はてなキーワード: つぶやきとは
2026/04/24 11億も抜かれてて草。筋肉削ぎ落とされたというか骨まで見えてるやろ。キャッシュフロー維持できても優秀な層から転職していきそうやな。情弱ワイ、AI解説に感謝やで
2026/04/26 はてなオワタww11億飛ばすとか管理体制ガバガバすぎやろ。社員のボーナス消滅不可避で草。はてブが無くなる前に供養しとくわ
「あ、鳴つた。」
と言つて、父はペンを置いて立ち上る。警報くらゐでは立ち上らぬのだが、高射砲が鳴り出すと、仕事をやめて、五歳の女の子に防空頭巾をかぶせ、これを抱きかかへて防空壕にはひる。既に、母は二歳の男の子を背負つて壕の奥にうずくまつてゐる。
「近いやうだね。」
「ええ。どうも、この壕は窮屈で。」
「さうかね。」と父は不満さうに、「しかし、これくらゐで、ちやうどいいのだよ。あまり深いと生埋めの危険がある。」
「でも、もすこし広くしてもいいでせう。」
「うむ、まあ、さうだが、いまは土が凍つて固くなつてゐるから掘るのが困難だ。そのうちに、」などあいまいな事を言つて、母をだまらせ、ラジオの防空情報に耳を澄ます。
母の苦情が一段落すると、こんどは、五歳の女の子が、もう壕から出ませう、と主張しはじめる。これをなだめる唯一の手段は絵本だ。桃太郎、カチカチ山、舌切雀、瘤取り、浦島さんなど、父は子供に読んで聞かせる。
この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。
ムカシ ムカシノオ話ヨ
などと、間まの抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が※(「酉+榲のつくり」、第3水準1-92-88)醸せられてゐるのである。
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瘤取り
ムカシ ムカシノオ話ヨ
ミギノ ホホニ ジヤマツケナ
このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。この瘤取りの話に限らず、次に展開して見ようと思ふ浦島さんの話でも、まづ日本書紀にその事実がちやんと記載せられてゐるし、また万葉にも浦島を詠じた長歌があり、そのほか、丹後風土記やら本朝神仙伝などといふものに依つても、それらしいものが伝へられてゐるやうだし、また、つい最近に於いては鴎外の戯曲があるし、逍遥などもこの物語を舞曲にした事は無かつたかしら、とにかく、能楽、歌舞伎、芸者の手踊りに到るまで、この浦島さんの登場はおびただしい。私には、読んだ本をすぐ人にやつたり、また売り払つたりする癖があるので、蔵書といふやうなものは昔から持つた事が無い。それで、こんな時に、おぼろげな記憶をたよつて、むかし読んだ筈の本を捜しに歩かなければならぬはめに立ち到るのであるが、いまは、それもむづかしいだらう。私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、
ムカシ ムカシノオ話ヨ
と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)
このお爺さんは、お酒を、とても好きなのである。酒飲みといふものは、その家庭に於いて、たいてい孤独なものである。孤独だから酒を飲むのか、酒を飲むから家の者たちにきらはれて自然に孤独の形になるのか、それはおそらく、両の掌をぽんと撃ち合せていづれの掌が鳴つたかを決定しようとするやうな、キザな穿鑿に終るだけの事であらう。とにかく、このお爺さんは、家庭に在つては、つねに浮かぬ顔をしてゐるのである。と言つても、このお爺さんの家庭は、別に悪い家庭では無いのである。お婆さんは健在である。もはや七十歳ちかいけれども、このお婆さんは、腰もまがらず、眼許も涼しい。昔は、なかなかの美人であつたさうである。若い時から無口であつて、ただ、まじめに家事にいそしんでゐる。
「もう、春だねえ。桜が咲いた。」とお爺さんがはしやいでも、
「さうですか。」と興の無いやうな返辞をして、「ちよつと、どいて下さい。ここを、お掃除しますから。」と言ふ。
お爺さんは浮かぬ顔になる。
また、このお爺さんには息子がひとりあつて、もうすでに四十ちかくになつてゐるが、これがまた世に珍しいくらゐの品行方正、酒も飲まず煙草も吸はず、どころか、笑はず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず鬚を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑はれるくらゐ、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言はざるを得ない種類のものであつた。
けれども、お爺さんは、何だか浮かぬ気持である。さうして、家族の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないやうな気持になるのである。しかし、うちで飲んでは、いつそう浮かぬ気持になるばかりであつた。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだつて、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやつてゐる傍で、黙つてごはんを食べてゐる。
「時に、なんだね、」とお爺さんは少し酔つて来ると話相手が欲しくなり、つまらぬ事を言ひ出す。「いよいよ、春になつたね。燕も来た。」
言はなくたつていい事である。
お婆さんも息子も、黙つてゐる。
「春宵一刻、価千金、か。」と、また、言はなくてもいい事を呟いてみる。
「ごちそうさまでござりました。」と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向ひうやうやしく一礼して立つ。
「そろそろ、私もごはんにしよう。」とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
アルヒ アサカラ ヨイテンキ
このお爺さんの楽しみは、お天気のよい日、腰に一瓢をさげて、剣山にのぼり、たきぎを拾ひ集める事である。いい加減、たきぎ拾ひに疲れると、岩上に大あぐらをかき、えへん! と偉さうに咳ばらひを一つして、
「よい眺めぢやなう。」
と言ひ、それから、おもむろに腰の瓢のお酒を飲む。実に、楽しさうな顔をしてゐる。うちにゐる時とは別人の観がある。ただ変らないのは、右の頬の大きい瘤くらゐのものである。この瘤は、いまから二十年ほど前、お爺さんが五十の坂を越した年の秋、右の頬がへんに暖くなつて、むずかゆく、そのうちに頬が少しづつふくらみ、撫でさすつてゐると、いよいよ大きくなつて、お爺さんは淋しさうに笑ひ、
「こりや、いい孫が出来た。」と言つたが、息子の聖人は頗るまじめに、
「頬から子供が生れる事はござりません。」と興覚めた事を言ひ、また、お婆さんも、
「いのちにかかはるものではないでせうね。」と、にこりともせず一言、尋ねただけで、それ以上、その瘤に対して何の関心も示してくれない。かへつて、近所の人が、同情して、どういふわけでそんな瘤が出来たのでせうね、痛みませんか、さぞやジヤマツケでせうね、などとお見舞ひの言葉を述べる。しかし、お爺さんは、笑つてかぶりを振る。ジヤマツケどころか、お爺さんは、いまは、この瘤を本当に、自分の可愛い孫のやうに思ひ、自分の孤独を慰めてくれる唯一の相手として、朝起きて顔を洗ふ時にも、特別にていねいにこの瘤に清水をかけて洗ひ清めてゐるのである。けふのやうに、山でひとりで、お酒を飲んで御機嫌の時には、この瘤は殊にも、お爺さんに無くてかなはぬ恰好の話相手である。お爺さんは岩の上に大あぐらをかき、瓢のお酒を飲みながら、頬の瘤を撫で、
「なあに、こはい事なんか無いさ。遠慮には及びませぬて。人間すべからく酔ふべしぢや。まじめにも、程度がありますよ。阿波聖人とは恐れいる。お見それ申しましたよ。偉いんだつてねえ。」など、誰やらの悪口を瘤に囁き、さうして、えへん! と高く咳ばらひをするのである。
カゼガ ゴウゴウ フイテキテ
春の夕立ちは、珍しい。しかし、剣山ほどの高い山に於いては、このやうな天候の異変も、しばしばあると思はなければなるまい。山は雨のために白く煙り、雉、山鳥があちこちから、ぱつぱつと飛び立つて矢のやうに早く、雨を避けようとして林の中に逃げ込む。お爺さんは、あわてず、にこにこして、
