はてなキーワード: 内輪ネタとは
超かぐや姫!は売り出し方が気に食わなく、なんとなく忌避していたのだが、信頼している友人がお勧めしてきたので視聴することにした。
普通に面白かったし、終盤の方はなんなら泣きながら視聴していた。
監督自身が長編映画の制作をあまり経験していないという背景もあるのだろうが、その辺の話は一旦置いとくことにする。
全体の感想として、全てがあまりにも舞台装置的であり、人間の心の深い葛藤というものは確かにあまり感じられなかった。
しかし、葛藤や反発の描写を重くすればするほど作品の消費カロリーも増えていく。
この令和の時代に、エンタメ映画の文脈でそれをするのは悪手なのではなかろうか。
少ない心理描写リソースの中で象徴的な親殺し(親から与えられた物語からの離脱)は行えていたし、全ての人間関係の描写をそういう記号だと思えば咀嚼できるだろうと思う。
竹取物語、推し活、Vtuber、MMO的VR、百合、親殺し、CGDCT、クリエイター、ビートセーバー、女装男子、Crazy Raccoon、表情描写のサンプリング、ミュージカル、ドラえもん最終回...
この映画は、全体的に記号と小ネタとミームのパズルのようになっている。
マリオの映画がファンを喜ばせる小ネタ満載であったように、小さな内輪ネタが集まって大きなものになったのが超かぐや姫!であると感じた。
あと、超かぐやの主人公に対して「恵まれすぎ」「ハイスペすぎ」と言うのは、悟空に対して「強すぎる」と言うのに近く、あまり意味のある批判ではないと感じた。
現代の人間として描かれているからこそ比較してしまうのだろうが、あくまでファンタジーの主人公であり、物語を動かすための装置として見るべき存在だと思う。
な、なんやねんいきなり…
■anond:20241101130152言及先エントリを閉じる
■下ネタへの反応に困ってる
最近共通の趣味で話すようになった同年代の男友達が、たまに突然「あーちんこちんこ」と言うのだが、いつも反応に困ってしまう。
増田にとって、ちんこは無い臓器だし、なんか正直実物と関わるときはシリアスで濃密(?)な場面が大体だし、ギャグとして聞き流すにはちょっと重い感覚がある。
その場にいた他の男友達にウケているのを見ると、「(無い臓器の内輪ネタわからない…!)」と思ってしまう。
返答として「そうだね〜まんこまんこ!」って言うのは違うってわかるけど、礼儀として私も出せるもの出さなきゃかな…とか、考えてしまう。絶対違うってわかってるし、しないけど!
男女ともにこの感覚になるとしたら、例えば「あーへその緒、へその緒」って言われる感じ…?
多分友人はそんなこと特に深く考えず発言しているんだろうけど、そこまで「臓器内輪ネタギャグ」って同性間ではメジャーでライトな会話技なのだろうか?
とにかくどういう反応が適切なのかわからず、最近ずっと気になっている。
【追記】
→意図は知りたいが、そもそもあんまり異性の前で「ちんこ」とか言いたくない。匿名だから書けるけど言葉にして発するの結構抵抗ある。だから後から個別で「あの時言った「あーちんこちんこ」って…どういう意味だったんですか??」と聞くのもなおさらできない。(そもそもその人とは雑談をサシでするほどの仲ではない)
転職早々炎上プロジェクトになんにも分からない状態でアサインされて、前任者は飛んだし、俺は無知の無知だから、何が正しいか分からないし、つらい。
上司は労わってくれるけど、労る以外のものすごい物量の作業は全部俺だし、そもそも俺の契約の範囲以上のタクスに膨れ上がってるからGWも返上で働いていて、辛い。
人手不足だし、恩を売るタイミングかと思って腹を決めて頑張ってるけど辛いものはつらい。
友達から大丈夫か?飯行く?の連絡が来て、年甲斐もなく泣いてしまった。
早く大丈夫になりたい。
https://anond.hatelabo.jp/20260422233028
みなさんは自身が漫画に登場したことはありますか? 普通はないですよね。というわけで今回は、ぼくの自己紹介も兼ね「ぼく自身が登場させてもらった漫画」を紹介したいと思います。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0148LNE6S
