転載《パール判事の日本無罪論;を読まれた方へのお願い!》
※写真は、『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』の表紙です。

●超拡散《パール判事の日本無罪論;を読まれた方へのお願い!》
■『パール判事の日本無罪論』(田中正明著、小学館文庫)の解説に小生が、「この書が、ダイヤモンドのごとく真理の光彩を放つとき、手にした人々が、無意識にすり込まれていた東京裁判史観というマインド・コントロールから解かれることを祈り、田中正明氏に感謝して、武蔵野をあとにした。
平成十三年盛夏
」から、11年目になります。
この書は、小生が図書による情報戦を開始した最初の書籍だったのです。
その時にイメージした戦略は、日本罪悪史観の源流が東京裁判であり、まず、東京裁判の実態を皆様に伝えることでした。そして、同書を読まれた方が一番知りたがるであろうと考え『「南京事件」日本人48人の証言』(阿羅健一著、小学館文庫、2001年12月)を復刻出版したのです。それで、何故、日本人がみな洗脳されたのか、との疑問を抱くことに応えるため、日本人の洗脳にもっとも影響力を発揮した、NHKラジオ放送「真相箱」の台本を発掘し、広く国民に読まれることを目的に、桜井よしこ氏に資料を提供し、『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002年8月)として、台本を完全復刻し桜井氏が解説され出版されています。
これらは、すべて図書による情報戦の一貫として、実行してきたことです。しかし、最初にイメージした「多くの人々」へ真実が浸透するまでにはなっておりませんでした。
その弱点を反省し、より広く国民に知らしめるにはどうしたらいいのか。
その答えとして出版したが『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』です。
本書の目的は、個々に資料本として所蔵して戴くことと、街の医院や理美容院、喫茶室のブックスタンドに置いていただけるように、ほとんど1ページづつ完結させることでした。
『パール判事の日本無罪論』は復刊以来、12万5千人の皆様が読まれておりますが、小生と同じく忸怩たる気分になっていらっしゃると思っております。そこで『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』の情報を、皆様方が、街に拡散していただけると信じて本書を企画させて戴きました。
★小生は、IT技術は詳しく分かりませんが、出版社から、『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』の「表紙」と「チラシ」のPDF画像をいただきましたので、皆様方の身近なところで情報を拡散するために利用して頂けるれば幸いです。
「表紙PDF画像」と「チラシのデータ」x90xECPDFあり
http://docomo.ne.jp/mw/get.cgi?key=9vlbv6801a3qoHd01803p1e74
保存期限:12/07/07
※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」代表 ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-591.html?cr=ba5237382c263b508786a3b46575c7c8》(条件;上記全文掲載)◇
(ねえ)

●超拡散《パール判事の日本無罪論;を読まれた方へのお願い!》
■『パール判事の日本無罪論』(田中正明著、小学館文庫)の解説に小生が、「この書が、ダイヤモンドのごとく真理の光彩を放つとき、手にした人々が、無意識にすり込まれていた東京裁判史観というマインド・コントロールから解かれることを祈り、田中正明氏に感謝して、武蔵野をあとにした。
平成十三年盛夏
」から、11年目になります。
この書は、小生が図書による情報戦を開始した最初の書籍だったのです。
その時にイメージした戦略は、日本罪悪史観の源流が東京裁判であり、まず、東京裁判の実態を皆様に伝えることでした。そして、同書を読まれた方が一番知りたがるであろうと考え『「南京事件」日本人48人の証言』(阿羅健一著、小学館文庫、2001年12月)を復刻出版したのです。それで、何故、日本人がみな洗脳されたのか、との疑問を抱くことに応えるため、日本人の洗脳にもっとも影響力を発揮した、NHKラジオ放送「真相箱」の台本を発掘し、広く国民に読まれることを目的に、桜井よしこ氏に資料を提供し、『GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く』(小学館文庫、2002年8月)として、台本を完全復刻し桜井氏が解説され出版されています。
これらは、すべて図書による情報戦の一貫として、実行してきたことです。しかし、最初にイメージした「多くの人々」へ真実が浸透するまでにはなっておりませんでした。
その弱点を反省し、より広く国民に知らしめるにはどうしたらいいのか。
その答えとして出版したが『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』です。
本書の目的は、個々に資料本として所蔵して戴くことと、街の医院や理美容院、喫茶室のブックスタンドに置いていただけるように、ほとんど1ページづつ完結させることでした。
『パール判事の日本無罪論』は復刊以来、12万5千人の皆様が読まれておりますが、小生と同じく忸怩たる気分になっていらっしゃると思っております。そこで『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』の情報を、皆様方が、街に拡散していただけると信じて本書を企画させて戴きました。
★小生は、IT技術は詳しく分かりませんが、出版社から、『ひと目でわかる日韓・日中歴史の真実』の「表紙」と「チラシ」のPDF画像をいただきましたので、皆様方の身近なところで情報を拡散するために利用して頂けるれば幸いです。
「表紙PDF画像」と「チラシのデータ」x90xECPDFあり
http://docomo.ne.jp/mw/get.cgi?key=9vlbv6801a3qoHd01803p1e74
保存期限:12/07/07
※「『南京の実相』を国内外のメディア 図書館等に寄贈する会」代表 ジャーナリスト水間政憲;ネットだけ転載フリー《http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-591.html?cr=ba5237382c263b508786a3b46575c7c8》(条件;上記全文掲載)◇
(ねえ)
歴思の旅と教育再生
去る6月24日、美術史の泰斗、東北大学名誉教授の田中英道先生による「歴思の旅」に参加しました。日本の文化・歴史を具体的に現物に触れて、日本の良さを再認識しようというもので、主催は教育再生機構です。「歴思」とは、歴史を学ぶにも思いが必要の意とのことです。今回13回目になります。毎回、先生のお話のあと、博物館、美術館、神社やお寺などを訪問し、先生の解説付きで具体的に現物を鑑賞するというものです。ちなみに田中先生は、新しい歴史教科書をつくる会の元会長、昨年は「戦後日本を狂わせたOSS日本計画」を出版されています。
今回は武蔵野の古刹、調布市の深大寺に行きました。深大寺には、白鳳時代の金銅製の釈迦如来像があります。ちょうど、安置されている堂内が公開されているのに合わせたものでした。
http://www.jindaiji.or.jp/
まず近所の福祉センターを借りて先生の講義がありました。その後、深大寺公園の森の中を散策しながら深大寺に向かい、お寺ではお坊さんから像の説明を受けたのですが、先生が講義の中で、戦後教育の問題をお話しされた通りの問題を、そのお坊さんが具体的に示してくれたのでした。
田中先生は、戦後の日教組史観による歴史教育は、国を忘れ、郷土を忘れ、美しく語ることを忘れてしまった、そして過去との断絶を起こし、自虐史観で祖国を貶めていきた、子供達に対して、日本の誇りある歴史を取り戻さなければならない、として次のように話されました。
●歴史の連続性
・ローマには、ローマ時代の遺跡が残っているが、現代のローマ人とは繋がりがない。ギリシャも同じだ。孔子・孟子のシナの遺産も、現代のシナ人とは関係がない。皆民族が変わってしまっている。
・世界で日本だけが、考古学の時代から現代に至るまで、一度も侵略されることがなく、同じ民族が続いている。この日本列島から人が動かなかったのが日本文明だ。この特殊性は十分認識しなければならない。
●文化の質の高さ
・世界三大芸術都市を挙げるとすれば、フィレンツェ、アテネ、そして奈良である。日本の文化の質の高さは世界的だ。
・帝国主義の時代に英仏は、エジプト、ギリシャから、歴史的遺物を根こそぎ自国へ持ち帰った。それが大英博物館、ルーブル美術館に集積されてあり、それによりエジプト文明、ギリシャ文明の全体像を世界は知ることが出来た。しかし日本の場合は、幸いそのようなことはなかったが、そのため、日本文明は、エジプト、ギリシャあるいは西欧ルネッサンスに匹敵するものであることを、世界は理解していない。
・例えば、天平時代の仏師で、東大寺とその周辺に多数の仏像を残した国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)は、イタリア・ルネッサンスの巨匠ミケランジェロに勝るとも劣らないのである。ミケランジェロのダビテ像を「5つ星」としたら、日本には「5つ星」が多数あるのだ。
●マルクス主義史観を克服せよ
・マルクスは、人類の歴史を発展段階説で捉え、過去を否定し、発展の先に共産主義があるとした。GHQはそれを継承し、日教組を通じて日本に強いた。学習指導要領はその影響を受け、歴史を古代→中世→近世→近代としている。そこには、古代は遅れた時代、近代以前は遅れたものとして否定し、未来の革命に期待しようとの考えがある。日本人はすっかりそれに乗せられてしまった。
・万葉集を見れば、貴貧を問わず「個人」があらゆるジャンルの歌を詠んでいる。個人が生きている。17条憲法は民主主義の思想だ。天平文化は、イタリアのルネッサンスを思わせる。古代が遅れた社会などとは、日本では当てはまらない。日本の歴史は、マルクス主義史観では捉えることが出来ない。
・しかし日教組による自虐史観教育により、日本はダメな国、西欧に学べどころか、日本文化は、シナ、朝鮮の亜流だと洗脳されたままでいる。
●歴史における文化史
・日本の歴史は、政治史、経済史だけでは分からない。天皇を中心とした文化史を重視していかなければならない。日本の歴史の展開は、文化によって果たされてきた面が大きい。西欧やシナは、それは戦争であった。
・日本の歴史には「美」がある。国体の美しさがある。その頂点におわす方(天皇)を決して犯すことはない。それが美術となって現れてくる。四天王、仁王などがそうだ。
・子供達に誇りある日本を教えていかなければならない。それには、これは守らなければならないという文化観を持たせること、そのためには文化史を学ぶこと、具体的には、「もの」(文化遺産)を見ること、「もの」を見て歴史を実感することが大事だ。
・東京及び近辺にも多数、文化遺産がある。それを見よう。
次は深大寺と白鳳時代の仏像について次のようにお話しされました。
・深大寺周辺には、縄文遺跡が多数ある。
・行田市の埼玉(さきたま)古墳群からは、21代雄略天皇(5世紀)の統治を思わせる銘文が刻まれた鉄剣(国宝)が発見されており、早くから大和朝廷の勢力がこの地に及んでいたことが分かる。ちなみに古墳は全国で20万~30万ある。東京にも200~400ある。形式は似ている、と言うことは、文化的には早い時期から統一されていたようだ。
・深大寺は733年開山。8世紀の寺が東京にあることを人々は忘れてしまっている。
・同じ時期に、近在の国分寺には、武蔵の国の国府がおかれた。府中には武蔵の国の総社と言われる大國魂神社がある。第12代景行天皇(1世紀)の時代の創建と伝えられる。
・深大寺の釈迦如来像は、金銅仏で、白鳳時代(7世紀)の作と伝えられる。顔が明るく、時代が希望に満ちていたと思わせる。

