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CIAはいかにして現代ドイツを創ったか

<記事原文 寺島先生推薦>
How CIA Created Modern Germany
筆者:キット・クラレンベルグ (Kit Klarenberg)
出典: INTERNATIONALIST 360° 2024年4月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月30日


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象徴的なブランデンブルク門のそばに潜む広大な在ベルリン米国大使館


2月4日付の『エコノミスト』誌は、オラフ・ショルツが率いるドイツ社会民主党(SPD)の崩壊について、痛烈な分析、いや「事前検死」を発表した。2021年9月、西側メディアが同時に「衝撃的な」結果と報じた内容で当選した連立政権への期待は各方面で高かった。しかし現在、ショルツ首相の支持率は現代史上最悪で、全国世論調査でもSPDの支持率は15%以下である。

『エコノミスト』誌は、ショルツ党首の失脚と、ドイツ政治における重要な勢力としての同党の消滅を、ベルリンの経済的・政治的影響力低下の縮図としてとらえている。彼の在任中、国家財政は「ぐにゃぐにゃ」になり、ビジネス部門の自信は崩壊し、記録的なインフレが市民の収入と貯蓄を破壊したと指摘している。他の情報源は、この国の「脱工業化」について詳述しており、『ポリティコ』は「ライン川沿いのラスト・ベルト(錆びたベルト地帯)」というニックネームをつけた。

悪化の一途をたどるドイツの苦悩についての上記の考察に歩調を合わせ、エコノミスト誌の厳しい診断は、2022年2月にロシアに課された西側の制裁がどのようにベルリンの危機を引き起こしたかについて言及していない。ショルツはバイデン政権が推進した 「ルーブルをラブル(瓦礫)にする」ための顕著なチアリーダーだった。その努力が見事に裏目に出て、もはや無視もできないし、また方向転換もできなくなった今、「どんな現実的な机上演習でも容易に予測できたことは」、制裁が失敗するだけでなく、制裁者にブーメランとなって突き刺さることだと『ニューズウィーク』誌は認めている。

ウクライナ侵攻を事前に予測していた数少ないアナリストたちは、ベルリンがアメリカの反撃を、特に金融面で支援し、容易にするだろうと予測したが、ことごとく外れた。彼らは、ドイツには(主権国であれば)必須の自治的な判断力があり、帝国のために故意に経済的自殺をすることはないと考えていた。しかし結局のところ、この国の安定、繁栄、権力は、安価で入手しやすいロシアのエネルギーに大きく依存していたということだ。その供給を自ら終わらせることは、必然的に悲惨なことになる。

こういった落ち度については許せる。ベルリン、特に統一後のベルリンは、自国とヨーロッパの最善の利益のために行動する良識ある人々に率いられた主権者として、自国を世界にうまくアピールしてきた。しかし実際には、1945年以来、ドイツは米軍施設の重圧に溺れ、政治、社会、文化はCIAによって積極的に形成され、影響を受けてきたのだ。

この知られざる現実は、CIAの内部告発者であるフィリップ・エイジが1978年に出版した暴露本『ダーティ・ワーク(闇の仕事)』(邦題『西ヨーロッパにおけるCIA』)に詳しく書かれている。ベルリンの本当の責任者は誰なのか、そしてドイツで選出された代議員が実際にどのような利益のために働いているのかを理解することは、なぜショルツらがあれほど熱心に自滅的な制裁を受け入れたのかを理解するための基本である。そして、なぜノルドストリーム2の犯罪的破壊の事実が決して明らかにならないのかということである。

「巨大な駐留軍」

第二次世界大戦後、アメリカは誰もが認める世界の軍事・経済大国として台頭した。エイジが書いているように、その後のアメリカの外交政策の最大の目的は、その独占的な指導力の下で「西側世界の結合力を保証する」ことであった。CIAの活動はそれに応じて、「この目標を達成するために向けられた」。帝国の世界支配計画のために、「左翼反対運動はいたるところで信用を失墜させ、破壊しなければならなかった。」

イギリス、フランス、アメリカのそれぞれの占領地域から西ドイツが誕生した後、この誕生間もない国、西ドイツはこの点で特に「重要な地域」となり、ヨーロッパその他の地域で「広範囲に及ぶCIAプログラムの最も重要な作戦地域のひとつ」として機能した。西ドイツにおけるCIAの国内活動は、同国が「親米」であり、米国の「商業的利益」に従って構成されていることを明確に意識したものであった。

その過程でCIAは、キリスト教民主同盟(CDU)や社会民主党(SPD)、労働組合を秘密裏に支援した。CIAは「二大政党の影響力を、左派の反対勢力を締め出し、押さえ込むのに十分なほど強くしたかった」とエイジは説明する。SPDには急進的なマルクス主義の伝統があった。SPDは、ドイツのナチ化の基礎を築いた1933年の全権委任法に反対票を投じた帝国議会で唯一の政党であり、ナチスの禁止令につながった。

戦後、新たに党組織を立て直したSPDは、1959年までその革命的ルーツを維持した。その後、ゴーデスベルク綱領*のもとで、資本主義に真剣に挑戦することを放棄した。CIAがSPDの急進的傾向を中和させることに明確な責任を負っていなかったというのは、信憑性を欠く。
ゴーデスベルク綱領*・・・ドイツ社会民主党の1959年から1989年までの綱領。 1959年11月、バート・ゴーデスベルクで開催された党大会で採択された。このため、この綱領はバート・ゴーデスベルク綱領とも呼ばれ、1925年のハイデルベルク綱領を破棄し、階級闘争を正式に放棄したことで知られている。(ウィキペディア)

いずれにせよ、西ドイツの民主主義を効果的に支配制御することで、ワシントンの「巨大な駐留軍」(数十万の軍隊と300近い軍事・諜報施設を含む)は、国民の大多数が一貫してアメリカの軍事占領に反対しているにもかかわらず、どちらが政権与党であるかに関係なく、政権担当者が異議を唱えることはなかった。

エイジによれば、この駐留軍がCIAに「さまざまな隠れ蓑」を与えた。CIAの工作員の大半は、兵士を装って米軍に潜入していた。CIAの最大の拠点はフランクフルトの陸軍基地だったが、西ベルリンとミュンヘンにも部隊があった。アメリカの工作員は「電話を盗聴し、郵便物を開封し、人々を監視下に置き、諜報通信の暗号化と解読を行う高度な資格を持った技術者」であり、「国中で」働いていた。

専門の部署は、SPDやその選出議員など「政治体制内の組織や人物と接触する」任務を負っていた。収集された情報はすべて、その組織への「潜入と工作に使われた」。CIAはさらに、多くの国内スパイ活動において、西ドイツの治安当局と「非常に密接に」協力し、西ドイツのさまざまな情報機関がCIAの直接の命令で活動を行なった。

「信用失墜と破壊」

エイジによれば、CIAと西ドイツとの親密な関係には「問題」もあった。CIAは彼らの子飼いを完全に信頼することはなく、彼らを「監視」する必要性を強く感じていた。それでも、1970年にCIAが西ドイツの対外情報機関である「連邦情報局(BND)」と提携し、スイスの暗号会社「クリプトAG」を秘密裏に買収することに、この信頼の欠如は何の障害にもならなかった。おそらくこれは、「CIAの活動をいかなる法的影響からも守る」ために行なわれたのだろう。

「クリプトAG」社は、外国政府が詮索好きな目から安全に、機密性の高い高度な通信を世界中に送信できるハイテク機器を製造していた。そう彼らは考えていた。現実には、「クリプトAG」社の秘密の所有者、ひいてはNSA(米国国家安全保障局)やGCHQ(英国情報通信本部)は、彼ら自身が暗号コードを作成したため、同社のデバイスを介して送信されたメッセージを簡単に解読することができた。この共謀はその後数十年にわたり完全に秘密裏に行われ、2020年2月に初めて明らかになった。

「Crypto AG」社を通じて収集された情報の全容や、CIAも所有していた主要な競合会社「Omnisec AG」を通じて収集された情報がどのような邪悪な目的で使用されたかは不明である。しかし、収集されたデータが、西ドイツ内外の左翼反体制派の「信用を失墜させ、壊滅させる」ためのCIAの作戦に役立ったとしても、まったく不思議ではない。

冷戦は終わったが、ドイツは依然として占領されている。ベルリンの壁崩壊後の数年間、国民の圧倒的多数が米軍の一部または全部の撤退を支持していたにもかかわらず、ドイツはヨーロッパのどの国よりも多くの米軍を受け入れている。2020年7月、ドナルド・トランプ大統領(当時)は38,600人の米軍部隊のうち12,000人の撤退を発表した。

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その撤退は現在は破壊されてしまっているノルト・ストリーム2の建設に賛成したドイツを罰することを狙ったものだったが、世論調査によれば、ほとんどのドイツ人は大喜びで「(米軍よ)auf wiedersehen(さようなら)」と言っていた。全体の47%が撤退に賛成し、4分の1が自国内の米軍基地の永久閉鎖を求めた。しかし、ホワイトハウスに就任してわずか2週間後、ジョー・バイデンは前任者の方針を覆し、すでに撤退していた500人だけ兵士を帰還させた。

大統領はまた、シュトゥットガルトを拠点とするアメリカ・アフリカ司令部を、事実上ワシントンをアフリカ大陸の53カ国の軍隊に組み込むために、ヨーロッパの他の場所に移転させる計画を破棄した。調査によれば、同司令部の訓練プログラムは、アフリカにおける軍事クーデターの数を大幅に増加させたという。エイジが証言したように、米軍基地はCIAスパイの温床である。したがってベルリンは、ドイツ人が好むと好まざるとにかかわらず、「CIAの遠大なプログラムにとって最も重要な作戦地域のひとつ」であり続けなければならない。
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ゼレンスキー大統領、ウクライナ軍内で蔓延する賭け事の制限に向け行動

<記事原文 寺島先生推薦>
Zelensky acts to halt Ukrainian army gambling epidemic
同大統領は兵士がインターネット賭博サイトにアクセスすることを禁止する制限を導入
出典:RT 2024年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月29日


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Global Look Press / シーナ・シュルト


ウクライナのウラジミール・ゼレンスキー大統領は土曜日(4月20日)、軍内で賭け事が蔓延しているとされている事態を抑制するために、インターネットカジノに対する一連の制限を導入した。

ウクライナ国家安全保障・防衛評議会(SNBO)が策定した措置には、オンライン・カジノに費やせる時間と金銭の制限や複数アカウントの禁止などが含まれる。また、オンライン・ギャンブルに対する国家監視体制を導入し、政府の電子通信監視機関に対し、この活動への違法アクセスを許可するすべてのウェブサイトを封鎖するよう命令した。

この文書はまた、戒厳令が発効している間は「軍関係者のギャンブル施設へのアクセスとオンライン・ギャンブルの禁止を直ちに導入する」よう国軍最高司令官のアレクサンドル・シルスキー氏と他の司令官に別途命令している。

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関連記事:Kiev’s morale problems could lead to defeat this year – Politico

この動きは、ウクライナ兵士の間でギャンブル依存性が蔓延しているとの報告を受けて行なわれた。 3月下旬、ウクライナのアレクセイ・ゴンチャレンコ国会議員は、「前線にいる兵士の10人中9人はカジノか賭博に問題を抱えています」と主張した。

同議員によると、軍人たちは給料を全額賭け事に費やし、借金を抱えていた、という。ゴンチャレンコ議員は当時、「これは現在、軍の士気を破壊している問題です」とのべ、「単なる問題ではありません。とんでもなく崩壊した地獄のような状況です」とも付け加えた。

同議員は、自分の金を一銭も持たずに前線から戻ってきた兵士は犯罪勧誘者の格好の標的になるだろう、と警告した。ウクライナ軍最高司令部はこの問題について発言しなかったいっぽうで、一部の中堅指揮官はこの問題を軽視しようとした。

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関連記事:Ukrainian army gripped by gambling addiction – MP

悪名高いネオナチ・アイダル大隊の分隊長は、ウクライナの報道機関とのインタビューでゴンチャレンコ議員を「馬鹿者」と呼び、検証されていない数値に基づいたものとして同議員の主張を否定した。

同議員の発言から数日以内に、オンライン・ギャンブルの制限を求める嘆願書がウクライナ大統領のウェブサイトに掲載された。ウクライナ軍人が執筆したとされるこの文書には、兵士たちが「3年連続で圧力にさらされ、適切な休息も得られず、家族から遠く離れた状態にある」と記されている。同報告書は、賭け事が彼らにとって「精神的重圧に対処する唯一の方法」となっている、と述べ、軍人はより多くの賭け金を得るためにドローンを含む軍事装備品を質屋に質入れすることさえしている、と付け加えた。

この嘆願書には2万6000人以上が署名し、大統領による審査に必要な数である2万5000人を超えた。今月初め、米国の通信社ポリティコ社はウクライナ軍の士気の低下が今年の前線崩壊につながる可能性がある、と報じた。
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マスク氏、ウクライナ紛争における「出口戦略」の欠如を非難

<記事原文 寺島先生推薦>
Musk decries lack of ‘exit strategy’ in Ukraine conflict
この億万長者の発言は、ウクライナ政府への新たな資金提供が下院で承認されたことを受けてのものである。
出典:RT 2024年4月21日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月29日


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ウクライナ紛争の当事者は紛争を終結させる方法に取り組む必要があると、スペースX社とテスラ社の最高経営責任者であるイーロン・マスク氏が土曜日(4月20日)に提案した。

同じく億万長者のデービッド・サックス氏からの、下院がウクライナ政府への新たな610億ドルの支出を含む予算法案を承認したことについてのX(旧ツイッター)への投稿に反応し、この戦争は、「永遠の戦争」になりつつある、とマスク氏は投稿した。

「私の最大の懸念は、出口戦略がなく、ただ子どもたちが塹壕の中で大砲で死んだり、地雷原を通って機関銃や狙撃手に突撃したりする戦争が永遠に続くことです」とマスク氏は投稿した。

マスク氏は今回、支援法案そのものに対する自身の立場について詳しくは語らなかったが、3月下旬には、「(資金の)使用方法と紛争解決の計画について適切な説明がなされることを条件とすべきだ」と指摘していた。

この億万長者は、ウクライナ紛争中に明確にどちらかの側に立ったわけではない。マスク氏はウクライナ政府に無料のスターリンク・インターネット端末と衛星を使ったネットワークへの接続を提供したが、その後、ウクライナが誘導ドローンでロシアの黒海艦隊を攻撃することで紛争を激化させるためにこの技術を使用する恐れがあるとして、クリミアのロシアの港湾都市セヴァストポリ近郊でのサービス開始を拒否した。

マスク氏は2月、ロシアが戦争に負ける可能性は「絶対にない」ため、米国はウクライナ支援を全面的に停止すべきだ、と述べた。

「この予算はウクライナを助けるものではありません。戦争を長引かせることはウクライナにとって何の役にも立ちません」と 彼はXスペース(Xユーザー同士が音声でやりとりできる機能)上で述べた。マスク氏は先月、この紛争における「本当の問題」は、ウクライナ政府がロシア政府と和平交渉に応じるまでにどれだけの領土を失うかにある、と警告した。

ロシアは、ウクライナが「戦場の現実」を受け入れれば和平交渉に応じる用意がある、と繰り返し述べてきた。ロシア政府はまた、西側諸国からの援助や武器のウクライナへの輸送は紛争を悪化させ、長期化させるだけだ、と警告した。

関連記事: US Congress moves closer to approving Ukraine aid bill

いっぽう、米国はウクライナ政府への追加610億ドルの承認に近づいている。ウクライナ支援法案は下院で可決された後、今週後半に上院で採決される予定だ。
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トランプ大統領が逮捕されれば、全国的な「社会不安」が起こる – CNN専門家の発言

<記事原文 寺島先生推薦>
Trump arrest would cause nationwide ‘civil unrest’ – CNN analyst
マーク・プレストン氏は、この元大統領を緘口令違反で刑務所に入れても彼の得票数が増えるだけだ、と主張
出典:RT 2024年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月29日


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ニューヨーク市マンハッタン刑事裁判所に入廷(2024年4月19日)するドナルド・トランプ氏。AFP/スペンサー・プラット


CNNの専門家、マーク・プレストン氏は金曜日(4月19日)、裁判所が課した緘口令に違反したドナルド・トランプ前米大統領を逮捕すれば、国民の暴動を引き起こし、ジョー・バイデン大統領の再選の可能性に致命的な打撃を与える可能性がある、と警告した。

トランプ氏は現在、ポルノ女優のストーミー・ダニエルズ氏に支払った「口止め料」を虚偽報告した疑いでマンハッタンの刑事裁判所で裁判中である。先月以来、同氏はマンハッタン地方検事のアルビン・ブラッグ氏やこの事件を担当する陪審員たちについて公の場で発言すること、また法廷の業務を妨げる可能性のある発言をすることを禁じられている。

それにもかかわらず、この元大統領は今週毎日マンハッタンの裁判所の外で記者団と話しており、ブラッグ氏の弁護団はトランプ氏がすでにこの緘口令に少なくとも7回違反している、と主張している。その一例として、トランプ大統領は水曜日(4月17日)、自身が立ち上げたプラットフォームであるトゥルース・ソーシャルに出演し、FOXニュースの司会者ジェシー・ワッターズ氏の言葉を引用し、「隠れリベラル活動家」が「トランプ陪審に有利になるために裁判官に嘘をついていた」と主張した。

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関連記事:Man dies after setting himself on fire outside Trump trial (GRAPHIC VIDEOS)

しかし、プレストン氏はCNN司会者のジム・アコスタ氏とのパネルディスカッションで、一審判事がトランプ氏を「数時間」留置場に入れれば、最終的な結果は「国中でとは言わずとも、一部の都市で確実に市民暴動が起きるでしょう」と述べた。

「そして第二に、政治的に見て、もし私がバイデン陣営なら、必ずしも刑務所にいるトランプ氏の姿を見たいとは思わないでしょう。というのも、そのような状況は、人々をさらに煽り、さらに激怒させるだけだからです」とプレストン氏は付け加えた。

ジョーン・マーチャン判事は火曜日(4月23日)、トランプ前大統領の緘口令違反容疑に関する検察側の弁論を審理することになっている。

トランプ大統領は金曜日(4月18日)、裁判所の外で「人々は私について話すことを許されていますが、私には緘口令が敷かれています。それがいかに不公平であるかを示すために、私は黙っていないだけです」と述べた。同前大統領はこの命令は違憲であると激しく非難し、記者団に「命令は撤回されなければなりません」と語った。

トランプ氏は11月の大統領選挙でバイデン氏に対抗する共和党の予定候補者だ。マンハッタンの刑事裁判所で進行中の裁判と他の3件の刑事事件の裁判が進行中であるにもかかわらず、同氏は現在、ほとんどの世論調査で現職を1~10ポイント先行している。
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西側諸国、ウクライナ戦線が間もなく崩壊する可能性を懸念 – ブルームバーグ社の報道

<記事原文 寺島先生推薦>
West fears Ukrainian front line could collapse soon – Bloomberg
同報道機関によると、キエフ軍は対外援助の遅れと人員不足のため、ロシア軍を抑えるのに苦慮しているという
出典:RT 2024年4月18日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月29日


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ウクライナ陣地に向けて2S3アカツィヤ自走榴弾砲を発砲するロシア兵© スプートニク


米国とEUは、ロシア軍が今後数週間以内にウクライナの防衛線を突破する可能性があることを懸念している、と事情に詳しい関係者がブルームバーグ社に語った。

ロシア軍は弾薬の優位性のおかげで前進を続けている、と同社は木曜日(4月18日)の記事で認めた。

同時に、ウクライナ軍は「米国と欧州の軍事援助の遅れと人員不足により苦戦している」とも付け加えた。

ブルームバーグ社によると、ウクライナは防空網が整備されていないため、ロシアのミサイルやドローン、爆弾による攻撃に毎日直面しており、主要なエネルギー基盤組織が破壊され、軍事拠点が攻撃されている、という。

このため、「ロシアが今後数週間で、引き伸ばされすぎたウクライナの戦線を突破することで大きな前進を得るのではないか、という懸念が高まっている」と米国と欧州の情報筋が同社に語った。

ロシア軍は現在、ドネツク人民共和国のチャソフ・ヤル郊外に到達しているが、同地域は高地にあるため、この地域のウクライナ防衛にとって重要な町であると記事は続けた。

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関連記事:Zelensky blames EU for Russian advance

ウクライナのウラジミール・ゼレンスキー大統領は水曜日(4月17日)、EU指導者らに向けたビデオ演説の中で、「ロシア軍は武装要素に関連するほぼすべての分野でその強さを感じています。そして、砲兵や装備、空での作戦能力におけるこの強さこそが、ロシア側が前線で我々に圧力をかけながら、徐々に前進できている理由なのです」と外国の支援者らに警告した。

ゼレンスキー大統領は、自国には西側諸国のさらなる援助が必要だ、と述べ、EUに対し、ウクライナに100万発の砲弾を供給するという約束を最終的に履行するよう求めた。

ウクライナ政府への追加600億ドル支援を強行しようとするジョー・バイデン米大統領政権の試みは、移民と国境警備をめぐる民主党と共和党の議員間の対立のなか、秋からずっと採決ができていない。マイク・ジョンソン米下院議長は、ウクライナ支援だけに特化した法案を土曜日(4月20日)に採決すると発表した。

関連記事: Russia charges four Ukrainian colonels with mass murder

4月初旬、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防大臣は、同国軍が年初以来、ウクライナからさらに403平方キロメートルの土地を占領した、と述べた。同大臣によると、ウクライナ軍はこの期間中、一日につき約800人の人員と約120台の装備を失っている、という。
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米国政府はテレグラム創設者へのバックドア(不正侵入)を望んでいた

<記事原文 寺島先生推薦>
US government wanted backdoor to Telegram – founder
ロシア生まれのIT起業家パーヴェル・ドゥーロフ氏、米国滞在中にFBIから「圧力を受けた」と語る
出典:RT 2024年4月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月29日


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Telegram アプリを備えた電話。© スメール・アスランダ/アナドル/ゲッティイメージズ


ソーシャル・メディアのプラットフォームの創設者パーヴェル・ドゥーロフ氏は、米国人ジャーナリストのタッカー・カールソン氏とのインタビューで、米国政府はテレグラムの利用者を密偵する可能性を秘めた、いわゆる「バックドア」の導入を望んでいた、と語った。

ドゥーロフ氏がサンフランシスコに会社を設立するという考えをやめた理由の一つには、FBIから目を付けられていたことにあった、と同氏は語った。

サンクトペテルブルク生まれのドゥーロフ氏は、数学者である兄ニコライ氏とともに、フェイスブックのロシア版ともいえるVKを初めて設立した。その後、この兄弟はテレグラムという情報のやり取りができるソーシャル・メディア・プラットフォームを開発した。この兄弟は、このプラットフォームは、現在利用可能なプラットフォームの中で最も安全で最も保護された情報媒体の1つであると自負している。

ドゥーロフ氏が2014年にVK株を売却し、ロシアを出国したのは、ロシア政府との意見の相違が理由だった。彼はテレグラムを運営するのに最適な場所を探しながらいくつかの国に住み、最終的にドバイに定住した。

水曜日(4月17日)に公開されたインタビューの中で、ドゥーロフ氏は米国を数回訪問し、ツイッター社の元最高経営責任者(CEO)のジャック・ドーシー氏とも会った、と述べた。またドゥーロフ氏は、FBIの監視下にあったため、米国での滞在は気が休まらなかった、という。

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関連記事:Telegram founder reveals Tucker Carlson interview

「私たちはどこへ行ってもFBIという治安機関から過剰な注意を受けました」とドゥーロフ氏はカールソン氏に語り、この経験を「怖い」ものだったと述べた。

ドゥーロフ氏によれば、要職に付いている従業員の一人が、米国政府から接触を受けている、と話したことがあるという。「(米国政府の)サイバーセキュリティの担当官たちが、私に隠れて私の技術者を雇おうとしていたのです」。

「この担当官らが、私の部下に或るオープンソース(無料で一般公開されたプログラムのこと)のツールを使うように説得し、それをテレグラムのコードに統合させようとしていた、というのです。私の部下の技術者が(そのような)話をでっち上げる理由はありません。」

ドゥーロフ氏は続けて、米国でも法執行当局が何度も接近してきて、「同じ様な圧力を個人的に経験しました」とも述べた。

私が米国に行くときはいつも、空港で二人のFBI捜査官が出迎えて質問してくれました。ある時は、私が借りていた家で午前9時に朝食をとっているときに現れたこともありました。

「私の理解では、彼らはテレグラムをより良く管理できるような関係を結びたかったのでは、ということです。彼らはただ自分たちの仕事をしていただけだったことは理解しています。(しかし)プライバシーを重視したソーシャルメディア・プラットフォームを運営している私たちにとって、そのような環境は、おそらく最良の環境ではなかったのです」とドゥーロフ氏は説明した。

このテクノロジー起業家は、テレグラムが世界中の多くの国で抗議活動の主催者によって使用されていることを認めた。ただし同氏は、このプラットフォームが政治的に中立であり続けることを望んでいる点を強調した。
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ロシア政府が「誘拐」したとされたウクライナの子どもたちがドイツで発見される

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Ukrainian children ‘kidnapped’ by Moscow found in Germany
この事実が明らかになったことで、ウクライナ側が唱えていた「神話」の間違いが証明された、と大量拉致容疑で告発されていたロシア当局者が発言
出典:RT 2024年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月29日


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写真:ドイツ、ベルリンの旧テーゲル空港にある難民のための緊急宿泊施設。© Sebastian Gollnow / picture alliance via Getty Images


「ロシアが誘拐した」とされていた160人以上のウクライナ人の子どもたちが、ドイツに住んでいる事実が確認された、とドイツ連邦刑事庁(BKA)が認めた。

ウクライナ国家警察のイワン・ヴィゴフスキー長官は水曜日(4月17日)、この発見を歓迎し、今週初めの会合でBKAのホルガー・ムンク会長とこの問題について話し合った、と国営報道機関に語った。

ロシアの児童権利委員マリア・ルボワ=ベロワ氏によると、ロシア政府がウクライナの子どもたちを一斉に誘拐したというウクライナ側の主張は、被害者とされた子どもたちの一部がEU内で発見されたことで嘘であることが暴露された、とした。彼女は、モスクワとキエフの間の紛争のさなか、ウクライナから若者を誘拐したとして告発された当局者の一人である。

RTドイツ支局から説明を求められたBKAは、ウクライナ当局から「誘拐」の被害者であると指摘された子どもたちをBKAの職員が確認したと述べた。子どもたちの個人情報はドイツの記録と照合された。

ドイツ警察によると、この子どもたちの大半は両親や法的保護者に同伴され、難民としてドイツに入国していた、という。「不法入国」の疑いが残っている事例も少しある、と警察は声明を付け加えたが、さらなる詳細は明らかにしなかった。

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関連記事:Moscow acted correctly in moving Ukrainian children – Putin

この報道を受けて、ルボワ=ベロワ氏は、ロシア政府が「これまでずっと国際社会に対して注意するよう促してきたのは、ウクライナがこれらの子どもたちに関する組織的な神話をつくりあげてきた、という点です。具体的には、ウクライナは、これらの子どもたちがロシアにより『強制送還』されたと主張してきたのです」と述べた。

昨年、国際刑事裁判所(ICC)は、ウクライナ紛争中の未成年者の不法国外追放と移送容疑に関する捜査の主要容疑者として、ルボワ=ベロワ氏をロシアのウラジーミル・プーチン大統領と並んで指名した。ロシア政府はこの主張を政治的動機によるものとして否定し、ウクライナ側は嘘をついており、実際は戦争の被害を受けた地域から民間人を避難させたにすぎなかった、と主張していた。

ルボワ=ベロワ氏は、ドイツでのこの件の発覚についての発言の中で、自身の役所は、ウクライナ側が拉致被害者としていた子どもたちが実際は自宅や他国で両親と一緒に暮らしている複数の事例を確認した、とし、これらの子どもたちは「家族から一度も引き離さたことはありません」と述べた。

同氏は、ウクライナの「世界規模の偽情報拡散工作」が最終的には中止され、真実が広まることに期待を表明した。
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フロリダ州、子どもたちに「共産主義の危険性」を教えることを決定

<記事原文 寺島先生推薦>
US state to teach kids ‘dangers of Communism’
この新しい州法の目的は、大学生に思想的な「教化」に対する免疫をつけさせることにある
出典:RT 2024年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月28日


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写真:©ロン・デサンティス。マイケル・M・サンティアゴ/ゲッティイメージズ


フロリダ州のロン・デサンティス知事は、生徒に「共産主義の危険性と悪」についての教育課程を幼稚園から始めることを義務付ける法案に署名した。この法案は、冷戦が最も激しかった時期に、キューバの共産主義指導者フィデル・カストロ氏を打倒しようとする米国の試みが失敗に終わった記念日に署名された。
7月に発効するこの法律は、2026~2027学年度からすべての公立学校に年齢に応じた方法で共産主義の歴史を教えることを義務付けている。

共産主義についての指導では、国内外の共産主義運動の歴史を提供し、海外で見られている残虐行為に焦点を当てなければならない、とされている。また、中国での出来事や中南米やキューバでの赤色思想の蔓延など、20世紀における「米国と同盟諸国に対する共産主義の脅威の増大」も強調しなければならない、とこの新法案にはある。

デサンティス知事の事務所は記者会見で、この教育課程の主な目的の一つは「学生が大学での共産主義の洗脳に免疫がつくように準備すること」だと説明した。

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関連記事:US government finances ‘unsustainable’ – auditors


知事はこの法案を讃え、「生徒たちが無知のまま生きたり、学校で共産主義者の弁護者によって教化されたりすることを許しません。フロリダ州の生徒たちには、共産主義の悪と危険についての真実を確実に教えていく所存です」と語った。

マニー・ディアス州教育長によると、共産主義に関する指導は「K(幼稚園)から12(12年生)までの教育課程全体に広がる」という。

この新法は、米国の強力な支援を受けたキューバ亡命軍によるキューバ南海岸への侵攻未遂事件である1961年のピッグス湾侵攻の63周年の記念日に制定された。この軍事上陸の試みは、その2年前にフィデル・カストロ氏を権力の座に導いた革命に対する米国側の直接的な反応だった。

しかし、この攻撃は大失敗に終わり、キューバをソ連に近づけることで、1962年のキューバ危機につながり、世界は核戦争の瀬戸際にまで追い込まれた。1961年、ジョン・ケネディ米大統領政権はまた、キューバの民間施設への攻撃とカストロ政権の弱体化を目的とした秘密行動であるマングース作戦を承認した。
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「政府」がノルド・ストリームを破壊した可能性がある、と保険会社は主張 – 露コメルサント紙の報道

<記事原文 寺島先生推薦>
Insurers claim ‘government’ could have sabotaged Nord Stream – Kommersant
ロイズ・オブ・ロンドン社とアーチ・インシュランス社は、このガスパイプラインの破壊に対する補償金の支払いを拒否した、との報道
出典:RT 2024年4月18日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月28日


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© Getty Images / picture alliance / Contributor


2022年に破壊工作が行なわれたノルド・ストリーム・ガスパイプラインの保険契約は、軍事的敵対行為による破壊や損害には適用されない、とロシアのコメルサント紙が木曜日(4月18日)、欧米の大手企業2社がロンドンの高等法院に提出した請求書を引用して報じた。

ロイズ・オブ・ロンドン社とアーチ・インシュアランス社による今回の請求は、パイプラインの運営会社であるノルド・ストリーム社(Nord Stream AG)が3月に裁判所に提訴したことを受けたものだ。

フィナンシャル・タイムズ紙によると、ロシアのエネルギー業界大手ガスプロム社が51%の株を所有するノルド・ストリームAG社は当時、パイプラインの爆発による損害に対して保険会社が約4億ユーロ(約680億円)の支払いを怠っていた、と主張していた。ノルド・ストリームAG社は、パイプラインの基盤組織を完全に修理し、失われた残存ガスを奪回するには12億ユーロ以上かかる、と見積もっているという。

これに対し保険会社2社は、「戦争によって、または戦争の結果として、直接的または間接的に生じた損失や損害」は保険の対象にはならない、と主張したという。 さらに、2022年2月に始まったロシアとウクライナの紛争は、「戦争や侵略敵対行為、軍事力という条件を満たす」とも付け加えた。 コメルサント紙によれば、これらの保険会社はまた、損害は「いずれかの政府の命令によって、あるいはその命令に基づいて」発生した可能性がある、と主張している。

ロシア外務省のマリア・ザハロワ報道官はこの報道について発言し、西側の大手保険会社の信頼性について大きな懸念が生じていると述べた。ザハロワ報道官によると、補償金の支払いを拒否すれば、国家資産や私有財産の差し押さえ、民間の生活基盤設備に損害を与えるとされる脅迫など、ロシアに対する一連の敵対行為がさらに増える、という。

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関連記事:US and UK blew up Nord Stream – Russia’s top spy

ロシアの天然ガスをバルト海経由でドイツに直接輸送するために建設されたノルド・ストリーム・パイプラインは、2022年9月に起きた一連の爆発で正体不明の犯人によって損傷を受けた。爆発により4本のパイプラインのうち3本が稼働不能となり、単一のメタン漏れとしては過去最大と思われる被害を出した。

破壊行為の直後、自国の経済水域で攻撃が行なわれたドイツとデンマーク、スウェーデンは個別の調査を開始したが、結果は公表されていない。今年初め、デンマークとスウェーデンは調査を終了した、と発表した。

ロシア当局は、この破壊行為により最も多くの利益を得たのは米国である、と主張し、ホワイトハウスが繰り返しこのパイプラインに反対する声を上げてきた点を指摘した。ロシア政府はまた、西側諸国が捜査を妨害していると非難した。

昨年、受賞歴のある米国ジャーナリストのシーモア・ハーシュ氏は、爆撃の背後に米国政府いる、と非難したが、ホワイトハウスはその疑惑を否定した。その後、複数の西側報道機関はウクライナ国民がこの破壊活動に関与していた、と報じた。ウクライナ政府はこの破壊行為との関連を否定している。

この破壊行為の結果、ノルドストリーム1を経由するロシアからドイツへのガス供給が停止された。ノルド ストリーム2は、EU当局の官僚主義的な間違った考えのもと、一度も利用されることはなかった。
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500ドルのロシア無人機が1000万ドルのアメリカ戦車を破壊 – ニューヨーク・タイムズ紙の報道

<記事原文 寺島先生推薦>
$500 Russian drones destroying $10,000,000 American tanks – NYT
同紙は、モスクワ軍がウクライナで米国製エイブラムス5機を破壊し、さらに3機を損傷した、と報じた
出典:RT 2024年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月27日


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写真: 米国 M1 エイブラムス戦車© Global Look Press / IMAGO / Antti Aimo-Koivisto

ニューヨーク・タイムズ紙は土曜日(4月20日)、ウクライナに納入された高価な米国製M1エイブラムス戦車が、その価格が(エイブラムス戦車と比較して)芥子粒ほどでしかないロシアの無人機の餌食になる事例が増えている、と報じた。「米国の軍事力の最も強力な象徴の一つ」でさえ攻撃に対して無敵ではない、と同紙は報じた。

同報道機関は、米国が提供した戦車31両のうち、少なくとも5両がすでにロシアによって破壊されており、残りの3両は「中程度の損傷を受けた」と付け加えた。

ほとんどの場合、この米国製戦車は徘徊型兵器としても知られる一人称視点 (FPV) のカミカゼ・ドローン機によって破壊されている。これらのドローンは、目標に到達する前に操縦することができる。

しかし、少なくとも一例では、エイブラムス戦車がロシアのT-72B3主力戦車との戦闘の結果、撃破された。ロシア軍は、米国が供給した装備品の破壊を示す、ほとんどがドローン機から撮影された十数本の映像を公開した。

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関連記事:WATCH Russian kamikaze drone hit US-made Abrams tank

NYT(ニューヨーク・タイムズ)紙によると、この戦車は「一部の当局者や専門家が当初想定していたよりも、ドローンの爆発によって簡単に撤去できる」ことが判明した、という。同報道機関は、オーストリアの歴史家で軍事専門家のマルクス・ライスナー大佐の言葉を報じた。同大佐は、この状況を「信じられない」と述べた、という。同紙はまた、ロシアの無人航空機(UAV)を「高精度で費用も安く済む戦車破壊兵器である」と表現した。

NYTは、ドローンの命中率は90%を超えており、重装甲の最も弱い部分を攻撃する能力もある、と付け加えた。同紙は、UAVの価格は「わずか500ドル」で、「1000万ドルのエイブラムス戦車を撃破する」能力がある、と報じた。同紙は、ドローン攻撃から戦車を守る「簡単な、あるいは単純な」方法は存在しない、と指摘した。

米国製エイブラムス戦車が、長らく待たれていた中で、前線に姿を現したのは、2月下旬のことで、当時ウクライナ軍は、ドンバス市アブデーフカ占領後、進撃を続けるロシア軍を阻止しようとしていた。ウクライナ側に31両のM1エイブラムス戦車が寄託されることが成約されたのは昨年初旬だったが、それはその後のウクライナによる反転攻勢が悲惨な結果に終わる以前のことだった。同戦車の納品は10月中旬までに完了したが、不運にもその時点でウクライナには反転攻勢を推し進める力がすでにほぼ使い果たされていた。
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西側はゼレンスキー大統領暗殺を企てている – メドベージェフ露元大統領

<記事原文 寺島先生推薦>
West plotting to assassinate Zelensky – Medvedev
ウクライナ大統領に対する「ロシアの陰謀」が阻止されたというポーランドの主張は危険信号だ、との考えをこの高官は主張
出典:RT 2024年4月19日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月27日


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写真: ロシア安全保障会議のドミトリー・メドベージェフ副議長。© スプートニク / パベル・ベドニャコフ


1人のポーランド国民がロシア政府と共謀してウクライナのウラジーミル・ゼレンスキー大統領暗殺を計画していたという疑惑は、ウクライナを支援している西側がこのウクライナ指導者を「清算」したいと考えている兆候である、とドミトリー・メドベージェフ元ロシア大統領は主張した。

木曜日(4月18日)、ポーランド当局は、ロシア諜報機関に機密情報を提供しようとした疑いで1人の男が逮捕された、と報告した。この情報はゼレンスキー大統領殺害の目的で使用された可能性がある、とポーランド政府とウクライナ政府は主張している。

「ポーランドのバンデライトの長(ゼレンスキー)の命を狙う試みがあったって? これは本当に深刻な問題だ」とロシア安全保障理事会副議長を務めるメドベージェフ氏は金曜日(4月19日)、ウクライナとポーランドからのこの主張に応えてソーシャルメディアに書き込んだ。

「これは西側諸国の人々がゼレンスキーを清算する決断を下したことを示す最初の証拠となるかもしれない。気をつけろ、道化師よ!」

「バンデライト」という用語は、第二次世界大戦中にポーランド人の民族浄化をおこなったステパン・バンデラが主導したウクライナ民族主義運動を指す。ナチスの協力者であったバンデラは現代のウクライナでは国民的英雄とみなされている。

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関連記事:Poland arrests man over ‘Zelensky assassination plot’

ワルシャワの国家検察庁によってパヴェル・K.と特定されたこのポーランド人男性は、国益に反して外国勢力と協力しようとした罪で有罪判決を受けた場合、最長8年の懲役刑に処される可能性がある。

具体的には、パヴェル・K容疑者はポーランド南東部のジェシェフ・ヤションカ空港に関する情報をロシア政府と共有しようとした疑いで告発されている。この施設は、NATO加盟諸国がロシアと戦うウクライナに寄付する武器や弾薬の輸送に使用されている。

しかし、ポーランド当局者らは、同容疑者からの情報が「何よりも」、ロシア政府がポーランド訪問中のゼレンスキー大統領に対して攻撃を加えようとしていた計画に役立った可能性がある、と主張している。KGB(ソ連国家保安委員会)の後継組織であるSBU(ウクライナ保安庁)も、独自の声明でこの主張を繰り返した。

ポーランド当局は、パヴェル・K容疑者がウクライナ紛争に「直接関与している」ロシア国民と接触していた、と主張した。ポーランド当局は、ウクライナ治安当局から今回の事件について密告を受けていた、という。

ゼレンスキー大統領は西側報道機関に対し、ロシアは何年にもわたってゼレンスキー大統領を殺害しようとしてきたが、自身の警護員によって阻止されてきた、と語った。

関連記事:Ukraine claims it foiled Russian plot to kill Zelensky

しかし、ナフタリ・ベネット元イスラエル首相によると、2022年3月、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が私見として、ロシアはゼレンスキー大統領を殺害するつもりはないことを明言した、という。
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がん治療の重要な手立てとしてイベルメクチンが急浮上

<記事原文 寺島先生推薦>
Ivermectin Emerges as a Significant Aid in Cancer Treatment
著者:ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)
出典:ポール・クレイグ・ロバーツ氏自身のブログ  2024年4月9日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月27日


エポックテレビの司会者ロマン・バルマコフはニュース業界一の司会者だ。以下の13分の動画において、バルマコフは、イベルメクチンをがん治療に使用した成功例について報じている。https://www.theepochtimes.com/epochtv/ivermectin-as-a-powerful-drug-for-fighting-cancer-a-look-at-the-evidence-facts-matter-5622050?utm_source=Enews&utm_campaign=etv1-2024-04-05&utm_medium=email&utm_content=upvideo&est=AAAAAAAAAAAAAAAAceE5JjMFys3H%2BbdAvWpUcQzPZ0WlGLZbDFlFfmdQNQ%3D%3D

ここ3年間のCOVID狂想曲のあいだに私が書いてきたとおり、ヒドロキシクロロキンもイベルメクチンも、COVIDの予防と治療に有効だ。医療当局はこの事実を知りながら、この事実の拡散を抑えてきた。その理由は、医療当局は、治療法が存在すれば、COVID「ワクチン」を緊急時使用許可の名のもとに世間に出すことが出来ないことを分かっていたからだ。

この「ワクチン」は必要とされる治験を受けてこなかったため、通常の状況では世に出すことはできなかっただろう。したがって、危険が伴うことは織り込みずみで、緊急使用許可措置により薬剤業者が責任を果たさずにすんできたのだ。

「医療当局」、すなわちFDA(食品医薬品局)やCDC(疾病予防管理センター)、NIH(国立衛生研究所)、WHO(世界保健機関)のことだが、これら全ての組織は、巨大製薬業界の代理人にすぎず、これら当局と業界の間には、回転ドアが存在しており、ファウチ自身も巨大製薬業界と特許所有権を共有している。これらの「医療当局」が、治験を経ていないワクチンを偽りの口実のもとで、不当かつ不法に流通させているのだ。これは既成の事実であり、「陰謀論」ではない。巨大製薬業界の「事実確認者たち」ならそう決めつけるだろうが。これは科学上の既成の事実なのだが、愚かな報道機関や医療当局、巨大製薬業界の手により完全に無視されている。そしてこれらの組織が「医療規制当局」的役割を果たしているのだ。

大手製薬会社や保険会社が成立を働きかけた法律の結果、個人的な治療法を取ろうとする医師はますます少なくなっている。むしろ、医師たちは従業員に成り下がっている。つまり、雇用主であるHMO(会員制保健医療会社)に対して責任を負い、患者に対して責任を負わない、ということだ。医療保険は、このような事実に対応していない。

私の友人にHMOに雇われている医師がいる。COVID治療として人工呼吸器を使用したり、何も治療を施さなかったりする様を見た私の友人は、自身の患者にイベルメクチンを処方した。彼は雇用主から3度呼び出され、イベルメクチンを使った治療法をやめるよう命じられた。彼が命令を無視したのは、彼に対するそのような干渉は、医師と患者の間の関係や自身の患者や自身が守るべきヒポクラテスの誓いにおいて不当であると考えたからだ。4度叱責されればクビになることが分かったこの友人は、患者たちを守れない状況を避けるため、COVID感染患者を狼瘡(ろうそう)などの病気であると診断した。そうすればこれまで伝統的にこれらの病気の治療薬として使われてきたイベルメクチンやヒロロキシクロロキンを処方できたからだ。

言い換えれば、「自由な」アメリカ合衆国、いや、いまは世界から「口にするのも不潔な国」と見られているこの国において、自身が良心的な医師であるためには、患者の健康状態をわざと誤診するしかなくなってしまった。

先日私が書いたとおり、連邦裁判所が巨大製薬業界の販売代行業者に成り下がったFDAに、イベルメクチンの使用に対するオンライン上で記載された警告を取り下げるよう命じた。この薬品は、医師たちからの意見だけをもとに、長らく承認されてきた薬品だ。完全に腐敗した連邦機関である、FDAやNIH、CDCがビル・ゲイツ主導のWHOと一緒になって、アフリカで河川盲目症の予防薬として長らく使用されてきたこの薬を「馬用の薬」と決めつけていたのだ。

イベルメクチンを河川盲目症予防の「常備薬」として使用してきたアフリカの人で、COVIDに感染した人は誰もいない。

マラリア予防の「常備薬」としてヒロロキシクロロキンを使用してきたアフリカの人で、COVIDに感染した人は誰もいない。

インドの4つの州でイベルメクチンをCOVIDの予防薬として使用することに成功した。これらの州では「ワクチン」を使わずに、COVIDにかかった人はあったとしても少数だった。ブラジルの一部でも同じようなことが起こった。

こんにち、脂の乗り切った運動選手たちが試合中に死んでしまう事件が発生しているのは、COVIDワクチンを接種した国々においてだ。さらには、音楽活動家たちが演奏中に命を落とす事件が発生しているのも、そんな国々においてだ。これらの国々で、航空機の操縦士が不足しているのは、操縦士たちにワクチンを強制接種させたせいだ。さらにこれらの国々では、赤ん坊や子どもたちが心臓発作で亡くなる事件が発生している。さらには、かつては決して見られなかったターボ癌が子どもたちや大人たちの間で発生し、男性や女性の生殖能力が低下し、 流産が急増しているのも、これらの国々においてだ。

突きつけられている疑問は以下の点だ。それは、「バルマコフが提示した科学にもとづく情報により、癌の治療や予防としてイベルメクチンの使用が進むだろうか、それとも、この非常に安価な薬品が儲けの種になる制度化された既存の癌治療に対する脅威と見なされるのか?このような既存の癌治療法は、ヒトの免疫系を破壊し、人体が癌にやられてしまうものなのだが」という問いだ。

お気楽な気性の米国民は、権威を信頼して、またぞろイベルメクチンが悪者にされて、被害者になってしまうのだ。

実際、私たちには連邦「医療当局」による干渉の前例がある。医療当局は、N-アセチルシステイン(NAC)という非常に健康状態を改善する栄養補助食品を禁止する構えを取っているのだ。

巨大製薬業界がいちばん欲しがっていないことは、健康な国民だ。巨大製薬業界が必要としているのは、儲け口になる不健康な国民だ。実際、巨大製薬業界がワクチンや「薬品」を製造することで、私たちの健康は余計に害され、さらに医療にかからざるをえなくされている。

お人好しの米国民がわかっていないのは、巨大製薬業界が医療研究を牛耳っていて、医学系の学校の教育課程をどんどん支配している現状だ。そう昔の話ではないが、最も著名な二大医学研究誌であるニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン誌とランセット誌の編集者が退職した際、この両誌は、自誌が出す記事の内容に自信がもてない、と描いた。そしてその理由は、記事の7割が、巨大製薬業界からの補助金を受けているから、とのことだった。

こんにちの世界おいて、米国の若年層ほど医療措置やワクチンを受けた子どもたちはいない。さらにその米国の若年層のなかで健康な人はほとんど存在しない。

突きつけられている疑問は以下の点だ。それは、「国家の創設者たちが人類史上最も自由な国を作ろうと意図して建国されたこの国が、公式説明のいいなりになっているのか、そのような公式説明は自分たちの自由と健康、独立を破壊するものなのに」というという問いだ。

なぜ米国民は自身の無力さや自国民のために責任を果たそうとしない政府に忠実であることに満足しているのだろうか?

