はてなキーワード: スクーリングとは
通信制で友達を作る気持ちもなく誰1人も友達はできなかったけど今はすごくいい選択をしたと思う
不登校の勉強も全くできない人間だけど、小学生の頃想像していた自分よりも今居る場所が良いから今までのことを書いてみる。
小学校と中学校ではずっと勉強もしていないし、何も分からない授業に参加されられて泣いたり
別室登校ができるようになったら次は教室に入ろうと言われて行かなくなるの繰り返し。
中学生になり、学校に通えるようになりたいと思い1週間わからない宿題もして毎日登校した
高校に入ってバイトを始めて、週3日10時からのシフトに入った
親の金銭的な束縛から抜けられ精神が安定して親の機嫌も良かった
私がレポートをちゃんと出してちゃんとバイトに行ってるかららしい
2年生から美大受験のための予備校に通い始め、バイトのシフトは週3〜5ぐらい入った
授業中に眠すぎたら寝てもよくて、気持ちが楽で週2日1時間かけて通う予備校に一回も休まずに行けた
3年生はバイトを辞めて受験に身を入れて浪人生が通う昼間部に所属した
最初の半年はすごく体力的にキツかった、寝付きにくくて薬を飲んで寝たり
寝不足になって体がずっと眠かったりして授業中に寝てどうにか毎日通う
スクーリングに行った時に体力がついたのか、お昼頃に充電切れになって寝るようなことがなくなり
朝起きれるようになった
数回電車で吐き気と冷や汗の症状(おそらく規律性調整障害)が出たけどだいぶ付き合えるようになった。
受験直前にストレスで低音性突発性難聴になった、無理もできずストレス溜めると難聴になる
だいぶ昼間部の生活に慣れたのでバイトを始めることにした、全く違う自分になりたくて周りが殆ど会社員というバイトを始めた
緩くて時給も高く土日祝日だけのバイトだったので休日はほぼ消え
受験当日も全く眠れなくて薬を飲んだけど眠れなくて睡眠時間3時間で受けに行った
受かった
通院はなくなった
体を慣らしながら少しずつやることを増やすことでだいぶいい方向に修正できた気がする。
起立性調節障害の症状は今でも出るけど、朝ごはんを必ず食べてちゃんと水分を取って外に出て
毎日同じ時間に起きて予備校に行く生活になってから生活リズムが整ってだいぶ良くなった
こんな風に体のことも全部には向き合わなくてはいけないけどほどほどに離れてみないと生きれないなと思います。
私は美術の世界の緩さが合っていたしすごく好きです、何もかもがこうであれとは思わないけどもう少し高望みしなければ楽かもしれません
高2に通っていた週2日と夏期講習などの費用が大体50万
高3と浪人
予備校の昼間部は大体1年で画材費、講習費込みで150万を2年
大体これぐらい出せないと美大受験を諦めることが多い、受験生や大学で関わった人の親の大抵は大企業のサラリーマンや自営業が半々ぐらい
たまに自分で稼いで全てを賄っている人がいる
私の家はサラリーマンの良い方(中の下)ぐらいの稼ぎで美大界隈ではかなりお金がない方、平均から見ると中の下
就職に有利な名前の売れている私立に進学できる人は大体親が自営業か、1000万円ぐらいの奨学金を借りてる
エリートサラリーマンでもないただのサラリーマン家庭は大体1年までしかお金を工面できず受験できなくなる
私も1年までで諦めるつもりで受験して公立に受かって、名前を知られている大学なので美術界隈でなくとも就職はできるかなと
甘い考えだけど
美大受験や学費高い問題は大体就職を考えると名前がある大学に入らないといけない
でもそのためには受験をしっかりしなくてはならず
早めに受験対策を始めたり、浪人するから予備校費用でお金が飛んでいく、という所もあると思う
国公立大学の量も少なく競争率が高く、大学の上層部と下層部の間がほぼないのも問題。
中層部あったら私も浪人しなかった
ここまでお金を出してくれた親には感謝しているし、おそらく不登校で心配をかけていたので頑張ってくれているのかなと
私はさ中学生〜高校生あたりまでずっと「うちはお金ないんだ、貧乏なんだ」って思って暮らしてたんだよ。だって病院行くにも「あんたはほんま金かかるなあ」って文句言われるし塾行くにも編入するにもずっと金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金って言われて育てられたから。お金よりもまず娘の体調を心配して欲しいのに。だから私はもっとお腹を壊すのに。そんなにお金がかかるのが嫌ならなんで子供なんか産んだんだよってずっと思ってた。なのに妹がうちの家計についてなんて言ってたか知ってる?妹がが買ってもらおうとしていたものに対して「それお金かかるじゃん」って私が言ったらさ、「大丈夫、わたしお父さんとお母さんのこと信頼してるから!だって何でも買ってくれるもん🎶」だよ?