「この瘤が、雨に打たれてヒンヤリするのも悪くないわい。」
と言ひ、なほもしばらく岩の上にあぐらをかいたまま、雨の景色を眺めてゐたが、雨はいよいよ強くなり、いつかうに止みさうにも見えないので、
「こりや、どうも、ヒンヤリしすぎて寒くなつた。」と言つて立ち上り、大きいくしやみを一つして、それから拾ひ集めた柴を背負ひ、こそこそと林の中に這入つて行く。林の中は、雨宿りの鳥獣で大混雑である。
「はい、ごめんよ。ちよつと、ごめんよ。」
とお爺さんは、猿や兎や山鳩に、いちいち上機嫌で挨拶して林の奥に進み、山桜の大木の根もとが広い虚うろになつてゐるのに潜り込んで、
「やあ、これはいい座敷だ。どうです、みなさんも、」と兎たちに呼びかけ、「この座敷には偉いお婆さんも聖人もゐませんから、どうか、遠慮なく、どうぞ。」などと、ひどくはしやいで、そのうちに、すうすう小さい鼾をかいて寝てしまつた。酒飲みといふものは酔つてつまらぬ事も言ふけれど、しかし、たいていは、このやうに罪の無いものである。
ユフダチ ヤムノヲ マツウチニ
この月は、春の下弦の月である。浅みどり、とでもいふのか、水のやうな空に、その月が浮び、林の中にも月影が、松葉のやうに一ぱいこぼれ落ちてゐる。しかし、お爺さんは、まだすやすや眠つてゐる。蝙蝠が、はたはたと木の虚うろから飛んで出た。お爺さんは、ふと眼をさまし、もう夜になつてゐるので驚き、
「これは、いけない。」
と言ひ、すぐ眼の前に浮ぶのは、あのまじめなお婆さんの顔と、おごそかな聖人の顔で、ああ、これは、とんだ事になつた、あの人たちは未だ私を叱つた事は無いけれども、しかし、どうも、こんなにおそく帰つたのでは、どうも気まづい事になりさうだ、えい、お酒はもう無いか、と瓢を振れば、底に幽かにピチヤピチヤといふ音がする。
「あるわい。」と、にはかに勢ひづいて、一滴のこさず飲みほして、ほろりと酔ひ、「や、月が出てゐる。春宵一刻、――」などと、つまらぬ事を呟きながら木の虚うろから這ひ出ると、
ミレバ フシギダ ユメデシヨカ
といふ事になるのである。
見よ。林の奥の草原に、この世のものとも思へぬ不可思議の光景が展開されてゐるのである。鬼、といふものは、どんなものだか、私は知らない。見た事が無いからである。幼少の頃から、その絵姿には、うんざりするくらゐたくさんお目にかかつて来たが、その実物に面接するの光栄には未だ浴してゐないのである。鬼にも、いろいろの種類があるらしい。××××鬼、××××鬼、などと憎むべきものを鬼と呼ぶところから見ても、これはとにかく醜悪の性格を有する生き物らしいと思つてゐると、また一方に於いては、文壇の鬼才何某先生の傑作、などといふ文句が新聞の新刊書案内欄に出てゐたりするので、まごついてしまふ。まさか、その何某先生が鬼のやうな醜悪の才能を持つてゐるといふ事実を暴露し、以て世人に警告を発するつもりで、その案内欄に鬼才などといふ怪しむべき奇妙な言葉を使用したのでもあるまい。甚だしきに到つては、文学の鬼、などといふ、ぶしつけな、ひどい言葉を何某先生に捧げたりしてゐて、これではいくら何でも、その何某先生も御立腹なさるだらうと思ふと、また、さうでもないらしく、その何某先生は、そんな失礼千万の醜悪な綽名をつけられても、まんざらでないらしく、御自身ひそかにその奇怪の称号を許容してゐるらしいといふ噂などを聞いて、迂愚の私は、いよいよ戸惑ふばかりである。あの、虎の皮のふんどしをした赤つらの、さうしてぶざいくな鉄の棒みたいなものを持つた鬼が、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。鬼才だの、文学の鬼だのといふ難解な言葉は、あまり使用しないはうがいいのではあるまいか、とかねてから愚案してゐた次第であるが、しかし、それは私の見聞の狭い故であつて、鬼にも、いろいろの種類があるのかも知れない。このへんで、日本百科辞典でも、ちよつと覗いてみると、私もたちまち老幼婦女子の尊敬の的たる博学の士に一変して、(世の物識りといふものは、たいていそんなものである)しさいらしい顔をして、鬼に就いて縷々千万言を開陳できるのでもあらうが、生憎と私は壕の中にしやがんで、さうして膝の上には、子供の絵本が一冊ひろげられてあるきりなのである。私は、ただこの絵本の絵に依つて、論断せざるを得ないのである。
見よ。林の奥の、やや広い草原に、異形の物が十数人、と言ふのか、十数匹と言ふのか、とにかく、まぎれもない虎の皮のふんどしをした、あの、赤い巨大の生き物が、円陣を作つて坐り、月下の宴のさいちゆうである。
お爺さん、はじめは、ぎよつとしたが、しかし、お酒飲みといふものは、お酒を飲んでゐない時には意気地が無くてからきし駄目でも、酔つてゐる時には、かへつて衆にすぐれて度胸のいいところなど、見せてくれるものである。お爺さんは、いまは、ほろ酔ひである。かの厳粛なるお婆さんをも、また品行方正の聖人をも、なに恐れんやといふやうなかなりの勇者になつてゐるのである。眼前の異様の風景に接して、腰を抜かすなどといふ醜態を示す事は無かつた。虚うろから出た四つ這ひの形のままで、前方の怪しい酒宴のさまを熟視し、
「気持よささうに、酔つてゐる。」とつぶやき、さうして何だか、胸の奥底から、妙なよろこばしさが湧いて出て来た。お酒飲みといふものは、よそのものたちが酔つてゐるのを見ても、一種のよろこばしさを覚えるものらしい。所謂利己主義者ではないのであらう。つまり、隣家の仕合せに対して乾盃を挙げるといふやうな博愛心に似たものを持つてゐるのかも知れない。自分も酔ひたいが、隣人もまた、共に楽しく酔つてくれたら、そのよろこびは倍加するもののやうである。お爺さんだつて、知つてゐる。眼前の、その、人とも動物ともつかぬ赤い巨大の生き物が、鬼といふおそろしい種族のものであるといふ事は、直覚してゐる。虎の皮のふんどし一つに依つても、それは間違ひの無い事だ。しかし、その鬼どもは、いま機嫌よく酔つてゐる。お爺さんも酔つてゐる。これは、どうしても、親和の感の起らざるを得ないところだ。お爺さんは、四つ這ひの形のままで、なほもよく月下の異様の酒宴を眺める。鬼、と言つても、この眼前の鬼どもは、××××鬼、××××鬼などの如く、佞悪の性質を有してゐる種族のものでは無く、顔こそ赤くおそろしげではあるが、ひどく陽気で無邪気な鬼のやうだ、とお爺さんは見てとつた。お爺さんのこの判定は、だいたいに於いて的中してゐた。つまり、この鬼どもは、剣山の隠者とでも称すべき頗る温和な性格の鬼なのである。地獄の鬼などとは、まるつきり種族が違つてゐるのである。だいいち、鉄棒などといふ物騒なものを持つてゐない。これすなはち、害心を有してゐない証拠と言つてよい。しかし、隠者とは言つても、かの竹林の賢者たちのやうに、ありあまる知識をもてあまして、竹林に逃げ込んだといふやうなものでは無くて、この剣山の隠者の心は甚だ愚である。仙といふ字は山の人と書かれてゐるから、何でもかまはぬ、山の奥に住んでゐる人を仙人と称してよろしいといふ、ひどく簡明の学説を聞いた事があるけれども、かりにその学説に従ふなら、この剣山の隠者たちも、その心いかに愚なりと雖も、仙の尊称を奏呈して然るべきものかも知れない。とにかく、いま月下の宴に打興じてゐるこの一群の赤く巨大の生き物は、鬼と呼ぶよりは、隠者または仙人と呼称するはうが妥当のやうなしろものなのである。その心の愚なる事は既に言つたが、その酒宴の有様を見るに、ただ意味も無く奇声を発し、膝をたたいて大笑ひ、または立ち上つて矢鱈にはねまはり、または巨大のからだを丸くして円陣の端から端まで、ごろごろところがつて行き、それが踊りのつもりらしいのだから、その智能の程度は察するにあまりあり、芸の無い事おびただしい。この一事を以てしても、鬼才とか、文学の鬼とかいふ言葉は、まるで無意味なものだといふことを証明できるやうに思はれる。こんな愚かな芸無しどもが、もろもろの芸術の神であるとは、どうしても私には考へられないのである。お爺さんも、この低能の踊りには呆れた。ひとりでくすくす笑ひ、
「なんてまあ、下手な踊りだ。ひとつ、私の手踊りでも見せてあげませうかい。」とつぶやく。
スグニ トビダシ ヲドツタラ
コブガ フラフラ ユレルノデ
お爺さんには、ほろ酔ひの勇気がある。なほその上、鬼どもに対し、親和の情を抱いてゐるのであるから、何の恐れるところもなく、円陣のまんなかに飛び込んで、お爺さんご自慢の阿波踊りを踊つて、
