はてなキーワード: プラスティックとは
3枚め、4枚めには重めのボードゲームが多くなさそう。
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以下は特に説明も不要そうなので基本的にタイトルのみ表記とする。
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たぶん次で最後。
消灯が早いので、起床時間前に目覚める。夜間に看護師がドレーンが首から外れていないかを懐中電灯で照らして確認するので、何回か目が覚めていたが、良く寝られたと感じる。前日しっかり食べたので、各段に体力が回復している。
しかし今日の目標は、明日ドレーンを抜いてもらうために無駄に動かない、である。
この日から通常の食事となる。朝食にはクロワッサンが登場。カロリーが高いメニューが続くが、完食し続ける。朝のバイタルチェックで、ドレーンにつながるプラスティック容器に本日の日付が書き込まれる。ちょっと多いですね、といわれる。今日もシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。声帯を動かすために小さくハミングをして音を鼻腔に響かせる。低音は問題ないが、高音は音が割れる。空気が声帯から漏れている。その後もときどき声帯を動かす練習を行った
水筒へ水を汲みに休憩所にいくと、同室のクレーム老女と歩行器老女がテレビを見ながら熱心に世間話をしていた。話し相手がいるのは良いことだ。気難しいタイプのクレーム老女と話の弾む歩行器老女のコミュニケーション能力の高さに感服する。
10時ごろ、診察室に入るとさらに初顔の若い茶髪の女性医師がいた。4人目の医師。主治医と同世代か少し若い。明日、内視鏡しますね、ドレーンは70mlか、明日は無理かもね、とコメント。そんな不吉なことを言わないでほしい。
ベッド上で体を起こさず、ウォークマンを聴いて過ごす。この5年ほど使用していなかったのだが、入院に際して役に立つかもと持参していたのだ。久々の充電にも問題なく動き、大容量メモリ内に保存されている懐かしい曲、プレイリストをノイズキャンセリングでゆっくりと聴く。
体力、気力が激減しているのでスマホは長時間みる気力がなく、本も読めない、スマホでソシャゲの周回を脳死でやる、という気持ちにもなれない。音楽は心の救いになった。特にクラシック音楽と中学生のときに熱中した音楽が良かった。
体のすべてのエネルギーが、傷の修復に投入されている。全身の体積からみるとほんの小さな傷のはずだが、生存に関わる危機だと体が判定している。村上春樹の「1Q84」で、傷ついた野良猫が隠れてじっと動かずにいるように、といった表現があったことを思い出す。そう、傷が治るまでは動けない、動いてはいけないのだ。
今日ドレーンは抜けなかった、明日退院はできない、仕事、連絡、請求書、入金、どうする、どうすると善後策をぐるぐる考え続ける。
昼過ぎ、バイタルチェックにきた看護師にドレーンの状況をきく。全然出てないですよー、と良い知らせ。
師長がアラサー女性のベッドに謝罪に来る。どうやら不手際が2日連続で起こっている。前日は医者、本日は看護師がやらかしたようだ。聞いていると確かにそれはまずいとしか言いようがない失態だった。大部屋にプライバシーというものは存在しない。
回診に来た主治医にドレーンを早く抜いてほしいと訴えるも、ここまで非常に順調に来たのだから少し待ちましょう、抜いた後に体液が溜まって再度穴をあけることになったら大変です、と諭される。
16時過ぎ、研修医がやってきて、傷口のチェックをしたあと、ドレーンからの排出液をためるプラスティック容器を見て首をかしげる。再度手術の傷跡を確認し、今度は主治医を連れてやってきた。主治医も首とドレーンをチェックする。どうやら突然体液の排出が止まったので、ドレーンが曲がっているか、詰まっているのではないかと確認にきたらしい。特に問題はなく、帰り際に主治医が研修医に明日処置の準備をというのが耳に入る。ひそかにガッツポーズを決める。
食事やバイタルチェック、掃除のとき、クレーム老女も看護師やスタッフにお礼を言うようになった。私をはじめ他の同室者が愛想よくお礼を言い続けたのでつられている。まあ、ようやってもらってると感謝しないといけないわな、ともつぶやく。病室の空気がかなり軽くなった。
夜中、寒さと鼻水で起きる。自宅でもときどき発生する現象だ。持参していた貼るカイロを腰に貼り、横になる。朝、鼻水がたまっているが、元気に目覚める。日々、もりもり回復していることを感じる。
朝食に分厚い食パンとバター、ジャムが出る。昼食、夕食はどんぶり椀の白米だし、とにかく炭水化物を取らせる方針のようだ。病院なので当然ながら、毎回塩分はかなり少なく、甘い味付けが多い。
横になってウォークマンでミュージカル、レ・ミゼラブルのサウンドトラックを聴き、感極まって涙を流していると時間が非常にランダムなバイタルチェックがやってくる。やばい、と慌てて態勢を整える。やたらと体温が高く、血圧も高すぎて看護師が眉を顰める。音楽を聴いて興奮していたので、とも言えずなんででしょうねーとあいまいにごまかす。
