数年ぶりに本社に戻ったら大量の後輩が居て、いつも一人だった自分は分散作業するつもりがまったくなく、やろうと思ってもできない。シェアっていうのか近いところに居て仕事を手伝ってもらいながらちょくちょく来る質問に教えを込めて返すなんてことは毛頭できなくて、とりあえず自分の担当物件で一ヶ月くらいで20枚くらい建築図面を描くとなったときに、一人の後輩が充てがわれた。長い事地方の工事現場に居た自分は設計図と施工図が合体させた感じで描くようになっていて、それはもう実体験であとからわざわざ施工図を描くのが無駄だと感じていたからだったのだが、これは設計本部での主流ではなく設計部の経費節減のため枚数を減らして描き方も簡素に描くというムードになっていたのだが、二度手間三度手間で、まず支店の建築部で見積もりをするときに数量拾いがちゃんとできるようになっていないと、つまり図面に抜けがあると質疑のFAXが山のように来る。詳細設計も描いてなければ見積もりのときに非公式の経費を使って描くことになる。着工から鉄骨とサッシの承認までこういうことがいつまでも引きづられているのは非常に非効率だと考えていた。それで図面枚数も密度も濃くなっていたのだが、階下の構造設計の人のところにも責任者の先輩を差し置いて情報を拾いにいって、構造図ではなく意匠図にどんどん入れていった。構造図の出来も気になるし、簡単な図面を外注事務所に金を垂らしているので腹が立つということもあった。そこで後輩くんが批判をし始めた。本社のムードに従ってもらわなくては困るみたいな有形無形の圧力をかけ始めた。そういう抗議はまた工事現場にいると無数の圧力を受けるので気にすることもなく描き続けた。別に後輩くんに配分した枚数はどうでもいいと思っていたし、実際今までの実業で作図スピードも数倍早いので後輩くんの取り分もぜんぶ自分が描いた、結局。本当はね、こういうときは一気に一ヶ月で一人前になるチャンスなんだけどね。でもそのときは今はやっている働き方改革の予兆があって、真剣に建築を追求する人がどんどん減っていたのでこれはもう時代的にどうしようもない。
支店の工事現場に居たときは、ぼぼすべての物件で前任者が仕事するのが嫌で放りだした尻拭い担当ということで一人で入っていたので、まず設計図がない状態で着工している。むろん前任者が設計図面を作っていない。前任者が実施設計そのものができない人というケースがほとんどである。大企業にはこういう信じられない人間が実に多い。自分は偏差値40台なのに、偏差値55くらいの人が意外と設計を覚えられないのだ。物理的には下請け設計事務所が描いてきた数十枚ほどのがあるのだが、中身が何も検討されていない未完成のものしかない。あらゆる部分で曖昧な描き方がしてあり、指示してないので工事に必要な寸法すら描いてない。着工しているけどまだ杭なので、当面は基礎工事の対策をしながら鉄骨図の提出を受けながら間取り寸法を決定するフリーハンドの荒描きのスケッチを設計図の代わりとしていく。基礎工事を図面なしでやっていると、一階のコンクリート壁の差筋のためのコンクリート壁の寸法が必要になってくるので順次対応する。構造壁以外のコンクリート壁を乾式の壁に変更するような措置もこの時点でやっていく。無論現場職員のストレスは常に爆発している。なんでこんなにただでさえ困難な建築に設計が間に合っていないのか、これは毎日罵倒される。こういう人身御供が嫌なので工事現場に入りたがらない人が本社設計には大変多い。逆境は一気に建築がわかるようになる日々でもある。一件こなす頃には2~3年上の設計部の先輩を遥かに凌駕する実力がついている。そこで数件こなすうちにうつ病になったので自分はそこで終わったが、入社年度から時系列的に同期はもとより5年くらい上の人でも無敵だったということはほかでは経験のできない貴重な財産になった。自分は管理職には向かないタイプなのでしょうがないかと思っている。
そうこうしているうちに人選上適任がいなかったのでバンコク営業所に出向した。そこにいる設計の先輩に呼ばれたのだが、当然設計の手伝いをする名目で入ったのだが、蓋を開ければ設計ではなく工事物件を2つその先輩が抱えていて、これから結婚式と新婚旅行に行くので、2週間ほど穴埋めをしていてほしいということだった。内装工事の物件だったが、いくら設計の経験を積んでいたとは言え施工の担当者になるのは初めてだったので泡食った。こういう密室での逆境というのが自分にはとても多い。タイなので墨出しみたいなものからやり方が違う。というか日本での墨出しもやったことはない。タイ人の若い現場マネージャーがいたので頼りまくるしかない。しかし顧客は日系企業である。顧客の日本人が毎日檄を飛ばしに来る。自分のビルで工事しているんだから毎日見に来て当然である。現地人にはない日本人特有の細やかな対応でなければならない。タイに来たからタイ品質ではまったくないのだ。数ヶ月経験しているうちに工事というものに慣れてきて、タイ語にも若干慣れた。仕事の中身的にはそれ以前の物件のように密な設計はしていないのでなんだか初体験ゆえの取り越し苦労の日々だった。自分を送り出してくれた本社設計本部には自分が施工をしていることがバレてしまい、多少のお叱りを受けたそうである。