東京デンブラ (1)セレブな処女地の旅
東洋文庫企画展「キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジアー」
5月11日(土)、この日は三人で行動した。ジャイアンはまたあの長い道を歩き、東横イン浅草橋蔵前2まで迎えに来てくれた。駒込でノビタと合流。かねて念願の東洋文庫企画展「キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジアー」を終了日(12日)の前日にみることができた。企画展示室の前に有名な開架書庫のホワイエがある。みなここで写真を撮る。ある一人の貴婦人からスマホ撮影を依頼されたが、わたしはスマホが苦手なので若手に譲った(少しもったいないことをしたと後で思った)。我々も記念撮影した。書庫がインテリアにして展示物になるのを知って、自分がやろうとした土蔵書庫兼アトリエの計画が懐かしくなり、もういちど考えなおそうかと思ったほどである。そこでしばらく佇んだ後、透明の床板通路を抜けて企画展示室へ。
企画展示もまた本の連続。東洋学文献日本最多(世界最多?)を誇る東洋文庫だけのことはある。展示棚のガラスケースには、見開き状態(半開き)にした古今東西の書物がずらりと並ぶ。考古学・文化史系の展示なら、遺物・絵図が主役で、それらを凝視することが参観者の任務だが、東洋文庫の展示は書物の2ページがあるだけで、文献史学者であろうと、なかろうと、その書物の内実に迫れるわけではないので、モノ展示とはめざすところがおおいに異なる。この展示は「キリスト教交流史-宣教師のみた日本、アジアー」という名のとおり、大航海時代前後、キリスト教がアジア各地にどのようにして布教され、変容していったのか、を語ろうとするものである。その内容をくどく説明するのは控える。以下は、ホームページの案内にしたがって、全体の構成と代表的図書を示す(570円の小さな図録がとても便利)。
1.大航海時代前の宣教-モンゴル帝国が繋げた東西交易路
I.『中国図説』アタナシウス・キルヒャー 1667年 アムステルダム刊
II.『東方見聞録』マルコ・ポーロ口述、ルスティケッロ著 1485年 アントワープ刊
2.大航海時代-発見・征服・宣教
III.『聖イグナチオ・デ・ロヨラ伝』ダニエッロ・バルトリ 1650年 ローマ刊
IV.『ポルトガル領アジア』ファリア・イ・ソウザ 1666-75年 リスボン刊
3.「東洋の使徒」サビエルが開いた日本宣教
Ⅴ.『ザビエルの生涯』オラティオ・トルセリーニ 1600年 バリャドリッド刊
Ⅵ.国指定重要文化財『ドチリーナ・キリシタン』1592年 天草刊
VII.『サクラメンタ提要』ルイス・セルケイラ編 1605(慶長10)年 長崎刊
VIII.『日本におけるキリスト教の勝利』ニコラ・トリゴー 1623年 ミュンヘン刊
4.禁教国 ・ 鎖国の日本へ
Ⅸ.『日本殉教精華』アントニオ・フランシスコ・カルディン 1650年 リスボン
5.東アジア世界に広がる新たな宣教フロンティア
Ⅹ.『中国新地図帳』(『新地図帳』vol.11より)マルティノ・マルティニ 1655年 アムステルダム刊
6.日本再布教の時代
Ⅺ.『パリ外国宣教会宣教地図帳』アドリアン・ローネイ 1890年 リール刊
左から、『東方見聞録』 『ザビエルの生涯』 『伊達政宗遣欧視察記』
企画展を見終えて、裏庭の奥にあるカフェ「オリエント」へ。セレブの集まりだ。東京という都市(まち)は電車に乗っていても、街を歩いていても、セレブ感をさほど感じないが、こういう場所に来ると全然変わる。人もメニューもハイソになります。わたしは抹茶のティラミスをいただいた。なんと上品な御味。甘さをぎりぎりまで抑えている。流石の宇治抹茶シェイクも真っ青でした。わたしたちが卓を囲んだのは屋外のベランダだった。そこに先ほどスマホ撮影を依頼された貴婦人が一人、別のテーブルに腰かけて、少しさみしそうにしている。下町なら気楽に声をかけるところだが、ちょっとそんな雰囲気じゃありませんでした。
自由学園明日館
