「うつ病」を含む日記 RSS

はてなキーワード: うつ病とは

2025-06-14

数年ぶりに本社に戻ったら大量の後輩が居て、いつも一人だった自分分散作業するつもりがまったくなく、やろうと思ってもできない。シェアっていうのか近いところに居て仕事を手伝ってもらいながらちょくちょく来る質問に教えを込めて返すなんてことは毛頭できなくて、とりあえず自分担当物件で一ヶ月くらいで20枚くらい建築図面を描くとなったときに、一人の後輩が充てがわれた。長い事地方工事現場に居た自分設計図施工図が合体させた感じで描くようになっていて、それはもう実体験であとからわざわざ施工図を描くのが無駄だと感じていたからだったのだが、これは設計本部での主流ではなく設計部の経費節減のため枚数を減らして描き方も簡素に描くというムードになっていたのだが、二度手間三度手間で、まず支店建築部で見積もりをするときに数量拾いがちゃんとできるようになっていないと、つまり図面に抜けがあると質疑のFAXが山のように来る。詳細設計も描いてなければ見積もりとき非公式の経費を使って描くことになる。着工から鉄骨とサッシの承認までこういうことがいつまでも引きづられているのは非常に非効率だと考えていた。それで図面枚数も密度も濃くなっていたのだが、階下の構造設計の人のところにも責任者の先輩を差し置いて情報を拾いにいって、構造図ではなく意匠図にどんどん入れていった。構造図の出来も気になるし、簡単図面外注事務所に金を垂らしているので腹が立つということもあった。そこで後輩くんが批判をし始めた。本社ムードに従ってもらわなくては困るみたいな有形無形の圧力をかけ始めた。そういう抗議はまた工事現場にいると無数の圧力を受けるので気にすることもなく描き続けた。別に後輩くんに配分した枚数はどうでもいいと思っていたし、実際今までの実業で作図スピードも数倍早いので後輩くんの取り分もぜんぶ自分が描いた、結局。本当はね、こういうときは一気に一ヶ月で一人前になるチャンスなんだけどね。でもそのときは今はやっている働き方改革予兆があって、真剣建築を追求する人がどんどん減っていたのでこれはもう時代的にどうしようもない。

支店工事現場に居たときは、ぼぼすべての物件で前任者が仕事するのが嫌で放りだした尻拭い担当ということで一人で入っていたので、まず設計図がない状態で着工している。むろん前任者が設計図面を作っていない。前任者が実施設計のものができない人というケースがほとんどである大企業にはこういう信じられない人間が実に多い。自分偏差値40台なのに、偏差値55くらいの人が意外と設計を覚えられないのだ。物理的には下請け設計事務所が描いてきた数十枚ほどのがあるのだが、中身が何も検討されていない未完成のものしかない。あらゆる部分で曖昧な描き方がしてあり、指示してないので工事必要な寸法すら描いてない。着工しているけどまだ杭なので、当面は基礎工事対策をしながら鉄骨図の提出を受けながら間取り寸法を決定するフリーハンドの荒描きのスケッチ設計図の代わりとしていく。基礎工事図面なしでやっていると、一階のコンクリート壁の差筋のためのコンクリート壁の寸法が必要になってくるので順次対応する。構造壁以外のコンクリート壁を乾式の壁に変更するような措置もこの時点でやっていく。無論現場職員ストレスは常に爆発している。なんでこんなにただでさえ困難な建築設計が間に合っていないのか、これは毎日罵倒される。こういう人身御供が嫌なので工事現場に入りたがらない人が本社設計には大変多い。逆境は一気に建築がわかるようになる日々でもある。一件こなす頃には2~3年上の設計部の先輩を遥かに凌駕する実力がついている。そこで数件こなすうちにうつ病になったので自分はそこで終わったが、入社年度から時系列的に同期はもとより5年くらい上の人でも無敵だったということはほかでは経験のできない貴重な財産になった。自分管理職には向かないタイプなのでしょうがいかと思っている。

