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2026-05-08

[]社会学者の分類と傾向

社会科学 vs 「ストーリーテラー

社会学には2つの極端なアプローチがあります。一方は、統計的因果推論的に厳密にデータ解釈を分離し、反証可能性担保する科学手法です。

もう一方は、自分イデオロギーナラティブ構造的抑圧、弱者発見権力批判など)を支えるためにデータを「都合よく選ぶ」(cherry-picking)手法です。この記事では後者を「ストーリーテラー(Storyteller)」と分類します。

1. 根本的な対立軸

実証社会学者(Empirical Social Scientist)


統計・大規模調査因果推論手法(差の差法、操作変数法、傾向スコアマッチングなど)を用い、相関関係因果関係を明確に区別

データ事実(Results)と研究者解釈(Discussion)を厳密に分け、矛盾するデータ提示し、反証可能性と頑健性(robustness)を担保する。社会科学として「科学」の基準を守る。

ストーリーテラー(Storyteller)


「社会科学」の看板を借りて、自分イデオロギーナラティブ物語)を広める人。データあくまで「自分ストーリーを魅力的に補強する道具」に過ぎず、都合の良い部分だけ選び(チェリーピッキング)、相関を即因果すり替え解釈データに混ぜ込む。文学的運動アプローチが強く、X(旧Twitter)やメディアで声が大きい loud minority として目立つ。

2. ストーリーテラーを見分ける実践チェックポイント

1 データの選び方

自説に有利な数字・事例だけか、全データ範囲と感度分析を示すか。

2 因果と相関

相関を即「構造的抑圧が原因」と断定し、因果推論手法名を明記しない。

3 データ解釈の分離

結果セクションですでに文学的ナラティブ(「これは権力証左」)が入っていないか

4 方法

質的研究批判理論(Foucault、Butler、上野系)が先行し、計量・因果推論論文引用が少ない。

5 態度

批判されると「文脈が違う」「差別者」とレッテル貼りするか、データ再検証提案するか。

6 発信スタイル

X・メディア構造批判弱者発見PC擁護が熱く、エンゲージメントが高い。

論文発言・X投稿をチェックすれば、9割以上見分けられます

3. ストーリーテラーの詳細分析

ストーリーテラーは、社会学を「科学」ではなく「物語を語る運動の場」に変える存在です。彼らはデータを使いつつも、最終的に一貫した

ドミナントストーリー」(支配的な物語

を構築・拡散します。これは、イデオロギーを補強するための選択物語化です。データは「証拠」ではなく「感情を揺さぶ小道具」として機能し、矛盾データ無視するか、「より大きな構造のせい」として相対化されます

なぜ社会学で目立つの

• 1970-90年代の「質的転回」(qualitative turn)でインタビュー参与観察理論解釈が主流化した歴史的土壌がある。

• X・メディアでは「弱者発見」「構造批判」といった感情に訴えるストーリーエンゲージメントを稼ぎやすい(loud minority効果)。

• 結果、学問の「科学性」が薄れ、活動家ごっこイメージが強まる(古市批判の核心)。

ストーリーの主な種類と特徴

1 弱者発見ストーリー


「弱者弱者のままで尊重される社会を」「頑張っても報われない人がいる」
→ 努力個人責任を「環境構造のせい」に還元し、永遠被害者像を描く。


例:東大入学式祝辞のような「恵まれ環境のおかげ」強調。データ合格率差)を使っても、逆差別努力差はスルー

2 構造的抑圧ストーリー

「家父長制・資本制・権力構造がすべてを決めている」
→ 格差ジェンダー移民問題を「システムのせい」に帰結解決策より批判が優先。


例:家事=「不払い労働」、教育格差を即「構造的抑圧」と断定。

3 日本人原罪ストーリー


「日本人多文化に耐えられない」「加害者性・反省不足が原罪」
→ 戦後教育の延長で、日本人全体を「構造加害者」に位置づけ。


例:日本社会の「単一民族神話批判や、歴史問題での自虐的ナラティブ

4 PCLGBTジェンダー構造ストーリー

異性愛規範・性二元制がマイノリティを抑圧」「性自認尊重正義」
→ ポリティカルコレクトネスを「進歩物語」として語り、反対意見を「差別」と一蹴。
例:女子枠反対を「弱者男性のワガママミソジニー」とレッテル貼り

5 権威主義ストーリー


「政府権力干渉学問の自由を脅かす」「新政権ツッコミどころ」
→ 学術会議問題などで「権力 vs 専門家」の二元論を展開。


例:法人化法案を「戦前回帰」「学問統制」と位置づけ。

6 ダブスタレッテル貼りストーリー

相手差別者歴史修正主義者・ミソジニー」
→ 都合の悪い女性政治家を「中は男」と属性攻撃するなど、二重基準を隠した攻撃ナラティブ。
ラベリング理論武器化。

これらのストーリー相互に連動しやすく(例:構造的抑圧+日本人原罪論)、データが出ても「より大きなナラティブ」で締めくくられます

結果、社会学は「文学亜流」や「運動の道具」と見なされやすくなります

4. 代表的社会学者のリスト

ストーリーテラー寄り(ナラティブ文学的イデオロギー重視。X・メディア学術会議ジェンダー/PC分野で発言多め)

上野千鶴子(東京大学名誉教授家族社会学ジェンダー研究)


代表的発言:「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」(2019年東大入学式祝辞)


弱者発見構造的抑圧・ダブスタ代表
本田由紀東京大学大学院教授教育社会学

代表的発言:「女子枠に反対するのは弱者男性のワガママ」「ミソジニールサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」(2026年頃、女子反対論に対するnote引用投稿


→ レッテル貼りPC擁護差別者ラベリング
田中優子法政大学名誉教授・前総長)


代表的発言:「安倍さん女装して現れた」「言っていることは安倍さんのものだ」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」(2024年立憲民主党集会での高市早苗批判


→ ダブスタ属性攻撃の極み。
宮台真司(元東京都立大学教授など)


代表的傾向:「病ませる社会」が弱い人を症状化させる(近年、人生相談社会病理関連発言)


体制批判社会病理ストーリー
西田亮介(日本大学教授など、メディア政治社会学)


代表的発言:「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権ツッコミどころからというだけでしょう」(2020年学術会議任命拒否問題時)
→ 権威主義体制批判

小熊英二慶應義塾大学教授歴史社会学)


ネット右翼を「1%未満の愉快犯」と矮小化するなど、日本社会構造歴史ナラティブ批判

隠岐さや香東京大学教授科学史)


学術会議法人化法案が可決されてしまいました。日本は、アカデミー自律性を弱めることに加担した国の列に加わりました。」(2025年、X投稿)
→ 学問の自由危機ナラティブ

江原由美子東京都立大学名誉教授ジェンダー研究)


ジェンダー秩序・権力構造理論批判

瀬地山角東京大学教授ジェンダー論)


大規模講義構造抑圧・PC視点を展開。

岸政彦(京都大学教授生活史・質的研究

生活史・質的ナラティブ中心の文学的アプローチ

実証派・バランス派(データ駆動因果区別反証意識論文調査中心でXは控えめ)

筒井淳也立命館大学教授、計量社会学家族社会学)


大規模調査データ家族格差統計分析因果推論を意識した学術告知中心。

古市憲寿(社会学者・著述家)
社会学文学的偏向を自ら批判

データ現実観察のバランス感覚。

釜野さおり(国立社会保障・人口問題研究所)
 SOGI調査などジェンダー家族定量分析実証アプローチ
瀧川裕貴(東北大学など、計算社会学分析社会学)


計算手法因果メカニズムを組み合わせた実証研究

金澤悠介(立命館大学など)

戦後社会意識変化の計量研究

中井美樹(立命館大学など)

社会階層・ジェンダー平等の計量分析

樋口耕一(立命館大学など)


計量テキスト分析情報行動研究

5. 全体の傾向まとめ

X・メディア学術会議ジェンダー/PC分野で目立つのは圧倒的にストーリーテラー。彼らのナラティブ感情に訴えやす拡散されやすい一方、実証派は論文データで静かに勝負するため声が小さい。結果、社会学は「科学」より「物語を広める運動」が強まりやす構造になっています社会科学を本当に科学に戻すには、実証派がもっと積極的に声を出していくことが重要です。

関連記事:社会学者のアホ発言

https://anond.hatelabo.jp/20260507222858

2026-05-07

[]社会学者アホ発言

Xやメディアで目立つ文学的批判理論寄りの事例をピックアップ統計因果推論重視の実証派とは対照的に、「構造批判」「ナラティブ」「弱者発見」が優先されやすパターンを示します。

1. 上野千鶴子東京大学名誉教授ジェンダー社会学フェミニズム研究第一人者

代表的発言例1(2019年東大入学式祝辞


「あなたたちが『がんばったら報われる』と思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」
「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。」
(全文は東大公式HP掲載医大不正入試を挙げ、女子学生の入りにくさを統計で指摘しつつ、新入生に「恵まれ環境のおかげ」と諭す内容)