赤い襷に迷ふも無理やない
嫁も笠きて行かぬか来い来い
とかいふ阿波の俗謡をいい声で歌ふ。鬼ども、喜んだのなんの、キヤツキヤツケタケタと奇妙な声を発し、よだれやら涙やらを流して笑ひころげる。お爺さんは調子に乗つて、
大谷通れば石ばかり
笹山通れば笹ばかり
とさらに一段と声をはり上げて歌ひつづけ、いよいよ軽妙に踊り抜く。
ツキヨニヤ カナラズ ヤツテキテ
ヲドリ ヲドツテ ミセトクレ
ソノ ヤクソクノ オシルシニ
と言ひ出し、鬼たち互ひにひそひそ小声で相談し合ひ、どうもあの頬ぺたの瘤はてかてか光つて、なみなみならぬ宝物のやうに見えるではないか、あれをあづかつて置いたら、きつとまたやつて来るに違ひない、と愚昧なる推量をして、矢庭に瘤をむしり取る。無智ではあるが、やはり永く山奥に住んでゐるおかげで、何か仙術みたいなものを覚え込んでゐたのかも知れない。何の造作も無く綺麗に瘤をむしり取つた。
お爺さんは驚き、
「や、それは困ります。私の孫ですよ。」と言へば、鬼たち、得意さうにわつと歓声を挙げる。
コブヲ トラレタ オヂイサン
ツマラナサウニ ホホヲ ナデ
オヤマヲ オリテ ユキマシタ
瘤は孤独のお爺さんにとつて、唯一の話相手だつたのだから、その瘤を取られて、お爺さんは少し淋しい。しかしまた、軽くなつた頬が朝風に撫でられるのも、悪い気持のものではない。結局まあ、損も得も無く、一長一短といふやうなところか、久しぶりで思ふぞんぶん歌つたり踊つたりしただけが得とく、といふ事になるかな? など、のんきな事を考へながら山を降りて来たら、途中で、野良へ出かける息子の聖人とばつたり出逢ふ。
「おはやうござります。」と聖人は、頬被りをとつて荘重に朝の挨拶をする。
「いやあ。」とお爺さんは、ただまごついてゐる。それだけで左右に別れる。お爺さんの瘤が一夜のうちに消失してゐるのを見てとつて、さすがの聖人も、内心すこしく驚いたのであるが、しかし、父母の容貌に就いてとやかくの批評がましい事を言ふのは、聖人の道にそむくと思ひ、気附かぬ振りして黙つて別れたのである。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬にジヤマツケな瘤を持つてるお爺さんがゐたのである。さうして、このお爺さんこそ、その左の頬の瘤を、本当に、ジヤマツケなものとして憎み、とかくこの瘤が私の出世のさまたげ、この瘤のため、私はどんなに人からあなどられ嘲笑せられて来た事か、と日に幾度か鏡を覗いて溜息を吐き、頬髯を長く伸ばしてその瘤を髯の中に埋没させて見えなくしてしまはうとたくらんだが、悲しい哉、瘤の頂きが白髯の四海波の間から初日出のやうにあざやかにあらはれ、かへつて天下の奇観を呈するやうになつたのである。もともとこのお爺さんの人品骨柄は、いやしく無い。体躯は堂々、鼻も大きく眼光も鋭い。言語動作は重々しく、思慮分別も十分の如くに見える。服装だつて、どうしてなかなか立派で、それに何やら学問もあるさうで、また、財産も、あのお酒飲みのお爺さんなどとは較べものにならぬくらゐどつさりあるとかいふ話で、近所の人たちも皆このお爺さんに一目いちもく置いて、「旦那」あるいは「先生」などといふ尊称を奉り、何もかも結構、立派なお方ではあつたが、どうもその左の頬のジヤマツケな瘤のために、旦那は日夜、鬱々として楽しまない。このお爺さんのおかみさんは、ひどく若い。三十六歳である。そんなに Permalink | 記事への反応(0) | 18:24
スケジュールの都合上、本誌より先に作者のXでのつぶやきが目に入った
しばらく休載されるとのこと
具体的な理由は明示されてなかったが
お休みはぜひとも取ってほしい!しかしながらしばらく新しいストーリーが読めないのはショック。
ゲームのほうはしばらくやっていて、唐突にコロイカに独力ではまりだして単行本を待てずに本誌を買い始めたのが去年の夏頃で、月刊誌を紙媒体で毎月買って、リアルタイムで連載を読むのが楽しくてちょっとした生活の彩りみたいになってたのだった
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さて前回は未公開のまま終わった準決勝の組み合わせは、
となった。
まず前者の試合が始まるのだが、今号で休載ということはこの試合が決着するかしないかで休載なわけだ…という雑念にさいなまれつつ読み進める…
…と思いきや(?)途中で裏番組である後者のビッグカーリングボム対決に切り替わる
コロイカでこういう展開のしかたあまり見たことないな珍しいなーと思ってると
お祭り状態でカーボムをぶんぶん投げ合っているうちにそのまま両試合の蹴りがついて、決勝進出チームが確定してしまった
なんというか…とりあえず先が見えて安心できる状態まで持っていっておくという(?)休載前提で組み立てられた話のような感じもあり
ありがたいというか複雑というか
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※
ここで休載となると、8巻収録分の後の話(イエローグリーン対キングローズチームの決着話以降)を読もうとすると、当面のあいだ、月コロ電子版をまるごと買うしかないわけですね
単行本化が延びるのは
ぎりぎり9巻出せる量…?無理?
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1話ごとに感想や考察をある程度の分量で書くというのやったことなかったので楽しかった。連載再開したら感想書くのも再開したい。
初任給高騰の陰で、割を食うという不満が広がる。「私の給料が減って新卒~3年目の給料が大幅に上がりました!え??」。都内の食品会社に勤める30代女性のSNSでのつぶやきは800万回超も表示された。
勤務先は今春、初任給を3万円上げ、女性も月額5000円の賃上げ予定だが、会社はその分、賞与を1回分減らす。年収は減少する可能性もある。女性は子育て中で、「(いずれ上がると)低い給料でも頑張ってきた。習い事も受験も、これからお金がかかるのに」と嘆く。
https://news.yahoo.co.jp/articles/51fe1ed53f21edb015c7cc9b5ac826efa7e7a9aa
電車3、4駅ぐらいで東京都に入ってしまうぐらいには東京に近い所に住んでいるので、実質都民とそんな変わらない交通網で生きているとは思うが、しかし同時に明確に東京人ではない。
Xでしばしば見かける「東京の人は田舎まで遠征に来ないからクソ」「田舎は面白くないのに何を言ってるんだ」という論争を、
どちら寄りかといえばそりゃ東京人寄りだろうけど、でも微妙にどちらでもないような奇妙な立場から眺めていた。
ある日、Xでふとこんなつぶやきを見かけた。
「自分は埼玉県民だけど、東京の人に埼玉に来て欲しいと思った事は無い」
これだ。たしかに。
言われてみればない。全く。考えたこともない。
その時、多分この問題には、来る側の『損をした』という感情の有無が大きく関わっているのだと気が付いた。
埼玉県民は東京に行ったところで、別に損をした気分にはならない。
まず近場である為コストが低いというのはもちろんのこと、ちょっと楽しい所に羽を伸ばしたというあくまでも楽しい気分で帰ってこれる気がする。
とはいえこれは低コストだから済んでること。地方の人から見たら何万もの投資になるのだから、重なると辟易するのは分かる。
でも、同時に、根っからの東京の人間を動かすのは結構難しいと思う。
とにかく東京というところは、一生かけても遊びきれないほどの娯楽で溢れている。
別に田舎に面白い所が全くない訳ではないと思うが、数百円の交通費で無限に娯楽が手に入る場所で、何万もかけて他所に行くなら、単純計算で東京より何十倍も楽しく充実している場所でなくてはならない。
「じゃあ、数百円で行ける場所の数十倍、数百倍の楽しさを提供してくれんの?」と言う話だと勝てなくなるのだ。
そうなると、希少なものを見に行ったり、大事な人に会いに行ったり、推しを追いかけたりするような「プライスレス」にカテゴライズされた時だけだ。
中途半端な決心だと無理だ。それなら交通費数百円で行けるテーマパークみたいな商業施設や、何かの展示会みたいな所に行く方がコスパがよろしい。そして基本そのネタは延々と補充され続けて途切れる事がないのだから。
