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はてなキーワード: 商業主義とは

2026-05-02

anond:20260502030934

大衆向けにして商業主義なのにアニメーター軒並み貧乏なのが笑う

2026-04-27

[]ギャルを語ることの空疎

若さ依存文化呪縛

ギャル文化に限らず、若さ依存自己表現文化には、極めて残酷論理が潜んでいる。以下に、
「語る権利」が時間とともに確実に失われていく構造説明する。

1. 最新の呪い

ギャル文化は、特定ファッション固定化することを拒否してきた。
竹の子族の派手な色使いかアムラールーズソックスガングロの極端日焼け、白ギャル美白量産型のふんわりガーリー、令和のY2K回帰まで——スタイルは常に更新され続けた。

「最新であること」自体価値があり、停滞した瞬間にその文化は「古い」と相対化される。

この拒否こそが、文化を多様で混沌としたまま存続させてきた強みだった。
しかし、その代償は極めて残酷だ。
かつての当事者が「私の時代こそ本物だ」と語れば語るほど、その言葉過去の記録に変わる。

体験を共有した同世代しか本当の響きを持たない。

2. 商業主義若さ特権の結合

さらに、商業主義若さ特権が結びつくことで、新しい自己表現永久的に「過去」に封じ込められる。

若さ身体的・時間フレッシュさ)が前提である限り、年齢を重ねた者は「最新であり続ける」ことが難しくなる。

商業雑誌ブランドSNSアルゴリズム)は常に「次の最新」を求め、過去スタイルを消費・再利用する。

結果として、かつての当事者が「私の細部こそ正統だ」と語る行為自体が、懐古趣味にすぎなくなる。
かつてのこだわりは、ただの過去の記録になる。

これは、固定化拒否したことの、残酷帰結である。
自由を選んだ代償として、永続的な自己更新強制され、更新できなくなった瞬間に「語る権利」すら失う。

3. 共有されない記録の運命

かつての当事者が熱心に語る細部——まつ毛の束感、盛り髪ギャルサーの縦社会——は、体験を共有した者だけに本当の重みを持つ。
「細部を正確に再現すれば本質がわかる」と考えるのは幻想に過ぎない。
細部を積み重ねれば積み重ねるほど、その行為懐古趣味に傾き、当事者性を失う。

この構造は、ギャル文化特有のものではない。
商業主義が「新しい表現」を次々と消費し、若さ特権がそれを加速させる中で、語り手はいつか必ず「過去を語る者」になる。

かつての当事者が「私の時代こそ」と語る声は、
「その時代」が遠い記録に変わりつつあることの証左である

2026-04-10

anond:20260410162820

別にメジャーじゃなければいくらでもあるけど

結局商業主義への迎合しすぎなんだよ人類

SNSプラットフォームアドセンス思想を縛られている人間は異常だよ

2026-03-17

2026/3月2週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

🩺 健康・体調・運動

スポーツWBC・観戦

🤖 AIテクノロジー仕事未来

💼 仕事・働き方・職場問題

🍻 飲み屋・街・日常雑談

🧑‍🍳 食べ物料理生活ネタ

🧒 子育て・家庭
  • 登園禁止などの影響で自宅保育が続く苦労が共有された。

💰 経済・株・社会情勢

🎮 エンタメ趣味文化

📱 サービスITデジタル生活

🌏 社会文化価値観

🌦 天気・季節・日常

---

📊 1週間分の総括

この週のオープンチャットは、**健康AIスポーツWBC)・仕事愚痴**という4つの柱を中心に回っていた。

特に目立ったのは、

これらに加えて、料理理論飲み屋情報、株や政治など、**雑談コミュニティ特有の広い話題拡散**が見られた。

全体としては、

健康不安を抱えつつAI野球を語り、仕事に軽く疲れながら日常雑談息抜きする大人チャットという空気感の1週間だった。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の参加はこちから

https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

2026-02-18

戦後80年に寄せて

はじめに

 先の大戦終結から、80年が経ちました。

 この80年間、我が国は一貫して、平和国家として歩み、世界平和繁栄に力を尽くしてまいりました。今日我が国平和繁栄は、戦没者を始めとする皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものです。

 私は、3月硫黄島訪問4月フィリピンカリラヤの比島戦没者の碑訪問6月沖縄戦没者追悼式出席及びひめゆり平和祈念資料館訪問8月広島長崎における原爆死没者・犠牲者慰霊式出席、終戦記念日全国戦没者追悼式出席を通じて、先の大戦反省と教訓を、改めて深く胸に刻むことを誓いました。

 これまで戦後50年、60年、70年の節目に内閣総理大臣談話が発出されており、歴史認識に関する歴代内閣立場については、私もこれを引き継いでいます

 過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったのかという点にはあまり触れられておりません。戦後70年談話においても、日本は「外交的経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。

 国内政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか。

 第一次世界大戦を経て、世界総力戦時代に入っていた中にあって、開戦前内閣が設置した「総力戦研究所」や陸軍省が設置したいわゆる「秋丸機関」等の予測によれば、敗戦必然でした。多くの識者も戦争遂行の困難さを感じていました。
 政府及び軍部の首脳陣もそれを認識しながら、どうして戦争回避するという決断ができないまま、無謀な戦争に突き進み、国内外の多くの無辜の命を犠牲とする結果となってしまったのか。米内光政元総理の「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう注意願いたい」との指摘もあった中、なぜ、大きな路線見直しができなかったのか。

 戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います

大日本帝国憲法問題点

 まず、当時の制度上の問題が挙げられます戦前日本には、政治軍事を適切に統合する仕組みがありませんでした。

 大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権独立したものとされ、政治軍事関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという「文民統制」の原則が、制度存在しなかったのです。
 内閣総理大臣の権限も限られたものでした。帝国憲法下では、内閣総理大臣を含む各国務大臣は対等な関係とされ、内閣総理大臣は首班とされつつも、内閣を統率するための指揮命令権限制度上与えられていませんでした。

 それでも、日露戦争の頃までは、元老が、外交軍事財政統合する役割果たしていました。武士として軍事従事した経歴を持つ元老たちは、軍事をよく理解した上で、これをコントロールすることができました。丸山眞男言葉を借りれば、「元老重臣など超憲法存在媒介」が、国家意思の一元化において重要役割果たしていました。

 元老が次第に世を去り、そうした非公式の仕組みが衰えたのちには、大正デモクラシーの下、政党政治軍事統合を試みました。
 第一次世界大戦によって世界に大きな変動が起こるなか、日本は国際協調の主要な担い手の一つとなり、国際連盟では常任理事国となりました。1920年代政府政策は、幣原外交に表れたように、帝国主義的膨張は抑制されていました。
 1920年代には、世論は軍に対して厳しく、政党は大規模な軍縮を主張していました。軍人は肩身の狭い思いをし、これに対する反発が、昭和期の軍部の台頭の背景の一つであったとされています

 従来、統帥権作戦指揮に関わる軍令に限られ、予算体制整備に関わる軍政については、内閣の一員たる国務大臣の輔弼事項として解釈運用されていました。文民統制の不在という制度上の問題を、元老、次に政党が、いわば運用によってカバーしていたものと考えます

政府問題

 しかし、次第に統帥権意味拡大解釈され、統帥権独立が、軍の政策全般予算に対する政府及び議会の関与・統制を排除するための手段として、軍部によって利用されるようになっていきました。

 政党内閣時代政党の間で、政権獲得のためにスキャンダル暴露合戦が行われ、政党国民の信頼を失っていきました。1930年には、野党立憲政友会立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン海軍軍縮条約をかろうじて批准するに至りました。

 しかし、1935年憲法学者貴族院議員美濃部達吉天皇機関説について、立憲政友会政府攻撃材料としてこれを非難し、軍部も巻き込む政治問題に発展しました。とき岡田啓介内閣は、学説上の問題は、「学者に委ねるより外仕方がない」として本問題から政治的に距離を置こうとしましたが、最終的には軍部要求に屈して、従来通説的な立場とされていた天皇機関説否定する国体明徴声明を二度にわたって発出し、美濃部著作発禁処分となりました。

 このようにして、政府軍部に対する統制を失っていきます

議会問題

 本来は軍に対する統制を果たすべき議会も、その機能を失っていきます

 その最たる例が、斎藤隆夫衆議院議員の除名問題でした。斎藤議員1940年2月2日衆議院本会議において、戦争の泥沼化を批判し、戦争目的について政府を厳しく追及しました。いわゆる反軍演説です。陸軍は、演説陸軍侮辱するものだとこれに激しく反発し、斎藤議員の辞職を要求、これに多くの議員同調し、賛成296票、反対7票の圧倒的多数斎藤議員は除名されました。これは議会の中で議員としての役割を果たそうとした稀有な例でしたが、当時の議事録は今もその3分の2が削除されたままとなっています

 議会による軍への統制機能として極めて重要予算審議においても、当時の議会は軍に対するチェック機能果たしていたとは全く言い難い状況でした。1937年以降、臨時軍事特別会計が設置され、1942年から45年にかけては、軍事費のほぼ全てが特別会計に計上されました。その特別会計の審議に当たって予算書に内訳は示されず、衆議院貴族院とも基本的秘密会で審議が行われ、審議時間も極めて短く、およそ審議という名に値するものではありませんでした。
 戦況が悪化し、財政がひっ迫する中にあっても、陸軍海軍組織利益面子をかけ、予算獲得をめぐり激しく争いました。

 加えて、大正後期から昭和初期にかけて、15年間に現役首相3人を含む多くの政治家が国粋主義者青年将校らによって暗殺されていることを忘れてはなりません。暗殺されたのはいずれも国際協調を重視し、政治によって軍を統制しようとした政治家たちでした。
 五・一五事件二・二六事件を含むこれらの事件が、その後、議会政府関係者を含む文民が軍の政策予算について自由議論し行動する環境を大きく阻害したことは言うまでもありません。

メディア問題

 もう一つ、軽視してはならないのはメディア問題です。

 1920年代メディア日本の対外膨張に批判的であり、ジャーナリスト時代石橋湛山は、植民地放棄すべきとの論陣を張りました。しかし、満州事変が起こった頃からメディア論調は、積極的戦争支持に変わりました。戦争報道が「売れた」からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました。

 1929年米国大恐慌を契機として、欧米経済は大きく傷つき、国内経済保護理由に高関税政策をとったため、日本の輸出は大きな打撃を受けました。
 深刻な不況を背景の一つとして、ナショナリズムが昂揚し、ドイツではナチスが、イタリアではファシスト党が台頭しました。主要国の中でソ連のみが発展しているように見え、思想界においても、自由主義、民主主義資本主義時代は終わった、米英の時代は終わったとする論調が広がり、全体主義国家社会主義を受け入れる土壌が形成されていきました。
 こうした状況において、関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました。

 日本外交について、吉野作造満州事変における軍部の動きを批判し、清沢洌松岡洋右による国際連盟からの脱退を厳しく批判するなど、一部鋭い批判もありましたが、その後、1937年秋頃から言論統制の強化により政策への批判は封じられ、戦争積極的に支持する論調のみが国民に伝えられるようになりました。

情報収集分析問題

 当時、政府を始めとする我が国が、国際情勢を正しく認識できていたかも問い直す必要があります。例えば、ドイツとの間でソ連対象とする軍事同盟を交渉している中にあって、1939年8月独ソ不可侵条約が締結され、とき平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」として総辞職します。国際情勢、軍事情勢について、十分な情報収集できていたのか、得られた情報を正しく分析できていたのか、適切に共有できていたのかという問題がありました。

今日への教訓

 戦後日本において、文民統制は、制度としては整備されています日本憲法上、内閣総理大臣その他の国務大臣文民でなければならないと定められています。また、自衛隊は、自衛隊法上、内閣総理大臣の指揮の下に置かれています
 内閣総理大臣が内閣首長であること、内閣国会に対して連帯して責任を負うことが日本憲法に明記され、内閣統一性制度上確保されました。
 さらに、国家安全保障会議が設置され、外交安全保障総合調整が強化されています情報収集分析に係る政府体制改善されています。これらは時代に応じて、更なる進展が求められます

 政治軍事を適切に統合する仕組みがなく、統帥権独立の名の下に軍部が独走したという過去の苦い経験を踏まえて、制度的な手当ては行われました。他方、これらはあくま制度であり、適切に運用することがなければ、その意味を成しません。

 政治の側は自衛隊を使いこなす能力と見識を十分に有する必要があります現在文民統制の制度を正しく理解し、適切に運用していく不断努力必要です。無責任ポピュリズムに屈しない、大勢に流されない政治家としての矜持責任感を持たなければなりません。
 自衛隊には、我が国を取り巻く国際軍事情勢や装備、部隊運用について、専門家集団としての立場から政治に対し、積極的説明し、意見を述べることが求められます

 政治には、組織の縦割りを乗り越え、統合する責務があります組織が割拠、対立し、日本国益を見失うようなことがあってはなりません。陸軍海軍とが互いの組織論理を最優先として対立し、それぞれの内部においてすら、軍令軍政とが連携を欠き、国家としての意思を一元化できないままに、国全体が戦争に導かれていった歴史を教訓としなければなりません。

 政治は常に国民全体の利益福祉を考え、長期的な視点に立った合理的判断を心がけねばなりません。責任所在が明確ではなく、状況が行き詰まる場合には、成功可能性が低く、高リスクであっても、勇ましい声、大胆な解決策が受け入れられがちです。海軍永野修身軍令部総長は、開戦を手術にたとえ、「相当の心配はありますが、この大病を癒すには、大決心をもって、国難排除に決意するほかありません」、「戦わざれば亡国と政府判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である」と述べ、東條英機陸軍大臣も、近衛文麿首相に対し、「人間、たまには清水の舞台から目をつぶって飛び降りることも必要だ」と迫ったとされています。このように、冷静で合理的判断よりも精神的・情緒的な判断が重視されてしまうことにより、国の進むべき針路を誤った歴史を繰り返してはなりません。

 政府が誤った判断をせぬよう、歯止めの役割を果たすのが議会メディアです。

 国会には、憲法によって与えられた権能を行使することを通じて、政府活動を適切にチェックする役割を果たすことが求められます政治一時的世論迎合し、人気取り政策に動いて国益を損なうような党利党略と己の保身に走っては決してなりません。

 使命感を持ったジャーナリズムを含む健全言論空間必要です。先の大戦でも、メディア世論煽り国民を無謀な戦争誘導する結果となりました。過度な商業主義に陥ってはならず、偏狭なナショナリズム差別排外主義を許してはなりません。

 安倍元総理尊い命を落とされた事件を含め、暴力による政治蹂躙自由言論を脅かす差別言辞は決して容認できません。

 これら全ての基盤となるのは、歴史に学ぶ姿勢です。過去直視する勇気と誠実さ、他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来リベラリズム健全強靭民主主義が何よりも大切です。
 ウィンストン・チャーチル喝破したとおり、民主主義は決して完璧政治形態ではありません。民主主義コスト時間必要とし、ときに過ちを犯すものです。
 だからこそ、我々は常に歴史の前に謙虚であるべきであり、教訓を深く胸に刻まなければなりません。

anond:20260218162600 に続く

2026-02-05

anond:20260205001348

イベント系はほぼ全滅

商業主義に惑わされない堅実な人じゃないか

ほぼ同じものならよりコスパのいいもの選択することも同様

それをケチ呼ばわりされたら悲しいね

2026-01-08

医者さんはあなたをもう守らない

医師」と一言で言っても、実は医師年代によって全然別の生き物である

まずここからの話をする上でヒポクラテスの誓いは知っておいてほしい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%9D%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9%E3%81%AE%E8%AA%93%E3%81%84

その上で。

60代以降Dr.

The 「お医者様」 世代社会的名実ともにエリート。当時は特権階級だった。法律司法判断よりも医師判断裁量の方が優先された時代

収入社会一般に比べて非常に高く、一流経営者資本家以外には劣後しなかった。

その分あんまり金策とかコスパとか考える必要はなく、儲からない患者だろうがそうでなかろうが、全力を尽くしていた。

科も単に自分の興味とかあるいは周りから要請(先輩との関係家業との関係行政との関係、等)で選んでいた。

入院患者がいたら毎日足を運んで様子を見に行くのは当たり前。自分生活とかワークライフバランスとか気にしてない。

自分の行動で少しでも患者生存率とか治療成績が上がるならそれをする、逆に診に行かないことで下がるなら絶対に休まない。

ピアプレッシャーも強い。医局という全国に分散したギルド所属して認められていないと、そもそも就職できないし開業もできない。

医師免許基本的に重大な犯罪を犯さなければ失効しないが、一方で、変な治療や振る舞いをしたら医局に睨まれて失脚し実質的失業する。

から金儲けのために医療行為をするとか、そもそも治療ではない医行為(美容外科とか)をするとか、発想がないしできもしない。

医師というのは職業の一つではなく「生き方」であり「そういう生き物」として扱われていた世代

そしてみんなそう生きていたからあまり他の生き方に目を向けない。

50代Dr.

JBM (Judged Based Medicine) が始まってきた世代医師として最善を尽くしていてもいきなり訴えられてトンデモ判決で負けることがある。最悪逮捕すらされる。そういうことを見聞きしてきた世代

防衛医療の始まりインフォームド・コンセントが実地で重視されてきた世代(しないと訴えられるから)。

患者のためにする自分が最善だと思う医療」を提供できないし、してはいけない。診察では裁判所が定めた医療をしなければならないことからくる書類地獄が始まった世代

この世代から社会理不尽に揉まれ、「良いと思うこと」はできないことで、「医者の万能感」は消え去ってくる。

でもメンタリティ的には60代に近い。休みだろうが深夜だろうが毎日病棟には行く。患者と顔を合わせる。

収入ギリギリ医者=超高収入」だった世代教授が講演をすれば1発50-100万円、製薬会社が超高級ディナーとかでこぞって接待してきた最後世代

40代Dr.

マージナル世代。何がマージナルかというと、医師生き方なのか、ただの職業の一つにしか過ぎないのか、の価値観の転換期。

一番大きいのはこの世代医局制度崩壊したことスーパーローテ(新臨床研究制度)が始まったこと。

古来医者というのはギルド制に支えられていた。ヒポクラテスの誓いの段階から既に「医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。」と言われている通り、本来医師スキルは徒弟制であった。

EBM: Evidence Based Medicineや標準化医療は当たり前の存在であるが、そもそもそれらはそれを吸収するだけの素地ができていないとお題目しか過ぎない。

医学部卒業しただけの者がガイドラインをたくさん読んだからって本当のお医者さんにはけしてなれない。「教えてくれる人」の存在が常に必要である

医局に入る」というのは「一生仕える師匠たちを決める」重大な儀式であった。実際にどんなに偉いお医者さんでも当時の指導医には頭が上がらず、自分病院顧問招聘するなんてのは(50-60代以上のDrだと)よくあること。

しかし初期臨床研修制度はそれを破壊した。「弟子学問技術を伝える」ことは単に「臨床研修指定病院で、役人が作ったリストに基づいて行われるケースレポートを作れるよう(各科が片手間で各自で)指導すること」に矮小化された。

しかしこの世代は後期研修(専門医研修)からはまだ昔の医局の名残が残っている。大学病院かそれに準じる大病院しか専門研修はできなかったので、後期研修からが本当の学習の本番で、入った先には上記世代のDrから直接濃密な指導を受けた。

一方で、後から入ってくる世代は生き物として明らかに違う世代で、それを教育しなければならない(でも誰のために?)という悩みの板挟みに遭った世代

と金銭的には、製薬会社の「コード」と呼ばれる業界横並び自主規制コストカットが始まり、「お医者さんの接待漬け」や「高額謝礼」等は「自分指導医は受けていたのを知っているが…」「一瞬だけお世話になったが…」という世代医者からおいしい思いをしたという経験はない世代

30代Dr.

臨床研修一般化し、プレ国家試験たるCBTやOSCE運用軌道に乗り、また様々な研修専門医ガイドライン等が本格的にお役所的(官僚的)に運用されてきた世代

この世代から医者特権階級感はゼロ手続き正当性に準じなければいけない、ルールに従わなければならない、自分たちは標準化医療提供するただのコマである、という自認を持つ世代

ただ、医者としてのキャリアのレールは医局制度が完全に崩壊したあとの「自由キャリア制度」をベースにしているため、フリーハンドを手にしている。美容外科に行ったり、民間企業に勤めたり、コンサルタントになってみたりする、「変わり者」医師が激増し、「変わり者」ではなくなってきた時代

医療医師聖職ではなく、ただのサービスであり、患者が求めるなら病気でも何でもない体にメスを入れても別にいいんじゃないの? 場合によっては害があっても知ったこっちゃない、という、医師モラルハザード顕在化した世代

患者に害をなさない」というヒポクラテスの誓いはもはや有名無実化した。

ちなみに諸外国はこのフェーズ20年くらい前に通り過ぎている。韓国とかもそうだが、医師クオリティコントロール医師ギルド(日本場合医局がそれであった。ヨーロッパ場合は「医師会」がそれを担保しているところはある)ではなく、単に国・政府官僚機構の一貫として行っている国は、例外なく、商業主義に毒されるし、質も低下していく。だって医師医療の質なんて、同じ分野の治療をしている他の医者しか分かんないんだから。だから自分技量と質と姿勢スタンスを正しく評価できる人からピアプレッシャー存在しなくなってしまったら、ほとんどの医師堕落する。にんげんだもの

たとえば2020年代前半に患者の解剖風景SNSに上げて大炎上した美容外科医がいたが、彼(彼女)が医療行為をする権利を誰も取り上げることは今はできない。昔は当該Dr.の所属医局社会的処刑抹殺した例である(他の医局支配地域に行ったとしてもそこは横の連携でやはり村八分継続する)。しかギルド解体された現代日本では誰も圧力をかけられない。明確な重大犯罪でなければ厚労省(医道審議会)は動かない。そしてむしろ炎上したほうが客は集まりうるという最悪の展開。

20代Dr.

医者が割に合わない職業になってしまった世代保険診療はなぜか社会から叩かれ、インフレ貨幣価値が低下する中、大して高給取りでもないのに過去の「儲けている」という数十年遅れの印象に左右され世論から叩かれる可哀想世代

偏差値で上から半分程度の医学部に受かる人は基本的東大文II/IIIや理IIくらいなら楽勝で受かる人たちであり、同等程度の学歴と体力とコミュ力を持つ人は金融商社で30手前で年収2000万円を稼げるし、その後は2000-3000万円も狙えるのに(2026年現在貨幣価値)、医者はこのインフレ給料が上がるどころか保険診療のために年収は低下さえしているという、本当に経済的に割に合わなくなってしまった世代

収入を求めるなら医者になってはいけない」ということが、受験生の頃からなんとなく共通認識として存在しはじめた世代。なので初期臨床研修が終わったら「直美」に行ってしまうのもメジャー選択肢になってきたし、働き方改革で楽になった分、研修が終わったアフター5で(医師以外の)副業起業をすることも珍しくはなくなった世代

また、50-60代Dr.と直接一緒に仕事をすることは稀であるし、彼らもそろそろ体力的にきついため、「患者に尽くす医師」というロールモデル現実の目で見ることが乏しくなってきた世代

上に書いたように、以前は本当にレジデント(実質的病院に住んでいる人たち)であった初期臨床研修医が、国から指導で「9時17時にしなければならない」となったために、すべての病院ゆとり勤務が達成された。

このため、「身を粉にして働くの何か意味があるの?」「自分の勤務時間じゃないのに患者を診にいくことに何の意味が?」とナチュラル価値観インプットされた世代。そんな暇があったら副業しないとお金稼げないからね。配信もしたいしね。

.

.

というわけで、一言で「お医者さん」と言っても、世代で実は全然違う生き物になっていますよ、という、日本の現状。

社会制度が、紀元前から続く最古の職業の一つのハビタスを変えていく、壮大な社会実験が現在進行中です。

2025-12-12

anond:20251212114929

初めての続編だから叩かれないってのはよく分からん

売れた1作目がきれいに終わってたら2作目は商業主義駄作って評価もされるだろう

2025-12-09

ズートピア2、内容が商業主義に傾いてて残念

続編というよりスピンオフみたいな内容なんだよな

前作からの続き物である必要性を感じない

ズートピアの謎が明らかに」←これ嘘は言ってないんだけど、作品としてのズートピアの謎じゃなくて、ズートピアという街の建設についての謎ね

あの世界になぜ獣人が生まれたのかとか、そういう根幹的な話は全くない

少年マンガでいうところの引き延ばしモードに入った感じがある

トイストーリーみたいに5作くらい続きそう

2025-12-04

有識者三浦知良プロかどうかは定義による」

有識者「彼を金出してほしがっているチームがいる以上、彼はプロサッカー選手だと思う」

 

ふ~ん

SnowManのなんか暇なメンバーあたりが「サッカークラブ入りたいです!」って言いだしたとして

三浦知良SnowManの暇な奴どっちかだけ取れます」ってなったら

99割のチームはSnowManを取ると思うけど、ほならSnowManプロサッカー選手なんですかね

 

プロ定義ってそう言うことかって思うわ

金に見合ったパフォーマンスを見せるからプロなんじゃねぇの

有識者は元芸人やったらしいけど

大人Youtuber漫才公演やってソウルドアウトしてたらプロ漫才師として認めるってことなんかな

コムドットのヤマトイベント漫才やっとったけど彼は漫才師ですかね

 

カズなんか練習ランニングですらヨボヨボで見てて悲しくなる

商業主義の例で出しただけやったけどSnowManの暇な奴のほうがよっぽど動けると思う

誰かが介錯してやるべきや

練習中に日本刀カズの首を切り落とす!

クラブ知名度も爆上がりやろう

2025-10-27

NHK WEB記事メディアへの民業圧迫

NHKWeb記事サイトNHK受信契約であることを確認する選択画面を出すようになった。(自己申告ベースでペイウォールではない)

しかし、これは民業圧迫の解消にはならないと思う。

たとえNHKWeb記事サイトが完全にペイウォールになり受信契約しかアクセスできなくなったとしても不当な競争状態は解消されない。

それはご存知のようにテレビを設置するとNHKとの受信契約義務付ける法律(放送法 64-1)があるためだ。これを是正するには、この義務撤廃するか、郵便ポストの設置に新聞社との契約義務付ける法律必要になると思う。無論、前者を勧める。

もちろん、ジャーナリズムを過度な商業主義から保護する必要があるが、国家NHKを守らせてもプロパガンダ機関国民の財布で運用させるだけだ。

2025-10-24

徳川家康ポケモンの新作、いささか慢心の臭いがする」

 天下泰平を築いた徳川家康公が、もし現代に甦ったなら――。その鋭い眼光は、平和惚けしたゲーマーたちの心にも突き刺さるだろう。家康は語る。「ポケモンの新作、いささか慢心の臭いがする」と。

 老将の言葉は重い。彼が言うには、「天下を治めるにも、進化と安定の均衡が肝要。だが、この新作には“進化”の姿勢ばかりが目立ち、“安定”の哲理が見えぬ」と。つまり、派手な演出グラフィックばかりが先行し、シリーズとしての品格精神的深化が欠けているというのだ。

 「わしの世もな、派手な戦ばかりを追えば民は疲弊した。ゆえに泰平を築いた。ポケモンもまた、戦いばかりを重ねてはならぬ。真の育成とは、個の成長と調和の追求にこそある」と家康は静かに説く。

 さらに、彼は新作の「過度な商業主義」にも苦言を呈する。「信長は戦に明け暮れ、秀吉は富を追い、そして滅びた。商魂に溺れた作品もまた同じ道を辿るであろう」。

 家康批判は、単なる懐古ではない。彼が重視するのは、シリーズが守るべき“理念”――「ポケモンとは何を教える遊びなのか」という哲学である

 最後家康はこう締めくくった。「面白さとは派手な技や奇抜な世界ではない。心をつなぎ、努力を重ね、信を守ることにこそ道がある。わしなら、そんなポケモンを選ぶのう」。

 天下を治めた男が、いま一匹のモンスターに説法を垂れる。彼の言葉に耳を傾けるなら、次の“進化”は、開発陣の心から始まるのかもしれない。

続きを「家康、開発陣を江戸城に呼びつける」章として書こうか?

2025-10-15

言及されたから書くよん

id:filinion

追記

吉田氏が「ファンがどう捉えても何を想像しても描いても自由」って言ってる

やっぱここの一点突破なのな、ウンザリする

そりゃ言うだろう、逃げ道だよ

エロはあってもいいが18禁にして未成年に見せるなって言ったのと一緒

水着修正を「覇権ノイズ」っていったようなもんだよ

さんざん社会への影響(それが無意識ものも、意識的ものも)を語っておきながら

なぜか突然、ここだけ商業主義に目覚めてさ

裸を描いたらノイズだろうって言い出すんだよ

びっくりだよ

あれが24歳設定なら水着にしたろうか?

ぼっちちゃん水着にしたのは

“絵だけど、未成年だぞ”

からでしょうに

ノイズうんたらいうなら自宅の風呂24歳が水着なら間違いなくノイズだよね

未成年なら水着より裸がノイズなの?

うそでしょう?

あそこに誰も文句がないって人もいるけどアタリマエなんだよ

あのシーンはぼっちちゃん奇行のシーンなんだから

裸か水着かなんて些細なことなんだ

でもそれを【後付】で

まるで自分の手柄です、配慮したのは重要です、だから覇権です、みたいにいわれたらムカつくべ

かんけぇねぇんだよ

その思想作品にまぶしてなんの問題もないって、本気で考えてるならさぁ

放送前に言えば良いんだよ

ぼざろは“絵だけど、未成年だぞ”を大事にして公式搾取を推奨するかのような演出は行いません

乳比べとか、りある人間はやりませんよw

乳揺れとか子供に見せられません

安心してください

ぼざろではそれを排除しま

って、アニメ雑誌からのインビューに【放映前】に答えてみろっていうんだ

ーーーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーーーー

https://filinion.hatenablog.com/entry/2025/10/15/145847

結局、ぼざろの脚本家はなぜ批判されたのか?(みんな言ってることがバラバラな件)

これ着火点がノイズで始まって、すっかり「問題ノイズなんだ」って話に、みんな引っ張られてたよね

あの問題はそこじゃねぇよって人も普通に居るのに

都合よくそっちに火が付いたから、擁護する人はみんな「ノイズ問題」に逃げちゃってさ

覇権のためのノイズはアリ、原作者許可も取った

みたいな話しかしないんだけども

違うべ

あの話は徹頭徹尾、DEI思想の話だったべ

ドラマ恋愛至上主義押し付けんなもそういう一巻の話だったし

登場人物多様性の話もされて

なんならオリジナルを出したとまで言って

アニメの段になったら性的消費はダメだとぶち上げて

公式がやるのは強い抵抗があると述べ

“絵だけど、未成年だぞ”と語り

女の子たちが互いの胸の大きさについて言及し合う描写”はナシ

乳揺れは子供に見せられない

前後を読めばわかるけれど、バリバリにDEI思想が語られていくのに、なんでか水着の話のときだけ「覇権のためのノイズ」とか言い出す

作者も協力的だったと

もちろん、「過激作品やR18まで振り切ったものがあってもいい」とも語るが

でもその場合は、しっかりと未成年が見られないような配慮必要

となっている

それつまり18禁作品って事だろ?

でもなんでか、この一文を以って、エロ要素を否定してないって擁護が湧いたんだよ

温泉シーンがある、ゆるキャン△はしかし、覇権ノイズだったろうか?

あの全裸シーンはNGとされるべきか

ガルパンのよりサ-ビス色の強い入浴シーンならどうだ?

ストパンはR18になるべきか?


でさ

逆に聞きたいわけよ

作者が反発したら乳揺れ描くんか?

スタッフ空気感が違ったら、乳比べさせんの?

覇権のために必要なら全裸入浴させんの?

公式から】『さぁ搾取してください!』と言わんばかりの作品を描くんか?

でも、それは語らないんだよ


作品から降りますとか、私が携わるなら絶対に描かせないというなら

うそれはそういう思想作品にあたりますって事よね

商業主義として描きますってなら、熱く語った責任の話はなんなの?と

“絵だけど、未成年だぞ”

大事にしていくだけ?


そういう記事全体の俯瞰で、ちゃん言及してる人普通に居たよ

ノイズの話で隠されてたけどもっとヤバイこと書いてる、みたいにね

からこそ

炎上理由の「ぼざろ脚本家作品に介入するレベルの強めのDEI思想が判明」を極論拾って「ぼざろは駄作とされた」と言い換えてまで、今回の件をズラしたいのかねぇ。こういうのこそ「曲解」ではないか

と書いたんだよ

ちなみに記事中じゃ誤魔化してるが

「ぼざろはいアニメだったなぁ」と思っていたら、後から「ぼざろはフェミニストポリコレで作った駄作だったと判明!」みたいなのやめて欲しい。脚本家一言で後から評価を変えるの、あまり党派的過ぎるだろ。

ここへの言及から

話をズラしてんじゃねぇよって突っ込み


これを署名運動と紐づけたいようだが

あのやり方は糞くらえだよ

たださ、語られなければ知らずに居れたことも、語られちゃったらダメだろ

ちな、別の今更系冷笑増田にはこうも言ってる

「なんで今更」系のズラシ批判が最高に臭い。そんなの「脚本家独白によって、まさに今、違和感に形がついた」からだよ。その発言者スタッフである必要はないが、スタッフの自慢話であるのは最低だって

これは、今炎上してるのは、そこに今まさに形が付いたかだって話な


そういう文脈も何もなしで

適当に継ぎ接ぎで

ほらほらほらほらほ、むじゅーーん

ってやるのダサい

2025-09-24

anond:20250924152527

俺にとってgoogleは神だと思ってたけど検索については商業主義に毒されつつありあまり神という感じがしなくなってきた

2025-09-08

anond:20250908005358

マジレスすると、上野千鶴子代表されるように、クロワッサンで煽っていたやつらは裏でちゃっかり自分の席(パートナー)は確保していた。それを見抜けず商業主義に乗せられた結果かな。

2025-09-04

障害者スポーツの祭典

みんな知らないだろうけど、パラリンピックの熱心な視聴者は「共産党」なんだ。合法的議席を握っている、中国からインドキューバベトナムまで、もちろん少数野党ロシアアメリカも。自由民主国のスポーツ選手がどう育成されプレイするかに興味があり、スポーツを通じた影響力行使の機会を伺うとともに、欧米資本主義国のスポーツ商業主義行方を冷やかしの目で見ている。

から、一挙手一投足の組織的ウォッチがつねになされ、今だとSNS等で情報が流され分析されている。国境を越えた共産党同士の交流はあるから

パラリンピックというと障害者スポーツの祭典の印象だけど、実は裏では各国共産党エスピョナージュの対象となっている。

これ、選手が夢にも思わない情報漏洩だからね。

2025-08-27

anond:20250827145035

若くて無知高校生が、商業主義奴隷になっている様子を見るたびに

義憤かられてブコメを書く人が居るのは当然だと思うけど。

2025-08-23

anond:20250822223745

近くの宇曽利山湖は青くて本当に美しい。グーグルマップ等で見たら分かると思うが、湖の形がハートっぽくて、恋人聖地にしてもおかしくないくらいなのに、どういうわけかブランディング微妙

イタコ」とか「死」とか、そういうイメージを前面に出してしまっていて、いわくつき感がすごいんだよね。

ただ、もしかたらこれは単なる失敗じゃなくて、あえて怖いイメージイタコの胡散臭さを演出することで自然を守っているのかもしれない。

さらに言えば、「ブランディングミスってる」っていうのも現代的な価値観での話で、次の世代にとってはこのブランディングウケる可能だってある。そう考えると、このままの価値観を突き抜けて行ってほしい気もする。

商業主義効率主義経済至上主義といった思想の毒はすげえなという感想を覚えさせられた

2025-08-20

県立岐阜商業

公立高校ほとんどが県内出身選手だと注目されている

やっぱりみんな、全国からスカウトしてきた子ども野球漬けにしている名門校による今の高校野球を好ましく思っていないんだよな

部活動とか高校野球本来理想からかけ離れた商業主義的で歪な状態だし当然だよな

2025-08-19

anond:20250819124938

その前提を高野連マスコミ必死で取り繕ってるのがダメ

商業主義にまみれてるポルノショーだということを全面に押し出すなら問題ない

2025-08-16

田舎には美術がない」の論点整理

〇前提:美術と美の違い

まず「美」と「美術」を分けて考えないと話がごちゃつく。

美は世界のあちこちにあって、何に美しさを感じるかは人それぞれ。

一方で美術は、ある美しさを取り出して他人に伝えるための「技術」であり、社会的な営み。

この区別をつけないと「自然が美しい=美術がある」みたいなズレた議論になる。

〇前提2:そもそも田舎とは言ってない

元のツイートでは「地方都市」と書かれていた。

ただネット上ではつの間にか「田舎」という言葉に変換されて語られている。

地方都市田舎はだいぶ意味が違うのだけど、もう「田舎」という言葉で広まってるので、ここでも田舎統一しておく。

田舎にも美があるよ派

自然の美しさや、人々の生活の営みにある独特の美しさ。これは確かに存在する。

でもそれは「対象としての美」であって「美術」ではない。

自然の美の「美」と、美術の「美」は似て非なるもの。だから反証にはならない。

田舎にも美術はあるよ派

地方美術館、伝統美術地元活動するアーティストなど、田舎にも美術はある。

「まったく無い」という言い方に対しては十分な反論

それに地域文化評価するのは近代芸術の「反アカデミズム」の流れとも整合する。

ただし、都市部との格差は依然として大きい。「あるけど量も質もアクセスも少ない」というのが実際。

■こいつの美術美術業界しかないよ派

要は「業界人の文脈に閉じているじゃん」という指摘。

ただ、そもそも美術は「人がどう解釈しどう描くか」だから業界文脈がなければ成立しにくい。

現代ではありとあらゆる活動に金が絡む以上、業界抜きで語れる分野は少ないだろう。

それに非営利的な活動者ほど、人や金が集まる都市でないと持続できないのも現実で、

そういう意味でも反対意見としてはちょっと弱い。

イオンモール何が悪い

イオンモールは便利だし合理的地方生活インフラとして大きな役割がある。

ただ、美術という観点から見れば徹底した商業主義の場であり、そこにはせいぜい商業芸術の一端があるにすぎない。

それらを俯瞰してみる学術視点や先端芸術とは別の次元

まあ本や映画を届ける流通拠点としての意義は大きいとは思うので、その点を過小評価しすぎというのはある。

CCC傘下のくせに偉そうだよ派

「結局CCCイオン美術への態度に差があるのか?」という疑問はわかる。

雑誌だって商業出版の一部で、イオン本屋普通に買える「田舎にもある美術」だ。

ただ田舎美術テーマとは少しズレていて、ほとんど感情論に近い。

地方出身者にありがちな嘆きだよ派

馬鹿にしているニュアンスの人もいれば、同情しているニュアンスの人もいる。

実際のところ、都市地方情報格差はとんでもなく大きい。

実家帰省したとき「やっぱり何もない」と強い言葉漏れるのは、地方出身あるあるだろう。

ここは言葉の選び方と受け取り方の問題であって、論じても決着はつかない。

そもそも美術がなくて何が悪い

別に美術がなくても困らない」という立場

生活必要なのは美術じゃなくてインフラ仕事だし、自然に美を見いだせれば十分という人もいる。

ただそれを『美術手帖』の編集長に言っても仕方がない。

しかも「美術がなくて悪い」とは言っていないので、反論になっていない。

■まとめ

田舎には美術がない」という議論は、

自然の美と美術混同してる議論

・量や質の差を無視した議論

都市部住民への感情的反発

商業と非商業対立

など、いろんな文脈が入り乱れている。

結局のところ、田舎にある美術ゼロではない格差歴然なわけで、

その格差をどう感じるか、どう受け止めるかで態度が分かれているだけ、という話だろう。

それにしても「業界」の内部の人しか見てないだろう発端のツイートがここまで燃えたのは、

地方都市イオンという馴染み深いワードが入っていたことや地方VS東京定番ネタだったことに加え、

ちょうどお盆でみんな地方帰省して、かつ暇してる時期だったからというのはあるはずだ。

広陵高校話題がひと段落した今、このネタでまとめを連発しているTogetterはいい稼ぎになっただろうな。

2025-08-09

anond:20250809223642

商業主義と飽和の末路

昔はそもそも作品数が少ないから、業界に詳しければすべての作品に当たることもできた(余程のカストリ以外は)

そうした詳しいものが取り上げることで名作として評価される流れがあった。

現代では作品が飽和し網羅できなくなった。

見た目で引っ張るのは序の口で、見られないことには評価対象にもならない

2025-08-08

anond:20250808080846

それは「よい評論とは」ではなくて

商業主義迎合した評論とは」でしかいね

商業的な反響利益評論の良さを混同してる

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