私だってわかってるよこの家が貧乏なんかじゃないことを。だってお父さんはいつも良い服着てるし子供のセーターを買う時には一直線にイーストボーイに行くし、お母さんは物価高に気づくのが私や世間よりずっと遅かったし、何より一馬力なのに物価高の今でも変わらぬ生活水準を維持できているし。平均以上、いやさらにそれ以上のお金がないことはないって気付いてた。ただ長女の私に余計なお金を遣うのが本当に嫌なだけなんだと。私は通信大学に入学が決まった時、「ああこれでまた『アンタは金がかかる』って言われなくて済む」って心底安堵した。それでもスクーリングの学費や交通費を申請するのは気が重くて、なんて言われるか怯えながら毎回お願いしてた。「アンタは金がかかる」って言われるたび、私は「アンタなんか要らないのに」って言われてる気持ちになるから。今年の冬、いつも自分で払ってる教科書代が、授業が重なって高額になってしまって、いつもお父さんが「教科書代は出してあげる」って言ってるのを信用して今回は出してもらえないか聞いたらさ、大きなため息ついて乞食扱いだよ?お金はあげる、それくらい自分で払え、父親と母親の板挟みで、信用したら裏切られて甘えようとしたら突き放されて。お金を貰える貰えないよりも、このやりとりが何よりもつらかった。
これが一貫して「子供にお金を遣うのが嫌な親」だったらまだ納得できたのに、妹にはポンポンお金遣ってるんだもん。そのうえ「アンタは金がかかる」と責めることもないし、「誰の金で生活してるんだ」と必要以上の罪悪感を抱かせることもしない、もちろん乞食扱いだって一切しない。ずるいと思わない?私なんか最初から要らなかったんだと思わない?私がいなくて妹だけだったら良かったのにっていつも思うの。
「遊びに行く時は毎度毎度お小遣い付き」「私がお金無くて友達と遊べないって相談した時は、『そういうこと言うと次から誘ってもらえなくなるよ?』って嬉しそうに言いのけたのに?それで私だけサイゼでお水飲んでたのに?」
「ルミネで可愛いブラジャー買ってもらえるんだ」「初めて下着を買った時、友達は生活必需品だからと親にお金を貰っていたから、私もと思って貰えるか聞いてみたら、大きなため息をついて『そんなお金ない』と言い放ったのに?」
「入学祝いのiPad」「私の入学祝いは自転車だったのに?しかも私の学割使えとか意味わかんない自分で買えよ」
「ジルスチュアートの財布」「電子辞書」「全身イーストボーイ」「switchもスマホもiPadも全部全部やり放題」私と妹との扱いの差は枚挙にいとまがない。
私のコンプレックスの根源は「両親に愛されたい」という強い気持ちが満たされないことにある。小学生の頃の私にとって、お母さんはいつも機嫌が悪い人で、父親は機嫌を損ねると大きな体と声と方言で怒鳴り出す人だった。しかもキレるポイントが理解不能。
中学生の私にとって、両親は私を支配しようとする人たちだった。思い通りにならないから縛りを強くして、私はそれが耐えられなくて反発しての繰り返し。スマホを没収するための金庫を買ったのを見た時は、心の底からゾッとした。私を支配することに夢中で、私との戦いに勝たなきゃとムキになってるんだ、もうこの人たちには話なんか通じないんだと恐怖した。当然私の意見なんか聞いてくれなかった。中1の中間テスト期間に、数学のワークが終わっていないからと部屋に軟禁されて、足を組んで座ったお父さんがゲームしながら真後ろで私を監視していたあの日から、私の心はおかしくなった。
高校の時のことはもうあんまり思い出したくないし、脳が思い出さないようにしてるのかもうあんまり覚えてない。ただ、高3の時はお父さんの姿を見るだけで、頭が真っ白になって、全身の震えと涙が止まらなかった。本当。自分の体がいつも通り制御できなかったのは初めてだった。私は過食嘔吐になって1年間食べたものをずっと吐いてたけど、お父さんとお母さんには見て見ぬ振りをされた。
中学の友人にも、高校の友人にも、成人してから「あなたの親はちょっとおかしかったよ」って言われた。おかしいと思ってたのは私だけじゃなかったんだと思ってホッとした(もちろん、普通以上の暮らしをさせて、たくさんお金を出してやってるのに、とかそういう話ではないことをわかって欲しい。ここに書いてあるのは全て、『普通以上の環境と金銭を与えられたのに、どうして娘が心を病んだ出来損ないになってしまったのか』その理由だから)。