・このように武蔵野台地には、古くから人が住み、大和朝廷の支配と共に文化が滲透していた。
・白鳳時代とは、大化の改新(645年)から710年頃までの天智天皇、天武天皇、聖武天皇の時代であるが、万葉集、懐風藻(最古の日本漢詩集)、古事記、日本書紀、全国各地の風土記などの編纂がなされた。優れた天皇の元で優れた文化が生まれた。
・7世紀、8世紀の日本文化は、世界で最も輝いていた。
そして講義が終わって深大寺に伺い、釈迦如来像を拝謁しました。普段は、安置する釈迦堂の外から、ガラス窓を通して拝むのですが、今回は堂の中に入り、像を目の前にしてお坊さんに解説していただきました。そのお話がおかしかったのです。
「この釈迦如来像は、当時、文化的に先進国であった朝鮮で作られ、日本にもたらされた、その後朝鮮から仏師が多数渡来し、その指導の元で日本でもこのような仏像が作れるようになった、ちなみに「帰化人」は差別語であり、正しくは「渡来人」と言わなければならない。」
などと話しを続けるのです。
しばらく黙って聞いていた田中先生はたまりかねて、「朝鮮で作られたというのは間違いです。現代の朝鮮のどこにも、このような仏像の痕跡はありません。」と指摘されました。ちょっと気まずい雰囲気になりましたが、お坊さんは特に反論はなく、話を続けたのでした。
あとで田中先生が言われるのには、「多分確信犯ではないと思うが、これが日教組教育の結果だ、日本はダメな国だ、遅れていた国だった、シナ、朝鮮は先進国だった、などと教育されていたので、一寸した知識で疑いも持たなかったのであろう。」とのことでした。
深大寺は蕎麦で有名です。山門前には、鬱蒼とした木立の下に風情のある茶店が並んでいます。その一軒に入り、それにしても仏様の横顔はまた一層よかった、と思いながら、蕎麦をいただいて帰路につきました。
(うまし太郎)
今回は武蔵野の古刹、調布市の深大寺に行きました。深大寺には、白鳳時代の金銅製の釈迦如来像があります。ちょうど、安置されている堂内が公開されているのに合わせたものでした。
http://www.jindaiji.or.jp/
まず近所の福祉センターを借りて先生の講義がありました。その後、深大寺公園の森の中を散策しながら深大寺に向かい、お寺ではお坊さんから像の説明を受けたのですが、先生が講義の中で、戦後教育の問題をお話しされた通りの問題を、そのお坊さんが具体的に示してくれたのでした。
田中先生は、戦後の日教組史観による歴史教育は、国を忘れ、郷土を忘れ、美しく語ることを忘れてしまった、そして過去との断絶を起こし、自虐史観で祖国を貶めていきた、子供達に対して、日本の誇りある歴史を取り戻さなければならない、として次のように話されました。
●歴史の連続性
・ローマには、ローマ時代の遺跡が残っているが、現代のローマ人とは繋がりがない。ギリシャも同じだ。孔子・孟子のシナの遺産も、現代のシナ人とは関係がない。皆民族が変わってしまっている。
・世界で日本だけが、考古学の時代から現代に至るまで、一度も侵略されることがなく、同じ民族が続いている。この日本列島から人が動かなかったのが日本文明だ。この特殊性は十分認識しなければならない。
●文化の質の高さ
・世界三大芸術都市を挙げるとすれば、フィレンツェ、アテネ、そして奈良である。日本の文化の質の高さは世界的だ。
・帝国主義の時代に英仏は、エジプト、ギリシャから、歴史的遺物を根こそぎ自国へ持ち帰った。それが大英博物館、ルーブル美術館に集積されてあり、それによりエジプト文明、ギリシャ文明の全体像を世界は知ることが出来た。しかし日本の場合は、幸いそのようなことはなかったが、そのため、日本文明は、エジプト、ギリシャあるいは西欧ルネッサンスに匹敵するものであることを、世界は理解していない。
・例えば、天平時代の仏師で、東大寺とその周辺に多数の仏像を残した国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)は、イタリア・ルネッサンスの巨匠ミケランジェロに勝るとも劣らないのである。ミケランジェロのダビテ像を「5つ星」としたら、日本には「5つ星」が多数あるのだ。
●マルクス主義史観を克服せよ
・マルクスは、人類の歴史を発展段階説で捉え、過去を否定し、発展の先に共産主義があるとした。GHQはそれを継承し、日教組を通じて日本に強いた。学習指導要領はその影響を受け、歴史を古代→中世→近世→近代としている。そこには、古代は遅れた時代、近代以前は遅れたものとして否定し、未来の革命に期待しようとの考えがある。日本人はすっかりそれに乗せられてしまった。
・万葉集を見れば、貴貧を問わず「個人」があらゆるジャンルの歌を詠んでいる。個人が生きている。17条憲法は民主主義の思想だ。天平文化は、イタリアのルネッサンスを思わせる。古代が遅れた社会などとは、日本では当てはまらない。日本の歴史は、マルクス主義史観では捉えることが出来ない。
・しかし日教組による自虐史観教育により、日本はダメな国、西欧に学べどころか、日本文化は、シナ、朝鮮の亜流だと洗脳されたままでいる。
●歴史における文化史
・日本の歴史は、政治史、経済史だけでは分からない。天皇を中心とした文化史を重視していかなければならない。日本の歴史の展開は、文化によって果たされてきた面が大きい。西欧やシナは、それは戦争であった。
・日本の歴史には「美」がある。国体の美しさがある。その頂点におわす方(天皇)を決して犯すことはない。それが美術となって現れてくる。四天王、仁王などがそうだ。
・子供達に誇りある日本を教えていかなければならない。それには、これは守らなければならないという文化観を持たせること、そのためには文化史を学ぶこと、具体的には、「もの」(文化遺産)を見ること、「もの」を見て歴史を実感することが大事だ。
・東京及び近辺にも多数、文化遺産がある。それを見よう。
次は深大寺と白鳳時代の仏像について次のようにお話しされました。
・深大寺周辺には、縄文遺跡が多数ある。
・行田市の埼玉(さきたま)古墳群からは、21代雄略天皇(5世紀)の統治を思わせる銘文が刻まれた鉄剣(国宝)が発見されており、早くから大和朝廷の勢力がこの地に及んでいたことが分かる。ちなみに古墳は全国で20万~30万ある。東京にも200~400ある。形式は似ている、と言うことは、文化的には早い時期から統一されていたようだ。
・深大寺は733年開山。8世紀の寺が東京にあることを人々は忘れてしまっている。
・同じ時期に、近在の国分寺には、武蔵の国の国府がおかれた。府中には武蔵の国の総社と言われる大國魂神社がある。第12代景行天皇(1世紀)の時代の創建と伝えられる。
・深大寺の釈迦如来像は、金銅仏で、白鳳時代(7世紀)の作と伝えられる。顔が明るく、時代が希望に満ちていたと思わせる。

・このように武蔵野台地には、古くから人が住み、大和朝廷の支配と共に文化が滲透していた。
・白鳳時代とは、大化の改新(645年)から710年頃までの天智天皇、天武天皇、聖武天皇の時代であるが、万葉集、懐風藻(最古の日本漢詩集)、古事記、日本書紀、全国各地の風土記などの編纂がなされた。優れた天皇の元で優れた文化が生まれた。
・7世紀、8世紀の日本文化は、世界で最も輝いていた。
そして講義が終わって深大寺に伺い、釈迦如来像を拝謁しました。普段は、安置する釈迦堂の外から、ガラス窓を通して拝むのですが、今回は堂の中に入り、像を目の前にしてお坊さんに解説していただきました。そのお話がおかしかったのです。
「この釈迦如来像は、当時、文化的に先進国であった朝鮮で作られ、日本にもたらされた、その後朝鮮から仏師が多数渡来し、その指導の元で日本でもこのような仏像が作れるようになった、ちなみに「帰化人」は差別語であり、正しくは「渡来人」と言わなければならない。」
などと話しを続けるのです。
しばらく黙って聞いていた田中先生はたまりかねて、「朝鮮で作られたというのは間違いです。現代の朝鮮のどこにも、このような仏像の痕跡はありません。」と指摘されました。ちょっと気まずい雰囲気になりましたが、お坊さんは特に反論はなく、話を続けたのでした。
あとで田中先生が言われるのには、「多分確信犯ではないと思うが、これが日教組教育の結果だ、日本はダメな国だ、遅れていた国だった、シナ、朝鮮は先進国だった、などと教育されていたので、一寸した知識で疑いも持たなかったのであろう。」とのことでした。
深大寺は蕎麦で有名です。山門前には、鬱蒼とした木立の下に風情のある茶店が並んでいます。その一軒に入り、それにしても仏様の横顔はまた一層よかった、と思いながら、蕎麦をいただいて帰路につきました。
(うまし太郎)
氷上姉子神社 御田植祭
6/24に五穀豊穣を祈る御田植祭が開催されました。

場所は氷上姉子神社、熱田神宮の摂社にあたり、こちらの大高斎田にて執り行われました。
この斎田では熱田神宮や各摂社、末社あわせて45社の神事で使用されるお米を育てているようです。
先ずは氷上姉子神社にて全員お清めを受け玉苗を運びます。

萌葱色の衣装に赤たすき,菅笠姿の早乙女が畦道で笛太鼓の田植え歌にあわせて田舞を奉納し、その後田に入り早苗を植え付けていきました。

青々とした苗を歌にあわせてリズム良く植えて行きます。
約30分で半分の稲を植え終わり、祭事は終了。
何事もなく?無事終了しました。
其処後、残った田んぼには近所のちびっ子たちによる田植えが始まりました。子供は元気ですね。

この季節、御田植祭は日本全国どこででも行われている神事です。
ご近所の御田植祭に行ってみるのも良いと思いました。
お疲れ様でした。
(ブラッキー)

場所は氷上姉子神社、熱田神宮の摂社にあたり、こちらの大高斎田にて執り行われました。
この斎田では熱田神宮や各摂社、末社あわせて45社の神事で使用されるお米を育てているようです。
先ずは氷上姉子神社にて全員お清めを受け玉苗を運びます。

萌葱色の衣装に赤たすき,菅笠姿の早乙女が畦道で笛太鼓の田植え歌にあわせて田舞を奉納し、その後田に入り早苗を植え付けていきました。

青々とした苗を歌にあわせてリズム良く植えて行きます。
約30分で半分の稲を植え終わり、祭事は終了。
何事もなく?無事終了しました。
其処後、残った田んぼには近所のちびっ子たちによる田植えが始まりました。子供は元気ですね。

この季節、御田植祭は日本全国どこででも行われている神事です。
ご近所の御田植祭に行ってみるのも良いと思いました。
お疲れ様でした。
(ブラッキー)
台湾旅行記その2~阿里山~

こちらは台湾の中央にあります阿里山国家風景区(ありさんこっかふうけいく)になります。台湾の嘉義県にある阿里山(アーリサン)を中心とした国定公園であり、「阿里山」は高山の総称であり、阿里山いうひとつの山があるわけではない。山岳一帯は台湾原住民のひとつ、ツオウ族(鄒族)の居住地だそうです。

こちらでみる初日の出や御神木は大変きれいで圧倒されます。
こちらの御神木は紅檜がほとんどであり、日本のように杉の木はほとんどありません。古い木にいたっては樹齢2000年を超えるものもあります。
初日の出の方向にはアジア最高峰の玉山(新高山)がそびえ目を楽しませてくれます。

阿里山鉄道は日本統治時代、明治神宮や伊勢皇大神宮に使われている阿里山のヒノキを運ぶため、東京帝国大学の琴山河合博士が設計、1911年(明治45年)に完成したそうです。
現在はディーゼル機関車に変わっておりますが、SLの駅舎にありまだ使えそうでした。
さて、ポスターの写真はこのくらいにしておきます。
桃園国際空港に到着した私達は、台中の阿里山に向かいます。
このときの天気は晴れ時々夕立、幸いSAで休憩したときには晴れていました。

直射日光が痛いです。此処から少しずつ天気が悪くなっていき、高速度道路を降りる直前には厚い雲が掛かってきました。

此処から高速度道路をおり、山の中に入っていきます。
高速度道路二時間+一般道路一時間半にてやっと山の上に到着

雲海と虹が私達を迎えてくれました。
見ての通り、天気は最悪です。これでは名物である日の出を見ることが出来ません。
朝起きると天気は雨、視界10m程まったく何も見えません。
祝山からの日の出鑑賞はあきらめて、御神木を見に行きます。
阿里山駅から登山列車にのり神木駅へ移動します。

駅からは1周4㎞ほどの散策コースです
実に気分のいいコースでした。森林を歩いていると、「姉潭」「妹潭」という小さな池が現れたり、「永結同心(Forever One Heart)」というハート型の木が現れたり、はたまた「四姉妹」「三兄弟」「象鼻木」「千歳檜」なんていうおもしろいネーミングの大木たちが現れたりします。そして、何と言っても圧巻なのが、巨木群と森林のあちこちに存在する巨木たちです。巨木群はほとんどがヒノキです。

登山列車はこの巨木を運ぶために作られましたが、その巨木に感謝して樹霊塔を建てており、その案内文にはこのように書かれています。

1935年、日本人が阿里山を開発し大量の樹木を伐採した際に、生き物には皆、魂があるとの考えから、この塔を建立し樹木の霊を慰めた。一つ一つの輪が年輪を表している。(一つの輪が500年)、脇に刻まれている跡は伐採の際の鋸の跡。
「生き物すべてに魂がある」この考え方は日本人特有の考え方かもしれません。
散策コース内には「慈雲寺」という寺があります。阿里山開発初期の1919年に「阿里山寺」として建てられました。建てたのは言うまでもなく、日本人です。中には、1918年(大正7年)にタイ国王より贈られた釈迦仏があるそうです。当時、日本で一番高い山は富士山ではなくて、台湾の新高山(にいたかやま)でした。それは台湾が日本の植民地で、日本の領土だったからです。この仏像をいただいた大正天皇は、日本最高峰の新高山(にいたかやま)に仏像を安置しようと考えました。しかし、新高山は未開発であったため、阿里山が選ばれ、この寺が建てられたそうです。名前が「慈雲寺」に変わったのは、1945年、戦後になってからだそうです。
http://www.tabitabi-taipei.com/topics/20120302/sakura.php
その奥には受鎮宮がありました。