そうこうしているうちに人選上適任がいなかったのでバンコク営業所に出向した。そこにいる設計の先輩に呼ばれたのだが、当然設計の手伝いをする名目で入ったのだが、蓋を開ければ設計ではなく工事物件を2つその先輩が抱えていて、これから結婚式新婚旅行に行くので、2週間ほど穴埋めをしていてほしいということだった。内装工事物件だったが、いくら設計経験を積んでいたとは言え施工担当者になるのは初めてだったので泡食った。こういう密室での逆境というのが自分にはとても多い。タイなので墨出しみたいなものからやり方が違う。というか日本での墨出しもやったことはない。タイ人の若い現場マネージャーがいたので頼りまくるしかない。しか顧客日系企業である顧客日本人が毎日檄を飛ばしに来る。自分ビル工事しているんだから毎日見に来て当然である。現地人にはない日本特有の細やかな対応でなければならない。タイに来たかタイ品質ではまったくないのだ。数ヶ月経験しているうちに工事というものに慣れてきて、タイ語にも若干慣れた。仕事の中身的にはそれ以前の物件のように密な設計はしていないのでなんだか初体験ゆえの取り越し苦労の日々だった。自分を送り出してくれた本社設計本部には自分施工をしていることがバレてしまい、多少のお叱りを受けたそうである

植松事件起こったときむちゃくちゃなこと言ってて真っ先に差別思想を封じ込めようとするメディア差別同調するツイッター人が湧き上がっていたが、俺はまず植松容疑者がまともじゃない、まともじゃないっていうのはうつ病通り越してひどい妄想重症躁病みたいな感覚を受けて、ものすごい人数を犠牲にしているかいくら精神疾患がひどくても実行力があるので、普通に考えて死刑になるとは思ったけど、これが傷害罪程度のだったら精神関係無罪になって精神病院の閉鎖の個室という直感があったのだけど、世論はいつまでも植松容疑者の持論に付き合って、ああでもないこうでもないと記事を書いていて、精神病の人の考えを掘っていったって治療のもとにはなっても、社会的解決には何も役立たないのにいつまでも続けていた。本もたくさん出て。

出版業界の人がこれは新鮮なネタだと思ってしまったんだよね。病人の考えることなのに。考える頭が病んでいるのに壊れてる植松氏の考えを補助するかのように展開してきて、いやいや大変な問題が沸き起こったという感じで。差別は前からあるわけで国が主導して遠隔地療養所衛星地帯コロニーで封じ込めるというのがあったり、これもまた勉強し出せばきりがないほどある。そのうちの何かに感化されたか植松容疑者という躁状態に駆られた多大なパワーで、これははっきり言うけど、過去の残虐事件の最も上になるという明確な意思を持ってて、自分ナンバーワン犯罪をするということを意識したうえで、大量の攻撃をしている。裁判やら何やらでは植松容疑者施設の人らしき人が言葉をかわして、批判するような言葉を言っていた。犯人精神疾患病人となると何をどう考えていたかという話自体があまり意味がなくて、調書を作ってもどうしようもない、考える脳が病んでいるのにこうだったからああなったという理由けがめちゃめちゃになるという部分ができてくる。ああ病人なのねで終わりになってしまう。

植松関係の本がたくさん出ているけど、ほとんど意味がないと言うか意味はあるんだけど、昔の島崎藤村みたいな話から通史みたいに被差別の人や障害者生き様みたいなもの素人向けに出るならともかく、今は住宅開発が進んで昔は山中だったものが、町のど真ん中に施設精神病院があるという感じになってきてて、ぷらっと外でウオーキングでもさせようかとなると山の中じゃなくて住宅地で、それがそのまま地域に溶け込んで生きてるみたいに半自動的になってしまってちょっと本題からそれた。