診察待ちの待機部屋で同室の歩行器老女と顔を合わせる。お話好きの老女はすすっ、と私の隣に座り、すぐに自分の病状を話し出した。マスクで隠れていたが、鼻の手術で顔が内出血が大変になことになっている。私も自分の手術痕について話をして、赤いのって目立ちますよねー、嫌ですよねーと、同病相哀れんだ。
9時過ぎの診察は、若い茶髪の女性医師。予告していた内視鏡を鼻から入れる。声帯を動かし、確認をすると、「うん、右に比べて少し遅れていますが、左の声帯も動いていますね!これならすぐに戻るでしょう」と良い結果になった。主治医も喜ぶだろう。
ドレーンのプラスティック容器と日付をチェックし、「20mlか、ぎりぎりだな、主治医の先生はなんて言ってました?」少し待ちましょう、と言っていたとは言わず「いやあ」笑ってごまかす。「ま、抜きますか」やったね!と心の中で快哉を叫ぶ。
透明の管を抜き、首にできた穴に巨大な防水絆創膏を貼る。この後、バイタルチェックで絆創膏の状況が確認されることになる。体液がにじみでないように、この日も安静に過ごすことを心の中でひそかに誓う。絆創膏に体液がたくさんにじみでて状況が悪いから再度ドレーン、退院NGです! という事態を避けたい。
ドレーンのプラスティック容器をつるす点滴スタンドと別れを告げて、歩きやすくなる。歩行器老女がすれ違う際に、ドレーン取れたのですね、よかったですね!と祝福してくれる。ありがとうございます!シャワーの予約に行き、看護師からもおお、取れましたか!と声がかかる。にこにこ笑ってお礼を言う。大変うれしい。
同室の若い女性と看護師が差額ベッド代について話している。現在の差額なし大部屋に入る前の病室の請求書のようだ。救急で運ばれたときに、家族が第一希望のほか、第二希望の部屋タイプにチェックをいれていたらしい。その第二希望部屋タイプのベッド代である。本人が希望したわけではないので、納得しがたいだろう。緊急入院する際に、そこまで気の回る人も少ないと思う。ただ希望は紙に記載してしまっている。状況はなかなか厳しい。
水筒に水を汲みに行く際、杖を突いて歩く同室のクレーム老女とすれ違う。突然話しかけるのははばかられるので、笑顔で会釈する。和顔施は仏の教え。
母に自宅から仕事用スマートフォンを持ってきてもらう。ざっと情報を流し、不在中に問題が発生していないことを確認、チャットで連絡を入れ、退院日の帰宅後からWeb会議に出る予定とする。大きな心配事が解消し、ようやく安堵する。あとは予定通り退院するだけ。スマートフォンは再度母に自宅に持ち帰ってもらう。
夕食前に、首の手術痕がぴりぴりとするのを感じる。鎮痛剤が切れたようだ。食後に飲む予定であるし、前倒して飲むほどではない。痛むというより、何かがピリッとした、神経が走った、という感じであった。
快調に目覚める。絆創膏は体液がにじんでもなく、きれいである。昨夜看護師に一度貼り替えましたか?と尋ねられたぐらいである。術後、傷の修復に全投入されてたエネルギーが、他の部分にも回ってきたのか、体に力を感じた。
この日は日曜日のため医師は不在、病棟から患者も看護師も激減し、イベントは食事と最低限のバイタルチェックだけで、大変に平和だった。土曜に退院したかったな……。
一番の問題は、私の体力である。前日まで安静に努めていたため、起き上がった姿勢で長時間いれるのか、はたまた長時間歩けるのか、公共交通機関で帰宅できるのか、不安になる。
慣れるしかないため、一時間のうちで起きる時間、横になる時間の割合を少しずつ変えてゆく。食事の量は変わらないのに軽く完食できるうえに、食間に空腹を覚えるほどになった。お見舞いでもらったミカンを食べる。
退院後に傷口をメンテナンスするためのテープの使い方を看護師から教わる。手術前に買っていたテープで、3か月ほどの期間なので、買い替えもいらないだろうという。私の手術跡は大変見えやすいところにあるので大丈夫だろうと言われる。耳の近くなど、鏡で確認しづらい位置に傷跡がある人は大変なようだ。
夕食後のトレイを戻して部屋に帰ろうとすると、クレーム老女が杖もなく一人で歩いてトレイを返却に向かっていた。驚いて思わず目を見張り、ついでにっこり笑って会釈する。
部屋に戻ると、クレーム老女が歩行器老女のトレイも下げようと申し出て、そんな、悪いですよ。大丈夫、私も少しは動く練習しないといけないしね、とやりとりをしているのが聞こえる。誰も悪い人はいないのだ。
真っ赤な一文字の傷跡も、やや色が薄まり、幅が狭くなってきた。
快調に目覚め、しっかりと朝食をとる。母から今日は寒い、気を付けてとLINE。うん、持ってきた服で帰るしかないのだけどね。
診察待機部屋では、退院前の患者が私服で集まる。もう歩行器が不要になった同室の老女とお互いに退院を祝いあう。歩行器老女が先に呼ばれた後、残された若い男性と向き合う。「同じ部屋だったんですよ。男の人の部屋はお話したりしますか」「いや、まったく、全然です」老人ホームやデイケアで女性利用者同士はおしゃべりをするが、男性はしない、という話を思い出した。話をするほうがメンタルには良いと思う。
2日ぶりに主治医と診察で会う。退院ですね、では取りましょう!とドレーン穴に貼った巨大絆創膏を慎重にはがす。穴に貼る小さなシールを研修医が用意して手渡すが、主治医が首を傾げ、いや、いらないですね。このままで。となる。何かにじんできたら、市販の絆創膏貼ればいいです。と言われる。