台湾の友人に習い、台湾流の方法で参拝を行いました。
初めてですが気持ちは神社に参拝するのと変わりません。
当初の目標であった玉山(新高山)に登ることはかないませんでしたが、大変良い旅となりました。
(ブラッキー)
第十四回日本の歴史文化研究会「占領憲法無効。大日本帝国憲法復元」

主催「平成・美しい日本を護る会」、「日本精神復活推進協会」
共催「my日本」、「兵庫ビジョンの会」
後援「兵庫県教育再生協議会」
協賛「新聞アイデンティティ」
定員になり次第、締め切らさせていただきます。
お早目のお申し込みを。
平成24年6月24日(日)
第十四回日本の歴史文化研究会 「占領憲法無効。大日本帝国憲法復元。明治典範復元」
受付13:00 講演会 13:15-16:30
「こうべまちづくり会館」
http://www.kobe-toshi-seibi.or.jp/matisen/
〒650-0022 神戸市中央区元町通4丁目2番14号
(元町商店街4丁目西端の南側角)
TEL 078-361-4523
地下鉄海岸線「みなと元町駅」西1出口から北へ1分
神戸高速 「花隈駅」東口から南へ3分
「西元町」東口から東へ5分
JR・阪神 「元町駅」西口から西へ8分
定員 56名
会費 無料
内容
第一部
「憲法の歴史」
南出喜久治先生(けんむの会講師、国体護持塾塾長、弁護士)
第二部
「占領憲法無効。大日本帝国憲法復元。明治典範復元」
南出喜久治先生(けんむの会講師、国体護持塾塾長、弁護士)
懇親会 17:30-20:00
魚河岸の居酒屋 えびす大黒 元町店
http://r.gnavi.co.jp/c873204/
〒650-0014 兵庫県神戸市中央区元町高架通り1-119
JR神戸線元町駅 徒歩1分
阪神本線元町駅 東口 徒歩1分
阪急神戸線三宮駅 西口 徒歩8分
TEL 078-335-1889
会費 3,500円 + α
靖国神社 御霊祭り
今年も御霊祭りの季節がやってきました。
以下、靖国神社のh.pより抜粋

日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
期間中、境内には大小3万を超える提灯や、各界名士の揮毫による懸雪洞が掲げられて九段の夜空を美しく彩り、本殿では毎夜、英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。
また、みこし振りや青森ねぶた、特別献華展、各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか、光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや、軒を連ねる夜店の光景は、昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。
【日程】
前夜祭 7月13日 午後 6時
第一夜祭 7月14日 午後 6時
第二夜祭 7月15日 午後 6時
第三夜祭 7月16日 午後 6時
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/mitama.html
靖国神社にはひたすらに『国安かれ』の一念のもと祖国に殉じられた方々を尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
私達、平成・美しい日本を護る会 関東山歩会(平護会)では大型献灯三灯を献灯することになりました。
皆さんも一度いかれてみては如何でしょうか?
(ブラッキー)
以下、靖国神社のh.pより抜粋

日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
期間中、境内には大小3万を超える提灯や、各界名士の揮毫による懸雪洞が掲げられて九段の夜空を美しく彩り、本殿では毎夜、英霊をお慰めする祭儀が執り行われます。
また、みこし振りや青森ねぶた、特別献華展、各種芸能などの奉納行事が繰り広げられるほか、光に包まれた参道で催される都内で一番早い盆踊りや、軒を連ねる夜店の光景は、昔懐かしい縁日の風情を今に伝えています。
【日程】
前夜祭 7月13日 午後 6時
第一夜祭 7月14日 午後 6時
第二夜祭 7月15日 午後 6時
第三夜祭 7月16日 午後 6時
http://www.yasukuni.or.jp/schedule/mitama.html
靖国神社にはひたすらに『国安かれ』の一念のもと祖国に殉じられた方々を尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
私達、平成・美しい日本を護る会 関東山歩会(平護会)では大型献灯三灯を献灯することになりました。
皆さんも一度いかれてみては如何でしょうか?
(ブラッキー)
民主党をぶっ潰せ 街宣報告
6月17日 民主党前にて座り込みを行っているメンバー主催の民主党ぶっ潰せの街宣に参加しましたのでご報告します。

当日の天気は曇り、気温:27度、湿度:最低、風:なし!とあまり良くないコンディションではありましたが、それでも300名弱の方々が集まりました。
出発場所はお茶の水の公園、我輩は猫であるの石碑が近くにある公園になります。
コースは此処から靖国通り~秋葉原~上野駅南側~上野公園
約1時間30分のコースになります。

趣旨はインターネットで民主党の正体を検索して貰い、いかに報道が信用できないかを自分で調べて貰うことを目的です。
ある程度街宣も認知されてきたのか、昔ほど野次が飛ぶこともなくいたって平和に行進して行きます。

警察官も前と後ろだけで後は交差点を安全に渡らせるために信号機を変えたり、車の誘導を行うだけで昔のように機動隊が出てくることはありません。

秋葉原では歩行者天国になっていることもあり、横を素通りするだけで中央の通りを街宣することはかないませんでしたが、それでもそれなりに人の通りはあり、近くの飲食店の店員などは真剣な顔をしてみておりました。
散らし配り隊も大部分のチラシを配り終わり、特に何事もなく終了!

其処後、在特会主催で浅草で行われていた「生活保護を守れ!国民大行進」に参加した方も多数居られたようです。
お疲れ様でした。

(ブラッキー)

当日の天気は曇り、気温:27度、湿度:最低、風:なし!とあまり良くないコンディションではありましたが、それでも300名弱の方々が集まりました。
出発場所はお茶の水の公園、我輩は猫であるの石碑が近くにある公園になります。
コースは此処から靖国通り~秋葉原~上野駅南側~上野公園
約1時間30分のコースになります。

趣旨はインターネットで民主党の正体を検索して貰い、いかに報道が信用できないかを自分で調べて貰うことを目的です。
ある程度街宣も認知されてきたのか、昔ほど野次が飛ぶこともなくいたって平和に行進して行きます。

警察官も前と後ろだけで後は交差点を安全に渡らせるために信号機を変えたり、車の誘導を行うだけで昔のように機動隊が出てくることはありません。

秋葉原では歩行者天国になっていることもあり、横を素通りするだけで中央の通りを街宣することはかないませんでしたが、それでもそれなりに人の通りはあり、近くの飲食店の店員などは真剣な顔をしてみておりました。
散らし配り隊も大部分のチラシを配り終わり、特に何事もなく終了!

其処後、在特会主催で浅草で行われていた「生活保護を守れ!国民大行進」に参加した方も多数居られたようです。
お疲れ様でした。

(ブラッキー)
宝の海、国境・離島を守れ
去る6月16日、日本世論の会神奈川県支部主催により、東海大学教授山田正彦氏の標記の講演会がありました。国境・離島と言えば、尖閣諸島は誰もが知っているところであり、去る6月11日の石原東京都知事の国会での答弁ではありませんが、「中国が強盗に入ろうとしているのに、戸締まりしない国は間が抜けている」という状況が続いています。
正に尖閣は喫緊の問題ですが、本日の山田先生のお話は、尖閣諸島、北方領土、竹島、沖ノ鳥島などを含めた我が国の排他的経済水域を守れ、それは我が国の将来に豊かな海洋資源提供の可能性を秘めているからだと、海洋大国としての我が国を再認識し、その立場を守れと強調していました。タイムリーなお話として、要旨を紹介させていただきます。
1.排他的経済水域
図は、我が国の排他的経済水域(EEZ:Exclusive Economic Zone)を示します。

平成8年(1996年)、我が国は国連海洋条約を批准し、我が国のEEZが国際的に認められた。東西3000km、南北3000km、沖ノ鳥島は緯度で言えばハノイより南だ。我が国は、国土面積は38万平方キロで世界で62位に過ぎないが、EEZは447万平方キロで、一挙に世界6位になる。ちなみに1位はアメリカ、以下フランス、オーストラリア、ロシア、カナダと続き、中国は15位で日本の五分の一でしかない。
EEZは、沿岸から200海里(370km)、国同士で重なる場合は、両国の中間線とさる。EEZにおいては、3つの権利が認められている。1つは海底資源の開発、2つは海中を使用する権利、3つは漁業管轄権だ。海中を使用する権利の意味として、海水に含まれる希少金属の利用権利がある。EEZは面積であるが、その海底まで含めた体積では、我が国は世界第4位の海洋大国に浮上するのだ。
それでは、この3つの権利は実際にはどのような意味を持っているのか。
(1)海底資源の開発
●メタンハイドレード
・メタンハイドレードとは、深海底のように低温・高圧力のもとで、天然ガスがシャーベット状になったもので、、火山国日本列島の周辺の海には、大量に存在することが知られている。その量は、我が国が消費するガスエネルギーの100年分とも言われている。
・メタンハイドレートの開発では、我が国は世界の最先端を走っている。
・平成24年2月、愛知県沖で掘削試験が始まった。また今後の商業生産向けの技術開発が進められている。
・日本海側の新潟県沖にも、豊富にあることが分かっているが、漁業権の問題と、冬場の強風・波浪の問題がある。
●海底熱水鉱床
・海底400~1600メートル、さらには1000~3000メートルの海底山脈に、冷たい海水と熱い海底火山のマグマにより、地殻にに含まれる金、銀、銅、鉛、亜鉛や各種の希少金属が噴出堆積したもの。これも我が国は火山列島であるために、列島周辺には海底熱水鉱床が多数存在している。
・我が国は、高度な海底掘削技術を持っている。
●開発体制
・(独法)海洋研究開発機構などが、科学面・工学面で技術開発を進めている。しかし国家としてより力を入れて欲しいものだ。
(2)海中を利用する権利-海水の利用
・海水中には、ウラン、リチウムなどの希少金属や金なども含まれている。ウランは海水1トン当たり3ミリグラム、リチウムは170ミリグラム含まれている。
・海水から捕集する技術は既に開発されており、この面でも我が国は世界の先端を走っている。ウランに関しては、あとは鉱山のウランとの価格競争だ。
(3)海洋管轄権
・今我が国の漁師は20万人、平均年収は一人当たり270万円であり、若者の事業継承が困難になっている。しかしその中で、新しい試みがどんどん起こっている。養殖漁業や栽培義業である。
・海面養殖を行っている漁師の平均年収は560万円、根室の漁業組合では、120人の組合員で20億円の売上がある。一人当たり1700万円である。
・マグロの養殖の研究開発も進んでいる。
・9時-5時の勤務で収入が上げられる。若者が戻ってきている。
2.国境・離島を守れ
(1)尖閣諸島
・福建省の魚市場を見た。魚種が豊富の上、港に着き陸揚げするやどんどん売れていく。コールド・チェーンも整備され、内陸部の魚の需要がどんどん拡大している。
・漁船1隻の水揚げは、月500万円、役人の数倍の収入がある。農村戸籍でもかまわないので、参入者がどんどん増えている。
・シナ沿岸は汚染され漁獲量が減っている。その分東シナ海、遠くは尖閣まで出てくる。
・平成22年9月7日の漁船衝突事件は、福建省の軍部の指示だ。本年の中国のトップ交代に向けて、功績争いが起こっている。海監出動は国家意志だ。次は漁民の尖閣上陸、その保護として公船がくる。大変危ない状況だ。
・無人島は1島でも盗られたら、そこを基点に新たなEEZが引かれてしまう。東シナ海は中国の内海になる。無人島を放置しておいてはいけない。ちなみに我が国の離島は6847、無人島は6431、名前のない無人島39もある。離島を基点としたEEZの管理は重要だ、周辺国がスキを窺っている。
・中国の意図は、海底資源もあるが、EEZの拡大と太平洋への出口確保だ。
・自然遺産の小笠原、知床、屋久島は、一度は人の手が入り自然が壊滅に瀕したが、その後の保護で甦った。東京都は小笠原でノウハウを持っている。尖閣は黒潮の源流でもある。東京都の尖閣保有には正当性がある。
(2)北方領土
・何回もビザなし渡航で訪問した。ロシアのクリル発展計画の予算は500億円だ。それで飛行場や港湾、道路のインフラ整備を行わなければならないが、ムリというものだ。
・ロシアにおいても、海の意味が変わってきた。島の確保から海域・EEZの確保だ。
・サハリンのガス田開発は、アメリカのシェールガス開発より遅れれば、もう世界に売れなくなる。ロシアは焦っている。日本の経済力、技術力、商社機能、海運などの組織力を求めているはずだ。
・近年ロシアは、北極航路開発に力を入れ始めている。北極航路は、世界の海運事情を一変させる可能性を持っている。北方4島の海域は、通過点となり、避難港や補給基地などの役割を含めた海域管理が重要な意味を持ってくる。
・硬直している北方領土返還交渉には、海域政策や海洋管理の視点が必要になってくる。
(3)竹島 (略)
●政府の海洋管理の枠組と推移(筆者追記)
・平成19年4月、国際海洋条約に対応する「海洋基本法」制定。政府の中に「総合海洋政策本部」設置。海洋政策担当大臣任命。
・平成20年3月、海洋基本計画閣議決定(自民党政権)
・平成21年9月、民主党政権発足。海洋施策が停滞。名前のない無人島の命名に2年以上の歳月がかかるなど。それどころか外交における不作為により、周辺国をつけあがらせ、今国境が脅かされている。
(うまし太郎)
正に尖閣は喫緊の問題ですが、本日の山田先生のお話は、尖閣諸島、北方領土、竹島、沖ノ鳥島などを含めた我が国の排他的経済水域を守れ、それは我が国の将来に豊かな海洋資源提供の可能性を秘めているからだと、海洋大国としての我が国を再認識し、その立場を守れと強調していました。タイムリーなお話として、要旨を紹介させていただきます。
1.排他的経済水域
図は、我が国の排他的経済水域(EEZ:Exclusive Economic Zone)を示します。