もう一つ付け加えると、「誰の金で暮らしてると思ってるんだ」って言われたことがあるって言ったら、それも友達にドン引きされた。昔の話だって言うのもわかるけど、もうとっくに大人だった2人にとっての10年前の発言なんて、覚えてないしそんなつもりもなかったんだろう。だけど、まだ心の柔らかい子供だった私にとっては、一度言われたことでもこうやって心の中心に根を張って残ってる。そんなこと今更言われたってじゃあどうして欲しいんだって言うんだろうな。ここまで読んできてまだそんなことを思うのであれば、この長い訴えはひとつも届いていないんだろうなって私が悲しくなるだけだよ。私はただお父さんとお母さんに私の話を聞いて欲しかっただけだった。
私は両親の機嫌をうかがって怯えながら暮らす方法なんて覚えたくなかった。なのに妹にはそれが許されてる。人生で一番辛かったのは不登校の時、二番目は過食嘔吐に苦しんでた時、三番目が、妹と自分の存在価値の差を見せつけられてる今。過食嘔吐はストレスの発散も兼ねていたけど、今は道具がないからもう吐けなくて、それに過食嘔吐は本当に辛かったからもう二度と吐きたくない。カショオができない今この家のリビングにいると排気ガスみたいな異臭がするようになった。耳鼻科では何の異常もなくて、ああ私はこの家にいちゃいけない存在だからこんな酷い異臭がするんだなと思った。過食嘔吐に戻りたいと思ったのは完治して以来初めてだった。
結局は家族なんて血が繋がってるだけで、個々の自我を持つ他人の集合でしかないのは事実だ。それに加えて昔からお父さんとお母さんは、保護者と子供の関係を一方的な支配による繋がりとみなしている面がかなり強かった。だから思い通りにならない子供を縛るし、対等な話し合いの場に降りるなんてあり得ない。話を聞いて欲しいなら同じ土俵にまで上がってこい、あ、ただしお前は誰の金で生きてるのか考えろよ?って。「親に逆らうな」「馬鹿にしやがって」「口答えするな」、今思うと私はあなたたちの幼少期の復讐の道具にされていただけだった。父親は祖父にファミコンを壊された恨みを私にぶつけて電子機器を隠して回った。母親は私のことを”理不尽な目に遭っても私たち長女だから仕方ないよね“仲間だと思っているけれど、私はあなたの娘であなたから愛情を貰うべき存在だ。私はあなたたちの人間的成長の犠牲になったというのか。
家族の関係が改善したのはお父さんとお母さんが支配を諦めたのと、私がお父さんとお母さんに愛されることを諦めたから。2人はそれぞれの人生をもつ人間だけど、私にとっては替えようのないたった2人の保護者だったのに。私の7年続いた反抗期は全部「私自身を見て」「私の話を聞いて」「私に興味を示して」「私を心配して」「私の存在を許して」「私のそのままを愛してくれ」ってSOSだったのに、私が大人になって全部諦めることで終わりを迎えた。とても虚しい。期待したって意味ないことに気づいたのだってお父さんもお母さんもただの血が繋がってるだけの他人であって、いくら私が望んだって他人を変えることはできないと知っているから。
私はお父さんのことがお母さんのことが大好き。大好きだから私ばっかり期待して、期待以上のものが何も返ってこなくて落ち込んでる。私はお父さんとお母さんのことが大好きなのに、お父さんとお母さんは私が心療内科で何の治療をしているか知ろうとしないし、過食嘔吐を知らぬ存ぜぬする割に嫌味だけは言いにくるし、そもそも私がPMDDで数年間悩み続けてコツコツ治療をしていることさえ1ミリも興味がない。どうにか興味を持ってもらいたい私が1人でペラペラ喋ってるだけ。妹と扱いが違う!と訴えても仕方ないってヘラヘラするだけ。ひとこと、やりすぎだったね、ごめんねって言ってくれるだけで多少は救われるのに。私の気持ちなんて考えたこともないんだろう。
私は妹のことが大好き。一人っ子だったらもっとお金出すことに文句言われなかっただろうなって思うことは何百回もあったけど、それでも妹がいない生活なんて考えられない。たった1人の妹。妹が自分と同じ思いをしないように私なりに頑張ってきた。不登校の妹が「もう死にたい」と泣いた時は抱きしめて2人でわんわん泣いた。そんな悲しいこと言わないでって泣きながら、頭の片隅で私が死にたいって言った時親はなんて言ってたっけって思い出してた。ただただ困惑されて、腫れ物扱いに拍車がかかったのを覚えてる。
私はブラジャー代貰えなかったから妹には入学前に持たせてあげなきゃって思って「買ってあげたら?」って言ったら本当に買うからびっくりした。じゃあ私は?なんで?そんなお金ないって言ってたのに?