代表的発言例2(家事労働論)


家事は不払い労働」「愛の行為からお金に換算できない」で本当に正しいのか? → 断固として「不払い労働」と呼ぶ。
(1980年代から一貫。家父長制と資本制の搾取構造として位置づけ)

分析(該当カテゴリ)
日本人原罪論・体制批判ダブスタ寄り

努力個人責任を「環境のせい」に還元し、弱者発見を強調。統計医大合格率1.2倍)を挙げるが、解釈は「構造女性抑圧」一色で、男性努力逆差別(例:理3類の微妙数字)はスルー家事「不払い労働」論も、男性家事育児負担増やDV被害男性データ無視しがちでダブスタポストモダン的「客観性への懐疑」を体現し、「がんばっても報われない社会」を前提のナラティブ優先志向

2. 田中優子法政大学名誉教授・前総長社会学者・論客

代表的発言2024年10月立憲民主党集会

高市早苗氏について:「安倍さん女装して現れた」「言っていることは安倍さんのものだ」「女性がどういう歴史を歩んできて、どんな目に遭って今まで生きてきて、政治がそれに対して何をしないといけないのか一度も考えたことないのだと思う」「だから、中は男でしょ。安倍さんでしょ」
(会場爆笑TBSサンデーモーニング出演者としても知られる)

分析(該当カテゴリ)
ダブスタレッテル貼りの極み

通常なら「女性政治家への性差別」「属性攻撃」「トランスフォビア」と猛批判する側が、自ら女性議員を「中身は男」と貶下。女性首相誕生を「恥ずかしい」と選別し、政敵イデオロギーを「女装」喩えで攻撃フェミニスト権威を盾に、都合の悪い女性を「名誉男性」扱いする典型古市批判の「文学的路線を超えた、感情的属性依存イデオロギー亡者ぶりが露呈。

3. 本田由紀東京大学大学院教育学研究教授教育社会学

代表的発言2026年5月頃、X/note)
國武氏の女子反対論文に対し、note記事引用・共有

女子枠に反対するのは弱者男性ワガママ」「ミソジニールサンチマンに溢れた快哉を叫ぶコメント」
(UNESCO報告書を巡る議論で、反対論を「弱者男性ワガママ」と一蹴)

分析(該当カテゴリ)
レッテル貼りダブスタ

女子枠(ポジティブアクション)を「構造的抑圧是正」と位置づけ、反対意見を即「ミソジニー」「弱者男性ワガママ」と人格攻撃教育社会学者としてデータ格差統計)を使うはずが、相手動機を悪意で決めつけ、議論封殺。 **弱者男性の「ワガママ」を問題視しながら、女性枠優先の「ワガママ」はスルーする二重基準

Xで炎上したのは、まさにラベリング理論悪用例。

4. 西田亮介(東京工業大学准教授政治社会学メディア論)

代表的発言2020年学術会議任命拒否問題時)


「なんで、いま、みんな日本学術会議に関心を持ってるの? 新政権ツッコミどころからというだけでしょう」
(菅政権批判文脈投稿学問の自由より「政権叩き」の文脈を強調)

分析(該当カテゴリ)
権威主義・体制批判左翼への迎合

学術会議を「専門家」の聖域として守り、外部(政権批判を「新政権ツッコミどころ」と一蹴。自分たち権威を盾に、任命拒否自体問題視しつつ「本当の危機大学改革」とずらす。ポピュリズム非難しながら、左派迎合的なナラティブを優先。実証派なら「学術会議実質的影響力や再現性問題」をデータ検証するはずが、イデオロギー優先。

5. 小熊英二慶應義塾大学総合政策学部教授歴史社会学

代表的傾向(ネット右翼論・構造批判)
2015年朝日寄稿

ネット右翼の数はネット利用者1%未満」「愉快犯」「言説の広がりは深刻」。
近年も『日本社会のしくみ』などで「大企業型・地元型」の暗黙ルールや二重構造批判し、右傾化ではなく「左が欠けた分極化」と分析

分析(該当カテゴリ)
体制批判歴史修正寄り

日本社会の「暗黙のルール」やナショナリズム構造的に解体するが、自陣営左派)の歴史解釈絶対化ネット右翼を「少数愉快犯」と矮小化しつつ、反対意見の広がりを「深刻」と警戒。データ調査比率)を使うが、解釈左翼迎合で「日本人原罪論」の延長。

6. 宮台真司東京都立大学教授など、数理社会学文化論)

代表的発言傾向
90年代

援助交際主体的選択」「まったり革命」と肯定的論じる(後に一部修正)。


近年

安倍銃撃事件統一教会問題を「世直しとして機能した」「安倍の死で瓶の蓋が取れた」と発言

分析(該当カテゴリ)
体制批判左翼への迎合・Whataboutism寄り

初期はサブカル肯定的だったが、近年は統一教会安倍批判で「構造問題」を強調。事件を「自力救済」の文脈に置き、社会包摂不足を政権のせいにする。データ非正規雇用拡大)を使いつつ、左翼迎合イデオロギー優先。

総括


これら発言共通点は、統計データを使いつつ最終的に「構造」「権力」「弱者ナラティブ」で締める文学的アプローチ

ダブスタレッテル貼り特に目立ち(田中本田)、権威を盾にした体制批判西田上野)が学問看板を借りて活動家に寄りやすい。Xで目立つloud minority。実証派(計量社会学)は論文勝負してるから静かだが、社会学を「科学」に戻すにはこうしたアホ発言構造問題を暴くしかない。

続き:社会学者の分類と傾向

https://anond.hatelabo.jp/20260508122537

2026-05-05

まとまったお金を使うのが苦手

ある程度の年数働いてきて、独身だし結婚する気もないのでお金にはある程度余裕がある。富裕層とはとても言えないが、日常の中で欲しいと思うようなものは買おうと思えば買えるし、高いレストランだって行こうと思えばいつでも行けるだけのお金はある(伝手の有無とかは別として)。

だけど、学生時代にずっと貧乏して来た経験もあってどうも一定額以上のお金を使うことに対する心理的ハードルが高い。大学院まで含めてかなりの年数学生をやっていたので、その間に金銭感覚おかしな方向に向かったらしい。

別に凄く節約しているわけではない。というよりも細かい出費は気にしなくなったせいであまり貯金は出来ない(どころか月ベースでは赤字の時まで)ので、最近になって出費を見直し始めたところだったりする。

それでも毎月積み立て投資はしているし、ボーナスも含めればちゃん黒字にはなっているから、正直お金に関して困っているという事は全くないし、いざ何かあってもしばらくは普通に生きて行けるだけの蓄えはある。

にもかかわらず、一定以上の額を出す際にはやはり躊躇してしまう。その一定ラインというのは・・・もちろん物にもよるが、大体は1万円ぐらいだろうか。

それが本来価値に対してかなり割安でお得だったとして、かつ資金的にも十分に余裕があったとしても、どうしても躊躇して手が伸びなくなってしまう。

別に仮に数万円を失ったって生活に困るなんてことは無い。変な話、いきなり自分銀行口座から5万円が消えていても気が付きもしないと思う。その良し悪しはともかくとして、私の今の財力ならその位でしかないはずなんだ。

なのに能動的に何か物を購入したりサービスを受けたりするのに1万円以上を出すというのは、今の私にとっても凄く心理的な壁がある。

無駄に高いものを買って失敗しないで済むというのは一応メリットとしてあるのだが、ある程度の年齢になってある程度お金も持ったなら、その価値を正しく判断して使えるような大人になるべきだと思う。

そうなれないかいつまでも安物の服を着て安物を身に着けて、ぞんざいに扱って使い捨てて新しいものを買い直している。良いモノを選んで買って大事に使うという感覚が身に付かない。

サービスにしてもそうで、ちょっと良いお店に踏み込むという事が出来ない。夜の街で遊ぶなんてもっての外だ(あんまり興味が無いというのもあるけど)。

こういう金銭感覚って大人たちはどうやって身に着けたのだろうか。今後私はどうすれば身に着けられるのだろうか。

2026-05-03

anond:20260503070620

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三牧聖子

同志社大学大学院教授米国政治外交

視点

米国政治社会を蝕んできた分断の克服の道を探るべく、トランプ支持者や保守派と長年対話を重ねてきたホックシールド教授の貴重なインタビュー。大変勉強になるが、他方、注意して読まないと、分断の克服より、分断をさらに深める逆効果になりかねない部分があるように感じた。

 