平成8年(1996年)、我が国は国連海洋条約を批准し、我が国のEEZが国際的に認められた。東西3000km、南北3000km、沖ノ鳥島は緯度で言えばハノイより南だ。我が国は、国土面積は38万平方キロで世界で62位に過ぎないが、EEZは447万平方キロで、一挙に世界6位になる。ちなみに1位はアメリカ、以下フランス、オーストラリア、ロシア、カナダと続き、中国は15位で日本の五分の一でしかない。
EEZは、沿岸から200海里(370km)、国同士で重なる場合は、両国の中間線とさる。EEZにおいては、3つの権利が認められている。1つは海底資源の開発、2つは海中を使用する権利、3つは漁業管轄権だ。海中を使用する権利の意味として、海水に含まれる希少金属の利用権利がある。EEZは面積であるが、その海底まで含めた体積では、我が国は世界第4位の海洋大国に浮上するのだ。
それでは、この3つの権利は実際にはどのような意味を持っているのか。
(1)海底資源の開発
●メタンハイドレード
・メタンハイドレードとは、深海底のように低温・高圧力のもとで、天然ガスがシャーベット状になったもので、、火山国日本列島の周辺の海には、大量に存在することが知られている。その量は、我が国が消費するガスエネルギーの100年分とも言われている。
・メタンハイドレートの開発では、我が国は世界の最先端を走っている。
・平成24年2月、愛知県沖で掘削試験が始まった。また今後の商業生産向けの技術開発が進められている。
・日本海側の新潟県沖にも、豊富にあることが分かっているが、漁業権の問題と、冬場の強風・波浪の問題がある。
●海底熱水鉱床
・海底400~1600メートル、さらには1000~3000メートルの海底山脈に、冷たい海水と熱い海底火山のマグマにより、地殻にに含まれる金、銀、銅、鉛、亜鉛や各種の希少金属が噴出堆積したもの。これも我が国は火山列島であるために、列島周辺には海底熱水鉱床が多数存在している。
・我が国は、高度な海底掘削技術を持っている。
●開発体制
・(独法)海洋研究開発機構などが、科学面・工学面で技術開発を進めている。しかし国家としてより力を入れて欲しいものだ。
(2)海中を利用する権利-海水の利用
・海水中には、ウラン、リチウムなどの希少金属や金なども含まれている。ウランは海水1トン当たり3ミリグラム、リチウムは170ミリグラム含まれている。
・海水から捕集する技術は既に開発されており、この面でも我が国は世界の先端を走っている。ウランに関しては、あとは鉱山のウランとの価格競争だ。
(3)海洋管轄権
・今我が国の漁師は20万人、平均年収は一人当たり270万円であり、若者の事業継承が困難になっている。しかしその中で、新しい試みがどんどん起こっている。養殖漁業や栽培義業である。
・海面養殖を行っている漁師の平均年収は560万円、根室の漁業組合では、120人の組合員で20億円の売上がある。一人当たり1700万円である。
・マグロの養殖の研究開発も進んでいる。
・9時-5時の勤務で収入が上げられる。若者が戻ってきている。
2.国境・離島を守れ
(1)尖閣諸島
・福建省の魚市場を見た。魚種が豊富の上、港に着き陸揚げするやどんどん売れていく。コールド・チェーンも整備され、内陸部の魚の需要がどんどん拡大している。
・漁船1隻の水揚げは、月500万円、役人の数倍の収入がある。農村戸籍でもかまわないので、参入者がどんどん増えている。
・シナ沿岸は汚染され漁獲量が減っている。その分東シナ海、遠くは尖閣まで出てくる。
・平成22年9月7日の漁船衝突事件は、福建省の軍部の指示だ。本年の中国のトップ交代に向けて、功績争いが起こっている。海監出動は国家意志だ。次は漁民の尖閣上陸、その保護として公船がくる。大変危ない状況だ。
・無人島は1島でも盗られたら、そこを基点に新たなEEZが引かれてしまう。東シナ海は中国の内海になる。無人島を放置しておいてはいけない。ちなみに我が国の離島は6847、無人島は6431、名前のない無人島39もある。離島を基点としたEEZの管理は重要だ、周辺国がスキを窺っている。
・中国の意図は、海底資源もあるが、EEZの拡大と太平洋への出口確保だ。
・自然遺産の小笠原、知床、屋久島は、一度は人の手が入り自然が壊滅に瀕したが、その後の保護で甦った。東京都は小笠原でノウハウを持っている。尖閣は黒潮の源流でもある。東京都の尖閣保有には正当性がある。
(2)北方領土
・何回もビザなし渡航で訪問した。ロシアのクリル発展計画の予算は500億円だ。それで飛行場や港湾、道路のインフラ整備を行わなければならないが、ムリというものだ。
・ロシアにおいても、海の意味が変わってきた。島の確保から海域・EEZの確保だ。
・サハリンのガス田開発は、アメリカのシェールガス開発より遅れれば、もう世界に売れなくなる。ロシアは焦っている。日本の経済力、技術力、商社機能、海運などの組織力を求めているはずだ。
・近年ロシアは、北極航路開発に力を入れ始めている。北極航路は、世界の海運事情を一変させる可能性を持っている。北方4島の海域は、通過点となり、避難港や補給基地などの役割を含めた海域管理が重要な意味を持ってくる。
・硬直している北方領土返還交渉には、海域政策や海洋管理の視点が必要になってくる。
(3)竹島 (略)
●政府の海洋管理の枠組と推移(筆者追記)
・平成19年4月、国際海洋条約に対応する「海洋基本法」制定。政府の中に「総合海洋政策本部」設置。海洋政策担当大臣任命。
・平成20年3月、海洋基本計画閣議決定(自民党政権)
・平成21年9月、民主党政権発足。海洋施策が停滞。名前のない無人島の命名に2年以上の歳月がかかるなど。それどころか外交における不作為により、周辺国をつけあがらせ、今国境が脅かされている。
(うまし太郎)
台湾旅行記その1~八田記念館~

こちらは烏山頭ダムを建設した八田與一技師の銅像になります。
多くの花が手向けられており、其の後ろには夫妻のお墓があります。
以下、八田技師の功績の抜粋です。
100年前の嘉南平原は、不毛の地でした。干し上がった土地に伝染病が蔓延することもありました。劣悪な環境に、天災も多く、豪雨洪水でせっかくの稲も実らず農民の生活は貧窮そのものだったのです。1930年、烏山頭水庫と嘉南大が完成したとき、今までの田畑は豊饒の地へと生まれ変わり、農民は歓喜の叫びを上げました。今まで1年に1度の稲さえ実らなかった土地が、二期作、三期作さえ可能となり、白米以外にサトウキビや野菜も収穫できるようになりました。台湾最大の米どころとなった嘉南平原。この発展は、台湾近年の経済や文化の発展にも大きな影響を与えたのです。
烏山頭ダムと嘉南大の2つの建設は、八田技師自身の黄金期でもあったと言われています。八田與一技師は56歳でこの世を去りましたが、56年の生涯のうち、32年をこの烏山頭の仕事にささげたのです。東南アジアで最大、世界でも3番目と言われる「半水力填築式」を利用したこのダムは、当時熱血漢の技師がここにいたという証明でもあります。
日本統治時代、日本人は多くの建設の基礎を台湾に築きましたが、多くの場所で、日本人と台湾人の差別があったのも事実です。八田技師がこれほど台湾人に慕われ、尊敬される理由の一つとして、国籍云々に関わらず、皆と平等に接したということがあります。才能がある台湾人は、重要なポストにも抜擢したので、建設に携わるすべての者が一つの目標に向かって勇往邁進できました。大工事を何年もかけて行うには、それに関わる者たちが互いに協力し合うことによってこそ、良い結果が成し遂げられるのです。職員たちの住居以外に、公共の施設を整えたのもそのためだと言われています。
以上、

こちらの慰霊塔には日本人、台湾人、分け隔てなく祀られておりました。

つい最近出来ました、八田技師記念館になります。
ちょうどNHKスペシャルのアジアの一等国が放送された後に作られたものです。
じっくりと見て居たかったのですが、竹北からきた観光客により占領されてしまいました。
町内会か何かでしょうか?、皆楽しそうに八田技師の功績の映像を見ていました。

こちらからは烏山頭水庫ダムが一望できます。
日本統治時代の1930年(昭和5年)に水利技術者、八田與一によって計画設計されたこのダムは、粘土・砂・礫を使用したセミ・ハイドロリック・フィル工法(コンクリートをほとんど使用しない手法)によりダム内に土砂が溜まりにくくなっており、近年これと同時期に作られたダムが機能不全に陥っていく中で、しっかりと稼動していており、国宝級のダムといわれ、また現在でも世界三大水利工事プロジェクトの1つと称えられています。
私たちが到着したのが朝8時30分
まだ開園していないのにも関わらず、銅像には多くの花が手向けられており、其の人気が窺い知ることが出来ます。

記念館には当時生活していた家を再現したものがあります。
八田技師は町を構築し、工員の生活の基盤を作りその中で生活していたそうです。(博打で工員が警察にしょっ引かれたときに身元引受人になったりしていたそうです。)

その八田技師のお住まいの近くには絆の桜がたたずんでいます。
日本の石川県に生まれ、台湾のために仕事を行い、フィリピンへの航路の途中で命を失った八田技師に対し慰霊の心を送ります。
(ブラッキー)
鹿児島 霧島神宮

二ノ鳥居
鮮やかな朱色が美しい。

社殿と門守神社
霧島神宮は、天孫降臨 迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀るお社です。
霧島神宮は創建が6世紀という古い歴史を誇る神社です。
高千穂峰山頂にありましたが、噴火によりたびたび火災にあい、
次にその西の中腹、そして高千穂河原へ移り、
1484年に今の場所へ移って来ました。
現在の霧島神宮の社殿は1715年に島津藩主の島津吉貴が建立したものです。
ニニギノミコトが皇室の祖神であり、
その後、男系継承が連綿と続いて現在の天皇陛下につながっているとされます。
畏くも昭和天皇陛下には、二度にわたる御親拝を賜っておられるそうです。

勅使殿(下の拝殿)
朱塗りのあでやかな社殿、美しい神社は西の日光とも称せられているそうです。
5月4日、沢山の参拝客が並んで順番を待っていました。
風格と気品を兼ね備えた、この神宮のお社前に、立つと、とても素晴らしく、
身が引き締まる気持ちになりました。
何とも言えない空気感が漂っていました。


神樂殿

御神木の杉
霧島神宮内にある御神木の杉は、樹齢約800年と推定され、
南九州の杉の祖先ともいわれています。
坂本龍馬が日本人としてはじめて新婚旅行に来た場所でもあります。