東京の近くに住んでいるからこそ「そりゃそうだろうな」と納得してしまうのだ。
ちょっと美味しい食べ物がある、ちょっと綺麗な景色がある、こんなのは彼らから見たらあまりにもカードが弱すぎる。
それが分かっている。
まあ、もし来てくれたら嬉しいけどね。
https://togetter.com/li/2682884
実際に「海外在住」を名乗りながら日本をビシバシ批判していたアカウントは、言語の壁が取り払われた影響で投稿スタイルを変えたか、減らしたか、そもそも目立たなくなった可能性が高い。
それでも、検索でヒットした中で明確に該当するニュアンスのものを中心に、該当しそうなアカウントを挙げます(重複や実在の海外在住者も混ざるため「自称」度合いは各自判断してください)。現在(2026年4月6日時点)のつぶやき傾向も併せてまとめます。
(海外脱出ネオニート / Tomo-Taro) ← 最も典型例過去のニュアンス: バイオに「シンガポール在住」「日本が劣っている点をビシバシ指摘」と明記。3月〜4月上旬に「海外に出て日本に絶望した点」リスト(人種差別・児童ポルノ・語学力・女性人権など)や「日本はカルト村」など、日本批判全開の投稿を連発。高エンゲージメント。
現在のつぶやき(4月5日以降): まだ完全に静かにはなっていないが、投稿頻度はやや控えめ。4月5日には「税率6割なのにゴミ箱もない」「相続税で全部持っていく」「日本人スタジアムでゴミ拾い」などの日本批判を継続。ただし、以前より「海外比較」を直接的に連発するスタイルは薄れ、歴史ネタや個別愚痴寄りになっている。
@10dondone(マレーシア在住): 過去に日本政治・社会保障・増税を海外移住視点で批判。現在のつぶやき:政治・経済ネタ中心だが、4月上旬以降は高市早苗批判などは減り、移住Tips寄りにシフト。
@foodworkonline(海外在住オンライン秘書): 「日本がすごすぎる」「グローバルスタンダードより日本効率良い」とむしろ日本褒め寄り。現在のつぶやき:在宅ワーク・食品業界ネタ中心で、比較投稿ほぼなし。
@cc63387(海外在住保守): 中国批判がメインで日本下げは少ない。現在のつぶやき:中国教育・ウイグル問題など海外ネタ継続中。
@ToshiOkuzaki(オーストラリア・メルボルン在住): 「海外在住者が日本批判するのは滑稽」とむしろ日本擁護派。現在のつぶやき:一時帰国時の逆カルチャーショックをポジティブに語る投稿継続。
@MasayoshiOgino(ニュージーランド在住): 時間差や日常ネタ中心で日本批判なし。現在のつぶやき:夢や言葉のポジティブ投稿。
@5ducks5(米国在住): 海外生活をユーモアで切り取るが、日本を褒める投稿が多い。現在のつぶやき:米国人の日本旅行談など好印象ネタ。
@chawantakegohan: 自身は在住主張せず、メタで「海外在住で日本遅れてる派が消えた」と指摘。現在のつぶやき:現象を嘆く投稿。
@eigonodo: 「出羽守オワタ」と新機能で批判しにくくなったと指摘。現在のつぶやき:英語学習関連。
@SonohennoKuma: 「出羽守」の意味を解説するメタ投稿。現在のつぶやき:オリエンタリズム批判関連。
X上で「自称海外住みアカウントが急に減った」「架空物語勢がいなくなって寂しいw」という声が爆発的に増えています。4月5〜6日の投稿がほとんどこれ。
理由(コミュニティの指摘): イーロンの言語壁撤廃(翻訳機能強化?)で
英語圏ユーザーや本物の海外在住者が簡単に反論・デバンクできるようになったため
「海外では痴漢ない」「アダルトポスターない」みたいな定番ネタが通用しにくくなった。
今つぶやいていること: 該当タイプのアカウントは、日本下げ比較投稿を控えめにしているか、話題を歴史・税金・個別愚痴にずらしているか
単に投稿頻度を落としている。完全に沈黙したわけではなく、「静かになった」と感じるほど目立たなくなった、というのが実情です。
結論から言うと、明確に10人ピックアップするのは難しいです。
理由:「自称海外住み(出羽守)」と呼ばれるタイプは、特定の有名アカウントが固定でいるわけではなく、低フォロワー層や匿名寄りのアカウントが多い。
検索結果のほとんどが「最近あいつら静かになったよね」というメタ議論(あなたが共有したポストと同類のもの)で、個別の「犯人」アカウントがリストアップされるケースは極めて少ない。
コンビニで買い物するときって店員さんがレジでお箸いりますか?おしぼりいりますか?っていってくれるじゃない?
お弁当とかのパターンでお箸いりますか?って言われたときお箸事務所にあるからそれ使う前提で、
おしぼりいりますか?って言われて大丈夫です!って必要ない旨をいったら、
店員さんの顔が一瞬曇って、
え?手を洗ったり拭いたりしないでサンドイッチ食べるんですか?って顔されてドン引きされた記憶があるの。
いやいや、
いまここで食べないし、
もちろん手を洗って食べるわ!って。
そう言いたかったけど、
ほぼスルーする形のパターンのポーズでサンドイッチを買ったときにおしぼり勧められたけれどことわったの。
ふと、
思ったら、
おしぼり断るのは
なんか店員さんの親切を踏みにじっているような気がして、
おしぼり1つもらうもらわないで、
だから、
ここはノー思考でおしぼりは言われたらもれなくもらうようにするようにしたの。
なんか店員さんの親切を受け入れているようで、
そうしたら店員さんも
この人ちゃんとサンドイッチ食べるときにおしぼりで手を拭いてくれるんだな!って安心すると思うの。
でもさー、
そのサンドイッチ買ったときのおしぼり断った際の店員さんのドン引きしていた顔が忘れられないわ。
あと、
その人達はめちゃ親切で丁寧だけど、
日本人はパスタでもなんでも箸で食べている文化なんだ!ってリスペクトしすぎて、
そう心の中でつぶやきながらまた私の心の中のお箸が一膳増えていくのよ。
あと、
500ミリリットルの牛乳パックにストローつけてくれる気持ちは分かるわ。
そんでその倍の大きい牛乳パックの
いわゆる1リットルサイズのパックの飲料を買ったときにストローいりますか?って言われたとき、
その短いストローを出すと思ったら、
あるんかーい!って
つーか、
それ1リットル牛乳パックサイズに適した長いストローもらえるってことは、
店員さんこの人は一気に1リットルサイズの飲料を飲みきるのかな?って思われてるってことで、
そんないっぺんに全部飲まないわよ!って
私の中でまたストローが心のストローが1本増えることになるの。
まあ飲みきる飲みきらないは別として、
長いストローあるんかーい!って
ちょっとふふふと笑っちゃったわ。
今紙ストロー界隈どうなってるのかしら?
久しくお店に行っていないけれど、
あれに警戒しつつそーっと最初のときは気を付けて紙のストロー使うんだけど、
そんでさ、
冷たくて美味しいこれからの季節問わない年中美味しいマックシェイクとかあんじゃん。
そんで横のコーラとか吸うでしょ?
シェイクの吸う勢いの強さのままのイメージしてコーラも飲むから思った以上の勢いでコーラが口の中に突入してくるときない?
結構力強く吸う勢いのイメージでコーラとかそうね爽健美茶とか飲むと、
凄い勢いで液体が口の中に入ってきて、
驚くことがないかしら?
むせちゃって咳き込むと周辺からこの人なんかファストフード店で飲み物を飲み慣れてない人だと思われると恥ずかしいから、
なに食わぬ顔で何もなかったですけど何か?って涼しい顔しつつむせる咳き込みをゴホっと喉の奥でかみ殺すわ。
コロ助かー!って。
ここで急にキテレツ大百科を唱えたいような気分。
コロ助なりーって返事が来たらまた厄介だけどね。
だから
シェイク飲む勢いでコーラがその凄い勢いで口の中に入ってくるけれど
涼しい顔して何もありませんでした!それがなにか?って体裁を保ちつつ、
心の中ではコロ助かー!ってところまでが
ファストフード店でシェイクとコーラを買った時はワンセットなので、
うっかりさ、
仕組みが開始された当初慣れないもんだから
店内で食べる形態で提供される紙に包まれた状態でトレイから出てきたとき、
間違えたとは言うとダサすぎるので、
店内で食べるつもりだったけれど急用が入ってきてお店を出なくちゃいけなくなったからこのハンバーガーテイクアウトするわね!って勢いの小芝居を挟みつつ、
紙包みのままのハンバーガーをポケットにそのまま忍ばせてお店から出るって、
なんかニューヨークぽくない?