あまり痛みを感じないのだが、鎮痛剤は飲まなければ痛むのか、処方が切れたあとに痛んだらバファリンなど市販薬を飲めばよいのか、と確認する。甲状腺はあまり痛まないという人が多い、痛まないならもう飲まなくてよい、余った薬は痛んだ時にとんぷくとして服用すればよい、とのことだった。
テープの使い方は教わりましたか、と確認される。はい、すぐに貼るんですよね? いや、ボンドが取れてから!と訂正される。一週間ほどで透明のボンドがボロボロと自然に剥がれ落ちるので、そのあとからテープでメンテをするようにと指示される。
改めてお礼を述べ、頭を下げて別れを告げる。
自動精算機で会計をする。高額療養費に関する申請は自動で行われると説明を受けており、マイナンバーカードの恩恵にあずかる。10万弱の表示に安堵する。命のほうが大切であり、お金のことは考えないようにしていたが、常に不安がどこかにあった。がん保険などに入っていなくても何とかなるものである。自分の治療に関わった人の数、労働時間、機材、薬剤を考慮すると、アメリカなら破産しているかもしれないと思った。
優先座席を利用させてもらい、公共交通機関で一人で無事に帰宅する。
昼過ぎ、ぴりぴりしたものを首に感じる。特に痛くはないので薬をのまずにやり過ごす。その後は鎮痛剤なしで問題なかった。
6日ぶりに誰もいない自宅で一人で過ごす。感受性が高く内向的な自分にとって、これが快適で最適な環境だと何十年も思っていた。入院中は24時間、常に人の気配を感じていた。四六時中トラブルと騒音が発生していた。突然一人の静けさが身に染みて、誰かと暮らすのも悪くはないかも、と思う自分に驚いた。
がんの疑いから32日目で手術、治療開始となった。RTA頑張った。
反省点として、生検から告知まで2週間かかっており、もっと早い日にしてほしいと依頼していれば日数は7日ほど短縮できていた可能性が高い。患者からの働きかけを躊躇してはいけなかった。ただ、様々な関係者のご厚意と尽力で最善に近い対応ができたと考えている。改めて感謝をしたい。
これからのがん治療予定は、摘出した甲状腺から筋肉への転移可能性の検査、甲状腺機能が右半分だけで保持されているかの検査、問題なければ10年間の経過観察となる。
退院直後から仕事を再開し、家事、炊事を始めた。自覚する体力ゲージは以下のように推移した。
| 入院前 | 100 |
| 手術直後 | 0 |
| 術後1日目 | 5 |
| 術後2日目 | 10 |
| 術後3日目 | 15 |
| 術後4日目 | 20 |
| 退院日 | 30 |
| 退院1日目 | 60 →いきなり上がる。 |
| 退院2日目 | 70 |
日常生活でいかに体を使っているか、外科手術・入院がいかに体力・筋力を低下させフレイルとなるのかを実感した。体重は入院前後で変動なしだったが、筋肉量がかなり落ちた。可能なかぎり手術・入院をしなくてすむように、健康に留意して生活をしたい。
長文を最後までお読みいただきありがとうございます。どなたかの参考となればと記録を残しましたが、私には長年の強度の高い運動習慣があり、年齢平均よりは体力・筋力があることを申し添えます。
一番良いことは、この記録が参考となる事態が発生しないことです。
長期間自宅を開ける準備をして、何度も戸締りを確認し、家を出る。万が一のための連絡先、パスワードを机の上に残す。
指定された10時に病院に行き、使い方も慣れてきた自動受付機に診察券を入れると予約なしとカードが戻されてしまった。戸惑っていると、初めて来たときに案内してくれた初老の男性が入院はこちらですと案内してくれ順番カードをとってくれた。荷物を見れば入院患者であることは一目瞭然なのだ。
マイナンバーカードの登録、レンタル着のサイズ、各種書類の確認後、病棟に向かう。
病棟で身長体重測定後、部屋に案内される。他の患者もいる大部屋だが妙に広い。希望タイプが今日は満室なので今日はここで、明日空き次第移動するという。希望していないタイプの部屋であるため、差額ベッド代はかからないとのこと。良かったと安堵するが、明日手術だよね、どうやって移動するんだと不安になる。
入院患者識別用の氏名年齢血液タイプバーコード付き耐水コーティング紙が手首にまかれる。退院まで取らないようにと注意される。手術の開始時間は11時。2件目の手術となるため、前の手術終了時間により前後するとのこと。足首、ふくらはぎの太さを測り、手術着と弾性ストッキングを渡される。10時までに着替えるようにと指示。LINEで母に手術開始予定時間を伝える。
主治医がベッドまで挨拶に来てくれる。手の甲に「左」とマジックペンで書かれる。エコー、CT画像の左右について確認をする。気管と甲状腺腫瘍の位置関係についてきくと、「そうです! 足元から写すので左右逆になります」
画像を思い出すと、気管が円となっていた。体の正面から撮れば、気管は上下に伸びる直方体となるわけで、円になっている時点で喉を垂直にスライスした画像だと気づくべきだった。