霧島神宮展望台からの桜島
(スカーレット)
尖閣諸島集団魚業活動に行ってきました。

がんばれ日本全国行動委員会主催の標題のイベントに参加してきました。
ご存知の通り石原知事が尖閣購入表明以来、寄付金の額と寄付者の数がうなぎ登りです。
日本人の意志が表明されていることだと思います。
この石原声明と呼応する形でこのイベントが決行されたのですから、シナと日本国内の阿中派が受けた衝撃は如何ばかりでしょうか?
時あたかもシナが日本の尖閣実効支配を打ち壊すと脅してきていました。
私は密かに、シナの船と遭遇し、多少のトラブルが起これば更に強くアッピールできると、望んでいました。
幸か不幸か全くシナのシの字も見あたりませんでした。
既にいくつかこの関係の映像がアップロードされて居るようですので、ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=l_r77GSb10w&feature=relmfu
http://www.youtube.com/watch?v=MqUEZQrHCqw&feature=related
今回の参加者は最終的に120人、17隻でしたが、今までと風向きが変わった事の一つに
TV朝日はじめ数社のメディアが参加してきたことです。
私達が割り当てられた船は、石垣ではなく波照間の漁師さんの船でした。
4.9トンの最も小さい船で、これに参加者9人と船長と機関長(船長の弟)の11人が乗り組みます。
後部デッキは座っているだけでもう一杯、とても寝ることはできません。
私とKさん(お顔はいつも拝見していましたが、とてもすごい研究家であり活動家のお一人であることを知りました。こういう方と知己になれることも今度の収穫の一つです。)は、前部デッキで寝ることにしました。
勇躍出航すると、思ったより穏やかで快適な航海でしたが、島の風下から抜けると、しぶきが激しく、合羽も役に立たぬ全身びしょ濡れ、ザックも中身までしみ通りました。
カメラはこの時の潮のために翌々日動かなくなりました。
とても寝ていられないので、やむを得ずブリッジ風下側の通路に立っている事にしました。
手すりにつかまって踏ん張っていますが、ついつい睡魔に襲われガクッとしてはハッとしてつかまり直します。
乾舷が低いので、舷側を流れる泡がとても早く感じます。
それで船長にどのくらいでているのかと聞きましたら、10ノットだというのです。
それでは、石垣→尖閣170キロ は10時間も掛かってしまうことになります。
いつの間にか前を行く僚船の明かりも見えなくなりました。
後ろのデッキは、足の踏み場もなくみんなゴロ寝をしています。
ようやく空がほの白くなって来ましたが、僚船も島影も何も見えません。
更に航って2時間あまり、6時半ころ、薄く島影が見え始めました。
前方に魚釣島 右側に北小島、南小島、です。
更に進んで徐々にいくつかの船影が見えてきましたが、それでも2~3隻だけです。
急に船長が慌ただしく動きました。
船尾に流した釣り糸に魚が掛かったのでした。
あげて見ると1メートルあまりの鰆です。
すぐにしめて氷漬けにして収納します。
やがて司令船から撮影の為のパレードをはじめるように無線が入ります。
一列になったり、撮影線に向かって全船が全速力で近付くなどのパフォーマンスが行われ、“良い画がとれた”と連絡があり、それから各自“釣り”が始まると思いました。
すると、船長は“天候が悪化するようだ、風も吹き始める予報だから、早めに引き揚げる”というのです。
せっかく来たので漁獲もなく帰っては勿体ないじゃないか・・・と聞いたのですが、がぶられると皆さん気の毒だと言って、帰途につきます。まだ8時半でした。
僚船は多くがこれから漁をはじめるようです。
他にもう一つ帰途につく船が見えます。
帰途もやはり波しぶきがひどく横になって寝ることは出来ません。
かなり退屈で睡魔との戦いでした。
無線が喚きはじめます。どうやら一隻がエンジン故障で止まってしまったようです。
忙しく無線のやり取りが続きます。
救援に行かなくて良いのか?と聞きますと、僚船が曳航するようだと連絡が入ったというので安心しました。
3時頃ようやく島が見え始め、あの岬を回れば・・・と期待しながら次々と裏切られ、島と島の間を進みますが、突然船足が落ちます。
機関長の姿が見えないと思ったらエンジンルームに入っていました。10分も経ってエンジンが息を吹き返しました。
すると今度は脱兎の如く走り始めました。
結局、船長はエンジンの調子が悪いことを気にして居たんだなと思うことにしました。
港に帰着して16時半、やはり8時間の航海でした。
今度は、動かないはずの大地が揺れるのです。
ずぶ濡れの服は多少しめっていますが何とか着れそう・・・でもズボンはとても気持ち悪いので、町中を探しました。
ようやく見つけてホテルに帰ると丁度西田昌司議員がELVから降りてきました。
ご苦労様でした、酔いませんでしたか?と聞いたら、水島社長に騙されました・・・でも貴重な体験でした・・・と仰っていました。
キチンと服装を整えられていましたので、これからすぐにお帰りですか?と聞くと、明日早くも委員会があって、早速この件を採り上げなくては・・・と仰って元気に発っていきました。
(ごまめのはぎしり)
とてつもない日本
平成・美しい日本を護る会の北海道支部に外国人に対してポジティブキャンペーンの一環として麻生総理の『とてつもない日本』の英語訳拡散を行っております。
その一部が完成し、動画となりましたのでご紹介いたします。
Tremendous JAPAN
とてもない日本
平成一七(二〇〇五)年の暮れ、外務大臣としてインドを訪問する機会があった
首都ニューデリー滞在中、できたばかりの地下鉄を視察したのだが、このときインドの方々からうかがった話が今でも忘れられない
この地下鉄視察が日程に組み込まれたのは、日本の政府開発援助(ODA)を使って建築されたものだからであった
私たちが訪れた駅には日本とインドの大きな国旗が掲げられており、日本の援助で作られたということが大きな字で書いてあった
改札口にも大きな円グラフが表示され、「建築費の約七十パーセントが日本の援助である」と分かるように、青色で色分けしてあった
その配慮に感謝し、私は地下鉄公団の総裁にお礼の言葉を述べた
すると、逆にこんな風な話をしながら、改めて感謝されたのである
自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の八時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた
我々インドの技術者は全員揃うのにそれから十分以上かかった
日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた
自分が全員揃ったと報告すると、「八時集合ということは八時から作業ができるようにするのが当たり前だ」と言われた。悔しいので翌日七時四十五分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。決められた校程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明されいつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった
これだけ大きなプロジェクトが予定よりも二カ月半も早く完成した
もちろん、そんなことはインドでは初めてのことだ
翌日からは、今度は運行担当の人がやってきた
彼らが手にしていたのはストップウォッチ
これで地下鉄を時間通りに運行するように言われた
秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた
その結果、現在インドの公共交通機関の中で、地下鉄だけが数分の誤差で運行されている
インドでは数時間遅れも日常茶飯事であり、数分の誤差で正確に動いているのは唯一この地下鉄だけである。これは凄いことだ
我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない
むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ
労働に関する自分たちの価値観が根底を覆された
日本の文化そのものが最大のプレゼントだった
今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる
私はこの話にいたく感銘を受けた
地下鉄建設に携わった日本人技術者たちの仕事ぶりそのものが、優れた外交官の役割を果たしたのである
彼らはなにも、よそ行きのやり方をやって見せたわけではない
いつものように、日本で普通に行っているスタイルで仕事をしたに過ぎない
しかしそれが、インドの人々には「価値観が覆るほどの衝撃だったのだ」
日本ではよく「カローシ(過労死)」を例に挙げて、日本人は働き過ぎだ、日本人の働き方は間違っているという人がいる
だがそれはあまりにも自虐的で、自らを卑下し過ぎてはいないだろうか
「ノーキ」を守る勤勉さは、私たちが思っている以上に、素晴らしい美徳なのである
内容についてはすでにご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、日本語部分も提示させていただきました。
以上、宜しくお願い致します。
(ブラッキー)
その一部が完成し、動画となりましたのでご紹介いたします。
Tremendous JAPAN
とてもない日本
平成一七(二〇〇五)年の暮れ、外務大臣としてインドを訪問する機会があった
首都ニューデリー滞在中、できたばかりの地下鉄を視察したのだが、このときインドの方々からうかがった話が今でも忘れられない
この地下鉄視察が日程に組み込まれたのは、日本の政府開発援助(ODA)を使って建築されたものだからであった
私たちが訪れた駅には日本とインドの大きな国旗が掲げられており、日本の援助で作られたということが大きな字で書いてあった
改札口にも大きな円グラフが表示され、「建築費の約七十パーセントが日本の援助である」と分かるように、青色で色分けしてあった
その配慮に感謝し、私は地下鉄公団の総裁にお礼の言葉を述べた
すると、逆にこんな風な話をしながら、改めて感謝されたのである
自分は技術屋のトップだが、最初の現場説明の際、集合時間の八時少し前に行ったところ、日本から派遣された技術者はすでに全員作業服を着て並んでいた
我々インドの技術者は全員揃うのにそれから十分以上かかった
日本の技術者は誰一人文句も言わず、きちんと立っていた
自分が全員揃ったと報告すると、「八時集合ということは八時から作業ができるようにするのが当たり前だ」と言われた。悔しいので翌日七時四十五分に行ったら、日本人はもう全員揃っていた。以後このプロジェクトが終わるまで、日本人が常に言っていたのが「納期」という言葉だった。決められた校程通り終えられるよう、一日も遅れてはならないと徹底的に説明されいつのまにか我々も「ノーキ」という言葉を使うようになった
これだけ大きなプロジェクトが予定よりも二カ月半も早く完成した
もちろん、そんなことはインドでは初めてのことだ
翌日からは、今度は運行担当の人がやってきた
彼らが手にしていたのはストップウォッチ
これで地下鉄を時間通りに運行するように言われた
秒単位まで意識して運行するために、徹底して毎日訓練を受けた
その結果、現在インドの公共交通機関の中で、地下鉄だけが数分の誤差で運行されている
インドでは数時間遅れも日常茶飯事であり、数分の誤差で正確に動いているのは唯一この地下鉄だけである。これは凄いことだ
我々がこのプロジェクトを通じて日本から得たものは、資金援助や技術援助だけではない
むしろ最も影響を受けたのは、働くことについての価値観、労働の美徳だ
労働に関する自分たちの価値観が根底を覆された
日本の文化そのものが最大のプレゼントだった
今インドではこの地下鉄を「ベスト・アンバサダー(最高の大使)」と呼んでいる
私はこの話にいたく感銘を受けた
地下鉄建設に携わった日本人技術者たちの仕事ぶりそのものが、優れた外交官の役割を果たしたのである
彼らはなにも、よそ行きのやり方をやって見せたわけではない
いつものように、日本で普通に行っているスタイルで仕事をしたに過ぎない
しかしそれが、インドの人々には「価値観が覆るほどの衝撃だったのだ」
日本ではよく「カローシ(過労死)」を例に挙げて、日本人は働き過ぎだ、日本人の働き方は間違っているという人がいる
だがそれはあまりにも自虐的で、自らを卑下し過ぎてはいないだろうか
「ノーキ」を守る勤勉さは、私たちが思っている以上に、素晴らしい美徳なのである
内容についてはすでにご存知の方も大勢いらっしゃると思いますが、日本語部分も提示させていただきました。
以上、宜しくお願い致します。
(ブラッキー)
らかんさんのことば
「らかんまわし」と言う子供達の伝統的な遊びがあります。皆で輪を作って座り、
「らかんさんがそろったらまわそじゃないか」で手拍子を打ち、
「よいやさの」で自分の面白おかしいポーズを考え、
「よいやさ」で自分のポーズを取り、
「よいやさの」で自分の左側の人のポーズを観て覚え、
「よいやさ」で左側の人のポーズをのマネをする
そして、これを繰り返す、というものです。
らかん(羅漢)さんとは、お釈迦様の弟子である仏教の修行者で、悟りをひらき功徳の備わった人のことを指して言います。16人の弟子を十六羅漢、500人の弟子を五百羅漢と称し、人々から尊敬されました。
室町時代から、禅宗のお寺に羅漢像が奉納されるようになったようですが、全国で旅行の途中でお寺にお参りするときになどに、よく石像の羅漢さんに出会います。そしてこの羅漢さん達は大変面白いのです。修行を積んだ賢人聖者のイメージではなく、一人ひとりが人間味溢れたしぐさや表情をしているのです。物思いにふけっている、口を開けて大笑いしている、何か叫んでいる、泣いている、まどろんでいる、・・・などなどで、私達と同じ生身の人間の喜怒哀楽を表しているのです。このような羅漢さんの姿が庶民に親しまれ、らかんまわしの遊びなどに繋がったものと思われます。
個人的な話ですが、家族でたまたま兵庫県加西市の羅漢寺を訪れたとき、娘とずいぶん似た羅漢さんがいて、家族で大笑いしたことがありました。写真がなかった昔は、五百羅漢は、人々にとって懐かしい自分の肉親の姿であったり、恋人の姿であったりで、懐かしい人の面影を偲ぶことが出来る有難い場所だったようです。
江戸の落語に「五百羅漢」があります。江戸名物の大火で、親とはぐれて恐怖のあまり言葉を失ってしまった女の子を、八百屋行商人の八五郎が親探しをするのですが、手がかりが何もない、さんざん困って、「いいや自分の子にするか」と思いながら、ふと気付いて女の子を五百羅漢寺に連れて行き羅漢さんに会わせます。女の子は、羅漢さんを順番にジーと見つめて、とうとう指差します。そうして親子の再会を果たすというお話です。
このような御利益のせいか、またはお釈迦様の教えをユーモラスな羅漢さんを通じて庶民に伝えるためか、全国各地に五百羅漢を祀る寺が多数建立され今に至っています。
さて前置きが長くなりました。羅漢さんはそれぞれ、人が生きるための智恵、人としての大事な徳目などを体現しているようです。それはそもそもはお釈迦様の教えを伝えるためだったのでしょうが、日本の歴史・文化・伝統の中で育まれ、人々の生活に定着し、現代にも通用するものが多々あるようです。
東京は目黒区に五百羅漢寺があります。
http://www.rakan.or.jp/index.html
江戸の元禄期に本所両国に建立され、明治時代に目黒に移築されました。ここには、木造の等身大の羅漢像が、もとは536体あったそうですが現在は304体、安置されています。江戸時代の仏師、松雲元慶禅師一人の作で、芸術的にも優れたもののようです。
明治・大正期に活躍した現代彫刻の父と呼ばれる高村光雲(高村光太郎の父、上野の西郷隆盛像の制作者)は修業時代、本所にあった頃の羅漢寺に通い、松雲の彫刻を手本にし、また後年、東京美術学校の教授時代に、弟子達に松雲の作品を参考にするように指導したそうです。

