切支丹関係文献(1)
これから少しずつ、とくに山陰の潜伏キリシタンに係りそうな古典的文献を紹介していきます。最初は浦川和三郎氏の著書から。
浦川和三郎1943『浦上切支丹史』
図書情報
昭和18年(1943)9月20日印刷
昭和18年9月25日発行(3000部)
昭和20年(1945)12月1日再版発行(2000部)
著作者 浦川和三郎(ウラカワ ワサブロウ)
発行者 田中秀吉
印刷者 河北喜四良
発行所 株式会社全国書房
配給元 日本出版配給株式会社
序(原文)
祖先を崇拝し、その遺徳を永く記念して、何時までも忘れざらんと努めるのは、古來日本人の美風である。特に我等が切支丹と云ふ立場から祖先の恩を感謝しなければならぬのは、彼等が三百年の久しきに亙つて、未會有の暴風雨に揉まれながらも、飽までその信仰を固守して微動だもしなかったことである。
慶應、明治の交にも、 彼等は信仰の爲にその家を棄て、その田地を擲ち、笑つて流罪の旅に上り、長きは五年、短きも三年有半に亘って共に辛酸を舐め、幾多の艱難、苦勞、絕食、拷問に叩かれながらも、毅然として初一念を執守り、敢然と して「日本切支丹ここに在り」と世界に向つて大聲疾呼したものである。彼等は放免歸鄉後にも、流罪の旅で満喫した悲惨事だけは流石に忘れ難く、雨の朝にも風の夕にも兩三人相集まると、必ず「旅の話」をくりかへして昔を偲ぶのであつた。然し明治六年の歸鄕から数へて昭和十三年までには早や六十五年、古老は大抵永眠につき、「旅の話」も聞かんと欲して聞く能はざるに至つた。幸ひ私が甞て信 仰の勇者達を歴訪するか、本原町の十字會に集つて戴くかして、その生々しい體驗話を書きとめ、之を「切支丹の復活」中に收め、日本カトリック刊行會から發行したものがあつたので、今回その中から浦上に關する分だけを拔萃し、多少の新史料をも加へて公にすることとした。凡そ國民教育は國史に基礎づけなければ、砂上樓閣に終るの憂を免れ難い。同じ道理から我等が日本切支丹と しての教育も、やはり日本切支丹史に根據を据えなければならぬ。そして明治切支丹史の大部分を占めて居るのは、浦上切支丹の發見、流罪、釋放等であるから、浦上切支丹史は亦明治切支丹史であると云つても過言ではない譚である。
いづれにせよ、もし讀者諸君が――そのカトリック教徒たると否とを問はず――本書を一讀して、信仰が如何 に人を勇壮、剛健、百練不磨たらしめるかと云ふことに思を致されたら、多少に拘らず得る所あるべきは多言を俟つまでもあるまい。况んや浦上人士たるものは、之に由つてしみじみと祖先の遺徳を偲び、胸は感激の情に躍り立ち、覺えず腕打さすり、力足ふみ鳴らして奮起するに至らないだらうか。私の微意は全く其處に在るのである。
《序》現代語訳
祖先を崇拝し、その遺徳をながく記念して、いつまでも忘れないようにと努めるのは、古来日本人の美風である。とくに私たちキリシタンという立場から祖先の恩を感謝しなければならないのは、かれらが三百年の久しきにわたって、未會有の暴風雨に揉まれながらも、あくまでその信仰を固守して微動だにもしなかったことである。
慶応~明治のころにも、 かれらは信仰のためにその家を捨て、その田地を投げうち、笑つて流罪の旅に出で、長きは五年、短きも三年半あまりにわたってともに辛酸をなめ、幾多の艱難、苦勞、絕食、拷問に叩かれながらも、毅然として初志貫徹し、敢然と して「日本キリシタンここに在り」と世間に向って声高に訴えたのである。かれらは放免帰郷後にも、流罪の旅でたっぷり味わった悲惨事だけはさすがに忘れ難く、雨の朝にも風の夕にも二~三人相集まると、必ず「旅の話」をくりかえして昔を偲ぶのであつた。しかし明治六年の帰郷から数えて昭和十三年までには早や六十五年、古老は大抵永眠につき、「旅の話」も聞かんと欲して聞くことができないようになった。幸い私がかつて信仰の勇者たちを歴訪するか、本原町の十字会に集つていただくかして、その生々しい体験話を書きとめ、これを『きりしたんの復活』中に收め、日本カトリック刊行会から発行したものがあったので、今回その中から浦上に関する部分だけを抜粋し、多少の新史料をも加えて公にすることとした。およそ国民教育は日本国史に基礎づけなければ、砂上の楼閣に終るという憂いを免れ難い。同じ道理から私たちが日本キリシタンと しての教育も、やはり日本キリシタン史に根拠を据えなければならない。そして明治キリシタン史の大部分を占めているのは、浦上キリシタンの発見、流罪、釈放等であるから、浦上キリシタン史はまた明治キリシタン史であると言っても過言ではない話である。
いずれにせよ、もし読者諸君が――カトリック教徒であるか否かは別にして――本書を一読して、信仰がいかに人を勇壮、剛健、不朽たらしめるかということに思いをめぐらすならば、多少に拘らず得る所あるべきは多言をまつまでもあるまい。ましてや浦上人士たるものは、これによってしみじみと祖先の遺徳を偲び、胸は感激の情に躍り立ち、無意識のうちに腕打ちさすり、力足ふみ鳴らして奮起するに至らないだろうか。私のささやかな志しは全くそこに在るのである。(都志豆)
