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2024-11-24

経験人数1人。彼女と別れて初めてのお風呂屋さんへ行く。

※一部表現をゆるくしていますが、センシティブな内容が含まれます


社会人1年目。大学時代から付き合っていた彼女と別れた。

最後ずるずると付き合ってしまったのは、愛情なんかじゃなくて性欲なんじゃないかと思った。

別れた理由も、性欲に包んだ恋愛感情で素敵な彼女若い時間を奪いたくなかったというのが大きい。

もちろん私は優しい人間でなく、悪者になりたくないだけである



だが私は元彼女(以下元カノ)が初めての相手で、過去遊んだことも浮気したこともない。

から元カノへの感情が性欲だったのか、プラトニックなやつだったのか、それとも両方だったのか自信がなかった。



気になったからには証明したい。

から風俗に行くことにした。以前友人から聞いた情報だと本番ができるのはソープだけらしい。

ソープはお店にお金を払うとお風呂場で客と嬢が恋に落ちるという、神話もびっくりの世界らしい。


別れて翌日、思いきってお店と嬢をネットで探して、電話で予約した。

現在時刻は14:30。

16:10から行けますと言われ、爪切りや髪のセットをして会場に向かった。

予約した瞬間から心臓の鼓動が止まらない。

トムとジュエリーでよくあるハート型の心臓が飛びててくる演出は、どうやら人間工学に基づいているらしい。


緊張しながら、いざ来店。

来店前の数歩で、風俗通いおじさんという仮面を付ける。

人はペルソナをつければ何もにもなれると、どこかの誰かが言っていた。


キョドらず、さもコンビニに入るかのようにお店に入った。

入口で元気で明るいお兄さんに出迎えられながら、50分18000円の料金を払った。

注意点を聞いた後に待合室に入ると、そこには歴戦の猛者を感じさせるようなおじさまたちが座って待っていた。

一人だけ浮く22歳異常独身男性


このお店は嬢の方が直接待合室に迎えに来る方式だった。

そしてその場でハグをして戦いの会場へ行く方式

これは紛れもない自由恋愛だ。


他のおじさまがハグして向かっていくのをチラチラ見ながら、指名した嬢が来るのを待った。

しばらくして、自分の番号が呼ばれた。


と、ここで私が指名した嬢について説明したい。

インターネット大海に揉まれながら見つけたのは、高校生の頃クラスの中で真ん中くらいの可愛さの女の子だった。

まりとてもかわいい

どこから仕入れ知識か忘れたが、写メ日記ちゃんと書いているとホスピタリティがあって良いらしいという情報も参考に写メ日記を見た。

お客さんとの話は一切無しで、本当にただの日記、というよりX(旧Twitter)みたいな短文だった。

写真も使い回しが多くて、ちょっと不安だ。

………

しかし顔がかわいいという本能に棒が反応し、抗えず指名した。

以後このかわいい嬢の名前をCちゃんと呼ぶことにしよう。

閑話休題


番号が呼ばれるとボーイとCちゃん入口に来た。

お決まりハグを終え、50分だけの自由恋愛が始まった。


顔は写真詐欺というより、普通に別人だった。

とはいえ普通にかわいいマッチングアプリだったらデートしたくてやり取りするくらいにかわいい

かわいい正義である


どうして来たんですか?的なことを聞かれながら、昨日別れちゃって、、と伝えつつ会場に向かう。

戦いの場所は、簡単なベッド+ガラス張りのお風呂シャワーといった間取りである

言い忘れたがここは学園系ソープランドのはずだ。どこに学園があるんだ。


部屋の区切りDIYたかのような木材だった。

なるほど、このDIY図画工作ということか……納得した。

もちろんCちゃん制服である。ここは学園に間違いない。

私もその場に紛れ込めるようにシャツで来た甲斐があるというものだ。


いざ部屋に入ると飲み物クーラーボックスから出して渡してくれて、お茶を飲みながらお話した。

独身男性にはこれだけでも胸が熱くなる。疑似恋愛だともちろん分かっている。


最初雑談

別れた経緯とか、Cちゃんの方の最近別れた話とか。

詳しいことはプライバシーにも関わるので控える。


雑談が一通り終わると、シャワー浴びが始まる。

このお店の50分コースはお風呂でなくシャワーとのことだった。

「じゃあ脱いで!」

そうCちゃんから言われて、お互い脱いでいく。


恋人同士だと脱ぐまではかなりの前戯だ。短針が1回転することもザラにある。

しかしこの場はそうでない。

洗体までは迂闊に手を出してはいけないような気がした。


Cちゃんはなれなれと制服を脱いで、下着があらわになる。

初めて好きな人以外の女の子の裸を見た。


ここまで私は緊張しっぱなしで、初対面の相手で大きくなれるかという男の課題にも悩まされていた。

しかし体は正直である

Cちゃんが全部脱いだ頃には、緊張も寒さも不安も忘れて、自然に大きくなった。

ずっと憧れだったシンデレラバストも初めて拝めて、さすがに緊張なんて壁はぶっ壊れる。

