参加者すべての勝利と言えるオリンピック
オリンピックが無事終わりましたね。次はパラリンピックが始まります。
丁度その間に台風が来ており、日本を取り巻く熱気が拡散されることでしょう。
で、丁度私は苗場山に登っており、暴風雨と戦っていました(笑)
すべての人が成功するわけではありませんが、成功した人はすべからく努力しているのです。
日本百名山83座目、無事登頂です。
さて、オリンピックが無事終わり日本選手団の統括が発表されました。
「全力を尽くしてくれた」 日本選手団が総括会見
東京五輪の日本選手団が8日、大会を総括する記者会見を開き、福井烈団長は史上最多の「金」27個を含むメダル58個を獲得した奮闘について「全ての選手が全力を尽くしてくれた。胸を張ってほしい」と称賛した。
強化拠点の味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)を活用し「地の利」を生かした柔道が快進撃を見せ、スケートボードなど新競技の活躍が光った。新型コロナウイルス禍で大半の会場は無観客だったが、尾県貢総監督は「(五輪で)戦えるという気持ちが薄れなかった。全ての競技を終えられたのは幸せ」と述べた。
今後は国からの支援が減ることも想定される。尾県総監督は効率的な強化が必要との認識を示した上で「一過性の打ち上げ花火に終わらせることなく、2024年パリ、28年ロサンゼルスにつなげることが重要」と強調した。
オリンピック中に何事もなく無事終わりました。それだけでも感無量ですね。
様々な感動や物語を届けてくれたオリンピック選手にありがとうを伝えたいですね。
このような素晴らしい論説も出ています。
論説委員・別府育郎 すべての人に幸が届いた
始まるまでは本当に長かったが、早いもので東京五輪はもう最終日だ。
開会式に「令和の東京五輪と、参加する全ての選手に幸あれ」と書いた。だが大会を通してみれば、幸をもらったのはわれわれの方である。やはり五輪を、やってよかった。
社会を覆う悪意の病巣
「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」。57年前の東京五輪開催時に、三島由紀夫は毎日新聞に、そう書いた。
作家の言葉は時を超え、今の状況にもふさわしい。日本の社会は病気になりかけていた。
東京五輪は、新型コロナウイルスの感染が拡大する中で開催された。置き換わりが進むデルタ株の猛威に、医療の逼迫(ひっぱく)を心配する声があがることは当然である。だがこれと同等、いやそれ以上に深刻と思えた病巣は、コロナ禍への真摯(しんし)な懸念に乗じる形で社会に蔓延(まんえん)した悪意であり、敵意だった。そしてその矛先は五輪やスポーツそのものに向けられ、ついには選手個人も対象となった。
五輪について「できないではなくて、どうしたらできるかを皆で考えてほしい」と話した体操の内村航平には「選手のエゴだ」と批判が殺到した。
厳しい闘病と過酷なリハビリで白血病から復帰した池江璃花子は、自力でつかんだ奇跡の五輪切符を返上するよう求められて心が苦しくなった。
選手らは、やがて沈黙した。競技会の度に「コロナ禍における大会の意義」について質問が飛び、答えに窮した。それでも意を決して五輪への希望を語る選手や関係者は、次の新たな標的となった。五輪へは、どんな罵詈(ばり)雑言も許される。そんな空気が社会を覆った。
競技が人を笑顔にする
こうした状況を一変させたのが、大会の開会だった。
整然、厳粛に行われるはずだった開会式では、多くの選手が感情をあらわにした。彼らに列を乱し笑顔を弾(はじ)けさせたのは、厳しい環境下で大会が開催されることへの歓喜だったろう。
社会も、興奮を隠さなくなった。開会式の視聴率は56・4%に達し、日本が優勝したソフトボールの決勝戦は瞬間最高視聴率46・0%を記録した。