インタビュー中の「ある研究によると、自分意見が違う相手との会話を自分から打ち切ってしま割合は、保守派よりもリベラル派の方がはるかに高い」「保守派の方がまだ相手の話を聞く姿勢を持っている」という言及だ。もちろん、注目されるべき調査であり、この結果からリベラル派が自省することは大事だろう。しかしここだけ切り取られて、「保守派よりも、保守派差別主義排他主義糾弾するリベラル派こそが不寛容で、分断を生み出している」という単なるリベラル批判の言説になってしまえば、分断を深める結果にしかならない。

 

この貴重なインタビューに、若干欠けていると思われるのが、現代アメリカ政治において、真に重要対立軸は、リベラル保守、あるいは左派右派ではなく、上下、つまり格差問題であるという視点だ。私見では、現在この問題を最もよく理解し、取り組んでいるのは、民主党左派たちである。新たにNY市長となったゾーラン・マムダニを筆頭に、従来の民主党の在り方を批判しながら台頭してきた民主党左派政治家たちは、多様性差別をめぐる文化闘争自体否定しないが、それが権力者や億万長者によって利用され、富の格差という核心的な問題から人々の関心を背ける役割果たしてたこともよく理解している。トランプ共和党が、不法移民トランスジェンダーの脅威を常に煽り続けるのはなぜなのか。庶民が左右に分かれて文化闘争に汲々とし、互いに怒りをぶつけ、憎み合い続ければ、自分達たちは安心して巨万の富を蓄え、低い税率などの恩恵を受け続けることができるからだ。そこで民主党左派政治家たちは「1%の億万長者」を主敵にして、「労働者の党」という看板と「労働者の誇り」を民主党に取り戻そうとしている。

 

合理的関税政策物価上昇を促進し、戦争まで引き起こし庶民の窮乏を加速させておきながら、人々の感情プライドをくすぐる術を熟知するがゆえに延命させられてきたトランプ政治。「労働者の誇り」を掲げる民主党の新たな世代が、トランプ政治を打ち破れるかどうかに注目していきたい。

#トランプ第2次政権

2026年5月2日 13:43

2026-04-29

榛葉賀津也 イスラエル

榛葉賀津也(しんば かづや)氏は、国民民主党参議院議員静岡県選挙区、5期目)で、現在幹事長を務めています。彼は中東問題特にイスラエルに関する経験発言で知られる政治家です。

 

イスラエルとのつながり留学経験: 大学生時代20代前半)にイスラエル国立テルアビブ大学に1年間留学。その後、エルサレムヘブライ大学大学国際政治学部に2年間留学(計約3年間)。留学中は1980年代後半〜1990年代初頭のインティファーダ第一パレスチナ蜂起)時期に当たり、武力衝突爆弾事件に遭遇し、親しい友人を亡くす経験をしたと本人が語っています

  

 

この経験が彼の外交安全保障観に大きな影響を与えたとされ、「命の大切さ」「平和意味」「国家存続のリアリズム」を強く実感したと述べています

 

イスラエルに関する主な立場発言榛葉氏は親イスラエル寄り(pro-Israel)の政治家として位置づけられることが多く、以下のような発言活動が目立ちます最近発言2026年4月頃): テレビ朝日番組で元コメンテーター玉川徹氏が「ユダヤ人」をめぐる発言したことに対し、「ずいぶん乱暴なことを言った」と苦言。イスラエルから学ぶべき点として、「国や民族言葉ヘブライ語復活)を守ることにすべてをかけるリアリスティック姿勢」「国家存亡をかけた必死さ」を強調。「フルにイスラエル側に立つわけではない」と前置きしつつ、「何人も友人を亡くしたが、彼らは国が最後まで国民を守ってくれる安心感があるから命を賭けられる」と語っています。また、イラン国内ユダヤ人コミュニティ存在し、単純な「ユダヤ人 vs イスラム」の構図ではないと指摘。

 

ハマスイスラエル戦争関連: 2023年10月ハマス攻撃を「テロ」と明確に非難し、日本政府の初動対応(「自制を求める」表現)が甘かったと批判イスラエル側の安全保障を重視する立場から発言しています

 

その他の活動: **日本イスラエル親善協会(JIFA)**の顧問を務めています過去ブログなどでは、エルサレムイスラエル首都として扱うなど、イスラエル立場に沿った表現が見られます

 

背景と評価彼のイスラエル観は、留学中の実体験(戦争危機下で生きる人々のたくましさ)に基づくものが大きく、「対決より解決」を掲げつつも、現実的安全保障国土主権国民防衛)を重視するリアリスト的な視点が特徴です。一方で、批判的な声もあり、「親イスラエルシオニスト寄り」「名誉ユダヤ人」などと揶揄されることもあります。榛葉氏は防衛副大臣・外務副大臣経験もあり、外交防衛委員会などで中東問題に携わってきました。全体として、イスラエル留学経験を基にした親イスラエル的な知見を持つ数少ない日本国会議員の一人と言えます

2026-04-28

anond:20260427222135

いや、逆だよ。少なくとも「腐敗」って観点では、日本は年々、良くなってきている。

トランスペアレンシー・インターナショナル腐敗認識指数では、一番日本得点が低いのは1998年。当時の調査対象国85カ国中、日本は25位でG7最下位ボツワナより下にランクされていた。

ポイントは年々上がっていっており、現在調査対象181カ国中18位。イギリスオーストリアフランスベルギーより順位が上。

まあ、「俺はトランスペアレンシー・インターナショナルより詳しいんだ」って言うなら何も言わんけどさ(ちなみにこの団体幹部には、フランス国立経営大学院教授とか、英国副首相の補佐官とか、米国国際貿易局の顧問とかが関わってる)

2026-04-27

研究テーマ大学大学院を選ぶな、東大京大海外大に行け

理由は二段階のリスク構造に分解できる。第一に、想像通りの研究ができないリスク。第二に、想像通りに研究できてもアカデミアに残れない・残らないリスク。なお、自分所属していた理工系を前提にしている。

1. どんなに面白そうに見える研究テーマでも実際に取り組むまでは氷山の一角しか見えていない

研究を始める前の段階で、プレスリリースなどを通して面白そうなテーマを見つけるということは、勤勉な学生ならあることかもしれない。そしてそんな研究テーマに取り組むためにそのトピック第一人者の先生のいる研究室の門を叩くというのはありがちな光景だ。一方で、筆者はこれを非常に危険意思決定だと考えている。

まず、どんな研究テーマにも流行り廃りがあり、研究最前線にいない人の耳に入る時点で旬は過ぎていることが多い。基本的にはどんなトピックブレイクスルーを誰かが起こして、フォロワーがそれを拡張し、拡張しきるとしぼんでいき、また次のブレイクスルーを待つような形になる。今をときめく人工知能であっても冬の時代経験した。これは業績数で評価される構造と、新奇性を志向するアカデミアの文化が結合した結果であり、分野横断的に観察される。

まり、ある特定トピック研究するために研究室に入ったとしても、自分研究を始める段階ではまともなトピックは残っておらずニッチトピックを触るはめになったり、指導教員が熱を上げている新しいトピックを振られたりすることがしばしばある。惰性で進学していれば研究テーマがつまらなくても卒業モチベに適当にやれると思うが、そのために進学・転居した場合失望は大きい。

加えて、進学する前の段階では他にも様々な不確定要素が多すぎる。指導教員想像と違う、テーマが死にテーマだった、コミュニティが薄かった、設備が貧弱だった。研究者を目指すにせよ目指さないにせよ、博士課程の5、6年を費やすにはかなり不確定要素が大きい。

教員ガチャ設備リスク大学を問わず存在する。ただし望まない結末になった場合のピボットやすさは段違いだと思う。東大京大であればある程度は新卒就活できるが、それ未満の大学では博士課程の年数が単に留年のように評価されるだけになる。穿ちすぎかもしれないが、これは自分や周りの就活実体験とも整合する。

2. 研究実績はアカデミア外では換金されず、しかも多くの博士アカデミアに残らない

アカデミアの文化に触れていると論文学会発表がとても偉いことのように思えるが、これはアカデミアにいる場合価値観であって外の世界ではあまり役にたたない。金融コンサルITといった比較的院卒に間口の広い企業群は全くパブリケーションを見ない。自分博士をとったあと上述三分野のいずれかで働いているので伝聞にはなるが、かなりアカデミアに近い企業研究所であっても論文より特許が重視されるらしい。

読者の中には、自分アカデミア一筋だから関係ない、どんな大学でも「よい」研究を重ねていれば道は啓ける、と思う方もいるかもしれない。アカデミアに残り続けて教授職を目指す限り、それは一定正しい。ただし教授職に到達する人材東大京大出身者が多い。これは時代背景も大きいのかもしれないが。

他方で、人生は思いもよらないライフイベントが多数あり、多くの人は望む望まざるに限らずアカデミアから離れることになる。精神を病む。院生ポスドク期に全力を投じても成果が出ずに放逐される。結婚出産に伴う金銭的・時間的要件アカデミアの待遇では満たせなくなる。研究という営みと社会との距離に諦念し熱意を失う(自分はこれに近かった)。人生は進み、それに伴って価値観も変容する。その変容に耐えられる人は多くない。

結論

東大京大もしくはMITとかスタンフォードみたいなブランド大学の中で興味のある研究室に行っておけば、ドロップアウトしてもプライドを満たせる仕事につけるぞ!

