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TM NETWORK史上最も重要なGet Wild 10選
https://anond.hatelabo.jp/20241028143457
でブコメに
といういつものジャーゴンがついていたので、えっ、Get Wildごときで聞き分けが出来ないの?じゃあ、こっちだとどうなんだろ、とおもって書いてみたGetWild増田です。
Pizzicato Fiveは本格的にファンになったのは95年ごろだけど、それ以前も周りの友人にファンがいたり、学校帰りに当時のHMVに通っていた渋谷系世代なので基本的な流れはだいたい抑えられているはず。
こちらも選考基準は独断と偏見だが、TMと違ってPizzicatoは再結成をしていないので、歴史的には解散以降の方が長くなるので、Pizzicato Fiveとしての音源はフォローできるだけしておく。
Get Wildと違って1枚にまとまった作品集はないけど、検索すればそれなりに出てくると思うので、必要に応じて聞き比べを。
https://anond.hatelabo.jp/20241012181121
オリジナルバージョンはもともとフジテレビ系で始まった「ウゴウゴルーガ2号」のオープニングテーマとして作られた。曲名は矢野顕子からの引用。小西康陽曰く「放送が7時からだからこのタイトルを引用した」とのこと。オリジナルバージョンは実は小西ではなく福富幸宏の編曲によるハウスミュージック。とはいえ、この時期のPizzicatoの諸作はマニュピレーターとして小西氏をサポートしていた福富氏なので、他の曲とがらっとバージョンが違うわけでもない。イントロのピアノのグリッサンドのようなアルペジオや「A New Stereophonic Sound Spectacular」というサンプリングなど後々の小西氏のシグネチャーサウンドがちりばめられている。個人的にはこのバージョンのサビに使われるシンセの「テッテッテッテテーテ」という音が好きなのだが、意外と他のバージョンでは使われていない。
シングルのカップリングバージョン。音が当時のニューヨークハウスっぽい。もともとそれなりに長い原曲だがこれはさらに長く8分ほどある。1ループのフレーズを繰り返してボーカルだけ残すこのパターンはいかにも当時の向こうのR&B曲のハウスミックスって感じでかっこいい。フィンガースナップの音とか時代だなあと思う。途中からオルガンのアドリブが入って自我が芽生えたみたいな感じなのもよい。一番DJ向きなバージョンでDJミックスのCDなどにはこれが入ってることがわりとある。
「ウゴウゴルーガのピチカート・ファイヴ」が初出のリミックスバージョン。mfsbというリミックス名がわかる通り、原曲のニューヨークハウスをフィリーソウル風にアレンジ。一番生音っぽいバージョンなのとブラスやストリングスの入り方など非常に華やかなバージョンなのでこれが一番好きな人が多いと思う。「デデッデデッ」というストリングスのアタックが非常に気持ちよく、後々のカバーでも割と参照されている。原曲にもあったピアノのグリッサンド風のアルペジオや「A New Stereophonic~」のサンプリングなども効果的に使われていてこっちが原曲だと思ってる人も多そうなくらいによい。一番人気のあるベスト盤Pizzicato Five JPNにもこのバージョンが収録されている。
実はこの前後で、Pizzicato Fiveは長年共にした高浪が離脱し、小西と野宮の二人になる。それを反映したアルバムOverdozeは結構シリアスなトーンであり、そこに収録された東京は夜の七時もその不安感を反映した10分超えのニューバージョンとなった。福富がアレンジをしてるのは同じだが、なんかサウンドの取り方が日本の90年代ハウスっぽくなってる。いや日本の曲なんだが。そしてここまで書いてこなかったが東京は夜の七時は華やかな曲調のわりに歌詞はかなり冷たい都会の不安感を表したような曲なのだが、それがさらにクローズアップされたような歌詞に変更されている。正直、この曲名とメロディにこんな不安定な歌詞ありかよと思わせる。今だったら大森靖子が書きそうな歌詞。
