続・ハ地区の進撃(6)-第6次ブータン調査
チュンパ村ケザン家
9月11日(月))。午前は前日に調査許可をいただいたチュンパ村ケザン家の調査に着手しました。この家のご主人はもともと遊牧をしていてチベットあたりまで行き来していたそうですが、のちに軍人となった方です。「敬礼」がいつもの挨拶になっています。現在、84歳。調査したお宅はとても古いのですが、すでに半ば廃墟化していて荒れ放題でした。とくに仏間は天井が床に崩れ落ちています。夜は別の場所に建てられた息子さん夫婦の新しい住宅で就寝します。朝になるとここに来てお祈りをし、夕方まで管理のため滞在します。建築年代は不詳ですが、ご主人の祖父の代からあったそうなので、1900年代前半まで遡るかもしれません。また、先代(第4代)国王も来られたことがあるらしく、由緒正しい古民家と言えるでしょう。
(右)家畜
ケザン家のオモヤは楼閣(ウチ)形式の2階建で、1階に家畜小屋を配しています。家畜小屋に面して石垣で囲まれた中庭があり、ゾン(城)を小型化したような平面配置をしています。自分の家の石垣は自分で作るしきたりになっています。また、低い石垣上に薪を積み重ねることで塀を高くしている家もありますが、この薪が冬に燃料として使われると垣根はまた低くなります。すでに述べたように、オモヤの腐朽と破損がひどく、人が住む2階平面などの調査は断念しました。調査は3階にあたる屋根裏でおこないました。時間の関係で、作業は小屋組断面図の作成と版築壁の壁土採取(C14年代測定サンプル)のみです。
↑↓崩壊した2階仏間 (下)3階から見下ろした状態
上も下も輪薙込
小屋組断面図は私と公爵だっしょが担当しました。二人は隣り合う2本の梁の左右を描きました。それぞれ片側に破損部分を抱えていたからです。すでに清書を終えていますが、ふたつの絵は一つにしています。
ブータンでは木材の接合に輪薙込(わなぎこみ)を多用します。この場合、柱の上端だけでなく、下端でも同じを仕口を作ります。小屋組なら束の下側も輪薙込になっているわけですが、それは大平束の起源のようにもみえました。小屋組が露出しているため、比較的描き易い断面だと思いました。
↑(左)輪薙込み (右)支物【かいもの】-版築壁と柱の隙間をうめる
↓版築壁のサンプル採取
壁の有機物サンプル採取
先生がチベットで買い込んだ小スコップと大スプーンを使って版築壁土内のサンプルを探しました。位置などは下にまとめています。平面図にも示しています。なにが凄いって、チベット・スコップがさっそく壊れてしまったことです。柄の付け根にあたる溶接部分でいきなりまっぷたつです。日本の百均スコップのほうが良かったみたいですね。
僧院では版築壁の厚さは1m前後ありますが、民家では60~70㎝です。家自体いつまで遡るかわかりませんが、おそらく150~100年前でしょうから、C14年代の測定に出すのは難しいと思われます。ただ、サンプル採取の練習にはなりました。(OK牧場)
日付:9月11日
場所:八地区 チュンパ村ケザン家3階(屋根裏)版築壁 前から2列目の梁がある左側
推定年代:約150年前
アンプル採取位置略図↓
別れの記念撮影。敬礼!