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はてなキーワード: 大理石とは

2024-11-08

ゲロ大理石の床が溶ける

タワマンとか修理費凄いらしいよ。そんなもん床に使うなって話

2024-10-19

男がハープ弾くのは生理的に受け付けない

大昔、女人禁制だったウィーンフィルで、おっさん燕尾服ハープ弾いてた写真見たけど、マジで脳が受け付けなかった件。

だってハープって、基本的に「女性の城」みたいな感じなんでしょ?

元々ヴェルサイユ宮殿で良家のご令嬢がたしなみとして弾いてたもので、要は大理石の床にシャンデリア、昼は園遊会に夜は晩餐会みたいな世界楽器だったわけじゃん。

それを何が悲しくて男が弾くんだ??イメージ的にミスマッチ過ぎるだろっていう。

そんなわけで男が一般職希望するのも、男がテニプリ読むのも許せるけど、男のハープだけはどうにもダメって話。

2024-10-01

三四郎は流れから目を放して、上を見た。こういう空の模様を見たのははじめてではない。けれども空が濁ったという言葉を聞いたのはこの時がはじめてである。気がついて見ると、濁ったと形容するよりほかに形容のしかたのない色であった。三四郎が何か答えようとするまえに、女はまた言った。 「重いこと。大理石のように見えます」  美禰子は二重瞼を細くして高い所をながめていた。それから、その細くなったままの目を静かに三四郎の方に向けた。そうして、 「大理石のように見えるでしょう」と聞いた。三四郎は、 「ええ、大理石のように見えます」と答えるよりほかはなかった。女はそれで黙った。しばらくしてから、今度は三四郎が言った。 「こういう空の下にいると、心が重くなるが気は軽くなる」 「どういうわけですか」と美禰子が問い返した。  三四郎には、どういうわけもなかった。返事はせずに、またこう言った。 「安心して夢を見ているような空模様だ」 「動くようで、なかなか動きませんね」と美禰子はまた遠くの雲をながめだした。  菊人形で客を呼ぶ声が、おりおり二人のすわっている所まで聞こえる。 「ずいぶん大きな声ね」 「朝から晩までああいう声を出しているんでしょうか。えらいもんだな」と言ったが、三四郎は急に置き去りにした三人のことを思い出した。何か言おうとしているうちに、美禰子は答えた。 「商売ですもの、ちょうど大観音乞食と同じ事なんですよ」 「場所が悪くはないですか」  三四郎は珍しく冗談を言って、そうして一人でおもしろそうに笑った。乞食について下した広田言葉をよほどおかしく受けたかである。 「広田先生は、よく、ああいう事をおっしゃるかたなんですよ」ときわめて軽くひとりごとのように言ったあとで、急に調子をかえて、 「こういう所に、こうしてすわっていたら、大丈夫及第よ」と比較的活発につけ加えた。そうして、今度は自分のほうでおもしろそうに笑った。 「なるほど野々宮さんの言ったとおり、いつまで待っていてもだれも通りそうもありませんね」 「ちょうどいいじゃありませんか」と早口に言ったが、あとで「おもらいをしない乞食なんだから」と結んだ。これは前句の解釈のためにつけたように聞こえた。  ところへ知らん人が突然あらわれた。唐辛子の干してある家の陰から出て、いつのまにか川を向こうへ渡ったものみえる。二人のすわっている方へだんだん近づいて来る。洋服を着て髯をはやして、年輩からいうと広田先生くらいな男である。この男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子をにらめつけた。その目のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎はじっとすわっていにくいほどな束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。その後影を見送りながら、三四郎は、 「広田先生や野々宮さんはさぞあとでぼくらを捜したでしょう」とはじめて気がついたように言った。美禰子はむしろ冷やかである。 「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」 「迷子から捜したでしょう」と三四郎はやはり前説を主張した。すると美禰子は、なお冷やかな調子で、 「責任をのがれたがる人だから、ちょうどいいでしょう」 「だれが? 広田先生がですか」  美禰子は答えなかった。 「野々宮さんがですか」  美禰子はやっぱり答えなかった。 「もう気分はよくなりましたか。よくなったら、そろそろ帰りましょうか」  美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰をまた草の上におろした。その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種屈辱をかすかに感じた。 「迷子」  女は三四郎を見たままでこの一言を繰り返した。三四郎は答えなかった。 「迷子英訳を知っていらしって」  三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。 「教えてあげましょうか」 「ええ」 「迷える子――わかって?」  三四郎はこういう場合になると挨拶に困る男である咄嗟の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも半間である自覚している。  迷える子という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。すると女は急にまじめになった。 「私そんなに生意気に見えますか」  その調子には弁解の心持ちがある。三四郎は意外の感に打たれた。今までは霧の中にいた。霧が晴れればいいと思っていた。この言葉で霧が晴れた。明瞭な女が出て来た。晴れたのが恨めしい気がする。  三四郎は美禰子の態度をもとのような、――二人の頭の上に広がっている、澄むとも濁るとも片づかない空のような、――意味のあるものにしたかった。けれども、それは女のきげんを取るための挨拶ぐらいで戻せるものではないと思った。女は卒然として、 「じゃ、もう帰りましょう」と言った。厭味のある言い方ではなかった。ただ三四郎にとって自分は興味のないものあきらめるように静かな口調であった。  空はまた変ってきた。風が遠くから吹いてくる。広い畑の上には日が限って、見ていると、寒いほど寂しい。草からあがる地息でからだは冷えていた。気がつけば、こんな所に、よく今までべっとりすわっていられたものだと思う。自分一人なら、とうにどこかへ行ってしまったに違いない。美禰子も――美禰子はこんな所へすわる女かもしれない。 「少し寒くなったようですから、とにかく立ちましょう。冷えると毒だ。しかし気分はもうすっかり直りましたか」 「ええ、すっかり直りました」と明らかに答えたが、にわかに立ち上がった。立ち上がる時、小さな声で、ひとりごとのように、 「迷える子」と長く引っ張って言った。三四郎はむろん答えなかった。  美禰子は、さっき洋服を着た男の出て来た方角をさして、道があるなら、あの唐辛子そばを通って行きたいという。二人は、その見当へ歩いて行った。藁葺のうしろにはたして細い三尺ほどの道があった。その道を半分ほど来た所で三四郎は聞いた。 「よし子さんは、あなたの所へ来ることにきまったんですか」  女は片頬で笑った。そうして問い返した。 「なぜお聞きになるの」  三四郎が何か言おうとすると、足の前に泥濘があった。四尺ばかりの所、土がへこんで水がぴたぴたにたまっている。そのまん中に足掛かりのためにてごろな石を置いた者がある。三四郎は石の助けをからずに、すぐに向こうへ飛んだ。そうして美禰子を振り返って見た。美禰子は右の足を泥濘のまん中にある石の上へ乗せた。石のすわりがあまりよくない。足へ力を入れて、肩をゆすって調子を取っている。三四郎こちら側から手を出した。 「おつかまりなさい」 「いえ大丈夫」と女は笑っている。手を出しているあいだは、調子を取るだけで渡らない。三四郎は手を引っ込めた。すると美禰子は石の上にある右の足に、からだの重みを託して、左の足でひらりこちら側へ渡った。あまり下駄をよごすまいと念を入れすぎたため、力が余って、腰が浮いた。のめりそうに胸が前へ出る。その勢で美禰子の両手が三四郎の両腕の上へ落ちた。 「迷える子」と美禰子が口の内で言った。三四郎はその呼吸を感ずることができた。

https://anond.hatelabo.jp/20241001172740

 ベルが鳴って、講師教室から出ていった。三四郎インキの着いたペンを振って、ノートを伏せようとした。すると隣にいた与次郎が声をかけた。

「おいちょっと借せ。書き落としたところがある」

 与次郎三四郎ノートを引き寄せて上からのぞきこんだ。stray sheep という字がむやみに書いてある。

「なんだこれは」

講義を筆記するのがいやになったから、いたずらを書いていた」

「そう不勉強はいかん。カントの超絶唯心論バークレーの超絶実在論にどうだとか言ったな」

「どうだとか言った」

「聞いていなかったのか」

「いいや」

「まるで stray sheep だ。しかたがない」

 与次郎自分ノートをかかえて立ち上がった。机の前を離れながら、三四郎に、

「おいちょっと来い」と言う。三四郎与次郎について教室を出た。梯子段を降りて、玄関前の草原へ来た。大きな桜がある。二人はその下にすわった。

 ここは夏の初めになると苜蓿が一面にはえる。与次郎入学願書を持って事務へ来た時に、この桜の下に二人の学生が寝転んでいた。その一人が一人に向かって、口答試験都々逸で負けておいてくれると、いくらでも歌ってみせるがなと言うと、一人が小声で、粋なさばきの博士の前で、恋の試験がしてみたいと歌っていた。その時から与次郎はこの桜の木の下が好きになって、なにか事があると、三四郎をここへ引っ張り出す。三四郎はその歴史与次郎から聞いた時に、なるほど与次郎俗謡で pity's love を訳すはずだと思った。きょうはしか与次郎がことのほかまじめである。草の上にあぐらをかくやいなや、懐中から文芸時評という雑誌を出してあけたままの一ページを逆に三四郎の方へ向けた。

「どうだ」と言う。見ると標題に大きな活字で「偉大なる暗闇」とある。下には零余子と雅号を使っている。偉大なる暗闇とは与次郎がいつでも広田先生を評する語で、三四郎も二、三度聞かされたものであるしか零余子はまったく知らん名である。どうだと言われた時に、三四郎は、返事をする前提としてひとまず与次郎の顔を見た。すると与次郎はなんにも言わずにその扁平な顔を前へ出して、右の人さし指の先で、自分の鼻の頭を押えてじっとしている。向こうに立っていた一人の学生が、この様子を見てにやにや笑い出した。それに気がついた与次郎はようやく指を鼻から放した。

「おれが書いたんだ」と言う。三四郎はなるほどそうかと悟った。

「ぼくらが菊細工を見にゆく時書いていたのは、これか」

「いや、ありゃ、たった二、三日まえじゃないか。そうはやく活版になってたまるものか。あれは来月出る。これは、ずっと前に書いたものだ。何を書いたもの標題でわかるだろう」

