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様々な談話という自虐史観、反日思想

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先日、鳩山由紀夫が土下座し、安倍総理が談話を発表なされました。
どちらを支持するかはもちろん個人の自由なのですが、どちらが責任を負う人間であるか考えていただきたいと思います。

やってもいないことに謝罪し続けるなど、大凡正常な精神性を持った人間が行う事ではないと私は思います。
よく女性の人権侵害と言われる捏造従軍慰安婦問題ですが、私は男の尊厳の問題だと認識しております。
やってもいないことをさもやったように言うのは名誉棄損です。
証拠も何もありません。民間から募集された慰安婦が働いていただけの事であり軍の強制なんて一つもありません。
その歴史的事実を捻じ曲げているのは誰なのでしょうか?

此処に8月15日発表された談話の三つを上げます。
安倍総理の談話は先日上げましたので割愛しますが、イオン岡田の談話と、志位るずの実行犯である志位、山本太郎とゆかいな仲間たちが出した談話です。

【代表談話】70回目の終戦の日にあたって
 戦前の植民地支配と侵略、300万余の国民の命を奪った無謀な戦争、その重い教訓と深い反省に基づき、戦後の日本は、憲法の平和主義のもと、平和で豊かな民主主義国家をつくり上げました。同時に、経済協力、人道支援、PKOなど、国際社会の平和と安定にも大きく貢献してきました。戦後70年の日本の歩みは、国際的にも歴史的にも誇るべきものであったと考えます。
冒頭から間違えておりますが、日本は戦前から民主主義国家でした。行き過ぎた国民民主主義の国であり国民の暴走が止めれなかったとも言えます。普通選挙が実施されており、男性は誰もが選挙に行くことが出来ました。
因みにアメリカは東京オリンピックの年に普通選挙が実施されていますから相当遅れていましたね。
植民地支配というのは欧米諸国が行っていた事であって日本は行っていません。あるとすれば台湾ですが、台湾には相当資金を費やして国土開発を行っていましたので一般的に言われる植民地支配とは一線を画しますね。

戦後70年にあたって――「安倍談話」と日本共産党の立場
わが党は、北東アジアに平和と安定を築くために、「北東アジア平和協力構想」を提唱し、その実現のために関係各国との対話を続けてきました。この「構想」こそ、安倍政権の戦争法案に対する真の平和的対案であると確信しています。その実現のために、引き続き知恵と力をつくす決意です。
今軍拡しているのは中共であることは無視している事態で何の説得力もない談話ですね。
日本だけが反撃してはいけないとでも言うのでしょうか?黙って殺されろというのでしょうか?
そんな考えはうんざりです。いい加減敵国に阿る発言はやめていただきたいものです。

戦後70年を迎えて(談話)
生活の党と山本太郎となかまたち
代表 小沢一郎

戦後70年という節目を迎えるにあたり、先の大戦において犠牲となられた内外のすべての人々に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。
戦後70年を迎えた今も、日本は政治、経済、社会のあらゆる面において、まだ戦後を脱し切れていません。これは「戦後」の前提となる「戦前」、特に昭和史についての検証と認識が全くなされないまま今日に至っているからだと思います。
私たちは戦前の歴史的事実を冷静に見つめ、謝るべきは謝り、正すべきは正すべきだと思います。その上で、将来に向けてアジアの国々がお互いに力を合わせてやっていこうと呼びかけていくべきです。歴史ときちんと正面から向き合おうとしないから、世界各国、特に隣国の中国や韓国から歴史問題を常に蒸し返されることになるのです。
私は愛国者の一人だと自認していますが、軍事裁判という形を取って懲罰を科す手法がよいかどうかは別として、日本の戦争指導者たちがアジアの隣人に大変な苦痛と被害を与え、また自国民の多くの命と多大な財産を失わせたのは紛れもない事実です。連合国側に裁かれるまでもなく、あんなばかげた戦争を指導した当時の政治家や軍人たちは、自ら責任を取るのが当たり前です。
指導者たる者は、指揮を誤った時には自ら潔く責任を取らなければいけません。日本は8月15日を終戦記念日と言い続けてきましたが、事実は敗戦記念日です。誰も責任を取らないまやかしのナショナリズムではなく、70年前の「敗戦」をしっかりと受け止めて戦後をスタートさせ、新しい国づくりをしていかないと、日本はまた同じ過ちを繰り返すことになります。
日本は戦後、アメリカ占領軍の下で形の上での民主主義が導入されました。そして、アメリカから与えられるままに、全てを惰性で曖昧なままにして70年間を過ごしてきました。
国民一人ひとりが第二次世界大戦を自分の問題として捉えず、自らの意思で戦前の日本に向き合い、検証し、考え、そして民主主義とは何かという結論を導き出す作業を怠ってきたのです。その結果、戦後70年を迎えても、日本は依然として民主主義を本当に理解している国になれないでいます。
昭和の初めには大飢饉があり、農村では身売りしなくては家族が生活できないという現象が日本のあちこちで見られました。また、貧しい農村の人たちは徴兵制で兵役に就きました。
そうした世の中で、「財閥富を誇れども 社稷(しゃしょく)を思う心なし♪」と『昭和維新の歌』で唄われたように、「日本の世の中はおかしい。誰も国のことを考えていない」と青年将校が決起して5.15事件や2.26事件という軍事的クーデターが起きたのです。
更に日本の経済的困窮に拍車をかけたのが、1929年のウォール街の株価大暴落に始まった世界恐慌でした。結局、これに日本は対処できず、軍事的な拡大で戦争景気をあおるしか方法がなく、最終的により大きな悲劇へと突入していきました。
私は5.15事件や2.26事件を政治的に肯定するつもりは全くありませんが、今の社会構造は当時と非常に似てきていると思います。現在はまだ非正規社員でも何とか食べていけますが、ひとたび世界規模の経済恐慌に襲われたら、国民は相当混乱に陥るはずです。
そういう時でも、日本人が自立していて、日本に本当の民主主義がきちんと根付いていれば、皆で知恵を出して合って、何とか困難な状況を解決していく方策を思いつくでしょう。しかし、民主主義の土壌がなければ、5.15事件や2.26事件の時のように、「今の政党政治はだめだ」「民主主義は無力だ」ということで、国民が極端な行動に走ることもあるかもしれません。私は戦後70年の節目の今年こそ、国民一人ひとりが本当に民主主義を身につけるべき年ではないかと思っています。
そして、日本に議会制民主主義を定着させ、国民が一人ひとり自分の頭で考え、投票し、自分たちの政権をつくる。自分たちが選んだ政権がおかしいとなれば、もう一方の政権を選び直す。そういう仕組みを確立する中で、政党も国民もお互いに力を合わせていけば、今後どんなことが起きようとも、日本はそれを乗り越えていくことができると思います。
私は特に最近、一日も早くそういう日本にしなければ危ないと強い危機感を抱いています。戦後70年を機に日本に本当の民主主義を根付かせ、アジアの範となるような国になることに、国民の皆さまと一緒に全力で取り組んで参りたいと思います。

一度も指揮官として責任を負った事のない人間がいくら言っても何の説得力もありません。
それに戦前から日本は民主主義国家です。軍国主義というのは独裁主義というのは中共や北朝鮮の事を言うのです。
常識が育っていませんね。民主主義を取っていない国のいう事は聞くのに民主主義国家の話は全く聞かないのが真の民主主義とでも言うのでしょうか?

いい加減、東京裁判史観、自虐史観から解き放たれても良いと思います。
それが日本が日本であるための手段の一つだと思います。
皆で我が国の歴史を伝えて行きましょう。
我々が出来ることがあるのです。
(ブラッキー)

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教育 | コメント:(1) | トラックバック:(0) | 2015/08/20 06:00
コメント:
テーマ :韓国人慰安婦の記憶は偽記憶(フォールスメモリー)である。
あなたは自分の記憶にどれくらいの自信があるだろうか?
思い違いや勘違いは誰にでも起こりうるが、まったく事実無根の記憶であるにも関わらず、本人が事実であると思い込んでしまう「フォールスメモリー」という症状があるのはご存知だろうか?
1993年のイギリスで、ある青年がカトリックの高名な神父に「性的虐待を受けた」として訴訟をおこした事件があるが、調査の結果、青年のフォールスメモリであったことが判明した。
この事件をきっかけに記憶違いによって起こる訴訟が欧米では数多く報告されるようになったが、訴訟をおこした本人には妄想などの精神疾患はなく、あくまで健常者であることからイギリスやアメリカではフォールスメモリに関する協会まで設立されるようになった。
フォールスメモリーは、
1.無理やり思い出す
2.無理やり思い出すために帳尻を合わせるように偽りの記憶を合成する
3.合成された記憶を事実であると思い込む。という図式で出来上がる。
韓国慰安婦養護施設ナヌムの家の共同生活の条件が、フォールスメモリーを惹起させるのにピッタリの条件なのだ。

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