GHQの国語改編から立ち直り、より良い我が国の言葉を!
久々に日本に帰ってきた私は名古屋へ移動する前に勉強会に参加してきました。
その勉強会は
~私たちの国語を取り戻そう~
GHQの国語改編から立ち直り、より良い我が国の言葉を!
です。
講師はまぼろば会の松田さんです。
まほろばとは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」を意味し、美しい日本の国土とそこに住む人々の心をたたえた古語です。
「物事が完全であること」などの意味がある「まほ(真秀)」に場所を意味する接尾語「ら」がついて「まほら」となったものが転じて、「まほろば」や「まほらま」という言葉になったとされています。
古事記には、倭建命(やまとたけるのみこと)が、懐かしい故郷のすばらしさをたたえて詠んだ「国ほめ歌」とされる
「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる(やまごもれる) 倭しうるはし」
という歌が記されています。
この歌の倭とは奈良の事であり出身地をたたえる歌、郷土愛の歌なのです。
今、日本の国語教育は子供の能力を伸ばす教育になっておりません。技術的な事しか教えておらず、能力を磨くことが出来ていないのです。
広島まぼろば会では
『日本人が大切にしてきた心を鍛え、命を輝かせる教育を実現し世界に尊敬させる日本を創るリーダーを輩出する』事を目的に広島で活動しております。
広島の教育事情はひどいものでして教育のスパイシーな地域としてH20の一つに数えられています。
しかし、とある事故が発生し、文部省が本腰を入れて改革に乗り出し、改善されてきております。
とある事件とは国歌国旗法の制定の原点にもなった事件であり、悲しい出来事でした。
私たちは素読を通し、実践を一番重視しております。
批判しているだけでは未来への責任は果たせません。出来ることをやっていかないといけないのです。
日教組が悪いというだけではなく民間でもできることをやる。草の根でも変えていけることはあるはずです。
糾弾するだけではなく提案もしていきましょう。
本来教育の目的とはなんなのでしょうか?
過去にこのように言われた方がおります。
『今日よりぞ
をさな心を
打ち捨てて
人なりにし 道を踏みしめ』
吉田松陰
『稚心を去る』
橋本庄内
教育とは自立の向けて育てることです。
自立とは
1)依存することなく自活できること
2)社会貢献し、自分の役割を全う出来る
上記の事が自分に課せられていると自覚できる人間が自立出来るのです。
誰かの役に立っている人が自立できる人なのです。
「誰にも迷惑かけて無いやん」という人は迷惑をかけておりませんが、自立できていません。
そのような人は命の輝きはないのです。
【忘己利他】
もうこりた、そのまま読まないでください。
自分を忘れ他人のために動くことを言います。
そして自分が帰属する土地を知り、その未来を担い手であることも自覚しなければなりません。
それは日本国への愛国心であり、自分の住んでいる場所に対しての愛郷心でもあるのです。
「根なし草は何も出来ない」のです。
今、全国に51社の護国神社がありますが、このうち20年後までこのまま経営できる神社がどれだけあるかご存知でしょうか?
全国で5社の神社以外は赤字で運営していることでしょう。
グローバル化は避けられません。
日本人はそれに対応していかなくてはなりません。
他国では当たり前なのに日本では教えられてないことがあります。
1)建国の年・・・今年は神武紀元2675年という事を覚えていない人が多いです。
2)建国者の名前・・・神武天皇が国を開いたことを教えられていません。
3)建国の理念・・・日本を一つ屋根の内にいる家族のようにしたい
このことは外国に行けば当たり前に聞かれることであり、地に足がついている人間であるかどうかを図るうえで必要不可欠な事です。
縦軸、横軸をきちんと把握した人材を育てる必要があります。
縦軸:自分たちの地域や先人の生き方を知り、歴史を体得する
横軸:現在の社会を改善するために国内のいろいろな課題を達成するための能力
今の日本は横軸だけしか勉強できておりません。生活するための力しか教えられていないのです。
これらを鍛えるには高度な受信能力が必要です。
その高度な受信能力を得るには感性を磨く必要があります。そしてその感性は過去の人がどのような表現で情景をあらわれているか、感動しているのか?