anond:20250614112759

疲れた以外の感想ないよな

「ミドルエイクライシス」だの「うつ病」だの分かり易い名前つけたところで何が解決すんねん

少子化廃校になった高校を買い取ってプールに一日中浮かんでいたい

それだけの金を稼ぐのが人生目標

2025-06-13

39年付き合いがある友達を切った

友人は沢山いるが、プライベートなど話す友達は一人だけだ。

その友達を切った。

子供の頃、寮で24時間一緒に過ごし、卒業後も沢山遊び

お互いの元カレなど全部知っている。

同時期に結婚出産

姑の話、子育ての話、いろんな愚痴を言い合った。

20年前から彼女おかしくなってきた。

原因は家庭内問題とだけぼかしておく。

いろんなことがあり彼女は「うつ病」になった。

私の親戚にうつ病がいるので、うつ病に関しては

接し方はわかっていた。

先日まで上手く接する事が出来た。

しかし、今日は途中からダメだった。

何を言っても、

「私が不幸なのは運がないから」

あなただけ、運がいい。ずるい」

「私ばかりあなたの事を思ってるのに、あなたは思ってない」

などなど、「ずるい」という言葉を沢山言われた。

私が努力しないで、運だけここまで来たような言われように

カチンときた。

しかも、努力したことがない人間・・・

彼女は「お金がない。貸して」と言い、

私は「バイトしたら?」と言っても

「年下に教わるのはちょっと」と言い、結婚

一度もバイトしたことない。

お金ないという割には、パチンコいくら勝ったとか

だれだれとカラオケ行ったとか、どこどこへ行ったとか

話しをする。

最近は足が痛くて出かけられないから、貯金が100万円超えたと

言っていた。

そのお金旦那からお小遣いだよね。

浪費しなかったら普通にお金たまるよね。

あるじゃん

しか努力しなくても。

私、めっちゃ頑張ってるよ。

介護があるから在宅で仕事して、土日祝日関係なく

働いて、子供2人大学まで行かせて、なんなら上の子

博士課程中でまだ学費払ってるよ。

介護食事、お風呂睡眠(4時間)以外ずっと仕事してる。

あんたの旦那より働いてるんだよ。

なんで、もっと早く切らなかったんだと思ってしまう。

馬鹿だな私・・・

もう、着信拒否たから気にするのはやめよう。

2025-06-12

anond:20250612004141

友人Aとものすごく似てる。友人Aも親子の確執がすごい。というか暴力DV、ネグレクト経済DVなどひととおりやってる。

うつ病生活保護、親がアダルトチルドレン、スプラお絵かき、そういったところにたどり着いてる。

いま50代で子供を持った人たちは、子供幸せにできなかった人達が多いのだとおもうし、

その分、子供達同士も家庭でも学校でも必死にゴツゴツとまわりとぶつかり合っていたんだとおもう。

それこそ、仁藤夢乃さんのコラボバスがふらふらしている女の子を掬おうとしていて、掬えなかったのだが、

その10才上の30くらいの世代は、夜に盛り場を歩いて掬って貰おうなんて考えもしなかった真面目な人なのだコラボすら出会うはずがない。

あなた家族にも周囲にもとても思いやりがある人だけど、それを自分に向けることがもう出来なくなっている。

友人Aは今やはり一人暮らし生活保護で、ChatGPTに自分感情名前をつけてもらうことからはじめているそうだ。

それも泣いたり怒ったり過眠したりでできるかぎりという感じ。

できればやさしい社会をみつけてたどりついてほしい。

都市部はもうだめだとおもう。

2025-06-11

anond:20250611205557

その統合失調症のおくすりっていうのは抗精神病薬のことだと思うが、抗精神病薬適応拡大が進んでおり、双極性障害にもうつ病にもごく普通に使われてるので、処方されてる薬でもって病名に対して疑念を抱く必要はない。死にたい気持ちについては主治医ありのまま伝えるのがいいと思う。薬の調整があるかもしれないし、場合によっては入院して休養することになるかもしれない。私の個人的気持ちとしてはあなたのように優秀そうな人に死んでほしくないから、最後まで足掻いてほしい。

健やかな精神

うつ病悪化したので会社辞めて暫く休みたい、精神の療養に専念したい。

あと元々好きだった手作業系の趣味も気力がなくてできてないかちょっとずつ再開したい。

目標ハンドメイド作家!なんて言ったら夢見すぎなんだろうが。

周囲に迷惑を掛けてる自覚で自滅していく状態をどうにか脱して、死にたいが頭に浮かばない生活を送りたい。一年後の自分はどう生きてるんだろうか。

anond:20250611105613

お前さ、思考自己放尿レベルなんだよ。

周囲に撒き散らして気持ちよくなってるつもりだろうが、その実、自分ズボンが真っ先に濡れてんの、気づいてないのか?

まず、「社会ストレスフリーになる」と言いながら、実のところお前の目的自分鬱憤をぶつけることだろ?