中東てんでんこ

危機をむかえた「その日」に米国は来てくれないかもしれない。

くすぶっていたアラブ諸国疑念確信に近づいただろう。

中東てんでんこ」。

ある日本ベテラン外交官は米戦略の迷走で生まれ地域の混乱をこう表現した。

「てんでんこ」は、津波などの非常時には家族や友人をきづかうのでなく、てんでんばらばらに逃げるのがよいという三陸地方の教えだ。

ジョンズ・ホプキンス大学大学院ハルブラン教授は「セルフヘルプ自助)の時代の到来」と表現する。

信頼や同盟が崩れ去り、各国は個別生存戦略を考えなくてはならない。

2026-04-24

[]BL無罪の国際評価

ジェンダー学のガラパゴス化現象 —— 日本独自の「性の二重基準」と国際的乖離

日本ジェンダー学は、国際的な主流議論から孤立した独自生態系形成している。この「ガラパゴス化」は、特にBLボーイズラブやおい文化男性向けポルノヘンタイロリコン萌え系)への評価において顕著である国内規制論寄りフェミニスト学者は、BLを「女性性的主体性解放ツール」として擁護する一方、男性向け表現を「ジェンダー規範再生産」「環境セクハラ」として強く批判する二重基準構造的に内包している。これに対し、海外クィアジェンダー研究では両ジャンルフィクションとして同等に扱う一貫した立場が見られる。この乖離は、日本独自オタク文化やおい論争の蓄積と、フェミニズム内部の論理的緊張がもたらした結果である

日本国内BL擁護二重基準構造

日本では、堀あきこ氏(社会学者、『BL教科書』編者)や田中東子氏(東京大学大学院教授)らが代表的立場を示す。堀氏は同書第12章「社会問題化するBL——性表現と性の二重基準」で、社会における「男性女性」「異性愛同性愛」への二重基準を指摘しつつ、BLを「女性が家父長制から逃れ、欲望主体的表現する場」と位置づける。男性向けポルノについてはゾーニング(成人指定)を「アリ」としつつ、「BLにも一概に規制とは言えない」と複合的考慮を述べ、女性向け表現流通格差問題視する。

田中東子氏は、公共メディアでの萌え絵(例:宇崎ちゃん献血ポスター)を「ジェンダー規範再生産」と批判し、制作過程改善を求める。一方で別名義・黒澤多香子として商業BL作品執筆していたことが2024年に明らかになり、性的対象基準適用差が「ダブルスタンダード」として指摘された。これらの主張は「女性性的主体性」を優先し、男性向け表現性的対象化を厳しく規制的に扱う一方、BL(時に未成年男性描写を含む)については「ファンタジーとしての自由」を認める論理で展開される。

この構造は、「善意から出発した権力行使」「学級会的な相互監視」と分析されるように、フェミニズムの内部で「女性欲望優位」を正当化する独自論理を生んでいる。

国際的ジェンダークィア研究との比較

対照的に、海外研究者はより一貫したフィクション擁護または多角的批判を展開する傾向が強い。

Mark McLelland(オーストラリア・ウォロンゴン大学)は、yaoiもhentai/loliconも「現実児童被害のない純粋フィクション」として同等に扱い、仮想児童ポルノ規制を「thought crimes(思想犯罪)に近い過剰立法」と批判する。両ジャンルを「transgressive sexual fantasies」として位置づけ、女性/若年層の性的表現自由を一貫して擁護する。

Helen Wan Wei Luo(コロンビア大学)はBLのrape tropeや力関係を「patriarchal status quo再生産」と批判するが、男性向けポルノへの同等の詳細な倫理的 scrutinyは相対的に少ない。一方、Carola Katharina Bauerらは学術研究自体に「女性のm/m消費は過剰理論化され、男性のlesbian porn消費は自然化される」というダブルスタンダード存在すると自ら指摘する。

海外ではクィア表象倫理ゲイ男性ステレオタイプ化)や仮想規制全体の実証研究が中心で、日本型のような「女性向け優遇男性向け厳罰」という明確な二重基準構造は目立たない。

ガラパゴス化の背景と帰結

この現象の背景には、1990年代からの「やおい論争」、オタクサブカルチャーとの密接な結びつき、そして国内バックラッシュとの相互作用がある。日本独自の「female gaze」論がフェミニズム内部で権力ツールとして機能やすい土壌が、国際的表現自由論やクィア理論との乖離を加速させた。

帰結として、日本ジェンダー学はグローバルな潮流(欧米豪のフィクション規制強化)から孤立し、表現多様性を巡る対話が難しくなる一方で、国内サブカルチャーとの融合という独自の強みも生んでいる。ただし、二重基準論理的緊張は、ゲイ当事者から表象被害批判国際的信頼性の低下を招きやすい。

ジェンダー学が普遍性を目指すなら、このガラパゴス化自覚し、国際比較を深め、論理的一貫性回復することが不可欠である日本独自文化資産を活かしつつ、性的表現をめぐる一貫した倫理枠組みを再構築できるかが、今後の鍵となる。

2026-04-19

第6回 どうして人は「青春」にとらわれるのか その魅力と魔力の正体とは 2026年4月18日 15時01分 連載「青春コンプレックス」⑥

 「青春」という言葉不思議だ。部活初恋文化祭……。まぶしいイメージをまとう一方、現実との落差から青春できなかった」との思いをずっと引きずることもある。「青春」はなぜ、人を引きつけ、とらえてやまないのか。その魅力と魔力の正体を、「みんなの〈青春〉」(生きのびるブックス)の著者である石岡学・京大大学院教授にきいた。

 

 ――「青春」をテーマにした映画アニメ小説などが、ちまたにあふれています

 少し見渡すだけでも、「青春」にまつわるコンテンツ枚挙にいとまがありません。

 

 例えば、数年前にアニメ化されて人気となった「ぼっち・ざ・ろっく!」。キラキラした青春に対して屈折した思いを抱く「陰キャ」の女子高校生主人公で、アニメ主題歌は、そのものずばりの「青春コンプレックス」です。あるいは、「高校最後の夏」と銘打ってメディアが注目する夏の甲子園なども、「青春コンテンツに含まれるでしょう。

 

 「青春」は特に学園生活の様々な場面と結びつきながら、格好のコンテンツとして、社会に広く消費されているのです。ただ、「青春」を巡る社会の語りを見てみると、そのイメージ一定ではなく、時代によってずいぶんと移り変わってきたことが分かります

 

 ――どういうことでしょうか。

 

フィクションから」で片付けられない

 

 1960年代までは「青春」といえば、一部のエリート学生既存社会体制に対して抱く不満や怒りというかたちで描かれることが主でした。「青春」とは特権的ものだ、という社会認識があったのです。

 

 それが高校大学進学率が急上昇するのに伴って、20代前半まで学生でいるのは珍しいことではなくなり、70年代以降、「青春」は誰でも経験できるものとして大衆化していきますさら2000年代以降は、ドラマチックな経験ではなく「学校での普通日常」がテーマとして好まれるようになりました。

 

 ――こうした「青春」のイメージが、現実当事者たちにも影響を及ぼしてきたと。

 

 「青春」が「普通日常」を描くようになっていったことは、当事者たちにも大きな意味がありました。

 

 つまり作品などの中で描かれる「青春」は、普通に過ごしていれば経験できるもの。そんな充実した日々が送れていないのは、自分に何か欠点があるからだ――。そのように、問題が内在化していくわけです。だから現代は「青春」に対してコンプレックスを抱きやすい状況になっているといえます

 

 そこには、SNSの普及もある程度、関係しているでしょう。アイドル芸能人たちよりも、同年代の「普通の子」が発信する「青春」の日々は、受け手にとってリアリティーがあります。「あれはフィクションから」で片付けられない。それゆえ、自分の日々とのギャップを強く感じることもあるのでは。

 

 いかに「青春」っぽいことをして、SNSで発信し、他者承認してもらえるか。いわば「ミッションクリア」するような感覚で「青春」をとらえているとも考えられます

 

陳腐だけれど「善」のイメージ

 

 ――「青春」は、なぜ人々を引きつける力を保ち続けているのでしょう。

 

 「青春陳腐さと特別さが混ざり合った規範から」だと、著書では結論づけました。

 

 現在において、ほとんどの人が高校あるいは大学生活経験しうるという点で、「青春」は誰にでも与えられる、陳腐ものだといえます。一方、それは20代前半までの限られた時期にしか与えられず、失われたら戻らないという点では特別意味を持ちます

