はてなキーワード: 地鶏とは
だが週末、熊本でなにかあるのか知らんがホテル満室で追い出されたので旅に出る。(泊まれるが法外に高い)
どっちがいいかChatGPTに聞いたら「どっちもいいよ!」みたいなふざけた回答しやがった。
おまえはいつもそうだよ。二択で質問してるのに玉虫色の回答で責任を回避しようとしやがる。
どっちか選べと指示したら「鹿児島」だと答えたので鹿児島に決定、はい責任はChatGPTな。
途中吉野家で朝食をとる。「牛すき鍋定食肉二倍盛り」。朝なのでビールは無し。バス旅でおしっこ危険。
俺は吉野家では「並牛」「牛鮭定食」「牛すき鍋定食肉二倍盛り」しか頼まない。
人生初吉野家から40年間これを貫いている。あと吉野家以外の牛丼屋はパチモノでありクソである。
キン肉マン問題や嫌なら食うな問題などどうでも良い。牛丼は吉野家である。異論は認めない。
吉野家下通店のドアは手動である、なぜ自動ドアにしないのか謎。理解不能。これだけは吉野家を許せない。
熊本の大衆は育ちが悪く品性が低めなので開けたドアを閉めない。ドアをきっちり閉めたら負けだと思っている。
熊本にはそこらじゅうに「あとぜき」の張り紙がある。熊本弁で「開けた扉を閉めろ」という意味だが、
そんな張り紙をあちこちで見かけるほど奴らはことごとく閉めない。
まして吉野家の手動ドアなど完全に閉まることはまずない。閉めろと念入りに張り紙はしているが誰も閉めない。
徒歩、桜町バスターミナルに着くと20分後出発の便がある、鹿児島行きバス路線があるのは知っているが時刻表までは調べていない。
チケットを購入。
旅慣れている俺はファミマで颯爽とお茶とチョコとワッフルを購入。
バスに乗る。
熊本のバスはクソ遅い。市内慢性的渋滞なのに市内から高速道路までのアクセス道路が無い。首都高的な、バイパス的な道路がなく
桜町バスターミナルから熊本ICにたどり着くだけで一時間かかる。新幹線ならもう鹿児島に着いている。
だがバスなら4200円で鹿児島まで行ける、新幹線だと7700円
バス一択である、金は無いが時間はたっぷりある。そもそも急ぎの旅ではない。バスの車窓も含め旅なのだ。
それにしても遅い、市内でいちいちバス停に止まり乗客を乗せる。高速バスなのにぜんぜん高速じゃない。
ようやく高速道路に入り山中をひたすら走り、無駄に鹿児島空港に立ち寄り、3時間半で鹿児島中央駅に到着。14時くらいだったと記憶している。
鹿児島は20年ぶり。今の駅ビルに建て替わる直前の鹿児島中央駅(当時西鹿児島駅)にしか来たことがなく現在の立派な駅ビルには薩摩藩の貫禄を感じた。観覧車もあるし。
駅前をふらついていると市内観光循環バスを見つけた。230円でぐるっと一周できる。80分乗って230円。どう考えてもお得。乗るしか無い。これで主要観光地全部行ったことになる。
乗ってから数分で気付いたが、そういえばこれ20年前も乗ったわ。見覚えあるわ。行動パターンが20年変わってない俺。
西郷どんの洞窟ショボっとか思いつつ、20年前も見たわ、みたいな。
俺は日本全国、世界各地行っているのでたいていのモノは初見でも感動も無いが、二度見であるからさらに新鮮みもまったくない。
16時。アホらしくなり途中天文館で降り(ほぼ一周してる)、銀だこで腹ごしらえ。
安定の銀だこ、どこで食ってもハズレはない。
鹿児島に来たからと言うて嬉しそうに黒豚だの地鶏など食わない。どうせまずい。よくて値段相応
高度に資本主義が発展し、かつ食品の保存、輸送が極限まで進化した我が国。
朝に豊洲で仕入れた魚が午後には那覇空港に到着し空港の中の寿司屋で提供されるのだ。
美味い魚や肉や野菜は大資本が狩り尽くし、一般市場にはそのお溢れしか回ってこない。
地元だから新鮮で高品質で安い、なんて幻想にすぎない。もうそんな時代ではない。