ご存知ない方に向けごく簡単に説明すると、「はてな」とは、株式会社はてなが提供するWebサービスの名称です。「はてなブックマーク」「はてなブログ」など、頭に「はてな」と冠がつくのが共通の特徴です。ただし、「はてな村」というのはサービス名称ではなく、はてなのサービスを利用するユーザの中でも、特に内輪ネタで盛り上がる人の集まりを指した言葉です。
そんな「はてな村」には村内で “キャラ” として有名な人たちが存在します。
『はてな村奇譚』は、そんな “キャラ” たちによるごく狭い世界での内輪話や内輪揉めの様子を、作者の小島アジコさんがストーリー仕立てにしてまとめた作品です。
そしてぼくも、内輪の中で目立っていたこと、年齢こそ若いもののネット上での活動が長く、はてな村で知られた存在であったことから、キャラの一人として作品内に登場させてもらっているのです。
ぼくがこの作品に対して深い思い入れがある理由は次の3点です。
・ぼくが高校生のときから知ってるマンガ家にトレードマークにしているキャラを描いてもらえた。
---
2:ネット上で連載された漫画と自分のキャラをもとに、感想や今後の展開を予想する人を間近で見たり、作者自ら献本してくださったりと、「作品と自分との距離感が最も近い作品」だった。
ぼくは「敵に立ち向かう四天王」の一人として登場します。ビジュアルは金髪の魔法使いで、すごく目立っています。
なぜ金髪の魔法使いかというと、それがぼくのトレードマークだからです。
しかも「奴は四天王の中でも最弱」とバカにされるような、一番にやられるキャラ設定となっていました。
何度も出番があったり、名前や詳細などを丁寧に説明されているようなキャラは少なく、ぼくはかなり優遇されたポジションでした。
嬉しかったです。
また、序盤からの登場ではないもののぼく自身は作者からの連絡で予め出番を知っており
それを知らない読者の方も「あんなにキャラの立った彼なら、きっと登場するだろう」と期待してくれていました。
そのため、出番を待つ間も純粋に連載を楽しむことができました。
そして登場後は、「主人公ではなく自分を応援」という、普通の人とは違う視点で熱狂することに。
たとえぞんざいな扱いを受けるとわかっていても、やはり嬉しくてたまらないのです。
とにかく自分のために何かしてくれる人たちが愛おしい。
今回の漫画出演を体験するまで、「歴史に名を残す」「自分の名前が残る作品が出る」ことが、これほど嬉しいものとは知りませんでした。
例えば、マンガ家やスポーツ選手の銅像・ミュージアムといったものは
以前のぼくには「本人は嬉しいのか?」と疑問でした。
自分の銅像やミュージアムが作られることを目標に生きる人など見たこともないので、むしろ「ファンによるはた迷惑な行為」とすら感じてました。
自分のことを知っていてもらうこと。
そして、もし明日死んでも、ぼくが生きていた証を覚えてくれる人がいること。
そのマンガを連載中に読んだ人は、作者によれば常に5,000人はいたそうです。
特にぼくが登場する回は人気が高く、作者も力を入れてくれていたとのこと。
数量限定で書籍として出版する際には、作者による直筆イラスト付きで献本もしていただきました。
もちろん5,000人の読者という数字は、週刊少年誌の何百万部という発行部数と比べれば大きな数字ではありません。
もちろん5,000人の読者という数字は、週刊少年誌の何百万部という発行部数と比べれば大きな数字ではありません。
もちろん5,000人の読者という数字は、週刊少年誌の何百万部という発行部数と比べれば大きな数字ではありません。
それでも、多くの人が自分に時間や手間暇を費やしてくれていること、話題にしてくれることを思うと
「自分の人生はムダじゃない」「ぼくを応援してくれる人のためにがんばろう」と強く思うようになりました。
これはもう、好きとか嫌いとか、美味しいとか不味いとかの話ではないんです。
自分のために女の子が、チョコを選んでくれたり、悩んでくれたり、作ってくれることそのものが、ぼくには愛おしいのです。
女の子が自分の好みかどうかではないのです。デートするために待ち合わせをして、準備をして、甘い駆け引きを楽しもうとしていることがすでにかわいいのです。
そして、彼女がいることを自慢してしまう男子高校生のように、僕も「プロの漫画家によって自分がキャラとして描かれた作品がある」ことを、自慢もかねて名刺代わりに紹介してしまうのです(*´ω`*)
プライムタイムとかいうラジオをたまに聞く機会があるんだが聞いている中でわかった毎回あるらしきコーナーが引っかかる。