メダリストらは会見で、口々に大会が開催されたことへの感謝を堂々と述べた。競泳で今大会5冠のケーレブ・ドレセル(米国)は「バスの運転手から清掃員まで、全ての人が大会実現のための重要な役割を果たしてくれた。私たちがここに来られたことをありがたく思っている」と語った。
悪意が止(や)んだわけではない。コロナ禍への不安ばかりではなく、勝敗、判定、国籍、肌の色など、あらゆるものが憎悪の対象となった。ただし大会前と大きく違ったのは、選手らが黙っていないことだった。
体操男子個人総合で優勝した橋本大輝へは採点をめぐる批判が殺到し、橋本は自身のインスタグラムに「努力してきたアスリートを認め誹謗(ひぼう)中傷が少なくなることを願っています」と投稿した。橋本に敗れた中国の肖若騰も中国版ツイッターで「選手本人を過度に攻撃するのはやめよう」と呼びかけた。
選手の反論を後押ししたのは悪意を圧倒する称賛の声や笑顔の量だったと推察する。そして社会を笑顔にしたのは、スポーツの魅力そのものだった。
国内外の勝者に、敗者に、そこに至るドラマの数々に存分に魅了され、幸福な時間を過ごした。それがうたかたのものだったとしても構わない。ないよりは、ずっといい。
パラ大会にも幸あれ
東京五輪の開催を決めた8年前のIOC総会のプレゼンテーションで、パラリンピアンの谷(旧姓・佐藤)真海は故郷、気仙沼の被災地で多くのアスリートとともにスポーツで子供たちと触れ合った体験を話した。
「その時初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力です」
この再発信が、東京五輪の重要なテーマの一つとなった。
谷は「五輪はドカーンと盛り上がりますが、パラリンピックには大会後に残せるものがより多くあると信じています」と話してくれたこともある。
あれから結婚し、母となり、競技を走り幅跳びからトライアスロンに変えた谷は、24日に行われるパラリンピックの開会式で日本選手団の旗手を務める。再び願う。大会に幸あれと。(べっぷ いくろう)
みんなで一つの事を成し遂げたという実績が実感が選手をかかわった人々を、観戦している人々を魅了するのです。
努力している、そしてそれを発揮しているだけと言え場だけですが頑張っている人を応援する事、共感することで人は高揚するのです。それはなにより人から元気をもらうことになり、明るくなれるってものです。
今回のオリンピックについて感動した世界陸上の会長は次の世界陸上を日本で行う事を発表しました。
世界陸連のコー会長、東京五輪の“恩返し”に東京世界陸上の開催示唆「お返しがしたい」…記者会見で
世界陸連のセバスチャン・コー会長は8日、都内のメーンプレスセンター(MPC)で記者会見し、新型コロナ禍で東京五輪が開催されたことに触れ、「お返しがしたい」と述べ、将来的に東京での世界選手権開催に意欲を示した。
コー会長は「(コロナが終息し)再び(観客が)観戦を楽しめる状況になったら、東京に戻ってきたい。この施設(国立競技場)を使い、人々が見損ねたものをお目にかけたい」と語った。関係者によれば4年後の2025年での開催が期待される。
コー会長は1991年に建て替え前の国立競技場での世界選手権を振り返って、「日本は陸上競技を理解している国だ」と語った。8日に閉幕を迎えたことには、「通常でも大会の運営は難しいのに、(コロナ下の)この条件下で開催されたのは奇跡にほかならない。選手に格別な舞台を用意してくれた東京には多大な恩義がある」と感謝していた。
やってよかったという事ですね。
今回オリンピックが延期されると冬季オリンピックと重なってしまうため、開催できない危険性がありました。
多くの選手にも迷惑を掛けますし、日本の気力を損なわれることでしたね。
それを回避できただけでも素晴らしい事だと思います。
東京オリンピック、森元総理を含め長きにわたり様々な調整がなされました。
関係者すべての勝利ともいえるのではないでしょうか?
【主張】東京五輪閉幕 全ての選手が真の勝者だ 聖火守れたことを誇りたい
これほど心を動かされる夏を、誰が想像できただろう。日本勢の活躍が世の中に希望の火をともしていく光景を、どれだけの人が予見できただろう。
確かなことは、東京五輪を開催したからこそ、感動や興奮を分かち合えたという事実だ。
新型コロナウイルス禍により無観客を強いられたが、日本は最後まで聖火を守り抜き、大きな足跡を歴史に刻んだ。その事実を、いまは誇りとしたい。
57年ぶり2度目の東京五輪が幕を閉じた。
日本勢の金メダルは世界3位の27個で、1964(昭和39)年東京五輪と2004年アテネ五輪の16個を超えた。銀14個、銅17個を合わせた計58個も史上最多だ。
日本勢躍進に拍手送る
バドミントンや競泳が期待されたほど振るわず、コロナ禍による大会の1年延期が多くの選手に影響したことは否めない。
代表選手の置かれた厳しい環境について、陸上男子400メートル障害で長く活躍した為末大氏は「マラソンでいえば、30キロまで来ながらスタート地点に戻されるようなもの」と語ったことがある。
開催の可否をめぐり世論が割れた中で、精神面でも不安定な立場に置かれたはずだ。それでも開催を信じ、鍛錬を続けた選手たちの道のりには、メダルの色や有無を超えた価値がある。
世界も強かった。競泳では、海外勢による6個の世界記録と20個の五輪記録が生まれた。陸上男子100メートル準決勝では、中国の蘇炳添(そ・へいてん)が9秒83のアジア新記録を出し、決勝の舞台に進んだ。9秒台のスプリンターが4人いる日本にも、進化の余白があることを示している。
今大会から採用された、若者に人気の「都市型スポーツ」は新しい景色を見せてくれた。
スケートボード女子パークの決勝が忘れ難い。金メダル最有力といわれた岡本碧優(みすぐ)が逆転を懸けた大技に失敗して競技を終えた直後、ライバルたちが駆け寄り、抱擁の輪と肩車で敗者をたたえた。その多くは10代の若者だった。
彼女たちが表現したものは、他者の痛みへの共感、挑戦する勇気への賛美、心の深い部分で結ばれた戦友との連帯だろう。コロナ禍の1年半で、他者を疑いの目で見ることに慣れた大人たちへの警鐘が、そこからは読み取れる。
無観客が、日本にとって大きな損失となったことは間違いない。だが、選手たちは連日の熱戦で観客席の空白を埋めた。誠意に満ちた「おもてなし」で、海外選手団から好評を得たボランティアも後世に残る財産だ。
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は6日の会見で「無観客で魂のない大会になるのではないかと思ったが、そうはならなかった」と述べた。魂を吹き込んだのは選手たちであり、運営に携わった全ての大会関係者だ。招致決定から8年に及んだ開催準備の労に、心から感謝したい。
魂を吹き込んでくれた
開幕前は「観客のいない五輪に意味があるのか」との懸念もあった。それでも、大会を通して国内の歓喜は途切れず、世界からは賛辞が寄せられた。
世界で何十億人もの人々が、テレビやインターネットで観戦したことも忘れてはならない。
開催準備の過程は多くの反省点も残した。今年に入り、大会理念の「多様性」に反する言動で関係者が相次ぎ辞任するなど世界に混乱をさらし続けた。今後の検証は避けて通れない。
心ない選手批判もあった。スポーツを軽んじる人々が存在することを反映している。だが、スポーツは、人がどんな挫折からもはい上がれることを教えてくれた。その象徴が白血病を乗り越えて代表入りした競泳の池江璃花子(りかこ)だ。
「人生のどん底に突き落とされて、ここまで戻ってくるのは大変だった。だけど、この舞台に立てた自分に誇りを持てる」
こう語った池江だけではない。コロナ禍に屈することなく、五輪の舞台に集った全ての選手たちが、この夏の真の勝者だろう。
私たちもまた、東京五輪を開催した事実を大切にしたい。熱戦に心を動かされた経験を、余すことなく後世に語り継がなければならない。24日からはパラリンピックが始まる。五輪の熱気を冷ますことなく、選手たちの戦いを最後まで見守り、支え続けたい。
本当にお疲れ様でした。
あらためてオリンピック選手及び運営に関わった関係者の人々に感謝を送りたいものです。
世界に希望をわかせたオリンピック
やってよかったと言えるでしょう。
(ブラッキー)
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
コメント: