はてなキーワード: 骨身とは
ある老僧が屠殺場を通りかかった際、涙が流れるのを禁じえず、深い哀しみを覚えた。
人々はとても不思議に思い、なぜ哀しんでいるのか、老僧に尋ねた。
すると、老僧は次のような話を始めた。
「話せば長くなるのですが、私は、自分の二つ前の前世まで記憶しています。
私が初めて人に転生した際は屠殺人で、三十過ぎで死にました。
死後、その魂は、数人に縛り上げられ、閻魔大王の前に連れて行かれました。
閻魔大王は、私の殺生が過ぎたのを責めたて、悪の報いをもって判じました。
そのときの私は、恍惚朦朧としており、醒めているような夢の中にいるような、頭部が熱くてたまらなかったのですが、突然一陣の涼しさを覚え、気がついてみると、豚小屋の中の子豚に生まれ変わっていました。
私は乳離れしてわかったのですが、人は豚たちに見るからに汚い餌を与えているのです。
ただ、とてもお腹が減っていたので、私はやむなくその餌を食べました。
その後、私は次第に豚語を解するようになり、仲間とおしゃべりができるようになりました。
前世のことを憶えている仲間もたくさんいましたが、人に説明する術がありませんでした。
それゆえ、いつも呻き声を挙げ、将来を憂えていたのです。
私たちの目と睫毛は、常に涙で濡れていましたが、それは、自分たちの運命を知っていたからです。
私たちはまるまると肥えていたので、夏の暑さには耐えがたく、泥水の中に身体を浸けては、いくばくの涼しさを覚えていました。
わたしたちの毛は、まばらで硬く、冬になると寒さに耐え切れませんでした。
そして、十分な大きさまで肥えると屠殺されるのです。
人に捕まえられると逃げられない、と内心分かっていても、命が惜しくて逃げようとするのです。
捕まえられると、私たちの四肢は紐で縛り上げられますが、紐がきつくて骨身に滲みるようで、鋸で切られているようでした。
肋骨は折れそうになり、百脈は塞がり、腹は裂けそうです。
時には、竹ざおに吊るして運ばれるのですが、犯人が挟み上げの刑に処せられるよりも辛いものでした。
あるものはすぐに屠殺されるのですが、あるものは数日間待たされます。
私は怖くて頭がくらくらし、全身から力が抜け、目を閉じて死を待つほか仕方ありませんでした。
屠殺人はまず、私の喉を切り裂き、体を揺すって血をバケツの中に入れました。
そのときの苦しみは、ことばで言い表すことのできるようなものではなく、死ぬにも死に切れず、ただ咆えるばかりでした。
この時、魂が解放され、再び覚醒したかと思うと、すでに人として転生していました。
閻魔大王は、私がその前世でわずかながら善行をしたことを知っていたので、人に転生させてくれたのです。
今しがた私は、この豚が殺される苦しみを受けているのを目にして、思わず自らが前世で受けた苦しみを思い出しました。
人間が采配するテーブルトークRPGをやると戦闘とかで体の一部を欠損したけど金が無くて治療(再生)できないとか普通にあるからな
もちろん能力に大幅な制限が加わって単なる能力値ダウン以上にプレイが厳しくなったりする
PCゲーでもテーブルトークを出来るだけ再現しようとしてる物が多々あるけど前述の通りマニア受けで終わる
そういうゲームを最近はRPGじゃなくてサバイバルゲームに分類することが多い
飢えや渇き、栄養状態や精神状態に病気、寄生虫などにも気を配りながら生活拠点を構築しなければならないGreenHellが極地かもしれない
渇きを凌ぐために汚い水だと分かっていても飲まなきゃいけないとか薬が無いから傷口に蛆虫を這わせて抗菌するとかそういうゲーム
この脚本家の話とかもそうだけどさ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2303488
自分は専門家のような知識はないし、あるいは専門家であっても当事者でない限り個別の状況に関して知ってることは限定的なわけで「自分は知らない」ってことを骨身に染ませるべきだよな
ネットで聞きかじった話にいっちょ噛みしたくなるのは「自分には一言言うだけの見識がある」ってのが無意識にあるわけじゃんやっぱり
自分は無知であると心底わかっていたら簡単に腹を立てられないはず
今はネットという当事者も見る公の場に自分の言葉をつい簡単に垂れ流しちゃうけど、本当はそれって結構責任のあることなはずで、自分の知をいまいちど謙虚に疑って見るべきなんじゃないだろうか
2年前、元カノに振られた。
昨日また振られた。
良い意味の方でサバサバ系。化粧はせずファッションも力を入れないが、着飾らず大学時代と全く変わらない雰囲気であり、誰とでも隔たりなく接する。
元カノとは大学時代に部活で知り合い、ずっと一緒に遊んできた。
元カノも実家に戻り地元企業で就職し、俺の地元から近いので年1回程度、部活OB/OGで集まって遊んでいた。
この転職が実現すると、俺は将来的に地元に戻れること、元カノを東京に連れてくる選択肢が発生することから、結婚を見据えた関係が現実味を帯びたため、結婚を前提にと匂わせつつ元カノに告白した。
元カノはウダウダ言って受け入れてくれた。子供は何人とか家とか専業主婦とか話していた。流石に気が早すぎると思いつつ、浮かれているのを見て微笑ましかった。
転職の成功後は元カノとデートした。元カノが東京に来てくれて一緒に観光したり、俺が地元に戻ってキャンプしにいった。互いに連絡不精なのでLINEは1ヶ月に一度程度だったけど。
出社しても広いフロアに数人、仕事以外は1人、プライベートで友達はいなかった。
俺の元より低いコミュニケーションスキルは著しく低下していく。
---
1人でいる時は、常に元カノのことを考えていた。
LINEの他にもお土産とか誕生日プレゼントとか送り合ってはいたけど、元カノとの繋がりを欲していた。
元カノは行動というボールを投げたら投げ返してくれるけど、決して能動的に動く性格ではない。
常にボールを投げ始めるのは俺。元カノは本当に一緒にいてくれるのか愛情表現を欲していた。
デートは友達の延長線上で今までの関係と何ら変わりない。恋人として手を繋いだり2人で遊びに行く機会は増加したけど、俺は特別感を感じられなかった。
最初は全く反応がなく喪失感を感じていたが、最後の方は達成感と満足感を得ていた。
俺の認知は歪んだ。
---
転職して1年、俺は彼女の地元に引っ越すことに決めた。リモートワークなら問題ないと気付いたから。
---
ある日、誘いを断られた。そういう日もあると理性で理解する。
またある日、仕事中に強いストレスを感じ、元カノとセックスしたくなった。風俗ではなく元カノとだ。
俺は衝動的に元カノを呼び出そうとする行動を観測した。理性ではとんでもない行為と理解するため、実行しないよう耐えた。
それでも衝動がおさまらない。苦しくて窓から飛び出しそうになる。死んでしまいたくなる。クローゼットに入り暗闇の中でうずくまって耐えた。
〜〜〜
調べを進めると、性依存症に辿り着いた。
当時は精神科に行ったり、自分の思考を言語化して書き殴ることで脳内のモヤモヤを解消したり、コミュニティ活動することで自分の居場所を作ってコミュニケーションを積極的にできるよう頑張った。
実家にいる時は気づけなかったけど、本当に1人になって初めて、人間は社会的動物なんだと骨身に沁みた。
〜〜〜
否定されること、嫌われることが怖かった。
荒療治の一環として、元カノに好きって言葉をセックス中にしか言えてなかったので、改めてデートの時に伝えた。もちろん戸惑いもあったが、元カノも「お前とずっと一緒に過ごすと思ってる」と伝えてくれた。
その数週間後、別れたいと言われた。
嫌なところもあれば治すと言いつつも、決意を感じたため、別れるしかなかった。