羅漢像は、本堂に158体、羅漢堂に146体安置されています。羅漢堂ですが、入ると一瞬、等身大の羅漢像の集団が目の前に迫ってきて、圧倒される思いがします。ずらりと並んだその姿は、西安の秦の始皇帝の兵馬俑を思わせます。そしてそれぞれの羅漢さんは、人が生きるための智恵と人としての大事な徳目などをそれぞれ伝えているのです。その146の中から、いくつかを例として紹介させていただきます。これらの中から人々は、自分の人生訓を見つけて来たのかも知れません。そして今も可能かも知れません。
●自分自身を静かに見つめる(境界尊者 きょうかいそんじゃ)
●心をいつも平らかにし、気を和す(光明綱尊者 こうみょうこうそんじゃ)
●慢心を除く(鉢利羅尊者 はつりらそんじゃ 以下略)
●理想を高く持つ
●自分から実行し、叡智をひらく
●いつも素直な心を持つ
●苦労を乗り越え、人生を深く味わう
●どんな苦難にも退かず、堪え忍ぶ
●善意は報酬を求めない
●相手を敬う心で人に接する
●人の長所を見る
●回りに左右されず信念を貫く
●わずかな水も常に流れれば石をうがつ
●人のいやがる仕事をすすんでやる
●おのれを制御できる人ほど自由である
●どんな人にも清らかな本心がある
●黙ってよいことをする
●おのれに厳しく、人には寛容
●徳あれば孤ならず、必ず隣あり
●おかげさまでという謙虚な心
●・・・
(うまし太郎)
「らかんさんがそろったらまわそじゃないか」で手拍子を打ち、
「よいやさの」で自分の面白おかしいポーズを考え、
「よいやさ」で自分のポーズを取り、
「よいやさの」で自分の左側の人のポーズを観て覚え、
「よいやさ」で左側の人のポーズをのマネをする
そして、これを繰り返す、というものです。
らかん(羅漢)さんとは、お釈迦様の弟子である仏教の修行者で、悟りをひらき功徳の備わった人のことを指して言います。16人の弟子を十六羅漢、500人の弟子を五百羅漢と称し、人々から尊敬されました。
室町時代から、禅宗のお寺に羅漢像が奉納されるようになったようですが、全国で旅行の途中でお寺にお参りするときになどに、よく石像の羅漢さんに出会います。そしてこの羅漢さん達は大変面白いのです。修行を積んだ賢人聖者のイメージではなく、一人ひとりが人間味溢れたしぐさや表情をしているのです。物思いにふけっている、口を開けて大笑いしている、何か叫んでいる、泣いている、まどろんでいる、・・・などなどで、私達と同じ生身の人間の喜怒哀楽を表しているのです。このような羅漢さんの姿が庶民に親しまれ、らかんまわしの遊びなどに繋がったものと思われます。
個人的な話ですが、家族でたまたま兵庫県加西市の羅漢寺を訪れたとき、娘とずいぶん似た羅漢さんがいて、家族で大笑いしたことがありました。写真がなかった昔は、五百羅漢は、人々にとって懐かしい自分の肉親の姿であったり、恋人の姿であったりで、懐かしい人の面影を偲ぶことが出来る有難い場所だったようです。
江戸の落語に「五百羅漢」があります。江戸名物の大火で、親とはぐれて恐怖のあまり言葉を失ってしまった女の子を、八百屋行商人の八五郎が親探しをするのですが、手がかりが何もない、さんざん困って、「いいや自分の子にするか」と思いながら、ふと気付いて女の子を五百羅漢寺に連れて行き羅漢さんに会わせます。女の子は、羅漢さんを順番にジーと見つめて、とうとう指差します。そうして親子の再会を果たすというお話です。
このような御利益のせいか、またはお釈迦様の教えをユーモラスな羅漢さんを通じて庶民に伝えるためか、全国各地に五百羅漢を祀る寺が多数建立され今に至っています。
さて前置きが長くなりました。羅漢さんはそれぞれ、人が生きるための智恵、人としての大事な徳目などを体現しているようです。それはそもそもはお釈迦様の教えを伝えるためだったのでしょうが、日本の歴史・文化・伝統の中で育まれ、人々の生活に定着し、現代にも通用するものが多々あるようです。
東京は目黒区に五百羅漢寺があります。
http://www.rakan.or.jp/index.html
江戸の元禄期に本所両国に建立され、明治時代に目黒に移築されました。ここには、木造の等身大の羅漢像が、もとは536体あったそうですが現在は304体、安置されています。江戸時代の仏師、松雲元慶禅師一人の作で、芸術的にも優れたもののようです。
明治・大正期に活躍した現代彫刻の父と呼ばれる高村光雲(高村光太郎の父、上野の西郷隆盛像の制作者)は修業時代、本所にあった頃の羅漢寺に通い、松雲の彫刻を手本にし、また後年、東京美術学校の教授時代に、弟子達に松雲の作品を参考にするように指導したそうです。

羅漢像は、本堂に158体、羅漢堂に146体安置されています。羅漢堂ですが、入ると一瞬、等身大の羅漢像の集団が目の前に迫ってきて、圧倒される思いがします。ずらりと並んだその姿は、西安の秦の始皇帝の兵馬俑を思わせます。そしてそれぞれの羅漢さんは、人が生きるための智恵と人としての大事な徳目などをそれぞれ伝えているのです。その146の中から、いくつかを例として紹介させていただきます。これらの中から人々は、自分の人生訓を見つけて来たのかも知れません。そして今も可能かも知れません。
●自分自身を静かに見つめる(境界尊者 きょうかいそんじゃ)
●心をいつも平らかにし、気を和す(光明綱尊者 こうみょうこうそんじゃ)
●慢心を除く(鉢利羅尊者 はつりらそんじゃ 以下略)
●理想を高く持つ
●自分から実行し、叡智をひらく
●いつも素直な心を持つ
●苦労を乗り越え、人生を深く味わう
●どんな苦難にも退かず、堪え忍ぶ
●善意は報酬を求めない
●相手を敬う心で人に接する
●人の長所を見る
●回りに左右されず信念を貫く
●わずかな水も常に流れれば石をうがつ
●人のいやがる仕事をすすんでやる
●おのれを制御できる人ほど自由である
●どんな人にも清らかな本心がある
●黙ってよいことをする
●おのれに厳しく、人には寛容
●徳あれば孤ならず、必ず隣あり
●おかげさまでという謙虚な心
●・・・
(うまし太郎)
【拡散希望】13日都議会質問 サヨクは11時から並びます!!!!

6月13日(水曜日)本会議で、「石原知事の“憲法無効論”“尖閣問題”“歴史観”」
を質問しますが、
サヨクは、例の「原発住民投票」で、大動員をかけています。
本来、正午から傍聴券を配布しますが、サヨクは11時から傍聴券を獲得するために
並びます。
今回、自民党の協力がありませんので、きちんとした枚数が揃えられません。(政党
に配布される分があります・政党枠)
従って、サヨクに負けないで、【石原知事を応援】するためには、サヨクより早く
10時頃から、議会棟正面の入って左のところに並ばなければいけません。
※受付がありますから、必ず場所を聞いてください。
サヨクは、石原知事を追い込むために、この原発住民投票をしています。
先日も、知事と話をしました。【連中は、原発後のことなんか、考えていないであん
なことをやっている】と知事は話しました。
確かにそうです。
これは、【石原知事】支持派が勝つか、サヨクが勝つかの「重大な議会となります」
是非、大変なことだと思いますが、この一日!!石原知事を応援する一日だと思い、
傍聴券獲得闘争に参加して下さい。議会は9時から玄関が開きます。
サヨクは、大量に「組織」にビラを撒いています。
是非、ご協力ください。本当はこんなこと、自民党が組織を上げてやるべきです。
でも、平成維新達成は、草莽の民がやろうじゃあありませんか!!!!
拡散をお願いします。
土屋 敬之
■東京都議会議員(当選4回)・日本創新党
■拓殖大学日本文化研究所客員教授
■社団法人・富士社会教育センター客員研究員
■教育再生「百人の会」理事
■北朝鮮に拉致された日本人を奪還する地方議員の会会長
・政策担当秘書資格・愛玩動物飼養管理士・動物管理主任・ネイリスト
・心理カウンセラー・メンタルケアスペシャリスト
・憲法学会会員・尊厳死協会会員・日本野鳥の会会員・東亜天文学会会員
■趣味:読書・鳥の飼育・電電公社NTT電話機収集
■政治信念:意思あるところ道あり 信念はまげない 祖国日本の再生
○秘書:市川真由美(薬剤師資格所持・東京薬科大卒業) 090-3936-1051○
都議会控室:議会棟5階 都議会日本創新党
東京都西新宿2-8-1 03-5321-1111(代表)郵便番号163-8001
(ブラッキー)
伊勢神宮 外宮、別宮
昨日、伊勢神宮の内宮に参拝した私達は二見温泉郷で一泊宿泊を行いました。
そして朝、二見興玉神社にて日の出を見ると共に参拝を行いました。
こちらの御祭神は猿田彦大神です。

見事な朝焼けに映える夫婦岩
日の出が真ん中ではないことは残念ですが朝早くから起きてきたかいがありました。

良い朝を迎えた私達は伊勢神宮 外宮へと向かいます。
こちらは外宮の第一鳥居です。
天気が良いです、神社の参道は木々に囲まれ直接日差しを受けないようになっています。

こちらは外宮の正宮です。内宮と異なり参拝者の数が少なくなっています。
こちらは同じ境内にある風宮、土宮、多賀宮になります。



こちらは外宮で迷った際に偶然訪れ、参拝しました摂社です。

鎮守の森に入るとこのような神社が数多くあるようです。
こちらは少し離れました月夜見宮になります。

その隣にある高河原神社

月夜見宮をはさんで逆方向には御神木がありました。

雷を受けたのでしょうか?内部が真っ黒となり支えがないと立っていられないようです。

こちらは内宮の近くにある猿田彦神社です。
猿田彦大神は天孫降臨を啓行(みちひらき)された後にこの地に天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と共に戻られたそうです。

同じ境内には天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祭ってあります佐瑠女神社がありました。

境内の裏手には5月5日に豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御神田祭」が行われます御神田がありました。
こちらも伊勢神宮の別宮である月讀宮になります。

奥から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮です。
これにて今回の伊勢神宮参拝で参拝した神宮ならびに別宮、末社、摂社はすべてとなります。お伊勢さんにはこ125社?もの神社があるそうです。とても二日間ではすべてを回りきれません。
次行くときにはもっと色々と回れるようにしたいですね。
お疲れ様でした~
(ブラッキー)
p.s
伊勢湾フェリーにて海上保安庁の巡視船「いすず」を発見!