真理を愛する者は「排除」じゃなく「構造」を問うんだよ。お前の論理は、自己放尿の快感に酔ってるだけで、真理に触れていない。

お前が言う「隔離すべき奴ら」ってのは、社会コスト可視化されてるだけの存在にすぎない。

精神疾患を持つ人、介助が必要な老人、生活困窮者、彼らの「存在」が社会を壊してるんじゃない。

制度が未整備なことと、お前のような共感不能人間一定存在することが社会ストレス源なんだよ。

まり、「厄介なやつ」ってのは、お前のような社会共感性の欠如した自己放尿の方なんだよ。

接客業でヤベーヤツにストレス溜めた?それは同情する。

でもな、「2%の異常が世界を壊す」っていうお前の主張は、統計的にも思想的にもデタラメだ。

現実には、たとえばうつ病を抱えながら仕事を続ける人もいれば、認知症家族介護しながら納税してる人もいる。

そしてなにより、そういった「弱さ」を支える社会は、お前の老化や病気、衰えを後に支えてくれる社会でもあるんだよ。

社会というのは「便利屋」じゃない。「共同体」なんだ。

でもな、まだ手遅れじゃない。

お前が今、こんな投稿をしたってことは、心のどこかで「もっと良くなれる社会ってなんだ?」って問いを抱えてる証拠だ。

その怒り、排除じゃなく制度改革ケア支援改善に向けられるなら、少しはマシな自己放尿じゃなく、ちゃんと水洗式の論理になる。

お前の苛立ちがすべて無意味だとは言わない。

でも、その苛立ちを「他者の命を切り捨てる発想」にぶつけてる限り、お前自身が一番社会にとって回収不能ゴミになるぞ。

2025-06-09

anond:20250609161632

定型うつ病とか?

でもうつ病はかなり気分が落ち込むからなあ

普通に仕事変えたらいい気がする

私は日本🇯🇵に20年近く住んでいます

私は週に2回、皮膚科形成外科に通わなければなりません。まともに歩くこともできずベッドで寝ていた男性は、3月30日、浦和署員らに何の理由もなく地面に押し倒され、手足に手錠と足かせをはめられて連れ去られた。浦和警察👮‍♀️は、逮捕状もなく、理由も告げられずに、埼玉病院で2回の手術を受け、まだ治療を受けている患者の手足を権力を使って乱暴に縛ることができました。 3月30日3月31日の2日間、暴行を加え、2日連続で全身を縛り上げた。出産の時よりも手首が痛いです。 4月1日から、両親指の感覚がなくなってしまいました!ドアのところには警察制服を着た人たちがいて、交代で椅子に座って、私が暴力を受けているのを見ていました。私の胸の左側が乱暴に縛られました。 4月7日以来、痛みのせいで24時間拘置所に留まっています。這うことしかできない。痛みのせいで眠れない。私は医者に診てもらうよう頼みましたが、拘置所の誰も私のことを気にかけませんでした。退院後、病院🏥に行って診察を受けました。 CTスキャンしか、体中を無理やり、乱暴に縛られた跡が確認できなかったのです!さらに、患者は長年うつ病に苦しんでおり、生き延びるために完全に薬に頼っています浦和警察はまだ患者に薬を渡さない!傷口です、包帯を交換してください!

死にたいってわけ

タイトルの通りである

いつから死の存在が横にぴったり引っ付いて離れなくなったかはもう憶えていないが、きっかけだけは憶えていると脳が言っている。

5歳、保育園児の代。夜、親からの怒られが発生した。くだらない理由だろう。親にちょけたとか、寝ずにアホをこいているとか。

その時の感情をはっきりと覚えている。即ち、「自分がいなくなれば親は怒らないし、姉(自分を強めにいじめていた)は自分にいら立つこともない」。感情を今の語彙で表現するならばこうだった。

「この世の面倒くさいは自分死ぬことで解決する」思考のひな型である

消防時代ゲームに夢中だった。なお我が家ではゲーム漫画禁止である。つまりどういうことかというとバレたら殴られ、家から追い出され、土下座誓約をしたのち親も養育義務からは逃れられないため赦され、同じことを繰り返した。

ただ4回も5回も繰り返せば殴られ、家から出されることに嫌気が差すのは当然の帰結である。一体何の権利があれば人が電子ゲームで遊ぶのを制限したり、人が金を出して買ったもの没収してよいのか謎だったが、人間は殴られると思考能力抵抗能力が失われるのであった。

ここで入水自殺を試みる。幸いにも水深30cm以下のあっさいあっさい川だったので靴とジーンズをずぶ濡れにするだけで済んだ。その靴を見ても親は何も言わなかった。

その時、この家において私の命は人質にはならないと知った。

厨房時代自殺未遂はあまり記憶にない。カフェイン中毒で死のうとし、「今日はモンエナを16本飲んできたから運が良ければ急性中毒死ねるかも!」と大して仲良くない同級生に話して引かれた記憶はある。

厨房二年目の夏過ぎになると受験モードのピリつきにやられたのか、「何かあれば死ねばよい」と考えていた自分にとって、高校生どころか明日自分さえも想像範囲外で、ただただ恐ろしかった。