午後には、薬剤師がやってきて手術後から毎食後に服用する痛み止めと胃薬を渡される。看護師から首の手術跡を保護するためのテープを売店で買ってくるように指示を受け、病棟から売店に向かう。外来患者もゆきかう売店のあるエリアから入院病棟に戻るエレベータが満員でなかなか乗れない。車いすの入院患者が先に待っていたので、空いていたエレベータに乗るように促すが、後でいいと首を振られた。後日実感したが、入院中はあまりにも暇なので、急いでいる人がいればお先にどうぞどうぞ、という気持ちになる。早く病室にもどったところでやることはないのだ。外にいるほうが気がまぎれる。
何も他にすることがなく、持参した文庫本を三分の一まで読み進む。早々に読み切ってしまうのではと心配したが、その後しばらく本を読むような余裕はなかったので問題なかった。
昼食の量が多いな、と思っていたのだが夕食はさらに量が多かった。白米が茶碗ではなくどんぶりサイズで出てくる。食事トレイは可能であれば自分で返却してください、と言われていたので、半分を残し、自分でトレイをワゴンに下げにいくと、トレイにセロハンテープで留められている小さなメニュー票(氏名付き)は取らないように、と看護師に注意される。
すぐにわかったのだが、どれだけ食べたかはすべてチェックされ、完食できていない場合栄養士がやってきてどのような味、形状、硬さなら食べられるかを確認するのだ。これにはうかつな回答ができない。白米の炊き具合が自分にとって硬すぎると回答した老人が、その後おかゆと麺類のみとなり、退院したらもうしばらく麺は食べたくない、と嘆いているのが耳に入った。
翌日からしばらくシャワー禁止となるので、シャワーを浴び、念入りに頭を洗う。シャワー室は2つ、予約制で時間は20分。要介護の患者にも対応しているためか、シャワールームがかなり広い。
21時から手術前の絶食が開始となった。ベッドの上に氏名、絶食開始時間、絶飲開始時間を記載された紙がでかでかと掲示されている。
4人部屋は満室で、耳栓をして健やかに寝た。入院するまでの間、何か忘れていないか、準備に手落ちはないかと、落ち着かない緊張状態が長く続いていた。もはや自分にできることは何もない、まな板の上のコイとなり、墜落するように寝た。
早めに寝たため、朝5時に目覚める。起床時間は6時。同室者を起こさないようにトイレに行き、給茶機で水を飲む。6時半から絶飲となるので、最後の水だ。
7時の朝食時間経過後、看護師が各ベッドを巡回し、体温・血圧・血中酸素飽和度を記録する。手術前に移動する、というので荷物をまとめる。
9時半、落ち着かないので早めに手術着に着替え、弾性ストッキングをはく。すぐに看護師がやってきて点滴用の針を腕に刺し、チューブを固定する。更に他の看護師もやってきて、もうすぐ部屋が空きますから!という。前の患者の退院を待っている状態。
10時40分、空きました!と声がかかり、荷物をキャスター付き机にのせ、点滴スタンドとともに、机ごと部屋を移動する。移動先の部屋で、荷物を開け、手術直後に必要となりそうなもの(コップ、水筒、ティッシュ、マスク、タオル等々)を取りやすそうな位置に置く。
10時50分、手術室へ案内するという若い人懐こそうな看護師がやってきて、自分で歩いて移動を開始する。通常のエレベータを使おうとすると、大混雑中だったので、関係者専用のベッドが3台ほど乗りそうな広いエレベータにぽつんと二人だけ乗って手術フロアに移動する。
11時前、手術室の前で待機。緊張状態の患者に何くれとなく同伴の看護師が話しかけてくれる。誰かといる、ということが必要なケアであることが感じられる。手術フロアは、廊下があり得ないほど広い。ベッドに乗せられた患者が廊下のあちらからこちらからと行き交っても全く問題ない広さである。他の手術室から、朝一の手術が終わったと思われる患者が移動式ベッドでガラガラと運ばれていった。
ほとんど時間通りに手術室に招き入れられる。想像していたより3倍は広い。患者は一人なのに不釣り合いに感じる。医療漫画でみるように、ガラス窓の向こうには見学室のようなものもある。ここでベッドに乗る。小柄な私でも幅が狭いと思うベッドなので、体格の良い男性であれば大きくはみ出るだろう。麻酔をする前に、仰向けに寝て少し膝を曲げた態勢で手足が固定される。
手術を担当してくれる看護師や主治医が横たわった私に挨拶をしてくれる。よろしくお願いします。としか言えない。名前は右から左でとても覚えられない。全身が白く覆われ、目の部分しか露出していない看護師たちはやたら目力が強く、いつか見た中東のマッチングアプリの女性がならんだ画像が頭に浮かんだ。
麻酔のマスクが口に当てられると、その次の瞬間には手術が終わっていた。
名前を呼ばれ、終わりましたよ!と声を掛けられ目を開ける。周りを取り囲んだ3、4名の看護師たちに、手を動して、足を動かして、と立て続けに指示される。何か聞きたいかと言われ、今何時かと聞く。13時XX分ですよ(もはや記憶にない)。輸血はしたか、と聞くとしていませんと回答。その後も足を動かしてみたりと確認が続く。とりわけ目力の強い看護師が笑顔で大丈夫ですか、何かききたいことはありますかと聞いてくれる。気管は切りましたか、と尋ねると、笑顔が固まってそれは先生に聞かないとわからないという。え?そうなの?
