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はてなキーワード: ドゥルーズとは

2024-12-12

anond:20241212155459

その主張は非常に極端で、歴史的政治的倫理的問題がありますイスラエルに関する問題は非常に複雑で、単純化された見解では適切に説明できません。以下にいくつかの視点提供します。

1. 歴史的背景

イスラエル建国1948年)は、長い歴史的過程ユダヤ人迫害特にホロコースト)を背景にしています

しかし、建国時にパレスチナ人追放されるなど、土地資源を巡る対立が深まりました。

2. イスラエル市民多様性

イスラエルには、ユダヤ人だけでなく、アラブ系イスラエル人、キリスト教徒ドゥルーズ教徒、その他の少数民族も含まれています

全員を「侵略者」と断定するのは事実に基づいていません。

3. 国際法占領

国際社会では、イスラエル占領政策(例:ヨルダン川西岸入植地)は批判されていますが、それは政府政策に対するものであり、すべての市民が直接関与しているわけではありません。

4. 倫理的視点

民間人子どもを「侵略者」と見なすことは、個々の責任を問うべき倫理的基準に反します。

集団全体を一括りにすることは偏見助長し、対立悪化させる可能性があります

このような発言は、感情的な反発や敵意を煽るリスクがあります解決には、歴史的理解とともに、個々の人間尊厳尊重するアプローチが求められます

2024-12-01

ろくでなしメンヘラの間

君は、いつから病んでいた?

思い起こす限り死にたいと思ったのは、明確には小学四年生だった。でもそれは、ほんのちょっとした好奇心だったような気がする。

高校で、環境が変化すると今、どのような立ち位置にいて、どんな人間なのかが分かってくる。そうして文学作品に触れるようになった。暗い人間ではなかったものの、物語ではやたらと人が自殺する。まさか、そんな幼稚で一種悪趣味のような理由で死にたがってるとは思えん。

君は、このさき何回も自殺企図して失敗する。

高校から少しは知っていたが、キモチヨクなれる薬がドラッグストアに売っているらしい。メンヘラというのがいるらしい。

セックスに明け暮れながら、大学生活の片手間に薬をバカ飲み。皮膚もキモチヨク擦れて、内側からも「泉が溢れるように」キモチイイ。

そうしてあんたは、キモチヨクなった。キモチヨクなりたいだけ一心

いろいろ気にしなきゃいけないセックスと、待つだけの快楽なら、あんたはより楽なものを選ぶ。

「薬目的かと思った」

精神科に通い出したころ、当時の彼女に言われた。「眠れないんだよ」と言った。嘘だった。

ドラッグストアで買える系はあらかた試して、個人輸入もあらかた試したから、いざケミカルの海へと向かった。

違法はさ、捕まっちゃうから

おまえは、いつから病んだ? 分からない、分からないが、このときは病んでいなかった。キモチヨクなりたいだけだった、のかもしれない。

おまえは、詩や小説を書くのに力をいれるようになった。誰かに読んでほしいとか、応募するつもりもなく、この内側から「泉が溢れるように」来る、なにかについて記したかった。

一瞬、これがいわば真理てきなモノかと、思ったはいいけど、しかし腹がへる。一日一食。体重がへる、へる。

書く。とりあえずネットに上げる。書く。

私は、それを読むのが、大好きだった。まるで「自分のものとは思えない」が「自分のものしか思えない」ものが出来ていることについて、興奮していた。

死とか、自殺とか、そういうものがよく書かれていたが、そこに絶望はなかった。

微塵も

幸福な「ここではないどこか」について書いているわけでもないのに。SFでも、シュールレアリスムでもないのに。

内側から溢れる、生ぬるい懐かしさ。

あんたはそれから五年間、前進せずにひたすら、懐かしさと死に惹かれる生活を送る。

うーん、すこしは前進はしたかも?

投稿するようにも、なっていた。

あらいつの間にか大学やめちゃった。

あら、あんたはニートか?

毎日が懐かしかった。みんなのことが大好きになった。

眠れない自分を除いて。

ほとんど惰性で通っていた精神科。薬について「飽き」ても、チョコボールのくちばしにエンゼルいるかもしれない、軽い感覚で成分や効果を調べる。

いろんな薬を飲んだ。じつに、いろんな薬を。

バカ、なのか正直者、なのか、症状が出るにつれ治療には熱心になっていった。ADHDではないし、双極っぽいと。

さっきの彼女あんたには黙ってたけど精神科ハシゴして薬もらってたみたいね

腕、イカ焼きだったな。

炭酸リチウムフルニトラゼパム。これで死ぬ

死ねないんですがね。

トー横界隈、というのが騒がれるようになった。それより前にはストゼロ地雷系とかあったけど、薬と密接な象徴ではなかった。それは意外なことにDXM。へえ〜、コンタックかブロン液Lかな〜。

いやいや、メジコン

え? メジコン

メジコン

みんな個人輸入してるの?

いや、ドラッグストアで売ってる。

え?

発売した。

絶句

おまえはメジコンが合わなかった。いや、個人輸入の品がハズレだったのかもしれない。と、いうかDXMなんて何がキモチイイの……

あっ。

みんなで盛り上がれるからか。

酒、セックスドラッグ

おまえは、ずっと独りで薬のんでるもんな。わからんわな。

メジコントリップ。そんなこと出来ない。

でもわかる。

酒やセックスのような、スッキリ感がある。

バツグンに爽快な到達点が、ある。

みんな、それを共有したいのか。

あんたと違って。

文芸創作が疎かになっても、他の創作を続けた。

なぜなら薬がやめられないから!

私は、ながらく人間の内側にはどうしようもないパッションがあると考えていた。実際ある。あるのだが、私たちはその「あるということ」しかからない。が、考えをウムムムムムムムーーーーーと巡らせると、それに近づいたり色が付いているように感じたりする。「あるということ」よりも明確な姿をとらえられるようになる。これは半分比喩で、半分比喩じゃない。ましてや真理でもない。イデア論でも物自体でもないし、現象学でも自我論でもドゥルーズでもガタリでもない。

あんたが分かると思った時に生まれる「その分かるもの以外」。この対立が、思考が止められない。

あるいは真理が、あると思っていたのかもしれない。それが分かったとたん、世界段ボールとしてバタリと倒れて、みんな手をつないでお辞儀して終了なのかもしれない。

みんなって、誰?

おまえは独りでキモチヨクなってたくせに。

あーあ、これだからこの脳みそは。

大好きなアーティストDJライブ。ごりごりの踊れるフロアで、チープなリズムマシンの音で、えげつなくダンスデヴィッド・バーンではない、ジェームス・ブラウンのような踊り。

ダンス

怪しげな人間複数名。

ああ、違法薬物やってるな。

いまにも吐いて倒れそうにピクついてる。

私は思った。

好奇心から薬に手を出して、その姿だけを確かめることのできた「あなた」は、この目の前にいる中毒者に並ぶほど尊いものだったか

さて、まだわからない。そんなのわかりたくないからな。

2023-09-08

先週コロナにかかってしまい、寝込んだりのどの痛みに苦しめられたりしていたが、ようやく落ち着いてきた。

そういえばとふと考えたら、その間に誕生日を迎えていて、また一つ、歳を取っていた。39になったらしい。

あと1年で40歳だと思うと、何というか、もう40かというか、まだ40かというか、何だかウンザリしたような気持ちになる。

コロナ療養中、熱が下がってきたころに、暇だからと何か小難しい古い本を読もうとした。

読もうとしたが、ちっとも読めなかった。まるっきり頭に入ってこない。

内容が難解なこともあるが、それよりも、この本を読んだところで何になるのか。

中世プロテスタントにあった倫理観資本主義との関係が俺の人生にどうかかわってくるのか。

そんな風に思われて、頑張って読み進めるのが馬鹿馬鹿しくなって、結局読むのをやめてしまった。

これでも若いころは読書家だった。

いや、年間100冊程度の読書量だったので、我、読書家ぞとイキれる程立派なものではなかったが。

それでもとにかく、読書であるという根拠のない自負はあったし、本を読むのは好きだった。本を手にするとワクワクした。ドゥルーズデリダなんかも頑張って読んだ。もう一切、内容を思い出せもしないが。