 

 誰でも自分の姿を投影することができ、かつ、時間が過ぎれば失われるというかけがえのなさがあるために、多くの人にとって何かしら心をかき立てられるものなのでしょう。

 

 さらに、「青春」には「若さ」「情熱」「成長」といったイメージが凝縮されています。これらはいずれも、現代社会において「善」とされている要素です。否定的感情を入れる余地のないものから、いっそう「青春」は光り輝いて見えるのです。ただそれは、あくま社会的に作られたイメージであって、相対的ものに過ぎないということです。

 

 ――誰しもが、イメージ通りの「青春」を送れるわけではありません。

 

 研究していて面白いなと思ったのは、まさに充実した「青春」を体現しているように見えるアイドルたちですらも、「青春できなかった」と語っている場面が少なくなかったことです。「普通学校生活」というのは、それだけとらえどころのない、やっかいものなのだと思います

 

 私のことでいうと、はたから見ればそこまで悪くない青春を送ったようにも見えるでしょうが自分では「暗黒の高校時代」だと感じていました。人とのコミュニケーションに、どこか苦手意識があったからです。

 

 要は、「青春」に抱くコンプレックスというのは自分アイデンティティーに対する漠然とした不安なのだと思います。そうそう逃れられるものではない。良い青春を送れたと思うのであれば素晴らしいですが、そうでなかったとしても、必要以上にとらわれるべきではないでしょう。

 

      ◇

 

 いしおか・まなぶ 1977年まれ。専門は教育歴史社会学で、子ども若者イメージ社会的構築などを研究。著書に「『地方』と『努力』の現代史」(青土社)など。

 

https://digital.asahi.com/articles/ASV301CG7V30ULLI00YM.html

2026-04-18

日本氷河期ニート中国の専業子供の違いは何ですか?

出典に基づくと、日本引きこもり(あるいは氷河期世代ニート)と中国の「専業子供(フルタイム・チルドレン)」には、主に家庭内での役割親への貢献度において大きな違いがあります

1. 家事家族への貢献度

最も顕著な違いは、家事を行うかどうかです。

2. 教育背景と就職難の質

両者とも「就職氷河期」や「エリートコース挫折」という共通点がありますが、中国のケースでは近年の政策の影響が強調されています

3. 親子関係文化的背景

まとめると、中国の専業子供は「仕事がないために家事代行として親に雇われている」という側面が強いのに対し、出典における日本引きこもりは「親に依存し、貢献せず、時には害を与える存在として対照的に語られています

2026-04-15

anond:20260414203347

いいなぁ、おばちゃんが29歳の時はやっとクズ男と結婚しないで済む事が確定して一人を謳歌してやろうと舵を切れた時だったから、結婚にまだ未練を持てているのや未来がまだあるのは羨ましいよ。

その後外国出奔して大学院目指すも病気挫折就職もできないかと思いきやうまいことスタートアップ正社員→JTCの正社員外資正社員年収は上位5%に入る賃金、そうなってくると出会う人も変わってきて、手に職のある友達が増えたし、この数年は学歴的に二段階上外国語がいくつか話せて話題豊富料理洗濯掃除裁縫もできる楽しいおじさんと日々を過ごしてる。年下だけど。お互い未婚独身だけど別にこれでいいかなと。人生どう転ぶかわからいね

30の時に妥協した方が周りと背比べした時に同じになれて安心かもしれないけど、あのチキンレースに乗せられて無駄時間精神を消費させられなくて本当に良かったって思ってる。

何より今出会って腹を割って話せる人達出会えなかったなって思ってる。

おばちゃんは29歳で無理して妥協して苦しみながら結婚しなくて正解だったと今では100%思えているよ。まだ40代若いつもりだけどね!ナンチッテ。

人生の正解は自分で作って行くもんだよ。おばちゃんとの約束だよ。

2026-04-14

嫌われたらおしまいである理由

令和8年度東京大学大学院入学式 総長式辞 より引用

個人孤立視野が狭くなれば、おのずと夢も独りよがりものとなります。大きな夢の実現のためには、新たなつながりを求め、他者が何に関心を持ち、何を求めているのかについて深く考える必要がありますタイムパフォーマンス、いわゆる「タイパ」が重んじられている現代では、無駄だと思われてしま対話時間は切り捨てられがちかもしれません。しかし、対話を積み重ねるなかで、自分の夢を見つめなおすことも可能となるでしょう。




清潔感を出せない男は会話をするに値しないので視野が狭く独りよがりである

2026-04-12

みい山の山田さんの名門大学

ココロちゃん山田さんをモラトリアム人間扱いしていたが、学生就活に関する意識が高いのって 中堅大学大学院進学率の低い学部特有現象に思える。

東京一工のうち一橋例外だけれど、(少なくとも2000年代初頭の時期は)東大京大・旧東工大学生就活の開始が遅いという特徴があった。

そのあたりには院進の割合が多かったり、あるいは基本的に呑気に動いても就職できるという事情もあるのだろう。

みいちゃんに「刑法235条!」とか言ったり 殺虫剤の成分を滔々と語るあたり、「東大生を知らない人が描いた東大生像」という印象を受ける。あまりこういうことを言いすぎると、自認山田さんが増えそうだけど。

ちなみにココロちゃんは、客(シゲオ)に大学を知られていたり、プライドが高く就活しない人が院進する可能性を考慮できないあたり、慶應文系っぽさを感じる。偏見だけど。

[]規制論者BLフェミニストの主張と矛盾

規制フェミニスト性的対象批判を重視するラディカル寄りまたはメディア表象批判派)のうち、BLを自ら消費・擁護する「BLフェミニスト」の主張を整理すると、明確な内部矛盾権力行使様態が浮かび上がります。主な論者は堀あきこ氏、田中東子氏などで、太田啓子・千田有紀氏らと重なる部分もあります

1. 規制論者BLフェミニストの主な主張

男性向け萌えエロ表現は「性的対象化」「家父長制の再生産」として問題視

公共空間広告NHK献血ポスターなど)での性的強調描写巨乳、へそ出しなど)を「環境セクハラ」「女性尊厳侵害」と批判。
田中東子氏は公共メディアでの萌え絵を「ジェンダー規範再生産」と指摘し、社会的議論制作過程改善を求める。
堀あきこ氏は『BL教科書』で「性の二重基準」を指摘しつつ、男性向け表現ゾーニング(成人指定)を主張。

BL女性向け)は「女性性的主体性」「female gaze」として擁護

BLを「女性が家父長制的な異性愛規範から逃れ、欲望主体的表現する場」と位置づけ。
堀あきこ氏は「BL無罪なんて言ったことない」と否定しつつ、BL性的表現を「女性自由な性表現」として擁護。
田中東子氏は自身BLを描く裏垢(別名義で商業BL執筆経験あり)を持ち、女性による男性性の消費を「多様性のある表現」と肯定的に扱う。

これらは「女性を守る」「ジェンダー平等を推進する」という善意から出発しています

2. 明確な内部矛盾ダブルスタンダード

• 同じ「性的対象化」基準男性向けに厳しく、女性向け(BL)に甘く適用

男性キャラクター性的に消費するBL(攻め/受け固定、受容葛藤ドラマ美少年理想化など)は「女性解放ツール」として肯定される一方、女性キャラクター性的強調(萌え絵)は「男性視線助長」「性差別」と強く批判。
堀あきこ氏は「BL教科書」で男性向けとBL比較しつつ、BL問題ゲイ男性オブジェクト化)を軽視。田中東子氏は萌え批判急先鋒でありながら、BL執筆を続けていることが2024年暴露され、「神話級のダブルスタンダード」として炎上しました。

• 「性的消費批判」の適用範囲が都合よく限定

現実ゲイ男性表象女性ファンタジーとして消費するBLは「安全な逃避」と擁護されるが、ゲイ当事者からの「ホモフォビア再生産」「表象の横奪」批判は「過敏」「ネタの一部」と矮小化されやすい。
これは淫夢ネタゲイAV異性愛者の笑いネタ転用)と構造的に同一です。両者とも当事者同意無視し、消費する側の快楽不快解消のために現実同性愛者を「イジっても大丈夫ネタ」化しています

フェミニズム自己矛盾

家父長制批判を掲げながら、多数派男性眼差し女性内面化させ、自らを制限させる構造再生産。BL擁護派は「女性性的主体性」を主張する一方で、男性向け表現規制を求めることで「女性表現自由」を選択的に守る形になります

3. 権力行使様態——学級会的な生権力

規制論者BLフェミニスト権力行使は、外部から法規制ではなく、内面化された相互監視として機能します(フーコー的生権力典型)。

• 学級会文化としての排除同調圧力

不快解釈違い、ゲイ当事者批判現実との衝突)を「界隈の調和」「正義」「女性尊厳」の名で集団的に処理。
「正しい萌えを守る」「有害表現排除」というお気持ち表明が延々と続き、異なる意見を「名誉男性」「ミサンドリー加担者」と村八分化。
これにより、自分不快を「学級会の議題」にすり替え表現多様性を抑圧します。