冷静に考えると、術後の意識レベルの確認をされている患者が聞くことではなかった。しかし、意識が飛ぶようなつまらない会議でも意見を求められたら瞬時に適切な意見を述べる反射神経が鍛えられているので、何かありますか、と聞かれたら、ついつい意味のある質問をしなくては!と反応してしまうのだ。
そこで記憶は途絶え、気が付くと病室にいた。
鼻から酸素チューブが伸び、点滴スタンドから手首に点滴が行われ、首からは透明の管(以下、ドレーン)が出ている。
おそらくは手術から30分経過。意識の確認、体温、血圧、血中酸素飽和度が測られる。
その後、1時間置きにバイタル、痛み、しびれ、麻痺を確認される。痛みは感じないが、口がカラカラだと訴えてもそれは仕方ないとスルーされる。起き上がってはいけない。絶対安静。断続的に睡眠と覚醒を繰り返す。自分で体を動かすことができない。
15時ごろ主治医がベッドサイドにやってきて、気管は切らなかったと教えてくれた。
16時半、看護師がやってきてベッドから起き上がるようにと指示をする。鼻から酸素チューブを抜く。水を口に含んで飲むと、大きくむせる。「むせてますね」すかさずパソコンに記録される。生理食塩水に加え、抗生物質が点滴される。首のドレーンの先はシャンプーを入れるような透明なプラスチック容器で、赤い液体が少したまっていた。点滴スタンドを押して、歩行可能であることを確認する。トイレは自力で行くということだなと理解する。母親と友人にLINEで手術終了、意識回復を連絡する。倒れるように横になるが、自分で体をずらして体位を動かせるようになった。
17時頃、主治医がやってくる。傷口、ドレーンをチェックして「順調ですね」と満足げに帰る。
手術後少しそれこそ10歩ほど歩いただけなのに力尽きて横になっていると、18時すぎに流動食が運ばれてきた。まったくお腹が空いていない。しかし、食べるべきだろうと体を起こす。体に力がない。全くない。エネルギーが完全に切れているのだ。トレイのメニュー票には、重湯、スープ、栄養ジュースの他、手書きで「牛乳」が追加されていた。これは「君なら飲めるよね?」という挑戦なのだろうか。おお、飲んでやろうじゃないか。と気合を入れる。しかし、少し重湯を数口入れるだけで胃が重い。少し食べては横になって休憩をし、時間をかけて食べ続ける。水分ばかりでお腹がちゃぽちゃぽ限界を感じたので、カロリーのありそうなものを優先し、無色透明のスープを半分残し、あとは完食した。食後の痛み止めの服薬を開始する。
19時ごろ、主治医が見慣れない若い女性を伴ってやってきた。研修医だという。退院まで回診などに来るという。いかにも生真面目で肩に力が入っている。よろしくお願いしますと挨拶をする。
しばらくのち、トイレに立ち、ふと病室の入り口にある洗面台の鏡を見て、愕然とする。首の左に手術の傷口があるのかと思えば、首のど真ん中に真っ赤な一文字がひかれていた。やや左が長い。切開痕から更に左へ三センチほどずれたところから透明な管、ドレーンが出ている。透明なボンドで留めてあるので傷口が丸見えなのだ。まるでフランケンシュタインだ。ただ、高さは想定よりかなり低く鎖骨の直上ぐらいであり、襟足の短いハイネックでも十分隠せるだろうというのが慰めだった。
初めて目にする赤い傷跡は、衝撃だった。
夜間、点滴、ドレーンの確認見回りにくる看護師の懐中電灯に何度か起こされるも、十分に眠れた感覚をもって起床時間前に目覚める。明らかに前日の夕方より体力が回復している。
起床時間後、看護師が巡回し入院患者のバイタルチェック、お通じ確認などが行われる。前日濃い紅だったドレーンの液体が、透明なオレンジ色になっている。質問をすると「おー、順調ですね!」と言われる。出血が止まってきたサインだという。プラスティック容器に、本日の日付の印がマジックペンで記載される。メモリがあり何mlたまっているかわかる仕組みになっている。
7時過ぎに朝食がくる。おかゆ、牛乳、バナナ。量が多くないですか? とにかく回復のために気合を入れて食べる。気持ちは完全にフードファイター。
トイレ、給水で廊下を歩くたびにすれ違う人を傷あとでビビらせている気がする。傷口をこれだけさらしている患者が他に見当たらない。しかしドレーンの管が皮膚に張り付けられており、隠すことも難しい状況だ。そもそも見た目を取り繕い、整えようとする気力がない。
9時すぎから、入院患者の診察が始まる。入院フロアにある診察用の部屋に順番に呼ばれる。呼びに来たのが昨日の手術室で会った目力つよつよ看護師だった。診察は初顔の中年男性の医師だった。手術をした三人のうちの一人だろうか、年齢的に主治医の上司だろうと推測する。傷口、ドレーンを念入りに確認し、鼻から内視鏡を入れる。声帯を動かしてチェックをする。「水でむせていたらしいですが、左の声帯が動いていないですね」という。手術で声帯のまわりをひっぱったので、一時的な麻痺で戻る可能性は高いという。
そうか、手術の影響がでているか、と少し落ち込む。声帯機能の低下により、声がかすれる、割れる、嚥下がしづらくなるという事前のリスク説明は確かにあった。
12時すぎに昼食。おかゆ、魚、カボチャ、サラダ、お吸い物とやはり完食するにはかなり気合が必要な量がやってくる。とにかくおかゆの量が多い。
食後、抗生物質の点滴が始まる。これが終われば、生理食塩水の点滴が残っていても点滴は終わりになるという。これだけ食べていれば点滴でエネルギーを補給する必要はないだろう。