今はもう、気が付けば本も読めなくなった。読んで何になる、何の意味がある、そんな倦怠感ばかり募る。

仕事も張り合いはない。

責任感を持って、日々取り組んでいるつもりではあるが、10年以上も勤めれば、大抵はどうにかなる仕事ばかりになる。

出世できる性格だとも思わないし、向いているとも思わない。実際管理職向けのキャリアパスには乗っていないし、キャリア天井も大体見えている。

スキル習得も、会社からまれていなさそうだ。

子供は、やはり欲しい。まだ諦めたわけではない。

諦めてはいないが、俺の不妊は、先天性の疾患に由来しており、医者からも厳しいと言われると、徒労、という言葉が浮かんで消えない。

妻は、俺との子供は欲しいけれど、いなければいないで、決して不幸ではないというスタンスだ。

こんな俺を選んでくれた妻には、感謝してもしきれないし、妻のことは深く愛している。

だけど、本当のことを言うと、残りの人生はあと…年…と考えると、長いな…。と、ほんの少しだけ、感じてしまう。

日見テレビ番組で、91歳の老爺がインタビューを受けていた。

その爺さんは、朝の4時に起きて、2時間かけて地元海岸まで散歩するのだという。

それを、日に3度も繰り返すのだそうだ。

早くお迎えが来てほしいが、誰も迎えに来ない、と言っていた。

俺はそれを見て、虚しくなって、気が滅入ってしまった。

一日一日を、ただ歩いて時間を潰す、そんな毎日が終わるのをただ待っている。

俺もやがてそうなるのだろうか。そんな風に日々を送るのだろうか。

父のことを、最近考える。

70を過ぎた今でも元気に働いている。

さな頃はあれこれと家族で出かけていたが、高校に入って以降は、父と親しくした記憶ほとんどない。

30代になるまでは、父のことはあまり好きではなかったように思う。尊敬できない人だと思っていたし、大した人間でもないと思っていた。

しかし、俺と姉の二人を、中身はとにかく大人になるまで育てあげたこと、俺などは大学にまで行かせてくれたこと、それを思えば、大変にすごい男なんだと少し前から思うようになった。

少なくとも、子供を育てたことのない俺よりは、ずっと立派だ。

父は日曜の夕方になると、自室でCDを聴いているのが常だった。イーグルスなんかの、古い洋楽ばかり聴いていた。昔は、またか臭い音楽を流して、くらいに思っていた。最近では、なんというか、父はあれは、楽しいんだろうかと思ってしまう。

飽き飽きしたり、しないんだろうかと。

このところ自分が感じている憂鬱について色々と調べてみたところ、ミドルエイクライシス、あるいはミッドライフ・クライシスと呼ばれるものに、どうもよく当てはまっているようだ。中年になって、自分人生や将来に、不安を覚えたり、なにか間違った生き方をしているのではと疑問を感じたりする現象らしい。

第二の思春期とも呼ぶそうだ。

思春期、なんて言われると、なにを、俺はそんな青臭い、幼稚な人間じゃないぞ、といらだちを覚えるけれど、そういうところが幼稚なんだよ、と言われてしまえば、それはまあ、確かにそうかとなる。

30代でそうなるのは、少し早い気もするが、子供がいないとそういうものなのかもしれない。

どげんかせんといかんとは思う。

思うけれども、どうにかなるような気もしない。

そもそも生活に張り合いを求めているかと言われると、そういうわけでもないような気もする。

やりたいこと、というものを考えたとき、何も、本当に何も浮かばない。

ぐっすり寝たいという望みは、先日のコロナ罹患不本意ながら叶ってしまった。

やりたくないことないくらでも浮かぶ

何をするのも億劫だ。

億劫なのに、しばらくは終わりがくるような感じもない。

若い時には気にならなかった人生の長さに、打ちのめされているように感じる。

テレビで見た91歳の老人は、あるいは父は、どうなのだろうか。

2023-07-20

知り合い曰く、

ドゥルーズなんて衒学ぶった、意味のない文字の羅列に過ぎない」とのこと。

本当にそうだろうか?

本当はYahooトップを飾るような無味乾燥記事や、ネットに氾濫する文章の方が、実はよっぽど無意味なんじゃないだろうか。

そんなことを先の三連休ネット断ちをした経験から思うのだ。

2022-09-18

anond:20220917235148

個人ブログって、だーれもみてないけどずっと続けてる活動をこっそり見せてもらえるというのが好きだった。お金になりますよ、それもうまくいけば莫大な額ですよ、と言われるとなびいてしまうのは仕方ないし、これは彼らのせいじゃない。コミュニケーション金銭汚染されているとドゥルーズも言ってたよ。

2021-10-05

anond:20211005070601

のろま早くしろとか発破かけてるフリしてるけど

今更こんな批判出してくる時点で

色々と長引かせたいのが見え見えなんだよね

本当にいい人間だったら

これもっと早く言うよね〜〜

0670 考える名無しさん 2021/10/03 23:43:09

>>669

デリダドゥルーズが共にやったことは、

ソシュール記号学批判して、パース記号論哲学を捉え直した点。

構造主義記号学

ポスト構造主義記号論

>>496の中に、一言でも「記号学とあるかい

パースを知らず、ソシュールの「シニフィアンシニフィエしか知らないようでは、

ポスト構造主義ポストモダンを読んでもチンプンカンプンポエムしか見えないだろう。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

辞書も引かずに哲学をやっていると、何千時間無駄にするよ。

2021-02-10

本好きなら高校生までに読破しておきたい古典100

哲学思想

プラトン饗宴

アリストテレス詩学

アウグスティヌス告白

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

マキァベッリ『君主論

モア『ユートピア

デカルト方法序説

ホッブズリヴァイアサン

パスカルパンセ

スピノザエチカ

ルソー社会契約論』

カント純粋理性批判

ヘーゲル精神現象学

キルケゴール死に至る病

マルクス資本論

ニーチェ道徳の系譜

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ソシュール一般言語学講義

ヴァレリー精神危機

フロイト快感原則彼岸

シュミット政治神学

ブルトンシュルレアリスム宣言

ハイデッガー存在と時間

ガンジーガンジー自伝

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品

ポランニー『大転換 市場社会形成崩壊

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法

アレント全体主義の起源

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

レヴィ=ストロース野生の思考

マクルーハングーテンベルグ銀河系

フーコー言葉と物』

デリダ『グラマトロジーについて』

ドゥルーズガタリアンチオイディプス

ラカン精神分析の四つの基本概念

ウォーラーステイン近代世界システム

ケージジョン・ケージ

サイードオリエンタリズム

ベイトソン精神自然

アンダーソン『想像の共同体

本居宣長『玉勝間

上田秋成『胆大小心録』

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』

岡倉天心東洋理想

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』

九鬼周造『「いき」の構造

和辻哲郎風土

柳田國男『木綿以前の事』

時枝誠記国語学原論

宇野弘蔵経済学方法論』

海外文学

ホメロスオデュッセイア

旧約聖書創世記

ソポクレスオイディプス王』

唐詩選』

ハイヤーム『ルバイヤート

ダンテ神曲

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

シェイクスピアハムレット

セルバンテスドン・キホーテ

スウィフトガリヴァー旅行記

スターントリストラム・シャンディ』

サド悪徳の栄え

ゲーテファウスト

スタンダールパルムの僧院

ゴーゴリ外套

ポー盗まれた手紙

エミリー・ブロンテ嵐が丘

メルヴィル白鯨

フローベールボヴァリー夫人

キャロル不思議の国のアリス

ドストエフスキー悪霊

チェーホフ桜の園

チェスタトンブラウン神父童心

プルースト失われた時を求めて

カフカ審判

魯迅『阿Q正伝』

ジョイスユリシーズ

トーマス・マン魔の山

ザミャーミン『われら』

ムージル特性のない男』

セリーヌ『夜の果ての旅』

フォークナーアブサロム、アブサロム!

ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』平

サルトル嘔吐

ジュネ『泥棒日記

ベケットゴドーを待ちながら

ロブ=グリエ嫉妬

デュラス『モデラートカンタービレ

レム『ソラリスの陽のもとに』

ガルシア=マルケス百年の孤独

ラシュディ『真夜中の子どもたち』

ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

ボードレール悪の華

ランボーランボー詩集

エリオット荒地

マヤコフスキーマヤコフスキー詩集

ツェランツェラン詩集

バフチンドストエフスキー詩学

ブランショ文学空間

日本文学

二葉亭四迷浮雲

森鴎外舞姫

樋口一葉にごりえ

泉鏡花高野聖

国木田独歩武蔵野

夏目漱石我輩は猫である

島崎藤村破戒

田山花袋蒲団

徳田秋声あらくれ

有島武郎或る女

志賀直哉小僧の神様

内田百閒『冥途・旅順入城式』

宮澤賢治銀河鉄道の夜

江戸川乱歩押絵と旅する男

横光利一機械

谷崎潤一郎春琴抄

夢野久作ドグラ・マグラ

中野重治村の家

川端康成雪国

折口信夫死者の書

太宰治斜陽

大岡昇平『俘虜記』

埴谷雄高死霊

三島由紀夫仮面の告白

武田泰淳ひかりごけ

深沢七郎楢山節考

安部公房砂の女

野坂昭如エロ事師たち

島尾敏雄死の棘

大西巨人神聖喜劇

大江健三郎万延元年のフットボール

古井由吉円陣を組む女たち』

後藤明生挟み撃ち

円地文子食卓のない家』

中上健次枯木灘

斎藤茂吉『赤光』

萩原朔太郎『月に吠える』

田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

坪内逍遥小説神髄

北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉福翁自伝

正岡子規歌よみに与ふる書

石川啄木時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝復興期の精神

吉本隆明転向論』

江藤淳成熟喪失

2020-03-15

anond:20200315224143

俺はソーカルドゥルーズラカンも読んだけど

その三者を同列に並べるのがそもそも分かっていない証拠だと思うんだが。大丈夫か?ソーカル事件のこと知らないんじゃないのか?

anond:20200315223919

俺はソーカルドゥルーズラカンも読んだけど

ソーカル電波度が足りなくて面白くないか

ドゥルーズラカンだけ読めば問題ないよ

ポストモダンは「正しい/正しくない」ではなく「面白い/面白くない」の評価軸で評価すべき

2018-12-09

anond:20181208182834

んなもん∞と∝みたいなもんでちょっとしたドゥルーズ=ガタリみたいなもんやろ、視力検査か?

2018-10-20

反自由主義フェミは女の自由も抑圧したがっているのですから、彼ら彼女らは同時に女性嫌悪者でもあるのだと考えるのが自然

フーコー派は「私たち社会的権力欲望させられているのだ」という主張を好みますが、これは反自由主義フェミニズムと非常に親和性が高い立場です。なぜならこの理屈を使えば、自由意志の下で性を楽しんでいる女に対して「あなたはそのように欲望させられているだけの奴隷だ」と言えるからです。

いわゆるフーコー哲学は「我々は社会的権力欲望させられている」という主張を好みますが、ドゥルーズ哲学は「その社会的権力とやらを生み出しているのは、結局のところ私たち欲望なのだ」という立場を選んでいますよね。これはフーコー批判としては最も辛辣ものであるように思います

ミシェル・フーコー社会哲学は何でもかんでも権力権力アンド権力と言い募る戯言を通じて結局のところなにをやらかししまっているのか。むろん個々人の自由意志を抑圧することに貢献しているのです。少なくとも人間自由抑制したがる人々に最適な武器を与えていると言えるでしょうね。

ポストモダニスト代表であるフーコードゥルーズデリダのうち、実は最も「悪用されやすい」という意味で悪質なのはフーコーです。

反自由主義フェミに対し、彼ら彼女らは実は単なる男性嫌悪者に過ぎないと主張する人々がいるけれど、それは真実の半分しか言い当てていないと私は思います反自由主義フェミは女の自由も抑圧したがっているのですから、彼ら彼女らは同時に女性嫌悪者でもあるのだと考えるのが自然だと思います

エマワトソン論争は「男も男性から降りたほうが幸福だ」VS「男は男性から降りたほうが不幸だ」みたいな対立でしたが、そもそも男が男性から降りたり女が女性から降りたりするのは基本無理なので全く意味のない議論だと思いました。ありもしない仮定の下で議論するのは時間無駄

当時の私はエマワトソン論争を眺めて「ジェンダーがそんなに簡単フリーになるわけないだろ。なめとんのか貴様」的なことを考えたり考えなかったり、そんな風な感情を抱きながら両陣営を眺めていましたね。そもそも論者自身男性性も女性性も捨てていないのにムシのいい話だなと思いました。

さらジュディス・バトラージェンダートラブル』を再読しましたが、いくらなんでも生物学的な性差を軽視しすぎていると思いました。これは単なる観念論ではないのか。じっさい、最終章バトラー称揚してみせるのは毒にも薬にもならない「パフォーマティブな攪乱」でしかないというわけです。

2018-01-23

どうかんがえてもドゥルーズが好きなやつはわたモテを読むべき!なにがどうとかいってる場合じゃない

どう考えてももこっちはバートルビーだし

ゆりもこの関係ミシェル・トゥルニエフライデーのやつだし

黒木智子となかまたちは独身者共同体だし

もこっちの吃りはルイスウルフソンだし

田村ゆり精神狂気黒木智子は行動の狂気by小泉義之)だし

ガチレズさん・うっちーヤンキーゆりちゃんは母なるものヴァリアントだし

もこっちの身体器官なき身体だし

もこっちは欲望機械だし

黒木智子となかまたちはアジャンスマンだし

はやくわたモテをみろ!わたモテを!

どうかんがえてもわたモテが好きなやつはドゥルーズを読むべき!

どうなっても知らんぞ!

2017-09-04

増田ディベート部】バブみブームにモノ申す!!!

あんま詳しくないんだけどさ、最近流行りの「バブみ」って、例外はたくさんあるだろうけど基本的には

少女母親

的な存在を指示するって印象がある。

(宮﨑駿のアニメみたいな)

でもさあ、それって母親、そういうとさすがに直接的すぎるかもしれんから母性と言い換えると、

母性ポテンシャルを低く見積もってると思うわ。

身近にいるおばさんを見つめ返してみろ。

受付のおばさんでもいいし、スーパーのおばさんでもいいし、どんなおばさんでもいい。

色気やばいだろ。

見た目がどうこうということではなく(無論よければそれに越したことはないが)、

存在から醸し出される色気とでもいうか。

なにげない会話の一言一言に、一切もったいぶってない色気があんだろ。

若い女性が抱えがちな妙なプライドがない・・・というとミソジニーみたいだが俺がここでいいたいのはそういうことではなくて、

若い女性がそういうプライドを抱えていることを「おのれの商品価値を把握し、この資本主義を狡猾にサバイブしている証拠」として言祝ぐ

わけわからん奴らが最低だ、ということがいいたいんだ。


それはともかく、ドゥルーズもどっかで指摘しているように、母性にもいくつかのバリエーションがある。

もっと自分欲望に素直になって、多用な母性を探したほうが絶対人生楽しい

2017-07-22

今年よかった映画や本などのメモ

一時期赤羽の駅前を賑わせた男性がいる。彼はどう見ても普通の、背広を着てネクタイを外したサラリーマンなのだが、なぜか道行く人にノートを見せつけてくると言う。そのノートにはどれほど猥雑なことが書かれているのだろうかと怪訝に思われるだろうが、実はそうではなく、ノート手書きで書かれているのは

君の名は

に関するあらゆる情報。どうやら彼は映画館で観ていたく感動し、その作品を広く世に知らしめるべく行動に出たようなのだ。すごくないですか?このインターネット全盛の時代に。しかもすでにみんな結構観てるし。でもなんかいいなと思った。どうしても色んな人に観てもらいたかったのだろう。

今年観た映画には素晴らしいものが数多く、会う人会う人に、向こうのリアクションなどお構いなしに下を見ながらブツブツすすめ続けてしまう。わたしは何かを観たことによるマウントを行いたいわけではない、と思う。ただ、自分が今ラリっているブラントを配りまくっているジャンキーのようなもの。たぶん。ヘイ、ニガ!一緒に吸おうよ!みたいな。たぶん。知らないけど……。僭越ながら紹介させていただきます。とっておきのブラントなんだぜ、ニガ。

長い前置きすみませんでした。

◆超オススメ

①映画「お嬢さん」監督:パク・チャヌク

韓国鬼才によるエロサイコミステリーしか百合韓国映画敬遠しがちな人は度肝抜かれるので観てください……。戦時下、美しい日本庭園で美しい衣装を着て日本人のフリをする朝鮮人たちが騙し合うんですが、セリフがずっとカタコトの日本語。この時点でカルト映画だ!となるんですが、話の展開も予想だにしない方向へと引っ張られていき目が離せないです。しかも最後が爽やか。イェーイ!となるという。とにかくエロいんでそこ目当てでも観て欲しい。