1〜2ヶ月に一度、俺から誘って2人で遊びに行く程度の関係性。
リモートワークで通話が限られており、今の居住地に元カノ以外友達はいない状況である。
これでは日常的に人と会話できない。この状況が続くとコミュニケーションスキルは上達しない。
ボランティアやコミュニティに入ったり、人と会話する状況に身を置いた。
復縁の希望を持って、元カノをコミュニティに誘いみんなと一緒に遊ぶ。
関係性を自然消滅したくないから、俺の成長を近くで見定めて欲しいから誘った。
コミュニティで中核になりつつ、元カノ含めメンバー皆が楽しめる集まりを企画して遊んだ。
結果、俺は元カノだけに愛情や善意を提供するのではなく、多くの人に善意を提供するようになった。相手を人間として隣人として接するようになった。
---
善意の提供配分で思い悩むこともあった。善意は提供配分が多いほど、返ってこない時に心理的負荷が高まる。少しも返してくれない人に悩むこともあった。
しかし、それはきっと、多くの人が経験してきたことなのかと思う。
俺は今までの人生において、人間とのコミュニケーションを避けてきたから、誰かに与える行為を積極的にしなかったから、「今」壁にぶつかったのだと思う。
人間関係において、頭では自分と他人の境界線に気を付けてきたつもりだった。
それでも感情は、少しも返してくれない人に残念な思いを抱く。
だから善意を提供する時、自分が辛くならない程度だけ配分するよう変えた。分散投資するイメージで。
---
マッチングアプリも始めた。
最初はメッセージのやり取りがおぼつかなかった。距離感、食事の誘い方や進め方、何もかも分からなかった。
ネットで調べつつ失敗しつつ、女性との関係性の築き方を学んでいった。
俺はコミュニケーションスキルを向上というより、一から人間関係を学び始めていた。
高校時代は、誰ともコミュニケーションを取らなかった。中学時代のコミュニケーションスキルを喪失した。この頃は友達0人だ。
大学時代は、自分を変えようと思って入った部活で人に恵まれ、人と関わることは悪くないと思い始めた。お世話になった先輩や、部活の友達とは今でも会いに行ける関係を築けた。
今では、新しいコミュニティに優しく受け入れられ、自分が人を受け入れる立場になった。他コミュニティにも繋がりが広がり友達が増えた。自分から関わることで友達のネットワークが増大した。
---
結果、断られた。
---
人生のパートナーになりたいのだと思うこともあるが、おそらくそうではない。
しかし、ふと元カノのことを考えてしまい、否定を繰り返し、結局元カノに思考が奪われる。
元カノのことを意識的に考えないようにするのではなく、無意識的に他に楽しいことや、熱中することを見つけるのが正解とわかっている。
コミュニティで遊ぶ時、
元カノのことは忘れられる。
しかし、疲れている時、何も思考したくない時、ふと元カノのことがよぎってしまう。
だから、今の変わった俺ならと淡い期待を抱き、振られても次に進めると思い、告白した。
ただ、コミュニティで築いた人間関係を捨て去ることになるので、優先度は低い。
マッチングアプリを再開したが挫けそうだ。
マッチングまでいいねを投げ続けることや、マッチング後に会うまでのメッセージやり取りが辛い。相手の温度感が低いのか、それとも会話を投げない性質なのかわからないけど、会話に熱量を投げてくれない人を相手取るのは辛い。
自分の中のコミュニケーションとは、自分と相手と共同で火起こしするイメージを持っている。
だから、自分が1人で火起こしして相手は何もしないだけの状況は、精神的にまいる。
やはり結婚相談所も挑戦してみるかの心境に至る。
---
俺は以前から元カノと遊ぶ時に戦々恐々としていた。こちらの選択肢で合っているか?嫌われないか?と顔色を窺っている。
仕事も結婚も合う合わないがあることを、今度こそ感情で理解したい。
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自分が仕事も元カノと合わないからといって、自分が全部ダメなわけではない。
理解度が低すぎて効率が改善できるところとできないところを分けられない、だからこそ見積もりが狂いまくってる奴
まぁいわんとすることも分からなくはないけど、その2つは違う問題だよっていうことだけ言いたかった
自分がよく理解できてない対象で楽観的な見積もりを使おうとするタイプのバカは根本的に性格も終わっているので、そもそも相手にしないのが一番だとは思うけど、どうしようもないときは同じくらいの能力に到達するまでやらせて骨身に染みさせるくらいしかないだろうな
同じだけの(一定以上の)能力が最初からあるならそういうこと起こらんっていうのはそうなんだけど、同じ能力でも2人のバカ同士がつるんでたら多分バカがバカにポテサラ作ってよって言い出すだけでたぶんそこは変わらん
5万円もするのね
大学生のとき個別指導塾で働いていて英語を教えてたんだけど、中学生がみんなあまりにも辞書を引かなくて、塾長に、みんな保護者が電子辞書買い与えるように啓発した方がいいんじゃないですかね、って雑談ついでに軽く言ったことがあった
塾長は、でも電子辞書は高価だから塾側から言うのは難しい、って言ってて、なるほどねってなった
でも内心、大学生の私は、個別指導塾に通わせるような教育ママなら電子辞書に投資すればいいのにとか思ってた
自分自身は中学入学時に伯母に電子辞書買ってもらって、英語から国語(文章書くときに引きまくってた)、第二外国語の中国語、果ては青空文庫で小説読むのまで電子辞書を使い倒してたから
紙の辞書はやっぱりスマホ世代の中学生には馴染みづらいみたいだったし、かといってスマホ検索は気が散るし
でも確かに5万はきついな、って社会人数年目の今なら骨身に染みてわかる そんな大金ぱって出せないよ 世間知らずでごめんなさい
そう書くと短いけど、満足感とストレス的にはこれ以上だと逆にしんどいからマジでこんくらいでよかった
正直クリアあきらめようかと思ったくらい、音ゲーと横スクロールアクションへたくそな人間には地獄だった
不定期なアクションを要求される横スクロールアクションとリズムゲーの相性は悪いということが骨身にしみてわかった
ステージがSIMPLEな序盤はまだいいんだけど、後半っつか終盤が地獄
でも攻略動画見たり、自分なりにやりなおしたりしてなんとか突破
アクションがなあ・・・ロックオンから敵を倒した後、ジャンプ→ダッシュしたらロックオンできないってのが罠すぎるわ・・・
ジャンプ連打でロックオンと攻撃ならそのまま連続してジャンプ押しちゃうのが普通でしょうよ・・・マリオとかスーパードンキーコングとかさあ・・・
壁のぼりとかもいまいちうまく思ったようにアクションしてくれなかったりしてもやもやすることが多かった
リズムゲー重視するなら方向キーとボタンをリズムよく押すくらいで勘弁してほしかったなあ・・・
音ゲーと違って全部ハメなくていいってことにきづくとこれ音ゲーじゃなくていいじゃんってなるし
落ちたり触れたりしたら一発アウトのエリアずっと続くかんじの
基本ワンミス即死ばっかでしょっちゅう音楽止めて巻き戻してーってのがいまいちだったな
まあそれが特徴ではあるんだけど、それ前提の難易度になってるからなあ
しょっちゅう初見殺しがあるのと、後ろから追っかけてくるやつがほんまストレスだった
無理やりリズムに合わせて高評価とるとこまでが攻略だって言われたらそうかもだけど
まあシューティングゲームといっしょで1周が短くてやりこむタイプなんだろうな
はまる人はめっちゃはまるらしいしわからなくもないけど、音ゲーなら音ゲー、アクションならアクションに集中したいってのがわかった