自分がして欲しかったことを妹に施すことで救われる自分と、より深く傷つく自分がいて、私は1人でどんどん気持ちを病んでいった。私は失敗作で実験体だと思った。3月からリビングはずっと異臭がしてた。これを書いている今もする。
妹の図々しさとか末っ子振る舞いにはイライラすることがある。それでも私も姉のはしくれだからか、顔を見ると全部許してしまう。私は妹がいなければ良かったなんて思ったことは一度もない。妹がいなかったとしてもその分の愛情が私に注がれることはない。私は可愛い娘じゃないから。いつもいつもいつもいつも「私が要らなかったんだ」と思う。「妹だけでよかったじゃん」って思ってる。
私はもう次に進みたい。もともと持っていたPMDDの治療もかなり良いところまで来ていて、ホルモン由来の不安定からはだいぶ抜け出せた。それでもいつも自分なんか要らないんだと泣いていて、そのきっかけは全部全部家のこと。親のこと妹のこと家族のことでしょっちゅう傷ついて、過食と無茶な生活で自分を痛めつける生活から抜け出したい。お父さんとお母さんと離れてもう何も期待しないで済む距離を保ちたい。許されている妹と許されない自分を比べたくない。家から出て一人暮らしがしたい。ここから一人暮らしについて相談する予定だったけど、親の顔を見るととてもじゃないけど自分の気持ちを話す勇気なんてもうとっくに枯れてしまっていて声が出せなかった。きっと両親は本当に何も考えていないだけなんだと思う。私の腐った心はもう元には戻らないのに。どうせ話したって何も聞いてもらえないのが身に染みてる。どこにも出すあてがなくなった日記の供養でした。私の両親、やっぱりちょっとおかしいよ。
中学1年で学校の環境が合わない、あと家族関係のストレスから不登校になりそのまま復帰できず中学卒業、通信制高校に進学するも単位を取る気力が続かず4年かけて卒業
大卒の資格あったほうがいいんかなぁと思って何のビジョンも無いまま通信制大学に進学、でも学費が思いの外高くて(単位取るためのスクーリング受けるたびにそれなりの額の受講料を払わなきゃいけない)1年目はほとんど単位が取れず2年目はとりあえず休学←イマココ
ここまでの間にバイトは一切してなくて、ただでさえ低所得家庭なのに親に学費とか諸々出してもらってる
バイトして親の負担を減らしたい気持ちはあるけど外に出る勇気が出なくて何もできてない
人と話すのが怖くてしょうがなくて対人恐怖症っぽい自覚はあるけど、金が無いから病院にも行ってない
ここまで読んでもらったら分かると思うんだけど、辛いことからひたすら逃げて引きこもり続けてたらいつの間にか社会の底辺になってた
で、相談になるんだけど
とりあえず親に世話になりながら単発バイトとかやりつつ大学は続けて頑張って卒業するか、
大学辞めて本格的にバイト始めて少しずつ貯金しながらひとり立ちを目指すか、どうすればいいか迷ってる
正直これ以上親に迷惑かけたくないから早く一人暮らしができるようになりたいんだけど、バイトすらろくにできない今の状況でそこまで漕ぎつける未来が見えないし、退学したとしても将来就職するとなったら学歴が高卒、しかも通信制なのがネックになるんじゃないかとも思う
勝手にキッチンを使うと親が嫌そうにする。私は片付けたつもりでもしまうところが違ったり(元々あった場所が思い出せない)、洗い方がおかしい(このフライパンにアルミのスポンジは痛む)等など。百私が悪い。あと食材は母が計算して買ってくるので基本的に使ってはいけない。
だから親のいない時は卵と餅を食っている。お餅のフレンチトーストおいしい。
親に料理教えてもらいなよ、と言われるが母は弟の通院・スクーリングなど母にも用事がある。私も午後からバイトがある。2人がお昼時に時間のある日が少ない。
かつて母が料理を教えようとしていた時期があった。小学生の増田は裏面の説明を参考にカップ麺を作ることが出来た。しかし母は「カップ麺の作り方を教える」といって横で監視した。緊張で手元が狂い後入れ火薬を先に入れた。
別の日はチャーハンの作り方を教えてくれた。IHの元栓とか換気扇の位置とか見てたら「ぼーっとしない!」といわれ、言い返してしまった。一々言い返すほどのことでは無いんだが、家族以外にも直前に言われたことを覚えようとメモなどを取っていると「話を聞いていない」と勘違いされることがあり、カッとなってしまった。