公式サイト:http://ojosan.jp/sp/index.html

②映画「コクソン」監督:ナ・ホンジン

韓国の寂れた村に國村隼が住みついてから、村人が家族を惨殺する事件が相次ぐ……なんで國村隼?本当に犯人は國村隼?なんでフンドシで鹿の生肉食べてる國村隼?こう聞くとB級映画しか思えないと思いますが、カンヌ出品も納得のテーマへと迫っていく。何を信じるのか?終わり方は苦手な人もいそうだけど、でもそういう人こそ観るべきだと思う。途中、祈祷師なる人物がドラをジャンジャン鳴らしながらヤギの首をかっ切るシーンは尋常じゃない高揚感が得られます

公式サイト:http://kokuson.com/sp/

③映画「くすぐり」監督:デイビット・ファリア

Netflix話題を呼んでいるドキュメンタリーニュージーランド記者が「くすぐり我慢大会」なるものを見つけ取材を申し込むと「オカマ野郎には関わって欲しくない!てめーはクソだ」のような攻撃的な返事。調査を進めるうちに、まるでゲイポルノのようなくすぐり動画を撮影し、恐喝に用いていたことが判明する……。

実話であることが恐ろしすぎる!見ず知らずの若者を支配し人生をぶち壊すことにしか興味がない恐ろしきサディストの話。こんな怖い話があってたまるか……。ゾワゾワしたい人は是非観てほしい。すごく怖い。

参考サイト:http://cinemandrake.blog.jp/くすぐり

④本「勉強哲学 来たるべきバカになるために」著:千葉雅也

勉強するとはどういうことか?勉強するとはキモくなることである勉強すると100%キモくなる。なぜなら周りのノリに対し浮くからだ、という箇所に大納得。でもそれでも勉強してしまう。なぜなら自分が変わっていくマゾヒスティック快楽があるから。勉強とは、今までわからなかったことがわかること。言葉自分のなかで血肉を持つこと。でも言葉自分環境を一度切り離し、客観的に捉え直すことが必要自己啓発書風だけど中身はすごくわかりやすいドゥルーズだった。わたしがなぜ学生の時にドゥルーズに心惹かれたか、腑に落ちた。とても平易な言葉で書かれているけれど、勉強のものに切り込んでいくのでスリリング。名著だと思う。……伝わってますか?すごく読みやすいのに考えさせられる、とてもよい本。

テレビシリーズ「ル・ポールドラァグレース

こちらもNetflixにて。アメリカンドリームを夢見る、人種バックグラウンドも様々なドラァグクイーンたちがバトル!ル・ポールの前で1番を競い合う。カーテンドレスを作ったりものまねショーをしたり。あれ?意外に予算がかかってない?しまむらチックな私服を着た屈強な男たちがメイクと豪華なドレスで美しく変身する様、見習わないといけないなと思わせます。そしてなんてったってル・ポールが美しい!普段はダンディなスキンヘッドの50代のオジさま(声だけ女)なのに、ひとたびドレスアップすると193センチの美女!日本の番組ありがちな、 「でも実はオッサン」的ないじられ方をすることなく、ただただ美の化身として存在するル・ポール尊いです。あと発音がわかりやすくてリスニング力を鍛えることができる。

⑥映画「モアナと伝説の海」監督:ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー

海、砂、黄金テクスチャーが本物以上。海洋スペクタクルアドベンチャーモアナプリンセスというよりかは立派な施政者。16歳なのにあんなにしっかりしているなんて……。話の説明パートは歌かギャグが入るので飽きることがない。オチ完璧だったし、この映画を観て育った子供は絶対に自然環境破壊しないと思う。ホントか?半神ムアイは全身タトゥーだらけで顔もいわゆるディズニーヒーローとは違っているけど、とても愛らしい。ディズニーは反ルッキズムへと舵を切っているのかも。人間に御礼を要求する歌がいいです。派手なカニやココナッツマッドマックスも必見。

⑦映画「レゴバットマンムービー」監督:クリス・マッケイ

今激激激激オシしている映画。なぜなら全然流行ってないから。でもそれはどう考えたってオカシイだってこんなに面白い映画そうそうない。映画館で終始ニヤニヤ、たまにゲラゲラ、笑いすぎてむせてしまったかと思えばしんみりさせてくれる。バットマンでかつレゴ、でもどちらも必然性があるストーリー。レゴがとにかくかわいくカラフルで魅せられるんだけど、話は意外に考えさせられる。

ダークナイト」では、悪に対し私刑を加えるにすぎず、その行動がより悪を増長させ自らもまた悪の似姿となるバットマンが、アメリカオーバーラップさせる形で描かれた。奇しくもジョーカーを演じたヒース・レジャーの死によってダークナイト問題提起に答えが与えられることはなくなってしまったが、その答えを与えるのが「レゴバットマン」。まじです。しかも子供も楽しめる。すごい。ウォルデモート卿やマトリックスエージェントキングコングまで。騙されたと思って観てください。

公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/legobatmanmovie/

オススメ次点

⑧映画「アシュラ」監督:キム・ソンス

韓国ノワール。人がイヤな死に方をすることでは天下一品韓国映画にまた一作、観ていて痛そうな映画が。サイコ市長に飼い犬のように使われるダーティ刑事が牙を剥く。観終わったあとに結局なんだったのか?感が否めないが、市長がフルチンでキレたり、やたら痛そうな拷問など、観ると楽しい。主演が西島秀俊に似ている。

公式サイト:http://asura-themovie.jp/

⑨映画「ムーンライト」監督:バリージェンキンス

閉鎖的な黒人社会でセクシャルマイノリティとして生まれたこと、というよりかは孤独な子供あるあるとして観た。静謐さ、不安定な視界、不安げな表情、どれも既視感のある普遍的ものだったので、不器用な子供だった人にすすめたい。また、車、言動、振る舞い、筋肉、どれをとってもギャングスタに憧れないわけにはいかなかった。

公式サイト:http://moonlight-movie.jp/sp/

⑩映画「湾生回家」監督:ホアン・ミンチェン

台湾で生まれ育つも敗戦により引き揚げざるを得ず、しばらくかの地に足を踏み入れることのできなかった日本人を追ったドキュメンタリー故国ではないところに故郷がある人の、心はいつだって異邦人という言葉に痺れる。人の優しさと詩情に満ちている。

公式サイト:http://www.wansei.com/

11映画「スウィート17モンスター」監督:ケリー・フレモンクレイ

とにかく女の子ダサい二日酔いから覚めると一人しかいない親友といけすかない兄貴がウチでヤッてた!?最悪な気持ちのまま適当アジア系のイケてない男の子デートしたり先生悪口言ったり、ジタバタ。パーティで人に話しかけることができなかったり、目も当てられないが、それはまごうことのなきいつかの自分。近頃よく見るイケてない青春ムービー一角だが、大した事件が起きないのにしっかり成長するので見ごたえがある。サントラがいい。