その唯一の答えは、お気楽な米国民は自分たちが置かれている状況に全く気がついていない、ということだ。自分たちが危機に瀕していることが分かっていないのだから、どうすればその危機に立ち向かえばよい、というのか。

米国を奈落の底に突き落とそうとしているのは、プーチンでも習近平でもイランでもない。その原因は、米国民のお気楽さだ。
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動画。ロシアのミサイルがウクライナの空軍基地を攻撃

<記事原文 寺島先生推薦>
WATCH Russian missiles strike Ukrainian airbase
少なくとも2機のMiG-29とS-300防空砲台が破壊された。
出典:RT 2024年4月18日
<寺島メソッド翻訳グループ> 2024年 4月 27日

動画は原サイトからご覧ください。(訳者)

複数のロシア製ミサイルがドニエプロペトロフスク州のウクライナ軍空軍基地であるアビアテルスコエを攻撃しているドローン映像が公開された。

この映像には、飛行場にいた数機のMiG-29戦闘機と輸送機が、イスカンデルMミサイルによって発射されたクラスター弾と思われる爆風に巻き込まれている様子が映っている。近くの格納庫や弾薬庫も攻撃されている。

別の映像では、基地の近くに配備されたS-300防空システムに直撃弾が命中している。ウクライナ側ミサイルとの交戦はなかった。この映像は偵察ドローンによって撮影された。

アビエタースコエはドニエプル市のすぐ南に位置し、前線から100キロ以上離れている。
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動画。ロシア軍、ウクライナの巨大テレビ塔を破壊

<記事原文 寺島先生推薦>
WATCH Russian military destroy huge TV tower in Ukraine
この建造物には、ウクライナの対空防衛で使用される通信アンテナが設置されていたとされる。
出典:RT   2024年4月22日
<寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月27日


ロシア軍は月曜日(4月22日)、ウクライナ東部の都市ハリコフにある大きなテレビ塔を高精度で攻撃した。


RIAノーボスチ通信が親ロシア派の地元住民の話から報じたところによると、この施設はキエフ軍が防空通信アンテナを含む様々な装置を設置するために使用していた。この塔は、240メートル強の高さがあり、かつて市内で最も高い建物だった。

未知の高精度の弾丸が直撃し、およそ3分の1が完全に破壊されたことが映像で確認されている。

直撃後、タワーの上部は崩壊した。タワーがウクライナの都市北部の人里離れた森林地帯にあることを考えると、それが地上に損害を与えたかどうかはすぐにはわからない。

(動画は原文サイトからご覧下さい。訳者)

落下した塔の一部は、空爆の余波でハリコフTVセンターを囲む森に落下したことが、ネット上で共有された動画からわかった。この巨大な構造物は、100メートル以上落下し、周辺の木々を押しつぶした後も、どうやら無事だったようだ。

ロシアは今月、ドローンによる石油インフラ攻撃への報復として、ウクライナ全土へのミサイル攻撃を強めている。主な標的はウクライナの発電所や通信塔などである。
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中東の再定義: イランによるイスラエルへの報復攻撃は、この地域に大きな変化をもたらした

<記事原文 寺島先生推薦>
Middle East redefined: Iran’s retaliatory attack on Israel signaled a major change in the region
テヘラン(イラン)によるユダヤ国家(イスラエル)への「象徴的」攻撃は、勝利だったのか、それとも未来にとっては敗北だったのか?
筆者:ファルハド・イブラジモフ(Farhad Ibragimov)
出典:RT 2024年4月17日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年4月25日


再定義 冒頭
© RT / RT


4月13日から14日の夜は、イランがイスラエル領土への直接攻撃を行なったことで、世界にとってもう1つの「ショック療法」となった。イランがイスラエル領内への直接攻撃をしかけたのだ。これはイスラエル国防軍(IDF)によるダマスカスのイラン領事館への不当な攻撃の後を受けたもので、その時11人の外交官とイスラム革命防衛隊(IRGC)の高官2人が死亡している。当初、イスラエルは責任を否定していたが、後に、この建物がハマスの作戦を調整する軍事拠点として機能しているとの考えを示し、この建物を標的にしたことを間接的に認めた。この行為は、外交使節団を保護する1961年と1963年のウィーン条約に明らかに違反している。通常、このような違反行為は国交断絶につながるが、イランとイスラエルはそのような関係を持たず、数十年にわたって紛争の瀬戸際にあったため、イスラエルの突然の行動は宣戦布告と解釈できる。この挑発に直面したイランはたいへんな窮地に追い込まれ、行動せざるを得なくなった。

論理的には避けられないと思われたイランの反応を世界が待つ間、ほぼ2週間の緊張が続いた。識者や専門家は、イランが取りうる明白な選択肢として、鏡のような反応で、イスラエル領内かこの地域の外交事務所のひとつを攻撃するか、イランの国そのものはもちろんだが、同様にイスラエルにとって問題である代理勢力を利用するかの2つを考えていた。しかしイランは、直接的な攻撃と地域の同盟国を利用するという第3の道を選んだ。この攻撃は、イランによるイスラエルへの初の直接攻撃として歴史に名を残した。とりわけ、記録上最も大規模な無人機攻撃であり、200機以上のUAV、150発の巡航ミサイル、110発のシャハブ3、サジル2、ケイバル地対地弾道ミサイル、7発のファッター2極超音速巡航ミサイルが使用されたと推定されている。攻撃は、イラン、シリア、イラク、レバノン、アンサール・アラー・フーシ派が支配するイエメンの一部など、複数の場所から行なわれた。

午前2時、イスラエル全土に空襲警報のサイレンが響き渡った。エルサレム、ハイファ港、ネゲブ砂漠の軍事基地、ベエル・シェバ近郊の空軍基地では爆発音が鳴り響き、パニックに陥った市民が街路に殺到し、避難場所を探した。イスラエル国防総省は、核施設に近いディモナの住民に対し、防空壕の近くにとどまるよう呼びかけ、ニュース・フィード(オンライン・ニュース)はますます憂慮すべきメッセージで埋め尽くされた。この集中砲火はイスラエルの有名なアイアンドーム防衛システムを圧倒し、飛来するドローンやミサイルの量が多すぎて処理しきれないことが判明した。これに対し、イギリス、アメリカ、イスラエル、ヨルダンの空軍が迎撃に奔走した。イスラエルは必死の対抗措置として、イランのミサイルと無人機の誘導システムを混乱させるため、すべてのGPS信号を妨害した。テヘランは即座に、標的はあくまでも軍事基地、飛行場、政府施設であると宣言した。

再定義
関連記事:イランのイスラエルへの攻撃はその見かけよりははるかに成功していた。なぜか?

全面戦争まであと一歩?

攻撃が展開されるなか、ジョー・バイデン米大統領は、イスラエルのネタニヤフ首相と「イスラエルの安全保障に関するアメリカの鉄壁の関与を再確認するために」話をしたことを公表した。欧州各国政府もその心情に同調した。国防総省のロイド・オースティン長官は、ユダヤ国家(イスラエル)を支援するという大統領の決意を確認する一方で、ワシントンはテヘランとの衝突を求めてはいないと付け加えた。これらの言葉は、西エルサレムでは歓迎されそうにない。ネタニヤフ首相は、イランの反撃を受けていくつかの声明を発表した。まず、ミサイル防衛システムの成功に言及し、すべてが迎撃され阻止されたと述べた。そして、イランにはその行動に責任を負わせると明言した。イスラエル軍の報告によれば、イランが発射したミサイルとUAVのほぼ99%は撃墜されたというが、欧米とグローバル・サウスの軍事専門家の多くは、メディアに掲載された映像を根拠に、この報告を疑っている。

同時に、いくつかの影響力のあるアメリカの出版物の情報源によれば、ワシントンは、「この戦闘激化のサイクルを終わらせる」ために、イスラエルがイランを直接攻撃するのを思いとどまらせる努力をしているとのことである。特筆すべきことだが、事件の2日後、ネタニヤフ首相は好戦的な発言を控え、ユダヤ国家(イスラエル)はイランの攻撃に「賢く、感情的にならずに」対応すると述べた。もちろん、イスラエルが非対称的に直接報復するとは限らないが、この問題ではその言い方も重要であり、ネタニヤフ首相が地域全体、ひいては世界を破局の奈落に引きずり込まないように努める可能性はある。イスラエルがアメリカの操り人形ではないことを考えればなおさらだ。それゆえ、イスラエル首相の独自の行動には大きな重みがある。

こうした中、イスラエルの元国防相兼外相で、現在は野党の重鎮であるアビグドール・リーバーマンの意見は注目に値する。リーバーマンは、イスラエルがイランの攻撃を撃退できたのはアメリカの援助、とりわけアメリカの諜報能力と早期迎撃能力のおかげだと述べた。これに基づき、リーバーマンは、イスラエルはイランへの報復攻撃に関してワシントンと最大限の協調を求めるべきだと考えている。彼によれば、そうすることによって、アメリカは「イスラエルがイランの攻撃に対して報復する以外に選択肢がないことを認めることになる」。CNNの情報筋によれば、イスラエルはイラン情勢を理由に、数カ月前から計画していたガザのラファでの作戦の延期さえ決めたという。現在、イスラエル当局は攻撃への対応に集中しており、その結果、作戦の活動段階は少なくとも数日間延期されることになった。簡単に言えば、ダマスカスの領事館が攻撃されてから14日夜の出来事まで、イスラエルはイランがずっと置かれていたような立場になったということである。

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ファイル写真. エルサレムのクネセト(イスラエル国会)で共同記者会見するイスラエルのネタニヤフ首相(右)とアビグドール・リーバーマン新国防相(左)。© Menahem Kahana / AFP

一方、イランのIRGCは、作戦終了の数分後に声明を発表し、これは事実上の「最終警告」であり、イスラエルが逆反発した場合には、テヘランはより強力な行動で対応すると指摘した。イランのホセイン・アミール=アブドラヒアン外相は、イスラム共和国(イラン)は中東における緊張の激化を望んでおらず、自国の安全保障と利益を守るために行動していると述べた。さらに、同イラン外相によれば、ダマスカスのイラン領事館に対するイスラエルの武力行使に関する国連安全保障理事会の不作為や、米英仏の無責任な行動も考慮に入れているという。

新しいイランにとっての新しい立場

イランの反撃は、イスラエルだけでなく西側諸国全体に対する挑戦となった。テヘランは、自分たちが軽んじられることは許さないという前提で行動した。イランは「面目を保ち」、同盟国やイランに共感を寄せる人々を失望させず、この地域の指導国にふさわしいことを地域全体に証明する必要があった。さらに、今回の出来事はテヘランの戦術の変化ともいえる。以前は、イランは「戦略的忍耐」に基づいてイスラエルとの「関係」を築き、ユダヤ国家との直接的な衝突をあらゆる手段で避けようとしていたが、今や状況は激変している。

関連記事:「イスラム世界はイスラエルの破壊を祝うだろう」:テヘランと西エルサレムの戦争は不可避か?

イランの最高指導者ハメネイ師を取り巻聖職者のなかでも、イスラエルと西側諸国に対してより厳しい立場を主張する強硬派は、「戦略的忍耐」という戦術を弱さの表れだとし、より断固とした行動を求めた。一方、IRGCの上級司令官たちはより現実的なアプローチをとり、イランはまだ思い切った行動をとる準備ができていないと主張した。結局のところ、感情や熱狂の代わりに、西側諸国がまったく想定していなかったかもしれない新たな現実を理解した上で、現実主義が勝利を収めたのである。

これはすべて、イスラエルと西側諸国全体に対して、中東の力の均衡が変化したことを示そうとする試みだったのだろうか? 結局のところ、イランがその作戦に与えた名前は「真の約束」(つまり「約束は守る」) である。イラン人が話すすべての言葉や語句は、哲学的なレンズを通して非常に注意深く検討されるべきである。実際、すべてのことは、テヘランが今、言葉から行動に移行していることを示しているようだ。以前、イランは国際社会から「張子の虎」と呼ばれていたが、今ではイランに対する態度が少し変わった。テヘランは今、「あなたがたと違って、私たちは口にしたことはやるのだ(有言実行)」と、自らの関与を地域の他の地域に誇ることができる。

中東には、このような行動を快く思わない国もある。特に中立を維持し、今回の危機をやり過ごすことを選択した国はそうだ。主にトルコとサウジアラビアだ。湾岸協力会議GCC (バーレーン、クウェート、カタール、UAE、オマーン、サウジアラビア)は、儀礼的でやや抽象的な声明の中で、「地域の安定と住民の安全を脅かす」これ以上の事態の拡大を防ぐために自制を求めた。これは事実上、湾岸諸国は明確な選択をする気がなく、ガザ地区の紛争が解決された後のイスラエルとの関係正常化を依然として望んでいる可能性があることを示唆している。トルコも同様の立場をとっている。もっとも、トルコがイスラエルのイラン領事館襲撃を非難し、米国がイランを攻撃した場合には軍用機に対して領空を閉鎖する(これにはすぐクウェートとカタールが加わる)と警告し、仲裁の役割を果たそうとしたことは注目に値する。一方、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はイスラエルに対して厳しい発言を連発し、対立する勢力を交渉のテーブルにつかせ調停者になる可能性をつぶした。

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ファイル写真. イランの最高指導者ハメネイ師(左)との会談で発言するイランのエブラヒム・ライシ大統領(右)。© Global Look Press/イラン最高指導者執務室

イスラエルもイランもそういった筋書きに興味がなかった。テヘランはイスラエルに対して厳しいが一貫した政策を選んでいる:パレスチナが自由になり、エルサレムが二分されるまでユダヤ国との取引は行なわない、ということだ。テヘランの立場には何も新しいものはないが、すべては1947年の国連決議ではっきりと述べられている。皮肉なことに、1947年の国連での投票の際、当時「親西側派」だったモハンマド・レザ・シャー・パフラヴィー政権下のイランは、この種の解決策に反対し、長期的にはパレスチナ人が自らの土地から大量追放され、聖地を訪れることさえできなくなるだろうと主張した。実際、テヘランは新たに設立されたイスラエル国がそこで止まらず、隣国を侵略し続けるだろうと信じていた。要するに、テヘランはパレスチナ問題に対する自らの立場の核心を裏切ったことは一度もない。ただし、アラブ諸国の無策を目の当たりにしたため、パフラヴィー政権下のイランは徐々にテルアビブとの関係を構築していったが、パレスチナ問題を無視はしなかった。

こうした状況を踏まえると、現在最も興味をそそられるのは、この地域の国々、すなわちアラブ諸国がイランの行動にどう反応するかだ。イランは代理組織を利用することで、その手腕を強化することができた。代理組織は現在、パレスチナの利益を守るためにイスラエルに対抗する動きを見せている。彼らの中立的な反応から判断すると、(実際まったく意外なことだが)、アラブの指導者の誰も、強いイランには関心がない。アラブの指導者たちは、イランが西側諸国と連携する穏健な国家として存在することに関心がある。しかし、イランがロシアや中国に加わり、このトロイカの一員として世界政治の一翼を担うようになれば、中東は大きな変化に直面するだろう。

関連記事:フュードル・ルキャノフ:現在のイランは将来のイスラエルとなるだろう

イスラエルに答えはあるか?

IRGCの反撃はあったが、イランは誰も戦争を必要とせず、戦争にまったく関心がないという立場を維持し続けている。これまでの攻撃に関しては、イランはかなり成功したと考えている。彼らは、イラン政府はもはや口先だけの声明にとどまらず、全般的に物事は非常に現実的になるという「明確なメッセージ」を西側諸国全体に伝えることに成功した。さらに、もしイスラエルが反応すれば、イランによる同様の作戦は正当性を持つ。作戦が重なれば、それはその都度より激しいものになるだろう。さらに、道義的勝利もイランのものだ。テヘランは事態を緊張状態のままにしておいた。そして世界はイスラエル北部の軍事基地が攻撃され、被害を被ったことを目の当たりにした。イランの攻撃は、形だけではあるが、起こった。イスラム共和国(イラン)はこの地域の旗艦国のように振る舞い始めている。

この場合、イスラエルはイスラム共和国(イラン)と直接戦争する必要はほとんどない。特に、ハマスの問題はまだ決着しておらず、ガザはまだ非武装化されておらず、人質はまだ救出されておらず、西側の同盟国は口先だけの声明と非難を出すだけで、何の支援もしない。その一方で、イスラエルが冷静さを保てず自分を慰撫するために攻撃に出るかもしれないと考えるかなり深刻な理由がある。イスラエル外相イスラエル・カッツは、反撃の数日前に、イランが自国領土から攻撃してきた場合、イスラエルはそれに対抗して攻撃すると述べた。つまり、イスラエルはさらに踏み込んで攻撃を続ける可能性があるということだ。ネタニヤフ首相は口調をやや変え、大きな戦争は望んでいないことを示そうとしている。しかし、彼は、安全保障部門のメンバーから圧力を受けている可能性がある。彼らは復讐に燃え、イランへ憂さ晴らしをしたいと思っている。2023年10月7日以来醸成されてきた感情だ。もしイスラエルが反撃に転じ、イランの領土を攻撃し、人々を殺せば、事態は制御不能となり、イランを止めることはできないだろう。

イランのイスラエルに対する反撃の目的は、大きな戦争を引き起こすことではなかった。この行動は、PR活動、プロパガンダの策略、または力の誇示など、異なる見方ができる。イランの攻撃は、イスラエルの攻撃で殺害された二人の将軍と11人の外交官に匹敵するものではなかったため、イランは完全な報復に失敗したと言う人もいるかもしれない。しかし、反撃のメッセージは、イランの死者のために復讐するだけではなかった。テヘランは意図的にイスラエルの主要都市を攻撃しなかった。イスラエルへの攻撃は限定的であり、そのほとんどは、イスラエル側の攻撃の激化を回避し、さらなる挑発を防ぐために、法的にシリアに属している占領下のゴラニ高地とネゲブ砂漠の軍事施設を標的としていた。さらに、イランはイスラエルの防空網を突破することができ、イスラエルはそれほど十分に保護されていないことを証明した。

したがって、イランの目標は地域のゲームのルールを変えることであり、総じて見て、成功している。テヘランの反撃は、イランが言葉だけでなく本当の行動を起こさないという議論を終わらせ、両国の対立をまったく新しい段階に持っていった。この中途半端な手段は敗北として見なすべきではないが、完全な勝利とも言えない。それに、イスラエルは手をこまねいてはいない。ユダヤ国家(イスラエル)は行動を見直し、過ちを修正し始めるだろう。結局、イスラエルにとって安全保障の問題が最優先なのだ。


ファルハド・イブラジモフ(ルドン大学経済学部講師、ロシア国家経済・行政アカデミー客員講師、政治アナリスト、イラン・中東専門家)

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イスラエル敗北の声:イスラエル新聞ハーレツ紙が認める

<記事原文 寺島先生推薦>
The Voice of Israel’s Defeat: A Confession by Israeli Newspaper Haaretz
筆者:マイケル・プレーブスティング(Michael Proebsting)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年4月19日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月25日


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・ジャーナリストのチャイム・レビンソンは、「ハマスが赤ん坊をオーブンで焼いた」という残虐プロパガンダの嘘を暴いた。

・彼は最近の記事で、イスラエルは軍事的優位とジェノサイドにもかかわらず、戦争に負けていると認めている。


数日前、イスラエルで最も影響力のある新聞の一つであるハーレツ紙が驚くべき記事を掲載した。「言えないことを言う:イスラエルは敗北した、完全な敗北」という示唆に富むタイトルの下で、筆者はガザでのイスラエルの戦争とその全体的な状況について、絶対的に悲観的な状況を提示している。これは「意見記事」ではなく、同紙の「政治特派員」が書いたものであるため、ハーレツ紙の視点を代弁していると言える。

まず、この注目すべき記事の最も重要な部分を再現してみよう。

「我々は負けた。真実は語る必要がある。それを認められないというのは、イスラエル人一人ひとりの心理、そしてその集団心理のすべてを表していることになる。明々白々とした予測可能な現実がある。我々はそれを、将来のために、探り、処理し、理解し、結論を導き出す必要がある。我々は自分たちの負けを認めるのは面白くないから、自分に嘘をつくのだ。

・・・口に出せないが、我々は負けた。人は最善を信じて楽観的になる傾向があり、明日にはすべてがうまくいくことを期待し、結局は今よりはうまくゆくのだと期待する。それは人間の思考における最も根本的な欠陥である。我々はいい方向に向かっている、我々はそこに辿り着く必要がある。もう少し時間が経てば、もう少し努力すれば、人質は戻ってくるだろう、という考えである。ハマスは降伏し、ヤヒヤ・シンワル*は殺されるだろう。結局のところ、私たちは善の側にあり、善が勝利する、という考えだ。
ヤヒヤ・シンワル*は、パレスチナの政治家でパレスチナのスンナ派イスラム原理主義組織ハマスのガザ地区における最高幹部。アメリカによって国際テロリストに指定されている。 アラビア語ではヤフヤー・アッ=スィンワールと発音されるが、日本のメディア等における慣用表記は主にヤヒヤ・シンワルとなっている。(ウィキペディア)

「イランの体制はまもなく崩壊するだろう」などという、ありのままの人生そのものというよりハリウッドの脚本に近いような考え方につながるのも同じ心理だ。それらは真実ではなく、不快なものに関係しているものだ。結局のところ、一般大衆に真実を伝えるのは不快なことなのだ。

・・・我々の個人的な安心感を取り戻せる閣僚はだれもいないだろう。イランの脅威が語られるたびに、我々は震え上がった。我々の国際的地位は深刻な打撃を受けた。我々の指導力の弱さが外部に露呈した。何年もの間、我々は外部をだましてきた。我々は強い国であり、賢い民であり、強力な軍隊を持っている、と何とか信じさせることができた。実際のところ、我々には空軍はあるが(単なる)村だ。そんなものはいずれ人々は目を覚ます、という条件次第なのだ。

・・・ラファーは、広報担当者たちが我々をだまそうとしている最新のまやかしであり、勝利はすぐそこにあると思わせようとしている。イスラエル軍がラファーに入る時点で、本当の出来事はその重要性を失っているだろう。5月ごろに、もしかしたら小さな侵攻があるかもしれない。その後、広報担当者たちは次の嘘を広めるだろう。それは、「我々がすべきことは______(お好きな言葉をどうぞ!)だけであり、勝利が近づいている」というものだ。現実には、戦争目標は達成されないだろう。ハマスは根絶されない。軍事的圧力をかけて人質を取り戻し、安全を回復することはないだろう。

広報担当者たちが「我々は勝っている」と叫べば叫ぶほど、我々が負けていることがはっきりと分かる。嘘をつくことが彼らの仕事なのだ。それに慣れていかなければならない。10月7日以前よりも、今の生活は安全でない。受けた打撃は長年痛むだろう。国際的な孤立は消えることはないだろう。そして、もちろん、亡くなった人は帰ってこない。多くの人質も同様だ。中には、生活に戻れる人もいる。ただし、何がいつまた起こるかわからないという、身が石になるような恐怖に苦しむことになる。そして、生活が元通りに戻らない人もいる。こういった人々が生ける屍のように我々の中を歩きまわる。それが我々の行なった投票結果だ。それが現状だ。我々は祖国の悲しい現実に慣れていく必要がある。


基本的に、この記事はイスラエルが戦争に負けたことを認めている。もちろん、イスラエルの軍隊が根絶されたわけではない。しかし、世界で4番目に強い正式な軍隊と、小さな飛び地ガザ(人口230万人)のパレスチナ人抵抗勢力のゲリラ部隊との戦争では、成功の基準は異なる。

イスラエルがガザでパレスチナ人に対するジェノサイドに「成功」し、何万人もの人々を虐殺し、ほとんどの家屋を破壊し、ほとんどの住民を避難させたのは事実だ。しかし、このような恐ろしい戦争犯罪にもかかわらず、またイスラエルが歴史上最も長い戦争を繰り広げているにもかかわらず、英雄的なパレスチナ人を打ち負かすことはできていない!

実際、イスラエルの万能の軍隊は、空、海、陸における完全な優位性を持ち、人工知能を駆使した殺人プログラム、最新のミサイルと爆弾を持ち、アメリカ帝国主義からの無制限の財政的、政治的、軍事的支援を受けながら、ガザを征服することに失敗し、抵抗勢力を打ち負かすことに失敗し、人質を連れ戻すことに失敗した。この60年間イスラエルの反シオニスト・ユダヤ人、そしてトロツキストである私の同志ヨシ・シュワルツが少し前に指摘したように、抵抗勢力は驚くべき成果をあげたのである。

今までにないほどイスラエルが国際政治で孤立しており、世界中の人々に憎悪と軽蔑される国となっている。シオニストのジェノサイド戦争は、かつてないほどのパレスチナ支持運動を引き起こし、アパルトヘイトとテロ国家(イスラエル)に反対して絶え間なく人々が動員されている。数多くの労働組合が、イスラエルへの軍事および経済支援に反対する積極的なボイコット行動を既に取っている。

大衆からの圧力を受け、シオニスト国家(イスラエル)を批判し、それから距離を置かざるを得ないと考えるブルジョア政府は増えている。同じ圧力によって、国際司法裁判所(ICJ)はイスラエルによるガザでのジェノサイド調査を開始し、国連安全保障理事会(UN Security Council)さえも、イスラエルとそのアメリカの支配者の激しい抵抗に抗して、停戦に賛成せざるを得なくなった。

そうは言っても、今後待ち受ける困難や危険を否定するわけではない。殺人者たちは殺人を続け、裏切り者たちは裏切りを続ける。それでも、英雄的なパレスチナ人がシオニスト国家(イスラエル)に政治的な打撃を与えるのを見るのは素晴らしい!

団結 - 闘争 - 勝利

出典: Cuba en Resumen
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「ラベンダー」:イスラエルによるガザでの爆撃を指示するAIマシン

<記事原文 寺島先生推薦>
‘Lavender’: The AI machine directing Israel’s bombing spree in Gaza
イスラエル軍は、ほとんど人間が監督しないAI標的追求システムを使用し、犠牲者が出ても仕方がないとする方針をとって、テロリスト容疑者として何万ものガザ人を標的として指定していることが「+972とLocal Call」によって明らかになった。
筆者:ユバル・エイブラハム(Yuval Abraham)
出典:972mag  2024年4月3日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月25日


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2023年12月28日、ガザ地区北部のベイトラヒアでのイスラエル軍の空爆後に立ち上る煙。(ヨナタン・シンデル/Flash90)

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66-2 変更
By Yuval Abraham April 3, 2024
以下のサイトと共同


2021年、「Y.S准将」のペンネームで『人間と機械のチーム:世界に革命をもたらす人間と人工知能の相乗効果を生み出す方法』というタイトルの本が英語で出版された。その中で著者(イスラエルの精鋭諜報部隊8200の現司令官であることを本誌が確認した人物)は、大量のデータを迅速に処理して、戦争の熱気の中で軍事攻撃のための数千の潜在的な「標的」を生成できる特別なマシンを設計すべきだと主張している。そのような技術があれば、彼の言う「新しい標的を見つけることと、標的を承認するための意思決定の両方における人間的邪魔の存在」を解決するだろうと彼は書いている。

そのような機械が実際に存在することがわかった。「+972 MagazineとLocal Call」の新たな調査によると、イスラエル軍は「ラベンダー」として知られる人工知能 (AI) ベースのプログラムを開発していることが明らかになった。そのことを明らかにしたのは本誌が初めてである。現在のガザ地区での戦争に従軍し、暗殺の標的を生成するためのAIの使用に直接関与した6人のイスラエルの情報将校によると、「ラベンダー」は、特に今回の戦争の初期段階において、前例のないパレスチナ人への爆撃で中心的な役割を果たしたという。情報筋によると、AIが軍の作戦に与えた影響は大きく、軍はAIマシンの出力を「人間の判断であるかのように」扱っていたという。

表面的には、「ラベンダー」は、ハマスとイスラム聖戦の軍事部門の工作員と思われる人間はすべて、下級の階級を含めて、爆撃の標的と見なすよう設計されている。情報筋が「+972 and Local Call 」に語ったところによると、戦争初期の数週間、軍はほぼ完全に「ラベンダー」に依存し、最大37,000人のパレスチナ人を戦闘員と疑われるとしてマークし、その家を可能な空爆の対象としていた、とのことだ。

この戦争の初期段階で、(イスラエル)軍は指揮官たちに対して、機械(「ラベンダー」)がそれらの選択を行なった理由を徹底的に確認する必要も、それらが基づいている生の情報データを調査する必要もなく、「ラベンダー」の殺害リストを採用する広範な承認を与えた。ひとりの情報筋によると、人間はしばしば「ラベンダー」の決定のための「ゴム印」として働き、通常、爆撃を承認する前にマークされた標的が男性であることを確認するために1事例につき約「20秒」しか割り当てられなかった。「誤り」が約10%あり、時折、戦闘員集団と緩やかなつながりを持つか、まったくつながりがない個人を「ラベンダー」がマークすることがあるということがわかっていてもこの手順に変更はなかった。

さらに、イスラエル軍は、標的となった個人を、軍事行動の最中ではなく、自宅にいる間(通常は夜間、家族全員がいる間)に組織的に攻撃した。情報筋によれば、これは諜報活動の観点から、個人宅の方が個人の居場所を特定しやすかったからだという。今回初めて明らかになった "Where's Daddy?(パパ、どこ?)"と呼ばれるものを含む、追加の自動化システムは、標的となった個人を追跡し、彼らが家族の住居に入ったときに爆破を実行するために特別に使われた。

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2023年11月17日、ガザ地区南部の都市ラファにあるシャブーラ難民キャンプで、イスラエル軍による家屋への空爆後、負傷者を搬送し、火を消そうとするパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

情報筋が証言しているが、その結果、数千人のパレスチナ人 (そのほとんどが女性や子ども、戦闘に関与していない人々) がイスラエルの空爆によって皆殺しにされた。特に戦争の最初の数週間は、AIプログラムの決定が原因だった。

「我々には、ハマスの工作員が軍の建物にいるときや軍事活動に従事しているときだけ殺す、なんていうことは関心外でした」と情報将校のA氏は「+972とLocal Call」に語った。「それどころか、イスラエル国防軍は、第一の選択肢として、ためらうことなく家屋を爆撃したのです。一家が住む家を爆撃するほうがずっと簡単だからです。このシステムは、このような状況で工作員を探すように構築されているのです」。

「ラベンダー」は、もう1つのAIシステム「ザ・ゴスペル」と結びついている。このことは「+97 2and Local Call」による以前の調査で2023年11月に明らかにされた情報と、イスラエル軍が発行した出版物においても言及されている。両システムの根本的な違いは、標的の定義にある:戦闘員が活動していると軍が主張する建物や構造物を「ザ・ゴスペル」がマーキングするのに対し、「ラベンダー」は人間をマーキングし、彼らを殺害リストに載せるのだ。

さらに、情報筋によると、「ラベンダー」がマークしたとされる下級戦闘員を標的にすることになると、軍は一般的に「無誘導」爆弾 (「スマート」精密爆弾とは対照的) として知られている無誘導ミサイルだけを使用することを選んだ。これは、占拠者ばかりでなく建物全体を破壊し、かなりの死傷者を出すことできる。情報将校の一人であるC氏は、「高価な爆弾を重要でない人間のために浪費するのは望ましくありません。この爆弾はイスラエル国家にとってとても高価なものです。数も足りません」と語った。別の情報筋によると、司令官たち「ラベンダー」がマークしたとされる下級工作員の「何百という」の個人宅への爆撃を個人的に許可し、これらの攻撃の多くは「巻き添え被害」として民間人と一家全員を殺害したという。

二人の情報筋によると、前代未聞の動きとして、軍は戦争の最初の数週間に、「ラベンダー」がマークしたハマスの下級工作員一人につき15人から20人までの民間人を殺害してもよいと決定した。過去には、軍は下級戦闘員の暗殺時に「巻き添え被害」を許可していなかった。情報筋は、標的が大隊または旅団司令官の階級を持つハマスの高官であった場合、軍は何度か、一人の司令官の暗殺で100人以上の民間人の殺害を許可したと付け加えた。

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2023年10月24日、ガザ地区南部ラファのアル・ナジャール病院で、イスラエルの空爆で死亡した親族の遺体を受け取るのを待つパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

以下の調査は、ガザ戦争の初期の数週間におけるイスラエル軍の高度に自動化された標的製造の6つの年代順の段階に従って構成されている。最初に、AIを使用して数万人のパレスチナ人をマークした「ラベンダー」自体を説明する。第二に、標的を追跡し、彼らが家族の家に入ったときに軍に信号を送る「Where’s Daddy(パパ、どこ?)」システムを明らかにする。第三に、これらの家を攻撃するために「無誘導」爆弾がどのように選択されたかを記述する。

第四に、標的爆撃の際に殺害できる民間人の許容数を軍がどのように緩めたかを説明する。第五に、自動化ソフトウェアが各家庭の非戦闘員の数をいかに不正確に計算していたかに注目する。第六に、家が攻撃されたとき、大抵は夜間に、標的本人が家の中にいないことがあったことを示す。軍の将校がリアルタイムで情報を確認しなかったためだ。

手順1:標的の生成
「一度自動化すると、標的生成は滅茶苦茶になってしまう」


イスラエル軍では、過去に「人間の標的」という用語は、軍の国際法局の規定により、民間人がその周囲にいても個人宅で殺害できる上級軍事工作員を指していた。情報筋が「+972 and Local Call 」に語ったところによると、イスラエルの以前の戦争では、これは誰かを殺す「特に残忍な」方法であったため (しばしば標的と一緒に家族全員を殺すことになるから)、国際法の下で均衡の原則を維持するために、そのような人間の標的は非常に注意深くマークされ、上級軍司令官だけが自宅を爆撃された。

しかし、ハマス主導の戦闘員がイスラエル南部のコミュニティに致命的な攻撃を仕掛け、約1,200人を殺害し、240人を拉致した10月7日以降、軍は劇的に異なるアプローチを取ったと情報筋は述べている。「鉄の剣作戦」では、軍は階級や軍事的重要性に関係なく、ハマスの軍事部門のすべての工作員を人間の標的に指定することにした。そして、それがすべてを変えた。

新しい政策は、イスラエルの諜報機関に技術的な問題ももたらした。以前の戦争では、1人の人間標的の暗殺を許可するために、将校は複雑で長い「有罪」手続きを経なければならなかった。その人物が確かにハマスの軍事部門の幹部であるという証拠を照合し、その人物の居住地と連絡先を調べ、最終的にリアルタイムでその人物がいつ帰宅したかを調べるのだ。標的のリストが数十人の上級工作員しかいない場合、諜報員は彼らを有罪にし、居場所を特定する作業を個別に処理することができた。

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2023年10月22日、ガザ中心部のデイル・アル・バラにあるアル・アクサ殉教者病院付近の建物をイスラエル軍が空爆した後、生存者を救出し、瓦礫から遺体を引き揚げようとするパレスチナ人。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

しかし、リストが数万人の下級工作員を含むようになると、イスラエル軍は自動化されたソフトウェアと人工知能 (AI) に頼らざるを得ないと考えた。その結果、パレスチナ人を軍事工作員として有罪にするための人間の役割は脇に追いやられ、代わりにAIがほとんどの仕事をしたと情報筋は証言している。「+972and Local Call」に話をした情報筋によると、現在の戦争で人間を標的にするために開発された「ラベンダー」は、約37,000人のパレスチナ人を「ハマス戦闘員」の容疑者としてマークしており、そのほとんどが暗殺の対象となっている (IDFの広報担当者は、「+972 and Local Call」への声明でそのような殺害リストの存在を否定している) 。

「イスラエルは(この戦争以前に)日常的に彼らを追跡していなかったので、私たちは下級工作員が誰なのか知りませんでした」と上級将校Bは「+972 and Local Call」に説明し、今回の戦争のためにこの特殊な標的・マシンを開発した理由を明らかにした。「下級工作員を)自動的に攻撃できれば、とは思っていました。(しかし)そんなことは望んでもできるはずもないことです。ひとたび自動化すれば、標的の生成は滅茶苦茶になってしまいますから」。

情報筋によれば、それまでは補助的なツールとしてしか使われていなかった「ラベンダー」の殺害リストを自動的に採用することが承認されたのは、戦争が始まって2週間ほど経った頃で、情報部員がAIシステムによって選択された数百人の標的のランダムサンプルの正確性を「手動で」チェックした後だったという。そのサンプルで「ラベンダー」の結果が、ハマスに所属する個人を特定する精度が90%に達していることが判明すると、軍はシステムの全面的な使用を許可した。その瞬間から、情報筋によれば、「ラベンダー」がある個人をハマスの戦闘員と判断した場合、基本的にそれを命令として扱うように求められ、「ラベンダー」がその選択をした理由を独自にチェックしたり、その根拠となる生の情報データを調査したりする必要はなかったという。

「午前5時に (空軍が) やってきて、私たちがマークしたすべての家を爆撃しました」とB氏は述べた。「何千人もの人をピックアップしました。私たちは彼らを1人ずつ調べたのではなく、すべてを自動化されたシステムに入れ、(マークされた人物の) 1人が家にいるとすぐに標的になりました。私たちは彼と彼の家を爆撃しました」。

「戦闘における重要性が非常に低い地上兵を殺すために、家を爆撃するよう要請されたことは、私にとって非常に驚きでした」と、ある情報筋は、低位の戦闘員とされる人物をマークするためのAIの使用について語った。「私はそういう標的を "ゴミ標的 "と呼んでいました。それでも、"抑止力 "のためだけに爆撃する標的、つまり破壊を引き起こすためだけに避難させられたり倒されたりする高層ビルよりは、倫理的(に許される)と思いました」。

戦争初期におけるこの規制緩和がもたらした致命的な結果は、驚くべきものだった。ガザのパレスチナ保健省が発表したデータ(イスラエル軍は戦争開始以来、ほとんどこれだけを頼りにしてきた)によれば、11月24日に1週間の停戦が合意されるまでの最初の6週間で、イスラエルは約15,000人のパレスチナ人(これまでの死者数のほぼ半分)を殺害した。

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2023年10月10日、イスラエル軍による空爆の標的となったガザ市アル・リマル民衆地区。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

「情報は多ければ多いほどよく、種類も多いほどよい」

「ラベンダー」は、集団監視システムを通じてガザ地区の住民230万人のほとんどについて収集された情報を分析し、各特定人物がハマスやPIJの軍事組織で活動している可能性を評価し、ランク付けする。情報筋によれば、「ラベンダー」はガザに住むほぼすべての人に、戦闘員である可能性を1から100までの評価で示す。

情報筋の説明によると、「ラベンダー」は、ハマスとPIJの既知の工作員の特徴を識別することを学習し、その情報を訓練データとして自分の中に取り込んだ後、これらの同じ特徴 (「features」とも呼ばれる) を一般集団の中で特定するという。いくつかの異なる特徴を持っていることが判明した個人は、高い評価に達し、自動的に暗殺の潜在的な標的になる。