あるコーナーは昭和のアイドルの曲がかかりその歌いだしからすぐにパーソナリティな割り込んで「そしてきったまたきったー」って言ってからなんかいろいろまくし立てるし、またあるコーナーでは野獣とか名乗るやつが映画版20世紀少年のトモダチの声でなんかしゃべってるし。
まあとにかくなんでそういう演出なのかそうしたきっかけ発想の流れはなんなのかという解説不在の内輪ネタでしかなく私は毎度苛々しているのだが他のリスナーも同様じゃないのかとか思うわけだ。
まさか初回放送ではなぜそのアイドルの曲を使うのかとかわかる解説とかあったはずだよなあと思うんだけどどうなんだろう。
逆にモーニングショーは毎度のごとくともだち登録の仕方を説明しててあれはあれでせめて二度に一度でいいだろぐらいには思ってしまううざさがあるが、そういう視聴者を置いてきぼりにしない親切さを少しは見習うべきだと思う。
dorawiiより
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最近、新作ゲーム実況配信をいくつか見ていて、どうしても小さな違和感が消えなかった。
配信の概要欄や固定コメント、画面の端にさりげなく書かれている「ネタバレ禁止」の一文。
最初は何も思わなかった。初見リアクションは面白いし、それを壊されたくない気持ちも分かる。
でも、あの一文が“前提”として置かれている感じに、どこか引っかかった。あれは単なる注意書きのはずだ。
それでも、そこに書かれているだけで、コメント欄の空気が少しだけ引き締まる。
誰かが破れば即座に指摘されるだろうし、守る側に回る人も自然に現れる。
その反応の速さを見ていると、
あれは単なるマナーというより、空間の前提になっているのではないか、と感じた。
前提になったものは、疑われにくくなる。
そして疑われにくくなったものは、
けれど、そこでふと立ち止まる。
配信者自身は、そのゲームの物語を何千、何万人にもリアルタイムで広めている。
一方で「嫌なら見るな」「視聴は自己責任」という原理も同時に語られる。
公開空間では情報は流れる。踏むかどうかは受け手の問題だ、という立場だ。
でもコメントのネタバレは勝手に流れてきて避けられないから別だ」という反論だ。
しかし、配信もサムネやおすすめ、切り抜きで不意に流れてくることはあるし、コメントも非表示や遅延、モデレーションで一定程度は管理できる。
それでもコメントだけが強く問題視されるのは、単に避けにくいからではなく、「配信者が制御できない他者の情報」だからではないか。
制御できる未来はコンテンツになり、制御できない未来は違反になる。
ここで論点は、情報の内容ではなく、「誰が物語の時間を決めるか」に移る。
実際に起きているのは、「情報は流れる。嫌なら自己責任」という原理から、
「この種類の情報だけは流す側が倫理的に禁止されるべきだ」という原理への切り替えでもある。
この転換を支えている前提が何なのかは、本来もっと説明されてよいはずだ。
配信者がストーリーの展開を自分の進行に合わせて見せるのは演出だ。
コメントで先の展開を書き込むのは、その進行への割り込みになる。
ここまでは理解できる。
だが、本当に問うべきなのは、その先に何が起きているのかだ。
けれど、それが「守らないのはどうなのか」という含みを帯び始めたとき、質が変わる。
「空気を読めない」「常識がない」「そういう人なんだ」といった言い回しが重なれば、
論点は行為の是非から、その人の性格や態度の評価へと静かにずれていく。
もちろん、そこまで強い言葉を使っているつもりはない、という人もいるだろう。
だが問題は、誰が何を言ったかよりも、どういう空気が出来上がっているかだ。
観賞マナーが必要なのは当然だ。他の視聴者や演者の体験を壊さない配慮は、どんな公共空間にもある。
だが、ルール違反を指摘することと、その人の人格まで評価することは、本来は同じ次元の話ではない。
その飛躍が曖昧なまま、道徳だけが強くなるとき、そこに構造が立ち上がる。
その構造を支える言葉として、しばしば持ち出されるのが「推しを守る」だ。
この言葉は強い。
好きな存在が不快な思いをしないようにしたい、空間を荒らされたくない――その感情は自然だ。
だが、その“守る”を分解すれば、
進行を乱さないこと、
それが「守るのが正しい」「守らないのはどうなのか」という語りに変わったとき、