その後高校生位になると午前中だけの時とかコソコソ飯を作るようになった。
ADHD妻ガー!!みたいな投稿ってきっと釣りじゃなくて、本人はやっているつもり・注意されてキレる・でも本人は頑張っているつもり なのでそりゃ嫌んなるよねーと思う。
最近は片付けられるようになったもののそれでも私が料理をすると嫌な顔をするので一人暮らし始めてから料理覚える方がいいかなって思ってる。お互い性格が合わないの理解してるし。
中学生の時、ちょっとした友達同士のトラブルから不登校になった。
学校に通えないまま中学を卒業し、保健室で卒業証書をもらった。まさか自分が経験する最後の卒業式が小学校になるとは思わず、教員や両親の「おめでとう」の言葉が飲み込めなかった。
欠席の問題から公立に通えず、私立も通える高校の中に同じ中学の女子がいない学校がなかったため通信高校に行った。
自宅で勉強をしながら昼間には母と買い物し、夜には当時大学生だった姉にしょっちゅうドライブに連れて行ってもらい、父の知り合いの夫婦が2人だけでやっている飲食店でバイトも始めて結構楽しかった。
しかし、家族かライフステージの異なる人たちとしか関わらない生活の中で私の対人能力は確実に落ちており、ある日同級生とのちょっとした会話の齟齬から通信高校のスクーリングに通えなくなった。ずっと優しく見守ってくれた父から初めて怒鳴られ、母に大泣きされ、仲の良かった姉からは冷たいトーンで「もういい加減にしてよ…」と言われた。それでもどうしても学校に通うことはできず、私が高校を卒業することはなかった。
昼間、誰もいない家でたった1人過ごしていた私はネットの世界にどっぷりハマった。あらゆるSNSに登録し、ゲーム、漫画、イラスト、コスプレなどのコミュニティに入り込んだ。17歳の子綺麗にした女というだけで、私はどのコミュニティでも天使や女神のように扱われた。チヤホヤされることで存在意義を感じていた。
あらゆるコミュニティのあらゆる男性とセックスをしていたが、ある日たった一度のつもりで会った男性に行為を隠し撮りされており、それをネタに関係の継続やとてもできそうにないハードな行為を要求された。
その後、初めてのアナルセックスを経験した夜に部屋で泣いていたところ姉が部屋に入ってきて、そのタイミングで前述の男性から何度も何度も着信が来たことからそのことがバレた。
母が警察に通報し、相手の男性は捕まった。動画が本当に削除されたか、或いは既にネットの海に流れ出たのかはわからないが、ひとまず解決した。
問題の解決と引き換えに私は家族から完全に愛想を尽かされた。外出は禁止で日中も祖母や親戚の家に預けられた。今に続く本格的な引きこもりの生活が始まった。
今日の昼、家族が連休のお出かけで外出した後に冷蔵庫を漁っていると、冷蔵庫からローソンのプレミアムロールケーキが出てきた。ロールケーキの袋には「誕生日おめでとう。25年前の今日、14:30にあなたは生まれました」と書いてあった。それを見て泣きながらロールケーキを食べた。
わかる。
俺は公立の通信制高校だったんで、そこに高校生で妊娠して転校してきたって子とかいたよ。
通信制と言ってもスクーリングと言って、一週間に1日程度登校するんだけど、そのスクーリングの時、旦那さん(大学生)がついてきてお世話をしていたりとか(学校内に託児所はあるんだけど、当時は保育士さんは駐在していなかった)
で、そこに、学生時代に妊娠して退学せざるを得ず、その後子育てが一段落したから改めて高校に入学した、という先輩ママもまざって、みんなでお世話していたみたい。
今では、月曜日スクーリング限定で、近所の保育所から保育士さんが派遣されてくる仕組みになっているらしい。
それはダイバシティの最前線のような通信制高校、特殊事例だよね。
そこで聞いた話は、一般の高校で現役で子どもを作ると、学校は退学させるように動くのだとか。そこで通信制に転校させる。
多くの大学もそう言うことを想定した仕組みになってないよね。一応、託児所があるところはあるようだが、現役で子どもを作る仕組みにはなってない。
これを整備するだけでだいぶ違う気はする。例えば妊娠をきっかけに1年か2年、ペナルティなく留年してその間フォローする仕組みとかやっちゃいかんのか?
ITの情シスの仕事で自分が以前からずっとやりたかった仕事だし、大手企業で、給料も(以前と比較して)良いのだけど、耐えられなくなってきた。
精神的に締め上げる言い方、怒鳴りつけ、大勢が見ている前でミス(と上司が思ったもの)の叱責・晒し上げ。上司が全員そんな連中。現在いる情シスは他部署でも有名な強面揃いの部署。僕が入る前にいたプロパーは、現在いる役職者以外は全員退職している。上司曰く「前の部長についていけず退職した」らしいが、他部署・労働組合に寄せられた意見では、そうではない。現在いる役職者との人間関係で辞めているらしい。正直、間近で見たら分かる。毎日隣にいる人に罵声、怒鳴りつけ、精神を締め上げるキツい言い方を連日されたら、誰でも病む。
相談したこともある。「言い方がキツくてしんどい」と。答えは「そんな人はどこにでもいる。言い返せるかどうかだ。心が強くないと病む」と。では、今まで何人もの退職者を生み企業のITシステムを担う情シスを崩壊させるまでに至ったのは、全て退職者が原因だったと言うのか。スパルタの兵士並に戦えなければ認めない、と言ってるようなもので。そりゃあ、部署も崩壊するわな、と思った。
そんな部署は変化の兆しがない。360度評価や1 on 1 meetingを最近始めたので、改善する傾向はあるらしいが、現状は全然改善されていない。
話は少し飛ぶ。
大学卒業間近の時、就職できる自信がなく何となく大学院へ進んだ。プログラムで何か作ったり調べるのは超好きだったので、情報系は性にはあった(と思っている)。ただ、2年はあっという間で博士に行く気もなく(ポスドクとか見てたらしんどさしか感じない)、就職する道を嫌々選んだ。大手メーカー系のSIer、技術職に。
転職は2回したが(経験3社)、最初のSIerは本当に合わなかった。体育会系で、荒っぽい人間が多く、新人に対して「できる・できない、どっち」と高圧的に詰めていき、サービス残業、長時間労働、メンタル休職は普通の職場だった。結局7年在籍したが、僕が退職した時点で2/3の同期が退職していた。給料も安かったな。今のところに比べると100万くらい。
結局、最後にいた部署の上司と相当ソリが合わず、夜中21時に仕事を振られて23時まで仕事とか普通だったので、メンタルを病み、辞める。がむしゃらに深夜まで働かない部下は嫌いだったらしく、僕はそうじゃないから目をつけていたらしい。その上司は役員から「部下には愛情をもって接するように」と直々に指導されていたのだが、結局行動を改めることはなかった。体育会系っぽく言うことを聞かない部下には、相当厳しい上司だった。言い返したこともあるが、数倍ケチョンケションに言われ、病み、その後休職6ヶ月、次は決めずに辞めた。余裕全くなかったから。
離職後、1年ほど無職。何もかもが嫌になった。無職だが、福祉系の専門学校の通信課程に在籍していた。なぜ福祉? 人と接する仕事というか人間的な仕事が、次はそんな仕事がいいなと思っていたから。あと、通信制大学の経済学部にも在籍してた。正直、楽しくて、ストレスのない時間だった。スクーリングが超楽しかった。学友との交流があって。無職という不安はあったけど。だけど、いつか死ぬという観念はいつも頭のなかにあった。大学生の頃からずっとあったけど。自分はいつだって、一人で生きていける自信がない。高校生の時も、今だって。
2社目。福祉を所管する某省庁傘下の団体の情シス部門。ハローワークで見つけたような。ヘルプデスク、運用・保守。任期付職員だったけど、介護が必要な親の側にいたかったし、仕事の負担を減らしたかったから、それでよいと思っていた。公的機関なら無理強いされないという気もしたし。それに、情シスの仕事はずっとやりたいと思ってたから、願ったり叶ったりで、最初は嬉しくて2年ほどは本当に仕事が楽しかった。納期はあまり気にしなくていいし(善し悪しはあるが)、現場に振り回されはするけど、精神を追い詰められることはなかった。最初はな。
だけど、給料の割には仕事は詰込みだし、最初から決められた役割以上のことはできないから仕事はずっと同じことの繰り返しで。管理職は基本的に天下りなので、昇進は見込めない。公的機関の割にはパワハラが普通だったので、将来性がないと判断し、転職した。3年くらいいたか。
3社目。今。製造業。東証スタンダード。転職エージェント経由で、すんなり決まる。決め手は上司曰く「情シスの仕事をよく理解している」かららしい。まぁ、そうかも。キラキラしたものに憧れて、情シスになったら企画や設計をして人に指示を出すだけ・・・みたいな華やかなイメージだけを持ってる人は多いけど、実際はそうじゃなくて泥臭いし。加え、最初の会社で開発経験が多少はあったことも。僕が今の会社を決めた理由は面接での、面接官の人柄というか会話したときの感触。穏やかで優しそうだと思ったから。ただ、入社してイメージと違うとは思った。結構、荒っぽい。