大部屋の病室内でトラブルが発生する。80を軽く超えている老女の大切な持ち物が紛失したという。入院期間が長く、別のフロアからの移動もあった。不機嫌で怒りが爆発している老女を4、5人の看護師がなだめながらあらゆる引き出し、荷物を開けてゆく。更に老女の怒りの声が響き渡る。クレームの内容は持ち物から、病院、看護師、訪問看護師、息子、嫁と際限なく広がっていく。
通常であれば、トラブルの現場から遠ざかればよいのだが、ほとんど動く力がない。他の同室者はとっくに出ていった。あきらめの極致で聞くとはなしに聞いていたが、だんだんとこの老女は寂しいのだな、と理解した。一人暮らしで人工肛門で訪問看護を受けていて、普通の会話では相手にしてもらえない。クレームであれば、立場の弱いものが応対せざるを得ない。
15時すぎ、母が見舞いにくる。携帯を指定したのに、手術後病院から携帯ではない家電話に連絡があり、父親が対応したらしい。私が受けるつもりだったのにとぷりぷり怒っている。さらに、数日前家族がけがをして救急車で運ばれていたのだと、新事実を知る。何か色々話したいことが溜まりすぎているようで話が止まらない。座った姿勢で話を聞き、うん、うん、と相槌を打ちながらドレーンを見ると、赤い液体が出てきている。やばいのでは。
更に追い打ちをかけるように診察の案内がやってくる。母を待たせて診察室に行く。またもや初顔の中年女性の医師。手術対応の3人目だろうか。年齢的にこの人も主治医の上司に見える。傷口を確認し、腫れていないですね、と頷く。ドレーンの先のボトルを見て、明日抜くのは無理かな、ちょっと多いなとコメント。ええ、さっきからいけてない気がしていました。
この日手術結果のチェックに来たような中年医師2名と手術室の看護師は、その後会うことはなかった。
とにかく退院するには、ドレーンを抜く必要がある。起き上がると体液が出やすくなる、と理解する。可能な限り横になって過ごすこととする。ベッドに横たわったままドレーンと、声帯についてスマートフォンで調べ続けた。ドレーンがあるためシャワー禁止で、おしぼりで体をふき、ドライシャンプーをする。
今まで頭を占拠していた手術の結果が良好だったため、仕事の心配が始まる。
定例会議の日程、今月の予定、必要な連絡などが頭をぐるぐるする。早く退院しなくてはと焦りだす。
16時過ぎ、主治医が病室にやってくる。再度内視鏡を入れて声帯を見たいという。一時的に麻痺していても三か月ぐらいで大抵は戻るのだが、手術で神経には触らなかったので、状況を確認したいという。おそらく、手術については自信があったのだろう。手術の結果一時的にしろ麻痺が発生した、という判定は不服なのだと思われた。
頻繁に確認されるのだが、不思議なほどに首の手術のあとは痛まない。私は8時間以上寝ると頭の重みで頭痛になる。この24時間で21時間ぐらい横になっているのにまったく頭痛がしない。鎮痛剤ってすごいな、と感心する。
新たに同じ病室入ってきたアラサー女性は、救急車で病院に担ぎ込まれたらしく、平静を装っているが自分の重大な病気をまだ受容できていない。時折上ずる声が痛々しくアラフィフおばさんの胸が痛む。
病室内の空気が重すぎる。看護師がバイタルチェックや食事を運んできたときに、意識して明るく大きな声で「ありがとうございまーす」と返事をする。よどみすぎている空気を軽くしたい。
タイトル通り。
特に毒親とかではないと思う素晴らしい両親と同居して都心から遠い以外は問題なかったが、父がコロナにかかって衛生観念が違いすぎることをきっかけに一人暮らしを検討し始めた。
思ったより物件探しって大変なんだね
以下条件
①食にこだわりがある
②聴覚過敏
冷蔵庫の音に耐えられないから台所とキッチンの間にドアがほしい(ウィークリーマンションやホテル滞在を経て耐えらえないと知った)
③人の気配が怖い
渋谷まで急行で40分、ド郊外目の前公園THE閑静な住宅地の戸建だったのでマンションの上下左右に人がいる状態が怖い。滞在したウィークリーマンションだと足音・くしゃみ・廊下の音・窓の外の音に驚いた。浜松町近辺に住む友達のちょっといいメゾネットマンションにお邪魔した時も電車の音が四六時中聞こえてびっくりした。一言で言えば慣れだろうけどうっすら人間が全体的に気持ち悪いので不安
④東京23区が好き
これが条件として本当にきつい。でもそうなのだから仕方ない。中高で遊んだ街なので愛着がある。
なに甘えとるんじゃ現実見ろ!我慢せえ!もっと稼げ!予算に応じて場所変えろ!なんだろうけどいまの障害者雇用は都内外国系で人間関係もよく理解があるありがたすぎる職場&自分の専門性を活かせてるので転職して手取りを増やすのはすぐできるかというと難しい。
しかし同時に23区、特に真ん中ゾーンで10万未満の部屋を望む方がもちろん気が狂っている。ただ郊外住み→都内私立中高と大学に通学し続けた歴史を持っており、移動時間が長すぎなことが半分「恨み」に変わってきてるから都内一人暮らしで成仏させたい。
⑤日当たり
というより蛍光灯・シーリングライトが苦手。感覚過敏の一種だと思うが目、というより身体中が痛くなる感じに近い。できれば日中は電気をつけたくない
確かに自分は握力が10kgいかないので、何かあったら終わり。
⑦洗濯
汚い話で申し訳ないが究極に汚れるまで着て洗濯の仕方がわからなくて捨てたことが何度もある。
洗い終わったのに干すの忘れちゃって腐らせたこともある。オキシ漬け?も1週間放置した前科がある
多分乾燥機?つきのを買わないといけないんだけど予算的に難しいのでは?