美味いもの食いたきゃ金を出さなければならないし、品質は都会も田舎も変わらない。
ハイボールとたこ焼き、最高であり、庶民の幸福であり、食いながら宿を探す。
宿は取っていない、取れなきゃ満喫でもいいのだ。この時間になるとホテルは空室よりもマシと捨て値で部屋を売り出す。
案の定、東横イン7000円を見つける。予約し銀だこお会計しチェックインに向かう。徒歩5分
ちなみに銀だこのスタッフはみな可愛かった。鹿児島は女子のレベルが高いように思う。熊本には悪いが熊本はアレだ。
熊本は男は扉を閉めない、女はヘチャ。ではいいとこ無しのようだが、俺は熊本が大好きだ。なんなら引っ越ししてもいいと思っている。
息子が友達と離れたくないと拒絶したので断念したが、でもキミクラスで浮いててボッチって嘆いてなかったっけ?まぁいい。
ともかくホテルにチェックイン、暇つぶしにテレビを見る、スマートテレビはネトフリにも対応、颯爽とログインして「斉木楠雄のΨ難」の続きを観る。鹿児島まで来てなにやってんだと思うだろうが、いいのだ。こういうのでいいのだ。
21時。小腹が空いた。週末の鹿児島の繁華街、どんなものかパトロールに出発。
グッと来る店がまったくない、Bar、キャバクラ、居酒屋、なんでもいいから1軒くらいと思ったが、無い。
仕方がないので客がそこそこ入ってるラーメン屋に入ったが、ぜんぜん美味くない。な?だろ?
ホテルに戻り寝る。
朝、さてどこに行くか、ノープラン。アホらしいので即戻りでもいい気がしてきたが、せっかくだし、桜島に行く。
フェリーに乗る。チケットは無く桜島の下船時に支払うという合理的オペレーションはグッドである。そして安い。250円だったか。
金額を確かめようと念の為にググったら検索要約に130円と出てきた。どっからそんな値段が出てきたのか。これだからAIは。
古い値段なのか、小児運賃を誤判定しているのか、意味わからん。
それにしても桜島は偽物である。おまえ島を名乗っているが島じゃねぇじゃん、繋がってんじゃん、現状ただの半島であり錦江湾のノドチンコである。桜半島に改名しなさい。島じゃないんだから。
無論、ただの地名であるという言い訳もありましょう、例えば島原は島でも無いし原っぱでも無い、島が付く地名などゴマンとあり、地名と実態は別物であり、安田さんが安いわけでも田んぼなわけでもない、それらの一種であるという言い訳だろうが、俺は許さない。
とか思いながら桜半島を眺めていると船は出発した。デッキではアホみたいにうどんを食うてるアホがいる。クソ高いのに美味いわけが無い。
テレビでタレントがうまいうまいと言うてるのを見て自分も食いたくなったのだろう、美味いわけが無い。
船は15分で到着。元船乗りの俺としてはこの手のフェリーの操舵技術には感服する。
自動車のCMなどでキツキツ駐車スペースにスピンで滑りながらピタリと止める、みたいな演出あるじゃん。
ともかく桜半島に到着。
降りる、250円払う。Suicaで払おうとしたが使用する人はほとんどいないのだろう、都度タッチ端末を起動しているのか知らんが応答がすこぶる遅い。
なんぞ?
なんか人がたくさん走ってきた。マラソン大会してやがる。うっざ、さっきのはスタートの合図
この手の観光地にはたいていレンタル自転車があるもので、案の定あったので借りに行ったら今日はマラソンだからダメだと。ふぁっく
わざわざ活火山の真下でマラソン大会やってんの。3000人集まってんの、アホかと。
徒歩で海岸沿いに向かう
ビジターセンターなる観光施設があったので入る、土産屋があり溶岩石が売っていた。300円。
マイクラにハマってる息子が最近やたらと溶岩溶岩とうるさいので買っていこうと思ったが、
ここってそこらの石全部溶岩じゃねぇの?
海岸沿いに恐らくかつて溶岩だったのではなかろうか的な石ころを拾ってカバンに詰めた。300円儲かった。
なぁに子供にはわかるまい。ただの石でもいいのだ。
かつこの行為が厳密には法律違反ではなかろうとかいう懸念もあるが、俺の中では違法性は阻却されると判断している。
鹿児島に戻る。
ちなみに船の出発ジングルが長渕剛であった。俺は長渕が嫌いである。
人格、品格というのはその人がアイデンティティ確立において誰もが何かしら持つ劣等感をどのように消化するか、が大きく作用する。
彼は音楽に関しては天才である。体系的音楽教育を受けずギター一本で多くの人の記憶に残る名曲を生み出してきた才能は凄いのであり、俺も若い頃、まだ自分でピアノを弾いていた頃には彼の曲をいくつか弾いた。コード進行はシンプルであり、奇抜な音楽要素を取り入れるわけではなく、しかし優しく強いメロディーは誰の頭にも残る。
が、彼は自己プロデュース能力やタレント性、カリスマを宗教にしてしまった。
アホを信者に搾取することは悪いことではない。宗教屋はみなやってる、それで救われるやつもいる。
が、彼は劣等感の克服を歪んだ形で完結させ、歪な宗教に昇華させた。俺はそれを嫌悪するのだ。
ワンテイクというYoutubeのチャンネルにも出ているが、説法がながぇのよ、普通のアーティストは「行きます」程度の一言で演奏開始するのだが、彼は人生口上を長々と30分近く喋ってから演奏に入る。うぜぇぇぇぇ、のであり、嫌いだ。
さて、俺は帰りのフェリーの甲板で涼んでいた。外気温19度、日差しもあり普通に暑い。散々歩かされたので汗ばんでいる。
が、近くに高校生の修学旅行のグループ行動らしき集団がいて、「さーむーい」「マジありえなーい」みたいな私弱いアピールして女子の真横でTシャツであり、俺がおかしいのか、JKがブっているのか、みたいな絵面であり、俺はJKたちに笑われていた。
鹿児島中央駅まで戻り指宿まで行く、まだ時間はある、片道1時間ちょい。指宿で降りずにそのまま乗り続けるとJR路線最西端の西大山駅まで行けるらしく、かなり魅惑的であり、てかそのまま枕崎まで行きたいが、アホではないので帰りをシミュレーションすると無理ゲーであることがわかり諦めて指宿で降りる。
というか、鹿児島県は上白石萌音様を生み育てた聖域であり、指宿はかの大漫画家川原泉先生を生み出した伝説の地である。
堪能せねばならない。
指宿駅前に食堂だか居酒屋だか料理屋みたいなのがあり、2500円の定食を食う。きっと川原泉先生もここで飯を食われたに違いないと考えると美味さは倍増する。実際美味かった。だが、どうやらその日は指宿で全国かつお祭りとやらが開催されているようで(店にポスターが貼ってた)、車で10分ほどの会場でなんかやってるらしい。13時半なのでまだ間に合う。俺が計画的に行動し、事前リサーチしていれば間違いなくそれをターゲットにしていただろう、カツオは俺の好きな魚ランキング10位内には入るほど好きだ。残念
地ビールがあったので飲む、美味い、おかわりしてしまった。これが間違いだと気づくのは30分後である。
14時半、帰路、鉄路かバスか。どちらもアリのようだ。来るときJRだったので時間かかるが景色の良さそうなバスもよかろうとバスで帰ることにした。ちなみにJRはクソであり、せっかく海岸沿いを走っているのに藪で景観が台無しである。
JRが軌道外の雑草を放置しているため車窓は最悪のコンディション。
言い訳をすると乗車直前にトイレには行ってる、アホでは無いのだ。
あと1時間ちょい我慢は「むり」との決断を下し、途中「観音崎展望所」バス停で途中下車。
道の駅だからトイレくらいあるだろう、あった、おしっこした。セーフ。間に合った。次のバスを検索すると絶望しか無かった。2時間後。
最寄り駅まで徒歩20分。20分くらいは歩くが、列車が来るのは1時間後。ふぁっく。ド田舎死ね。
結局小一時間海岸で桜半島を眺めながら佇むことになった。気候が良いのが救い、桜半島はきれいだった。
ようやく時間が来たので生見駅から列車に乗る。「ぬくみ」と読むらしい、勉強になった、残り人生で活かせる機会は無いだろうが。
生見駅での乗客は俺一人だが、枕崎や指宿から乗ってきたのであろう観光客で空席ゼロ。外人だらけ。
ちなみに生見駅の側には「この付近で大便した奴はぶっ殺す 家主」的な看板があちこちにありどんな治安だよと思った。
本来の目論見では鹿児島中央から4400円でバスで熊本まで戻る予定だったが、この時間だともはや新幹線ワープしかない。
指宿在来線から新幹線に乗り換えようとしたのだが、改札内に新幹線切符売り場は無いらしい、一度改札を出てから買い直しだとか。
都会育ちの俺は新幹線とは5分に一本走っているものという常識がありそのような感覚だったが、時刻表を見ると絶望しかなかった
はぁぁぁぁぁ?
よんじゅうよんぷん?待ち?なんで接続列車にしないの?その前が3分間隔出発で次が44分の空白ってなんなの?
なんでばらけないの?アホなの?
が、良い、許す。俺はちょっと機嫌が良い。
実は指宿からの帰路に衝撃的な出会いがあった。途中でJK3人組が乗ってきたのだが、その一人が俺の初恋の人にそっくりだったのだ。
瓜二つというて良い、とはいえ初恋の人に最後に合ったのは35年前なので記憶が定かではなく写真も持っていないので相当補正がかかっているかもしれんが、顔立ち、スタイル、雰囲気がそっくりだった。俺が余命一ヶ月とかならアレでソレしてしまったかもしれない。だが俺はあと50年生きる予定なのでそんな事で刑務所には入りたくない。
コーヒーを飲む。そういえば出張に電動鼻毛カッターを持ってくるのを忘れた(バックのどこを探してもない、入れたはずなのに)ので隣のヨドバシで買うか思案、だが、よくよく考えてみると鼻毛カッターを使うのは1週間から10日に一度である。
出張はあと2週間だから使っても1回、もしくはせいぜい2回であり、自宅に戻れば前のがある、別にそれで困ってない。
パナソニック製で10年前に購入したものだが、電池式なのでバッテリーヘタリもない。そもそも毎日使うものでもない。
そしてこの歳で新しい電動鼻毛カッターを購入したとしてあと何回使うだろうか。鼻毛がどうでもよくなるのが80歳くらいだとして、週一使うとして残りざっと1400回である。
あ、けっこうあるな、新しいの買ってもいいかな、人生最後の電動鼻毛カッター、いやいやいや、今のやつで人生最後まで走り切れるのでは。
とか考えてたら30分が過ぎ、ホームに向かう、新幹線ホームに喫煙所があると思いきやなかった。大都会熊本駅にはあるんだけどね。
新幹線発車。
車内アナウンスで「座席に荷物置くな」と言うているのにお隣の中年女性はガン無視。
俺は三列シートの真ん中にふんぞり返って座っている。なぁに乗車率3割も無い。
ちなみに三列シートは真ん中だけちょっと幅が広いのだ。
18分のインターバルがあるのでのんびり新幹線ホームの喫煙ルームでタバコを吸う。
吸い終わり、ん?豊肥本線ってこの時間そんなに間引き運転だったっけ。調べると
18:43発があった。余裕で乗り換え間に合うじゃん。ジョルダンふぁっく
なんやかやホテル到着、急いで帰ったのは理由がある、荷物が届く。
スーツケースを宅配便で送っている。ホテルというかウィクリーが預かってくれないので近所のコンビニから Permalink | 記事への反応(0) | 16:52
「大正時代」と「現代(2020年代)」の**肉の消費状況**を比較できる表をまとめてみました。
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| 指標 | 大正時代(1912〜1926年) | 現代(2020年代 日本) |
| ---------------- | ------------------------------------------------- | ---------------------------------------- |
| **年間一人あたり牛肉消費量** | 約0.5 kg(大正15年時点、明治初期はほぼゼロ) | 約10 kg(農林水産省統計、2020年代) |
| **年間一人あたり豚肉消費量** | 数百 g程度(とんかつ等が普及し始めた段階) | 約13 kg |
| **年間一人あたり鶏肉消費量** | ほぼ嗜好品レベル(地鶏や軍鶏中心) | 約20 kg(肉類で最多) |
| **肉類総消費量(全体)** | 数kg前後(主に牛・豚・鶏を合わせて) | 約45 kg(牛・豚・鶏の合計、2020年代平均) |
| **食事に占める比率** | 主食は米+魚介類が中心、動物性たんぱく質はごく少量(1910年代から1920年代で+4%程度増加) | 動物性たんぱく質が大きな割合を占める。肉は魚介類を上回る(1960年代以降逆転) |
| **主なイメージ料理** | 牛鍋(すき焼き)、とんかつの流行期、カレーライスに牛肉 | 焼肉、ハンバーグ、唐揚げ、トンカツ、牛丼など日常食 |
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丸亀丼と申すか。愚にもつかぬ名だ。だが、その実、侮れぬ逸品と見た。
まず、丼という簡素な器に盛られているからとて、安易な料理と侮ることなかれ。料理の真髄は、素材の吟味、調理の妙、そして食す者の心構え、この三位一体によって初めて極まるもの。丸亀丼とて、その例外ではない。
第一に、米だ。丼飯の根幹を成す米の質こそ、料理全体の品格を左右すると言っても過言ではない。白く輝き、一粒一粒がしっかりと主張する、粒立ちの良い米でなければならない。炊き加減も重要だ。硬すぎず、柔らかすぎず、口に含んだ時にほどけるような、絶妙な炊き加減が求められる。もし、べちゃっとした米や、芯の残ったような米を使っているようでは、その時点でこの丼は失格だと言わざるを得ん。米農家の魂、そして炊き手の技が、この一粒一粒に凝縮されていなければ、真の旨さは引き出せないのだ。
次に、主役となる鶏肉だ。単に安い鶏肉を使えば良いというものではない。肉質はきめ細かく、適度な弾力があり、そして何よりも鶏本来の旨味をしっかりと持ったものを選ばねばならん。ブロイラーであれば、飼育環境や飼料にまで気を配られたものを選ぶべきだ。地鶏であれば、その土地の風土が育んだ独特の風味を最大限に活かす必要がある。切り方一つにしても、漫然と切るのではなく、火の通りやすさ、口に入れた時の食感を考慮し、繊維を断つように丁寧に 切るのが鉄則だ。
そして、この鶏肉を煮る出汁。これがまた、丸亀丼の命綱と言えるだろう。単なる醤油と味醂の甘辛い出汁では、深みも奥行きも生まれない。良質な昆布、香り高い鰹節、そして滋味深い椎茸など、それぞれの素材が持つ旨味を最大限に引き出し、絶妙なバランスで調和させることが肝要だ。煮詰める時間、火加減、ほんのわずかな塩梅の違いが、全体の味わいを大きく左右する。熟練の職人の技と、長年の経験によって培われた勘が、この出汁には不可欠なのだ。安易な調味料に頼るなど、もってのほか。素材本来の力を引き出すことこそ、料理人の腕の見せ所と言えよう。
さらに、丼つゆがご飯と鶏肉に染み渡る塩梅も重要だ。多すぎればご飯がべちゃつき、少なすぎれば味が単調になる。丼の底のご飯粒まで、ほんのりと色づき、一口食べれば鶏肉の旨味と出汁の風味が口いっぱいに広がる、そんな理想的な状態を目指さねばならない。これは、盛り付けの際のと、丼の形状、ご飯の量、鶏肉の量、そしてつゆの量の絶妙なバランスによって実現されるものだ。
そして、忘れてはならないのが、薬味の存在だ。刻みネギの清涼感、三つ葉の香りが、濃厚な鶏肉の旨味を引き立て、全体に爽やかなアクセントを加える。七味唐辛子を振りかければ、ピリッとした刺激が食欲をさらに掻き立てるだろう。これらの薬味は、単なる飾りではない。計算された上で添えられた、味 を高めるための重要な要素なのだ。
食す者の心構えもまた重要だと言ったな。せかせかと掻き込むように食べるのは、この丸亀丼に対する冒涜以外の何物でもない。まず、丼全体の美しい盛り付け。立ち上る香りを深く吸い込み、食欲を高める。そして、箸をゆっくりと運び、鶏肉とご飯を一緒に口に含む。鶏肉の柔らかな食感、噛むほどに溢れ出す旨味、そして出汁の染み込んだご飯の甘みが、口の中で渾然一体となり、至福のハーモニーを奏でるはずだ。
一口、また一口と、ゆっくりと味わいながら食べることで、それぞれの素材の持つ個性、そしてそれらが織りなす複雑な味わいを深く理解することができる。途中で薬味を加えれば、味の変化を楽しむこともできるだろう。丼一杯の中に込められた、作り手の想い、素材の力、そして自然の恵みに感謝しながら、じっくりと味わうことこそ、この丸亀丼を真に味わうということなのだ。
もし、貴様がこれまで、単なる空腹を満たすためだけに、この丸亀丼を掻き込んでいたとしたら、それはあまりにもったいないことだ。今一度、丼に向き合い、その奥深さを探求してみるが良い。きっと、これまで気づかなかった新たな発見があるはずだ。
この丸亀丼には、 奥深い魅力が秘められている。それは、食す者への思いやりが凝縮された、まさに芸術と言えるだろう。わし、海原雄山が、丸亀丼の真の価値を認めてやろう。
だが、忘れるな。これはあくまで、わしが味わった丸亀丼に対する評価だ。明日、同じ店で同じ丼を食べたとしても、素材の状態、調理の具合、そしてわしの体調一つで、その評価は料理とは、それほどまでに繊細で、奥深いものなのだ。
ゆえに、貴様もまた、真の美食とは、自身で見つけ出し、 自身でするものなのだからな。
さあ、このわしの言葉を胸に刻み、今一度、丸亀丼と真剣に向き合ってみるが良い。きっと、これまでとは違う、新たな感動が貴様を。
外国産か朝締めの地鶏かどうかもわからないレベル、冷蔵庫に長期間入れられてたのとそうじゃないのが区別つかないレベルは、
食べるのに興味がある(価値を置いてる)とか興味ない(価値を置いてない)とかの話ではないですね
単純な食育の失敗だと思う。だからこそチェーン店に行く、スーパーのお惣菜食べれるんでしょうけどね
(JAのファーマーズマーケットや道の駅は地元の野菜やブランド肉使ったメニュー出してるのでそういうのは除く)
地鶏って書いてるのに地鶏じゃなかったら、単純に食品偽装だからじゃない?
そらフレンチとか寿司とかエグゼクティブなものに限ればその限りではないが
外食に主に使われる高級食材が有り余ってても???|2020-07-03
定食1300-2200程度する店でも外国産の肉とスーパーの野菜
外食産業がお休みだから高級食材が消費されないなんて本当なのかな
酒なしで4000円~する店とそこに行く客なんて県内でいったい何人いるんだ
そんなので売り上げが違うものなんだろうか
↓
セントラルキッチンのチェーン店と地価のやたらめったら高い&地産してない東京だけやで
セントラルキッチンじゃない店なら
山へ行ったり海へ行く
が有るけど、あれって男は結構好きだけど女はあまり行きたがらないよな。
男は学生時代も就職してからも行かざるを得なくて行くことが有った。
その内に慣れると一人でも行くことが有った。
暫く行かなくなって、或る時ふとそんなお店を見つけて、
初めての店でもなんか懐かしい雰囲気だなー、食べてみたいなーとなる。
ところが女ときたら、学生時代は勿論社会人になってからもお洒落な何とかばっかり狙ってるから、
俺(達)なんかが気に入ってる全てを否定するんだよな。
「たまには街中華喰いに行きたい」
「やだ、あんな家でも食べられるようなもん、なんで態々食べに行かなきゃいけないの?」
大体こんな感じになる。
おいおいあの味は家では出せないんだよ。
あの野菜炒めとか、レバニラとか、中華丼とか、昭和風のラーメンとか、同じようには行かないんだよ。
女共は丼物とか食べる習慣が無かったからかもしれないけど、分かってもらえないかねー。
特別なラーメンを提供するラーメン専門店とか、特別な地鶏や卵を使った親子丼とか、
そういうのは賛同してくれるけど、それから一歩外れるともうダメなんだよな。
せいぜい市場食堂とかで「映゛える」奴じゃないとダメなんだよな。
昭和風食堂のハムエッグ、若しくは目玉焼き+ソーセージ付きの定食なんか絶対食べたいなんて言わないよな。
【追記】
若い頃はそれほど情報が無くて、ふらっと入って大失敗だったり、大当たりだったりがあった。
今は、結構情報が入ってくるからというか調べられるから、一番最近で行けた街中華は外れでは無かった。
ツイッターか5ちゃんねるかのちがいだけでまぁ言ってる人は言ってるってだけ
女は男よりネットに疎い人多いから5ちゃんねるとかいう世間一般の女性たちから見たらよくわからんサイトじゃなくて知識がなくてもカキコミしやすいツイッターに書き込むことになるんや
あと喪女たちのなかには告白されたけど振った自慢大会もあるんや。告白されて嬉しかったけど断った!とは言わずに、相手からこんな必死な告白されてこんなガチ恋されてカワイイ美人って相手から思われてたんだけどきもかったから振った笑
みたいなのを喪女は話したがるんや。元喪女だからその気持ちわかるしわいの周りもそんな喪女が多かったんや
自分はモテモテで周りから美人と思われててガチ恋する人もいて(実際はモテてないし作り話の可能性も高い)選ぶ側で振る余裕もあるって周りの女子にアピールしたいんや
ただのマウントや。そのぬいペニの話もマウントの材料として使ってるんや。
だけど中の上以上モテる女は男から告られるのに飽き飽きしてるしなんの自慢にもならんからガチで嫌がる子が多いんや。
だから女の言うぬいペニには2つあって本当に嫌だったパターン(モテてる人のパターン)とモテて嬉しかったけどソレは表に出さずマウントの道具にしてこれからも複数の男たちからチヤホヤされたいから複数の男と親友のように仲良くはするが付き合いはしないっていうオタサーの姫パターンがあるだけや。
ネットの地鶏とか見てもわかると思うけど若い女はブスも可愛い子も承認欲求モンスターなんや。
だから気持ち悪いもオタサーの姫が適当に言ってるかモテて困ってる人が本気で言ってるだけ
ブス男でもチヤホヤされるパターンはあるけど(実際わたしの学校ではイケメンを差し置いてメンヘラコミュ障低身長デブスが何故か1番モテてた)男は承認欲求モンスター率低いから友達以上恋人未満みたいなの複数作って囲われて振るみたいなのはしないでとっとと本カノ作るんや
長くなったけど男女微妙に違うところはそりゃあるけどいちいち気にすることないしたぶんその親友だと思ってた相手ただのオタサーの姫
ザクロは一粒一粒に種が入っているので食うのがめちゃくちゃ面倒なのだ
一粒取って、口先のあたりで指で実を潰して液を飲んで、種を出すみたいなのを100粒連続でするのが嫌だからだ
ただ例年は木に二、三玉なれば多い方なのだけど、今年は10玉以上なっていて、何ならいまだ小さい玉が増え続けている
さすがに放っておくのはもったいないかと気まぐれに一玉とって、ジュースにした
厚い皮を剥いて、ボールに一粒一粒とる
赤い粒に付着した白い皮をなるべとり、水に浸して浮いてきた皮やカスを取り除き、ざるで水を流す
すり鉢に水気を切ったザクロの粒を入れてすりこぎでつぶし、小さな粒の中の果汁をもれなく押し出していく
最後はざるで濾して、ようやく小さな湯呑一杯分くらいのピンクの液体となった
風呂上がりに冷やしておいたザクロジュースを飲むと、これがまあ美味かった
ザクロ特有の香りなどを感じるわけではないが、あまりにもすっきりとしたのみ心地で、風呂上りにぴったりだった
母にジュースにしてみたら美味かったよというと、母は5玉ほどを一生懸命剥いて、ミキサーで種とジュースに分離し、少し砂糖を入れて煮ていた
正直美味しくはあったのだが、ザクロ液自体に香りやコクなど強い個性があるわけではないので、清涼飲料水を固めたみたいな味のゼリーになってしまっていた
「ゼリーにするには砂糖を入れないと甘さが足りないと思うが、そのせいでザクロのスッキリとした持ち味が失われている」というのが私の感想で、母も苦労して作った割には個性のない味だと同意していた
余りにも料理するには手の込む食材だと難儀していたのだが、ネットで鶏肉ザクロ煮というアルメニア料理があると知り、作ってみた
簡単に言うと、皮付きの鳥のもも肉を塩コショウよく焼いて、鶏油を取り出し、その鶏油で玉ねぎとクミンを炒め、そこに鶏肉を戻して、ザクロの実と白ワインをくわえて煮込むというもの
仕上げに生のディルとパクチーをちぎってのせて、生のザクロの実をひとまみかけて完成
味付けは塩コショウとクミンだけというシンプルさながら出来上がったソースは絶品だった
甘酸っぱいカレーソースと言ってしまえばそれまでだが、口当たりがよく、何口でも食べたくなる
クミンの複雑な香りがあり、鶏油のコクがあり、それでいてザクロのスッキリとした風味がクセをなくしている
バターチキンカレーからバターも唐辛子もトマトもニンニクもショウガもヨーグルトも抜いているようなレシピなのに、「このソースってバターチキンカレーの味に負けてなくないか?」と思った
何なら辛みもないのでより口に運びやすい
甘みも酸味もちょうどいいのでご飯にかけても不自然さはなく美味い
生のディルとパクチーの青臭い香りが薬味として機能しているのは、料理自体に甘さがあり、スパイスをクミンしか使っていないから生のふたつのハーブの香りを足しても香りが複雑になり過ぎないからだろう
ゲテモノかなと思って調理したが、材料選択に無駄のないレシピの完成度を感じる結果となった
煮込めば中の種も柔らかくなり、種の苦みがスパイスのように感じさえするとレシピでは紹介されていたが、アルメニアとはザクロの種類が違うからか、火の加減を間違えたからか、ザクロの種は食すのに邪魔になるくらいの硬さになってしまった
これは次回はザクロの粒を絞ってジュースにしてから料理に使うことで改善できると思う
硬くて味の濃い地鶏より柔らかいブロイラーの方がたぶん美味くなると思った
三点目の失敗は鶏肉を煮る際にあまり煮汁に浸っていなかった点だ
これは火加減の間違いともかかわるかもしれないが、ソースの味があまり鶏肉自体には染み入っていなかった
煮込む際に鶏肉が鍋の下の方に行くように調整すべきだったし、その方が鶏肉自体も柔らかくなっただろう
今回は一枚肉をそのまま使ったが、一口大にした方が火も味も入りやすいかもしれない