せっかくいい音楽もおちおちきいてらんないし
ちょっとした議論や対戦ゲーム、争いになりそうな事や美味しいポジションは全て初めから譲るようにして
批判や皮肉にも腸が煮えくり返るけど一人になってから文章に書き連ねたり物に当たって鬱憤を晴らすようにしている
正直言って人と関わっても何も楽しくない。
昔からその傾向はあったが、習慣を変えてからは特にそう思うようになった。
他の方法で自分を満たしたり社会と関わる事にモチベーションが感じられないのかもしれない
ただ完全に一人で完結できるほど強くもないし、創作等(純文、AMV制作)にも手を出してみたが、
何がしかの結果が出るまでには相当に時間がかかりそうな気がしている
同時にこれは程度の問題で、条件によっては自分のような欲求を発露しながら問題なく(問題を他人に転嫁して)楽しく生きている人たちがいる事も理解しているが、
ちょっとした議論や対戦ゲーム、争いになりそうな事や美味しいポジションは全て初めから譲るようにして
批判や皮肉にも腸が煮えくり返るけど一人になってから文章に書き連ねたり物に当たって鬱憤を晴らすようにしている
正直言って人と関わっても何も楽しくない。
昔からその傾向はあったが、習慣を変えてからは特にそう思うようになった。
他の方法で自分を満たしたり社会と関わる事にモチベーションが感じられないのかもしれない
ただ完全に一人で完結できるほど強くもないし、創作等(純文、AMV制作)にも手を出してみたが、
何がしかの結果が出るまでには相当に時間がかかりそうな気がしている
同時にこれは程度の問題で、条件によっては自分のような欲求を発露しながら問題なく(問題を他人に転嫁して)楽しく生きている人たちがいる事も理解しているが、
今更それを目指そうという気にもならない。(何かそういうチャンスが降って沸いたら手のひら返す可能性も否定はできないが)
どうにかして他人を搾取する事なく他人と共に楽しむ時間を持てるようになりたい。
増田の知恵を貸してほしい
ちょっとした議論や対戦ゲーム、争いになりそうな事や美味しいポジションは全て初めから譲るようにして
批判や皮肉にも腸が煮えくり返るけど一人になってから文章に書き連ねたり物に当たって鬱憤を晴らすようにしている
正直言って人と関わっても何も楽しくない。
昔からその傾向はあったが、習慣を変えてからは特にそう思うようになった。
他の方法で自分を満たしたり社会と関わる事にモチベーションが感じられないのかもしれない
ただ完全に一人で完結できるほど強くもないし、創作等(純文、AMV制作)にも手を出してみたが、
何がしかの結果が出るまでには相当に時間がかかりそうな気がしている
同時にこれは程度の問題で、条件によっては自分のような欲求を発露しながら問題なく(問題を他人に転嫁して)楽しく生きている人たちがいる事も理解しているが、
今更それを目指そうという気にもならない。(何かそういうチャンスが降って沸いたら手のひら返す可能性も否定はできないが)
どうにかして他人を搾取する事なく他人と共に楽しむ時間を持てるようになりたい。
増田の知恵を貸してほしい
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
就職氷河期なんて命名するから「不景気のせいで就職難の時期があった」というフレームで捉えがちだけど、
あの時代はもっと根本的な価値観・世界観の変化に直面してたような気がする。
まず、70年代末までに明治以来ずっとやってきた西洋キャッチアップ型の近代化=工業化が完了して、
(最後の人口ボーナスの波である団塊ジュニア世代が成人するまでに労働集約型の工業社会を卒業して)
これからは前人未踏の領域で、あたらしい生き方を模索しなきゃならなかった…んだけど、
バブル景気がやってきて、「深刻な話」はふっとび、お祭り騒ぎになっちゃった。
でも流石に、激動の昭和も終わり、冷戦も終わって大きな地政学的な変化が起こり、
経済はグローバル化が進み、モノづくりニッポンの終わりが予測され、世界の工場の地位もアジアの新興国に移っていくようなって、
もう(経済だけでなく生き方全般の)根本的な改革は避けられないかな?と思っていたところで
本質的な改革どころか、生活を「元に戻す」ので一杯いっぱいの状態…
そんな調子で、本来なら80年代初頭から10~20年かけてやるべきだった本質的なライフスタイルの変革(経済含む)を
ズルズルと先延ばししていたが、いよいよ誤魔化し切れなくなったのが90年代の後半で、
(というか、団塊ジュニアが金を払って学校に行く側から「稼ぎ手」なるのが人口ボーナスの最後の波で、
その波がおさまっていくのが90年代後半だとすると、重なるのは必然か?)
オウム真理教が終末思想にもとづいてイロイロ事件を起こしたり、
旧エヴァンゲリオンが社会現象となるほど大ヒットするのも、偶然じゃないでしょ?
いままで怖くて直視することすらできなかった存在論的不安に対応せざるを得ない時代の空気を反映してる…
本来なら、働き方改革だの、ジョブ型 vs メンバーシップ型だの、春の新卒一斉採用の是非だの、
標準家庭だの、第3号被保険者だの(働くお父さんを支える専業主婦)といった問題は、
80年代に本気出して考えておくべきだった。
IT化、情報化、グローバル化に乗り遅れたのも、明治以来の(自分たちの骨身にしみた)工業化社会の延長で
生きていこうとしたせい…。本質的には昭和サラリーマンのまま、マイナーチェンジで乗り切れると思ってたからじゃないの?
先日、Twitterでスープストック論争が巻き起こっているのをみて、ま〜た色んなところで女の敵は女論やフェミがなんだツイフェミがなんだ言い争ってるんだなぁと思っていたのですが、その中で出てきた「無産様」というワードが想定していた以上に心に刺さってしまって、ちょっとだけ泣いてしまったので、気持ちの整理をつけるために書いています。
誰に見られるものでもない前提ではあるものの、世に放つには随分と乱文になるかと思いますので、もしお読みの方いらっしゃったらご了承ください。
大前提として、スープストックが取り組む施策について、「子ども連れの肩身が狭い」と言われる昨今、すてきな取り組みだと思っています。
それに対して、本当にうれしい!という感想も、無料だと客層大丈夫?という感想が出ることも、いきにくくなるのだとしたら悲しい、という感想が出ることも、それぞれの方の反応なので、それぞれが思っていればよいことだと思います。
無産様がいわゆる「子持ち様」と揶揄されてきてしまった方々へのカウンターとして用いられているということも、この騒動において「お子様連れなんて!」とお怒りの方に対して向けられていることも、理解しているつもりです。
無産様という言葉が、私に向けられた言葉では無いことはわかった上で、それでも傷ついてしまったとき、感情の向け先がなくなってしまった。
まぁ自分で処理しろよ大人なんだから、ということに尽きてしまうのかもしれませんが。
「男性はxxxxxxだ!」という主語の大きい言葉が、よく話題に上がり男女の論争になることを見てきました。
これだから「男」は、「女」は、という言葉が、自分を指していなくても内包されて同一化されることの不快感を、ようやく理解したのかもしれないなとも思っています。
ただ、私のこの気持ちを、「俺たちの/私たちの気持ちがようやくわかったか!」という言わばマウンティングや、今回の件で「無産様」というワードに対して「面白さ」を感じた人たちの免罪符にだけはされたくないとも強く思う。
と言っていた貴方。
あなたは今おいくつですか?