そして道徳になった瞬間、それは前提になり、疑問は態度の問題として処理される。
正しさが共有されると、守る人は善になり、乱す人は悪になる。
構造は単純だ。
守る人が正しい側になる(善)。
破る人は非難される(悪)。
疑問を言う人は周縁に押し出される(異端)。
守る人たち(信徒)、
この構図が宗教的に見えるのは偶然ではない。
教義があり、守る対象があり、善悪が明確で、疑問は異端になる。
重要なのは、それが単なる雰囲気ではなく機能を持っている点だ。
この道徳は、物語や空間の主導権を握る側の立場を“自然なもの”として固定し、それを揺らす行為を倫理の問題に置き換える。
善悪がはっきりすると、自分が正しい側にいるという安心感が生まれる。
それはときに、
「考えなくていい免罪符」にもなる。
推しを守ることは配慮であると同時に、「自分は正しい側だ」と示す行為にもなりうる。
違反を断じることは秩序の維持であると同時に、立場の確認でもある。
だからこそ、この構造は外から強制されなくても回り続ける。内側の人間が自ら支え、自ら強化する。
推しの失言や規約問題が曖昧に処理される一方で、空間を乱す行為だけが強く断罪されるとき。
他配信者の名前出しへの即時注意や、内輪ネタの持ち込みへの強い拒否反応も同じ延長線上にある。
本来はローカルなマナーだったものが、いつの間にか「守らない人はおかしい」という語りに変わる。
ネタバレ禁止は、その構造がもっとも分かりやすく表面化した例にすぎない。
気になっているのは、配慮やマナーとして始まったものが、「疑う余地のない正しさ」に変わる瞬間だ。
だが、それが「守る人は正しい」「守らない人は人格に問題がある」という図式にまで拡張されるなら、それは秩序維持ではない。
推しを中心にした空間では、正しさが共有され、守ることが忠誠の証明になる。
そのとき、善悪の基準は「何が正しいか」ではなく、「その場にとって都合がいいかどうか」にすり替わっていないか。
もしその区別を問うこと自体が“空気を壊す態度”と処理されるなら──
それとも、空間の主導権を守るために
それとも、「疑わなくていい」という心地よさから来ているのか。
それを考えずに倫理だと言い切るのは、
正しさというより、ただの思考停止に近い。
そして、その問いを封じるなら──
それはもうマナーではない。
今回の第51回衆議院議員総選挙で神奈川19区で小選挙区も比例も維新に投票した。とにかく、社会保険料を低くして欲しい、持続可能な社会保険制度にして欲しい、というのが基本にあったが、自民・国民・維新の候補者も良く分からなかったので事務所に電話したり演説を聞いたり選挙公報見て判断した。正直第一候補は国民の候補だった。
## それぞれの候補について
・事務所に電話するもボランティアの中年女性の対応が微妙だった
・YouTubeやX等で見たが、全体的にふんわりしている感じがした。
・最終日に宮崎台駅で演説を聞こうと思ったが、奥さんのポエム調の演説が長かった。本人が選挙区に居るのになぜ奥さんがここまで演説するのか良く分からなかった。本人の演説も全体的にポエム調だった。ハーフの出自で微妙にアイデンティティー政治をしようとしているのが気になった。オバマの広島での演説を薄めた感じ。
・数か月前に赤沢大臣が公民館のようなところへ来て演説会をしていたときに認識はしていた
・事務所に電話して秘書の方が対応してもらったが、結局折り返しの電話なし
・Xで駅前で演説スケジュールを見て行くも、ビラも渡されず、本人から握手などもなかった。ボランティアの人たちと握手していた。本人はYouTube用のカメラに向かって話している感じだった。市議会議員なども演説していたが、そこまで当選させたい感はなかった。
・小泉大臣が来るということでわざわざ別のエリアにある駅に行ってみたが、警官の警備が厳しいわりに演説が全体的にポエム調で、リモートワークでやや時間の融通が利くとは言え10分ぐらいで退散した。
・最終日に宮前平駅の最後の演説も行ったが、動員数は非常に少なかった。高市総理が隣の選挙区まで来たのにこの選挙区には来なかった等内輪ネタ的な内容が多かった。演説後もボランティアの人たちと握手をして写真を撮り、その写真がSNSにアップロードされていた。ボランティアの方のために演説しているようにも感じた。
