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人のために命を捧げるのは駄目ですか?

大津島の猫
こちら回天の練習基地として存在した大津島の猫
獲物を狙う様子は頼もしいものですね。
時には仲間を助けるために人を襲う人もあるとの事、倫理観よりも人のために戦えるその姿は頼もしいものです。
というのはあれですが、様々な人々が訪れる大津島に置いて、立派に生きているってことでしょう。
逃げ惑うマスゴミ達と比べるとよっぽど頼もしいものです。

さて、人のために命を捧げられた英霊の皆様に対して私たちが出来る事は慰霊と顕彰のみ
そしてその行為に対して敬意を払い伝えていく事しか出来ません。
それが出来るのは素晴らしいことだと私は思います。
河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も
 名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。
 河村氏はこの日の記者会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を「なごや平和の日」に制定し、平和を祈念する式典を開催すると発表した。その際、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザに言及。「国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。『サンキューベリーマッチ』と言わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか」と持論を展開した。
 さらに、学校現場でもこうしたことを「一定は考えないといけない」と主張。「国が守られるのは当たり前であるとの考え方は、日本にものすごい不幸を導く」と強調した。
 ただ、河村氏は会見終了直後、記者団に「(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。『捨てよ』とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる」と釈明した。(寺沢知海)
 河村たかし名古屋市長と記者団の記者会見での主なやり取りは次の通り。
 ――「なごや平和の日」を名古屋城が炎上した5月14日に制定したことについて。
 「うちのお袋も言っていたけ…

マスゴミが炎上させたいだけであって普通の人は感謝している英霊の皆様の行動、この日本を残すために出来る事をやっていったというだけの話です。
称賛されるいわれしかなく、批判されることはありません。
英霊の皆様は立派に戦いました。オッペンマイヤーなどの卑怯者たちの様に民間人の大虐殺に手を貸したわけではなく、兵士同士の戦いをおこなったにすぎないのです。

そのような人として最上級の行為に対して貶めたいとするねじ曲がった人がいるのも事実、素直に成長できなかった人間の屑の典型ですね。
祖国のため死ぬのは「道徳的」 河村市長が改めて強調、専門家は批判
 河村たかし名古屋市長は30日の会見で、「祖国のために命を捨てるのは道徳的な行為」と発言したことについて、問題ないとの認識を示した。市民団体や自民党市議団などから批判が出ているが、河村氏は撤回しなかった。

河村市長「祖国のため命捨てるのは道徳的行為」 会見で持論、釈明も
 河村氏は22日の会見で、高校生の働きかけをきっかけに制定された5月14日の「なごや平和の日」の意義を問われ、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザを引き合いに「人はなぜ殺し合うのか」と、戦争が始まる要因を考える必要性に言及。そのうえで太平洋戦争の戦没者も含め、「祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為だ」と述べた。さらに、学校教育の現場でも「一定は考えないといけない」と主張した。
 これに対し、市民団体などが「国民の犠牲を美化している」と抗議。市議会最大会派・自民党市議団も会見で、「戦争の基盤は殺戮(さつりく)。その行為を道徳的というのは不適切」(藤田和秀団長)と批判した。
 河村氏はこの日の会見で、「道徳的」の意味は「感謝される対象、徳がある」と説明。「(世界は)残念ながら第2次世界大戦を起こして膨大な人を殺した」「戦争なんかない方がいい」との認識を示したうえで、「祖国が間違っていたこともあるが、わけわからん歴史の中で命を落とした人たちの死は全く無意味なのか」と反論。そのおかげで今の平和があるとし、「祖国のために死んでいったことは一つの道徳的行為だった」と改めて強調した。また、改めて戦争の原因を突き詰めるべきだとし、「なぜ国のために命を捨てないといけないのかを議論することが必要」とも語った。
 日本大学の古川隆久教授(日本近現代史)は、河村氏の発言は国の命令・判断に従わざるを得なかった戦前の歴史的な経緯を無視している、と指摘。「国が『大変だ』と言ったら無条件で命を投げ出せという意味にすり替わる可能性がある」と話す。世界的に見て侵略に対して「命を捨てる」ことに敬意が払われるのはよくあるとしたものの、「歴史的に見れば容易に『戦争に行くべきだ』という議論に発展したし、むしろそのためにこういう話が盛んになされてきた」と警鐘を鳴らす。
 近現代史研究家の辻田真佐憲氏は「戦争で死ぬことを『道徳的』とすると、それが『推奨すべき良いおこない』となる」と指摘。現職市長がこうした発言をすると、「慰霊をすること以上を市民に求めているように聞こえる」と危惧する。市は「なごや平和の日」を制定したばかりで、「戦争の犠牲者を悼むための式典のはずで、いったい何を伝える日にしたいのか」と疑問を呈す。(寺沢知海、野口駿)