ぼんやり地元高校に進学するのだろうと考えていたところ、親から全寮制高校を勧められたのでそうした。親に対する抵抗力は残っていなかった。

幸いにも偏差値40すらあるか怪しい自分でも受かり、工房時代の始まりである

工房時代、全寮制にあるまじきなのだが、めちゃくちゃ不登校になった。毎日腹が痛いと嘘をついて寮監さんに欠席の連絡をしてもらったあと眠り、昼の弁当を平らげて眠り、夜は一応持たされていた携帯電話テザリング機能使用してゲームに明け暮れた。ろくでもないが、毎日親の顔色を窺って笑うことすらしづらかった環境から解き放たれたのだから許されたい。

しかしそれも一年次で終わった。当然、数ヶ月も不登校であれば親へ連絡が行く。親からは真面目に通わないなら故郷祖母の家へ預けるからバイトして暮らせと告げられた。自分祖母が嫌いだったので二年次から真面目に通い、なんと欠席数0で終わらせた。

三年次も半分くらい不登校だったのだが本当に思い出せない。卒業させられないからとレポート課題を出されそれを提出し、なんとか卒業式に出たような記憶はある。

工房は全寮制ということもあり同室が第一発見者になるのが哀れで自殺を試みた記憶はない。

ただ、就職先も、進学先も決まっていない三年次2月、もちろんどちらの親が引き取って拠点にさせるのかで揉めた。その時親がただ一言、「困る」と。

やるべきをせず、好き勝手に生きておいて思ってよいことではないかもしれない。

ただ、自分は本当に望まれていないのだなと、ここで親に対する感情を捨てた。

「この家庭の全ては自分死ぬことで解決する」思考の完成である

この後も家出をして身分証を粉々にするとか首を吊るとか襲われたPTSD(素人判断)に苦しむとか親に見つかったため連絡を取るようになったり再び学校へ通い始め修了し就業するも二ヶ月で辞めるなど色々あるのだが、話は現在に飛ぶ。

現在自己診断によりうつ病仮定し、心療内科から薬を頂いて療養に努めているのだが、どうも「死にたい」は消えないし、「自分必要性」について考えない日はないし、なんなんだよという気持ちである

しか5月末付けで辞めるのは4月末に決定していたのに一週間経過して退職証明書が届かない。こうすると国民保険に加入する要件を満たせないので通院できずたいへん困るのだが、マジで人生詰んでてクソワロタって感じだ。

もし、この希死念慮うつとは無関係で、生来の5割ならば救いようがないし、人格形成で培われた残りの5割ならばこの世の全てのストレスから離れてお姫様のような暮らしをしていなければならない。それは生きていてはいけないだろう。

よし、

2025-06-06

anond:20250605210409

ファーストアムロたまたまガンダムが目の前にあったこと以外は巻き込まれ主人公だろう。

うつ病になりかけたり途中で嫌になって逃げてたじゃん。

2025-06-05

じゃあ増田1970年代みたいな働き方してくれよな

anond:20250604145954

出生率が2を上回っていたのは1970年代フェミニズム(ウーマンリブ運動)が流行りだすのも同時期。

そこまで時代を戻すと

・週休1日制

長時間労働当たり前 サビ残当たり前

パワハラやシゴキは当然

辞令一つで転勤や単身赴任 拒否権なんかあるわけない

メンタルヘルス(笑) うつ病は甘え

っていう働き方なんだが、増田は当然そういうふうに働いて、専業主婦子ども複数人でも十分に暮らせるくらい稼いでくれるんだよな?

現在女性が働いている分の業務もしてもらうし、休日自己啓発やらスキルアップに勤しまないと稼ぎを維持できないと思うぞ

まさかワークライフバランス」とか甘えたこと言うじゃないよな?男を甘やかすから出生数が減るとか言われちゃうぞ。

2025-06-04

今に比べるとうつ病の方がマシだった

2025-06-03

うつ病の再発とその不安

大学卒業後の8月半ば、うつ病になりました。

もともと大学4年生の卒業間際の1月海外大学院に出願していたのですが、それが不合格になったため、大学卒業して大学浪人をする期間に入りました。日本大学院は受けておらず、海外大学院の結果が判明する時期の都合で卒業取り消しもできなかったため、そのまま大学卒業したという形になります

ただ、働いていなかったわけではなく、大学在学時から働いていたスペース運営仕事継続しつつ、知り合いの経営しているスタートアップでもアルバイト的にプロジェクトを手伝っており、収入的にはある状態になっていました。