あなたのライフステージは今どこで、それは社会からただしいと見なされている段階に進んでいますか?
私は今回使われた意味ではないとしても、きっと「無産様」として死にます。
私が家族を持つイメージが、どうしてもどうしても持てない。絶対的に「向いていない」のだと思う。
20の頃からきっと1人で生きていくんだろうなと思い、25をこえていよいよ1人であることの現実性が増してきてる。
まだ若いよもまだ分かんないよも、いい人と出会ってないだけだよももう十分だと思っている。
面白いと嘲笑ったあなたが10代のお子様なのであれば、それはもう仕方がないとして、いつかあなたがきちんとしたライフステージを歩まれることを心から願っています。
どうか、親ガチャ失敗wなどとあなた自身が言われないよう、どうぞすてきな20代をお過ごしください。
上手いこと言ったなぁwと高みの見物をしているあなたが20代前半なのであれば、まだ差し迫る恐ろしさを知らないのか、それとも自分はただしいライフステージを歩めるという自信があるのか、それとも開き直ってるのかは分かりませんが、早く大人になれることを願っています。
ツイフェミと馬鹿にし、独身女おわってるなぁと思っているあなたが、20代後半以降なのだとしたら、あなたが何をどう考えて人生を生きているのか、本当に教えて欲しい。本当に本当に切実に。
私は、無産様というワードにここまで、何よりも傷ついているのは、私が女として、生物として子をなさないという、劣等種であるという自覚を強く持ち、社会にプラスを与えない、正しくないライフステージを歩んでいるという思いがあるからに他ならないのかもしれない。
分かっている。
結婚しなくても幸せになれる時代に、というキャッチコピーがいつだったか流行っていた。
分かっている。
子どもを持たない選択をする家庭があることも、心身の理由により子どもを持てない方がいらっしゃることも。
その事により、その方々が「劣っている」とみなされるわけではないことも、分かっている。
まして、子どもがいない方を見下し劣っているというレッテルを、私自身が貼りに行くことなど決して、決してない。
でも、分かってしまった。
正しいライフステージを進めなかった私は、子どもを持つことがない私は、こうして、「無産様」と嘲りを、罵りを受けるステータスの人間であるということが、今回骨身に染みてしまった。
スープストックの対応につっかかったからとか、子持ちに対して怒りを向けたからとか、そういうことではなく、「子どものいない独身女性」に対する社会からの侮蔑がなければ、こんなワード生まれないじゃないですか。
誰かが面白がる前に、止めるじゃないですか。
止まってないじゃないですか。
「無産様」という言葉を面白いと、外野から笑ったあなたが、子を持たず、家庭を持たず、私と同じく正しいライフステージを歩んでいないのだとしたら、どうしてそんな風に生きていけるのかを教えてほしい。
小さい頃から嘲りを受けてきたから今更なにか言われてもということですか?
女は、独身女性としてなった時にはじめて、弱者男性の世界がみえるとでも??
ここで、地獄だよ、なんてわかった顔しないでほしい。
優しさを持てないことを嘆いているのであって、この世界が地獄であることはあなたもわたしも優しさを持てていないことの証明でしかならない。
違うのだとしたら、なぜ、与えられた痛みを与え返すことができるのだろう。
分からない、本当に。
「無産様」として生きている私は、産まないからこそ、生きてきて次の世代に、生物として+1を引き継げないからこそ、子どもは大切に大切に育てられて欲しいなと思っています。
そのために制度が、補償が、サポートが必要なら、未来のために使われるべきと思っています。
ただこんなにも残酷で悲しい言葉を楽しめてしまう環境に、未来なんてあったもんじゃねぇわ、とは思いました。
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こういう形式の投稿がはじめてだったこともあり、色んな意見があるな〜とみてました。
反応があることにわりとびっくりしてたので、強い言葉であってもなんであっても、ありがたいなと思いました。
そもそもどの立場(男/女/主婦/子なしなど、本当に様々)においても蔑称が存在するのはたしかにそうで、私が当該者じゃなかったから痛みに気づいてなかっただけでしかない。
誰であっても何であっても蔑称があり、それが社会からの目線とかでもなく、インターネットにおける悪意なんだとしたら、なんか凹むことないな〜と思えました。
かつての蔑称に怒ってこなかったのだから傷つけられて怒るな、は、今後登場しうる全ての蔑称に耐えるしかない+全員が痛んでいくしかないということ…?とも思ったけど、そういうものだから「痛めつけられる必要がない」なのかもと思えました。
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しばらく「無産様」をTwitterで検索するのをやめて、はてなをみるのもやめて数日たっていたのですが
ありがたいことになのか、バズワードゆえなのか、想像していなかった反応をいただけておりさらにびっくりしました。
心臓どきどきしながらみました、ありがとうございます。
まだ若いんだから、という声やどうせ30になったら結婚して子ども産んでるよ!という言葉もあり
いつか自分が見返した時に本当に恥ずかしくなるかもしれんなぁと思いつつ
長いし乱文です、だらだら日記です。
痛みに過剰反応しがちで被害者ヅラしがち、という意識をもっておかないとこういうことまた起こしちゃうんだろうな~と思ったので学びでした。
後、いくつか見かけた「弱者男性」をスケープゴートにするな、という意見については
私がTwitterでみたときに所謂反ツイフェミの方々が特に反応されているんだ、と思い
反ツイフェミの方は「弱者男性」を自称されている/弱者男性というワードをよく使用されている印象があったので
これが「弱者男性の世界だ、ざまぁみろ!」の気持ちなのかなぁと思って書いてしまっていました。
ガルちゃんという場所から生まれたことを知らなかったので、傷つけてしまってごめんなさい。
『子を持たず、家庭を持たず、私と同じく正しいライフステージを歩んでいない』、『「無産様」という言葉を面白いと、外野から笑ったあなた』が
弱者男性なのだとしたら、という意図で書き、弱者男性が生み出したということを伝えたかったわけではないのですが
文章力が低いので伝えることができず、
かつ結局対立構造をあおってるだけじゃんね、結局加害者なんだね、という意見は
「本当にそうですよね~~~!ごめんなさい」としか言いようがないです。
これまで私が自覚的にしろ無自覚にしろ得てきた、誰かから見た「特権階級」のメリットを受けなくなること、
選択した自由の責任を取ること、覚悟を持つこと、本当にいろんなこと考えないといけない。
そんな中で、何を言うのも何を受け取るのも難しいなとも思いました。
誰かが何かを言ったとしてもそれは「私」にいっていることではないし、
私が何かを言ったとしてもそれは「あなた」に言ったわけではない
主語をでかくするなとはさんざん言われてきていると思うんですが、
内包されると途端に、ということがわかってよかったなとも思っています。
こんな匿名のブログに書くことじゃないんだけどさ、俺モテたかったよ。
生きることに負い目を感じずにモテるような身分になりたかった。
現実の俺は、子供の頃からゲームとお笑いとネットにハマり中途半端なオタクになり、バイトして多浪した結果Fラン私大に入り
新卒の就職活動に失敗して引きこもりになり、30前にしてなんとか社会復帰して生活保護を貰わずにバイト生活から抜け出せなくなっている中年である。
このような来歴の社会の底辺は、俺なんかが好きになっても相手を不幸にさせてしまうだろう、という認識があって、
意識的に他人との踏み込んだ交流なんかを避けてきてしまった。なので未だに彼女も居たことがないし、セックスなどしたことがない。
もちろん年齢になり今のような生活だと、収入面でも人と付き合うのは難しいというのは、骨身にしみてわかっている。
だからもし上に書いたような後悔や失敗が少しでもリカバーできていたら、恋人ができたんじゃないかな、もう少し人生マシだったんじゃないかなと思っている。
経済学101は非常に素晴らしいサイトで、興味深い記事が多く、よく読ませてもらっていたが、
ノア・スミス氏の記事が出て、「ああ、これはBBCの例の記事への反駁として都合がよくて気持ちよくなる人が多くなりそうだ」と思ったら案の定だった。
「英語の文献引っ張ってくる人は「みんな英語を読まないだろ」と思って都合良く加工してくると思ってつい元を読んでしまう。東京の一人当たりの居住スペースが増えてるのは世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」
と、コメントした方や星をつけた方たちのように、なぜか当該のノア・スミスの記事は、非常に都合のよい「日本は停滞してないよとの結論ありき」のデータの用い方と書かれた方をしている。
日本が停滞なんてしてないと反駁したい人には、すぐに飛びつきたきなるような色んなデータを提示した良い記事だろう。
この問題が一見して色んなデータを提示して説得力あるように見えるにはいくつかの手法によるものだ。
かつて日本は数年に渡り一人当たりのGDPが世界1位であり、各種製造業が世界を席巻し、ジャパン・アズ・ナンバーワンなどと自画自賛かつ他国の一部でもそう言ってる時代もあった。
当然、その時は欧米が比較対象だったのだが、興味深いことにノア・スミスの記事では、少子化問題の出生率に関して、東アジアのなかではマシと、先進欧米国との比較ではなく低出生率にあえぐ国との比較を持ってきている。
アメリカやイギリスやフランスやドイツではなく、ことさら出生率の低い東アジアと比較してるのである。
しかもここでは、日本が長期に渡り出生率が低い状態が続いていることが軽視されている。
仮に今年の出生率が劇的に改善しても、今年生まれた人が生産年齢人口に達するのは約20年後である。
台湾や韓国も長いこと出生率が低いが日本よりはまだ短く高齢化がまだ進んでいない。
同じ出生率1.3の国でも、日本のように長く低い傾向が継続している(しかも欧米のように移民によってその傾向をなんとか緩和するような施策を行っていない)国と、
今まさに日本と同じくらいの出生率になった中国や、日本ほどの長い期間でないにせよ低い傾向の続き日本より低い出生率の記録をだしてる台湾や韓国、
これからなるであろう東南アジアの国々とは事態の深刻さが違う。
10年低出生率の国と20年の国、40年の国では、データ上同じ出生率でもまったく影響が違うのに、である。
日本は世界の主要国先進国の中で先駆けて高齢化が進み、他国よりもその状態が長いことそのままの状態・・・つまり、まさに「停滞」してるから他所の国より深刻なのである。
丙午の年のように単年で出生数が激減したとしても、その影響は長いこと低出生率な状態よりもずっと穏やかで、
これから人口ピラミッドが日本のようになるかならないかでは大きな違いが歴然とあるのに、
他の国の、しかも日本がかつてよく日本自身と比較していた欧米ではなく、日本より低出生率の世界最低レベルの出生率の国々と並べて、
「マシだ」などといっても低出生率が長いこと続いて高齢化が進んでいる日本は、停滞していることに違いないのに。
中国や台湾や韓国は日本のように対策を練らないと日本のような停滞期を迎えるが、逆に言えば日本よりもまだ対策に猶予があるといえる。
賢明なユーザーが「世帯人数減少によるものと解説が付いてた。」と書いたように、東京の、一人当たり換算の住居の広さなのだ。
東京は全国平均を大きく下回る一世帯あたり人数になっており、2020年の国勢調査データでは、ついに一世帯あたり2人を割ってしまった。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA24EMY0U1A620C2000000/
ちなみにノア・スミス氏が比較したロンドンのある英国全体では、日本全国及び東京の世帯あたり人数が減少した2003から2013年にかけて世帯人数が2.36から2.37へと微増しており、
なんと、2021年のロンドンの一世帯あたり平均人数は2.5人で、イングランドの中では世帯人数が多い地域になっている。
英国全体では約2.4人なので、大都市ロンドンのほうが全国平均より世帯人数が多いという日本と東京の関係と真逆のデータになっている。
(最も少ないのは金融街のシティ・オブ・ロンドンの1.7である)
家というのは世帯人数が4倍になれば比例して4倍広くなるものでは決してない。
むしろ世帯人数が増えると、世帯で共有する風呂・トイレ・キッチン等々の分、一人当たり換算で狭くなりがちだ
東京で学生時代を過ごしたならその頃とかの一人暮らしのワンルームもしくは1K、1DKの下宿を思い出してほしい。
あるいは、不動産サイトでそういう単身者向けの住居を見てみるといい。
安い木造アパートとかでも25平米前後あるのを見つけられる。狭くても20平米前後だろう。
しかし、両親と子供二人の4人ぐらしで、25の4倍、つまり100平米のところに住んでいる人がどれだけいるだろうか。
中産階級向けの結構いいマンション、就職氷河期のあおりを受けた人間は買えないようなマンションでも80平米前後である。
私が現在住んでる地域の東京の住宅地の一戸建てでも二階建てでそんなもんである。
安いアパートに暮らす単身者と分譲マンションや戸建てを買う人、どちらが裕福かは明らかだが、
家族構成が異なるだけで、一見一人当たりの平米ではマンションや戸建て購入者の子持ち家族のほうが狭くなりがちなのである。
経済産業省がロンドンなどと各国の世界の都市と比較したデータでも、東京は一極集中がますます進んでおるとしており、
しかも学生やら単身のバイト、会社員などが集まり続けて世帯人数がどんどん減っているのだ。
そうすると、一人あたりの住居サイズは広くなるからくりなのである。
次に金融資産の話では、なぜか先進国の中で著しく格差の激しい米国の中央値と比較している。
みなさんも御存知の通り、アメリカは欧米先進国の中でも特に格差の激しい国である。
我々日本人ではあまり目にすることのないような貧困街などがあり、youtubeなどでその一端を目の当たりにすることもできる。
当然そこの中央値は下がる。
参照先のデータでは、日本より経済規模の小さいフランスやイギリスに負けているが、そことは比較しない。