⑧ゴミ捨て
これもよくわかっていない
24時間が絶対いいらしいというのは知ってるが、そもそも分別の基準がよくわからない
缶は洗うのか?ビンカンと書いてあるが明らかに違う物質を同じ袋に入れていいのか?この辺は学習できると思うけど、うっかり不注意が多く、怒られる未来しか見えなくてもう怖い(うっかりって気づかないし未然にチェックなどは膨大なエネルギーがかかるからまじ怖い)
⑨完全遮光
アイマスクすればいいと最近気づいたけど感触に慣れないからどうなんだろうね?
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以上なんとなく寝れなくてだらだらまとめただけだから読みにくくてごめん(ここまで読んでくれた人いるのかもわからんが)
キモい感覚持ちに生まれたらそれ満足させるためにお金要る→しかしキモい感覚持ちなのでお金稼ぎにくい のハメ技やめて欲しいよ〜〜😭
こんな感じで探せたら奇跡よな、多分妥協していくんだろうけど(ゆうて最上階・南向き・駅近・光ファイバーなどは初期の段階で捨ててこれ)
まあASDとか耳目を集める属性タイトルにした(卑しいね)けど、みんな大なり小なり家探しは大変だよねー こんな条件で見つかるのかな?笑って感じだけどやってみるわ
いい家みつかればいいなー進捗あったらまた書くね
寝れない夜の駄文でした
https://anond.hatelabo.jp/20250717031838
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20250717031838
新幹線の上座とかしょうもない枝葉の末節みたいなマナーじゃなくて最強の千代田区一丁目一番地の本丸のセントラルドグマに乗り込まなきゃだめだろ。
だいたいあの正しい箸の持ち方はそもそも突き詰めると全く正しくない。
というかなんなの?あの中指の「添え感」。
無駄すぎる。洗練されてない。
箸なんか突き詰めれば道具なんだし道具としての効率性を追求してこそ美しさが際立ってくるのを全く分かってない。
道具としての箸とはなにかといえば対象の正確な把持・移動を目的としたピッキングツールなわけ。
つまりその真の正しさはエンドウ豆を皿から皿へとうつすタイムでしか決められないってこと。
究極的には薬指と中指をそれぞれ箸にぴったりとつけて各指の延長線として箸を使うほうが断然エイム改善する。
これは「道具とは何か、それは身体の延長である」という道具の本質にテキストブック無しで辿り着ける者であれば自ずと到達する解。
ただしゲーマーがコントローラーの持ち方やキーアサインに我流を持つのと一緒でそれぞれの究極を追求する者たちにとっての究極の持ち方が存在する。
ここでは道具とは効率を追求するものであるという本質が優先する。
いずれにせよ戦場では効率こそが美しさを決定する。マナー講師が言う見かけ上の所作の美しさみたいなのは戦場では全く役に立たない。
まあ批判すべきマナーとしては「包丁のねこの手」こそが圧倒的な真のワシントンディストリクトオブコロンビア一丁目一番地の本丸なんだがまあその話はまたの機会に。
(追記)
おもいのほかトラバブクマあつまったな。てかめっちゃ気づくの遅れたわ。ワイこんなん書いてたっけ?ってくらい遅れたけどとりあえずみんなサンキューですわ。
“エンドウ豆を皿から皿へとうつすタイムでしか決められない” それで測れるのは短距離走のスコアだが、日常的に箸を使う上では疲労度(肉体負担の少なさ)や安定度(エイムミスの少なさ)も重要ではないだろうか。
んだよなーそうなんだよなあー食うスピードなんかによって最適解(ベストプラクティスオブプラスティックチョップスティックス)があるはずなんだよな。
ワイレベルになると食物はもう極超音速で消去する感じだからな。もう冷蔵庫のプリンがソニックブームを発するレベル。
そう。もうその域になるともう「手」なんよな。
左手は不浄もクソもないので両手で食えるし。
箸なんて両手で持ってらんねーよな?つまりそういうこと。
89.小泉今日子‐あなたに会えてよかった(1991)
88.サザンオールスターズ‐勝手にシンドバッド(1978)
98.子門真人‐およげ たいやきくん(1975)
83.JUDY AND MARY‐そばかす(1996)
71.B'z‐ultra soul(2001)
60.Flipper's Guitar‐恋とマシンガン(1990)
49.My Little Lover‐Hello,Again~昔からある場所~(1995)
47.DREAMS COME TRUE‐LOVE LOVE OVE(1995)
42.globe‐FACES PLACES(1997)
37.米米CLUB‐君がいるだけで(1992)
34.テレサ・テン‐時の流れに身をまかせ(1986)
30.安室奈美恵‐CAN YOU CELEBRATE?(1997)
