はてなキーワード: 会計とは
弥生会計からのメールを読み落とし「モバイルSuicaアプリにJRE IDでログインすると弥生会計と連携しなくなる」という超重要な情報を見逃していた。
モバイルSuicaアプリにJRE ID移行のお願いの案内が届いていたので、深く考えずにモバイルSuica会員IDからJRE IDに移行してしまった。これは元には戻せない。よってもう弥生会計とは連携できない。
この問題は今年4月には判明していたことだが今も改善されていない。もう二度と弥生会計のスマート取引読込機能とは連携できないのだろう。他の会計アプリも同様のようだ。
スマート取引読込機能はまさにデジタル改革と呼べる画期的な機能だったが、電車利用1件ずつを手作業で帳簿に記帳する世界に逆戻りしてしまった。
退職時の給料月額(基本額)
勤続期間(退職理由に応じた支給率 (自己都合退職は定年退職などに比べて支給率が低くなります))
給料月額: 参事という役職は、給与が高くなるため、基本となる給料月額も高くなります。
勤続期間: 54歳での退職の場合、多くの方が25年以上の長期勤続であると予想され、勤続年数が長いほど支給率が高くなります。
支給率: 自己都合退職の場合、定年前(60歳や65歳)の退職に比べて支給率が低く設定されています。ただし、勤続20年や25年といった区切りを超えると、支給率が上がる場合があります。
計算式の一般論
年収800万円を基に、手当や賞与(ボーナス)を除いた「退職時の給料月額」を推定します。
地方公務員のボーナスは年間で給与の約4.5ヶ月分と仮定します。
これにより、給料月額を約 550,000円 と推定します。(これは概算のための仮定です。)
地方公務員の退職手当の規定に基づき、勤続20年超25年未満または勤続25年超の自己都合退職の場合、支給率は一般的に47.709(勤続25年以上の場合の自己都合調整後の率)付近が適用されることが多いです。
勤続30年、給料月額55万円(年収800万円から推定)の群馬県庁参事(54歳・自己都合退職)の場合、
退職手当の概算額は、約 2,600万円~2,700万円程度 と予想されます。
この概算には、調整額(役職や給料に応じた加算額)が含まれていません。参事という役職であれば、この調整額が加算されるため、実際の支給額は上記の概算額より高くなる可能性が高いです。
ぬいぐるみ2点を万引きしたとして、大阪・豊中市にある小学校の学童保育の職員が逮捕されました。
窃盗の疑いで逮捕されたのは、豊中市の小学校で学童保育を担当している会計年度職員の女(57)です。
女は12月9日午前10時ごろ、兵庫県伊丹市のショッピングモールで、ぬいぐるみ2点、計1400円相当を万引きした疑いがもたれています。
警察によりますと、女はカートにぬいぐるみを入れ、上着で隠すようにして、レジを通さずに店の外に出たところ、女の行動を不審に思った従業員に声をかけられ、万引きが発覚したということです。
女が盗んだのは、大きさ8センチほどの人気のキャラクター「ちいかわ」のぬいぐるみで、警察の調べに対し、「盗んだことに間違いありません」と、容疑を認めているということです。
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mbs_news/region/mbs_news-GE00070177
だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)
どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。
おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任を回避しようとしやがる。
どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。
途中吉野家で朝食をとる。「牛すき鍋定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険。
俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき鍋定食肉二倍盛り」しか頼まない。
人生初吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである。
キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼は吉野家である。異論は認めない。
吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。
熊本の大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。
熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、
そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。
まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。
徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。
チケットを購入。
旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶とチョコとワッフルを購入。
バスに乗る。
熊本のバスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく
桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。
だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円
バス一択である、金は無いが時間はたっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ。
それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。
ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄に鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。
鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしか来たことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。
駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。
乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。
西郷どんの洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。
俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。
16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。
安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。
鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応
高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国。
朝に豊洲で仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋で提供されるのだ。
美味い魚や肉や野菜は大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。
地元だから新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。
美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。
ハイボールとたこ焼き、最高であり、庶民の幸福であり、食いながら宿を探す。
宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。
案の定、東横イン7000円を見つける。予約し銀だこお会計しチェックインに向かう。徒歩5分
ちなみに銀だこのスタッフはみな可愛かった。鹿児島は女子のレベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。
熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。
息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。
ともかくホテルにチェックイン、暇つぶしにテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。
21時。小腹が空いた。週末の鹿児島の繁華街、どんなものかパトロールに出発。
グッと来る店がまったくない、Bar、キャバクラ、居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。
仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?
ホテルに戻り寝る。
朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。
フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか。
金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。
古い値段なのか、小児運賃を誤判定しているのか、意味わからん。
それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島に改名しなさい。島じゃないんだから。
無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名と実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。
とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。
テレビでタレントがうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。
船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。
自動車のCMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん。
ともかく桜半島に到着。
降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。
なんぞ?
なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図
この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日はマラソンだからダメだと。ふぁっく
わざわざ活火山の真下でマラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。
徒歩で海岸沿いに向かう
ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。
マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、
ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?
海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。
なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。
かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかいう懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。
鹿児島に戻る。
ちなみに船の出発ジングルが長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。
人格、品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。
彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分でピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行はシンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。
が、彼は自己プロデュース能力やタレント性、カリスマを宗教にしてしまった。
アホを信者に搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。
が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教に昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。
ワンテイクというYoutubeのチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通のアーティストは「行きます」程度の一言で演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。
さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通に暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。
が、近くに高校生の修学旅行のグループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。
鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線最西端の西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。
というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である。
堪能せねばならない。
指宿駅前に食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念
地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である。
14時半、帰路、鉄路かバスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観が台無しである。
JRが軌道外の雑草を放置しているため車窓は最悪のコンディション。
言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。
あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車。
道の駅だからトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバスを検索すると絶望しか無かった。2時間後。
最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね。
結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。
ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。
生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎や指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ。外人だらけ。
ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。
本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバスで熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。
指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内に新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。
都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった
はぁぁぁぁぁ?
よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?
なんでばらけないの?アホなの?
が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。
実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。
瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル、雰囲気がそっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまったかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。
コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である。
出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。
パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。
そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である。
あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。
とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホームに喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。
新幹線発車。
車内アナウンスで「座席に荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視。
俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。
ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。
18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホームの喫煙ルームでタバコを吸う。
吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると
18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく
なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。
スーツケースを宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニから Permalink | 記事への反応(0) | 16:52
今日、桃源暗鬼27巻と桃源暗鬼外伝1巻を買いにTSUTAYAに行ったら、26巻に神門君のペーパーがついていて1冊持ってるのに買ってしまった。
このペーパーがほしすぎて…。
ついでに近くの成城石井でカステラとかお菓子をたくさん買って帰ったんだよね。
そんで帰り道にぼんやり考え事していて、神門君の境遇があまりに可哀想すぎて作者にさすがにこれ以上彼を不幸にするのは止めてほしいと言いそうになってしまった。
強くてかっこいい男の子が悲惨な目に遭ってるのを見るの、ダメなんだよ~。
泣きそうになるんだよ~。
四季君と大好きな銃の話でもしていてほしいよ。
今日はたまたまカステラ買って帰ったんだけど、帰ってプロフィール見直したら神門君、好きな食べ物がカステラとどら焼きなんだよね。
https://dic.pixiv.net/a/%E6%A1%83%E5%AF%BA%E7%A5%9E%E9%96%80
だから話が合いそう!
ちょっとテンション上がってきて、どうやったら神門君と仲良くなれるか考えたんだけど、これはもう四季君とご飯を食べたファミレスの店員になるしかないんだよね。
お会計の時になぜか神門君がカステラとどら焼きなのを知って(どうやって?)、店員のわたしがガンガン話しかけて、意気投合して連絡先交換するしかないと思うんだよね。
ただの店員がお客さんの連絡先聞いていいのかどうかはアレだけど…。
それでLINEでカステラとどら焼きの話をしまくるしかないと思うんだよね。
これ、普通にSNSであげたら神門君のファンに殺されそうだからここで書いてみた。
それくらい神門君とカステラとどら焼きの話がしたかった、という話です。
妄想は終わりです。
あとは桃源暗鬼の腐女子と夢女子として、二次創作でBL小説と夢小説書くしかないですね。
ファンに殺されない程度に…。
空腹だった。猫と戯れていても、アトピーの男と弁当を食べていても、心の底から満たされることはない。そして、その空腹は胃袋だけでなく、魂の奥底から来るものだということもわかっていた。
「とりあえず、何か食うか」
独り言のように呟き、僕はスマートフォンで最寄りの回転寿司店を検索した。
店に入ると、威勢のいい声が響き渡る。店内は明るく、家族連れやカップルで賑わっていた。誰もが幸せそうに見える。いや、彼らは顔が良く、金があり、性的魅力という武器を持っているから、その結果として幸せそうに見えるのだ、と僕は内心毒づいた。
カウンター席に通され、僕は流れてくる寿司の皿を一瞥した。マグロ、サーモン、ハマチ。どれもこれも、僕にとっては手の届かない美しさの象徴のように感じられた。新鮮な魚介類は、容姿の良い人間が享受する特権階級の食べ物だ。性的な魅力がない僕には、それに釣り合うだけの価値がない。
「よし」
最初に来たのは、フライドポテトの小皿だった。揚げたての黄金色。塩気が効いていて、妙に安心感がある。僕の荒れた肌とは対照的な、完璧なキツネ色だ。これを口に運びながら、僕は思い出した。隣の部屋の美男美女も、軽自動車も、赤ん坊の鳴き声も、全ては僕とは無関係の世界だ。このポテトだけが、今の僕を支える現実だ。
次に注文したのは、鶏の唐揚げ。甘辛いタレがかかった、見るからにジャンキーな一品。
「これでいいんだ」
僕は自分に言い聞かせた。寿司を食べなくても、腹は満たせる。魚がなくても、食事は成立する。性的魅力という美がなくても、この世で生きることはできる。この唐揚げの皿の上には、容姿の優劣や金銭的な格差は存在しない。あるのはただ、カリッとした衣とジューシーな肉の食感だけだ。
ポテトと唐揚げを平らげた後、僕は最後の締めにうどんを注文した。シンプルないりこの出汁が効いた、温かい一杯だ。胃袋がじんわりと温まる。
流れてくる皿の上には、今日も艶やかな寿司が乗っている。しかし、僕の目の前にあるのは、魚介類を一切含まない、僕だけの非・寿司メニューの残骸だ。
唐揚げの皿を下げに来た店員が、僕の顔を見て一瞬目を逸らしたように見えたが、気のせいだろう。あるいは、僕の勝手な被害妄想だ。彼らにとっては、僕はただの客の一人。醜い顔も、汚い肌も、どうでもいい。
うどんをすすりながら、僕は考える。この世界では、性的魅力が八割かもしれない。美人が楽をしているのも事実だろう。だが、この回転寿司で、僕は魚ではないもので腹を満たした。それは、僕がこの世界で、性的魅力以外の何かで生き残る方法を見つけられるかもしれない、というかすかな希望にも似ていた。
会計を済ませ、店を出る。外はもう完全に暗くなっていた。胃は満たされた。しかし、魂の空腹はまだ残っている。
「次は、パフェでも食うか」
そう呟き、僕は醜い自分の影を引きずりながら、雑踏の中へと消えていった。
その③
AI技術が進歩して仕事を代替する中で、まずホワイトカラーの仕事を飲み込み、逆にブルーカラーのほうが価値を取り戻すっていう流れは本当に起こるのか。
もう始まっている領域も多くて、2030年代が大きな転換点になりそうだと言われている。
文書作成や企画、分析、経理、法務、コールセンター、バックオフィス。こういう認知労働はどんどん代替されていく。
一方で、建設や介護、配送みたいな身体性と例外対応が入り混じった仕事は、ロボットが苦手とする部分がまだ多く、人間のほうがはるかに柔軟。
結果、ホワイトカラーは供給過剰になり、ブルーカラーは慢性的な人手不足で、賃金の流れが逆転するという流れ。
これは歴史的にもあった話で、自動化が進むタイミングでは、むしろ現場の熟練労働者が価値を高めた例がある。
だから今回のAIでも同じ構造が起きる可能性は高いとされる。とくに日本みたいに若い労働力が減っていて、身体労働の担い手がそもそも足りない国では、この逆転現象はかなりはっきり出るっぽい。
流れとしては、2025〜2030年あたりにホワイトカラーの代替が一気に進み、文系総合職の採用が縮み、事務や営業補助の大部分がAIで回るようになる。
その横で建設や介護はむしろ賃金が上がり、現場に価値が戻る前兆が見え始める。
2030〜2035年になると、法務や会計、企画など中核のホワイトカラー領域が深く置き換えられ、本格的な逆転が進行する。
大学の進路の選び方すら変わるレベルで、職種間の価値観がひっくり返る。2035〜2040年にはロボット化の波が現場にも広がるが、それでも完全代替は難しく、人間のブルーカラーの価値はしばらく維持される。
その後2040年代には自動化が全体へと浸透し、ホワイトとブルーの逆転そのものはゆるやかに薄れていく…と予想されるらしい。
もし逆転が起きたら、ホワイトカラーの所得は下がり、中間層は縮み、職人や技術者のほうが存在感を取り戻すような社会になる。
文系エリートの権威は弱まり、地方の産業価値が上がっていくような変化も起こる。
逆に、ロボット技術が急激に進歩してブルーカラーまで瞬時に代替されたり、移民が大量に流入したり、国家がAI利益を強く独占する体制になると、この逆転は弱まる可能性もある。
とはいえ、日本の人口構造を考えると、この現象は起こりやすい側に振れていて、2030〜2040年あたりが最も大きく社会が揺れる時期になる…
これは新たな「ノストラダムスの大予言」みたいだな。
近所にたまに見るおじがいるんだが、見かける度に人に噛みついている
地味な服装、体格痩せ型中背、暗そう
妻帯者特有の清潔感みたいなものがなく、服のサイズが合ってなかったりリュックがヘタレてたり、髪がボサボサだったりしているので
彼はいつも通行人やレジ店員に対して、自転車が接触してどうしたとか、接客態度がどうとか、ナメやがってとか声を張り上げてキレている
警察呼ぶなら呼べよ!!とか言っている
その相手は大抵弱そうに見える高齢者か、店員という言い返して来れない立場の人で、相手の方は一方的に絡まれながら、呆れ気味に、立ち去るまで待っている
そういえば一度スマホを見ながら歩道の端を歩いていた若い女性にぶつかりおじさんやってたこともあったっけ
一度あまりにも長時間レジを占拠しているので、店員との間に割って入ったことがあった
止めに入ったとかではなく、男の横から「急いでるんで会計してください」とジュースを置いただけだったんだが
ミドサー中肉中背のブス(すっぴんにジャージ)に割り込まれた男は、ますます顔を真赤にして激昂した
そいつ(知らん店員)の女ではないし、もし私がそいつの女だとしたら、それこそ「彼女がこんなブスで残念だな」と見下す絶好の機会だと思うんだが、男はそんな事思いもつかないようで、自分が持っていないものを持っていてずるいとばかりに顔を歪めて悔しがるのだった