あえて勝てるアメリカを持ち出している。
アメリカに負けたら今度は韓国あたりを持ち出して、ほら、日本はまだ韓国より金融資産多いよと、言い繕えばいいわけだ。
そもそも日本では個人の金融資産が毎年過去最高を更新とか国内ニュースで普通に採り上げられているので驚きもなにもない。
特に高齢者は平均すると金融資産が非常に多いが、持たざるものが圧倒的に多く、高齢者の生活保護受給者はどんどん増えているのが現実である。
多くの高齢生活保護受給者は怠けてたわけではなく、長年あくせく働いてきたが、国民年金だけではどうにもならなかった人たちや病気や怪我で、などが多い。
その結果、社会保険の負担もどんどん上がっているのが現実である。
金融資産が増えてる(特に高齢者は一番資産を持ってる世代!)わけだから、どんどん豊かになってるんだし高齢者向けの社会保障関連費は少なくても大丈夫だよね?なんてことになってないのどころか、
現役世代の負担は増えつづけてるので、ノア・スミス氏がいくら金融資産を持ち出しても、で?それが?って話である。
さらに外国人労働者が増えてるというが、これはアメリカやEU圏内の国民化したりしているような移民とは大きく異なっている。
賢明なはてなユーザーは薄々気づいているだろうが、そう、これは技能実習生らと資格外活動という名のバイトしてる留学生が上昇率の1位と2位を占めた結果なのである。
技能実習生で検索すると技能実習生と外国人労働者は厳密には違います。と出てくるが、
厚生労働省の外国人労働者の現状と呼ばれる資料に技能実習生がしっかり含まれており、
ノア・スミス氏の当該記事に添えられているデータにも下記のソースにMinistry of Health, Labour and Welfareと厚生労働省と書かれているように、
そのグラフは技能実習生と留学生が含まれた厚労省のデータと一致している。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_30367.html
上記サイトの 別添2「外国人雇用状況」の届出状況まとめ【本文】(令和4年10月末現在)[PDF形式:1.6MB]を参照
経済成長を遂げた中国からのそれの伸びが鈍化する一方で、近年はベトナムからの技能実習生が急増しており、伸び率も1位、人数でも中国より多くなっている。
そして劣悪な労働環境から逃げ出したベトナム人たちが、かつての中国人のように昨今の外国人犯罪ので多くを占めるようになっている。
技能実習生のみならず、日本語学校問題もはてなの諸賢ならご存知だろう。
ノア・スミス氏の翻訳記事で技能実習生らの大幅な増加によってもたらされたデータが、移民・外国人労働者増加として提示されてるのは失笑するしかないが、
おそらく技能実習生という制度や実情をノア・スミス氏は知らず、データだけ見て「ほら!日本は移民が増えてるよ!進歩してるよ!」って思っちゃったのだろう。
パスポートを取られて管理されたり恋愛禁止とかされてる人らを移民や外国人労働者増加の成果にしてしまうのは実に悲しいことなのだが・・・。
ちなみに異常な低賃金で働かされる技能実習生らが生んだ低コストなモノ・サービスと競合する日本のまっとうな企業は、
そうした低コストなモノ・サービスとのコスト競争を強いられて疲弊し、
市場から撤退をする羽目になるか、自らもブラックな手法に手を染めざるを得なくなるため、まともな日本企業にとっての悪影響が非常に大きい。
ノア・スミス氏はアメリカをの女性就労率を上回っていると書いてるが、ノア・スミス氏の当該記事はなぜ大事なところを書かなかったのだろう?
参照先の英文記事では、
日本の女性はその高い労働参加率に比べて、パートタイムや非正規で働く人がはるかに多いことが書かれている。
つまりは労働生産性が低く、安い労働力として扱われているということだ。
実際に男女間の賃金格差は、OECD平均よりもまだずっと低い。
さらに女性就労率に関する当該の参照先の記事の終わりでは、(女性の相対的にかなり賃金が低いままのためか)女性の就労率の上昇に女性の教育水準の向上が根底にあるとは見いだせず、
日本の公共政策は女性の労働市場への参加を支援するようになったが、これらの改革が女性の労働参加率の上昇と明確な関連を見出すのは困難、と結ばれているが、
ブコメではなぜか政権の手柄やよくやってる!というような意見もいくつか散見されるのは興味深いところである。
しかし、世界の平均成長率、あるいは主要国G7内の平均成長率、あるいはOECD加盟国の平均成長率などを大きく下回る成長を続ければ、
他国に遅れをとり、中国のように一気に抜き去っていかれるのは日本人が骨身にしみているはず。それが停滞だろう。
ちなみにノア・スミス氏が用いなかった日本人の90年からの約30年の肌感覚に近いデータといえば、世帯の所得である。
しっかりと、停滞というか減少してしまっている。
金融資産の中央値はアメリカより多いよ!ってノア・スミス氏に言われても、所得がこんな有様である。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-02-01-01.html
また、30代~50代の働き盛り世代の所得が20年前と比較して100万も減少していることがニュースになったのは記憶にあたらしいところ。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220303/k10013512681000.html
かつてはアメリカのGDPに迫り、ニュースでは日米貿易摩擦問題が毎日のように流れていたあの頃、
それが台湾や韓国に経済や技術でキャッチアップされ、このまま放置すれば日本以上に深刻な問題を抱えるその台湾や韓国の出生率らと比較して「日本はマシだ」みたいなことを言ってる時点で、
日本は言うほどひどくないって、そこまでハードル下げられるようになったか、と、
やはりあの90年からの日本と比べて明らかに停滞してきた証だなぁと思った。
余談
ちなみにこの手の議論で東京だけを抽出して経済成長してるだとか
高齢者や女性の低賃金労働者を除けば成長してるみたいな意見も時々あって辟易するが、
高齢者東京以外地方もれっきとした日本であり、税や社会保障を分担してるのであって、
10年近くやっている(情報を見聞きしている程度がほとんど)ゲームがあるんだが、5年以上前から全然やらなくなってしまった
人が減ったとか運営が下手とか仕様が変わったとかいろいろあるけど、その中の一つが「ブログ等で発信しても全然読まれない」ってことなんだよね
自分はそのゲームの比較的新しいころにはじめ、そのゲームにおけるいくつかの仕様や面白いプレイ方法をブログで投稿していた
だからわかるんだがいくら投稿しても狭い界隈にしか訴求しないため数字が伸びない
書いてもこんなもんか、ってことになればそりゃーやる気を損なう
自分以外にも多くの人がチャレンジしていたが、やはりどこかで失速する
結局最古参のブロガーも3年ほど前に引退同然にフェードアウトしていった
むしろ自分は失速した中では一番居残っている部類に入るかもしれない
Youtubeチャンネルを運営しているところもあるんだが、基本不定期だしなんなら年単位での更新しかしない
結局、情報発信している人達ってのは数字によってモチベーションを保つことがほどんどだ