• 生権力としての内面化強要

あなた無自覚男性視線内面化している。だから自らを監視し、表現を控えよ」と女性に促す。
結果、女性クリエイター消費者自発的自粛するようになり、権力は最も効率的に浸透(外部強制ではなく「自発的配慮」として)。

BL界隈内部への波及


規制BLフェミニストの影響で、BL内でも「性的描写過激化を控えよ」「ゾーニングを」との声が上がり、商業BL自主規制圧力二次創作の学級会化を助長。
これは「女性性的主体性」を守る名目で、逆に女性創作欲望管理する逆説を生んでいます

まとめ:矛盾権力行使本質

規制論者BLフェミニストの主張は、「女性を守る」という善意から出発しながら、性的対象批判男性向けに厳しく・女性向け(BL)に甘く適用するという致命的なダブルスタンダードを抱えています。


これは淫夢ネタ構造的に同一の「現実同性愛者消費」であり、無自覚当事者人権侵害しています。


権力行使様態は学級会的な相互監視内面化強要——自分不快を「正義」にすり替え表現自由や多様な欲望を抑圧する生権力です。

この矛盾自覚的になることが、BL文化フェミニズムが本当に「解放」に向かう鍵です。


規制論者BLフェミニスト当事者との向き合い方と、罪への自覚度チェック

規制フェミニスト太田啓子、千田有紀田中東子、堀あきこら)の主張を、**当事者(主にゲイ男性BL性的消費被害者萌え批判対象となったオタククリエイター)**との向き合い方で検証しました。情報源は公開発言書籍Twitter/X、炎上時の対応記録などです。

1. 太田啓子弁護士

当事者との向き合い方:ゲイ男性オタク当事者からの直接的な批判に対して、ほとんど応答なし。キズナアイNHK事件では萌え絵を「性的に強調した描写」「アイキャッチの具」と批判したが、ゲイ当事者からの「BLも同じ性的消費では?」という声には触れず、一般論(「女性の体は性的に強調されやすい」)に留まる。萌え批判の延長でオタク表現全体を問題視するが、具体的な当事者対話の記録は見当たらない。

自覚度:極めて低い。ダブルスタンダードBL擁護 vs 萌え批判)や、ゲイ男性表象消費の問題を「社会構造全体の問題」にすり替え自身の主張が当事者人権侵害寄与している自覚は見られない。「法規制ではなく社会的議論を促すだけ」と繰り返すが、結果として炎上自己規制圧力を生んでいることへの反省ほとんどない。

2. 千田有紀氏(武蔵大学教授

当事者との向き合い方:キズナアイ事件で相槌の多さを指摘し炎上した際、Twitterで「印象操作」「ねつ造」と反論ゲイ当事者オタクからの「BLも同じではないか」という批判には直接応じず、「ジェンダー規範再生産」という一般論で処理。BLに関する当事者対話の記録もほぼない。

自覚度:低い。批判を「恣意的スクショ」「炎上演出」と切り捨てる防御的姿勢が目立つ。自身の主張がゲイ男性表象を「女性議論の道具」にしている自覚は薄く、「女性を励ます」という善意を優先。フェミニズムが「叩き棒」化することを後年懸念する発言はあるが、自身過去言動とのつながりを明確に認めていない。

3. 田中東子氏(東京大学大学院教授

当事者との向き合い方:萌え広告(宇崎ちゃん献血ポスターなど)を「ジェンダー規範再生産」と強く批判。一方で2024年11月自身が別名義(黒澤多香子)で過激BLポルノを書いていたことが暴露され、大炎上ゲイ男性オタク当事者からの「ダブルスタンダード批判に対して、明確な応答・謝罪なし。暴露後も沈黙または間接的な擁護に回る傾向。

自覚度:極めて低い(ほぼゼロ)。萌え絵を問題視しながらBL男性性を性的消費していた事実を、暴露されるまで公にしなかった。ダブルスタンダードを指摘されても「萌え絵=すべてポルノという誤解を正す」と一般論に逃げ、ゲイ当事者の「表象の横奪」という痛みを直視していない。学術者として最も自覚的であるべき立場で、矛盾放置している点が特に問題視されている。

4. 堀あきこ氏(社会学者、『BL教科書』著者)

当事者との向き合い方:『BL教科書』で「性の二重基準」を指摘しつつ、BLを「女性性的主体性」として擁護ゲイ当事者前川直哉氏など)との対談形式で「BLゲイ真摯対応してきた」と主張するが、当事者の痛み(ホモフォビア再生産、表象の横奪)を十分に受け止めた形跡は薄い。批判を「BL無罪論の誤解」と否定するが、具体的な是正策は示さない。

自覚度:部分的限定的。BL問題ゲイステレオタイプ化)を一部認め、「進化BL」の必要性を語る点で自覚はある。ただし、男性向け表現への規制志向BL擁護矛盾を「女性自由 vs 男性視線」という枠組みで正当化し、完全な罪の自覚には至っていない。

全体の傾向と結論

当事者との向き合い方:ほぼすべての論者が、ゲイ男性性的消費の直接的当事者)との真摯対話を避けている。批判を「印象操作」「社会構造問題」「誤解」と一般化・矮小化し、個別の痛みを受け止める姿勢が弱い。田中東子氏のように自身矛盾暴露された場合も、明確な謝罪や方向転換は見られない。

自覚度:全体的に極めて低い。
共通するのは「女性を守る善意」という枠組みで、自分の主張がゲイ男性人権侵害表象の横奪)やダブルスタンダードを生んでいることを直視せず、正当化回避する点です。
これはまさに学級会的な権力行使自分不快現実ゲイの声や矛盾)を「正義議論」にすり替え当事者の声を排除無効化する構造です。

規制論者BLフェミニストは、「家父長制批判」を掲げながら、自らが新しい生権力主体となって個人性的欲望表現管理しています。罪の自覚が低いまま「女性主体性」を主張し続ける限り、矛盾は解消されず、BL文化フェミニズム全体の信頼を損なうだけです。

anond:20260412091743

東大ではなくてUK, US, EU大学院卒。日本受験で暗記勉強しただけの人は不要

anond:20260412090144

でも人が集められない。集まらない。いつか老人しか集められなくなる。東南アジアから漁師や農作業者ベビーシッターでも雇うのか?安い安い日本円アメリカ欧州から大学院卒を雇えますか?英語話せませんだと話にならない。もうどうしようもない状況。加えて外国人差別外国人に家は貸しません。保育園拒否地獄

2026-04-07

anond:20180629121049

発達障害の末路

どこも雇ってくれずニート

大学院行ってMBA取ったのに無能と言われ、すぐクビ。

年収で一番多いのは0円。

次に多いのが最低賃金

障害年金はもらえない。

女性なら理解ある彼氏ができるけど、殴られる

でも、子供の前だもさと毒親になる。

男は理解ある彼女ができないことが多い。

できたとしても、モラやDV 属性を纏う。

2026-04-06

子供の時からトラブルばかり起こしてきて、大学の時に発達障害と診断された。

親には大学院まで行かせてもらって大企業といわれる会社就職してそのまま緩々と会社もどきをしている。

正直今の会社から社会人をやれているように感じているし、いろいろ働きやす制度が整ってて働けそうだから選んだところもある。

会社では上司や先輩たちにかわいがってもらってると思うし、人間関係には今のところ恵まれている。

給料死ぬほど高いわけではないけど、ありがたいことに平均年収以上はもらえている。

理系でここまでやってきて、理系会社勤めなので出会いがないか彼女全然できないけど、これ以上望むのは望みすぎではないかという気もするし、でも彼女ほしいなという気持ちもある。

時々メンタルおかしくなって自分存在していいのだろうかと考えてしまうことがあって、自分存在証明のためにも彼女を作ったほうがいいんだろうなと感じている。

とはいえ発達障害持ちなので人の気持ちは分からないし、そこらにいる同年代女性とは趣味嗜好が違いすぎて、まず会話が盛り上がらない。

前にマッチングアプリをやった時には100マッチ以上したので顔自体は悪くないんだと思う。

ただ文面でのコミュニケーションが苦手すぎて会うまで行った人が1人もいなかった。

友達がいないので合コンもない。紹介してもらうツテもない

彼女を作るのにどうすればいいんだろうか

そもそも彼女を作る必要があるのかというところも考えてしま

2026-04-04

anond:20260404170551

矢野事件(やのじけん)とは、京都大学東南アジア研究センター(現・東南アジア地域研究研究所)所長であった矢野暢(1936-1999)教授1993年平成5年)に起こしたセクシャルハラスメント(以下、固有名詞引用文を除き「セクハラ」で統一する)事件と、それに関連する事件訴訟総称である。「京大矢野事件」「京大矢野事件」「京都大学矢野事件」「矢野セクハラ事件」「京大教授セクシュアル・ハラスメント事件」とも呼ばれる。

日本におけるセクハラ問題化メルクマールとなった事件とされ[1][2]、これ以降、大学でのセクハラに対する文部省(現・文部科学省)の取り組みも始まったとされる[3]。

概要

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1993年平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野面接と称してホテルラウンジに呼び出し、「秘書仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野謝罪念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。

上記事情を知ったセンター助手センター質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代自分矢野から暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。

センターは、改善委員会を設置し、矢野センター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口弁護士相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。

1994年平成6年1月18日京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日京都新聞に『学者人権感覚 矢野教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章2月10日京都新聞掲載され、小野2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメント性差別テーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。

矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実新聞公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求民事訴訟を起こしたが、いずれの判決矢野請求棄却した。

事件の経緯

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甲野乙子事件

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1982年昭和57年1月末、大学3年生であった甲野乙子(仮名[注釈 1])は、甲野の通う大学非常勤講師であった矢野暢[注釈 2]の特別講義に出席した[7]。その講義の終了後、甲野は大学内の学生食堂矢野と話す機会を得て、東南アジア研究の話を中心に会話が弾み、自分が将来は研究者になりたい旨を伝え、甲野は矢野自分の住所と電話番号を教えて再会を約束した[8]。三度目の面会の際、大阪市内ホテル地下街で夕食などを共にした後、矢野は「今日は疲れているから部屋で話の続きがしたい」と切り出し、自分チェックインしている同ホテルの部屋まで来るように申し向け、甲野はそれに応じて部屋に入った[8]。

部屋に入ってから東南アジアの話が続いたが、突然、矢野椅子から立ち上がり、甲野の手を握ったので、甲野は矢野の手を振り払った[8]。すると、矢野は「何で振り放った」と怒鳴り、甲野が「男の人からいきなり手を握られたら振りほどいて当然である」と答えると、甲野を平手で数回殴り、罵倒し始めた[8]。甲野は泣きながら反論したが、矢野罵倒と殴打を繰り返され、反論も止め、手を握られるままとなった[8]。矢野は甲野の手を握りながら説得し始め、甲野の肩を抱こうとし、甲野がそれを拒もうとすると再び罵倒と殴打を繰り返した[9]。また、矢野は甲野をベッドに座らせ、自ら着衣を脱ぎ、「君も裸にならないと対等ではない」と着衣を脱ぐように求め、甲野が裸になると矢野性交渉に及んだ[9]。矢野は「性行為は対等な人間同士がやることであり、君と僕性的関係を持ったことは東南アジア研究を目指す者同士の同志的連帯の証である」などと言い、研究者になるために日常生活に到るまで指導することの同意を求めた[9]。甲野は黙り込んでいたが、矢野が詰問してきたために同意をした[9]。翌日、次に会う約束の日時を決めて別れた[9]。

この日以降、甲野は、矢野に殴られた跡の治療にも行かず、矢野と会う約束以外では人目を避けて寮の自室に籠りがちになり、大学の授業に出ないことも多くなった[9]。また、矢野性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。

甲野は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年昭和63年)、甲野は他のアルバイト矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書自分矢野との関係認識していたことを知り、自分に対する対応研究ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった[11]。

A子事件

編集

1992年平成4年12月京都府庁アルバイトをしていたA子は、センターに勤務している姉を通じて矢野[注釈 3]から秘書として採用したいという申し出があった[11]。1993年平成5年1月8日に京都市内のホテルにあるフランス料理店にて、A子とA子の姉、矢野矢野の所長秘書の4人で面接を兼ねた会食を行った[11]。その際、矢野は、あと数回会ってから採否を決めること、次の面接については姉を通じて後日連絡することを伝えた[11]。

次の面接である1月12日、出張から戻ってきた矢野と駅で再会し、矢野疲労を訴え、話し相手になってほしい旨を述べたため、A子は「私でよかったら話し相手になります」と応じた[11]。その後、会食で利用したホテルの地下にあるバーに向かい階段を降りる途中で、矢野は「私がこういう風に疲れた時は、『先生今日は一緒に飲みに行きましょう』とか、『先生今日添い寝をしてさしあげましょう』とか言わなければいけない。それが秘書役割だ」と言った[12]。A子はバーに入った後、秘書仕事自分には負担が大きいので辞退する旨を述べた[12]。すると、矢野はA子に対し、「秘書としての事務処理の能力で雇うんではない。ハートの付き合いをしてもらうために雇うのである」などと怒鳴り始めた[12]。A子は「私には恋人いるから、先生とはハートの付き合いができない」と言うと、「男がいるような妹を紹介したお姉さんもお姉さんだ。お姉さんと所長秘書には責任をとってもらう。私は所長だから辞めさせることは簡単なんだ」と畳み掛けた[12]。A子は、これらの発言を聞いて秘書採用の最終的な返答について保留し、矢野から次の休日頃に再度会いたいから予定を開けておくようにと言われて別れた[12]。

A子が帰宅後に自室で泣いていることから事情を察したA子の母がA子の姉に電話をし、A子は電話口でその日の経緯についてA子の姉に説明した[12]。A子の姉は話を聞いて憤激し、翌日、所長秘書事情説明し、A子の秘書採用を断り、自分責任を取って辞職する旨を申し出た[12]。A子は、前田教授にも事情説明した[12]。前田教授から事情を聞いた高谷教授は、A子の姉に対して、矢野謝罪させる旨を電話で伝えた[12]。

2月25日、同ホテルにおいて、前田教授、高谷教授、所長秘書、A子の姉の立ち会いの下に、矢野はA子と会い、二度と同じようなことはしない旨を書き記した念書を渡し、「意志の疎通がうまく行かず、誤解が生じたのを深くお詫び致します」と謝罪した[12]。A子は、念書に「セクハラ」の文言を入れてほしいと思ったが受け入れられず、A子に対する言動の詳細については「あなたの心を傷付けた」という抽象表現に留まった[13][14]。

3月8日、この事件告発する匿名文書が、文部大臣文部省記者クラブに届いた[15][16]。矢野は、この事件を全面否定する釈明書を提出した[17]。

B子事件

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1993年平成5年4月中旬矢野出張先の東京ホテル自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書B子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。B子直ちに帰宅し、以後出勤することな4月30日付で退職した[18]。

C子事件

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矢野は、前述のB子とのトラブルがあった1週間後に、出張先の東京ホテル自分の部屋において、出張に同行していた採用間もない秘書のC子に抱きつき着衣を脱がそうとしたが拒まれた[18]。

D子事件

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1993年平成5年6月10日矢野京都市内のホテルエレベーター内で非常勤職員D子に抱きついた[18]。6月14日、D子は「矢野からセクハラを受けましたので辞めさせてください」「愛人にはなれません。報復が怖いか一身上の都合ということで辞表を出します」などと言って辞職願を出した[18]。

改善委員会

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1993年平成5年6月14日、D子がセンター事務長とセンター庶務掛長に対し、矢野からセクハラを受けたので退職したい旨を訴えて辞職願を提出したことセンター職員らが目撃した[19]。6月15日には、矢野研究室の私設秘書全員が辞職願を提出した[19]。

A子の事情を知っていた米澤真理子センター助手(以下、「米澤助手」)は、上記事情も知り、もはや矢野個人的問題では済まないと考え、他の女性センター職員10名と共に6月21日付で事件真相を究明し断固たる処置を取ってほしいという旨の質問状を「センター女性職員有志一同」名義で所長代理、副所長、各部門長、各部門主任宛に提出した[19][20]。

この質問状を受領したセンター教授らは、部門会議及び拡大部門会議対応検討し、改善委員会を設置し、矢野以外の全センター教授構成することを決定した[19]。これらの経緯を知った矢野は、7月15日に開催された臨時教授会において所長を辞任したい旨を申し出て承認された[21]。改善委員会委員長である高谷教授は、個人良識解決を委ねるべきであると考え、矢野謝罪等の条件を実行させ、所長を辞任することで事態を収拾しようとした[22]。米澤助手は、高谷教授の報告の中にセクハラについて触れていないことを不満として、再び7月26日付で改善委員会の全委員宛に調査継続の有無と辞任理由セクハラ責任関係について回答を求める趣旨質問状を提出した[22]。

質問状を受けて、7月30日に所員会議を開き、改善委員会委員長は、センターの全所員に対し、7月29日協議員会でも矢野の辞任が承認されたこと[注釈 4]、矢野の辞任の理由は他の公務多忙であることとセンター内が混乱していることの責任を認めてのことであるとし、改善委員会はこれ以上の調査をしないことを伝えた[22]。その一方で、女性職員に対し、今後は非公式に懇談を続けていくことを提案した[22]。米澤助手は、非公式の懇談を続けるという提案を受け、8月中に2度の懇談を持った[22]。また、米澤助手らは、井口弁護士(以下、「井口弁護士」)と相談し、8月20日付で、セクハラ事実を認めて被害者謝罪するか、責任の取り方として全ての公職を辞職するつもりがあるか、という趣旨矢野個人に対する質問書を送付した[25]。