広田先生の事か」

「うん。こうして輿論喚起しておいてね。そうして、先生大学はいれる下地を作る……」

「その雑誌はそんなに勢力のある雑誌か」

 三四郎雑誌名前さえ知らなかった。

「いや無勢力から、じつは困る」と与次郎は答えた。三四郎は微笑わざるをえなかった。

「何部ぐらい売れるのか」

 与次郎は何部売れるとも言わない。

「まあいいさ。書かんよりはましだ」と弁解している。

 だんだん聞いてみると、与次郎は従来からこの雑誌関係があって、ひまさえあればほとんど毎号筆を執っているが、その代り雅名も毎号変えるから、二、三の同人のほか、だれも知らないんだと言う。なるほどそうだろう。三四郎は今はじめて与次郎文壇との交渉を聞いたくらいのものであるしか与次郎がなんのために、遊戯に等しい匿名を用いて、彼のいわゆる大論文をひそかに公けにしつつあるか、そこが三四郎にはわからなかった。

 いくぶんか小遣い取りのつもりで、やっている仕事かと不遠慮に尋ねた時、与次郎は目を丸くした。

「君は九州のいなかから出たばかりだから中央文壇趨勢を知らないために、そんなのん気なことをいうのだろう。今の思想界の中心にいて、その動揺のはげしいありさまを目撃しながら、考えのある者が知らん顔をしていられるものか。じっさい今日の文権はまったく我々青年の手にあるんだから一言でも半句でも進んで言えるだけ言わなけりゃ損じゃないか文壇は急転直下の勢いでめざまし革命を受けている。すべてがことごとく動いて、新気運に向かってゆくんだから、取り残されちゃたいへんだ。進んで自分からこの気運をこしらえ上げなくちゃ、生きてる甲斐はない。文学文学って安っぽいようにいうが、そりゃ大学なんかで聞く文学のことだ。新しい我々のいわゆる文学は、人生のものの大反射だ。文学の新気運は日本社会活動に影響しなければならない。また現にしつつある。彼らが昼寝をして夢を見ているまに、いつか影響しつつある。恐ろしいものだ。……」

 三四郎は黙って聞いていた。少しほらのような気がする。しかしほらでも与次郎はなかなか熱心に吹いている。すくなくとも当人だけは至極まじめらしくみえる。三四郎はだいぶ動かされた。

「そういう精神でやっているのか。では君は原稿料なんか、どうでもかまわんのだったな」

「いや、原稿料は取るよ。取れるだけ取る。しか雑誌が売れないからなかなかよこさない。どうかして、もう少し売れる工夫をしないといけない。何かいい趣向はないだろうか」と今度は三四郎相談をかけた。話が急に実際問題に落ちてしまった。三四郎は妙な心持ちがする。与次郎は平気であるベルが激しく鳴りだした。

「ともかくこの雑誌を一部君にやるから読んでみてくれ。偉大なる暗闇という題がおもしろいだろう。この題なら人が驚くにきまっている。――驚かせないと読まないからだめだ」

 二人は玄関を上がって、教室はいって、机に着いた。やがて先生が来る。二人とも筆記を始めた。三四郎は「偉大なる暗闇」が気にかかるので、ノートそば文芸時評をあけたまま、筆記のあいあいまに先生に知れないように読みだした。先生はさいわい近眼である。のみならず自己講義のうちにぜんぜん埋没している。三四郎の不心得にはまるで関係しない。三四郎はいい気になって、こっちを筆記したり、あっちを読んだりしていったが、もともと二人でする事を一人で兼ねるむりな芸だからしまいには「偉大なる暗闇」も講義の筆記も双方ともに関係がわからなくなった。ただ与次郎文章一句だけはっきり頭にはいった。

自然宝石を作るに幾年の星霜を費やしたか。またこ宝石採掘の運にあうまでに、幾年の星霜を静かに輝やいていたか」という句である。その他は不得要領に終った。その代りこの時間には stray sheep という字を一つも書かずにすんだ。

 講義が終るやいなや、与次郎三四郎に向かって、

「どうだ」と聞いた。じつはまだよく読まないと答えると、時間経済を知らない男だといって非難した。ぜひ読めという。三四郎は家へ帰ってぜひ読むと約束した。やがて昼になった。二人は連れ立って門を出た。

「今晩出席するだろうな」と与次郎西片町へはい横町の角で立ち留まった。今夜は同級生の懇親会がある。三四郎は忘れていた。ようやく思い出して、行くつもりだと答えると、与次郎は、

「出るまえにちょっと誘ってくれ。君に話す事がある」と言う。耳のうしろペン軸をはさんでいる。なんとなく得意である三四郎承知した。

 下宿へ帰って、湯にはいって、いい心持ちになって上がってみると、机の上に絵はがきがある。小川かいて、草をもじゃもじゃはやして、その縁に羊を二匹寝かして、その向こう側に大きな男がステッキを持って立っているところを写したものである。男の顔がはなはだ獰猛にできている。まったく西洋の絵にある悪魔を模したもので、念のため、わきにちゃんデビル仮名が振ってある。表は三四郎宛名の下に、迷える子と小さく書いたばかりである三四郎は迷える子の何者かをすぐ悟った。のみならず、はがきの裏に、迷える子を二匹書いて、その一匹をあん自分見立ててくれたのをはなはだうれしく思った。迷える子のなかには、美禰子のみではない、自分ももとよりはいっていたのである。それが美禰子のおもわくであったとみえる。美禰子の使った stray sheep意味がこれでようやくはっきりした。

 与次郎約束した「偉大なる暗闇」を読もうと思うが、ちょっと読む気にならない。しきりに絵はがきをながめて考えた。イソップにもないような滑稽趣味がある。無邪気にもみえる。洒落でもある。そうしてすべての下に、三四郎の心を動かすあるものがある。

 手ぎわからいっても敬服の至りである。諸事明瞭にでき上がっている。よし子のかいた柿の木の比ではない。――と三四郎には思われた。

 しばらくしてから三四郎はようやく「偉大なる暗闇」を読みだした。じつはふわふわして読みだしたのであるが、二、三ページくると、次第に釣りまれるように気が乗ってきて、知らず知らずのまに、五ページ六ページと進んで、ついに二十七ページの長論文を苦もなく片づけた。最後の一句読了した時、はじめてこれでしまいだなと気がついた。目を雑誌から離して、ああ読んだなと思った。

 しかし次の瞬間に、何を読んだかと考えてみると、なんにもない。おかしいくらいなんにもない。ただ大いにかつ盛んに読んだ気がする。三四郎与次郎の技倆に感服した。

 論文は現今の文学者の攻撃に始まって、広田先生の賛辞に終っている。ことに文学文科の西洋人を手痛く罵倒している。はやく適当日本人を招聘して、大学相当の講義を開かなくっては、学問の最高府たる大学も昔の寺子屋同然のありさまになって、煉瓦石のミイラと選ぶところがないようになる。もっとも人がなければしかたがないが、ここに広田先生がある。先生十年一日のごとく高等学校に教鞭を執って薄給無名に甘んじている。しか真正学者である。学海の新気運に貢献して、日本の活社会交渉のある教授担任すべき人物である。――せんじ詰めるとこれだけであるが、そのこれだけが、非常にもっともらしい口吻と燦爛たる警句とによって前後二十七ページに延長している。

 その中には「禿を自慢するものは老人に限る」とか「ヴィーナスは波からまれたが、活眼の士は大学からまれない」とか「博士を学界の名産と心得るのは、海月田子の浦名産と考えるようなものだ」とかいろいろおもしろい句がたくさんある。しかしそれよりほかになんにもない。ことに妙なのは広田先生を偉大なる暗闇にたとえたついでに、ほかの学者を丸行燈比較して、たかだか方二尺ぐらいの所をぼんやり照らすにすぎないなどと、自分広田から言われたとおりを書いている。そうして、丸行燈だの雁首などはすべて旧時代遺物で我々青年にはまったく無用であると、このあいだのとおりわざわざ断わってある。

 よく考えてみると、与次郎論文には活気がある。いかにも自分一人で新日本代表しているようであるから、読んでいるうちは、ついその気になる。けれどもまったく実がない。根拠地のない戦争のようなものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかもしれない書き方である。いなか者の三四郎にはてっきりそこと気取ることはできなかったが、ただ読んだあとで、自分の心を探ってみてどこかに不満足があるように覚えた。また美禰子の絵はがきを取って、二匹の羊と例の悪魔をながめだした。するとこっちのほうは万事が快感である。この快感につれてまえの不満足はますます著しくなった。それで論文の事はそれぎり考えなくなった。美禰子に返事をやろうと思う。不幸にして絵がかけない。文章にしようと思う。文章ならこの絵はがき匹敵する文句でなくってはいけない。それは容易に思いつけない。ぐずぐずしているうちに四時過ぎになった。

 袴を着けて、与次郎を誘いに、西片町へ行く。勝手からはいると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控えて、晩食を食っていた。そば与次郎かしこまってお給仕をしている。

先生どうですか」と聞いている。

 先生は何か堅いものをほおばったらしい。食卓の上を見ると、袂時計ほどな大きさの、赤くって黒くって、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでいる。

 三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもがもがさせる。

「おい君も一つ食ってみろ」と与次郎が箸で皿のものをつまんで出した。掌へ載せてみると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである

「妙なものを食うな」と聞くと、

「妙なものって、うまいぜ食ってみろ。これはね、ぼくがわざわざ先生にみやげに買ってきたんだ。先生はまだ、これを食ったことがないとおっしゃる

「どこから

日本から

 三四郎おかしくなった。こういうところになると、さっきの論文調子とは少し違う。

先生、どうです」

「堅いね

「堅いけれどもうまいでしょう。よくかまなくっちゃいけません。かむと味が出る」

「味が出るまでかんでいちゃ、歯が疲れてしまう。なんでこんな古風なものを買ってきたものかな」

「いけませんか。こりゃ、ことによると先生にはだめかもしれない。里見の美禰子さんならいいだろう」

「なぜ」と三四郎が聞いた。

「ああおちついていりゃ味の出るまできっとかんでるに違いない」

「あの女はおちついていて、乱暴だ」と広田が言った。

「ええ乱暴です。イブセンの女のようなところがある」

イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。もっと乱暴といっても、普通乱暴とは意味が違うが。野々宮の妹のほうが、ちょっと見ると乱暴のようで、やっぱり女らしい。妙なものだね」