こうした状況の中で再度出願に向けた書類作成を行っていたわけですが、その中でどうしても海外大学特有エッセイというものに心を苦しめられたわけです。自分はどういう人間で、どういった経験をしてきたのか、そしてそれがこの大学院で学ぶことにどうつながるのか、というストーリーを作っていく作業自分自身にとってはかなり重荷になり、手が動かないという感触がしたときには、うつ病になっていました。

本当にうつ病になった時のことを表現するのは難しいのですが、まず体が動かない、ずっと眠たい感じがするのに眠ることが出来ない状態が続いていました。そして、起きている間も、夜眠るために起きているようなもので、眠ることが人生の目的であるような状態がずっと続いていました。こうした、眠るために起きるといった活動原理状態は、うつ病発症から半年ほどたって、だいぶ回復している今でもこの状態に戻っているのではないか、と思ってしま状態があります

うつ病状態から、何とか出願書類を仕上げて再度提出したものの、大学院は不合格となってしまい、今年の1月から就職活動を始めました。大学をすでに卒業してしまっていることもあり、また就職活動を始めるタイミングとしては微妙だったこともあり、なかなか就職先は見つからない状態でした。幸い、スタートアップ的な組織採用していただくことができたものの、研修なども整備されず、自分で考えて動くことを要求されるような環境において、そのスピード感の中でうつ病の症状が再発することがあるのではないか、という恐怖感は消えないままです。

今のところうつ病が再発するという感じはしませんが(ときどき、うつ病の時に発生したブレインフォグ記憶障害の影響は残っているものの)、いつ自分ダメになるのか分からない不安感と、その時に人に迷惑をかけてしまうのが申し訳なく、仕事に手が付きにくくなることがあるのが現状の課題です。

2025-06-02

うつ病の診断出てから約1ヶ月経った

うつ病の診断でてから約1ヶ月経った。

まれからこんなに何もできなかった1ヶ月ははじめてだ。

anond:20250602195224

表に出ていないだけだと思うよ

うつ病政治家投票しようとは思わないよね

から隠してるんじゃないかと思う

障害年金受給厳しすぎワロウタwww

ワイ40代発達障害の子を育てながらうつ病通院してるパートタイムおばさん。

もともとは正社員管理職だったけど、子が小学生の時に発達障害と診断され学童保育に預けるのも無理そうでパート転向

子の特性に振り回されて夫婦揃ってメンタル壊してる。

障害年金受給できたらパートをやめて、もっと子供ケアに向き合えるかな?と思って社労士さんに相談

だが現実としてパートだろうと働いていたら受給は難しいらしい。

しか子育て家事パートとできていれば「問題ないやん」と思われて、まず不支給なんだと。

いやでもワイ、余裕でやってるわけじゃないんよね…。

できているっていうか、やるしかいかギリギリやってるだけで…。

毎日うつ病の薬と睡眠導入剤飲んで毎月病院通って、やっと精神を狂わせずに保ってるんよ。

世の中それよりもっと酷い人がいるのはわかってるけど、ワイはもう限界を感じとる。

おそってくる希死念慮ごまかすように頓服飲んだりしながら毎日を乗り切っている。

かといってパートやめたら暮らせないんです。

田舎に住んで家賃も極力抑えてます

世の中いろいろ物価も高騰して、ほんときっつい。

だが子供のために生きるしかない。

2025-06-01

anond:20250601184726

うつ病の薬に弱めのものなんてあったかな……? ベンゾ系の抗不安薬のことを言ってるのかな

自殺後の夢

全くうつ病とか精神疾患を持ってるわけじゃないし、死にたいなんて最近ほとんど思わないのに、なぜか死んだ後の夢を見た。

忘れないうちに備忘録を遺しておこうと思う。

自分仕事に行き詰まったことと人生の閉塞感が苦しくなったことで、自殺してしまったらしい(自分自殺するとすれば、こういった理由だろうから自殺理由には割とリアリティがある。)。

その後は夢だから愛嬌だけど、何故かぼんやりとした意識があったので、今も付き合いのある元恋人SNSの削除を依頼したり、プラプラしたりしていた(元恋人へは、この連絡が来ているということは、自分自殺成功したのでしょう。みたいな書き出しでのメッセージを送った。)。