それを骨身に感じている
だからこそ、ブログでも動画でもSNSでもいいので、拡散や口コミやコメントというのはかなり発信者にとって励みになると確信している
ずっと騙されて生きていければそれでいい
(追記)
htnmiki 月並みだけど、ゲームが好きでその結果の情報発信なのか、情報発信(とその数字)という目標のためにゲームしてるのか。増田は後者なのか。
もう少し詳しく言えば、社会不適合者気味のコミュ強(他称)と距離無し(自称)の境界をうろちょろしていて、
もくりで話す初対面の女性達に「おもしれー女」の烙印を押されまくり、気圧の変化とPMSと好きなゲームのリークとちょっとした失敗で一気にメンヘラになり、
スプラでキルされると咆哮し台パンするタイプのクズめな人間である。
増田は初めて書く。長い話にもなるだろう。わざわざここに書くものでも無いかもしれない。
それに、Twitterでバズったものを読んだりしていた程度なので、書き方に違和感等があっても目を瞑っていただきたい。
・私
以上2名。
まず最初に、私が何故増田なるものを書こうと思ったか。その経緯について語らせてほしい。
2022/11/28現在、TwitterTLにてメルカリでのR18同人誌が転売屋によって売られ、
その同人誌をR18と知らずに購入したお子さんの親御さんからクレームが入ったという話を見たからである。
それだけならば「ふんふんなるほどね」ぐらいで飲み込めた事案ではあったが、そのツイートについていたリプライが目に付いた。
私観として要約すると、「部数も少ないしジャンル移動も多く、通販も在庫がなく、中古屋にも行けない私は読む権利を高い転売代金と引き換えにメルカリで買っているし、読み終わったらこちらも再び転売したいので文句言われる筋合いはない」というもの。
このリプを見た最初の感想は「わ!お客様(皮肉)だ!」である。こちとら「同人イベントではサークルも一般も皆等しく”参加者”でお客様は一人もいない」という文言が骨身に染みているような人間なのだ。仕方ない。
その次にこう思った。「そんなに欲しい本ならば何故直接作者に取り置きや自家通販、その他手元に在庫が無いかを聞かないのか」と。
これは持論であり、「〇〇じゃない?知らんけど」ぐらいの話として聞いておいてほしいのだが、限界同人女は必死なルールをちゃんと守った同人女にはわりと優しいことが多いのだ。
壁サー誕生日サーでも無い限り、結構直接頼めば取り置きや自家通販してくれる方もいる。(全員がそうだと思ってはいけない)
そして少し遅いがここまで思考してこの人は「ファン」でも「参加者」でもなく、紛れもない「お客様」であることを再確認したのだが。
私は個人サイトも運営していたことのある現在25歳で、イラスト、小説、漫画を現在も描いている。
Twitter歴は垢消し分も含めると12年のとんでもねぇツイ廃であるので彼女がどこから私を見つけたのか全く検討もつかないし、彼女もいつから私を推しているのか覚えていないらしい。
ただ、少なくとも、7年はずぅっと私のファンであるということを私は覚えている。
何故かというと、初めて発行した同人誌は丁度私が18歳の時に作ったからである。R18本は20歳の時に作った気がする。
最初はなんか滅茶苦茶いいね(当時ふぁぼと呼ばれていたもの)してくる子がいるなぁ程度だった。
だが、私が病んだ時とか「絵上手くなりてぇ~」って言った時には5回に1回ぐらいのペースで「私様が大好きです」「私様の絵が大好きです」と
ただ一言だけ空リプやマシュマロとかで言ってくれるような子だったし、後から18歳未満フォロー禁止にしたアカウントのフォローをちゃんと外してくれるような子だ。
お陰様で名乗ってないのに文体で彼女だと把握出来るようになってしまった。
補足だが私は2年前まで3桁半ばのフォロワーしかいなかったような有名でもなんでも無い日陰で生きてきたただのインターネットお絵描きマンで、フォローは相互ではなく彼女からの片道フォローだ。
そんな彼女だが、年齢を考えてみると2年前は16歳なのだ。7年前だと11歳だ。
11歳~16歳の女の子に崇拝に近い眼差しを受け続け、モニター越しによちよちされ続ける18~23の女。ヤバ女である。
だが、ここまでされて、実は1年に1~2回しかリプで直接交流をしたことが無いのだ。マシュマロを送られても私が返信してそこで終わりなのだ。奥ゆかしくて可愛いね。
そろそろタイトルでもある本題に入ろうと思うが、どういう経緯でそうなったのか実は忘れた。
だが、彼女の誕生日あたりにおめでとうの言葉と一緒に「本取り置きしてるからね!」と言っていたと思う。
私は同人誌は1年に1~2冊発行する同人女だが、取り置きする本はその度に増えていった。
実家を出た時もファンちゃん取り置きBOXを持って新居で取り置きを続けた。
ここまで聞いて、「ただ取り置きしてるだけの話では?」と思う人もいるだろう。
だが、11歳~18歳の好みやジャンルが目まぐるしく変わる時期の女の子がここまで長期的に推してくれるというのは奇跡に近いのだ。
女オタクは推すジャンルごとにアカウントを変える人が多い。つまり、ジャンル(CP)が変わればさようなら、というのが多い。
そんな中、ただ感想を伝え、受け取るだけのシンプルな関係で、「もういらない」と言われることを疑うことなく取り置き続けることができたのは、
彼女が私にとってとても良い距離感で、良いファンだったからだろう。
住所と名前をDMで貰い、取り置き分の本の値段を振り込んでもらう。振込確認をし、発送。そして傷や欠品が無いか確認してもらい、お礼と共に無事取引終了。
それだけである。それだけであるが、謎の達成感があった。私に子供はいないが、子供が巣立ちしたような気持ちである。
ただそれだけの話である。
ちなみに彼女が18歳になって取り置きが終わったからといって私と彼女の関係が変わるわけでもなく、未だに私は18歳のファンの女の子によちよちされながら絵を描く25歳である。
変わったといえば私が自己肯定感MAXで自分の絵大好き!私絵上手!!!とはしゃぐほど画力が向上し、今はゲーム業界で絵の仕事をしていることだろう。
多分ファンにも内助の功的な子がいるのだと思う。お姉さんもっと頑張って絵描くぞ~!!
つまりここまでで何が言いたいかというと、私とファンちゃんは相思相愛で、この記事は私からファンちゃんへの秘密のラブレターということだ。
で、悪くなかった。
確かにアラは目に付きまくるが、まあ本来2時間で終わるさらば宇宙戦艦ヤマトを、2クールで作れと言われたらあれ以上にやるのは難しいだろうな、という感はあった。
自分は「2」は見てないのでそっちとの比較はしないが、個人的には2199よりも満足感が高かった。
というか、自分は2199の随所に不満があり、そっちで期待値を爆下げしてたので、2202が意外と悪くなく感じたのだろう。
2199の何に不満を持ったかと言えば、真っ先に思い浮かぶのが「波動砲封印」。これである。
なんかイスカンダル姉妹が二人とも波動砲嫌いで、何でも昔イスカンダルが波動砲で宇宙に覇を唱えた事を悔いているからとか。
しらねえよアホ。それをやったのはイスカンダルであって地球じゃねえ。
なんでお前らの反省で地球が縛りプレイしなきゃなんねーんだよ。
波動砲封印したせいで外敵に敗れて地球が滅びたらお前責任取れんのか?