冒頭で紹介した『人間と機械のチーム』では、8200部隊の現司令官が、「ラベンダー」の名前に言及することなく、このようなシステムを提唱している。(司令官自身の名前も出てこないが、Haaretzも報じたように、8200部隊の5人の情報筋はこの司令官が著者であることを確認している)。司令官は、人間を軍事作戦中の軍の能力を制限する「邪魔の存在」と表現し、こう嘆く:「我々(人間)はそれほど多くの情報を処理できない。戦争中に標的を作る任務を何人課したとしても、1日に十分な数の標的を生成することはできない。」

この問題の解決策は人工知能だと彼は言う。この本は、AIと機械学習アルゴリズムに基づいて、「標的マシン」(その記述からすれば「ラベンダー」に似ている)を構築するための短いガイドを提供している。このガイドには、個人の評価を高めることができる「何百、何千」もの特徴の例がいくつか含まれている。たとえば、戦闘員とわかっている人間とWhatsAppグループに参加している、数か月ごとに携帯電話を変える、頻繁に住所を変える、などだ。

「情報は多ければ多いほどよく、種類も多いほどよい」と司令官は書いている。「視覚情報、携帯情報、ソーシャルメディアとのつながり、戦場情報、電話連絡先、写真。最初は人間がこれらの特徴を選択するが、時が経てば、機械が自ら特徴を識別するようになるだろう、と司令官は続ける。これによって、軍隊は「何万ものターゲット」を作成することができるようになるが、攻撃するかどうかの実際の判断は人間が行なうことになるという。

イスラエルの上級司令官が「ラベンダー」のような人間標的マシンの存在をほのめかしたのは、この本だけではない。「+972 and Local Call」は、2023年にテルアビブ大学のAI週間で8200部隊の極秘データサイエンス・AIセンターの司令官「ヨアヴ大佐」が行ない、当時イスラエルのメディアで報道された個人講義の映像を入手した。

この講義の中で、司令官はイスラエル軍が使用する新しい高度な標的機械について話している。この機械は、戦闘員とわかっている人間(そのリストとの類似性に基づいて「危険人物」を検出する。「このシステムを使って、我々はハマスのミサイル分隊の司令官を特定することができた」と「ヨアヴ大佐」は講義の中で述べ、この機械が初めて使われた2021年5月のイスラエルのガザでの軍事作戦について言及した。

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2023年にテルアビブ大学で行われたIDF8200部隊のデータサイエンス・AIセンター司令官による講義のスライド(「+972 and Local Call」が入手)

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2023年にテルアビブ大学で行われたIDF8200部隊のデータサイエンス・AIセンター司令官による講義のスライド(「+972 and Local Call」が入手)

「+972 and Local Call」が入手した講演会のスライドには、このマシーン(「ラベンダー」)がどのように機能するかが図解されている。既存のハマスの工作員に関するデータが与えられ、その特徴に気づくように学習し、他のパレスチナ人が戦闘員とどの程度似ているかに基づいて評価する。

ヨアヴ大佐は講演の中で、「最終的には生身の人間が決断を下します」と強調した。防衛の分野では、倫理的な面で、我々はこれを重視しています。これらのツールは、(情報将校が)彼らの壁を破るのを助けるためのものです」。

しかし、実際には、ここ数ヶ月の間に「ラベンダー」を使用した情報筋によると、人間の主体性と精度は、大量の「標的」作成と致死性によって置き換えられている。

「“誤謬ゼロ”政策はまったくありませんでした」。

「ラベンダー」を使用していた上級将校のB.は「+972 and Local Call」に、現在の戦争では時間を節約し、支障なく人間の標的を大量生成できるようにするために、将校はAIシステムの評価を独立して見直す必要はないと述べた。

「すべてが統計的、すべてが杓子定規でした。とても機械的だったのです」とB氏は述べた。彼は、「ラベンダー」の計算が90%しか正確でないと考えられていたことを内部チェックが示していたにもかかわらず、人間の監督は不要とされた、と指摘した。つまり、暗殺の対象となる人間の10%はハマスの軍事組織のメンバーではないことが事前にわかっていたのだ。

例えば、情報筋の説明によると、「ラベンダー」は時々、ハマスやPIJの工作員とわかっている人間に似たコミュニケーションパターンを持つ個人に誤ってフラグを立てることがあったという。その中には、警察や民間防衛の労働者、戦闘員の親族、たまたま工作員と同じ名前とニックネームを持っていた住民、かつてハマス工作員が使っていた装置を使っていたガザ住民などが含まれる。

「どのくらいハマスに近ければ、その組織に属している (とAIが判断する) のでしょうか?」と、「ラベンダー」の不正確さに批判的な情報筋は言う。「境界線は曖昧です。ハマスから給料をもらっていないのに、いろいろなことで彼らを助ける人は、ハマスの工作員ですか? 過去にハマスにいたが、現在はもう所属していない人は、ハマスの工作員ですか? これらの各特徴 (「ラベンダー」が疑わしいとフラグを立てる特徴) は不正確です」。

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2024年2月24日、ガザ地区南部ラファのイスラエル軍空爆現場でのパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

同様の問題は、暗殺対象としてマークされた人物が使用している電話を標的マシンが評価する能力にも存在する。同筋は「戦争ではパレスチナ人はしょっちゅう電話を変えます」と述べた。「家族と連絡が取れなくなったり、友人や妻に携帯電話を渡したり、紛失したりすることもあります。どの [電話] 番号が誰のものかを判断する自動メカニズムに100%依存することなどできません」。

情報筋によると、軍は最小限の人間の監視ではこれらの欠陥を発見できないことを知っていた。「ラベンダー」を使用したある関係者は、「“誤謬ゼロ”の政策はありませんでした。間違いは統計的に処理されました」と話した。「対象範囲と規模の大きさから、手順では、機械が正しいかどうか確信が持てなくても、統計的に問題がないことがわかっていれば、それを実行するというものでした」 。

上級消息筋のB氏は「効果は実証済みです」と述べた。「統計的アプローチには、特定の規範や基準を設定する何かがあります。この作戦には非論理的な数の (爆撃) がありました。私の記憶では、こんなことは今までありません。私は2日前に友人を失った兵士よりも統計的メカニズムを信頼しています。私を含め、そこにいた全員が10月7日に知り合いを失っています。機械(「ラベンダー」)だから冷静に事を為せたのです。そして、(人間よりも)楽にやってくれました」。

「ラベンダー」が作成したパレスチナ人容疑者の殺害リストへの依存を擁護する別の情報筋は、標的がハマスの上級司令官である場合には、情報を検証するためだけに情報将校の時間を費やす価値があると主張した。「しかし、下級戦闘員となると、人手と時間を投資したくないですよね」と同氏は述べた。「戦争では、すべての標的の有罪を確認する時間はありません。だから、人工知能を使うことの誤差を受け入れ、巻き添え被害や民間人の死、誤って攻撃するリスクを冒すことも厭いません。そして(そんな不合理さに)耐えていくことも喜んでするのです」。

B氏は、この自動化の理由は、暗殺の標的を増やせという絶え間ない突き上げがあるからだと述べた。「 (攻撃を許可できる十分な機能評価が整った) 標的がない日には、より低い閾値で攻撃しました。私たちはいつも圧力をかけられていました。「もっと標的を持って来い!」と上官は私たちを怒鳴りつけました。私たちはあっと言う間に標的を(殺し)終えたのです」。

「ラベンダー」の評価基準を下げると、より多くの人が攻撃対象になると彼は説明した。「ピーク時には、このシステムは37,000人を潜在的な人間の標的として生成しました」とB氏は言った。「しかし、数字は常に変化しています。ハマスの工作員が何であるかの基準をどこに設定するかによるからです。ハマスの工作員がもっと広く定義されていた時期もありましたが、その後、「ラベンダー」はあらゆる種類の民間防衛要員や警察官をリストに載せるようになりました。爆弾を無駄に使うにはもったいない人たちです。彼らはハマス政府を助けてはいますが、(イスラエル)兵士たちを実際に危険にさらすことはしていません」。

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2024年3月18日、ガザ地区南部のラファで、イスラエル軍の空爆によって破壊された建物の跡地にいるパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

「ラベンダー」を訓練した軍のデータ科学チームに協力していたある関係者によると、ハマスが支配する国内治安省の職員 (同氏は戦闘員ではないと考えている) から収集したデータも「ラベンダー」に入力されていたという。「私が気になったのは、「ラベンダー」が訓練されたとき、彼らが「ハマスの工作員」という言葉を曖昧に使っていたことと、訓練データセットに民間防衛労働者が含まれていたことです」と同氏は述べた。

この情報筋によると、このような人々は殺されて当然だと思っていても、コミュニケーションプロファイルに基づいてシステムを訓練することで、「ラベンダー」のアルゴリズムを一般の人々に適用した場合、誤って民間人を選択する可能性が高くなるという。「それは人間によって手動で操作されない自動システムであるため、この決定の意味は劇的です:それは、民間人のコミュニケーションプロファイルを持つ多くの人々を潜在的な標的として含めてしまうことを意味するからです」。

「私たちがチェックしたのは、標的は男性であるということだけでした」。

イスラエル軍はこれらの主張をきっぱりと否定している。イスラエル国防軍の広報担当者は、「+972 and Local Call」への声明で、標的を有罪にするために人工知能 (AI) を利用することを否定し、これらは「将校が有罪判決を下す過程を支援する補助ツール」にすぎないと述べた。声明はさらに、「いずれの場合も、IDF指令と国際法に定められた条件に従って、特定された標的が正当な攻撃目標であることを検証する(情報)アナリストによる独立した調査が必要である」と続けた。

しかし、情報筋によると、「ラベンダー」がマークした「下級」戦闘員と疑われる家を爆撃する前に実施された唯一の人間の監視手順は、AIが選択したターゲットが女性ではなく男性であることを確認するという1つのチェックを行なうことだった。ハマスとPIJの軍事部門には女性はいないので、標的が女性であれば、機械が間違いを犯した可能性が高いというのが軍の想定だった。

「人間はほんの数秒で(ターゲットを検証)しなければなりませんでした」とB氏は言った。「ラベンダー」がほとんどの時間「正しく」動作していることに気づいてから、これが手順になったと説明した。「最初は、機械が混乱しないようにチェックしました。しかし、ある時点で自動システムに頼り、(ターゲットが) 男性であることを確認しただけで十分でした。声が男か女かを見分けるのに時間はかかりません」。

男女チェックを行なうために、B氏は現在の戦争では「現段階では1人の標的に20秒を費やし、毎日それを何十回も行ないます。承認印を押す以外、人間としての付加価値はゼロでした。時間の節約になりました。もし(工作員が)自動化されたメカニズムの中に現れ、私が彼を人間であることを確認すれば、巻き添え被害の調査を条件として、彼を爆撃する許可が出たのです」と主張した。

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2023年11月20日、ガザ地区南部ラファで、イスラエル軍の空爆により破壊された家屋の瓦礫の中から現れるパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

実際には、これは「ラベンダー」によって誤ってマークされた民間人のために、間違いを検出するための監督メカニズムがないことを意味していると情報筋は述べた。B氏によると、「(ハマスの)標的が (自分の携帯電話を) 息子や兄弟、あるいはただの通りすがりの男に渡した場合、その人は家族と一緒に家の中で爆撃されます。これはよくありました。これらは「ラベンダー」が引き起こした間違いのほとんどでした」とのことだ。

手順2:標的の生成
「殺された人の大半は女性と子どもだった」


イスラエル軍の暗殺手順の次の段階は、「ラベンダー」が生成した標的を攻撃する場所を特定することだ。

「+972 and Local Call」への声明で、IDFの広報担当者は本記事に対して、「ハマスは、その工作員と軍事資産を民間人の中心に置き、組織的に民間人を人間の盾として利用し、病院、モスク、学校、国連施設などの機密施設を含む民間施設の内部から戦闘を行なっている。IDFは国際法に拘束され、それに従って行動しており、攻撃は軍事目標と軍事工作員にのみ向けられている」と主張した。

私たちが話をした6人の情報筋も、ある程度これに同調し、ハマスの大規模なトンネルシステムは意図的に病院や学校の下を通っていると述べた。ハマスの戦闘員は救急車を使って移動している。そして、無数の軍事資産が民間の建物の近くに位置していること。情報筋は、ハマスによるこれらの戦術の結果として、イスラエルの攻撃の多くが民間人を殺害していると主張した。人権団体が警告するこの特徴づけは、犠牲者を出したイスラエルの責任を曖昧にするものだ。

しかし、イスラエル軍の公式声明とは対照的に、情報筋は、イスラエルの現在の爆撃による前例のない死者数の主な理由は、軍が標的の個人宅を家族とともに組織的に攻撃しているという事実にあると説明している。これは、情報の観点から、自動化されたシステムを使って家族の家をマークする方が簡単だったからである。

実際、複数の情報筋は、ハマス工作員が民間人地域から軍事活動に従事している多くの事例とは対照的に、組織的な暗殺攻撃の場合、軍は日常的に、軍事活動が行われていない民間人世帯の中にいるときに戦闘員と疑われる者を爆撃するという積極的な選択をしていると強調した。この選択は、ガザにおけるイスラエルの大規模監視システムの設計方法を反映していると彼らは述べた。

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イスラエル軍がガザ地区を攻撃し続ける中、多くの子供を含む負傷者をガザ市のアル・シファ病院に運ぶパレスチナ人(2023年10月11日)。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

情報筋が「+972 and Local Call」に語ったところによると、ガザでは誰もが関連づけられる個人の家を持っているため、軍の監視システムは個人と家族の家を簡単かつ自動的に "結びつける "ことができるのだという。工作員が家に入った瞬間をリアルタイムで特定するために、さまざまな自動ソフトが追加開発された。これらのプログラムは、何千人もの個人を同時に追跡し、彼らがいつ家にいるかを特定し、標的担当官に自動警告を送り、標的担当官はその家を爆撃の対象とする。今回初めて公開されたこれらの追跡ソフトのひとつは、"Where's Daddy?(パパ、どこ?)"と呼ばれるものだ。

「何百人もの(標的)をシステムに入れて、誰を殺せるかを待つのです」とこのシステムに詳しい情報筋は言う。「これはブロード・ハンティングと呼ばれ、この標的・システムが生成するリストからコピー・ペーストします」。

この方針の証拠はデータからも明らかだ。国連の数字によれば、戦争開始後1カ月間で、死者の半数以上にあたる6,120人が1,340世帯に属し、その多くが家の中で全滅したという。今回の戦争で、家族全員が家の中で爆撃を受けた割合は、2014年のイスラエルによるガザ作戦(イスラエルがガザ地区で行なった戦争で最も死者が多かった)よりもはるかに高く、この方針の結果が突出していることをさらに示唆している。

別の情報筋によると、暗殺のペースが落ちるたびに、自宅に侵入することで爆撃される可能性のでてくる個人を特定するためにWhere's Daddy?システムに標的が追加されたという。誰を追跡システムに入れるかの決定は、軍の序列の中で比較的下級の将校によってなされる可能性がある、と彼は述べた。

同筋は「ある日、私は自分の意志で、1,200ほどの新しい標的を(追跡)システムに追加しました。攻撃の数が減ったからです。」と述べた。「それは納得できました。今にして思えば、それは私にとって重大な決断だったようです。そして、そのような決定は、階級の高い方々はしませんでした」。

情報筋によると、戦争の最初の2週間で、「数千」のターゲットが「Where's Daddy?(パパ、どこ?)」位置特定プログラムに入力されたという。その中には、ハマスの精鋭特殊部隊ヌクバの全メンバー、ハマスの対戦車工作員全員、そして10月7日にイスラエルに入国した者全員が含まれている。しかし、間もなく殺害リストは大幅に拡大された。

ある消息筋は「最終的には (「ラベンダー」でマークされた) 全員だった」と説明した。「何万人もになった。これは数週間後、(イスラエル)旅団がガザに入った時に起こった。そして、北部地域では、すでに無関係な人々(すなわち民間人)の数は少なくなっていた」。この情報筋によると、「ラベンダー」によって爆撃の標的としてマークされた未成年者もいたという。「通常、工作員は17歳以上ですが、それは条件ではありませんでした」。

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2023年10月18日、ガザ地区中央部ガザシティのアル・シファ病院で、混雑のため床の上で治療を受ける負傷したパレスチナ人。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

「ラベンダー」とWhere's Daddy?システムはこのように組み合わされ、死者を伴う効果を生み出し、家族全員が死亡したと情報筋は述べている。「ラベンダー」によって生成されたリストの名前がWhere’s Daddy?追跡システムでマークされた人は継続的な監視下に置かれ、家に足を踏み入れた途端に攻撃され、全員が中にいるまま家が崩壊する可能性があるとA氏は説明した。

「ハマス (工作員) が一人いて、それに10人 (家にいる民間人) を加えて計算するとしましょう」とA氏は言った。「通常、この10人は女性と子供です。不条理なことに、あなたが殺した人のほとんどが女性と子供だったということになるのです」。

手順3:武器の選択
「私たちは通常“無誘導爆弾”を使って攻撃しました」


「ラベンダー」が暗殺の標的に印をつけ、軍人が男性であることを確認し、追跡ソフトウェアが標的の自宅を特定したら、次の段階は標的を爆撃するための弾薬を選ぶことだ。

2023年12月、CNNは、米国の情報機関の推定によると、ガザ地区のイスラエル空軍が使用した弾薬の約45%が誘導爆弾よりも巻き添え被害を与えることが知られている「無誘導」爆弾であると報じた。CNNの報道を受けて、先に記事に引用した軍の広報担当者は、「国際法と道徳的行動規範に従うことを誓う軍隊として、私たちは、ハマスが人間の盾の役割を強いてきた民間人への被害を最小限に抑えるために、膨大な資源を投入しています。我々の戦争はハマスに対するものであり、ガザの(一般の)人々に対するものではありません」と述べた。

しかし、三人の情報筋は、「+972 andとLocal Call」に、「ラベンダー」によってマークされた下級工作員は、より高価な武器を節約するために、無誘導爆弾だけで暗殺されたと語った。ある情報筋の説明によると、軍は、より精密で高価な「床爆弾」(副次的効果がより限定されている)を使って下級標的を殺害することを望まないため、その標的が高層ビルに住んでいる場合は攻撃しないということであった。しかし、数階しかない建物に下級標的が住んでいた場合、軍は彼とその建物の全員を無誘導爆弾で殺害する許可が与えられていた。

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2024年3月18日、ガザ地区南部のラファで、イスラエル軍の空爆によって破壊された建物の跡地にいるパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

「それはすべての下級標的に当てはまりました」と現在の戦争で、さまざまな自動プログラムを使用していたC氏は証言した。「唯一の問題は、巻き添え被害の観点から建物を攻撃することが可能かどうかでした。通常、私たちは無誘導爆弾を使用して攻撃を行い、それは文字どおり、住人ごと家全体を破壊することを意味しました。しかし、攻撃がそらされた場合でも、気にすることはありません-すぐに次の標的に移ります。そのため、このシステムのおかげで、標的は決して尽きることはありません。まだ次の3万6千の標的が待っています」。

手順4:民間の犠牲者を許可する
「私たちは巻き添え被害をほぼ考えることなく攻撃した」


ある情報筋によると、AIシステム「ラベンダー」などによってマークされた下級工作員を攻撃する際、各標的につき最大20人の民間人を殺すことが初期の数週間で決まっていたとされている。別の情報筋では、この固定数が最大15人であったと主張している。これら「巻き添え被害度」と呼ばれるものは、軍事がすべての疑わしい下級戦闘員に広く適用され、彼らの階級、軍事的重要性、年齢にかかわらず、彼らを暗殺することの軍事上の利点と民間人に与える予想される損害を天秤にかける特定の事例ごとの検討が行われなかったと、情報筋は述べている。

今回の戦争で標的作戦室の将校だったA氏によると、軍の国際法部門がこれほど高い巻き添え被害を「全面的に認めたことはない」という。A氏は、「ハマスの兵士であれば誰でも殺せるということだけではない。これは国際法上明らかに許されており、合法的なことだからです」と話した。「しかし、彼ら(軍の国際法部門)は、「多くの民間人と一緒に彼らを殺すことが許されている」と直接指示するのです」と語った。

「過去1、2年の間にハマスの制服を着ていた人なら誰でも、特別な許可がなくても、20人の(民間人を)巻き添えにして爆撃することがありました」とA氏は続けた。「実際には、比例原則は存在しませんでした」。

A氏によれば、彼が従軍していたほとんどの期間この方針だったという。軍が巻き添え被害の程度を引き下げたのは後になってからだ。「この計算では、下級の工作員でも20人の子どもが犠牲になる可能性があります・・・昔は本当にそんなことはありませんでした」とA氏は説明した。この方針の背景にある安全保障上の根拠について尋ねると、A氏はこう答えた: "致死性 "です」。

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2023年11月7日、ガザ地区南部ラファのアル・ナジャール病院で、イスラエルの空爆で死亡した親族の遺体を受け取るのを待つパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

事前に決められた固定された巻き添え被害度は、「ラベンダー」を使用した標的の大量作成を加速させた、と情報筋は述べた。時間を節約することになったからだ。AIによってマークされた下級戦闘員一人当たり戦争初週で許可された民間人の殺害数は15人だったが、この数は時間とともに「上下した」とB氏は述べた。

10月7日以降の最初の1週間について、B氏は「実際には、(爆撃された各家の) 人々を実際には数えていませんでした。なぜなら、彼らが家にいるかどうかを実際には判断できなかったからです。1週間後、巻き添え被害に対する規制が始まりました。その数は (15人から) 5人に減り、私たちが攻撃するのは本当に難しくなりました。なぜなら、家族全員が家にいたら爆撃できないからです。その後、彼らは再び数を上げました」と述べた。

「百人以上殺すことになるのはわかっていました」

情報筋が「+972 and Local Call」に語ったところによると、アメリカの圧力もあって、イスラエル軍はもはや民間人の家を爆撃するために若い人間の標的を大量生成していないという。ガザ地区のほとんどの家屋がすでに破壊され被害を受けており、ほぼ全住民が避難民となっているという事実も、(イスラエル)軍が諜報データベースや自動家宅捜索プログラムに頼る能力を損なっている。

E氏は、下級戦闘員への大規模な爆撃は戦争の最初の1、2週間だけであり、爆弾を無駄にしないために、だいたいは中止されたと主張した。「砲弾を節約しなければならないのです」とE氏は言った。「彼らはいつも北で(レバノンのヒズボラとの戦争)が起こるのではないかと恐れていました。彼らはもうこのような人たち (下級戦闘員) を攻撃することは皆無です」。

しかし、ハマスの上級司令官に対する空爆はまだ続いており、情報筋によると、軍はこれらの攻撃に対して、標的ごとに「数百人」の民間人を殺害することを認めているという。このような公式方針は、イスラエルではもちろん、最近の米軍の作戦でさえ前例がない。

「シュジャイヤ大隊司令官の爆撃で、100人以上の民間人を殺すことになることはわかっていました」。B氏は、ウィサム・ファルハット(シュジャイヤ大隊司令官)の暗殺を目的としたとイスラエル国防軍報道官が述べた12月2日の爆撃を思い出していた。「私にとってこれは心理的に尋常ではありませんでした。100人以上の民間人が死んでしまうのです。それはもうレッドラインを越えています」。

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2023年10月9日、ガザ地区でイスラエル軍の空爆中に上がる火の玉と煙。(アティア・モハメド/Flash90)

ガザに住む若いパレスチナ人、アムジャド・アル=シェイクは、その爆撃で家族の多くが殺されたと語った。ガザ市の東に位置するシュジャイヤの住民である彼は、その日地元のスーパーマーケットで、ガラス窓を粉々にする5つの爆音を聞いた。

「私は家族の家に走りましたが、そこにはもう建物はありませんでした」とアル=シェイクは「+972 and Local Call 」に語った。「通りは悲鳴と煙でいっぱいでした。住宅街全体が瓦礫の山と深い穴になりました。人々は手を使ってセメントの中を探し始め、私も家族の家の痕跡を探したのです」。

アル=シェイクの妻と幼い娘は、上に落ちてきたクローゼットによって瓦礫から守られて助かったが、彼は他の11人の家族、その中には彼の姉妹、兄弟、そして彼らの幼い子供たちが瓦礫の下で死んでいるのを発見した。人権団体ベツェレムによると、その日の爆撃で数十の建物が破壊され、数十人が死亡し、数百人が家の廃墟の下に埋まった。

「家族全員が殺害されました」

情報筋が「+972 and Local Call 」に語ったところによると、彼らはさらに致命的な空爆に参加したという。ハマスの中央ガザ旅団司令官アイマン・ノファルを暗殺するために、ある情報筋によれば、軍は10月17日、アル・ブレイジ難民キャンプへの空爆で、ノファルの正確な位置を特定できないまま、約300人の市民を殺害し、いくつかの建物を破壊することを許可したという。衛星映像や現場のビデオでは、複数の大きな集合住宅が破壊されている。

「16軒から18軒の家屋が攻撃で全滅しました」とキャンプの住民であるアムロ・アル・カティブは「+972 and Local Call 」に語った。「アパートとアパートの区別がつかず、瓦礫の中でごちゃごちゃになっていました。あちこちで人間の体の一部を見つけました」。

その余波の中で、アル・カティブは、瓦礫の中から約50人の遺体が引き出され、約200人が負傷し、その多くは重傷であったことを思い返した。でも、それは初日だけだっだ。キャンプの住民は5日間かけて死者や負傷者を救出した、と彼は言った。

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2023年11月5日、ガザ地区中央部のアル・マガジ難民キャンプ中央で、イスラエル軍の空爆により数十人のパレスチナ人が死亡した後、瓦礫の中から死体を発見するパレスチナ人。(Mohammed Zaanoun/Activestills)

救急救命士のナエル・アル・バヒシは現場に最初に到着した1人だった。彼はその初日に50人から70人の死傷者を数えた。「ある瞬間、私たちは攻撃の標的がハマスの司令官アイマン・ノファルであることを理解しました」と彼は「+972 and Local Call 」に語った。「あいつらは彼を殺し、彼がそこにいたことを知らない多くの人々も殺したのです。子供のいる家族全員が殺されました」。

別の情報筋が「+972 and Local Call」に語ったところによると、軍は12月中旬にラファの高層ビルを破壊し、「数十人の市民」を殺害したが、これはハマスのラファ旅団司令官であるモハメド・シャバネ(彼がこの攻撃で殺されたかどうかは不明)の殺害が目的だった。情報筋によれば、この上級司令官(モハメド・シャバネ)はしばしば、民間人の建物の下を通るトンネルに隠れているため、空爆で暗殺するという選択は、必然的に民間人を殺すことになるという。

「負傷者のほとんどは子どもたちでした」と、一部のガザ人の間では暗殺未遂と信じられている大規模な空爆を目撃したワエル・アルシール(55歳)は語った。彼は「+972 and Local Call 」に、12月20日の爆撃で "居住区全体 "が破壊され、少なくとも10人の子供が殺されたと語った。

「(空爆)作戦の犠牲者に関して、完全に緩い方針がありました。私の考えでは、それは復讐の意味があるのではと思わせるほど緩いものでした」と情報筋のD氏は主張した。「その核心は、(ハマスとPIJの)上級指揮官を暗殺することで、そのためには何百人もの民間人を殺すこともためらわなかったのです。旅団長なら何人、大隊長なら何人といった具合に計算していました」。

情報筋のE氏は、「規制はありましたが、非常に甘いものでした」と話した。「私たちは巻き添え被害で人を殺してきました。3桁台前半とは言わないまでも、2桁台後半にはなります。こんなことは、これまでになかったことです」。

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2023年10月22日、ガザ地区南部ラファで、イスラエル軍の空爆後、家屋を点検し、瓦礫の下から親族を救出しようとするパレスチナ人。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

このような高率の「巻き添え被害」は、イスラエル軍が以前は許容範囲とみなしていたものだけでなく、米国がイラク、シリア、アフガニスタンで行なった戦争と比べても例外的である。

イラクとシリアでISISと戦う作戦の作戦・情報担当副司令官ピーター・ガーステン大将は2021年、米国防専門誌の取材に対し、15人の民間人を巻き添えにした攻撃は手順から逸脱しており、実行するには米中央軍のトップ、ロイド・オースティン大将(現国防長官)から特別な許可を得なければならなかったと語った。

「オサマ・ビン・ラディンの場合、NCV (非戦闘員死傷者数) は30だが、低レベル指揮官の場合、そのNCVは通常ゼロでした」とガーステンは述べた。「わたしたちは非常に長い間、ゼロでやってきました」。

「我々は言われていました:何が何でも爆撃だ、と」

この調査のために取材した情報筋はみな、ハマスによる10月7日の虐殺と人質誘拐が、軍の発砲方針と巻き添え被害の尺度に大きな影響を与えたと言っている。「10月7日直後に徴兵され、標的作戦室で勤務したB氏は、「最初は、苦痛と復讐心に満ちた雰囲気でした。「規則は非常に甘かったのです。標的がビルの1つにいるとわかると、4つのビルを破壊しました。クレイジーでした」。

「不協和音がありました。ひとつは、作戦室にいる人たちの不満です。攻撃が十分でない、と言うのです」とB氏は続けた。「ひとつは、その日の終わりには、さらに1000人のガザの人々が死亡し、そのほとんどが民間人であることがわかったことです」。

「プロと言われる階級にいる人たちはヒステリー状態でした」と10月7日直後、同様、即座に徴兵されたD氏は述べている。「彼らはどう対応すればいいか、全くわからなかったのです。彼らができることは、単にハマスの戦力を破壊しようとして狂ったように爆撃を始めることだけでした」。

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2023年10月19日、ガザ・フェンスからほど近い待機場所でイスラエル軍兵士と話すヨアヴ・ギャラント国防相。(チャイム・ゴールドバーグ/Flash90)

D氏は、軍の目標が「復讐」であると明確に告げられていないことを強調したが、「ハマスに関連するほぼすべての標的が正当化され、ほとんどの巻き添え被害が承認される状況下では、何千人もの人々が殺害されることは明らかです。公式にはすべての標的がハマスに関連しているとされていても、方針が非常に甘い場合、それはすべての意味を失います」。

A氏はまた、10月7日以降の軍内部の雰囲気を「復讐」という言葉で表現した。「戦争が終わったら、その後どうするのか、ガザでどうやって暮らすのか、ガザで何をするのか、誰も考えていませんでした。どんな犠牲を払っても、ハマスは滅茶滅茶にしなければならない。何が何でも爆撃だ!と言われていました」とA氏は語った。

上級情報筋のB氏は、振り返ってみると、ガザでパレスチナ人を殺害するこの「不釣り合い」な政策は、イスラエル人をも危険にさらすものだと考えており、これがインタビューを受けることにした理由のひとつだと語った。

「短期的に、私たちはより安全になりました。ハマスを傷つけたからです。しかし、長期的には安全性が低くなると思います。ガザのほとんどすべての人の遺族が、この先10年のうちにハマス (に加わる) のモチベーションを上げると思います。そして、ハマスが彼らを勧誘するのはずっと簡単になるでしょう」。

イスラエル軍は、「+972 and Local Call 」に対する声明の中で、情報筋が我々に語ったことの多くを否定し、「各標的は個別に検討され、攻撃から予想される軍事的優位性と巻き添え被害について個別に評価が行われる・・・IDFは、攻撃から予想される巻き添え被害が軍事的優位性に比べて過大である場合には攻撃を実行しない」と主張した。

手順5:巻き添え被害の計算
「モデルは現実と結びついていなかった」


情報筋によれば、イスラエル軍が、標的の傍らにある各家屋で殺害されると予想される民間人の数を計算する手順は、「+972 and Local Call 」による以前の調査で検証されたが、自動的で不正確なツールの助けを借りて行なわれていたという。以前の戦争では、諜報部員は爆撃が予定されている家屋に何人いるか確認するのに多くの時間を費やしていた。しかし、10月7日以降、この徹底的な検証はほとんど放棄され、自動化が進んだ。

10月、ニューヨーク・タイムズ紙は、イスラエル南部の特別基地で運用されているシステムについて報じた。このシステムはガザ地区の携帯電話から情報を収集し、ガザ地区北部を南に逃れたパレスチナ人の数を軍に提供している。ウディ・ベン・ムハ准将はタイムズ紙に「100%完璧なシステムではありませんが、意思決定に必要な情報を提供してくれます」と語った。このシステムは色に応じて作動する:人が多いところを赤、比較的人がいなくなったところを緑と黄色で色分けしてある。

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2023年11月10日、ガザ市の自宅からガザ南部へ逃れた後、幹線道路を歩くパレスチナ人。(アティア・モハメド/Flash90)

「+972 and Local Call 」に語った情報筋は、ガザで建物を爆撃するかどうかを決定するために使われた、巻き添え被害を計算する同様のシステムについて説明した。そのソフトウェアは、建物の大きさを評価し、居住者リストを確認することで、戦争前にそれぞれの家に住んでいた民間人の数を計算し、近隣から避難したと思われる住民の割合でその数を減らしたという。

もし軍隊が、ある地域の住民の半数が去ったと推定した場合、通常10人の住人がいる家を5人しか住んでいないと計算する。情報筋によると、軍隊はプログラムの推定が実際に正確であるかどうかを調べるために、以前の作戦で行なったように家を監視しなかったと述べた。

ひとりの消息筋は、「このモデルは現実とつながっていません」と主張した。「戦争中に現在その家にいた人と、戦争前にそこに住んでいたと記載されていた人との間には何の関係もありません。(ひとつの例では) 家の中に何家族かいて、一緒に隠れていることを知らずにその家を爆撃したことがあります」。

軍はこのような誤りが起こり得ることを知っていたが、それでもこの不正確なモデルが採用されたのは、そのほうが手順を早くできたからだ、この情報筋は語った。したがって、「巻き添え被害の計算は完全に自動的で統計的であり、全体数でない数値もはじき出します」と述べた。

手順6:家族の住む家丸ごと爆撃
「何の理由もなく家族を殺害した」


「+972 and Local Call 」に話した情報筋よると、時々、追跡システムである「Where's Daddy?(パパ、どこ?)」が、標的が家に入ったことを警告した時と、爆撃そのものとの間にかなりの時間差があり、軍が標的としていた人物を攻撃することなく一家全員が殺されることがあった、とのことだ。ひとりの情報筋は、「家を攻撃したが、標的が家にいなかったことが何度もありました。結果として、理由もなく家族を殺してしまったのです」と語っている。

3人の情報筋が「+972 and Local Call 」に語ったところによると、イスラエル軍が民家を爆撃した事件を目撃したが、リアルタイムでの検証が行われなかったため、暗殺の標的は家の中にさえいなかったことが後に判明したことがある、とのことだ。

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イスラエル軍の空爆で死亡した親族の遺体を受け取るパレスチナ人(2023年11月6日、ガザ地区南部、アル・ナジャール病院)。(Abed Rahim Khatib/Flash90)

「時々、(標的)は家にいたのち、夜、どこかへ寝に行くことがあり、それがわからないこともありました」と、情報筋の1人が述べた。「その場所を再確認することもあれば、ただ『大丈夫、この数時間は家にいたから、そのまま爆撃してもいい』と言うこともありました」。

別の情報筋によると、彼に影響を与えた類似の出来事があり、それでこのインタビューを受けたくなった、とのことだった。「私たちは、標的が午後8時に家にいると理解していました。結局、空軍は午前3時にその家を爆撃しました。その間に彼と家族を別の家に移動していたことがわかったのです。我々が爆撃した建物には、別の2家族と子供たちがいたのです」。

以前のガザでの戦争では、イスラエル情報部は、標的を暗殺した後、爆撃被害評価(BDA)手続きを行なっていた。つまり、上級指揮官が殺されたかどうか、何人の民間人が彼とともに殺されたかを確認するための、攻撃後の日常的なチェックである。以前の「+972 and Local Call」の調査で明らかになったように、これには愛する人を失った親族の電話を盗聴することが含まれていた。しかし、今回の戦争では、少なくともAIを使ってマークされた下級武装勢力に関しては、情報筋によれば、時間を節約するためにこの手続きは廃止されたという。情報筋によれば、それぞれの空爆で実際に何人の民間人が殺されたかはわからないし、AIでマークされたハマスやPIJの下級工作員と思われる人間については、本人が殺されたかどうかさえわからないという。
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米議員の娘、パレスチナ支持デモで停学処分

<記事原文 寺島先生推薦>
US lawmaker’s daughter suspended for pro-Palestine protest
イスラ・ヒルシは、コロンビア大学でのデモに警察が突入した後、停学処分を受けたと語った。
出典:RT 2024年4月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月25日


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ワシントンDCの連邦議会議事堂で記者会見するイルハン・オマール(2023年9月20日) © Getty Images / Alex Wong

ミネソタ州選出の下院議員イルハン・オマールの娘は、コロンビア大学構内での親パレスチナデモに参加したとして停学処分を受けた。抗議のための野営地に、木曜日(4月18日)、警察が突入した。

デモ隊は水曜日(4月17日)、ニューヨーク大学前に約50のテントを張り、大学関係者にイスラエル関連企業との関係を断ち、ガザでの停戦を公に呼びかけるよう要求した。翌日、ネマット・シャフィク学長は、ニューヨーク市警を呼び、野営地を撤去させた。抗議者たちには 「数えきれないほどの規則と方針に対する違反があった」と学長は教授陣に書簡で説明した。

コロンビア大学は、逮捕された学生全員が停学処分を受けたと発表した。少なくとも3人の学生は停学処分を受けたが、逮捕はされなかった。その中には、オマール議員の娘であるイスラ・ヒルシも含まれていた。

「私はCU Apartheid Divest(コロンビア大学・アパルトヘイト・ディベェスト)の主催者です」と木曜日(4月18日)にヒルシはX (旧Twitter) に書いた。「バーナード大学での3年間、私は戒告も、懲戒警告も受けたこともありません。私は、ジェノサイドに直面しているパレスチナ人と連帯したために停学になった3人の学生のうちの1人である、という通知を受け取ったばかりです」。

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関連記事:米議員、アフリカについての発言で辞職勧告

「ガザ連帯野営地にいる私たちは怯むことはありません。私たちの要求が満たされるまで、私たちは毅然とした態度で臨みます」と彼女は続けた。「私たちの要求には、ジェノサイドに加担した企業からの投資引き上げ、コロンビア大学への投資の透明性、抑圧に直面しているすべての学生に対する完全な恩赦が含まれます

ヒルシは、コロンビア大学が運営するリベラルアーツ(教養学部)大学の私立女子大学バーナード・カレッジの社会学専攻の学生である。コロンビア大学・アパルトヘイト・ディベストは、より広範なBDS(ボイコット、ディベストメント、制裁)運動の一環であり、パレスチナ人に対する扱いをめぐるイスラエルの経済的孤立を求めている。

停学通知がヒルシと彼女のバーナード・カレッジの同級生たちに手渡されたことを受けて、オマール議員は木曜日(4月18日)に議会の公聴会でシャフィク学長に質問した。娘が抗議行動に参加していることには言及しなかったが、オマール議員は、シャフィク学長が親パレスチナ派の学生の言論の自由を制限していると非難した。親イスラエル派の議員は、キャンパス内で反ユダヤ主義的な事件が増加しているとされる問題に大統領が対処していないと非難した。

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1995年からアメリカに住むソマリア難民のオマール議員は、激しいイスラエル批判者だ。昨年10月にイスラエルがハマスに宣戦布告して以来、彼女はガザの民間人に対するこのユダヤ人国家の「途方もない残虐行為」を繰り返し非難し、ジョー・バイデン大統領にイスラエルに停戦を迫るよう働きかけてきた。2019年には、米国のイスラエル支援は「ベンジャミン(ネタニヤフ)一家のため」であると発言し、ユダヤ系米国人がイスラエルに対して「二重の忠誠心」を抱いていると非難したことで、オマール議員はユダヤ人団体から反ユダヤ主義だと非難されている。
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ホワイトハウス、大学における「反ユダヤ主義」抗議行動を非難

<記事原文 寺島先生推薦>
White House slams ‘anti-Semitic’ protests at college campuses
バイデン政権はユダヤ人コミュニティを守るために新しい戦略を「積極的に」取り入れると言明
出典:RT 2024年4月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月25日


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コロンビア大学の門の外で、逮捕された学生たちに連帯を示す親パレスチナのデモ参加者たち(2024年4月21日、ニューヨーク)© Getty Images / Andrew Lichtenstein/Corbis via Getty Images

ホワイトハウスは日曜日(4月21日)の声明で、ニューヨークのコロンビア大学で激化しているパレスチナ支援デモを背景に、アメリカの大学キャンパスにおける「反ユダヤ主義の憂慮すべき急増」をけん制した。

水曜日(4月17日)に学生のデモが始まって以来、コロンビア大学のキャンパス内またはその付近で100人以上が逮捕された。抗議者たちは大学の前に数多くのテントを張り、イスラエル関連企業のボイコットやガザでの停戦を公に呼びかけることを要求している。ガザ保健省によると、10月7日にイスラエルとハマスの戦争が始まって以来、パレスチナの飛び地(ガザ)での死者は3万4000人を超えた。

日曜日(4月21日)の記者会見で、ホワイトハウスは学校、地域、オンラインでのユダヤ人に対する暴力の呼びかけを非難した。「この露骨な反ユダヤ主義は非難されるべきであり、危険です。そして、大学キャンパスや国内のどこにも存在する場所はまったくありません」と声明は述べている。

ニューヨーク市警は、コロンビア大学の仮設野営地から出るのを拒否した108人を不法侵入で逮捕した。逮捕された学生らは、大学から停学通知を受け取ったとFOXニュースは報じている。

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関連記事:アメリカの政治家の娘は親パレスチナの抗議行動に参加して停学処分

(ユダヤ教ラビ)エリー・ビュクレール師はCNNの取材に対し、約300人のユダヤ人学生に連絡を取り、抗議行動が続く間はキャンパスへの立ち入りを避けるよう呼びかけたことを明らかにした。

米国内外の大学が、コロンビア大学の抗議者たちとの連帯を表明した。イェール大学やノースカロライナ大学チャペルヒル校でも、学生たちが同様の野営地を設置したと、大学新聞『コロンビア・スペクテイター』が日曜日(4月21)に報じた。また、メルボルン大学、バード・カレッジ・ベルリン、イェール大学、ハーバード大学など、他の大学の学生団体も支持を表明している。

米国のジョー・バイデン政権は、10月7日に武装集団ハマスがイスラエルを攻撃し、1,100人以上の死者と多数の人質を取った後、西エルサレムの対ハマス戦争を支援してきた。

11月の米大統領選を前に、パレスチナ人の死者数が増え続けていることを指摘し、バイデンがイスラエルを支援し続けていることを批判する民主党内批判者もいると、(アメリカの政治ニュースメディア)ポリティコは今月初めに報じた。特にバイデン陣営は、パレスチナ支持の若い進歩的な有権者を失うことを懸念しているという。
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ロシア、ついに北朝鮮制裁の継続に「ニェット(反対)」を表明

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia Finally Says 'Nyet' To Continued North Korea Sanctions Enforcement
筆者:ジョセフ・D.ターウィリガー(Joseph D. Terwilliger) 出典元は、AntiWar.com
出典:ゼロ、ヘッジ(Zero Hedge) 2024年4月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月23日