里見のは乱暴の内訌ですか」

 三四郎は黙って二人の批評を聞いていた。どっちの批評もふにおちない。乱暴という言葉が、どうして美禰子の上に使えるか、それから第一不思議であった。

 与次郎はやがて、袴をはいて、改まって出て来て、

ちょっと行ってまいります」と言う。先生は黙って茶を飲んでいる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二、三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

先生里見お嬢さん乱暴だと言ったね」

「うん。先生はかってな事をいう人だから、時と場合によるとなんでも言う。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女における知識はおそらく零だろう。ラッブをしたことがないものに女がわかるものか」

先生はそれでいいとして、君は先生の説に賛成したじゃないか

「うん乱暴だと言った。なぜ」

「どういうところを乱暴というのか」

「どういうところも、こういうところもありゃしない。現代女性はみんな乱暴にきまっている。あの女ばかりじゃない」

「君はあの人をイブセンの人物に似ていると言ったじゃないか

「言った」

イブセンのだれに似ているつもりなのか」

「だれって……似ているよ」

 三四郎はむろん納得しない。しかし追窮もしない。黙って一間ばかり歩いた。すると突然与次郎がこう言った。

イブセンの人物に似ているのは里見お嬢さんばかりじゃない。今の一般女性はみんな似ている。女性ばかりじゃない。いやしくも新しい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似たところがある。ただ男も女もイブセンのように自由行動を取らないだけだ。腹のなかではたいていかぶれている」

「ぼくはあんまりかぶれていない」

「いないとみずから欺いているのだ。――どんな社会だって陥欠のない社会はあるまい」

「それはないだろう」

「ないとすれば、そのなかに生息している動物はどこかに不足を感じるわけだ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠をもっとも明らかに感じたものだ。我々もおいおいああなってくる」

「君はそう思うか」

「ぼくばかりじゃない。具眼の士はみんなそう思っている」

「君の家の先生もそんな考えか」

「うちの先生? 先生はわからない」

だって、さっき里見さんを評して、おちついていて乱暴だと言ったじゃないか。それを解釈してみると、周囲に調和していけるから、おちついていられるので、どこかに不足があるから、底のほうが乱暴だという意味じゃないのか」

「なるほど。――先生は偉いところがあるよ。ああいうところへゆくとやっぱり偉い」

 と与次郎は急に広田先生をほめだした。三四郎は美禰子の性格についてもう少し議論の歩を進めたかったのだが、与次郎のこの一言でまったくはぐらかされてしまった。すると与次郎が言った。

「じつはきょう君に用があると言ったのはね。――うん、それよりまえに、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んでおかないとぼくの用事が頭へはいりにくい」

「きょうあれから家へ帰って読んだ」

「どうだ」

先生はなんと言った」

先生は読むものかね。まるで知りゃしない」

「そうさなおもしろいことはおもしろいが、――なんだか腹のたしにならないビールを飲んだようだね」

「それでたくさんだ。読んで景気がつきさえすればいい。だから匿名にしてある。どうせ今は準備時代だ。こうしておいて、ちょうどいい時分に、本名を名乗って出る。――それはそれとして、さっきの用事を話しておこう」

2024-09-10

夢(No.28 1997/1/14)

←前後→

全て巨大なガラス張りの屋敷であった。広大な敷地に熱帯の植物栽培する温室があり、見上げるような高さの天井がそれを覆っている。いわばこの屋敷全体がひとつの巨大な植物園の観を呈しているのだ。ガラス越しに見える別棟では大理石の浴室で息子が入浴している。彼の背後ではもの言わぬ妻が編み物に熱中しているらしい。そしてとにかく時間がなかった。息子は急いで駆け戻ってくると私に言う。「ねえ、はやく」「ああ」そう言って私は最後仕事に取り掛かる。それは温室の水撒きである。懐に一冊の日記を隠し持ち、見たこともない鮮やかな花々の咲き乱れるガラス張りの温室に向かった。だが日記は思ったより大きく、どうしてもガウンからはみ出してしまう。うまく隠し通す方法はないだろうかと思案しつつ、私はなんとか取り繕いながら水撒きを始めた。だが日記の重さが気になってまるで集中できない。しばらくしてふと力を弛めた瞬間、浴槽の中に日記を取り落としてしまった。壁という壁がガラス張りなので、妻と息子は私の挙動おかしいのにすぐに気付いたようだ。二人は立ち上がってこちらの方に歩いてくる。私はなるべく手慣れた様子で水撒きをするふりを装いながら、誤魔化す方法必死に探していた。何とか悟られないように日記を拾いあげねば、これは決して見つかるわけにはいかないのだ。だが焦れば焦るほど事態は切迫する。そしてついに全てが徒労に終わる瞬間がやってきた。妻が浴室のドアを開いて入ってきたのだ。「どうしたの?」凍り付いた私の背に不審げに声をかける。そしてすぐに浴槽に浮いた日記に気付いて拾いあげた。「あら」といって顔を赤らめる妻。その背後では、感情のない息子の目が白々と光っていた。

←前後→

2024-08-02

ミケランジェロ大理石に内在する像を取り出すだけと語ったそうだけれど、厨二的な概念がもし本質として頭の中に存在するのだとしたら、フロムソフトウェアとかヨウジヤマモトとかって漠然と漂っているそれの輪郭を正確に描き出すのが滅茶苦茶上手いんだろうなって思う

2024-07-20

戀記録

身体輪郭が分からなくなるくらいの灼熱に晒されて、ふらつきながら地下へ潜り込んだ。長旅の終わり、我は、我は疲れていた。スーツケースと、スーツを入れたケースを持ち運び、エスカレーター上り下り階段上り下り、しているうちに魂はすっかり枯れて萎んでしまったのであった。

地下は、地上の熱風を遮るために、過剰な冷気を噴出しており、噴出口のある天井には小さな氷柱が出来ていた。地下に降り立った瞬間、我は異様な熱気と寒気を同時に浴びる区間に突き当たり、前後が全く不覚になってしまった。目の前が白黒し、思わず近くにあった、壁の大理石を切り出して造られた硬いベンチに腰掛けた。尻が石の冷たさを真正から浴びたことで、かじかんで震えた。尻がかじかんだのは、人生で初の出来事であった。

そうして尻がかじかんでしまった我は、すぐに大理石のベンチから立ち上がり、這々の体でコンビニエンスストアに滑り込んだ(実際、あまりの冷気に大理石の地面には薄く氷が張っており、革靴の真っ平な靴底を多少滑らせながら前に進まなければならなかった)。コンビニの店内も変わらず冷気に満ちている。

カイロを買わなければならなかった。こんな灼熱の時期に?カイロなど売っているのか。「ありますよ」金色のミドルヘアーを揺らして女性コンビニ店員が歩いてきた。質問をしていないのに答えをくれた金髪店員は店内の奥、「従業員以外立ち入り禁止」と書かれた銀色の扉のその横、ドリンクコーナーの端のところの、よく見るとハンドルになっている部分を引っ掴んで、回した。すると、ドリンクコーナーがぐるりと回転、ちょうど隠し扉のようになっていて、店内の客が全員こちらを振り返るくらい盛大な音を立てて、開いた。我は驚いて、寒さを忘れた。金髪店員はニヤリと笑い、「ヒアユゴー」。

暗渠といって差し支えないコンビニ版「おくのほそ道」。真っ暗で何も見えない道の先を金色の髪だけがピカピカと照らしていた。歩き進むと徐々に周囲に光が満ちてくる。暗渠も終わりが近い。金髪は光に照らされて、眩しいほど輝いた。

開けた場所に出た。そこは、外。上った気はしないが地上であった。暖かい。冷え切った筋肉の繊維を溶かすように、優しい暖かさが全身を包み込んだ。身体が液体となって地面に溶け出すような心地良い感覚に包まれる。金髪店員が微笑んでいる。金髪店員のきめ細かい肌は白く、長いまつ毛が我を煽情的にした。恋をしているかもしれない、そんな状態自分が好きかもしれない、と思った。天然のカイロはやがて灼熱と化し、実際に我の筋肉の繊維を溶かした。金髪店員も店の役目に戻り、コンクリートの上に浮かぶ陽炎けがその場に残った。

2024-07-18

三大市民権を得ているエセ科学分野

オーディオ

いわゆるピュアオーディオ界隈

ネットでもよく話題にされるがある程度までは人間体感できるレベルで良くなる

ただし途中からはどう考えても体感できないのに金だけが注ぎ込まれていく

スピーカーの台座に大理石を使ったり極太配線を使ったりコンセントを変えるぐらいはまだ許容範囲

倍音が」「定位が」などと言い出すと末期症状

ハイレゾハイレゾ合唱してるが、なぜCDが44.1kHzなのか分かってるのか?ブラインドテストたか

カメラ

もはや一眼レフ持って写真撮ってる奴はエセ科学分野に半身浸かってる意識を持った方が良い

iPhoneで十分綺麗な写真が撮れるしボケ写真が欲しければ画像処理すれば良い

性能も利便性携帯性もiPhoneスマホが圧倒的に上回って何年も経つの馬鹿デカレンズで何を撮っているのか

馬鹿デカレンズをぶら下げて名前も知らない鳥を撮ってクチバシの先っぽにしかピントが合ってない写真レンズの善し悪しを語ってる意味不明集団

そもそも200mmでF2.8のレンズが何故存在するか分かってるのか?開放で撮ったら被写界深度2cmぐらいだぞ?

自動車

ファミリーカーの利便性燃費向上・電化などはさておき

ハンドルレスポンス」「ブレーキ感度」「吹け上がり」あたりを話し始めるとだいぶ胡散臭くなって

「剛性」「トレース」「意のままに操る」とか言い出すと末期症状

安定性がどうのこうのとか欧州車並とかいワードで「分かる人にしかからない」感を出す

数字に拘る人も多くて燃費・トルク・馬力あたりが少しでも低いとディスり放題

本当に馬力意味知ってるか?回転数のことを無視して馬力語ってないか

2024-05-29

仕事から帰宅すると妻がキッチンの前に立っていた。

彼女蒲公英の色の白いドレスを着ていて、余所行きの服のように思われた。

彼女の前にはガスコンロがあり、横から覗くと圧力鍋が火にかけられている。

おかえりなさい。

そういって妻は振り返り、ピカピカのキッチン大理石のように輝いていて、汚れひとつないように見える。

ただいま、と俺は返事し、妻のその後を待った。

だが妻は微動だにしない。

スマイルを浮かべたまま身動ぎせず、じっと、たおやかに表情を維持し続けていた。

俺は動揺した。奥ではシュコシュコと圧力鍋空気の音を立てている。

強火。妻に火を止める素振りはない。

圧力鍋メタファーだ。

怒りのメタファー

それが分かったところで何になる!?

俺は必死記憶をまさぐった。

今日記念日だったか?それとも妻の誕生日

思い当たる節はない。

やがてシュコシュコ音は間隔を狭め、クイズ番組の秒針の如く俺を足早に切羽める。

このままだと圧力鍋は爆発するだろう。

じんわりと、粘り気のある背汗がワイシャツの内にそそり、俺は下痢トイレにこもった時のように神に祈った。

助けてくれ!!

額のダムから眉が決壊しそうになったとき、俺はポケットからハンカチを取り出そうとした。

…あれ?

そのときポケットの中から出てきたのは結婚指輪で、妻の左手を見るとそこにあるはずのものが見当たらなかった。

俺はアーリング・ハーランドばりの膝スライディングを披露して妻の足先に赴くと片膝を立て「僕と結婚してください!」と叫ぶように言い、妻に指輪差し出した。

妻は頬を染め、「…はい」とたおやかに返事をすると指輪をはめた。

俺たちは幸せで、幸福過ぎる感に苛まれ続け、奥では祝砲のように圧力鍋が音を立て続けていた。

2024-04-22

シーリングワックス動画がよく流れてくる。わりと見てて面白いんだが、あれ何に使うんだ?

元々は封蠟だよな?

でも大理石とかの上でシーリングワックス単体で作ってるし、コレクション目的なんかな?

2024-03-13

高校の友人と金感覚が合わなくなった

タイトルの通り。

現在33歳になって、いよいよ友人との関係が終わりを迎えつつある。

似たような内容の増田を数日前に見かけて、俺も少し書いてみたくなった。

元々高校同級生で、同じ部活の4人でかなり仲良くしていた友人たちがいた。

たぶん最初分岐点大学受験だったと思う。

仲のいい4人ではあったものの、成績は俺だけが学年でも下位30%程度で、残りの3人は上位10%に入るような成績だった。

結局俺は関関同立に進み、残り2人は京大に2人と国立医学部に1人が進学した。

仲のいい友人が良い大学合格したのは嬉しかった。

ただ、思えばその時点で軽いコンプレックスを抱くようになっていたと思う。

明らかに俺だけ大学レベルが違ったし、会う都度、彼らの大学生活の話に出てくる同級生や先輩の質みたいなものが、俺の周りとは違うような感覚があって、表現し難い疎外感のようなものがあったと思う。

もう一つ、他の3人と俺との間の隔たりとして、実家の太さの違いがあった。

俺以外の3人はかなり実家が太く、いわゆる高級住宅街に住んでおり、それこそ家の床が大理石だったり、よくわからんけど高そうなステンドグラスがあったりした。

初めて友人の家にお邪魔した時にケーキコーヒーが出てきて、心底驚いたのを今でも覚えている。友人を家に招く時は、ポテチ煎餅に、ファンタなんかを出すのが俺の中の常識だった。

俺はというと、地元でもあまり平均所得が高くない地域に住んでおり、2LDKで築年数もかなり経過したボロマンション住まいだった。家には呼べなかった。

そんなことを気にする様子もなく、3人とも本当にフラットに接してくれたが、その邪気の無さがかえって妙な居心地の悪さに繋がっていたような気がする。

卑屈なだけと言われればそうなんだろうが、それでもなんとなく恥ずかしいような情けないような気持ちは心のどこかにあったと思う。

大学入学して以来も定期的に会っていた。卒業後の進路として、俺は公務員を目指しており、大学4年の夏に試験合格し、無事公務員として就職した。

俺以外の3人だが、1人が司法試験受験勉強に励み、1人はそのまま院進し、1人は医学部のため卒業時期が違うといった形で、俺だけが少し早く社会人になった。

定期的に飲みに行ってはいたが、やはり俺以外の3人の方が学生時間が取りやすく、俺だけが参加できない会も増えていった。

参加しても、俺だけが仕事の話をしている中でみんなはまだ学生として話しているので、なんとなく噛み合わない感覚も抱いていたと思う。

それでも一緒に過ごした時間も長い大切な友人たちだったので、話を合わせながらみんなで学生レベルの安居酒屋でワイワイ楽しんでいた。と思う。

なんか当時は本当に楽しかったはずなのに、今思い返せばそうじゃなかったような気がしてきてしまうのが本当に悲しい。

俺と3人の差が顕著に現れ始めたのは、25歳になったあたりだと思う。

みんなそれぞれ社会人になり、それぞれ医師弁護士一流企業勤めと、同い年だというのに、俺が40代になってようやく辿り着けるかどうかというレベルの金を稼ぐようになっていた。

もちろんみんな良い友人ではあったので、年収の話になることは少なかったが、最近した買い物の話や住んでいる場所の話でなんとなく、経済的格差を感じることが増えたように思う。みんなで行く店も、俺にとってはけっこう背伸びしたお店へといつの間にか変わっていた。

思えば年収の話なんかは、明らかに俺だけ水準が違うことを気遣って、あえて避けてくれていたのかもしれないな。なんかそうやって、友人同士なのに、薄ら弱者として気遣いを受けている状況が本当に耐えられないと感じてしまった。

年に数回会うような関係がずっと続いていたが、最近になって、旅行に行かないか?という話題が出た。

普通に近場の温泉なんかに行くイメージでいたが、話を聞くとシンガポールに行くとかいう話になっていた(たまたま2人で話していたらしい)。

旅費なんかも密に調べてくれていた。言っても目玉が飛び出るような金額ではないものの、妻子もいる中で、正直シンガポールに行くだけの金銭的な余裕は全くない。

が、妻子持ちなのは俺以外の3人も同じだし、おそらくお金のことを気にしているのは俺だけなんだろうなと思う。

なんとなくだが、今回の旅行を断ってしまったら、いよいよ3人と俺との関係はもう終わってしまうような気がする。

もう明らかに属している社会階層が違うということは気づいているのに、それでも背伸びしてしがみつくべきなのか、正直言ってわからなくなっている。

ただただ一緒にいて楽しかったはずの4人なのに、どこで間違えたんだろうな。

まれ持った能力のせいか環境そもそも違ったのか、わからないけど、本当に胸が苦しい。

こう言ってはいるけれど、本当に楽しかったんだよな、一緒にいて。

2024-02-17

anond:20240217102540

キッチン大理石風で金かかってそうなわりに狭くて調理しづらそうな独特のものなんだけど

キッチン写真最近のと数年前とで一致してるのと郵便物が届いたので引っ越してないの確定した

2024-01-24

フィナンシャル・タイムズ2024年予想(Courrier Japonより)

月に2件しか読めないケチ無料会員なので、ここにメモしておこうw

【20240718追 記】 半 年くらいたったので、ここで中 間答え合わせしてみるかな...


今んとこ15勝5敗かー、まずまずの勝 率w

2023-11-28

anond:20231126183330

https://www.youtube.com/shorts/v24ywefTJTQ これよかったよ 大理石増田ならつくりかたわかるだろうから理想のできるといいね SHEINに1万も課金したらかわいいパーツ一生分買えるから楽しんで~

2023-11-26

ネイルサロンで失敗した

増田にいる猛者たちはネイルサロンに縁がない人ばかりだろうと踏んで書き散らす。

ネイルサロンは、ネイル施術してくれるところだ。

ネイルは凝れば凝るほど料金が高くなる。

時々バズってるオタクネイルとかは多分「持ち込み&パーツ付け放題」扱いになるから13000〜18000円くらい。

特にこだわりがなければ、サロンが設定している「定額メニューから選ぶことになる。

定額メニューにも色々あって、シンプルな1色塗りとかグラデだけだとだいたい60分で5000〜7000円、

パーツやホロなどのデザインを入れたものだと90分で7000〜9000円くらいが相場かな。

デザインも、より凝ったものだったり、爪を伸ばす技を施すと9000〜15000円くらいになる。

高いと思っただろ。高いんだよね。その分、期待するクオリティも高くなるのが人の心だ。

さて、時は数日前に戻る。

増田Webからとあるネイルサロンの予約をした。

前にもネイルしてもらったことがあり、そのクオリティの高さにトキメキを覚えた店だ。

増田は2日後に大切な用があり、ちょっと気合を入れたかったのでこの店を選んだ。

予約時間の5分前にサロンに到着し、担当するネイリストさんに席に通される。

前に施術してくれた人とは別の人だが、同じサロンから特に気にはならなかった。

座席についたら、デザイン指定をする。

定額メニューネイル場合サロンデザインサンプルパターンを用意しており、そのなかからデザインを選ぶ。

だいたい用意されているパターンは5〜20種くらい。サロンによって用意されている数は全然違うのでこのあたりはサロン方針が反映されるのだろう。

私はゴテゴテしたデザインが苦手ながらちょっと洒落雰囲気が欲しくて、大理石のようなデザインを施すパターン指定した。

ネイリストさんが施術していく。

大理石のようなデザインは、色の濃い箇所とホワイトの溶け合う質感がキモである

ベースの色を塗ったあと、濃い茶色を筆にとり、直線に動かす。ここでぼかす…はずが、ぼかさない。

なるほどこれはまだ工程の途中なのだ自分を納得させた。

ジェルネイルUVライト照射して硬化させる。最終的に透明のジェルネイルニスのように塗って完成なのだが、ここに来てデザインがまったくイメージと違うことに気がついた。イメージというより、サンプルとも乖離している。