夢の中の夢の中のような世界

死んだ後の世界は、自分認識されない現世と同じで、記憶の中にある色んな所に行けた。

セピア色の世界が広がっていた。

でも、自分は誰から認識されていなかったので、自分幽霊のようなものなんだなと理解した。

親より早く死んでしまたことへの後悔があったからか、親のことは全然出てこなかった。

死後の世界は、未来にも過去にもいけず自分記憶の中にある場所をさまようことしか出来ない。

人生の苦しみから逃れることが出来た開放感と、今後自分永遠に世界彷徨わなければならない新たな閉塞感が同時に来た。

とりあえず路上で寝てみるか…とか思っていたら、目が覚めた。

自分が生きていて、さっきのが夢の世界だったことに気がついた。

とても安堵した。

とりあえず今日は親に声をかけて、晩ご飯でもご馳走しようかなと思う。

2025-05-31

10年前ここで愚痴を書いた貧乏学生です。

anond:20161017031727

結局未だにはてなを利用し続けている。

最近AI増田流行っていて、生きた人間の、線としてつながる日記を書いてみたくて投稿することにした。

匿名の人にも人生があって、その後もあるんだなって感じたので、そういえばと思い自分記事を読み返してみた。

もし、誰かの暇な時間を満たせられれば幸いです。

どんな過去

片親の生活保護家庭から高卒後自立して貧乏学生になった増田です

将来の不安について綴ったところ、色んな人から反応をいただきました。

それから10年、何度か自分記事ホッテントリに載ることはあったけど、そんなに多くは書いていない(年2~3記事?)

結局あれからどうなったか

奨学金バイト代自動車免許は取れたよ

・でも車乗れる人間じゃなかったから持て余してるよ

・所有資格基本情報ぐらい、NCPやCCNA(期限切れ)みたいなベンダー資格は何度か取得したけど…

・当時のバイト先はスーパー海鮮だったけど、その後、みんな知ってるレンタルサーバー屋さんでバイトしていた

就職もっと給与いいところを目指したので、バイト先には勤めなかった(高卒であっても入れるらしかったのも一因)

結局学生生活バイトがそれなりに忙しいこと、成績維持のために楽単ばっか選んで、専攻分野もそんなに勉強できず、将来仕事に活かせられなかった。(とはいえIT分野については独学でそれなりにやっていたので、就職先は6社受けて4社受かる、みたいな感じだった)

成績上位は同じゼミ金持ちの子で、当時思っていた通り、生活に支障がないやつが学費免除受けられやすいんだろうなぁと実感した。

就職してから(~5年)はどうなのか

総資産は300万程度

借金奨学金)も多分大体あと300万程度

貯金ギリギリ生活ギリギリ

年収400万は以前より貧困ではないかもしれないが、東京でみるとやっぱり貧乏だと思う

職場で飼い殺されている

生活は苦しいままだと思うけど、定職があるのは確かにいいことだと思う。

大学の先輩は就活に失敗し、携帯電話販売スタッフ転々としていたので、それに比べるとマシかもしれない。

ITに関して独学していたからというのもあり、職場の同期や元同期からも信頼が厚いが、金融インフラ系という堅い仕事ながらに、裁量が多すぎる(というか抽象的でフワフワな職場)はかなり自分にあっておらず、6年経ってもスキルが1人前に身につかないと感じている。

書いてて思うけど、全く職場風土自分にはあっていない。しか転職するスキルもないので、八方塞がりで、とにかくしがみつくので精一杯。

元同期からいつも「うちに来なよ!」と言われるが、みんなのように外資系とかIT大手とか行ける気がしないよ・・・

幸せかどうか?