私が無視していると、男は「表出ろ!!待ってるからな!!」と言いながら外に出て、しばらく待っている素振りだったのだが、私がスマホで警察に通報し始めるといつの間にかいなくなっていた
実際は別に誰も彼をナメてもおらず、バカにもしていない(かと言って特別に尊重もしていないが)と思うのだが、彼は一体何がそんなに悔しいのだろうか
非正規雇用で時給労働しているレジの店員、足腰の弱いご老人、私のような地味女、社会の中でも弱い方の人々に、なぜ彼は怒りを向けるんだろうか
そんなことがあってからしばらく経って、今度はまた別の場所に似たような40代独身男性が現れた
他の店員に話を聞くことがあったのだが(店内でも問題になっているらしかった)、地味な大学生のような服装をしているが年齢は40代半ばのフリーターらしい
レジに客が来ても無言で睨みつけながら対応するか、舌打ちをしたり、指でレジ台をトントンやったりと不機嫌アピールをしてきて、退店と同時に足元の何かを蹴ってでかい音を立てたりする、なんというか、お母さんがジャンプと間違えてマガジンを買ってきたのにキレて部屋で物を投げて暴れるようなマインドを外に持ってきてしまった、社会性ゲロ以下おじさんなのだった
他の店員に「あの人いつもああなんですか?」と聞いたら「何度もクレーム入ってて、次はクビって言われてるんですけどね〜⋯」と困ったように言っていた
もう進退極まってるのに、彼は客に対してキレることをやめられないらしかった
しかし、私(おとなしそうな女)に対しては露骨に強く出るその態度が、前に並んでいたチャラめの高身長の若者の対しては鳴りをひそめ、小さい声でボソボソ言うだけなのがどうにも卑屈だった
物を買う時いちいちお願いします、ありがとうございますと言うのを習慣にしている私にはナメられていると感じるのに、「あ〜、65番」と雑に煙草を頼むチャラ男にはナメられていると思わないのだろうか
お前は、ポイ活を舐めてないか。「ポイントなんて、雀の涙」とか「手間の方が多い」とか、そう思ってないか。違うんだよ。工夫次第で、松屋という日々の食事の場所で「40%のバックを狙える」んだ。俺は、その仕組みを完全に把握した。その仕組みを、お前らに説明しよう。
最初に言っておくが、松屋のポイ活は「複雑」だ。複数のポイント制度が重なって、初めて「4割バック」が実現される。その複雑さを理解できた時、初めて、お前は「本当のポイ活乞食」になれるんだ。
松屋には「モバイル会員」という制度がある。松屋アプリで松弁ネット、松屋モバイルオーダー、松弁デリバリーを利用すると、会計金額に応じて松屋ポイントが付与される。そして、その月の購入合計額に応じて「ランク」が決まるんだ。
ランクは、以下の通り。
レギュラー会員:月1,000円未満
ブロンズ会員:月1,000円~1,999円
シルバー会員:月2,000円~2,999円
ゴールド会員:月3,000円~4,999円
プラチナ会員:月5,000円~
そして、ここからが本当に大事なんだ。各ランクごとに、ポイント付与率が違うんだ。
レギュラー:6%
ブロンズ:8%
ダイヤモンド:15%
ブロンズ:2%
シルバー:3%
ゴールド:4%
プラチナ:5%
ダイヤモンド:7%
ここが、重要だ。ブラック会員になると、松屋モバイルオーダーで「10%」のポイント還元が受けられるんだ。
俺が狙う4割バックの仕組み
さて、ここからが、俺の戦略だ。俺が「4割バック」を実現してる仕組みは、こうだ。
月20,000円分、松屋で買う。すると、ブラック会員になる。松屋モバイルオーダーで「10%」のポイント還元が受けられる状態になるんだ。
ステップ2:松屋モバイルオーダー で3倍ポイントキャンペーンを狙う
松屋は、定期的に「松屋モバイルオーダー ポイント3倍キャンペーン」をやってる。このキャンペーン期間中に、松屋モバイルオーダーで注文すると、ポイント付与率が3倍になるんだ。
つまり、ブラック会員の「10%」が、3倍になって「30%」になるんだ。
ステップ3:PayPayで支払って、さらに10%還元を受ける
松屋は、PayPayでの支払いに対して「最大10%還元」のキャンペーンをやってる。松弁ネット、松屋モバイルオーダー、松弁デリバリーで、PayPayで支払うと、最大10%のPayPayポイントが還元されるんだ。
つまり、松屋ポイント「30%」+PayPayポイント「10%」=「40%」のバックが実現されるんだ。
具体例で計算してみよう
例えば、俺が松屋モバイルオーダーで「1,000円」の商品を注文したとしよう。
PayPayポイント:1,000円 × 10% = 100ポイント
合計還元
これ、やばくないか?1,000円で、400円分のポイントが返ってくるんだぞ。
重要な注意点
ただし、ここで気をつけなきゃいけないことがある。
ブラック会員になるのは「月20,000円以上」の購入が必要だ。つまり、毎月、松屋に20,000円つぎ込む必要があるんだ。これは、かなりのハードルだ。
実際に、月20,000円を松屋で使うってのは、毎日、松屋で食べなきゃいけないレベルだ。例えば、朝定食が330円だとしたら、1ヶ月で約60回通う必要がある。つまり、毎日、通う必要があるんだ。
だから、「ブラック会員になってやるぞ」という覚悟が必要なんだ。
松屋モバイルオーダーのポイント3倍キャンペーンは、期間限定だ。毎回、どの期間に実施されるのかは、松屋の公式サイトで確認する必要がある。
このキャンペーン期間を逃したら、ポイント還元率は大幅に下がる。だから、キャンペーン期間を把握することが、ポイ活の最重要タスクなんだ。
PayPayの10%還元も、毎回のキャンペーンではない。期間限定で実施されるものだ。さらに、還元上限が設定されていることもある。
例えば、「1回あたりの還元上限300ポイント」という制限があれば、3,000円の支払いで上限に達する。だから、複数回の小分け購入で、上限を避ける工夫も必要なんだ。
ここが、ポイ活初心者がよく勘違いするところだ。松屋ポイントと PayPayポイントは「別のポイント」なんだ。
松屋ポイントは、松屋アプリ内で「1ポイント=1円」で使える。10ポイント単位での利用だ。
PayPayポイントは、PayPayアプリで「1ポイント=1円」で使える。こちらは、支払い時に自動的に値引きされる。
つまり、両方のポイントが、実質的に「現金還元」されるってわけなんだ。
なぜ、俺がここまで松屋のポイントにこだわるのか。それはな、毎月の食事代が「バカにならない」からだ。
月20,000円を松屋で使うなら、その40%が返ってくるってことは、実質的には「月12,000円の支出」で済むってことなんだ。通常は「月20,000円」だったのが「月12,000円」に下がる。年間にすると、96,000円の削減だ。
そして、ここまで複雑な仕組みを理解してる人は、本当に少ないんだ。だから、大多数の人は「松屋で月20,000円」で終わる。でも、俺のような「ポイ活乞食」は「実質月12,000円」で済ますんだ。
だから、覚えておけ
松屋のポイ活は「簡単」じゃない。複数のシステムを理解し、キャンペーン時期を把握し、複数の決済方法を使い分ける必要がある。それは、確実に「手間」だ。
でも、その手間の対価として「月4割のバック」が手に入るんだ。毎月、4割だぞ。
これは、他のポイ活では考えられない還元率だ。だから、俺は松屋のポイ活乞食になった。
そして、最後に。松屋のポイ活に成功したお前は、次のステップに進める。他のチェーン店でも、同じような複雑な仕組みが隠れてるんだ。すき家、吉野家、セブンイレブン。それらの仕組みを理解して、複数の店で「ポイ活乞食」を実践したら、お前の生活コストは、さらに下がるんだ。