沖田艦長は何か使わない約束しちゃったけど、あれほとんど戦争終わってたからOKしただけだろ。バラン星より前にそれ言われてたらOKしたかよ。沈むぞヤマト。
まあそんなこんなで波動砲封印しちゃって、その悪影響が2202まで引きずってたわけだが、
ご存じのとおり、2202の後半なんて数百発の波動砲が飛び交う波動砲天国である。(というか、波動砲くらいしか相手に有効な攻撃が無い)
2202の冒頭では、「波動砲を使いたくない古代と、波動砲を使いたい地球連邦軍」という対比になっていたが、
「波動砲がなきゃ敵に勝てないと骨身にしみてる古代と、かすっただけでも比喩抜きで地球が木端微塵になりかねない波動砲を封印したい地球連邦」という図式の方が自然だ。
波動砲撃ちまくりになったら困るのは地球なのだ。この辺、旧作のさらばでも何も考えずに波動砲艦隊作った辺り、幾ら核兵器の比喩とはいえ扱いが雑だなあという感が強い。
まあ、それはともかく、通常兵器では殺していいけど波動砲では殺しちゃダメ、というイスカンダル姉妹の独特の価値観は、普通の空襲で死んだ人は特集しないくせに広島長崎で死んだ人は毎年特集して語り継いでる日本へのオマージュかと思われるがとにかくアホらしい。
人道を掲げるならいっそのこと「兵器は何一つ使うな」くらい言えば良いものを、そこまで言えない辺りに底の浅さがにじみ出ている。
だいたい、あの姉妹はイスカンダルの座標すら地球に教えてくれず、試練とかふざけたことを言ってて、本当に地球を救う気があるのかも怪しいのだが、
この辺の高貴なるイスカンダルの高貴なるお遊戯は旧作には出てこないわけなので、2199で追加された新設定であると思うと腹立たしさも倍率ドンである。
まあ、リメイク作品の作り手の常として、「旧作を極力リスペクトしつつ、旧作の矛盾点は解消したい」という欲があった事は想像に難くないので、「なんでイスカンダルとガミラスが二重星だと最初に言っといてくれんのや」という旧作の不満点を解消しようとしてそうなったのだろうが、
そんなちまい矛盾を解消するためにスターシャを人類に試練を課す女みたいな妙な位置づけにして世界観をぶっ壊してしまうのは本末転倒ではないのか。
旧作のひおあきら版なんて、スターシャ様はイスカンダルを爆破してガミラスを巻き添えにする烈女ぶりを見せており、そこまで献身的に助けてもらっちゃうと、さらばで地球連邦の増長ぶりに腹を据えかねた古代の怒りも理解できるのである。
イスカンダルは自分を犠牲にしてまで地球を救ってくれたのに、テレサのメッセージを他人事としてブッチするとか、地球はそこまで恩知らずかという古代の怒り、失望、そういったものも理解できるわけで、それがさらばのラストで「今度こそ地球は目覚めるだろう」という、地球文明自体の成長と、そのためのヤマトの犠牲という図式に収まるわけなのだが、
リメイク版では2199のイスカンダル女がイスカンダル価値観を押し付けてくる傲慢さを見せつけているせいで、その辺の図式がパァである。
というか、イスカンダルもガミラスも本来異星人であり、地球と理解し合える部分なんて「点と点」でしかないのが当たり前なのだが、2199では何を血迷ったのかガミラスと地球の戦いを、ガミラスが恒久平和を目指してるとか、地球側から先制攻撃したとか、お前、「戦争はどっちにも正義がある」的なDD論を持ち込もうとしてるやろというSFも糞もない地球的価値観を設定をぶち込んできたのだ。
このガミラスの地球人化は話が進むにつれてどんどん進行し、なんかドメルが良い家庭人的な扱いになってたりとか、かわいい少女宇宙人がでてきたりとか、もう目も当てられないほど地球的なガミラス像が展開されている。
旧作も最終的にそういう方向に行ってしまうのだが、少なくともデスラーが「愛」とか馬鹿な事を言い出すのは新たなる旅立ち以降の話であって、話が通じないから大砲で会話するという異文化コミュニケーションの基本は旧作の方が押さえていたと言えるだろう。
あと古代守の特攻シーンもなあ。旧作の、負け続けて逃げ続けて、負け疲れた人がとうとうブチ切れて「死んでやる」と言い出したような救い難さがなりを潜めて、皆で笑顔で軍歌を合唱しながら特攻である。戦争やった事ない人の軍人ロマンやな、という感が強い。(私も戦争やった事なんてないけど)旧作の方が「負けっぱなしの軍人が死に場所を求めた」感があって、良い感じにやるせなかったのだ。この辺は「バカめ」も同じで、あれは本来、指示を受けた通信手の方でも真意が理解できないタイプの、どんだけ負けまくっても諦めない男・沖田十三がどんな人間かを示すセリフのはずなのだが、2199では部下の方も心得顔で得意満面の返答である。スタッフにバカめと言ってやれ。
あとはもう、戦争やってんだか青春やってんだか分からんお前ら本当に軍人かと言いたくなるようなヤマト学園ぶり(これは2202にも引き継がれている)とか、まあ色々あって2199には大変失望させられた。
テレサの位置づけが微妙過ぎて、なんなのあの人って感が強かったのとか、なんか「一日稼げば一日分の艦隊作って持ちこたえられる」みたいな事言ってた割に、最後バルゼー艦隊が何の抵抗も受けずに地球上空を押さえちゃったの何でなのとか(なんか私が見落としたんだろうか・・・)、トランジット波動砲とかいうの、他の地球艦にも装備して2,3発撃ち込めば終わってたんじゃないのとか、斎藤の名セリフとか無理やりねじ込んでキーマンとか華々しく死なせた割に、あの特攻なんも意味ねーじゃんというかもう、そこで死なせるなら加藤と同じ場所でも良かったじゃんとか、加藤も加藤で、お前そんな選択はいくら何でも無いやろとか、お前そんな死亡フラグ立てまくる事ないやろとか、まあ、色々言いたいことはあるのだが、
旧作の海原雄山みたいな傲慢な爺さんであったズォーダーや、キャラ立ってたくせに退場シーンすら存在しないサーベラー(関係ないけど、アメリカだと古代×サーベラーのカップリングが割と鉄板だとか20年ばかし前に聞いた覚えがある)なんかに大胆な設定を付与して、旧作とは全然別物ながら「異質な異星人」として存在感出しまくってたのが大変良かった。この辺、地球人化が著しいガミラス人とは対照的である。
旧作で存在した「アンドロメダを征服した帝国が首都星一個破壊されたくらいで終わるわけないやろ」という矛盾点(これはガミラスもそうだけど)を、ゴレムとかいうシステムで解消した事とか、旧作の地球連邦艦隊のあまりにアレな負けっぷりが解消されてたのも良い。
時間断層とかいう取って付けたような設定も、当初は「一年でそんなに復興するわけないだろ」という旧作の矛盾点を解消するためだけのギミックかと思ったら、終盤ではそれをフル活用して「勝てないけど負けない」という異形の戦術を編み出す所までSFしてくれたのは意表を突かれて大満足だった。独自の設定を前提として、現実ではありえない合理性を編み出してこそSFである。小賢しいワームホールとか波動なんちゃら理論なんか幾らそれっぽいのを出そうが、そんなものはSFではない。別の合理性を構築してこそSFなのだ。
2202については、双方の戦法がデタラメである事を批判する声もあるようだが、もともと「知らない文明同士の戦争」でまともな戦法なんてあるわきゃ無いのである。とりあえず隠し玉を用意しつつ、ちまちま突っついて相手の手の内を探る以外の何ができる。相手がどんな兵器持ってるか分からないのに、陣形とか笑止である。密集陣形が良いのか、散兵戦術が良いのか、機動戦術が良いのか、野戦築城が良いのかなんて、相手がどういう兵器を持っててどんくらいの数がいるのか分からなければ、判断できるわけもないのだ。
ガミラス戦争でガミラス側が陣形を多用できたのは、ガミラスが地球側の戦力を読み切っていたからと、相手がヤマト1艦だけだったからであろう。
そもそも、地球もガトランティスもワープ持ってるのだから、先に手の内を晒した方が著しく不利なのだ。どこでもドア持ってるやつ同士の戦いで陣形が何の意味があるというのか。
有効な戦法があるとすれば、「あとどれだけ増援が来るか分からない」という状態を維持することで、相手方に全力を出させない事くらいだろう。全力攻撃で目の前の相手を殲滅しても、その隙をついた後だしジャンケン攻撃で我が方が殲滅を食らっては意味がないからだ。要するに戦力の逐次投入が最適解だ。
という事で、ガトランティスの戦法のなさっぷりは別に不満は無い。
山南も良いキャラしてて、特に前半の「イスカンダルに行った連中は浮世離れしてて・・・」みたいな発言は良かった。確かに、あの世界では銀河系の外まで行った地球人はヤマトの諸君だけであり、ほとんどの地球人は太陽系の外どころか、生まれた星の外に出た経験がある人すらどれだけいるか怪しいレベルなのだ。
そのせいで、ヤマトの諸君の感覚と、一般的な地球人の感覚にはかなりのズレがあると考えるべきで、上記の発言はその辺の地球人側の感覚を端的に表している。