多分ニューヨーカーって
ハンバーガーが紙の包みに包まれた状態を素手で持ち歩いてテイクアウトしているのよね。
その後気付いたらポッケの中がソースでベタベタになっていたけど、
そのファストフード店でたまにやってるニューヨークバーガーキャンペーンのときに、
つまり、
紙袋に入っていない紙の包みのまま素手でハンバーガーを持ち歩いて街を闊歩すれば、
本当にニューヨークバーガーキャンペーンをニューヨークスタイルでテイクアウトするニューヨーカーになれる気分を味わえるからみんなも実践してみて欲しいわ!
しかも!
2つ!
両手にひとつずつハンバーガーを持つとハンバーガーに対して必死な感じが出るから、
雑にハンバーガーを片手に2つ持つとなおニューヨークスタイルが強化できるわよ。
それでニューヨークのファストフード店にはテリヤキ系がないのはそのせいみたいなのよね。
私もそれが理由だなんて知らなかったわ。
うふふ。
なんか新登場新製品新発売?
釣られて買ってしまった美味しかったのでなおのさら嬉しいわよね!
たまにこうやって違うのも食べると
殿堂入りしているタマゴサンドのベーシックな基本的に全部美味しいタマゴサンドの美味しさを忘れた頃にまた思い出させるから、
そういったたまのサンドイッチの寄り道もいいわよね。
朝そんな寒くなかったとは言え暑くもまだもちろんないけれど、
シュワッと決めて爽快な朝にしたわ!
強炭酸が効くわー。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
M・M
2008年3月に娘が性被害に遭ったと告白してから15年の時が流れました。その年の10月に亡くなりましたので、ずいぶんと時間は流れたことになります。しかし、本当に短い時間であったという感覚があります。それには、娘が亡くなった時に、時間はすっかり止まってしまい、常に亡くなった日の事、今までに娘と過ごした日々が走馬灯のように頭に浮かび、それと同時に未来に一緒に歩むことのできる道はないのだと突き着かされます。それを考える事は非常に苦しく、考えないように防衛反応を起こしているのか、常にバタバタ動いている自分がいるなぁという実感がいつもあります。人に映る私は“いつも元気そう”なのですが、本当は亡くなっていることを認めたくない自分と戦いながら、明るく振る舞うことで、娘の事を聞かれるのを避けている自分がいます。
それでも生きていれば、さまざまな場面で、亡くなったことを自覚せざるをえません。例えば、携帯電話を購入しようとすれば、「家族割引」の話や、家族構成を聞かれます。銀行、郵便局、病院など、家族構成を問われる場面は本当に多いです。また、今頃の季節ですと、卒業、進学、就職などの話をスーパーなどで、お母さんたちがよく立ち話をされています。「娘が大学に進学して、寂しくなるわぁ。」「就職が決まって、県外に住むのよ。」「お兄ちゃんは、孫が生まれてねぇ。」そのような言葉を耳にする度に、吐き気と目眩がして、買物途中ですぐ支払いを済ませ、逃げるように家路に向かいました。ほとんど外出も買物さえできませんでした。そこで、出かけるときは主人と一緒に行くようにして、気分が悪くなったら、すぐに帰宅するようにしました。
また、家にいても苦しさは多々ありました。テレビをつければ、楽しく笑っているシーン。いったい何がおかしいのか、楽しいのか分からず、テレビをつけるのをやめ、新聞の購入もやめました。まるで私自身が笑われているような気持ちでした。そこには社会から孤立している自分がありました。このような状況が数年間続き、時間の経過と共に、少しずつできることが増えていきました。今は、一人で買物もできるようになり、テレビを観ることもできるようになりました。いつも心の中で「この状況に慣れなければいけない」とつぶやきながら、受け入れていったように思います。いや、受け入れざるを得ないというのが本音でしょうか。これが時間の流れだと思います。
次に、性暴力と自殺についての認識が時間の経過によって変化していったことをお伝えします。私は、娘が性被害に遭うまで自分の娘に性暴力や自殺というものが起こりうるとは全く考えず、無知そのものでした。この世の中は安心・安全だと、何の根拠もなく信じ、普通に生活をしていました。しかし、性暴力はとても身近な犯罪で、暗数を含めると実際には何倍もの被害があり、被害者本人だけではなく被害者家族を含む大きな問題です。他の犯罪と一番違う点は、まず被害に遭ったことを話せないという点だと思います。恥ずかしい、知られたくないという気持ちはなんとなく理解できるかもしれません。しかし、実際に誰かに相談するというハードルはかなり高いものです。また相談しても「なぜ逃げなかったの」、「声をだせなかったの」「派手な服装だったの」、「そのことは忘れなさい」など次々に被害者に非があるような言葉が投げかけられます。最近ではずいぶんと警察での対応は良くなってきていると聞いていますが、被害者からの目線とは遠いものだと思えます。
また、加害者についても、私の認識はずいぶん違っていました。娘の加害者は元教師であったのですが、どこかで聖職というイメージがありました。しかし、裁判で明らかになったのは、真反対の人物でした。裁判での加害者は、膝までズボンをまくし上げ、靴を脱いで貧乏揺すりをし、若い私たちの弁護士を大きな目で下からにらめつけました。また、娘を「男性関係が淫らで、短いスカートをはいていて挑発してきた」「恋愛であった」など、聞くに堪えないものばかりでした。当の本人が生きていても、耐えがたいものであったに違いありません。私はなぜ、こんな人間に終始おびえていたのか、今でも悔しくてなりません。娘の写真をばらまかれはしないか、インターネットに掲載されはしないか、娘にもう一度暴行を加えはしないだろうかと、起こりえるかどうか分からない不安に押しつぶされていました。
そして、裁判で苦しかったのは、娘の事を何も知らない某大学病院の医師が相手側についたことです。本人を診断しないでPTSD という診断に対して、反論されたことです。加害者が怖くてたまらないと不眠で苦しみ、襲われると言って苦しんだ娘を、何度傷つければいいのでしょうか。私は、HP で笑っている医師の顔写真を何枚も印刷し、鉛筆の芯が折れるまで何度も何度も真っ黒になるまで、塗りつぶし、上からつきました。
また、加害者に対してはもっと殺意を感じていました。“加害者を殺したい”という衝動に駆られ、さびた出刃包丁をタオルにぐるぐる巻いて、加害者宅まで向かおうとしました。しかし、運転中すぐに過呼吸を起こし、時速20㎞ぐらいしかスピードが出せず、後続車からクラクションを鳴らされて、やむなく帰宅しました。それと同時に、料理をしようと包丁を持つと、娘を救えなかった自分が許せず、手首を切りたい衝動に駆られました。右手を左手で押さえ、台所で何度も泣きました。
主人も同じ気持ちでした。相手側からの文書が送られてくるたびに嗚咽し、「はきそうだ。もう裁判なんかどうでもいいから、この手で殺してやる。」机をたたいて泣き叫ぶのを見て、「頑張ろう、もう少し頑張ろう。」と背中をさすりながら一緒に泣きました。決行できなかったのは、娘への愛と夫婦二人が同じ方向を向いていたこと、そして何よりいつも支えてくださった「かがわ被害者支援センター」の方々や弁護士の先生方が脳裏に浮かんだからです。殺人者になる一歩手前の状態でした。
裁判の途中で、和解を選ぶとしたら、もうこの裁判に耐えがたいと感じるからでしょう。さまざまな方向性の違いから、被害に遭った家族がバラバラになるケースは、多くあります。特に性被害の場合、立証が乏しくなる傾向があり、裁判を起こすことさえも、ままなりません。私たちが裁判という場で戦えたこと、勝訴であったことは今の生活に光が射したことに間違いありません。
そして、決して「自殺」についても「死にたい」のではなく、「どう生きていけばいいか分からないほど苦しいので助けてほしい」ということを今では理解しています。明るかった娘が、どんどん痩せて食事がとれず、それを見ていることは辛かったです。また、自殺念慮のある人には受け入れる入院施設も探すことは非常に難しいです。私は香川県全部の病院に電話をし、苦しい娘に代わって受診し、症状を伝えました。答えは「本人さんに来て、もう一度説明をしてもらわないと」、「昔に自殺しようとした患者さんに手こずった」こんな答えを何度も聞きました。そんな状態でも予約が2ヶ月先まで埋まっていたりしています。
