はてなキーワード: 村の家とは
砺波平野の散居村が美しい
https://dailyportalz.jp/kiji/Scattered-villages-in-Tonami-Plain
珍しく地元の話題をホッテントリで見かけて面白かったので書いた。
書いてみたけど北海道の農家とかの方が大変そうだよねこういうの。
上下水道が来ているところもあるけど、井戸水と浄化槽のところも結構ある。
井戸と言っても電気で汲み上げるので普段の使用感は普通の水道と変わらない。
井戸水は夏冷たく冬暖かいとかのメリットもあるけど、停電すると水も止まるとか、地震の後は水が濁るとか面倒なところもあるらしい。
浄化槽は庭に浄化槽を埋めて下水がそこに流れ込むようになってるやつ。
井戸+浄化槽+プロパンガスまでは割と独立した感じがあるから、電気も自前の発電機で賄うようにしたら最強に見えるかもしれない。
道路自体は普通に管理されてるけど、道路脇の用水にフェンスが無いので定期的に用水に人が落ちる。富山県が全国で一番用水への転落事故が多いらしい。
散居村の用水全てにフェンスを付けるのは無理なので困ったねみたいな話がニュースになったこともありました。
道路といえば田んぼの真ん中に家があるので、家の敷地内に長い私道があるお宅が多い。どこまでが私道でどこからが公道なのかは住んでる人間もよくわかってない。
水田は洪水を防ぐはたらきがあるので、家が水田に囲まれてる散居村の水害防御力は多分高い。
先人が庄川の治水を頑張ったお陰でここ数十年は水害らしい水害は無いみたいだけど。
幹線道路は融雪装置が付いていたり早朝に除雪されたりするけど、散居村の家の前の細い農道にそんなサービスは無い。除雪車が来るとしても昼。
従って通勤のために車庫~除雪されている道までのルートを自力で切り開かなくてはならない。
上にも書いた通り散居村の私道は長いし、家の前の農道も除雪となると結構な距離になるので、農作業用のトラクターを除雪仕様に換装して除雪する。
トラクターの無い家でも手押しの除雪機持ってる家は多いんじゃないかな。ママさんダンプじゃなくてガソリンエンジンのやつ。
雪は温暖化の影響なのか昔に比べるとかなり少なくなった。
昔は12月に雪が積もると春まで地面が見えなかったけど、最近は一気に沢山降ってすぐ溶けるのを年に2~3回繰り返すみたいな感じになっている。
たくさん降りそうなりそうなときは前日から学校が休校決めたり、会社の社員食堂が食材の仕入れができないって言い出したりするので、
じゃあもう会社も休みにするかとなることが増え、昔よりかなり楽になった。休みなら早起きして除雪しなくていいからね。
ブラックキャップを開発した人はノーベル賞とか貰ったら良いと思う。
最近は温暖化の影響なのか昔は見なかったヤモリが家に入ってくるようになった。勘弁してほしい。
ブコメで見かけたけどあの景色のどこに騒音を見出したんだろう。カエルか?
カエルは実際五月蠅いらしいけど、地元民には聞こえていない(強く意識しないと音と認識できない)ので騒音にはカウントされない。
散居村は楽器やりたい人なんかには良いところってのはよく聞くけど、時期によっては3km離れた城端線を列車が走る音が聞こえるくらい静かなところなので、
季節と時間帯を選ばないと演奏が砺波平野に響き渡ってしまうかもしれない。
見ての通りド田舎なので、散居村を構成する家々は空き家が増えているし、高齢化もすごい。
もうじき敬老の日の催しがあるけど、75歳以上が老人として扱われ、会場の設営を70歳の若者がやっている。
屋敷林の管理や農作業、冬の除雪など、力仕事のできる人間が複数居ないと維持管理が難しいんだよな散居村の家。老人だけでは厳しい。
昭和初期生まれくらいの世代ではきょうだいが10人居るとか普通だったそうだし、そういう一世帯の人数が多かった時代のものなんだろうなと思う。
観光資源としてPRしてるけど、個人の農地と家が平野に並んでいるだけのものだから保全も難しい。土地の持ち主が田んぼをやめるのを止めることはできない。
そんな訳で今しか見れない景色かもしれない散居村、季節によって違う良さがある。
田んぼに水を張る季節が一番フォトジェニック。散居村の水田に映る夕焼けは観光案内なんかでよく見る。
高いところから見下ろすのも良いけど、城端線の車窓から見るのも良いのよって会社の先輩が言ってた。
また、砺波ではチューリップの球根の栽培が盛んで、GWごろには「となみチューリップフェア」というのをやっている。
チューリップ公園で大量のチューリップが咲いているほか、実際のチューリップ畑を見学したりもできる。
夏の散居村を車で走り抜けると草原の中を走ってるような感覚になるので個人的に好きな季節。
稲穂で一面黄金色なのも良いし、稲刈りの終わった後の寂しい感じも人によっては好きかもしれない。
散居村展望台の近くにある夢の平スキー場は秋になると一面の秋桜が咲いてるので結構人気がある。
雪景色が綺麗。積もりたてが特に綺麗だけど、そういうときは大抵公共交通や路面状況が死んでるから観光で来るのは大変そう。
いや公共交通は普段から瀕死だけども。バスも電車(城端線は電車じゃないけど)も本数少ないから、使うなら時間ちゃんと調べた方が良い。
1.目があった瞬間にキルキルキルって条件
2.気が向いたときに殺す
2−1 村人同士も殺し合う
泊めない。無害な村人が生き残っている可能性は限りなく低いから。かつ、誰も泊めてくれないってのは明らかな嘘で殺すか殺される関係で泊まりに行くわけないから
2−2 村人同士は殺し合わない
泊めない。村人同士で泊めてくれないのは嘘だから。仮に泊めてくれないのが他村の家だったとしよう。この場合も泊めない。1/100に命を預けられないから。これが差別だと言うならお前が泊めろって反論するし、実際に泊めた後に差別マンが生きてて、ほらやっぱりお前は差別してたって言うなら甘んじて受け入れる
昔々ある谷あいの小さな村にめんこい女子たちが暮らしておった。
村には女が少なかったが、女子たちは男らにかわいがられながらすくすくと大きくなった。
女子らも村の土をせっせとこね、あれこれ工夫しながら焼き物を焼いておった。
この焼き物はよその村でもなかなか評判がよかった。
「うちの村の女子はなかなか腕がいい」