2001年の解散時にでたベスト盤 Pizzicato Five R.I.Pに収録されたニューミックス。リミックスは小西が当時使ってたDJよしお名義でリミックスしている。変則的なブレイクビーツや不安感のあるシンセパッドを使ってたり、当時を思い返すと、小西さん完全に解散したくてたまらなかったんだろうなと思わされるリミックス。途中途中で時報の声が入ったり不穏すぎる。なんか全体的にせわしない。
ここからは解散後のカバーなど。小西氏がreadymade internationalの運営に本格化していく中で、新たなミューズとなったのが野本かりあ、というか外部目線的には、小西は本当は野宮を首にして第4代目ボーカリストとして野本を起用したかったんだけど、Pizzicatoのパブリックイメージが野宮になっていたのでレーベルなどから拒否されたんじゃないかと思えてならない。これも世相に合わせて歌詞を変えている。アレンジは前のバージョンからかなりアップテンポの4つうちになってる。このバージョンのマニュピレーターは吉田哲人。野本はもともとテクノ好きだったらしく、その意思を汲んだのかけっこうハードテクノっぽいリズム。小西はこのバージョンがお気に入りらしく、自分がDJするときはこれをかけることが多い。ちなみに故KAGAMIのリミックスもある。この辺の東京テクノ人脈とreadymade周辺はもっと接近した方がよかったと後から思う。
ソロ活動が割と自身の渋谷系パブリックイメージの再生産状態になっていたようにはたから見えていた野宮が「東京は夜の七時の盆踊りバージョンを出す」というニュースを聞いたときの、往年のファンの複雑な心境を想像してほしい。というかその企画、小西はよく許可したなと思った人が大多数だろう。俺も思った。もともと、ケイタマルヤマの「おしゃれ盆踊り」という新宿伊勢丹の屋上でやる盆踊り企画のために作られて、そこで披露されたらしい。いちおう振り付けもある。狂気か。Get Wildですら盆踊りはないぞ。まあそういったこともあるので、僕は全く聞く気が起きなかったのだが、今回の記事のためにはじめてちゃんと聞いてみるとこれはこれでよいのではという複雑な心境になってしまった。というかアレンジが良く出来すぎている。なんだこれ、モダン盆踊りの傑作かもしれない。しつこく入る「いよーっ」という掛け声が今の時代だとすゑひろがりずを想像させすぎて勘弁してほしいが。
2016年のリオパラリンピックの閉会式で披露され、ぼんやりTVを見ていた渋谷系好き中高年の度肝を抜いたカバーバージョン。椎名林檎が歌詞を大きく書き換え、編曲も行い歌は浮雲こと長岡亮介。歌詞の変更は小西と何度もやり取りしたと言われてる(含みを持たせる言い方)。東京のプレゼンテーション的な曲調になっていてかなり感動をさそう内容のプレゼンテーションだった。五輪関係は権利が色々がんじがらめらしく正式な音源リリースはない(※追記: そうだよね?配信されたという話もあるが見つからなかったので)。東京は夜の七時という曲をJ-POP史上にリプレゼンテーションした作品という点で、この曲のファン的には感謝したい。
小西が2018年に久々に野宮とコラボした少林兄弟バージョンを入れようかと思ったが、個人的な好みでこちらを。韓国人のシティポッププロデューサーNight Tempoを起用したバージョン。Pizzicato Fiveのオリジナルバージョンをしっかりと参照したバージョンで正直複雑な心境になるくらいによい。ほとんどのカバーやリミックスがmfsbを参照していると思われるのに対し、原曲を参照しているというのが興味深い。Night Tempoは言動やシティポップをめぐるあれこれもあって、あまりよく思わない人が一定数いる、かつ、おそらく旧来のPizzicato ファンにはそういう人が多そうだが、この90年代ハウスな音は原曲への深い理解があると脱帽せざるを得ない。全東京は夜の七時の中ではトップ3に入るくらい好き。
順序は前後するがなんとなくこれが最後がおさまりが良さそうなので。「井上順のプレイボーイ講座12章」に収録されたジャズインストゥルメンタルバージョン。もともと「円楽のプレイボーイ講座12章 / 前田憲男とプレイボーイズ」というアルバムがあり、それの現代版として作られたアルバムで井上順のナレーションが乗ってる。(いちおうナレーション無し版もある)軽音楽的なジャズインストでクリーンなトーンのギターの音が良い。そして気づいた人も少ないかもしれないが東京オリンピックの閉会式で使われている。つまり浮雲版と対になってる作品である。
ということで、また書いてみました。
ほんとはあと数曲(特にカバー曲でヴァニビとかを)入れたかったのですが、泣く泣く断念。
個人的には東京は夜の七時はPizzicato Fiveの曲では好きな曲としては6位くらいなので、そこまで思い入れはないです。
・地方都市の40代独身無職精神障害者。手帳はもらえても障害年金は今の基準&自治体だと難しいっぽい。ていうか手続きが煩雑で引きこもりにはできるかできないかの確認すら無理。
・数少ない人生の楽しみは二次エロでシコること。マジメちゃんなせいで酒とタバコとギャンブルは苦手だからね~。だがそれもいつまで性欲が持つか。ロリとスカが好き。あと半ば惰性だがゲームアニメ。ペットは飼えない。
・わかりやすい政治的な望みは、簡単な手続きで十分な精神障害年金がもらえることだが、そういうことを直接訴える政党はいない。ふわっとした手厚い福祉を掲げられても、だいたい障碍者雇用(しかもパラリンピックみたいに身体障害中心)だの、社会復帰だの、俺は基準外のよくわからん仕組みだのに回される。
・最近一番怒ってるのはエロに対して世間がやたら厳しくなってること。特にロリ系。絵ならいいだろ。クレカ会社に対して誰か戦えよ。また、欲望充足を最優先とした広義のポルノ……たとえば暴力、俺スゲー、感動ポルノや皮肉表現にも、妙に倫理のカセをハメようとしてくる世間の流れもダメだ。クレカ会社以外にも、そういう正しさみたいなのを押し付けてくるやつらと国内国外問わず戦ってくれねえか。ゾーニングも極力すべきでない。
・一番ストレスなのは親が年食って頭の回転が遅くなり、かつ感情を抑えらず、しかもそれに開き直ってワガママになり、体調の悪い家族を墓参りに付き合わせたり、最近ネトウヨ的な動画を見出してること(俺みたいなクソを年金で養ってくれている恩と申し訳なさはドデカいがそれはそれとしてストレスがすごい)。
・最近国内でげんなりしてるのは統一教会と自民党その他政治家の繋がり。国外でげんなりしてるのはイスラエルとそれに対する欧米政府の支持が、会話が通じなそうな異様な強硬さがあって怖いこと。俺は反宗教だ。ボートマッチングサイトは公明党を一番に推してくるのをやめろ。親戚は神社のお守りとか送ってくるのをやめろ。天皇のカレンダーとか買ってくるのをやめろ。
・経済政策には意見はなし。大学で少し学んだが、何を主張する学派も説得力ある説明してるし、俺じゃ判断できねえやと思った。増税も減税も賭け。良い財政悪い財政は、俺の知識では結果論でしか言えない。
・少子化対策については諦め。非婚化・少子化の根本は、金のなさ以上に「十年二十年かけてじわじわ幸せや生きがいが得られる期待」と、「今後五年色々なものを犠牲にしなければならないし相当大変な不安」を天秤にかけて、前者を選ぶ方が減ったというせいだと思うし、これは価値観というよりイマ・コノ時の自分を犠牲にするのはダメという道徳観の変化だと思うので、道徳を前世紀まで戻す必要があると思うがこんなこと言うと叩かれるだけなので諦めてる。童貞の俺が偉そうに言える分野でもないし。短期的に直接利益があるものでもないし。
・あふれるほどのパンとサーカスをくれ。俺は社会へのフリーライダーだし寄生虫だしそこから抜け出す気もないが、それでもパンとサーカスはたくさんくれ。大谷やらアイドルやらは好きな人にはいいサーカスだろうが俺は興味ない。
・教えてほしいのは俺に近い考え方の政党というより、俺に都合のいい世界に近づけてくれそうな政党。考え方が俺に近くても、発言力がない政党なら意味が薄い(皆無ではないが即効性がなさすぎ)ので。ただ何議席くらいから国政に影響を与えられるか知らないので、その辺の線引きははてな識者に頼む。
30代前半の結婚して1年半になる。
義父が癌で2年前に余命宣告されている。
その時は次のオリンピック(パリ五輪)の開会式は絶対に見る事ができませんと医者は言ったらしい。
どうしても手術で取り除けないタチが悪い場所に癌ができてしまい、投薬での完治も見込めないフェーズでの発見だった。
義母は大層悲しんだ。当然だと思う。
残された時間を少しでも一緒に過ごせるように、時間があれば義実家へ足を運んだ。
夫と私は義実家まで行くのに車で片道3時間超の場所に住んでいる。
大きな病院が義実家と我が家の中間地点にあるので、通院のついでに足を伸ばして我が家に来ることも多かった。
日帰りは体力的に厳しいので、毎回ゲストルーム(比較的新しめのマンション住まいなのでゲストルームがある)を手配していた。
ゲストルームがとれない時は義両親に私たち夫婦のベッドを明け渡したことも数度あった。
だいたい月に2,3回はどちらかの家で顔を合わせていた。
義母は事あるごとに言うのだ。
結果的に義父はオリンピックもパラリンピックも閉会式まできっちり見た。なんなら甲子園も全部見てようだ。
1日でも長く少しでも苦痛なく生きていれるならそれはとても素晴らしいことだと思う。そう思う気持ちは嘘じゃない。
長年連れ去った最愛の人が少しずつ弱っていく姿を間近で見ることはきっと凄く辛い。
夫との電話で取り乱している義母の声が漏れ聞こえると会いに行かないといけない気持ちになる。
午後から無理を言って休みを捻じ込み夫と合流し義実家へ顔を出した。
今日は病院へ行く日(義父の希望で入院ではなく定期的な通院と在宅医療のお世話になっている)だったらしいのだが、生きていることが不思議なくらい数値が悪くなっており数日中かもしれないと、今度こそ最期になるかもしれないと言われたようだ。
この連絡がくる数日前には義母から夫へLINEが送られてきていた。ここ数日は1日の大半は寝ていて床擦れもできてしまったとのことだった。
会いに行かない理由なんてなかった。
義父はしんどそうだけど意識ははっきりしていた。
義実家に到着した時義父は身体を横たえて寝ていたが、その少し前までは普通にテレビを観ていたらしいし、起きてからは一緒にお菓子を食べて団欒もした。
安心したような拍子抜けしたような。
もう何度も拍子抜けしてはいる。
夕方にお暇して21時過ぎに家に着いた。
地元の友人にも当然ながら会えていない。
義父がいつ急変するか分からないので。
両親は、大変な時だし嫁いだ身なのだから義母や夫のサポートに専念しなさいと言う。
ただ、この2年で数えるのも億劫になるくらいには最期かもしれないと言われた。
オリンピックが過ぎてからは頭の片隅でどうせ大丈夫だろうと考えてしまう自分がいる。
でも、万が一、本当に最期なのだとしたら、夫は会うべきだと思う。
その時は夫に寄り添ってあげたいとも思う。
そう思うと毎回の呼び出しに応じるしかない。
元気なうちに家族での写真は欲しいと義母が言うので家族写真が多めのフォトウェディングは撮った。
結婚式を挙げるかどうかも、帰省するかどうかも、休みの日に遊びに行くかどうかも全部、義母は私の好きにしたら良いと言う。きっと本心からそう言ってくれているのだと思う。
でも私は良い子でいることを選んでしまう。
私の我儘のせいで夫が最期に立ち会えなかったら?後味の悪い最期になってしまったら?到底責任は取れない。
加えて、向こうの親族に自分を優先した本家の長男の嫁と白い目で見られることがすごく怖い。
結局自分自身が保身に走っていると自覚しているから誰にも何も言えない。
うじうじして一人で勝手に疲れてしまって馬鹿みたいだなと思う。自業自得。
さっさと全て終われば良いとすら思ってしまう瞬間がある自分が嫌になる。最低だと思う。
なんかもう疲れたな。こんなツラツラ文章打ち込んでさ、被害者ぶってるのかな。良くないよな。義父も義母もしんどくて大変で夫も精神がすり減ってるのに私がこんなんじゃダメだよなあ。
苦しかったら、逃げてもいいんだよ。
凄い専門職だったけど、子どもの障害が発覚したらきっぱり辞めて、専業主婦になったお母さんも大勢いるよ。
ただ…もう数年、踏ん張れるようなら、文部科学省の改革が功を奏すかもしれない。
それを待てるんだったら、待ってもらってもいいかも。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240913/k10014581031000.html
文部科学省は、高い専門性を持つ外部人材で教員免許がない人に「特別免許状」を出して、教員として採用することを自治体に促していて、この夏のパリオリンピック・パラリンピックをきっかけにアスリートを先生として採用しやすくなるよう新たな取り組みを始め、13日、全国に通知しました。
具体的には、競技団体などと協力し、教職に関心のあるアスリートのリストを作って、各教育委員会に提供するほか、必要な知識や技能を学べるよう、研修の教材を提供することにしています。
また、オリンピックやパラリンピック、デフリンピックへの出場経験があるアスリートが、先生となる場合は、本来決められた教員の定数とは別に、学校に配置できるようにしました。
教員免許がなくてもアスリートが先生になれるようにしてて、その中にはパラリンピックやデフリンピックの選手も含まれてる。
主さんみたいに健常者の先生が教えてくれるのもいいけど、パラリンピックの選手が特別支援教育にも携わってくれるのが期待できる。
同じ障害のある先輩と後輩として、実体験に基づいて、身の回りの自立の方法も教えてくれるんじゃないかと。
その頃には、主さんの負担も今よりはだいぶ減ってると思う。
パラリンピックが終わったけど、メダルと障害者支援の充実度との相関ってあるんだろうか
https://sports.yahoo.co.jp/paris2024/paralympic/medal/
スポーツが一般的じゃないインドがパラリンピックだとそこそこメダル取ってたり文化的な要因、ヒジャブの女性が参加していたり宗教的な要因、障害によってクラス分けがされるから国によって得意な競技でメダル量産しやすそう、とか障害者支援とは関係のない要因は沢山あるんだろうけど、それでも障害者支援の充実度と無関係ではないだろう
印象だと、日本は車椅子はそれなりに強いけど脳性麻痺は十分じゃないのかなって
ちなみにオリンピックとパラリンピックの差をメダルランキングの順位「オリンピック-パラリンピック」で示すと
中国1
アメリカ-1
日本-7
イギリス5
オーストラリア-5
フランス-3
オランダ2
ドイツ-1
カナダ0
ブラジル15
イタリア3
ウクライナ15
韓国-14
インド53
スウェーデン-56
ニュージーランド-40
今のオリンピックはもう男女別にやらないオリンピック総合版にしちゃうのよ。
柔道とか体重別競技があれば階級は残しても男だろうが女だろうがもう関係無し。
100mなら速い奴が勝ち。
その一方で今のパラリンピックがやってるみたいに身体の特徴ごとに足が無い人の部、手が無い人の部、目が見えない人の部、女の身体の部で分ければ全部解決やん!
あったまいー!!
たまたまパラリンピックの試合を見る機会があって、バドミントンの車椅子と下肢損傷?の試合を見てたんだが、あまりにも面白くなくてすぐに見なくなったんだが、あれはなんでなんだろう。
お互い延々と後ろに打って、たまに前に打って、相手がミスしたら得点という感じで、駆け引きとか人類の限界とかを感じないまま、作業みたいな感じで試合が進んでいた。
2. とてもレベルが高い技術を使っているが、有識者でない自分には認識できない(お互いレベルが高すぎて、細かい仕掛けなどが通用しないとか)
3. レベルは高いが、車椅子などの制約でゲームバランスが壊れている
どれだろう。障害者雇用の関係で日本のパラアスリートはほぼプロみたいな活動が許されていると聞いており、レベルは高いのかもしれないが、ゲーム自体は単調すぎてダメだった。
テニスの小田くんとかもよくニュースで見るけど、実際どれぐらい強いの? 全中チャンピオンより上? 単純にレベル感が見てもわからないので、有識者の意見を聞きたい。
2024年、私はインドネシア・バリで開催されたパラリンピックを観戦するため、バリ島を訪れました。バリの自然豊かな風景と独特の文化はもちろんのこと、世界中から集まったパラアスリートたちの熱い戦いを目の当たりにすることができ、心躍る時間を過ごしました。
競技観戦の後、バリならではの美味しい食事を楽しむことにしました。バリの料理は、香辛料や新鮮な食材を使った風味豊かな料理が多く、グルメとしても非常に有名です。
最初に訪れたのは、地元で評判の高いワルン(小さなレストラン)です。ここで注文したのは、「ナシチャンプル」というバリの伝統的な混ぜご飯。香ばしいサンバル(辛味調味料)とともに、鶏肉や豚肉、テンペ(大豆から作られた発酵食品)、ピーナッツ、野菜などがバランスよく盛り付けられた一皿で、見た目も味も素晴らしいものでした。
次に試したのは「バビグリン」、バリ風のローストポークです。じっくりとローストされた豚肉の皮はパリパリで、肉は柔らかく、特製のスパイスが絶妙なアクセントを加えていました。バビグリンは祝祭や特別な日に食べられる料理で、今回はパラリンピックという特別な機会にふさわしい一品でした。
デザートには、バリの伝統的なお菓子「ダダールグリン」をいただきました。ココナッツとパームシュガーが詰まった緑色のクレープは、甘さ控えめで口当たりが良く、食後のデザートにぴったりでした。
観戦後の食事は、競技の感動とともにバリの豊かな文化や味覚を体験できる素晴らしい時間となりました。パラリンピックのアスリートたちの勇気と努力に感動し、またバリの温かい人々と豊かな食文化に触れ、忘れられない一日を過ごしました。
パラリンピック競技の一つであるボッチャ。他の競技と異なり、脳性まひという特定の疾患を有する人が参加する。
脳性まひの詳細な症状は各自調べてもらいたいが、脳性まひの主たる原因はなんだと思うだろうか。
「胎児期または乳幼児期の医療ミス」と、「乳幼児の虐待」の2つである。
厚労省や医療コミュニティによる調査では直接的な原因しか調べられていないが、真因を調べるとだいたいこの2つである。
「脳性麻痺リハビリテーションガイドライン」というものに、「脳性麻痺の真の理由は追求してはならない」というとんでもない一文がある。
真因を追求されて困る人がたくさんいる証拠だ。
また、東京パラリンピックでは、他の競技に対しては医学会がスルーしたのに、ボッチャだけ名指しで中止勧告をしていた。
医療側の人達にとって、脳性麻痺にスポットライトが当たるのは困るし、そのきっかけとなるボッチャにスポットライトが当たられるのも困るということだ。
それを頭の片隅に置きながらボッチャを見てみると、また違った側面が見えてくる。ボッチャは、医療職についている人達の踏み絵なのだ。