東洋文庫を出てしばらく歩いた。横断歩道を渡った対面に酒屋があり、デンキブランデーを980円で売っていたが、荷物が増えるだけなので買わなかった。そこからしばらく歩くと、ジャイアンが20年近く勤務する職場に至る。なかなか立派なビルヂングですよ。山手線で池袋へ。わたしは前日から松屋に入りたいと何度か口にしていた。3月のマカオ都市大学で、日本によく通うた台湾国籍の女性教員が、松屋が美味しい、牛丼だけじゃなくて、カレーが美味しいと言っていたので、食べてみたくなったのである。なにぶん鳥取に松屋はないので、ないとなれば恋しくなる。結局、松屋には入らず、「山小屋」というカフェでランチした。おろしハンバーグ定食を食べた。
縦線を強調するロビーのデザイン。遠藤新の椅子。帝国博物館を思わせる石張りの柱。
池袋に来た目的は、ライト(と遠藤新)の自由学園明日(みょうにち)館をみることである。自由学園といえばバレーさんだが、彼女はこの重要文化財を学舎にはしていないはずだ。明日館は重文であり、今は結婚式会場になっている。その日はノルウェーのフェス会場になっていた。普段は入館料500円取られるらしいが、この日はお祭りなのでフリーパス。ノルウェーに感謝しなくちゃ。自由学園明日館は「歴史遺産保全論」講義(3年次以上)で取り上げている。近代建築の保全を取り上げる回があり、20世紀の三大建築家を紹介して、とくに日本にあるフランク・ロイド・ライトの作品について語るのである。ライトと言えば、プレーリー・スタイル(草原様式)だが、明日館はその匂いが強いほうではない。とくにロビー室の縦窓が強烈で水平線の印象を弱めているのである。
それにしても凄い人だ。屋内の展示室、ロビー、レストランだけでなく、芝生の庭もまるで小学校の運動会のように多くの家族がシートをひろげてくつろぎ食事している。東洋文庫ほどではないが、やはりセレブ度は高いと思った。そして、ノルウェー美女たちの背が高いこと。講義で教えながら、未だ訪問したことのない建物をまた一つクリアできて嬉しい。
池上本門寺宝塔
明日館を出て池袋に戻り、五反田まで動いて、そこから東急に乗り換えた。最後の目的地は、池上本門寺。こちらは、「住まいと建築の歴史」講義(2年次以上)の密教の回に重要文化財の宝塔を使う。日本に宝塔建造物は三例しかなく、いちばん古いのが埼玉の慈光院開山塔(桃山期)だが、ちょっと頸が細すぎて形が歪なので、本門寺宝塔(幕末文政)の方が塔身の形を理解してもらいやすいと考えている。ここも処女地である。来る予定はなかったが、二人と相談して本門寺を選んだ(慈光院は彼ら二人がまた行ってくれるようだ)。重文の宝塔はイメージよりずいぶん大きく感じた。二人もその迫力に圧倒されている。ノビタによれば、鳥取藩池田家とも係りがあるという。来てよかった。
もうずいぶん歩いている。ノビタのスマホによれば、約11,000歩。二日連続ほぼ同じ距離を歩いた。杖なしである。体調が上向いているのは間違いないようだ。しかし、疲れた。脚も痛い。池上からタクシーを拾い、品川まで大移動。歩き疲れて、ビールが飲みたくなっていた。タクシーの中でビールのことばかり考えていた。品川駅では、伊勢丹のビルにそそくさと入り、2階のフードコートに居座ってビールを飲んだ。フードコートと言っても、イオンのような場所ではない。やはりセレブ感がある。男女のカップルが多くて、いちゃいちゃしていた。ジャイアンがクラフトビールを3杯もってきた。めちゃくちゃ美味い。値段は800円だって。田舎者にすれば高いが、東京ではこんなものだという。2杯めは香料かおるエールビール。わたしは苦手。アールグレイをビールにしたような味ですね。つまみはお寿司にした。
こうして二日間の関東滞在が終わった。いま都会で生き抜くためには、スマホを使いこなせることがなにより大事だと改めて分かった。ジャイアンは「よく東京出てこれましたね」と驚いていたが、自分で吉川までは行ったんだからね。そこからはノビタに頼り、ジャイアンに頼ったけれども・・・ひょっとすると、今年度はもう一度このあたりにやってくるかもしれません。さて、どうなるか。
門扉を飾る「井桁に橘」は日蓮宗の宗紋