先週、「北朝鮮制裁に関する国連専門家パネル」の任務を延長する国連安全保障理事会決議が ロシア連邦によって拒否権発動され、 2006年以来北朝鮮に課されてきた9回にわたる制裁の主要な執行形態は事実上解体された。この制裁措置は、北朝鮮による度重なる核実験と大陸間弾道ミサイル実験への対応として取られてきたものだ。

2006年10月9日、朝鮮民主主義人民共和国 (DPRK) は初めて核兵器実験に成功した。これに応じて、国連安全保障理事会は決議1718を全会一致で可決し、北朝鮮の実験を非難し、政権に厳しい制裁を課した。2009年5月25日の2回目の核実験の後、決議1874が全会一致で可決され、制裁体制が大幅に強化され、「課された措置の実施に関する情報を収集、調査、分析する」ための「専門家パネル」が設立された。当初、その期間は1年とされていたが、その後も北朝鮮による更なる核実験や大陸間弾道ミサイル実験がおこなわれたことに応じて制裁決議が可決されるにつれ、この「専門家パネル」の任務の延長が毎年全会一致で、先週に至るまでずっと決められてきた

画像 ニエット
APより

採決に先立ち、中国とロシアは「専門家パネル」の任務を1年間延長する妥協案を提案したが、その条件として、制裁体制にサンセット(終わりの日を決めた)条項を加えることが挙げられた。ロシア側代表は、朝鮮の状況は2006年以来大きく変化しており、朝鮮の核保有国化を防ぐという名目で制裁を続けることは「妥当性を失っており」、「現実離れしている」と主張した

かなり皮肉なことは、米国とその同盟諸国が、ロシアが反対したために、全会一致で安全保障理事会決議が行なえなかったことを「不安定化を引き起こしている」として非難している点だ。このサイトの読者のほとんどがよく知っているように、米国が日常的に自らの拒否権を常に行使していることから考えると、アメリカこそが「不安定化を引き起こしている」と思わざるを得ない。ロシアによるこの拒否権の発動は、「国連安全保障理事会のより広範な機能と第二次世界大戦後の国際秩序」に対する危機として説明されているが、ロシアか中国が制裁体制を緩和または中止するという決議案を出せば、我が米国は間違いなく拒否権を発動するはずだ。

北朝鮮に課せられた制裁には、北朝鮮の核保有国化を阻止するという望ましい効果をうまなかったことは明らかだ。だからこそ、なぜ望ましい結果を達成できなかったのか、制裁を継続することで現実が変わる可能性があるのかを問うのは当然だ。私が元NBAスーパースター、デニス・ロッドマン氏の北朝鮮訪問に同行したとき、金正恩氏は 自らの論理を私たちに直接説明してくれた。同氏は、リビアの指導者ムアンマル・カダフィ大佐が、紙面に書かれただけで価値のない制裁緩和や安全保障と引き換えに、2003年に大量破壊兵器(WMD)計画を放棄したことに触れた。2011年春、機会が訪れるとすぐに、ヒラリー・クリントン国務長官は、自分たちがカダフィ大佐を殺害した、と嬉しそうに自慢した。

さらに、サダム・フセインは国際原子力機関の兵器査察官の入国を許可したが、彼らは 大量破壊兵器計画の証拠を見つけることができなかった(実際何もなかったからだが)。それにもかかわらず、米国は2003年に政権転覆の戦争を開始した。それによって、サダム・フセインは死を迎えることになった。金正恩氏は最後に、パキスタンには米国の最大の敵であるオサマ・ビンラディンが潜伏していたにもかかわらず、米国はパキスタンで政権転覆戦争を決して試みなかったという事実を指摘する話をした。金氏の心の中では、リビアやイラクとパキスタンとの違いは明らかだった――パキスタンは核保有国だったということだ。

米国政府が 北朝鮮の政権転覆を望むことについて決してやぶさかではなく、北朝鮮との戦争の際に、米国が核兵器の先制使用の除外交渉を拒否していることを考えると、金正恩氏の理論的根拠は非常に説得力がある。私にはまったく反論の余地がなかった。

北朝鮮政権にとっての最大の目標は自国の存続であることを覚えておく必要があり、金正恩氏の戦略的決断(他の政治指導者の決断と同様)はその文脈で評価されるべきである。明らかに金氏の優先事項は、国家を存続させ、国家体制と自身の仕事を維持することである。そのことを念頭に置くと、核抑止力を追求し続けることが 最も合理的な 選択肢のように思える。もちろん金氏は国民のより良い生活と経済制裁の緩和を望んでいるが、政権崩壊の危険を冒してまで望んでいるわけではない。

北朝鮮が核開発計画を開発するずっと前から、米国はすでに朝鮮半島を核化していたことを明確にすることが重要である。朝鮮戦争休戦協定の第13項 (d) は、韓国へのいかなる新たな兵器の持ち込みも禁じていたが、1958年にアイゼンハワー政権はこの協定に明らかに違反して核兵器を韓国に配備した。

米国には敵対国との協定を破ってきた長い歴史があるため、この件が特別な出来事ではなかった。 北朝鮮は黒鉛減速原子炉を停止し、米国が提供する軽水炉(LWR)に置き換え、その間のエネルギー源として重油が供給されることになっていた。その後、ジョージ・W・ブッシュは 軽水炉の供給を遅らせ、燃料油の輸送を停止したため、北朝鮮は国民にエネルギーを供給するために原子炉を再稼働させたのだ。

その後、ブッシュはカダフィ大佐と前述の大量破壊兵器取引を締結したが、オバマ政権はこれを遵守しなかった。その後、オバマ大統領は イランとJCPOA(包括的共同行動計画)協定を取り決めたが、トランプ大統領はその協定を撤回した。その後、トランプ大統領は北朝鮮との対話を開始したが、バイデン政権はすぐに 「戦略的忍耐」(つまり北朝鮮を無視するということ)という方向性に戻った。

我が米国の政策が4年ごとに激しく変化し、あらゆる交渉が事実上無意味になってしまうのであれば、北朝鮮側が核抑止力の必要性を感じるのも無理はない。金正恩氏が私たちに語ったように、北朝鮮の政策は常に一貫しているが、米国の政策は常に変化しているのだから、起こっていることが気に入らない場合は4年待てばよい、と金氏は付け加えた。2014年に我々がNBA選手のチームを平壌に連れて行ったことを受け、金氏は、「こんなことをしてくれた皆さんは、約束を守った最初の米国民だった」とも述べた。北朝鮮側が、米国が提供する安全保障を信用しないのも無理はない。

制裁措置は手段を変えた戦争である(『戦争論』を書いたプロイセンのクラウゼヴィッツには申し訳ないが)とされており、米国は現在、ヨーロッパやアジア、アフリカ、ラテンアメリカの20カ国以上に対して制裁を発動している。現在、最も包括的な制裁はロシアやイラン、北朝鮮、キューバ、ベネズエラに対して課されており、中国に対する制裁も驚くべき速度で拡大している。同時に、多くの国が米国主導の経済体系の利用を禁止する制裁を受けた結果、米ドルの代わりに中国人民元が国際貿易にますます使用されるようになっている。

制裁の不条理さの極みは、2024年初めに北朝鮮が ロシアに弾薬を販売したとされる疑惑で最もよく示された。この疑惑に応じて、米国はロシアが北朝鮮に対する制裁に違反していると訴え、米国はロシアに抗議した。また北朝鮮に対しては、対ロシア制裁に違反している、と主張した。 私たちが制裁違反を非難することによって、米国は他国が制裁体制下で餓死することを期待しているのだろうか?

我が国が経済制裁を過剰に行使すれば、必然的に経済制裁の対象国間に貿易圏や同盟関係が生まれることを予想するほうが合理的だろう。イランやロシア、中国、北朝鮮には、お互いを嫌う理由がたくさんある。中国とロシアは何世紀にもわたって複雑な敵対関係にあり、毛主席が米国との関係改善を模索していたのは、ソ連の侵略を恐れていたからだった。中国とロシアが2006年以降ずっと北朝鮮に対して課されてきた制裁に賛成票を投じ続けてきたのは、自国の近くに核を持つ北朝鮮が存在することを望まなかったからだ。イランと中国同様、イランとロシアにも長い緊張関係が存在してきた歴史がある。そして、イランと北朝鮮は、この35年間は便宜的な提携関係に基づいてのみ協力してきた。その協力の理由は、両国とも米国からのけ者と見られてきた事実だけにすぎなかった。

歴史的に見て、イラン、ロシア、中国、北朝鮮の間には緊張関係があったのだが、これらの国々に制裁体制が取られたことが理由となり、これらの国々は同盟関係と貿易圏を便宜的に樹立せざるをえなくなったのだ。米国が責めるべき相手は自国しかない。中国とロシアが国連を北朝鮮制裁事業から排除したいと考えていることは誰も驚かないだろう。ロシアがついに「専門家パネル」への継続任務に拒否権を発動したことは驚くべきことではなく、唯一の驚きはそこに到達するまでに18年かかったということだけだ。
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ガザ戦争終結で、バイデンはノーベル賞を取れるか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Gaza War Ends. Will Biden Get a Nobel?
筆者:M.K.バドラクマール(M. K. Bhadrakumar)
出典:グローバル・リサーチ  2024年4月15日
インドのパンチライン(Indian Punchline)  2024年4月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月22日


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イスラエルの4月1日のダマスカス攻撃は、戦争と外交に関する文献の中で、強度の欺瞞行為として語り継がれるだろう。イランは、ステルス戦闘機による外交施設への卑劣な攻撃を予想していなかっただろう。

イスラエルの先天的な国家的欺瞞のやり方は、何の手がかりも与えなかった。しかし、秘密に包まれた非対称性が、イランの報復をかなり困難なものにしている。さまざまな憶測が飛び交っている。

イスラエルは自国の反欺瞞対策に自信を持っているようだ。イスラエル国防軍のハレヴィ参謀総長は日曜日(4月7日)に、イスラエルは「イランをどう扱うか」が分かっていると強調した。彼は言った、

「われわれはこの事態に備えている。われわれには優れた防衛システムがあり、近場でも遠距離でもイランに対して強力に対応する方法を知っている。われわれは、米国や地域の戦略的パートナーと協力して行動している」。[強調は筆者]

アメリカについては当惑させられる。なぜなら、町場の噂話では、アメリカ人はイスラエルのダマスカス攻撃については何も知らないし、ましてやそれに関与しているわけでもないと穏やかに断言したということになっているからだ。しかし、このような任務のためにF-35戦闘機が配備されたのは、やはり偶然ではない。

バイデン政権は、ウクライナ軍がロシア領土の奥深くを攻撃するたびに、ロシアに判で押したように(米国は)無関係であると保証を与えている。いまやウクライナ軍は、アメリカやイギリスが衛星情報、兵站、兵器を提供し、NATO諸国の軍人が作戦をコントロールすることが多くなっているのにもかかわらず、である。

ロシアの難題は、イランが直面しているものと似ている。この大きな問題は、一応、4つの部分からなる。

1. アメリカ人はどの程度まで関与していたのか?

2. これから、アメリカは選挙の年に、また中東戦争を始めるために全力をつくすのか。

3. これはもはや、一方の側のイランと抵抗勢力と、もう一方の側のイスラエルとの間だけの問題なのか?

4. もしアメリカがテヘランに何らかの保証を伝えたとしたら、その動機は何なのか?

関連記事:ネタニヤフ首相は米国をイランとの戦争に引きずり込む決意をしている

評論家たちの間では、イスラエルとイランが関与する「攻撃の応酬」症候群では、イラク、アフガニスタンに続く新たな戦争にはアメリカ世論が強く反対しているため、バイデン大統領はアメリカが直接介入することはないだろうという妄想的な意見がある。しかし現実には、そのようなことはほとんどない。

地平線上の嵐雲は世界大戦を予感させるので、1940年代の類似性が適切だろう。フランクリン・ルーズベルト大統領は、第二次世界大戦に参加するという大胆な決断を自ら下した。それは、信用供与を禁止する法律と整合性があり、軍の指導者が満足し、欧州紛争にアメリカを巻き込むことに一般的に抵抗していたアメリカ国民が受け入れられるような方策を開発することによってだった。

さて、バイデン自身を含め、アメリカの体制を支配する「グローバリスト」たちは、第二次世界大戦が最終的にアメリカ経済を回復(「修理」)させたことも知っている。第二次世界大戦中、1700万人の民間人の雇用が新たに創出され、工業生産性は96%向上し、税引き後の企業利益は倍増した。

政府支出によって、ルーズベルト(FDR)のニューディール政策では実現できなかったアメリカ経済の景気回復がもたらされたのである。この例えは今日でも通用する。実際、アメリカのあらゆる政治家たちは、今日でも自分たちの政策を主張するために、あの栄光の日々を思い起こすのだ。その中にはバイデン自身も含まれており、彼は自分自身をFDRと歴史的に大雑把に比較するのが好きだ。

同様に、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフが、アメリカを中東の紛争状況に引きずり込もうと画策したという現在の通説も、根拠がないわけではない。しかし、ウィンストン・チャーチルは、アメリカがドイツとの大陸戦争に参戦すれば、勢力均衡が決定的に傾くと計算して、まったく同じことをしたのではないだろうか?

チャーチルは、アメリカが参戦すれば勝利は必至だと確信して、久しぶりに安心して眠れたと、あまり正直とは言えない彼の戦争史の中でそう主張しているようだ。

バイデンとネタニヤフ首相との関係における冷たさを、私たちが誇張しすぎている可能性は否定できない。 他方で、これらのことは少なくとも、イランがイスラエルの侵略に対して相応の反応を示すことに大きな課題を抱えていることを示唆している。報復は象徴的かつ実質的で、説得力があり、何よりも合理的で理性的でなければならない。最も重要なことは、報復が世界大戦の引き金になってはならないということだ。

しかし、どんな雲にも明るい兆しがある。日曜日にイスラエルが地上部隊をカーン・ユーニスから撤退させ、いわゆる非常に緊張した紛争が終結したことが、厳しい状況を緩和する要因となっている。一気に流れが変わったのだ。

イスラエルのヨアヴ・ギャラント国防相は、ハマスが「ガザ地区全域で軍事組織としての機能を停止した」と主張し、一方的に勝利を宣言した。しかし、もちろんその宣言は、少なくとも6つのハマス大隊が、約130人の人質に囲まれている指導者を含め、まだ機能して潜伏していると伝えられているので、現実を直視していない。

どう呼ぼうと勝手だが、これはイスラエルの重大な後退である。まだ多くの成し遂げられていない問題が残っている。人質全員の解放、南部と北部の住民の帰還、ハマスが大規模な民衆の支持を受けながら事実上の指導者となっているガザ地区の管理体制などである。

ハレヴィ将軍は勇ましい顔で、これは戦争の終結を意味するものではなく、「われわれはこれまでとは違った戦い方をしている・・・。ハマスの高官はまだ隠れている。遅かれ早かれ、我々は彼らを捕まえるだろう。われわれには計画があり、決めたら行動する。」

イスラエルのガザ戦争が半年で突然にも終結したのは、人質解放をめぐるカイロでの交渉が進展したと報じられたこととほぼ関連がある。まあ、イスラエルの得点表がまったく空っぽというわけではない!それに、ダマスカスの空爆は、イラクとシリアの両方で作戦展開しているイランの精鋭部隊IRGC*のクッズ部隊へのとどめの一撃とみなすこともできる。
*イラン革命防衛隊(Iranian Revolutionary Guard Corps)

しかし、テヘランには殉教を将兵の究極の勝利と見なす崇高な伝統がある。実際、モハマド・レザ・ザヘディ将軍は空しく殉死したわけではない。これは説明が必要だ。

ハレヴィ将軍が「また別の日に戦うために生きている」と言おうとも、大局的な見地から見ると、休戦と人質の取引がようやく具体化しつつあり、それはまったく新たな展開を迎える。つまり最も重要なことは、イスラエルの国内問題を新たに考えなければならない。

イスラエルは伝統的に異質な状況に適応するのが早い。イスラエルがガザから撤退するのは2度目であり、今回は中東の「猫ひげ(最高のもの)」としての評判が大きく損なわれることになる。イスラエルはもはや、絶え間ないアメリカの支援を当然視することはできないということだ。

イスラエルの著名な評論家、デイヴィッド・ホロヴィッツは痛烈な皮肉を込めてこう書いている。これで戦争が終わるのだろうか?砲撃もなく、あるいはめそめそ泣く声さえ… しかし、先の見えない戦争でも、その結果として平和がもたらされるのであれば、それは歓迎すべきことである。その点では、イランは疑問の余地はないだろう。心底から、ハマスの勝利はイランの心地よい報復でもある。イスラエルに対するイランの直接的な報復は、精彩を欠き、いささか古臭く、冗長なものに思えてくる。

とはいえ、結局のところ、時間が刻々と過ぎていく中で、停戦と人質解放の取引が成立するまでは、何も確かなことはない。振り子は刻一刻とどちらかに振れ続けている。

もし平和の鳩がアラブの富裕国の財布の紐に縛られたままで放たれるなら、最大の勝者はまだバイデンかもしれない。バラク・オバマと違って、彼は富裕国の財布を得るために懸命に働いた。政治家としての彼の道具箱の中にあるすべての悪知恵が発揮されている。ネタニヤフ首相を操るのは並大抵のことではない。11月の選挙で勝利し、記念品としてノーベル賞を手にすることも、あながち夢物語ではないだろう。
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暗殺小史 - 「CIAの拠点ラングレー」から「イスラエルの最新AIシステム『ラベンダー』まで

<記事原文 寺島先生推薦>
A Brief History of Kill Lists, From Langley to Israel’s AI System Called “Lavender”
筆者:メデア・ベンジャミン(Medea Benjamin)とニコラス・J・S・デイビース(Nicolas J.S.Davies)
出典:GR 2024年4月16日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月22日


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***

イスラエルのオンライン雑誌『+972』は、イスラエルが「ラベンダー」と呼ばれる人工知能(AI)システムを使って、ガザ空爆作戦で数千人のパレスチナ人男性を標的にしたことに関する詳細なレポートを発表した。イスラエルが10月7日以降にガザを攻撃したとき、ラベンダー・システムには、ハマスやパレスチナ・イスラム聖戦(PIJ)とのつながりが疑われるパレスチナ人男性3万7000人のデータベースがあった。

ラベンダーは、主に携帯電話とソーシャルメディアのデータに基づいて、ガザにいるすべての男性に1点から100点までの点数をつけ、点数の高い男性を自動的に過激派容疑者の殺害リストに加える。イスラエルは、"Where's Daddy?(パパはどこ?)"として知られる別の自動システムを使って、これらの男性とその家族を自宅で殺害するための空爆を要請する。

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カン・ユーニスの集団墓地に埋葬されるイスラエルの空爆で死亡したパレスチナ人の遺体。写真:アルジャジーラ

この報告書は、これらのシステムに携わったことのあるイスラエル諜報部員6人へのインタビューに基づいている。そのうちの一人が+972に説明しているが、ラベンダーが作成したリストから殺害対象者の名前をWhere's Daddyの自宅追跡システムに追加することで、その男の自宅を常時ドローンの監視下に置くことができ、彼が帰宅すると空爆が開始される。

この諜報部員たちは、家族が "巻き添え "で殺されることは、イスラエルにとってさしたる問題ではない、と述べた。

「1人のハマス(Hamas)のメンバーと家にいる10人の市民がいると仮定しましょう」とこの諜報部員は言った。「通常、この10人のうちのほとんどは女性や子どもです。ですので、不条理ではあるですが、殺される人の大半は、女性や子どもになってしまいます。」

何千人もの男たちの自宅を標的にするという決定は、単に便宜的な問題に過ぎないと諜報部員たちは説明した。戦場と化したガザ地区の混乱の中で彼らを探すよりも、システムに登録された住所に彼らが帰宅するのを待ち、その家やアパートを爆撃する方が簡単だからだ。

972+に話した諜報部員たちは、以前のガザでのイスラエルの虐殺では、政治家や軍の上司を満足させるほどは、ターゲットを素早く生成することができなかったと説明した。そのため、これらのAIシステムは、彼らのためにその問題を解決するように設計された。ラベンダーが新しいターゲットを生成する速さは、人間の管理者が各名前を承認するスタンプを押すまで平均20秒しか与えられない。そのうえ、ラベンダー・システムのテストから、暗殺と一家皆殺しの対象とされた男性のうち少なくとも10%がハマスやPIJ(パレスチナ・イスラム聖戦)とは無関係か誤解があることがわかっている。

ラベンダーAIシステムはイスラエルが開発した新兵器である。しかし、このシステムが生成する「殺害リスト」には、米国の戦争や占領、CIAの政権交代作戦における長い歴史がある。第二次世界大戦後にCIAが誕生して以来、「殺害リスト」を作成するための技術は、CIAによるイランやグアテマラでの初期のクーデターから、1960年代のインドネシアやベトナムでのフェニックス・プログラム、1970年代と1980年代のラテン・アメリカ、そしてイラクとアフガニスタンでのアメリカの占領において発展してきた。

画像。フェニックス・プログラムの工作員が着用するパッチ。(写真出典:Tuxxmeister / ウィキメディア・コモンズ CC BY-SA 3.0)
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米国の兵器開発が新技術の最先端、つまり殺戮の最先端を目指すのと同じように、CIAと米軍情報部は常に最新のデータ処理技術を駆使して敵を特定し、殺そうとしてきた。

CIAは、第二次世界大戦末期に捕らえられたドイツの諜報部員から、こうした手法の一部を学んだ。ナチスの殺害リストの名前の多くは、ドイツの東部戦線におけるスパイ責任者であったラインハルト・ゲーレン少将の指揮下にあったFremde Heere Ost(Foreign Armies East)(FHO)と呼ばれる諜報部隊が作成したものであった(デヴィッド・タルボット『悪魔のチェス盤』268ページ参照)。

ゲーレンとFHOにコンピューターはなかったが、彼らはUSSR(ソビエト連邦)全体から来ている400万人のソ連人捕虜に近づくことができた。そして、ゲシュタポやアインザッツグルッペン*のための「殺害リスト」を編纂するためや、彼らの故郷のユダヤ人や共産主義者の名前を知るために、彼らを拷問することに何のためらいもなかった。
アインザッツグルッペン*・・・ドイツの保安警察 と保安局 がドイツ国防軍の前線の後方で「敵性分子」を銃殺するために組織した部隊である。 アインザッツグルッペンは複数表記で、単数形はアインザッツグルッペとなり、直訳すると「展開集団」である。正式名称は「保安警察及び保安局のアインザッツグルッペン」 という。(ウィキペディア)

大戦後、1,600人のドイツ科学者がペーパークリップ作戦*でドイツから連れ出されたように、アメリカ合衆国はゲーレンと彼の幹部をバージニア州フォート・ハントに飛行機で送った。彼らは、CIAの初代かつ最も長く務めた長官であるアレン・ダレスによって歓迎された。ダレスは、彼らを占領下のドイツのプラッハに送り返し、CIA工作員として反ソビエト活動を再開させた。ゲーレン組織は、後にBND**となった西ドイツの新しい情報機関の中心的存在となり、ラインハルト・ゲーレンが1968年に引退するまでその長官を務めた。
ペーパークリップ作戦*・・・第二次世界大戦末から終戦直後にかけてアメリカ軍が、ドイツ人の優秀な科学者をドイツからアメリカに連行した一連の作戦のコード名である。ペーパークリップ計画とも呼ばれる。1945年、統合参謀本部に統合諜報対象局 が設けられ、この作戦に関する直接的な責任が与えられた。(ウィキペディア)
BND**・・・連邦情報局あるいは連邦情報庁(Bundesnachrichtendienst; BND、英:Federal Intelligence Service) は、ドイツの情報機関である。政治情報と経済情報の収集、その分析と評価を行なう。(ウィキペディア)


1953年にCIAのクーデターがイランで国民に人気のある民主的に選ばれたモハマド・モサデグ首相を追放した後、米国のノーマン・シュワルツコフ少将が率いるCIAチームは、SAVAK(秘密警察)として知られる新しい諜報機関に殺害リストを示し拷問の使用を訓練した。SAVAKはこれらの技術を使って、イラン政府と軍から共産主義者と疑われる者を一掃し、後にシャーにあえて反対する者を追い詰めるために使った。

1975年までに、アムネスティ・インターナショナルは、イランが2万5000人から10万人の政治犯を拘束し、「世界で最も死刑率が高く、有効な市民裁判制度がなく、想像を絶する拷問の歴史がある」と推定した。

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グアテマラでは、1954年のCIAのクーデターがハコボ・アルベンス・グスマンの民主政府を転覆させ、残忍な独裁政権となった。1960年代に抵抗勢力が拡大すると、米軍特殊部隊はグアテマラ軍に加わり、ザカパでの焦土作戦に参加した。この作戦では数百人の武装反乱軍を倒すために15,000人が殺された。一方、CIAに訓練された都市の暗殺部隊は、グアテマラ市でPGT(グアテマラ労働党)党員を拉致、拷問し、殺害した。特に、1966年3月に28人の著名な労働党指導者が拉致され、行方不明になった事件は有名である。

この最初の抵抗の波が鎮圧されると、CIAは大統領府を拠点とした新しい通信センターと情報機関を設立した。彼らは、農業協同組合や労働組合、学生や先住民の活動家のリーダーを含む国中の「破壊分子」のデータベースを編纂し、暗殺部隊のためにますます増え続けるリストを提供した。その結果として生じた内戦は、少なくとも20万人が殺されたり行方不明になったりしたイシルや西部高地の先住民に対するジェノサイドとなった。

このパターンは、国民に人気があり進歩的な指導者たちが、アメリカの利益に挑戦するようなやり方で国民に希望を与えるところでは世界中どこでも繰り返された。歴史家のガブリエル・コルコは1988年にこう書いている、

「第三世界における米国の政策の皮肉は、反共主義の名の下に、より大きな目標と取り組みを常に正当化してきたにもかかわらず、自国が打ち立てた目標であっても、自国の利益に重大な影響を及ぼすようなことがあれば、いかなる方面からの変化も容認できなくなることである。」


1965年、スハルト将軍がインドネシアで権力を掌握したとき、米国大使館は彼の暗殺部隊が追討する共産主義者5,000人のリストを作成した。CIAは最終的に25万人を殺害したと推定しているが、他の推定では100万人とも言われている。

25年後、ジャーナリストのキャシー・カデインは、インドネシアの虐殺における米国の役割を調査し、殺害リストを作成した国家-CIAチームを率いた政治担当官ロバート・マルテンスに話を聞いた。

 「軍にとっては本当に大きな助けでした」とマルテンスはカデインに語った。「彼らはおそらく多くの人を殺したでしょう。でも、悪いことばかりじゃありません。決定的な瞬間には激しく攻撃しなければならない時があるのですよ。」


キャシー・カデインはまた、1960年代にCIAの極東部門の責任者だったウィリアム・コルビー元CIA長官にも話を聞いた。コルビーは、インドネシアにおけるアメリカの役割を、その2年後に開始されたベトナムでのフェニックス・プログラムと比較し、どちらもアメリカの共産主義者の敵の組織構造を特定し、排除するプログラムとして成功したと主張した。

フェニックス・プログラムは、南ベトナム全土に広がる民族解放戦線(NLF)の影の政府を摘発し、解体することを目的としていた。サイゴンのフェニックス複合諜報センターは、数千人の名前をIBM1401コンピューターに入力し、彼らの居場所とNLFでの役割も入力した。CIAは、フェニックス計画によって26,369人のNLF幹部が殺害され、さらに55,000人が投獄されたり、亡命するよう説得されたとしている。シーモア・ハーシュは、41,000人の死者を出したとする南ベトナム政府の文書を調査した。

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どれくらいの死者がNLF(National Liberation Front)の高官として正しく特定されたかは分からないかもしれないが、フェニックス作戦に参加したアメリカ人は、多くの場合間違った人々を殺害したと報告している。海軍の特殊部隊員、エルトン・マンツィオーネは、作家ダグラス・ヴァレンタイン(フェニックス・プログラム)に語ったところによると、彼はある村での夜間襲撃で2人の少女を殺害し、そして手榴弾とM-16を持って弾薬の積まれた木箱に座り込み、自爆すると脅して、本国に帰還するチケットを手に入れるまで座り続けた、とのことだ。

「ベトナム戦争全体の雰囲気は、フェニックス部隊、デルタ部隊などの“ハンターキラー”チームで行われた活動が影響を受けました」とマンツィオーネはヴァレンタインに語った。「つまり私たちの多くが、自分たちはもはや自由を守る白い帽子をかぶった善人ではなく、単純な暗殺者であることを実感したということです。その幻滅は戦争の他のすべての側面にも影響を与え、最終的にアメリカで最も不評な戦争となる原因となりました。」

ベトナム戦争でのアメリカの敗北とアメリカ国内の「戦争疲れ」によって、その後の10年間はより平和になったのだが、CIAは世界各地でクーデターを計画し、支援し、クーデター後の政府には支配を強化するためにますますコンピューター化された殺害リストを提供し続けた。

CIAは1973年にチリのピノチェト将軍のクーデターを支援した後、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ウルグアイ、パラグアイ、ボリビアの右派軍事政権間の同盟である「コンドル作戦」で中心的役割を果たし、それぞれの政権と互いの政敵や反体制派を何万人も追跡し、少なくとも6万人を殺害したり失踪させたりした。

コンドル作戦におけるCIAの役割はいまだに秘密のベールに包まれているが、ロングアイランド大学の政治学者パトリス・マクシェリーは、アメリカの役割を調査し、こう結論づけた、

「コンドル作戦には、アメリカ政府の秘密裏の支援もあった。ワシントンはコンドルに軍事情報と訓練、資金援助、高度なコンピューター、高度な追跡技術、パナマ運河地帯にある大陸通信システムへのアクセスを提供した。」


マクシェリーの研究によって、CIAはコンドル諸国の情報機関をコンピューターリンクやテレックスシステム、CIAのロジスティクス部門が製造した目的に特化した暗号化および解読機で支援していたことが明らかになった。彼女は自身の著書『Predatory States: Operation Condor and Covert War in Latin America(捕食国家:ラテン・アメリカにおけるコンドル作戦と秘密戦争』)の中で、こう記している:

「コンドルシステムの安全な通信システム、コンドーテルは、・・・加盟国のコンドル運用センターがお互いやパナマ運河地帯の米国施設にある親基地と通信することを可能にした。パナマの米軍情報部門とのリンクは、コンドルへの米国の秘密の後援に関する重要な証拠だ。」


コンドル作戦は最終的に失敗したが、米国は1980年代を通じてコロンビアと中米の右派政権に同様の支援と訓練を提供した。軍高官たちが抑圧と殺害リストへの「メディアを使わない静かな偽装アプローチ」と呼んでいるものだ。

アメリカのスクール・オブ・ジ・アメリカズ(SOA)は、拷問と暗殺部隊の使用について何千人ものラテン・アメリカ人将校を訓練した。SOAの元指導責任者ジョセフ・ブレア少佐が、ジョン・ピルジャーの映画『あなたの目に見えない戦争』のために語ったとおりである:

「教えられた信条は、情報を得たい場合は、身体的な虐待、誤った監禁、家族への脅迫、そして殺すというものでした。望む情報を得られない場合、相手を黙らせたり、その行動をやめさせることができない場合は、暗殺部隊の一つを使って暗殺するとされていました。」


2003年以降、同じ手法がアメリカによるイラクの敵対的軍事占領に移された際、ニューズウィークはそれに「サルバドール・オプション」と見出しをつけた。アメリカの将校は、米国とイラクの暗殺部隊が抵抗する戦闘員だけでなく、イラクの市民を標的にしているとニューズウィークに説明した。

「イスラム教スンニ派の人々は、自分たちがテロリストに与えている支援の代価を支払っていません。彼らの視点からは、無償です。我々はその状況を変えなければなりません。」


米国は、ラテン・アメリカでの汚い戦争で重要な役割を果たした2人の退役軍人をイラクに送り込んだ。ジェームズ・スティール大佐は、1984年から1986年までエルサルバドルで米軍事顧問団を率い、何万人もの市民を殺害したサルバドル軍を訓練・監督した。彼はまた、イラン・コントラ疑惑にも深く関与し、エルサルバドルのイロパンゴ空軍基地からホンジュラスとニカラグアの米国が支援するコントラへの輸送を監督していたが、実刑判決は危うくを免れている。

イラクでは、スティールは内務省の特殊警察部隊の訓練を監督した。内務省の特殊警察部隊は、アル・ジャディリヤの拷問センターやその他の残虐行為の発覚後、「国家」警察、後に「連邦」警察と改名された。

イランで訓練された民兵組織バドル旅団の司令官バヤン・アル=ジャブルが2005年に内相に任命され、バドル民兵はウルフ旅団の暗殺部隊や他の特殊警察部隊に統合された。ジャブルの最高顧問は、ラテン・アメリカにおけるアメリカ麻薬取締局(DEA)の元情報部長スティーブン・カスティールだった。

内務省の暗殺部隊はバグダッドや他の都市で汚い戦争を行い、バグダッドの死体安置所は月に1,800人もの死体で埋め尽くされていた。一方カスティールは、暗殺部隊は皆盗んだ警官の制服を着た「反乱軍」だなどという荒唐無稽な隠れ蓑を西側メディアに提供していた。

一方、米軍の特殊作戦部隊は、レジスタンス指導者を探して「殺すか捕獲するか」の夜襲を行った。2003年から2008年まで統合特殊作戦司令部の司令官を務めたスタンリー・マクリスタル将軍は、イラクとアフガニスタンで使用されたデータベースシステムの開発を監督し、入手した携帯電話から採取した携帯電話番号を集計して、夜間襲撃と空爆のターゲットリストを作成し続けた。

実際の人物ではなく携帯電話を対象にすることで、システムの自動化が可能となり、人間の知識を使用して身元を確認することははっきりと排除された。米国軍の上級指揮官2人がワシントン・ポスト紙に語ったところによると、夜間襲撃の半分しか正しい家や人物を襲撃していなかった、とのことだ。

2009年、オバマ大統領は、マクリスタルをアフガニスタンの米軍とNATO軍の責任者に任命した。彼の携帯電話を使った「ソーシャルネットワーク分析」によって夜間襲撃が指数関数的に増加し、2009年5月には毎月20回だったのが、2011年4月には毎晩40回になった。

ガザのラベンダー・システムと同様、このターゲットの大幅な増加は、もともと少数の敵の上級司令官を特定し追跡するために設計されたシステムを、携帯電話のデータに基づいて、タリバンとのつながりが疑われるすべての人に適用することによって達成された。

このため、罪のない民間人が際限なく捕らえられ、ほとんどの民間人拘留者は、新たな拘留者のための居場所を確保するために、すぐに釈放されなければならなかった。夜間襲撃や空爆による罪のない民間人の殺戮の増加は、アメリカとNATOの占領に対するただでさえ激しい抵抗に拍車をかけ、最終的にはアメリカとNATOの敗北につながった。

パキスタン、イエメン、ソマリアでのオバマ大統領の無人偵察機による殺害作戦も同様に無差別であり、パキスタンでは殺害された90%が罪のない民間人だったと報告されている。

オバマと彼の国家安全保障チームは毎週「テロの火曜日」にホワイトハウスで会合を重ね、その週のドローンの標的を選ぶために、オーウェルのようなコンピューター化された「処分マトリックス」を使って、状況判断を行なっていた。

敵を殺し、捕らえるための自動化されたシステムの進化を見れば、使用される情報技術がテレックスから携帯電話へ、初期のIBMコンピューターから人工知能へと進歩するにつれ、ミスを発見し、人命を優先し、罪のない民間人の殺害を防ぐことのできる人間の知性や感性が次第に疎外され、排除され、こうした作戦をこれまで以上に残忍で恐ろしいものにしていることがわかる。

当記事筆者の一人、ニコラスには、ラテン・アメリカの汚い戦争を生き延びた少なくとも2人の親友がいる。1人はアルゼンチン国民、もう1人はグアテマラ国民だ。もし彼らの運命がラベンダーのようなAIマシーンによって決められていたら、2人ともとっくに死んでいただろう。

他の種類の兵器技術の進歩と同様に、ドローンや「精密」爆弾やミサイルのような革新は、標的の精確性を高めると主張して人為的なミスを排除することになる反面、無辜の人々、特に女性や子どもたちを自動的に大量殺戮する事例をもたらした。これはホロコーストの新たな形へと連なるものだ。


メデア・ベンジャミンはCODEPINK for Peaceの共同創設者であり、 Inside Iran: The Real History and Politics of the Islamic Republic of Iranを含む数冊の本の著者である。
ニコラス・J・S・デイビースは、独立ジャーナリストであり、CODEPINKの研究者であり、 Blood on Our Hands: The American Invasion and Destruction of Iraqの著者である。
Medea BenjaminとNicolas J. S. Daviesは、War in Ukraine: Making Sense of a Senseless Conflictの著者(2022年11月、ORブックス刊)の著者。グローバル・リサーチの常連寄稿者。

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ヨーロッパはアフリカの遺産を盗んだ。道理は通るのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Europe has stolen Africa’s heritage. Will justice prevail?
世界で最も有名な美術館収集物の大部分は、植民地時代に略奪されたアフリカの工芸品で構成されている。そして、現時点でアフリカに返還されたのは1パーセント未満。
筆者:ダリア・スホバ(Daria Sukhova)
出典:RT 2024年4月4日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月16日


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© RT/ RT


戦争とアフリカの植民地化の過程で、西側諸国は何十万ものアフリカ美術品の略奪に関与した。博物館は植民地主義の確立に貢献し、征服を正当化するために政府によって利用された。

2018年にフランス政府の委託を受けた、フランスの美術史家ベネディクト・サヴォイ氏とセネガルの経済学者フェルワイン・サール氏が作成した報告書で は、アフリカの物質的な文化遺産の90%から95%がアフリカ大陸の外に保管されている、とされている。いっぽう、アフリカの国立博物館に所蔵される文化財は、かろうじて3000点を超えるにすぎない。

ほとんどすべてのアフリカ諸国は、ヨーロッパによる探検とその後の植民地化の時代に、最も重要な文化的工芸品を失った。アフリカに残された遺産物は、ヨーロッパの博物館に持ち込まれたものほど歴史的および文化的価値がなかった。過去数十年にわたり、西側諸国はアフリカ諸国から繰り返し賠償請求を受けてきた。

アジェンダ2063―2015年にアフリカ連合によって採択されたアフリカの長期開発計画―では、文化遺産の保護がアフリカ大陸の主要な優先事項のひとつとされている。この枠組み文書によれば、アフリカのすべての文化財は2025年までに大陸に返還されるべきである、とされている。しかし、この野心的な計画は実現するのだろうか?

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関連記事:British generosity: The UK is loaning back African gold it stole. Is it the best it can do?

英国の懲罰遠征と英国美術収集物におけるその重要性

美術史家らは、2020年の時点で約7万点のアフリカの工芸品が大英博物館に収蔵されている、と推定している。しかし、展示の説明には、それらが英国に来た経緯についてはあまり触れられていない。

遺物の多くは、19世紀末の1897年のベニン懲罰遠征中にアフリカから押収されたものだ。ベニン王国 (西アフリカで古代から存続していた国) は、現在のナイジェリアの領土に位置していた。この懲罰遠征は、領土の支配を確立するために派遣された250人のイギリス軍部隊を地元住民が攻撃したことを受けて、「懲罰」として組織された。

懲罰分遣隊は最初の部隊をはるかに上回り、1500人の武装兵で構成されていた。英国軍はベニンの首都を襲撃し、王国を破壊し、支配者を捕らえた。この作戦の結果、2500から4000 個のベ二ンの青銅工芸品 (いわゆる「ベニンの青銅」) がアフリカから持ち去られた。ナイジェリアは英国に対し物品の返還を要求している。この事件はアフリカ美術史上最大の略奪事件の一つとみなされている。

遠征の費用を補うために、入手した遺物の一部がオークションに出品された。このようにして、ベ二ン・ブロンズはヨーロッパのさまざまな国に渡り、そこでアフリカ美術収集の人気が高まった。

世紀末の時代、ヨーロッパはアフリカ美術に大きな関心を示した。しかしそれでもヨーロッパ人がアフリカ美術を「原始的」芸術と呼ばなくはならなかった。今日に至るまで「原始主義」という用語はアフリカの芸術を説明するときによく使われている。実際、他地域の文化に対するヨーロッパ人の固定観念は、その特定の文化を説明するためにどんな言葉が選ばれているかで、よくわかる。

英国はまた、オークションでは売らなかった盗まれた工芸品の用途を発見したが、その多くはベ二ン民族の精神性を反映するものだった。工芸品の一部は遠征の軍事的成功に対する報酬として軍関係者に与えられた(経済的観点から見て価値がないとされるものだったからだ)が、他の品物は最終的に大英博物館に収蔵された。

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ナイジェリア生まれの芸術家ソカリ・ダグラス・キャンプによる「アフリカとアメリカに支えられたヨーロッパ」と題された作品を鑑賞する英国国王チャールズ3世(左)。 ©イザベル・インファンテス/AFP

ドイツも後塵を拝していたわけでは全くなかった

ドイツ帝国もアフリカの文化遺産の略奪に関与していた。英国やフランスとは対照的に、ドイツの植民地時代は短期間だった。しかし、ドイツは近隣諸国に遅れを取らず、自分たちの収集のための物品を手に入れようとした。

ドイツの遠征の過程で、研究者や博物館、または個人収集家(植民地当局者など)の興味を引く多くの工芸品や芸術品、地元の動植物の標本がアフリカから持ち出された。

ドイツはオークションで購入したベ二ンの青銅器とは別に、カメルーン民族とナミビア民族の芸術品も入手した。アフリカ民族にとって文化的、宗教的に重要な小像や宝飾品、作業道具などは、ベルリン民族学博物館に保管されていた。

ドイツ兵士は戦争犯罪の結果、多くの物品を入手した。シュトゥットガルト博物館には 2019 年まで、ナミビアの国民的英雄、ヘンドリック・ヴィットボーイの鞭が収蔵されていた。ドイツは、1904 年から 1908 年のヘレロ族とナマ族の虐殺中にそれを入手した。ヴィットボーイは、入植者と戦い、蜂起を指導した功績により、死後、ナミビア英雄の称号を授与された。

カメルーンから持ち込まれ、2022年までベルリン民族学博物館に保管されていた女神ンゴンソの彫刻に関しては、その彫刻が属していたンソ族によってドイツに売却も寄贈もされたものではなかった。1903年、ドイツの将校がこの彫刻を強制的に押収し、個人的な贈り物として博物館職員に贈呈した。ドイツの美術館職員らが行なった「不在アトラス」という調査によると、カメルーンから持ち出された4万点以上の美術品がドイツに保管されていたことが分かった。

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ベルリンの「新しいベルリン宮殿フンボルト・フォーラムの民族学博物館」での取材旅行中に撮影された、アフリカのバムム族(19世紀)の王の座席であるカメルーンの足置き付きマンドゥ・イェヌの玉座© JENS Schlueter / AFP

盗まれたひらめきの源

植民地時代の全盛期に、フランスは9万点以上のアフリカ美術を取得した。この収集物の大部分は、パリのケ ブランリー美術館をはじめ、他の州立美術館や個人ギャラリーに保管されている。

展示品の説明によると、アフリカの彫刻と仮面は、主に創造的な危機を経験したフランスの芸術家にひらめきを与えたという理由で貴重であることがわかる。しかしこれらの作品を創り出したアフリカの巨匠たちの創造的天才にはほとんど注意が払われていない。

当初、略奪された美術品はヨーロッパの民族学博物館に展示され、主に科学研究を目的とした「奇妙なもの」とみなされていた。アフリカの芸術家の才能を評価できたのは一部の個人収集家だけだった。

植民地時代が終わった後も、フランスはアフリカから貴重な工芸品を持ち出し続けた。たとえば、2005 年と 2007 年には、マリの文化遺産1万点以上がパリの空港で押収された。これらには、ブレスレットや斧、指輪が含まれていました。遺物のほとんどは 8000年前に遡るものだ。

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展覧会「二つの国のファラオ」の一部として展示されている芸術作品。パリのルーブル美術館内の「ナパタ王」というアフリカの物語、という展示区域。 ©ステファン・ド・サクティン/AFP

1パーセント未満

2017年にブルキナファソのワガドゥグーで講演したフランスのエマニュエル・マクロン大統領は、アフリカの文化遺産がフランスの博物館に残ることは容認できないと述べた。彼は5年以内に文化遺産を返還するためにあらゆる適切な措置を講じる、と約束した。

この声明が多くの注目を集めたのは、欧州の法律は国家遺産(西側諸国ではアフリカ美術は「国家遺産」とみなされている)の譲渡を認めておらず収集物が国家の所有する博物館から永久に移動されることがない可能性があるからだ。

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関連記事:Africa’s secret weapon: Extracting this resource will help present the continent’s true potential to the world

マクロン大統領の演説から6年後、フランス政府はついに賠償政策の実施に向けた対策の策定に着手した。 2023年4月、ルーヴル美術館のジャンリュック・マルティネス元館長は、一連の賠償要件を含む政府への勧告を含む報告書を発表した。フランスは美術品が違法かつ不当に取得されたものであることを確認する必要があり、アフリカ諸国からの賠変換請求は特別委員会によって調査される必要があり、金銭的補償の要求は考慮されないことになっている。

現時点でフランスはベ二ンに26点、セネガルに1点の遺物を返還している。これは、美術館に所蔵されているアフリカ美術品の総数の 1 パーセント未満に相当する。

フランス議会は2023年12月に新たな賠償要件を盛り込んだ法律を採択する予定だったが、この文書は野党によって阻止された。すべての勧告とその実際の実施を考慮した法律の制定には長い時間がかかる可能性があり、その結果、返還に至る過程が何年も遅れる可能性がある。

英国の博物館、略奪を懸念

世界第2位の植民地帝国である英国は、返還に関してははるかに保守的な考えを持っている。この国の国立博物館や美術館は、返還を認める法律の対象にはならない。英国は今後も、国家の収集物から美術品を引き離すことを認めない現行法を順守していく構えだ。

今年1月、大英博物館とヴィクトリア・アンド・アルバート博物館はついに、盗まれたアサンテ族の美術品をガーナに「返す」ことに合意した。しかし、その「返還」は最長6年の「長期賃貸借」に過ぎなかった。

英国の住民は、賠償により英国の博物館の収集物が空になるのではないかと懸念している。テレグラフ紙は、アフリカへの文化遺産返還要求により英国の博物館が「略奪される危険にさらされている」とさえ書いた。

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2021年10月27日、今月後半に西アフリカの国に輸送される前にケ・ブランリ美術館に展示されたベニンのゲゾ王を表す19世紀の王室の半人半鳥の彫像を鑑賞中のフランスのエマニュエル・マクロン大統領(左)。 © ミシェル・オイラー / BELGA / AFP

返還の先頭に立つ?