・菅さんの応援メッセージも見たが、神奈川2区の後継者へのメッセージとの熱量にやや困惑した。数十年前の菅さんだったら、少なくとも2回は握手出来ていたのではないか、と勝手に思った。
・選挙公報を見てそこまで悪くはないと感じた
・たまたま駅前の商業施設前で演説していたので、少し会話をして悪くないと感じた
・SNSやYouTubeの使い方は微妙だと感じたが、国民や自民の候補の組織運営能力と比べてそこまで差があるように思えなかった。
・最終日に宮前平駅の最後の演説も行ったが、微妙に遠いところに居たので、握手は求められなかった。
## 結果を受けて
神奈川19区は最後の最後まで結果が出なかった選挙区の一つで、エンタメとして面白く見ていた。結局国民の候補は借敗率9割以上で比例復活したが、こうしたギリギリの戦いが来り広げられたのも自分が体感した組織運営能力の稚拙さが表れているようにも思えた。
維新の候補は借敗率が3割台だったが、数パーセント高ければ同じく借敗率が3割台だった神奈川10区の維新の候補のように比例復活出来た選挙だった。最後の最後で目の前の自分に握手を求める人たち以外の人たちに語りかけるのを止めていた光景を思い出す。ちなみに、数日前に期日前投票でその本人の名前を書いていた。
この選挙区は人口の5%程度が毎年入れ替わる点、やや人口が増加している点が特徴だと思う。そのため常に新規にどのようにリーチしていくかが問われる。自民の候補は「多摩川格差」の是正なるものを訴えていたが、それは東京に通勤通学する前提の発想で、このエリアで職住近接した生活が出来るならば多摩川の向こうがどうなっていようが関係ない。実はこの地域のある駅のビルをシンガポールのファンドが購入し郊外型ラボにしようとするなど郊外でのオフィス供給の新しい展開があったりする。数年前の財政審議会の分科会で「社会資本整備総合交付金」を都心の再開発に投入する意味はあるのかというような問題提起があったが、そうした議論を発展させることも一つの方向性だと思う。
もともとはURが整備したいわゆる「歩者分離」の街並みが多いが、2000戸数程度のURの供給数だけでなく駅前の一等地で謎の商業活動を行っていたりする。都心一極集中が進むなか郊外にオフィス供給を作ることこそ民間が出来ないことであり、何故民間でも出来ることをわざわざその劣化版として独立行政法人が行う必要があるのか、などを昨今の住宅問題と絡めて議論を提起していくのも良いのではないか。
ちなみに、「歩者分離」の街並みだが自転車での移動が微妙に面倒くさい、国際プールなる施設も近くにあるが設備の劣化が著しい、横浜市営地下鉄が微妙過ぎる(東京メトロや東急に乗るときにすごく快適に感じる)、なども面白いと思う。この微妙な横浜市営地下鉄が新百合ヶ丘まで延伸したとしてどのようなメリットがあるのか、全く分からない。今年の5%の一人として。
とんでもない思い上がりだと思うんだよなあ。
特定の場面に対して「これはAのパクリだね。まあAもBのパクリなんだけどさ」みたいな事言うのが考察だと言い張る態度が本当に無理だ。
そしてそうやってドヤ顔するために名作をわざわざ2倍速で見る。
アホだ。
重要なのは何を引用してるとかオマージュしてるかとかじゃないだろ。
まあ、それが出来ないから必死になって「理論武装ゴッコ」をしてるんだろうけどさ。
それ自体はいいよ。そういう開き直りをして自分がさも立派な人間みたいな振りをしたがる気持ちは分かるよ。
でもそれを何世代も続けてきた果てに「俺はこういう風にロクロを回すんだって先輩や師匠の背中を見て学んできたんだ。ここじゃ元ネタあてクイズで百人一首出来るかどうかなんだ」みたいになるのは流石に違うだろ。
そんなのはメチルアルコールのことを本物のアルコールだと思いこんで生きていくようなもんだぞ。
なあ、そろそろ本当の「知識」に対して真剣に向き合った方がいいんじゃないのか?
もちろんそれは美術館に行って実物を見た名画の数を増やせとかシェイクスピアや聖書を原語で読めとかそういう話じゃない。
大事なのは「目の前にある表現物から作者のメッセージをちゃんと感じ取るために必要な能力」なんだよよ。
まあ、眼の前にある作品が単なるパロディで「はい、この元ネタ分かる人!分かったらオタクポイント10点!次の問題はちょっとマニアックだから20点だ!」でしかないこともあるけどよ・・・あるけどよぉ・・・そういうしょーもないボーナスポイントを本題だと思うのはもういい加減やめようぜ?