これは顧客が本当に必要だったものだ。そう思った。スクラム開発にも取り入れたい。


椅子に座って体を洗ってもらった。

自分だけ洗われるという経験は初めてで、王様気分だった。

雑談をしながら、Cちゃんが作った泡で体の正面と棒を洗ってもらった。

そしてうがい薬で口を消毒。


私がタオルで体を拭いている間、Cちゃん自分で体を洗っていた。

普通恋愛しかしたことない身として、ちゃんと洗い返したい気持ちがめちゃくちゃ湧いた。

だが郷に入っては郷に従えだ。安易な親切心ほど迷惑ものはない。

下手に手を出すぐらいなら、全部プロに身を任せたほうが良い。

感謝言葉を述べつつ、何もしなかった。


Cちゃんも洗い終わった。

「服着たほうがいい?」

そう聞かれたので、せっかくなら着ててほしいと伝えた。

下着はなしで、そのまま制服だった。


心の中で法螺貝がなる。戦闘開始の合図だ。

Cちゃんに攻めたいか攻められたいか聞かれて、攻めたいと答えた。

しか恋人とのやり方しか私は知らない。

1人の相手と何度いたして経験を重ねても、同じことが他の人にもそのまま使えるほど、世界は甘くない。

たどたどしくも、なんとかバックハグ的なことをしながら、上を触った。

後々聞いたら上は感じない人らしい。少しくらい相手を満足させられると思った自分が甘かった。

ちゃんと事前に聞いておけ。


それから2人で横になって、下も触った。

知識では分かっていたが実際触ってみて、女性によって形が全然違うことを知った。

Cちゃんは小柄な体型ながらも太ももはしっかりしていて、そこが素晴らしいと伝えたりした。

女性男性構造が違う。

から摂生で太い訳でないことくらい知っている。

そんな中で男がせめてできるのは女性を褒めることだ。

それが一時的自由恋愛をしている男の精一杯だと思った。


Cちゃんの下を触りながら、Cちゃんも手で俺の棒を上下させてくれた。

めちゃくちゃうまい。

痛くないギリギリが分かってる上に、しっかり強いグリップ感で早い。

あやうく世界が終わるところだったが、日々のトレーニング甲斐もあって、耐えた。

しかし出そうと思えば出せるくらいに、よかった。


しばらくするとCちゃん自然な手付きで棒にゴムを装着してくれた。


後で振り返るに、これは時間ないよの合図だったのかもしれない。

元カノの時はもっと時間をかけて前戯していたという傲慢気持ち邪魔をしてしまった。

もちろんそんなことに当時の私は気づく訳もない。


さて、その頃の当時の私は、下を舐めたくなってCちゃんに伝えて、下を舐めさせてもらえることになっていた。

舐められるより舐めるのが好きだと伝えると意外だと驚かれた。驚かれたことに驚いた。


Cちゃんの下はびっくりするくらい無臭で驚いた。まだ水道水の方が深い味わいがある。

これがプロの力なのかと思った。

研究室の超純水を飲むのが体に悪いように、多少の濁りがあったほうが良いと知った。


さて、下を舐めながら大きなミスに気づく。

人間に口は1つしかないのである

舐めている間は会話ができない。


ずっと続いていた会話が終わり、無言の時間流れる

本当に無音だった。


相手にも気持ちよくなってもらいたいと、気持ち良いところを二択とかで触りながら聞きつつ進め、無音も避けた。

プロのCちゃん気持ちよくさせようなんて100年早い。

そう分かっていながら、誠実な男でありたいという欲望が隠せない。


「ピピ」

そうこうしてるうちに、アラームが鳴り響いた。

……

これは何分前のアラームなのだろうか。我が家の愛用キッチンタイマーなら残り10分の音だ。

こういう場所タイマー特殊な改造がされているのかもしれない。

……どちらにしても時間がないらしい。


向こうからOKをもらい。挿入の時間になった。

事前に潤滑ゼリーなど入れてくれているのかもしれないが、近場にあった潤滑剤を使わずに難なくあっさり入った。


元カノと初めてをするときに、死ぬほど行為のコツの動画を漁っていたので、ここで入れてからすぐ動かしてはいけないと分かっていた。

からしばらく放置

しっかり締め付けられた。


しばらくして動かしていいか聞きつつ、動かした。


………

…………

さて、ここでふとももを思い出してほしい。


むちっとした太もも正義だと私達人類義務教育で教わってきた。

しかしいざ上下に動かすと、この太もも領地に苛まれ、奥まで進まない。

いわば権利関係の複雑な土地を買収するかのような難しさである

自分でも何を言っているのか分からないが、要するにあまり動かした感覚がないということだ。達するには刺激が弱すぎる。


状況を打破しようと、他の体制でできないか聞いた。

Cちゃんは色々OKっぽい旨を伝えてくれた。


「ピピピ」


聞いている間に、またアラームが耳をかすめた。

Cちゃんいわく残り5分らしい。

少し長めのカップラメーンが出来上がるまでの時間に、どうやらこの自由恋愛破局するらしい。


さすがに焦る。

他の体制もやってみたかったが、そんな時間はない。

(断じてCちゃん接客が悪いとかではなく、私が前戯したい時間を長く取ってしまっただけです。)