補足すると、個人でやっているサロン以外複数ネイリストを抱えており、サンプルのデザインは目の前のネイリストが作ったものとは限らない。

よって、それを再現する技術があるかは、客にはわからないのである

ネイリストさんに「どうですか?」と聞かれた。

どうもこうも、言葉がなかった。サンプルにあるのは、とろけるようなミルクのような質感の模様だ。

しかし、目の前にあるのは謎のツートンカラーボケボケとした筆のあらさが目立つ何かだ。

まったく違いすぎることに衝撃を受け、しかしなんとか軌道修正しようと私は言葉を尽くした。

サンプルと見比べてほしい、ぼかしの領域もっと広く、かつ揺れている線の質感がほしいと。

ネイリスト露骨にムッとしたのが伝わった。

「じゃあやりなおします」

といって一度施術した爪を削り、やりなおす。やりなおすのだが…正直クオリティがあがらない。

ぼかしの工程でぼけておらず、仕上がりがまったく違う。

「どうですか?」

二度目の質問に、私は完全に狼狽してしまった。

「さてはあなた、このデザイン作るの下手ですね…?」という言葉が喉の奥で詰まる。

それを言ってしまってはおしまいだ。

なんとか脳を動かして絞り出したのは「サンプルと違うように見えるんですが、お姉さんはどう思いますか…?」という言葉だった。

ネイリストは畳み掛けた。

「お時間なので、これでだめなら一度落としていただくしかないです。これはサンプルなので、ぼかしの仕方は人によって違います

もうだめだ。これは何を言っても伝わらないし、この人の技術ではサンプルほどのクオリティネイルは作れないと悟った。

指に描かれたデザインは、日常生活を送るなかで目にするたびに凹みそうなくらい汚い出来だ。

めちゃくちゃ感じ悪いだろうな、もう二度とこのサロンには来れないだろうなと覚悟を決めつつ、落としてもらうよう依頼した。

するとお姉さんは「では、オフ代3000円いただきます」と回答した。

オフ代とは、ジェルネイルを取り除く工程にかかる料金のことである

ジェルネイルは固いので、専門の溶液や工具を使って削り取る作業がいる。

正直、サンプルのクオリティに達さないなかで料金を請求する胆力に脱帽しつつ、下手に争いたくないので支払うことを了承した。

オフ代を支払っても、爪に残したくなかった。

オフされている間、私は「あ、写真とっておけばよかったな」と思った。

別に晒しはしないが、仲間内愚痴ときに見せる用にしたかった。時すでに遅し、爪からは削り取られてた。

そうして私はオフ代を支払いサロンを後にした。どっと疲れた

ときどきネイルサロンにはハズレがある。しか施術中は両手が人質にとられているようなもので、一度始まってしまえばキャンセルできないものである

もうハズレをひくのはダルいなと思った。

それならば、と天啓をうけた。自分でやってしまおうと。

その足で私はロフトにいき、初心者用のジェルネイルキットを購入した。

今日朝一で塗ってみた。凝ったデザインはできないので、1色を塗るだけのシンプルものだ。

これがなかなか楽しかった。手軽だし、3−4週間くらいしかもたないネイルに高い出費を重ねなくてすむ。

クオリティ自体素人らしく色ムラもあるが、回を重ねれば多少はうまくなっていくだろう。

これは良いきっかけだった。

ポジティブに捉えようとしたが、やはり不満があるので増田に投下して供養する。

2023-10-09

極楽天国の違い

極楽温泉があるが、天国美女がいる

極楽は酒があるが、天国ワインがある

極楽は家が畳だが、天国は家が大理石

極楽ゆで卵が美味しいが、天国はふわとろオムレツが美味しい

極楽は仏がメインだが、天国神様がメイン

極楽浴衣だが、天国バスローブ

極楽懐石料理だが、天国ビュッフェ形式

極楽ネットがないが、天国無料Wi-Fiがある

極楽日本人が多いが、天国外国人が多い


どっちがいい?

2023-08-17

駅の「排除ベンチ」を見てきたがこれは違うと思う

最近の駅にはずっと座っていると尻が痛くなる『意地悪ベンチ』が多くなっているが人に全く優しくない「排除アート」なのではないか

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2205469

 

これだが、都営大江戸線大門駅だという。

そこでちょっと回り道をして見て来たんだが、単にデザインの一環だと思う。

ブクマ動画を貼っている人がいるので見て欲しいが、

https://youtu.be/OiTBIFPVDmM

動画再生前のサムネイルに写ってるのが件のベンチだ。

 

再生すると3:51 で接写されて使用している人も見えるのだが、スツールタイプ普通椅子とをくっつけたデザインだ。

スツールタイプのベンチ?は1993年から駅に普及してきて、ドッカと座るほどじゃないがずっと立待ちするのはシンドイっていう需要に応えて設置されてきた。

パイプタイプスツールの反対側に普通椅子を同じ素材で作ったというデザインだと思う。

 

大江戸線環状部のコンセプトデザイン

大江戸線は環状部が2000年に開通して全通したんだが、駅の内装がかなり凝っているという特徴がある。そして駅ごとにコンセプトが違う。

 

特に目立つの飯田橋駅で、ここのコンセプトはポストモダンかと思われる。

https://goo.gl/maps/Dy3pdXoWyuoq8bNH9

この入口なんかはアールヌーボー流行時に出来たパリメトロ駅のサイバーパンク化みたいな、何とも言えないデザインとなっている。

駅の内部も緑色ワイヤーフレームがひしめき、その途中に蛍光灯があるというすごいデザインだ。昔のアタリベクタースキャンゲームのようなSFチックな内装だ。

 

蔵前などの下町にある駅の場合は「和の色」的な江戸紫、茶、緑なんかの組み合わせになっている。永谷園お茶漬けみたいな駅だ。 

 

六本木は夜の街なので黒の大理石+金の装飾みたいな、怪しい感じになっている。

でもこれってホストクラブとか水商売イメージで、六本木外国人が多い歓楽街ちょっとイメージ違うんだな。そもそも郊外的なお水なイメージが嫌いな人が六本木とか来るんで。

 

まあこんな感じで駅ごとにコンセプトがあるわけよ。

で件の大門駅はっていうと、ライトインダストリアルだと思われる。動画見ても判る通り、線路の向こうのトンネル壁はアルミのコルゲート材で化粧されている。

なので椅子ステンレスパイプにしたんじゃないのか?と。

動画にもプラスチック座面の椅子も数個映っているが、これは後から付け足したのではないか

パイプ椅子はどんな拷問だよって苦情があったのではないか

 

なのでワザと排除の為に嫌がらせ椅子を設置したんじゃなくて、デザイン優先で人に厳しいモノが出来たのだと思う。

大門駅の周辺には飲み屋街も無いし酢客排除とかも心配する必要が無いから。

 

実は電車自体排除アート

でも実は鉄道界隈では電車自体が「排除アート」になってるんだな。

通勤電車というのは都市圏だけに走ってるものだと思うじゃない?そうじゃなくて、今は地方でも全てつり革+ロングシート通勤電車になってるんやね。

県境を跨いで隣の県庁所在地に行く、なんて時は乗車時間は2時間かになる。そういう長距離幹線でも全部通勤電車に置き換えられてる。

通勤型だとつり革も定員に入るから同じ乗車率でも両数を減らせる。ワンマン運転で降車時に後ろから運転席に移動するのもやり易い。

って事で乗車時間観光路線かなど考慮せずに全て通勤電車にして、ブラインドも省略する為に窓はスモーク入りガラス景色は良く見えない。

こんなものに何時間も乗って平気な馬鹿がいるわけもなく、通勤需要以外は全滅して通勤時間以外、通勤圏以遠は空気輸送になっている。それで鉄道自体の利用が減って特急廃止とか減便とかの本末転倒な事になっている。

みんな高速バスに乗り換えちゃうんだね。当たり前だ。バス乗客排除みたいな事をしないから。

って事で、実は乗客は駅のベンチじゃなくて電車から排除されているのであった。乗客はずっと立ってろって事やね。座りてえならバスしろ

 

ただ、大門駅で座るという事よりデザインが優先の椅子採用されたのは、こういう銭にならないが当たり前に考慮されていた「休む」という行為が軽視して当然という風潮もあったのだと思う。

その行きつく先が最早高速バス自家用車に乗り換えられ役に立たない地方幹線状態じゃないのか?

車椅子など身体障碍者や足が悪い高齢者の移動が確保されるように法律が作られ、EVや段差解消など動線は確保されて来た。

だが健常者の移動には保護措置必要なかったので、ちょっと疲れたりした時のベンチや新幹線が無い場所での長距離移動が拷問みたいなモノになっていってしまった。

ホームレスや酔客を悪意建築排除してたら健常者も周縁的状態になった時に悪意に晒されるようになったわけやね。

パイプ椅子を設置するな」「長距離路線通勤電車にするな」という法律作れば直るんだろうが、普通そんな法律無くてもいい筈なのだが。

2023-08-12

ガバ法律逃れ」三選

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2200899

に関して

コンビニカウンター下やスーパー冷蔵ショーケースに塞がれた手洗い場

食品販売施設必須だったので形だけつけてある。カウンター下手洗い場で手洗いするのは困難。

都道府県条例により設置義務が決まるが、平成19年通達により設置義務緩和のガイドラインが定められたので、以後開業コンビニなどでは無い場合がある。

 

コンビニカウンター下手洗い場+イートイン席

コンビニの客用手洗い場設置義務は緩和されたが、店内に客席がある場合は設置の義務がある。

逆に言うとカウンター下に客用手洗い場があるコンビニでは無工事でイートイン席を作る事が出来た。

 

人工大理石カウンターの下にシンク

コンビニカウンターの向こう、壁側にもカウンターがあり、肉まんホットケース、タバコ棚が並んでいるが、一部は天板取り外しが出来てその下には二槽式シンクがある。食品を売る店舗では複槽シンク必須だったため(自治体による)。

先述のガイドライン策定により、洗うのが器具だけで食品を洗う必要がない場合は複槽である必要なしと規制緩和

 

レーサーレプリカバイクの後席のバンド

二人乗りをあまり考慮していないレーサーレプリカスーパースポーツタイプバイクの後ろシートの前の部分には目を凝らさないと判らないようなバンド存在する。

例:NSR250R https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Honda_NSR250R_in_the_Honda_Collection_Hall..JPG

これはデザイン上の飾りではなく、後部乗員用が手で掴まる「シートベルト」で、道路運送車両の保安基準道路運送車両法政令)で定められた乗車装置である撤去すると車両違反となり車検がある車種では車検が通らない。

 

鉄道振替輸送SUICA

切符の発行、購入は目的地に輸送するという旅客運送事業契約成立であるので、不通が生じた場合には振替輸送が供される。契約不履行としての代替手段である

Suicaなどではこの契約が成立していないので振替輸送受益する事が出来ない。

しかしそのSuica切符を買ってしまうと旅客運送契約が成立するので振替切符交付してもらえる。

 

手荷物輸送

運輸業には旅客貨物免許がありそれぞれ別物である。故に旅客免許しか受けていない鉄道会社、バス会社貨物輸送を受ける事が出来ない。フェリー航送は車の持ち主の乗船が必須

だが客の手荷物を別料金、別列車輸送するという建前で単独輸送する託送手荷物制度存在する。

また、託送荷物には速達性が求められる新聞も加わり、その流れで映画館で放映するニュースフィルムも託送された。

ところでセルロイド爆薬(硝化綿、無煙火薬から作られるものであり、易燃性で暑い時に勝手に発火することもある。この為に担ぎ屋が持ち込んだタバコパイプ等が発火して火災になる車両事故などが多発して持込が禁止されていた。

だが昔の映写フィルムはこのセルロイド製であったので、夏にバス運転席前に置かれた託送手荷物の映写フィルムが突然激しく発火、バスの出口が前一か所だけなので満員の乗客が逃げられずに多数が焼死という事故が何件も起きている。

国鉄廃止したのを皮切りに今は手荷物輸送殆ど行われていないが、夕方などに客室の一部をロープで締め切って新聞を託送する電車はいまだ存在する。

 

ソープランドサービス

売春禁止されているが、ソープランドでの性行為は「自由恋愛が発生したので」黙認されている。

 

ウリ専

男性売春であるウリ専は認められている。売春は異性間性交であるとの暗黙の了承による。

 

ヂーゼル」などの外来語表記

明治文明開化以降、大量の外来語が入ってきた為に、小文字カナの使用が始まる(捨てガナという)。

明治政府は、政府公文書法令での捨てガナの使用禁止。これに新聞社や大企業なども倣ったため、お堅い業種や監督官庁がある分野では外来語表記に捨てガナが無い表記を工夫するようになった。

機械自動車工学では整備士など国家試験があるので「ディー」と書けず、「ヂー」を使うようになった。

この捨てガナ規制昭和63年に解除された(昭和63年7月20日 内閣法制局総発第125号 『法令における拗よう音及び促音に用いる「や・ゆ・よ・つ」の表記について』)。

よく「キューピー社の正式名称は『キユーピーだ』というトリビア開陳されることが多いが、以上の経緯からナンセンスインチキトリビアである。「キューピー」や「QP」で登記できなかったからであって、古い外来語企業は全て捨てガナ表記されていない。(ローマ字アラビア数字登記出来るようになったのは2002年11月1日商業登記規則改正

 

裁判での陳述

裁判では判決は言い渡しし、口頭弁論などは陳述する事になっている。

その為に準備書面を予め提出し、廷内で「書面の通り陳述します」と言うと書面の中身を法廷で話した事になる。

 

ネット選挙

一般的インターネットとはWWWの事で、ハイパーテキストによる出版であるから出版が準用されて、ネットを通じた選挙活動というのは禁止されていた。が、ガバガバ状態であった。

だが公職選挙出版制限されるのは出版印刷には金がかかり資金の差が獲得票数の差になる事を避けるための規制であるから大して金が掛からないWWWでの運動規制するのは立法趣旨に反する。

という事でWWWでの文書図画の公表頒布は限ってはOKという事にした。

但し電子メールアドレス表示必須である(守られてない)。電子メールでの活動候補者以外は禁止のままだ。

 

輸入バスの後部脱出ドア

数々の車両火災によりバスの後部、出口と反対側には脱出用のドアの設置が義務付けられている。

だが外国製バスには無いものが多い。普通は改造しないと型式取得が認められないが、連接車など特別用途のモノの場合ガラスカチ割り用のハンマーを後部席に設置してあるから特例的にKという形になっている。

 

差金の目盛り

計量法日本の旧尺貫法での表記がされた計量器具製造販売を禁じている。

だが建築内装などでは旧尺貫法に準じた長さが未だ標準となっている。

そこで、差金の裏に尺に準じた目盛りをメートル表記したものが売られている(尺相当目盛り付き長さ計)。国会で審議されてこれは合法というお墨付きが出た。

 

三輪自動車のドア

海外製造された三輪トラックなどを日本に輸入する場合普通自動車としての型式は取れないので、ドアを撤去してサイドカーとして登録する。ドアを撤去するのは、サイドカーの条件として「ドアが無いこと」となっているから。

冬は寒いが幌は禁じられていないのでビニルレザーでドア型幌を作って付けても大丈夫かと思われる。

なお、50ccの場合ミニカー登録できるのでピアジオ・アペ等はドア付きでOkである

 

A重油

A重油殆ど軽油軽油9割、重油1割から成る軽油には32円/Lの軽油税が掛かるが、道路走行する車両に搭載されないエンジン使用する場合その税金は払う必要が無い。その為の油種。トラック使用したら直ぐに判るように蛍光剤が混ぜられている。

 

消毒用アルコールIP

エタノールには酒税が掛かるがイソプロピルアルコールを少量混ぜて不可飲処置させてあるので酒税が掛からずに安い。

 

料理酒

酒に塩や酢を混ぜて不可飲処置されているので酒税回避。つまり不味い。

 

 

以上、三つだけ選んでお届けした。

2023-06-07

幼少期の記憶のしこりの話。

もう30年ぐらい前の話なんだけど、時折思い出してなんかちょっとしんどくなる記憶がある。

思いたったので供養したいと思う。

小1に上がる前に就学前検診ってのがある。

発育の状態確認するような健康診断やったり、面談やったり的な内容。

そこで、「自分名前を書きましょう」っていうのがあった。

当然当時は年長さんで、別に日頃から練習とかしているわけじゃないから鏡文字が混ざった感じで書いてたんだと思う。

帰ってから母親に「あんたのせいで恥をかいた」と、玄関の冷たい大理石正座させられて、自分名前書き取りさせられて、ちゃんと書けなかった罰に鉛筆何回も何回も手の甲に血が出るまで刺されたの。

ちゃんとそのあとは絆創膏貼ってもらったけど、もうその時から母親のことを信頼できなくなったことをよく覚えている。実家にいた頃は大変辛い時期だった。

もう随分前から一人暮らしだし、いま別に何か辛いことはないのだけど、

時折、ふと思い出して、少し辛くなる。

そういうしこりみたいな記憶ってない?

2023-05-25

anond:20230524185844

ステンレスと人工大理石問題はどう思う?

熱湯消毒したいか個人的にはステンレス一択だと思ってたのに

家族要望で人工大理石シンクにしたらまーーーー使いにくくって。

2023-02-09

anond:20230209094705

石灰岩及びその変成岩である大理石から摂取やな

ただブロック塀は一時やたらとつかわれてたからバフがかかっていた

2022-12-27

[] 「お酢のチカラ」「酸が効く」

サンポール」で検索してキンチョーのページに飛ぶとポップアップが。

用途外に使うな。タイルや樹脂、金属大理石等の素材をいためたり変質する可能性もあるから風呂掃除には『お風呂ティンクル すすぎ節水タイプ』使え」と。

サンポール | トイレ用洗剤 サンポール 黄ばみなどのお掃除に | KINCHO

www.kincho.co.jp/seihin/housewares/toilet_sanpoll/sanpoll/index.html

黄ばみ・尿石、水アカといったアルカリ性の汚れを塩酸で落とす、と。

一方、ティンクルは

なんでお酢のチカラで汚れが落ちる? ティンクル(水回り用・お風呂用) | KINCHO 大日本除虫菊株式会社

www.kincho.co.jp/seihin/housewares/tincle/tincle_mechanism/index.html

(アルカリ性の)水アカ石鹸カス酢酸で落とす、と。

まあ、台所シンク周りの汚れはメラミンスポンジで十分落ちるけど。


【徹底解説】水垢と石鹸カスも落とせるバスクリーナー「お風呂ティンクル」分かりやす解説! - 茂木掃除講座

www.youtube.com/watch?v=1BzaAMYNUk0

金鳥ティンクルは「浴室用洗浄剤

花王バスマジックリンライオンバスタクレンジングは「浴室用合成洗剤

そもそも家庭用品品質表示法でのカテゴリからして違う

「洗剤」は汚れを落とす主な働きが界面活性剤

洗浄剤」は汚れを落とす主な働きが酸やアルカリの働きによるもの

ティンクルは界面活性剤も入ってる


住宅用又は家具用の洗浄剤 | 消費者庁

www.caa.go.jp/policies/policy/representation/household_goods/guide/zakka/zakka_06.html

洗浄剤とは、(1)酸、アルカリ又は酸化剤及び洗浄補助剤その他の添加剤から成り、(2)その主たる洗浄の作用が酸、アルカリ又は酸化剤の化学作用によるもの

酸又はアルカリについては、主要なものの種類の名称を示す用語を用いて表示し、括弧書きでその成分の含有率を付記する。

合成洗剤 | 消費者庁

www.caa.go.jp/policies/policy/representation/household_goods/guide/zakka/zakka_04.html

