<記事原文寺島先生推薦>
Message to Congress on the Concentration of Economic Power
Franklin D. Roosevelt April 29, 1938ニューディール政策 フランクリン・D・ルーズベルトの演説
フランクリン・D・ルーズベルト
1938年4月29日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年7月23日
アメリカ合州国議会のみなさん:
海外での不幸な出来事がいくつも続いたことで、私たちは民主的国民の自由というものについて、ふたつの基本的真実をふたたび学ぶことになりました。
ひとつめの真実は、仮に私的権力が民主主義国家そのものを超えるまでに成長するのを国民が許してしまうならば、民主主義の自由は安泰ではないということです。それは本質的にはファシズムです。それは、一個人、ある特定の集団、あるいは他の支配的な私的権力に、政府が所有されてしまうということなのです。
ふたつめの真実は、経済制度が雇用を提供せず、最低限の生活水準を維持することができるように商品を生産し供給しないならば、民主主義の自由は安泰ではないということです。
このふたつの教訓が私の胸を強く突きます。
今日、私たちのあいだには、私的権力の集中が歴史上前例がないほど高まっています。この私的権力が集中することによって、民間企業の経済効果は著しく損なわれています。その経済効果こそ、労働と資本のための雇用を提供するものとなり、また国民全体の所得と収益のより公平な分配を保証するものなのですから。
1.強まる経済権力の集中 内国歳入局(現在のIRS国税庁)の統計は、以下にあるように1935年の驚くべき数字を明らかにしています。
企業資産の所有状況:全国各地から報告されるすべての企業のうちの 1 パーセントのさらに10分の1が、全企業の総資産の52パーセントを所有していた
問題の核心は、報告されるすべての企業のうち5パーセント未満が、すべての企業の総資産の87パーセントを所有していたことです。
企業の収入と利益の状況:国のあらゆる地域から報告されるすべての企業のうち 1 パーセントのさらにその10分の1が、すべての企業の総純利益の50パーセントを獲得していた問題の核心は、報告されるすべての製造企業のうち4パーセント未満が、すべての製造企業の総純利益の84パーセントを獲得していたことです。
現代を統計的かつ通時的にみると、不況時に企業の集中が一気に加速することが明らかになっています。そのとき大きい企業は、経済的逆境によって弱体化した小さな競争相手を食い物にして、さらに大きく成長する絶好のチャンスを得るというわけです。
このように、企業群がひとにぎりの巨大企業に集中してしまうことからくる危険性は、減ることも無くなることもないでしょう。それどころか、その大企業の有価証券が広く公的に流通することによってその危険性が増します。時にはさらに促進されます。有価証券の保有者数を見るだけでは、個々人の保有高の規模や、経営における実際の発言能力については、ほとんど手掛かりが得られません。しかし実際、企業の有価証券がごくひとにぎりの少数者に集中していることと、企業資産の集中は、まさに同時進行なのです。
1929年は、株式所有者の配当にとって大成功の年でした。
その年、国民の1パーセントのさらにその10分の3が、個人から報告のあった配当金の78 パーセントを受け取っていました。これは大雑把に言えば、300人のうちのたった1人だけが株主配当 1ドルのうちの 78セントを受け取り、他の 299人で残りの 22セントを分け合ったことになります。
こういった富の集中の影響は、国民所得の分配に反映されています。
国家資源委員会による最近の調査では、1935~36年における国民所得の分配状況を次のように示しています:アメリカ全世帯の 47 パーセントと一人暮らしの独身者は、年収が 1000 ドル未満だった。そのうえ、この梯子の上部を見ると、アメリカ全世帯の 1 パーセント未満弱が、金額にして、この底辺層 47 パーセントの全収入と同じ収入を得ていた。
さらに決定的なことは、内国歳入局は 1936 年の不動産税の申告について次のように報告しています。
相続によって譲渡された財産の 33 パーセントは、すべての報告された不動産件数のわずか 4 パーセントに集中していた。(そして、それより規模の小さな不動産、すなわち法的に報告義務のないものをすべて含めたばあい、集中度合いはもっとすさまじいものとなる)
「政治的民主主義」と「政府からの規制をほとんど受けない利益追求型の自由主義的民間企業」とが互いに奉仕し保護しあう生活様式がある、と私たちは信じます。それが人間の自由を最大限に保証するのです。少数者のためではありません。すべての人の自由を保証するのです。
よく言われてきたことですが、「最も自由な政府であっても(たとえそれが存在したとして、ではありますが)、その政府の制定する法律が、財産の急速な蓄積を少数者の手中に集中させ、民衆の大多数が無一文になって他者に依存せざるを得なくなる状況を生み出すものであれば、そのような体制は長くは受け入れられることはない」
今日、多くのアメリカ人が不安な問いかけをしています。「我々の自由が危機に瀕しているという大きな叫びが聞こえてくるが、それを証拠づける事実があるのか」と。
この問いかけに対して、今日のアメリカ中の平均的なひとたちが出している返答は、ウオール街大暴落のあった 1929 年の場合よりもはるかに正しい。その根拠は、1929 年からの 9 年間に私たちが多くの良識ある考え方をしてきた、という非常に明快な理由によるものです。
今日のアメリカ中の平均的なひとたちの返答はこうです。
「我々の自由が危機に瀕しているとすれば、それは私的経済権力の集中が原因だ。というのも、彼ら私的経済権力は我々が選んだ民主的政府を乗っ取ってしまおうと必死になっているからだ」
民衆の自由が危機に瀕するなどということは、私たちの民主的政府自体から出てくることはありません。そのように民衆に盲信させようとしているのは、私的権力の所有者たちです(決して全てではありませんが)。
2.産業界に対する金融統制 ここまで私が引用したこれらの統計でさえ、アメリカ産業界全体にわたる支配・統制の、現実的な集中度を表しているわけではありません。
徹底的な金融統制は、巨大企業による個々の企業の経営方針にたいして徹底的な支配・統制をつくりだしています。投資経路に連動する勢力範囲をとおしてとか、「持ち株会社」や戦略的な「少数株主持ち分(被支配株主持ち分)」といった金融的手段(策略)を使って、それをおこなうのです。しかし、その個々の企業は独立体であるかのように装うのです。
持ち株会社とは、他の株式会社を支配する目的で、その会社の株式を保有する会社を指す。ホールディングカンパニーとも呼ぶ。他の株式会社の株式を多数保有することによって、その会社の事業活動の指針を決めることを事業としている会社。
少数株主持ち分(被支配株主持ち分)とは、連結子会社の資本のうち連結親会社の持ち分に属しない部分、およびそれを表す勘定科目の一つ。通常、連結親会社は他の企業の議決権を過半数所有することで支配権を獲得する。しかし、現行の会計基準では、所有する議決権を過半数に届かない(または議決権を所有し
ていない)場合であっても、特定の要件に該当すれば支配の獲得が認められる(支配力基準)
そういった金融統制と経営統制という統合的な締めつけは、アメリカ産業界の巨大で戦略的な分野に重くのしかかっています。残念ながら、小規模企業はアメリカの中でますます依存的な立場に追いやられています。皆さんも私もそれは認めざるを得ません。
民間企業は自由企業でなくなり、集中化された私的企業の群れになりつつあります。実態が隠されているので見かけはアメリカ型の自由企業体制ですが、一皮むけば、実際はヨーロッパ型のカルテル体制になってきています。
産業が効率的に成長することや、大量生産がもたらすさまざまな利点を私たちはみな必要としています。手動織機や手動炉に戻ったほうがいいなどと提案する人はだれもいません。特定の製品を生産する一連の過程では、複数の巨大な生産工場が必要になる場合があります。現代の効率化はこれを求めているかもしれませんが、現代の効率的な大量生産は一元的な中央統制によっては促進されません。というのは、工場はそれぞれが個別の単位として稼働しながら効率的な大量生産をおこなう能力をもっているからです。一元的な中央統制はその工場間の競争を破壊してしまうからです。産業を効率化することは、中央統制的な産業帝国を築くことではないのです。
そして、残念なことに、中央統制な産業帝国を築くことは、銀行家による産業界の統制へと促進されつつあります。私たちはそれに反対します。
そのような統制は一般の投資家に安全を提供しません。投資判断には、経営に対する公正無私な他者評価が必要です。投資判断が狂ったり歪んでしまうのは、経営者が経営判断だけでなく投資判断までおこなおうとするからです。経営者は企業を経営するという投資家とは矛盾する義務があります。他方、企業経営を評価し判断するのは投資家の仕事なのです。
企業による一連の金融統制は、アメリカの実業界から多くの伝統的な力強さ・独立性・適応性・大胆さを奪いとってしまい、それらの利点を補う方策を持っていません。企業による勝手な金融操作は、金融界が約束した安定性を与えてきませんでした。
企業は新しい活力と柔軟性を必要としています。新しい活力と柔軟性は、多様な取り組み、独立した判断、多くの独立した実業家の脈打つエネルギーから生まれるものです。
国民の一人ひとりは、自分自身の判断で、自分自身のわずかな蓄えを、ギャンブルのような株式投資にではなく、新しい企業投資に向けるように奨励されなければなりません。個人が相手だから競争しようするのであって、巨人が投資競争の相手であれば誰も投資しないでしょう。
3.競争がなくなると雇用にはどのような影響が 人間一人あたり、または機械一台あたりの生産量において、わが国アメリカは地球上で最も効率的な工業国です。
しかし、労働と資本を相互に完全活用するということに関して言えば、私たちは最も効率の悪い部類に入っています。
…………
現在の困難さの主要原因のひとつは、多くの産業分野での価格競争の消滅にあります。とりわけ経済権力の集中が最も明白であり、基礎的な製造分野において、それが顕著です。
その分野においては、硬直した価格と流動する給与が一般的になっているからです。
4.競争は搾取を意味しない もちろん、競争は他のすべての利点と同様に、行き過ぎになりうることがあります。競争は、明らかに社会的かつ経済的に悪い結果をもたらす分野に及ぶべきではありません。児童労働の搾取、労働賃金の騙し取り、労働時間の延長は、必要でなく、公正でもなく、また競争の適切な手段ではありません。私は一貫して、「賃金と労働時間に関する連邦法案」において、それらを競争分野から除外して、労働者に最低限の品位ある生活を保障するように要請しています。
もちろん、自由企業は理性的に競争できるシステムを活用する必要があります。自分たちのつくった商品に対する市場動向を測る際に、実業家は農民と同じように、政府や自分たちの団体から可能な限りの情報を与えられるべきです。そのことによって実業家は衝動的にでなく知識をもって行動できるのです。現在の過剰生産という深刻な問題は、情報を広めることで回避できますし、またそうすべきです。現在の市場では吸収できないほどの過剰な商品生産を止めることによって、あるいはまた明らかな需要を危険なほどに超える大量在庫が蓄積されないようにすることによって。
もちろん、競争価格の水準を上げるよう促す必要があります。たとえば農産物価格がそうです。農産物価格は、農業経営が可能となるようなもっと釣り合いのとれたものにし、農家が債務負担に耐えうるように価格構成を上げなければなりません。農産物の競争価格の多くは現在あまりにも低すぎます。
自然の回復を待つにはあまりに悪化しすぎて慢性的に病んでいる産業に対しては、時には特別な手立てをとる必要があります。特に国民全体に関わったり、それに準ずる性格をもつ産業に対してはそうです。
しかし、概して産業と金融の分野においては、私たちは競争を復活させ強化しなければなりません。もし私たちが自由な民間企業の伝統的体制を維持し機能させたいのであれば。
私的な利益追求を正当化しようとすれば、私的な危険性は当然のことです。実業家であることの負担と危険を取りたくない実業家のために、アメリカを何の危険も冒さずに安全な国にすることなど私たちにはできません。
5.私たちの前にある選択 3分の1の国民に仕事や収入や機会を与えることを拒んでいる民間企業をどうしたら管理・統制することができるか。これを調査することは、利益を追求する民間企業体制を切実に守りたいと願う人びとの側にとっては久しく懸案になっている課題です。
人はだれしも、とりわけ民主的国民であればなおさらのこと、仕事もなく、あるいは明らかに痛ましくも生産する力すらない生活水準に甘んじていることはできないでしょう。人はだれしも、とりわけ個人の自由という伝統をもつ国民であればだれしも、庶民のための機会がじわりじわりと侵食されていき少数者の支配下にあるという無力感の抑圧に耐えられなくなります。それが経済生活全体に影を落とすことになるのです。
優れた洞察力をもつあるビジネス誌は社説でこう指摘しています。「産業界における大企業への一極集中が、政府に究極的集権主義を強要している」と。
国全体の経済生活を統制するような少数者の権力は、大多数の人びとに広く分散されるべきか、あるいは民衆や民主的に選ばれた責任ある政府に移譲されるべきなのです。価格が管理・統制されるならば、そして国家の経済が競争によってではなく計画で運営されるならば、そのような権力は、たとえ政府であっても与えられるべきではありませんし、ましてや、どのような私的集団やカルテルにも与えられるべきではありません。その企業家たちが、自分たちはどんなに慈悲深いと公言していていたとしても。
政府の内外を問わず、競争の規制をますます拡大させることを奨励する人びとは、大きな責任を負っています。そのような人びとは、競争の規制・統制に積極的に取り組むのか、またはその流れを変えようとする真摯な試みに対して消極的な抵抗をするのかのいずれかであり、彼らは意識的にしろ意識的でないにしろ、一部のひとや集団に権力を集中した企業経営や金融支配のために働いているからです。したがって、意識的にしろ意識的でないにしろ、彼らはビジネスや金融、またはそれに代わる手段によって、政府そのものを支配しようと働いているのです。なぜなら民衆の力が政府のなかにますます集中し、そのような政府が私的権力の集中に抗しているからです。
一部の企業や集団による経済や金融の独占を禁止すること、すなわち企業に対する自由競争の強制は、実業界が全く望んでいない規制なのです。
6.ニューディール政策における経済権力の集中を解消するプログラム 私が議論してきた課題に対する伝統的な対応は、独占禁止法(反トラスト法)を通しておこなわれてきました。私たちは独占禁止法を放棄することを提案しているのではありません。それどころか、現行法の不十分さを認識しなければなりません。私たちは独占禁止法等を強化して、国民がそれらの法律が提供している保護を奪われたりしないようにいたします。それらを適切に強化するには徹底的な調査が必要であり、現在あるかもしれない違反行為を発見するだけでなく、業界どころか政府にも有害で無計画な起訴を回避する必要があります。このように、既存の独占禁止法を適切かつ公正に強化するために、私は司法省に補充歳出20万ドルの予算をつけます。
とはいえそれでも、既存の独占禁止法では不十分です。その最も重要な理由は、独占禁止関連の諸法が対処するべき新しい金融経済状況に対して無力なためです。
「シャーマン法(1890年)」は約40年前に可決されました。「クレイトン法(1914年)」および「連邦取引委員会法(同年)」は 20 年以上前に可決されました。私たちはそれらの法の下でかなりの経験をしてきました。その間、私たちは大規模産業の実態を観察する機会をもち、当時は知らなかった競争制度について多くのことを知ることができました。
(19世紀後半、アメリカにおいて独占資本の形成が進むと、自由競争で発展した大企業を放任したことが、
むしろ逆に自由競争を阻害するという事態を招いた。そこで幾つかの「反トラスト法」を制定したが、その中心になるのが、1890 年のシャーマン法、1914 年のクレイトン法、同年の連邦取引委員会法の三つの法律だった。連邦取引委員会法は、反トラスト法の執行機関として、司法省に加えて、連邦取引委員会を
設立すると同時に、不公正な競争方法を禁ずる規定を盛り込んでいる。)
私たちは企業の多くの分野で効果的な競争から生じた企業の統合を目撃してきました。このいわゆる競争制度は、少数の大企業が市場を支配している産業界では、独立した企業が多数ある産業とは異なった働きをすることを学んできました。
現実的なビジネス規制の制度は、意識的に背徳行為をおこなうものにたいして、それを超えた存在にならねばならないことも学びました。地域社会は経済効果に関心をもっていますが、地域社会は、道徳的な悪と同様に、経済的な悪からも保護されなければなりません。私たちは人の目をくらます経済勢力に対して現実的な制御方法を見つけなければなりません。やみくもに自分勝手な人間も同じですが。
政府は人の目をくらます自分勝手な人間には対処することができますし対処すべきです。しかし、それは私たちの問題の比較的小さい部分であり、容易に解決できます。もっと大きく、もっと重要で、もっと困難な私たちの課題は、自分では非利己的で善良な市民なつもりであっても、現代の経済的に相互依存している地域社会において自らの行動がもたらす社会的および経済的結果を理解できない人びとへの対応なのです。彼らは私たちのいくつかの最も重要な社会的・経済的課題の重要性を把握できていません。なぜなら、彼らは自分自身の個人的な経験に照らしてのみ考え、他者や他の産業の経験をもって先を見通して考えられないからなのです。したがって、彼らはこれらの問題を国全体の問題として見ることができていません。
私が述べてきた状況に対応するために、アメリカの産業における経済権力の集中について、そしてその集中が競争の衰退に及ぼす影響について、徹底的な調査・研究が必要です。現存する価格体系や産業の価格政策を検討する必要があります。それは一般的な通商基準・雇用・長期的利益・消費に及ぼす、価格体系や価格政策の影響を判断するためです。調査・研究は、伝統的な独占禁止法の分野に限定されるべきではありません。税、特許、その他の政府施策が及ぼす影響も、無視できないからです。
……
誠実な人であればだれでもこれらの提案を誤解することはないでしょう。これらの提案は昔からのアメリカの伝統に由来しています。少数者による経済権力の集中支配と、その結果から生じる労働と資本の失業は、現代の「私企業」民主主義にとっては避けられない課題です。あまりにも安定性に欠けているからといって私たちの生活様式への信頼を失ってはなりません。というのも、私たちが今やろうとしていることは、この生活様式をもっと効率的に機能させる方法を見つけようとしているだけなのですから。
このプログラムは、主に自分自身のビジネスで利益をあげることに興味をもつ全ての独立した企業家の率直な常識に訴えかけるべきものです。規制すべきなのは、それ以外の企業家たちなのです。
このプログラムは、経済効果に適切な配慮を欠くような、悪意ある「トラスト破壊」活動を開始することを意図したものではありません。利益を求める民間企業を保護するためのプログラムです。民間企業に十分に自由を保障することによって、すべての資源すなわち労働と資本を有効活用して利益をあげることができるようにするものです。
このプログラムは、ビジネスにおける企業集中の進展に歯止めをかけ、ビジネスを民主的な競争秩序のあるものに戻すことを基本的な目的とするプログラムです。
このプログラムは、利益を求める自由な民間企業体制がこの時代に失敗したというのではなく、それがまだ試されてこなかったということを基本テーマとするプログラムなのです。
アメリカにおける独占企業は自由企業体制の上に寄生しているにもかかわらず、その自由企業体制を麻痺させており、その重圧下で苦しんでいる民衆ももちろんですが、自由企業を経営している人びとにとっても致命的となっています。こうしたことを理解するならば、こういった独占企業による人為的な統制を取り除こうとする政府の行動は、国中の産業界によって歓迎されることになるでしょう。
というのは怠惰な工場と怠惰な労働者は、誰にも利益をもたらさないからです。
<解説 寺島隆吉> ルーズベルト大統領(任期 4 期、1933 年 3 月 4 日 – 1945 年 4 月 12 日)は、「ニューディール政策」と呼ばれる、政府による経済介入・積極的な経済政策をおこないました。
テネシー渓谷開発公社、民間植林治水隊、公共工事局、公共事業促進局、社会保障局、連邦住宅局などを設立し、大規模公共事業による失業者対策をおこなったことで有名です。そのほか。団体交渉権保障などによる労働者の地位向上・社会保障の充実などの政策もおこないました。
いま現在(2020 年 7 月 22 日)、上記の大統領演説を読み直してみると、まるで社会主義者の演説を読んでいるかのような錯覚に襲われます。しかし彼の頭の中にあったのはソ連型の計画経済でもなく金融街と巨大独占企業がアメリカを一極支配するファシズム型経済でもありませんでした。
彼の念頭にあったのは徹底的に民主主義を貫く資本主義経済であったように思われます。この演説がルーズベルトの定義するファシズムとしても有名であるのは、宜(むべ)なるかなと思わされます。選挙で選ばれてもいない私的集団が国家を支配する、これがルーズベルト言うファシズムなのです。
そのことを念頭において、この演説を読むと、彼の言っていることが、より深く理解できるのではないでしょうか。しかし、彼の政策はあくまで民衆の側に立つものでしたから、ウォール街から毛嫌いされ、彼に対する暗殺やクーデターが企画されたのも無理もないと思います。
この点に関して『櫻井ジャーナル』には次のような興味ある事実が記述されています。
< しかし、少なくとも 1930 年代のはじめ、アメリカ、フランス、イギリスの支配グループ内にファシストがいたことは間違いない。例えばイギリスの場合、ウィンストン・チャーチルはアドルフ・ヒトラーに好感を持っていたと言われ、イギリス国王エドワード 8 世(後のウィンザー公爵)はナチと密接な関係にあった。
アメリカの場合、JP モルガンをはじめとする金融界がヒトラーを支援していた。1932 年の大統領選挙でハーバート・フーバー大統領が再選されていたなら、ナチスとアメリカ金融界の蜜月は続き、アメリカもファシズム化していた可能性が高い。強者総取りの経済を推進すれば、庶民の反発を力で抑え込むしかないからだ。
このシナリオを狂わせたのがフランクリン・ルーズベルトの大統領就任だった。金融界にとってルーズベルトの掲げる政策が脅威だったようで、ルーズベルトは就任式の前に銃撃され、1933 年になると JP モルガンを中心とする勢力がファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画している。
この反ルーズベルト・クーデターの計画はスメドリー・バトラー少将の議会での証言で明らかにされて失敗に終わるのだが、大戦の末期、ドイツが降伏する前の月にルーズベルトが急死すると親ファシスト派は復活し、ナチス残党の逃亡を助け、保護し、雇い入れている。日本で民主化が止まり、「右旋回」が起こった背景はここにある。>
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201212070000/(2012.12.07)
上記の説明にあるように、当時のアメリカ軍部で最も人気のあったバトラー将軍が、金融街から反ルーズベルト・クーデター計画への参加を呼びかけられたのですが、彼は断固としてこれを拒否し、アメリカ議会で、その計画を暴露するという勇気ある決断をしました。
この計画を受け入れていれば、彼はたぶんルーズベルト亡き後の次期大統領になっていたかもしれません。この計画の詳しい顛末については、『肉声でつづる民衆のアメリカ史』第 12 章 4 節 443-448 頁「スメードレー・バトラー『戦争はペテンだ』」)に詳述されています。
また単行本としては、吉田健正『戦争はペテンだ――バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定』(七つ森書館 2005) があります。時間があるときにでも覗いてみていただければ、有り難いと思います。
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