マジで俺はもう無理になってきてる。
このままオタクが表現を単なるオタククイズの手段にし続けるなら俺はもうついていけない。
本当にバカバカしいよ。
同窓会で教師の元ネタで盛り上がるような中身のなさを延々と続けてたらいつまでも心がガキのままだよ。
そしてこれは何もいわゆる「オタクコンテンツ」だけの話じゃないよ。
たとえばNHKの時代劇だってすぐに時代劇オタククイズとして俳優シャッフルみたいなことをして時代劇オタク同士でニタニタしようとする。
そういうのを有難がる消費者もしょーもないし、そういったしょーもない消費者に媚びようとする作り手のショボさは見てられない。
アホだよ。
電車図鑑を丸暗記したのをママに褒めてもらおうとする幼稚園児のレベルで創作や消費をするのはもう卒業しよう。
頼むぜ。
M-1見ていて真空ジェシカのネタに「しょこたんの転売ネタ」だの「粗品がTHE Wの審査でなんか言った」だの「フット後藤がどっかで噛んだ」だの、芸能ゴシップのネタばかりが織り込まれてて、知らねえからはっきり言って全然ついていけなかった。
知らんがなというものばかり。まとまりもない。「まーごめ」連呼の持ちネタも大鶴義丹の大昔の不倫がどうのというもので、これも古い芸能ゴシップをリサイクルし続けているもののようだし。知らねえよ。まず大鶴義丹の顔も分からない。
はてブには「真空が勝てなくて令和ロマンが勝つなんて納得いかない」だの、その手のコメントがつけられていたりしたが、アーカイブを見た令和ロマンの去年のネタにしろ今年優勝したたくろうにしろ、面白かった。
少なくとも知らねえ芸能ゴシップだらけでついていけない事態にはなってなかった。ずっとついていけて笑えた。納得できる優勝だと思った。
わっけがわかんねえからTwitterで「審査員のフット後藤が噛んだことをネタ中にいじっていた」等の説明を見たわ。馬鹿にしてんのか?あの会場にいたとしても少しも笑ってないと思う。ずっと芸能人の知らねえ失敗が羅列されてるだけだから。
というか、はてブでウケている真空ジェシカがこんなに芸能ゴシップ芸人だとは知らなかった。お前らこんなに芸能ゴシップについていってんの?そんで、芸能人のやらかし失敗ネタをただ並べるだけで即座に反応して笑えるの?全然ついていけない。
エバースとヤーレンズにはファンがいるのがわかる。会場の勢いをつけられなかった、のようななんともいえない空気のようなもので優勝を逃しているだけで、安定した実力を感じた。
たくろうの爆発には及ばなかったが、ドンデコルテのような芸風にこそ優勝を獲って欲しいタイプがいることも分かる。ヨネダも個人的にはあれは漫才じゃないと思うが笑ったのであれが好きな人もいるだろう(なぜか笑ってしまうが漫才じゃないから点は伸びないだろう)。
真空ジェシカには本当に引いたんだよな。ゴシップの羅列!しかもお笑いの界隈の内輪ネタ!盛り上がってる様子だったらM-1をTVerで見るだけみたいなタイプには全く元ネタが分からない。
ああいう内輪しか見てないような真似をして優勝してほしくない。そして真空ジェシカこそハイセンス!みたいな物言いをして他を腐し続けているブクマカのことは軽蔑する。悪目立ちしている。去年も一昨年も見た。「真空が優勝できないM-1がおかしい」というような物言いをする連中。
芸能ゴシップいじり羅列の早押しクイズのネタの何がどう優れているんだよ、なぜ他の芸人より評価されるべきだなどと言い切れるんだよ。教養でもなんでもないただのゴシップといじり。
笑ってないのはママタルトでも少しも笑っていないんだが、真空ジェシカについてはなんというか、不愉快だったわ。笑えないだけでなく胸糞悪かった。優勝した芸人を下げながらこのようなネタを「センスある」と持ち上げる行為についても、最悪という感想しかない。
別に2年前に配信内での内輪ネタをツイートしたなら炎上しなかったよ。
ただこの前のV全体の炎上でVが燃えやすい状況な訳じゃん。いくら内輪ネタでも燃えちゃうよそりゃー
この前の炎上もタレントの不祥事系と信者のヨシヨシキモいで燃えてたんだから信者飼い慣らさないと信者含めて叩かれるわけで、そういうの学習しないとダメだよ
サロメとデビルが同一だとか同一ならクソ多忙とか燃えてるのはそこじゃないし。飛び火してるサロメは可哀想だけど。でびるも後輩思いで立ち回り頑張ってるの知ってるから考えれば燃えるし燃えやすい今の時期にこんなことしてるのどうしたの?って感じ。
あとここで信者が何か言えば言うほど燃えるんだから信者も〜は悪くないとか開示請求チラつかせるんじゃなくて黙って欲しい。延焼させてる自覚持て
dorawiiより
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251115031755# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaRgtwgAKCRBwMdsubs4+ SApMAQCUAHsrdUdfyam1GUAST1V2LCA1Y8XYoJTYbrfzmJ7zJQD+KzOMrkYF8EFN UwMU7D8BgRF1OM98NHuox8e4Pr5KIwM= =+YZN -----END PGP SIGNATURE-----
昨日、最終話の6話目を観終えた。
本当にこれだけは言わせてくれ…とてつもなく感動した!!
ここで全然話題になっていないのが心底不思議なぐらいで、自分の中で今年アニメの最高傑作が決まったと思える瞬間さえ訪れた。
ほんと…これ以上のアニメは今年はもう出てこないだろうなと、深い嘆息とともに確信したよ。
最近のアニメを見ていると、制作側が意図的に悪人を消しているのが分かる。
敵役は出しても、その人にも背景や同情できる理由があると描く。いわゆるヘイト役を消していて、視聴者が誰にも怒りを向けないように作る。優しさの押し売りだ。制作陣の「これなら誰も傷つかないだろう」という配慮が透けて見えて、それが却って作品を薄っぺらくする。
子ども同士の無邪気さの中にある残酷さ、大人の無関心、運の悪さ、救いのない偶然。
それらをしっかり正面から描く。しかもそれを「陰鬱なだけの作品」にせず、感情の波を丁寧に作りながら見せてくるから、見終わった時の重みが本当に違った。
物語の中心にいるタコピーは、見た目こそ可愛いキャラクターだ。
だけど、その行動は善意だけでは語れない。純粋な優しさが、状況をどんどん悪化させていく。その過程は観ていて正直つらかった。でも、そのつらさこそがまさにこの作品の核心だと思う。
現実でもそうだ。良かれと思った行動が、結果として誰かを傷つけることはある。
優しさだけでは救えない状況は日常のそこかしこに転がっている。それをこれまでアニメは避けがちだった。だって、そんなの重すぎるから。フィクションの中ぐらいは平和でいてほしい。
タコピーの原罪はそこに手を伸ばした。否定される可能性が高いのに。最初から覚悟が違っていたんだよ。
そして、この作品が特別だと感じる理由はストーリーテリングが映画的だからだ。
現代のアニメは、アニメそのものをパロディ化して楽しむ傾向が強くなっている。
自己回帰的なメタ構造の中で、「アニメらしさ」を笑いに変えたり、オタク文化への内輪ネタを織り込んで満足したりする。
もちろんそういう作り方も一つの表現だ。しかしそればかりが増えると、アニメはアニメの殻から出られなくなる。自分たちの記号を再生産して遊んでいるだけになってしまう。
安易なパロディや可愛さだけを重視して満足するアニメとは違い、しっかり作品を作っていた。
六話という短い尺の中で、無駄を削ぎ落とし、必要なシーンだけで感情の起伏を構成する。
台詞や演出が過剰にならず、必要な分だけ観客に差し出す。それが実写映画や舞台で培われたような緊張感を生み出している。
明るく柔らかい色合いが、内容の重さとの対比を生み、タコピーの存在が異物であることを視覚的にも感じさせる。
日常的な背景描写にじわりと滲む不穏さが、観客に「これから何かが壊れる」という予感を植えつける。この「予感」の積み重ねが、観ていて心臓をずっと掴まれているような緊張感に変わっていく。
そして六話という短さが、むしろ物語に密度と緊迫感を与えている。
SNSでは「鬱アニメ」というラベルを貼られることもあったけど、私はそうは思わない。
鬱展開というのは、ただ視聴者を不快にさせるための装置にすぎないことが多い。
現実の残酷さを突きつけてくるけど、それは「人間を描くため」に必須だった痛みだ。
だからこそ観終わった後の余韻が深いし、ただ落ち込むだけじゃなく、自分の中に何かが残る。
六話見終わった後の静けさは、単なる満足感じゃない。心が動いた証拠だった。
いい作品を観ると、その世界が終わった後の空白がやたら大きく感じる。この作品は、その空白に現実の痛みと温もりを同時に置いていった。
だから私はこれを傑作と呼びたいし、呼ばなきゃいけない気がする。
服部良一も笠置シヅ子も、特に飛田給にゆかりがあるわけじゃないよな?って。