そして朝、二見興玉神社にて日の出を見ると共に参拝を行いました。
こちらの御祭神は猿田彦大神です。

見事な朝焼けに映える夫婦岩
日の出が真ん中ではないことは残念ですが朝早くから起きてきたかいがありました。

良い朝を迎えた私達は伊勢神宮 外宮へと向かいます。
こちらは外宮の第一鳥居です。
天気が良いです、神社の参道は木々に囲まれ直接日差しを受けないようになっています。

こちらは外宮の正宮です。内宮と異なり参拝者の数が少なくなっています。
こちらは同じ境内にある風宮、土宮、多賀宮になります。



こちらは外宮で迷った際に偶然訪れ、参拝しました摂社です。

鎮守の森に入るとこのような神社が数多くあるようです。
こちらは少し離れました月夜見宮になります。

その隣にある高河原神社

月夜見宮をはさんで逆方向には御神木がありました。

雷を受けたのでしょうか?内部が真っ黒となり支えがないと立っていられないようです。

こちらは内宮の近くにある猿田彦神社です。
猿田彦大神は天孫降臨を啓行(みちひらき)された後にこの地に天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と共に戻られたそうです。

同じ境内には天宇受売命(あめのうずめのみこと)を祭ってあります佐瑠女神社がありました。

境内の裏手には5月5日に豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御神田祭」が行われます御神田がありました。
こちらも伊勢神宮の別宮である月讀宮になります。

奥から月讀荒御魂宮、月讀宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮です。
これにて今回の伊勢神宮参拝で参拝した神宮ならびに別宮、末社、摂社はすべてとなります。お伊勢さんにはこ125社?もの神社があるそうです。とても二日間ではすべてを回りきれません。
次行くときにはもっと色々と回れるようにしたいですね。
お疲れ様でした~
(ブラッキー)
p.s
伊勢湾フェリーにて海上保安庁の巡視船「いすず」を発見!

親学を通して家庭教育を考える
6月2日、横浜・関内ホールで、「心の教育・女性フォーラム」主催による標記テーマのシンポジウムが、開かれました。登壇者は次の方々でした。
●基調講演:「脳科学から見た日本の伝統的子育て」。高橋史郎氏(明星大学教授/(財)親学推進協議会理事長)
●パネル討議
・専門家:向山洋一氏(TOSS)
・政治家:有村治子氏、義家弘介氏
・司会:山谷えり子氏
平成18年、安倍内閣において教育基本法が改正され、従来の「学校教育」、「社会教育」に対して、第10条「家庭教育」が新設されました。その内容は次の通りです。
「第10条、父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身につけさせると共に、自立心を育成し、心身の調和の取れた発達を図るように努めるものとする。」
引き続き平成19年、教育再生会議第1次報告書で、「親学」について次のように言及しました。
「教育委員会、自治体、関係機関は、これから親になる全ての人達や乳幼児期の子どもを持つ保護者に、親としての必要な「親学」を学ぶ機会を提供する。」
しかし民主党及びマスコミは、総じて国家権力による家庭の支配などとして反発しました。そして民主党政権誕生により、政府施策としては立ち消えになってしまいました。
その後、親学推進に関して、関係者の地道な努力があったようです。と言うよりも、小学校における学級崩壊が一層進んできたというような事態の悪化が強く認識されたためか、この4月10日に、親学推進に関する超党派の議員連盟が発足しました。会長は安倍元首相、超党派として、民主、公明、みんな、立ちあがれなどからも参加者がいます。活動方針として、「親学」を推進する法律(家庭教育基本法など)の年内制定を目指すとのことです。
さて前置きが長くなりましたが、このような背景の認識の下に、シンポジウムに参加しました。要旨を紹介させていただきます。参加者は概ね800人位と盛況でした。
1.基調講演 (高橋史郎氏)
(1)子供達に起こっている変化
①子供達の「脳内汚染」が進んでおり、日本人としてのアイデンティティの崩壊をもたらしかねない事態が進んでいる。
②幼稚園園児の名簿の半分は、先生は読めない。
例:一二三(読み方:ワルツ)、七音(ドレミ)、強運(ラッキー)、礼(ペコ)、剣(ブレイド)
③新型学級崩壊が進んでいる。学年に1クラスから全クラスに。先生がお手上げに。
④子供の引きこもり(6ヶ月間外出なし)70万人、予備軍155万人
⑤中学生の23%がウツ(北海道)
⑥子供(15歳)の幸福度調査(ユニセフ)
・孤独を感じるか→(日)30%、(英)6%、(仏)6%、(加)8%
⑦保育士456人の調査→親の変化が子供の変化に直結
・基本的な生活習慣を身につけさせられない
・受容と我が儘の放置との区別がつかない
・親自身の対人関係能力が落ちてきている
(2)何が変わってきたのか
①子供の夢のランキング
・女の子:お母さんのようになりたい→13年前からランキング外
・男の子:お父さんのようになりたい→皆無
②愛着障害(愛情障害ではない)が起こっている
・ながら授乳(TVを見ながら)のお母さん80%
→対人関係能力の土台を築くアイコンタクトが欠落
③乳幼児の夜更かし、夜10時以降の就寝44%、子供に最大の注意を払っていないと言うこと。
④離婚率の上昇→親が崩れ、普通の家庭像が崩れ、子供も崩れる。
・結婚は年67万組、離婚は年23万組
⑤「つながり格差」が学力格差を生んでいる。
・家族のつながり←離婚率
・地域のつながり←
・学校とのつながり←不登校率
(3)どうすればよいか
①3つの指標を認識する
・IQ:知能指数
・EQ:心の知能指数(情能)
・HQ:智恵や人間性を育てる能力指数
②赤ちゃんへの働きかけが大事
・赤ちゃんと感動を分かち合える大人が一人、赤ちゃんのそばにいる必要がある。
③「育児」+「育自」。親自らが成長する
④伝統的な智恵、自然に受け継がれてきた智恵を見直しし再生しよう
・守・破・離
・しっかり抱いて(母性原理)、下に下ろして(父性原理)、歩かせる
・子育て四訓(子供の発達段階に応じた育成)
・乳児はしっかり肌を離すな
・幼児は肌を離せ手を離すな
・少年は手を離せ目を離すな
・青年は目を離せ心を離すな
・会津藩の幼年教育-「什の掟」。総括して「ならぬことはならぬものです」
・江戸しぐさ
⑤日本民族を支えてきたもの→親子の絆(岡潔)
渡辺京二「逝きし世の面影」第十章「子供の楽園」。是非読んで下さい(高橋)。
→外国人が見た日本の子供達、無条件で愛されている様子に彼等は感銘。何故日本は変わってしまったのか。
(4)まとめ
①教育再生は家庭教育から、親学は親になるため/親としての再生。
②改正教育基本法第10条「子供の教育の責任は家庭にある。」
2.パネル討議

(1)向山洋一氏
①戦後「学芸大学」設立、教育は学芸とされ、日本伝来の教育は排除された。
②教育基本法から家庭教育が排除され、文部省は家庭教育に全く関与してこなかった。戦後の大きな間違いだ。教師教育にも歪みを生んでいる。
③日本の強さ-教育力、しかしそれがダメになってきている。
④教育基本法改正で「家庭教育」が新設されたことは画期的なことだ。しかし、「家庭教育基本法」はまだ、予算もつけられていない。これからだ。
⑤日本の伝統的なものは強い生命力を持っている。ここから出発しなければならない。カルタ、ソロバン、なわとび、これらには教育力がある。
(2)義家弘介氏
①国会が学級崩壊している。今の政権は戦後日本の負の象徴、「責任を負う」精神と体制が必要だ。
②躾の共通ルールが必要だ。スカイツリーのオープンの日、子供に学校を休ませた親子連れ多かった。ファミレスで親子がそれぞれ携帯を除いている。仲人を立てない結婚が多い(家と家の概念喪失)。
(3)有村治子氏
①2児(8歳、2歳)の母親。国会議員として多忙だから実践していること。
→抱っこして「宝物」と言っている、子供の話にびっくりしてあげること。
②離婚率の上昇→普通の家庭像が壊れつつある
③日常の子育てに大事なこと→心構え+子育てのスキル+応援団
(4)質疑いろいろ
①学の実践例→幼稚園の現場でいろいろな取り組みが行われている。
例:茶道を教える→自己抑制能力、対人関係能力の向上
②大阪市教育条例では、「愛着障害」を「愛情障害」と取られてトラブルが起きた。
③「発達障害」→「発達凸凹(デコボコ)」と言ったらよい。個人差はある。
・短期記憶しか出来ない子供がいる→教師はセンテンスの長い話はしない。
・負けるのが怖くてゲームが出来ない子供がいる。→百人一首で勝ち負けがあることを分からせる
・適応障害が起きないようにしよう
④重層的な家庭教育支援。まず自助→共助→公助
⑤中・高校の家庭科の教科書も見直しが必要だ。家族、親の役割や心得など。
⑥学校運営の中に地域の人が入るべきだ。学校へのクレームはその人達を通すこと、これでモンスターペアレンツは削減できる。一生懸命やっている先生をサポートしてください。
⑦親が子供の一生に残してあげられるもの→よき日常の行動と習慣
⑧民主党は、「子供は社会が育てる」と言っている。壮大な実験になってはいけない。スエーデン型福祉社会での国民のしみじみした述懐(アンケート)→「家族が滅んでしまった。」
⑨親育ち支援(親学)が必要だ。
3.まとめ
①「子供の教育の責任は家庭にある」-改正教育基本法第10条
②改正教育基本法に対して、家庭教育基本法などの個別法の制定、関連する法律の改正(数十本)を進めてきて、国会に提出する段階になった(義家氏)。
③超党派の親学推進議員連盟が4月に発足
④自民党憲法改正草案第24条「社会の基礎は家庭にある」(山谷氏)。
⑤国家の「家庭への介入」ではない。子供達の「育成保証」だ。
冒頭、高橋先生は、子供達の脳内汚染が進んで、日本人が日本人でなくなると警鐘を発しました。何も対策を取らなければ、そのようになっていくのは明かです。戦後体制の負の象徴が民主党政権との指摘がありました。しかしそれ以上の社会的崩壊をもたらしかねない恐ろしさがあります。本日の登壇者の方々、是非頑張ってください。
(うまし太郎)
●基調講演:「脳科学から見た日本の伝統的子育て」。高橋史郎氏(明星大学教授/(財)親学推進協議会理事長)
●パネル討議
・専門家:向山洋一氏(TOSS)
・政治家:有村治子氏、義家弘介氏
・司会:山谷えり子氏
平成18年、安倍内閣において教育基本法が改正され、従来の「学校教育」、「社会教育」に対して、第10条「家庭教育」が新設されました。その内容は次の通りです。
「第10条、父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身につけさせると共に、自立心を育成し、心身の調和の取れた発達を図るように努めるものとする。」
引き続き平成19年、教育再生会議第1次報告書で、「親学」について次のように言及しました。
「教育委員会、自治体、関係機関は、これから親になる全ての人達や乳幼児期の子どもを持つ保護者に、親としての必要な「親学」を学ぶ機会を提供する。」
しかし民主党及びマスコミは、総じて国家権力による家庭の支配などとして反発しました。そして民主党政権誕生により、政府施策としては立ち消えになってしまいました。
その後、親学推進に関して、関係者の地道な努力があったようです。と言うよりも、小学校における学級崩壊が一層進んできたというような事態の悪化が強く認識されたためか、この4月10日に、親学推進に関する超党派の議員連盟が発足しました。会長は安倍元首相、超党派として、民主、公明、みんな、立ちあがれなどからも参加者がいます。活動方針として、「親学」を推進する法律(家庭教育基本法など)の年内制定を目指すとのことです。
さて前置きが長くなりましたが、このような背景の認識の下に、シンポジウムに参加しました。要旨を紹介させていただきます。参加者は概ね800人位と盛況でした。
1.基調講演 (高橋史郎氏)
(1)子供達に起こっている変化
①子供達の「脳内汚染」が進んでおり、日本人としてのアイデンティティの崩壊をもたらしかねない事態が進んでいる。
②幼稚園園児の名簿の半分は、先生は読めない。
例:一二三(読み方:ワルツ)、七音(ドレミ)、強運(ラッキー)、礼(ペコ)、剣(ブレイド)
③新型学級崩壊が進んでいる。学年に1クラスから全クラスに。先生がお手上げに。
④子供の引きこもり(6ヶ月間外出なし)70万人、予備軍155万人
⑤中学生の23%がウツ(北海道)
⑥子供(15歳)の幸福度調査(ユニセフ)
・孤独を感じるか→(日)30%、(英)6%、(仏)6%、(加)8%
⑦保育士456人の調査→親の変化が子供の変化に直結
・基本的な生活習慣を身につけさせられない
・受容と我が儘の放置との区別がつかない
・親自身の対人関係能力が落ちてきている
(2)何が変わってきたのか
①子供の夢のランキング
・女の子:お母さんのようになりたい→13年前からランキング外
・男の子:お父さんのようになりたい→皆無
②愛着障害(愛情障害ではない)が起こっている
・ながら授乳(TVを見ながら)のお母さん80%
→対人関係能力の土台を築くアイコンタクトが欠落
③乳幼児の夜更かし、夜10時以降の就寝44%、子供に最大の注意を払っていないと言うこと。
④離婚率の上昇→親が崩れ、普通の家庭像が崩れ、子供も崩れる。
・結婚は年67万組、離婚は年23万組
⑤「つながり格差」が学力格差を生んでいる。
・家族のつながり←離婚率
・地域のつながり←
・学校とのつながり←不登校率
(3)どうすればよいか
①3つの指標を認識する
・IQ:知能指数
・EQ:心の知能指数(情能)
・HQ:智恵や人間性を育てる能力指数
②赤ちゃんへの働きかけが大事
・赤ちゃんと感動を分かち合える大人が一人、赤ちゃんのそばにいる必要がある。
③「育児」+「育自」。親自らが成長する
④伝統的な智恵、自然に受け継がれてきた智恵を見直しし再生しよう
・守・破・離
・しっかり抱いて(母性原理)、下に下ろして(父性原理)、歩かせる
・子育て四訓(子供の発達段階に応じた育成)
・乳児はしっかり肌を離すな
・幼児は肌を離せ手を離すな
・少年は手を離せ目を離すな
・青年は目を離せ心を離すな
・会津藩の幼年教育-「什の掟」。総括して「ならぬことはならぬものです」
・江戸しぐさ
⑤日本民族を支えてきたもの→親子の絆(岡潔)
渡辺京二「逝きし世の面影」第十章「子供の楽園」。是非読んで下さい(高橋)。
→外国人が見た日本の子供達、無条件で愛されている様子に彼等は感銘。何故日本は変わってしまったのか。
(4)まとめ
①教育再生は家庭教育から、親学は親になるため/親としての再生。
②改正教育基本法第10条「子供の教育の責任は家庭にある。」
2.パネル討議