「ほんにな。呟き村の村長どんも誉めておったと」
村人たちは女子らを身内かわいさで誉めることもあれば、やっかんで貶すこともあった。
女子たちはそんな評判をちゃんと聞いておったが、そしらぬふりでにこにこしておった。
小さい頃から荒くれ者に揉まれた女子たちは立ち回りが上手かった。
そして村一番が誰か、誰と誰が仲がいいかを見てから物を言うよう心得ておった。
そして店の名を「くたにおなご」と名付けた。
店にはよその村からも腕の立つ職人を招き、よく売れる焼き物を置いた。
村の者たちはそんな女子らの活躍を少しさびしく思いながらも喜んだ。
と評判が上がると、村の評判まで上がるように思えた。
こうして村の名が広まったのか、谷合の村にも少しずつ新しい者が入ってきた。
女子らは忙しく働き、町のつきあいが忙しく、村の家には帰らなくなった。
それでも故郷が恋しいのか、たまに帰ってきてはそっと軒先から村人をのぞいておった。
ある日のこと。
村の男が新参の女を騙し、弄んだあげく金を巻き上げて捨てた。
女は惚れた男に騙されたことを泣いて悲しんだが、金だけは返してほしいと男に頼んだ。
男はのらりくらりとしておったが、やがて女の泣き声を聞いた村人が集まってきた。
男は慌てて「あれは狂言だと言ってくれ」と女に頼んだが、女は引き下がらない。
男も後には引けぬと意地を張り、女に借りた金を返そうとはしなかった。
女子らは村の噂を聞いて胸を痛めた。
女子らはなんとか男をかばってやろうと、自分たちの店に招いた。
そして男の言い分を刷り、店の焼き物の箱に抱きあわせて売った。
男はこれにたいそう喜び、女子らと酒を酌み交わし、上機嫌で写真まで撮った。
女子らにはこれが焼き物の評判に傷をつけることがわからなかった。
店に品物を卸してくれている村の外の職人がどう思うかも考えなかった。
村を出て何年も経っておったが、女子らは村の外のならわしがわかっていなかった。
村では人の顔色をうかがい、力のある者についておけば安全だった。
新参者の女と入植当時からおった男のいさかいならば、男につくのは当然だ。
それで自分たちのしたことが恥ずかしいなど露ほども思わなかった。
それどころか男が自分たちの店に顔を出してくれたことがうれしくてならなかった。
大きな声であちこちにふれまわらずにおれないほどだった。
女子らはそれを見てまた誇らしく思ったのか、さらに気を大きくした。
女子らがまだ小さかったころ、男は強くて大きく、村長と肩を並べるほどだった。
しかしもはや村人たちの多くは男の名を知らなかった。
いい年をして娘ほどの年の女を騙し、弄んだあげく小金を踏み倒す男に呆れるばかり。
女子らを使っておかしないいわけをする姿はことさら醜いと思われた。
女子らがかけまわった野山はすでにない。
女子らの家すら焼かれてしまいそうなことを、女子らはまだ気が付いていなかった。
村の者ばかりでなく、町で暮らす者がこのことをどう思うかもわかっていなかった。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
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エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
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トーマス・マン『魔の山』
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セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
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ブランショ『文学空間』
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樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
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内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
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大岡昇平『俘虜記』
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古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
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正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
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シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
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ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
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カフカ『審判』
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トーマス・マン『魔の山』
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セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
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