河村たかし名古屋市長と記者団の主なやり取り
 ――発言の撤回を求める声があがっている。
 捨てるという表現はちょっとね。捧げたでもいいんですけど。みんなで感謝すべきということは、当然反対する思想の人もいますから。国家がなんだ、祖国がなんだと。しかし、国際連盟はありましたけど、残念ながら第2次世界大戦を起こしてしまって、膨大な人を殺した。国という存在自体が一つの守るべき、国で威張ってる役人は大嫌いですよ。なぜ第2次世界大戦をやってしまったか、これは重要な問題ですよ。だけど祖国は一つの命をお互いに守っているということは事実ではあります。そういう意味で命を捨てたという人もいますし、捧げた人もいる。やっぱり『ありがとう』『サンキューベリーマッチ』というのは、これがなかったら、しかしどうなんですかね。ええんですかね、本当にそういう気持ちがなくなったら。日本国は300万人第2次大戦で亡くなってますからね。200万人は軍人、100万人は空襲被害者。空襲被害者に補償したのは浜松市と名古屋市だけという状況なんですけど。そういう流れの中でありがとうという気持ちを持つことは非常に重要なことだと思いますよ、私は。受験勉強ばかりやってるもんで、戦争に行く過程の勉強がないんですよ、日本は。なぜこういう悲劇が起きたのかということを考えたときに、亡くなられた方に敬意を払うことは大変必要な行為じゃないかと思いますよ。
 ――国が大変なら戦争に行かなければならないという意味に受け止められかねない。
 祖国のために命を捨てる、祖国のために命を捧げるということには、みなさん敬意を払ってるんじゃないですか。もちろん行かせた方の責任は別ですよ。それはとんでもないですよ。アメリカと戦争やって何やっとったんだと。南方の石油は確保できるからといって。相手があることだからとんでもないけど。僕は思いますけどね。違うんですかね。
 ――市長の立場で発言すると国のために行きなさいという意味に受け止められかねない。
 そういうことを言われる方もおられるかね。

人間として最上級の賛美を浴びてもおかしくない行為をおこなった英霊に対して失礼な学者ですね。
たかが政府の意向のみで命を捧げることが出来るわけがありません。ましてや特別攻撃隊に参加している人は日本のエリートです。
民間人を、日本国民を守るために出来る事をお粉ttだけにすぎません。

人のために命をささげるのは悪ですか?

そのような教えをいただいたことはありません。日本は堕落した西洋の個人主義の国ではないのです。

そして、その心は日本以外でも受け入れられています。
「日本兵とたくさん遊んで楽しかった」パプアニューギニアの老人からそう聞かされて、社会学者が戸惑った理由
社会学とはどのような学問なのか。桃山学院大学の大野哲也教授は「社会学では『従来とは異なる視点』で対象を捉える。例えば『戦争は100%悲惨だ』という前提をいったん留保して、『なぜ私は、戦争は100%悲惨だと思っているのか』と自問自答するのが社会学的思考法だ」という――。

■1988年から2年間、パプアニューギニアで暮らしていた
 今からさかのぼること三十数年、1988年から90年にかけての2年1カ月間、大洋州に浮かぶ島国パプアニューギニアで暮らしていた。当時この国は「地球最後の秘境」と呼ばれ、日本社会で生きてきた者にとってはまさに異文化、毎日が驚きの連続だった。
 この国は第二次世界大戦時に激戦が繰り広げられた場所で、多くの日本兵が命を散らした悲惨な記憶の場でもあった。15万の兵士が送られ、12万8000人が命を落としたといわれている。大半は銃弾ではなく、食糧不足による飢えと、蚊を媒介にして罹るマラリアによって倒れたのだった。
 日本にとっては凄惨な歴史を有する国だが、住んでいた頃は、そのような面影はところどころに転がるように放置されている朽ち果てた戦闘機や軍事車両にみることができる程度であり、そこに暮らす人たちも戦争のことを話題にすることはまったくなかった。