気になって調べてみたら、Jリーグチーム「FC東京」の応援歌だから、ということらしい。 飛田給駅はFC東京のホームスタジアムである味の素スタジアムの最寄り駅で、サポーターが得点時にこの曲を歌うそうだ。
なるほど、理由はわかった。
でも、それってサッカーファン、特にFC東京のサポーターじゃないとピンとこない理屈だよな。大半の乗客は「なんで今ここで東京ブギウギ?」って思ってるんじゃないだろうか。
こういうのって企画会議で決める時、「それって内輪ネタすぎません?」とか、誰も反対意見を言わなかったんだろうか。まあ、こうして採用されているんだから、誰も反対しなかったか、押し切られちゃったんだろうけど。ちょっとモヤっとする。
オタクやし頑張ってジークアクス観てみたけど全然おもんなかった。
よう考えたらエヴァもピンとこなかった。フリクリは気持ち悪いだけで終わった。シン系は壮大な二次創作見てるみたいで痛々しい。内輪ネタから外され続ける部外者みたいな気持ちやった。
おもしろいて言われてる作品はそこそこ観たけどぜ〜んぜんやった。鬼滅も進撃も全然や。やかましいだけだった。日常系は興味ないし、異世界モノも似たような話ばっかでうんざりや。革新が欲しい。
逆張りしてるわけでもないのにこんなんばっかや。思春期からずっと流行りに乗れんままきたクソザコやからやろか。嘆かわしい。
来世はなんも考えんと流行りにジャバジャバ乗れる人間になりたいなあ。
■追記
ネットの波に消えていくザコオタクの嘆きに反応あると思ってなかった。みなさんありがとう。
言われてみたらたしかにそうだな……と思えた部分があったので反省する。ただ作品に乗っかるために必要なひっかかりがどうも見つけられんことがあるので、これは物事の経験不足が原因かもしれんなあ〜とおもた。オタク業がんばる。
革新がほしい〜
自分が欲してる革新は既存世界の常識をブチ壊してくれるような「未来」というイメージだったが、異世界モノに求めるのはお門違いだったかもしれん。ガンダムは毎度新しいもの出してて偉いな〜と思う。
ひびめし、16bitはキャラデザもかわいいし良さそう。観てみるね。
ていぼう日誌はJK釣りモノでなんか驚いた。おもしろそう。楽しみ。
フリーレン、カイナ、アビス、無職転生は一応全部観た。けっこう好き。クオリティ高くて感動した。
進撃と銀英伝は途中まで観て力尽きちゃったから、もうちょい頑張ってみようかな。マギレコはすっかり忘れてた。思い出させてくれてサンキュッ。
好きジャンル
どのジャンルのオタクなのか自分でもよくわかってないが、SFがかなり好き。
今期だとアポカリプスホテルがとても良かった。最終話も楽しみにしてる。
精力的にアニメ観てないから古い作品になるけど、ファフナー、ガルガンティア、マジェプリ、シドニアあたりも好き。ガンダムだと00。サイコパスは機会を逃し続けてるがたぶん好き。定番の攻殻機動隊も全部好き。
ガイナ(カラー)だとトップ、トップ2もけっこう好き。トリガー作品もだいたい好きだわ。ちいかわもそこそこ好きよ。
作家だと神林長平、月村了衛、冲方丁、秋山瑞人がメチャクチャ好き。最近は佐藤究と竹田人造もすごい好き。草野原々、伴名練はまあ嫌いじゃないかな……。逢坂冬馬はなぜか読んでない。楽しみ。
■追加分
あらためて思うと流行作が持ってるユーモアと、自分がユーモアと思ってる部分が噛み合わないと「つまらん」と感じることが多いと気づいた。「つまらん」じゃなくて「笑えん」に言い換えるとつまらん判定した流行作も楽しめるかもしれん。
ジークアクスに関してはメカデザインが良くて楽しみにしてた分、ファースト未履修だと笑いどころが分からんのもあって「つまらん」になったのかも。
思い返せばそこそこ流行作を楽しんでたときもあるので、諦めずオタク続けよう。みんなサンキュ〜〜。書き方がよくわかってねえ増田ですまん。