国歌・国旗に敬意を表せいない子供達
国際社会において国歌・国旗に対して敬意を表するのは常識です。
なのに我が国では国歌・国旗に対して敬意を表せない人間が多いのにびっくりします。
我が国の国立大学では国歌・国旗に対しておざなりの対応が行われているようです。
なんでもグローバル大学だからという言い訳にもなっていないことを平気でいうバカな教授もいるそうです。
私には理解不能です。
グローバル大学であるからこそどこの国に所属しているか明確にしていかなくてはなりません。
大学は我が国の最高教育機関であり、研究機関でもあります。その大学の学生がが海外に出た時に我が国の国歌・国旗に敬意を表せないというのは大学生として扱われませんし、他国の方は我が国の大学生を信用しないでしょう。
なぜなら通常、国歌・国旗に敬意を評することは小学校から行われていることであり、敬意を表せない=テロリストや無政府主義者となるからです。いわば反政府運動者として扱われるのです。
その常識を知らないのでしょうか?
このような話があります。
首相「新教育基本法にのっとり実施されるべきではないか」 国立大の国旗掲揚や国歌斉唱
安倍晋三首相は9日の参院予算委員会で、国立大学の卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱に関して「改正教育基本法の方針にのっとり、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。改正教育基本法では「国を愛する態度」を養うことなどが教育目標に掲げられている。次世代の党の松沢成文幹事長に対する答弁。
松沢氏は「国歌斉唱に至ってはほとんどの国立大学が実施していない。税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」と迫った。これに対し、下村博文文部科学相は「大学の自主的な判断に委ねられている」と指摘しつつも、「広く国民の間に定着していることなどを踏まえ、各大学で適切な対応が取られるよう要請していきたい」と応じた。
松沢氏が示した文科省の資料によると、直近の卒業式で国歌斉唱を実施したのは国立86大学のうち14大学にとどまった。
税金、云々カンヌンではありません。社会常識として国歌・国旗に敬意を表する行為が必要なのです。
教育基本法に書いているのであれば違反した学校は学校免許をはく奪すればいいのです。
出来ない方がおかしいのです。様々な意見があるのでという人がいますが、様々な意見があるがこそ自らの立ち位置をはっきりさせるのが当たり前なのです。
さて、残念なお知らせです。
我が国の汚点ともいうべき民主党のモナ王こと細野がこのような意見を言っています。
民主・細野氏「首相は幼稚」 国立大での国旗・国歌をめぐり
民主党の細野豪志政調会長は14日の記者会見で、安倍晋三首相が国立大での国旗掲揚、国歌斉唱に関し「正しく実施されるべき」と国会答弁したことについて「大学には自治があり、そこにある種の強制力を及ぼし得るような形で発言されるのは、非常に幼稚という感じがする」と批判した。「もう少し日本の社会の成熟性みたいなものに信頼があってもいいのでは」とも語った。
首相は9日の参院予算委員会で、国立大の入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱に関して「税金によって(運営が)賄われていることに鑑みれば、教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」との認識を示した。
大学の自治があるから好き勝手にやっていいというわけではありません。自治があるからこそ自浄作用を見せつけなくてはなりません。
日本社会が国歌・国旗アレルギーという未成熟だからこそ出てきた問題です。
お子様の細野に言っても通じないでしょうが、敬意を表せるのが社会に出る最低限の資格です。
今の大人が出来ていないことがおかしいだけなのです。
国旗を掲揚できないことで国歌斉唱の事で広島県の校長が自殺した事件がありました。
確か、日教組などの一部の教職員が命令に対して反発したからであり、その自殺なされた校長の意を組む形で作られたのが国旗国歌法なのです。現場だけの責任ではなく国が責任を負うという事で作られた法律、これを護っていない大学の方が糾弾されるべきであり、行っていない大学に違和感を持つことが大切なのです。
一部の無政府主義者たちのために自然に敬う事が出来ていないのが事実なのです。
国旗国歌に敬意を払う国際的な礼儀に背を向け「強制」と批判することこそ恥ずかしいと言っていなくてはなりません。
相変わらず国歌斉唱の際に起立しない教員がいる一方、皆が立たないのに信念を貫いて立つ人もいます。
どちらが尊敬されるかはご存じのとおりですね。
普段から国家国旗を大切にしていきましょう。
(ブラッキー)
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