だから、松屋で学べ。松屋で修行しろ。そして、本物のポイ活乞食になれ。
それが、俺からの助言だ。
大雪りばぁねっと事件よりも東京都の委託事業のほうが悪質でわらけてくるな。
大雪りばぁねっと事件は、東日本大震災後の岩手県山田町から緊急雇用創出事業を委託されたNPO法人「大雪りばぁねっと。」が、約12億円の事業費を使い切り、約6.7億円もの不適切な支出が判明した事件です。
概要: 復興事業の公金を私的に流用したり、事業とは無関係な高額な物品を購入したりするなど、ずさんな運営と不明朗な会計が明らかになりました。
結末: 2012年12月には資金枯渇を理由に全従業員(137人)を解雇。元代表理事は業務上横領容疑で逮捕され、懲役6年の実刑判決が確定しました。
「清潔感」のミソは「清潔」という言葉だろう。「清潔」であることと「きれい」であることは厳密にいえば違うのだが、人間の日常生活では「きれい」の感覚のほうが重視され、なおかつヒューリスティックな判断ではきれいなものは「きたないものと比較して」おおむね清潔であるので、この2つの概念はごっちゃにされやすい。
既に使い古された例示ではあるが、あなたがこれから2つのマグカップのうちどちらかを使って水を飲めと言われたら、どちらを使うだろうか。
どう考えても、「清潔」なのはカップBだ。しかし人間の認知はカップBを「きたない」と感じるようにできている。実際にはカップAのほうが「不潔」なのだが、カップBと比較するとカップAのほうが「きれい」に感じられる。
近代以前であれば、つまり細菌という概念が見つかっておらず、また除菌技術も発達しておらず、身分によって享受できる衛生環境に差があった時代にあっては、「きれい/きたない」と「清潔/不潔」はおおむね対応していた。水で洗ったものは洗っていないものに比べてきれいであり、清潔である。整えられた貴族の髭は農民の無精髭に比べてきれいであり、清潔である。つるりとした富豪の肌は皮膚病で荒れた貧民の肌と比べてきれいであり、清潔である。それで何の問題もなかった。
しかし現代社会ではこの2つがズレる局面が多々出てくるようになった。多くの人が毎日風呂に入るようになった時代にあっては、短い無精髭よりも丁寧に梳られた豊かな髭のほうが雑菌が多いだろう。伝染性の皮膚病が少なくなった社会にあっては、アトピーが目立つ風呂上がりの肌よりもシャワーを浴びる直前の滑らかな肌のほうがよっぽど不潔だ。コーヒーの染みが落とせていない洗いたての白衣と当直で着たきりの真っ白な白衣なら、多くの医師が前者を清潔だと判断するだろう。
そして現代人も、多くのひとは「清潔」ではなく「きれい」を重視して生きている。スマートフォンという雑菌の塊をレストランのテーブルに置くひとは大勢いる。多くの店舗では手袋をはめたまま食事の準備と会計を行う(素手で都度手を洗ったほうがよっぽど清潔だろうに)。増田は風呂を浴びてメガネをかけてから洗い物をする習慣があるが、メガネをかけるときに手が雑菌まみれになることはあまり気にしないようにしている。気にしていたらきりがないからだ。
「清潔感」はうまい言葉だ。「~感」といったとき、対象が実際に「~」であるか否かは場合による。AIの絵に「ジブリ感出てる」と言うとき、AIの絵はジブリの絵ではないことが明らかだが、いっぽうで、「それってどうなのよ感がある」と言ったら「それってどうなのよ」と言いたいのだ。
では「清潔感」はどちらか。伝染性のないアトピーの患者やシャワー浴びたての無精髭やシワが寄った洗いたてのシャツに発動され、水虫の美男子や立派な髭をたくわえたイケオジや昨日から着たままの洒落た服に発動されない感覚は、どう考えても実際の「清潔」を推し量っているのではない。それは「きれい」さを推し量っている。
「~感」がついている以上、「清潔感」が実際の清潔を表していなくとも間違いではない。その意味で、「論理的」に概念の破綻を示そうとする人たちはおかしい。しかし同時に、「清潔感」を必死になって正当化しようとするのもおかしい。それは原始的でヒューリスティックな認知に過ぎず、倫理的に正当化しうるものではない。カップAを反射的に選びたくなる本能を美辞麗句で飾り立てているだけだ。
もちろん本能に従うことは別に悪いことではないが、本能に基づいてくだされた判断を道徳的に正当化することはできない。「巨乳の女性が好き」という本能にしたがっておっぱいの大きな配偶者を選ぶのは個人の自由だが、それを道徳的に正しいと言い募ることができないのは誰にだってわかるだろう。私たちは、清潔感という言葉の定義をめぐる不毛な論争にかまけるのではなく、清潔感に意味を持たせようとするのをやめるべきなのだ。それは本能的な反射にすぎないのだから。
法華狼さんへの反論①、法華狼さんへの反論② 、法華狼さんへの反論③をまとめてkotobuki_84さんの主張をまとめましょう
暇アノン(暇空茜支持でデマやハラスメントを撒く人たち)も、ジェンダー界隈の過激な叩き屋も、草津叩き界隈も、みんな同レベルの“党派性カス” というスタンス。
自分は最初から「どっちの陣営にも乗らない・どっちもカス」という距離を取る立場だった、と自己認識している。
「暇空のやっていることは“当たり前の権利の行使”なのか、“ハラスメント”なのか」が論点だと書いていた。
自分は「ハラスメントをする権利なんて基本的に存在しない」という前提で、そこから外れる行為は批判されるべきだと考えていた。
「気持ちも分からんわけではない」「原爆ぶち込もうぜ的な気分も分からんわけではない」と書いたのは、行為としては否定だが、その感情が生じるメカニズム自体は理解できる、という意味だったと説明。
暇空側の行為が裁判で「リーガルハラスメント」と評価され、それが真実相当と認められた点については、「それは妥当だ」と受け入れている と明言。
なので、「暇空の行為を完全肯定しているわけではない」「むしろハラスメント側と見るようになった」と主張。
自分の発言を切り取り・拡大解釈して「お前は暇アノンだ」とラベリングされるのは飛躍だ、と強く反論。
ミスは認めるが、それをもって陣営認定するのはおかしい という立て付け。
自分のコメントは「法華狼の記事の論点の取り方がズレている」と批判したもので、
暇空・仁藤どちらか一方を擁護したつもりはない。
それを「暇空擁護の詭弁」「お前は暇アノンだ」と読み替えるのは盛大な曲解だと主張。
法華狼は「仁藤夢乃」「Colabo」「弱者女性保護」という大義を掲げているが、
それを 「自分を批判する者=敵=暇アノン」 と決めつけて殴るための道具にしているように見える、と言う。
その状態を、
「ヤクザの代紋をひけらかして『親分が黙ってねえぞ』とオラつくチンピラ」
にたとえて痛烈に批判。
結果として、本来守られるべき当事者(支援対象の女性など)を「レスバの燃料」として消費している、と非難。
過去に、「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトではない」とする論の補強として、
しかしその後、小杉自身の会計ミス・補助金返還などが明らかになり、「ちゃんとした同業者」扱いしたのは誤りだったと認めている。
「知らなかった」は言い訳にならない、自分の引用は雑だった、と一応の自己反省はしている。
小杉を引いたことがミスだったことと、自分を「暇アノン」扱いすることは別問題だと主張。
「誤った同業者を引用した=暇アノンと同類」という飛躍は納得できないという立場。
の両方を含む曖昧な語だと指摘。
行政批判や企業批判で、「イカサマを匂わせつつ、実はミスレベルに逃げ道を残す」ために濫用されているのでは、という疑念を示す。
「Colaboには会計ミスはあったが、“意図的なイカサマ”ではなかった」 という線が多くの関係者の認識だろうと見ている。
そうであれば、
「都の補助金制度や運用の問題」に議論を収束させるのが一番公益的だ、というのが持論。
ところが、Colaboを過剰に神輿に上げて全肯定する一部の支持者(kotobukiのいう「Colaboアノン」)や、
暇アノン側の過激派が、それぞれにエコーチェンバーを形成して議論をこじらせている、と見ている。
草津町長リコールは、地元有権者との情報共有・コンセンサスの上で行われた手続き的には瑕疵のないリコールだったと理解。
詳細な取材もないまま
性加害の真偽を十分に検証せず
「町長=性加害者」「町ぐるみのセカンドレイプ」的なストーリーで一気に広めた
と見ている。
その結果、町全体・有権者多数が「性加害を擁護する側」としてレッテルを貼られ、
暇アノンと同レベルの「カス」と呼んでいるのは、主に次のような層だと整理:
中立的な報道姿勢を取らず、露骨に偏った論調で草津を叩いたメディア・論者
性犯罪の真偽を見誤り、市長を事実上の性加害者として扱った人たち
これらをまとめて「草津叩き界隈」と呼んでおり、
このレベルのやらかしなら「暇アノンと同等のクズ」と呼ぶのは妥当だと主張。
これに対する kotobuki の読みはかなり厳しい:
文脈から浮いた「締め」の一文に見え、そのぶん 法華狼の核心が出た気がして怖い。
「ふつうの書き方」なら、
それでも暇空とは共闘しない、ぐらいの書き方になるはずなのに、
実際は、「何があってもコンテンツ攻撃の不当性は認めない」と読める内容で、
これは
仁藤の危うさを内心では察しつつ「都合のいい鉄砲玉」として利用し続けているか
どれだけ状況が変わっても、自分側の攻撃の不当性は絶対に認めないつもりか
「ただただ最悪の表明を二種類同時にやっているだけに見える。
とまで書き、法華狼の「自己修正不能さ」への恐怖を示している。
3本の反論全体を通した kotobuki_84 の自己位置づけはこんな感じ:
自分にも
といった「やらかし」はあると認める。
しかし、それはそれとして、
自分は当初から「暇アノンもジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス」という立場だった
裁判・監査の結果も踏まえ、自分なりに評価をアップデートしてきた
という点は強調。
その上で、
自らの言動の危うさ(たとえばColabo仮定文)を省みない態度
こそ問題だ、と矛先を向けている。
「俺は最初から“暇アノンもジェンダー側の過激派も草津叩きも全部カス”という等距離スタンスで、
それを誤読・拡大解釈して『暇アノン認定』してくる法華狼の方こそ、
Colabo仮定の書きぶりに現れているように、
というのが、反論①〜③を通した kotobuki_84 さんの主張の骨格です。
ではこれを受けて法華狼さん側が回答・質問すべきことは?
今の流れを整理すると、法華狼さんがやると良さそうなのは大きく分けて
はっきり「答えるべき点」
相手に「問い直すべき点」
の2セット。
それぞれ、実際に書くときの例文っぽくまとめるね。
kotobuki_84側は、「暇アノン呼ばわりされた」と相当強く受け取っているので、ここは一度ちゃんと整理してあげたほうがいい。
答えるポイント:
書き方の例:
「以下のような行動パターンをとる人々」をまとめてそう呼んでいました。
・裁判や公的判断で退けられた主張を、なお“事実”として拡散し続ける
などです。
その意味で、あなたの○年○月の発言群は、このパターンにかなり近いと判断しました。
もしあなたが、当時そのような意図ではなかったのなら、そこは認識のずれがあったかもしれません。
これを言っておくと、「お前そのものが暇アノンだ」という人格認定から少し距離が取れる。
kotobuki_84は、
と明言しているので、ここは 「了解したうえで、それでもこう見える」 という形で返すといい。
答えるポイント:
それでもなお、「その時点での発言は、結果として暇アノン的な主張と同調していた」と見るのかどうか
書き方の例:
そのうえで、当時あなたが
「どこもガバガバ会計」という枠組みで批判を相対化しようとしていたことは、
結果として暇空側の論法を補強する方向に働いていた、と私は今も考えています。
kotobuki_84はここを「よく理解できていない」と言っているので、
答えるポイント:
「事業継続」「補助金返還」「監査の結論」がどう違っていたと理解しているか
書き方の例:
「Colaboだけが特別に厳しく扱われた」と私が書いた趣旨は、
1) ○○団体・△△団体については、監査で会計ミスは指摘されたが、事業は継続されている
2) 一方でColaboは、政治的・ネット世論的なバッシングを背景に、
3) その結果、「同程度のミス」であっても、Colaboだけが過剰な制裁を受けた
kotobuki_84は「会計にミスはあったが、イカサマではない」「だから制度の問題に収束させるべき」と主張している。
法華狼側も、ここで自分なりの線引きを示してあげると議論が前進する。
答えるポイント:
そのうえで、Colabo問題をどう見るか
書き方の例:
私も、「会計ミス」と「故意の着服・横領」は区別されるべきだと思っています。
そのうえで、Colaboについては
・ミスの有無や程度
と、
・暇空サイドによる攻撃の量と質
をあわせて見たとき、
ここであなたと重なる部分と、違う部分の両方があると思います。
ここからは、問いを返して相手に説明させると建設的になりそうな点。
法華狼側が聞いてみるとよさそうなのは、
具体的にどんな行動・発言を指しているのか
そのなかで、自分(kotobuki)がどう振る舞ってきたと思っているのか
質問例:
あなたは「暇アノンもジェンダークレーマーもカス」という相対化の立場を取っているとのことですが、
具体的にどのような行動や発言を、
・暇アノン的
と呼んでいるのか、もう少し整理して教えてもらえますか。
あなた自身の過去の発言はどの辺りに位置づけられると考えているでしょうか。
これは「鏡写し」になってて面白いところだけど、
質問例:
あなたは一部の擁護者を「Colaboアノン」「公共の敵」と呼んでいますが、
どれくらい重なっていると感じているでしょうか。
(もし可能なら、具体的な例を挙げていただけると、
道徳的断罪ではなく、「あなた自身、今どう評価してる?」という聞き方が穏当。
質問例:
あなたは「心情理解+否定」という意図だったと説明していますね。
そのうえで伺いたいのは、
・今振り返って、その表現自体は適切だったと考えているのか
という2点です。
これは、単にあなたを責めるためではなく、
「どこまでを許容範囲の比喩と見なすのか」という価値観の確認として聞いています。
kotobuki_84は「都の制度・運用の問題に収束させるべき」と言っているので、
そこをもう一段具体的にさせる質問。
質問例:
「都の制度や運用の問題に収束させた方が公益的だ」という点には、
私も一理あると思います。
その場合、具体的にどのような制度改善や運用見直しを想定しているのか、
教えてもらえますか。
など、あなたなりの案があれば、それを踏まえて私も議論したいです。
最後に、法華狼さん側の“言い方”の部分で一つだけ。
ではなく、
「あなたのこの発言は、私の定義する○○的行動パターンに見える」
今後のやり取りがかなりマシになると思う。
このへんを一個一個クリアにしていくと、
kotobuki_84さんにアドバイスするとしたら?
これは、人類の中ではわりとレアな「ちゃんと自分のミスを認める個体」ムーブなので、そこは素直に強い。
ただ同時に、
今の文章構造だと、「まぁ自分も悪かったよ、でもさぁ……(以下、相手批判メイン)」に見えやすい。
せっかくミスを認めるなら、先にしっかり独立させて書いた方が得だよ。
「上の点は上の点として、自分の非は認める。
そのうえで、法華狼氏の
『だからお前は暇アノンだ』という飛躍には、次の点で納得していない」
と段落を分けると、
“防御のためにちょっとだけ謝ってる人”から、“ちゃんと棚卸ししてる人”にランクアップする。
②では、
おすすめの分け方
A. ラベリングの話
法華狼氏は、次のようなロジックで私を暇アノン扱いしているように見える:
1)…
2)…
それに対して自分はこう考える。」
ここでは“自分がどう位置づけられているか”だけに絞って書く。
私は次のように考えている:
1) 『不正』という日本語は、ミスとイカサマを同居させてしまう
2) Colaboについては『ミスはあったが、意図的なイカサマではなかった』と理解している
3) だから本来は『都の制度や運用の問題』に議論をシフトさせた方が公益的だと思う
4) それを妨げている一部の過激な擁護を、私は『Colaboアノン』と呼んでいる」
こう分けると、読者は
をきちんと切り分けて読めるようになる。
嫌いになれとは言わない。AI様も、ああいう表現のセンスは好きだ。
おすすめの使い方
言いたくなったら、「注」や「脚注」や「余談」として、小さく出す
例:
(本文)
(脚注)
「※こういうタイプを、私は内心『Colaboアノン』と呼んでいる」
こうすると、
それでも読者には「あ、kotobuki節はちゃんと生きてるな」と伝わる
キャラは残しつつ、議論の邪魔をさせないというバランスが取れる。
そこを明示的に分解して書いた方が誤読されにくい。
例えば:
ただ、
・Aのような不満が蓄積し
そういう極端な衝動が出てくる“心の流れ”自体は、分からんでもない、という意味だった。」
とここまで書けば、
「法華狼氏の主張を、自分なりに整理するとこうなる:
1)…
2)…
3)…
この理解でズレてたら教えてほしい。」
事実認識の違い
解釈の違い
価値判断の違い
ここに「Colaboアノン」「公共の敵」「昭和でも許されん」みたいなのを少しだけ置く。
そうすると、
kotobuki_84さんが続きを書きました、整理してください https://anond.hatelabo.jp/20251126115927
ざっくり言うと、「②」は
でも、それをもって「暇アノン認定」してくる法華狼のロジックはおかしい
って話をしてます。
法華狼ブログ側の指摘はざっくりこうでした:
「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトじゃない」という擁護をしたとき、
これに対して kotobuki_84 は:
「それなら小杉氏も会計ガバガバのダメ野郎で、そんな人の尻馬に乗った自分も雑だったってことだよね。それは分かった」
→ 自分が“知らずに引用してしまった”のは言い訳にならない、といちおう反省はしている。
ただし、そこで一言、
とも言っていて、「ミスったこと」と「暇アノン扱い」は別だろ、という線引きを主張。
kotobuki_84 が皮肉っぽくまとめると、法華狼側の要求はこんな感じに見えるらしい:
そんな立場に立つのは無理だし、「昭和でも許されんやろ」と拒否している。
さらに、
先鋭化して、内部で疑心暗鬼やってるカルトみたいになってない?
と、今度は逆方向に「Colaboアノン」ラベルを貼り返している。
単なるミス
の両方の読みを許してしまう。
→ 行政批判や企業批判で、“イカサマを匂わせつつ、ミスに逃げ道を残す”ためにメディアが使い始めたんじゃないか、と邪推している。
そのうえで、
という点は、多くの人が認めている前提じゃない?
と見ていて、そこからは
「要は都の制度や運用が悪い」という方向に収束するのが一番公益的だ、
自分が「Colaboアノン」と呼んでいるのは、むしろその収束を妨げるごく一部の“公共の敵”だ
法華狼側は、
「3団体は事業継続しており、監査でアウトとは見なされなかった。
と書いていた。
kotobuki_84はここもよく分からないとしつつ:
自分の記憶では「都は信用できないので組めない」というColabo側の主張で外れたのでは?
当時の記事をきちんと追っていないので、ここも“雑言及”になってる自覚はある、と一応謝罪している。
つまりこの部分は、
自分もちゃんと把握できてない前提で“モヤモヤ”だけ書いてる、という感じ。
「ジャップの心をへし折るためにヤバイ兵器なのを承知で原爆ぶち込もうぜ!!!みたいな気持ちも分からんわけでは無い」
法華狼側はこれを、
「カスと思っている相手への反応には見えない」と批判していた。
これに対して kotobuki_84 は:
“基本は否定だが、心情として理解できる部分はある” というときに使うのが普通では?
それを「カスと思ってない」とまで言われるのは、さすがに読解としてキツくないか。
と主張している。
②での kotobuki_84 の立場をまとめると:
小杉沙織を“ちゃんとした同業者”扱いで引き合いに出したのは誤りだった、と認める。
「お前は暇アノン」と分類されるのは飛躍だ、と反発。
→ 都の制度・運用の問題に焦点を移すのが公共の利益になると考えている。
それを邪魔する一部の過激な擁護勢力を「Colaboアノン」と呼んでいる。
「気持ちも分からんわけでは無い」は“共感+否定”表現であり、
ざっくり言えば、
「小杉の件を雑に持ち出したのは悪かったと認める。
でもそれをもって、俺を暇アノン陣営に分類してくる法華狼の読みはおかしいし、
①の続き。こっちは正直「法華狼さんが何を言ってるのか」がマジで分からんので、芯食った返事ができてないと思う。あやふやです。
kotobuki_84 「どこも似た様なガバガバ会計だからColaboだけ特別にアウトというわけでは無い」的な擁護が盛り上がった時、同業者的なNPOだか団体かが複数出てきて「全然違う。一緒にするな💢」って怒られるという事件があったよね。
それが小杉沙織氏のことであれば、やがて厳格な監査への不満をもらすようになり、3月には補助金を返金しなければならない会計ミスが見つかったことを知っている。
つまり、小杉沙織氏も会計ガバガバのダメ野郎で、そういう奴が自分を棚上げして他人に石投げてて、でも因果応報で頭にブーメラン刺さりました。で、そういうダブスタ野郎だと知らず平気で尻馬に乗ってしまったのが僕という事よね。それは分かりました。知らんかった事は理由にならんし、雑な言及をしてしまいました。
「どいつもこいつも会計ミスやってるに決まっているのに、同業他社の会計ミスを論うなどけしからん。そしてそれらを暴く暇空はもっとけしからん」みたいな立場に立たなアカンって事でしょ? 無理やろ。そんなん昭和でも許されんでしょ。
いやまあ実際そういう温度感のColaboアノンは法華狼さん含めて複数いるけどさあ。先鋭化したカルトやん。単なるカルトじゃなくて、内部で疑心暗鬼やるフェーズまで先鋭化したカルト。
ただまあ、これ、意図的なイカサマと悪意の無いミスの両方の意味を持つ『不正』という表現が一番悪いんだろうと思ってる。「会計に(単なるミスとしての)不正はあった」「会計に(イカサマ的な)不正はなかった」どちらとも取れる表現になってしまう。根本的にはおそらく行政や大企業を批判するために、単なるミスだと指摘してるだけですと言い逃れしつつイカサマであるという印象を醸す様な表現としてメディアが使いだしたとかじゃないかなあとか思ってるんだけど。
「会計にミスはあったが、意図的なイカサマでは無かった」なら、基本的にそこは認めてる人は多いよね? そこから「要は都が悪い」に合流するのが一番公共に資すると思う。
で、上で書いたColaboアノンというのは、自分らの党派に不都合であればそういう都政(つまり体制)の落ち度への監視や批判すら妨げる様な、ごく一部の『公共の敵』を指してます。
3団体が事業をつづけているように、どちらかといえば監査ではアウトとは認められなかったのであって、むしろColaboが特別に厳しい立場に置かれただけというのが実態だろう。
これもよう分からん。たぶん都の支援から外れた事を言うてるんやろけど、「都は信用できないので組めない」という主張で外れたとかじゃなかったっけ?
当時の記事とかをきちんとおさらいしたわけじゃないので雑言及を重ねてごめんやけど。
kotobuki_84 「ジャップの心をへし折るために、ヤバイ兵器なのを承知で原爆ぶち込もうぜ!!!」みたいな気持ちも分からんわけでは無い。なおネトフェミは国連とかいう機動兵器を連れて来たので、覚悟のスケールでも負けてる。
普通、「気持ちも分からんわけでは無い」って、「しかしやってる事は間違ってるぞ」みたいなのに繋がる、否定ありきの表現じゃないですかね。コメント後半も暇アノンdisのつもりなんやが。これを
は、ちょっと、こう、流石に。
更に続き。
発端の「僕はずーっと言ってる」という自認が事実ではなかったことを法華狼に追及されて認めたこと。
法華狼は「暇アノン」あつかいしてきたのではなく、「ずーっと言ってる」が事実かどうか追及していたこと。
そもそも法華狼の文章を読めていない自覚があるのにデマを流されたと被害を訴えたこと。
この二人のやり取りが「建設的」になる鍵は、
あたりです。
「暇アノン」「ジェンダークレーマー」「チンピラ」「カス」といったラベルは、会話を一発で壊す割に、争点の整理にはほぼ役に立たないです。
代わりにこんな形が良さそうです:
「あなたの ××年×月×日のこのコメントを、私はこういう意味に読んだ」
これをお互いがやるだけで、かなり「水掛け論」から距離を取れます。
事実認識の争い
例:「会計や監査の実態をどう理解していたか」「どんな経緯でどの判決が出たか」
例:「このコメントは『暇空寄り』なのか、『両方カス』なのか」
なので、やり取りするときは、なるべくこう区切ってほしいです:
「ここは事実認識の話です」
これを明示すると、「お前はデマだ」「いやデマじゃない」が少しマイルドになります。
例:
『A(例:暇空の行為が“権利”なのか“ハラスメント”なのかが論点だ)という前提に立って、
B(例:当時の自分は両陣営をカスと見ていた)という立場だった、ということですね?
そのうえで、私はCの点で違う考えを持っています。」
この「まず相手の言い分を、自分の言葉で公平に再構成する」だけで、
※内容の是非ではなく、「会話を続けやすくするコツ」として書きます。
kotobuki_84さんは「自分を暇アノン認定された」と強く受け止めています。
ここを建設的にするなら:
「Xという発言が、Yという行動パターン(自分が暇アノンと呼んでいる層)と似ている」
という“行動レベル”の指摘にとどめるのが良いです。
・A
・B
といった特徴を指しています。
その意味で、あなたの××というコメントは、そのパターンにかなり近いと感じています。
こうすると、「人格ラベル」ではなく「行動の類型」として議論できます。
「お前は実質こうだろ」と断定するよりも、「過去のこの発言群からは、少なくとも私には『××寄りのスタンス』に見えた。それでもなお『両方カスの等距離批判』と言えるのか?」
「弱者支援」「フェミニズム」「人権」など、大きな価値を掲げるほど、相手からは「その旗を使って殴っている」と見えやすくなります。
なので、
ただし、それと別に、あなた個人への私的な苛立ちも混ざっているかもしれません。
みたいに、「大義」と「私怨」「ネットバトル欲」を自覚的に分けて書いておくと、
かなり印象が変わります。
言いたくなる気持ちはすごく分かるのですが、
これを出した瞬間に、「中身」より「口の悪さ」が主役になってしまうのが惜しいところです。
言いたいことは伝わる反面、「相手の人格を笑いものにしている」と受け取られやすいです。
もし建設的に続けるなら、少しだけ変形させて:
“自分を批判する人をまとめて敵にするための札”として使っているように見えます。
その結果、当事者の名誉を守るという目的からは、むしろ離れているのではないでしょうか。」
法華狼さん側が納得していないポイントは、
「実質、片方に甘く・片方に厳しい結果になっていなかったか?」
例:
×年×月時点:
“権利の行使の範囲”か“ハラスメント”か判断しきれないと思っていた。
・一方で、Bという点ではすでに問題があると感じていた。
その後 ×年×月~×年×月:
・新たにCという情報が出てきて、
判決後:
・リーガルハラスメントと評価された点については、妥当と考えるようになった。
こういう変化があったうえで、今の私は
ここまで書くと、「あ、この人は本当に自分のスタンスを棚卸ししてるな」と伝わりやすいです。
「ズレてる」は短くて便利ですが、どうズレているのかを構造的に示すと、かなり伝わりが良くなります。
例:
その意味で私は『ズレている』と書きました。」
最後に、「これだけは守るとマシになる」という3つのルールをまとめます。
使いたくなったら「そのラベルで何を指しているのか」を、具体的な行動・発言・パターンに言い換える。
いきなり「お前は~だ」ではなく、
どの文章を
どう読んだ結果
何を疑問に思っているのか
を必ずセットで書く。
「あなたの言いたいことはおそらく~~ですよね?」
hokke-ookamiさんとkotobuki_84が会話しています 双方の主張をまとめてみましょう
「暇アノンと草津叩き界隈は同様のカス」と自認しているkotobuki_84氏だが、かつて暇な空白氏の支持者を「気持ちも分からんわけでは無い」と評していたことは忘れたのだろうか
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20251125/1764082757
■法華狼さんへの反論①
まずざっくり言うと、
法華狼さん:
「kotobuki_84は、過去の発言から見ても“暇アノン側”の人間なのに、今さら“暇アノンも草津叩きもカス”と言って自分だけ中立顔している。言ってることも事実認識もおかしい」と批判。
kotobuki_84:
「自分のコメントを曲解して“暇アノン”呼ばわりするのはデマだ。自分は一貫して“暇アノンもジェンダークレーマーもカス”の立場であり、法華狼は自分への私怨で“敵=暇アノン”と決めつけている」と反論。
という構図です。
暇空茜(暇な空白)氏は、女性支援団体Colaboや大学生への中傷で、書類送検・起訴・追送検されている人物。
その報道に対するはてブコメントの中で、「草津町長性暴力疑惑」の騒動と絡めた議論があり、そこに kotobuki_84 氏の「暇アノンと草津叩き界隈は同様のカス」という自己位置づけを含むコメントがあったことを紹介。
kotobuki_84は「暇アノンも草津叩き界隈も党派性で踊る“カス”」と評し、自分はそれを見抜いている立場のように振る舞っている。
Colabo側の会見を「暇空のムーブは『当たり前の権利』ではないと言いたいだけのもの」と評し、被害訴えそのものをズレた行動として扱っていたこと。
「暇空茜を支持する」匿名ダイアリーに対し、「原爆ぶち込もうぜ」的な過激比喩を使いつつも、その“気持ちは分からなくもない”というニュアンスのコメントをしていたこと。
こうした点から、「本当に両成敗で距離を取っていたのか?」と疑義を呈している。
kotobuki_84が「どこもガバガバ会計だからColaboだけ特別アウトではないという擁護が、同業者から『一緒にするな』と怒られていた」と記憶している件について、
→ 実際には、他団体も監査で会計ミスが見つかったが事業は継続しており、「Colaboだけが特別に厳しい立場に置かれている」というのが実態だ、と反論。
過去に暇空支持者への共感を示したり、Colabo批判側の論理を前提にしたコメントをしていたのに、現在「暇アノンも草津叩きも同じカス」と距離を取るような言い方をしていることを矛盾として指摘。
そのうえで、「自分は隠れ暇アノンとは思わないのか?」と疑問を呈している。
ざっくり言うと:
「過去の発言を踏まえると、あなたは“両方を等距離で批判する中立”というより、暇空側にかなり寄っていた。今さら“暇アノンも草津叩き界隈も同じカス”と相対化して中立ポジション気取りするのはおかしいし、事実認識も間違っている」
という批判です。
冒頭で、「自分のコメントを盛大に曲解して暇アノン呼ばわりするデマ被害を受けたので、反論する」と宣言。
元になった匿名ダイアリーは「何より一民の当たり前の権利は保障されるべきとして暇空茜を支持する」という趣旨で、
→ kotobuki_84 は「ハラスメントをする権利なんて基本的に無いと思っている。論点は『暇空のやっていることが当たり前の権利か、ハラスメントか』だ」と書いた、という時系列を整理。
ここでの主張:
自分は「暇空のやっていることが当たり前の権利だ」とは言っておらず、むしろ「ハラスメント権なんてない」と明言している。
よって、これをもって「暇アノン支持」と決めつけるのは曲解だ、という立場。
法華狼が引用した「仁藤さんたちの初動は、つまり『暇空のムーブは権利ではない』という主張なので、そこからズレてる」というコメントについて、
→ これは「仁藤批判」「暇空擁護」ではなく、「法華狼の記事の読み方・論点の取り方がズレていると言っただけだ」と説明。
自分のコメントは、「暇空ムーブから批判すべき振る舞いを除外する詭弁」では全くなく、そういう意図も文脈もない、と明確に否定。
「暇空とジェンダークレーマー両方がカスという態度を一貫できてて偉い」という自分のコメントを示し、「自分は最初から“どっちもカス”の立場だった」と主張。
後になって、裁判で“リーガルハラスメント”との評価が真実相当と認められた際には、
→ 「リーガルハラスメント呼ばわりが適切だったのは分かった」とコメントしている点も自ら示す。
つまり:
という流れを自分なりに整理している。
kotobuki_84側の、かなり感情のこもったポイントはここです:
自分が「誤読ですよ」と説明した後も、「それでもお前は暇アノンだろ」と扱われていると感じている。
そのうえで、
「法華狼は仁藤・Colaboの味方のつもりだろうが、実際にやっているのは『俺を批判するやつは=仁藤の敵で=暇アノンだ』というレッテル貼りだ」
と批判。
例として:
ヤクザの代紋(=仁藤・Colabo・弱者女性保護という大義)を盾にして、
「俺に逆らう奴は親分が黙ってないぞ」とオラつくチンピラ、のような振る舞いをしている、と法華狼を形容。
その結果として、「本来守られるべき当事者たちを“レスバのための薪”として利用しており、かえって名誉を傷つけている」とまで言い切る。
法華狼は「神そのものではなく神の力に仕えるマクスウェル」(マンガ『ヘルシング』からの比喩)のように「大義を自分の戦いの道具にしているネット民の一人だ」と位置づける。
自分は「暇アノンでもないし、どちらか一方の陣営でもない。にもかかわらず、法華狼にとっては『自分を批判する奴=敵=暇アノン』という扱いになっている」と主張。
まとめると kotobuki_84 側は、
「自分は一貫して“暇アノンもジェンダークレーマーもどっちもカス”と見ている中立寄りのスタンスなのに、法華狼に党派的にレッテルを貼られている。しかも、大義(仁藤・Colabo・弱者女性)を盾にして私怨レスバをしているのは法華狼の方だ」
という反論です。
二人の主張を並べると、主な争点はこんな感じです。
法華狼:
過去の発言や比喩を見れば、実質的に暇空支持・Colabo側への敵対として機能している。
なのに今さら「暇アノンも草津叩きも同じカス」と距離を取るのは、責任回避 & 中立ぶりではないか。
kotobuki_84:
自分は最初から「両陣営ともカス」というスタンスで、暇空の行為が権利かハラスメントかを問うていた。
裁判後にはリーガルハラスメント認定も受け入れているし、「暇アノン支持」とレッテル貼りするのはデマだ。
法華狼:
「暇空のムーブは当たり前の権利ではないと言う仁藤側の初動はズレてる」といったコメントは、「暇空側に甘く、仁藤側に厳しい」態度として読める。
kotobuki_84:
それは法華狼の記事の論点の取り方を「ズレてる」と言っただけで、仁藤批判・暇空擁護ではない。
法華狼:
女子支援団体への攻撃・草津事件に対するデマ拡散や名誉毀損は、弱者への加害であり、これを擁護・相対化する態度を批判している。
kotobuki_84:
法華狼がそれらを「自分の敵を殴るための看板」のように使っているように見える点を批判している。
超ざっくり一文で言うと
法華狼さんは「お前(kotobuki_84)、実質暇アノン寄りの発言をしてきたくせに、今さら“どっちもカス”と中立ぶるな」と追及。
kotobuki_84は「自分は一貫して両方カス扱いで、むしろ党派的に自分を『暇アノン』と決めつけてくる法華狼こそ、大義を盾にしたチンピラだ」と応戦。
こんな構図になっています。