ドイツはフランスと並行して返還政策を実施している。両国は共同基金を設立し、その資金は現在博物館に保管されているアフリカの工芸品の起源に関する追加の研究を行うために使用される予定だ。返還に向けた準備作業は3年以内に実施される。

ドイツはすでに21個のベニンブロンズをナイジェリアに返還した。2022年に両国間で締結された協定によると、ドイツの博物館は1130点の返還を約束した。

ドイツはヨーロッパで「賠償の先頭に立っている」と言われている。しかし、アフリカ諸国はこれに同意していない。例えば、西アフリカの新聞モダン・ガーナ紙は、ドイツが「反返還運動」の先導者である、と反論している。ジャーナリストらは、美術品の返還を求めるアフリカの人々の要求は、他のヨーロッパ諸国と同様に、「常にドイツによって抵抗され」ており、ドイツ政府が一部の美術品を返還したのはつい最近になってやっとのことであった、と指摘している。

アフリカの人々は、ドイツが例えば英国よりも略奪品の返還に多くの努力を払ってきたことを認めているが、ドイツが何百年も保管してきた遺物のごく一部を返還したことを称賛されるべきであるという点には依然として同意できていない。また、ドイツはアフリカ大陸への影響力拡大に努めており、文化的取り組みはイメージ向上の手段に過ぎない可能性もある。

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ベルギーのテルビュレンにあるアフリカ博物館/中央アフリカ王立博物館、民族学および自然史博物館にあるアフリカの木製小像。 © Arterra / Universal Images Group(ゲッティイメージズ経由)

返還情報を監視しているのは誰か?

過去10年にわたり、アフリカの文化遺産の返還を公に訴える公的機関や個人活動家が増えている。

これらの取り組みの中で最大のもののひとつは、文化遺産の運命を憂慮するアフリカの人々によって設立された「オープン・リスティテューション(返還)・アフリカ」計画だ。この計画の主催者は、アフリカに対する文化遺産の返却の現状に関する情報への開かれた情報を提供するよう努めている。この計画のデータベースには、アフリカ大陸外に保管されている100万点を超えるアフリカ美術に関する情報が含まれている。現時点で返された文化遺産は1000点未満だ。

2022年、同組織は「返還物の回収」と題した世界中の活動家の活動に関する報告書を発表した。2016 年以来、アフリカ美術の返還に特化した科学出版物の数は 300%増加し、ニュースやソーシャル・メディアでのこの話題に関する議論の数は600%増加した。

しかし、返還に関するインタビューのほとんどはアフリカの人々によるものではないと、オープン・リスティテューション・アフリカの研究者らは指摘している。返還問題を専門的に研究しているアフリカの専門家は、通常、引用される著者一覧の最後に記されている。

ナイロビに拠点を置く非営利団体アフリカン・デジタル ・ヘリテージも、返還に関する新しい基礎情報の探索に取り組んでいる。ケニアの専門家は、デジタル技術を使用してアフリカの文化遺産と保存記録データを研究している。この専門家団は、現在の返還過程に関する関連情報をデータベースに定期的に更新するよう努めている。

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ライプツィヒのグラッシ博物館フォルケルクンデでベナンのブロンズ像の傍らに立つ訪問者。 © Jan Woitas / ゲッティイメージズ経由の写真アライアンス

アフリカ美術を取り戻すことの重要性

ヨーロッパの拡大期に略奪されたアフリカ美術は、美的価値を持っているだけではない。これらの美術品は文化的な観点から非常に重要だ。

彫刻やマスク、宝石は、アフリカの2000 以上の民族の精神性を反映している。各民族集団とその世界観は独自であるため、地元住民の同意なしに工芸品をアフリカから持ち出すことは、単なる芸術品の不法入手の問題ではない。実際のところ、これは外国の文化遺産の不法輸出にあたる。

ロシア外務省傘下のMGIMO(モスクワ国際関係大学)アフリカ研究センターの次席研究員マヤ・ニコルスカヤ氏がRTに語ったところによると、アフリカの文化遺産の返還は民族の自己証明の構築に大きな役割を果たしている、という。

「文化は人間生活における必須項目のひとつです。さまざまな工芸品や宗教的品物を含むアフリカの文化遺産の返還は、失われた自己証明の回復を示しています。しかし、現代のアフリカはこれらの貴重品が盗まれた頃のアフリカとは大きく異なります。こんにち、多くのアフリカ諸国は国家建設の過程にあり、民族の非政治化はこの過程における重要な要素となっています。文化は社会のさまざまな部分を結び付けることができる『細胞間空間』なのですから」とニコルスカヤ氏は述べた。

アフリカの若者の多くは、自分たちの民族に属する物質文化の対象物を一度も見たことがない。アフリカの数千年の歴史を示す文化財が大陸の外に保管されているということは、アフリカの人々は自国の文化に触れる機会が奪われている、ということになる。

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関連記事:‘A violation of human rights’: Will the UK government get away with deporting asylum seekers to Africa?

ニコルスカヤ女史は、現代アフリカ文化とその特有の自己証明の関連性についても強調している。「伝統的な芸術の分野や形態の新しい解釈は現在、映画や音楽、文学、写真、デジタルアートを含む芸術において発展しています。アフリカの現代美術がネット上で著作権侵害の犠牲になったり、個人収集物として公の場から消えたり、作者が分からない扱いになったりしないことが重要です」と同氏は述べた。

RUDN(パトリス・ルムンバ・ロシア人民友好大学)国際関係論理論史学科の博士課程学生ブライアン・ムガビ氏も、文化的回復の重要性についてRTに意見を寄せた。

「美術品を元の所有者に返還することは、植民地解放に向けた重要な一歩となるでしょう。これらの芸術作品は植民地時代に入手されたもので、歴史の暗い章を痛烈に思い出させるものとなっているからです 」と彼は語った。

「これらの文化遺産の入手については、多くの場合、疑わしい手段によって取得されました。その手段とは、植民地支配中に取られた搾取的で、しばしば原始的な方法を反映したものでした。」

したがって、「完全な返還を主張することは、歴史的不正義を正す手段になります」とブライアン氏は考えている。

「さらに、アフリカの文化遺産が不均衡に分布しており、推定90%から95%がアフリカ大陸の外に位置している現状は、公平な文化保護の必要性を浮き彫りにするものです。このような不均衡な状況は、アフリカ内の博物館が自らの遺産を紹介できる力を妨げるだけでなく、経済格差を永続させることにもなります。それは、最も重要な展示会がアフリカ国外で開催されているからです。」

「したがって、盗まれた美術品を返還することは道徳的義務として機能するだけでなく、文化の公平性と文化の保存を促進することにもなるでしょう」とブライアン氏は主張した。

アフリカ芸術の運命を決定するのはヨーロッパではなく、アフリカ自身であることは明らかだ。それは、現代芸術においても、古代芸術においても当てはまる。その事実を尊重することは、明らかに歴史的義務だ。
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日本人教授による世界へのメッセージ: 「健康な人への遺伝子治療の不正使用は極端な人権侵害である」

<記事原文 寺島先生推薦>
Japanese Professor’s Message to the World: “Fraudulent use of gene therapy in healthy people an extreme violation of human rights”
筆者:ジョン・リーク(John Leake)
出典:グローバル・リサーチ(Global Research) 2024年4月11日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月16日


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井上教授の「世界へのメッセージ 」に耳を傾け 、彼が語る人道に対する罪について考えてみてほしい。

大阪市立大学医学部名誉教授の井上正康氏が、世界保健会議の席上、日本から「政府による危険な新展開」を警告する驚くべきメッセージを発した。

分子病理医学を専門とする井上正康教授は次のように警告している。

「日本製のワクチンが、偽りの信用を装って輸出される危険性が高い。

日本がワクチン加害国になれば、後世に取り返しのつかない禍根を残すことになるでしょう。

したがって、日本政府の行為は国際的な協力によって阻止されなければなりません」。




この動画に私たちの注意を引き付けてくれたジョン・リーク氏に感謝する。


井上正康氏は、大阪市立大学医学部名誉教授であり、専門は分子病理学だ。

井上氏がこれまで出してきた論文を見直して、私が特に驚かなった事実は、同氏が長年関心を持ってきたのは、酸化ストレス*である、という点だ。同氏の論文「ミトコンドリアによる活性酸素**種の生成と好気性生物***におけるその役割」の要旨は以下のとおり:
*体内の活性酸素が自分自身を酸化させようとする力

**呼吸によって体内に取り込まれた酸素の一部が、通常よりも活性化された状態になること
***酸素を利用した代謝機構を備えた生物のこと。ほとんどの生物が当てはまる。


この研究では、酸素分子や一酸化窒素 (NO)、および超酸化物の相互作用が循環やエネルギー代謝、アポトーシス(細胞死)を調節し、病原体に対する主要な防御システムとして機能することが説明されている。また、老化や癌、および変性神経疾患*の病因におけるミトコンドリアによる活性酸素種生成の病態生理学的重要性についても説明されている。

*何らかの原因により脳や脊髄の神経細胞が徐々に失われ、物忘れが多くなったり(認知症)、手足がうまく動かせなくなったり(運動障害)する病気

最近、「老化と癌、退化性の神経系の疾病」について思いを馳せることが多くなっているのだが、それは私の友人である青年が、脳に転移した原発部位不明の進行性転移性黒色腫を患っていることが判明したからだ。 このニュースを聞いた翌日、ニューヨーク・ポスト紙に次のような記事が掲載されていた:『老化の加速により、若年層における癌の発生率が加速していることが、「非常に悩ましい」新しい研究により明らかになった』。

当然ながら、この「悩ましい新しい研究」では、過去3年間、若者たちに繰り返し注射されてきた遺伝子注射については何も触れていない。
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ドイツ政府、パンデミックは存在しなかったと認める

<記事原文 寺島先生推薦>
German Government Admits There Was No Pandemic
筆者:バクスター・ドミトリー(Baxter Dmitry)
出典:グローバル・リサーチ(Global Research) 2024年4月4日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月15日


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はじめに

重要なことは、ドイツ保健当局が公式データに基づいて、2020年3月11日から190カ国に課せられたCOVIDによるロックダウンの壊滅的な性質と影響を情報公開請求に基づいて明らかにする義務を負ったことだ。

本グローバル・リサーチが示した論文をはじめとする政府から独立した研究のほとんどは検閲の対象となっている。

重要なのは、ドイツ保健省の公式文書の内容が、COVID-19に伴うロックダウンやマスク着用の義務化、実験的mRNAワクチンに関して4年以上にわたって政府から独立した組織が出してきた報告と一致していることだ。

ミシェル・チョスドフスキー、グローバル・リサーチ、2024年4月4日


***
ドイツからのビッグ・ニュースだ。ドイツ連邦政府がいわゆる「陰謀論者ら」が、COVIDパンデミック時におこなっていた主張が正しかった事を認めざるを得なくなっている、というのだ。



実際、ドイツ政府のデータによると、パンデミックはまったく存在せず、悲惨な結果をもたらす実験用ワクチンを大衆に受け入れさせるために綿密に仕組まれた軍事級の心理作戦が行なわれただけだったことがわかる。

情報公開請求とその後の訴訟を通じて入手されたこれらのドイツ政府の機密文書は、世界の支配者層のCOVIDに関する嘘を暴いたものであり、できるだけ多くの人に真実を知らせることが極めて重要である。

世界中でますます多くの人々が目を覚まし、世界を股に掛ける支配者層のこれまでの姿、つまり破壊と支配に熱中する異常な精神異常者としての姿を目にするようになっている。

ドイツも例外ではない。ドイツ国民はヨーロッパ全土で最も残忍なロックダウンとワクチン接種の義務に苦しんだが、今では国民が立ち上がって説明責任を求めている。

ドイツ政府に対して情報公開請求を開始し、訴訟を起こしたポール・シュライヤー氏とマルチポーラー誌の動きを前進させていただきたい。ドイツ政府は、機密文書を厳重に管理しようとあらゆる策略を試みようとしていたのだ。

スティーブン・ホンバーグ教授が説明するように、この数値は驚くべきものであり、ロックダウンとマスクとワクチンの義務付けの必要性を訴える言説に敢えて疑問を呈したすべての人々が完全に正しかったことを示している。



2000ページに及ぶ政府の秘密文書は、ほぼすべてについて私たちが正しかったこと、つまりいわゆる「パンデミック」はすべて詐欺であったことを明らかにしている。

これらの事実は支配者層の悪事を暴くものであり、世界各国の政府や主流報道機関によって推進されているCOVIDに関する公式の報道が完全にでたらめであることを証明している。

そのため、いわゆるパンデミックの最中に私たちが経験してきた独裁権力者たちの言をうのみにすることはさらに難しくなっている、とホンブルグ教授は説明する。

このデータはまた、欧州でマスク着用やロックダウン措置がとられなかった唯一の国であるスウェーデンの結果がドイツよりもはるかに良かったことも明らかにしている。そうなると生じてくる疑問は、ロックダウンという横暴な義務は実際には何のために取られたものだったのか、という点だ。

ホンブルグ教授が答えを持っている。そして結局のところ、私たちがずっとおこなってきた主張は正しかったのだ。

残忍なロックダウン措置を利用してワクチンへの躊躇を打破することは、常に世界の支配者層の目標だった。残念ながら、当時この心理作戦を見抜けなかった人々にとって、健康への影響は悲惨なものとなっている。このことに関して重大な懸念を持つことは当然のことだ。

ワクチン接種者にとって残念なことに、悪い知らせはこれで終わりではない。日本の研究者は、COVIDと数百の病気を関連付けている。



いっぽう、米国で行なわれた新しい研究では、ワクチン接種と追加免疫を受けた人は、予想よりもはるかに早く天国に行ってしまう可能性があることが判明した。

気がかりな新しい研究により、COVIDのmRNA注射による「ワクチン完全接種」を受けた人々は、平均寿命がなんと25年も縮む可能性があることが明らかになったのだ。

研究者らは、CDCや米国オハイオ州のクリーブランド・クリニックが出した数値、保険会社の危険度評価データからの数値を分析し、mRNAを複数回投与した人々の予想される余命が急落するという憂慮すべき傾向を明らかにした。

ワクチン接種者にとって残念なことに、さらに悪い知らせもある。それは、これまで考えられていたこととは異なり、mRNA の投与ごとに引き起こされる健康への慢性的な被害は時間が経っても軽減されない、というものだ。

実際には、健康への悪影響は無限に続くようだ。

研究者らによると、CDCの全死因死亡率の数値は、接種回数が増えるごとに、2021年の死亡率と比較して2022年の死亡率が7%増加したことを明らかにしている。

これは、5回の接種(2回の接種と3回の追加接種)を受けた人は、死亡する可能性が、2021年に比べて2022年は35%高かったことを意味する。

ドイツからの情報と同様に、この研究でもワクチン接種を受けていない人々が2022年に死亡する可能性が2021年よりも低かったことが確認された。

これらの数字はひどいものだ。しかし、注意を払っている人なら誰でも、ワクチン接種者に何か非常に大きな問題が起こっていることがわかっているはずだ。世界中で心臓病やターボガンを患う人たちがハエのように(バタバタと)亡くなっている事例が増えている。

プロのスポーツ選手は地球上で最も健康であるはずだが、ここ数年で何千人もの選手が突然の原因不明の心臓病で倒れている。

ワクチンを完全接種したプロスポーツ選手がハエのように(バタバタと)倒れる事件が相次いでおり、先週だけで4人のプロサッカー選手が自分の心臓のあたりを掴んで突然倒れた。

エジプトのスター、アーメド・リフィートは、テレビのライブカメラの前で心停止に陥った3人目のプロサッカー選手となり、後に医師らは「このような事態はこれまで見たことがなかった」と認めた。

オーランド・パイレーツのミッドフィールダー、マヘレン・マハウラは、今週フィールド上で倒れた2人目のサッカースター選手となったが、医療スタッフがこの南アフリカのスター選手の蘇生に必死に努める姿が見られた。

唖然としたアナウンサーが、ワクチンの普及以来、世界中でサッカー選手がハエのように(バタバタと)倒れていることを自分の言葉を使って認めている様子を聞いていただきたい。

日曜日(3月31日)、アルゼンチンのトップリーグのエストゥディアンテスのハビエル・アルタミラノは、南米最大のクラブの一つ、ボカ・ジュニオルスとの大一番中に発作を起こし、突然倒れた。

ハエのように(バタバタと)倒れていくのはプロの運動選手だけではない。ソーシャルメディアで人気のインフルエンサーを含むあらゆる階層の人々が、前例のない頻度で、心臓病や珍しい種類のがんに見舞われている。

倫理的なメディアであれば、これらの事件を一面で特集し、なぜこれほど多くの若くて健康な人々が心停止や脳卒中、まれな形態の癌に苦しんでいるのかの調査に活力を投入するだろう。

その代わりに、報道機関はこの現象を正常であると報じ、プロのスポーツ選手や若者が心臓発作を起こすのは普通のことであると信じ込ませようとしている。しかし、自立した思考ができる人なら誰でも、この状況が正常から程遠いことを理解している。
*

バクスター・ドミトリーは、「ザ・ピープルズ・ボイス」の記者。政治や商業、娯楽を取材している。バクスターは人前で話すことを稼業にして以来、権力者に真実を語り、80カ国以上を旅し、どの国でも議論に勝利を収めてきた。怖いものなしだ。
電子メール: [email protected]
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プーチンのハルマゲドンへの道

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin’s Road to Armageddon
筆者: ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)
出典:PCR政治経済研究所(IPE) 2024年4月5日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年4月14日

プーチンの終りのない戦争は、核ハルマゲドン(最後の壊滅的大決戦)になるだろう。

米国政府は今週、ブリンケン国務長官の口を通して、ロシアの警告をすべて無視してこう宣言した。

「ウクライナはNATOに加盟するだろう。サミットでの我々の目的は、加盟への橋渡しをすることだ。」

プーチンが危険な状況に対処するのに必要な武力行使を控えることによって、そして、紛争はウクライナ侵攻ではなく、ウクライナ軍をロシアのドンバス諸州から排除するための限定的な作戦に過ぎないと主張し続けることによって、ロシアは間もなくNATOとの戦争に陥るだろう。 https://www.zerohedge.com/geopolitical/hungary-vows-thwart-natos-newly-proposed-100bn-5-year-fund-ukraine

私は、この紛争に関するプーチンの非現実主義は、以前のミンスク合意に関する非現実主義や、いわゆるマイダン革命におけるウクライナ政府転覆に関する非現実主義と同様、第三次世界大戦への直接的な道であると、一貫して警告してきたが、効果がなかった。

ウクライナがNATOに加盟した瞬間、プーチンはNATOと戦争状態に陥るだろう。ロシアがウクライナを打ち負かし、政府を倒し、国を占領し、周囲に壁を築くための時間はあまりないのだ。

ウクライナがNATOに加盟することは、「文字どおり、核の黙示録映画が始まるきっかけになる」と、数少ない知的なアメリカ人の一人であるイーロン・マスクは言う。

プーチンの「限定的な軍事作戦」は、2つの新しい国(フィンランドとスウェーデン)がNATOに加盟し、ロシア国内でロシア市民がテロ攻撃を受け、ウクライナに西側の兵器システムとそれを操作するNATOの軍人が配備され、そして西側の情報により標的とされた死者が増加した以外、何も成し遂げていない。その間、プーチンはロシアが戦争状態にあることを理解できなかった。プーチンの挑発行為に対する無反応は、プーチンの警告が無意味であることをワシントンに確信させた。プーチンがレッドラインを行使しないことで、ワシントンは、プーチンにはレッドラインがあるという疑念から解放されている。

相互安全保障協定を求めるプーチンの嘆願をワシントンが侮辱的に冷遇したことで、プーチンが「限定的な軍事作戦」に追い込まれたように、ロシアはウクライナのNATO加盟を認めないというプーチンの警告をワシントンが無視したことで、ロシアは、NATOとのさらに広範な戦争に追い込まれるだろう。

プーチンが行動できないことによって第三次世界大戦が引き起こされる前に、ワシントンがでっち上げるまで存在しなかったウクライナの存在を終わらせるのに、プーチンは数ヶ月しかない。

悲惨な状況にもかかわらず、プーチンは依然として現実を受け入れることができないでいる。ロシア政府は、交渉の意思を繰り返すことで、ワシントンに弱さと優柔不断さを示し続けている。ここにプーチンの戦争指導者としての失敗がある。本来なら、ワシントンとNATOがプーチンに交渉を懇願すべきなのだ。

私たちは、私が予言したとおりにハルマゲドン(最後の壊滅的大決戦)への道を進んでいる。ある挑発を無視すると、また別の挑発が起こり、さらに次の挑発が起こり、今やプーチンが無視できないレッドラインに達している。この時点で、プーチンが第三次世界大戦を回避する唯一の方法は、降伏するか、ワシントンがウクライナをNATO加盟国に昇格させる前にウクライナの存在を消滅させるしかない。それ以外に選択肢はない。
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米独、ウクライナのNATO加盟に反対 - NYT紙

<記事原文 寺島先生推薦>
US and Germany against inviting Ukraine into NATO – NYT
NATOは「敗戦の危機にある」キエフを支援する「妥協点」を見つけたい、と同紙は報じている。
出典:RT  2024年4月5日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月14日


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写真: 2023年7月12日、リトアニア・ヴィリニュスで開催された2023年NATO首脳会議2日目、メディアの取材に応じるウラジーミル・ゼレンスキー・ウクライナ大統領(左)とイェンス・ストルテンベルグNATO事務総長。ショーン・ギャラップ / Getty Images

米国とドイツは、ロシアの圧力によるキエフの軍事崩壊を懸念しているにもかかわらず、ウクライナのNATO加盟に消極的である、とニューヨーク・タイムズ紙は木曜日(4月4日)に報じた。

同紙は、米国主導陣営の高官たちは、このような大胆な動きは「1945年以来ヨーロッパで最大の陸上戦に巻き込まれる」と懸念しており、NATOは替わりに「妥協点」を探していると付け加えた。

こうした懸念はベルリンとワシントンも共有しているとされ、7月にワシントンで開催されるNATO首脳会議でウクライナとの加盟交渉を開始することに反対している。同時に、両政府はウクライナに対する長期的な安全保障支援の約束を支持している。

水曜日(4月3日)、NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は、NATO加盟国に対し、自発的な寄付ではなく、ウクライナに「信頼でき、予測可能な安全保障支援」を提供することに重点を置くよう促した。ストルテンベルグ事務総長は、5年間で1000億ユーロ(約1070億ドル)の軍事援助をキエフに提供することを提案したと伝えられている。

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関連記事:NATOはヨーロッパでロシアと対決するためのアメリカの道具 - クレムリン

しかし、複数の西側外交官はNYT紙に、この計画は今のところ「確かなものではない」ように見えると語った。

米国の元NATO大使イヴォ・ダールダー氏によれば、ワシントンはこの構想に暗黙のうちに反対しているようだ。もうひとつのNATO加盟国であるハンガリーは、NATOが紛争により深く関与するような動きには反対だと公言している。

また、NATOがこのような長期にわたる1000億ユーロの拠出を加盟国に強制できるかも不明である。

しかし、ロシアがキエフ軍を押し返し続ければ、ウクライナは「敗戦の危機に瀕している」ため、夏までには「これらのことは問題にならなくなるかもしれない」とNYT紙は述べている。

ここ数週間で、ロシアはドンバスの主要都市アブデフカを解放し、近隣のいくつかの集落を占領した。ウクライナ大統領ウラジーミル・ゼレンスキーは先月、アメリカが軍事支援を再開しない限り、これが最後の撤退にはならないと警告した。米国議会では、共和党議員が国境警備の強化にもっと力を入れるよう要求しているため、共和党の反対で数カ月にわたって支援策が停滞している。

ロシアは、キエフへの西側の武器輸出を非難し、紛争を長引かせるだけだと警告している。モスクワの政府関係者はまた、西側諸国がロシアに「戦略的敗北」を与えるためにウクライナを道具として使っていると非難している。
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テロに対する戦いは軍事的手段では勝てない

<記事原文 寺島先生推薦>
The struggle against terrorism cannot be won by military means
G8は、このような残虐行為の根底にあるより広範な問題に取り組む機会をとらえなければならない。
筆者:ロビン・クック(Robin Cook)
出典:The Guardian   2005年7月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年4月14日


昨日、ロンドンでの爆弾テロを審理するために下院本会議が開かれたのだが、その会議がこれほど満席でこれほど静まり返ったのを私はほとんど見たことがない。いつもは粗野で騒々しい議場が、厳粛で重々しい雰囲気に包まれていた。普段は党派的な感情が渦巻く議場が、ショックと悲しみでひとつになった。イアン・ペイズリー*でさえ、それはジャーナリストが愛する人の死を知らされる前に親族にコメントを求めたときのことだったが、北アイルランドで起きた犯罪を繰り返さないよう報道陣に人道的な訴えをしたほどだ。
イアン・ペイズリー*・・・イギリスの牧師、政治家。元北アイルランド自治政府首相、民主連合党創設者、アルスター自由長老派教会創始者。北アイルランドのプロテスタントおよびユニオニストの中心人物の一人だった。男性。(ウィキペディア)

このような人間的悲劇に対する最初の反応は、負傷者の痛みと遺族の悲しみへの共感でなければならない。このような残虐行為に接すると私たちは為す術を知らない。伴侶や子供、両親の予期せぬ失踪が、自然死以上に耐え難いものであることを知っているからだ。突然のことであるため、別れを惜しむことも、打撃に備えることもできない。今日、ロンドンのあちこちで、最後の愛情の言葉をかけたり聞いたりする機会がなかったために、より深刻な痛みを感じている親族がいる。

それは恣意的であり、したがって一瞬の決定の偶然によって変わる出来事だ。今朝、自分の伴侶が次のバスに乗っていたら、または早めの地下鉄に乗っていたら、事態はまったく違っていただろうと考えた人は何人いるだろうか。

しかし、なぜそのようなことが起こったのかという問いに答えることは非常に困難である。だから、おそらくその喪失は最も耐え難いものだろう。今週末、私たちは先の大戦で英国を守った世代の英雄主義に敬意を表する。記念式典に先立ち、ファシズムを打ち負かすために危険を冒し、時には命を落とした人々の勇気について、多くの物語が語られてきた。それらは、人間の精神がどのようなものであるかを示す、感動的で謙虚な例であるが、少なくとも当時亡くなった男女の親族は、自分たちが何のために戦ったのかを知っていた。しかし、昨日の無意味な殺人に何の目的があるのか。このような無意味な殺戮から利益を得るような大義があると、いったい誰が想像できるだろうか?

この記事を書いている時点で、攻撃を開始した理由を説明するグループは現れていない。これから数日の間に、私たちはウェブサイトやこの途方もないことを正当化しようとするビデオメッセージを提供されるかもしれないが、そのような恣意的な殺戮の合理的な根拠を提供できる言語などは一切ない。そんなものが提供されても、その説明は、理性ではなく、その脅迫的な原理主義が何たるかを共有していない被害者への同情の余地を残さない犯人たちの宣言に頼るしかなくなってしまうだろう。

昨日、首相は爆破事件を、社会的価値観への攻撃と表現した。私たちの価値観の中には寛容さや異なる文化や民族背景を持つ人々に対する相互尊重も含まれる。前日には、ロンドンがオリンピック招致に成功し、我々の多文化主義の実績を世界に示すことを祝福していた。昨日の爆弾を仕掛けた人間にとって、この惨劇が私たちの社会の少数派に対する疑念や敵意を育むことほど嬉しいことはないだろう。テロリストを打倒することは、異なる信条や民族的出自を持つ人々が共存できないという有害な信念を打倒することでもあるのだ。

誰も昨日の犯罪を自分がやったと認めないまま、私たちはイスラム過激派の脅威を分析する記事に次から次へとさらされることになるだろう。皮肉なことに、それらの記事はスレブレニツァでの大虐殺から10周年を迎える同じ週に掲載されることになる。ヨーロッパの強国は、前世代のヨーロッパで最悪のテロ行為となった8000人のイスラム教徒全滅を防げなかったのだ。

オサマ・ビン・ラディンは、セルビア軍を指揮したミラドチ将軍がキリスト教の代表ではないのと同様に、イスラムの真の代表ではない。なぜなら、コーランには、私たちは互いを軽蔑するためではなく、お互いを理解するために異なる民族として創造された、と書かれているからだ。

しかし、ビン・ラディンは西側の安全保障機関による重大な誤算の産物だった。彼は80年代を通じてCIAから武器を供与され、サウジアラビアから資金援助を受けて、ロシアのアフガニスタン占領に対する聖戦を展開した。アルカイダとは、文字どおり "データベース "であり、もともとは、ロシア軍を打ち負かすためにCIAの助けを借りて募集され、訓練された何千人ものムジャヒディンのコンピューターファイルであった。不可解なことに、そして悲惨な結果を招いたが、ロシアが手を引けば、ビン・ラディンの組織が西側に目を向けるとは、ワシントンには思いもよらなかったようだ。

今、危険なのは、テロリストの脅威に対する西側の現在の対応が、当初の誤りをさらに悪化させていることだ。テロとの闘いが軍事的手段で勝てる戦争と考えられている限り、それは失敗する運命にある。西側諸国が対立を強調すればするほど、イスラム世界の穏健派の声を封じ込めることになる。成功は、テロリストを孤立させ、彼らの支援、資金、勧誘を拒否することによってのみもたらされる。つまり私たちを分断するものよりも、イスラム世界との共通点に焦点を当てることなのだ。

主要国にイスラム諸国が含まれていないため、G 8サミットはイスラム諸国との対話を開始するための最良の場となっていない。また、グレンイーグルズ・ホテル(G8の会場)にも招待されている中国、ブラジル、インドなどのえり抜きの新興経済国の周辺にも位置付けられていない。我々は、グローバル・ガバナンスの構造の中にイスラム諸国を包摂するための一層の努力をしなければ、イスラム諸国の間の疎外感に対処することにはならないだろう。

しかし、G8は今日の共同声明で、最新のテロ攻撃に力強く対応する機会をきちんと手にしている。それには、昨日の犯罪の責任を負う者を追跡するという共同の決意を述べることが含まれる必要がある。しかし、(そのためには)テロの根源的な問題に取り組む機会を逸してはならない。

特に、G8サミットが貧困撲滅を焦点にしているのに、昨日の爆破事件が今それを曖昧にすることは不適切である。テロの温床は貧困の裏通りにあり、原理主義は希望や経済的機会がないと感じる若者たちに、偽りの、簡単な誇りや自己証明を提供する。西側の安全保障にとっては、テロとの戦争よりも世界の貧困との戦いの方がより効果的かもしれない。

そして、プライバシーの守られた広々としたスイートルームで、昨日の残虐行為は、その場に居合わせた何人かの人々に心の内省を促すものになるだろう。ブッシュ大統領は、イラク侵攻を正当化するために、海外でテロと戦うことによって、西側諸国が国内でテロリストと戦わなくてすむようにするという理由をつけている。今日、イラク戦争を擁護するために他にどのようなことが言えるにせよ、イラク戦争が自国内のテロからわれわれを守ったとは言えない。
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自由と自治を求めた世界初のポスト植民地主義黒人国家の悲劇の歴史

<記事原文 寺島先生推薦>
The Tragic History of the World’s First Post-Colonial Black Nation’s Struggle for Freedom and Autonomy
筆者:K.D.ルイス(Lewis)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年3月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月12日


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ジミー・"バーベキュー"・シェリジエとG9


虐殺者と間違われた革命家

ハイチ島の現在の国営ニュース報道では、元警察官だったジミー・シェリジエ(通称「バーベキュー」)をリーダーとする犯罪集団による密売や、強姦、そして人肉食などの凶悪な行為が蔓延していると報じられている。このように告発された暴力行為があるから、ハイチ最大の犯罪対策組織の指導者(ジミー・シェリジェ)に対して経済制裁をするし、ケニアおよびその他のECOWAS*軍を動員した米国の介入もあるのだ、という不注意な正当化が行なわれている。
*ECOWAS(Economic Community of West African States)西アフリカ諸国経済共同体

地元の暴力組織に対するシェリジエの抵抗組織(G-9として知られる)の行動をめぐるプロパガンダは、アメリカ軍産複合体の帝国主義的願望に隠れ蓑となる口実を提供してきた。ダン・コーエンの3部構成のドキュメンタリー『もうひとつの見方: ハイチの蜂起の内幕』は、貧困にあえぐデルマスという町のコミュニティ・リーダーであるシェリジエの姿を映し出している。彼が革命的抵抗の道に入ったきっかけは、デルマス6の自宅をギャングの暴力から守りたいという願望と、ハイチの司法・法執行システムの有効性に幻滅したことだった。彼は、ブルジョワ階級が警察や政府指導者と結託し、国の刑事司法制度から説明責任を回避していることに気づいたのだ。

シェリジエがハイチのUDMO警察部隊を辞職した後、2020年に形成されたG9は、国際的犯罪組織であると非難された。こうした非難を受けた後、G9はデルマスのさまざまな地域に対する警察主導の攻撃を受けた。彼らは、リュエル・マイヤール(Ruelle Maillart)のギャングを使って家屋を焼き払い、学校を取り壊すという行動をとった。G9に対抗するこれらのギャングは、ハイチの裕福な階級や米州機構(OAS)からの支援を受けていると言われている。このような虐殺について、合衆国支援のハイチ人権団体であるRNDDH*を含め、人権団体からの報告はない。
* RNDDH(Réseau National de Défense des Droits Humains)国家人権擁護ネットワーク

こういった行動へのシェリジエの反応は、デルマスの未被害地域内での避難所や食料の提供に加えて、貧しい武装ギャングや民兵の間で団結を呼びかけることであり、彼が言うハイチの富の85%を所有し、管理する上位5%のファミリーに抵抗することだった。ハイチ国内の、米国寄り指導層や暴力的なブルジョア派のギャング、西側メディア、そして、てぐすねひいて介入をしようとしている米国政府などからの敵意にもかかわらず、ジミー・シェリジエは、腐敗したブルジョア・システムに対する統一されたプロレタリア革命の未来構想を維持するとともに、特に米国のような西側大国からの干渉に立ち向かっている。

ハイチで起きていることは新しいことではない。実際、ハイチが誕生して以来、イスパニョーラ島として知られるこの島の西半分は、何十年にもわたって内憂外患に苦しんできた。しかし、この争いの解決は、ハイチのエリートではなく、特に欧米の超大国でもなく、ハイチの大衆からもたらされなければならない。この記事では、ハイチの経済的・社会的進歩を絶え間なく邪魔してきたヨーロッパやアメリカの介入と占領に対処してきたハイチの長い歴史を探求する。ハイチの混乱状態に関連してこの帝国主義の歴史を理解することは、他国の占領に反対する統一的な呼びかけと、シェリジエの構想に似た労働者階級中心の抵抗運動への統一的な支持を通じて、この国の自治を確実に守るために不可欠だからである。

西洋の窃盗によるハイチ独立後の不況

1804年1月1日、何世紀にもわたってヨーロッパ人が植民地主義入植活動をしてきた後、世界初の黒人独立国家が設立された。以前はサン・ドミングとして知られていたハイチは、13年間の反乱が革命に変わってから、植民地の抑圧者を打ち負かし、追放することに成功した。この新たに獲得した独立は記念碑的な勝利であったが、西洋帝国主義からはただちに反動があり、ハイチは、それ以降、いつ果てるともしれない悲惨な状態に置かれることになった。

独立からわずか20年後、ハイチは銃口を突きつけられ、かつての奴隷商人たちに独立の対価を支払うことを余儀なくされた。1922年にハイチ政府から最後の支払いを受けたフランスは、ハイチから(2022年の価値にすれば)5億6000万ドルを盗み出すことに成功した。この盗んだ金は、エッフェル塔のような驚異的な建造物の建設に使われただけでなく、フランスの銀行システムの構築にも使われ、クレディ・インダストリエール・エ・コマーシャル銀行(C.I.C.)に最大の利益をもたらした。ニューヨーク・タイムズ紙の「身代金」という記事は、この報復的なハイチ略奪が、210億ドル以上の損失(ハイチ国内に資金が残っていればだが)につながったことを説明している。植民地支配強国によるこの類を見ない行動は、ハイチの国家としての発展に多大な悪影響を及ぼしたが、それは始まりに過ぎなかった。

この強盗的所業とほぼ同時に、アメリカ合衆国は資源豊かだが経済的に破綻したハイチに目をつけた。まず、1868年、アンドリュー・ジョンソン大統領はヒスパニョーラ島全体を併合することを目指した。彼の後任であるユリシーズ・S・グラント大統領は、サントドミンゴ併合の積極的なPRをする委員会を後押しし、フレデリック・ダグラスを黒人支持の顔として利用した。併合に関する投票は米国上院で成立しなかったが、アメリカ合衆国はその後もハイチの事情に関与し続け、1915年にはハイチへ侵攻し、占領した。

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米国海兵隊、ポルトー・プランスに駐留。1915年

この占領は19年間続いた。その間、アメリカはハイチの国立銀行から50万ドル以上を盗み、その金をウォール街の様々な銀行に移した。シティグループはそのひとつ。この行為によって、アメリカはハイチ最大の金融機関を一方的に支配することになった。

企業の搾取と独裁者たち

1934年の善隣政策*によってアメリカ軍が島から完全に撤退した後、第二次世界大戦は欧米諸国がハイチの資源を開発する新たな機会となった。1941年、ハイチ政府は米国と共同でハイチ農業開発協会(SHADA)を設立した。
*善隣政策とは、フランクリン・ルーズベルトがアメリカ合衆国大統領在任時に行なった、ラテンアメリカ諸国に対する外交政策のことである。善隣外交とも言う。この政策が実施されたのはルーズベルト政権の時であるが、19世紀の政治家ヘンリー・クレイが既に「Good Neighbor」という用語を用いていた。(ウィキペディア)

この法人は、米国輸出入銀行(EXIM)が出資し、管理する農業法人であった。取締役会はハイチ代表3名とアメリカ代表3名で構成され、会社の主要幹部もアメリカ人であった。この構想は、戦時中のハイチの農業基盤経済を拡大し、ゴム生産に力を入れることを目的としていた。SHADA社が設立された結果、ハイチ政府はEXIM銀行に400万ドルの負債を負い、ハイチ製品の最大の輸入国はヨーロッパ(特にフランス)に代わってアメリカとカナダになり、ハイチの「農民階級」の農地はSHADA社に奪われた。

この時点から1980年代後半まで、ハイチはエセ人民主義者のフランソワ・デュバリエと、その息子のジャン=クロード・デュバリエの独裁的な支配を受けた。

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フランソワ “パパ・ドク” とジャン=クロード・“ベビー・ドク”・デュバリエ

デュバリエの治世は1957年、主にドミニカ共和国に端を発するムラート(白人と黒人の混血集団)の暴力への対応として始まった。フランソワ・"パパ・ドク"・デュバリエは、政権初期に黒人大衆が政治的・経済的に権力を握るという将来構想を表明した。一方、彼の行動は扇動政治家のそれであり、最終的に「ボギーメン(妖怪)」と呼ばれる腐敗した準軍事組織を設立し、地元住民を恐怖に陥れた。その後1964年、彼は自らを「終身支配者」と宣言した。

彼の指導の下、ハイチは観光客の減少、ドミニカ共和国との緊張の増大、そして彼の政権による厳しい弾圧に苦しんだ。19歳の息子、通称“ベビー・ドク”は、1971年、父の後を継いだ。 ジャン=クロード・デュバリエの統治法は国際的な尊敬されるイメージを確立することに焦点を当てていたが、父親の指導の名残があったので、1987年、独裁王朝を追放する大規模な蜂起が起こった。

裏切り者に阻まれた流血の政権交代

1991年の冬の終わり、ハイチの大衆に圧倒的に支持された社会・経済改革派のジャン=ベルトラン・アリスティドが、ハイチで初めて民主的に選出されて、大統領に就任した。しかし、この勝利は短命に終わった。