Cちゃんに「かわいい人に出したいから頑張ります」と伝え、棒に全神経を集中させた。

ここで出さなければ、きっと心因性の不全になる。

私は過去心因性の不全に悩まされて来た。

元カノと2人で頑張って何ヶ月もかけて解消してきた過去がある。

もう同じ思いはしたくない。


残り4分。

これでだめだったら、男としてどうなんだ。

これまでの人生の22年間はなんだったのか。人類はなぜ生まれたのだろうか。

こんな素敵な人がいるのに出さないというは、流石に失礼なのではないだろうか。


すべての神経を棒に寄せ集め、フィニッシュ

正直、めっちゃ出た。


Cちゃんはなれた手付きでゴムティッシュにくるんでもらった。


動かしている間、Cちゃんはあまり気持ち良さそうでなかったのが心残りだ。

でも下手に演技されるより、自分力不足を感じさせてもらえるほうがありがたいと思った。

女性一人ひとりで違う快楽ポイントを、小手先テクニックでどうにかしようとは思わない。

もっとコミュニケーション上手にとって、相手も喜ばせてあげたいと、純粋に思った。


その後またシャワーで洗ってもらって、終わった。

最後に少し雑談をした。

お互い褒め合う時間だった。

もっと感謝を伝えたかった。Cちゃんの行動の数々には尊敬しかなかった。


Cちゃんと手を振って別れ、寒い夜の繁華街に、踵を鳴らした。





===================================

結論とても良い体験だった。

まず、命題元カノと付き合っていたのは100%性欲である」は偽であった。

後述するが好きじゃない相手との行為元カノとの行為は別物だった。

例えて言えばインスタントコーヒードリップコーヒーくらい違う。

同じ名前を冠した、別物だ。原材料は同じだが製法も味も違う。

言語学者ソシュールによれば、言語意味単語は固定された絶対的ものではなく、差異によって構成されるらしい。

有名な話だが、ピダハンと呼ばれる少数民族には時間概念がない。

これは彼らが熱帯という環境的な要因によりそうなったと言われている。


今日私は、恋愛感情の無い行為を行うことで、恋愛感情のある行為とのそれを別物として捉えられるようになった。

個人の感想だが、明確に性的行為愛情表現としての行為は違うと感じた。

そういった意味で、元カノへの好きはプラトニックな好きもちゃんとあったんだと安心した。

そして良かった点。

  • 精神的にも肉体的にも気持ちよかった
  • 異性に対する恐怖を取り除けた
  • 性的関係構築への準備ができた


気持ちよかった。これは説明不要である

ひとりあそびとはやはり違う。

本物の人間とのコミュニケーションができた。偽りであってもいい。罠でもいいんだ。




そして一番大きかったのは、異性に対する恐怖を取り除けたこと。

元カノとはかなり時間をかけて親密になったためもはや異性として話しにくいはなかった。

一方で元カノ以外の異性と話すのは相変わらず苦手だった。


今回場所場所だが「可愛い女の子出会って50分で最後までできたという経験」は紛れもない事実となった。

デカルトもこれを認めざるを得ない。

経験という裏打ちは何よりすごい。


このおかげで、今後異性と話す時にきちんと普通に話せそうだ。

もちろん周囲の女性性的関係を結ぼうなんて安易なことは考えていない。

しかしいつかチャンスが来たときに、物怖じせずに乗っかれる準備ができた気がした。




そして今回、恋愛感情がなくても、自分はその場で出会った相手最後まで行為できることが示せた。


私は彼女と別れてから、両者合意の上で誰も傷つかなければ性的のみの関係もありだと考えるようになった。

半年前の私は、創作にすら純愛以外は認めない熱心な純愛至上主義だった。

しか社会人になって数ヶ月、都会に来て様々な価値観の同期を見て、浄穢を知った。

この世界義務教育で教えられたほど綺麗じゃない。


私の特技は新しい環境ルール爆速適応することである

この世界に合わせて、私は真面目キャラ卒業することにした。


性的関係だけに割り切ったパートナーに憧れを持つようになった。

もちろん彼女がいる間にそういう関係を持った人は居ない。

真面目じゃなくても最低限の倫理感だけは持っているらしい。


から別れた後に、性的関係だけのパートナーがほしいという感情が強く湧いてきた。

しかし私は純愛以外を知らなかった。

から恋愛感情なんて無くても、ただの性欲でも最後までできると証明させてもらえたのは、すごく自信に繋がった。








さて、微妙だったのは、やはり恋人とする行為ソープは違うということ。

私はやっぱり本物が好きだ。

時間を気にせずいちゃいちゃしあう時間とか、服のままで触り合う時間とか、たくさんチューしながらつながる時間とか、そういうのが好きだった。

なにより大きな気づきは、普段生活デートも含めて超巨大な前戯になっていたことだ。




風俗女性を分かった気になろうとは思ってない。

正直、余計分からなくなった。


また風俗に行こうとも思わない。

私の目的は達成されて、次もう1度訪れることに快楽以外のプラスはないから。

私は自身の成長ができないと快楽を得る意味がないと思っている、異常独身男性だ。

2024-05-17

内容さえ理解してれば語呂合わせなんて必要ないんだぜ……って高校生の頃はかっこつけてたけど、他の事はあんまり思い出せなくても手腕だからシュワンが動物細胞、みたいなのは今でもパッと出てくるからバカに出来ないなって。

概念パッケージ兼内容を表すラベルとして割り当てられる言葉も、それそのもの恣意的に決められるものだしそれ自体意味はないしな。ソシュールか。

風や靴という言葉のものには何の妥当性もないし、風車とか靴箱とかみたいな既存無意味言葉を組み合わせたものでない限り言葉からは何も分からない。ナポレオンという名前からも何をやった人間なのかは全く伝わってこない。年号だって出来事の流れを理解してれば時系列くらいは分かるだろうけど、そのものドンピシャは暗記するほかない。

ジャズマスタージャガーも違いは分かるけど、未だにどっちがどっち分からんしな。

数字単位無量大数まで全部言えるけど、何番目だったかは逐一語呂合わせの歌を頭の中で流さないと数えられない。

2024-04-18

大人になって「中二病」という言葉を使う奴は逆に痛いという話

俺は40過ぎのおっさんだが、趣味言語学勉強している。

先日知人と飲みに行ったんだが、その際「言語ってどのようなものか?」みたいなことが話題に上ったんだ。

そこで俺は「そもそも一般に使われている言葉恣意的もので、必然性はない」と発言した。

すると知人は「中二病?w」と揶揄するように言う。

いやいや違うよ、もしそれを中二病と呼ぶならソシュールロラン・バルトなんかも単なる中二病になってしまうから

そう説明したが、知人は要領を得ない様子で首肯しない。

そこで気づいたんだ。

ああ、そうか。「中二病」って言葉免罪符なのだ

自分が分からないことに対して、それが少しでも曖昧で、抽象であるとそれを「中二病」と称することで、自分知識不足咎めことなく、逆に「中二病」なことだから知らないほうがまともだと自分肯定するための免罪符なのだと。

自己欺瞞だ。

未知なるもの、未開なものに対して「中二病」と名づけることで、その可能性に蓋を閉めるという行為は、大人が行うのにはあまりに幼稚すぎないか

そして彼らはその対象に対しての適切な表現を知らないからこそ、ブラックボックスとして「中二病」という言葉を使っているのだと思う。

2024-04-16

大人になって「中二病」という言葉を使う奴は逆に痛いという話

俺は40過ぎのおっさんだが、趣味言語学勉強している。

先日知人と飲みに行ったんだが、その際「言語ってどのようなものか?」みたいなことが話題に上ったんだ。

そこで俺は「そもそも一般に使われている言葉恣意的もので、必然性はない」と発言した。

すると知人は「中二病?w」と揶揄するように言う。

いやいや違うよ、もしそれを中二病と呼ぶならソシュールロラン・バルトなんかも単なる中二病になってしまうから

そう説明したが、知人は要領を得ない様子で首肯しない。

そこで気づいたんだ。

ああ、そうか。「中二病」って言葉免罪符なのだ

自分が分からないことに対して、それが少しでも曖昧で、抽象であるとそれを「中二病」と称することで、自分知識不足咎めことなく、逆に「中二病」なことだから知らないほうがまともだと自分肯定するための免罪符なのだと。

自己欺瞞だ。

未知なるもの、未開なものに対して「中二病」と名づけることで、その可能性に蓋を閉めるという行為は、大人が行うのにはあまりに幼稚すぎないか

そして彼らはその対象に対しての適切な表現を知らないからこそ、ブラックボックスとして「中二病」という言葉を使っているのだと思う。

2024-02-14

anond:20240214112223

小林英夫訳のソシュール一般言語講義」やバイイ「言語活動生活」ではフランス語の句読法としてのセミコロンがそのまま使われてるけど、セミコロンが使われてる日本語文章ってそこでしかたことない。

2024-01-05

ドはトドロフのド

レはレヴィナスのレ

ミはミンコフスキーのミ

ファはファイヤーベントのファ

ソはソシュールのソ

ラはラカンのラ

シはショーペンハウアーのシ

さあ唄いましょう~

2023-11-08

anond:20231107213225

全然ちげえよアホ。

恣意性がある」というごく一部の共通点だけで、それ以外の差異を全無視すんな。

個人が金稼ぎのためにありもしないでまかせを流布して社会全体に余計な負担押し付けることと、言語が数百年数千年に及ぶ時間と無数のコミュニケーションを通じてある様式収束していくことのどこが同じなんだよ。

大人しくソシュール入門でも読んでお母さんに話聞いてもらってろ。

2023-06-15

花言葉って冷静に考えて言ったもん勝ち過ぎてウケるな。どうとでも言えるやん。

ソシュールの話でシニフィエシニフィアンの結びつきは恣意的というのがあったけど、それを思い出した。

我々の足を包むアレを「靴」と呼ばなければいけない必然性なんてどこにもなくて、別に「服」でも良かった。

でもどっかでたまたま靴と呼ばれ始めたから今もそう呼ばれてるだけって話。

99本のバラ花言葉だって別に永遠の愛」である必然性はなくて、「お前を殺す」でも良かった訳で。

なんか花をダシにポエムを言いたいだけ感があるな。

2023-04-24

anond:20230421202421

こういう話、20年前の2chとかスラドとかならソシュールとかチョムスキーなんかの引用合戦になってたと思う。

なんていうか最近はてなってスノビズムが感じられない。

おまえらハッタショに指南してやるぜ的ドヤ顔のおじさんアドバイスにたくさんブクマついたりして気持ち悪い

2023-03-10

名は体を表さな

風車」と言うと、脳内でパッと浮かぶ画はあのデカ羽根ブンブン回る装置

英語だと、windmill。これも同じ物が思い浮かぶ

字面をよく見ると、風車は「風で回転する装置」だから、まあ言葉とモノが直感的に結びつく。

でもウィンドミルは「風で動かす臼」、というのを表すのが言葉キモ。確かに、元々は穀物を挽く装置だっから、そこにフォーカスするのもおかしくない。

じゃあ、今よく見る発電のための風車ウィンドミルなのか?

臼ではないのだから、モノと言葉が一致するのはウィンド部分しか残らない。

他にも、ここ数十年で著しく成長した電子技術分野では特に「名残の表現」が数多く残る。

ビデオを巻き戻す」もうテープじゃないのに。

チャンネルを回す」ボタンは回さない。

こういう名残りは個人的に嫌いじゃない。でも、「言葉は変わるもの、変わってきたものなのだから、これからも適宜変えていきべきだ」という人には面倒な話なんだろうな。

あと、「新幹線」というと、パッと浮かぶのはあのシュッとした車体の快適な高速の列車

でも「新幹線」という名前の中に、特殊な車体に関する言及は一切ない。「新幹線」と聞いて恐らく真っ先に浮かぶ、速いだとか快適だとかちょっと高いだとかのアイデンティティは一切表されていない。在来線とは違うという、交通網としての特殊性だけ。

モノレール」が何か説明されろと言われて、「線路が一本の列車」という部分にフォーカスする人はあまり多くはないのではないかと思う。

パッと浮かぶイメージは、高架に吊られたり抱え込んだりして走るちょっとレアなアレ、といった所だろう。

ソシュール記号シニフィアン意味されるものシニフィエとの結び付きが恣意的だと言う。我々が外で履くアレを「靴」と表すのに必然性は無いが、しかし靴を入れるモノを「靴箱」と呼ぶのには必然性があると言える。足に履くものを「靴」と呼び、モノを入れる設備を「箱」と呼ぶ合意が既にあるから。「名が体を表す」例と言える。

ウィンドミル新幹線後者の類の言葉の筈なのに、しかし名が体を表さない。面白いですね。

2022-03-16

anond:20220316123337

お笑いだろうと人が殴られたり罵倒されたりするのを見るのは不快からやめてほしいわ

それで笑いがとれなくなるならお笑い芸人廃業してもらいたい

これイジる側じゃなくてイジられる側の問題なんだよ

宮迫みたいなのは除いてだいたいイジる側はネタも優秀でバランス感覚も優れてるから

寧ろこれ困るのがイジられる側でイジられる事でしか笑いに出来ない人間は淘汰される

お前はイジられ芸人単体で出てきて笑える?クソシュールだけど

もしイジりなしでそういう笑い方出来るならお前は性格が悪い

2022-03-12

anond:20220312164125

よくわからんソシュール時代には多分学生が隠れて録音できるような機材なかったと思うで

anond:20220312155725

すまん、それは確かにそうだった

ソシュール独自の内容を主目的にしたものを発表するなら、多分、ソシュール独自表現などが含まれるだろうって感じかな

講義ノート再現という場合にどこまで自分なりの言葉にできるものなのか的な?

まあそこは工夫すればどうとでもなるのかもしれない

anond:20220312153754

授業の種類というか特質によりそうな気はするんよね

誰が講義しても本質的な内容の変わらない一般的講義から、ただ科学事実のみを持ってくるなら著作権問題存在しないと思う

(線形代数の授業で先生はこの公式はこのような意味であると言ってた、的な)

でも今回の場合ソシュール独自の考えの部分をおそらく主目的出版しているわけで、そこが問題になりそうな気がする

以前、先生現在やってる研究内容の途中経過的なものを授業でしゃべって、それをTwitterにあげた学生が出た時はリスクがあるのではと言ってた人もいたし

anond:20220312152740

これ自体ソシュールオタクソシュールという「公式」の言いたいことが何だったのかを

それこそ文学研究者みたいに周辺の文章などを集めて構成したって感じでなんか草だな

ソシュールは言ってないだけで実はこういうはずなんだって意見の一つや二つありそう

anond:20220312125958

講義』はソシュール1907年から1911年にかけて行った3回の講義の内容をバイイとセシュエがまとめたものであるが、この2人は3回のいずれの講義にも出席していない[13]。2人は授業に出席できなかったことを悔やみ、ソシュール講義を一つの本にまとめて形に残すことにした[14]。しかし、ソシュール講義は整然と言語学を論じるものではなかったため、2人は出席した学生から集めた講義ノートをそのまま本として刊行するのは不適切と考え、ソシュールが以前に書いた草稿などとまとめて大きな編集を施し、出版することにした[15]。

ソシュール一般言語学講義が終わるたびに、準備した走り書きを破り捨てており、これを参考にすることはできなかった。バイイとセシュエが参照したソシュールの草稿は、1894年前後のものを中心にしており、そのうち主要なものは3つある。「形態論」と題された講義の序論と思われるノート、上述の一般言語学についての本の草稿、ホイットニーに向けた追悼論文である[16]。2人はこれらを断片的に利用しつつ[17]、比較バランスの取れていた第3回講義を元にして、1916年一般言語学講義刊行した[18]。

ソシュール講義ノートをそのままには刊行しないというバイイとセシュエの方針には、同じソシュール弟子であったルガールが反対していた[19]。『講義』の刊行から3年経った1919年一般言語学講義にはソシュール講義が持っていた魅力が欠けており、講義ノートをそのまま刊行してソシュール思想を忠実に伝えたほうがよかったのではないか、と述べている[20]。

wikipedia一般言語学講義」より引用

一般論には同意だけど、「一般言語学講義」については創作性どうなんだろう、わからん

anond:20220312110438

大学の「講義」というもの著作権ってどこにあるんだろうそもそも

先生本人にあるものなん?大学として発表したということで、発表後50年(今だと70年?)過ぎたらパブリックドメイン化したりしないんだろうか。

あと、出席者が10しか居ないような講義って実態としてはゼミ見たくなって先生がただ話してるだけの部分だけが内容の全部ではないってなることもあるけど

まあこのへんはソシュール現代日本とは国も時代も違うからあんまり考えるべきではないかもしれんが。

anond:20220311180824

話は半世紀前の文学研究に戻る。ソシュールという言語学者が「一般言語学講義」という10人くらいしか出席者のいない講義を行い、ソシュール死後、その講義にも出てなかった全く関係ない奴が学生ノートをもとにソシュール一般言語学講義』として出版し、これがコペルニクス的転回にもならぶ「言語論的転回」のはじめとなった。

話の論旨に関係ないんだけど、こういうことって著作権的にはどうなるんだろう

特に今とかオンライン授業の関係ノートデジタル的に書き留めてあるし、

タイピングから手書きよりも早くてかなり抜けが少なくなってる状態から勝手出版とか学生ができなくなさそうに思えるんだよな

2021-10-05

anond:20211005070601

のろま早くしろとか発破かけてるフリしてるけど

今更こんな批判出してくる時点で

色々と長引かせたいのが見え見えなんだよね

本当にいい人間だったら

これもっと早く言うよね〜〜

0670 考える名無しさん 2021/10/03 23:43:09

>>669

デリダドゥルーズが共にやったことは、

ソシュール記号学批判して、パース記号論哲学を捉え直した点。

構造主義記号学

ポスト構造主義記号論

>>496の中に、一言でも「記号学とあるかい

パースを知らず、ソシュールの「シニフィアンシニフィエしか知らないようでは、

ポスト構造主義ポストモダンを読んでもチンプンカンプンポエムしか見えないだろう。

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

辞書も引かずに哲学をやっていると、何千時間無駄にするよ。

2021-02-12

anond:20210211002659

どおりで....

語学関連だと、ソシュール時枝誠記は専門的すぎると思う。言語学専攻や国語学専攻なら必読だけど。

あと、ハイデッガーヴィトゲンシュタインは大変だよ。それより前に読むものがたくさんあるでしょ。

それと、『資本論』をさらっとあげてるけど、日本語版で何巻(というか何分冊)あるか知ってる?

2021-02-10

本好きなら高校生までに読破しておきたい古典100

哲学思想

プラトン饗宴

アリストテレス詩学

アウグスティヌス告白

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』

マキァベッリ『君主論

モア『ユートピア

デカルト方法序説

ホッブズリヴァイアサン

パスカルパンセ

スピノザエチカ

ルソー社会契約論』

カント純粋理性批判

ヘーゲル精神現象学

キルケゴール死に至る病

マルクス資本論

ニーチェ道徳の系譜

ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神

ソシュール一般言語学講義

ヴァレリー精神危機

フロイト快感原則彼岸

シュミット政治神学

ブルトンシュルレアリスム宣言

ハイデッガー存在と時間

ガンジーガンジー自伝

ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品

ポランニー『大転換 市場社会形成崩壊

アドルノホルクハイマー啓蒙の弁証法

アレント全体主義の起源

ウィトゲンシュタイン哲学探求』

レヴィ=ストロース野生の思考

マクルーハングーテンベルグ銀河系

フーコー言葉と物』

デリダ『グラマトロジーについて』

ドゥルーズガタリアンチオイディプス

ラカン精神分析の四つの基本概念

ウォーラーステイン近代世界システム

ケージジョン・ケージ

サイードオリエンタリズム

ベイトソン精神自然

アンダーソン『想像の共同体

本居宣長『玉勝間

上田秋成『胆大小心録』

内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』

岡倉天心東洋理想

西田幾多郎西田幾多郎哲学論集Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』

九鬼周造『「いき」の構造

和辻哲郎風土

柳田國男『木綿以前の事』

時枝誠記国語学原論

宇野弘蔵経済学方法論』

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ブレイクブレイク詩集

ベルダーリンヘルダーリン詩集

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ランボーランボー詩集

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江戸川乱歩押絵と旅する男

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谷崎潤一郎春琴抄

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中野重治村の家

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三島由紀夫仮面の告白

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安部公房砂の女

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大江健三郎万延元年のフットボール

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田村隆一田村隆一詩集

吉岡実吉岡実詩集

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北村透谷人生に相渉るとは何の謂ぞ』

福沢諭吉福翁自伝

正岡子規歌よみに与ふる書

石川啄木時代閉塞の現状』

小林秀雄『様々なる意匠

保田與重郎日本の橋』

坂口安吾堕落論

花田清輝復興期の精神

吉本隆明転向論』

江藤淳成熟喪失

2020-04-03

anond:20090221123741

近代登山」の開始はスイス貴族オラス=ベネディクト・ド・ソシュール

1760年モンブラン山の登頂に懸賞をかけたことに始まるらしいね

一般には登山という概念さえ希薄であった当時、1760年シャモニーへの最初滞在で、未踏峰であったモン・ブラン (4811 m) の初登頂に対して 20 ターラー懸賞をつけた。1785年には彼自身がエギーユ・デュ・グーテ (Aiguille du Goûter) を経るルートから登頂を試みたものの果たせずに終わっている。初登頂はグラン・ミュレ (Grands Mulets) を経たルートによって1786年シャモニー医師ミシェル・パカール (Michel Paccard) とポータージャックバルマ (Jacques Balmat) とによって達成され、翌1787年にはソシュール自身も多数の観測機器を持って登頂を果たし、山頂で沸点や雪の温度、脈拍などを測定した。

観測をしたい」とか「隣国に攻め込みたい」といった理由付きで山に登った記録は古代からあるわけで

それからすると「未踏峰に登ってみたい」というだけで登山を行うことこそ、

元増田の求める「ロマン」的な登山だと言えそうだ。

登山に限らず、そもそも冒険は「ロマン」で行われるのではなく、

遠くのどこかに入植する、遠くの誰かと通商する、

あるいは王様などに派遣されて未知の土地調査する、

などといった「実務上の目的」があって行われることが多い。

張騫もレイフ・エリクソンマルコ・ポーロイブン・バットゥータ鄭和もだいたいそうだ。

元増田はどちらかというと、冒険のもの目的になっている、

未知の探求のために個人的衝動にもとづいて行われる冒険を求めているようだから

あんまり噛み合わない気がするね。

それで言うとたとえばヘロドトス

現存する最古の歴史書である歴史(historia)」を紀元前5世紀に書いた人だけど。

ヘロドトスはサモスを去って以降、その人生のうちに少なくともアテナイ、キュレネ、クリミアウクライナ南部フェニキアエジプトバビロニアなどを旅したはずである

ヘロドトス調査・探求して記した『歴史』は当事者関係者がまだ存命中出来事についての記録であった。そしてそのための探求の方法現代歴史研究とは異なり、史料確認して情報収集するよりも、現地を回り関係者聴取し、また自ら経験することが主となった。

彼は、誰かに命令されたり、土地を追い出されたりなどの理由ではなく、

未知の事柄を「調査・探求」するために各地を実際に見聞した。

調査・探求」を意味する「history」という言葉が後に「歴史」という意味になったほどだ。

これはわりとロマンポイントが高いんじゃないだろうか。

2019-11-14

京大博論を元にした本が東大紀要書評フルボッコされてる件

日本大学特に文系学問に対する風当たりが厳しい昨今、文系学者達は自分たち存在意義を示そうと必死だ。大学で行われている文系研究は、どう役に立つかはともかく、それ自体研究としてちゃんとしたものなんだ!ということは前提となっているし、みんなそう信じている。文系先生達は決してSTAP細胞のようなデタラメをやっているのではないと。

だが、それは本当か? 証拠はあるのか? 最先端研究専門家でさえ評価が難しい。たとえばアインシュタイン一般特殊相対性理論を作ったけど、時代の先を行き過ぎていて正当な評価がされなかったそうで、ノーベル賞は他の業績に対して与えられた。文系研究基本的には同じで、研究の良し悪しを判断できる人は極少数だ。だから、知らないうちにトンデモない研究がはびこっていて、それに社会的評価が伴っていても、ほとんどの人にはわからない。専門家が厳正に評価してくれていることを信じるしかない。

パンドラの箱が開いた

本題に入ろう。最近、1つの書評論文東大言語学研究室発行の紀要に出た。

田中太一日本語は「主体的」な言語か―『認知言語類型原理』について―」『東京大学言語学論集』 41 (2019.9) 295-313

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=53475&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1

書評された本は『認知言語類型原理』(京都大学出版会)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4814001177/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_6P9YDbPVN9WJ2

著者は、関西外国語大学 短期大学部 英米語学准教授中野研一郎先生

 

普通書評というのは基本的にほめるものだ。批判はあっても最後ちょっとだけ。しかし、この書評は、冷静な筆致でありながら、酷評酷評、ボロクソ、クソミソ、ケチョンケチョンフルボッコだ。一個もほめてない。批判が当たっているなら、トンデモ本に違いない。

こうすればあなた博士になれる

一番ヤバいのは、この本が博士論文を元にしたものということ! 一応説明しておくと、博士論文とは、最高の学位である博士」の学位を取るために大学院生が何年もかけて書く長大論文で、大雑把に言って本1冊以上の分量がある。もちろん、何でもいいからテキトーに書けばいいわけではない(はずだ)。自分オリジナルで、学術的に価値のあること、つまり、これまで誰も知らなかった知見を新たにもたらして人間知識を拡大するような研究の成果でなければいけない。どの分野でもそうだ。

そして博士論文原稿は、3~5人の審査委員審査する。審査委員は全員、その分野に詳しい大学教員だ。審査は3回くらいある。まずは博士論文の大枠ができた後、本格的な執筆にゴーサインを出すかを決める一次審査、そして論文が大体書けた後、論文大学に提出していいか審査する二次審査最後論文が完成し、大学に提出された後、博士学位を与えるか否かを決める最終審査がある。それぞれ少なくとも1時間はかかる本格的なものだ。ディフェンスと言われる最終審査の口頭試問は、公開で行われる。最後に別室で結果を審議した審査委員が会場に戻ってきて厳かに合格が伝えられると、みんな拍手で心から祝福する。

ミサト:おめでとう!

アスカ:おめでとう!

レイ:おめでとう。

シンジ:僕はここ(アカデミア)にいてもいいんだ!

研究人生のフィナーレではないが、1つのピーである。こうやって研究者の能力お墨付きを与えるのが大学存在意義の大きな一部分だ。

要するに、博士号を取るのはとても大変なのだ日本だと博士号を持っている人は1万人に1人くらいしかいないらしい。日本大学は入るのは難しいのに出るのは簡単だとよく言われるけど、大学院の博士課程はそうではない。入るのも修士課程ほど楽ではないし、文系では入っても博士号を取れない人の方が多いくらいだ。これだけ大変だから博士号はアカデミアでは評価される。大学教員になるなら、博士じゃないとエントリーすることさえほぼほぼ不可能。『認知言語類型論』の中野先生は、フェイスブックを見たところ、以前は高校先生だったみたいだけど、博士号をとってから、50歳を過ぎて関西外国語大学准教授になったようだ。周知の通り、大学終身雇用教員の座をめぐる争いは非常に激しい。博士号がなかったら就職できなかっただろう。

 

博士号はどこの大学でとっても価値は同じ、みたいなことを何度か読んだことがあるけど、あれはデマ。真に受けてはいけない。いい大学博士号ほど高く評価される(Why not?)。中野先生がお持ちの京都大学博士号は、京大が超一流なのと同様、超一流の博士号だ。50歳を過ぎて大学就職できたのも不思議ではない。しかも、中野先生師匠は、日本言語学界の大物中の大物、山梨正明先生だ。『認知言語類型原理』に山梨先生が解題を寄せているから間違いない。この大先生は、「日本代表する理論言語学者の一人」([wikipedia:山梨正明])。中野先生が在学していた頃には、日本語用論学会(2008〜2011)や、日本認知言語学会(2009〜2012)の会長を同時に務めもした大物中の大物だ。ちなみに、山梨大先生2014年度に京大を定年退官して、2015年から中野先生より一足早く関西外国語大学で教鞭をとっている。ちょっとややこしい話だが、博士論文審査が終わる前に京大を定年退官したようで、審査主査ではないが、審査委員には名を連ねている。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/199376 博士論文を書くのに何年もかかるから、こういうことはよくある。

日本語に主語目的語、態、時制、格、自動詞他動詞はいらない?

さて、超大物お墨付き博士論文(を元にした本)はどんなもんなんだろうか。書評から拾っていこう。2節は専門的な議論でよくわからいかパス。3節「日本語に存在しないとされるものから見ていこう。まず、1節に同書のまとめらしき部分から引用がある。

日本語(やまとことば)」を深層とする日本語において、「形容詞 (adjective)」・「主語 (subject)/目的語 (object)」・「態(voice)」・「時制 (tense)」・「格 (case)」・「他動詞 (transitive verb)/自動詞 (intransitive verb)」といった、従来ア・プリオリに前提とされていた統語・文法カテゴリ妥当していないことも論証した。さらに、「膠着」言語の一つである日本語」においては、その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしていることを論じた。

(『認知言語類型原理』[以下、中野 2017] p. 308、書評論文[以下、田中 2019]p. 295から禁断の孫引き。以下、同書の引用は全て孫引き)

昔、『日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す』[amazon:日本語に主語はいらない]という本が出て、言語学者に酷評されたことがある。金谷武洋日本語に主語はいらない』批判記事一覧 - 誰がログ https://dlit.hatenadiary.com/entry/20071216/1197757579

主語がいらないと言っただけでそうなったのに、『認知言語類型原理』は、ミニマリスト断捨離なんてもんじゃない。主語だけじゃなく、形容詞、態、時制、格、自動詞他動詞も、いらない、何も、捨ててしまおう~♪と謳っているらしい。全部なしで日本語の文法はどうなっているのかというと、「その語・語句・節の生成メカニズムは、「音」自体に「意味」を見出す「音象徴 (sound symbolism)」を基盤にしている」ということらしい。

「音象徴」の名の元に蘇る亡霊

これは熊倉千之氏の「音象徴理論に基づいているそうで、熊倉氏は、

膠着語にかんして、「イメージイメージを膠でつけるように、ことばができているのです。ですから、具体的なモノとモノをつなげると、言語(コト) としての「抽象」 性が生まれ、新しいことばが作られるのです (熊倉 2011: 18)と述べた上で、日本語の音素はそれぞれ何らかのイメージを持つという観察を根拠に、やまとことばの「音声と意味」には、ソシュールの説に反して、「恣意的」ではなく、密接な繋がりが感じられる」 (熊倉 2011: 30) と主張している。

(これも田中 2019: 309から禁断の孫引き

熊倉千之 (2011)『日本語の深層〈話者のイマ・ココ〉を生きることば』東京: 筑摩書房.

とのこと。

近代言語学の父、ソシュールの一番有名な恣意性原理否定しているが、それ自体はない話ではない。音象徴が当てはまる例として、ポケモンとか怪獣名前は、音と意味関係が全く恣意的なわけではない、みたいなことが最近よく言われている。ただ音象徴基本的オノマトペ擬音語擬態語)や新たに名前を付けるものについての話、しかあくま傾向性言語全体の「語・語句・節の生成メカニズム」になるようなものとして扱われてはいない。しかし、中野説はそういった主流の音象徴研究とは一線を画する。具体的に見てみると、

「あ/a/」は「空間出来の語基」 として、「い/i/・居」 は「様態化の語基」 として、「う /u/・続」 は「プロセス化の語基」 として、 「音象徴」 により語彙を創発させる機能を担っているのである(中野 2017: 247) 。

知らなかったー、日本語ってすごいですね(棒)。たとえば、「合う・会う」は、「あ/a/」+「う /u/」だから、「(出来)動詞」だそうだ。書評子が、

「「出来」が「プロセス化」すると「合う・会う」になるという説明は到底理解できるものではない」(田中 2019: 309)

と言う通りだ。「あい」(愛とか藍)はどうなるんだろう。中野先生によると、音象徴

日本語(やまとことば)」の同音異義の語の数の多さと、またオノマトペの豊穣さの、母体にもなっている」 (中野 2017:232)

そうだが、書評子は、ここに鋭く矛盾を見て取る。

この主張は、本書の議論を決定的に破綻させるものである。もし「音=意味」という恣意的でない結びつきが存在するならば、同じ音を(同じ順序で)組み合わせれば同じ意味になるはずである同音異義語存在が極少数に限られるならともかく、その数が多いのであれば、日本語の全体を「音象徴」に基づいて分析することが不可能であることは自明である。(田中 2019: 310)

かに。他にも、中野先生は「確かに」・「達する」・「頼みます」・「たった、これだけですか」・「立つ」・「経つ」・「絶つ」・「裁つ」などを例に、

日本語(やまとことば)」では、音部分が同根であれば、「音象徴」に基づき、その意味機能通底している 。 [中略] 「た/ta/」音を語頭とする語は「心的確定(確信)」を基に語彙が生成していることが理解できる。「日本やまとことば」の「た/ta/」音は、「音象徴」において「確信」を「意味」とする「音」なのである。 (中野 2017: 255)

と言っているそうだが、「立つ」とか中野先生自身の例でさえ、どこが確信関係があるのかわからない例もある。この説が無理なのはよく考えてみるまでもない。

そもそも、「音象徴」なんて流行りのタームを中野先生熊倉氏は使っているが、こういう説は「音義説」[wikipedia:音義説]と言うのがより正確だ。近代以前に唱える人がたまにいたけど、今ではググるとわかる通り素人が唱えているだけのものだ。ちなみに、このような形で同書に大きな影響を与えた熊倉千之氏とは、

1980年「『源氏物語』の語りの時間」でカリフォルニア大学バークレー校にてPh.D.取得。ミシガン大学サンフランシスコ州立大学などで日本語・日本文学を教える。1988年帰国後、東京家政学院大学教授1999年金城学院大学教授2007年退職

[wikipedia:熊倉千之]

という人。ウィキペディアでは一応「日本文学者・日本語学者」となってはいるけど、専門はどう見ても文学言語について言語学界とは関係なく自由思索著述をしている人のようだ。そういう独自言語論を唱える文学思想研究者はよくいるけど、普通言語学者はそういうのはまともに相手にしない。『認知言語類型原理』もその類の本だったなら、東大言語学を学ぶ書評子も取り合わなかっただろう。でも、これは京大言語科学講座で博士号をとるために書かれた論文(が元になった本)なのだ

驚愕の主張の数々

他にも同書には、業界震撼の主張が満載みたいだ。是非同書を買って私の代わりに確認してみてほしい。

日本語では論理的命題を表すことができない」(田中 2019: 305)
日本語は英語を含む近代ヨーロッパ標準諸語に翻訳できず、また近代ヨーロッパ標準諸語も日本語に翻訳できない」(中野 2017: 268)
科学数学物理学化学生物学法学経済学歴史学社会学言語学等)」と称せられるものの全ての言説は、日本語で書かれている限り、「日本語(やまとことば)」の論理によって、「客観的であるとする言語論理的根拠を維持できないのである。当然のことながら、この本自体も、日本語で書いている限りはその陥穽から逃れることができない。」 (中野 2017: 268)
日本語の「伝聞」というコミュニケーション様態においては、伝えられる内容は、伝える者によって「主体化」されており、したがって、その「主体化」された内容の真偽判断に関わっては、「権威」が必要となる。伝える者に「権威」が伴っていない場合、伝えられる内容は真と判断されない。」(中野 2017: 16)

しつこいようだが、これで5年前に京大博士号が取れたのだ。

ちなみに、なんで日本語が英語などと違ってこうなってるかと言うと、中野先生によると、日本語は歴史的文字を持たなかったからだそうだ。とはいえ英語だってそうだし、文字で残っている歴史の長さも日本語と同じくらいなんだけど。っていうか、どの言語も昔々は文字がなかっただろ!

ということで、書評の内容は変な言いがかりではないようだ。そもそもこんな空前絶後激辛書評論文大学院生が書くこと自体大きなリスクを伴う。(書評子、いろいろ大丈夫か?)無理なイチャモンをつけるためにそんな危険を冒すわけがないし、出版前に東大で止められるだろう。ま、『認知言語類型原理』は、博士論文審査から本の出版にいたるまで、誰にも止められなかったみたいだけど!

京大STAP細胞はありま~す?」

もう終わりにしよう。書評批判が当たっているなら、こういうことだ。超大物教員指導の元、こんな博士論文が書かれ、専門家達が「厳正な」審査をし、超一流の博士号が授与され、それをテコに大学で職を得た人がいる。これがわかったのは、本が出版されたおかげだ。ちなみにこの本、名もない出版からではなく、京都大学出版会が出している。もちろん、本の出版は著者が勝手にできることではない。本の最後に超大物元指導教員が「解題」を寄せているから、知らなかったはずはない。解題を見てみたところ、基本的にほめていて、特に批判らしい批判はなかった。実はその解題、公開されている博士論文審査結果の要旨とほとんど同じ。

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/199376/1/ynink00705.pdf

審査結果からもいくつか引用しておこう。

論文は、個別言語における認知メカニズムの解明によって言語固有の形式文法カテゴリ創発する根源的理由説明を試みた意欲的研究であり、認知言語類型論という新た

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