界面活性剤又は界面活性剤及び洗浄補助剤その他の添加剤から成り、その主たる洗浄作用が純石鹸分以外の界面活性剤の界面活性作用によるもの

界面活性剤については、「界面活性剤」の用語を用いて表示し、括弧書きで界面活性剤の総含有率及び界面活性剤の種類の名称を付記する。


ティンクルのCMの「お酢のチカラ」とか、サンポールCMの「酸が効く」とかキャッチコピーは耳に残ってたけど。

こういう理屈で効く、とかは意識してなかったわ。

風呂にこびりついた汚れはアルカリ性石鹸カス。だからお酢のチカラのティンクル使え」くらい言ってくれてたら積極的ティンクル選んだのに。

15秒のCMの尺に収まらなかったらせめて30秒バージョンで。

バスマジックリンルックプラス バスタクレンジングと同じようなもんだろ、程度の認識だったわ。

次はティンクル買おう。家にある風呂用洗剤のストックを全て使い切ったら。

2022-10-10

下が暖かい岩盤浴ルーム

着衣のままでしっぽりできる

床が大理石になってる暖房ルームなら

荷物持ち込みできるし参考書持って勉強できるかなって思ったんだけど

20分もいるとジワジワ汗かいて来てキツい

まあそういうルームなんだけどね。

ああ〜、健康になる〜。

2022-07-22

anond:20220722073544

ちょっと高いけど壺ばかり売っている

ちょっと値が張るけど、長い目で見ればお得。

一個あたり2900万円だ。

オリジナル無難ではあるが、俺は摂理成就が欲しいので大理石を選んでいる。

マニュアルがあれば10分くらいで完売する。

もしくは珍味売りカルマ祓いしてもいい。

統一の壺おすすめ

2022-07-10

一水会代表による反統一教会論文昭和六十年 朝日ジャーナル

「そしてその時ではもう遅いのだ。」 http://www.asyura2.com/sora/bd11/msg/691.html

阿修羅よりコピペ


勝共連合民族主義運動の敵だ

――――文鮮明王朝建設に利用される日本若者

右翼民族派の人たちが統一教会原理研国際勝共連合のことをどう思っ

いるか書いて下さい」と『朝日ジャーナル』の記者に言われた時には正直い

って気が進まなかった。

しか右翼の連中の中には「反共の同氏だ」と思っている人はいる。また、

原理はウサン臭くて嫌いだが勝共は仲間だ」と公言する人も多い。警察の公

安や公安調査庁人間だって反共なんだから仲間だし、日本共産革命が起き

ときには一緒に決起してくれると信じている<純朴>な人も多いこの業界

から原理運動をそう思ってもても仕方はない。

しかし、少なくともわれわれ民族派、また新右翼といわれる若い人間にはそん

混同を起こす人間はいない。だから、『朝日ジャーナル』の記者の話を聞い

て、何を今さらと思ったのである。それに、右翼全体なんてどうでもいいとい

う気もあった。多くの右翼原理勝共反共の味方だとおもっているのなら、

それでもいい。何もおせっかいをして、原理勝共実態はこうなんですよと

<告げ口>することもあるまいと思っていた。

ところが、筑紫哲也氏の「原理不可解な右翼沈黙」(本誌一二月十四日号)