性暴力はこれほど、人に影響を与える犯罪であり、性被害を受けた人の中でのPTSD の発症率は高く、自殺率も高いのが現状です。つまり、性暴力は権力及び支配であって、よくTV で言われている「性欲が抑えきれなかった。」というコメントには首をかしげるところがあります。子供への虐待と全く同じであるからです。私が裁判中に感じた「ねじ伏せられそう」な感覚こそ権力や支配力でしょう。
今までお話をすると、つらいとか苦しいと感じられた方がいらっしゃったかもしれません。しかし、決して悪いことばかりではありません。15年という月日を経て、この経験から多くのことを学び、歩き始めていると感じています。もし、このような経験がなければ、苦しいことを人前でお話することもなかったでしょう。性犯罪の実態を伝えることで、少しでも関心を持っていただき、抑止力になればという思いがあります。また自分自身も性犯罪を含め、さまざまな犯罪被害者、加害者、子供への虐待、孤独死など、さまざまな社会問題に目を向けるようになりました。そして何より家族の絆、大切さを感じています。少し嫌なことがあっても決して怒らない、毎日笑って、一日一日を大切に過ごそうと思っています。
小さな丸テーブルに夫婦二人向き合って、娘の話をしながら食事をすることが今一番の楽しみです。人にとって一番大切なことは、普通でいられること、穏やかであること、それが幸せだと娘が教えてくれたのではないかと時と共に実感しています。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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1週間分の総括
この週のチャットは、日常雑談を中心に「健康・社会・趣味」がバランスよく混ざる典型的なコミュニティ会話だった。
健康面では咳やインフルエンザ、家族の入院などリアルな体調の話題が多く、互いにアドバイスや体験を共有する流れが目立った。
一方で、ゲーム・アニメ・麻雀といったサブカル話題や、ビリヤニなど食べ物の話がコミュニティの潤滑剤となっており、軽い雑談とやや重い社会議論が同居する空気が形成されている。
また、経済・税制・宗教問題・企業動向などの話題も散発的に登場し、参加者の関心が生活実感から社会構造まで広く及んでいることが特徴的だった。全体としては、日常の小ネタをベースに、健康・社会・趣味を行き来するゆるい知的雑談の1週間であった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
パソコンというのは、買おうと決めるまでがいちばん静かで落ち着きがない。
頭のどこかではとっくに「買う」と判が押されているのに、その判子が手元の紙に降りてこないで、空中をぐるぐる回っている感じだ。
その脳内のクリックのたびに、新しいケースの光り方や、静かなファンの回転音や、軽くなったコンパイル時間なんかが、短い予告編みたいに再生される。
左クリックは、ためらうように止まり、別のタブを開き、なぜか冷蔵庫の中身のことなんかを考え始める。
まるで別れた彼女が残していった部屋着のパーカーを届けるべきか捨てるべきか迷っているみたいだ。
変わらないのに、自分の中だけで、買う側と買わない側の天秤だけが、静かに、いつまでも、行ったり来たりしている。
そのはずだった。
そのゲーミングPCを最初に見つけたのは、たぶん、眠りそこねた平日の夜更けだったと思う。
スペック表には、RTXがどうとか、メモリが64GBでどうとか、ストレージが2TBのSSDでどうとか、そういう、数字の並びだけ見ていると少し酔いそうになる情報が、几帳面に並べられていた。
値段は、ギリギリ「これは無理だ」とは言わなくていいくらいのラインに収まっていた。
手を伸ばせば届くかもしれない。
でも、そのためには外食とか、ちょっとした贅沢だとかをあきらめる必要があるかもしれない。
それから数日間、僕はその商品ページを、朝と夜に一度ずつ眺める習慣を身につけた。
会社に行く前のコーヒーを飲みながら、タブを開いてスペックと値段を確認する。
仕事が終わって家に帰り、シャワーを浴びて、部屋の灯りを少し落としたあと、もう一度同じページを開く。
カートに入れる、というボタンと少しの間だけ、にらめっこをする。
僕は毎回そこまで行きながら、最後の一押しをしないままタブを閉じる。
「もう少しだけ考えよう」とつぶやきながら。
今使っているPCは、確かにそれなりにくたびれてはいるけれど、まだ致命的に壊れてはいない。
ゲームも、設定さえ落とせば、どうにか動いてくれる。
ファンが全力で唸り、筐体のどこかが微妙に熱を持ち始めたあたりで、「そろそろ限界かもしれない」と思う。
だけど、ウィンドウを閉じてブラウザを落とし、しばらく放っておけば、彼はまた何事もなかったように静まり返る。
「まだいけるぞ」と無言で主張しているみたいだ。
一方で、新しいPCを買うことの具体的なメリットも、頭の中ではよく分かっていた。
最近のゲームを快適なフレームレートで動かせるとか、動画のエンコード時間が半分になるとか、大きめのAIモデルだってローカルで回せるかもしれないとか、そういう種類の輝かしい未来のイメージだ。
そういったものたちは、頭の中でゆっくりと膨らんだりしぼんだりしながら、僕の背中を軽く押したり、押すのをやめたりする。
でも最終的に「注文する」のマウスクリックの動作を指先に伝達するのは、僕の役目だ。
そこまでは、誰も代わりにやってくれない。
そうして、決断を先送りにしたまま、何日かが過ぎた。
給料日を一度挟んだ。
電気代の明細を一度受け取った。
スーパーで特売の鶏肉を買い、コンビニで新作の缶チューハイを手に取り、使っていないサブスクを一つ解約した。「これで、多少は余裕ができたはずだ」と心の中で計算する。
その一方で、「来月になったら、もう少し安くなっている可能性だってある」と、小さな声が耳元で囁く。
決定的な瞬間は、意外なほど何の前触れもなくやってきた。
スペック表は、昨日までと同じだった。
だけど、値段のところだけが、静かに別の数字に置き換わっていた。五万円、高くなっていた。
僕はしばらく、その数字を見つめていた。
ブラウザの表示がバグっているんじゃないかと思って、一度ページをリロードしてみた。
Wi-Fiの状態を確認し、念のためにタブを一度閉じてもう一度開き直してみる。
そこでも、同じモデルの値段は、やはりきっちり五万円分、上の段に引き上げられていた。
「半導体価格高騰のため」とか、「円安の影響」といった説明文が派手に貼られているわけでもない。
ただ、ごく普通の顔をして、新しい定価として、そこに居座っている。
新幹線で片道どこまで行けるか、とか、松屋で何回定食を食べられるか、とか、そういう計算が頭の中で自動的に始まってしまう。
ついさっきまで「ちょっと頑張れば手が届く」と思っていたラインが手を離れて遠くに移動してしまう。
その距離の変化を、脳がうまく処理しきれず、しばらくのあいだ、思考が空転する。
もし数日前に、あのときに、なんとなく勢いで「注文を確定する」を押していれば、僕は今ごろ、そのPCを部屋の机の上に置いていたはずだ。
箱を開け、ケーブルを接続し、初期設定の画面を眺めていたはずだ。
その未来は、今となっては、並行世界にしか存在しなくなっている。
為替だとか、世界情勢だとか、需要の増加だとか、いろいろなものをひとまとめにして、「仕方ないよね」の一言に変換してしまう働きがある。
その「仕方ないよね」の影に、僕のぐずぐずした優柔不断さも、うまく紛れ込む。
五万円値上がりしたのは、もちろん僕のせいなんかじゃない。
だけど、五万円安かったあの瞬間に決断しなかったことについては、少なくとも半分くらいは、僕の責任だと言える。
責任と言ってしまうには、少しささやかすぎる種類の後悔だけれど。
昼休みの残り時間を、僕はその画面を閉じたり開いたりしながら過ごした。
新しい値段で見ても、それは相変わらず魅力的なマシンだった。
性能は何も変わっていない。
変わったのは、値札に印字された数字だけだ。
スペック表を読む限り、その値段でも「コスパは悪くない」と書くことはできるだろう。
その一文の前に、「以前の価格を知らない人間にとっては」という但し書きはつくけど。
そういう但し書きの多い買い物は、どこかで自分を消耗させる。
結局、その日のうちに「やっぱりこの値段でも買ってしまおう」と決断することはできなかった。
僕はタブを閉じ、何事もなかったような顔で午後の仕事にもどった。