今は入社して1年半ちょい。最初は良かったが、だんだんしんどくなってきた。何がしんどいか? 人間関係かな。とにかく、言い方が、きつい。精神にくる。あと、仕事の振り方。プロジェクトマネジメントなんて今まで皆目やったことないのに(職歴にもそう書いていた)、いきなり振られ、何をしていいか分からないし聞いてもまともな答えも帰ってこず、ただ怒られるだけ。なぜ怒られるのか、全然分からない。
今後を考えるとマネジメントに手を出したい気持ちはあるけど、自分には難しいのではないか。
相談しても、何にもならないし。怒られるだけだし。最近は上司に聞きに行くことはしなくなった。とにかく、しんどいから。何言われるか、分かったものではない。とにかく、しんどい。息切れするし、足は強ばるし、食欲はないし、頭は痛いし、思考は鈍いし。そう伝えているけど「それでも仕事を続けるか、投げ出すかがお前の今後の分かれ目」としか言われないし。上司曰く、自分もそんな経験をしてきたが乗り越えてきた、と。いや、体育会系のあなたと自分は違うし、としか言えない。無理なもんは無理。
で、無理って言った。
途端、職場で自分の居場所がなくなった感じがした。分かってはいるけど、でも無理なものは無理。もう俺に振れる仕事ないってことじゃね? だってシステム開発の仕事なんて長いことしてないもん。直近の仕事、ヘルプデスク、データ抽出・分析、とかそんだし。でも、居直っちゃえばいいじゃんと思う気持ちも半分。だって、いずれ戦力外通告されても、日本の法律じゃ首には簡単にできないじゃん。プライド投げ捨てでも、仕事してない人とか言われても、とりあえず居とけばいいんじゃないの。でも、人生詰んでるよね。自分の理想ではないよね。周りに迷惑かけたくないのが自分の本音なのだけど、かけてるもん。周りに迷惑かけてでも、自分は生きていくの? それがあんたの人生でしょ。あんたって、僕のことね。
頑張って働きながら通信制大学も出たし、資格もいっぱい取ったし(IPAの高度とか)、悪くない会社に入りはしたけど、俺、ゴミみたいなことしか実践できてない。周りの役に立ってない。むしろ、足引っ張ってる。
n=1の意見で貴方のお子さんは同じ考えではないかもしれないてあくまで参考程度に聞いてください。ポイントは下記の2点のみです。
不登校を選んだのは学校で経験した事象を経て、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた上で選んだ選択なので、不登校になった頃には学校に関わるあらゆる物が苦痛で仕方が無かったです。その状態の子供に克己心を持たせようとするのは死人にムチを打つような物なので、子供の心に蟠りが生じます。私は親に「ちょっとリビングに降りておいで」と言われて降りたら当時の担任が居たことは今でも親への不信を抱く理由の一つになっています。
学校で沢山嫌な思いをした子供は学校に関連するものが大嫌いになっています。勉強が好きでもない子供にとっての勉強なんて「良い学校へ行くための苦行」ぐらいの認識ゆえに、学校に行きたくない子供にとって勉強をしない事が最も学校から遠ざかることができる手段になります。しかし、子供の学力だけは守って上げてください。勉強習慣を身に着けさせ、勉強への心理的障壁を取り払う事は学校に行かせるよりも重要だと考えます。学校嫌いで勉強嫌いの子供は学校に通い続ける限りそれは身につきません。基礎学力が高ければ高い程、子供の選択肢は増えます。これから先引きこもりになっても、基礎学力が高ければ、競技プログラミングにも取っつきやすいですし(数学力がないと苦労します)、インターネットで海外の人とコミュニケーションだって取ることだって出来るようになります。要は引きこもりながらできる遊びの幅が増えるのです。勝手に自己学習して自走してくれる子供ならいいのですが、不登校になった子供にそれは無理なことが多いので、「学校には行きたくないならもう行かなくていい」「しかし、勉強だけはしっかりやって欲しい」事は明確に伝えてください。家庭教師や個別塾が理想ではあるのですが(学校から離れたところでモラルのある生身の人間と接するのは、学校以外のコミュニティを認知し視野の広がりに繋がります。何よりもモラルのあるコミュニティに触れることで社会への希望も持てます。学校の生徒同士のコミュニティのモラルは大体糞でした)、今は五教科e-learningで学べたりするので、私の学生時代よりも引きこもりに優しい時代になってきたと思います。
もしも中学生なら高校なんてどうでもいいと思ってるかもしれませんが、高校を卒業してほしい旨と、週一のスクーリングで卒業できる通信制の高校があることを教えてあげてください。
私は親に無理やり学校に行かされた結果、中学生で頭が白髪だらけになり、学校に居てもずっと寝てるだけになり過眠症も併発。精神は常に不安を抱え、対人恐怖症と人間不信になりました。(大人になってから精神科で社交不安障害と診断されました)
中学卒業した頃に私が手に入れた物といえば、偏差値40程度の糞みたいな学力と、常に霞がかかった脳みそと、精神疾患と、社会生活の諦めでした。
子供の頃の経験というのはとても大切なものです。今思えば、私の親も私に普通の子供のように普通に学校に行って他の子供と同じような経験をさせたかったのだと思います。子供の為を思って。しかし、それは私のためにはなりませんでした。どうか貴方のお子さんが私のようにならず、幸せな人生を歩めることを心より祈っています。
・小学校ではからかい→いじり→いじめに遭い、妹も幼馴染もいじめられっこの俺とは口を聞いてくれなくなった。
・大検取得し国立大学経済学部に進学するも新卒で入社したテレアポ会社で鬱になり引きこもりに。
・大学で唯一仲良かった友人に誘われて小さなファンドに入社。会計、財務に関する業務に就きながら勉強。
・地元の近所の人にお見合いで女性を紹介される。タイプでもなかったし話も合わなかったけど、彼女いない歴=年齢のチビデブだったのでありがたく付き合い結婚。子供が産まれる。
・猛勉強の末に某国家資格に合格。実務経験と資格合格の実績で転職。収入が上がる。
・職場の女性のアドバイスで歯列矯正、ジム通い、脱毛を始め、服装にもこだわるようになる。薄毛治療も開始。
・2人目が産まれる。
・現在の会社に転職。収入がさらに上がる。また明らかにルックスが進化し、年収や勤務先と相まってモテ始める。
・仕事先で知り合ったとてもタイプの女医さんと交際開始。15歳近く年下のグラビアアイドルとも遊ぶようになる。
若い時は毎日死にたかったけど、30超えてからはずっと人生上り調子だ。今現在、人生辛い人もこれから何があるか分からないので、頑張って耐えて生きてて欲しい。
「コロナ禍以前の当たり前」や思い描いていた学生生活とは全く違った日々を送る今の大学生を取材。昔との共通点を探しながら日々模索している今の大学生たちを紹介する。
出会いの場が減ることで、「コロナ禍以前より友だちを作りづらくなった」と感じている。一方で「少しだけあった対面の機会に友達がめっちゃ増えた! コロナ禍ということもあり、懇親会などはなかったが、少人数講義での交流やディスカッションを通じて友人を増やすことができた」(Aさん・大学2年)という声も。「対面の場面だけじゃなく、同学年のLINEグループから友達を作った」(Bさん・1年)という人もいて、SNSを活用した友だち作りが行われていることもわかる。
コロナ禍で変わった大学生の友達作り「LINEグループから仲良くなった」「寮生同士絆が深く」(高校生新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/7cc27c7e974b95a5b86c8804ce2ffa07b27d8b40
若者は、彼らなりに世の中に合わせて対応しているのに、クソ人事とクソ研修会社が、「新人研修はぜひ対面で!」とかぬかすので、かわいそうにリスクの中スーツを着て満員電車で都心に出勤して、教室に横並びでマナー講師におじぎの角度を指導されたり、タッチタイピングの競争やらショートカットの暗記テストやらやらされて、「インターネットの仕組みを別のものに例えて説明しましょう」みたいなどうでもいいグループワークをさせられることになります。
そんなことに対面の価値なんてなくて、オンラインでしっかり学んだこと、できるようになった技術を、週1回、半日くらいのスクーリング (対面研修) で発揮するような研修のほうが、よっぽど新人教育と「友達作り」を両立できると思うんだけどなぁ。
いじめって大別すると、加害行為と差別行為に分かれるじゃない。加害はカツアゲとか暴力とかね。これは警察に通報して警察に任せるべきだろう。
差別行為というのは「あいつキモいから仲間に入れたくない」系のやつね。これは学校に対応とか解決を求めるのは間違ってると思うのよね。だって障害者と仲良くしましょうって政府が言ったところで国民の偏見と差別の目はおさまらないし、一緒のグループになろうとする人はゼロじゃないけどすごく少ない
この差別系のいじめにはとりあえずホームスクーリングを選べるようにしたらいいと思うのよね。学校がすべきことはホームスクーリングの提供学校は教育を提供する場所であって友達作りの保証まではしなくていいと思うのよね