アリスティドが推し進めた野心的な改革には、軍隊に対する文民統制の拡大や長期政権最後の軍事指導者たちへの引退「奨励」、そして貧しい農民から土地を奪う腐敗した農村長制度の廃止などがあった。この改革は富裕層や元軍事当局への攻撃と受け止められ、選挙からわずか7か月後にアリスティドに対するクーデターが引き起こされた。クーデターは、ラウル・セドラス中将が指導者だった。彼は後に、アメリカ政府からの恩赦と、月額数千ドルの給与を受け、ハイチの隔離地に住むことになった。

このクーデターの後に起こったのは、軍事政権による労働者や農民、そして学生の様々な抵抗グループとアリスティドの支持者らに対する極端な暴力行為であった。ハイチの独立系ラジオ局を武力攻撃したり、ハイチ学生連盟 (FENEH) と関係がある150人の学生を大量に逮捕したりした。

ジョージ・H・W・ブッシュ政権下の米国諜報機関は、セドラス派とアリスティドとの交渉に便宜をはかったが、反面、アリスティドに対して人物破壊工作も行なった。その際(米国諜報機関は)アリスティドの支持者たちから出された1991年デュバリエ派が起こした反アリスティド・クーデターは人権侵害であるとの告発を非難することもした。

次のクリントン政権は前政権とは対照的に、アリスティドに対する厳しい態度を和らげた。実際、この政権は軍事的介入で、抑圧的なセドラス政権を追放する「民主主義維持作戦*」を展開した。しかし、この善意の行動は中央情報機関(CIA)の関与と矛盾する。なぜなら、CIAはセドラスがアリスティドを排除する手助けをし、セドラス大統領再任を押し進める組織FRAPH(「ハイチの発展と進歩のための戦線」)を操った体制の後ろ盾だったからだ。
*民主主義維持作戦(Operation Uphold Democracy)は、1991年のハイチのクーデターで選出されたジャン=ベルトラン・アリスティド大統領が打倒された後、ラウル・セドラスが主導し設置した軍事政権を排除することを目的とした多国籍軍事介入であった。この作戦は、1994年7月31日の国連安全保障理事会決議940によって事実上承認された。(ウィキペディア)

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左:FRAPHの民兵。右:CIA諜報員でFRAPHのリーダー、エマニュアル・コンスタント

「正義と説明責任センター」*によれば、FRAPHはハイチ軍(セドラス政権下)の暴力、テロ、抑圧行為に積極的に関与していた。そのリーダーであるエマニュエル "トト "コンスタントは、1993年にC.I.A.の諜報員であることが暴露された。それにもかかわらず、1994年のアメリカによる(再度の)ハイチ占領は、セドラスと彼の派閥を権力から「成功裏に」排除し、アリストティドの復帰への道を開くことになった。
*Center for Justice and Accountabilityは、カリフォルニア州サンフランシスコを拠点とする米国の非営利国際人権団体。1998年に設立されたCJAは、米国およびスペインの裁判所での個人の権利侵害者に対する訴訟における拷問およびその他の重大な人権侵害の生存者を代表している。

貪欲と植民地本能に潰された2回目の機会

アリスティド復帰は、帝国主義者が考えるようなアメリカの善意による行動ではなく、アリスティドが西側諸国の賛同を得られるような経済政策を展開することを条件とした取引行為であり、その条件のひとつがハイチの国有企業の完全民営化だった。アリスティドがこの条件に従わなかったのは、それはおそらく、この条件の性質上、主権国家ハイチにおけるアメリカの経済支配に大きな窓を開けることになるからだった。

西側の意志に従うことを拒否するこの行為は、アリストティドとラヴァッシュ党(アリストティド系の「進歩的」な党)が労働者階級からの圧倒的な支持を受けていたことと相まって、民主的に選出された大統領(アリストティド)を脅威に晒し、(敵の)標的にしてしまった。

アリスティドは、2度目の選挙に勝利した後、米国が支援するFRAPHと西側に好意的なハイチのエリートの残党からの反対に直面することになる。注目すべき野党指導者は、米国のパスポートを持つ工場経営者アンドレ・アペイドで、アリスティドと彼の政権は独裁主義であると中傷する「184人グループ」と呼ばれるギャングを率いていた。彼らと並んで、前述の暴力的で抑圧的なFRAPHは、アリスティド支持者を恐怖に陥れ、傷つけ、虐待する行為を続けた。

米国は、ハイチ問題への過去の干渉によって引き起こされる流血が避けられないことを察知し、それをテコに2004年にアリスティドを亡命させた。その後、アメリカ軍は再びハイチに進駐し、アリスティドに反対する暴力的な勢力を速やかに排除した。フランスの支援と国連の制裁により、ハイチ初の選挙で選ばれた大統領(アリスティド)は、最高裁判所のボニファス・アレクサンドル裁判長と交代した。彼は国連の傀儡政権の顔として振る舞った。この政権交代で、ラバシュ派が多数を占めていた指導部に、元デュバリエ派の閣僚が入ることになった。

自然災害の悪用

2010年に入ってわずか数週間でハイチを襲ったマグニチュード7.0の地震の惨状を多くの人はまだ忘れていないが、この自然災害に対する米国の対応の失敗によって引き起こされた惨状を多くの人は知らないかもしれない。当時のヒラリー・クリントン国務長官の監督の下、米国主導で行なわれた人道的対応というのは、非政府組織 (NGO) の場当たり的な管理と誤った監督だった。最も顕著な例は、赤十字の5億ドルの使途不明金である。

また、クリントンの実の娘が指摘したように、地域住民の自治に対する配慮もほとんどなかった。また、米軍が駐留しているのに治安が維持されなかったことも彼女は問題視した。クリントン夫妻のさらに悪質な行為は、「慈善的な」クリントン財団とクリントン・ブッシュ・ハイチ基金が、まるで「たかり」のような動きをしたことだ。この2つ財団は総額100億ドルの寄付の約束を受けている。

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カラコル工業団地の設立、従業員の日給は5ドル。

この資金を集めた後、ビル・クリントンはハイチ復興暫定委員会の共同議長に任命された。これによってクリントンは、両財団を通じて受け取った資金を直接管理することになった。しかしこれも、取るに足らない支援と、2012年にクリントン夫妻とファッション界の重鎮によって設立された3億ドルの衣料工業団地が失敗に終わったこと以外は、何も残らなかった。

操り人形と愛国者

この米国の大失敗で、米国はまんまとハイチを米国の言いなりにさせた。ハイチ救済を目指し、結局は失敗に終わった指導者は、マイケル・マルテリーとジョサバ・モイーズだった。マルテリーは、2005年にベネズエラの社会主義者ウゴ・チャベス大統領の下で始まったペトロカリベ協定*を通じて、ベネズエラから40億ドル以上の援助を横領したことで悪名高い。この盗んだ金は、彼の後継者であるモイーズを政権に押し上げるために利用されたと推測されている。
*ペトロカリベ協定・・・ベネズエラとカリブ海加盟国間の地域石油調達協定。この貿易組織は、ウゴ・チャベス大統領時代の2005年6月29日にベネズエラのプエルト・ラ・クルスで設立された。ベネズエラは加盟国に譲歩的な金融協定に基づいて石油供給を提供した。(ウィキペディア)

モイーズ政権下、ハイチの生活環境は悪化の一途をたどった。ペトロカリベ協定は2017年、他の誰あろう、トランプ政権下のアメリカによるベネズエラへの重い制裁により、事実上廃止された。ペトロカリベ協定の終了は、搾取される大衆にとって困難な局面となり、大規模な市民の混乱と、2021年のモイーズ暗殺につながった。

この暗殺事件により、現在、アリエル・アンリ首相がハイチの公式な国家元首として承認された。しかし、ハイチの労働者階級や事実上の指導者であるジミー・シェリジエは、この新首相と見解を共有していない。

ジミー・シェリジエはハイチの息子であり、犯罪と戦った経験があり、彼らに押しつけられた抑圧から苦しむすべての人々の結束を求める大きな思いやりの心を彼は持っている。この新しい家族を“G9”と呼ぶ。しかし、ハイチの社会的および政治的エリートと、ハイチのエリートと結びつく西側の外部機関は別だ。初の黒人独立国であるハイチが、自らの道を確立するための場所と礼儀を与えられる時が来たのだ。特にそれは国内の貧しい大衆が掲げた道なのだ。

ハイチの歴史は、西欧の排外主義がもたらした負の結果に満ちている。(ハイチは)フランスの植民地抑圧者に何百万ドルもの賠償金を支払うことから始まり、実質的に米国のお気に入りのおもちゃになった。過去の3人の指導者が米国によって恣意的に選ばれた。しかし、トゥーサン*がいた。アリスティドがいた。そのようにシェリジエとG 9には、ハイチの子供たちに利益をもたらすために、最終的に真の意図を持った国家を持つ機会に値する愛国精神がある。私たち帝国主義の中心にいる市民は、現在と将来の指導者たちにハイチから手を退くことを要求しなければならない。
*トゥーサン・・・フランソワ=ドミニク・トゥーサン・ルヴェルチュール(1743年 - 1803年4月7日)は、(フランス革命期の)ハイチの独立運動(ハイチ革命)指導者であり、ジャン=ジャック・デサリーヌ等とともにハイチ建国の父の一人と看做されている。(ウィキペディア)
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「我々はテロリストを戸外トイレからも一掃する」:ロシアのテロとの長く血なまぐさい戦い

<記事原文 寺島先生推薦>
‘We’ll wipe them out in the outhouse’: Russia’s long and bloody fight against terrorism
クロッカス・シティ・ホールへの襲撃は、この国の30年以上にわたる暴力的過激主義との闘いの最新の事例にすぎない
筆者:アルテミー・ピガレフ(Artemiy Pigarev)
出典:RT 2024年3月31日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月12日


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2024年3月22日、ロシア、クラスノゴルスクのクロッカス・シティ・ホール・コンサート会場近くで犠牲者の遺体の隣で働く医師たち。© Sputnik/Sergey Bobylev


先週、モスクワのクロッカス・シティ・ホールで行なわれたバンド「ピクニック」のショーの前に、テロリストがコンサート来場者に向けて発砲した。この攻撃の結果、火災が発生し、その火災は1万3000平方メートルの範囲に広がり、翌日の夕方まで鎮火することはなかった。143人が死亡、182人が負傷した。ロシア連邦保安庁(FSB)は容疑者11人の逮捕を報告し、その大半はすでに法廷に持ち込まれている。

これは過去20年間でロシアにおける最も死者数の多いテロ行為となった。ここ数十年、この国は、国際的にはあまり知られていない小規模な(しかし悲劇の規模も小規模である、という訳ではない)テロ行為と、多くの死者を出した大規模な悲劇の両方に苦しんできた。それらはモスクワと国内の他の地域の両方で行われた。

テロはロシアをどのように襲ったのか

ロシア現代史におけるテロ攻撃のほとんどは、イスラム過激派運動に関連した過激派によって組織されたものである。

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関連記事:M.K. Bhadrakumar: Moscow massacre proves the West has created a Frankenstein monster on its own doorstep

1991年のソ連崩壊後、チェチェン過激派はいくつかの大規模な暴行を行なった。翌年、南部の町ミネラーリヌィエ・ヴォーディでバスの乗客が人質に取られた。1993年から1994年にかけて、別の攻撃が続いた。キスロヴォツク発バクー行きの列車がチェチェンのグデルメス駅近くで爆破された(11人が死亡、18人が負傷)。他にも列車爆破事件やバス乗客が人質に取られる事件が起きた。1994年5月26日、ブラジカフカスからスタヴロポリへ向かうバスの乗客33名(学童やその保護者、教師)が捕らえられ、7月28日にはミネラーリヌィエ・ヴォーディで乗客41名を乗せたバスがハイジャックされた。同じ年に、テロリストはモスクワ(2名が死亡)、ノヴゴロド(1名が負傷)、エカテリンブルク(2名が負傷)および他の場所で住宅の建物の近くで爆発物を爆発させた。1994年9月7日、モスクワで爆発が発生し、7人が死亡、44人が負傷した。

第一次チェチェン戦争は1994年12月に始まった。紛争期間中、攻撃は頻繁に行なわれるようになり、テロリストは交渉を有利に進める道具としてテロ攻撃を頻繁に使用した。目的を達成するために、彼らは人質を取るのが常だった。

1996年1月9日から15日にかけて、サルマン・ラドゥエフ率いる武装集団は、ダゲスタンのキスリャル市の病院と産科病棟で約2000人を捕虜にした。交渉の結果、人質の大部分は解放された。しかし、テロリストらは一部を連れてチェチェン方面に逃走した。彼らはペルボマイスコエ村近くでロシア軍に阻止されたが、夜、脱出に成功した。攻撃の過程で37人が死亡、50人以上が負傷した。ラドゥエフと他のテロリストはなんとか逃走した。キズリャルでのテロ行為により、ダゲスタン軍人や警察官、民間人を含む合計78人が死亡した。数年後、ラドゥエフは逮捕され、終身刑を言い渡され、最終的に獄死した。

ブジョンノフスクの悲劇と第一次チェチェン戦争の終結

1500人以上の人質が取られた1990年代最大のテロ攻撃は、チェチェンとの国境近くのブディオノフスク市で起きた。

1995年6月14日、この種の大規模作戦をいくつか組織したテロリストのシャミル・バサエフ率いる195人の武装過激派組織がブディオノフスク市を攻撃した。彼らは軍用トラック3台とパトカー1台を使ってチェチェンとスタヴロポリ地域の国境を越えた。検問所では警察官に変装し、軍人の遺体を輸送していると称して、検査を受けずに通過させるよう要求した。最終的に彼らが地元の警察署に連行されたとき、過激派は施設を攻撃した。彼らはまた、いくつかの行政建造物や住宅を占拠し、地元の病院で1586人を人質に取った。彼らはこの人たちを6日間拘束し、政府に対しチェチェンから連邦軍を撤退させ、不法テロ集団の武装解除を停止するよう要求した。

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ファイル写真。 1995年6月14日から19日にかけて、ロシアのスタヴロポリ地方ブディオノフスク市で起きたテロ攻撃と病院の人質包囲。 © Sputnik/Alexander Zemlyanichenko

6月17日、テロリストとの交渉が始まった。この交渉はロシア当局を代表してヴィクトール・チェルノムイルディン首相によって実施された。交渉の結果、テロリストらは人質数人とともにブディオノフスクを離れることが許可された。チェチェンに到着すると、過激派は人々を解放して逃走した。

この悲劇の原因となったテロリストの指導者バサエフは、2006年の特別作戦中に殺害された。それ以前にも、彼はロシア領土に対してさらに数回の血なまぐさい攻撃を実行することに成功していた。チェチェンでの対テロ作戦中の2005年までに、ブディオノフスク攻撃に関与した過激派30人が殺害され、2019年までに他の約30人が長期懲役刑を宣告された。しかし、武装勢力の一部は依然として逃走中である。

ブディオノフスクでの攻撃では129人(警察官18人、軍人17人を含む)が死亡、415人が負傷した。襲撃作戦中に少なくとも30人が死亡、70人が負傷した。その後の交渉の過程で、当局は敵対行為の無期限の一時停止を宣言した。

ただし、それでもその後の攻撃を防ぐことはできなかった。1996年7月11日、モスクワは地下鉄爆発事件で震撼させられ、4人が死亡、12人が負傷した。同年末、サンクトペテルブルクでも再び地下鉄爆破事件が発生した。

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関連記事:How Chechen terrorists overran a hospital, murdered dozens and made Russia tremble

これらの大きな悲劇に加えて、小規模なテロ攻撃が続き、さまざまな都市が標的にされた。7月11日から12日にかけてモスクワでトロリーバス2台が爆破され、30人以上が負傷した。爆発はヴォロネジ州やヴォルゴグラード州、および国内の他の地域の旅客列車でも発生した。

一連のテロ攻撃と前線での失敗(1996年8月、分離主義者らがグロズヌイやグデルメス、アルグンの都市を占領)により、ロシアの戦闘行為停止の決定が加速した。1996年8月31日、ハサヴユルト協定が調印され、第一次チェチェン戦争の終結が正式に示された。

「平和な」時代

和平協定調印から数カ月後、再びテロリストが襲撃した。今度は旅客列車が狙われ、1996年11月10日にはモスクワのコトリャコフスキー墓地で襲撃事件が起き、10人が死亡、約30人が負傷した。

1996年11月16日、テロリストはマハチカラ郊外のカスピースクにある9階建てのアパートを爆破した。この建物にはロシア軍第136自動車化ライフル旅団の将校の家族が住んでいた。犠牲者は子ども23人を含む64人、負傷者や重傷者は約150人となった。

テロ攻撃は1997年から1998年にかけて続いた。爆発は鉄道駅(アルマヴィルで1997年4月23日、ピャチゴルスクで1997年4月28日)と機関車(7月27日のモスクワ-サンクトペテルブルク間列車の爆発で5人が死亡、13人が負傷)で発生した。 1998年1月1日にはモスクワの地下鉄で再び爆発が発生し、9月4日にはマハチカラの路上で爆発が発生し18人が死亡、91人が負傷した。

1999 年はロシアにとって特に厳しい年だった。モスクワやサンクトペテルブルク、その他の都市の路上で爆発が起きた。1999年3月19日、ウラジカフカス市の中央市場が爆破され、52人が死亡、168人が負傷した。犯人のマゴメド・トゥシャエフは、サウジアラビアのテロリスト、イブン・アル=ハタブの命令に従って行動した。トゥシャエフはジャガイモの入った袋に爆弾を隠し、市場の最も混雑する場所にある金属製のカウンターの下に置いた。

1999年8月7日、イスラム過激派がロシアのダゲスタン共和国に侵攻し、第二次チェチェン戦争の勃発につながった。

住宅家屋での爆発

1999年9月4日、テロリストらは硝酸アンモニウムとアルミニウム粉末の混合物2700kgを積んだトラックを爆破した。事件はダゲスタン州ブイナクスクのレヴァネフスキー通りにある5階建てアパートの近くで起きた。この攻撃で子ども23人を含む64人が死亡、約150人が負傷した。

その後、テロリストらはモスクワで恐ろしい攻撃を開始した。1999年9月9日の真夜中、グリヤノフ通りにある9階建てのアパートで恐ろしい爆発が発生した。 2つの入り口は廃墟のまま残され、衝撃波は隣接する建物に被害を与えた。爆発の威力はTNT(トリニトロトルエン)火薬約350kgに相当した。この攻撃により106人が死亡、200人が負傷し、総計690人が爆発の影響を受けた。この攻撃は国民の強い反応を引き起こし、人々はロシアの首都のど真ん中で集合住宅が爆破されたという事実に衝撃を受けた。

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ファイル写真。 1999年9月14日、モスクワのカシラ・ハイウェイでアパートの建物が爆発した後の瓦礫の撤去。© Sputnik/Oleg Lastochkin

そのほんの数日後の1999年9月13日、モスクワのカシルスコエ高速道路沿いにある8階建てのアパートの地下室で別の爆発が起きた。爆発物はTNT火薬300kgに相当した。この攻撃の結果、民間人124名が死亡、9名が負傷した。

この後、別の悲劇が続いた。1999年9月16日の早朝、ロストフ地方のヴォルゴドンスクで自動車爆弾が爆発した。2つの建物が深刻な被害を受け、半壊した。爆発により近くの区画にあった窓やドアが破壊され、近隣のいくつかの建物に亀裂が生じた。この攻撃により19人が死亡、90人が負傷した。

同月、当時のウラジーミル・プーチン新首相は自身の対テロ戦略について次のように述べたがこの発言は後に有名な発言となった。

「私たちはあらゆる場所でテロリストを追跡します。空港内なら空港内で、です。ですので、トイレでテロリストを見つけたら、汚い話で申し訳ありませんが、屋外トイレでテロリストを一掃します。それだけの話です。以上です。」

9月4日から16日までの一連のテロ攻撃は、アル・ハタブと説教者のイスライル・アフメドナビエフ(アブ・ウマル・サシトリンスキーとして知られる)によって組織され、資金提供された。彼らは多くの大規模な暴動の責任者だった。アル・ハタブは2002年に殺害されたが、サシトリンスキーはロシア国外に居住しており、2023年に国際刑事警察機構は彼を国際指名手配リストから削除した。

住宅建物に対するこれらの恐ろしいテロ攻撃は、自爆テロや過激派の関与はなかったものの、数百人の民間人の命を奪ったもので、ロシア社会に強い衝撃を与えた。

ノルド・オスト

新千年紀初頭の最大の悲劇は、モスクワでの「ノルド・オスト」テロ攻撃と人質奪取だった。10月23日の夜、モスクワのドゥブロフカ劇場で同名のミュージカルが上演されていた。午後9時5分頃、モフサル・バラエフ率いる40人の武装テロリストを乗せた3台のマイクロバスが現場に到着した。彼らは悪名高いテロ指導者シャミル・バサエフの命を受けていた。彼らは劇場に侵入して出口を封鎖し、子ども100人を含む916人(出演者や劇場職員、観客)を人質に取った。

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ファイル写真。 2002年10月26日、チェチェン反政府勢力によって数百人の人質が拘束されていたモスクワの劇場から遺体を運び出す特殊部隊員。© AP Photo/Dmitry Lovetsky

10月23日から25日まで、人質はとんでもなく劣悪な状況で建物に閉じ込められた。しかし、交渉担当者の努力のおかげで、約60人の捕虜が釈放された。最終的には10月26日、FSB特殊部隊は人質を解放するための緊急作戦を実施した。作戦は極めて困難で、その過程でテロリストは全員殺害された。

ドゥブロフカ劇場襲撃の結果、人質130人が死亡した。うち5人は特殊部隊による建物襲撃前にテロリストに射殺され、残りは作戦中か負傷により死亡した。

ノルド・オスト事件やクロッカス・シティ・ホールの悲劇の場合と同様に、2003年7月5日にもテロリストが別の音楽イベントを標的にした。モスクワの人気ロックフェスティバル中に2件の爆発が発生したのだ。自爆テロ女性犯のズリハン・エリハジエワとマリアム・シャリポワの2人を含む16人が死亡し、57人が負傷した。

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関連記事:Twenty years on from the Moscow theater siege: How a horror terrorist attack was a landmark moment in post-Soviet Russia

更なる流血事件

2002年、過激派はさらにいくつかの恐ろしい攻撃を組織した。5月9日、カスピースクで第二次世界大戦戦勝記念日の祝典中に爆発が発生した。爆弾により43人が死亡、約120人が負傷した。テロリストのラパニ・ハリロフが爆発の責任者とされた。彼は2007年にダゲスタンで殺害された。

2002年12月27日、チェチェンのグロズヌイにある政府庁舎の庭で2台の車が自爆テロにより爆破された。この攻撃で71人が死亡、640人が負傷した。

2003年5月12日、チェチェンのズナメンスコエ村で、女性の自爆テロ犯が地方行政と連邦保安局の建物近くで爆発物を積んだトラックを爆破した。60人が死亡、197人が負傷した。犠牲者には警察官やFSB職員、民間人(子ども8人を含む)が含まれていた。一部の住宅建物も被害を受けた。 2003年6月、これらの攻撃の主催者であるチェチェンのテロ現場司令官ホジ・アフメド・ドゥシャエフが殺害された。

2003年9月3日、キスロヴォツクからミネラーリヌィエ・ヴォーディに向かう列車の車両の下で 2つの爆発装置が爆発し7人が死亡、92人が負傷した。この悲劇は2003年12月5日にも同じ行程を走行していた列車で繰り返された。自爆テロ犯はTNT火薬7kgに相当する爆発物を爆発させた。爆発の結果、47人が死亡、186人が負傷した。チェチェンのテロリストが犯行声明を出した。

テロリストは通勤者も標的にした。2004年2月6日午前8時30分、モスクワの地下鉄アフトザヴォツカヤ駅とパヴェレツカヤ駅の間で爆弾が爆発した。犯人のアンツォル・イザエフはバックパックに仕込んだ爆弾を爆発させた。爆発は非常に強力だったので、死者の多くはDNA検査によってのみ特定され、隣接する地下鉄の車両は完全に破壊された。41人が死亡(テロリストは含まない)、250人が負傷した。

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ファイル写真。 2004年2月6日、モスクワの地下鉄アフトザヴォツカヤ駅の外に集まる救助隊員。© MLADEN ANTONOV / AFP

襲撃の主催者と実行者は、カラチャイのムジャヒディーンのワッハーブ派組織「ジャマート」の構成員だった。

航空テロも問題になった。2004年8月24 日、トゥーラ地方とロストフ地方上空で2機の旅客機がほぼ同時に爆発した。それぞれ、ヴォルガ・アヴィアエクスプレスとシベリア航空の便が、モスクワのドモジェドヴォ空港からヴォルゴグラードとソチへ向かう途中だった。この二重攻撃により89人が犠牲となった。どちらの爆弾も、飛行機に乗っていた女性の自爆テロ犯によって爆発させられた。テロリストの一人の妹は、ほんの数日後に起こったベスランの学校包囲事件に関与していた。チェチェンの過激派シャミル・バサエフは爆発と学校襲撃の両方に対する犯行声明を出した。

2004年8月は特に死者数が多かった月だった。飛行機の悲劇から数日後、モスクワで新たなテロ攻撃が発生した。2004年8月31日、地下鉄リシュカヤ駅の入り口で自爆テロが発生し、10人が死亡、50人以上が負傷した。そしてその翌日、ベスランでの悲劇が起きた。

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ベスラン

2004年9月1日、新学期初日の祝賀行事中に、ルスラン・フチバロフ (「大佐」として知られる) が率いるテロリスト組織がベスラン第一中等学校を占拠し、生徒やその親族、学生や教員を含む1100人以上を人質に取った。校舎に地雷が仕掛けられた。武装勢力はほぼ3日間、人質を体育館に監禁し、食事や水、トイレの使用を拒否した。人質の中には生まれたばかりの子供を連れた母親もいた。

ルスラン・アウシェフ(イングーシ共和国の元大統領であり、テロリストが建物への立ち入りを許可した唯一の人間)の交渉のおかげで、9月2日に26人の女性と子どもが解放された。翌日、テロリストに撃たれた人質の遺体の引き渡しが合意された。

9月3日正午頃、非常事態省が遺体を回収するため学校に到着した。まさにその時、建物内で数回の爆発が起きた。特殊部隊が緊急作戦を開始した。人質の何人かは窓と爆発の結果できた壁の隙間から逃げ出すことができた。残りはテロリストによって学校の別の場所に連れて行かれた。戦闘は夜遅くまで続いた。

ベスランでの攻撃では、子ども186人、教師と学校職員17人、FSB職員10人、救助隊員2人を含む334人の命が失われた。

ヌルパシャ・クラエフを除く過激派は全員殺害された。クラエフには死刑判決が下されたが、執行猶予により判決は終身刑に変更された。チェチェンのバサエフが犯行声明を出した。

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ファイル写真。 2004年9月9日、北オセチアのベスランの人質事件の現場、学校の廃墟となった体育館にいる女性。© AP Photo/Alexander Zemlianichenko

第二次チェチェン戦争の終結

これらの重大な悲劇に加えて、多くのあまり知られていないテロ攻撃が2000年から2006年にかけて発生した。地下鉄での爆発(2001年モスクワ)から、多数の死傷者を出した攻撃(2001年ミネラーリヌィエ・ヴォーディ:死者21人、負傷者約100人、2002年ウラジカフカス:死者9人、負傷者46人)などさまざまな事件が発生した。また、バスの乗客が人質に取られる事件(ネヴィノムイスク、2001年)、バス内での爆発(グロズヌイ、2003年)、電車内での爆発(キスロヴォツク~ミネラーリヌィエ・ヴォーディ間の列車での爆弾で7人が死亡、約80人が負傷)といった事件もあった。 2004年、エッセントゥキ近郊のスタヴロポリ地方での列車爆発:44人が死亡、156人が負傷)、混雑した場所での自爆テロ(クラスノダールでは2003年8月25日のバス停での爆発、チェチェンでは祝賀会での爆弾テロ) 2003 年 5 月 14 日: 30 人が死亡、150 人以上が負傷)。

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政治家(2004年5月9日、テロリストはチェチェンの指導者アフマド・カディロフとチェチェン国家評議会議長のフセイン・イサエフを殺害)や警察官、軍への攻撃のほか、小規模な爆発で国民の命が失われる事件も定期的に発生した。

第二次チェチェン戦争は2009年4月16日に終結した。それにもかかわらず、テロ攻撃は続いた!

コーカサス地方のテロリストによる最後の攻撃

2009年11月27日、モスクワからサンクトペテルブルクへ向かう高速鉄道ネフスキー急行の3両が爆発により脱線し、28人が死亡、130人以上が負傷した。翌日、同じ悲劇の現場で2発目の爆弾が爆発した。事件は捜査現場近くで発生し、携帯電話を通じて起動されたものだった。違法武装組織の一員だった7名がテロ行為で有罪判決を受け、2010年3月2 日にイングーシでの戦闘中に殺害された。他に10名が投獄された。

2010年3月29日の朝、モスクワで新たな二重の悲劇が起きた。地下鉄のルビャンカ駅とパーク・カルトゥリー駅でテロ攻撃が開始された。両駅での爆発は女性の自爆テロ犯によって1時間の間に実行された。犠牲者は計44人、負傷者は88人となった。

チェチェンのテロ指導者ドク・ウマロフが犯行声明を出した。 2006年、ウマロフは未承認国家であったイクケリア共和国の大統領であると主張し、2007年にはコーカサス首長国連邦ジハード主義組織を設立し、その最高指導者となった。

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ドク・ウマロフ。 ©ウィキペディア

2011年1月24日、ウマロフ率いるチェチェンのテロリストによって別の悲劇的なテロ行為が実行された。ロシアで二番目に大きい空港であるモスクワのドモジェドヴォ空港で、自爆テロ犯が群衆の中で自爆した。その結果、37人が死亡、170人以上が負傷した。数人の加害者が逮捕され、投獄された。

この間何年にもわたって、過激派は他の攻撃を実行し、多くの命を奪った。

2010年8月27日にはピャチゴルスクでの爆発により40人以上が負傷し、2010年9月9日にはブラジカフカスでのテロ攻撃により17人が死亡、さらに158人が負傷した。

2013年にウマロフは殺害された。

ウマロフの死により、チェチェン戦争後に発生したコーカサス地方およびイスラム主義過激派組織によって組織されたテロ行為は終焉を迎えた。

イスラム過激派による新たな攻撃

多くのイスラム過激派とその指導者の死亡または逮捕、および国際情勢の変化により、ロシアにおけるテロ活動は影響を受けている。ウマロフと他の多くの司令官の死後、コーカサス首長国のテロ組織は分裂し、解散した。その結果、多くのイスラム主義者がイスラム国(IS、旧ISIS)に忠誠を誓った。

ISと関係のある過激派は過去数十年にわたり、ロシアで多数のテロ攻撃を行なってきた。最悪の出来事の一つは、2013年にヴォルゴグラードで起きた一連の襲撃事件だ。10月21日、女性の自爆テロ犯がバスを爆破し、7人が死亡、37人が負傷した。12月29日には鉄道駅での爆発で18人の命が奪われ、その翌日の12月30日にはトロリーバスでのテロ攻撃が発生し16人が死亡、25人が負傷した。

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2015年10月31日、ロシアの航空会社メトロジェット所属のエアバス321型機(A321)が、エジプトの都市エル・アリシュから100キロメートル離れたシナイ半島北部で墜落した。9268便はシャルム・エル・シェイクからサンクトペテルブルクへ向かう途中だった。この事故により、子ども5人を含む乗客乗員224人全員が死亡した。

この悲劇は、エジプトの空港職員によって隠蔽された飛行機内の爆発物によって引き起こされた。ISシナイ支部は災害発生から数日後に犯行声明を出した。

ロシア第二の都市サンクトペテルブルクもテロ攻撃に見舞われている。2017年4月3日、センナヤ・プロシャド駅と工科大学駅の間の地下鉄で爆発が発生した。その結果、テロリストを含む16人が死亡、67人が負傷した。攻撃は自爆テロ犯アクバルジョン・ジャリロフによって実行された。11人が襲撃準備の罪で起訴され、全員が長期懲役刑を言い渡された。

ロシアの近代史の過程において、テロリストは罪のない民間人に対してかなりの数の攻撃を実行してきた。標的の中には、旅客機や電車、学校、住宅、空港、コンサートホール、音楽祭など大勢の人が集まる場所も含まれている。

本記事においては、過去30年間にテロリストによって組織された攻撃の一部についてのみ言及した。いずれの場合も、当局は迅速に対応し、犯人を捜し出す必要があった。そしてロシアはテロ対策においてかなりの経験を積んできたが、残念ながらテロの脅威は過去のものになったわけではない。

筆者、アルテミー・ピガレフ。ロシア帝国とソ連の政治生活を専門とするロシアの歴史家
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シオニズム:イスラエル‐パレスチナ関係における危機の根源

<記事原文 寺島先生推薦>
Zionism: The Root of the Crisis in Israel-Palestine
筆者:シッド・シュニアド(Sid Shniad)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年4月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


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国連総会での演説で、パレスチナ自治区を省略したイスラエルの地図を示すネタニヤフ首相。画像はYouTubeより。


以下は 、 2024年3月24日にブリティッシュ・コロンビア州キャッスルガーでシド・シュニアドが行なった講演の記録 である。シュニアドはIndependent Jewish Voices Canada (IJV)の創設メンバー である。IJVは国際法の適用と全当事者の人権の尊重を通じて、イスラエルとパレスチナにおける紛争の公正な解決を促進することを使命とする全国的な人権団体である。2008年に設立されたIJVは、ハリファックス、モントリオール、オタワ、トロント、ハミルトン、ウィニペグ、バンクーバー、ビクトリアに支部がある。

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カナダ人は、イスラエル・パレスチナの現実について、シオニスト入植者たちが頑(かたく)ななパレスチナ人反対勢力の犠牲者であるかのような誤ったイメージを持たされてきた。現実の状況は、カナダの状況に酷似している。ここカナダでも入植者が土地を奪い、民族浄化され抑圧を受けている先住民を蔑視しているからだ。

イスラエルが享受している見当違いの同情の根拠を理解し、今日ガザで起きていることを位置づけるために、反ユダヤ主義と反シオニズムというテーマについて、いくつかの背景を説明したい。

反ユダヤ主義とは、ユダヤ人に対する憎悪、敵意、偏見、差別である。人種差別の一形態であり、イスラム恐怖症やアジア系、アフリカ系、ラテン系の人々に対する憎悪に似ている。

反ユダヤ主義(antisemitism)という言葉の中で「セム人」という言葉が使われると、それがセム系民族に向けられたものであるかのような誤った印象を与える。しかし、1879年にこの言葉を作ったドイツのジャーナリストで白人至上主義者のヴィルヘルム・マールは、この言葉をユダヤ人に対する憎悪を正当化するために使える科学的な響きのある言葉として考えた。それ以来、この表現はそのように使われている。

反ユダヤ偏見は、キリスト教とユダヤ教の対立に端を発し、キリスト教会はイエスを殺したのはユダヤ人だと非難した。端(はな)から、反ユダヤ主義は、個々のユダヤ人に対する憎悪や差別の表現を始め、ユダヤ人社会全体に対する暴徒、警察、軍隊による組織的なポグロムまで、さまざまな形で現れてきた。

反ユダヤ主義は、しばしば社会的・経済的危機の際に燃えあがり、ユダヤ人が社会に蔓延する問題の原因であるとしてスケープゴートにされる。

反ユダヤ的暴力と迫害の主な例としては、1096年の第一回十字軍に先立つラインラントでの虐殺、1290年のイギリスからのユダヤ人追放、1348年から1351年の黒死病の間のユダヤ人迫害、1391年のスペイン人ユダヤ人虐殺、スペインの異端審問による迫害、1492年のスペインからの追放、1648年から1657年までのウクライナでのコサックの虐殺、ロシア帝国での反ユダヤ的ポグロム、 スペインの異端審問による迫害、1492年のスペインからの追放、1648年から1657年までのウクライナにおけるコサックの虐殺、19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシア帝国における反ユダヤ人ポグロム、フランスにおけるドレフュス事件、第二次世界大戦中のナチス占領下のヨーロッパにおけるホロコーストなどがある。

反ユダヤ主義は、あらゆる形態の人種差別や差別に抵抗するのと同じ理由で、進歩的活動家が闘うべき社会の病である。

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「博士たちの中のキリスト」アルブレヒト・デューラー 1506年。 この油絵では、イエスは明るい肌と白い髪に見えるが、ラビたちは邪悪な表情をした悪魔か動物のように見える。画像は ウィキメディア・コモンズより。

シオニズムは、19世紀後半に中東欧で繰り返し起こった反ユダヤ暴力の反動としてユダヤ人の間で生まれたイデオロギーである。ユダヤ人憎悪の災いから逃れる手段として、パレスチナにユダヤ人国家を樹立し、支援することを信奉している。ユダヤ人が避難を享受できる場所の創造を推進する信条として見れば、シオニズムは異論がないように見える。しかし、シオニズムは端(はな)から、ヨーロッパの思想形態であり、他の民族主義と根本的に類似していた。シオニズムの支持者は、自分たちの国家を置く場所として選んだパレスチナの住民と土地を共有しようとは考えなかった。むしろ、シオニストはヨーロッパ社会の仲間として、中東におけるヨーロッパ支配者の同盟国としてユダヤ人国家を推進した。近代シオニズムの父であるセオドア・ヘルツルは、その代表的な著書『ユダヤ人の国家』の中で、このことを明言している。彼はこう書いている:

私たちはそこで、アジアに対抗するヨーロッパの防壁の一部を形成し、野蛮に対抗する文明の前哨基地となるべきである。中立国として、全ヨーロッパと連絡を取り続けるべきであり、ヨーロッパはわれわれの存在を保証しなければならない。


ヘルツルが宣言したあらゆる形態の植民地主義との類似性は、これ以上ないほど明確である。この簡潔な声明に、彼はシオニスト事業計画の2つの重要な特徴を凝縮している。第一に、ユダヤ国家は中東におけるヨーロッパの前哨基地であるということ、第二に、その建国と存続に必要な政治的・軍事的支援を世界の大国に依存するということである。

イスラエルを支持する人々は、この国が入植者による植民地主義の一例であると説明されると、しばしば怒りをあらわにする。しかし、ヘルツルはシオニズム運動のきっかけとなった著書の中で、彼が推進していた実行計画を「入植者」や「植民地」という言葉で表現している。ヨーロッパの植民地主義が花開いた時代にシオニズムが生まれ、ヘルツルが計画したユダヤ人国家という発想を植民地主義の他の事例から得たという事実を考えれば、これは驚くべきことではない。

シオニズムは当初、ユダヤ人の間で非常に不評であった。ユダヤ人は、シオニズムがすでに居住している国に住む自分たちの権利の正当性を損なうものだと考えたからである。1916年、イギリス政府がパレスチナにユダヤ人国家を建設することを支持するバルフォア宣言を発表したとき、ユダヤ人は圧倒的にこれを拒否した。シオニズムはその後30年間、ユダヤ人の間で嫌われ続けた。


反ユダヤ主義からの避難所として描かれたユダヤ人国家の樹立が、ユダヤ人の間で広く受け入れられるようになったのは、ホロコーストが起こってからである。それ以来、ユダヤ人の聖域を提供するユダヤ国家というロマンチックで高度に理想化された将来構想が、ユダヤ人のコミュニティや組織で推進されてきた。しかし、ユダヤ人の立場を優遇する国家の創設と維持が、すでにパレスチナに住んでいた先住民の生活に与える影響は、シオニズムの支持者たちによって組織的に無視されてきた。

しかしここ数十年、拡大し続けるイスラエルによる占領、非ユダヤ人に対する差別を制度化したアパルトヘイト政治体制、そしてこれらすべてがパレスチナ社会に与えた壊滅的な影響によって特徴づけられる現実のシオニズムの姿が人々に自覚されるようになってきている。しかし、イスラエルとその擁護者たちは、人々のこのような意識覚醒から生み出された本質的批判に対処するのではなく、そういうシオニズム批判に反ユダヤ主義の現れというレッテルを貼り、批判者を中傷することを選んだ。

パレスチナとの連帯を求める国際的なキャンペーン、とりわけボイコット(Boycott)、ダイベストメント(Divestment)(資本引き上げ)、制裁(Sanctions)(BDS)運動の高まりは、イスラエルとそのシオニスト支持者たちに大きな懸念を抱かせている。イスラエルはBDSに対抗するために政府省を設置したほどだ。ヘブライ語でプロパガンダを意味するハスバラを展開し、イスラエル国家の行動をごまかし、イスラエル批判を反ユダヤ主義の現れと烙印を押すキャンペーンを行なっている。

ここ数年、この戦略は国際ホロコースト記憶連盟(IHRA)と呼ばれる組織を通じて積極的に推進されてきた。IHRAは、イスラエル批判に圧倒的に焦点を当てた反ユダヤ主義の定義を採択した。このインチキ定義を推進する人々の目的は、BDSのような活動を反ユダヤ主義の現れとして非難させ、それに従事する人々を法的制裁の対象とすることである。この定義を最初に作成したケネス・スターンは、ガーディアン 紙に寄稿し、その見出し:「反ユダヤ主義の定義を起草したのは私だ。右翼ユダヤ人はそれを武器にしている。」

私たちの組織であるIJVCanadaが2009年に合法的で非暴力的な戦術としてBDSを受け入れたことを誇りに思う。さらにIJVは、IHRA構想に反対するため、国内外で主導的な役割を果たしている。

皮肉なことに、そして危険なことに、真の反ユダヤ主義が世界にその醜い頭をもたげている今、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相をはじめ、多くの著名なシオニストは、ドナルド・トランプやハンガリーのヴィクトール・オルバン首相のような明白な反ユダヤ主義者を受け入れている。これらの政治家たちに共通しているのは、白人至上主義的な世界観である。

イスラエルの問題は現在の右派政府に限定されない。ネタニヤフを含むウルトラ右翼の政府は、ファシストで同性愛者嫌悪者であることを自慢する財務大臣ベツァレル・スモートリヒなどが含まれている。問題は、ガザでのジェノサイド的行動を批判することに限定もできない。問題の根源は、19世紀末の初めから、シオニズムの目標がユダヤ人が数的多数派を形成する国家を確立することであり、世界中からのユダヤ人の移民を奨励し、特権を享受する社会的および政治的地位を持つことにまでさかのぼれる。

当初から、わずかな例外を除いて、シオニズムのすべての主張は、ユダヤ人国家(ユダヤ人が圧倒的多数を占め、それに付随する特権を享受する国家)の建設には、すでにパレスチナに住んでいた先住民を移住させる必要がある、というものであった。この目標をどのように達成するかについては、運動のさまざまな部分で戦術的な違いがあった。ある者はパレスチナ人に進んで出て行くよう説得し、ある者は買収し、またある者は武力によって追放することを信じた。しかし、この地域から先住民を追い出すことは、ユダヤ人国家の建設に不可欠であるという考え方は共通していた。

シオニストの間では、この目標を公の場で論じるべきではないというのが一般的な合意であったが、シオニストの指導者たちは、ユダヤ人国家の創設にはパレスチナ住民の強制移住が不可欠であるであること支持した。1937年にスイスのチューリッヒで開かれた第20回シオニスト会議では、この問題の実際的な側面を調査することを任務とする専門家からなる「移送委員会」を設置するまでに至った。