けれど、キーボードを叩く指先のどこかに、「五万円」という数字がうっすらと残像のように貼りついていた。
チャットツールの通知音が鳴るたびに、メールの件名が目に入るたびに、その数字が行間のどこかから顔を出す。
ときどき、ふっとため息が出る。
そのため息の半分は、PCの値上がりに対するものだが、残りの半分は、もたもたしている自分自身に向けられたものだった。
パスワードを打ち込み、デスクトップが立ち上がる。少し時間はかかるけれど、ちゃんと動く。
ゲームを起動すれば、相変わらず設定を落とせばどうにか遊べる。
フレームレートが落ち、影の描写が簡略化され、ロード時間が少し長くなる。
その一つひとつに、僕は「まあ、しょうがない」と言い聞かせる。
値上げがされる前の数日間、僕は確かに、買うか買わないかの境界線の上を、何度も行ったり来たりしていた。
その行ったり来たりそのものが、どこかで楽しくもあったのだ。
カートに入れては戻し、別のメーカーのモデルと比較し、レビューを読み、その人の部屋の写真や机の様子を眺める。
そのあいだ、僕は「まだ選択肢を持っている人間」として存在できた。
けれど、値段が五万円跳ね上がった瞬間に、その選択肢の一つは、静かにテーブルの外へ押し出されてしまった。
一つは、「それでも必要なら、この値段で買うしかない」と割り切る道。
もう一つは、「今じゃないのかもしれない」と一歩引き、別のタイミングや別の機種を探し始める道。
今のところ、僕はそのどちらにも、はっきりとは足を踏み出せずにいる。
古いPCの前で、ブラウザのタブを開いたり閉じたりしながら、その中間のどこかに中腰でしゃがみこんでいる感じだ。
けれど、値札が書き換えられた瞬間の、あの小さな痛みだけは、しばらく消えそうにない。
■
26歳、女。ちゃんとしている。遅刻はしないし、締め切りも守るし、約束も忘れない。飲み会の幹事も、旅行のしおり作りも、なんとなく私の役になっている。「あの子がいれば大丈夫」という一言の中に、どれだけの「考えるのをサボっていい」が含まれているか、言われた本人だけがよく知っている。
26歳、女。会社では「助かる〜」「しっかりしてる」と言われる。資料の抜けを見つけるのも、会議の段取りを整えるのも、締め切り前日に静かに穴を埋めるのも、だいたい私だ。「そんなに頑張らなくていいのに」と言う人ほど、自分では最後までやり切った経験が少なかったりする。「頑張らなくていいよ」の裏に、「でも何かあったらちゃんとしてるほうが被るんでしょ?」という現実が透けて見えるから、私はあまり素直にうなずけない。
26歳、女。「私がやったほうが早いし、ちゃんと終わる」と思っている自分がいる。その自覚は、気持ちのいいプライドと、どうしようもない疲労をいっしょに連れてくる。任せて失敗されてイライラするくらいなら、自分でやったほうがましだ、と何度も思ってきた。そのたびに、「また私か」と心の中でつぶやきながら、自分で自分の首を締めている感覚がある。私が段取りを覚えたぶん、誰かは永遠に覚えないままでいられる。
26歳、女。デートでも、似たようなことが起きる。彼が一生懸命考えてくれたらしいプランが、細かいところでちょこちょこ噛み合わない。待ち合わせ時間と移動時間の計算が甘くて、予約の時間に微妙に間に合わなさそうだったり、レストランと映画館の位置関係がチグハグだったり。そんなとき、私は「大丈夫だよ、こっちの出口から出たほうが早いよ」とか「この店も良さそうだよ」とか、なにげない一言でルートを修正する。彼は、自分のプランが半分くらい私の調整に支えられていることに気づいていない。「今日のプラン、なかなか良くなかった?」と満足そうに言う彼を見て、私は「うん、良かったね」と笑う。私が差し込んだ小さな修正は、また一つ、「ちゃんとしてる私」の棚に静かにしまわれていく。
26歳、女。ちゃんとしている自分に、ちゃんと文句も言っている。「そこまでやらなくてよかった」「それ引き受けたらまた同じだよ」と、帰り道のエスカレーターで自分会議が始まる。次は断ろう、次は見て見ぬふりをしよう、と決めるのに、いざその場になると「しょうがないな」と笑ってしまう。私の「しょうがないな」は、誰かの「助かった〜」とセットで機能している。ちゃんと反省して、ちゃんと同じことを繰り返している。私の「ちゃんと」は、もはや習慣ではなく、半分くらい職業病だ。
26歳、女。たまに、少しだけ力を抜く。既読をすぐ返さない、誘いを即答しない、飲み会の幹事を「今回は他の人に任せようよ」と提案する。そうすると、「どうしたの?」「珍しいね」と言われる。「らしくない」とまで言われることもある。あなたが勝手に決めた「らしさ」のために、私がどれだけ自分を締め上げてきたかについては、考えたことがあるだろうか。らしくないと言われるたび、「そこまで私のこと知ってるつもり?」と、少しだけ笑ってしまう。
26歳、女。恋愛の場面でも、「ちゃんとしてるほう」に自然と回される。翌日の予定を考えるのも、避けて通れない話題を先に口にするのも、だいたい私だ。場の空気が変な方向に行きそうになったら、冗談で戻す。曖昧な態度が続きそうになったら、「どうしたいの?」と聞く側に回る。そのたびに、「こういうの、たまには誰かにやってもらいたいな」と思いつつ、自分が黙っていると何も決まらない未来も見えてしまう。結局、私が「ちゃんと」言葉にすることで、物事は前に進む。
26歳、女。ちゃんとしていることに疲れている。ちゃんとしている自分をやめられない自分にも、疲れている。それでも、「何も考えてこなかった人」と同じ場所まで自分を落とすことは、プライドが許さない。ここまで積み上げてきた「ちゃんと」をゼロにするのは、あまりにももったいない。だから私は、この位置に立ったまま、「ここまで来るのも、それなりに大変だったんだよ」という事実だけは、ちゃんと覚えておいてほしいと思っている。
26歳、女。私は今日もちゃんとしている。誰かにとって都合のいい「ちゃんと」かもしれないけれど、その都合のよさを作るために、どれだけ自分をすり減らしてきたかについては、私だけがよく知っている。もしあなたが、誰かの「ちゃんとしてる」に何度も助けられてきた側なら、次に「助かる〜」と言うとき、一瞬だけでいいから思い出してほしい。そこにはたぶん、「26歳、女。」みたいな誰かがいて、あなたの見えないところで、今日もちゃんと疲れている。
26歳、女。ちゃんとしている。遅刻はしないし、締め切りも守るし、約束も忘れない。飲み会の幹事も、旅行のしおり作りも、なんとなく私の役になっている。「あの子がいれば大丈夫」という一言の中に、どれだけの「考えるのをサボっていい」が含まれているか、言われた本人だけがよく知っている。
26歳、女。会社では「助かる〜」「しっかりしてる」と言われる。資料の抜けを見つけるのも、会議の段取りを整えるのも、締め切り前日に静かに穴を埋めるのも、だいたい私だ。「そんなに頑張らなくていいのに」と言う人ほど、自分では最後までやり切った経験が少なかったりする。「頑張らなくていいよ」の裏に、「でも何かあったらちゃんとしてるほうが被るんでしょ?」という現実が透けて見えるから、私はあまり素直にうなずけない。
26歳、女。「私がやったほうが早いし、ちゃんと終わる」と思っている自分がいる。その自覚は、気持ちのいいプライドと、どうしようもない疲労をいっしょに連れてくる。任せて失敗されてイライラするくらいなら、自分でやったほうがましだ、と何度も思ってきた。そのたびに、「また私か」と心の中でつぶやきながら、自分で自分の首を締めている感覚がある。私が段取りを覚えたぶん、誰かは永遠に覚えないままでいられる。
26歳、女。デートでも、似たようなことが起きる。彼が一生懸命考えてくれたらしいプランが、細かいところでちょこちょこ噛み合わない。待ち合わせ時間と移動時間の計算が甘くて、予約の時間に微妙に間に合わなさそうだったり、レストランと映画館の位置関係がチグハグだったり。そんなとき、私は「大丈夫だよ、こっちの出口から出たほうが早いよ」とか「この店も良さそうだよ」とか、なにげない一言でルートを修正する。彼は、自分のプランが半分くらい私の調整に支えられていることに気づいていない。「今日のプラン、なかなか良くなかった?」と満足そうに言う彼を見て、私は「うん、良かったね」と笑う。私が差し込んだ小さな修正は、また一つ、「ちゃんとしてる私」の棚に静かにしまわれていく。