(1)向山洋一氏
①戦後「学芸大学」設立、教育は学芸とされ、日本伝来の教育は排除された。
②教育基本法から家庭教育が排除され、文部省は家庭教育に全く関与してこなかった。戦後の大きな間違いだ。教師教育にも歪みを生んでいる。
③日本の強さ-教育力、しかしそれがダメになってきている。
④教育基本法改正で「家庭教育」が新設されたことは画期的なことだ。しかし、「家庭教育基本法」はまだ、予算もつけられていない。これからだ。
⑤日本の伝統的なものは強い生命力を持っている。ここから出発しなければならない。カルタ、ソロバン、なわとび、これらには教育力がある。
(2)義家弘介氏
①国会が学級崩壊している。今の政権は戦後日本の負の象徴、「責任を負う」精神と体制が必要だ。
②躾の共通ルールが必要だ。スカイツリーのオープンの日、子供に学校を休ませた親子連れ多かった。ファミレスで親子がそれぞれ携帯を除いている。仲人を立てない結婚が多い(家と家の概念喪失)。
(3)有村治子氏
①2児(8歳、2歳)の母親。国会議員として多忙だから実践していること。
→抱っこして「宝物」と言っている、子供の話にびっくりしてあげること。
②離婚率の上昇→普通の家庭像が壊れつつある
③日常の子育てに大事なこと→心構え+子育てのスキル+応援団
(4)質疑いろいろ
①学の実践例→幼稚園の現場でいろいろな取り組みが行われている。
例:茶道を教える→自己抑制能力、対人関係能力の向上
②大阪市教育条例では、「愛着障害」を「愛情障害」と取られてトラブルが起きた。
③「発達障害」→「発達凸凹(デコボコ)」と言ったらよい。個人差はある。
・短期記憶しか出来ない子供がいる→教師はセンテンスの長い話はしない。
・負けるのが怖くてゲームが出来ない子供がいる。→百人一首で勝ち負けがあることを分からせる
・適応障害が起きないようにしよう
④重層的な家庭教育支援。まず自助→共助→公助
⑤中・高校の家庭科の教科書も見直しが必要だ。家族、親の役割や心得など。
⑥学校運営の中に地域の人が入るべきだ。学校へのクレームはその人達を通すこと、これでモンスターペアレンツは削減できる。一生懸命やっている先生をサポートしてください。
⑦親が子供の一生に残してあげられるもの→よき日常の行動と習慣
⑧民主党は、「子供は社会が育てる」と言っている。壮大な実験になってはいけない。スエーデン型福祉社会での国民のしみじみした述懐(アンケート)→「家族が滅んでしまった。」
⑨親育ち支援(親学)が必要だ。
3.まとめ
①「子供の教育の責任は家庭にある」-改正教育基本法第10条
②改正教育基本法に対して、家庭教育基本法などの個別法の制定、関連する法律の改正(数十本)を進めてきて、国会に提出する段階になった(義家氏)。
③超党派の親学推進議員連盟が4月に発足
④自民党憲法改正草案第24条「社会の基礎は家庭にある」(山谷氏)。
⑤国家の「家庭への介入」ではない。子供達の「育成保証」だ。
冒頭、高橋先生は、子供達の脳内汚染が進んで、日本人が日本人でなくなると警鐘を発しました。何も対策を取らなければ、そのようになっていくのは明かです。戦後体制の負の象徴が民主党政権との指摘がありました。しかしそれ以上の社会的崩壊をもたらしかねない恐ろしさがあります。本日の登壇者の方々、是非頑張ってください。
(うまし太郎)
お伊勢さん参拝
本日は伊勢神宮参拝を行います。

伊勢神宮は「お伊勢さん」と親しく呼ばれており、江戸時代には御蔭参りとも呼ばれ、多くの方々が参拝されていた由緒ある神宮さんです。
皇大神宮(内宮)の御祭神は天照大御神、五十鈴川を上流に上った場所に鎮座しております。
皇大神宮の御神体は八咫鏡であり、皇居に納めてある八坂瓊勾玉、熱田神宮の草薙の剣と共に三種の神器と呼ばれております。
参道には大木が生い茂り、手付かずの自然がそのままあり、皇大神宮の正宮は参道の奥にあります。
説明はこの位にして実際に歩いていきます。

入り口である宇治橋を通ります。普通の土曜日ですがこの参拝客の数、団体の参拝客も大勢いらっしゃいました。

境内に入り参道を進みます。入ったばかりの場所は開けており参道の横には整備された庭園が広がっています。

立ち入り禁止の看板はありませんが、誰も入りません。
汚すのが恐れ多いくらい綺麗な庭園です。
その参道を5分くらい歩くとようやく第一鳥居に到着、
手水舎にて清めます。丁度団体客が手順の説明を聞きながら清めていました、いまさらのようですが意外と知らないらしく案内役の話を真剣に聞き、それに習い清めます。
私達はその奥にある五十鈴川に行き、こちらでもお清めを行いました。

ものすごく綺麗な水です。多少水位が低いですが、川底が見えるくらい綺麗な水で、しかも冷たかったです。
そんなこんなで第二鳥居に到着、奥にある神楽殿に人が並んでいるのがわかります。

神楽殿に到着、お守りを購入する人が大勢いらっしゃいますね。
参拝されている方は大勢居ましたが、明治神宮と比べて特アの人はあまり見かけません。むしろ他の観光地よりも少ないと感じました。

此処から先の参道は大木の生い茂る道を歩きます。
此処にある木々はどれもすばらしいものでして、樹齢何百年という大木が生い茂て居ました。

ようやく正宮に到着、参拝される方が大勢居ます。
中では写真撮影禁止となっていますので外から撮影しました。
無事、何もなく参拝が終了しました。
別宮である、風日祈宮及び荒祭宮にも足を運び伊勢神宮の内宮参拝終了


帰るために参道を歩いていると、横で日の丸がはためいています。

人生初めての伊勢神宮参拝、大変良いものとなりました。
お疲れ様でした。
(ブラッキー)

伊勢神宮は「お伊勢さん」と親しく呼ばれており、江戸時代には御蔭参りとも呼ばれ、多くの方々が参拝されていた由緒ある神宮さんです。
皇大神宮(内宮)の御祭神は天照大御神、五十鈴川を上流に上った場所に鎮座しております。
皇大神宮の御神体は八咫鏡であり、皇居に納めてある八坂瓊勾玉、熱田神宮の草薙の剣と共に三種の神器と呼ばれております。
参道には大木が生い茂り、手付かずの自然がそのままあり、皇大神宮の正宮は参道の奥にあります。
説明はこの位にして実際に歩いていきます。

入り口である宇治橋を通ります。普通の土曜日ですがこの参拝客の数、団体の参拝客も大勢いらっしゃいました。

境内に入り参道を進みます。入ったばかりの場所は開けており参道の横には整備された庭園が広がっています。

立ち入り禁止の看板はありませんが、誰も入りません。
汚すのが恐れ多いくらい綺麗な庭園です。
その参道を5分くらい歩くとようやく第一鳥居に到着、
手水舎にて清めます。丁度団体客が手順の説明を聞きながら清めていました、いまさらのようですが意外と知らないらしく案内役の話を真剣に聞き、それに習い清めます。
私達はその奥にある五十鈴川に行き、こちらでもお清めを行いました。

ものすごく綺麗な水です。多少水位が低いですが、川底が見えるくらい綺麗な水で、しかも冷たかったです。
そんなこんなで第二鳥居に到着、奥にある神楽殿に人が並んでいるのがわかります。

神楽殿に到着、お守りを購入する人が大勢いらっしゃいますね。
参拝されている方は大勢居ましたが、明治神宮と比べて特アの人はあまり見かけません。むしろ他の観光地よりも少ないと感じました。

此処から先の参道は大木の生い茂る道を歩きます。
此処にある木々はどれもすばらしいものでして、樹齢何百年という大木が生い茂て居ました。

ようやく正宮に到着、参拝される方が大勢居ます。
中では写真撮影禁止となっていますので外から撮影しました。
無事、何もなく参拝が終了しました。
別宮である、風日祈宮及び荒祭宮にも足を運び伊勢神宮の内宮参拝終了


帰るために参道を歩いていると、横で日の丸がはためいています。

人生初めての伊勢神宮参拝、大変良いものとなりました。
お疲れ様でした。
(ブラッキー)
三ケ根山比島観音

こちらは戦友会などで作られた記念碑、慰霊碑が祀ってあります、比島観音となります。収められている慰霊碑は陸軍関係の主でありました。

其の中に収められいる比島観音は、第一回比島遺骨収集団がフィリピンから持ち帰った鉄兜を熔かして作った観音様であるといわれているそうです。

こちらのエンジンは三菱・瑞星エンジン搭載機:九四式二号水上偵察機、九七式二型司令部偵察機、零式水上観測機、九九式襲撃機、一〇〇式司令部偵察機一型/二型、二式複戦「屠龍」
豊橋市高塚町沖約800mの遠州灘にて漁師により引き上げられたそうです。

こちらの丘からは三河湾が見えます。
大変天気もよく、晴れ渡った空
この美しい心を育んだこの国よ、永遠なれと、祈ると共に、地上にこのような美しい国を誕生させることができた偉大なる天地に感謝をささげ、でき得るならば私も、その心をわが心とできますように祈りをささげます。

そして日本の為に戦ってくださった英霊に対し慰霊の誠を捧げます。
(ブラッキー)
| ホーム |