第二次世界大戦後、シオニスト指導者たちは、ユダヤ人虐殺から欧州のユダヤ人を救わなかった世界の罪悪感につけこんだ。シオニストたちはユダヤ人の苦境への同情を利用し、国際的なユダヤ国家の創設のための支援を得ることに成功した。1948年に、国連は委任統治領パレスチナの領土を分割して、55%をユダヤ人に、45%をパレスチナ人に与えることを賛成多数で可決し、イスラエル国家の設立を決定した。

シオニストの宣伝担当は、彼らの運動が合理的で受け入れやすいものであると論じている。なぜなら、彼らは国連の分割案を受け入れたが、パレスチナ人はそれを拒否したから。しかし、シオニストの指導者たちが国連の分割案を受け入れたのは純粋に戦術的なものだった。彼らは常に最終目標であるその地域全体の併合を忘れたことはない。

さらに、1948年に国連がパレスチナを分割したことは、フランスとイギリスの君主国が北米の土地をそれぞれの植民者に遺贈したことと同様に正当ではなかった。これらの事例のいずれにおいても、土地の所有権は、それらを付与する権利を持たない機関によって付与された。

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パレスチナ人が 「ナクバ」 (災害) と呼ぶ1948年のシオニスト軍によるパレスチナ人の強制退去は、長年にわたるシオニスト政策の論理的な結果と見るべきである。シオニズムの擁護者は、逃げてきたパレスチナ人は周辺のアラブ政権の避難要請に応じていたと主張しているが、歴史的記録にはそのような記載はない。パレスチナ人が逃亡する動機となったのは、ハガナとして知られるシオニスト準軍事組織とテロリストのイルガンとスターンのグループが、多数の虐殺を行うことによって彼らを恐怖に陥れて退去させたという事実であった。その結果、その後の戦争の過程で、70万人以上のパレスチナ人が家を追われ、500以上のパレスチナ人の村が物理的に破壊された。住民が後日戻ることを防ぐためだった。

言い換えれば、パレスチナにユダヤ人の多数派を作り出し、維持するために、シオニスト勢力は、他の同じような状況で「民族浄化」と表現されるような政策を追求したのである。表向きは防衛的だった1948年の戦争が終わる頃には、イスラエルが支配するパレスチナ領土の割合は、国連分割計画で定められた55%から78%に増加していた。

シオニストは、ユダヤ人に特権的地位を与えるユダヤ人国家の建設を進め、土地と人民に対する支配を強化し、残されたパレスチナ人を二流の地位に追いやった。

1967年、イスラエルはヨルダン川から地中海に至る委任統治領パレスチナ全域を支配するというシオニストの夢を実現するため、先制攻撃を仕掛け、残りの22%の領土を占領した。それ以来、イスラエルはヨルダン川西岸とガザのパレスチナ人の生活を支配する軍事占領を敷いたのである。

1970年代初頭、シオニスト過激派が占領された西岸にユダヤ人入植地を建設し、そこでのシオニストの支配を強化する取り組みが始まった。この占領拡大過程は現在も続いており、70万人以上のイスラエル人がそこでユダヤ人だけの入植地に住んでいる。

イスラエルの支配下にある自分たちの地位と、占領に関する問題や軍事支配下にある自分たちの窮状に対処することを断固として拒否するイスラエルに不満を抱いたパレスチナ人は、平和的に、あるいは武装闘争によって占領に抵抗するようになった。イスラエルはこれに対し、パレスチナ人に対する支配を強化し、ますます多くの人々を投獄し、拷問を含むより過酷な状況に追いやった。

2006年に住民がハマスに投票したガザでは、イスラエルは過去18年間続いた包括的封鎖を実施し、世界最大の屋外刑務所を作り上げた。

イスラエルの政治指導者たちは、長年にわたる彼らの発言と行動を通じて、彼らの意図が一貫していることを明らかにしてきた。すなわち、ヨルダン川から地中海までのすべての領域を支配し、維持することによって、当初のシオニストの将来構想を堅持し、パレスチナ人を二級市民として永遠の占領下で生活させることである。

イスラエルがヨルダン川から地中海にかけてパレスチナ人に課してきた支配体制は、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、アムネスティ・インターナショナル、イスラエルの人権団体B'Tselemによってアパルトヘイトと評されてきた。また、入植者植民地主義の典型的な例と評する者もいる。
昨年9月、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は国連に出席した際、パレスチナ人との和解交渉に意欲的であるという建前を消し去り、シオニストの夢の実現を描いた地域の地図、すなわちヨルダン川から地中海までの全領土を包含するイスラエルの地図を振りかざした。

10月7日、イスラエルによるガザ封鎖を解除し、ガザに住む人々の窮状を世界に訴えるために武力攻撃が行われた。世界はこのイスラエルの頑なな態度に対するパレスチナの反応を目の当たりにした。イスラエルはこれに反発し、14,000人の子どもを含む30,000人以上の市民を殺戮した。

私たちの多くは、カナダ政府の積極的な協力を得て、ガザで起きている大量虐殺の悪夢に終止符を打とうと懸命に取り組んでいる。しかし、イスラエル・パレスチナで進行中の危機を長期的に解決するためには、この虐殺を即座に終わらせることが重要であるのと同様に、問題の根源であるシオニスト・イデオロギーに基づくユダヤ人至上主義の制度化に取り組む必要がある。

IJVからのお願い:この取り組みにぜひご参加ください。
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シド・シュニアドは、2008年にイスラエル・パレスチナの平和と正義の原則に基づいて結成されたアドボカシー・グループ、Independent Jewish Voices Canadaの創設メンバー。バンクーバー在住。

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ドミトリー・トレニン: ロシアは目に見えない新たな革命を遂げつつある

<記事原文 寺島先生推薦>
Dmitry Trenin: Russia is undergoing a new, invisible revolution
ドミトリー・トレニン(高等経済学校研究教授、世界経済・国際関係研究所主任研究員)著。ロシア国際問題評議会(RIAC)のメンバーでもある。
米国主導連合は、ロシアが自国と世界における自らの位置について新たな認識を持つよう後押しした。
出典:RT 2024年4月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


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ファイル写真: ロシア・モスクワのクレムリン大宮殿で、選挙運動員との会合で演説するプーチン大統領。© Grigory Sysoev / Sputnik

ウラジーミル・プーチン大統領が2022年2月にウクライナでロシアの軍事作戦を開始したとき、彼は特定の、しかし限定的な目的を念頭に置いていた。それは本質的に、NATOに対するロシアの安全保障を保証することだった。

しかし、ロシアとウクライナの和平合意への破壊攻撃や、ロシア国内で重大な攻撃を仕掛けたりする米国主導連合の紛争への関与の激化など、ロシアの動きに対する劇的で拡大的なよく連携のとれた西側の反応は、我々のかつての友人に対する我が国の態度を根本的に変えることになった。

もはや「怒り」や「理解不能」に対する不満は聞かれなくなった。この2年間で、モスクワの外交政策は、ウクライナ介入前夜に予想されたものよりも過激で広範囲に及ぶ革命となった。この25ヶ月の間に、それは急速に強さと深みを増してきた。ロシアの国際的役割、世界における地位、目標とその達成方法、基本的な世界観、すべてが変わりつつある。

プーチン大統領が1年前に署名した国家外交構想は、これまでのものとは大きく異なる。それは、独自の文明であるという点で、この国ロシアの独自性を揺るぎないものにしている。実際、ロシアの公式文書でそんなことをするのは初めてだ。ロシア外交の優先順位も大きく変わり、ソ連崩壊後の 「近隣諸国」 がトップで、中国とインド、アジアと中東、アフリカとラテンアメリカがそれに続く。

西ヨーロッパとアメリカは、南極のすぐ上に位置する。

ロシアの 「東方転換」 が最初に発表された過去10年間とは異なり、今回は単なる言葉ではない。政治的な対話者だけでなく、貿易の相手国も入れ替わった。わずか2年で、外国貿易の48%を占めた欧州連合 (EU) は20%に減少し、アジアの占有率は26%から71%に急増した。ロシアの米ドルの使用も急落しており、中国人民元やインドルピー、UAEディルハム、ユーラシア経済連合の友好国の通貨、ルーブルなどの非西側通貨での取引がますます増えている。

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関連記事:ドミトリー・トレニン:ロシアは西側諸国に核兵器を思い出させる時だ

ロシアはまた、米国主導の世界秩序に適応するための長く退屈な努力に終止符を打った。1990年代初頭に熱狂的に受け入れ、その後の10年間で幻滅し、2010年代には共存の道を確立しようとして失敗したものだ。ロシアは冷戦後、何も言えなくなった体制に降伏する代わりに、覇権主義的な米国中心の体制にますます反発し始めた。ボリシェヴィキ革命以来、初めて、当時とはまったく異なる方法とはいえ、ロシアは事実上、革命大国となった。中国が依然として既存の世界秩序における地位を向上させようとしているのに対して、ロシアはその世界秩序を修復不可能なものと見ており、代わりに新たな代替的取り決めの準備をしようとしている。

ソ連が1986年にゴルバチョフ政権下で受け入れた 「一つの世界」 構想の代わりに、現在のロシアの外交政策は二つに分かれている。ロシアの政策立案者にとって、2022年以降の西側諸国は 「敵対者の家」 に変わった。一方、ロシアの友人は非西側諸国にしか存在しない。我々は非西側諸国のために 「世界多数派」 という新しい表現を作った。このグループに含まれる基準は単純で、米国とブリュッセル(NATO)が課した反ロシア制裁体制に参加しないことだ。100以上の国からなるこの多数派は、同盟国の烏合の衆とは考えられていない。ロシアとの関係の深さと暖かさは大きく異なるが、これらはモスクワとビジネスができる国々だ。

何十年もの間、わが国はさまざまな国際機関に際立った支援を与えてきた。今やモスクワは、安全保障理事会を含む国連(拒否権を持つ常任理事国であるロシアは、国連のことを伝統的に世界システムの中心的存在と称賛してきた)でさえ、機能不全に陥った論争の場に成り下がっていることを認めざるを得ない。欧州安全保障協力機構(OSCE)は、モスクワが長い間、欧州における主要な安全保障機関となることを望んでいたが、NATO/EUの多数派である加盟国の反ロシア的な姿勢により、現在ではほぼ完全に打ち捨てられた状態だ。モスクワは欧州評議会を脱退し、さらに北極海、バルト海、バレンツ海、黒海周辺の多くの地域グループへの参加は保留されている。

確かに、その多くは西側諸国がわが国を孤立させようとする政策の結果であったが、ロシア人は価値あるものを奪われたと感じるどころか、脱退や加盟停止を余儀なくされたことをほとんど後悔していない。国際条約に対する国内法の優位性を再確立したことで、モスクワは今や、敵対国が自国の政策や行動について何を言おうが何をしようが、ほとんど気にしていない。ロシアの立場からすれば、西側諸国はもはや信用できないだけでなく、西側諸国が支配する国際機関はすべての正当性を失っているからだ。

ロシアからの欧米主導の国際機関に対するこうした態度は、非欧米主導の国際機関に対する見方とは対照的である。今年、ロシアは最近拡大されたBRICSグループの議長国として、開催準備に精力的に取り組んでいる。ロシアはまた、盟友ベラルーシが参加しようとしている上海協力機構を最も強く支持している。アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの国々とともに、金融・貿易、基準・技術、情報、医療といった多くの分野で新しい国際体制を構築するために緊密に取り組んでいる。これらは、欧米の支配や干渉を受けないように制度設計されている。成功すれば、モスクワが推進する未来の包括的な世界秩序の要素としての役割を果たすことができる。

このように、ロシアの外交政策の変化は非常に深いところで進行している。しかし、どの程度持続可能なのかという問題はある。

とりわけ、外交政策の変化は、ロシアの経済、政治、社会、文化、価値観、精神的・知的生活において進行している、より広範な変革の重要な要素ではあるが、比較的小さな要素でもあることに留意すべきである。こうした変化の一般的な方向性と重要性は明らかだ。これらの変化は、ロシアを西欧世界の片隅にある遠い存在から、自給自足的で先駆的な存在へと変貌させようとしている。こうした地殻変動は、ウクライナ危機なしにはあり得なかっただろう。強力で痛みを伴う負担が与えられた結果、ロシアは自前の活力を手にすることができたのだ。

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関連記事:ゼレンスキーの新たな妄想:なぜこのウクライナの指導者はロシアの複数の地域の領有権を主張することにしたのか?

2022年2月自体が、約十年間勢いを増してきたいくつかの傾向の最終結果であったことは事実だ。2012年のプーチンのクレムリンへの復帰と2014年のクリミア再統一を経て、ようやく完全な主権が望ましいという感情が支配的になった。2020年に承認されたロシア憲法の改正という形で、国家の価値観とイデオロギーに関するいくつかの真に根本的な変更がなされた。

2024年3月、プーチンは大統領選挙で大勝し、新たな6年間の任期を確保した。これは、西側に対する実存的闘争 (プーチン自身がそう表現している) の最高司令官としての彼への信任投票と見るべきである。その支援があれば、大統領はさらに深い変更を進めることができる。そして、大統領がすでに行なった変更を、クレムリンの後継者によって確実に保存し、構築しなければならない。

1990年代以降、西側諸国と密接に結びついてきたロシアのエリートたちは、最近、自分の国と自分の資産の間で厳しい選択を迫られた。残留を決めた人々は、その見通しと行動において、より「愛国的」にならざるを得なかった。一方、プーチンはウクライナ戦争の帰還兵を中心に新たなエリートを形成する運動を開始した。ロシアのエリートたちの入れ替わりが予想され、利己的な個人からなる国際的な集団から、国家とその指導者に仕える特権階級の、より伝統的な同胞集団へと変貌を遂げることで、外交政策革命は完全なものとなるだろう。

最後に、過去20年間の西側の政策、すなわちロシアとその指導者を絶えず悪魔化することがなかったら、ロシアは主権の方向へこれほど早く動き出すことはできなかったかもしれない。こうした選択は、プーチン自身やドミトリー・メドベージェフをはじめとする、現代ロシアが経験した中でおそらく当初は最も西欧化し、親欧州的だった指導者たちを、反欧米を自認し、米国・EU政策の断固とした反対者に仕立て上げることに成功した。

このように、ロシアは西側の型に合わせて変化を強いられたのではなく、そういった圧力すべてがかえってロシア自己再発見の助けとなったのだ。
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アフリカにおけるサヘル諸国連合という「抵抗軸」

<記事原文 寺島メソッド翻訳グループ>
The Sahel’s ‘Axis of Resistance’
筆者:ペペ・エスコバル(Pepe Escobar)
出典:INTERNATIONALIST 360°2024年4月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月9日


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アフリカのサヘル諸国は西側の新植民地主義に反旗を翻している。外国の軍隊や基地を追い出し、代替通貨を考案し、旧来の多国籍企業に挑戦している。結局のところ、多極化は抵抗がその道を切り開くことなしには開花しないのだ。


さまざまな地理における抵抗軸の出現は、私たちを多極化世界へと導く長く曲がりくねったプロセスの、切っても切れない副産物である。覇権国(アメリカ)への抵抗と多極化の出現、この2つは絶対に相補的なものである。

アラブ諸国とイスラム諸国にまたがる西アジアの抵抗軸は、セネガルやマリ、ブルキナファソ、ニジェールからチャド、スーダン、そしてエリトリアに至るアフリカの西から東のサヘルにまたがる抵抗軸を魂の姉妹とみなしている。

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アフリカ・サヘル諸国

新植民地主義に対する政権交代が軍事クーデターと結びついたニジェールとは異なり、セネガルでは政権交代は投票によって直接もたらされる。

セネガルは3月24日の総選挙でバシル・ジョマイ・ファイ (44) が圧勝し、新時代に突入した。2週間の刑期を終えたばかりの元税務調査官のファイは、フランスの傀儡である現職のマッキー・サルの下で 「アフリカで最も安定した民主主義」をひっくり返すために、劣勢な汎アフリカの指導者という人物像で登場した。

セネガルの次期大統領(バシル・ジョマイ・ファイ)は、ブルキナファソのイブラヒム・トラオレ(36歳)、エチオピアのアビー・アーメド(46歳)、マダガスカルのアンドリー・ラジョエリナ(48歳)、そして南アフリカの未来のスーパースター、ジュリアス・マレマ(44歳)とともに、主権を重視する新しい若い汎アフリカ世代の一員となった。ファイは選挙マニフェストの中で、セネガルの主権を取り戻すことを18回以上公約した。

こうした布陣の鍵を握るのが地質経済学だ。セネガルが実質的な石油・ガス産出国になるにつれ、ファイは、ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)や英国の金鉱運営会社エンデバー・マイニングとの最大の契約を含む、鉱業・エネルギー契約の再交渉を目指すだろう。

重要なのは、彼がフランスの支配下にある通貨システムであるCFAフラン(14のアフリカ諸国で使われている)をやめるつもりであり、さらに、新しい通貨を創設することすら考えている点である。これは、新植民地主義的な強国であるフランスとの関係を再構築する一環だ。ファイは、習近平同志に倣い、「ウィンウィン」の友好関係を望んでいる。

サヘル諸国連合の参入

ファイは、フランス軍をセネガルから追い出すつもりがあるかどうかについては、まだ明らかにしていない。もしそうなれば、パリへの打撃は前例のないものとなるだろう。四面楚歌の小皇帝エマニュエル・マクロンとフランスの支配層は、内陸のニジェール、マリ、ブルキナファソを封鎖する上でセネガルが重要な役割を果たすと考えている。これらの国々はすでにパリを(サヘルの)塵の中に置き去りにしている。

サヘル諸国連合(Alliance des Etats du Sahelの頭文字からAES)を結成したばかりの後者の3カ国(ニジェール、マリ、ブルキナファソ)は、連続的な屈辱を味わったパリにとっての悪夢であるだけでなく、ワシントンとナイジェリアの首都ニアメとの軍事協力の壮絶な断絶に象徴されるように、アメリカの頭痛の種でもある。

アメリカのディープ・ステート(闇の国家)によれば、犯人はもちろんロシアのプーチン大統領である。

アメリカ政界の誰ひとり、昨年以来、サヘル地域からエジプトやエチオピアなどの新興アフリカBRICSメンバーまで含め、ロシアとアフリカが活発な外交を展開していたことに十分な注意を払ってきていないのは明白だ。

ニジェールをサヘル地域の強力な同盟国とみなしていたのは昔の話。米政府は現在、軍事協力協定が破棄された後、ニジェールから米軍を撤退させるカレンダーの日付を提示せざるを得なくなっている。国防総省はもはやニジェール領内での軍事訓練に関与できない。

国防総省が1億5000万ドル以上を投じて建設した、アガデスとニアメという2つの重要な基地がある。ニアメは2019年に完成したばかりで、米軍のアフリカ司令部(AFRICOM)が管理している。

作戦目的は、予想どおり謎に包まれている。ニアメの基地は基本的に情報センターであり、MQ-9リーパー無人偵察機が収集したデータを処理している。米空軍もディルクー飛行場をサヘルでの作戦基地として使用している。

そこで話は俄然面白くなってくる。ディルクー飛行場に実質的なCIAのドローン基地が存在し、数名の作戦要員が常駐しているなどということを(アメリカは)認めてすらいないのだから。この秘密基地は、中央アフリカ全域西から北まで、情報収集ができる。元CIA長官マイク・ポンペオの「嘘をつき、だまし取り、盗みを働く」のもうひとつの典型的な例だ。

ニジェールにはおよそ1,000人の米軍が駐留している。アメリカは出血を止めようとあらゆる手を尽くしている。今月、モリー・フィー米国務次官(アフリカ担当)がニジェールを2度訪れたばかりだ。ニジェールの基地を失うことは、ワシントンがパリに続いてサヘルの支配権を失うことを意味する。ニジェールはロシアとイランにますます接近しているのだ。

これらの基地は、バブ・アル・マンデブ上空を監視するためになくてはならないものというわけではない。この基地の存在価値は、サヘルのすべてが対象であり、無人偵察機をそのやれるところまで活用し、あらゆる主権領空を侵害することにあるからだ。

ちなみに、1月にはニアメからの大規模な代表団がモスクワを訪問した。そして先週、プーチン大統領はマリのアシミ・ゴイタ暫定大統領、ニジェールのアブドゥラマン・チアーニ軍事政権大統領との電話会談で安全保障協力について話し合った後、コンゴ共和国のデニス・グェッソ大統領と会談した。

コートジボワール(象牙海岸):帝国の折り返し地点

親欧米の傀儡政権はアフリカ大陸全域で急速に減少している。サヘル諸国連合(マリ、ブルキナファソ、ニジェール)はアフリカの抵抗軸の前衛かもしれないが、それ以外にもBRICSの正式メンバーである南アフリカ、エチオピア、エジプトがいる。

ロシアは外交的に、中国は商業的に、さらにはロシアと中国の戦略的パートナーシップの全重量をかけて、アフリカ全体を大事な多極的プレーヤーと見ている。先月モスクワで開催された多極的会議でも、再度追加の証拠が出てきた。この会議でカリスマ的な汎アフリカの指導者であるベナン出身のケミ・セバがスーパースターの一人となったのだ。

汎ユーラシアの外交界では、パリの小皇帝(マクロン)の最近のヒステリックな行動について冗談を言うことがまかり通っている。フランスがサヘル地域で受けた決定的な屈辱が、フランス軍隊をウクライナに送る(記録的な速さでロシアによってタルタル・ステーキにされるだろう)というマクロンの大見えを切った脅しと、アルメニアで現在進行しているロシア嫌悪的愚挙をマクロンが熱心に支持していることにつながっているのだろう。

歴史的に、アフリカ人はかつてのソビエト連邦は天然資源を吸い上げる際はるかに柔軟であり、支援的であるとさえ考えていた。その善意は現在、中国に受け継がれている。

地域統合の舞台として、サヘル諸国連合はゲームチェンジャーになるために必要なすべてを備えている。ファイの率いるセネガルがいずれ加盟するだろう。が、ギニアは同盟に信頼できる海上アクセスを提供する地理的能力をすでに備えているのだ。そうなれば、西側諸国が支配し、ナイジェリアを拠点とするECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)は徐々に消滅していくだろう。

ただ、覇権国(アメリカ)の強大な触手を決して無視してはならない。ペンタゴンの主計画に、アフリカをロシア・中国・イランという多極圏に委ねることは入っていない。サヘル地域の抵抗軸において、もはや誰も米国の「テロ脅威」カードを信じていない。2011年までアフリカには実質的にテロはなかった。この年にNATOはリビアを荒廃させ、その後アフリカ全土に軍隊を送り込み、軍事基地を建設したのだ。

これまでのところ、サヘル諸国同盟は主権優先の情報戦争に勝利している。しかし、帝国(アメリカ)が反撃するのは間違いない。結局のところ、すべてのゲームは、ロシアがサヘルと中央アフリカを支配するというアメリカ政界の突拍子もない妄想に結びついているからだ。

コートジボワール(象牙海岸)の参入。セネガルがサヘル諸国連合に歩み寄ろうとしているからだ。

コートジボワールは、例えばチャドよりもワシントンにとって戦略的に重要である。なぜなら、コートジボワールの領土はサヘル同盟に非常に近いからだ。それでも、チャドはすでに外交政策を再調整しており、もはや西側の支配下にはなく、モスクワに近づくことに新たな重点を置いている。

帝国(アメリカ)の前途は? サヘル同盟を牽制するために、コートジボワールのフランス軍基地でパリと共有する米国の「対テロ」無人偵察機ということになるのかもしれない。西アフリカで干からびたクロワッサンのパン屑すら受け取れない覇権国(アメリカ)を抱いている卑屈な「ガリアの雄鶏」(フランスのシンボル)とでも言っておこう。
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シオニズムは、そのイデオロギーも運動もファシズムだ

<記事原文 寺島先生推薦>
Zionism as a Fascist Ideology and Movement
筆者:L.アルデイ(Allday)とS.アル‐サレ(Al-Saleh)
出典:INTERNATIONALIST 360°


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アル‐アクサ門でパレスチナ人女性を殴打し逮捕するイスラエル警察


ファリス・ヤフヤ・グラブ(Faris Yahya Glub)著『シオニストとナチス・ドイツの関係』

弱者は崩れ去り、殺戮され、歴史から抹消される一方で、強者は・・・生き残る。
- ベンヤミン・ネタニヤフ 1
(訳注:1~63までの番号は以下のサイトで説明を確認できます)
https://liberatedtexts.com/reviews/zionism-as-a-fascist-ideology-zionist-relations-with-nazi-germany-by-faris-glubb/

我々が目にしたのは・・・シオニズムはファシズムだということ・・・まちがいない。
ジョージ・ハバシュ( George Habash)2


『シオニストとナチス・ドイツの関係』は、1978年にパレスチナ研究センター3によって出版された。ベイルートがシオニスト軍の占領中に略奪され、後に爆撃されたわずか4年前だった。この研究は、主要メディアでは抑圧されてほとんどタブーとなっているテーマを扱っている。4

この簡潔で強力な本が出版されてから40年以上が経過し、ほとんど注目されず、引用されず、知られることはなかった。しかし、この本は必読書だ。なぜなら、それはシオニズムと欧州ファシズムとの関係について重要な歴史的文脈を提供しているからだ。その歴史的文脈は、欧州ファシスト勢力と協調したときから今日に至るまでシオニズムがまぎれもなくファシスト的性格をもったイデオロギーと運動であることを明らかにしているからだ。そして75年以上まえに始まったパレスチナ人に対するジェノサイドは今も進行中だ。したがって、『シオニストとナチス・ドイツとの関係』は、2つの関連する方法で読むことができる:1)ユダヤ人シオニズム運動の抑圧された歴史に関する歴史的証拠として、そして2)シオニズムに対するイデオロギー闘争を戦う研究書として。シオニズムはレイシズム(人種差別主義)であり、すべてのユダヤ人の救済運動だというのは自己詐称にすぎない。

この本の表紙には著者はファリス・ヤフヤと記されているが、中に貼り付けられた別紙によると、それはファリス・グラブのペンネームだ。彼は興味深いがあまり知られていない革命的人物で、彼の生涯も業績も人々の目に触れることはなかった。

ファリス・グラブの略歴

1939年にエルサレムでゴドフリー・グラブとして生まれたファリスは、ジョン・バゴット・グラブ (グラブ・パシャとしてよく知られている) とムリアル・ローズマリー・フォーブスの息子だった。彼の父親は、著名な英国の軍人であり、アラブ軍団の司令官を務め、1939年から1956年5に解任されるまでトランスヨルダンの英国保護領 (1946年以降はヨルダン王国) の軍人だった。福音派のキリスト教徒であり、大英帝国の献身的な奉仕者であるグラブ・シニアは、エルサレムの十字軍王国の最初の支配者であるブイヨンのゴドフリーにちなんで息子を名付けた。しかし、彼の人生は、彼の父親や彼につけられた名前とは全く異なる軌道をたどることになった。ファリス・グラブの人生はパレスチナの大義と反帝国主義の闘争に捧げられた。

グラブの多面的な人生についての完全な経歴はこの書評の範囲を超えるが、イギリス帝国内で育ったにもかかわらず、彼がいかにしてパレスチナの大義に関わりをもつようになったかについてのある程度の知識は、この本の文脈と著者の動機を十分に理解するために必要である。パレスチナで生まれ、ヨルダンで育ち、生まれたときからアラビア語にどっぷりと浸かったゴドフリーは、若い頃からファリスという名で知られるようになった。アラビア語で騎士を意味するこの名前は、父親が長年にわたって緊密に協力していたトランスヨルダン首長アブドラ1世から与えられたものである6。主にアラブ軍団のベドウィン部隊に囲まれた軍国主義的な環境で育ったグラブは、「シャマフ付きの」軍服の特製レプリカを着用している父親の仲間たちとよく交わっていた7

1947年から48年にかけての少年時代、グラブはシオニストによるパレスチナ民族浄化(ナクバ)の影響を目の当たりにした。シオニスト民兵によって追放された難民が、彼の家にパレスチナ人の孤児を置き去りにした。そのうちの2人はグラブの両親の養子となり、彼の兄弟として育てられた。グラブの息子であるマーク・グラブは、ナクバが人間に与えた壊滅的な影響をこのように直接目撃したことが、グラブのパレスチナ問題への深い思い入れと生涯にわたる関与に火をつけたと考えている8

英語と同様にアラビア語にも堪能だったグラブは9、イギリスの寄宿学校に入れられたとき、適応するのに苦労し、ウェリントン・カレッジからロンドンのヨルダン軍代表部に逃げ込んだ。1951年に彼がイギリスに到着したことは、地元の新聞でも取り上げられた。ロンドンの挿絵入り新聞スフィアには、「アラブ軍団司令官の息子がロンドンに到着」という見出しで、「ロンドン空港で飛行機を降りるとき、アラブの頭飾りをつけた」若きグラブの姿が描かれている10。彼は18歳でイスラム教に改宗したが、息子のマークによれば、カイロのアル・アズハル・モスクで正式に改宗するずっと前から、グラブはイスラム教徒だと感じていたという。11オックスフォード大学のエクセター・カレッジに入学したが、中退した後12、グラブはロンドンの東洋アフリカ研究学院で学び、そこで親パレスチナ派の組織活動に関わるようになった13

学業を終えたグラブはロンドンに残り、政治的な執筆活動や組織作りに積極的に取り組み続けた。1966年までに、彼は「植民地自由のための運動」(Movement for Colonial Freedom)の幹事となった。この運動は、党の多数派やその指導部とは異なり、イギリスの植民地の独立を支持する労働党の議員たちによって1954年に設立された著名な反帝国主義擁護団体である14。彼はオマーン権利委員会の事務局長となり、ニューヨークの国連総会を含め、湾岸におけるイギリス帝国主義の暴力に対して公然と発言した。イギリス政府高官たちはこのことに驚愕した。グラブ・パシャの息子がこのような立場に立つことに当惑したのだ。15。実際、グラブの活動がイギリス国家にとって重大な関心事であったことは外務省のファイルから明らかであり、1965年の国連総会での質問でグラブは、彼の属する委員会が英国当局から嫌がらせを受けており、その郵便物が開封された証拠を持っていると主張した。

グラブは委員会の機関紙である『自由オマーン』を数年にわたって編集し、断固たる反帝国主義的で革命的な立場を取り、その中で国内外の抑圧との関連性を指摘した。当時の彼の活動は重要であり、比較的知られていたにもかかわらず、グラブは無視された。たまに公に言及されることはあっても、だいたいはまともにとりあげられず、見下すような論調だった。西洋の帝国主義的な流れに抗う者がしばしば辿る運命だった。1963年の記事で、グラブと彼が属する委員会について嘲笑的なプロフィールを書いたガーディアンは、『自由オマーン』を、エジプト大統領ナセルを支持する「エジプトの宣伝紙」として一蹴し、グラブの「個人的な誠実さ」は疑われないものの、「青白く、痩せこけた、わずかに髭をたくわえた若者」と彼を見下し、「明白な誠実さでその理念を擁護しているものの、オマーンには一度も行ったことがない」とこき下ろした。16

オマーンと湾岸諸国への関心に加え、グラブはパレスチナ連帯サークルでも活動していた。1966年5月、英国・アイルランド・アラブ学生連合がロンドンで開催したパレスチナ・デー会議で、彼は熱弁をふるった。同委員会の委員長から「中東全域でよく知られ、愛されている人物・・・11年間にわたってアラブ解放運動に奉仕してきた人物」と紹介されたグラブは、パレスチナを反帝国主義の枠組みの中に明確に位置づけ、パレスチナを孤立したものとして捉えるのではなく、「アラブ世界と、人類にとって最も危険な敵であるアメリカ帝国主義に率いられた帝国主義に対抗する全人類の、より広い文脈における反帝国主義闘争の一部」として捉えるべきだと主張した。17グラブはまた、ヨーロッパ諸国がヨーロッパでユダヤ人に加えた「野蛮な扱い」を嘆き、「アラブ人はヨーロッパの野蛮主義が犯した犯罪の責任を負っておらず、犠牲者への補償は・・・アラブ人ではなくヨーロッパ諸国自身が行うべきである」ことも力をこめて明言した18

1967年6月の六日間戦争(アラビア語ではナクサ)の後、グラブはロンドンを去った。しばらく教育と放送に携わっていたチュニジアも離れ、幼少期からの故郷であるヨルダンに戻った。19 翌年の『デトロイト・ユダヤ・ニュース(The Detroit Jewish News)』 紙に掲載されたグラブへの辛辣な人物紹介に、次のような彼の説明を引用している:「アラブ人とイスラエル人の6月戦争は私に大きな影響を与えました。私は常にアラブ人を同胞だと感じていました。イスラエルの爆撃で黒焦げになったヨルダンや、アレンビー橋に押し寄せる難民の写真を見たとき、私の居場所はここにあると思ったのです!」20同年末の右翼タブロイド紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド(The News of the World)』でも、グラブはアンマンのラジオで「広告塔」となり、「アラブ人よりもアラブ人らしい」と、同様に失礼な報道がなされた。21 実際には、ヨルダンに戻っていたグラブはジャーナリストとしての仕事に加え、パレスチナ難民のための学校で教鞭をとり、ヨルダンを拠点に急成長していたパレスチナ革命運動とのつながりを強めていた。1970年の「黒い9月」の後、西側帝国主義と協力したヨルダン国家による軍事的敗北の後、PLOをはじめとするパレスチナ人グループはレバノンに向かうことを余儀なくされたが、グラブは彼らとともにベイルートに向かった。

レバノンの首都(ベイルート)で、グラブは闘争に身を投じた。欧米の新聞社向けにジャーナリストとしての仕事を続け、しばしばマイケル・オサリバンというペンネームで執筆した。ジャーナリズムだけでなく、レバノンに亡命したパレスチナ人派閥のいくつかと親密な関係を築き、援助活動家、作家、編集者、翻訳者、通訳、国際代表団の出迎え役、そしてアラビア語で書かれたいくつかの証言によれば、戦闘員としても活動した。実際、ある元同志は、ファリスが複数の派閥で軍事的に活動していたことを回想し、指揮官の一人が冗談半分で「我々はいつも彼(ファリス)を最も危険な状況に送り込んだが、彼は無事に戻ってきた。我々はイギリス人の殉教者を必要としていたのに!」22元同志の別の回想によると、グラブの名字はアブ・アル=フィダであり、彼は新しい幹部のために革命的な治安訓練を行い、多くの任務に参加していた。

この数年の間に、グラブはPLOのパレスチナ研究センターと緊密な関係を築き、ここで取り上げているテキストを出版した。この作品に加えて、グラブはこの時期に『国際法におけるパレスチナ問題(The Palestine Question in International Law)』(1970) や『シオニズムは人種差別か?(Zionism,is it Racist?)』(1975)など多くの作品を発表している。彼はまた、『サダト:ファシズムからシオニズムへ(Sadat:From Fascism to Zionism)』 (1979) や、パレスチナ人作家の短編集である『パレスチナの空の星々(Stars in the Sky of Palestine )』 (1978) を含む多くの作品を翻訳し、寄稿した。

グラブは、自らを単なる支持者や大義への同調者とは考えておらず、実際、自らをパレスチナ人だと考えていたことがわかる。内戦中、あるジャーナリストから、英国人でありながらなぜベイルートとパレスチナ人を守るために戦っているのかと尋ねられたグラブは、「私はパレスチナ人であり、パレスチナの首都エルサレムで生まれました。私のルーツはアイルランドにもさかのぼるが、私の血と肉はパレスチナ人です」23。このことは、この時期のグラブの友人アドナン・アル=グールも認めており、彼は自分がエルサレム出身のパレスチナ人であると常に感じており、それ以外の方法で名乗ることを拒否し、(パレスチナの)大義に心から献身していたと述べている24。また、別の元同志ハッサン・アル=バトルの言葉を借りれば、グラブは「生まれも所属も、まさにパレスチナ人」25であった。

シオニズムとのイデオロギー闘争

パレスチナ問題への深い親近感を持ちながら、グラブは、パレスチナの闘いを支援し、それに立ち向かうイデオロギー的な闘いに関わる研究と執筆を行なった。その中で、彼は『シオニストとナチス・ドイツの関係』という著作を執筆した。この著作は、ナチス・ドイツとシオニスト運動の協力関係に関する歴史的記録が、シオニスト運動によってぼかされ、抑えられている時点で書かれた。これは「シオニスト運動がプロパガンダ技術でどれほど成功しているか」26を指摘している。この著作から25年後、2人のイスラエルのシオニスト著者が、自らの記事『パレスチナの公的な論議におけるホロコーストの認識』27において、グラブの『シオニストとナチス・ドイツの関係』を取り上げ、彼の主張を単なる申し立てとして扱い、パレスチナ人や彼らの支持者を反ユダヤ主義者でホロコースト否認論者と描写した。彼らの立場は、パレスチナ民族解放運動関係者がシオニズムの歴史的現実を明らかにし、説明しようとすると、日常的に偏見と反ユダヤ主義だとの非難にさらされることを物語っている。グラブは、歴史的知識の抑圧を含むこの戦術が、ナチとシオニストの協力の歴史、あるいは彼が別の言葉で言うところのナチとシオニストの「便宜的同盟」に対する「広範な国民の無知」をもたらしたことをよく知っていた。 28「シオニストたちは、非シオニスト、あるいは反シオニストの視点はすべて「反ユダヤ主義」と決めつける傾向がある」ことを指摘し、そのような非難を先取りする明確な試みとして、グラブは「ユダヤ人資料のみから取られた」資料を研究に用いることを選択した29 。グラブが研究を書いてから数十年の間に、レニ・ブレンナーやジョセフ・マサドをはじめとして、ナチとシオニストの関係についてさらなる歴史的研究が書かれたが、一般的には、この関係は一般大衆の知識や意識の片隅にとどまっているにすぎない。

グルブは第1章で、 「シオニズムと反ユダヤ主義の間の哲学的共通点」 、すなわち、ユダヤ人は非ユダヤ社会に同化できず、排他的な人種集団を構成するという共通の前提を確立することに専念している30。シオニズムと反ユダヤ主義の間のこの哲学的共通点は、シオニズム運動が当初からヨーロッパの人種差別勢力と公然と協力し、支持を求めていたことから、歴史の中で具体的に展開された。グルブにとって、このことはシオニズムの基礎テキストの一つである『ユダヤ人国家』 (1896) に示されており、著者のテオドール・ヘルツルは 「反ユダヤ主義に苦しめられているすべての国の政府は、我々が望む主権を得るために我々を支援することに強い関心を持つだろう」と宣言している31

ヘルツルの外交目標は、シオニスト運動への支持を得ることだった。それに関してグラブは、ロシア帝国からイギリスに至るまで、ヨーロッパ各地の主要な反ユダヤ主義者たちにヘルツルがどう訴えたかを書いている。ロシアにおいて、「ユダヤ人をヨーロッパから排除するシオニスト計画を支持した」ヴェンツェル・フォン・プレーヴェなどの反セム主義的政治家たちに訴えた。しかし、「シオニズムの将来の成功のためにヘルツルが築いた最も重要な基盤は、イギリスの反ユダヤ主義者だった」。イギリスでは、彼は右翼のイギリスの取り組みを支持し、ユダヤ人の移民を国に入れないことを薦めた。グラブは反シオニストのユダヤ人思想家モーシェ・メニュヒンから引用している。「ヨーロッパを支配する悪党や反動主義者たちの中で、ヘルツルがひとつ好ましい約束をした:シオニズムはユダヤ人の間にあるあらゆる革命的、社会主義的要素を解消するだろう」32。シオニズムは、反動的な政治思想として始まり、発展し、ヨーロッパの支配階級と手を結び、その利益を確保する政治思想だった。

1904年にヘルツルが死んだ後、彼の努力はチャイム・ワイズマンに引き継がれた。彼のシオニスト運動への取り組みも、政治的イデオロギーに基づいていた。そのイデオロギーは帝国主義であり、反ユダヤ主義だった。帝国主義の点では、シオニスト国家、つまり初代イギリスのエルサレム総督が「潜在的に敵対的なアラブ主義の海における少数の忠実なユダヤ人アルスター(北アイルランド)」と述べたものの設置は、イギリス政府高官たちによって自分たちの帝国がその地域を支配する手段と見なされていた。そして反ユダヤ主義の点では、それは「ヨーロッパからユダヤ人を追い出す便利な方法だった」。331917年のバルフォア宣言は、パレスチナにシオニスト国家を設立するというイギリスの約束を確固たるものにし、「それ故に、それを発行した右派政治家たちの帝国主義的な野望と反ユダヤ主義的な偏見の組み合わせによって動機づけされたものだった」。34グラブの出版元であるパレスチナ研究センターの創設者フェイエズ・セイエグが1965年に書いたように、イギリス帝国主義とシオニスト植民地主義との連携は「便宜上の必要と相互の必要性」の連携だった。

シオニスト―ナチ関係の歴史的事実

シオニズムと反ユダヤ主義の間の哲学的、歴史的なつながりをはっきりさせることで、グルブはシオニズム運動とナチス・ドイツの関係を具体的に探求するための本の舞台を設定している。その後、1930年から1940年にかけてのシオニズムとナチス・ドイツとの関係を考察し、1950年から1970年までの歴史を消去しようとするシオニズムの存在を分析する。シオニズムの歴史的発展の抑圧は、イスラエルをナチズムへのアンチテーゼを代表する進歩的な反ファシズム事業計画として再ブランド化するための広範な運動の一部であった。しかし、これへの反論として、『シオニストとナチス・ドイツとの関係』は、シオニズムとファシズムとの協力が偶然の一時的なものではなく、その基盤の一部であったことを示唆している。

「シオニズムとナチズムの共通点」の章でグラブは、シオニズム運動がナチズムと同様に、ユダヤ人をヨーロッパ社会に同化させることはできないという考え方、すなわち異化を受け入れていたことを示している。アドルフ・アイヒマンのような確信犯的なナチスが、ナチスのイデオロギーに専心しながら、シオニストと友好的な関係を築き、自らを親シオニストと称することができたのは、このような異化の理念の共有があったからである」35。1935年、SSの諜報部員がナチス党の新聞に書いたように、「(ナチス)政府は、・・・シオニズム(そして)それに完全に同意している・・・すべての同化主義的な考えは拒絶する」。36ナチスがドイツを占領する以前にも、ナチスは1932年にブレスラウ(現在のヴロツワフ)を行進し、ユダヤ人を恐怖に陥れ、「ユダヤ人はパレスチナへ帰れ」と叫んだと報告されている37。グルブから見て、1930年代にシオニズムが勢力を伸ばしたのは、反動勢力と進歩勢力との間のより広範な政治的闘争があったからだ:「シオニズムは、ヒトラーの台頭がドイツ・ユダヤ人のイデオロギー的指導権をめぐる主要なライバルを粉砕することにつながったという事実から、確かに恩恵を受けた」38。ヒトラーが権力を掌握したわずか数ヵ月後、ドイツのシオニスト連盟のトップは、「今日、ドイツのユダヤ人をシオニズムの思想に引き入れるまたとない機会が存在する」39と宣言した。