を読んで少し考えが変わった。その種の挑発にはやはり乗るべきだと思った。

それに、『世界日報事件追放された副島嘉和、井上博明両氏が『文藝春秋

に書いた内部告発を読んだ時の衝撃も忘れられない。原理とは大学時代から

長い付き合いだが、最近の<豹変>ぶりも見てきた。

原理運動が初めて日本に入って来たのは二十五年ほど前だというが、本格的に

やり始め、世間の耳目を集め出したのは、それからしばらくしてだと思う。原

運動のことを直接にしったのは、僕が昭和三十八年、早稲田に入ってから

(その前から漠然とは知っていたが)。

それから二,三年して早稲田で全学ストライキがあり、それが全国の学園紛争

火をつけて全共闘時代の幕開けとなった。それに刺激され対峙する形で民族派

学生運動も出てきたし、一時は全国30大学自治会を握り、「民族派全学連

を結成しようというところまでいった。その学生運動の嵐が起こる前から、原

理研駅前で黒板を出して演説したり、個人オルグをしていたが、大学に入

りこみ、サークルをつくったりして組織的全国的に活発にやりだしたのはこ

早大ストのころからだと思う。

全共闘民族派原理。この三つの違った運動があの早稲田の一点から、ほぼ

同時期に生まれ、全国に広がり燃えさかっていった。換言すれば、全共闘に刺

激され、全共闘反面教師としながら民族派原理も、己の組織化を急ぎ、全

国的な広がりをつくっていったのである。われわれもそうだったが、原理研

今やっている大学でのサークル学内新聞づくり、自治会奪権闘争……などは

完全に全共闘から学んだものである。逆接めくが、今の原理運動民族派の運

動もある意味では「全共闘遺産」なのである全共闘との付き合いについて

はこれまでも書いたことがある。今回はもう一つの原理について書く。

はじめに、「何を今さら」といったが、われわれ、戦後体制打倒をめざす「一

水会」の機関紙レコンキスタ』(スペイン語で”失地回復”の意味)でも何

度か原理についての批判をしてきたし、原理運動研究家第一人者である茶本

繁正氏を招いて一水会事務所勉強会したこともある。その時のテーマは「

勝共連合愛国者なのか」であったし、彼らは民族派の味方ではないこともわ

れわれは明らかにした。

また、われわれの仲間には何人か原理オルグられたり、「合宿」に誘われて

行ったことのある人間もいる。二年前、そんな一人に「私はこうして”原理研

が治った」という体験談を話してもらい『レコンキスタ』に載せた。当時は「

こうして新左翼が治った」「べ平連が治った」「アナキストが治った」といっ

体験シリーズをやっており、それら左翼運動と同次元原理も考えていた。

さらには、われわれ一水会連帯している統一戦線義勇軍機関紙義勇軍報』

でも原理勝共との戦いを呼びかけており、事実一水会義勇軍は他の民族

派と共闘して彼らとの闘いを展開していた。

小さいながらもこうした反原理・反勝共の闘いをやってきたが、これは右翼

からは不評で、「思いつきでやってる」とか「勝共は仲間なのに」「敵を利

する」などと批判された。しかし、大学時代からわれわれは彼らを一度も味方

だと思ったことはないし、民族運動の同志だと思ったこともない。学生の時、

早大で知ってた彼らは決して右翼ではなかったし、反共でもなかった。「天皇

なんて関係ない。文鮮明師がすべてだ」「憲法なんてどうでもいいし、興味は

ない」と、正直にいっていた。われわれとは立場は違うが、宗教団体としては

それも当然だろうと思っていた。ところが最近、急激に「右傾化」した。「天

皇制を守り、憲法改正、スパイ防止法の制定を」と言っている。

統一教会原理研勝共連合は別だと言う言い訳は通じない。やっている人間

は同じなのだ。なぜ、急に右旋回し、豹変したのか。その右旋回は本物なのか

どうか。すっと疑問に思ってきた。最近の派手な言動に幻惑されて、即「味方

だ」と思ってる右翼同調できない理由もそこのある。そんな疑問に答えてく

れたのが副島、井上両氏の『文春』のレポート「これが『統一教会』の秘部だ」

だった。そして、『原理講論』をはじめて通読し、両氏の告発が嘘でも誇張で

もないことを知った。

反共方便、実際は共産主義

イエスが再臨する「東方の国」は韓国であり、韓国語が祖国語となって世界

一つになるという。なぜ、「東方の国」が韓国かというと、中国共産化した

からサタン側の国であり、日本は「代々、天照大神を崇拝してきた国として、

さらに、全体主義国家として、…・

韓国キリスト教迫害した国」だから、これも「サタン側の国家」だという。

また、「第二次世界大戦は、民主主義によって結託した米、英、仏の天の側国

家と、全体主義によって結託した独、日、伊のサタン国家との対戦であった」

という。

これは、『原理講論』にかいてある通りである。そして、韓民族いかに「サ

タン」の日本によって、侵略され、迫害され てきたかがこれでもか、これでも

かと書かれている。『文春』の告発レポートでは、さらに驚くべき事実が書か

れている。韓民族選民であり、他民族優越しており、再臨主とは、すなわ

文鮮明氏のことであり、文氏によって世界統一され、必然的韓国世界

の中心となり、韓国語が世界共通語となる。こう説かれているという。

また、われわれ民族派としては見逃せないこととして「敬礼式」についても『

文春』に書いている。これは文鮮明氏をメシア、王の王とみなす象徴的な儀式

だそうで、本文から引くと…・・。

統一教会が四代名節と呼ぶ記念日には、早朝五時から敬礼式があり、そこ

では聖壇に座った『文氏』とその家族に対し、統一教会の主要幹部が三拝の拝

礼を行う。場所はだいたい『文氏』の私邸であるアメリカニューヨーク州

イーストガーデンである。その際、天皇陛下をはじめ、レーガン大統領、全斗

大統領ほか主要国の元首の身代わりを、それぞれの国の教会幹部担当し、

文教一族に拝跪して全世界主権者文教祖に拝礼したという儀式を行うの

である日本天皇陛下の身代わりを演ずるのは、日本統一教会会長久保

氏なのである。何とも奇妙で、そして国民象徴として天皇を上にいただく日

本国民としては見逃せない情景ではないか

全くもってひどい話である文鮮明氏の精神は、信仰王国ではなく、現世の

王国を夢み、その独裁者たらんとする。これはまるで弓削道鏡だ。「彼らは反

共だから味方ではないか」と言っていた右翼の人々も、これを読んだら、とて

もそんなことはいえないはずだ。実際、「許せない」「こんな反日集団は敵だ」

と激高していた人が多くいた。僕としても前から、その性格漠然とは知って

いたが、これだけ証拠をつきつけられては改めて愕然とする思いだった。

これを見ても分かるように、原理勝共は決して右翼民族派ではない。では、

一体何なのか。

まず第一に、これは裏返しの共産主義である。「原理研が治った」青年も言っ

ていたが、反共を唱えてはいるが、内部の生活はむしろ共産主義だという。人

生について考えている青年や悩んでいる青年オルグってきては「合宿」につ

れ出し、何日もロクに眠らせずに「洗脳」をする。はじめは「そんな馬鹿な…

・・」と心の中で抵抗していても、しまいには疲れ果てててしまい、批判し抵

抗することも面倒になって全面的に受け入れてしまうという。「思想強姦

である。また、洗脳の途中で頭の回路が外れて気が狂ったりした人間も多いと

いう。さら自由を許されない共同生活、文氏の決める人と結婚する集団結婚

式。本場の共産主義国家ソ連中国でも、ここまでは共産主義化していない。

自分たちの内部生活共産主義で、外部に向かっては反共を唱えている。その

反共本心かどうかは分からないが、本心だとしても、日本民族主義とは一

切無縁のものである。さきほど見たように、これはソウルを中心とした反共

ンターナショナリズムである。初期の共産主義がモスクワを中心としたインタ

ナショナリズムだったのと同じ構造である共産主義と同様に、この原理

勝共もまた、最も反日的、反民族運動である

第二に、その「反共」すらもが本当かどうか怪しい。「統一教会勝共連合

宗教活動愛国運動は『文鮮明氏』の野望を実現することを目的とした方便

である」と、副島氏も告発している。

世界の王になるためには、ます韓国の王(大統領)にならなくてはならない。

韓国反共バリバリの国である。文氏は日本の人と金を湯水のように使って、

世界的規模での反共活動の「実績づくり」をしている。そのための反共であ

り、韓国世界の王に向けての手段である反共運動の全部が全部、仮面とは

言えないにしても、原理運動世界の王になることが第一目標であり、反共

運動二の次、三の次ぎであろう。

また、反共活動をいっしょにしている自民党体制文化人にたいしては、勝

連合に入るように勧めるが、統一教会原理研には入れようとはしない(な

かには一部の例外もあるが)。原理運動をしている人間想像を絶するストイ

ックな生活をしている。物欲でこり固まった自民党体制派の人間をストイッ

クに改造はできない。反共という衣をつけて、ハナから利用するためだけに近

寄っているのだ。あるいは、そうした金と物欲に目がくらんだ自民党サイドの

人間に対し、「いつか必ず自分たちの前に拝跪させてやる」と復讐の念を燃や

しているかもしれないが。

虐殺兵と似た目つきの原理研

第三に、これは全体主義である。茶本氏は「ファシズムへの道」だというが、

その通りだ。文氏は、いわはヒットラーであり、『原理講論』は、さしずめ『

マインカンプである。『マインカンプ』の中には徹底した日本人軽視、黄

禍論があったが、日本語板ではそれを削除し、ヒットラーの力の前に幻惑され

日本は手を結んだ。それと同じように韓民族選民であり、世界の中心だと

いうことは、日本語板の『原理講論』では意図的に削除されてきた(最近は居

直って日本語板にも出しているが)。これと同じ過ちを日本体制側、そして

一部の右翼は再び犯そうとしている。

第四に、この狭量なストイシズム宗教としては光輝いて見えるが、世俗的権

力の奪取、文王朝建設を目指すという政治世界には入るや、必ず悪い結果

になるということだ。ロベスピエール、カルヴィン、松平定信…・・と、その

先例は歴史上にいくらでもある。

ツヴァイクの『権力とたたか良心』によると、宗教改革に成功したカルヴァ

ンは、他人のどんな小さな過ちも許せない狭量、厳格な人間で、徹底した恐怖

政治を敷き、「罪ある者が神の裁きをまぬがれるくらいなら、むしろ罪のない

者が処罰される方がいい」と公然告白したという。また、カルヴィンやロベ

ピエールはそのいい例だが、「禁欲と苦行のひとというのは、いちばん危険

専制君主典型である」と、ツヴァイクは言う。

それをもっと推し進めればカンボジアのポル・ポトになる。古い体制、古い倫理

観の人間は殺して、殺し尽くした。人口の半分も殺したというが、国民の半分

を殺して達成しなければならない革命とは一体何なのか。地獄カンボジア

実際に見てきたある新聞記者はこんなことを言っていた。古い体制人間を殺

尖兵は、少年たちだったという。その少年兵たちの目は、人間の生死はもと

より、もう何事にも感動を示さないし、 いわば<ゾンビ人間>の目だったとい

う。そして、その目はしょうど原理研の人たちの目に似ていたという。未来

暗示するようで、何かゾッとする話だ。

贖罪意識」につけ込む文鮮明

第五に、彼らもまた、<狼>だ。これだけでは何のことか分からないだろう。

僕は十年近く前、三一書房から腹腹時計と<狼>』という本を出したが、そ

爆弾事件の<狼>とあまりに似ていると思うのである個人的なまじめさに

おいて、また、日本戦争に対する贖罪意識の余りの強さにおいて・…。両者に

とっては先の戦争はまさしく原罪である日本韓国中国侵略し、残虐の

限りを尽くしたひどい国だ、と教えられ、一途に信じ込む。だから、再び、そ

うした国に経済侵略してゆく企業には爆弾を投げるという<狼>。彼らの中に

は「自分祖父や父は兵隊になって侵略たか自分はその贖罪のために新左

運動に入った」と公言するメンバーもいた。

それに対し、侵略した「サタン側の国」(日本からは、いくら金をしぼり取

り、人間消耗品のようにつかってもいい、という原理勝共朝鮮人参、印

鑑、大理石のツボ、花売り、街頭カンパ等、ありとあらゆる方法日本から

をかき集める。詐欺まがいの商法で、ピンク産業以外は何でもやっているとい

う(もっと統一教会としては、上からの指令はしていないと逃げているが)。

末端の会員ですら月に100万円のノルマを課せられ、日本全国からは月に2

0億円、年に240億円もの金がアメリカ文鮮明氏の元に送金されていると

いう。合法非合法を問わない強引なやり方で「サタンの国」からは徹底的に

金をしぼりとり、文王朝のために日本人は手足として使い、使い捨てにすれば

いいという考えだ。

会員もそれに甘んじている。これは日本戦争に対する韓国側の復讐なのかも

しれないが、日本人会員にとってはそうすることによって「侵略戦争」の贖罪

ができると思っている。<狼>クループ同様、屈辱的な贖罪史観、敗戦コンプ

レックスを色濃く引きずっている。

第六に、文王朝建設のために日本人の<献身美徳>が最大限に利用されてい

る、ということだ。いつの時代にも、他人のため、世界のために体をかけて働

いてみたいと願う正義感の強い青年たちはいる。方向性は違っても、戦前の青

将校、在野の右翼運動日本赤軍…・・。そして多分、原理運動に飛び込ん

だ人たちも大部分はそうした純粋動機からだろう。

今の日本のように皆が皆、自分さえよければいい、金がすべでだ、マイホーム

だ、酒だ女だとPermalink | 記事への反応(7) | 19:56

2022-06-26

枕草子:ver俺

春のポカポカ陽気!って感じのあったかい日よりは、三寒四温において三寒のほうに分類されるような、冬寄りの日の方が好きだ

気温で言うと15度前後くらいの日

日付で言うと、3月20日とかのあたりだ(これ冬か?)

桜が咲き始めているが、寒くて、しかしクソ寒いって感じではなく、分厚い上着はいらない

空はよく晴れている

あの辺の時期に、なんかよくわからんけどどっかで咲いている花の匂いなんかがふと漂ってくると、なんというか、胸が締め付けられるような、謎の感覚に襲われるんだよな

アレがいい

ムチャクチャ暑い日に、くたばれ!と思いながら外を歩いて、コンビニスーパー銀行なんかの、よく空調の効いた建物に立ち入った瞬間の感覚 あれですね

日常ちょっと外れたところでいくと、美術館なんかもいい

大理石なのかなんなのか知らんけど、石造りの、ツルッとした内装と、高い天井と、展示品のためにガンガン効かされた空調と、静けさですよ

美術館行くためにあまり慣れてない土地にやってきて、マジクソ暑い中をちょっと歩いたあとに、涼しさと静かさの権化みたいな空間出会うわけなので、感動もひとしおだ

でも実際、コンビニとかでも全然いい

コンビニも大概涼しいしな

いよいよ涼しくなってきた10月11月あたりの、よく晴れた日に、植物園に行くのがいい

あえて具体的に言ってしまうと、豊中都市緑化植物園に行くのがいい

ホントにいいんだよ 

豊中都市緑化植物園の温室の横にある、池のほとりに、ガーデンテーブルとガーデンチェアがある

俺が思うに、あそこは日本でも有数の最高の秋スポット

でけえ広葉樹が色づいていて、鳥が鳴いていて、ガキが広場ではしゃいでいて、池の水面は静かで、後ろには温室

なんなんだよあの空間

実は1回しか行ったことないんだけど、俺はあの空間が本当に好きだった

あれこそが秋だと思う

あと、同じく都市緑化植物園内のハーブ園もよかった

オフシーズンから、多くの花壇はからっぽで、植え込みも全然元気がない

そんなんだから人も全然いない

イタリアンパセリかなんかだけがやや元気そうにしていて、他の植物茶色くなって萎れている

でもハーブ園なんで、花壇の構造デザインなんかは全体的に洒脱な感じ

ギャップがよかった かなりよかった

とにかく、秋の晴れた日に豊中都市緑化植物園に行って、温室を見てるうちに3時くらいになっていて、なんとなく日が翳り始めたことを感じつつ、背の高い木に囲まれ遊歩道を歩く 鳥が鳴いている そういう体験をするべきなんだ

問題があるとするなら、11月って秋扱いでいいのか?というところだ

冬になったらシティーに繰り出したい

ティーに繰り出すっつっても大した目的はなくて、見たいのは、落ち葉

街路樹から落ちた葉っぱが木枯らしに吹かれて、ウェーブ状になってカラカラいいながら灰色街路の上を渡っているのを見ると、言いようのない満足感があるんだよな

道っていうか、空間が広ければ広いほどいい

公園とか広場とか、そういう場所がいい

地面は石畳がいい

アレがいいですよ

あと、冬特有の、陰鬱な、真っ白い曇り空な

絶対雨降んないけど、絶対晴れもしないなって感じの、無害な分厚い雲の日

嫌いじゃないんだよなあ!

あいう空模様の日に、隣町くらいの遠さのところにある、どうでもいい公園に行って、あまり快適ではないベンチに座って、初めて寄ったよくわからんスーパーで買った、うまくもまずくもないおにぎりなんかを食うと、マジでまらない

何がたまらないのかは不明

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