■異国の地で「ニホンジンですか」と話しかけられる
 ただ、一度だけ面白い経験をした。仕事でラバウル島に行った時のこと、町を散策していると一人の老人がふらりと近づいてきた。自分たちとは肌の色や髪の毛の質がまったく違うアジアの人間をみつけて、興味と好奇心がむくむくと湧き上がってきたのかもしれない。
 おじいさんは出し抜けにこういった。「ニホンジンですか」。見知らぬ「外国人」がたどたどしくも正確な日本語を突然話したのでびっくりしたが、ともあれ、戸惑いつつ「そうです」と日本語で答えた。そうすると「おーっ」と歓声をあげて、満面の笑みをたたえながら「もしもしカメよ、カメさんよ」といきなり歌い出した。そして完全な歌詞と発音とメロディーで一番を歌い終えるとまたもや唐突に「タナカさんは元気ですか」といった。
 頭のなかが「?」マークでいっぱいになった私に彼が語ったところによると、その真相はこうだった。
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「第二次世界大戦中に日本兵がたくさんやってきた」
「彼らは、当時、子どもだった私とよく遊んでくれた」
「タナカという人に日本語を教えてもらった」
「その時に“もしもしカメよ”の歌も教えてくれた」
「タナカはとてもよい人だった」
「彼は元気か?」

■戦争には「悲惨」以外の見方がある
 戦争に関して誰かがなにかを語り、メディアが伝えるときには、いかに残忍で悲惨で浅はかな行為あるかが強調される。「日本は唯一の被爆国」という言葉や、夏の高校野球のテレビ中継でかならず放送される8月15日の終戦記念日の黙祷などは、そのような集団的心象を象徴している。この姿勢は絶対的に正しい。「破壊と殺戮はよい行為だ」「どんどんするべきだ」とは誰も思わない。武力攻撃は人間性の否定と冒瀆であり、モノと自然と命の蕩尽であり、愚の骨頂である。
 だが個人の記憶レベルになると、戦時の楽しい記憶がよみがえることがある。微笑みながら「もしもしカメよ」と口ずさみ、歌を教えてくれた兵士タナカの今を気遣う心持ちは、自分とはなんの関係もない、いわばとばっちりともいえる交戦をけっして喜んではいないものの、非日常のなかの日常の一場面では、子ども心に楽しさがあったことの証左である。
 戦争をこのような視点からみたことはなかった。戦火を生き延びた父母と祖父母から断片的に聞く話は「食べるものがなくて生のドングリを食べた」「東京から着の身着のまま岡山に疎開した」などの定番化した苦労話ばかりだった。なので「楽しかった」という話はとても新鮮でインパクトがあった。30年以上も前の話なのにいまだにその光景を鮮明に再現できるのは、モノやコトを違う視点から見てみることの驚きがあまりにも強烈だったからだろう。

■社会学の本質=「違う視点でものごとをとらえる」
 字面だけをみると社会学はとても簡単そうだ。なにせ「社会」を「学ぶ」のだから、「社会について考えるのだろう」とすぐに了解してしまう。しかも対象となる「社会」はあまりにも見慣れ、聞き慣れたコトバだ。
 大学入試で面接を担当するとき、「社会学ってどんな学問だと思っていますか」と質問することがある。すると多くの受験生は胸を張って「歴史とか政治とか社会問題とかを考えることです」と答える。その声を聞くたびに、笑みを保ったまま少しがっかりする。
 核心はその部分にはないからだ。
 ではエッセンスはなにか。パプアニューギニアで出会ったあの老人が、すでに教えてくれている。彼は社会学を生きているといえるのだ。
 社会学の心髄、一番重要な部分は「従来とは異なった視点で対象を捉える」ことにある。このことをもう少し深く考えてみよう。

■「缶ジュース」はどんな形に見えるか
 あなたの目の前に一本の缶ジュースがある。まず真正面に立ってみよう。どんな形に見えるだろうか。実際は円柱だが、そうは目に映らない。シルエットだけに限定すれば長方形に見えるはずだ。それを確認したうえで、次に上方にアングルを移動させてみよう。そうするとまん丸に見える。
 これが社会学的方法論である。
 なんだか、凡庸すぎて馬鹿にされたような気分になるかもしれない。しかしこのとき頭のなかでは、相当複雑な作業をしているのだ。円柱であることがすでにわかっているモノを、その「わかっている」をいったん横に置いておいて、長方形や真円だと認識・判断するのだから。
 パプアニューギニアの老人をもう一度振り返ってみよう。彼は戦争が悲惨なことは当然ながら理解している。そのうえでそのような感情や知識をいったん留保して、戦場で経験した楽しい思い出を語ったのである。「凄惨な現場だったけれども、こういうこともあったのだよ」と。

■自分自身のことも「新たな視点」で見てみよう
 私たちは日常生活を生きる実践の蓄積によって、知らず知らずのうちに視線を据えつけてはいないだろうか。「戦争はもっとも愚かな行為」「社会から犯罪はなくすべき」「女性がスカートを穿くのはよいが、男性がスカートを穿くのはおかしい」など、「○○はこうあるべき」というような価値観や意見、見る角度を固定化してしまっている。あるいは日々を生きるプロセスで、周囲(=社会)からの影響を受けて一定の型に嵌め込まれていっている。
 老人が戦時下での楽しい思い出を語ったことに驚いたのは、私に「戦争は100%悲惨だ」という前提があったからだ。社会学的思考法は「なぜ私は、戦争は100%悲惨だと思っているのか」と自問自答することにつながっているのだ。
 思考実験としての社会学は、自分自身について一所懸命に考えることと同一だ。「あなた」の存在をいったん保留したうえで、あなた自身について考えることなのである。こうした学問は、小中高校で学ぶ知識のありようとは異なっている。そこでの勉学は基本的に、記憶することと、正しい答えを追求することに重点が置かれているからだ。

■社会学は人生を豊かにする
 あなたは自分自身をどのように捉えているだろうか。いろいろな性格や志向性や習慣があることだろう。そのような複雑怪奇な自己を、自分以外のモノやコトを経由して、いままでとは異なった立場から再考してみる。するとジュースの缶が長方形や真円に見えるように、新しい自分の姿が浮かび上がってくるに違いない。
 知的好奇心を自在に操りながら、社会について、あるいは多様な生き方を実践している人びとの意識や行為の深層に迫る。それが社会についての深い理解、人びとに対する柔軟な諒解につながっていく。チャレンジングでスリリングな知的冒険の先には、あなたなりの「よりよい社会」や「よりよい生」への扉がひらけているはずだ。
 社会学は、あなた自身の人生の可能性を広げるばかりか、生き方を彩り豊穣にしていくことだろう。これが社会学の醍醐味であり、社会学を学ぶ意味である。

よくわからないことを話していますが、事実戦争は悲惨ですが、その中でも育んだ歴史という教科書があります。
それを否定して悲惨であるという事しか得ないマスゴミ達の多様性のなさ、寛容性のなさが浮き彫りになっているという事でしょうね。
戦争にもドラマがある。それが判らない人が多すぎる、教養のなさが浮き彫りになっているという事でしょうね。


ここに信じてよいものがあります。
自分を捨て、仲間や家族のために最善を尽くした人たちが日本に居たことを
そしてそのような人々を今も称える人たちがいることを・・・
自らの命を捨てて仲間のために戦うのは悪ですか?
私はそうは思いません。

先日、回天の演習場の大津島に行ってきました。
回天記念館
そして昨日、知覧特攻慰霊祭に参列してきました。
多くの人々に戦争の惨烈さを伝えるとともに覚悟を決めてことに赴いた若者の軌跡があります。
願わくは多くの人に知っていただたきたいものです。
(ブラッキー)
”ブルーリボン拡散運動”

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教育 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2024/05/04 06:00
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>名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。
 
確かに、大日本帝国というお笑いクソ国家は教育現場で純粋無垢な子どもたちに天皇教の教義を刷り込んでいたのだから天皇教の教義に洗脳されてしまった人も多かったわけで、天皇のため国のために戦争を戦った方々もいたでしょう。
しかし、一方では徴兵逃れや徴兵逃れ祈願が行われていたわけですから、行きたくもない戦争に否応なしに狩り出されて国家に殺されて行った方々も大勢いたのです。
しかし、天皇教の馬鹿信者どもにとって行きたくもない政争に狩り出された国民、つまり天皇に忠義を尽くして戦っていない人達を認めるわけにはいかないのです。
何故なら、彼らは天皇教の信者ではなかったからです。
河村という天皇教の信者は、行きたくもない戦争に狩り出されて死んで行った方々に思いを寄せないクズの中のクズであり、その河村を擁護しているキミも同類のクズです。

極左テロリストどもは人工的に作った共同体を統治するにはヨーロッパの国民国家のような一神教の国教が必要だと考え、キリストの代わりに天皇を据えて天皇教という一神教の新興宗教を作りました。
つまり、人々を天皇教の信者にして人工国家を統治しようとしたのです。

【公定ナショナリズム】
https://ewkefc.blog.fc2.com/blog-entry-171.html

人の上に国家を置くのは作り物のナショナリズムである公定ナショナリズムを刷り込まれている証拠であり、決して高度な道徳的行為ではないのです。
人の上に国家を置いてしまうのは、単に洗脳されているだけなのです。


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