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はてなキーワード: 証書とは

2024-12-12

anond:20241212173847

ブーメラン刺さってるぞ

卒業証書アップして

2024-11-27

anond:20241127150155

大学卒業したというのが事実確認したいなら、学部とか勉強した内容とか卒論の内容とかで詰めていけばいいんじゃない

いきなり「証書をアップしろ」はそれしか確認方法が思いつかない底の浅さを感じる

anond:20241127084519

反論出来ませんまで読んだ

少なくともお前には卒業証書を上げる義務が生じたけど逃げるよね?

2024-11-23

SNSのない時代から選挙デマ情報を流すのは当たり前だった

大前研一石原慎太郎デマを流されたというのは有名らしい

都知事選で旧統一教会との関係を疑われた大前研一


選挙ポスター貼り、自民党候補者は旧統一教会頼み


実は私自身も、過去に旧統一教会との関係を疑われたことがある。1995年都知事選立候補したときのことだ。私は初出馬だったが、自分選挙ポスターを一日で約1万8000カ所に貼った。すると、国会議員時代石原慎太郎氏が、自民党の集まりで「大前統一教会ポスター貼りを頼んだに違いない」と言ったと伝わってきた。私は石原氏のところへ飛んでいき、なぜデタラメを言ったのかと問い詰めた。


すると彼は、自分最初選挙1968年)で旧統一教会の世話になったから「同じだろうと思った」と白状した。私は経営コンサルタントから宗教団体ではなくて、軽貨物運送の「赤帽」に依頼して代金を払って貼ってもらったのだ。


ところが、後日TBSの「筑紫哲也 NEWS23」に他の候補者と出演すると、「大前さんは“在日朝鮮人”だという噂がある」と言われた。石原氏の「統一教会が協力した」というデマに尾ひれがつき、私自身が在日朝鮮人だという話になっていたのだ。


私は母親電話して、終戦時に陸軍大尉となっていた父の軍人恩給証書ファクシミリで送るよう頼んだ。仲がよかった東京都自民党員のところへ持っていき、「自民党デマを流している。これを見ろ」と証書を出し、相手は「すぐにやめさせます」と約束してくれて噂は消えていった。しかし、1度流れたデマの影響は大きく、都知事選の敗因の1つとなってしまった。

2024-11-21

免罪符って買った後は証書をどうしていたんだろう

買った時点で効力が発揮されるものから証書自体の使い道はないよなあ

「この証書を持っていればあなたの罰は軽くなります」ではなく「これを買えばあなたの罰は軽くなります」だから←この理解は正しいか確認すること

今は贖宥状と呼ぶのか

大事に保管されたのか

物置の奥にしまわれたのか

聖書十字架と一緒に保管されたのか

壁に貼られて飾られたのか

からない

軽く調べてみたが意外なほどに記述が見つからない

現存している免罪符はどこから見つかったのか、だれが持っていたのかを調べることで間接的にそれを知ることができるか?

英語版wikipediaの「Indulgence」のページをまだしっかり読んでいない

何か書かれていたら嬉しいのだが

また図書館リファレンス使ってもいいな

終わり

メモ 日記

2024-10-27

基本情報を取ったけど証明できない

実家にいる間に合格証書か何かが物理的に手元にはあったんだがいつの間にか紛失してた

証明書発行申請ができるらしいけど以前調べたところ必要情報が足りなくて申請できそうにない

何年に取ったのかも記憶の中で1年程度のズレがあってもう無理だ

もう1回受験するべきか

2024-09-06

anond:20240906034901

昔は証書ペタペタ貼って書類提出とかやってたけど、今必要ないもんな。

個人確定申告なんて超簡単だと思う。

法人確定申告は大いに改善余地あり。複雑すぎるのは仕方ないにしても説明なさすぎ。税理士使う前提だろあれ。

2024-09-04

グリーン電力証書や非化石証書って面白い制度だな。金持ってるところだけがエコを名乗れるじゃん。

2024-08-06

anond:20240806230111

迷路魔の本質はこれよ

https://web.archive.org/web/20110922122812/http://eigotoranoana.blog57.fc2.com/blog-entry-15.html

国連海外NGO就職

国連P-11応募フォーム添削 一通 40,000円(添付書類は含みません)

国連向け履歴書添削 一通 40,000円 (英文1000ワード程度)~80,000円

国連向けカバーレター添削 一通 38,000円 (英文600ワード程度)~58,000円

模擬面接質問作成 一通 28,000円~(英文500ワードまで)

Skype使用した国連模擬面接 30分25,000円~

Skype使用した国連就職・進学相談 30分20,000円~

現役国連職員IMF世銀職員の紹介 一名20万円~

英文履歴書および英文カバーレター英文で書かれたもの添削となります

日本語ドラフトから作成希望される場合は料金が倍になります

・模擬面接には質問作成を含みません。別途模擬面接質問作成をお申し込みください。

https://web.archive.org/web/20120325233113/https://www.mofa-irc.go.jp/info/attention3.html

【要注意】国際機関職員の有料紹介サイトについて

 最近紹介料をとって国連IMF世銀等の現役職員を紹介するというサイトが見られますので、御注意願います

 国際機関では通常、金銭をとって、個別就職斡旋職員の紹介をすることはありませんし、職員が有料の職業紹介や仲介を手伝うこともありません。

 国際機関職員が多額の現金を振り込む話を持ちかけ,手続き費用として証書作成料の支払い及び個人情報を提出させることはありません。

 不審職員紹介等に関する情報がありましたら、国際機関人事センターまでメール( jinji-center@mofa-irc.go.jp )にてご連絡ください。

2024-08-02

anond:20240802122433

言うように本人確認できる証書運転免許証だけじゃない(一点で本人確認ができるものも多数ある)んだから運転免許証である必要ないじゃん

まあ法律先生専門家なんだから増田君が考えるよりはその辺のことも考えておかしいって言ってんでしょ

2024-04-27

卒業証書の筒が鳴るやつ

空気穴をあけとけば鳴らないだろ。

こんな簡単な改良も施せないって硬直した日本社会象徴だ。

2024-04-20

小池都知事ってカイロ大学男性卒業証書改竄してるよね

もうちょっと上手くやろうとは思わいん?

水原見習ってほしい

2024-03-12

働きながら大学卒業した

前に「働きながら大学に行く意味」ってエントリを書いた増田です。久しぶり。

無事働きながら大学を4年で卒業できたので報告しにきた。とても有意義時間を過ごせたと思う。

教員の方々は真剣にやり取りをしてくれる方々が多くて、いろいろ訂正されたりするのすらなんか楽しかった。入学当時と比べると3倍くらい賢くなれたんじゃないかな。

自分一人では学ぼうと思えないような科目を取る機会も多くて、多くの知見を得られた4年間だった。

働きながらでも受けることができる教育機会を提供してくれた大学には本当に頭が上がらない。

おかげで今からでも勉強して、なりたい人になろうとしていいんだみたいな気持ちを持てた。

前に書いた記事コメントくれた人たちもありがとう。なんかたまに見返して嬉しくなってた。

振り返ると楽しいことも多かったけど、4年は長くて、生活とか仕事とか体調とか、いろいろうまくいかなくなることも多かった。

けどまあ、楽しかたことだけ思い出して今後過ごしていきたいな。

院に行く予定は今のところないのだけど、いつか行きたいなと思ってる。

しばらくは卒業証書ぼんやり眺めて過ごすつもり。

卒業できて嬉しいなー。

2024-03-11

じしんのひ

私は生きている。

それを胸抱えて日々を過ごせば過ごすほど、あれは一体何だったのだろう空を仰ぐばかりだ。

何年経とうがあの日自分はずっとまだ昨日にいる。

家も消え、土地も消え、人も消え、思い出になる前の記憶さえ消えた。

自分けがまだ、3月11日に取り残されている。

死体が浮く街を歩いた。水が引いたら、何キロも先にある同級生卒業証書自分の家に流れ着いていた。やれることをやるしかないと笑えば、時折鳴る着信から友人や恩師の訃報が届く。

偶然誰かに会えたなら、そこでようやく互いに安心できた気がした。会えたら生きてる、会えないなら死んでいる。そんな日々が続いて、誰かに会うのも嫌になりかけた。

仮設安置所に踏み入れば、眼下に真新しい棺桶が広がる。途方もなく、隅から隅まで、ボーリング場だったらしいその場所に、四角い木の箱ばかりが広がっていた。そうして、端から端まで歩いた。知っている名前が無ければいいのになんて考える前に、知ってる名前ばかりが並んでいた。私に楽しさを教えてくれた人も、私にいじわるした人も、私が優しく出来なかった人も、ちゃん名前が書かれていた。この光景は、何だったんだろう。何を恨めばよかったんだろう。それを自分に問うてしまったら、その答えは「そのうち会える」と機会を先延ばしにしていた自分を恨むしか他にないのに。これは一体、何なのか。誰かに答えてほしかった。

私は生きている。私はその選択肢を選び取った。そのせいで、私が座るはずだった場所に座った誰かが死んでしまった。私は怖かった。初めて行動の取捨選択で見知らぬ誰かと命のやり取りを終えてしまたから。私はそれがすごく怖かった。こうして文字にできるまで今日までかかってしまった。手など合わせられない。自分が死んでいたら、死なないはずの子がいたはずなのだ。私は怖かった。これは何なんだろうと。親にも友人にも、この恐怖だけは一生言えないままだと気づいたときにはもう、何も出来なかった。私は今でも地震の揺れや津波よりも、それがとても怖い。きっとだれも私を責めてくれないのだから

3月10日のことを想う。読んでいた小説も、私の名を呼ぶ祖父の声も、適当に送り出してしまった父の背中も、履いていた靴も、カサついた母の手の温かさも全部全部全部鮮やかだ。

3月11日のことを想う。年上のお姉さんがくれたアーモンドチョコの美味しさも、避難所の床の冷たさも、満点の星空すらも、全部全部鮮やかだ。

私はこれを、死ぬまで思い出にすることは出来ないのだろう。

そうして私は生きていく。

2024-01-18

自分の何もかもがゆるせない


クソみたいな家族の元育った。

ドラマ登場人物か?というくらい暴れるアル中無職父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。

私は毎日何が何だかからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。

父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。

母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでから反省して欲しい。

母親が倒れたことで兄弟バラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。

私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。

お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。

すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。

生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。

脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間他人が入ってくることに少しホッとした。

私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。

勉強一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。

高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。

家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率ノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分タンスにしまっている。きもっ。

高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。

私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親からまれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。

その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。

休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。

1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったもの卒業証書を貰うことができた。

高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘル水商売渡り歩き、22歳の時に介護資格をとってからはずっと福祉仕事を続けている。

数年前には社会福祉士養成学校入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。

ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレの子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。

セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。

3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。

中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。

22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを

もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。

その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。

それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。

食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。

もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。

そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護資格を取ることだった。

介護仕事といえば、学歴職歴関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。

福祉仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。

普通人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。

私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間エリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。

今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。

私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。

それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。

優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。

何もかも私が悪い。

これからも一生自分を許さないし、早く消えたい。

誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。

2024-01-11

anond:20240111233233

アルバムとか必要か?

自分なんて子供の頃の写真一切持ってないぞ

両親もアルバムなんて持ってない

持ってたって無駄だろ

振り返って思い出に浸った所で過去は戻ってこない

成人したぐらいか無駄だって気付いて全部処分してる

せいぜい残してるのは卒業証書ぐらい

震災経験たから分かるけど、アルバムなんて見るだけ無駄

前に進むべき

2023-12-17

anond:20230310213513

人間仕事が無くならない理由は 人間からだよ

印紙と同じ

機械でも人間と同じ仕事はできる

違うのは社会的責任

人間社会人間を使う理由は、人間責任はどんな些細なことであれ最終的に解決するまで付きまとわせることができる

印紙を貼って有価物と化した証書証拠として使えるものと同じ

カメラは壊しても逃れることはできても

人を壊したら基本的には解決するまで社会保障を使うことができる

機械なら購入費用運用費に保険という実費や追跡、調査人件費程度かかる

機械に実費は払いたくないけど人件費なら現金以外でちょろまかすこともできる

問題が起きたら保険会社ではなくみんなの税金保障を使うことができてかつその脅威が抑止力となってる

2023-11-22

増田父親は、生前には、「延命治療など必要ない」と豪語していた

しかし、いざ倒れたとき医療保険証書を探してみたら、高度機能障害保険に入ってたwww

少し笑ったけど、本人はやはり死にたくないし、家族自分年金を貰えれば殺しに来ないだろうと考えてたんだろうな・・・

しかし実際には、介護人の増田ともどもあっさり妻から切られたので、無念の霊の主張がいろいろある)

2023-11-14

anond:20231114162704

!? それじゃ強制的な退学じゃん。

若しくは除籍。

卒業になってないよ。

ちゃん卒業証書渡してやんないと。

anond:20231114152913

そういえば、増田ってどうやったら卒業できるんだ?

卒業論文書くんか? あ、いや卒業増田

誰が採点するんだ? トラバ何件付いたら合格? ブクマカ何件で?

卒業証書誰が出してくれるんだ? はてな

教えて 増田

2023-09-18

お金があったら何したい? 私は引っ越したい。

お金があったら何したい?

私は引っ越したい。

今の部屋は手狭ではないのだが物で溢れてきてしまった。

でも捨てられない人間から、いっそこの部屋はこのままにして、新しい部屋でキレイな新しい生活を始めたい。

ベッドも家電も新しく買って、今度の部屋は物を増やさないように気をつける。

前の部屋から必要な物だけちょっとずつ新しい部屋に持ってくるのだ。

そしてもう前の部屋に思い残す物がなくなったら思い切って全部業者に捨ててもらおう。ははは。これにて引っ越し完了

そうやって私は実家卒業アルバム卒業証書子供の頃の表彰状も忘れちゃった思い出も全部置いてきて全部無くした。過去なんてそんなもん。

あー、いつか新しい部屋に引っ越したいなー。

2023-09-09

長く使われるって凄い

羊皮紙に関しての某ゆっくり解説動画を観ていたところ、植物性の紙が容易に生産出来る技術確立された事で羊皮紙のメイン記録媒体としての立場は取って代わられてしまったが

イギリスでは2016年まで『法律羊皮紙印刷し保管すること』と言う法律存在していた事から分かる様に、長い歴史の中で培われたその権威は早々に失われなかった。との話が有った。

また、アメリカワシントンリー大学なる大学では卒業証書は紙か羊皮紙選択でき、価格10倍近く違うのに卒業生の3割は羊皮紙を選ぶそうな。

勿論羊皮紙古来より比較的高級品で宗教と密接な関係が有ったりや、植物性の紙よりもかなり長く保存出来るため紙に勝る部分も有ると言う面も有ったりで、権威は生じ易かったのであろうが

それにしても、たか記録媒体でも長い歴史の中で使われたなら権威が生じるのは面白い

現代技術革新の速度が目まぐるしく、ある技術製品が新技術や新製品に取って代わられるまでの期間も相当に短いと思われる。

こんな世の中ではある世代の中で愛着を持って貰える事は有っても、権威まで生まれ難いだろう。

MDも生まれ時代が違えば権威を持てたのかもしれない。

それにしても千差万別価値観を持つ人々の間において、権威と言うのは集団意識確立にも一役買うのだと思うが

その権威が生まれ難いと言うのは何かと個人主義が目立つ昨今において、集団意識と言うか同族意識的なものを更に薄れさせていくのだろうか。

でもまぁそんなもん今更で、ずっと前からそんな流れなのか。

2023-08-30

学歴厨とマッチングアプリ

マッチングアプリとか最近流行ってるけど在学大学と卒業大学がわかるようにしてほしい

いくつかやってみたけどそれらが一目でわかるアプリは少なかったしあってもヤリモクしかいないアプリだけだった

マーチ未満ははっきり言って初手で弾きたいし学歴詐称を防ぐために学生証や卒業証書などの写真運営に送って認可された人間だけ使えるようになってほしい

たとえ結婚視野に入れていない普通交際なんだとしても気持ち悪くて低学歴と粘膜接触なんてしたくない

でもそれって身長趣味相手判別するのと何が違うのだろうか

学歴さえ満たしていればこちらとしては現在ニートだろうが低年収だろうがどうでもいいしむしろ大学在学中が望ましい

身長趣味は絞り込み検索できるのに学歴だけそれができないなんておかし

 

一応Facebookかに高学歴のみが加入できる交際登録サイトがあるらしいけど卒業しないと加入できないのに加え、おそらく結婚を前提にしたお堅めの場所

普通一定以上の偏差値大学の人と付き合うには同じ大学から探すしかないのだろうか

陰キャには厳しい

2023-07-30

PTSDなんだろうかとずっと考えている

幼稚園から高校のころまで田舎に住んでいたが、少なくとも幼稚園入園から中学卒業までいじめを受けていたような気がする。

というのも、田舎だと幼稚園人間関係中学校、下手すれば高校ぐらいまで固定された状態だ。

そんな状態では一人をスケープゴートにし続けて集団の結束を図るということが行われる。実際にそのターゲット自分が選ばれた。

だけど、どんなことをされたかを思い出そうとしても思い出せないというか、頭が強く締め付けられるような感覚になって思い出せない。そのうち動悸とか眩暈もしてくる。

ただ「怖いことがあった」「(親や教師の言うことに逆らうと/従っても)ひどいことになる」という感覚けがこびりついている。

ついでに親や教師の言うことには服従していた。なぜなら教師の言うことに逆らうと恐ろしい目に合うからだ。だからといって従っても同年代から恐ろしい目に合うので世話がない。

 

高校まで大体そんな状態だった。大学進学の際、誰も来なさそうな遠い田舎にある無名の小さなFランク大学に進学を決めた。

推薦入試も「同級生に進路が知られて襲われるのではないか」という疑念がぬぐい切れず受験せず、センター試験利用一本という一番楽な方法受験した。

あと、進学先が特定されないようにダミーでそこそこ名が知れたマンモス私大合格したり、架空大学合格証書(今考えると有印公文書偽造ガチ犯罪)をこれ見よがしに机に置いたりと偽装工作を繰り返した。

しかし同じ学校に通っていた人間が同じ大学に進学してきた。その瞬間目の前が真っ暗になった。

同じ学校人間地元の連中を引き連れて自分のところに「お礼参り」に来てひどい目にあうのではないか。その恐怖が大学時代続き、半分息を殺しながら生活し続けた。

結局大学院進学の時にようやく地元人間から完全に縁が切れた。とはいえ大学院に在籍していた時も「また地元に引き戻されていじめてきた連中におびえる生活をしなければいけないのではないか」という疑念もぬぐい切れなかった。

その恐怖のせいでM2後期のころには精神ボロボロになった。一応お情けで修士号は貰い、フニーターや雇われ研究員になったりもした。

しか意識的無意識地元の人への恐怖心はぬぐい切れず、結局精神が完全にイカれてしまった。

最終的にうつ病だの○○病だのという診断は降り、色々書けないようなイリーガルなことをしながら小銭を稼いで食いつないできた。とはいえ別件でトラブルに巻き込まれたせいでなけなしの小銭も吹っ飛び無一文になった。

このあたりに関しては色々後ろ暗いこともあるので込み入ったことは書けないということは許してほしい。

 

両親は経済的理由から自分実家に引き戻したがっている。ただ、地元に戻ったら同級生に襲われるのではないか?また酷い目に合うのではないかという恐怖はぬぐえない。

その恐怖から十数年間必死に逃げ続けてきたが、地元への強制送還というかたちで逃げる手段がなくなったなら恐怖のあまり精神が完全に無になってしまう。

実家のある地域の閉鎖性を鑑みた場合、どこかで地元同級生にあう可能性は高い。そんなことになったらと考えただけで全身が凍り付きそうになる。

ついでに親にこのことを話しても「それはお前が劣った人間からだ」と糾されるのがオチだ。そもそもいじめっぽいことをされていた時期ですら、学校を休むという選択肢はほぼなかった。

なぜなら学校意味なく休めば長田百●子がやってきて「お前を施設連行していじめ倒す!」みたいなことになりかねないからだ。実際自分小中学生のころはそういう番組が頻繁に流れていた。

そういうさらに恐ろしい目に合わないためにも親の期待する優等生を演じるしかなかった。だから親も本当は信じられないというか、自分にとっては恐怖の対象しかない。そのほかに信じられる人間もいない。

 

一度認知行動療法を受けようとしたことがあったが、「自分のことについて考えよう」というテーマが出た途端頭が締め付けられるような感覚に襲われた。動機もした。

それは「お前が酷い目に遭っているのはお前が全部悪い!お前は劣等だから酷い目に遭って当然!」ということを眼前に提示されるからからだ。

実際「自分いか卑劣で極悪な人間か」「自分はおぞましいことをしながら生を貪る自己中心的外道だ!」「自分に比べたら凶悪犯罪者の○○なんて聖人君子」ということはずっと考えている。

逆に自分をほめることは「悪徳の栄えの一丁目」でしかないと思っているため、絶対にしないよう心掛けている。

もうぼろぼろなので「あと2年ぐらいでお迎えが来そうだ」とも薄々感じている。お迎えが来る前に自分の苦しさの正体がなんであるのか?ということを詳しく知りたい。

PTSDなんだろうかね?

 

余談

子供の声を聴いただけで動悸が止まらなくなったり、全身が硬直したりするのだが、これも学校での酷い経験があったからなんだろうかとふと。

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