浦川和三郎1943『浦上切支丹史』
図書情報
昭和18年(1943)9月20日印刷
昭和18年9月25日発行(3000部)
昭和20年(1945)12月1日再版発行(2000部)
著作者 浦川和三郎(ウラカワ ワサブロウ)
発行者 田中秀吉
印刷者 河北喜四良
発行所 株式会社全国書房
配給元 日本出版配給株式会社
序(原文)
祖先を崇拝し、その遺徳を永く記念して、何時までも忘れざらんと努めるのは、古來日本人の美風である。特に我等が切支丹と云ふ立場から祖先の恩を感謝しなければならぬのは、彼等が三百年の久しきに亙つて、未會有の暴風雨に揉まれながらも、飽までその信仰を固守して微動だもしなかったことである。
慶應、明治の交にも、 彼等は信仰の爲にその家を棄て、その田地を擲ち、笑つて流罪の旅に上り、長きは五年、短きも三年有半に亘って共に辛酸を舐め、幾多の艱難、苦勞、絕食、拷問に叩かれながらも、毅然として初一念を執守り、敢然と して「日本切支丹ここに在り」と世界に向つて大聲疾呼したものである。彼等は放免歸鄉後にも、流罪の旅で満喫した悲惨事だけは流石に忘れ難く、雨の朝にも風の夕にも兩三人相集まると、必ず「旅の話」をくりかへして昔を偲ぶのであつた。然し明治六年の歸鄕から数へて昭和十三年までには早や六十五年、古老は大抵永眠につき、「旅の話」も聞かんと欲して聞く能はざるに至つた。幸ひ私が甞て信 仰の勇者達を歴訪するか、本原町の十字會に集つて戴くかして、その生々しい體驗話を書きとめ、之を「切支丹の復活」中に收め、日本カトリック刊行會から發行したものがあつたので、今回その中から浦上に關する分だけを拔萃し、多少の新史料をも加へて公にすることとした。凡そ國民教育は國史に基礎づけなければ、砂上樓閣に終るの憂を免れ難い。同じ道理から我等が日本切支丹と しての教育も、やはり日本切支丹史に根據を据えなければならぬ。そして明治切支丹史の大部分を占めて居るのは、浦上切支丹の發見、流罪、釋放等であるから、浦上切支丹史は亦明治切支丹史であると云つても過言ではない譚である。
いづれにせよ、もし讀者諸君が――そのカトリック教徒たると否とを問はず――本書を一讀して、信仰が如何 に人を勇壮、剛健、百練不磨たらしめるかと云ふことに思を致されたら、多少に拘らず得る所あるべきは多言を俟つまでもあるまい。况んや浦上人士たるものは、之に由つてしみじみと祖先の遺徳を偲び、胸は感激の情に躍り立ち、覺えず腕打さすり、力足ふみ鳴らして奮起するに至らないだらうか。私の微意は全く其處に在るのである。
《序》現代語訳
祖先を崇拝し、その遺徳をながく記念して、いつまでも忘れないようにと努めるのは、古来日本人の美風である。とくに私たちキリシタンという立場から祖先の恩を感謝しなければならないのは、かれらが三百年の久しきにわたって、未會有の暴風雨に揉まれながらも、あくまでその信仰を固守して微動だにもしなかったことである。
慶応~明治のころにも、 かれらは信仰のためにその家を捨て、その田地を投げうち、笑つて流罪の旅に出で、長きは五年、短きも三年半あまりにわたってともに辛酸をなめ、幾多の艱難、苦勞、絕食、拷問に叩かれながらも、毅然として初志貫徹し、敢然と して「日本キリシタンここに在り」と世間に向って声高に訴えたのである。かれらは放免帰郷後にも、流罪の旅でたっぷり味わった悲惨事だけはさすがに忘れ難く、雨の朝にも風の夕にも二~三人相集まると、必ず「旅の話」をくりかえして昔を偲ぶのであつた。しかし明治六年の帰郷から数えて昭和十三年までには早や六十五年、古老は大抵永眠につき、「旅の話」も聞かんと欲して聞くことができないようになった。幸い私がかつて信仰の勇者たちを歴訪するか、本原町の十字会に集つていただくかして、その生々しい体験話を書きとめ、これを『きりしたんの復活』中に收め、日本カトリック刊行会から発行したものがあったので、今回その中から浦上に関する部分だけを抜粋し、多少の新史料をも加えて公にすることとした。およそ国民教育は日本国史に基礎づけなければ、砂上の楼閣に終るという憂いを免れ難い。同じ道理から私たちが日本キリシタンと しての教育も、やはり日本キリシタン史に根拠を据えなければならない。そして明治キリシタン史の大部分を占めているのは、浦上キリシタンの発見、流罪、釈放等であるから、浦上キリシタン史はまた明治キリシタン史であると言っても過言ではない話である。
いずれにせよ、もし読者諸君が――カトリック教徒であるか否かは別にして――本書を一読して、信仰がいかに人を勇壮、剛健、不朽たらしめるかということに思いをめぐらすならば、多少に拘らず得る所あるべきは多言をまつまでもあるまい。ましてや浦上人士たるものは、これによってしみじみと祖先の遺徳を偲び、胸は感激の情に躍り立ち、無意識のうちに腕打ちさすり、力足ふみ鳴らして奮起するに至らないだろうか。私のささやかな志しは全くそこに在るのである。(都志豆)