公式サイト:http://www.sweet17monster.com/

2017-02-13

夢は南海トラフ上野女史への反感―

本来、三大命題二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。

この論考は以下のURLにたいする一人の若者から反論である

https://togetter.com/li/1080097

以上の新聞記事で、上野女史は「経済犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。

この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。

平和国家という「ファンタジー

上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。

この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。

そもそも、戦後日本社会体制1940年代の「総力戦体制を「経済最優先」の形として再編したものである

扶養控除、源泉徴収終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。

社会実態についても、「平和」と呼ぶにはほど遠い。

1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動市民運動社会不安が吹き荒れていた。

70~90年代にかけては、家庭や企業社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。

これが少年非行いじめ過労死などの狂気的な状況を引き起こした。

戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたか社会である

まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである

後期近代―不確実な私、国家社会

しかも、「ゆたか社会」は90年代2011年にかけて完全に崩壊した。

まず、政府安全神話が崩れ、

企業身分制保障崩壊し、

最後に、原発事故とともに社会安全神話が吹き飛んでしまった。

この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である

では、現在社会とはどのような社会なのか。

それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的である

企業におけるセーフティーネットが「生産性自己実現神話」の名のもとに縮小され、

パートフリーターという不安定生活者が生まれた。

政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、

監視カメラSNS監視なしに、人々は安心して生きることができない。

不誠実な脳科学認知神経科学AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、

人々は常に失職と人間尊厳消失心配するようになっている。

そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。

このように、後期近代社会とは

当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間永遠の虚無へと投げ出すのである

相対的剥奪感と存在論不安

このような状況では、人々は二つのレベル不安を抱えることになる。

一つは生活レベル不安相対的剥奪感―

もう一つは存在レベル不安存在論不安

である

私たち人生ほとんどを仕事をして、生きている。

しかし、その仕事価値が急速に低下してしまった。

人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。

一方、ただ一日中パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。

この二極化する現実は人々に

「不当な地位にいる!」

「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」

という相対的剥奪感を抱かせる。

また、後期近代社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。

軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。

そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。

二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論不安を抱かせる。

しかに、ここであげた例は極論である

しかし、似たような体験をする人は多いだろう。

そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。

「私はこうなれたのに……」

「私もこうしたかった……」

ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情現代社会不安の核心にあるように思う。

上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である

この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである

夢は南海トラフ赤木理論の失効―

――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。

このような後期近代グロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。

彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺理論を主張した。

しかし、私は「戦争」を夢にはできない。

今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。

今や「自殺」ですら「富裕層」を富ませる資本である

加藤智大植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。

そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆不可能性を解き、

「後期近代」の隊列にから逸脱しないことを促進させる。

後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっと積極的な「支援行為なのだ

私の夢は「南海トラフである

防ぎようのない「天災」によって、

嫉妬の中心地である太平洋ベルト東京

ありとあらゆる社会資本が壊され、嫉妬の根源が無化される。

私はベンヤミンのいう「法維持暴力」に立つ者であるが、

この瞬間を心の底から待ち望む。

私はそのとき、心の底から嗤うことができるだろう。

109崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町サーバーがダウンし

白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき

後期近代はその柔らかな恥部を表出する。

私は笑顔でその恥部憎悪の限りをぶつけてやり、

後期近代を殺し、末期近代を出現させてやるのだ。

そのときに来るのが、

東のいう変質したファシズムなのか

笠井のいう生存のためのサンディカなのか

佐藤のいう無慈悲アナーキズムなのか

知ったことではない。

私が心の底から嗤いたいのである

相対的剥奪感や存在論不安に晒されることなく嗤いたいのである

そして、私は嗤いながら確信する。

東北の「土」と「血」が正しかったことを

東京の「コンクリート」と「鉄道」が虚妄であったことを

このような自己破滅願望について納得する解答を提示できない上野女史に

後期近代現代社会を語る権利はない。

彼女はせいぜい自らの理念後生大事に背負って、大学瓦礫に押しつぶされて死ぬのがお似合いだ。

2015-05-02

千葉雅也のアンチエビデンス論について」について

10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト

千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note

 最初リンクを「アンチエビデンス論」、二つめを「アンチアンチエビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章アンチアンチアンチエビデンス論と呼ぶ必要はない。

 千葉雅也の「アンチエビデンス論」が出たとき個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチアンチエビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章はいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチアンチエビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である

 しんかい氏は、まず千葉の主張をこのように要約する。

千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡ネット上に残してしまます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。

 そして、その上で読者にこう問いかける――

まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。

 不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチエビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任擁護エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチアンチエビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後

エビデンスを求めようとしなければ、人の思考個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまます

という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる

しかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。

実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)

 さらに読み進めていくと、千葉文章引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。

このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断要求されていると思いますけど。むしろ日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。

 「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手企業だけの話にすり替えているし、しか千葉文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。

マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから

 なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠ほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチアンチエビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?

 この後も、しんかい氏は「アンチエビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。

ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路評論というものを考えてるんですよね。思考論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。

この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇アカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。

 対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージ攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。

ただし、いまや世界的に、ドゥルーズ的な文体にたいする風当たりはかつてより強くなりました。

 これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーターバリーによる教科書引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。

バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。

 また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代エビデンシャリズムからいまだ自由時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニスト難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやす世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。

 だいたい、千葉ポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネット賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニスト問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームしかないのではないか? こうしたカテゴリー混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数無理数混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう? 

 しんかい氏はなぜ、ソーカル事件千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において、しんかい氏は、アンチエビデンス批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマ場合科学数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛ものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである

 貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学科学プログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明ものだし、別に大陸哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。

 ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学モニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。

徹底した大学のモニタリング | 広島大学

2015-02-08

はるしにゃん君について

はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。

殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter

https://twitter.com/hallucinyan

もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。

むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86

むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter

https://twitter.com/muryakamiyuu

ハルシナ(@hallucina_)がむりゃかみゆうコスプレしてTLが大狂騒だわぁい! - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/25117

ゲンロンの前身にあたる合同会社コンテクチュアズマスコットキャラクター、むりゃかみゆうモチーフ女装なんかやってた頃は、彼にも可愛げがあった。

ニコニコ動画歌ってみたなんか上げちゃって、東浩紀への目配せがいじらしい。

組曲あずまん動画』 - ニコニコ動画:GINZA

http://www.nicovideo.jp/watch/sm9418087

で、彼はそのままゲンロンのホモソーシャルで姫をやってりゃよかったものを、欲っ気を出して同人誌編集を始めてしまった。

Amazon.co.jp: イルミナシオン: 松本 卓也, 黒瀬 陽平, 上祐 史浩, 佐藤 雄一, 有村 悠, はるしにゃん, 藤城嘘: 本

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E5%8D%93%E4%B9%9F/dp/B00B72IS7W/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1423375602&sr=1-2

この『イルミナシオン』所収の「イルミナシオンは愛を求めて」は、はるしにゃん君が不幸な家庭で育ち、エヴァにハマり、友人の自殺を経て、童貞卒業への闘志に芽生え、デリヘルで失敗し、メンヘラ女を食い漁るようになるまでを描いた自分語りで、彼の批判者はまずこれを読んでおいたほうがいいよ。

これは劣化版『超人計画』みたいなもので、はるしにゃん君も「滝本竜彦劣化コピーのごとき実存」とか自分で言っている。

滝本竜彦論 - A Mental Hell's Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/08/103452

これだけを見るとゲンロンに擦り寄っていた哀れなオタクがなんか覚醒したっぽいというだけの話だけど、覚醒した彼は『イルミナシオン』の刊行と前後して、アニメ批評にちょっかいを出すようになった。

杉田悠の「『けいおん』の偽法――逆半透明の詐術」という論考に準じて、はるしにゃん君はブログに「けいおん!の「内面」について」という記事を載せた。今は削除されちゃっているけど、ブコメから雰囲気は伝わってくる。っていうかなんで削除しちゃったんだろうね。そんなに批判されたくなかったのかな。

けいおん!の「内面」について - A Mental Hell’s Angel

http://b.hatena.ne.jp/entry/hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/25/200631

で、この記事に、泉信行や岩下朋世なんかの『ユリイカ』系の漫画研究家たちが反論を加えたことでちょっとした論争がおこった。

けいおん!内面論争 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/349451

はるしにゃん君によると、日常系空気系アニメであるけいおん!」には内面がなく、むちむちとした身体性によってそれが覆い隠されているんだそうだ。

その結論に至るまでの不備を指摘されているわけなんだけど、泉信行が「研究と批評は違う」みたいなことを言っちゃったせいで、はるしにゃん君は「じゃあ批評は適当でもいいじゃん」みたいなスタンスをとってしまった。これは良くないよね。

泉信行は「研究と批評は違う」とは別に「たとえ研究のような厳密性が求められない批評であっても、媒概念不周延の誤謬には注意しようね」ということを主張している。これをはるしにゃん君はガン無視し、杉田悠に助けを乞うた上、俺が批判に応えてやってるのに、みたいなことを言い出した。

当時、杉田悠が寄稿した『アニメルカ』を中心に「アニメブロガー総合スレ」というスレがあったんだけど、はるしにゃん君の大立ち回りはそこそこ話題になった。

アニメブロガー総合スレ5

http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/iga/1339336696/

953 :名無しさん名無しさん:2012/09/14(金) 22:52:30.49

たてるならハルシナヲチスレだな

テンプレ

ハルシナ杉田

@sugita_u 生活上のストレスとかあるんでしょうけど、礼儀って素朴に重要なんじゃないですか

@sugita_u 僕は杉田悠さんがアニメルカの中では相対的に優秀だと思っています

@sugita_u 僕はあなたの原稿をトゥギャッターで乗り越えました

@sugita_u 少なくとも、擁護しようとした立場の人にいきなり「カチンと来た」「仲間だなんて思ってくるな」という発言したことを謝罪する気はないんでうすね。それは失礼です。その失礼が謝罪によって解消されるか病院の薬で解決されるか、ということでよろしいですね

@sugita_u 僕としては優しかった頃、余裕のあった頃の杉田さんが好きでした。でも変わられてしまった。しかしそれが良い展開に向かう可能性もある。僕は杉田さんの幸福を数年間祈って来ました。

@sugita_u 疑問なのはどうしてそう喧嘩腰にしか喋れないんですか。「カチンと来た」「仲間だと思わないでくれ」もそうですが。人格障害だと認めますか?

@sugita_u 言っておきますが江戸猫もセイジョウもあっちから僕を切ってきたんですよ。

@sugita_u 正直言ってコミュニケーション齟齬が生じたから悪口言うって低劣だと思います

892 :名無しさん名無しさん:2012/08/31(金) 23:37:02.97

ハルシナ社交辞令を真に受けるタイプだなw

こういう奴は裏では嫌われてるって自覚ないまま消えていくよ

人の褌で相撲を取ろうとしておいて、なかなか図々しいね。でも、そこがはるしにゃん君の可愛さでもあるんだ。

https://twitter.com/hallucinyan/status/230988133540458497

僕はディベート部の部長だったので、議論と喧嘩の区別をつけています。今回の議論で僕はいみのさんに悪印象を持ったりはしていません。むしろマンガ論の沃野の広大さを教えてくださって感謝しています

ディベート部の部長だったからって何なんだよ。まあいいや。

http://togetter.com/li/349401#c643714

「虐待される美少女ブヒィィィすっぽんぽんブヒィィィ」と同人誌萌えサカッた後、「いやこれは『実在性』を剥ぎ取られた『キャラ』に『身体性』と『精神性』を『補完』する『試み』に興味を抱いたわけで」などといった「普段の僕は頭いいんです」アピールで己の「ゲスな身体性」への言い訳をするのが現代哲学や評論であるのなら、ンなもんさっさと死ねばいいのに、と思いました。

散々な言われようのはるしにゃん君を擁護しておくと、「けいおん!内面論争」での「内面」は「ポストモダン的成熟」の有無によって判断されるもので、一般的な意味での「内面」とは別物なんだよね。でも、その辺りを理解できなかったラノベ天狗なんかはいつまで経ってもグチグチ言ってるみたい。

けいおん! 内面 - Twitter検索

https://twitter.com/search?f=realtime&q=%E3%81%91%E3%81%84%E3%81%8A%E3%82%93%EF%BC%81%20%E5%86%85%E9%9D%A2&src=typd

じゃあ「ポストモダン的成熟」って何だよって話だけど、やっぱり意味不明なんだよね。定義を明示せずに言葉を振り回しているところが、いかにも批評家くずれっぽくて微笑ましいね。

さてさて、はるしにゃん君はその後も批評をがんばり続けてきた。と同時に、メンヘラを食いまくってきた。

メンヘラカラオケオフにこのあいだ行ってきたよ - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2013/06/16/092515

はるしにゃん君のメンヘラの食い方は、「俺はメンヘラなんだよぅ~つらいにゃんつらいにゃん~」ってメンヘラを引き寄せ、「君はラカンも読んだことがないの?ザコ?」みたいなことをいって罵倒し、依存させるって感じかな。想像だけど。

そうやって彼はメンヘラ女を集め、ヤりまくり、一方で、彼女たちを批評で救うみたいなスタンスのもと、同人誌を作っていった。

ところが、メンヘラメンヘラから、適切な治療を受けなければ死んでしまう。

Twitterメンヘラ神が死んだ件について思ったこと - まつたけブログ

http://matsutake.hatenablog.jp/entry/Twitter%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%A9%E7%A5%9E%E3%81%8C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E4%BB%B6

はるしにゃん君の仲間で、一緒に同人誌を作っていたメンヘラ神は、メンヘラであることをコンテンツにしていくうちに、自殺してしまった。

メンヘラ神の死は、それはそれは多くのメンヘラに影響を与えたんだけど、ウェルテル効果というまではいかなかった。

メンヘラネタインターネットで人気者になることについて : 戦争だ、90年代に戻してやる

http://blog.livedoor.jp/omaenoteki/archives/37553931.html

でもまあ、メンヘラを集めてコンテンツ化していたはるしにゃん君は、メンヘラ神を死に追いやった一因として、散々な批判を浴びることになっちゃった。かわいそうに。

そのせいか、はるしにゃん君はしばらく燻っていたんだけど、2014年の秋ぐらいから元気になってきたみたいなんだよね。

彼の文章も、東浩紀やら宮台真司やら千葉雅也やらに褒められるようになってきた。よかったね。

で、また最近は批評をやってるみたいだ。

セカイ系以後の生存技法――ファウスト系はどうサヴァイヴしたか - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/01/09/134549

あれこれ思想家を引用してるけど、言ってる中身はシンプルっていうか、一般的な意味での内面がないのはご愛嬌。まだセカイ系とか言ってて、まさしくゼロ年代の亡霊だ。

東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/773022

東浩紀についてなんか、かなり熱心に語っている。

ちなみに東浩紀自身の言説には内面がないどころか、自己矛盾の塊だ。

山川賢一の『動ポモのどこがクソなのか大会』 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/533391

東浩紀 対消滅語録 - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/594240

で、はるしにゃん君の文章をいくつか読めば分かるけど、彼は思想家哲学者の名前をジャブジャブ出しまくって権威付けを図ろうとしているよ。

けれど、本人が何か新しいことを言っているわけでもなくて、権威付け以外の何かに発展している例は今のところ見当たらないし、そこはがんばって欲しい。しんかい35と正面衝突してくれないかな。

さて、はるしにゃん君の権威付けは、複数哲学者社会学者が共通して言っていることを抜き出して言い換えることによって成り立っている。

でもこれは、社会学者から反感を買うこともあるんだ。

はるしにゃん君が「ルーマンラカン以下」なんて言っちゃった時は、ルーマン研究者の酒井泰斗がげっそりしていたよ。

https://twitter.com/contractio/status/197244430338633729

前者は「似てるよね分析」と呼んでいますが、後者はなんと呼びましょうかね。

RT @sskyt: 「Aは……Bと……似ている!」とか「Aは……Bを……読んでいた!」みたいな研究て全然興味持てないんだけど。

https://twitter.com/contractio/status/197247900085002240

組み合わせると、「昔の人Bが言っていたXは 最近Aが言っているYに似ているのでB偉かった」のようなかなり高度な主張が可能となる。

https://twitter.com/hallucinyan/status/547789378999681024

ルーマンの言ってることって大概ラカンが述べてるしラカンを超えてる部分があまり見当たらないというのが個人的見解で、じゃあ「ポストモダニストより社会学者から引用したほうが叩かれにくい」という政治的効率性以外の点でルーマンの卓越性ってどこにあるんだろうって思っている

https://twitter.com/hallucinyan/status/547790901955670016

そしておそらくオートポイエーシスもコンティンジェンシーもシニフィアン連鎖や対象aの問題であり、そして後期ラカン的なサントームや、男女間のセクシュアリティの差異、大文字の他者の享楽についてルーマンが叙述できているかといえばできていないと思う

https://twitter.com/hallucinyan/status/559584058137538560

単にルーマンがつまんないって言っても面白くないから「じゃあラカン先生のどこを超えてるんですか? どこも超えてないでしょ?」って煽ってるのわからないのかわかったうえでなにも言えないのか

https://twitter.com/contractio/status/559588003417296896

煽ると何が面白いんですか。

https://twitter.com/contractio/status/559588541454233600

「どっちが強いですか」で語る現代思想

https://twitter.com/contractio/status/559590072593309698

「つまんない」場合の対処は、面白い読み方に変えるか 読むのを止めるかのどっちかではないですかね。

https://twitter.com/hallucinyan/status/559588288361549824

ダサいしウザいからノイズ処理のためブロック

はるしにゃん君は「越えてる」「越えてない」で思想家を語るのが好きなんだ。すぐにブロックするところは、師匠東浩紀譲り。

そんなこんなで、批評をがんばっているはるしにゃん君は、同時にホストとしてもがんばっているみたい、と思ったら、最近言及してないし辞めたのかな。

その代わりに、イベンターやら何やらでがんばっているみたい。高円寺カフェバーでいろいろやるみたいだよ。

高円寺カフェバーグリーンアップル」のマネージャー就任&イベント告知 - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/01/28/161120

ところが、はるしにゃんの努力を邪魔する連中が現れてしまった。

成上友織, はるしにゃん君の暴言・差別発言について

http://yushiki-seijo.tumblr.com/post/107908335166

これは、はるしにゃん君と交友があったセイジョウ君からの批判だ。

はるしにゃん君の言葉を用いると、彼の言動を理解できない者は「ザコ」であり、彼に疑問を呈する者は「アスペ」であり、彼に反発する者は「ボダ」になる。

そして、はるしにゃん君はその広範な知識と、お得意の言い換えによって批判を封殺しようとしたよ。

メンヘラレイシズムについての所感と応答 - A Mental Hell’s Angel

http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/02/07/134950

まず第一に私は大学精神病理学を学んでいた。もちろんクラインラカンドゥルーズも読んだうえに、さらにアメリカのDSM的な診断マニュアルについても目を通している。そして最新の精神療法についてもサーヴェイしている。

大学精神病理学を学んでいたからといって、学位を持ってるわけでもないのだから、別にはるしにゃん君の言動は正当化されないんだけど、はるしにゃん君は批判者に病識があるという一点のみで批判を潰そうとした。批判の内容についてはほぼ耳を貸そうとせず、俺はメンヘラと正しく交流しているから、って理由で自己正当化を図っている。

そして私は単に批判しているのみならず、いわゆる弁証法行動療法であるとかメンタライゼーションといった理論と療法については高額な医学書を大量に購入してサーヴェイしているし、また、それを人口に膾炙させるために活動しているつもりである

でも、実際。

メンヘラ神は死んじゃったよね。

はるしにゃん君に全く落ち度がなかったってわけじゃないだろう。

っていうか何でメンヘラと交流するんだろうか。やっぱりヤレるからなのかな。

精神医学の知識をばら撒き、メンヘラセックスするメリット享受しておきながら、メンヘラを批判し、メンヘラ善導しているから俺はオッケーってどういうスタンスだよ。メンヘラセックスできることがメリットなのかどうかはさておき。

さらにさらに、はるしにゃん君の行く手を阻むものは次々と現れる。

はるしにゃんへのバッシング - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/777289

はるしにゃん君は2月11日に、マネージャーを務めるカフェバーで「インテリイケメンツイッタラーによる一日限定ホストクラブ」というイベントを開催しようとしていた。

明らかにメンヘラを集めて搾取しようというイベントだけど、さっきの「メンヘラレイシズムについての所感と応答」によるとはるしにゃん君は「私としては一方で啓蒙的にコンスタティヴな文章を書き、他方でパフォーマティヴには「ボダはあまり私に関わらないで」といったパフォーマンスをせざるをえない。」らしい。ホストイベントにボダ来るだろうし、キャストもボダっぽいじゃねーか。

で、はるしにゃん君はイベントキャストの知人友人にセクハラを働いていたみたいで、団結したキャスト達にそれを暴露されてしまったようだ。

ところが、このキャスト達ははるしにゃん君からドラッグを貰っていたようで、はるしにゃん君にそこを突かれると逆らえないようだ。

便乗して、同人関係ではるしにゃん君と揉め事があったホリィ・センがはるしにゃん君を批判しようとしたけれど、私怨だし、アスペだしで不発に終わってしまった。

ホリィ・セン vs はるしにゃん - Togetterまとめ

http://togetter.com/li/780221

きっとはるしにゃん君のセクハラ事実だろうし、暴言を取り消すつもりはないようだし、そして自ら公言しているように彼はドラッグをやっている。

から、彼を批判したければ、その3点を攻撃すればいいというのに、批判者はザコばかり。

からはるしにゃん君は怒っている。

はるしにゃん君の論法は、ジャーゴンに次ぐジャーゴンパラフレーズに次ぐパラフレーズ、そして脈絡なくホストクラブドラッグの話を持ち出し、相手の理解が追いつかないところが一点でもあれば封殺するというものだ。

宮台真司譲りのこの論法をどうにかできる人が現れるまで、ヲチを楽しみたい。

最近は、どうも数学をやっている人からの反発もあるようだ。

http://twitter.com/hallucinyan/status/562904272363614208

無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)/志賀 浩二】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/4314010428 #bookmeter

http://twitter.com/Back0126/status/562961572063375360

@hallucinyan こうやって、数学にいい加減な哲学かぶれが生まれると思うと感慨深い 数学に関しては、じっくり真摯に読むことをお勧めます

http://twitter.com/Back0126/status/562975033807884289

@hallucinyan おお、ブロックされた その程度か

http://twitter.com/hallucinyan/status/562971401674825730

言っておくけれど私は普通に高校時代に理系だったし数ⅢCも普通にやっていたので誤解なきよう。

http://twitter.com/Back0126/status/562978566921793538

@hallucinyan 高校数学を勉強したからと言って、集合論を含む専門的な数学を斜め読み程度で理解できるといういい加減な考えをバカにされてるわけです

http://twitter.com/hallucinyan/status/562971657800024064

馬鹿はすぐにソーカルがどうとか言い出すが、そもそもお前どの程度ソーカル読めてて理数的に優秀でそのうえで人文社会科学への理解あるんだという話。

http://twitter.com/Back0126/status/562978789643550720

@hallucinyan ソーカルの言明程度なら、大学数学をきちんと理解していれば誰でも理解できますよ わからないんですか?

http://twitter.com/hallucinyan/status/562972324442681344

日本におけるサイエンスウォーズでは浅田彰山形浩生位相幾何学問題があったわけですが、それも浅田は間違っていなかったという形で終焉を迎えましたし、彼もそもそも経済学部ゲーム理論やっていたわけです

https://twitter.com/gravestone11/status/563009887530405891

経済学部ゲーム理論をやっていたので数学が出来るという考え、新鮮な気持ちになれる

http://twitter.com/Back0126/status/562979281123684353

@hallucinyan しかし、浅田氏が理解していたわけではない、概ね菊池先生のフォローによるものだ、という考えが一般的なようですね

http://twitter.com/hallucinyan/status/562972928057561089

hallucinyan:そして日本において最も早くソーカル事件を紹介したのもポストモダン系の人間でありそして一定以上はきちんと真摯にそれを受け止めたように思われる。

http://twitter.com/Back0126/status/562979357300641793

@hallucinyan え?

http://twitter.com/hallucinyan/status/562974083143704578

そして「××は間違っている!」とばかり声高に言いたがる奴は大概自分から生産的なことを言えないので、きちんと内容のあること言ってその次に批判すると良いんじゃないかと思います当事者含めた全員のために。

http://twitter.com/Back0126/status/562980233218109441

@hallucinyan 間違っていることを間違っていると指摘することは、当人が生産的かどうかと無関係に指摘していいんじゃないですか?少なくとも、真偽の判定が比較的易しい数学においては

http://twitter.com/Back0126/status/562980757292191744

@hallucinyan というわけで、とりあえずこの辺りでやめておきましょう 貴方が数学に関していい加減なことを言わない限り、今後リプライしません

http://twitter.com/Back0126/status/562981991889784832

はるしにゃん(@hallucinyan)という人物が、数学をいい加減な理解に基づきいい加減に発言しているということが、概ねはっきりしたようだ

ディベート部と同じで、高校数学をやっていたからって乱暴に数学を語っていいということじゃないけど、はるしにゃん君の勢いは止まらない。

まだまだ火種はくすぶっているけど、これからもはるしにゃん君にはがんばっていってもらいたい。

2015-02-06

アイドルポストモダン

http://seana.hatenablog.com/entry/2015/02/05/230648

アイドルの曲は、アイドルが歌うことに意味があるということに気づけただけでも、ジャニーズを好きになってよかったなと改めて思います

アイドルファンのみんながみんなそうというわけじゃないよ、という話も。

そもそも「音楽とはその演者の主張である」という基準自体が、常に正しいとは限らない。

何の主張も、意思も、意見も、欲求も何もなく、音楽はただ音としてあるだけでも許されるはずだ。

それは、西洋哲学古典文脈で、「世界には何らかの真理があるはずだ」とされてきた価値観に似ているかもしれない。

これはおそらく、人間コミュニケーション手段、あるいは記録・伝達の手段の発達に関係していると言えそうだ。

音楽を伝える手段は、口伝から楽譜レコードからCDデジタルデータへと発展してきた。

一番最初は「自分たち音楽をいかに奏でるか」から始まったし、実際にそういう手段や発想しかなかったわけだが、

文明の発達によって「楽器を弾かなくても音楽が作れる」、「発表した数分後には世界中の誰でも聴くことができる」ようになり、

音楽のありようは大きく変わってきた。

音楽もまた、それがそれ自体として価値を持って存在しうる、

まりシニフィエを持たず、純粋シニフィアンとして存在しうるものに変わってきた。

音楽を奏でる上で、その主体自分の顔や外見を聴衆の前に晒し

その言葉が本人の主張であると常に解釈されなければいけない時代は終わったということだ。

人間、あるいは自己の「表現」としての「音楽」には限界がある。

なにより、自分以上の音楽を奏でることができない。

そもそも「音楽」と「自己」とは関係なく存在しあってもいいものであるはずだ。

自分たち音楽とは、自分たち表現だ」という自己規定は、そのうちに必ず自家中毒を引き起こす。

いわゆるアイドル戦国時代と言われたところから、近年のヒットチャートアイドルが占拠するようになったこの音楽のあり方は、

何も正当性がないただの「衰退」や「退廃」とは異なる、文化としての次のステップ意味を示している。

音楽」と「自己」、あるいは「音楽」と「意味」の離別は、音楽のもの純粋さをより推し進めるものともとれる。

たとえばそれは、女性キャラしか登場しなくなったアニメや、10代の若者世界を救うジュヴナイル作品とも近いもしれない。

その「音楽」をより純粋な形で届ける上で、最適な手段を探した結果、それが「アイドルだった」としても実は不思議なことではないのだ。

ポップスという大衆音楽には、その音楽性やジャンル自体制限はない。

あらゆる音楽性はポップスに含まれうるが、しかし外見や表現を含めてもそうだといえるだろうか?

ダンスミュージックディスコ、あるいはプログレハードロックメタル

これらはそのファッションスタイルと相まって存在していた音楽文化だ。

ヒップホップ音楽性には、ヒップホップファッション必要で、ヒップホップなアティチュードが求められる。

一人の人間、あるいはバンドでこの様々な音楽性の表現は一貫して行うことができるだろうか?答えは「No」だ。

なぜなら自己表現として音楽存在すると仮定した場合多種多様音楽を奏でることはそのまま分裂症的に解釈されてしまうのがオチからで、

これはつまりドゥルーズの言うリゾームの話に近づいてくる。

純粋音楽表現において、多種多様音楽をできるだけピュアな形で届けるには、アニメアイドルといった、

何の主張も持たない、時にはフィクショナルな存在の方が向いているということは起こりうるのだ。

から、私はアイドル音楽が好きだ。

彼ら、彼女たちと、そこで歌われる、奏でられる音楽は、本当の意味で結びついてはいない。

(つまり歌詞言葉どおりに彼らが考えているわけではない)

しかしながら、いや、だからこそ、その音楽純粋存在しているし、鳴っているのだ。

ともすれば、その歌詞支離滅裂意味を持たなかったとしても、

ナンセンスであるほどにその身体性、サウンドとしての純度は高まるかもしれない。

ひと昔前であれば、優れた40代50代の音楽家表現しうる音楽手法、伝える手段は、より限られたものだったろう。

今は、アニメアイドルボーカロイド…。様々な手段によって、自己の肉体や外見とは関係なく、純粋音楽表現できる時代になったのだ。

そして、リスナーとしての我々にとっても、より純粋フィクション文化として、

音楽作品に溺れることができる時代になったということも同時に意味しているというわけだ。

2014-05-09

魔法科高校の劣等生』の原作を買ってきたよ!

ブックオフに見に行ったら1冊もなかった。人気だからすぐ売れちゃうのかな。佐島勤先生すげえええええええええええ

ちなみに今日ブックオフで買ってきたのは、『新潮日本文学8 志賀直哉集』(『暗夜行路しか読んだことないし、全然きじゃないけど、とりあえず買っとくかあみたいな。短編面白いのかなという興味)、アレクサンドル・デュマ王妃マルゴ上下(デュマは定価で買う気がしなかったからありがたい)、絲山秋子沖で待つ』(絲山はつまらなかった気がするけど、芥川賞のこれ読んでなかったから一応買った)、星野智幸俺俺』(星野も好きじゃないんだけど、まあなんかしょうもない義務感というか)の5冊。全部108円で540円。なんか最近ブックオフにろくな本がない。むかしはウンベルト・エーコ薔薇の名前』が105円で売ってたりしたのに。

で、しょうがないから本屋で『魔法科高校の劣等生』の新品を買ってきたよ! 少女小説以外のラノベを新品で買うなんて何年ぶりだろう。びっくりしたんだけど、これ「入学編」で上下巻構成なのね。上巻だけ読んで判断するのは申し訳ないからしかたないから2巻まで買ってきちゃったよ。大冒険じゃん!

俺 T U E E E E ! ! !

なんかすごいどきどきしてる。こんなに読むのが楽しみでわくわくしちゃってるのっていつ以来だろう。

いまちょうどジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』が岩波文庫で出たから、なつかしいなあとか思ってゆっくり精読するように読み直してるんだけど、全然わくわく感はないんだよね。ジャン・ジュネの『花のノートルダム』の新訳が光文社古典新訳文庫から出たときも相当うれしかったけど、でもなんかわくわくって感じではなかった(まあなんども読んでるからだけど)。大好きなドゥルーズの『差異と反復』が文庫になったときもひゃっはーって感じだったけど、やっぱりわくわくって感じではなかった。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感ははんぱない。相当すごい。

この感覚っていつ以来だろう。ゲームに関していえば、小さいころは年に数本しか買えなくて、ひとつゲームを買うのが大事件だったんだよね(『ドラクエ6』にするか『ヨッシーアイランド』にするかで死ぬほど悩んだなんていったら年がばれるかw)。でもいつからか毎月のようにゲーム買うようになって、買ってはすぐにクリアしての繰り返しで、少年時代のわくわく感ってだんだん薄れてきちゃうんだよね。『魔法科高校の劣等生』のわくわく感はすごい。なんだこれ。懐かしい感覚だ。涙が出てくる。

はじめてAV買ったときの、はやく帰って家でDVD再生したくてたまらず、例の芸術的とも卑猥ともいえる海綿体の先端に咲き誇る透明の液体が震えに震え、行き場を失ったエネルギーがいまにも爆発しそうで、猛禽類の力強い羽ばたきにも似て通りすがりのひとにとって致命的ともいえる旋風を巻き起こすものすごい加速度をもって走り出しそうな、でもいい年して街中を全力で駆け抜けるのはアホだから必死に気持ちを抑えるがどうしても早足になってしまう、耳は赤いし、心拍数は上がってしまう、あのときの、ああい感覚なんだよ!(謎)

っしゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ

2012-08-15

法学部生の必読書50

 法学部生が読むべきと思われる本を50冊選んでみました。

プラトン法律

アリストテレス政治学

キケロ『義務について』

トマス・アクィナス神学大全

マキャヴェッリディスコルシ』

ボダン『国家論』

スアレス法律についての、そして立法者たる神についての論究』

グロティウス『自由海論』

ホッブズ哲学者法学徒の対話』

スピノザ神学政治論』

ロック『統治二論』

ヴィーコ自伝

モンテスキュー『法の精神

ヒューム人間本性論』

ルソー社会契約論』

スミス法学講義

ベッカリーア『犯罪と刑罰』

バークフランス革命省察

ハミルトン他『ザ・フェデラリスト

カント人倫形而上学

ヘーゲル『法の哲学

ベンサム道徳立法の諸原理序説』

ミル『自由論』

トクヴィルアメリカデモクラシー

バジョット『イギリス憲政論』

イェーリング権利のための闘争』

モムゼンローマ国法』

ウェーバー『法社会学

カフカ『法の前』

モース『贈与論』

ケルゼン『純粋法学

シュミット憲法理論

ベンヤミン暴力批判論』

カントロヴィチ王の二つの身体

コジェーヴ『法の現象学

ハート『法の概念

ハイエク『法と立法と自由』

フーコー『監獄の誕生

ドゥルーズ記号と事件』

デリダ『法の力』

ルジャンドルドグマ人類学総説』

アガンベンホモ・サケル

ハーバーマス事実性と妥当性』

ルーマン社会の法』

ポーコック『徳・商業歴史

パトナム『事実価値二分法の崩壊

ロールズ『公正としての正義 再説』

ドゥオーキン『法の帝国

ヌスバウム感情と法』

レッシグ『CODE』

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