26歳、女。ちゃんとしている自分に、ちゃんと文句も言っている。「そこまでやらなくてよかった」「それ引き受けたらまた同じだよ」と、帰り道のエスカレーターで自分会議が始まる。次は断ろう、次は見て見ぬふりをしよう、と決めるのに、いざその場になると「しょうがないな」と笑ってしまう。私の「しょうがないな」は、誰かの「助かった〜」とセットで機能している。ちゃんと反省して、ちゃんと同じことを繰り返している。私の「ちゃんと」は、もはや習慣ではなく、半分くらい職業病だ。
26歳、女。たまに、少しだけ力を抜く。既読をすぐ返さない、誘いを即答しない、飲み会の幹事を「今回は他の人に任せようよ」と提案する。そうすると、「どうしたの?」「珍しいね」と言われる。「らしくない」とまで言われることもある。あなたが勝手に決めた「らしさ」のために、私がどれだけ自分を締め上げてきたかについては、考えたことがあるだろうか。らしくないと言われるたび、「そこまで私のこと知ってるつもり?」と、少しだけ笑ってしまう。
26歳、女。恋愛の場面でも、「ちゃんとしてるほう」に自然と回される。翌日の予定を考えるのも、避けて通れない話題を先に口にするのも、だいたい私だ。場の空気が変な方向に行きそうになったら、冗談で戻す。曖昧な態度が続きそうになったら、「どうしたいの?」と聞く側に回る。そのたびに、「こういうの、たまには誰かにやってもらいたいな」と思いつつ、自分が黙っていると何も決まらない未来も見えてしまう。結局、私が「ちゃんと」言葉にすることで、物事は前に進む。
26歳、女。ちゃんとしていることに疲れている。ちゃんとしている自分をやめられない自分にも、疲れている。それでも、「何も考えてこなかった人」と同じ場所まで自分を落とすことは、プライドが許さない。ここまで積み上げてきた「ちゃんと」をゼロにするのは、あまりにももったいない。だから私は、この位置に立ったまま、「ここまで来るのも、それなりに大変だったんだよ」という事実だけは、ちゃんと覚えておいてほしいと思っている。
26歳、女。私は今日もちゃんとしている。誰かにとって都合のいい「ちゃんと」かもしれないけれど、その都合のよさを作るために、どれだけ自分をすり減らしてきたかについては、私だけがよく知っている。もしあなたが、誰かの「ちゃんとしてる」に何度も助けられてきた側なら、次に「助かる〜」と言うとき、一瞬だけでいいから思い出してほしい。そこにはたぶん、「26歳、女。」みたいな誰かがいて、あなたの見えないところで、今日もちゃんと疲れている。
よっしゃー!
フルボイスじゃないんだ!
ボイスが脳内再生されるぐらいにはやってきたから全然問題ないわ!
弾が撃てないのはなんで?って16時間ぐらい思ってたらさすがに日が暮れちゃうので、
よーく説明書を読んでみてやると、
下にゲージが出てきて丸い玉が流れてくるタイミングで押すのね!
超理解!
なーんだ、
そう言うことだったのね。
やっば千束のボディの武装の企業マーク付きのものがないじゃん!
うわー!
私としたことが不覚にも陥る感じの感情を初めて覚えたときと同じ気持ちになって、
早速迎撃戦という武装などを報酬で手に入れられる戦いに挑んだの!
なかなかレアなのよね。
でも胴の武装の迎撃戦に挑戦のいつもはイカ漁だーつってクラーケン倒しに行ってるんだけど、
今日は胴のボディの武装のしかも企業マーク付きのものを得たいと思ってそこに挑戦したの!
そしたらよ!
な!なんと!
ピッタリとはまるこんなことある?って感じの
おおお!
運良いかも!
早速千束にフル装備完了のこれから強くさせつつと思わせといて、
とりあえず、
企業マーク付きの武装4つは千束に装備できたからホッと胸を撫で下ろすとともに私は他の用事を済まそうと思ったの。
スプラトゥーン3の私が自分自身自らに課している1日1勝と1日1ガチャのノルマ!
うわ!超私強い!
そんなのじゃあたらないってーって、
やったー!
ロボットボムであぶり出して追いかけるって作戦なかなか良いかも!
って思いつつも束の間の夢!
やっば!ナイスダマくるよ!
また千束が言いそうな台詞を私は脳内でつぶやきながらスーパージャンプで爆風に巻き込まれそうになりながら離脱するの!
超カッコいいんですけど!
まるでブルースリーの映画を見たときに熱い熱いヤカンを持っても熱くないかも!ってそんな修行のシーンを思い出して、
私も素手で鉄の部分のヤカンは熱くない!って触ったらめちゃ熱かったので
映画を見たからと言ってブルースリーのように熱さに耐えられるとは限らないのよね。
でも『リコリス・リコイル』観たから軽量ブキの赤ザップで快進撃を繰り広げられているのは、
多分気のせいじゃないかも知れないのは無いことも無いかも知れないく無く無くない?
軽量ブキもいいんだけど、
やっぱり私は重量級長射程距離のエクスプロッシャーかハイドラントとかの重火器のロマン系ブキを背負ってステージを走り回った方が好きかも!って思いつつも、
いつもとは違う私の戦い方に自分自身戸惑いながらも
でね、
すっかり話題になってないと思って私がもしかして窓から投げ捨ててしまっていると思われている、
『ドラゴンクエストVII Reimagined』もちゃんとやってるわよ!
君はなにを今見つめているの~って太陽が暮れた季節のイントロに似ているので、
戦闘のたびに私は君はなにを今見つめているの~って歌うのがお決まりになっているドラゴンクエストVIIなのよ。
で、
早速船を手に入れて大海原に出発だー!って、
過去でクリアした島を今の現在の時間軸でもまた冒険するの?って
1粒で2度美味しいやつ?
つーか、
これをこの石版の数だけやってくの?
ってこの最初のドラゴンクエストVIIの石版集めて第1話のドラマも
これがあの石版の数だけのもしかしてストーリーがあるってこと?
これを考えるともう途方もなさ過ぎない?
私クリアできるのかしら?って
不安になるけれど、
まあここは一旦セーブして終わってまたNIKKEの世界に戻っていくのよ。
今は楽しい楽しいNIKKEとリコリス・リコイルのコラボのお話が楽しくていいんだけど、
待ってよ!
多分新しく開放されたメインストーリーのチャプター43と44は、
恐らく恐らく超鬱展開の暗いまたこないだの周年イベントのように心をえぐられそうな展開になりそうなので、
多分楽しいあとはそう言うことがNIKKEでは待ち構えているから、
足もとすくわれないようにしなくちゃ。
なんだか気が逸るわ。
うー、
これから来ると思われる鬱展開に備えて、
これがせめてもの対鬱平気なのよ。
これ以上ハイボールが捗りすぎても困るけれどね!
うふふ。
思いのほか梅の酸っぱさに目がメガ覚めそうよ。
おお!すっぱー!って。
朝には効く酸っぱさ美味さね!
なくなくやむなくこの梅おにぎりにしたってわけ。
でもこっちも美味しいのでよかったわ。
ホッツ白湯ストレートウォーラーにルイボスティーのパックを入れる
ちょっと朝明るくなるの早くなってきてる?
身体を温めてくれるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
確かに、サイゼで喜ぶ妻でバズった膣ギロチンにしても絶対何か障害ありそうな感じだし、サイゼで喜ぶ彼女でバズった揉めん豆腐も発達で女コミュで上手く行かずミソジニーになり、アンフェインフルエンサーすももと不倫したり、オタクたち相手にセックスボランティアとかやってセックスから逃げてすもも中心にしたオタク達から吊し上げられてたし、ワケアリの女多すぎた。
https://nikkan-spa.jp/2034937/2
https://okusama-news.com/chitsu/
DV彼氏に毎日殴られながら監禁状態で、SNSでおっぱいと呟いた男に自分の乳画像を送り、毎日おっぱいとつぶやき続けたオタク夫と出会う。
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オタク夫と結婚するも、夫はリボ払いなど金の使い方がだらしなく、サイゼで喜ぶ妻がバイトで借金を返す日々、やめるようにお願いしたら『お金を自由に使えないなら離婚したい』と言われる
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子供を作らないなら浮気するとオタク夫に言ったら夫公認で浮気をすることになる
その後浮気理由で離婚され、オタク夫が妻に浮気されたと嘆いてSNSでバズる。
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