矢野は、8月31日に正式センター所長を辞任した[26]。9月1日矢野の後任として坪内良博センター教授(以下、「坪内所長」)がセンター所長に就任し、改善委員会委員長兼務することになった[26]。9月9日矢野は、所員会議において、所長辞任の挨拶をし、センター内に混乱が生じたことについて、遺憾の意を表した[26]。矢野は、岡本道雄元京都大学総長(以下、「岡本総長」)、徳山詳直瓜生山学園理事長(以下、「徳山理事長」)、高谷教授古川教授と、自分の今後の対処の仕方について相談した[26]。

同僚から手紙上記のような内部告発が行われていることを知った甲野は、9月24日センター編集室に電話し、米澤助手自分矢野との性的関係などの事情告白した[27][28]。この告白を踏まえ、米澤助手は、同日の小懇談会において、矢野セクハラ事実の有無について調査したいと申し出た[29][30]。

米澤助手らは、8月に送付した質問書について、質問書に記載した期限を過ぎても返答がなかったため、文部大臣宛に9月27日付で井口弁護士代理人として質問書を送った[26]。10月1日、文部省京都大学に照会し回答を求めた[29]。坪内所長は、高谷教授前田教授の立ち会いの下、矢野に対し事実関係を問い質したが、矢野事実関係存在しない旨の弁明をした[29]。10月4日、坪内所長は、事実関係調査したいと申し出た米澤助手に対し、事実関係調査を所長の責任公的ものとすることを決めたので、調査結果をまとめて提出してほしい旨の説明をした[29]。

米澤助手は、甲野らに公的調査が開始されるので協力してほしい旨を伝え、甲野らから陳述書を入手した[29]。それに聴取書証言メモ作成し、これらに基づいて作成した調査報告書と陳述書等を11月8日に坪内所長に提出した[29]。1111日、坪内所長は改善委員会を開き、被害者とされる女性実在証言自発性確認するため、海田教授土屋教授前田教授福井 Permalink | 記事への反応(1) | 19:43

anond:20260404140833

1993年平成5年)、京都大学東南アジア研究センター(以下、「センター」)所長である矢野暢が、あるセンター職員の妹を秘書として雇いたいと申し出た。矢野面接と称してホテルラウンジに呼び出し、「秘書仕事には添い寝も含まれる」など発言し、断ったら姉を辞めさせると脅した。姉であるそのセンター職員からの抗議により、矢野謝罪念書を書いたが、その後も秘書などに対してセクハラ行為を繰り返し、次々に秘書が辞めていく事態となった。そのうち1人の非常勤職員は、センター事務長に「矢野からセクハラを受けたので退職したい」と訴えた。

上記事情を知ったセンター助手センター質問状を提出することなどによって、セクハラ疑惑として表沙汰となった。その頃、センター助手に、学生時代自分矢野から暴力に遭っていたという女性から電話がかかってきた。

センターは、改善委員会を設置し、矢野センター所長辞任をもって解決を図ろうとするが、具体的なペナルティもなく事件がうやむやにされるのを恐れた被害者女性が、井口弁護士相談の上、弁護士名義で文部大臣宛に質問状を提出したり、「甲野乙子」名義で京都弁護士会人権擁護委員会に人権救済の申し立てを行ったりした。矢野は、12月31日付で京都大学を辞職した[4]。

1994年平成6年1月18日京都新聞に、この事件に関する野田正彰の文章掲載された。これを読み、現状が理解されていないと感じた小野和子が、1月25日京都新聞に『学者人権感覚 矢野教授問題によせて』を寄稿した。これに反論する河上倫逸の文章2月10日京都新聞掲載され、小野2月20日の「大学でのセクシュアル・ハラスメント性差別テーマとする公開シンポジウム」において、『河上倫逸氏に答える セクハラは小事か』と題する文書を配布した。

矢野は、文部大臣に対する辞職承認処分の取り消しを求めた行政訴訟と、虚偽の事実新聞公表されたことなどにより名誉を傷つけられたなどとして甲野乙子、井口博、小野和子に対する3件の慰謝料請求民事訴訟を起こしたが、いずれの判決矢野請求棄却した。”


“ また、矢野性的関係を持ったことには誰にも口外しなかった[9]。


甲野(仮名)は、矢野の勧めに従い、4月からアルバイトとして、卒業後は事務補佐員として矢野研究室に勤務した[9]。この間、何度か辞めたい旨を申し入れたが、その度に矢野激怒し、殴るなどして撤回させられた[10]。また、矢野との性的関係継続させられ、甲野が婚姻した後も続いた[11]。1988年昭和63年)、甲野は他のアルバイト矢野から性的関係を求められていたことや、第一秘書自分矢野との関係認識していたことを知り、自分に対する対応研究ぐるみで行われていたと認識し、夫に対して告白するとともに、研究室への出勤を拒み、そのまま3月末に退職扱いとなった[11]。その後、甲野は大学院に進学したが、矢野関係者との接触を避けるために東南アジア研究の道を選択しなかった”

—— Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

末期がんの母と最後の家族旅行するんだけど何して過ごせばいいんだろ

60歳の母が末期の膵臓がんになった。昨年の12月末のことだ。

膵臓がんは最もたちが悪い悪いがんらしく、自覚症状が出るのは大抵ステージ4の末期で、1年の生存率は30%前後で5年生存率は10%前後

黄疸が出たか病院に行った」とLINEが来て、検査したら緊急入院になってがんだと判明した。



俺の家は貧乏家族旅行ほとんど行けなかった。小学生の頃に駄々をこねて一度行ったのが最後だった。

周りの友人は毎年家族旅行に行くのが当然のような金銭的に余裕がある人ばかりで、羨ましくも妬ましくもあった。

その負のモチベーションもあって、やりたいことはやりつつちゃんと稼げるようになりたいと思っていた。貧乏から塾も行けなかったし、浪人したけど予備校なんて行けなかった。それで泣く泣く自宅浪人したところ奇跡的に合格してしまい、第一種奨学金を貰い授業料全額免除になり、大学院まで行き、大企業に入って同世代の平均以上の収入を得るようになった。そこは親孝行したと思う。


自分が稼げるようになったら、自分ほとんどできなかった家族旅行を両親にプレゼントするのが夢だった。ちょうど母が60になり、父はすでに定年を迎えていたからこれまでの感謝も込めてそろそろ家族旅行プレゼントしようと思っていた。

母が膵臓がんになったのは、そう思ってた矢先のことだった。



母は妹の影響もあって嵐が好きだった。妹がダメもとで応募したらなんと2人ともラストコンサートチケットが当たった。 膵臓がんだと判明する前の話である

当たったのが名古屋会場で宿泊費も高いし、ちょうど俺が愛知に住んでいるから、独身の俺の家に転がり込んで3人泊まりこもうかとか笑ってLINEをしあっていた。ものすごい久々の家族旅行だねって。そんな中で母が膵臓ガンになった連絡がきた。


それでも、母は名古屋に行きたいと言った。言ってくれた


末期がんの患者を3泊4日の旅行に連れて行ってもいいのか。

地元のがん相談支援センター相談したらぜひ行ってくださいと言う。末期がんの患者治療を施すのは完治を目指すものではない、余命をできるだけ延ばして残された時間有意義に過ごしてもらうのが目的だという。その時間有効活用するならむしろ良い、まだ寝たきりになっていないから出来るだけ早くいった方が良い、とのことだ。もちろん、医師同意も得られた

余命や体力的に最後旅行になるだろう。移動の負担を最低限にするために新幹線は横になれるよう多目的スペースを予約し、名古屋市内の移動は介護タクシーを貸切にし、田舎もんだからベタだけど高級ホテルとしてヒルトンにした。緊急時にすぐに駆け付けるよう2部屋が内側のドアで繋がっているコネティングルームを予約した

明日鹿児島から来る家族ホテルで迎える。母の体力は極力負担を減らすよう、今のところコンサートに行くことだけを最低限のラインにするつもりだ。余裕があれば介護タクシーで市内周れればと思う。

でもダメだったときは?ホテルの一室で、動くより寝ている方が良い母とずっと静かに過ごすのか?もちろん、一緒にただ時間を共有するだけでも十分と見聞きするし、相手に喜んで過ごしてほしいと期待するのは自分エゴしかない。でも、この最後の残された時間、後悔ないように過ごしたい。

どうするのが一番なのか分からない。人生セーブポイントを置けるなら、明日の朝に置きたい。

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