29.THE BLUE HEARTS‐青空(1989)
27.MISIA‐Everything(2000)
26.CHAGE and ASKA‐SAY YES(1991)
15.Mr.Children‐Tomorrow never knows(1994)
14.サザンオールスターズ‐TSUNAMI(2000)
5.小沢健二 featuring スチャダラパー‐今夜はブギーバック(1994)
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この辺順不同で同意。偉大というか自分が好きという感覚だけど。
B'z LOVE PHANTOM
H2O 思い出がいっぱい
98.子門真人‐およげ たいやきくん(1975)
95.THE MICHELLE GUN ELEPHANT‐世界の終わり(1996)
89.小泉今日子‐あなたに会えてよかった(1991)
88.サザンオールスターズ‐勝手にシンドバッド(1978)
83.JUDY AND MARY‐そばかす(1996)
82.藤圭子‐圭子の夢は夜ひらく(1970)
80.松村和子‐帰ってこいよ(1980)
73.あみん‐待つわ(1982)
71.B'z‐ultra soul(2001)
69.神聖かまってちゃん‐ロックンロールは鳴り止まないっ(2010)
62.旅立ちの日に(1991)
61.吉幾三‐酒よ(1988)
60.Flipper's Guitar‐恋とマシンガン(1990)
54.内山田洋とクールファイブ‐東京砂漠(1976)
52.AKB48‐恋するフォーチュンクッキー(2013)
49.My Little Lover‐Hello,Again~昔からある場所~(1995)
47.DREAMS COME TRUE‐LOVE LOVE OVE(1995)
46.ザ・キング・トーンズ‐グッド・ナイト・ベイビー(1968)
42.globe‐FACES PLACES(1997)
39.杏里‐オリビアを聴きながら(1978)
34.テレサ・テン‐時の流れに身をまかせ(1986)
30.安室奈美恵‐CAN YOU CELEBRATE?(1997)
29.THE BLUE HEARTS‐青空(1989)
27.MISIA‐Everything(2000)
26.CHAGE and ASKA‐SAY YES(1991)
21.BUMP OF CHICKEN‐天体観測(2001)
18.Official髭男dism‐Pretender(2019)
15.Mr.Children‐Tomorrow never knows(1994)
14.サザンオールスターズ‐TSUNAMI(2000)
9.ORIGINAL LOVE‐接吻(1993)
5.小沢健二 featuring スチャダラパー‐今夜はブギーバック(1994)
【追記】
選定基準は私の趣味趣向が3%、後は時代と大衆に愛された曲を歴代レコ大受賞曲や様々なランキングを調べながらなるべく幅広く選んだつもり。ローリングストーン誌の「500 Greatest Songs of All Time」の邦楽verをネットで探したけれど無かったので自分で作った。本当は500曲選びたかったけれど体力が持たない。好き勝手に選んだので好き勝手に批評してほしい。
最寄りのコンビニまで徒歩1時間半かかるようなド田舎村の3世帯家族、“茶の間で家族団欒チャンネルはNHK”文化の中で育ったので「歌謡コンサート」には猛烈に影響を受けた。だからこそ日本の隅から隅まで年代を問わず染み込んだ音楽を“偉大”とした。
新築のかなり世帯数の多いマンションに昨年入居したが、だんだんとゴミ捨て場のモラルが下がってきた。
住んでいる地域は確かにゴミ捨てのルールが細かい上に、燃えるゴミや燃えないゴミは有料ゴミ袋が必要な一方で、プラスティックや缶・ペットボトルは普通のビニール袋でよいので、本来であれば有料ゴミ袋で捨てるべきものをプラスティックや缶・ペットボトルに混ぜる人が後を絶たない。
はじめは恐らく1人がそのような出し方をしていたが、そのゴミが回収されずに放置されている内に他の人も適当に出すようになってきた。
いつまでも放置しておく訳にはいかないので、最終的には自治会員が分別を行い、自治会費からゴミ袋代や粗大ゴミ回収代を払うことになる。
自治会も、犯人の顔写真を掲示することや、直接指導することをチラつかせたものの、一向に分別されていないゴミが減る気配はない。
犯人としては、分別の手間やゴミ袋代が浮くことと比べれば、顔写真が掲示されて多少マンションの中で気まずくなったとて大した問題ではないのだろう。確かにその気持ちは分からんでもない。
正直、ここまで面の皮の厚い奴にゴミ捨てのルールを守らせるにはどうすればよいか何も思い浮かばないのだが、増田の皆さんは何かアイデアあるだろうか?