくことにする。
全体の感想として、全てがあまりにも舞台装置的であり、人間の心の深い葛藤というものは確かにあまり感じられなかった。
しかし、葛藤や反発の描写を重くすればするほど作品の消費カロリーも増えていく。
この令和の時代に、エンタメ映画の文脈でそれをするのは悪手なのではなかろうか。
少ない心理描写リソースの中で象徴的な親殺し(親から与えられた物語からの離脱)は行えていたし、全ての人間関係の描写をそういう記号だと思えば咀嚼できるだろうと思う。
竹取物語、推し活、Vtuber、MMO的VR、百合、親殺し、CGDCT、クリエイター、ビートセーバー、女装男子、Crazy Raccoon、表情描写のサンプリング、ミュージカル、ドラえもん最終回...
この映画は、全体的に記号と小ネタとミームのパズルのようになっている。
マリオの映画がファンを喜ばせる小ネタ満載であったように、小さな内輪ネタが集まって大きなものになったのが超かぐや姫!であると感じた。
あと、超かぐやの主人公に対して「恵まれすぎ」「ハイスペすぎ」と言うのは、悟空に対して「強すぎる」と言うのに近く、あまり意味のある批判ではないと感じた。
現代の人間として描かれているからこそ比較してしまうのだろうが、あくまでファンタジーの主人公であり、物語を動かすための装置として見るべき存在だと思う。
乾いた笑いしか出ない。
特に、「生成AI」っていう名の万引きツールを必死に擁護してる弱者男性さ、お前ら本当に義務教育受けた?脳みそAIにアウトソーシングしてんの?
一番笑えるのが、こっちが「生成AIは著作権侵害の塊だろ」って真っ当な批判をした時の、お決まりのレスバ。
「お前だってDeepLとかChatGPT使ってるじゃん!それもAIだぞ!ブーメラン乙w」
……あのさぁ。
DeepLとかの翻訳AIは、言語の統計モデルに基づいた「翻訳ツール」だ。
LLM(大規模言語モデル)だって、既存の情報を整理して提示する、いわば「超高性能な検索エンジン」の延長。これらは人間の知的活動をブーストするための「道具」なわけ。
それに対して、お前らがシコシコ回してる画像生成は何?
他人が血の滲むような思いで描いた絵を、本人の許可なく学習台にぶち込んで、スクラップ&ビルドで出力してるだけの「パクリ製造機」だろ。
これのどこが技術革新なの?
「便利な包丁(道具)」と「自動万引き機(犯罪ツール)」くらいの違いがあるって、普通に生きてればわかるよね?
結局さ、自分じゃ何も生み出せない、線の一本も引けない無能な弱男が、ボタン一つで「神絵師」になった気になりたくて必死に擁護してるのが透けて見えて本当に痛い。
見てて本当に惨め。
便利なAIはどんどん活用すべきだけど、クリエイターの権利を蹂躙する生成AIは別物。
こんな単純な区別もつかずに「AI反対派は反知性主義!」とか叩いてるから、いつまでも社会の底辺で「弱者」やってるんだって自覚したほうがいいよ。
まあ、どうせこの記事見ても、真っ赤な顔して「反AIガー」とかレッテル貼りして逃げるんだろうけど。
少しは自分の頭で考えたら?
ゲーム作品の (他のどんなジャンルの作品でもそうだが) 良し悪しは結局のところ総合的な出来の良さなので要素を抜き出してここが良いとは言えない。
時代の空気感とセットなところもあるので同時代の他作品と比較してもきちんと理解することは出来ないと思う。
客観的に良さを示すことは出来ないので個人的体験として MOTHER2 を気に入った理由を挙げるなら「期待通り」という点が評価が高い。
まず前提として MOTHER を好きになった人が MOTHER2 に期待していて、私もそのひとりだ。
MOTHER の順当進化だったから MOTHER2 は良かった。
たとえばドラクエシリーズを買う人は「今までのドラクエみたいなもの」を期待していて、どんなに良くなったとしても全く刷新されたシステムや世界観を出されてしまうと評価は低い。
クリエイターは新しいものを作るりたがるが消費者は期待している通りのものが出てきて欲しいんだ。
MOTHER2 は MOTHER のような作品であり、 MOTHER がより良くなったような作品だった。
二作目でありながらシリーズのオヤクソクが完全に確立しており、全体に受ける印象というか手触りというかテイストとでも言えばよいのか……そういうのが完全に繋がっていた。
MOTHER3 のコンセプトが大幅に変わってしまった反動で MOTHER2 が良かったと感じているのもあるかもしれない。
なんかネットでエロ動画漁ってたらふと思ったのでメモ的に書く。
おれはずっと自分がオタクなのかサブカルなのかわかりかねていた。
自認はずっとオタクのつもりだが、どうもイメージの中のオタク像とは異なっているように思えてならない。
つまり、「趣味に耽溺してそこに自足する」ことがおれにはできない。
少なくともこの10年くらいはそうだった。
オタクならこういう悩みは抱かないように思う。
周囲のオタクたちはみな趣味(アニメ、ゲーム、鉄道、アイドル?)に没頭して満足気だ。
サブカルって結局、どこまでいっても「リアル」に軸足を置いているから、それを享受する人間もリアルに固執しているんだよな。
音楽、映画、(萌系やなろう系じゃない)漫画、アート、ファッション……。
大塚エイジの言葉を借りればサブカルは「自然主義的リアリズム」で、オタクは「アニメ・まんが的リアリズム」。
おれも萌アニメとかロボットアニメとか観てると現実を忘れて楽しくなれちゃうけど、でもそこに耽溺し続けることはできないんだよな。
やっぱり土台にはリアルへの興味がある。
そしてリアルへの興味とは、ハク・ウダツ、富、権力、名声への興味。
消費する側ではなく、やっぱりなにかを生み出す側になりたいんだよな。
クリエイターのオタクもいる中で乱暴な整理をするが、要するにオタクとサブカルの違いというのは、言い換えるなら、
全体的に薄っすらと品質が低い
明らかにゼンレスゾーンゼロを意識していて、若干のアトラスエッセンスを入れてるけど、どうにも猿真似感が強い。
似たような物を作りたかったけど一線級のクリエイターをツモれませんでしたって感じ。なんかJRPGみたい
まず翻訳?の質も微妙で役割語の意識が低くてチグハグ、声優も全体的に微妙。声優だけはマシだったデュエットナイトアビス以下かな。
映像もそんなに綺麗じゃないし、デザインもモーションも見せ方もエロソシャゲのアークレコードレベルでは?
公式SNSのマーケティングもインフルエンサー頼りでしょっぱいし
後発でこれは相当厳しいのでは
結論:規制は残当であり、客も破滅させているが、労働者も破滅させている。
まず接客に従事する労働者の殆どが一般社会からのドロップアウト組であることは間違いないだろう。
ドロップアウトと言えば、偏見かつ差別ではあろうが、絵が描ければクリエイター、音楽ができれば音楽家、文章が書ければニュースライター、プログラムができればプログラマー、起業ができれば起業、実況ができれば実況者になっていたような人間と思えば、自分たちの身近にもいるような普通の人間だ。
これらの職業との違いは、不器用な人間が別の仕事に戻りにくいということだ。
自分の業界と世間とのギャップを把握し、昼における夜のタブーを隠し、素知らぬ顔で昼になじみ、そのうちに夜の仕事をしたことも忘れられるだろう。
グレーな仕事は社会のどこにでもあるが、昼のタブーを把握しているからこそ境界線でタップダンスを踏んだり、健全化ができる。
ベンチャー起業と構造が同じで、悪い先輩といい先輩がいたとき、悪い先輩の悪さの底の抜けたやり方に抗うことができるか?
自分を傷つけずに生きていけるのか?
最も貧しい時に寮や仲間を与えたくれた業界を、昼に行った自分にメリットがない存在として切り捨てることができるのか?
仲間に染まって整形をしたはいいものの、知識が足りず、顔を奇妙に切り刻んだ結果のみが残り、不気味がられる者は?
コントロール可能な同意が軽視され、犯罪が起きやすい環境において、「周りに染まりやすいバカな奴」が保護されていない場所において、規制が介入することはやむを得ないことと思われる。現在は客に対する営業方法の規制にとどまるが、いずれは労働者保護も行われてゆくはずだ。
人権の文脈におけば、主体性のある自己決定論と、プロとしての労働者保護論の間でどのように夜の仕事が両立するか、政府も悩んでいるところだろう。
あらかじめ言っておくけど、AI推進派の全員がそうだって言いたいわけじゃないよ。純粋に法的な解釈やテクノロジーの未来について語ってる法の専門家やエンジニアみたいな層もいるし、単にネットでレスバしてマウントを取りたいだけの暇人もいる。
でもさ、X(旧Twitter)とか見てると、明らかに「クリエイター(絵師)という存在そのもの」に対する鬱屈としたコンプレックスをこじらせてるAI推進(というか反・反AI?)のアカウントって結構いるじゃん。
そういう奴に限って、プロフィールには「絵とか創作を適当にやってます」みたいな予防線を張ってるんだよね。自分も創作者の端くれです、みたいなスタンス。でも、肝心の自分の作品は全然上げてないの。毎日やってることと言えば、反AI派の絵師の引用RPをして、相手の矛盾や偽善をチクチクつついて回るだけ。
「BLは女性向けポルノなのに擁護して、男性向けの表現規制には加担するのか、ダブスタだ」
こういうことを、いっつも論理的で冷徹なフリをして長文で語ってるアレね。
あれ、ぶっちゃけ「AI技術の発展」とか「表現の自由を守りたい」から戦ってるんじゃないんだよね。単に、界隈でチヤホヤされてる「絵師様」たちの特権意識や、クリエイターとしてのプライドが鼻について仕方なくて、それを叩き潰すための棍棒としてAI論争を使ってるだけなんだわ。
彼らの根底にあるのって、異常なまでの「クリエイターへの憎悪」なんだよ。
だからそういう奴って、AI論争だけじゃなくて、クリエイターが福祉やセーフティネットに頼ることにも異常に噛み付く。「売れるまで生活保護をもらいながら配信や創作活動をするのはモラルハザードだ」「夢を追うなら人生賭けたギャンブルなんだから自己責任でリスクを負え」とか言って、ガチギレするわけ。
これって結局、何だと思う?
自分は日陰でやってるのに、ちょっと絵が描けたり配信ができたりする連中が、アイデンティティを盾にして被害者ヅラしたり、制度の隙間をついて甘えた環境で創作を続けようとするのが許せないの。「俺はこんなに我慢してるのに、あいつらずるい!」っていう、相対的なフラストレーションの裏返し。
「論理的で公平な表現の自由戦士」を気取って、他人のダブスタや偽善を論破してるつもりなんだろうけどさ。隙あらば界隈のヒエラルキーを呪って、特別な才能やポジションを持ってる(ように見える)連中を引きずり下ろそうとしてるその姿、マジでコンプレックス丸出しで痛々しいよ。
他人の粗探しして一日中お気持ち表明のレスバしてる暇があるなら、お前も創作をアップして、素直に承認欲求満たせばいいじゃんって思うわ。