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講演「尾﨑家住宅と安楽寺」 満員御礼!

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 尾﨑家住宅重要文化財指定公開にともなう基調講演を終えました。iPad で スピーチしようと決めてpdfをしっかり準備していたのですが、前夜、パワポのバージョンアップを Surface でやっていて、結構慣れてきたので、思い切って Surface で講演に挑みました。タップ後の速度はやや遅いのですが、話者がせっかちなので、差し引きでちょうどよかったのかもしれません
 この日は快晴。やや風が強いけれども、空は青く、波しぶきの日本海が美しい。心地よいドライブの後、12時45分に尾﨑家に到着しました。会場の安楽寺本堂に足を運ぶと、すでに学生たちが準備に奔走している。その姿に頼もしさを覚えたのですが、なにか変だ。学生たちには、13時集合というメールを発していたからです。あとで聞いたところ、車を出すケントが「尾崎家まで3時間かかる」と主張して大学を9時に出発したらしい。そんなバナナ・・・大学から宇野までは1時間足らずだ。白帯以下、他の学生も同罪だね。共同幻想だ(古いね)。


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 会場を安楽寺本堂に変更したのは大正解でした。和室のひろい大空間は快適そのもの。もちろん意匠の質も高い。なによりこの日の講演主題が堅田門徒の道場であったとされる尾﨑家のブツマが安楽寺へと転換していくプロセスを述べることだったので、〆となる対象が会場そのものなのだから、これ以上の舞台はないでしょう。
 家伝書によると、尾崎家の屋敷は18世紀中期まで字「蔵屋敷」にあった。その蔵屋敷は今の安楽寺の敷地であり、そこに真宗の道場がたっていた。その道場が今の尾﨑家屋敷内に「移設」された直後、安楽寺が蔵屋敷の地に宮ノ前より移ってきて、西本願寺派から東本願寺派に改宗。つまり、オモヤをはじめとする一連の建造物、庭園、安楽寺は一体化した普請事業と理解される。ただし、道場だけは蔵屋敷から今の敷地に曳家された可能性があるのだが、近郷住民を信徒とする「本堂」としての機能と名跡は安楽寺に譲り、自らは尾﨑家内部のブツマに変容していったのでしょう。


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 いまの本堂は文化年間の再建ですが、七代清右ヱ門が一代をかけて東本願寺の意匠を学び、壮麗な建築をつくりげています。鐘楼・山門も見事で、尾崎家長屋門と相対す小路の景観は江戸時代の風情をよくとどめています。尾崎家住宅が重要文化財になったことは大変おめでたいことですが、その一方で安楽寺になんの保護措置を講じないのは片手おちでしょう。ただちに指定文化財というのはむつかしいですから、なんとか登録有形文化財にもっていきたいものですね。最後にそれを訴えておきました。
 当日の来場者は約100名。広報もしないのに、よくお集りいただきました。20名ずつ順番にオモヤのドマ、座敷と松甫園を見学されました。

 一夜あけて、今日はオープンキャンパス。もう一頑張りですね。


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↑今日のシノギは??

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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