などを知ることが必要なのです。言葉=古典です。
自立のためにはまず自律しなければなりません。
自律するためには自分を表現する言葉を正確に伝えれるようにならなければなりません。
表現が出来ないのでイラついてキレるのです。
そのため、言葉は自律の為の重要な要素なのです。
さて、一般的に戦勝国が敗戦国に対して教育方針の変更はしてはいけないことになっております。
しかしGHQは日本の教育制度を終戦直後に行いました。
しかも占領政策の最重要項目として行いました。
GHQの改革は
1.日本の教育制度に関する管理政策
2.公職追放令
3.神道に関する指令
4.修身、日本国史、チリに関する指令
などが行われました。
因みによく勘違いされておりますが、大東亜戦争の戦力比は日清、日露戦争よりも低く、一番戦力比が大きかったのは日露戦争でありました。
そして、大東亜戦争では日本だけではなくアメリカも建国史上最大の戦いであり家庭の主婦も戦場で戦った戦いでもありました。
古典は昔の人が何を感じ、何を伝えたかったのかを伝えるものです。感じるままの音の感性なのです。
今の日本の教育は音を重視しない教育となってしまっています。
言葉の意味を教える勉強ばかりであり意味偏重の教育が広まっています。
それに加え、GHQが行った感じの当用漢字が文化の破壊を行っています。
日本人の国語力の劣化は極めて深刻化しております。国語は教科ではなくすべての教育の土台なのです。
その国語で必要不可欠な漢字が当用漢字のために削られているのです。
元々常用漢字は四千字ありましたが当用漢字のために1850字に削られたのです。
たとえ『溶岩』ですが本来なら『熔岩』です。パッと見て意味が分かるのはどちらでしょう。
どちらも『ようがん』を表す漢字ですが消された漢字である『熔』を使った方がわかりやすいですね。
『皆既日食』も本来なら『皆既日蝕』です。漢字本来の表意文字としての性質を悪改されているのです。
それ以外にも
我が国→この国
国史→日本史
国酒→日本酒
国語→日本語
とされております。この悪改は自分が帰属している国を理解出来ないようになり、自国への愛着や誇りを低減させてしまうのです。
それ以外にも
天長節→天皇誕生日
地久節→皇后誕生日
紀元節→建国記念日
未曾有→今まで経験したことのない
などと悪改されています。
身近であった唱歌も改編されております。
日本人が日本人として纏まる為に作られた唱歌、
この唱歌によって沖縄の人も北海道に雪が降ることを知っていますし、北海道の人も沖縄が南国であることを知っているのです。
そして同じ歌を歌う同胞であるという認識を持つ為の音楽教育の一環なのです。
蛍の光は3番、4番を削除され、我は海の子は7番が削除されました。
黒田節も一部カット、村祭りも歌い始めの言葉が改編されました。
この音楽の改編は
・天皇、皇室
・軍事関連
・愛国心
・家族の絆
に関することが削除対象になったと思われます。
そして最近では余計なおせっかいとして簡単にもっと分かり易く、親切心が国民の能力を削ぎ落として文化の破壊につながっています。
今のお子さん内では『蛍の光』よりも『空より高く』の方が有名であり国語力の低下が叫ばれております。
空より高く
人は空より高い心をもっている
どんな空より高い心をもっている
だからもうだめだなんて
あきらめないで
涙をふいてうたってごらん
君の心よ 高くなれ
空より高く 高くなれ
人は海より深い心をもっている
どんな海より深い心をもっている
だからもういやだなんて
背をむけないで
見つめてごらん 信じてごらん
君の心よ 深くなれ
海より深く 深くなれ
だからもうだめだなんて
あきらめないで
涙をふいて歌ってごらん
君の心よ 広くなれ
空より広く 広くなれ
君の心よ 強くなれ
海より強く 強くなれ
注)メロディーは蛍の光と全く同じです。
国語教育単体の時間数の低さも問題です。
小学校一年の授業数は850時間ですが、そのうち306時間と大変少ないです。
小学校一年で40%くらいですが小学校六年では25%ほどと低下していきます。
(因みにテレビの視聴時間は108時間と言われております。)
小学校の国語教育に対する占有率が大変少ないのです。
フランスでは総時間の7割が国語教育に費やされております。ヨーロッパ全体では約5割の時間が国語に費やされています。
そして海外の国語教育は素読を重視しており、音による教育が盛んに行われています。
教育には本来
本学:生き方、良い生き方を目指す
末学:生きていくための準備、技術等
の二種類があり、本末転倒の言葉もここからきております。
本学を優先しなければならないはずなのに末学が優先されては元も子もないとの意味であり、
人生で大切なのは本学であるという昔からの教えなのです。
現代の教育制度では本学を教えることがないのです。
無いのであれば大人が作っていけばいいのです。教育は心も育てなければなりません。
実践なくして教育を語るなかれ、今やらないでいつやるんでしょうか?
世の中の教育評論家は実践を置き去りにしています。
以上、
間違っている個所もあるかもしれませんし、素読についてはあえて外しております。
まだ理解しきれていませんし、まだまだ勉強不足です。
当日配布された資料にはこのような言葉が書かれてありました。
・誰かがやるのを待つのではなく、自分でやる。
・公教育や行政だけに責任を押し付けない。
・公教育だけに変化を要求しない。公教育の変化を待たない
・教育に害を及ぼす組織を批判してスッキリしても何も解決しない
・次世代に付けを回さないために今やる。
・無責任の心地よさの中にある傍観者にならない
・抽象論ではなく具体論で提示する
・大事なものを護る為に「方法」は常に革新する
・まず目の前にいる子供をよき日本人に育てる
・法律や教科書だけに注目しない。
・「これはけしからん」ではなく「これはどうだろうか」
・本当の意味での「終戦」へと導く
まさに正論ですね。by一傍観者より(笑)
http://hiroshima-mahoroba.jimdo.com/
以上、宜しくお願い致します。
(ブラッキー)
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