グラブの研究の次の章では、1930年代に*ハアヴァラ協定を通じて、シオニスト運動とナチス・ドイツとの間に経済関係が確立されたことが取り上げられている。この協定により、ナチスはドイツのユダヤ人が資本をパレスチナに移すことを許可し、結果として、グラブによれば、総額1億4000万マルク相当(2021年時点で約13 億ドル)の移転が行われた。これらの合意は、パレスチナの植民地化を促進し、同時に、ナチス政権によるユダヤ系企業へのボイコットに対する世界的な対応を弱体化させた。「世界中のユダヤ人は、ドイツ製品へのボイコットで返答することによって、自らを迫害される同胞たちとの連帯を示し、おそらくはナチス政権に迫害の緩和を求める圧力をかけることができると希望した。が、シオニストたちがハアヴァラ協定に署名することで、この希望は事実上失敗に終わった」40
*ハアヴァラ協定・・・1933年8月25日にナチス・ドイツとシオニスト・ドイツ系ユダヤ人の間で締結された協定である。この協定は、シオニスト・ドイツ連邦、アングロ・パレスチナ銀行、ナチス・ドイツの経済当局による3か月の協議を経て完成した。(ウィキペディア)

ドイツ・シオニスト連盟は、ナチス政権との経済関係を確立することによって、反ナチス・ボイコットを打ち破っただけでなく、「「今日頻繁に行われているようなドイツのボイコットを求めるプロパガンダは、本質的には完全に非シオニストである」とナチス高官を安心させた」。この関係を通じて、ナチスは二つの目的を達成することができた。第一に、反ファシスト・ボイコットがドイツ経済に及ぼす影響を弱めること、第二に、「(ドイツ)帝国からパレスチナへのユダヤ人の出国を促進する」ことである。41

ハアヴァラ協定は「ニュルンベルク法が成立した2年後の1937年に記録的な水準に達した」。グラブの目から見て、これはシオニストの台頭と反ユダヤ主義者の猛攻と相関関係を示している:「皮肉なことに、ヒトラーが権力を握って以来、シオニスト運動が獲得してきた特権は、ニュルンベルク法によって実際に増大し、その一方でドイツ系ユダヤ人の立場は悪化の一途をたどった」42。結局、これらの協定は、「シオニストの政治的野心のためにヨーロッパのユダヤ人大衆の利益を犠牲にするという・・・不幸な前例」を作ったのである43

『シオニストとナチス・ドイツとの関係』の特徴は、シオニスト運動がいかに大多数のユダヤ人を犠牲にしてナチス政権に協力したかに焦点を当てていることである。グラブは、シオニスト運動はナチズムと闘うために資源を投入するのではなく、いかなる人的犠牲を払ってでもパレスチナにおける植民地入植計画を促進することに力を注いだと主張する。このことを証明するために、グラブは、モサドの副長官になる前に、1930年代のパレスチナにおける不法入植をテーマにした本を共同執筆したデイヴィッド・キムチェの研究を引用している44。当時、ナチス党はシオニスト運動を支援し、パレスチナにおけるシオニストの植民地入植とドイツからのユダヤ人移住を準備するために、「ユダヤ人開拓者」のための特別な農業訓練学校を設立した45。これらの取り組みは、ユダヤ人共同体連合の公式代表であるシオニストの使節たちによって行なわれた。彼らはナチ党親衛隊(SS)やゲシュタポと関係を築いた。グラブは、キムチェを引用しつつ、あるシオニストの使節がナチの上級幹部アドルフ・アイヒマンから農場や農業機械の支援を受けたことまで記述している。46実際、キムチェは「1938年末までに、これらのナチ提供のキャンプで約千人の若いユダヤ人が訓練を受けていた」と述べている。ここで注目すべきは、共同体連合はパレスチナのキブツ(集団農場)の設立と強化のために活動を行ない、これらの集落は「準軍事的な性格」を持っていたというグラブの指摘だ。47

さらに、グラブは、パレスチナの修正主義者イルグン民兵のシオニスト指導部も、ポーランドの反ユダヤ主義的な政権と「訓練キャンプなどの協力協定」を結んでヨーロッパのファシスト勢力と協力したと主張する。48グラブは、シオニスト運動のこのような取り組みが単なる手段であるとは示唆していない。代わりに、彼は次のように書いている:

反ユダヤ主義と、それを必要とする「推進力」として利用しようとするシオニストの便宜的同盟という二つの現象を完全に切り離すことはできない。対決であれ協力であれ、密接な接触の関係にある2つの政治勢力では必然的に起こるように、彼らは相互依存的に反応した。



この時期、反ユダヤ主義とファシズムがシオニズムに影響を与えたとすれば、そのファシズム的性格は、ヨーロッパにおけるユダヤ人の抵抗に対して見せた行動様式ほど荒涼としたものはない。第5章「ゲットーの反乱」で、グラブは反ファシズムのユダヤ人抵抗を称える。彼は、ユダヤ人捕虜がナチスの大量虐殺計画を知った最初の場所の一つであるヴィルノ・ゲットーに注目する。彼らは「ナチスに対する破壊活動を行なったが・・・大衆蜂起の望みは実現しなかった」。その一因は、修正シオニストで、ゲットーの警察隊長であり、ヴィルノのユダヤ人レジスタンスを弾圧し、弱体化させる中心的役割を果たしたヤコブ・ゲンスにある。ナチスの命令で、彼は脅迫しながらレジスタンスの共産主義者リーダー、イツィク・ウィテンベルクにナチスに寝返るよう強要した。ナチズムに直面したシオニズムが戦闘的抵抗に反対したことについて、グラブはこう付け加えた:「歴史には、ヨーロッパのナチズムに対するシオニスト運動の反乱宣言は記録されていない」49

グラブは、ファシズムに抵抗して命を捧げたヴィテンベルクのような人物に敬意を表している。彼は「ユダヤ人の抵抗を打ち砕くためのナチスの取り組みにシオニストの指導部が手を貸したにもかかわらず、反人種差別主義者のユダヤ人たちは、身を守るための手段を自分たちで精一杯工夫していた」50と書いている。ナチズムに対するユダヤ人の抵抗をこんな風に思い返していることは、グラブの研究において非常に強力な側面となっている。なぜなら、彼の研究はヨーロッパのファシズムの多くの犠牲者を賞賛しているからだ。彼らの歴史と記憶を、シオニストたちは植民地主義ファシズムの支持のために厚かましくも利用しようとしている。

シオニスト運動とファシズムとの関係は、多くの懐疑論と論争の対象となっている。グルブ自身もその事実を知っていたので、彼は次のような疑問を提起せざるを得なかったのだろう。「ナチズムと様々な形で協力した多くのシオニスト指導者たちは、個人として、あるいはシオニスト政策を実行する役人として行動していたのだろうか?」この疑問に対して、グルブは、「シオニストの伝統的政策を破り、ナチスに対する反乱に参加した個々のシオニスト」はいたが、そのような反乱には 「国際レベルでのシオニスト運動の協力」51 はなかったと答えている。彼は次のように書いている:

シオニズム運動の上層部、特に将来のイスラエル政府となる安全な隠れ場所で戦争を傍観していたユダヤ機関 [訳註:イスラエルと世界中のユダヤ人コミュニティとを結び付けることを目的とした団体_英辞郎] の指導者たちに意見の分裂はなかった。これらの指導者からナチズムに対する反乱の号令はかからなかったし、例えば、必死に武器を必要としていたゲットーの戦士たちに武器を密輸しようと試みたという記録もない。



『シオニストとナチス・ドイツの関係』は、シオニスト運動はユダヤ民族の絶滅を認識していなかったという主張の謎解きをする。さらに、シオニスト運動にはナチスの絶滅に直面するユダヤ人を助けるための十分な手立てがなかったという主張にも反論している。グラブが指摘するように、シオニスト運動の「唯一の関心事は、パレスチナに国家を確実に創設すること」であった52

このような歴史的な議論を実証するために、グラブは著名なシオニストの指導者イツァーク・グリーンバウムについて書いている。彼は第二次世界大戦中、ヨーロッパのユダヤ人を救うための救済委員会の責任者に任命された。グリーンバウムは後にイスラエルの初代内務大臣となった。ホロコーストの最中、彼はこう宣言した:

ヨーロッパにおけるユダヤ人大量虐殺の救出か、(パレスチナで)土地の解放かの2つの案が私たちに持ちかけられた際、私は迷いなく土地の解放に、疑いなく投票する。私たちの民の虐殺について言及が多くなればなるほど、私たちの土地のヘブライ化を強化し促進する取り組みが最小化される。もし今日、ナチス支配下の飢えるユダヤ人のために食糧パッケージを(リスボン経由で送るために)ケレン・ハエソッド(連合ユダヤ人アピール)の資金で購入する可能性があれば、私たちはそのようなことをするだろうか? 否! 繰り返す、否!だ。53

ヨーロッパのユダヤ人を助けるためにユダヤ機関の資金を送るよう要求することは、グリーンバウムにとって、事実上「反シオニスト的行為」であった54。このような大量虐殺肯定感情は、チャイム・ワイツマンのホロコーストに関する議論にも同様に見られ、彼はヨーロッパのユダヤ人を「残酷な世界の塵、経済的、道徳的塵」と表現している55

グリーンバウムとワイツマンの言動は例外的なものではなかった。グラブが提供した別の例では、ブダペストのユダヤ機関の救済委員会の長であるルドルフ・カストナーの卑劣な話を知ることができる。彼はアイヒマンのようなナチスと秘密協定を結び、「600人以上の著名なシオニストを救ってパレスチナに連れて行くことを許可してもらう代わりに、ハンガリーのユダヤ人の大部分を絶滅させる手助けをした」。カストナーの行動は、グラブによって引用されたソロモン・ションフェルト(Solomon Shonfeld)が「シオニスト政策の基礎:選択性」56と呼ぶものを反映している。この特徴はシオニスト国家が設立された後も続き、2022年現在、ホロコースト生存者の3分の1が貧困の中で生活している。2014年にインタビューを受けたある人は、「我々はホロコーストの生存者を非常に弱い集団として見ていた.・・・我々は彼らとは非常に異なっていた。私たちは強く、そんな立場になることを許そうとはしなかった」と語った。

カストナーの裁判とイスラエルによる歴史消去の取り組み

1950年代初頭ころには、ルドルフ・カストナーはイスラエル商工省の報道官となり、政党マパイの幹部となっていた。そのため、1952年にアマチュア・ジャーナリストでホテル経営者のマルキエル・グリーンワルドによってナチスとの協力関係が暴露されると、イスラエル政府はグリーンワルドを名誉毀損で告発し、この事件を鎮圧するために躍起となった。1955年、グリーンワルドには名誉毀損の罪なしとしたベンジャミン・ハレヴィ判事の所見は、詳細に引用する価値がある:

ユダヤ人の大多数のための重要な利益を犠牲にして、著名人を救出することが、カストナーとナチスとの間の合意の基本要素だった。この合意は、国民を2つの不平等な陣営に分けることになった。片方は、ナチスがカストナーに救出を約束したごく一部の著名人で、もう片方は、ナチスが死ぬと決めたハンガリーのユダヤ人の大多数だった。ナチスによる著名人たちの陣営の救出のための必須条件は、カストナーが大多数のハンガリー・ユダヤ人に対するナチスの行動に干渉せず、その殲滅を妨害しないことだった。カストナーはその条件を果たした。ユダヤ機関救援委員会とユダヤ人の殺害者との協力はブダペストとウィーンで確立された。カストナーの職務はSSの要だった。ナチSSは殲滅部門と略奪部門に加えて、カストナーが率いる救助部門を開設した。57



カストナーは、ナチスの強制収容所総司令官であったクルト・ベッヒャーSS大将を戦争犯罪の容疑から擁護することまでした。彼は個人としてではなく、彼自身の言葉を借りれば、「ユダヤ機関とユダヤ世界会議を代表して」そうしたのである。58ベッヒャーは*ベン・ヘクト(Ben Hecht)の『背信』を引き合いに出しながら、ベッヒャーがその後、さまざまな企業の社長になり、その中には彼の会社ケルン・ハンデル・ゲゼルシャフトも含まれている。この会社は「イスラエル政府と結構なビジネス」を展開した。59
*ベン・ヘクト(Ben Hecht)・・・アメリカ合衆国の脚本家、劇作家、小説家、映画プロデューサー。ハリウッドとブロードウェイを代表する最も偉大な脚本家の1人として知られ、数々の名作を残している。アカデミー賞では6回のノミネートで2回の受賞を果たしている。(ウィキペディア)

名誉毀損裁判での成功に勇気づけられたグリーンウォルドの弁護士シュムエル・タミールは、カストナーに対する新たな証拠を集め、彼をナチスとの共謀罪で裁判にかけようとした。しかし、この2回目の裁判が始まる前に、カストナーは、元「イスラエル政府情報局の金で雇われた潜入工作員」であったゼーブ・エクスタインによって暗殺された60。カストナー事件に関して幅広く執筆し、彼を裁判にかけるよう求めていたジャーナリストのモーシェ・ケレンにも、同じような運命が訪れた。ベッヒャーとのインタビューのためドイツに飛んだ後、ケレンはホテルの部屋で死亡して見つかり、公式には心臓発作で死亡したとされている。

グラブは、これらの死を、イスラエル政府が以前、検事総長を任命してまでカストナーを擁護し、容疑を晴らそうとした、より広い文脈の中に位置づけている。グリーンウォルドに対する名誉毀損裁判が敗訴し、さらに不利になる可能性のある別の裁判が目前に迫ったときになって初めて、カストナーと、そして彼へのさらなる尋問によって明らかになるであろう秘密は、排除しなければならないと考えられるようになった。カストナーが殺される前、戦争末期に彼がベッヒャーだけでなく、悪名高いアドルフ・アイヒマンの逃亡も手配していたことが明らかになった。このようにグラブは、1962年の有名なアイヒマンの逮捕、裁判、それに続く処刑を、イスラエル政府が「カストナー事件が明るみに出した不愉快な事柄をもう一度すべて葬り去る」61ための手段として、また、すべてのユダヤ人の庇護者としてのシオニズムという公式の物語を再確認するための公的なプロパガンダの見世物として、さらには、シオニズム運動とナチスの関係についてのアイヒマンの深い知識を彼とともに死滅させる直接的な手段として、捉え直している。

イデオロギー的対決の歴史的研究—グラブの遺産

『シオニストとナチス・ドイツの関係』はわずか85ページの短い本である。論題の複雑さと繊細さを考えると、グラブは、反シオニストであるモーシェ・メニュヒンなど、これまで無視され、抑圧されてきた(そしてそれは変わらない)ユダヤ人作家のさまざまな資料を駆使して、自分の主張を冷静に要約している。同様に重要なのは、グラブの著作が、シオニスト運動とナチズムとのつながりを歴史的に痛烈に告発している一方で、ユダヤ人の反ファシスト的抵抗を記念するものでもあるということである。

本書の結論は、その内容全体を物語っている。簡潔な数ページの中で、グラブは彼の中心的な主張を再度強調している:特に、シオニスト運動が「シオニストの国家建設に貢献できない高齢者を軽視」していたことを考えれば、「優れた人種」というファシストの概念がシオニストのイデオロギーに存在すること、シオニストとナチスの協力は「個人の逸脱ではなく、シオニストの公式政策の反映」であったこと、シオニスト運動はナチズムに対する持続的な抵抗を組織することはなかった。「その闘争の主導権と負担を自らに課したのは非シオニストのユダヤ人個人と組織であった」62とグラブは述べている。

シオニズムが自らの歴史を意図的に隠蔽する中で、『シオニストとナチス・ドイツとの関係』は、歴史を正すと同時に、反シオニスト、反ファシスト闘争のための極めて重要な方法である。歴史を正すこととして、グラブはシオニズム運動の歴史について歴史的証拠を提供し、ひいてはシオニズムとヨーロッパ中の反動的政治勢力との歴史的関係を解明している。この歴史的解明は、シオニストによる事業計画と、ウクライナのネオナチ・アゾフ運動のようなファシズムの現代的顕在化との関係についての現代的分析に情報を与え、文脈を整理するのに役立つだけでなく、ハマスが「新しいナチス」であるとするイスラエルの足掻きが、心理的投影の明らかな事例であることを浮き彫りにする。政治的資料として、『シオニストとナチス・ドイツとの関係』は、イスラエルとシオニスト運動全体とのイデオロギー的対決、とりわけ、イスラエルは世界中のユダヤ人の利益を代表する進歩的勢力という自己神話化との対決のために歴史研究を結集することになる。

グラブの著書について一番心をひきつけられるのは、その歴史的分析によって、現代のシオニズムとそのファシスト的性質について洞察を開いていることだ。彼の本から私たちが推測できることは、シオニズムがどこかで道を踏み外した進歩的な運動ではないということだ。その創設以来、シオニスト運動は反動的であり、資本主義的で、帝国主義的で、反ユダヤ主義的で、右翼的であり、ファシスト勢力と連携してきた。シオニズムはこうした勢力との関係を通じて、自らを維持してきたのだ。

そして今日、反動勢力との提携を通じて、シオニスト運動は自らを維持し続けている。この原稿を書いている現在、私たちはイスラエルとアメリカが、包囲されたガザでパレスチナ人に対する大量虐殺行動を実行しているのを目の当たりにしている。彼らは6日間でガザに6000発の爆弾を投下した。これは、アメリカが1年間にアフガニスタンに投下した爆弾よりも多い。何日間も、15分に1人の割合でパレスチナの子どもが殺された。彼らは地球上から家族全員を消し去った。そして彼らは、「弱者は崩れ去り、虐殺され、歴史から抹殺される」というシオニズムのファシズム的マントラの旗印のもとに、このようなことを行なったのだ。

だから我々みんなが目にしたのは、「シオニズムはファシズムである―まちがいない」。シオニズムの反対者がイスラエルはファシスト的政体であると宣言するとき、彼らは歴史的真実を語っており、それはイスラエルが世界にむき出しで示し続けているものである。我々は植民地主義63の中にファシズムの根源を見出し、イスラエルはこの歴史的基本方針の主要な実例である。

2004年、グラブは、1994年からクウェート通信のジャーナリストとして働いていたクウェートで、交通事故により悲劇的な死を遂げた。それ以来、彼のパレスチナ問題への幅広い貢献は、その言葉においても行動においてもほとんど知られていない。『シオニストとナチス・ドイツとの関係』のようなグラブの重要な著作を取り上げることでグラブに敬意を表するだけでなく、グラブと彼の遺産を称える最も適切な方法は、彼が人生の多くを捧げた現在進行中の緊急の闘い、すなわちシオニズムと帝国主義に対する正義の闘いに彼の著作を利用し、それを土台とすることである。


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サマル・アル‐サレはニューヨーク大学で歴史学と中東・イスラム研究の博士課程に在籍。
ルイス・アルデイは作家・歴史家で、『Liberated Texts』創刊編集者。

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付録 1966年、英国・アイルランド・アラブ学生連合第14回パレスチナ・デー会議におけるファリス・グラブのスピーチ

議長(フェイド氏):

ご列席の皆様、この度、私は、英国とアイルランドのアラブ学生連合を代表して、第14回パレスチナの日会議の議長を務めることに深い光栄を感じております。

時間の都合で、わたしは今すぐファリス・グラブ氏を呼びたいと思います。彼は中東全域でよく知られ、愛されている人物であり、11年間、中東のアラブ解放運動に奉仕してきた方です。私たちが皆心から歓迎することでしょう・・・ファリス・グラブ氏。

* * *

議長、兄弟姉妹の皆さん、パレスチナの問題は孤立した問題ではありません。それは、アラブ世界における反帝国主義闘争の一部であり、人類にとって最も危険な敵であるアメリカ帝国主義に率いられた帝国主義に対する全人類の闘いという、より広い文脈におけるものです。このことは、地図を見れば一目瞭然です。地図を見れば、アフリカとアジアの間に、短剣のような形をした小さな領土があることに気づくでしょう。それがシオニストの占領したパレスチナです。アフリカとアジアの2つの大陸を分断しているのは、この小さな短剣のような形をした領土です。この問題の本質が帝国主義から生じたものであることを理解するには、パレスチナ問題の歴史を見、帝国主義列強の理屈を見るだけでよいのです。バルフォア宣言の結果、中東におけるイギリス帝国主義の結果、シオニスト国家がパレスチナに押しつけられた歴史、そしてイギリスの将軍、アレンビーがエルサレムに入り、イギリス軍とともにパレスチナを占領したとき、彼は「私は十字軍の最後の戦いに勝った」と言ったことを、私たちは皆知っています。アレンビーの話は勇み足でした。十字軍の最後の戦いはまだ終わっていません。しかし、アレンビーが言及した戦いは、ヨーロッパ諸国がアジアとアフリカの民族に支配を押し付けようとしてきた十字軍の時代から続いてきた一連の過程の一段階なのです。ここで、帝国主義のプロパガンダがパレスチナ問題に関してどのような論拠を用いているかを見てみましょう。

イギリスやアメリカの報道を読むと、アラブ人が受け入れるべき既成事実として、パレスチナにおけるシオニストの占拠が変えられないものであり、私たちが受け入れるべき歴史上の事実の1つだと繰り返し述べられています。しかし、歴史を振り返ると、多くの場合、人々がそのような既成事実を受け入れなかったことで、それらを打ち破ったり元に戻したりすることができた例がたくさん見られます。私はアレンビーから十字軍の引用をしました。十字軍自体がパレスチナに国を立てることで既成事実を築きましたが、その地域の人々がこの支配を受け入れなかったため、その既成事実は今では消し去られています。アルジェリアの人々は、自分たちがフランスの一部であることは既成事実であると言われましたが、こんなことを彼らが受け入れることはしませんでした。私の人生の中で最も幸せな時間は、アルジェリアがフランスの一部であるというこの定説を覆すための戦いの中で、高貴なアルジェリアの人々に奉仕することに費やしたことです。また、アルジェリアの独立闘争に少しでも貢献できたことを非常に光栄に思っています。南アフリカの白人入植者はアフリカの人々に白人支配を既成事実として受け入れるように言っていますが、これはアフリカの人々も拒否しています。さて、なぜこのパレスチナ問題、シオニストによるパレスチナ占領が、既成事実として受け入れられないのでしょうか? 帝国主義列強が今回私たちに何を求めているのか見てみましょう。帝国主義列強は、単にアラブの人々がユダヤ人をもてなすことを要求しているのではありません。

何世紀にもわたって、アラブ世界に住むユダヤ人コミュニティは、尊厳と平等の条件の下で生活してきました。そこでは、ユダヤ人はアラブ世界で最高の地位を獲得することができ、閣僚の地位にまで達していましたが、ヨーロッパ人は種々の問題を整理し、優れたヨーロッパ文明の名の下にユダヤ人をガス室に押し込んでいました。私はヨーロッパ諸国がヨーロッパのユダヤ人に対して行なってきた野蛮な仕打ちを真っ先に非難し、さらにその後も数え切れないほど非難を繰り返してきました。しかし、私はこう言いますし、これからも言い続けます。アラブ人はヨーロッパの蛮行によって犯された罪に責任はなく、ヨーロッパの蛮行の犠牲者への補償はアラブ人ではなくヨーロッパ諸国自身が行なうべきであり、ヨーロッパ帝国主義者とアメリカ帝国主義者は、この既成事実をアラブ人に押し付けようとして、ヨーロッパでユダヤ人に対して行なってきた虐殺と非人道的行為に対する責任を回避しているのです。だから、私たちは誰もこれに惑わされないようにしましょう。罪はヨーロッパのものであるのに、その代償は100万人、100万人以上のパレスチナの人々によって支払われてきました。パレスチナの人々は、ヨーロッパのいわゆる文明の歴史を通じてヒトラーや彼の前任者の犯罪には関与していませんでした。

アラブ人は本質的にユダヤ人に偏見を持っているわけではなく、彼らの歴史を見ればそれがわかります。しかし、アラブ人が偏見を持つのは、おそらくどの人間も持つものであり、それは自分たちの領土の一部が異国の支配者に奪われ他の誰かに与えられ、原住民が追放されることについての偏見です。これは帝国主義の宣伝機関があなたに信じさせようとしていることとは非常に異なるものです。そしてなぜ帝国主義者はこのような戦術を採用するのでしょうか、なぜ彼らはシオニスト国家(イスラエル)の保存にそんなに関心を寄せるのでしょうか。すでに地理的要因について指摘しています。つまり、シオニスト国家(イスラエル)がアジアとアフリカを分断し、アラブ世界を二分するという事実です。シオニスト国家(イスラエル)は西洋帝国主義にとっても非常に有益であり、アフリカとアジアの大陸全域で軍事的および政治的な蠱惑(こわく)のおとりとして機能しています。もしこれに疑念を持つのであれば、1956年にさかのぼって10年前を振り返ってください。その時、イギリスとフランスの帝国主義がエジプトの支配を取り戻そうとした試みにおいてシオニズムが果たした役割を見ればよいでしょう。

エジプト(現在の統一アラブ共和国)の人々が、この侵略に対して非常に勇敢に抵抗したことは、私たち全員にとって反帝国主義の闘いの模範であり、アフリカやアジア全体で帝国主義の狙いの本質を非常に明確に示しています。そして今、私たちは将来を見据えなければなりません。現在、中東の中心における帝国主義の拠点という状況に直面しており、これはアラブ人だけでなく、アフリカとアジアを分断する脅威であり、占領された世界中の解放闘争および帝国主義に抵抗している人々にとっても脅威です。そして私たちが明確に目指すべきことは、すべての帝国主義の打倒です。私たちは非常に明確に敵を認識しなければなりません。私たちの敵は、米国帝国主義を先頭に置く世界帝国主義です。パレスチナ問題がこれをはっきりと示しています。なぜならこのシオニスト国家(イスラエル)は、1948年以来の間、米国からの援助、米国の資金に支えられてきたからです。イスラエルは他人の領土で不法に生み出された米国の子であるのです。

この問題を切り離して考えるのではなく、世界の人々、アラブ人と非アラブ人、そして実情を認識しているここにいるイギリス人たちが、敵が誰であるかを非常に明確に認識し、帝国主義が打倒されるまでその敵に対して断固たる戦いをしなければならないことを認識しなければなりません。そして今、兄弟姉妹よ、私は平和について一言述べたい。私は平和を愛するが、私はある種の平和を愛します。尊厳と自由の平和を愛します。自分が安全であり、自分の所有物がより強力なものに脅かされることがないと知っている平和を愛します。私は墓場の平和を愛するわけではありません。しかし、尊厳ある平和、自由な平和は、戦争の原因である帝国主義が取り除かれることによってのみ達成されることができるのです。

ご清聴ありがとうございました。
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Why Is NATO’s Neo-Nazi Junta’s Cover-up for Terrorist Attacks in Russia So Sloppy? Does NATO Want War with Russia?
筆者:ドラゴ・ボスニック(Drago Bosnic)
出典:グローバル・リサーチ(Global Research) 2024年3月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年4月1日


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クロッカス・シティ・ホールでの300人以上に対する凶悪な虐殺行為(その半数近くが現在死亡)、過去20年間のロシアにおける最悪のテロ攻撃であり、過去5年間で世界最悪のテロ攻撃の1つである。それにもかかわらず、主流のプロパガンダ機関の多くは、これを「銃撃」、おそらくは「銃乱射」、または単に「攻撃」などと呼び、ロシア民間人に対する共感がいかに少ないかを示している。テロ攻撃自体、十分に恐ろしいものだったが、ネオナチ軍事政権とその支持者から発せられた怪物のような歓喜の声が事態をさらに悪化させた。

さらに、ロシア諜報機関は、クロッカス・シティ・ホール・テロ攻撃の真の首謀者が西側諸国政府、特に米国であることを示す気がかりな証拠を発見した。

いっぽう米国側は、ISISが背後にいるという「否定できない証拠」があると主張している。

むしろ興味深いのは、テロ攻撃のわずか数時間後、現地にいたロシア軍ですら詳細を把握していなかったにもかかわらず、米国がどのようにして首謀者がISISであると主張できたのかということだ。誰がノルド・ストリーム・パイプラインを破壊したのか米国は「ほんとうに知らない」が「深海を潜れる謎のウクライナ人組織」であることは分かっている、などと言っていた。

さらに悪いことに、米国21世紀の歴史の決定的な瞬間となった9/11攻撃から23年が経った今でも、米当局は未だにその捜査を終えていない。

政府支配者層が何かを隠していることは「ほぼ間違いないようだ」。しかし、何らかの理由で、彼らは1万キロ離れた場所でのテロ攻撃の背後に誰がいるのかを「即座に見抜いて」おり、彼らのお気に入りの傀儡政権であるゼレンスキー政権とは「まちがいなく何の関係もない」と主張している。

さらに、ロシアがウクライナ・ネオナチ軍事政権への関与について公式声明を発表する前に、米国はこの軍事政権を擁護し始めた。

そして、カマラ・ハリス副大統領を含む問題の多いバイデン政権がキエフ政権の「無実」を「証明」するために全力で戦っている一方で、キエフ政権は数百人の非武装ロシア民間人に対するこの残忍な虐殺を祝うパーティーを開催しようとしている。このような不穏な事件は少なくとも2件あり、ひとつはウクライナのレストランが「クロッカス・シティ・セット」と呼ばれるメニューを出した件で、もうひとつはウクライナのゲーマーが世界的に人気のある「カウンター・ストライクFPS」というテロ組織と対テロ組織が戦うゲームの地図上に、クロッカス・シティ・コンサート・ホールを作成した件である。その場所では、仮想の人質に発砲して放火したり、爆発物を仕掛けて爆破したりすることもできるよう設定されている。

そのような行為への対処は精神科医や臨床心理士に任せるべきだが、ネオナチ軍事政権の最高幹部らの反応は、クロッカス・シティ・ホール・テロ攻撃の真の黒幕が誰なのかを明確に示している。

テロ攻撃を賞賛しただけでなく、犠牲者とロシア全体を嘲笑し、さらにそのような虐殺をすると脅したオレクシー・ダニロフ(現在は元)国家安全保障・国防会議長官だけではなく、SBU(ウクライナ保安庁)ワシル・マリューク長官も、ダリヤ・ドゥギナ氏やマキシム・フォミン(別名ヴラドレン・タタルスキー)氏を含む多くのロシアの公人を殺害したテロ攻撃を組織したことを公然と自慢しており、明らかにクロッカス・シティ・ホール・テロ攻撃にも関与していることをほのめかしていた。

今年初め、GUR(キエフ政権の軍事情報局)キリロ・ブダノフ長官も、ロシアでのテロ攻撃を「ますます深く」進めると脅迫していた。ネオナチ軍事政権の2つの最も重要な諜報機関(SBUとGUR)の高官がそのようなことを発言したとなれば、即座にNATOが支援する傀儡政権全体が罪を問われることになる、ということだ。しかし、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領にとってSBUのマリューク長官かブダノフ長官のどちらかを解任するのは危険であるため、ネオナチ軍事政権の傀儡であるゼレンスキー大統領は、ダニロフ氏のような下級官僚を解任することで自らの痕跡を隠蔽せざるを得なくなっている。ゼレンスキー大統領の側近の一人であるダニロフ氏は当初から非常にタカ派であり、米国主導のNATOと連携して可能な限り多くの破壊活動やテロ攻撃を行なうことを公然と主張してきた。

これは、悪名高きネオコン戦争屋ビクトリア・ヌーランド氏がロシアの特別軍事作戦(SMO)2周年という機会を利用してロシアを脅迫したときに、米国で起こったもう一つの同様の話を思い出させる。

彼女が述べたのは、米当局がキエフ政権に提供したいわゆる「軍事援助」によって、「プーチン大統領は今年、戦場でえげつない贈り物を受け取る」ことが確実になるだろう、ということだった。

その数日後、彼女は国務省を去った。ネオナチ軍事政権だけが彼らの足跡を隠蔽しようとしているわけではないようだが、ヌーランド氏はもう少し狡猾であったようで、クロッカス・シティ・ホール・テロ攻撃の前に逃げた、ということだ。しかし、損な脅迫を行なったのはヌーランド氏だけではない。昨年、元統合参謀本部議長のマーク・ミリー将軍も同様の脅迫を行なっていた。

ワシントン・ポスト紙は、「真夜中に喉を切られるのではないかと心配せずに寝るロシア国民はいないはずだ。ロシアに戻って前線の後ろからの工作を考え出すべきだ」というミリー将軍の言葉を報じた。

この直後、ミリー将軍の身に何が起こったのか?

ご想像のとおり、彼は職を辞した。しかし、ロシア全土でのテロ攻撃は激化し続けている。そのいっぽうで、西側諸国政府は、クロッカス・シティ・ホール虐殺事件を犯したテロリストの扱いを非難することで、その恐るべき偽善をさらに暴露している。米国民ジャーナリストのジュリア・デイビス氏は容疑者らの安否を「懸念している」いっぽう、スティーブ・ホール元CIAロシア工作部長は、これは「ロシアで起きていることと西側諸国で起きていることの価値観の違い」を示していると述べた。そのとおり。明らかな違いがある。それは、米国占領軍が無数のイラク兵士や民間人を拷問した悪名高いアブグレイブ刑務所のような刑務所をロシアは運営していないからだ。

ロシアはまた、数百人(数千人ではないにしても)が不法投獄されている残忍なグアンタナモ湾収容所のような施設の運営もしていない。この収容所には、起訴されることもなく、何十年も独房に閉じ込められている人もいる。

したがって、ロシアが真のテロリストを処罰しているいっぽうで、米国は300人以上を殺傷した大量殺人者の身の安全を「懸念」している。同時に、好戦的なタラソクラシー(海洋帝国)である英国は、外国の侵略者と戦っていた人々、あるいはさらに悪いことに、何もしていない人々を拷問し、投獄している。この点に関しては、ホール氏の指摘は確かに正しい。ロシア政府と米国政府では価値観に大きな違いがある。これらすべては、西側政治とそのネオナチ傀儡が隠蔽工作に従事していることを明らかに示している。

しかし、問題は、なぜすべてがこれほどずさんで明白すぎるのかという点だ。専門家やジャーナリストがこれらすべてに簡単に気づいたのであれば、ロシアの諜報機関や国家機関は間違いなくはるかに多くのことを知っているはずだ。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は先日、最近のテロ攻撃に関する捜査に「協力」するといういわゆる「国際機関」の申し出に言及し、ノルド・ストリームの妨害行為に関する同様のロシアの要請を無視したことを指摘し、その偽善性を強調した。念頭におくべきことは、このテロ攻撃についても、米国から事前に発表されていた事実だ。米国はこのパイプラインが「海の底の金属の塊」になる、と確約していたのだから。言い換えれば、真のテロ実行犯の米国はもはや隠れる気さえなくなっている(いまや姿を明らかにしてからかなり長い時間が経っている)ということだ。

これらすべては、NATOがロシアとの戦争を望んでいることを明らかに示している。

このことを試すかのごとく、先日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は、ウクライナ紛争に直接関与するという尊大な発表を行なった。しかし、ヨーロッパの大部分がこの狂気には参加しないと述べているため、NATOは現在、ロシアに先制攻撃を促す方法を必要としている。そうする唯一の方法は反撃を引き起こすことであり、それが世界で最も攻撃的な軍事同盟であるNATOがクロッカス・シティ・ホールでのテロ攻撃を組織した理由だ。このようにして、NATOはロシアに報復を促し、その後ロシアを「侵略者」として提示し、西側諸国政府に「防衛戦争」を遂行する完璧な口実を与えようとしている。それがNATO全体(または少なくとも大部分)の参加を確実にする唯一の方法でからだ。しかし、パンドラの箱は一度開けてしまうと、もう後戻りはできなくなる。
*

この記事の初出はInfoBrics

ドラゴ・ボスニック氏は独立系の地政学・軍事専門家。Global Research に定期的に寄稿している。
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Zelensky sacks closest ally
ウクライナ大統領は長年の側近セルゲイ・シェフィール氏と数人の上級顧問を解任した
出典:RT 2024年3月30日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月1日


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© ゲッティイメージズ/ポーラ・ブロンスタイン


ウクライナのウラジミール・ゼレンスキー大統領は土曜日(3月30日)、長年の同志で側近のセルゲイ・シェリフ氏を解任した。ゼレンスキー大統領は進行中の政権改造のさなか、この一週間で複数の上級顧問を解任した。

シェリフ氏は、2019年5月に就任し、大統領就任初日からゼレンスキー大統領側近として仕えてきた数少ない政府高官の1人だった。政界に入る前は、ゼレンスキー氏と長年緊密な仕事仲間であり、同氏とともに「クヴァルタル95(地区95)コメディ・スタジオ」を共同設立した。

2021年9月、シェリフ氏は自身の車が未知の襲撃者に襲撃された暗殺未遂事件を生き延びた。車両は多くの弾丸を受け、運転手は負傷したが、シェリフ氏自身は無傷だった。そのとき、ゼレンスキー大統領は、この攻撃は同国の「体制(system)」による報復だ、と主張した。この体制を彼は「打破」しようとしていたと言われていた。

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ここ数日間、ゼレンスキー大統領はフリーランス(自由契約)大統領補佐官3名と全権代表2名(ボランティア運動関連問題を担当するナタリヤ・プシュカレワ氏と軍人の権利に関する問題を担当するアリョナ・ヴェルビツカヤ氏)を解任した。

この解任は、ゼレンスキー大統領が今年初めに始めたウクライナ指導部の再編の一環として行なわれた。この取り組みの最も著名な犠牲者はヴァレリー・ザルジニー元最高司令官で、この役職は先月アレクサンドル・シルスキー氏に代わった。ザルジニー元最高司令官には数か月間ゼレンスキー大統領と対立していたとの噂があり、その後昨年末に前線の状況についての懸念が公になった。
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「オデッサは陥落するだろう」とマスク氏がウクライナに警告

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‘Odessa will fall’, Musk warns Ukraine
ウクライナ政府は黒海への接点を完全に失う前に、ロシア政府との「交渉による解決」を追求すべきだ、とこの億万長者は主張
出典:RT  2024年3月30日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月1日


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ファイル写真© Chesnot / Getty Images


テスラ社とスペースX社のイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は、戦争が続くなか、日を追うごとにウクライナの立場が弱まっている、との考えを繰り返し、「本当の問題」は、ロシア政府との協議に臨むまでに、ウクライナ政府がどれだけの領土を失い、どれだけの人命を無駄にすることになるかだ、と警告した。

この起業家は土曜日(3月30日)、自身のプラットフォームXへの投稿で、昨年大々的に宣伝されたウクライナの反撃が失敗に終わることは「愚か者でも予測できた」と主張し、たとえウクライナ政府が「防衛に全力を注ぎ、すべての資源を投入する」という同氏の勧告に従ったとしても、強力な自然の障壁がない土地を保持するのは難しい」だろう、とも述べた。

「ウクライナに装甲車輛も制空権もないのに、縦深防御、地雷原、強力な大砲を備えたロシアの大軍を攻撃することは、ウクライナにとって悲劇的な命の無駄づかいでした」とマスク氏は書いた。

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ロシア国防省の先月の推計によると、ウクライナ軍は現在進行中の紛争の過程で44万4000人以上の軍事的死傷者を出しており、その中には昨年の反転攻勢時の16万6000人以上が含まれている。しかし、ウラジミール・ゼレンスキー大統領は2月、2022年2月24日以降に殺害された自国の兵士はわずか3万1000人だと主張した。

この億万長者は続けて、「戦争が長引けば長引くほど、ロシアはドニエプル川に到達するまでにさらに多くの領土を獲得することになるでしょう。そうなればそれを克服するのは困難になります」と主張した。

しかし、戦争が十分に長引けば、オデッサも陥落するでしょう…私の考えでは、ウクライナが黒海への接点を完全に失うかどうかが、本当の残された問題です。そうなる前に、交渉による解決をお勧めします。

イーロン・マスク氏は、2022年初めに紛争が始まって以来、ウクライナに対する立場を何度か変えている。彼は当初、ウクライナ政府に無料のスターリンク・インターネット端末と衛星を使ったネットワークへのアクセスを提供したが、ウクライナが利用することを恐れてクリミア近郊でのサービスの開始を彼は拒否した。それは、ロシアの黒海艦隊に対するドローン攻撃を誘導することになるからだった。もしこれが起こっていたら、スペースX社は「戦争と紛争激化という重大な行為に加担する」ことになっていただろう、と同氏は昨年説明した。

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マスク氏はまた、自身のXアカウントを利用して、紛争の軌跡について広く語っている。1年以上前、同氏はキエフがクリミアへの領有権を放棄し、中立を宣言し、新たにロシアの4地域(ドネツク、ルガンスク、ヘルソン、ザポリージャ)がロシア連邦への加盟を問う新たな住民投票を行なうことを許可するよう提案していた。この提案は、ロシアが当初ドネツクとルガンスクの自治だけを求めていたことを除けば、紛争開始前にロシアがキエフと西側諸国に提示した条件と似ている。

ロシア政府は、ウクライナ政府との有意義な協議に引き続き前向きであると強調し、外交的打開策が見つからないのは「現場の現実」を受け入れようとしないウクライナ当局のせいだとしている。

クレムリンのドミトリー・ペスコフ報道官は土曜日(3月30日)、ウクライナは2022年以降国境が大幅に変わっているという事実を考慮する必要があると述べ、ゼレンスキー大統領の言う「1991年の国境に戻る」という提案はもはや交渉の前提条件ではない、と発言した。
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捜査当局、モスクワのテロ攻撃容疑者とウクライナ民族主義者のつながりを立証

<記事原文 寺島先生推薦>
Investigators establish link between Moscow terrorist attack suspects and Ukrainian nationalists
クロッカス・シティ・ホール襲撃犯らにウクライナから多額の資金が送金された、とロシア捜査委員会が発表
出典:RT 2024年3月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年4月1日


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ソーシャルメディア


先週のモスクワのテロ攻撃の容疑者らはウクライナ民族主義者に関連している、とロシア捜査委員会は木曜日(3月28日)、予備調査結果を引用して発表した。同法執行機関は、犯人らはウクライナから「多額の金」を受け取っていた、と発表した。

捜査当局は、襲撃の容疑者らがウクライナから仮想通貨の形で資金を受け取り、その金がテロ攻撃の準備に使用されたという「裏付けられた証拠」を入手した、と声明で述べた。

捜査委員会によると、法執行官らは攻撃資金提供に関与したとされる別の容疑者も特定し、拘留した、という。ただし個人名は明らかにしなかった。

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これに先立ち、ロシア連邦保安局(FSB)のアレクサンドル・ボルトニコフ長官は記者団に対し、米国と英国、ウクライナが攻撃の背後にいる可能性がある、と述べていた。同当局者は、ウクライナ側が国境を越えて戻るための「窓口」を準備していた可能性があると述べた。「ウクライナでは、襲撃者らは英雄として歓迎されるはずだったのです」とボルトニコフ長官は付け加えた。

実行犯とみられる4人は、アフガニスタンに本拠を置くイスラム国(IS、旧ISIS)の分派が運営していると思われるオンラインチャットを通じて募集されたイスラム過激派である、と以前に特定されていた。しかし捜査当局は当時、テロ行為に対する同組織の犯行声明にもかかわらず、ウクライナ諜報機関など別の団体が計画に関与した可能性がある、としていた。

先週金曜日(3月22日)、ロックバンド「ピクニック」のコンサート直前に、アサルトライフル(突撃銃)で武装した集団がモスクワ郊外のクラスノゴルスクにあるクロッカス・シティ・ホールの音楽会場を襲撃した。この襲撃と実行犯によるその後の放火により、140人の命が奪われ、約200人が負傷した。

襲撃者らは襲撃から数時間後、ウクライナと国境を接するロシアのブリャンスク州で逮捕された。
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