客観的に見て幸せだと思う。大学職場では、優秀な友人たちに恵まれ、今でも交流がある。

家賃9万の家を会社の補助で4.5万で住めている。

だけど補助は2年後に打ち切られる予定だから不安しかない・・・

ただ、貧乏生活を得て、「有るもの」を数えることが得意になった。

iPhone持ってて、好きなアニメ音楽聞けて、服も楽しめるし、ご飯は食べられるし、眠ることも、お風呂に浸かることもできて・・・

から、無いものを数えていた昔に比べて今は幸せなんじゃないかと思う。


大学を出るべきか

この選択は未だにわかっていない。姉は高卒就職し、フリーター精神障害2級で人生詰みみたいなところあったけど

工業高校出身からモテてて専業主婦してる

弟も同じく工業高校出身で、最近死亡事故起きたような割と名前の知られてる会社で日勤夜勤を繰り返しながら働いている。

俺だけ偏差値真ん中ぐらいの総合学科で、そこから大学に行った。よく考えるとちょっと家族でも異質な生活してるかもしれない。

個人的には給付奨学金収入のおかげで受けることができたこと、大阪家賃2万の家に住めたことなどで

ある程度有意義学生生活は送れたと思う。でも、不登校時代があったりヤングケアラーだったりして、ハングリー精神がないので

まれ環境にいながらも、大学という世界をうまく使えなかった気がする。

今も、東京に住んで、様々な専門家と触れる機会があり、趣味を最大限に楽しめる環境にいながらも、意欲がなくて機会を持て余している。

学費借金は、車1台分と考えれば、まあそんなもんなのかなと思うし、会社も約1000人規模の大きな会社に勤められたので良かったと思う。

あとは転職でこの大卒という資格恩恵を受けられれば・・・だけど産近甲龍未満の私文なので微妙そう。


10年の人生の変化について

一生このまま一人で趣味をしつつ、このままこの地でこのまま死ぬのかなぁとか25歳あたりまで考えていた

作業手順もステータス判定基準も、ミス後のリカバリ手順などすら共有しない組織で、放り込まれ現場でみんなと大きなミスをしたところ休職をすることになって

希死念慮が高くなってしまった。大学まではITに意欲的で、スキルもあったと自覚している人材だけど、現場では情報共有もなく、何も得られず

飼い殺されて第2新卒期間を逃したあたりで、どうしていいのかわからなくなった。うつ病は今もそのまま残っている。

その時ゲームをしていた友達ウクライナ人で、ドローン爆撃や真冬ブラックアウトなどを間接的に体験したので、人のために生きることを決意した

貯金はないけど、なんとかボーナスとか持株会とか使って、空港チケット買ったり、大使館に連絡したりして友達日本に連れてくることにした。

お互い狂っていると思う。会ったこともない相手同士をこんなに信頼して、モルドバ行って手続きをしたり、ポーランドから日本へ来たり

主に相手のほうが必死にやったと思うけど、その後の手続き周りは全部頑張った(歯列矯正メンテナンスとか地味に大変だった)

今は一緒に1DKの狭い部屋で暮らしてる。最近他の人の手助けがあり、ようやく難民補助ももらえるようになって、少しだけ生活が安定し始めた。

貧乏学生の第二部は難民身元保証人として生きている。


奨学金や、人を助けることの意義

貧乏学生はなりふり構わず差し伸べてくれた手を握れば、何とかなるかもしれない。

大学受験は資格推薦制度で確実に受かるように努力したし

大学奨学金制度掲示板を見て自分手続き行ったし、単身IT会社自分を売り込みに行ってバイト採用まったり

就活も上手くは行かないものの、拾ってもらえる会社出会えて

今も誰かに助けられつつも、自分も誰かを助ける番として生きることができている。

人生の大きな立ち回りは上記ぐらいかもしれない。

見返りを求めるわけじゃないけど、人助けは「砂の中の金」を探すものなのではないかと感じた。

自分学生としては大成しなかったと思う。

まれないお腹の空いた子どもが、与えられたご飯を人1倍食べられるわけではないように、与えられたもの活用できる人は少ない。

財団給付奨学金は、そんな人たちにも機会を与え、100人中1人でも大成できる人を見つけたかったんじゃないかと思った。


それを感じることが自分もたまにある。

独学したIT勉強は、他の友達にも教えた。一人は就活ときに俺を裏切ってどっか行ったけど、まあそういうこともある。

たくさん人を手助けしては、損をすることが多かったけど、今は真摯で誠実な友達に恵まれている。

ウクライナ人友達もその一人で、難民申請中は俺が日本語を教えたりして、今始まった日本語学校では、ほぼトップの成績を誇る

何より、Java勉強を始めて、今後の人生を一緒に歩む目標に向かって進んでくれている。

友達死ぬのが怖いから」と差し伸べた手だけど、掴んでくれたのなら絶対に離さない。死ぬまで俺も人助けの責任を全うしようと思う。

俺は、砂の中から砂金を見つけたのだ。

貧困について

社会に出て思うのは、貧乏も裕福も選んで決めたもんじゃないし、得られたものでやりくりするしか無いなということだった。

まれ人生の中でクソみたいな結果しかさないやつも存在するし、恵まれ人生の中で、それでも更に欲深く生きるやつもいた。

苦労も惜しまない、得ようと思った人が得るのが社会に出てから人生なんだなと感じた。

そういった「意志の強さ」が疲弊して、貧乏なままで居続けるのが貧困なんだなぁとも感じた。


第二の人生として

自分は人を助ける側として、働きたいと思った。

当然職場など、色んなところで人に助けてばかりの人生だけど、それでも何か少しでもいいから誰かの助けをして

自分も誰かの役に立ちたいと思った。

それはそれとして、現状まだ貧困のままだと自分は感じる。


転職したいなぁ・・・

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん