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なぜドンバスの前線で、戦闘を拒否するウクライナ兵が増えているのか ――犬死の戦闘に追いやられてーー

なぜドンバスの前線で、戦闘を拒否するウクライナ兵が増えているのか
――犬死の戦闘に追いやられてーー

<記事原文 寺島先生推薦>
'Sent to certain death': Why growing numbers of Ukrainian servicemen are refusing to fight on the Donbass frontlines
投稿元 RT
2022年06月17日
<記事飜訳 寺島メソッド飜訳グループ>
2022年6月30日

多くのウクライナ人兵士が戦闘状況に恐怖を感じ、ソーシャルメディアで助けを求めている。


ロシア軍との戦闘で死亡した3人のウクライナ人兵士の埋葬式。© Mykola Tys / SOPA Images / LightRocket via Getty Images

 ウクライナの兵士が陣地を放棄し、指揮官への不満を動画で投稿するケースが増えている。戦争で疲弊した国で、なぜ脱走者が増えているのか。

 欧米諸国のウクライナへの支援総額は、120億ドルに達して、同国の2022年の軍事予算をすでに上回っている。しかも、これは世界中の一般市民からの人道的な寄付を考慮しないでも上回っている。しかも、まもなくウクライナは、米国からさらに200億ドルの軍事支援を受け取ることになるだろう。

 この巨額の資金注入と、絶え間ない海外からの武器供給で、ウクライナ軍の問題はすべて解決するように思われる。しかし、ウクライナ軍の兵士たちは、許可なく持ち場を離れ、ドンバスの前線に行くことを拒否し、ネット上で指揮官を批判するビデオメッセージを公開することが増えているのだ。今回RTは、ウクライナへの外国援助にもかかわらず、なぜ軍人の派兵に関する問題が増え、ウクライナ軍兵士の脱走が頻発しているのかについて考察してみた。

 ヴェルホヴナ・ラダ(ウクライナ議会)副議長マリアナ・ベズグラが提出した、脱走した軍人を処刑する権利を将校に与えるというスキャンダラスな法案は、5月24日に取り下げられた。しかし、このような構想が登場したことは、脱走問題が現実のものとなり、当局が警戒を強めていることを明確に示している。


関連記事アンドレイ・スシェンツォフ(Andrey Sushentsov): ウクライナはより大きな危機の始まりに過ぎないかもしれない。

 実際、ドンバスのウクライナ軍部隊は、弾薬、食糧、大砲の支援がないなど、後方支援がない状況にますます直面している。最近、兵士が自ら投稿した動画がネット上に多数アップされている。だいたいが、前線からの無許可離脱の意思を固め、その理由を説明している。その多くは、現在ドンバスで最も残酷な戦闘が繰り広げられているセベロドネツクやリシチャンスク地域の軍人たちによるものである。

指揮官への批判

 おそらく最も衝撃的な動画のひとつは、4月28日に公開されたもので、第79空挺突撃旅団の隊員が指揮官の残虐性を説明するメッセージである。司令部によると、部隊はドネツク州のヤンポル村近くの森に連れて行かれ、死ぬまでそこに放置されたという。「私たちは5、6日間そこに座っていたが、司令官は私たちを見捨てた...。そして今、私たちは生き残ったが、生き残ったのに脱走兵にされている...。穴の中には、まだたくさんの死体が横たわっている」。彼らは、自分たちが助けを求めたのに、司令官は「戦車と接近戦をしろ」、と命令したことを強調した。現在、生き残った落下傘兵は脱走の裁判にかけられているのだ。

 興味深いことに、この動画が公開された後、インターネットのウクライナ語圏の多くの読者が、このニュースはフェイクだと言い始めた。ウクライナ大統領顧問のアレクセイ・アレストヴィッチも認めているのにである。しかし、すぐに2つ目の動画が登場した。最初の動画の話の信憑性を確認し、ウクライナ国民に訴えた理由を説明しようとする落下傘兵たちが記録した動画である。「私はもうこの旅団の制服を着ないし、ここにいる隊員の半分も同じ気持ちだ」、とアンドレイ・ベレジンスキー落下傘兵は言った

  ここ数カ月、軍人によるウクライナ軍の指揮に対する批判は珍しくない。第115領土防衛旅団は、兵士たちが砲撃や迫撃砲の下で塹壕を掘る方法について訓練を受けていなかったと報告した。

 セベロドネツクの兵士たちは、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領とヴァレリー・ザルジニー軍司令官に対して、重火器と援軍の不足を訴える動画を撮影した。兵士たちは、後方待機している指揮官の無能さを非難した。「我々は死地に送られただけだ。指揮能力もないし、指揮官もいない。そして兵士への敬意もないのです」。


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 それにもかかわらず、軍司令部はその申し立てを評価せず、すべての兵士を「脱走」として非難した。その結果、軍人の親族が参加する不祥事が勃発し、ウクライナ大統領府に助けを求めた。「夫は志願兵として出征したのに、セベロドネツクで砲撃の下にいるんです。司令部はなく、自分たちが司令官なのです。そして旅団を去った人々は脱走兵として牢屋に入れられている。どうしてなのか!何も持たずにどうやって戦うのか?シャベルで戦えというのか。それとも何も持っていないのではないか」と軍人の妻が言った。「第115旅団は脱走兵なんかじゃない! 大砲の餌食として放り込まれるだけだ。彼らは80年代の古い機関銃を持って戦車に挑んでいるのです。なぜ彼らは死んでいるのですか?司令部にいる人たちが勲章をもらえるようにするためですか?」と、別の女性は憤慨していた。

供給品

 6月上旬、「ラジオ・フランス・インターナショナル」はセベロドネツク近郊から、ドンバスでの戦闘が激化する中、ウクライナ軍で「堕落が起こっている」と報じた。「兵士たちの間で不満の動きが出てきている。物資の不足、司令部からの支援の不足について不満を募らせている」と指摘し、リシチャンスク近くの兵士たちは、前線で起きていることを「この世の地獄」と表現していると付け加えた。

 兵士の士気を大きく低下させる主な問題の1つは、補給である。ロシア軍は大砲も装甲車もあり、兵力は我々の5~6倍はある・・・。我々は1986年製の機関銃とRPG[ソ連、ロシア時代の対戦車擲弾]しか持っていない。1943年製のデグチャロフ機関銃。そして1933年製のマキシム機関銃。スウェーデンの携帯用対戦車ミサイルシステムNLAWもあるが、バッテリーが作動しなかった。これだけです」、と第20大隊のウラジミール・ハルチュク隊員は、最後の作戦についてそう語った。アンドレイ・シェフチェンコ軍曹は、ウクライナ軍が大砲を強化しなければ、何もできないだろうと考えている。

 これに先立ち、別の大手外国メディアもウクライナ軍の補給問題について報じていた。5月末、『ワシントン・ポスト』紙は、最近同紙のインタビューに応じたウクライナ人中隊長セルゲイ・ラプコが逮捕されたことを報じた。この中隊長は、前線、特にセベロドネツクやリシチャンスク方面での極めて困難な状況について「ワシントン・ポスト」に語っている。ウクライナ参謀本部や、ルガンスク地方軍政局のセルゲイ・ガイダイ議長も、ルガンスク地方におけるウクライナ軍の困難な状況について報告していたのである。

 確かに今、ウクライナ兵からこのようなメッセージが絶えないが、ラプコの話によって、実際に何が起きているのか詳細に説明されることになった。
 
ロシアが支配するドネツク人民共和国の港町マリウポルのアゾフスタル製鉄所で降伏したウクライナ兵をチェックするロシア軍人。© Sputnik / ロシア国防省

 「前線に送られる前、私たちはAK-47アサルトライフルを渡され、30分足らずの訓練を受けた。30発の弾丸を撃ったところで、弾薬が高すぎるため、それ以上はもらえないと言われました」と彼は言う。彼の中隊がドンバスに派遣されたとき、20人が即座に拒否し、脱走罪で逮捕された。「ここに来るとき、私たちは第3防衛線にいると聞かされていました。ところが、私たちは最前線に行きました。どこに行くのか分からなかったんです」。120人いた中隊のうち、隊列に残ったのは54人だけでした。残りは死んだか、負傷したか、脱走したかのいずれかだった。

 「ウクライナのテレビでは、犠牲者はゼロだと言っているが、そんなことはない」と指揮官は言う。彼は、兵士と一般市民の士気を維持するために、損失は秘密にされていると思っている。兵士は、困難な状況にもかかわらず、部隊は勇敢に戦ったが、戦闘によって彼の中隊だけでなく、その地域の他の部隊にも大きな損害が出たと指摘している。ワシントンポスト紙によると、死者の多くは負傷した兵士が迅速に避難できず、リシチャンスク軍事病院への搬送に12時間待たされたことが原因だという。

 この兵士は、それとは別に司令部との関係についても触れている。「司令部は責任を取らない。私たちの功績によって、彼らは手柄を立てるだけだ。何の支援もない」という。また、水の問題や栄養状態の悪さ(1日1個のジャガイモで満足しなければならない)も訴えた。

 このインタビューが掲載された数時間後、ウクライナ治安局(SBU)は脱走の罪でラプコの中隊から数人を拘束した。中隊長自身は職務停止となり、リシチャンスクの予審拘置所に収容され、その後の消息は伝えられていない。しかし、彼のインタビューが反響を呼んだことで、ウクライナのメディアは前線での問題を語る兵士のビデオメッセージに注目するようになった。

脱走

 他国の軍隊と同様、ウクライナにも脱走の法的責任を問う立法規定がある(刑法第408条)。さらに、戒厳令下または戦闘状態での脱走は、5年から12年の禁固刑というかなり厳しい罰則が定められている。しかし、こうした措置によっても、ウクライナ軍の一部の部隊では、兵士の離脱が止まらない。

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 紛争初期にも、個々の兵士が自発的に部隊を離れたことがあった。過酷な環境に耐えられず、自ら戦線離脱を決意したのだ。集団脱走の最初のケースは4月末に始まり、ドンバスにおけるウクライナ軍の状況悪化と関連したものであった。当時、ロシア国防省は、ウクライナ国家警備隊の部隊から860人以上の兵士が脱走したと発表している。

 第115戦区防衛旅団の小隊全体が、セベロドネツク近郊での戦闘任務の遂行拒否をゼレンスキーとザルジニーに訴えた件については、すでに書いたとおりである。その後、第58旅団と第46別働隊の部隊からも同様の声明が記録された。兵士たちは、前線で最も問題のある地域に、司令部が自分たちを大砲の餌として絶望的な状況に放り込んだと非難した。彼らはザポロジェに向かっていたが、最終的にドンバスで最も厳しい場所の一つであるポパスナ付近の前線にたどり着いた。重火器もなく、物資も届かず、指揮官も無能であることが判明した。その結果、大きな損害を被り、撤退を余儀なくされた。

 まさにそれと同じ頃、ドンバスから別の記録が登場した。第71イェーガー旅団の軍人が、銃や榴弾砲に対して丸腰で戦場に入り、その模様をビデオで撮影するという上官の命令を直接拒否したのである。兵士たちはこの命令を「犯罪的」だと考え、陣地を離れた。「我々は大砲、グラッド[戦闘車両]、迫撃砲に対して機関銃で立ち向かいます。誰も助けてくれない。常識的な武器は何もない。私たちのことを気にかけてくれない国のために、どうやって戦えばいいんだ」と兵士の一人は不満を漏らす。「肉挽き機に入って、牛の挽き肉になって出てくるのはごめんだ。戦車も歩兵戦闘車も銃もないんです」。最後に、迫撃砲は数十門しかなく、それも「希望したときしか使えない」と付け加えた。

 ゼレンスキーは、ウクライナ軍第57旅団所属の7093部隊の兵士からも訴えを受けた。重火器がない、将校がいない、将校の多くはルガンスク周辺の戦闘で死亡している、などの不満があった。これらの事例から、領土防衛部隊の隊員だけでなく、ウクライナ軍の正規部隊の隊員も撤退していることがわかる。つまり、ウクライナ軍に新たな旅団を編成できる人員があっても、それに供給する最低限の装甲車がないため、徴兵しても戦闘可能な編成を作ることは不可能なのだ。

後方からの抗議


 同時に、不祥事は後方深部にも及んでいる。リヴィウ州ストリィでの戦闘から遠く離れた場所で、領土防衛第103旅団第65大隊の戦闘員の親族が、部下が最前線で戦っている最中に、同旅団の司令官を町で捕まえて抗議行動を起こした。彼らは、リヴィウ地方を守るのではなく、準備も武器もないままドンバスに派兵させられたと述べた。

 ウクライナ軍の領土防衛の代表者との会合で、兵士の親族は、兵士達の話では戦闘を行う装備ができていないから、兵士を家に戻すよう要求した。ストルイから来たヴァレンティナ・マモンさんは、「準備の整っていない兵士たちは、機関銃と手榴弾2つを与えられ、我々の兵士をはるかに上回る軍隊を阻止するために送られた」と不満を漏らした。

 「前線には車で行き、燃料も自分で補給しなければならなかった。穴で数時間、機関銃を構えていた。そして何より、自分たちの退却者を撃ってしまったことだ。死傷者が出なかったのは幸いだった。また、志願兵がトランシーバーを持ち込んだら、大隊本部がそれを取り上げてしまった」とガリーナ・シドルは付け加えた。また、多くの女性たちは、準備の整っていない戦闘員が投入され、「素手で」敵を阻止しようとしていると言う。


DPR人民民兵の軍人によって拘束されたウクライナ軍海上歩兵第503大隊の軍人が、DPRマリウポリ近郊で地面に横たわっている。© Sputnik / Viktor Antonyuk

 抗議は、ウクライナ西部の別の地域、トランスカルパティアにも広がっている。フストでは、女性たちが攻撃したのは、その軍事委員が防弾チョッキやヘルメットなしに自分たちの部下をドンバスに送ったことである。彼女たちは、軍の入隊事務局が違反行為や収賄をしていると非難した。彼らの情報によると、3000ドルでドンバスへの派遣が免除されるらしい。

 また、心臓病や喘息の持病を持つ人が前線に送られるという話もある。「健康診断に合格していない、準備不足の人たちが、何を根拠に徴兵され、前線に送られるのでしょうか?特に私の夫は心臓発作を起こし、心臓移植が必要です」と、第101領域防衛旅団の軍人の妻であるインナ・サラウティナさんは言った。

 とはいえ、ウクライナ国防省は、事前の訓練なしに人を前線に送ることはないと先に言っておきながら、自らの過ちを認めようとしない。同時に司令部は、国内西部地域からドンバスに領土防衛部隊を派遣することは合法であると述べているのだ。

 「1月27日に改正された既存の法律があり、それによると、ウクライナ軍最高司令官の命令により、領土防衛大隊は一定の根拠に基づいて地域外の任務遂行に関与できる」と領土防衛軍司令官の顧問であるヴィタリー・クプリは述べている。

***

 脱走や補給に関する苦情、損失や自主的な降伏の事例が多数あり、ドンバスの防衛に関するウクライナ軍が大きな問題を抱えていることがわかる。前線では、兵士が脱走する様子を撮影した映像が流されることが多くなっている。この地域のウクライナ軍は、陣地が無許可で放棄されることから、明らかに不利な状況に陥っている。外国からの援助があるとはいえ、交戦状態が長引けば、疲労や経済問題、腐敗などが顕在化し、こうしたケースはますます増えていくだろう。

ロシアと旧ソ連の専門家である政治ジャーナリスト、ペトル・ラヴレニン(Petr Lavrenin)による。
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ジュリアン・アサンジは、選挙目当ての政治家たちによる見世物裁判のためにアメリカへ


<記事原文 寺島先生推薦>
Julian Assange has no prayer against the ‘Empire of Lies’
ジュリアン・アサンジ、相手が「ウソの帝国」では勝ち目はゼロ
RT 2022年6月19日
ロバート・ブリッジ(Robert Bridge)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年6月30日

@Robert_Bridge

Robert Bridge is an American writer and journalist. He is the author of 'Midnight in the American Empire,' How Corporations and Their Political Servants are Destroying the American Dream.


                        © Daniel LEAL / AFP
 ウィキリークスの編集者ジュリアン・アサンジ(Julian Assange)は、いろいろな政府から何年も逃亡を続けた後、米国に向かうようだ。米国では、メディアに後押しされたウソの山の上に築き上げられた選挙期間中の見世物裁判に晒されることになるだろう。

 今週、英国内務省は、何千もの政府機密文書のリークに関与したとして指名手配されているアサンジを米国に引き渡すことは、彼の「公正な裁判を受ける権利と・・・表現の自由」を損なわないと、発表した。言葉が、半端でなく、上滑りしている。

 厚かましいとはこのことだ。オーストラリア生まれの編集者であり活動家である彼が、そもそも世界最重要指名手配者である事実は、まさに『表現の自由』の問題であることを考えたらいい。アサンジの身柄引き渡しが実現した場合、世界中の報道の自由にどのような影響を与えるか、計算するのは難しい。「背筋がさむくなる(chilling)」という言葉が思い浮かぶ。

 ジュリアン・アサンジは、2010年にウィキリークスが米陸軍情報分析官チェルシー・マニング(Chelsea Manning)から提供された約75万件の軍事・外交機密文書を公開し、世界の舞台へと大きく進出した。

 ほぼ間違いなく言えることだが、一番破壊力があったのは、米国史上最大の軍事機密漏洩となった「イラク戦争記録」だろう。この記録は、アメリカとイギリスの当局者が、イラク戦争における民間人の死について公式な集計は行われていないと主張し、世界を欺いていたことに対して反論の余地のない証拠を提供したものである。ウィキリークスは誰でも簡単にアクセスできるダッシュボード*で、2004年1月1日から2009年12月1日までの死者総数10万9000人のうち、6万6081人の民間人の死亡を数百万人の人が確認できるようにしたのだ。こんな風に情報がスケスケになってしまうことを喜ぶ軍関係者は少ない。
ダッシュボード*・・・必要最低限の指標をPCなどの画面上に整理して標示したもの(英辞郎)



 イラクの民間人の死に関する暴露は衝撃的だったが、必ずしも驚くべきことではなかった。結局のところ、このころまでに、アメリカ国民は身の毛もよだつグアンタナモ湾やアブグレイブのことは知らされていたからだ。この人道的な立ち入り禁止区域では、収容者に対する拷問や虐待が行われ、軍人の病的で歪んだ心の側面が誰の目にも明らかになっていた。それを想像できた人間はほとんどいなかったのだ。しかも、アメリカには、甘言を弄してこのような申し立てから逃れられる道はまったくない。この申し立ては、だれが見ても白黒がはっきりしている。

 では、ジュリアン・アサンジをアメリカの最重要指名手配人物にしたのは何なのだろうか。メッセンジャー役を務めただけで、最大175年の禁固刑に直面しているのだ。『ガーディアン』『ニューヨーク・タイムズ』『シュピーゲル』など、他のニュースメディアも有害な情報を掲載したが、米国でスパイ容疑に直面しているのはアサンジであることを忘れてはならない。


Read more: Caitlin Johnstone: Assange is doing his most important work yet

 ジュリアン・アサンジが2012年6月、スウェーデンが性犯罪の疑惑で逮捕状を出した後、ロンドンのエクアドル大使館に避難せざるを得なかった本当の理由は何だろうか?おそらくそれは、イラクやアフガニスタンの戦場での過剰な死や残虐行為よりも、民主党内部の違法な活動を明らかにしたことと関係があるのだろうか?

 ヒラリー・クリントンとドナルド・トランプの間で行われた2016年の大統領選挙に向けて、WikiLeaksはクリントンの選挙運動用メールアカウントからハッキングされたか流出した、壊滅的なメールの数々を公開した。民主党全国委員会(DNC)は、「ロシアのハッカー」が組織のコンピューターに侵入したという話を宣伝して、被害を隠蔽しようとした。一方、より「陰謀論的」な説明としては、DNC内部のスタッフを通じてWikiLeaksに届けられたというものである。詳しくは後述する。

 クリントンの大統領候補に深刻なダメージを与えた以外に、この漏洩事件の結果の1つは、DNC議長のデビー・ワッサーマンシュルツ(Debbie Wasserman Schultz)が辞任に追い込まれたことだ。恥ずべき自業自得だが、電子メールには、民主党がクリントンを後押しするために、同じ民主党候補であるバーニー・サンダース(Bernie Sanders)の選挙運動を弱体化させようと働いていたことが記されていたのだ。

 しかし、少なくとも民主党にとっては、この話はさらに悪い。

 選挙まで1週間を切ったところで、ウィキリークスはDNCの電子メールをまた公開した。今回は、暫定DNC議長のドナ・ブラジル(Donna Brazile)(失脚したワッサーマンシュルツに代わったCNNの寄稿者)が、トランプに対するCNNタウンホール討論で問われるであろう質問をクリントン陣営に与えていたことを示すものだ。「米国の民主主義を危険にさらす」という点では、ロシアは何もしていなかった。実際、多くの激怒した有権者は、選挙が行われる前に、クリントンがトランプに大統領職を譲ることを要求していた。

 この話の重要な付随事項は、ジュリアン・アサンジとウィキリークスがそもそもどうやってDNCの電子メールを入手したかということだ。一方では、「ロシアのハッカー」がDNCのコンピューターを不正利用したという話があり、他方では、DNCの内部情報源が資料を流したという話もある。2つ目の可能性については、DNCのメールスキャンダルが発覚する数日前に、セス・リッチ(Seth Rich)という名前のDNCマネージャーがワシントンDCの路上で射殺された。このため、陰謀論者たちは、この若者が情報漏洩の張本人だったのではないかと推測するようになった。リッチは7月10日に殺害され、WikiLeaksは7月22日にDNCの資料の第一弾を発行した。

 アサンジはDNCの電子メールの送信元を挙げることを拒否したが、WikiLeaksがリッチ氏の殺人犯または殺害犯の逮捕につながる情報に対して2万ドルの報酬を掲示したことが人々の注視を逃れることはなかった。

 最後に、緊迫した選挙の年、しかも民主党が、主に経済面で蓄積された悪いニュースからの良い気晴らしを切実に必要としている時に、ジュリアン・アサンジがペンシルバニア通りを鎖につながれてパレードするかもしれないということは、確かに最大の偶然である。



 そして誰もが知っているように、そしてドナルド・J・トランプ以上に、民主党ほどこの見世物裁判を開催することに熱中している者はいない。アサンジの上訴手続きが失敗し、彼がアメリカに引き渡された場合、民主党に忠実な主流メディアは、目の前の囚人が政府の不正を訴える義務のある仲間のジャーナリストであることを忘れ、むしろ彼を、2016年に憎むべきオレンジ色の男(トランプのこと)に対してヒラリー・クリントンを犠牲にしたかもしれない人物と見なして、誰も驚くべきではないだろう。

 ジュリアン・アサンジはアメリカでは正義は期待できないし、同情もされない。だからこそ、ロンドンはそもそもウソの帝国への身柄引き渡しに同意すべきではなかったのだ。
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米国防省がついに白状。公式文書においてウクライナには米軍が資金提供した46箇所の生物研究所があることを認めた

<記事原文 寺島先生推薦> US Department of Defense Finally Comes Clean – Admits in Public Document that There Are 46 US Military-Funded Biolabs in Ukraine
(米国防省がついに白状。公式文書においてウクライナには米軍が資金提供した46箇所の生物研究所があることを認めた)

原典:グローバル・リサーチ

著者:ジム・ホフト(Jim Hoft)

2022年6月14日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年7月1日


 それほど前のことではないが、ミット・ロムニー(Mitt Romney)がトゥルシ・ギャバード(Tulsi Gabbard)前下院議員に警告を発した事件があった。それは、ギャバードが、米国がウクライナ国内の生物研究所に資金提供していることを示唆するようなツイートをしたことについてだった。

 今年の3月、RINO(共和党員だが民主党的リベラルな考えを持つ党員のこと)であるミット・ロムニー上院議員は、民主党のトゥルシー・ギャバード前下院議員を 「国家反逆罪的な嘘を拡散している」として非難した。ただしギャバードはただウクライナには米国が資金提供している生物研究所があると語っただけなのだが。

ロシア国防省が記者会見で示したウクライナ領内で米国が資金提供している生物研究所

 「ウクライナ国内には25箇所以上、米国が資金提供した生物研究所があり、破壊されることがあれば恐ろしい病原体が米国や世界中にばら撒かれることになるでしょう」とギャバードは2022年3月13日(日)にツイートしている。

 「私たちは今、大惨事を防ぐために行動を起こさなければなりません。米・露・ウクライナ・NATO・国連・EUはこれらの研究所の安全が確保され、病原体が破壊されるまで、それらの研究所付近での休戦を実行しなければなりません」ともギャバード氏は発言していた。

 以下の動画を参照:


 トゥルシー・ギャバードが自身の発言の根拠にしていたのは、ヨーロッパ・ユーラシア問題担当国務次官補であるビクトリア・ヌーランド(Victoria Nuland)の証言だった。

 ビクトリー・ヌーランドは米国上院議会の委員会での証言中に、ウクライナ国内に生物研究施設があることを認めた。

 その発言後24時間もしないうちに、ホワイトハウスの報道官であるジェン・サキ(Jen Psaki)は、ウクライナ国内の生物研究所についての報告書はロシアの喧伝による


 ニ

述べた

民の手先である偽ニュ発信デ合体はそれて、ウクイナ国内の生物研究施設についての話を持ち出すものは誰にでも攻撃を加えるようになった。

 ミト・ロムニはトゥルシー・ギャバードを激しく攻撃し、こう語っ た。「トゥルシー・ギャバードはロシアによる偽プロパガンダをオウム返ししているだけだ。ギャバードによる国
 家反逆罪にあたるこの嘘は、彼女の命に 関わる問題になる可と。

 その後下のようなことが起こった。ロシアがウクライナ国内で入手したとされる文書を公開したのだ。その文書はウクライナ国内にある米軍の生物研究所の存在を暴露するものだった。

 ロシアは国連総会の場でこのことに対する非難を行った。

 そして今、6月9日(木)。国防総省はついに公式文書で、ウクライナ国内に米軍が資金提供した46箇所の研究所があることを認めた。

 これは民主党やバイデン政権、さらには手先の嘘ニュースを流す大手メディアが何ヶ月間も嘘や否認を続けたあとのことだ!


 国防総省がついに白状したのだ。

「合衆国はウクライナと共同して、ウクライナ国内の生物研究施設の安全と保安や、人間の健康と動物の健康の両方に関する疾病の監視などにつとめており、ここ20年間以上にわたって、ウクライナ国内の46箇所の平和利用のための研究施設や医療施設や疾病診断施設に支援の提供を行ってきた。この共同研究が重点的に力を入れてきたのは、公共医療の改善や農業における危険な薬品の拡散を防ぐための安全措置だ」

 以下は米国防省のウェブサイトからとったスクリーンショットだ。



*
Jim Hoft is the founder and editor of The Gateway Pundit, one of the top conservative news outlets in America. Jim was awarded the Reed Irvine Accuracy in Media Award in 2013 and is the proud recipient of the Breitbart Award for Excellence in Online Journalism from the Americans for Prosperity Foundation in May 2016.
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ウイルスそのものではなくロックダウン措置で亡くなった人の数は?

ウイルスそのものではなくロックダウン措置で亡くなった人の数は?
<記事原文 寺島先生推薦>

Study points to deaths caused by Covid-19 lockdowns

During the first two years of the pandemic restrictive measures led to tens of thousands of fatalities, researchers claim

(Covid-19に関わるロックダウン措置により生じた死者数が研究で明らかになった。世界的流行に伴う制限措置のために何万人もの人々の命が奪われたと研究者たちは主張)
出典:RT

2022年6月13日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年6月26日

Demonstrators in San Diego are shown protesting California's Covid-19 lockdown in May 2020. © Getty Images / Sean M. Haffey


 米国においては、Covid-19の世界的流行時に17万人以上の人々がこのウイルスを原因とせずに亡くなっていて、その死因は肥満や薬物乱用など別の原因であり、これらの原因は政府が課したロックダウン措置期間中に生じたことが、新しい研究結果から明らかになった。

 この死者数が明らかにされたのは、今月(2022年6月)全米経済研究所(NBER)が出した報告書においてだ。実際の数はもっと高くなると考えられるとその報告書には記載されていて、この総計にはウイルスによって亡くなったとされているが実際は本当にウイルスが死因であったとは限らない7万2千人の死者数は含まれていないとのことだ。

 この報告書の推定によれば、Covidそのものが死因ではない過剰死者が生じたのは、「政策の選択間違いのせいで起こった巻き添え被害のようなものである」とのことだ。NBERは、この政策の選択間違いにより、銃による暴力事件や、薬物やアルコールの摂取、 喫煙、体重増加などがロックダウン措置期間中に増加しているという事実を指摘している。

 「特筆すべきことは、Covidに関係のない健康異常があまり詳しく追求されない状況におかれていて、何よりもこのような死者数の増加の原因が、民間や公的機関が課したCovid制限措置にあるかどうかを決するかどうかの精査が行われていないという事実だ」とこの報告書の執筆者たちは記述している。更に付け加えて、この研究結果を批判する人々は、このような余分な死亡が生じた原因は、政府の政策ではなく亡くなった人々の個人の問題に帰すると主張するかもしれないが、「だからと言って、こんなにも急増している死者数を無視したり、これらの死についての精査を後回しにする言い訳にすべきではない」としている。

 薬物やアルコール摂取が原因で亡くなった死者数はそれぞれ13%と28%増加していて、年間基準値を超える合わせて年間2万4千人に達したとNBERは記述している。循環器系疾患による過剰死者数は1年間で3万2千件で、これは基準値よりも推定で4%高かった。さらに糖尿病や肥満が原因となった死者数は予想の1割増しで、例年の年間基準値より1万5千件多かった。

 国や地方行政当局は、Covidについては症例数や死者数をしっかりと追跡するが、このウイルスと関係の無い健康異常についてどうなっているかについてはほとんど数値を出していない、とNBERは記述している。「民間や公的機関によるCovid対策が上記のような健康異常の出現に悪影響を及ぼしているかを精査しようという向きはほとんど見られない」とこの報告書の執筆者たちは記述し、さらに付け加えて、世界的流行時にどのような健康異常が生じたかについてのこの調査結果は、「歴史に残る重大なものだ」としている。

 Covid-19が死因となった死亡については圧倒的に高齢者層が多かったのだが、世界的流行時におけるCovidが原因ではない死亡事例については成人のどの年齢層でも急増していることがNBERの調べで判明した。実際、世界的流行時における全ての死因による死亡事例は成人若年層のほうが高齢者層よりも激しく増えている。


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Lockdowns virtually useless in curbing Covid-19 deaths, study claims

 「薬物依存や死亡に至らなかった銃撃事件や、体重増加や、がん検診の事例については、ほとんど世間からは認識されていないけれども、歴史的な健康の緊急事態を示している」とこの報告書の執筆者たちは記述している。Covidが死因ではなかった過剰死亡が一人あたりでどのくらいの割合で発生しているかについてはEU諸国でも同様の数値が出ている。例外はスウェーデンで、Covidが死因ではなかった死亡事例は例年の基準値よりも低かった。「国家間での数値の違いの原因は、Covidによる死因であると診断する基準の違いにあるとも考えられるが、しかしそれ以外の理由として、スウェーデンでの数値が示していることは、スウェーデンでは市民の通常の生活形式の混乱を最小限に抑えていたこともあるのではないかと推測される」とNBERは記述している。

 今年上旬に出されたジョン・ホプキンス大学のある論文の推定によると、世界中で課されたCovid-19関連のロックダウン措置がこのウイルスによる死亡を防げたのは、あってもごくわずかだとのことだった「このメタ分析的研究の結論から言えば、ロックダウン措置を行っても、人々の健康に関して良好な効果は得られず、ロックダウン措置をとった地域では、経済面や社会面において膨大な損失が生み出されることになった」とこの報告書の執筆者たちは記述している。「つまりロックダウン政策をとることにはなんの根拠もなく、世界的流行を止めるための政策としては採用されるべき政策ではないということだ。」

<参考資料>
(1)本記事で扱われている問題は、次のように国会で取り上げられていて、欧米やEU諸国だけでなく日本の問題でもあることが分かる。

参議院 2022年04月28日 厚生労働委員会 #02 川田龍平(立憲民主・社民) - YouTube
該当箇所は59:00~(以下のダイジェスト文はhttps://www.jacvc.com/より引用)
 2021年以降、死亡者数が前年対比で毎月100%を超えている点や、超過死亡者数も増加している点についても指摘し、厚労省の見解を質疑。

 川田議員:4月22日に開示された総務省の人口動態統計データによると令和4年2月の死亡者数は単月で前年対比116.3%、19490人の増加となっています。令和3年は1年を通じて前年対比で全ての月で100%を超えて、増加が止まりません。超過死亡者数も増加していますが、原因をどのように捉えているのでしょうか?

 佐原健康局長:2021年の超過死亡については2017年から2020年の同時期と比べて最も多くなっております。その要因の一つとしては専門家からは新型コロナウイルスの影響が指摘されています。

 川田議員:新型コロナウイルス感染症の影響というのはそのウイルス直接の影響ではなく、受診控え、検査控え、それからのワクチンの接種も影響してか、やっぱり自己免疫疾患が非常に増えていて、免疫の異常が非常に多くなってきていると思います。癌の再発も増えていますし、本当にいろんな原因があるのかと。超過死亡についての対策も含めてしっかりとっていただくようにお願いします。

(2)本記事と同じようなテーマが、ミシェル・チョスドフスキー著『仕組まれたコロナ危機-「世界の初期化」を目論む者たち』(共栄書房2022)の中の第6章「心の健康を破壊する」でも論じられていた。この章では、世界の自殺者や麻薬の過剰摂取による死亡の増加、アルコール依存症の増加について述べられていた。
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コロンビアで初の左派大統領が誕生

  コロンビアで初の左派大統領が誕生
<記事原文 寺島先生推薦>

Colombia elects leftist president for first time

The former mayor of Bogota vowed to unite the country


(コロンビアは初の左派大統領を選出。前ボゴタ市長がコロンビアの団結を誓約)

出典:RT

2022年6月20日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>2022年6月28日


Gustavo Petro in Bogota, Colombia, June 19, 2022. © Robert Bonet / NurPhoto / Getty Images

 グスタボ・ペトロ(Gustavo Petro)氏が6月19日(日)、コロンビア大統領選挙の決選投票において50%以上の得票率を得て、建築業界の大物であるロドルフォ・ヘルナンデス( Rodolfo Hernandez)氏を破った。ヘルナンデス氏は既に敗北宣言を出している。ペトロ氏はコロンビア史上初の左派出身の指導者となる。

 「今日は民衆のための祝日です。民衆の皆さんは、我が国で初めての民衆の勝利を祝福してください」とペトロ氏は選挙結果が最終確定した直後にツイッターに投稿した。「今私たちが書き込もうとしている歴史は、コロンビアにとって、ラテンアメリカにとって、世界にとっての新しい歴史なのです。この答えを出した有権者の皆さんを裏切る訳にはいきません。」とペトロ氏はツイートしている。



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 Macron’s party loses absolute majority

 新しく大統領に選ばれたペトロ氏はさらに、自身は党派を超えてコロンビアの連帯を進めたいと以下のようにツイートしている。「多様性のあるこのコロンビアをひとつにまとめたいのです。2つのコロンビアはいりません」

 コロンビアはここ何十年間も左派による暴動や経済問題に苦しめられてきた。ペトロ氏自身も都市部のゲリラ組織であるM-19という組織に17歳から加入していたが、事務方をつとめていて、戦士ではなかったと後にペトロ氏は主張していた、とAFP通信は報じている。

 ペトロ氏の勝利は同地域であるラテンアメリカ諸国の大統領たちからも歓迎されている。具体的には、メキシコやアルゼンチンやボリビアやチリやペルーやベネズエラやキューバやホンジュラスだ。アントニー・ブリンケン(Antony Blinken)米国務長官もペトロ氏を祝福し、米国政府はいつでもペトロ政権と協力して「より民主的で公正な地域」の建設を行う用意があると述べている。なおペトロ氏が正式に大統領職に就くのは8月7日だ。
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アメリカがウクライナで「生物兵器」開発を行っていたことは事実。西側メディアの狼狽。


<記事原文 寺島先生推薦>
Recent Revelations About Ukraine’s Illegal Arms Projects Highlights Other Major Shifts in the World
最近露見したウクライナの違法な兵器プロジェクトは、世界の流れに別の大きな変化を目立たせることになった
New Eastern Outlook 2022年5月30日
ジェイムズ・オニール(James ONeill)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年6月26日


 今年初め、ロシアはウクライナと米国が生物兵器を開発していると主張した。生物兵器の開発は、1971年にこのテーマに関する条約調印以降、禁止されている。こういった報道は、ロシアの偽情報であると主張する西側主流メディアによってすべてはねつけられた。西側メディアには残念なことだが、このロシアの主張は、ビクトリア・ヌーランド(Victoria Nuland)が、次のように言ったときアメリカによって事実上正しいと認められたことになる:
「米国とウクライナは協力して、(生物兵器の)研究材料がロシアの手に渡らないようにしている。」

 それ以降、西側メディアはこの問題について、ずっとだんまりをきめている。考えられるのは、ロシアの主張はすべて偽情報だとの抗議を出してしまっている手前、実際の証拠が明らかになったことで、これ以上コメントするのが恥ずかしくなったのだろうということだ。しかし、西側メディアにとっては残念なことだが、その証拠はどう考えても否定しようがない。ロシアの調査委員会の責任者であるアレクサンダー・バストリキン(Alexander Bastrykin)は、米国防総省が資金提供したウクライナの生物兵器プログラムに関する犯罪について、彼の調査チームが着々と調査を進めていると述べた。

 バストリキン氏によれば、米国は2005年以来ウクライナに2億2400万ドル以上を支出し、その資金はウクライナの国防、保健、農業大臣が管轄する約30の研究センターの配備と改良に使用されたとのことだ。ロシアの手に渡らないように、というヌーランドの弁解じみた言い方は、うっかりするとやり過ごしてしまう。(しかし、)もう手遅れだ。

 ロシア側は国際機関に正式な苦情を申し立て、国連安全保障理事会に問題を提起している。ロシアの主張は米国にとって破滅的であり、欧米のメディアがその証拠を黙殺する大きな理由となっている。ロシアの主張は、(生物兵器)研究所の存在の数々が世界的な脅威になっているというものである。この主張は、条約第6条に基づいて提訴された。

 (ロシアがとる)この手続きを隠し通すことは不可能だろう。西側メディアが、手ぐすねを引いてロシアが発見した事実をまっさきに否定し、次にロシアがウクライナでの作戦で化学兵器を使用する恐れがあると申し立てようとしても、だ。これは西側メディアの標準的なやり口。まずそのようなプログラムの存在を否定し、次にこの作戦の標的(つまりロシア)が、戦争に勝つためにそのような兵器を使用するだろうと主張するのである。西側メディアはこの戦争はウクライナの勝利となるだろうとの主張をずっと続ける。
 西側メディアのこの主張は、2月のロシアによるドンバスにおける戦争への介入以来、ロシアが自国に仕掛けられた経済戦争に明らかに勝利している時になされている。狂気じみた反ロシア派であるウルスラ・ヴァン・デル・ライエン(Ursula van der Lyen)が率いる欧州連合は、ロシアに課した制裁が、ウクライナ戦争での勝利だけでなく、ロシア経済の崩壊につながると信じていたのである。

 実際に起こったことは、彼女とEUの同僚たちにとっては頭から冷や水をかけられたようなショックだった。ロシアは欧州の制裁を生き延びただけでない。実際は潤うことになった。インフレは抑制された。当初は高いインフレ率だったのが16%に下がり、ロシア政府は高齢者層の生活水準を守るため、年金支給率を引き上げる決定をした。欧州連合(EU)は、ロシアのガスと石油の輸入を廃止する計画を静かに後退させざるを得なくなった。経済的な現実を受け入れることを渋々ながら余儀なくされたのは、ロシアの石油とガスへのアクセスを失うことは、自国経済の死を意味するいくつかの欧州連合諸国の公然の反発があったから、というのは間違いないだろう。

 また、ロシア側は、欧州の一次産品の輸入代金はルーブルで支払わなければならないと主張した。このため、当初はパニックになったが、この枠組の詳細が明らかになり、事実上、ロシアの銀行にユーロで支払いができ、それをルーブルに換えてガスなどの供給者に支払うことができることがわかったのである。欧州制裁の崩壊により、ルーブルはここ数年で最高値となった。ロシア経済は崩壊するどころか、ここ数ヶ月は日に日に強くなっている。

 ロシアは、当然のことながら、もはやヨーロッパの好意を全く信用しておらず、エネルギー需要を満たすために、インドや中国と重要な契約を結んでいる。これは、アフリカ、南米、アジアへのロシアの輸出をより一般的に多様化する一環であり、わずかな例外を除いて、米国と欧州が主導するロシアへの制限に加わることを拒否した国々である。このことは、より大きな原則を指し示している。過去300年余りにわたる欧州の世界貿易支配は終わりを告げ、ドルに依存しないシステムに取って代わられようとしている。

 この新しい世界秩序の出現で期待されることのひとつは、現在ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカで構成されているBRICSの拡大であろう。例えば、1週間前に開かれたBRICS外相会議には、アルゼンチン、エジプト、インドネシア、カザフスタン、ナイジェリア、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、セネガル、タイが参加している。同時に、パキスタンに対しては、将来の構成国としてのテコ入れがたびたび行われてきた。

 インドの立場は興味深い。BRICSとSCO(上海協力機構)のメンバーであり、2017年6月に後者に加入しただけでなく、最近東京で行われた、明らかに反中国同盟として設定されているオーストラリア、日本、米国、インドからなる4カ国グループの会合に参加した。インドにとってこのグループへの加盟は、BRICSとSCOの両方への加盟と明らかに矛盾しており、インドが外交政策においてこの明らかな矛盾をどう管理するかが注目される。また、インドはロシアと強固で継続的な関係を築いており、ウクライナでの出来事についてロシアを非難する米国の大きな圧力に屈しなかったことは興味深い。

 インドは現在13億8000万人、世界人口の17.7%を占め、今後20~30年の間に人口で追い抜くと予想される中国に次ぐ人口規模である。経済力、政治力はまだ人口に見合うほどではないが、これも今後伸びていくことが予想される。また、ロシアとの長年の友好関係も地政学的に重要な強みである。ウクライナが米国の生物兵器開発に明らかに違法な形で関与していたことが明らかになったとしても、その友好関係が損なわれることはないだろう。

 世界は明らかに、その地政学的な配置に大きな変化が生じている。ロシアはその展開において中心的な役割を担っており、明らかに違法な米国の(生物)兵器開発が露見してしまったことで、ロシアの中心的な役割は強まることにしかならないだろう。

James O’Neill, an Australian-based former Barrister at Law, exclusively for the online magazine “New Eastern Outlook”.

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紛争はいよいよ「大詰め」か---英米指導者間の不協和を報じる西側メディア

<記事原文 寺島先生推薦>

The West’s ‘Endgame’ Might Be Nearer Than We Think in Ukraine. Tick Tock — Strategic Culture (strategic-culture.org)
(ウクライナで欧米が「大詰め」になるのは意外と近いかもしれない。)

マーティン・ジェイ(Martin Jay)

2022年6月13日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月23日

 ジョー・バイデンは、ゼレンスキーに敵意を示す準備が整ったようです。すでに彼にプーチンとの和平を呼びかけているイギリス人たちと同じように。

 ゼレンスキーとワシントンの間の関係は特別なものであったというよりは、実際のところは便宜上行動を共にしていただけでした。しかし、ジョー・バイデンは、すでにプーチンとの和平をゼレンスキーに呼びかけているイギリス人たちと同様に、彼に敵意を示す準備ができているようです。

 よく聞かれる質問のひとつに、ウクライナのゼレンスキー大統領をどう見ているかというのがあります。私はいつも、素晴らしい学位を持ち巧みな言葉遣いができる人物であるにもかかわらず彼の役割は常に西側にとって「役に立つバカ」である、と答えています。根拠のない私の考えですが、おそらくアメリカは、ポロシェンコが成果をあげられなかった場合に備えて代わりの候補者を用意しておきたかったのだろうということです。ポロシェンコは2014年にアメリカの干渉によって少し助けてもらって大統領に就任していました。ゼレンスキーはポロシェンコのような大衆迎合型指導者の欠点を補うメディア関係者として、完璧な資格を持っていたのです。ジョー・バイデンの手先はウクライナ人は彼に憧れるだろうと(正しく)推測していました。ゼレンスキーはすべての条件を満たしていたのです。

 しかし、自国民と西側諸国の両方から歓迎されていた彼の人気は失墜したのでしょうか。

 ワシントン・ポスト紙とその従順な姉妹紙であるイギリスのガーディアン紙を見れば、ゼレンスキー氏が疎まれるのは時間の問題だと考えるのが自然でしょう。バイデンとジョンソンは自国の経済が破綻した責任は彼にあると指弾しています。アメリカ人はインフレと、5ドルをはるかに超えるガソリン価格と折り合いをつけなければなりません。イギリス人も同じようにこの冬のエネルギー価格高騰の危機に直面しています。ですのでこの先両国においては、バイデンやジョンソンの失政から国民の目をそらせようという動きがさらに活発化するでしょう。中間選挙に向けてジョー・バイデンはもう何週間も、プーチンに経済破綻の責任を押しつけようとしています。この中間選挙において民主党が打撃を受ければ、2024年の自身の滑稽な再選に向け、最後のわずかの信頼も奪われそうになっています。うまくいっていないのです。アメリカ国民はそれを受け入れていないので、彼は新しいスケープゴート(身代わりになるもの)を見つけなければならないのです。しかも迅速に。

 そこでバイデンは、頼みさえすれば、忠実に偽ニュースを作ってくれるワシントン・ポストのお仲間に目をつけました。この驚くべき記事の内容をどう説明すればいいのでしょうか。ウクライナの大統領はプーチンの侵攻が起こると「警告」されたが「聞く耳を持たなかった」、記録的な400億ドルもの税金をウクライナに送ったが、何の効果もなかった、という中身なのです。バイデンは今、米国民が自分から離反しようとしていることに気づいているのでしょうか。この記事のタイミングとその内容は興味深いと思います。バイデンとゼレンスキーとの良好な関係はもう終わったと見ていいのでしょうか。

 ガーディアン紙も似たような記事を書いていますが、以下のような注目に値する記述があります。英国の指導者ボリス・ジョンソンが立てた計画はすべて的外れであり、今日になってもロンドンはウクライナにおいていかなる真の戦略も持っていないというものです。ジョンソンに対するこのバイデンの指弾は痛烈です。記事本編の付け足しのような扱いだったとはいえ、このような辛辣な批判から、ホワイトハウスの現在の考え方を垣間見ることができます。この数週間に大西洋の両側で行われた多くの報道が変化してきたことは、西側の新しいアプローチを示唆しています。彼らはこの紛争とプーチンとの長期的関係をどう見直すべきかを考えているのです。

 これは転換点なのでしょうか。

 この二つの記事にある左派の提案やヒントをどの程度重視するかにもよりますが、私たちは英米の見解の変化を目撃していると考えることができるでしょう。両国の政治家たちは、疲弊した有権者に対して生活費の上昇をいつまで正当化できるかという点で、もう限界に達しているのです。

 ガーディアン紙の記事の中で、西側諸国はプーチンが中国の手に落ちるのを防ぐために、ロシアとどのように平和を築くかを考えた方がよいという指摘がありますが、それは的を射ています。保守党の機関誌であるデイリー・テレグラフ紙ではなく、ガーディアン紙の記事であるということは、バイデンが妥協点、つまりアメリカの直面している苦境を切り抜ける方法を考えていることを示しています。間近に迫ったサウジアラビア訪問(かつて「殺人者」と叱った皇太子に石油増産を事実上懇願する予定)でよい結果が出そうにない状況にあるのです。いま残されている問題は、西側が最終的にこの紛争を「打ち切る」ときはいつか、つまり、西側諸国がゼレンスキーへの支持をやめ、気まぐれなウクライナ大統領との関係を険悪にするのをいつにしたらいいのか、ということだけなのです。いや、そのときはすでに来ているのでしょうか。
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「和平論者」から「戦争亡者」「戦争中毒」へ。ウクライナ大統領ゼレンスキーの転落

<記事原文 寺島先生推薦>

From peacemaker to warmonger: Tragic downfall of Ukraine's Volodymyr Zelensky
(平和実現者から戦争亡者へ。ウクライナのヴォロデミル・ゼレンスキー大統領の転落)

The president of Ukraine came to power calling for peace, but continued his predecessor's militaristic policies
ウクライナ大統領は平和を求めて大統領の座に就いたが、最終的には前任者の好戦主義を引き継いでしまった。

出典:RT 

2022年1月25日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月24日



ウクライナのドンバスのウクライナ軍の前線を訪問中のヴォロデミル・ゼレンスキー大統領

 2019年にウクライナでは本当に素晴らしいことが起こった。伝統的に事実上2つの対等の勢力に分割されてきたウクライナ国民が連帯して同じ大統領を選んだのだ。得票率73.22%を獲得したのは第95街区事務所所属の有名な喜劇俳優ヴォロデミル・ゼレンスキーだった。芸能人を大統領に選んだというウクライナ国民が見せた態度から分かったことは、ウクライナ国民は政治屋たちにうんざりしていたことだ。それと最も重要なことは、ドンバス地方の平和を求めていたという点だ。

 前任者のペトロ・ポロシェンコはウクライナ東部の内戦に関わっていたのだが、芸能人のゼレンスキーは新顔で、けばけばしいしがらみもあまりなく、掲げる諸政策もわかりやすく、人々に「この人物は平和実現者だ」と説得できる力があった。しかし、ウクライナにはこんな諺がある。「思い描いていたようにはいきませんよ」。大統領の座に就くや、「優しい道化師」は正真正銘の戦争亡者へと姿を変え、ある点においてはポロシェンコを凌ぐほどである。どうして、なぜ、こんなことになってしまったのだろうか?


代替者であるという幻想

 大統領候補者だったゼレンスキーは選挙運動を華々しい政治ショーとして展開した。自身の演技力を駆使し、芸能界の仲間たちにも手助けしてもらった。「僕はあなたの敵ではありません。あなたが出した判決です」。ポロシェンコとの討論中に、この台詞をプロとして培ってきた技法を駆使した語り口でゼレンスキーは発したのだ。そしてこの台詞こそがウクライナ国民に深く響き、熱い気持ちを呼び起こさせたのだ。政界の垢に全く染まっていない新しい大統領候補者のゼレンスキーが公約に掲げたのは、プロシェンコなど腐敗した政治家たちの処刑と、国会議員たちの免責の剥奪と、ドンバス地域の戦闘の終結だった。ゼレンスキーが選挙運動の公約で灯したのは、老害支配層が排除されることで、既存の政治体制が終わるのではないかという期待だった。

 ウクライナ国民にはそのような公約がすべて上手くいくのではないかという期待をもつ理由があったのだ。その理由とは、ゼレンスキーはユダヤ人で、 出身地は伝統的に親ロシア地域であるウクライナ南東地域で、母語がロシア語だったからだった。だからゼレンスキーの受け止められ方は、「戦争亡者や、外国人嫌いや、宗教的過激派に反対する人物だ」というものだった。人々は、ゼレンスキーはポロシェンコの「軍、言語、信念」という三位一体政策を否定するだろうと考えていた。有権者たちはだれか信頼できる人を求めていて、ゼレンスキーがその役割を果たすだろうと考えていたのだ。

 ゼレンスキーが平和実現者であるという伝説がさらに喧伝されたインタビューがあった。それは2019年にまだ大統領候補者だったときに行われたものだ。この先機会があれば、ロシアのウラジミール・プーチン大統領にどんな言葉をかけるかと聞かれたゼレンスキーはこう即答した。「とにかく何よりも、まずは射撃を中止したいです」と。この台詞が、先述のプロシェンコに対して発した「私はあなたが下した判決です」発言と同じくらい重要で、象徴的な台詞となった。これらの台詞以外の台詞を、有権者たちはもはや必要とはしなかった。

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Ukraine dismisses suggestions of imminent Russian invasion

 しかし同月の下旬、この「平和実現者」はミンスク平和合意計画に従う気がないと主張した。「この同意は複雑なものではありません」とゼレンスキーは語り、さらに言葉を続けほのめかしたのは、この同意は機能しておらず、合意の過程で他諸国の介入を求めるべきだという点だった。さらにゼレンスキーはドンバスの紛争に関わった人々の恩赦を拒絶したが、これはミンスク合意に反することだった。「この人々は私たちの同胞を殺害したのです。どういう意味か分かりますか?もちろん私は殺人をしたりはしません。私たちを支配しようとするいかなるものにも私は反対します。我が国は独立国です。許されるわけがありません。完全な恩赦の要求などできるわけがないのです。そんなことを許す人など誰もいません!」とゼレンスキーは語った。

 ウクライナ国民から支持を得ていたゼレンスキーによるもう一つの公約は、「ウクライナ語にウクライナ国語としての機能を持たせる」という法律を改定することだった。この法律はペトロ・プロシェンコが大統領任期の晩期に制定したものだった。「ウクライナ大統領になれた暁には、この法律の研究と分析を行い、この法律が憲法に定められた権利と符号するか、さらにはウクライナ国民の利益に繋がるかの確認を行います。その結果次第では、ウクライナ大統領としての権限で、憲法に規定されている通り、ウクライナ国民の利益に沿う中味になるよう行動を起こします」とゼレンスキーは語っていた。しかし状況はそれ以来何も変わっていない。ウクライナの公用語政策が、ロシア語話者たちの利益を阻害する状況が続いている。2022年1月には、さらなる制限が課され、ウクライナ国内のすべての出版社はウクライナ語で出版されなければならなくなった。この制限により、ウクライナ国内のロシア語紙のほとんどが効率的に非合法化されることになった。

 大統領職に就くや、ゼレンスキーの話しぶりは前任者のポロシェンコとずっと似通ってくるようになり始めた。国民からの大きな信頼と指示を得ることで、ゼレンスキーは大統領になれたというのに、だ。ゼレンスキーの政党「国民の僕(しもべ)」党は、国政選挙においてわずかな得票差で薄票の勝利を収めていた。その結果ウクライナの法律下では、大統領と党員たちは他党と連立を組まなくても単独で権力を享受できることになった。そのため同党はウクライナの国政を自分たちの思うままに進めることができた。他方、同党はウクライナの現状の究極的な責任を問われる立場となった。



 新しくウクライナの指導者となったゼレンスキーは、世界各国からも友好的に受け入れられた。ロシア政府もその例外ではなかった。ゼレンスキーのポロシェンコ型の声明の繰り返し―好戦的な口調、「ロシアによる侵略」という言葉の度重なる使用、ドンバスやクリミアのウクライナへの返還要求、制裁をかけることでロシアに対しての制裁圧力を増すようNATO諸国に対して行っていた働きかけなど―にもかかわらず、新しくウクライナの大統領となったゼレンスキーとロシアのウラジミール・プーチン大統領との間で初めて電話対談があったのは、はやくも2019年7月のことだった。この電話により囚人交換の手続きは早められることになった。しかしこの電話が、ゼレンスキーが「平和実現者」として行った最後の行動だった。


ゼレンスキーはミンスク合意2を反故に

 ウクライナの政権交代を受けて、2016年以来行われてきた ノルマンディー・フォーマット(和平に向けた話し合い)が再開された。ノルマンディー・フォーマットの第4回会議に向かう際、ドイツの放送局ドイチェ・ヴェレ局のインタビューにゼレンスキーはこう答えていた。「ご存じの通り、私はミンスク合意には署名しませんでしたし、私の政権の誰も署名していません。ただし、ミンスク合意の全てを完璧に実現することを規定する文書の作成に向けて歩み寄り、最終的には平和を実現しようという心づもりはあります。」と。ノルマンディー・フォーマットの第4回会議の準備中に、このフォーマットの参加諸国はフランク=ヴァルター・シュタインマイアー(Frank-Walter Steinmeier)が提起し、採用された2016年の規定に戻すことが決まっていた。ドイツの シュタインマイアーが提起していたその提案の中には、ウクライナが一時的にドネツクとルガンスク両地方の特別自治政権を認める法律を制定することも含まれていた。その法律は、この両地域での地方選挙をうけた後一時的に効力を持つものであり、いずれは恒久的に効力をもつ法律だとされていた。ただしその選挙がOSCE(欧州安全保証協力機構)により公正で自由であると確認されるという条件がついていた。このような経過が2019年12月9日にパリで開催されたノルマンディー・方式で参加者により再確認された。

 しかしゼレンスキーはこの同意に固執するつもりがないことが後に判明した。2019年10月1日、この会議の2ヶ月前に、ゼレンスキーはこう語っていた。「外国勢力の存在がある限りは、選挙を行う気はありません。軍が駐留している状況での選挙は許可しません。軍が存在するのであれば、どんな軍でもです、選挙はありえません」。つまりウクライナ側がシュタインマイアーの提起に署名したのは形式上のことだけで、そのノルマンディー・方式に参加するための資格をえるためだけが目的だったのだ。

 ウクライナ大統領としてのゼレンスキーの第一歩は、十分監視されるべきものだった。重要な点は、ゼレンスキーがドンバス地域の紛争を解決しようというすべての公約を投げ捨てたのはいつで、そしてそれをどのように行ったのかを正確につかむことだ。ミンスク合意が署名されたのはずっと前のことで、様々な多くの憶測が生み出されたため、一般の人々はますます混乱するだけで、この合意の何が本当で、何が偽りかがわからなくなっている。さらにはどのような行為が合意違反で、ゼレンスキーがその合意をどう反故にしてきたのかもわかりにくくなっているのだ。



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No respect for Putin: How a call for cooperation with Russia ended a vice-admiral’s career

 ではいくつかの事実確認から始めてみよう。ミンスク議定書は2015年2月12日に作成され、国際連合安全保障理事会決議2022により承認されたものだ。 この議定書は、8年間継続しているドンバス問題の平和的解決に向けて取られるべき手順を規定している。この文書によれば、撤退(ウクライナ軍の撤退のこと。ウクライナ軍は新しい両自称共和国を代表する唯一の軍であるため)当日に、地方選挙を行うかどうかの話し合いが開始されることになっていた。そしてその選挙開催のよりどころとされるのは、ウクライナの国内法である「ドネツクとルガンスク両地域での内部自治政府の命令に関する法律」だとされた。その戦況についての討論は、ドネツク人民共和国(DPR)とルガンスク人民共和国(LPR)両共和国の代表で行われるものとされていた。その法律によれば、両地域には使用言語の自決権も保障され、当該地方の自治政府の諸機関の代表者たちが、当該地方の検察当局や、裁判所の要職に就くことや、自警団の設置、ロシアとの越境協力体制の構築も認められることになっていた。

 文書の第5条が求めていたのは、罪人たちの釈放や恩赦の保証であり、第6条が規定していたのは、戦争犯罪人の釈放と交換についてだった。ウクライナ政府が紛争地域における国境を完全に掌握する権利を復活させることは、第9条の規定によりこの文書から外され、その秩序の回復は、地方選挙が実施され、地方分権が認められる憲法改正が実施されてはじめて行われるとされていた。

 わかりやすく単純な規定と言える。しかしこの会議の共同記者会見中にゼレンスキーは、「私たちは決して憲法を改正した上でのウクライナの連邦化には同意しません。ウクライナ国内の自治政府に外国勢力が影響を与えることは受け入れられません。ウクライナは独立国家であり、自国の政策は自国で選びます」と語り、ミンスク合意2を基本的には受け入れなかった。

 「平和実現者」たるゼレンスキーのはずなのに、ペトロ・プロシェンコ前大統領と全く同じことをしたのだ。つまり文書に書かれている手続きの順番を変えたのだ。「国境の掌握が先で、選挙はその次」だとしたのだ。さらに、ファイナンシャル・タイムズ(英経済紙)の取材に対して、ゼレンスキーはドンバスの代表者との話し合いを持つことを拒絶し、こう語った。「私はテロリストたちと話し合う気はありません。私の立場ではそれはありえません」と。さらにゼレンスキーは2020年10月に議会で行っていた恩赦要求についてこう振り返った。「”恩赦”などというひどい言葉が全ての人にあてはまるわけではありませんし、そんな言葉で罪人が犯した罪の責任が消えるわけはありません。我が国の何百万もの国民たちの手が血で汚れているわけではないのですから」


平和主義ではなく軍国主義に向かうゼレンスキー

 大統領に選出されてすぐにゼレンスキーは、世界中を行脚しウクライナにもっと武器を送ってもらおうとした。中でもゼレンスキーが交渉したのは、カナダドイツと米国だった。ウクライナがこれらの諸国から受け取った軍事支援は2014年から2021年の間で25億米ドルに上る。さらにウクライナがNATO加盟を求める態度は執拗さを増し続けている。

 ゼレンスキー支配下で、社会の軍国化が奨励され、好戦的な表現が大衆の支持を集めるようになった。ウクライナで最近採用された国家保安戦略が要求しているのは、ロシアと実践的な戦闘態勢を取ることだ。必要に応じて自国を防衛するだけではない。例えば、ロシアとロシアの近隣国の国境で紛争が起こった場合や、ロシアがベラルーシを衛星国として配下に置こうとした場合も想定に入れている。ウクライナの外交戦略も同様に好戦的で、「ロシアとの戦闘」をアフリカにおいてさえ求めている。

 それと同時にゼレンスキー政権はウクライナの軍事化を継続しており、これはアルバニアのエンヴェル・ホッジャ(Enver Hoxha 1908-1985 )政権と匹敵するような風潮だった。ウクライナの防衛省が拠り所としている法律は、「国をあげての祖国解放運動の基本法」により、各州や90万人以上の人口をもつ各都市の住民は、地域防衛旅団を作るよう強制され、13万人ごとに一旅団を作成することが目標とされていた。この旅団は交戦地域外に配置されたが、大統領はこれらの旅団に別の任務を課すつもりかもしれない。

女性たちもこの法令から逃れられなかった。現在国防省は今年の終わりまでに18歳から60歳までの全ての女性を軍事記録に登録させたがっている。妊娠中であったり子沢山の母親であっても、だ。2023年からは、「軍事義務」を無視した女性たちは、その女性たちの雇用主たちとともに罰金を課されることになる。ウクライナ大統領府のホームページには国民から何度もある嘆願書があげられている。その嘆願書は、1994年10月14日にウクライナ政府が(軍事行為に関わってはならないと)認定した職業一覧を再認定するよることを求めるもので、3万7千人以上の人々がその嘆願書にデジタル署名している

 他にゼレンスキーが力を入れていることは、諸外国からの流入者たちにウクライナ国籍を認めることだ。これらの流入者たちはドンバスでの戦闘行為に参加しているが、このことは軍事紛争において傭兵を登用することを禁じた国際法違反であることが疑われている。さらにこのような行為はウクライナと近隣諸国にとって大きな危険を招くことにもなっている。というのも犯罪者と思しき外国の人々を合法的に入国させることになるからだ。例えば自分が犯した罪を隠すためにウクライナ国籍のパスポートを入手しようとするテロリストたちが出てこないとは限らないのだ。



 ゼレンスキーが大統領職に就いてからドンバスでの激しい紛争の数は急増している。国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)の報告によると、紛争地域での休戦協定の違反行為の数は2021年2月1日から2021年7月31日のあいだで相当数に上っており、62名の一般市民が亡くなっている。この数はその前の6ヶ月間と比べて51%増加している。国連の別の報告によると、 休戦協定違反行為の件数は369% 増加しているとのことだ。2021年2月1日から2021年7月31日のあいだで、OHCHRは27件の砲撃による被害を確認しており、うち22件(81%)は、ドンバスの民兵の統制地域で、残り5件(19%)がウクライナ政府の統制地域で発生しているとのことだ。つまりウクライナ軍は自称両共和国の施設の砲撃を依然として続けており、多くの犠牲者を出していることが国連による数値で明らかにされているということだ。 そして忘れないでおきたいことは、このような行為が起こったのは、最近の好戦的な狂気の発現や、「ロシアによる侵略だ」というハッキリとしない言いがかりについて人々からの嘆きの声が噴出する前からのことだったという点だ。ロシアのマリア・ザハロワ(Maria Zakharova )外務省報道官は最近こう語っている。「(ドンバスの紛争地域で)悲劇的な様相が最近ますます見られるようになっています。本当に悲しいことです。短期間の小休止の後、毎日の平均砲撃事件の件数は、先月や、去年とさえ比べても高い数値になっています。」

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 ドンバスの市民たちの苦しみのことをOSCE(欧州安全保障協力機構) の監視の目が見逃すことはなかった。ルガンスクのゾロトイエ5地区に訪問中、「人道活動団体」の調整係であるシャルロッタ・レランダー(Charlotta Relander) 氏は砲撃が日常的に起こっていることに驚愕していた。「私がこの地で目にしたことは本当に恐ろしいことです。こんな事が起こっていることさえ知りませんでしたし、ここは大きな学校ではないですか。本当にたくさんの生徒たちがこの学校を頼りにして、ここに通って勉強しているのです。そしてもちろん、学校のような建造物を標的にするべきではありません。学校は市民のための建物なのですから。」と同氏は語っている。

 「ロシアによる侵攻」が予想されることや、ロシア軍がウクライナ国境に明らかに大挙集結していることはメディアで見出しになり続けているのに、ウクライナ側が軍を国境付近の広範囲にわたる地域に集めていることについて気にかけて発言しようとするメディアは皆無のようだ。その範囲は反ウクライナ政府側の何倍もの範囲になっているのだが。このことはドネツク人民共和国のデニス・プシーリン元首か報告している。

 現在西側はウクライナに武器を注入し続けている。2022年1月18日(火)、ウクライナ軍は小型の対戦車ミサイル一式を受け取った。米国大統領府はバルト海沿岸諸国が米国製の対戦車及び対空防空体制をウクライナに送ることを了承しただけではなく、米国自らもウクライナにミル17輸送用ヘリコプターを5機供給する心づもりのようだと、ウォール・ストリート・ジャーナル紙は報じている。カナダは自国大使館防衛という名目で200人の強靭な特殊部隊を配置している。英国は自国から30名以上からなる特殊作戦旅団 を派遣している。これは既にウクライナ入りして、ウクライナの特殊部隊の訓練を行っている英軍対外軍事教官団に加えての投入になる。報道によると、その中にはCIAの工作員たちも入り込んでいるようだ。


ゼレンスキーが変節した諸理由

 ゼレンスキーの話に戻ってなぜゼレンスキーがウクライナに平和をもたらす好機を逃したのかを追跡してみよう。芸能人としての才能があるところからすれば、ゼレンスキーは聴衆の意向を読むのに長けている。そのおかげで「平和をもたらす」という口先
だけの話を持ち出すことで権力の座につくことができたのだ。ただしその平和の話は大統領になるやいなや反故にされてしまったのだが。

 公正さを保つために付け加えるが、ドンバスとの和平協定を投げ捨てようというある種の企みは以前から存在していた。ドネツク生まれのセルゲイ・シボホ(Sergey Sivokho)は、ウクライナ国家安全保障・国防会議の会長の顧問をつとめていた人物だが、「和解と団結のための国家プラットフォーム」という組織を立ち上げた。のちにこの組織はウクライナ国内で一時的に占領されている地域の再統合にむけた原則についての法案を提案した。この法案の成立はまだ道半ばであったが、ミンスク合意が規定していた恩赦を完全に認め、ドンバスに自分たちの言語政策の決定権を付与する内容だったことに対しては反動が生じた。 ネオナチ勢力からも、ゼレンスキー自身の政党からも.ゼレンスキー大統領を「大きな反逆行為を行い、ロシア側に屈服している 」と非難する声が上がった。いっぽうジボホはアゾフ大隊の兵士たちから攻撃を受けた。このアゾフ大隊は米国内でさえネオナチ組織であると認識されている大隊だ。

 権力の拠り所を自前で持てていないゼレンスキーは最も安易な道をとることに決めた。というのも自称両共和国と少しでも交渉しようとすれば過激派勢力から大きな怒りを買うことになるからだ。これらの過激派勢力はなんの咎めも受けずに大統領府の攻撃を実行できることが実証済みだったからだ。

 極右過激派からの圧力のせいで、ゼレンスキー外交や内政の政策は影響を受けた。例えば、ゼレンスキー大統領は言語や教育に関する差別的な法律を改訂するという公約を決して守ろうとはしていない。政治専門家のギャザー・スティア(Gabor Stier)の指摘によると、ウクライナ国内のハンガリー人たちの利益を保護する上で大きな問題が生じているとのことだ。スティア氏によると、「ゼレンスキーは国家主義者たちを恐れて、この内政問題を実施することに関してほとんど自分の意見を通す余地がなくなっている」とのことだ。

 現在、ウクライナ至上主義の強行はウクライナ国内でのゼレンスキーに対する支持率を失わせているだけではなく、海外からの批判も受けている。2021年12月下旬の時点でゼレンスキーの支持率は2019年時の輝かしい数値から暴落していまや24%にまで落ち込んでいる。ウクライナは未だに欧州評議会議員総会(PACE)の決議を受諾していない。この決議は、ウクライナの国内法が欧州諸国の基準に到達することを求めたものだ。たしかにウクライナのこれらの法律が成立したのはゼレンスキーが大統領職に就く前のことだ。しかし例えば、ウクライナの先住民族に対する法律については、ゼレンスキー政権になってから起草されたものだ。

 2019年12月、ヴェネチア委員会は、少数民族や少数言語に対するウクライナの政策を批判する意見書を出している。この意見書は、「中等教育段階においてある階層が形成されている。具体的には先住民族(ウクライナ人)が、EUの公式言語の中の言葉を話している国内の少数民族よりも、優位に扱われると思われる政策が採られている。さらにEUの公式言語の中のある言語話者民族が国内の別の少数諸民族よりも優位に扱われている」という現状を強調していた。



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 ヴェネチア委員会がウクライナのこのような政策を差別的であると捉えているにもかかわらず、国内に130以上の民族が存在するウクライナが少数民族だと認めているのは、先住民族であるクリミア・タタール人とカライ人とクリムチャク人だけであり、ロシア人や、ポーランド人、ハンガリー人、ユダヤ人などより規模の大きい民族の何千もの人々のことは無視されている。ゼレンスキーが野党やメディアを封鎖している理由は自身の支持率が低下していることが理由なのかもしれない。ウクライナ国家安全保障防衛会議を通じて、ゼレンスキーはTV局の封鎖を開始し、ウクライナ国民に対する制裁を課し始めた。その中には記者のアナトリー・シャリー(Anatoly Shariy)やイゴール・グジバ(Igor Guzhva)もいる。このことが国際連合人権高等弁務官事務所(OHCHR)の目に触れない訳にはいかなかった。同事務所は第32番報告で以下のような報告を出している。「当OHCHRは、タラス・コザック(Taras Kozaki )国会議員個人に対してと、同議員が所有する8つの企業に課された制裁について懸念している。この諸企業に課された制裁により、テレビ局である112ウクライナ局や、ZIK局や、NewsOne局が閉鎖されることになった。このことは表現の自由という観点からすれば国際基準には達していないといえる」と。この報告に対してもウクライナは注意を払わず、シャリー氏やグジバ氏に対する制裁を開始し、モスコフスキー・コムソモレット局や、ヴェドモスティ局や、ナッシュ局など多くのメディアに制裁を課したのは、この報告が出された後のことだった。

 国連はさらにウクライナ大統領が法の支配の原則を攻撃していることに対しても非難の声を上げている。先述の報告書において、OHCHRはこう記載していた。「ウクライナにおいて立憲主義が危機に瀕しているという懸念は残存している。このことは憲法裁判所の2名の裁判官が停職処分を受けたのち解雇され刑事訴追されたことに関する懸念である。このような行為はウクライナにおける司法の独立や法の支配の原則を脅かすものである」と。これらの件に関わる最近の最も激しい事件は、ゼレンスキーの前任者であるペトロ・プロシェンコに有罪判決を出そうという企てだった。罪状はドンバス地方の石炭を購入したことによる大逆罪だとのことだった。ウクライナ当局の考えでは、ドンバス地方はウクライナ国内の一部であるとされているのに、 プロシェンコにいったい何の罪があるというのだろうか?南アフリカから購入せずに、自国内で石炭を購入したという罪なのか?それとも、プロシェンコの人気がゼレンスキーの次に高いという罪なのだろうか?



 今年(2022年)初旬に、別の野党の指導者であるヴィクトル・メドベチュク(Viktor Medvedchuk)が逮捕されたが、罪状はクリミアと取引をしたという反逆罪だとされた。プロシェンコと同様にメドベチュクの政党である「野党プラットフォーム生活党」はゼレンスキーの政党よりも高い得票率を得ていた。その後メドベチュクが訴追されたのだ。さらにメドベチュクの主張によると、自身に起こったことには政治的意図が明白にあるとのことだ。8月にメドべチュクの弁護士であるリナット・クズミン( Rinat Kuzmin)が明らかにしたところによると、メドベチュクは欧州人権裁判所に自身の権利に関する嘆願書を提出したとのことだ。具体的には、「公平な裁判を受ける権利、自由の権利、身の安全を保障する権利」についてだ。

 今のところ、ゼレンスキーは民主主義の基準を逸脱する形で権力者の地位に留まろうとしているようだが、そんなことをしても効果はなさそうである。近年のウクライナの政治史を振り返ってみよう。ゼレンスキーと同じ様な政策を追求していたヴィクトル・ユシチェンコは、2004年に51.99%の得票率を得て当選したが、2010年の大統領選では再選を果たせず得票率はたった5.45%という惨敗だった。2014年に54.7% の得票率を得たポロシェンコも、その次の大統領選での得票率はたったの24.45% だった。ゼレンスキーの現在の支持率からみれば、ゼレンスキーも同じ様な道程を辿りそうだ。

 アルバート・アインシュタインの格言に以下のようなものがある。「狂気とは、同じ事を繰り返しながら、異なる結果を期待することである」。この格言がゼレンスキーの耳に届き、この紛争の解決に向かうべく、軍事行動に向かう狂気に焚き付けられることなく、戦争を止める方向に進むことができるだろうか? 国内の少数派の権利を保証し、政治腐敗を食い止め、法の下での秩序を打ち立て、経済の発展を成し遂げることができるだろうか?

著者: Olga Sukharevskaya。 ウクライナ出身の元外交官。モスクワを本拠地とする法律専門家であり作家。
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元CIA長官、アサンジ殺害陰謀の証人として裁判所に召喚される

<記事原文 寺島先生推薦>

Ex-CIA director called to testify on plot to kill Assange
( 元CIA長官、アサンジ殺害陰謀を証言するために裁判所へ召喚_ABC)

出典:RT

2022年6月3日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月22日


Former U.S. Secretary of State Mike Pompeo. © Getty Images / Joe Raedle

 スペインの裁判所は、元CIA長官のマイク・ポンペオ (Mike Pompeo) を証人として召喚し、米国政府がWikiLeaks創設者のジュリアン・アサンジ (Julian Assange) の誘拐、あるいは暗殺することさえ計画していたかどうかについて証言させると、ABCは情報源を引用して6月3日(金)に報じた。

 「国家裁判所サンティアゴ・ペドラズ (Santiago Pedraz) 判事は、前米国務長官で前CIA長官のマイク・ポンペオを証人として召喚し、CIAとドナルド・トランプが指揮していた米国政府が2017年にウィキリークス創設者の誘拐と暗殺の計画を立案したかどうかを説明させることに同意した。」とABCは報じている。

 ABCの情報筋によると、ポンペオは証人として召喚され6月に出頭することになっている。ただし、ビデオを通じて証言をする可能性もあるという。ペドラズは、カルロス・バウティスタ (Carlos Bautista) 検察官がアサンジの弁護士アイトール・マルティネス (Aitor Martinez.) の要請を支持したことを受けて、この決定を下した。

 2021年9月、Yahoo Newsは、CIAがWikiLeaks創設者の誘拐を画策したとする記事を掲載した。この計画については、トランプ政権内でその作戦の合法性や現実性をめぐって激しい議論が交わされていた。さらに、米国高官はアサンジを暗殺する方法について「sketches(概要)」 や「options(選択肢)」 を要求することまでした、と報じられている。


Read more: Assange extradition order issued by UK court

 この報道を受けてポンペオは、ヤフーニュースに記事を提供した情報源について、「CIAの機密活動について話したとして、全員が起訴されるべきだ」 と刑事訴追を求めた。

 ジュリアン・アサンジは、ウィキリークスの透明性を求める活動や、アフガニスタンとイラクで米軍が犯した戦争犯罪の疑いなど、多くの政府の暗い秘密を暴露した膨大な量の機密文書の公開により、有名になった。ウィキリークス創設者であるアサンジは、米国への身柄引き渡しの可能性を保留したまま、2019年4月からロンドンのベルマーシュ最高警備刑務所に収監されている。

 4月、ロンドンの裁判所はアサンジの正式な引き渡し命令を出し、現在、英国内務大臣の承認が必要となっている。*しかし、アサンジにはまだ異議申し立てという法的手段がある。米国に引き渡された場合、米国の利益を損なうような国防に関する情報の入手を禁じたスパイ活動法の下で裁かれることになる。
   *訳註:6月17日、パテル内相は米国に身柄引き渡す方針を決めた。

 アサンジはすべての容疑を否認しており、弁護団は被告が米国の司法権の下にいたわけではなく*、完全に合法的なジャーナリズムに従事していたと主張している。
   *訳註:アサンジはオーストラリア人であり、欧州を中心に活動していた。
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キッシンジャーの予言、的中---西側の経済制裁はブーメランとなり自分たちに襲いかかってきた

<記事原文 寺島先生推薦>

https://www.strategic-culture.org/news/2022/06/05/so-called-war-of-attrition-stacked-up-in-russia-favour-kissinger-knows-it/
(西側の仕掛けた「消耗戦」はロシアに有利になりつつある。そしてキッシンジャーはそうなると予言していた。)

筆者:マーティン・ジェイ(Martin Jay)

出典:Strategic Culture Foundation

2022年6月5日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月21日

差し迫った小麦不足は、中東・北アフリカ諸国(MENA)を反乱に導き、NATO加盟国自身からもブリュッセル*に対する新たなレベルの怒りと反乱が起きるかもしれない。
*(訳註:NATO本部)

 対戦車兵器や弾丸のことは忘れよう。差し迫った小麦不足は、中東・北アフリカ諸国を反乱に導き、NATO加盟国自身からもブリュッセル*に対する新たなレベルの怒りと反乱が起きるかもしれないのだ。

 米国では重要な中間選挙が近づき、バイデンの外交政策への取り組みが弱くなる可能性があるので、EUもまもなく独自の戦略(とくにウクライナに関して)を短期的に検討することになるであろう。これは将来を見据えた多くの要因のためである。ただ、頭が混乱しかつ情報不足になっているジャーナリストたちはまだそこまで考えてはいない。

 EUにとって現実的な問題となっているこれらの要因のうち、最も重要なものは、先ごろ開催された世界経済フォーラムで、論客である元国務長官ヘンリー・キッシンジャーが示唆したものだ。この老政治家の発言はウクライナの代表団を困らせた。彼が、ウクライナでの戦争が世界中でもっと重大な影響を及ぼし始める前に、和平交渉を成立させるために同国の一部をロシアに譲り渡すことを検討してはどうかと言ったからである。

 キッシンジャーは「大混乱」という用語を用いたが、これは中東・北アフリカ諸国の人々が飢餓のために反乱を起こし、MENA地域で政治的な問題が発生することを外交的に示唆する言葉である。多くのMENA諸国は、貧しい地域社会を支援する目的で、パンを生産するために小麦を輸入し、しばしば補助金をつけることで低価格で供給していた。

 これらの国の多くが、ウクライナやロシアの小麦が届かなくなった場合にどう対処するかは不明である。筆者が住むモロッコなどでは、すでに穀物(種子)の価格が3倍になっており、そもそも農家が購入することすら困難になっている。国内で収穫された小麦の価格を政府が3倍にするつもりがないなら(ありえないことだが)、農家が小麦の種を買う意味はほとんどない。

 モロッコの場合、パンを政策的に安い値段のままで維持したいのであれば、赤字分を政府が負担しなければならない。このコストは誰かに転嫁しなければならない。おそらく、EUに助けを求めることになるだろう。そして、ブリュッセルがラバト*の家計を助けることはありえるだろう。しかし、EUはもっと大きな危機に直面することになるかもしれない。というのは、新たな貧困にみまわれた人々がより良い生活を求めて大量の移民となってEUに流入してくることになるからだ。  
*訳註:モロッコの首都 

 キッシンジャーがほのめかしているのは、いわゆる「消耗戦」はウクライナにとっても西側にとってもうまくいかないということである。

 ロシアが西側領域から退出することは避けられず、安全保障と貿易の両面で西側にとって好ましいことではないが、それが元に戻るのは難しいだろう。もしウクライナ戦争によって西側の財源が枯渇し、中東・北アフリカ地域からの新たな移民の流入がEUにもたらされ続けるならば、この状況を元に戻すことは事実上不可能に近いだろう。

 西側メディアの「専門家」の多くは、消費者にわかりやすい全体の枠組みで事実を提示することで読者をだまそうとするが、実際には、その枠組みは、彼ら(ジャーナリスト)自身がおそらく把握するのに苦労している現場の事実とは無関係なのである。

 実際、「消耗戦」という言葉が実態とは無関係で飛び交っている(通常、このような戦争は両当事者が停滞している場合であるが、ウクライナではまったくそれはあてはまらない)。

 第二に、ここ数週間、ロシアに占領されたウクライナの「20%」という言及をよく目にするようになった。この数字は、間違いなくゼレンスキーが提示したもので、ロンドンの防衛担当記者や編集者が何度も何度も基準点として使ってきたものである。

 しかし、軍事専門家は、ウクライナを支持する英国の専門家でさえ、この数字は無関係だと断じている。では、なぜ煙幕を張るのか。

 いくつかの要因があるが、紛争という歴史的大事件を取材する今日のジャーナリストは、20年前のジャーナリストと同じ資質を持っているわけではない、ということが大きい。知性や教育のレベルが違うし、ジャーナリズムの基準も明らかに違う。防衛特派員と呼ばれる人たちは、多くの場合、論説委員になっている。彼らは報道するというよりも論評する。

 報道されず、社説のネタにもならないのは、西側諸国にはウクライナ戦争をこれ以上続ける余裕はない、という考えだ。EU自身がロシアの石油を禁止するというNATO独自の指令(モスクワに経済的影響を与える唯一の実質的制裁)を支持することすらできないのなら、西側のだれが、EUがこの戦いにおいて何らかの役割を果たしておりそれらは真剣に受けとめられている、と思うだろうか。

 ブリュッセル(NATO本部)は、ゼレンスキーに「最後の一人まで戦え」と言わんばかりに煽り続けているが、キッシンジャーの言うことが正しければ、NATO加盟国は自分の身に降りかかる災難を支援することはできないだろう。

 EU諸国は、アラブ諸国からの難民の再流入による負担に、政治的にも財政的にも対処できない。シリアのときもそうだった。とりわけ、新型コロナの後は、市民が好感を持つ要素はもはや存在せず、それは政治的エリートに向けられた怒りと絶望に取って代わられている。難民流入を受け入れるというのはもう選択肢にはなりえないのである。

 もし、そのような流入が起これば、その影響は直ちに巨大なものとなるだろう。多くの加盟国が、EUへの支持という名目とはいえ、だんだん薄れていってはいるが、いまなお抱き続けてきた信頼感は、たちまちに指弾に変わり、国際的な演技者としてのEUはその翼を切り落とされなければならなくなるだろう。

 中東・北アフリカ諸国の指導者たちも、小麦禁止令に神経を尖らせ、「第二のアラブの春」が来るのではと懸念しているに違いない。もしある国でとつぜんに転落が始まったら——例えば、全小麦消費量の60%をウクライナから輸入しているエジプトなどで——他の国に連鎖反応が起きるかもしれない。これは2010年のチュニジアの反乱が通例 「アラブの春」 と呼ばれるものの引き金となったのとまったく同じだ。

 いまや、欧州委員会の数十億ユーロ規模の宣伝部門は、間違いなく、非難の矛先を他に向けるための報道発表や大げさな演説をすでに準備していることだろう。
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「ウクライナはすでに敗北。米軍の軍事援助は無駄」 元CIA分析官は語る。

<記事原文 寺島先生推薦>

Ex-CIA Analyst: US Military Aid Not a Game Changer for Kiev, Ukraine Has Already Lost - 06.06.2022, Sputnik International (sputniknews.com)

元CIAのアナリスト:米国の軍事援助はキエフの起死回生策にはならない、ウクライナはすでに敗北している。

2022年6月7日



2022年3月6日に撮影された写真。首都リヤド北部にあるサウジアラビア初の世界防衛ショーで、M142高機動砲ロケットシステム(HIMARS)のそばに立つ米軍関係者。スプートニク・インターナショナル、1920年、2022年06月06日 © AFP 2022 / Fayez Nureldine

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月19日

 米国の軍事援助は戦場の現状を変えることはない、ウクライナの膠着状態へのアメリカの関与は、すでにアメリカ経済に裏目に出て、ドル通貨を危機に陥れていると元CIA情報分析官ラリー・ジョンソンは言う。

 米国は交渉の席でキエフの立場を強化するために、ウクライナに相当量の武器と弾薬を提供していると、ジョー・バイデン大統領は5月31日付のニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で主張している。

 ウクライナの対ロシア交渉チームの一員であるデビッド・アラカミア氏は、6月4日にバイデン氏の立場を支持し、キエフは西側同盟国から高度な兵器が届いてから和平交渉を再開すると強調した。

 一方、CNNによると、ここ数週間、米国とその同盟国は、紛争を終わらせるために「交渉による解決の必要性を改めて強調」している。

 交渉による和平を求める動きが出てきたのは、キエフが戦争に負けたことを認めたからだと、CIAと国務省のテロ対策局で24年間、米軍の特殊作戦部隊に訓練を提供していたラリー・ジョンソン氏は言う。

スプートニク:ジョー・バイデンは、ウクライナへのHIMARSの第一陣の納入を許可しました。ホワイトハウスは、400億ドルの軍事援助パッケージが可決された後、キエフにさらに多くの武器を送る予定ですが、この援助は起死回生策となりますか。もしそうならその理由は?

ラリー・ジョンソン:いいえ、私はこの援助が「ゲームの一発逆転」になるとは思っていません。戦闘は長引くかもしれませんが、ウクライナ軍の問題は、無傷の作戦部隊を持っていないことです。つまり、ある地点から別の地点に派遣され、歩兵部隊に支援されてロシアの固定陣地を攻撃できるような装甲部隊を持っていないのです。

 これまでのウクライナの戦略・戦術は、単に防御陣地に身を置き、その方法でロシア軍を阻止しようとするものでした。ロシアがやっていることは、これらの陣地を破壊するために大砲を使用し、非常に計画的に陣地を爆破しているのです。この状況は、どちらかといえば、紛争を激化させ、ロシアが現時点では避けているキエフの政府中枢への攻撃につながるかもしれません。

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ウクライナ情勢
米国の軍事専門家:ロドンバスで大きな勝利を収めたロシア、今度はNATOの新しいゲームに適応する必要がある。5月22日 17:55 GMT

ウクライナの特別軍事作戦地域の飛行場にいるロシア軍兵士。―スプートニク・インターナショナル、2022年5月22日


スプートニク: 5月28日、少なくとも12のウクライナ人部隊が指揮系統に反抗しているように見える事実に注目が集まりました。ソーシャルメディアに投稿された「反乱」ビデオの中で、ウクライナ軍は戦闘に必要な武器や装備が適切に供給されていないことに不満を述べています。これらの動画は、キエフや西側諸国にどのようなメッセージを送っているのでしょうか?


ラリー・ジョンソン:メッセージは確かに出てきています。これらは主に領土防衛軍からだと思われます。この時点では彼らは常勤の兵士ではありません。しかし、緊急事態や紛争が勃発すると、召集され、派遣されるのです。補給不足の一因はロシア空爆の攻撃が有効だったからです。彼らはウクライナ西部にある鉄道、補給所、軍事基地を固定翼機だけでなく、ミサイルやロケット弾も使って攻撃していました。

 兵士たちがこのように発言していることは注目に値します。なぜなら、それは反逆だからです。反逆を起こせば、軍法会議にかけられ、処刑されるか投獄される可能性があります。ですから、これほど多くのメッセージがあるということは、それぞれの部隊から一人だけということはありません。部隊全体、あるいはかなりの数の部隊が、要求リストを読み上げるために指名された報道官を支持して待機しているということなのです。彼らの不満は、ウクライナ軍が効果的に活動できていないという、現在進行中の問題のもう一つの指標に過ぎません。



スラビャンスク郊外のアンドレエフスコエ村付近のウクライナ軍。地元住民がウクライナ軍の装甲兵員輸送車の車列を止めた。2014年5月2日のこと。
© Sputnik / Mikhail Voskresensky / 写真保管庫から


スプートニク:物流の混乱の背景には何があるのでしょうか?

ラリー・ジョンソン: その一部は、重要な補給地点に対するロシアの攻撃が成功したことです。燃料庫を爆破したり、補給基地を攻撃したりする場合、米国やNATOから入ってくる物資は、ある地点、あるいは複数の地点に運ばれ、そこで集められ、そこから準備されて、部隊に配給される必要があるのです。

 配給はトラックと列車で行われます。空からの補給はなく、電車の電気系統の多くが破壊されているため、ウクライナ側は一部のディーゼル線に頼らざるを得ないようです。そしてその線自体も多くは破壊されています。トラックの隊列を組むこともできません。

 ウクライナ側は、FedExやUPSなどの商業的な配送手段を使って、物資を供給しようと偽装しています。さらに、ロシア軍はドンバスに通じる道路網をほとんど切断してしまったため、補給が必要な部隊がいる場所には行けません。ゼレンスキー政権の側には昔ながらの無能さがあってこのような要因が重なっているのです。

スプートニク:米国国務省は、過去8年間にウクライナ軍の訓練と装備に何十億ドルも費やしたことを認めています。なぜこのことが、マリウポリで最高の装備と強硬派大隊の降伏を防げなかったのでしょうか。米国と北大西洋条約機構(NATO)の援助があっても、ロシア軍の小さな分遺隊の攻撃を受けて、ウクライナ軍が退却せざるを得なかったのはなぜですか? 

ラリー・ジョンソン:訓練は2つの意味で長持ちしないのです。第一に、8年前に行われた訓練は、今日、必ずしも誰の記憶にも新しいものではありません。2つ目は、訓練を受けた部隊や人員の多くが、死傷したり、捕虜になったりしていることです。だから、どんな訓練を受けたとしても、もはや通用しないのです。そして新しい人材の訓練は、1週間や2週間で終わるようなものではありません。

 歩兵の基礎訓練は通常10週間、さらに専門的なスキルを身につけるための追加訓練は4~8週間かかります。このように、時間的な要因があるのです。さらに、将来的に訓練を受けるとなれば、それを行う場所が必要ですが、それがウクライナで行われることはないでしょう。その場所はポーランドやドイツでしょうね。いずれにしてもウクライナではありえません。



元国連専門家:キッシンジャー氏によるウクライナ危機の解決策は、米国とEUにとってはソロスに賭けるよりも安全だ。5月28日16:52 GMT

2022年3月3日、ウクライナとの国境に近いポーランド南東部アルラモフの軍事キャンプ付近で撮影された米兵たち―スプートニク・インターナショナル 1920年5月28日号


スプートニク:先にダボス会議で、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官はロシアとの平和的解決を呼びかけたところ、ウクライナ人は彼を過激派リスト「ミロトヴォレッツ」に載せました。ウクライナのエリートたちの傲慢さの背景には何があるのでしょうか。

ラリー・ジョンソン:傲慢なのか、それとも妄想、自己欺瞞なのかはわかりませんが、明らかに現場で起きている現実が身にしみてきているのです。この24時間の間に、米国と英国が停戦に向けてロシアとの協議に圧力をかけ始めたという報告が出始めていますね。しかし、停戦の理由は、ロシアがウクライナ軍をつぶしているからにほかなりません。ロシア軍はずっと「釜」と呼ばれる東部のいくつかの部隊を包囲し、破壊するために戦ってきたのだと思います。

 今、交渉による和平を進めているのは、ウクライナの負けを認めているに過ぎません。ゼレンスキーの政治指導部と軍部の指導部が分裂するかどうかが見ものだと思います。軍部の指導者たちは、もし部隊のことを少しでも考えているのなら、ある時点で、若者や中年男性の命を不必要に犠牲にしていることに気づくでしょう。

 多くの場合、40代や50代の兵士が前線に招集され、戦わされているのです。先ほどの質問にも出ますが、自殺行為とみなされる命令を拒否して反抗する部隊もあります。現地で起きていることが、政治に変化をもたらすという状況は明らかです。

スプートニク:キッシンジャー氏だけなのか、それとも米国の外交政策体制内で「反乱」が起こっているのでしょうか?

ラリー・ジョンソン:アメリカの外交政策を支配する指導者たちには、統一見解や合意というものがありません。キッシンジャーは、非常に高齢であることを除けば、オールドスクール(旧派)とでも呼べるような存在です。彼は、70年代、80年代、そして90年代と、ワシントンで支配的だった手法をいまだに代表しているのです。この戦争を主張し、推進するネオコンの声は、これまで最も大きく響いていました。ですから、キッシンジャーがこの件で浮上したのは、ロシアとの関係をより正常なものに戻そうとする守旧派とでもいうべき人たちの一部なのだと思います。

 ロシアに制裁を加えようとしたことが裏目に出て、ロシア国内よりもヨーロッパやアメリカで経済問題や混乱を引き起こしているという事実があります。ロシアがウクライナで軍事的に優勢になるということですが、より重要なのは、ロシアが経済的にも優勢になり、率直に言って米国はそういった立場にはないということです。つまり、アメリカは自給自足ができませんが、ロシアはそれができるのです。

ですから、キッシンジャーはその現実を把握し、米国がウクライナとの戦争を推進し、それを維持しようとする道を歩み続ければ、米国にとって非常に有害な影響を及ぼし、財政的、軍事的、政治的に世界のリーダーとしての立場を損なうことになると認識しているのだと思います。

スプートニク:米国が手を引いてロシアと取引し、ウクライナの1990年の主権宣言に謳われているような永世中立国にした場合、米国は金銭、安全保障、名声の面で何かを失うのでしょうか?

ラリー・ジョンソン:この災害によって米国が被る損失は...まだその全容が見え始めているとは思いません。特に経済的に、米国は危機に瀕しています。米国が欧州共同体の他のメンバーとともに、ロシアを罰し、制裁しようとした行動、特にロシアをSWIFTの使用から追放したことは、国際基軸通貨としての米国通貨の役割を危うくしています。ロシア、中国、インド、ブラジルはすでに代替的な国際経済の再構築を進めており、その国際経済はもはや米ドルに依存する必要はありません。ですから、米国はインフレの大幅な上昇の入り口に立っていると言ってもよい状況なのです。すでにその兆候は現れていますが、これからはもっとひどくなるでしょう。その上、石油、ガス、肥料、アルミニウムなど、欧米の産業や製造業が依存している重要な品目が不足を強いられることになるでしょう。
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露・中の連携を破壊し、アジアを「ウクライナ」化する西側の動き

<記事原文 寺島先生推薦>

The Race to Break the Russia-China Alliance and the ‘Ukraine of the Asia Pacific’ — Strategic Culture (strategic-culture.org)
ロシア-中国同盟関係を破壊しようとする動きと「アジア太平洋地域のウクライナ」問題

筆者:マシュー・エレット(Matthew Ehret)

出典:Strategic Culture Foundation

2022年5月12日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月19日

 西側には、「引き返し不能地点(the point of no return)」を過ぎる前に、一極集中モデルの完全な失敗を認識するための機会の窓が開かれている。

 西側メディアや数多くの地政学的シンクタンクの研究員は、今日のロシアと中国の同盟を「一時的な利便性」の問題、あるいは世界帝国をめざすふたつの権威主義政権の緊張したパートナーシップとして描くことが当たり前になっている。

 しかし、「専門家」というフィルターを通して現実を解釈することなく、ありのままの事実を見るならば、地政学的理解にしがみつく論者たちの、藪にらみ的な地政学的評価は、死んだ死体しか見えないレンズを通して命を分析しようとしているに過ぎないことは明々白々であろう。彼らは必ずしも真実に関心がないわけではない(ただし、関心がない分析家の方が多い)が、彼らの基礎にある原理のために、過去、現在、未来のいずれにおいても、非ホッブズ的な(訳注:非利己的な、ほどの意味)特徴をもって組織されたシステムを考慮することができないのである。

このような理由から、地政学的理解に固執する論者たちは、ロシアと中国の同盟の本質を理解することができないのだ。また、ユーラシア大陸に位置する強国ロシアと中国のいずれも破壊しようと仕掛けられる非対称戦争の共通のやり方を理解できないし、視野にも入らない。

 このような知的盲点が、代替メディア・コミュニティ内の多くの知的専門家の間にもある。だから、この機会に、ロシアと中国の両方を破壊するために展開されてきた作戦の共通した特徴の主要な要素を簡単に見てゆくことにする。まず、カラー革命の戦術から始めて、「グラディオ(諸刃の剣)型隠然支援」、軍事包囲網、生物戦、そして最後に「第五列」の使用について一瞥する。

カラー革命戦術

 過去数十年間、ロシアと中国は、西側情報と結びついた「民主化促進/反腐敗」組織を利用してロシア、中国政府をバラバラにし、不安定化させようとする執拗な企てと戦ってきた。幸いにも、ユーゴスラビアの悲劇に見られたようなバルカン化は失敗している。

 地政学の権威であったズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew Brzezinski)は、1997年に出版した『グランド・チェスボード』の中で、ロシアをバラバラにする見通しを熱く語っている:

 「ヨーロッパ・ロシア、シベリア共和国、極東共和国からなる緩やかな連合体のロシアは、ヨーロッパ、中央アジアの新国家、東アジアとより緊密な経済関係を築くことが容易になり、それによってロシア自身の発展が加速されるだろう 。

 いっぽう中国では、この数年、西側の資金による運動が起こり、中国を「東トルキスタン、チベット自由国、広東、満州」という5つ以上の民族・国家主義の小国家に分割することが公然と口にされるようになった。

 追放された大富豪の闇の国家工作員、郭文貴(別名:マイルス・グォMiles Guo)は、現在ニューヨークで活動しているが、ポスト中共の中国のために、ピカピカの新しい旗、憲法、安っぽい国歌を持つ「新中国連邦」という国際反乱組織を設立するまでに至った。ただし、それが実現するのは郭の突拍子もない想像の世界の中だけということは確実だ。

 ロシアと中国の指導者たちは「カラー革命」戦術を非対称戦争の活発な形態として明確に認識しており、両国に西側から資金提供された幅広い範囲のNGOを禁止することになった(領土内での存在が許されるには「外国代理人」としての登録が必要である)。カラー革命の資金源であるジョージ・ソロス(George Soros)は1989年に中国から追放されたが、ロシアは経済的ヒットマンのオープン・ソサエティ事業を禁止するための権力と自信を得るのに時間がかかり、2015年にようやくそれが実現している。

国境線にいるグラディオ(諸刃の剣)型「隠然支援」
 非対称戦を引き起こすのはカラー革命的な戦術だけではない。挑発者や過激派のネットワークにも依存している。そういった人間を辿ると、その多くは第二次世界大戦後の凶悪な戦争犯罪者が処罰されなかったことに行き着く。

 第二次世界大戦後、NATOの指揮下で西側情報機関に組み込まれたファシストの第二世代、第三世代の隠然支援は、現代において最も不快で危険な秘密の一つとなっている。

 第二次大戦後、英米の情報機関によって丹念に育てられた武装イデオロギー集団がいる。この集団は、ナチスの協力者を「偉大な英雄」として賛美することを止めず、冷戦のときに重要な役割を果たした。そしてまた今日の、どこもかしこもバンデライト(訳注:ステファン・バンデラStefan Bandera信奉者集団)だらけの時代にも、ネオナチ大隊がロシアに対する聖戦を行うことに執着している。それは第二次大戦中に彼らの精神的祖先が行ったのと同じことだ。
 
 この問題は東欧に限ったことではなく、中国の裏庭にも存在する。アメリカの軍事植民地である日本は、第二次世界大戦のファシスト戦犯を英雄として扱うという強い伝統を(中国の大きな怒りを買っている)維持している。

 日本の国会議席の30%を占める最大政党のひとつ(かつては安倍晋三首相が率いていた)の背後には「日本会議」という集団が存在するが、第二次世界大戦中に「東アジアの多くを解放した日本は賞賛されるべきである」という主張を公然としている。
(訳註:筆者は「日本会議」を政党としているが、実際は民間団体である。訳出ではその点を修正した。)

 日本には、ユーラシア大陸の隣国との平和的共存を維持しようとする反ファシストの抑えがたい動きがたくさんあるが、日本会議は、日本が第二次世界大戦中に中国人に残虐行為を行ったことを否定している。また、日本はヒトラーと協力することで正義の側に立ったという主張を維持しようとさえしているのである。記憶に留めておくべきは、ここ日本もまた植民地(いまなお5万人以上の米軍を受け入れている)であることだ。その地で安倍晋三元首相は、中国の攻撃を防ぐためにアメリカ所有の核兵器を日本が共有することを公然と求めたのである。それは、2月19日にミュンヘンでゼレンスキーがウクライナを代表して同じ呼びかけをした1週間後のことだった。

全領域支配:北大西洋、北極圏、そして太平洋

 20年以上にわたって「全領域支配」が自国の周囲を取り囲むのを見てきたロシアと同様に、中国もまた、「クワッド」と呼ばれる「太平洋のNATO」を自国の裏庭に作ろうとする取り組みを見てきた。

 この毒を含んだ考えは、大西洋評議会やCFR(外交問題評議会)*のようなNATOとつながりのあるシンクタンクによって何年も支持されてきた。この戦略は、ミサイルシステム、トライデント搭載の潜水艦、挑発的な「航行の自由」演習、軍事基地、太平洋地域で中国に敵対する米国支配の政府を押し付ける取り組みなどを幅広く展開した、オバマ大統領の2012年の「アジア・ピボット」戦略に直接起因するものだ。
(訳註:CFR 外交問題評議会 the Council on Foreign Relations、1921年に作られた、アメリカの外交政策に最も強い影響力を持つとされる非営利のシンク・タンク)

 この計画のABM*的側面(専門家は「防衛」から「攻撃」に容易に転換できると考えている)は、現在2万8000人以上の米軍を受け入れている韓国にすでに配備されているTHAADミサイル・システムに反映されている。名目上は「北朝鮮の脅威」を阻止するためにその存在を正当化しているが、現実にはこのシステムは常に中国に向けられているのである。
(訳註:ABM:Anti-Ballistic Missile、弾道弾迎撃ミサイル) 



 民主党も共和党もほぼ全面的に支持した7620億ドルの2022年国防権限法について、アナリストのマイケル・クレア(Michael Klare)は次のような意見を述べている:

 「両党の圧倒的な支持を得て可決された2022年の巨大な国防法案は、米軍基地と軍隊、そしてますます軍事化する同盟国のネットワークで中国の首を絞めるための詳細な青写真を提供している。その目的は、将来的な危機の際に、中国の軍隊は中国の領土内に封じ込め、その経済を麻痺させる力をワシントンに持たせることである。中国の指導者たちは、こんな風に包囲されることに耐えられないだろうから、これは、公然の招待状、まあ、回りくどい言い方をしても仕方ない、中国には戦ってこの包囲網から抜け出してもらおうとするわけだ。

台湾は太平洋におけるウクライナ
 明らかにこの混乱の中で、台湾(1949年以来英米のおもちゃになっている)は現在「太平洋のウクライナ」のように行動している。台湾政府全体には多くの有力な代理人が活動しており、彼らは中国の自治区である台湾を中国本土の「悪の共産主義者」から米軍が守ることを公然と呼びかけている。

 バイデン自身は、台湾がいつ侵略を受けたとしても「アメリカの支援を期待できる」と公言している。この支持の言葉を裏打ちするように、① 2021年8月には台湾に榴弾砲を提供する7億5000万ドルの契約、② 2022年2月8日には台湾のパトリオット・ミサイル・システムを供給し最新式にする1億ドルの契約、③ 2022年4月6日にはさらに9500万ドルのミサイル契約と、台湾の軍事的支援は続いている。この3つの取引のうち、2番目の取引の後、台湾外務省は、ゼレンスキーの発言を出し抜こうとしたかのような発言をした:

  「中国の継続的な軍拡と挑発的な行動に直面しても、我が国は堅固な防衛力で国家の安全を維持し、台湾と米国の緊密な安全保障パートナーシップを引き続き深めていく。」

 台湾を太平洋のウクライナにしようとする米国の取り組みの大幅な拡大(昨年、米国大使館の軍関係者を倍増させるなど)に対する中国の懸念は非常に現実的だ。

21世紀の生物兵器
 さらに、2000年9月のPNAC*マニフェスト「アメリカ防衛の再構築」で示されたように、ペンタゴンの生物兵器インフラは民族を標的にしているという深刻な問題がある。この背筋も凍るネオコン宣言の中で、執筆者たちが述べていることは、21世紀には「戦闘はおそらく新しい次元で行われるだろう。宇宙、サイバー空間、そしておそらく微生物の世界では、特定の遺伝子型を「狙い撃ち」できる高度な生物兵器が、生物兵器をテロのレベルから政治的に有用な道具に変わるかもしれない。」
(訳註:PNA Project for the New American Century、新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト。ネオコン系のシンクタンク。1997年に設立。)

 今日、320以上の国防総省が運営する生物研究所が世界中に戦略的に散らばっており、韓国には「ジュピター」と「ケンタウルス」と呼ばれる非常に活発なプログラムが存在する。このプログラムは、2010年にオバマ大統領が「生物学的選択物質と毒素を利用する強固で生産的な科学事業は、国家安全保障に不可欠である」という大統領令を出して発足させて以来、中国と多くの韓国人に深刻な懸念を抱かせている。

 オバマがまだ大統領になる野心を持った、ソロス配下の上院議員だった頃、ジョージア州に広大な生物研究所の施設設備を確立したオバマとルーガーのパートナーシップをもたらしたのもこのチームである。

 ボツリヌス菌、リシン、ブドウ球菌、炭疽菌、ペストなど、世界で最も致死的な毒素の研究は、米国の生物研究所で実施されてきた。2015年、米軍はソウルの南70kmにあるオラン基地の研究所に生きた炭疽菌のサンプルを民間業者フェデックス(FedEx)で違法に輸送したことが発覚し、国中の市民が抗議したが、その後アメリカ側が政策変更したという証拠はまったくない。

 日本のおぞましい過去が再び話題になっている。フィニアン(Finian・カニンガムCunningham)が最近発表した当サイトストラテジック・カルチャーの記事だ。これはアメリカの生物兵器複合体の起源に関する研究で、石井四郎の指示で大量虐殺を行った「731部隊」を軍産複合体が取り込んだことに焦点を絞っている。カニンガムはこう書いている:

 「石井の731部隊は、戦争中、湖南省と浙江省の中国の都市に飛行機から病原体を投下し、生物兵器の使用により最大50万人の死者を出したと推定されている。この部隊はまた、病気やワクチンの疫学を研究するために、中国やロシアの捕虜に対して糖尿病の強制実験も行っていた。収容者たちは病原菌に感染させられ、恐ろしいほどの苦痛を伴う死に追いやられた......。石井四郎とその犯罪集団は、ソ連の切実な要求にもかかわらず、戦後は裁判にかけられることはなかった。その代わり、日本本土を占領したアメリカは、(731部隊の)生物・化学兵器実験へ独占的に接近できることと引き換えに、彼と彼の医師団に訴追免除を与えたのである。国防総省はメリーランド州のフォートデトリックから専門家を派遣し、この日本の、宝庫のようなデータを探らせた。」

いよいよ次が最後の論点になる。

ロシアと中国における第5列*
(訳註:(戦争などでの)敵を支持するグループ、同調グループ。第2次大戦前のスペイン内戦から使われた言葉で、ヘミングウェイの小説や赤狩りにより有名になった。)

 ロシアと中国の指導者たちは、ロシアにおけるアナトリー・チュバイス(Anatoly Chubais )やWEFの理事であるジャック・マー(Jack Ma)(およびその他多くの上海閥に属する技術者や億万長者)のような世界経済フォーラムの第5列論者と長年にわたって中国の内外で戦ってきた。国際金融の温床である上海を経由して、中国国内でいまだ関連する影響力を及ぼしている外国の影響力について、エマヌエル・パストライヒ(Emanuel Pastreich)は以下のように書いている:
 
 「上海には、主要な多国籍投資銀行や多国籍企業の本社(主要支店はもちろん)があり、グローバルな金融利権が渦巻いている。中国経済への影響も計り知れない。
 
 上海は、グローバル資本の中心地として100年以上の歴史があり、中国の他の地域とは寄生的な関係にある。1940年代まで、帝国から来た市民に治外法権を提供していたのは、やはり上海だった。


 幸いなことに、ソロスが追放されて以来、中国の裏国家の最悪の要素の多くについて、それが爆発的に広がる根は徐々に取り除かれてきた。それは1989年に始まり、1997年、そして最大の大規模粛清は2012年に始まり、今日に至っている。

 習近平の汚職取り締まりで粛清された大物工作員には、馬建(中国国家安全局元副局長)、張岳(河北省元法務書記)、伯自来(全清元共産党書記)、徐才厚(中国軍事委員会副委員長)、億万長者ポニー・マーなどがいる。(これは一部)

 このような売国勢力と、ロシア、中国の真の愛国者たちとの間には、明らかな衝突があったのである。真の愛国者たちは自国民の生存のために尽力している。宗教染みた売国勢力は人口削減、凡庸な文化、そして世界を奴隷的に支配することを目指している。

単なる生存を超えて

 ロシアと中国の、生存と協力に対する取り組みは、功利的な思惑をはるかに超えている。その概要はEAEU*とBRI*のさらなる統合、成長するSCO*の下での軍事情報の調和、多極システムのより広い国際統合を求めた2月4日の「新時代を迎える協力のための共同声明」で示されている。
(訳註:EAEU Eurasian Economic Unionユーラシア経済連合、BRI The Belt and Road Initiative一帯一路SCO Shanghai Cooperation Organization上海協力機構)

 重要な点はたくさんあるが、この共同声明は次のことが書かれている:

 「中国とロシアは、ユーラシア経済連合(EAEU)と「一帯一路」の開発計画を結びつける作業を進めようとしている。その視点としては、① EAEUと中国の様々な分野における実務的な協力の強化、② アジア太平洋地域とユーラシア地域の相互接続をより促進すること、がある。
    
 中国とロシアは、ユーラシア大陸の人々の利益のために、地域連合の発展および二国間・多国間統合プロセスを促進するために、「一帯一路」建設と並行、協調して大ユーラシアパートナーシップを構築することに焦点を合わせることを再確認した。


 西側諸国には、戻れない地点に到達する前に、帝国統治の一極集中モデルの完全な失敗を認識し、目を覚ますための機会の窓がまだ開かれているのである。彼らにこの謙虚な行動をとる健全な道徳的がまだ残っているのかどうか、今後を見守るしかない。
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韓国の保守派新大統領、光州記念式典を祝う異例の行動

<記事原文 寺島先生推薦>

South Korea’s President Demonstrates Unusual Behavoir
(韓国大統領の異例の行動)

投稿元:New Eastern Outlook

著者:コンスタンチン・アスモロフ( Konstantin Asmolov)

2022年5月31日

<記事飜訳 寺島メソッド飜訳グループ>

2022年6月17日



 尹錫烈(ユン・ソクヨル)新大統領に捧げる記事を書く際に筆者が常に強調しているのは、彼を典型的な保守陣営の代表として認識するのは誤りであるという点だ。もちろん、政党「国民の力(PPP)」の候補として大統領になったことが彼の政治を規定している部分もあるが、多くの問題に対する彼の個人的な立場は、学生活動家として政権掌握後の全斗煥(チョン・ドゥファン)将軍の公開裁判に参加した時代に根ざしている。最近彼がとった行為は、そのことを確認する上で非常に重要なことだ。しかし、まず最初に次のことを確認しておこう。

 韓国は今年5月18日、1980年に当時の全斗煥大統領の軍事独裁政権に反対するために起こされた光州市の蜂起の記念日を迎えた。それはソウルから南に329キロ離れた光州市で繰り広げられたものだった。そして、学生のデモを鎮圧するために派遣された軍は、まず殺傷のために発砲し、さらには 「反政府勢力に共感している 」という理由で、あたりにいる交州市民をすべて殴り始めたのである。これに対して学生や市民は武器を手に取り、1980年5月21日には、刑務所を除く全市が反乱軍の支配下に置かれた。

 蜂起の指導者たちは、米国からの圧力と韓国内の世論によって、軍部の政権奪取計画が破綻することを期待して、時間稼ぎをしようとした。しかし、米国は、左翼の反乱と思われるものを鎮圧する白紙委任状を与えれば、全斗煥を従わせることができると判断した。5月27日、蜂起は軍隊と精鋭特殊部隊によって残酷に鎮圧され、抗議者たちは北朝鮮共産党に同調し援助しているとして告発されることになった。

 公式発表では、この事件で200人以上の命が奪われたとされているが、死亡者の統計では実際には約2,000人の死者が出たとされている。また、負傷者は3,100人以上、逮捕や拷問を受けた人は1,600人近くいた。

 以来、光州市と全羅道は民主党の主な拠点となっている。今年(2022年)3月の大統領選挙では、同党の李在明(イ・ジェミョン )候補が同市で84.82%の得票率を獲得し、尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏は12.72%の得票率にとどまった。

 この出来事に対する態度は、民主党と保守党の古典的な主張を分ける良い目印となる。前者にとって、5・18蜂起は軍事政権に対する民主化運動であり、憲法前文に記入する価値があるとされることが一般的だ。

 保守党の議員は、この蜂起を群衆が引き起こした暴動と呼び、極右の中には、北朝鮮の工作員が組織・実行した国家存亡をかけた共産主義者の蜂起であるとの根拠のない(筆者の見解だが)非難までしているものまでいる。例えば、今年6月1日に予定されている江原道知事選挙に立候補した金鎮泰(キム・ジンテ)氏や、極右派の智万元(ジ・マンウォン)教授は、光州の蜂起は住民によるものではなく、南に潜入した北朝鮮兵士によるものだと主張し続けている。しかし、その主張は公に反論されている。そのため、智万元が「北朝鮮の工作員」と断定した写真の人たちは、彼を訴え、あっさり勝訴している。

 1997年に、5月18日は「国民追悼の日」に制定された。保守系の李明博(イ・ミョンパク)、朴槿恵(パク・ウネ)両大統領も欠席できなかった記念式典だとはいえ、この日の式典は、政権を担う大統領によって規模が大小し、その都度メディアでその是非が論議されるようになった。

 式典の際に「最愛の人のための行進曲 」という歌を歌うかどうかについての是非ももうひとつの問題だった。このプロテストソングは反抗の象徴歌的存在だったのだが、保守派のもとではその演奏が奨励されなかった。2008年、李明博はこの曲を歌おうとしたが、保守派の強い抗議に直面し、翌年の式典ではこの曲の演奏を禁止することを余儀なくされた。2011年、この曲は式典で復活したが、朴槿恵は歌わなかったし、観客が活動家たちと合唱して共に歌うことは望ましくないとされた。

 文在寅(ムン・ジェイン)政権下では、参加者全員が歌うことが義務づけられた。さらに、2022年1月5日から、韓国では文在寅政権が採択した法律が施行されている。それによると、光州事件に関する(左派の)公式解釈を否定することは、欧州のホロコーストを否定するのと同様に危険な行為であるとされ、最高で懲役5年、または罰金5千万ウォンが科される。例えば、この光州事件を北朝鮮の特殊部隊による破壊工作と主張した池萬元(チ・マンウォン)教授は2年の執行猶予と100万ウォンの罰金を受け、韓国通信規格委員会は、歴史を歪曲したとして、池萬元教授をはじめとする多くの保守系YouTuberのチャンネルを完全に削除するよう要求している。

 したがって、筆者にとって、式典がどうなるかは重要な指標であり、その意味で「ユン氏は失望させなかった」。

 1点目は、彼は自分だけ参加するのではなく、与党の側近や代議士全員に国家追悼式に参加するよう要請した。拒否反応がなかったことは、李俊錫(イ・ジュンソク)党委員長がKBSラジオのインタビューで「国会議員全員が記念式典に参加できれば、PPP(国民の力)は保守政党として明らかに違う姿を見せることができる」と述べたことからも分かる。

 式典には、民主化のために倒れた闘士たちの市民活動家や遺族など、全体で約2000人が出席した。

 大統領府関係者によると、大統領は式典に出席する前に、蜂起で愛する人を失った遺族と面会し、毎年墓地を訪れることを約束したという。2023年、この約束が果たされることを期待したい。

 2点目は、尹錫烈(ユン・ソクヨル)氏が光州墓地で行われた厳粛な式典での演説において、「自由民主主義を血で守った5・18蜂起の精神は、人間の価値の回復であり、国民統合の礎になる」と述べたことだ。

 3点目は、ユン氏が自ら「最愛の人のための行進曲」を歌い、しかも明らかに喜びながら歌ったことだ。他の政府高官や代議士も同様に歌った。

 左翼、右翼のメディアはいずれもこの行動を前代未聞と呼んだ。「(共に)民主党」は「6月1日の統一地方選挙を控え、光州、全羅道の有権者を引きつけるためだ」と、尹(ユン)氏の行動を軽視した。しかし、筆者の記憶では、5月の式典の前に、ユン氏は何度も蜂起犠牲者に敬意を表そうとしていた。しかし、蜂起の追憶を独占しようとする「(共に)民主党」はそれを許さず、不誠実で国民の同情心につけこんでいるとして非難した。ユン氏が大統領候補だった2021年11月、デモ隊が記念碑に向かう道を塞いだ。2022年2月、尹氏は再び碑に近づこうとしたが、そこを弔問し線香を手向けることはできなかった。

 このように、ユン・ソクヨル(尹錫烈)は、あたかも自身が民主党出身の大統領であるかのように蜂起の英雄と犠牲者に敬意を払っただけではなく、この光州蜂起の記憶を特定の地域と政治陣営だけの記憶であるという誤解をなくそうとしたのである。また、式典でのスピーチと就任式での自由と人権に関する発言を比較すれば分かることだが、ユン氏は5月18日を保守の理想に取り入れた新鮮な視点を提供している。こうした姿勢は、地域間対立を乗り越え、イデオロギー対立を超え、国民統合を推進する契機となる。

ロシア科学アカデミー極東研究所韓国研究センター主任研究員、歴史学博士、コンスタンチン・アスモロフ、オンラインマガジン「New Eastern Outlook」専属。
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西側メディアの論調に変化---ロシア進撃、天に唾することになった経済制裁の中で

<記事原文 寺島先生推薦>

As sanctions fail to work and Russia's advance continues, Western media changes its tune on Ukraine
Western media outlets, once cheerleaders for Kiev, are increasingly warning sanctions are are redundant and Ukraine needs to make peace

(制裁が効かず、ロシアの進撃が続く中、欧米メディアはウクライナに対して態度を変える。
かつてはキエフを応援していた欧米メディアも、制裁は無意味であり、ウクライナは平和を築く必要があると警告するようになっている。)

筆者:ネボイサ・マリッチ(Nebojsa Malic)



2022年6月2日

出典:RT

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月15日



スベロドネツクの町の地方行政局に掲げられたロシアとドネツク人民共和国(DPR)の旗 © Sputnik / Sergey Averin

 西側諸国は、ウクライナ紛争はキエフにとってうまくいっていると―観察可能なあらゆる現実に反して―主張し続けているが、主要メディアは経済面での状況にますます不安を感じている。米国とその同盟国が課した禁輸措置が、当初の目的どおりロシア経済を潰しているのではなく、むしろ自分たちの経済を破壊していることを認める観察者がますます増えてきているのだ。

 一方、主要な出版物の中には最前線の実情について報道するものも出始めており、初期のようにヴォロディミル・ゼレンスキー事務所が喧伝する「キエフの亡霊*」や「蛇の島13人**」といった神話を無批判に引用することはなくなってきている。西側諸国はキエフ政府を無条件に支援するのをやめ、交渉による和平を推進すべきだという示唆も、漠然とではあるが出てきている。

*1人のウクライナ空軍パイロットが複数のロシア軍機を撃墜したとする話
**ロシア海軍が、黒海の小さな島(蛇島)にいるウクライナ国境警備隊に向かって「武器を捨てて降伏するよう提案する。さもなければ爆撃する」と呼びかけたところ、「地獄に落ちろ!」と返答。全員死亡したという話である。この13人の守備隊にウクライナ政府は英雄の称号を与えたが、彼らは生きていた。


 ガーディアン紙の経済担当編集者ラリー・エリオットは、木曜日(6月2日)に「ロシアは経済戦争に勝利している。西側がロシアに対して経済戦争を仕掛けてから3ヶ月が経つが、計画通りには進んでいない。それどころか、事態は実に悪くなっている」と書いている。

 同紙のエリオットは実際に、最近アメリカがウクライナにロケット弾発射機を送ることを発表したのは、制裁が効いていない証拠だと主張している。「エネルギー禁止やロシア資産の差し押さえがこれまで出来なかったこと、つまりプーチン(ロシア大統領)に軍隊を撤退させることを、アメリカからの近代的軍事技術で達成することが期待されている」。



関連記事:クレムリン、現在の対米関係を説明(2021年6月)

 同紙コラムニスト、サイモン・ジェンキンスも5月30日の評論で、禁輸措置はロシアを撤退させることに失敗したと述べ、EUは「ウクライナの戦争努力を助けることに専念」し、制裁は「自滅的で無意味で残酷」なので撤回すべきだと主張している。

 ジェンキンス氏が指摘するように、制裁は実際に石油や穀物といったロシアの輸出品を値上げしている。そのため、モスクワは貧しくなるどころか豊かになり、一方でヨーロッパでは燃料不足、アフリカでは食料不足に陥っているのだ。

 ただ、ジェンキンズ氏は西側諸国の兵器の有効性に関しては間違っていることに注目してほしい。というのも、ロシアとドンバスの軍隊が、ポパスナヤからリマンまで、この1ヶ月の間に次々と勝利を収めているからだ。5月26日付のワシントン・ポスト紙も、ウクライナのある部隊がセベロドネツク付近で兵力の半分以上を失い、後方に退却したことを衝撃的なほどありのまま報じている。ちなみに、その指揮官は、この記事の取材後、国家反逆罪で逮捕されている。

 この現実は、テレグラフ紙の国防担当編集者であるコン・コフリン氏でさえ無視できなかった。彼は毎週のようにロシアの敗北を予言することで、ある種のミーム*になっている。その彼ですら今、モスクワが「衝撃的な勝利」を収めるかもしれないと語っている。ただ、それはキエフにはさらに多くの武器が必要だという彼の主張のためではあるのだが。

*人から人へと伝えられる情報



©Telegram/screenshot

 西側諸国がロシアを打ち負かすことに失敗したことは、モスクワに必ずしも好意的でないエコノミスト誌を見ても明らかだ。同紙は1カ月前、ロシア経済が最初の制裁ショックから立ち直ったことをしぶしぶ認めている。一方、エネルギー不足、生活費の高騰、記録的なインフレに対処しなければならないのは、西側諸国である。粉ミルクが店頭になく、ガソリンが買えないのはロシア人ではなくアメリカ人の方なのだ。

 欧米の制裁政策に対する「不満の春」が、大西洋のヨーロッパ側だけに留まらないのは、そのためかもしれない。火曜日(5月31日)、ニューヨークタイムズ紙はクリストファー・コールドウェルの論説を掲載し、バイデン政権がキエフにどんどん武器を送ることで「交渉の道を閉ざし、戦争を激化させるように働いている」と批判している。

 コールドウェル氏は、「米国は、同盟国を武装させることと戦闘に参加することは同じではないという虚構を維持しようとしている」と書き、この区別は情報化時代において「ますます不自然に」なってきていると指摘した。その1日後、アメリカのサイバー司令部のトップは、ウクライナのためにロシアに対する攻撃的な作戦を実行したことを認めた。



関連記事:米サイバー長官、ウクライナでの対ロシア攻撃を認める。

 コールドウェル氏は、アメリカは「ウクライナ人に、エスカレートする戦争に勝てると信じる理由を与えてしまった」と書いている。実際、ダボス会議でヘンリー・キッシンジャーが紛争の早期解決を主張しようとすると、彼はゼレンスキーの事務所から罵倒され、すぐにウクライナ国家の敵に指定された。

 (戦闘から抜け出すための)出口ランプをもっと早く提供せよという声が、ごくわずかだが、以前からあった。しかし、キエフを応援するメディアの喧噪の中で、その声は掻き消されてしまっていた。5月18日、いつもはタカ派的な外交問題評議会のチャールズ・クプチャン氏は、『アトランティック』誌上でウクライナに、いわば「Wを取る(勝ちを逃がさない)」よう助言している。

 「ロシアはすでに決定的な戦略的敗北を喫している」と彼は書いている。「NATOにとってもウクライナにとっても、戦いを強要して相応のリスクを冒すよりも、この成功をポケットに入れることのほうが戦略的に賢明である。NATOは、ウクライナ政府に流血を止める方法を早急に助言する必要がある、とクプチャン氏は付け加えた。

 そのまさに翌日、ニューヨークタイムズの社説は、ウクライナのロシアに対する決定的な勝利は「現実的な目標ではない」とし、ジョー・バイデン米大統領はゼレンスキーに、米国ができることには限界があることを伝えるべきだと、クプチャン氏の主張に同意した。

 「ウクライナ政府の決断は、その手段とウクライナがあとどれだけの破壊に耐えられるかかという現実的な評価に基づいていることが肝要だ」と彼らは書いている。



関連記事:ウクライナの交渉担当者、ロシアとの取引に否定的

 しかし、ホワイトハウスとキエフの両方からの公式声明から判断すると、クプチャン氏とNYTが助言した会話は実行されなかった。その代わりに、アメリカはウクライナに白紙委任状を送り続けているのだ。

 第一次世界大戦との類似性と言えば、国防総省に助言を与えるシンクタンクであるランド研究所の上級政治分析官が、火曜日(5月31日)のフォーリン・アフェアーズ誌で次のようなことを述べている。サミュエル・チャラップ氏によれば、中立国ベルギーが隣りの国々よって作られたことは、ほぼ1世紀にわたって他国の利益となり、イギリスはそれを維持するために1914年にドイツと戦うことを厭わなかったという。3月下旬のイスタンブールでの会談で提案された中立の取り決めは、同じものをウクライナにも提供することができる、ということである。

 キエフのウクラニンスカ・プラウダ紙によれば、英国のボリス・ジョンソン首相が4月に個人的に介入し、ウクライナ人に「あなた方がモスクワと取引したいと言っても、西側の集団はそれを認めない」と伝え、その協議を中断させたということだが、それはあまりにも残念である。


筆者Nebojsa Malicはセルビア系アメリカ人のジャーナリスト、ブロガー、翻訳家で、2000年から2015年までAntiwar.comに定期コラムを執筆し、現在はRTの編集委員である。
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オデッサで起きたのは「悲劇」ではなく「大虐殺」---目撃者の医師が語る2014年5月2日

<記事原文 寺島先生推薦>

'An act of genocide': A witness recalls the 2014 Odessa massacre — RT Russia & Former Soviet Union
(「大虐殺という行為」:目撃者が語る2014年のオデッサ虐殺事件)

出典:RT

2022年5月4日  

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月14日

政治的見解を理由にウクライナによって収監されたオデッサの親ロシア派医師が証言



2014年5月2日(金)、親ウクライナの支持者が焼けた労働組合ビルの前で国旗を振っている。そのビル内で衝突から逃れようとした人々が30人以上死亡した。ウクライナのオデッサで。© AP Photo/Sergei Poliakov)

 2014年5月2日にオデッサで起きた悲劇は、間違いなくウクライナの政治危機の激化に弾みをつけた。実際、多くの人が、この悲劇を全面的な内戦への扉を開いた後戻りのできない所だと考えている。しかし、オデッサの悲劇は、ウクライナ南東部の多くの人々を武装させただけでなく、ロシアを支持するウクライナ国民の間にも、ウクライナの民族主義者が敵を殺す覚悟を持っているという事実を認識させた。RTは、2014年5月2日のオデッサの抗議行動に参加し、その政治的見解のためにウクライナの刑務所で4年以上を過ごしたウラジミール・グラブニク(医学博士)に話を聞いた。彼はRTに対し、ウクライナのロシア系住民にとって、また同国の南東部に住む人々のロシア的独自性(identity)にとって、2014年5月2日が何を象徴しているかを語った。
 
―2014年5月2日まで、ウクライナのロシア系民族にとってオデッサは何だったのですか?

 その問いに答えるには、時代をさかのぼる必要があります。18世紀後半、黒海の北岸がロシア領になると、ロシア帝国はそこに大規模な開発プロジェクトを開始しました。ケルソン、ニコラエフ、オデッサなど、この地域の主要都市をすべてロシアが設立し、建設したのです。ケルソンは前哨基地として、ニコラエフは造船所として、オデッサは港として機能することになりました。オデッサは、非常に特別な場所になりました。自由港の特権を与えられたオデッサは、多くの商人を引きつけ、地域全体の発展が促進されました。「南のパルミラ」と呼ばれるほど、重要な都市となりました。「北のパルミラ」と呼ばれた帝都サンクトペテルブルクに次ぐ重要な都市でした。

*パルミラ:シリアの古代都市。ローマとササン朝に挟まれて,ユーフラテス川からダマスクスにいたる東西交易の中継地点として2~3世紀に栄えた。

 オデッサでは、文化の多様性が繁栄していました。ユダヤ人、アルメニア人、ギリシャ人、ブルガリア人、そしてウクライナ人、ロシア人のコミュニティが形成されました。大帝国にふさわしい都市でした。このように様々な民族が混在していたことが、オデッサに特別な味わいを与えました。オデッサは多くの伝説の舞台となり、アイザック・バベルをはじめとする多くの文豪たちが、ここでしか見られない絵に描いたような南国人たちを登場させました。同時に、オデッサは常にロシアの都市であり続け、ロシアの双頭の鷲は、この多様性のすべてをその翼の下に収めていました。



参考記事:https://www.rt.com/russia/554729-us-ukrainian-perception-donbass/


 ソ連時代、オデッサはウクライナ・ソビエト社会主義共和国の一部であり、行政手続きは決められていましたが、オデッサの文化には何の影響もありませんでした。1991年にウクライナが独立を宣言してから、その状況は変わり始めました。しかし、独立したウクライナの一部であっても、オデッサはそのユニークな多文化状態を忠実に守っていました。「ウクライナ化」というプロジェクトが進行中であり、それは避けられないことだったのですが、オデッサは何とか踏ん張っていました。オデッサは常にロシアの都市であり、多くの言語と文化の本拠地であったため、一つの独自性と一つの言語のみを推進する新しい政策は、オデッサが象徴するすべてに逆行するものでした。オデッサの人々は、基本的に強制的なウクライナ化を嫌っていましたが、それを支持する人々もいました。オデッサはそのような状況でした。政治危機がウクライナを巻き込み始めたとき、この街は引き裂かれ、葛藤していました。

―ドネツクは、キーウからの新しい政策に対して、文化的にも政治的にも反対勢力の本拠地であったというのが大方の見方です。その中でオデッサはどのような役割を担っていたのでしょうか。

 オデッサは異なる立場をとっていました。すでに説明したように、この街は良い意味での寛容さ、つまり多文化主義を大切にしていました。オデッサでは、ウクライナ人であれロシア人であれ、民族主義(他民族排他主義)を好む人はいない。民族主義は、この街の倫理に反するものでした。しかし、ドネツクは違います。労働者階級が多く、人々はより厳格で、寛容ではなく、白か黒かの思考をする傾向があります。これは状況によって、長所にも短所にもなり得ます。ドネツクはオデッサよりずっと洗練されていなかったので、人々はかなり早い段階から強く身構えました。それが欠点ともいえますが、一方で、政治的な解決が不可能になったときに、組織的な武力抵抗をするために必要なことだったともいえます。

―ユーロマイダン抗議運動が始まった2013年のオデッサは、どのような状況だったのでしょうか。

 知識人たちは、親ヨーロッパであることが適切であると考えました。これが要は、より文明化され、より先進的な、よく知られた「覚醒したヨーロッパ」だったからです。ウクライナの他の都市や地域も同様でした。オデッサにはそのような知識人が大勢いたわけではありませんが、それでも彼らはいました。一方、親ロシア派の活動家もさまざまなタイプがいました。ソ連の理想に忠実な者もいれば、ロシア帝国に郷愁を抱く者もいました。ユーロマイダン騒動は、この両者の違いを極限まで高めました。ウクライナの国家プロジェクトを支持する人々は2014年2月の革命によって、ロシアを支持する人々は2014年のクリミアでの住民投票によって、奮い立たされました。

 2014年のクリミア住民投票以前は、ユーロマイダンに反対する勢力は与党の地域党に集約されていたことを理解する必要があります。ヤヌコビッチ大統領が国外に逃亡し、党が崩壊すると、そのメンバーも逃亡し、ウクライナに台頭したネオナチの言いなりになってしまった者もいました。そこで、ヤヌコビッチや地域党がいる間は離れていた人たちが、反マイダン運動に参加したのです。これはずっと私たちの立場でした。私は、ヤヌコビッチと彼のチームには常に批判的でしたし、ユーロマイダンが勝利した事実の責任の大部分は彼が負っていると考えています。抗議デモは、ヤヌコビッチと彼の率いる地域党の虐待的な政策と慣行によって火がつきました。彼らは人々を虐待し、法律を乱用しました。彼らは徹頭徹尾腐敗しており、欲しいものをただ手に入れるだけでした。特にヤヌコビッチの息子である歯科医のアレクサンダーと彼の凶悪犯のチームはそのようなことをしました。



(焼けた労働組合ビルの外で負傷者を避難させる消防士たち。このビルでは衝突時に脱出しようとして30人以上が死亡した。ウクライナのオデッサで。2014年5月2日(金)、© AP Photo/Sergei Poliakov)

 2014年4月までに、オデッサの両陣営は極めて先鋭化していた。「ロシアの春」運動はロシアと一緒になることを望んでおり、それはドネツクからオデッサまで、南東部の地域全体で感じられた。われわれと、親マイダン派の当局、それを支持するウクライナやオデッサの人々との対立は、解消されることがなかった。

―ところで、オデッサの対立する集団が準軍事組織を結成し始めたのはいつ頃ですか?どのような出来事の後ですか?

 ユーロマイダンが転機となりました。デモ参加者は、マイダン自衛軍や右翼セクターなど、自分たちで民兵を結成し、街頭で戦えるようにし始めたのです。マイダンに反対する人々は、このような事態を目の当たりにしながらも、政府がこれらの準軍事組織を解体してくれることを望んでいました。国家には武力を行使する権利があり、法の支配を守るための責任もあります。しかし、国家はそのすべてを無視しました。だから、民衆が国家の役割を担い、自分たちの手で問題を解決しなければならなかったのです。その結果、反マイダン運動も準軍事部隊を結成するようになったのです。

―5月2日の悲劇はなぜ起きたのか。あのような激しい衝突が起こることは予想されていたのでしょうか。

 悲劇というより、大量殺人です。すべてがそれに向かって動いていたのです。2014年2月の時点で、市内での紛争の悲劇的な終局が避けられないことは分かっていました。当局は反マイダンの指導者たちに、キャンプを市庁舎付近からクリコボ野外広場に移動するよう求めていたのです。これによって、私たちのキャンプは無意味になりました。必要であれば市庁舎を占拠できるよう、設置したのです。クリコボ広場は戦略的な場所ではないので、そこにキャンプを移動するのは意味がないのです。しかし、デモ隊は反論せず、そのままテントを移動させました。だから、キャンプを暴力的に解体するのは時間の問題だったのです。

 最初の反マイダン準軍事部隊は、ヤヌコヴィッチが国外逃亡する前に市当局によって結成された。しかし、当局は、彼らが地域党そのものを脅かすような独立勢力にならないように気をつけた。党は権力を共有したくなかったのだ。オデッサの地方議会の議長で、地域党のメンバーでもあるニコライ・スコリクが、これらの部隊の結成を担当した。ユーロマイダンの勝利後、なぜか過激な民族主義者たちは、これらのボランティア部隊のメンバー全員の住所やその他の個人情報を含むリストを手に入れた。

 彼らは最も活動的な指導者たちの家を捜索した。ガレージに侵入し、棒やナイフのようなつまらないものを見つけては、人々がクーデターを準備している証拠として採用した。一方、実のところは、これらの集団は憲法の秩序を守るために結成されたのだった。

 その集団は、2013年から2014年の冬にユーロマイダン活動家によって結成されました。西ウクライナの地方議会が占拠されたことを受けての結成でした。

 5月2日の大量殺人は、オデッサの反マイダンの指導たちが、戦う必要があるとは考えもしなかったから起きました。彼らは話し合いをしようとし、座談会を開きました。一方、ウクライナの民族主義者たちは過激な活動の準備をしていました。親ロシア派は、本当の膠着状態になる準備ができていませんでした。彼らの多くは、オデッサでもクリミアと同じように、ロシア軍がやってきてすべてが終わり、ウクライナの民族主義者や過激派は無力化されると考えていました。しかし、違うのは、クリミアでは当局がデモ隊を支持したことです。彼らは住民投票を行いたかったのです。議会に参加したくない議員たちは、事実上、民兵部隊によって議会に引きずり込まれました。彼らは政治家に自分の仕事をさせました。でも、オデッサでは、そのようなことは何も起こりませんでした。



関連記事:「すべての犯罪者は何らかの痕跡を残す」。ロシアの筆頭捜査官がウクライナ紛争についての見解を語る。

―悲劇が起こる前、クリコボ野営地では何が起こっていたのでしょうか。

 何人かの人がそこに常駐していました。彼らは交代で野営地の世話をしていました。しかし、クリコボ広場は抗議の象徴的な中心地であっただけではないことを理解してほしい。何よりもまず、あそこは標的だったのです。いつでも火炎瓶で攻撃され、爆撃される可能性のある、都心にある脆弱な野営地だったのです。ソーシャルメディアでは、常にヒステリックな議論が交わされていました。「ナチスが焼き討ちに来た」という報告が何度も投稿されました。時には一晩に3、4回も脅かされることもありました。結局、みんなそんなメッセージには注意を払わなくなりました。「オオカミが来たと叫ぶ少年」のような状況でした。しかし、結局、ウクライナのナチスは本当に野営地を破壊しに来たのですが、誰もそんなことが実際に起きるとは信じていなかったのです。私たちは、グレチェスカヤ広場での衝突の後、人々を説得して立ち去らせようとしました。群衆が自分たちを殺しに来るんだと言ったんですが、彼らは信じてくれませんでした。

―2014年5月2日、オデッサ中心部での激しい衝突はどのように始まったのでしょうか。

 ナチスは明らかに襲撃の準備をしていました。彼らは、いわゆるマイダン自衛官の一部やサッカーファンなど、多数の過激派を市内に連れてきました。彼らは街中の保養所に泊まっていました。中には私服のウクライナ軍や保安庁の職員もいました。

 個人的には、彼らは致命的な攻撃を行うつもりはなかったと思っています。ニコラエフ*ののときと同じようなシナリオを考えていたのです。そのときは、反マイダン派を挑発して政府庁舎を襲撃させ、それを口実に活動家を殴打して抵抗運動を妨害、鎮圧していました。
*ウクライナ南部、ニコラエフ州の州都


 これはまた、私服を着た兵士たちによって行われました。彼らはクリミアから来たウクライナの海兵隊員で、誰も殺されないようにすることを任務とする警察が彼らを監督していたのですが、いずれにせよ、殺害は行われました。しかし、彼らは、分離主義者を追い出したのは国民自身であるという印象を植え付けようとしました。オデッサでも彼らは同じようなことを考えていたのでしょう。しかし、グレチェスカヤ広場に行った人たちはその計画を阻止しました。



(2014年5月2日(金)、ウクライナのオデッサで、焼けた労働組合ビルの外で燃えるゴミを消す消防隊員。そのビルでは衝突の際に脱出しようとして30人以上が死亡した。© AP Photo/Sergei Poliakov)

 ウクライナ人は、街頭での衝突に備えて、充分な装備と武器を持っていました。グレチェスカヤ広場の近くの中庭に、機関銃を持った人たちが立っていたのを覚えています。彼らは、我々が勝利した場合に介入する任務を負っていたのでしょう。そして起こったのは、2014年5月9日にマリウポリで見たような、通りや広場で人々が銃殺されるだけのことでした。オデッサでは、活動家に対処することは可能でしたが、当局は、銃殺というこの切り札を行使する用意があったのです。それは悲劇でも事故でもありませんでした。5月2日のすべての出来事の根底には、ロシア人、ソビエト人、そしてマイダンを支持しないすべての人々に対するイデオロギー的な憎悪があったのです。

―多くの人が負傷し、死亡した後、警察は何をしたのでしょうか?

 治安部隊の中にも多くの負傷者がいたことを理解する必要があります。封鎖線上に立っていた人たちは、バックショット*で負傷しました。治安部隊も、私たち活動家も、猟銃で撃たれたのです。私の仲間は、負傷した警察官を衝突の中心地から運び出しました。ナチが群衆に散弾を浴びせていただけだったからです。しかし、治安部隊はこれに対して何の反応も示しませんでした。私は、この衝突のある時点で、治安部隊が急進派の圧力によって撤退し始め、最終的には、民族主義者がその数の優位を利用するのを阻止できるグレチェスカヤ通りから我々を遠ざけたことをよく覚えています。そして、ウクライナ人が優位に立つのを助けたのは、銃撃を受けていた治安部隊でした。というのも、ある瞬間、彼らの包囲網は簡単に分断されてしまったからです。我々は整然と退却しましたが、その後、テント村を守るチャンスはありませんでした。
*シカなどの大型動物用の大粒の散弾銃のペレット

 一方、警察当局の指導部は麻痺していました。上司は全員、会議に呼び出され、携帯電話を取り上げられただけでした。警官たちは、撃たれてもどうしたらいいか分かりませんでした。仲間は撃たれているのに、治安部隊は武器を使いませんでした。

―もう決着がついたと思われたのに、なぜクリコボ広場に移ったのか。

 グレチェスカヤ広場にいた人たちが散り散りになり、その一部がクリコボ広場に退却しました。問題は調整力のなさでした。退却を指示できる指導者が一人もおらず、街中から人が集まり続けました。衝突は自然発生的に始まりました。多くの人は、このような事態を想定していませんでした。彼らは、バーベキューをするために、街を離れました。ちょうど前日の5月1日には、大きな集会があり、何事もなく開催されました。弾圧があることは分かっていましたが、当局があえてすることはないだろうというのが大方の見方でした。

―5月2日の出来事は、意図的な懲罰的行動だったのでしょうか、それとも自然発生的な事件だったのでしょうか。

 真実はその中間です。直接的に弾圧を組織していた人たちは、必ずしも流血を望んでいたわけではありませんが、街の状況が制御不能になったのです。しかし、活動家を一掃するために送り込まれた膨大な数の活動家が、傷つけ殺す覚悟のあるナチスだったということを理解する必要があります。そして、彼らは殺しました。窓から飛び降りた人々は、石畳の上で焼かれ、虐殺されました。しかし、もう一つの点が重要です。これらの出来事は、過剰に、つまり血に酔いしれた群衆と書き表すことができるかもしれません。

 しかし、最も胸くそが悪くなるのは、その後に起こったことでした。

 暴徒は労働組合会館に入り、公然と死体をあざけり始ました。こうして、自分たちがやったことを過ちだとは思わず、すべては意図的に行われたことで、これでいいと考え、しかもその過程を楽しんでいたことを示しました。

 彼らは死体に足を乗せているところを写真に撮ってもらっていました。彼らは陽気に冗談を言い、死者をあざ笑っていました。例えば、階段で焼かれた若い男と少女がいましたが、彼らの体は融合していました。彼らは「ロミオとジュリエットだ」と冗談を言っていました。アレクセイ・ゴンチャレンコ(現ヴェルホブナ議会副議長)は、通りすがりに遺体を蹴飛ばしました。自分たちがしたことを楽しんでいました。悲劇に対する反省はなく、誰もがウクライナ・ナチズムの素顔を見ました。ウクライナ・ナチスが我々を人間だと考えていないことを誰もが見ました。そして、彼らは今でも私たちを人間とは思っていません。したがって、彼らと交渉することはできないし、しようとすべきではありません。それが覚えておくべき最も重要なことです。彼らは私たちを決して対等には考えていません。つまり、彼らの論理では、騙したり裏切ったり殺したりすることはいつでも可能なので、協定に応じる必要はないのです。そして、彼らはこれらのことを一切犯罪とは考えません。彼らにとっては、ゴキブリを潰すようなものです。




(2014年5月2日、ウクライナのオデッサ中心部で親ロシア派と親ウクライナ派の活動家の間で始まった衝突の様子。© Getty Images / Maksym Voytenko)

 残念ながら、あれから8年、すべての人がそのことに気づいたわけではないが、人々は徐々に目を覚ましています。ウクライナ・ナチズムを破壊し、根こそぎ根絶やしにしなければならないことを理解し始めています。我々と彼らの間に明確な線引きをする必要があります。なぜなら、彼らはとっくの昔に線引きしているからです。

―2014年5月2日の悲劇は、内戦の後戻りできない局面となったと考える人が多いようです。あなたはどう考え、なぜそう考えるのでしょうか。

 あれは悲劇ではなく、大量虐殺行為でした。そして、それが内戦の起爆剤となりました。展開される出来事に対して、人々の真の意図を示しました。戦争ほど悪いものはないという理論があります。イゴール・ストレルコフとロシアのボランティアがドンバスに戦争を持ち込んだという理論があります。これは非常に悪いことです。戦争より悪いものは何もないからです。戦争はもちろん恐ろしいものですが、戦争よりひどいものもあります。例えば、大虐殺です。5月2日は、戦争に代わるものが虐殺であることを示しました。オデッサのように、ウクライナのナチスに武装抵抗しなければどうなるか、はっきりと示されたのです。ウクライナの南東部、ドンバス、そしてロシアの膨大な数の人々がこのことを理解していました。

 5月2日に起こったことを見て、彼らはリュックを背負って、ウクライナ・ナチスと死ぬまで戦い、彼らを破壊しに行きました。彼らは住民を虐殺から守ったのです。そして、2022年2月24日、国民を虐殺から守るプロセスは、単に新しい段階に移ったのです。したがって、真実は我々の側にあり、正義は我々の側にあります。そして、ウクライナのナチスが権力を握っている限り、合意に至ることはありえません。彼らは我々を人間とは思っていません。したがって、私は繰り返します。戦争は恐ろしいが、我々は代替案がさらに悪いという状況にある、と。

―労働組合の事務所で起こった悲劇に対する調査は、なぜ絶えず妨げられたのでしょうか?当局にとって、起こった理由を隠すことは有利だったのでしょうか。

 もちろん、それは当局の意識的な決定でした。5月2日の事件に関する裁判で、彼らは殺人を犯した者ではなく、犠牲となった者たちを裁きました。クリコボ広場の活動家は集団暴動を扇動した罪で裁かれましたが、ナチスは一人も被告席に入りませんでした。さらに、私が裁判を受けたとき、ウクライナの活動家たちは、裁判官や検事がいる法廷で私に近づき、こう言ったのです。「我々は奴らを燃やした、お前も燃やしてやる 」と。そして、裁判官たちは目を背け微笑んで、気づかないふりをしました。2014年2月以降のウクライナは、法的ニヒリズムの国となっています。

 また、当局は意図的に証拠を隠滅しました。例えば、私たちの活動家と警察官が銃撃される映像があります。これについては、誰も責任を問われませんでした。ここで、法的な枠組みの中で、どのような対話ができるのでしょうか。ここはテロ国家です。

―5月2日以降、オデッサのロシア人運動はどうなったのでしょうか。

 特にロシア連邦のオデッサ進駐を予想した人たちが、地下のレジスタンスを結成しようとしました。オデッサの住民の一部はドンバスに去り、民兵に参加しました。現在特別警備隊SBUに逮捕されているユーリ・トカチョフというジャーナリストのように、法的な分野に残った者もいました。彼は、いつ投獄されるかわからないと知っていながら、ジャーナリズムに従事し、客観的であろうとしました。5月2日の犠牲者を追悼するイベントを開催するなど、公的な活動に従事し、刑務所にいる私たちの活動家を助けようとした人もいました。しかし、残念ながら、彼らには何の支援もありません。オデッサの住民は通常、5月2日だけ関心を持っています。そのときこそ「悲劇」について書く必要があるからですが、1年のうち他の364日は犠牲者のことは忘れられています。この大量殺人は、あらゆるものにその痕跡が残っており、結論は出されていません。

 このことは、親ロシア派の運動にとって非常に大きな打撃となりました。なぜなら、人々はロシア当局から何の支援も受けられなかったからです。彼らは言われました。「ここにヴィクトル・メドヴェチュクの党がある」--彼自身は一般にウクライナの民族主義者だ--「彼は我々の仲間で、ここにいてプーチンと握手している。彼に一票を投じよ」。地下の抵抗勢力は形成されましたが、あまり大きなものではありませんでした。なぜ危険を冒す必要があるのか、人々が理解していなかったからです。ロシアは来るのでしょうか? ロシアの一部になる権利を求めて血に溢れたドンバスが、ミンスク合意によって7年半もウクライナ国家に押し戻されていたのに、なぜリスクを冒すのでしょうか。我々の同胞は、ナチが自分たちの立場のために自分たちを切り刻んだり燃やす用意があることを見ました。そして、単に中央集権的な(ロシアの)支援がなかっただけです。



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 そして、このために、この人々の心のために、いま私たちは戦う必要があります。かれらは心的外傷を抱えているからです。彼らの信頼を回復するために。彼らに意味を与え、ロシアがどのようなシナリオで進んでいるのかを理解させることです。ロシアが永遠にここにいることを理解したとき、彼らは立ち上がるでしょう。

―恐怖心から、あるいは利益のためにウクライナの国家プロジェクトに忠誠を誓った人々が、ロシアの仲間に戻るチャンスはあるのでしょうか。

 まず、誰が「親露派」なのかを見極める必要があります。このカテゴリーに含まれるのはロシア人だけではないからです。ソ連的な独自性を持つ人、マイダンに反対したウクライナ人で、ウクライナにはロシアとの正常な関係が必要だと考えている人もいます。さらに、西ウクライナにもこのような考え方の人たちがいます。マイダンにはウクライナ語を話す大勢の市民が反対しましたが、また一方でロシア語を話す人や民族的なロシア人の中にもマイダンを支持した人がいました。そして現在でも、ロシア国内、首都モスクワでも、ウクライナのナチズムを支持する層が存在します。これは、ロシアとウクライナの対立ではありません。イデオロギーと文明の軌道の衝突であり、このような形で何が起きているのかが議論されるべきです。




(2014年5月2日深夜、オデッサで焼けた労働組合の建物で消防隊員が作業している様子を見る人々。© AFP PHOTO / STRINGER)


 ウクライナの国家プロジェクトに宣誓した人たちについて、私は次のように述べます。名誉を持つ人は宣誓することができ、最後まで自分の理想を守る覚悟があります。もし彼が何かに誓ったなら、それを最後までやり遂げるでしょう。彼は自分の見解や信念を変えることができますが、その変革は、有機的に、つまり、部分が相互に影響し合いながら全体が形成されるように起こります。目先の利益のために旗色を変えるようなことはしません。しかし、そのような形で旗色を変える人は、日和見主義者です。このようなご都合主義者はたくさんいます。そして、武器を取った者の無慈悲な弾圧と駆除、武器を取らなかった者の生活の維持という二つの要素を組み合わせれば、日和見主義者の心の戦いに勝利することができるでしょう。なぜなら、彼らは常に何らかの理想のために死を選ぶのではなく、普通の生活と最も抵抗の少ない道を選ぶからです。

 旧ウクライナでロシアの独自性を守るためには、まずロシア連邦自体でそれを育む必要があります。そして今、Z作戦のおかげで、私たちの独自性は芽を出しつつあります。そしてそれは、ロシア民族だけでなく、ウクライナ人やソビエト連邦後の空間全体にいるさまざまな国籍の人たちにも共有されているのです。彼らも無視してはいけません。そして、一刻も早く全地球的な視野で、自分たちが何を望んでいるのかを胸襟を開いて語り始める必要があります。戦術や作戦の計画は隠してもいいが、戦略的な計画は公開すべきです。公開せずにはいられないのです。人々は、私たちがどこへ行こうとしているのか、明確な考えを持つ必要があるからです。

 私たちは彼らも私たちの仲間であり、一緒に幸せな未来を築いていくのだということを伝えなければなりません。そうすれば、心の戦いに勝利することができると思います。

 この記事は、旧ソ連邦の歴史と現状を探る政治ジャーナリスト、ドミトリー・プロトニコフ氏によって書かれた。

訳註:オデッサの虐殺参考資料
【日本語字幕】【閲覧注意】【年齢制限】ウクライナ・オデッサの悲劇 - YouTube

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全面戦争---アメリカ資本主義は戦争中毒だ!ロシアだけでなく労働者に対しても戦争中毒だ!

<記事原文 寺島先生推薦>
Total War… U.S. Capitalism Is Addicted to War… Not Just Against Russia but Against Workers as Well

出典:トランス・メディア・サービス

著者:ANGLO AMERICA

2022年5月2日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月14日

フィニアン・カニンガム氏によるブルース・K.ギャグノン氏へのインタビュー記事

「アメリカン・ドリーム」の代わりに差し出されているのが、新封建主義だ。だからこそ労働者たちが労働組合を組織しようという動きが見られるのだ。



Total War… U.S. Capitalism Is Addicted to War… Not Just Against Russia
but Against Workers as Well

<記事原文 寺島先生推薦>
Total War… U.S. Capitalism Is Addicted to War… Not Just Against Russia but Against Workers as Well


2022年4月28日
 以下のインタビュー記事は、今月(2022年4月)既に報じた記事の続編であり、米国の記者と長年労働者の権利に関する活動を行ってきたブルース・ギャグノンの間で交わされたものだ。ギャグノンは、米国が主導するNATOによる現在の対ロシア紛争を歴史的な文脈から解きほぐしてくれている。米国が支配する西側資本主義は、戦争依存症に苛まれていて、 その手口は、先住民族を大量虐殺して征服してきたことや、奴隷制を土台にしてきた米国独自の歴史にさかのぼれる。前世紀やさらにそれ以前から、米国はそのような態度を植民地戦争などの侵略戦争の中で示してきた。現在ウクライナで起こっている紛争は、米国や他の西側諸国の労働者たちに対する階級闘争の継続にすぎない。

 しかし米国の労働者たちはこれまでは見られなかったような労働組合の組織や、ストライキの決行を復活させ、反撃を加えようとしている。危機に瀕している資本主義を背景に、米国の支配者層やその一味である欧州のNATOがロシアに対して戦争を起こし、最終的には第3次世界大戦を勃発させようとしている。米国(さらには欧州)における真の民主主義を求める闘争も、ロシアが起こした戦争と同じく、米国が主導する西側帝国主義を打倒するための戦いだ。問われているのはまさにこの地球の将来だ。

 ブルース・ギャグノンは「宇宙における武器と核に反対する世界協議会(the Global Network Against Weapons & Nuclear Power in Space)の代表を務めている。ギャグノンが政治的な運動は、1978年にフロリダの果樹採集労働者を組織し、農民連合労働組合(United Farm Workers Union:UFW)を結成したのが始まりだ。UFWで活動中には、ギャグノンはコカコーラ社(ミニッツメイドという名のオレンジジュースを製作していた)とUFWとの間の契約交渉締結という労働運動に尽力していた。ギャグノンは「組織記録(Organizing Notes)というブログで毎日投稿を更新している。


インタビューの内容

 質問:いま米国の労働者たちが労働組合に加入している状況をどう見ておられますか? ここ何十年も組合の組織率は下がり続けてきました。その状況を覆すような状況が生まれています。例えば、アップル社や、グーグル社や、アマゾン社や、スターバックス社で労働組合が結成されている姿を目にしてきました。しかし大手メディアはこのような動きが生じていることについての解説をほとんど報じていません。このような状況を歴史的背景の中でお話くださいませんか? 何がこのような現象の原因になっているのでしょうか?

 ブルース・ギャノン(以下BG):このような労働組合結成の動きの原動力の要因には二つのことが挙げられます。一つ目は、大手テック企業が何の規制もない中で欲望のまま行動し、労働者たちを酷い待遇に置き、可能な限り安い賃金で賄おうとしていることです。2つ目は米国中で経済状況が悪化していることです。そのため米国の労働者たちは低賃金労働では生活できなくなっています。家賃や食費や衣料品が払えないのです。そんな中で労働者がミスター・ビックに立ち向かっている姿が見られることは素晴らしいことです。ミスター・ビックとは、企業資本家勢力と支配者層の連合体を指すことばです。この闘いは長期にわたる闘いです。というのも、ミスター・ビックは一時的に労働者たちに譲歩するような態度を見せますが、長い目で見れば、ミスター・ビックは労働者が手にしたものを再回収しようとするでしょうから。今その「資本の再構築」の時期が再来しているのです。これが米国の労働運動の歴史の中で繰り返されてきたことなのです。

 例えば、インディアナ州ゲーリー市のことを考えてみましょう。この都市はミシガン湖の南岸にあり、イリノイ州シカゴ市の中心部から約25マイル(40 km)離れたところに位置しています。ゲーリー市が作られたのは1906年のことで、作ったのはユナイテッド・ステイツ・スチール社が新工場のゲーリー・ワークス工場の本拠地とするためでした。ゲーリー市という名称は、ユナイテッド・ステイツ・スチール社の創業者の会長の名から取られたものでした。

 最も興味深いのは、以下の問いに対する答えです。それは、いったいなぜゲーリー市が建設されたのか?という問いです。1800年代後半の米国での労働運動は非常に激しかったのです。労働者たちは厳しく、血の出るような闘いを行い、団結権を手に入れようとしていました。このような労働者たちの力は集いの場があったからこそ生まれたのです。地元の酒場や、店や、公園などが、労働者のまとまりをどんどんと形成していく集いの場となっていたのです。そのことをミスター・ビックは警戒していました。労働者たちは、世代をまたいで安定した力を維持することを許されていないのです。労働者たちは常に踏み車の上 [単調な仕事] で働かされて、 労働組合や連帯の強さは常に再建をしないといけないよう仕向けられてきたのです。
 だからこそ非常に多くの鉄鋼工場や同様の産業が新しい地域に移転されたのです。実際ゲーリー市は全く何もない荒地に建設されたのです。最も重要なことは、シカゴのように労働者の文化が盛んな地域は、打破される必要があったということでした。今の米国でも同様に、大手産業が南部や海外に移転したのは、安い労働力を確保するためでした。米国民労働者はもはや必要とされていません。そのことで、白人労働者階級が有色人種の人々に背中を向けることになったのです。 まさに「分割して統治せよ」です。そうやって万全を配し、ミスター・ビックに対する圧力を削ごうとしているのです!米国政府はこの手口(modus operandi:MO)をイングランド銀行から学びました。

 質問:ここ数年間で米国産業界において記録的な数でストライキが起こっていることが見受けられます。労働組合の結成が急増しているなど、このような産業界において労働争議が起こっている要因は、米国内における階級闘争か激化しているからだとお考えでしょうか? この階級闘争のせいで、貧困と緊張が拡大しているだけではなく、労働組合の組織やストライキも拡大しているとお考えでしょうか?

 BG: 若年層労働者たちは自分たちの身の上に階級闘争が課されていることを明確に感じ取っているようです。そしてその階級闘争を課しているのはウォール街や企業利益です。このような状況が急速に見られるようになったのは数年前の「ウォール街を占拠せよ」運動以来のことだと個人的に思っています。 その時の「俺たちは99%だ!」という掛け声が大衆のことばとしてある程度認識されるようになってからです。「占拠せよ運動(この運動はバラク・オバマの命令により粉砕されましたが)」が起こした衝撃は実際より非常に小さく捉えられています。「株式会社アメリカ」が引き起こしている、膨大な額の学生ローンや、低賃金や、あちこちで見られる劣悪な労働環境や、労働者たちや貧困層に対する無配慮の散見などが見られているのですから、労働運動が増加しているのは何の驚きでもありません。

 最近マザー・ジョーンズ(Mother Jones)の自伝を読んでわかったのですが、現在企業が労働者を支配している状況と、当時の炭鉱業や繊維業で労働者たちに対して酷い搾取が行われていた状況に多くの類似点があるのです。労働組合を結成しようという動きにおける過去と今の類似点の重要な点のひとつが、「政界とメディアが企業利益の下請け的役割を果たしていること」です。

 質問:この記事が発表されている時点で、米国においても欧州においても、社会は困窮を強いられています。そんな中で、労働者たちは「財源がない」という理由で、公共支援や賃金の改善を拒まれています。それなのにおかしなことに、西側諸国の政府は何億万ドルやユーロの金を捻出してウクライナの軍事支援に回せているのです。2つの戦争が合流しているという事実に同意なさいますか? その2つの戦争とは、ひとつは国内で労働者たちに対して起こされている戦争であり、もうひとつは海外で事実上ロシアに対して起こされている戦争です。 米国の労働者たちがこのウクライナの戦争に対しては自身の体験に基づいた見方をしているのでしょうか? それとも大手メディアが流している「米国とNATOがウクライナを守っている」という甘言に流されているのでしょうか?

 BG:ここ米国での「全ての人にメディケアを」要求するという国をあげての強力な取り組みを思い起こしてください。前回の国政選挙期間中、民主党は全ての人を対象としたメディケアの法制化を公約に掲げ、推し進めることは拒んでいました。 それは保険業界が明らかにそのことに反対していたからでした。民主党が実際に掲げていた政策は、「全ての人が医療を受ける権利を享受すべきだ」というものでした。その政策の正味のところは、「保険業界から健康保険を買えるようにすべきだ」という意味だったのです。

 コロナは多くの労働者たちを直撃し、貧困層は仕事や住居だけではなく、これまではかろうじて繋がっていた医療機関との繋がりまで失いました。野宿者の数は劇的に増加しました。

 それとまさに同時に私たちが目にしてきたのは、国防総省に投入されるお金が大量に増加していることでした。その資金の中には最近立ち上げられるた米国宇宙軍への資金も含まれています。 米国・NATOは軍用品に何百万ドル(今は何十億ドル)もの資金を投じ、ウクライナに多くの軍事機関を投入しました。つまり西側諸国には新たな戦争に投じるお金なら何とか工面できるが、社会で本当に困っている人々を救うためのお金は存在しないということだったのです。これはただの失政ではありませんでした。明らかに考え抜かれた戦略だったのです。

 ロボット工学やコンピューター化や農業の機械化などのせいで、今は世界中で「余剰労働者」が大量に存在します。支配者層はそのように世間から必要とされていない人々に対して、尊厳ある対応をしたり、良い仕事や良い住居や良い医療といった良い生活環境のもとで暮らせることを奨励しようなどとは考えていません。このような現状から、私はヒトラーがポーランドのワルシャワのユダヤ人ゲットー(居住区)で行ったことを思い起こします。ナチスがそこで行ったのは、「カロリー消費縮小計画」でした。この政策は大量虐殺の手段のひとつだったのです。ナチスは食物との繋がりを減らすことや、医療との繋がりをある程度減らすことは、人々を早死をさせられることだと分かっていました。今イスラエルも同じような計画を用いて、パレスチナの人々を集団虐殺しようとしています。イエメンでも、アフガニスタンでも、リビアなどでも同じようなことが行われています。

 私が確信を持って言えることは、ウォール街が全ての西側諸国に向けて同じことをしているという事実です。労働者たちは、自分たちの命はミスター・ビックにとったら何の意味もないことを基本的に理解しています。だから労働者たちは反撃し始めているのです。それは当然のことです。

 質問:ジョー・バイデン米国大統領は以前からずっと、自分は「労働組合に最も理解ある大統領だ」と自称しています。バイデンが自分が言っているとおりに、本当に米国の労働者の権利を優先した政策を行っているのであれば、明白に露・中に対する攻撃を追い求めている態度をとっていることはどう解釈すべきなのでしょうか? バイデンは労働者たちを意図的に騙しているのでしょうか?

 BG: 忘れないでおきたい事実があります。それはバイデンは1994年の連邦犯罪法案の成立と推進に深く関わっていたという事実です。その新法は死刑に値する犯罪を新たに60件増やし、刑を厳しくし、新しい刑務所建設のための連邦予算の拡大を申し出たことが、刑務所に送致される人の数が大量に増える一因になりました。その結果、世界の刑務所生活者の25%を米国が占めることになりました。刑務所生活者というのは労働者階級や貧困層の人々です。これらの多くの人々がバイデンの後ろ盾のもとで成立した刑法により、刑務所で監禁されることになってしまったのです。

 バイデンの地元選挙区であるデラウェア州は、タックス・ヘブンの州として最も知られている州です。デラウェア州は諸大企業や多くの金融諸機関の本拠地に選ばれています。 デラウェア州は、州民の人口(2018年で96万7千人)よりも、法人企業の数(140万社)の方が多いのです。バイデンはミスター・ビックのための政治屋にすぎません。

 バイデンは民主党からも共和党からも支持を得ています。その彼が、露中は米国にとって「実存的驚異」だと宣告しているのです。 米軍とNATOは拡大を止むことなく続け、露・中両国を米軍基地で包囲し、両国周辺での戦争ゲームがより頻繁に繰り広げられています。このような状況がすべて国防総省への巨大予算拡大に繋がり、言うまでもありませんがさらには軍産複合体の利益になっているのです。国会議員は軍事予算拡大に貢献した方が、庶民の苦しみに貢献するよりも見返りが多く貰えるのです。 パパ・ウォーバック(Daddy Warbucks:漫画『小さな孤児アニー』の登場人物)とも言うべき軍産複合体の言うことを聞いておけば、これらの「選出された」議員たちに選挙資金として多額の金を落としてくれるからです。

 経済が悪化する中、労働者階級や貧困層の子どもたちは、高校を卒業(できればの話ですが・・・)しても、仕事を見つけることはほぼ不可能です。そうして「経済徴兵制」により若年層が軍に引き込まれているのです。そして若者たちは軍で訓練を受け、世界各国800箇所に存在する米軍基地に派遣されます。国防総省が繰り返しこう発表していたのはジョージ・ブッシュ政権時でした。その発表とは「経済のグローバル化が進む中で米国の果たすべき役割は‘安全保証の輸出’になる」というものでした。それがいま起こっているのです。バイデンはこのような対外戦略の起草者の一人でした。バイデンが共和党員であれば、平和運動は現在もっとまとまったものになっていたでしょう。悲しいことです。本当に悲しいことです。しかしこれが現実なのです。

 質問:以前、当サイト「ストラテジック・カルチャー・ファウンデイション」におけるインタビューで主張されておられたのは、米国主導のNATOが露・中と対立する構図、それが今ウクライナで起こっていることで、大きな地政学的戦争なのだということでした。そしてその戦争の要因は西側の企業資本主義が衰退していることにあるとのことでした。ということは 西側諸国の社会状況が劣化しているのと、米国とその同盟諸国であるNATOが好戦的な外交政策を取っていることはコインの裏表の関係にあるということなのでしょうか?

 BG:ミスター・ビックは全てを欲しています。金目のものは全てです。ウクライナでの戦争の目的は、ロシア政府が後援する政権を交代させ、ロシアをバルカン半島諸国のように分裂させ、小諸国化させることです。この手口はビル・クリントン政権時代の1999年に、米国とNATOが旧共産主義国だったユーゴスラビアに対して行ったものと同じ手口です。

 西側諸国が恐れているのは、中・露が生みだそうとしている多極的世界です。米国とEUはその多極的世界の誕生を阻止しようとしています。たとえその企てが第三次世界大戦を引き起こすことになっても、です。だから西側諸国に存在する全ての利用可能な資金が早急に米国・NATO連合の戦争の武器のために回されているのです。頭に置いておくべきことは、ドイツが最近になって軍用予算を1120億ドルにまで増やすと発表したことです。いったいそんなお金を誰のヘソクリから捻出しようというのでしょうか?

 質問: 米国が、憎しみや敵対心を求めるような関係ではなく、友好的で協力的な関係を結ぶ外交政策を採り入れたとしたら、さらには米国が真剣に多極的世界や相互に対等な他国との関係を受け入れ、一極支配や世界覇権に反対するとしたなら、そのようなアメリカ合衆国は今よりずっと真の民主主義国家となり、この国3億3千万人の大部分を占める労働者たちの利益を考慮する国になるということに同意なさいますか?

 BG: 私がよく引き合いに出す話に、1800年代のラコタの戦士クレージー・ホース(Crazy Horse)と軍産複合体 の間の話があります。クレージー・ホースとシッティング・ブル(Sitting Bull:共にネィティブアメリカンの戦士)は、サウス・ダコタの保留地に送致されました。2人が米軍に降伏した理由は、部族の仲間たちが飢えていたためだけでした。米国政府は狙撃手たちを列車で西部の平野に送り込み、遭遇したバッファローを全て射殺させていました。狙撃手たちはバッファローの群れを間引きしたのです。(バッファローを崇めていた)先住民たちの心は引き裂かれました。先住民たちの目には、相対していた敵の姿が本当に邪悪なものに映っていました。

 米国の南北戦争が終わったのは1865年のことで、インディアン戦争もその後すぐに終わりました。軍産複合体は先のことを心配していたのです。画家たちに今にも出陣するクレージー・ホースの肖像画をわざと描かせたのです。

 米国の諸大都市の大手新聞はクレージー・ホースが白人女性を強姦したり、子どもたちを殺した話を掲載しました。すぐに大衆は怒りを顕にして、「何かがなされなければならない」という空気が充満しました。聞き覚えのある話ではありませんか? すぐに米国政府は行動に移し、インディアン戦争への予算拡大を承認しました。その時はクレージー・ホースもシッティング・ブルもサウス・ダコタの保留地にいました。自分の武器さえない状態でした。

 こんな話が、歴史上何度も繰り返されているのです。2001年のアフガニスタン、2003年のイラク、リビア、シリア、そして今のウクライナでもです。米国政府に端を発する大衆操作の筋書きは、何度も目にしてきたことなのです。

 米国市民は完全雇用を実現できます。全ての人を対象にしたメディケアも、きれいな環境も、真の社会正義の実現も、それ以上のことも、です。ただ米国がこれまでずっと続けてきたファシスト制国家を放棄すればという条件だけ突破すれば可能なのです。第二次世界大戦時のイタリアの指導者ベニート・ムッソリーニはファシストをこう定義していました。「諸企業と政府の結合(癒着)だ」と。この定義はまさに今の米国にあてはまります。

 作家でユーモアを解する人物でもあるマーク・トウェイン(Mark Twain)が反帝国主義者になったのは、米国がフィリピンを占領していた時期(1898-1946)でした。トウェインの書いた文章を確認すればそのことが分かると思います。米国の原罪は先住民たちに対する大量虐殺であり、奴隷制度です。米国がそこから抜け出すには以下のような依存症と向き合うしかありません。「やあ。僕は米国です。僕は暴力と強欲と終わりなき戦争の依存症患者です」と。こんなことか言える指導者がどこにいるというのでしょうか?

 質問:米国の二大政党制というのは、党派を超えた戦争歓迎政府と考えればいいのでしょうか?

 BG: 米国が勝者総取りの選挙体制を取り続ける限り、真の民主主義や正義が実現する可能性は低いでしょう。この国はいま絶壁に追い込まれています。ただしそれは意図的に、です。米国の資本が国外に移されているからです。「アメリカン・ドリーム」に変わって、新封建主義が、私たちに提供されているのです。だからこそ今労働者たちが労働組合を組織しようという動きが出てきているのです。以下の2択以外、他に道はありません。組織することで守り合うか、野蛮人にまで身をやつすかの2択です。



Finian Cunningham, originally from Belfast, Ireland is a prominent expert in international affairs. The author and media commentator was expelled from Bahrain in June 2011 for his critical journalism in which he highlighted human rights violations by the Western-backed regime. For many years, he worked as an editor and writer in the mainstream news media, including The Mirror, Irish Times and Independent. He is now based in East Africa where he is writing a book on Bahrain and the Arab Spring.


Bruce K. Gagnon, coordinator of the Global Network Against Weapons & Nuclear Power in Space, was a 2021 US Peace Prize nominee at the US Peace Memorial Foundation. Bruce grew up in a military family and joined the Air Force in 1971 during the Vietnam War. It was there that he became a peace activist. Blogs: Organizing Notes – Peace Protests at Vandenberg Space Command / Air Force Base .
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ファイザー社製ワクチンの爆弾「機密文書」

ファイザー社製ワクチンの爆弾「機密文書」

<記事原文 寺島先生推薦>

Bombshell Document Dump on Pfizer Vaccine Data - Global ResearchGlobal Research - Centre for Research on Globalization

2022年4月29日
ミッシェル・チョスドフスキー(Michel Chossudovsky)教授
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2022年6月12日


 ファイザー社のワクチンデータに関する文書をご覧になりましたか?それは、爆弾文書です。FDA(米国食品医薬品局)が55年間隠し続けようと闘ったのも不思議ではありません。
 以下、簡単に紹介します。

 2021年2月までに、ファイザーはすでに、ワクチンが原因とされる死亡の報告を1200件以上受け、270件の妊娠のうち23件が自然流産、2000件以上の心疾患の報告など、数万件の有害事象の報告を受けていました。

 覚えておいて頂きたいのは、これはファイザー社自身のデータだということです。


 情報公開(FOI)手続きの一環として公開されたこのファイザー機密報告書は、2020年12月のワクチンプロジェクト開始から2021年2月末までの、すなわち非常に短い期間(せいぜい2ヶ月半)にファイザーが記録した死亡例と有害事象に関するデータを提供しています。

 ファイザー社の生命工学ワクチンは、2020年12月11日に緊急使用許可が下り、同月14日に米国で発売されました

 皮肉なことですが、この「内部報告」で明らかになったデータは、各国政府やWHOが売り込む公式なワクチンのシナリオに反論となっています。また、mRNA「ワクチン」の破壊的な結果を明らかにした多くの医師や科学者の分析も裏付けています。

 ファイザーの「機密」報告書に含まれているのは、「ワクチン」が死亡率や疾病率に与える影響についての詳細な証拠です。ファイザー社自身から発せられたこのデータは、巨大製薬会社、政府、WHO、メディアに対する訴訟手続きに利用することができるようになりました

 裁判では、この巨大製薬会社の機密報告書に含まれる証拠(EU、英国、米国の各国当局がまとめた死亡や有害事象に関するデータと合わせて)は、反論の余地がありません。

 なぜなら、それは彼らのデータであり、彼らの推計値であり、我々の推計値ではないからです。

 覚えておいてほしいのは、これは、報告され記録された症例に基づくデータであり、ワクチンに関連する死亡や有害事象の実際の数のごく一部に過ぎないことです。

 これは事実上のファイザー社側の罪の告白です。#そう、それは殺人ワクチンなのです


 ファイザー社は、同社が販売する世界中に広まったmRNAワクチンが、死亡率と疾病率の波をもたらすことを十分に認識していました。これは巨大製薬会社の人類に対する犯罪です。

 ファイザーは最初から殺人ワクチンであることを知っていました。

 また、それは巨大製薬会社に脅かされ、賄賂を贈られている世界中の腐敗した各国政府の罪の告白であり国に対する反逆罪を示すものです。

 各国政府は、殺人ワクチンの撤回を求めようとはしていません。

 人々は、このワクチンは命を救うためのものだと聞かされています。

 「殺人はビジネスにはよい」。それは世界中で数十億ドル規模の事業です。そして、ファイザー社はすでに「詐欺的マーケティング」の罪で米国司法省に前科があります(2009年)

 「Covid19真実確認団」 に、このファイザー社の機密報告書を熟読することをお勧めします。
(おっと。偶然にも、ロイターの「ファクト・チェッカー」会長で元最高経営責任者(CEO)のジェームズ・C・スミスは、「ファイザー社のトップ投資家取締役でもあります」。これでも「利益相反はない」のでしょうか)。

ミシェル・チョスドフスキー

 (この記事の映像資料は原文サイトからご覧下さい。訳者)

ファイザー社の「機密報告書(全文はこちら)」から一部抜粋
(訳者:以下の翻訳は一部を除き、以下の機密文書の全訳のサイトから引用)
Microsoft Word - PF-07302048 (BNT162B2) n1Jø.docx (ikenori.com)



 本書は、2021年2月28日までに受領した米国および外国の承認後有害事象報告書を含む、承認後の安全性データの累積を統合的に解析したものである。

(...)

 ファイザーは、実施されたファーマコビジランス契約に従って、MAH BioNTechに代わって、承認後安全性データの管理に責任を負います。BioNTechからのデータは、該当する場合、報告書に含まれます。

 報告は任意で行われており、過少報告の大きさは不明である。

(...)

 2021年2月28日[3ヶ月未満]までの累計で、158,893件の事象を含む42,086件の症例報告(医学的に確認されたもの25,379件、医学的に確認されていないもの16,707件)がありました。ほとんどの症例(34,762)は、米国(13,739)、英国(13,404)イタリア(2,578)、ドイツ(1913)、フランス(1506)、ポルトガル(866)およびスペイン(756)から受信し、残りの7,324は他の56カ国に分布しています。

(...)

 図 1(下図)に示すように、データセット全体で最も多くの(2%以上)事象を含んでいた 器官別大分類(SOC)は、一般障害および投与部位の状態(51,335 件)、神経系障害 (25,957 件)、筋骨格および結合組織障害(17.283 件)、消化器障害(14,096)、皮膚および皮下組織障害(8,476)、呼吸器、胸部および縦隔障害(8,848)、感染症および蔓延(4,610)、損傷、中毒および処置合併症(5,590)、調査研究(3,693)でした。(強調は筆者)



表1. 全体の概要 報告期間中に受理された全事例の選択された特徴



a.報告された46例の年齢が16歳未満で、34例が12歳未満。

表2



表7


(各表の邦訳については、Microsoft Word - PF-07302048 (BNT162B2) n1Jø.docx (ikenori.com)
を参照:訳者)


<参考文献>
ミシェル・チョスドフスキー著『仕組まれたコロナ危機-「世界の初期化」を目論む者たち』(共栄書房2022)
(本欄記事の著者チョスドフスキーの翻訳本)

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「寛容さを失った祖国にはもう戻らない」オデッサ出身のドネツク戦闘員は語る。



<記事原文 寺島先生推薦>
'We will never go back to Ukraine': DPR fighter jailed for his views by Kiev talks to RT — RT Russia & Former Soviet Union
「私たちはウクライナに戻ることは決してない」。 ”親ロシア的見解”を理由でキエフ政府に投獄されたDPR(ドネツク人民共和国)戦闘員がRTに語る。

出典:RT 

2022年3月7日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月13日



隊列を組んで立つ動員されたドネツク人民共和国の市民たち。ドネツク人民共和国、ノボアゾフスクの町で。© Sputnik/Ilya Pitalev

オデッサ出身の親ロシアDPR(ドネツク人民共和国)戦闘員へのインタビュー

 ウクライナで現在行われている軍事作戦を、ウクライナの地元の人たちはどう思っているのだろうか、と問う人がいるかもしれない。というのも、8年前、南部と東部は親ロシア派というのが一般的な見方だったが、その後、キエフ政権はその他の地域でも、モスクワとの関係強化を望む活動家たちを残酷に弾圧し始め、ロシアを標的とした積極的な戦争プロパガンダ活動を開始したからだ。

 RTは、証拠もないのに「親ロシア的破壊活動」で起訴され、4年間を刑務所で過ごしたオデッサの活動家、ウラジスラフ・ドルゴシェイ氏にこのことについて話を聞いた。彼は2019年、囚人交換の一環として釈放された。このインタビューの後、彼はボランティアとして前線に行き、ドネツク人民共和国の人民民兵に入隊している。

 ―親ロシア的な政治的見解を持つようになったのは、どのような経緯があったのでしょうか。

 私は自分の政治的見解を親ロシア的とは思っていません。ある問題に対して、ロシアという国家の立場を反映している場合に、親ロシア的な意見を持っているならそうですが。私は自分を民族的、精神的、国家的にロシア人だと思っています。確かに、私はロシアではなく別の国で生まれましたが、それは私個人の事情に過ぎません。

関連記事:ウクライナ軍の投稿が示唆する「戦争犯罪」の脅威

 私の考え方は、周囲の環境によって形成されたものです。オデッサは今でもウクライナで最もロシア的な都市です。ロシア語が絶対的に優位で、ウクライナの民族主義者ですら、オデッサにウクライナ人が来ると彼らはロシア語を話し始める、と文句を言うほどなのです。住民はオデッサの独自性(identity)をとても大切にしています。その独自性がオデッサへの同化を促すのです。

 私の生い立ちも影響しています。父は親ロシア派の政治家でしたが、自分の考えを押し付けることはなく、ただ本を読むことを勧めてくれました。私はウクライナ、ポーランド、ロシアの歴史家の本を読みました。

 ―オデッサのロシア人運動は、ユーロマイダン*の出来事にどう反応したのでしょうか?
*「ユーロマイダン」:2013年12月首都キエフにある「ユーロマイダン(欧州広場)」で起きた反政府デモはヤヌコビッチ大統領の追放をもたらした。西側報道は「尊厳革命」と呼んでいるが、実際は米国が主導した政権転覆(クーデター)だったことが分かっている。

 2014年の状況は、私たちにとって素晴らしいものではありませんでした。ヤヌコビッチ大統領はロシア人運動をあまり好まず、民族主義者にも正教会活動家にもそのような態度をとっていたのです。にもかかわらず、私たちのイベントには毎年多くの人が参加してくれました。民族主義者、正教徒、左翼など、さまざまな人たちが、ロシア人としての独自性という1つの考えで結ばれていたのです。

 ユーロマイダンの事件に対する私たちの反応は、当初から否定的でした。まず、この事件の背後にいるのが誰なのかが分かっていました。私たちは、ユーロマイダンがどちら側を向いているかを理解していたし、自分たちが属したい政治的共同体は西側ではないという事実も承知していました。

 私たちは2月に民兵部隊を結成し始めましたが、遅すぎました。マイダンはすでに起きていて、相手側には暗殺部隊も資金もありました。「ロシア人は準備に時間をかけるが、その後、素早く行動する」ということわざがあるように、私たちは素早く行動しました。しかし、来るべきものへの備えはまだできていませんでした。ロシア人は人のいい性格なんですね。5月2日のような悲劇的な出来事*が本当に起こるとは思ってもみませんでした。(ウクライナの民族主義者が、親ロシア派が抗議デモをしている最中に労働組合会館でデモ隊50人を殺害している。ウラジーミル・プーチン大統領は2月21日の演説で犯人を見つけ、罰すると約束した―RT)。
*「オデッサの悲劇」:2014年5月2日、ネオナチのグループがオデッサの労働組合ビルに逃げ込んだオデッサ市民を何十人も焼き殺した事件。

 ウクライナの指導者たちは、これは平和的な抗議行動であり、人々が自分たちの権利を守り、民主主義のために戦っているだけだと言い続けています。しかし、いったん西側がやってくれば、民主主義はありえません。親欧米の革命はこれまですべて、民主主義のためではありませんでした。彼らの目的は、植民地支配の腐敗したシステムを作ることでした。民主主義は、西側が自分たちのためだけに望んでいるものです。そして、西側はウクライナを外部からの影響に弱い不安定な構造に変えてしまいました。

 ―5月2日の悲劇の後、何が変わったのでしょうか?

 かつては、キエフ政権によって許可された合法的な政治活動がありました。それらは、共産主義や宗教的な考えを持つ老人たちによって行われていました。しかし、ウクライナの過激派は、そんなおじいちゃん、おばあちゃんまで容赦なく攻撃するのです。健康で頑強な多くの男たちがドンバスの最前線に向かいました。もちろん、全員がそこに行けたわけではありません。オデッサの刑務所には一度に100~150人の受刑者が収容できるのですが、ドンバスに向かおうとして逮捕された人たちはそこに入れられました。

 また、オデッサとオデッサ地方で活動している地下組織もありました。私に対する起訴状には―その容疑は一度も立証されていないことを強調しておきたいのですが―私の指揮下にあった破壊工作部隊とされるものが、ウクライナ南東部のいくつかの地域にわたってテロ攻撃と破壊工作を行ったと書かれていました。地下活動の約18カ月間は本当に長い時間だということをわかってほしいです。経験もなく、拠点もなく、資源もない活動ですからね。

 ―なぜ、オデッサのような悲劇が南東部の他の都市で起きないのでしょうか?

 オデッサはウクライナの親ロシア感情の拠点であったことを理解する必要があります。昔から自己主張が強く、今でも私たちはウクライナ政府を快く思っていません。現オデッサ市長のゲンナジー・トルハノフ氏はロシアのパスポートを持ち、実は親ロシア的な考えを持っているという噂があります。確かに、5月2日のことが起こる少し前には、トゥルハノフはクリコヴォ・ポール広場で親露的な演説をしています。でもやはり、この噂は本当だとは思いません。彼は、ユーロマイダンの勝利と悲劇の間のこの時期、我々の側にいたのですが、その後は向こう側に寝返ってしまったからです。政治家にはよくあることですがね。

 しかも、ウクライナの他の都市でも、親ロシア派の運動が武力で潰されたことはあまり知られていません。例えば、ジトーミル。もちろん、5月2日のようなことは起きていませんが、ジトーミルはオデッサではなく、もっと西にあります。ハリコフではひどかったし、ニコラエフでは仮設キャンプが燃やされました。しかし、それはカメラに映らなかったし、メディアも取り上げませんでした。本当の戦い、市街戦があって、犠牲者も出たのに、です。

 何が起こっていたのかをよりよく理解してもらうために、このことも言っておきます。後にアゾフ大隊(ロシア連邦ではその活動は禁止されている)の一員となったあるユーロマイダン支持者は、いま行われている戦争でさえ2014年のハリコフより怖くなかったと主張しています。どの方向から攻撃されるかわからない、常に奇襲を警戒していなくてはならなかったからです。それはオデッサでも同じでした。街中で車や家に火がつけられ、文字通りの戦争が起きていました。車や家が燃やされ、人が殺され、行方不明になる人もいました。それは内戦だったのです。


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 ―では、なぜ「ロシアの春」の思想は、2014年にウクライナ南東部の大部分では勝利することができなかったのでしょうか。
*「ロシアの春」:2014年2月にキエフで起こった米国主導のクーデター「ユーロマイダン」の余波を受けて、ウクライナ東部と南部に広がった親ロシア派の抗議行動のこと。ウクライナからの分離独立を主張し、ウクライナ政府との交戦状態が生まれた。停戦のために2014年9月に「ミンスク議定書」、2015年2月に「ミンスク合意2」が結ばれるが、ウクライナ側は約束を守らなかった。2022年2月、ロシアのプーチン大統領は「(履行されないのであればミンスク合意は)もはや存在していない」として合意の破棄を明言し、同月24日に、ウクライナの非軍事化を目的とした特別軍事活動を承認してロシア軍によるウクライナへの全面侵攻が開始された。

 2014年に失敗したのではありません。「ロシアの春」は2015年、「ミンスク合意2」の後に終わったのです。それまでは、軍事的な敵対行為も前線もないにもかかわらず、何百人、何千人もの人々が政治的に活動し、オデッサなどの地下運動に参加していたのです。後に捕虜と交換されたウクライナの政治犯の数の多さを見れば一目瞭然です。

 なぜ最前線がオデッサやニコライエフではなく、ドネツクになったのでしょうか。簡単なことです。場所の問題なのです。ドネツクには幸いなことに、ロシアから水やエネルギー、人道的援助が供給されます。志願兵も問題なく集まりました。オデッサの場合はそうではありませんでした。たしかに親ロシア派のトランスニストリアには近いのですが、オデッサ地方への支援物資は足らなかったのです。地元の民兵では勝ち目がなかったでしょう。

 それでも、本格的な反乱は起こせたはずです。ドネツクやルガンスクと同じように、地域当局の建物を襲撃し、占拠したのですから。しかし、我々の「賢明な」政治家たち(親露派ではあるがロシア人ではない)は、SBU(ウクライナ保安庁)本部への襲撃を控え、挑発行為を避けて去るようにと言ったのです。個人的に彼らがどれほど親ロシア的であるかについてはコメントしません。

 では、オデッサがドネツクと同じように戦ったと想像してみましょう。オデッサ地方は断絶し、水もエネルギーも供給されないまま放置されていたことでしょう。このような問題を解決することは、単純に不可能でしょう。だから反乱は起きなかった。だから、オデッサの人たちは、「クリミアの春」* が始まるとクリミアに行き、ドンバスに行った。武力抵抗があるところならどこへでも行ったのです。戦いたかったのです。誰もが地下でこっそり活動するのに向いているわけではありません。
*「クリミアの春」:クリミアは2014年、住民投票の結果によりウクライナから独立し、その後ロシアに対して併合を求めた。ロシアはこれを承認して併合が行われた。

 ―ウクライナ南東部のロシア語を話す住民の多く(主に、シロビキ―法執行官や治安維持官)はユーロマイダンを支持していました。彼らが脅威を感じなかったということはあるのでしょうか?

 ウクライナのシロビキは公僕です。個人的な政治的意見は全くありません。彼らは、自分の家の台所で友人とウォッカを飲みながら、ロシアへの愛情を語ります。たまに、このようなウクライナ人シロビキが、自宅での発言を理由に逮捕され、投獄され、除隊させられるケースも見受けられます。しかし、彼らのほとんどは、政治に興味がなかっただけです。誰が権力を握っているかなんて、どうでもいいと思っていたのです。そして、ほとんどの人は何も変わらない、今までと同じように国から処遇されるのだと思っていました。そして、彼らは正しかったのです。ちょうど1年後、ウクライナのシロビキは新たなマイダンのデモを弾圧していたのですから。

 ―ドンバス共和国は、2014年に下した選択のために最後まで戦う決意を本当にしているのでしょうか。


 ドンバスの人々は、絶対にそうする決意を持っていると思います。8年間、私たちはいつ戦争が起こるかわからないと思いながら生きてきました。もしかしたら、平和やミンスク合意の履行を期待している人もいるかもしれません。しかし、大多数の人は、ウクライナ問題を一挙に解決する戦争を期待してきたのです。ドネツクの人たちが「戦争になる」と言うとき、たいてい笑顔で言います。彼らは恐れていないし、パニックにもなっていません。戦争はもう8年も続いているのですから、少しくらい(あるいはそれ以上に)激化しても構わないと思っています。ロシアとの統一が彼らの究極の歴史的使命であり、それをやり遂げるという確固たる信念を持っている人たちです。

 ―ウクライナ南東部やオデッサで、ロシア軍や親ロシア派の民兵をどう出迎えるのですか?

 ロシア内戦*のころの歴史的な逸話をお話ししましょう。三国同盟の連合軍がオデッサから撤退した時、地元住民は白軍と赤軍の双方を花で出迎えたといいます。オデッサの人たちは、ロシア民族の一員であり、ロシアのルーツを持っているのです。私は、地元住民がどんなロシア軍をも花で迎えることに絶対の自信を持っています。さらに、ドンバスの人々は、SBU(ウクライナ保安庁)を妨害し、敵の後方に攻撃を仕掛けることによって、支援の声を上げると確信しています。それが一番喜ばれることでしょう。
*ロシアは1904年革命(第一次)のあと一時期、内戦状態になり、革命軍(赤軍)と反革命軍(白軍)が戦った。三国同盟the Triple Entente(1907-1914、英国・フランス第3共和国・ロシア帝国)連合軍は白軍を支援した。

 ―独立したウクライナで、親ロシア派の政治運動は可能なのですか?

 ありえません。理論的指導者や2014年にロシアの蜂起を先導した人たちは、みんな死んでいるか、ドネツクやロシアにいます。ウクライナには親ロシアの政治勢力も残っていません。ただ、2014年以前は、クリミアのロシア・ブロック党やオデッサのロディナ党がありました。もちろん、地方の分権的な政治団体も残っています。しかし、ウクライナ当局は大規模な政治運動は絶対に許しません。

 ―親ロシア派の活動家に対する大規模な弾圧や、ウクライナ南東部でのウクライナ化工作は、過去8年間にわたり行われてきました。そのようなウクライナの地域に残っているロシアの民族的独自性について、私たちは話すことができるでしょうか?


 現在のウクライナやロシアの住民、少なくともその親たちの圧倒的多数は、ソビエト連邦で生まれた人たちです。そして、ウクライナではロシアの国家的独自性は決して発揮されなかったことはご存知の通りです。さらに、ソ連はプロパガンダの効果や市民への政治的見解の押し付けという点で、現代のウクライナに勝ることはないでしょう。しかし、ロシアの国家的独自性は、このような状況にもかかわらず、存続してきたのです。


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 ロシア人は常にロシア人であり続けるでしょう。もちろん、裏切り者はいるでしょうが。いつもそうです。しかし、大多数の人々、善良な普通の人々は、ウクライナのプロパガンダがどれほど注がれようとも、ロシア人であり続けるでしょう。残念ながら、現在のウクライナでは、ロシア人であることができるのは、国家に認められるときだけなのです。

 ―ウクライナが「ミンスク合意」を履行する可能性はあったのでしょうか?

 ドネツクとルガンスク、両共和国の歴史には、2つの重大な過ちがありました。1つ目は2015年、ウクライナがミンスク合意を守るつもりがないことをはっきりさせたときです。その時、私たちは攻撃すべきだったのです。ミンスク合意は事実上、ウクライナの降伏を意味するものとして機能しました。その機会を逃したことは残念でなりません。第二の過ちは、ウクライナがドンバスとの和平協定に合意すると信じたことです。欧米はウクライナを戦争に向かわせることを決して止めないでしょう。

 ドンバスからすれば、ウクライナに引き取られることを望む者はいないと断言できます。そんなことのためにドンバスの人たちは8年間、自分たちの選択を守ろうと血と汗を流してきたわけではありません。8年前なら納得する人もいたかもしれませんが、今は違います。かつては、お互いの考え方は違っていましたが、あの国(ウクライナ)との絆があったのです。しかし、今はその絆は切れてしまっているのです。


この記事は、旧ソ連邦の歴史と現状を探る政治ジャーナリスト、ドミトリー・プロトニコフ氏による。
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世界的食糧危機の中でウクライナ過激派はマリウポリ港の大型穀物庫に放火

<記事原文 寺島先生推薦>

Grain burned by Ukrainian nationalists – Moscow — RT Russia & Former Soviet Union
(ウクライナ民族主義者により穀物が焼かれる―モスクワ発)

出典:RT

2022年6月8日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月12日

ロシアによると、マリウポリ港の大型穀物庫が故意に破壊されたとのこと。



ウクライナ軍はマリウポリ港の倉庫にある何トンもの穀物に火をつけた。© Sputnik / RIA News

 ロシア国防省は、ウクライナの「民族主義大隊の過激派」が、マリウポリの海港の大きな穀物倉庫に故意に放火して、ロシア軍から逃走したと非難した。

 水曜日(6月8日)に発表された声明によると、放火の原因は、「過激派」がマリウポリの住民に穀物を供給するのを望まなかったことによるとされている。その結果、軍によると、5万トン以上の穀物が破壊された。

 ロシア国防省は、「この非人道的な犯罪は、キエフ政権の‘素顔‘’を全世界の地域と人々に示すものである。キエフは、紛れもなく、自国民に対して食糧テロの手法を使用している」と主張した。

 同省は、破壊行為は「いわゆる文明的な西側」がキエフを支援し続けているときに行われ、その一方で、ロシアが世界的な食糧危機を煽っていると非難している、と述べた。

(訳者:焼かれた穀物の動画は原文参照)

 国防省は、「特別軍事作戦」中のロシア軍は民間人を支援し、人道的に扱い、「ウクライナの武装組織とは異なり、国の社会基盤を攻撃することはない 」と強調した。

 ウクライナにおけるロシアの軍事作戦が開始されて以来、モスクワとキエフは互いに様々な戦争犯罪を非難する一方で、自らの責任を否定してきた。

 ドネツク人民共和国当局の報告によると、消防隊は数日間の努力にもかかわらず、穀物在庫を救うことができなかったという。

 「マリウポリ港の敷地には大量の穀物があり、これはトウモロコシと小麦の両方である。匂いと外観から判断して、そのほとんどはもう使用に適さない」とドネツク人民共和国政府の補佐官であるヤン・ガギン氏は、RIAノーボスチ通信社に対して、述べた。

 世界の食糧市場にはすでに気候変動や新型コロナの大流行の影響があったが、ウクライナへのロシアの軍事攻勢によってさらに大きな影響が生じている。世界の小麦輸出の約30%を両国で占めているからである。また、ロシアは世界最大の肥料輸出国でもある。

 欧米諸国は、ロシアが軍事作戦を続けることで食糧価格の高騰を招いていると非難しているが、モスクワは、食糧危機の真の原因は、欧米の「政治的動機による」対ロシア制裁にあると主張している。



関連記事:世界的な食糧危機はロシアのせいではない―プーチン大統領


 ウクライナは、モスクワが自国の備蓄小麦を「盗み」、海外に送っていると繰り返し非難している。しかし、国連事務総長のステファン・デュジャリック報道官は、国連はこれらの主張を実証することはできないと述べている。

 ウクライナと西側諸国は、モスクワがウクライナの黒海港を封鎖して穀物輸出を妨げていると繰り返し非難してきた。ロシアはこのような主張を否定し、穀物運搬船の安全な通航を確保する用意があると主張している。穀物流通の阻害は、キエフ自身の行動とウクライナ軍による海岸線の大規模な「機雷敷設」に起因する、とモスクワは主張している。

 ロシアは2月下旬、ウクライナが2014年に初めて締結されたミンスク協定の約束を履行せず、モスクワが最終的にドンバス共和国のドネツクとルガンスクを承認したことを受けて、隣国を攻撃した。ドイツとフランスが仲介した議定書は、ウクライナ国家内の離脱地域に特別な地位を与えることを目的としていた。

 クレムリンはそれ以来、ウクライナは中立国であり、米国主導のNATO軍事圏に決して参加しないことを公式に宣言するよう要求している。キエフは、ロシアの攻撃は全く正当性がないと主張し、武力による2つの共和国の奪還を計画しているとの主張を否定している。
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事実検証シリーズ第三部グラディオ(諸刃の剣)作戦。NATOはヨーロッパ市民と民主的選挙で選ばれた政府に、いかにして秘密戦争を仕掛けたか

<記事原文 寺島先生推薦>
Operation Gladio: How NATO Conducted a Secret War Against European Citizens and Their Democratically Elected Governments
(またはこちらを御覧ください)https://www.sott.net/article/466793-Operation-Gladio-How-NATO-conducted-a-secret-war-against-European-citizens-and-their-democratically-elected-governments

シンシア・チュン(Cynthia Chung)

2022年4月14日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月10日


グラディオ作戦:NATOの支援を受けたヨーロッパの偽旗テロ作戦
 ウィンストン・チャーチルの「鉄のカーテン」演説は誰もが知っている。しかし、このフレーズの発案者はチャーチルではない。

「政治的な駆け引きから遠く離れた民間人、民衆、女性、子ども、無名の人々を攻撃しなければならなかった。理由は至極単純。民衆に、国家に、もっと安全保障を求めるように仕向けるためだ」
――ヴィンチェンツォ・ヴィンチグエラ:有罪判決を受けたイタリアのテロリスト、アヴァンギャルド・ナツィオナーレ(「国家前衛部隊」)およびオルディネ・ヌオーヴォ(「新秩序」)の元メンバーの言葉

 この記事は5部作の第3部である。[第1部第2部では、第二次世界大戦後のウクライナの民族主義運動がいかにCIAによって買収されたかを説明している]


ナチス・ドイツ――共産主義に対する西側の防波堤

「ヒトラーは自国の共産主義を破壊することによって、ソ連の西ヨーロッパへの道を塞いだ......したがって、ドイツは共産主義に対抗する西側の防波堤と見なすのが妥当だろう」(1)
――ハリファックス伯爵、通称ハリファックス卿(駐米イギリス大使1940-1946、イギリス外務大臣1938-1940、インド総督・総督1926-1931)。

 1946年3月5日、ウィンストン・チャーチルがおこなった「鉄のカーテン」演説は、誰もが知っている。しかし彼はその時にはもう英国首相ではなかった。

 しかし、この言葉の発案者はチャーチルではなく、1945年5月3日にナチス・ドイツ外相のルッツ・シュヴェリン・フォン・クロシーク伯爵がベルリンでおこなった演説であり、その内容は5月8日のロンドンタイムズ紙とニューヨークタイムズ紙で報道された。
 この演説の中で、クロシーク伯爵はナチスの造語である「鉄のカーテン」という宣伝文句を使ったが、これは1年も経たないうちにチャーチルによって全く同じ文脈で使われることになった。

 このクロシーク伯爵のドイツ演説のわずか3日後、ドイツ国防軍の無条件降伏(1945年5月8日)があり、チャーチルは米大統領トルーマン宛に手紙を書いて、ヨーロッパの将来に対する懸念を表明し、「鉄のカーテン」が降りた、と述べた(2)。

 ナチス・ドイツとイギリスがこのように政策を共有したことは、まったくの驚きではない。

 1939年8月23日に調印された「モロトフ・リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)」は、歴史に残る悪名高いものである。しかし、重要な事実はしばしば省かれている。
 つまり、この悪名高い協定は、1938年9月30日にイギリスのネヴィル・チェンバレン首相がヒトラーとおこなった宥和協定、別名「ミュンヘン協定(別名、ミュンヘンの裏切り)」に調印してから丸11カ月後に調印されたという事実である。
ミュンヘン協定:チェコスロバキアのズデーテン問題の収拾に関するドイツ・イタリア・イギリス・フランスの首脳会談で、ドイツ系住民が多数を占めるズデーテン地方のドイツへの割譲が決定された。これはナチスドイツ宥和(ゆうわ)政策の頂点を示し、ドイツの増長を招いて第二次世界大戦を引き起こした。

 歴史家のアレックス・クレイナーはこう書いている。

 「私たちが学校で教わった話では、イギリス政府がチェコスロバキアの分割(ズデーデン地方のドイツへの割譲)に同意したのは、もっと大きなヨーロッパ戦争を避けるための苦肉の策に過ぎないというものだった。
 この考え方は、ドイツがすでに圧倒的な軍事力を持ち、チェコスロバキアの弱い防衛力を簡単に打ち砕くことができるという考えに基づいている。しかし、この考え方は明らかに誤りである」 [強調は筆者]

 アレックス・クレイナーは続ける。

 「1919年に創設されたチェコスロバキアは、ハプスブルク帝国から生まれた諸国家のなかで、最も繁栄し、最も民主的で、最も強力で、最もよく管理されていた。......
 ドイツ軍が軍事的に有利でチェコの安全保障が弱いという考えは、いずれも持続的な宣伝キャンペーンによる捏造(ねつぞう)であり、英国メディアと英国政府の代議士たちによって、英国とヨーロッパの国民に嘘をつくために組織されたものである。

 チェコ軍は、質、軍備、要塞の面でヨーロッパ最強の軍隊だと言われ、上空援護を除けばあらゆる面でドイツ軍より優れていた。1938年9月3日、在プラハ英国軍随行員はロンドンへの電報でこう述べている。『チェコ軍に欠点はない、私が観察した限りでは.....』

 さらに、チェコの安全保障は当時ドイツを牽制することに熱心で、軍事力でドイツを大きく上回っていたフランスとソビエト連邦との戦略的同盟関係によって支えられていた」[強調は筆者]

 つまり、チェコスロバキアは実際には無抵抗で降伏したが、それは防衛力が弱かったからではない。むしろ、チェコスロバキア政府が偽りの約束をさせられ、英国の秘密外交という裏切り策略によって最終的にドイツに有利になるように仕向けられたためであった。

 先に引用したハリファックス卿は、「ミュンヘン協定」の英国側交渉官の一人であった。この話の続きは、アレックス・クレイナーのこの素晴らしい論文を参照してほしい。

 ミュンヘン協定の結果、実際に起こったことは、ヒトラーのドイツがチェコスロバキアの優れた軍隊を奪取し、ドイツを巨大な脅威へと変貌させたということであった。ドイツを倒すのははるかに困難になった。

 さらに、イングランド銀行と国際決済銀行は、イングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマンを通じて、チェコスロバキア銀行が所有していた560万ポンド相当の金をヒトラーに直接送金することを許可した。

 実に疑問符のつくイギリスの行動である。

 こうして、ドイツが超最大勢力になることを許されたのは、イギリスの直接介入によってであった。
 そのたった11カ月後、「モロトフ・リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)」が結ばれた。これは不可避の事態を回避する手段としてであった。
 すなわち、イギリスの後ろ盾を得たドイツがロシア本土へ攻撃するという不可避の事態を回避する手段であった。[詳しくはこちらを参照]

グラディオ(諸刃の剣)作戦 ――NATOの短剣

「NATOという国内テロの悪の枢軸は、次の3者によって支えられていた。
 ①ペンタゴンが支配する軍産複合体、②培われたネオ・ファシズムの復活、③マフィアの犯罪組織から引き抜かれた傭兵たち、の3者である」

――リチャード・コットレル著『グラディオ。NATOの短剣はヨーロッパの心臓に突き刺さっている』

 第二次世界大戦に勝利し、世界は「ネバーアゲイン(二度と再び戦争はしない)」という言葉を胸に刻むことを強く意識した。しかし残念ながら、第二次世界大戦後の西側政策と地政学的戦略を形成する責任者たちは、もはやそれに同意しなかった。

 「アンシンカブル作戦(想像を絶する作戦)」は、ルーズベルト以後の英米の思考を反芻した典型的な例である。
 この作戦は英クレメント・アトリー政権下では実行されることはなかったが、この考え方は英米の情報機関にとって支配的な考え方であり続け、今日に至ってもなおそうである。
*「想像を絶する作戦」は1945年5月22日付けで英国軍が作成したソビエト連邦への侵略計画。実行に移されなかったが、英国政府にとって初めての本格的なソ連への戦争計画であり、英軍と米軍の連合軍がヨーロッパ東北部を主戦場としてソ連軍と対決するという計画だった。
クレメント・アトリー
 イギリス第62代首相(在任:1945年7月26日―1951年10月26日)。2人目の労働党出身の首相で、同党出身の首相として初めて4年の任期を全うしただけでなく、任期中に議会で過半数の議席を得た。
 内政では国営医療事業の国民保健サービス(NHS)などが設立され、福祉国家の建設に歩みだした。外交では長年の英国の植民地であったインド・パキスタン・セイロン・ビルマの独立承認などを実行した。


 第二次世界大戦中、ドイツ軍のまさかの勝利に備えるという口実で、ヨーロッパ各地に「残留」ゲリラ戦部隊が配置された。そのモデルとなったのが、1940年に設立されたイギリスの極秘ゲリラ・コマンド部隊「SOE」(Special Operations Executive、英国特殊作戦局)であった。ウィンストン・チャーチルの発案で、「チャーチルの秘密部隊」と呼ばれた。これは、やがてNATOに採用されることになった(3)。


 上の画像。第二次世界大戦中、英国特殊作戦局はレジスタンス組織を支援するための秘密作戦をおこない、後の「グラディオ作戦」の着想となった。

 連合国の勝利後、これらの「残留ゲリラ部隊」は解散することなく、ほぼすべてのヨーロッパ諸国で強化・拡大された。アメリカからの直接の援助と奨励を受けてのことであった。

 欧州議会議員(1979-1989)で、欧州議会から正式な調査も任されていたリチャード・コットレルは、著書『グラディオ:NATOの短剣はヨーロッパの心臓に突き刺さっている』の中で次のように書いている。

 「1949年4月にNATOが設立されると、残留の秘密部隊は次第に新しい軍事同盟の直接管理下に置かれるようになった。NATOは秘密戦部門を慎重に設置し、秘密部隊を管理し、任務を割り振った。
 秘密部隊の存在を知ることができるのは、信頼できる少数の関係者だけであった。それぞれの秘密部隊は後に暴露されたが、最初に暴露されたグラディオという部隊の名称が他のすべての部隊にも適用されるようになった」

 しかし、予定されていたソ連への侵攻は頓挫した。そこで、秘密部隊は別の目的に使われることになった。

 その目的は、すべてを共産主義者のせいにする偽旗作戦であって、それによって国民の間にパニックと反感を呼び起こし、有権者を安心できる右翼政権の居心地のいい腕の中に送り込もうと考えたのである。

 リチャード・コットレルはこう書いている。

 「秘密部隊とその仲間は、自国民を銃殺し爆撃し不虞にし殺害するよう命じられた。どんなヨーロッパの主権国家であっても、共産主義者を政府閣僚の座に就けることを、アメリカは許そうとはしなかったのだ。こうして、左翼運動はすべてモスクワの隠れ蓑として疑われるように仕向けられたのである」

 イタリアは、ヨーロッパで最大かつ最強の共産党を擁するので、秘密部隊の攻撃リストの筆頭に挙げられた。

 イタリア共産党はムッソリーニとの戦いを主導したことで賞賛されていたので、1946年6月におこなわれたイタリアの戦後初の選挙では勝利すると予想された。これは、もちろん、「鉄のカーテン」という絶対的命令下では容認しがたいものだと考えられた。
鉄のカーテン:イギリスのチャーチルが首相退任後の1946年3月5日訪米し、おこなった演説。この演説でチャーチルは「シュチェチンからトリエステまで“鉄のカーテン”が降ろされた」と述べ、ソ連の動きを制するためには圧倒的な防壁が必要だと主張し、大戦後の「冷戦」を告げる有名なことばとなった。

 調査ジャーナリスト、クリストファー・シンプソンはその著書『ブローバック』の中で次のように書いている。
 イタリア共産党に対抗するキリスト教民主党の資金の相当部分が、捕獲したナチスの資産(これらは主にアメリカ人が保有していた)から得られていた、と。
 この資金面での介入がイタリア政局のバランスを崩し、キリスト教民主党を優勢にして、かつ数千人ものファシストをキリスト教民主党の党内に隠すことになった。

 かくしてキリスト教民主党は、グラディオ作戦の時代から1994年に解散するまでの50年間、イタリアで支配的な政党となった。

 イタリアで、もうこれ以上の共産主義支持者が生まれないようにするために、グラディオ作戦は、CIA、MI6、ヨーロッパの情報機関の知識と支援を受けて、イタリア人に対する残虐な暴力キャンペーンを指揮した。暴力キャンペーンは「鉛の時代」(anni di piombo)として知られる20年間の大半を占めることになった。


 1980年8月のボローニャ駅での爆撃で85人が死亡した後、鉛の時代の最悪の出来事

 1959年、NATOの内部説明資料(1959年6月1日付)が英紙の手に渡り、残留秘密部隊の任務が「国内の反体制活動」との対決に正式に変更されていたことが明らかになった。秘密部隊は今後、「決定的な役割…、すなわち.戦争の一般的な政策レベルだけでなく、緊急事態の政治を決定する役割」を果たすことになったのである(4)。

 つまり、この残留秘密部隊はNATO指揮下にあって、ソ連の脅威がない場合には、内政問題に行動を向けることになったのだ。
 その内政問題のなかに含まれていたのは、ヨーロッパ市民に対するスパイ行為とテロ行為であり、それは各国の警察部隊の支援と援護を受けながら、というものであった。
 これは、NATO機構を支持していた右派政権内部をさらに中央集権的に支配するために使われたのだった。

 グラディオ作戦は、「緊張の戦略」という戦術を用いており、三つの基本的なレベルで機能した。
 第一のレベルは、主に街頭でおこなわれるゲリラ戦であった。これは国民の国家への忠誠心を強化し、ソ連からの引き離しを目的にしていた。

 第二のレベルは、NATOが引き起こした政治的陰謀を伴うものであった。たとえば、特定の政府が密かにソ連と共謀していると主張するなどであるが、それはNATOに都合の良くない、民主的に選ばれた政府を強制的に退場させて、言いなりになりやすい傀儡(かいらい)政権に置き換えることが目的だった。

 第三のレベルは、NATOの目的を妨げるとみなされた人物の[ハード]および[ソフト]な暗殺(すなわち「実際の暗殺」と「人望の暗殺」)であった。
 1978年のイタリア元首相アルド・モロ、1986年のスウェーデン首相オロフ・パルメ(スウェーデンのJFKとして知られる人物)、1961年のトルコ首相アドナン・メンデレスと閣僚2人、1963年のアメリカ大統領ケネディなどがその例である。
 また、イギリスのハロルド・ウィルソン首相の人格破壊すなわち「スキャンダルを造り上げて人間的評価を落とす」)もおこなわれた。これらの「暗殺」の後に、NATOとアメリカが支援する民衆暴動が続いて起こったのである。

 グラディオ作戦による暗殺未遂には、ドゴール大統領(詳細は後述)、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世(詳細はリチャード・コットレルの著書を参照)などの件がある。

 グラディオ作戦の立案者はイヴ・ゲラン=セラックで、秘密工作部隊の首謀者であった。

*「緊張の戦略」は、暴力的な闘争が抑制されるのではなく奨励されるという方針。
 目的は、国民にひどい恐怖感を与え、人々に安全と強力な政府にを求めさせること。これは、より権威主義的な、あるいはネオファシスト政府への道を開くことになった。
「緊張の戦略」は、1968年から1982年までのイタリアの鉛の時代と最も密接に一致しており、無政府主義者や極左マルクス主義集団が爆撃・誘拐・放火・殺人をおこなったことにした。



イヴ・ゲラン=セラック――グラディオ作戦の背後にいる秘密工作部隊の首謀者

「イヴ・ゲラン=セラックは、『キリスト教ファシズムの新世界秩序』という個人的なビジョンに夢中になっていた。
 彼はまた、グラディオ・テロリズムの知的指導者でもあった。彼は基本的な訓練とプロパガンダの教本を書いた。これがグラディオの戦闘規則と言えるものだ」

――リチャード・コットレル著『グラディオ。NATOの短剣がヨーロッパの心臓に突き刺さっている』

 ゲラン=セラックは戦争の英雄であり、アルジェリアの反逆者、挑発者、暗殺者、爆撃者、諜報員、メシアニック・カトリック教徒、そしてグラディオ作戦「緊張の戦略」の背後にいる知的首謀者であった。

 ゲリン=セラックは、アジンター・プレス社を通じてグラディオの教本を出版した。その中には「我々の政治的活動」が含まれている。これは彼の「十戒」の第一番目ともいうべきものであり、次のように述べられている。

 「我々の信念はこうだ。政治活動の第一段階は、すべての政治体制に混乱・混沌を導入しやすい条件を醸成することでなければならない......
 我々の見解では、我々がおこなうべき最初の活動は、共産主義と親ソ連の活動を装って、民主国家の構造を破壊することだ......

 さらに、我々はこれら共産主義と親ソ連の活動家のグループに潜入者を潜り込ませることだ」 [強調は筆者]。

 ゲラン=セラックは続ける。

 「2種類テロが、このような事態(国家崩壊)を引き起こす。無差別テロ(無差別に殺戮をおこない、多数の犠牲者を出す)と選択的テロ(選ばれた人に危害を加え、殺す)である......。

 この国家破壊は、「共産主義活動」という名目でおこなわなければならない。
 その上で、軍部、法権力、教会の中枢に介入し、民意に影響を与え、解決策を提案し、現在の法体系の弱点を明確に示さなければならない。そういったやり方で民衆の意見を分断しなければならない。
 こうして、我々が国を救うことができる唯一の手段であることを示すわけである
」[強調は筆者]

 無政府主義的な無差別の暴力は、そのような不安定な状態をもたらす解決策であり、その結果、まったく新しいシステム、権威主義的な国際秩序を可能にするものであった。

 イヴ・ゲラン=セラックは公然のファシストだったが、偽旗(にせはた)戦術を初めて使った人物だったわけではない。偽旗作戦は、いつの時代もつねに共産主義者を非難し、国家による警察と軍隊のより厳しい統制を正当化するために使われたものだったからだ。

 1933年2月27日、ヒトラーの副司令官であったヘルマン・ゲーリングは、ドイツ国会議事堂の焼失現場で叫んだ。

 「これは共産主義革命の始まりだ。我々は1分たりとも待ってはならない。1分たりとも待てない。情け容赦はしない。共産主義者の幹部は一人残らず射殺しなければならない。共産主義者の代議士は、今日まさに絞首刑にしなければならない!」(5)。

 ほんとうに不思議なのは、このようなドラマを何度も聞いたはずなのに西洋人は飽き飽きしないようである、ということだ。

 このように、「欺されやすい人」が続出しても決して飽きてしまわないように見える。ライヒスターク火災(ドイツ国会議事堂放火)の場合、今では誤報であることが広く認められている。が、即座に非難され困惑したのはオランダ系ユダヤ人だった。

 火災の翌日、すなわち予定されていた総選挙の6日前に、ヒトラーは年老いたヒンデンブルク大統領(第一次世界大戦の象徴)に、「この危機は非常に深刻であり、個人の自由を完全に廃止しなければ対応できない」と説得している。

 ヒンデンブルグが与えた「ライヒスターク火災法(ドイツ国会議事堂放火令)」は、ヒトラーが権力を完全掌握するために必要な多くの道具を与えた。2週間以内に、議会制民主主義も「歴史の燃えかす」と化してしまったのだった。

*「ライヒスターク火災法」:ドイツ大統領ヒンデンブルグが発行した「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」の通称。
 1933年2月28日、ドイツ国会議事堂放火事件に即座に対応したアドルフ・ヒトラー首相は、この法令でドイツ市民の主要な市民的自由の多くを無効にした。
 ドイツ政府は、この法令を、ナチスの反対者と見なされる者を投獄するための法的根拠として、またナチスの大義に「友好的でない」(批判的な)出版物を抑圧するために使用された。

 ヒトラーによる偽旗作戦はこれだけではなかった。

 コットレルはこう書いている。

 「ナチス親衛隊SSは、強制収容所の小集団を犠牲者にした。(ポーランド軍によって)ドイツのブーヘンヴァルト強制収容所から『解放された』と偽って、強制的にポーランド軍の軍服を着させて変装させ、ナチスの支配する自由都市ダンツィヒの主要ラジオ塔にたいして偽旗の模擬攻撃をおこなわせたのだ。こうしてドイツは、ポーランド人による挑発を口実に、ポーランドに侵攻したのである」

ブーヘンヴァルト強制収容所はドイツが設置した「ブナの木の森」という名を持つ強制収容所。
*自由都市ダンツィヒは、第一次大戦後のヴェルサイユ条約によってドイツより切り離されてから第二次大戦初期にナチス・ドイツ軍によって占領されるまで存在した都市国家。現在のグダニスク。主な居住者はドイツ民族だった。

 ゲラン=セラックは、新しい「ブラック帝国」のための僕(しもべ)として生涯を費やした。彼が夢見た帝国は、神聖ローマ帝国の後継として、ローマ教会の普遍的な神性と欧米を結合させることであった。これはキリスト教ファシズムである。

 彼はいくつかの古い集団に属していた。その中には元ナチスやファシストの第一世代のものもあった。また彼は、インドシナや朝鮮戦争で血を流したフランス人将校の古参兵に属し、第11衝撃パラシュート連隊のエリート部隊員でもあった。この部隊はSDECE(フランス情報機関)と連携していた。

 ゲラン=セラックのフランス情報機関とのつながりは、彼が秘密軍事組織(OAS)の創設メンバーになる上で重要な役割を果たすことになった。OASはフランスのテロリスト集団で、フランス人将校の不満分子で構成されており、スペインに拠点を置き、アルジェリア独立に反対して戦っていた。

秘密軍事組織(OAS)は、フランスの極右民族主義者の武装地下組織。「アルジェリアは永遠にフランス」をモットーとし、アルジェリアの独立を阻止するために武装闘争をおこった。

 ゲラン=セラックは、ヨーロッパ中に複雑な準軍事・テロ組織網を形成し、グラディオ作戦のための訓練施設も作ったが、アジンター・プレス社を隠れ蓑にしていた。

写真はゲラン=セラック本人

 リチャード・コットレルは書いている。

 「ゲラン=セラックは1966年にリスボンに到着した。手に携えていたのは、『神のいないリベラリズム(すなわち共産主義)に対する闘い』という次の段階を示す刺激的な青写真だった。
 彼は、テロリストのための国際的な旅行代理店として機能する組織を提案した。主要な資金がCIAによって提供されていた。これは、『鉛の時代』を調査するためにイタリア上院が1995年に設立したペッレグリーノ委員会による情報である
 この委員会は、1969年にミラノのフォンタナ広場で起きた農業銀行爆破事件を調査するために、グイド・サルヴィーニ判事を調査委員として任命し、その結果、彼は、ゲラン=セラックのアジンター・プレス社にこの事件の全責任があるとした。
 サルヴィーニ判事は議員たちに調査結果を説明した。アジンター・プレス社の工作員が1967年からイタリアで活動し、地元の過激派ネオ・ファシスト組織に爆発物の使い方を指導していた、と。
 この一件から、CIAはヨーロッパを席巻しているグラディオのテロリズムに積極的に関係していると言える

 アジンター・プレス社は、表向き平凡な会社の背後に、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アフリカのテロリストを運ぶための見えないネットワークをもっており、記者や写真家を装った殺し屋に、偽の書類やパスポートを提供していた。そのなかにはゲラン=セラック本人もいた。

 コットレルは続ける。

 「アジンタ-・プレス社は......グラディオの養成所であり、ヨーロッパ中から集まった秘密部隊の新兵が、爆弾製造、暗殺、心理作戦、不安定化工作、対反乱などの技術を訓練される場所だった。
 その多くは、カリフォルニア州フォート・ブラッグにある米陸軍の秘密戦争センターの教科書を借用していた
 ゲスト講師として、イギリスのSAS(特殊空挺部隊)やグリーンベレー......フランス陸軍の将校から傭兵に転身した人たちが、ときどき来ていた。......
 ゲラン=セラックは隣国のスペインからの招きに、気軽に応じ、フランコ独裁政権にたいするレジスタンス(抵抗運動)を鎮圧する「死の部隊」を組織した。
 アジンター・プレス社の活動は、「緊張の戦略」がピークに達したすべての国でおこなわれていたことがわかっている。トルコ、ギリシャ、キプロス、イタリア、ドイツ、ベルギーである。


ドゴール対NATO

「フランスは、その全領土において、主権の完全行使の回復を決意している」
――フランス大統領シャルル・ド・ゴール

 第二次世界大戦後、ヨーロッパ諸国は「NATOの指令に従え」という圧力が強まっていた。しかし、シャルル・ド・ゴール仏大統領(1959-1969年)は、これに反対した。
 この不一致の主要なポイントの一つは、フラッペ部隊(核攻撃部隊)をめぐるものだった。ドゴールは、核攻撃力をNATOの管理外に置くべきだと考えていた。ドゴールは、フランスがNATOとワルシャワ条約機構との間の銃撃戦に自動的に巻き込まれることを嫌ったのだ。

 コットレルはこう書いている。

 「このように摩擦があまりに深かったため、フランスは 1960 年にNATOの統合指揮系統から離脱し、完全な軍事的独立を回復するための第一歩を踏み出した」

 ドゴールが外交・軍事政策においてフランスの国益と独立を執拗に追求したことは、北大西洋憲章と明らかに相容れなかった。

 ドゴールがアルジェリアを独立させるという話を始めたとき、かつての同盟国や彼の配下の軍や警察幹部は、ドゴールを辞めさせなければならないと判断したのである。

 1961年4月21日、秘密軍事組織(OAS)によるドゴール大統領転覆計画が動き出した。

 コットレルはこう書いている。

 その日、「急進的」と知られていた4人の将軍が首都アルジェでクーデターを起こした。
 この計画に関与していたのは、アメリカ政府幹部、ペンタゴン国防総省、フランスのNATO本部で、ドゴール大統領を排除し、アルジェリアを西側諸国のために確保しようとした。
 クーデターの指導者であるモーリス・シャル空軍大将(写真)は、かつてはNATOの中央ヨーロッパ方面軍司令官であった」 [強調は筆者]



 コットレルは続ける。

 「アルジェリアのモーリス・シャル空軍には、フランスのグラディオと密接な関係を持つルートから秘密裏に資金が供給されていた。
 クーデター前夜、CIAの秘密工作部門の副部長リチャード・ビセルは、アルジェでおこなわれたシャル空軍大将との秘密会議に嬉しい知らせを伝えた。
 シャル空軍大将は告げられた。48時間以内に国を支配下に置けば、アメリカ政府はシャルの政権を正式に承認する......と。



 クーデターの最初の輪郭は、1960年夏に固まっていた。前アルジェリア総督のジャック・スーステルが、CIAのリチャード・ビセルと秘密裏に会談したときだった。
 同年、シャル空軍大将はNATOの中央ヨーロッパ方面軍司令官からの辞任を自ら演出したのだった。
 1961年1月......主要な計画者たちが集まり......主要な議題は、ドゴールが倒された後の代替政権として秘密軍事組織(OAS)を設立することであった。『プラン・ブルー』の主要人物が全員出席していた」
[訳注:しかし1961年4月24日の暗殺計画は失敗した]

 ドゴールの暗殺未遂は大統領在任中に30回を超えることになる。

 ドゴール大統領は、自分の命に対する本当の脅威は、密かにNATO傘下に集まった軍幹部たちであると信じて疑わなかった。

 コットレルによれば、パーミンデックス/世界貿易センター(WTC)が秘密軍事組織(OAS)と関係があることをドゴールに知らせたのは、ドゴールの最高顧問だったジャック・フォカールだった。フォカールは、スイス国内でのパーミンデックスとWTCの事業を停止させた。[第4部で、パーミンデックスとWTCの役割について詳しく説明する]

*訳注:パーミンデックスは、スイスのバーゼルに本社を置く業界団体で、特殊作戦執行部のフロント組織または支部だった。『Permindex: Britain's international assassination bureau : the killers of JFK target Reagan and the Pope』(Executive Intelligence Review)という本が出ている。


 NATO/CIA連合は、少なくとも二回、ドゴール排除の試みを後で支援した。NATO 連合軍最高司令官(1963-1969)のライマン・レムニッツァー将軍は、その首謀者の一人であった。



 1965年、ドゴールは、またもや自分を暗殺しようとする、NATOに扇動された陰謀を知ることになる。
 これがきっかけとなり、ドゴールはNATO本部にフランスからの6カ月以内の全面的退去を通告した。
 さらに、レムニッツァー将軍は「NATOからの解雇」という略式命令をドゴールから受けた。
 レムニッツァー将軍は、ケネディ大統領からだけでなく、ドゴールからも解雇を言い渡されたのである。[詳しくは第4回で述べる]。

 このフランスのNATO脱退により、NATOの本部SHAPE(連合国ヨーロッパ最高司令部)は、1967年10月16日までにパリ近郊のロカンクールからベルギーのカストーに移転することを余儀なくされた。

 43年の時を経て、2009年、フランスはサルコジ大統領の決断により、NATOに再加盟することになった。
 コットレルはこう付け加えている。サルコジはド・ビルパン内閣の内相として、劇的なタイミングでパリ郊外暴動事件(2005)の鎮圧にあたり、大統領選挙戦(2007)に勝つという興味深い記録を残している......。


小さな町の静寂の中で

「性的人身売買、産業的小児性愛、政治的経済的脅迫のためや単なる利益のために作られたスナッフ映画(殺人映画)の報道はすべて、スパイ、公式に結ばれた麻薬取引、秘密の準軍事ネットワーク、NATO高官が絶えず内政干渉する黒い蜘蛛の巣に絡め取られていた」
――リチャード・コットレル著『グラディオ。ヨーロッパの心臓に突き刺さったNATOの短剣』

*訳注:スナッフとは「殺し」という意味で、「スナッフ映画」とは、娯楽用途に流通させる目的で行われた実際の殺人の様子を撮影した映像作品を指す俗語。 スナッフビデオ、スナッフムービー、殺人フィルム、殺人ビデオともいう。

 ベルギーはフラマン民族(オランダ語話者)とフランス民族で構成されている。第二次世界大戦中、多くのフラマン人は公然とあるいは象徴的にドイツ側につき、ナチス連邦に入ってでもいいからベルギーを完全に消滅させ、フラマン民族を国家とすることを望んだからである。

 コットレルはこう書いている。

 「戦時中のドイツ人との親密な友好関係の名残から、ベルギーのグラディオ『残留部隊』のネットワークや国軍の一部では、『ナチス・スタイルの異教的象徴主義』や、『神秘的な血の結合の儀式』がおこなわれるようになっていた。いずれにしても右派に傾いていたのである。
 この神秘主義的な傾向には、身も凍るような恐ろしい意義が隠されていた。そして、まだ当時はベルギーにもたらされてはいなかった多くの倒錯嗜好を形成することになったのだ。

 新生EUが本拠地を探し始めたとき、ブリュッセルを選んだのは、まさに「ヨーロッパのコックピット(操縦席)」としての中立的で小さな国のイメージのためであった。しかも、そのベルギーには、外国人の詐欺師やその後に起こることに対処する能力が全くなかったからである。

 コットレルはこう書いている。

 「そしてEUの次に、ベルギーにやって来たのは、フランスから不愉快な状態で追い出されたNATOだった。
 ベルギーに入ってきたNATO戦士たちは、すでに分裂状態にあったこの国を、NATOの王国に変身させようとした。
 そして、欧州連邦機関が急速に拡大し、巨大企業の進出が相次いだ。この二大カリフ(EUとNATO)の評議会にできるだけ近づこうとしたのである。このEUとNATOこそ、ローマ帝国以来、世界で最も強力な軍事・経済同盟だからである。

 小さなベルギーに、西ヨーロッパで二番目に強力で侵入力の強い犯罪カルテルが誕生した。その結果、ヨーロッパのコックピット(操縦席)は、また主要な麻薬と違法な武器取引の拠点となった。サイドビジネスとして性売買組織も形成された。

 コットレルによれば、CIAは戦争が終わるとすぐにベルギーのナチス(それもほとんどがフラマン人である)を採用し、州や地方レベルの高官に抜擢していた。そうした「元」ベルギー・ナチスの人物たちは、CIAの保護下で司法から守られ、刑務所から釈放された。

 NATOの陰謀の数々と、レムニッツァー将軍がベルギーに輸入した暴動鎮圧のベテランたちは、ベルギーのグラディオ作戦の編成に貢献した。「政治的に正しい」という線に沿って(これはつまり本当は正しくないという意味である)、SDRA-8(フランス人用)部門とSTC/Mob(フラマン人用)部門に厳格に分割されていたのだ。

 コットレルは書いている。

 「ベルギーの極右の調査の第一人者であるジャーナリストのマニュエル・アブラモヴィッツによれば、ネオナチは国家のすべての機構に潜入するように仕向けられたが、特に警察と軍隊には注意が払われた。
 1980年代までには、ネオナチの民兵組織『ウェストランド・ニューポスト』や、そのフランス版である『ジュネス戦線』などのファシスト戦線のおかげで、ネオナチの浸透度は非常に深くなり、ベルギーの軍隊はほとんど完全に極右ネオナチの支配下に入ったと言えるまでになった。
 こうして、その後数十年にわたって多くの偽旗作戦がおこなわれた後でさえ、ベルギー国内で左翼の破壊部隊が密かに組織的活動をしているという証拠は、ただの一度たりとも表に現れることはなくなった。他方、極右の扇動的な組織は公然と栄えていた」[強調は筆者]

 ベルギーのギャングとテロリズムを調査する特別調査委員会(1988-1990)の委員長であるヒューゴ・コヴェリエ上院議員が突き止めたのは、その証拠資料つまり「左翼の破壊部隊が組織的に活動していた」という説得力ある証拠資料を追っていくと、最終的に「司法警察」という名の特別部隊に行き着いた、ということだった。

 以下は、「謎の書類スキャンダル」として知られるようになったものについてのコヴェリエ上院議員の発言である。

 「ブリュッセル周辺の著名人が若い未成年の女の子たちとセックスしている写真やビデオを極右組織が持っているという、脅迫文書に関する話があちこちで聞かれるようになったと想像してみてほしい。このような文書が存在することは、これまでずっと否定されてきた。だが遂に、この事件に関する証言やビデオが実際に警察当局にあったことが証明された。

 最初はないとされた書類が、あることがわかった。また、現実にはなかったビデオが、その後十分に興味深いものであるとわかった。
 それらは最終的に、1982年から起きた「ニヴェルの連続暴行殺人事件」の捜査を担当する治安判事に手渡された。[また、店舗での虐殺事件のいくつかも、「ニヴェルのギャング」の仕業だとされた]
 しかし、この人物(治安判事)はその後、そのことについて証言することを恐れている! 一体ここでは何が起きているのか!」(6)

*「ニヴェルのギャング」は、1982年から1985年の間にベルギーのブラバント州で主に発生した連続暴力殺人事件。合計28人が死亡し、22人が負傷した。3人の男性で構成されていると信じられているギャングはいまだ逮捕されていない。

 コットレルは著書の中で、これらの問題解決の道筋を詳細に探っている。彼はつぎのように結論づけた。
 ベルギー国内の児童虐待や殺人にも関わっている性売買組織は、当局の間で大いに奨励されているのだが、これには、次の二つの理由があるからだと。

 第一は、犯罪になるという脅迫ネタを作り出すためである。こうすると(真の悪事をやっている政治家の)政治的な撤退が不可能になる(つまり平気で悪事を続ける人物をその職に縛り付けておくことができ、手駒として扱いやすい)。もう一つは、極秘ファイルに記録されたこれらの行為のいくつかがカルト宗教の入信儀式の一部であった可能性である。

 コットレルはこう書いている。

 「それは血の儀式のような異教徒的なネオナチの特徴を含んでおり、正統派の軍事組織だけでなく、国家の秘密部隊の要員によって実践されたと考えられている」

 この文脈においては、NATOの最近のツイッターのスキャンダル(この前の国際女性デーに、黒い太陽のナチスのオカルトシンボルをNATOが投稿した事件)は、結局のところ、単なる不手際などではなかったのかもしれない、ということだ......。



イタリアの秘密パラレル・ステート「裏国家」

「我らは一つの肉体だった――山賊も警察もマフィアも。父と子と聖霊のごとくである」
――ポルテッラ・デラ・ジネストラの虐殺事件の裁判におけるガスパーレ・ピショッタの証言

 1981年6月、驚くべき発見があり、世界中の大見出しをつくりだした。その一例がタイム誌の「イタリア――フリーメーソンP2総帥の陰謀」である。
 それは、イタリアの支配者階級の1000人近くが、フリーメイソンの秘密組織「プロパガンダ・ドゥエ(P2)支部」「国家の中の国家」に属しているというリストが見されたことだった。





 このP2スキャンダルによって、イタリアのフォルラーニ首相の内閣は倒れ、内閣にP2支部のメンバーが居ることが発覚した。

 このリストは、イタリアの著名な金融家リーチオ・ジェッリの屋敷で、警察の手入れで発見されたものだ。ジェッリはP2支部の総帥で、ベニート・ムッソリーニの有力な信奉者であった。彼の唯一の目的は、イタリア・ファシズムの復活であった。

 1000人近いブラックリストの中には、権力を掌握し、ファシスト共和国の樹立を目論む紳士たち、プロパガンダ・ドゥエ(P2)支部のメンバーが含まれていた。



 イタリアでのプロパガンダ・ドゥエ(P2)支部の特徴は、神秘的な儀式や、忠誠の誓い、絆の誓いなどの報告と大きく重なるものであった。

 ジェッリはスイス経由で南米に逃亡した。興味深いことに、彼はピノチェト政権時代にチリにいたと伝えられている。ジェッリは、スイスとイタリアで、テロ行為やその他の犯罪の容疑で欠席裁判を何度も受けることになった。[詳細はこちらをご覧ください]

 ジェッリが逃亡する際に彼の邸宅に残したもう一つのものは、自称「イタリアの民主的な再生計画」であった。詳細に記述されていたのは、NATOの支援を受けたグラディオの強行と、アメリカとそれに続くNATOの保護国としてのイタリアのDeep State(闇国家)の台頭を意図したすべての手順(7)。 主任設計士はジェッリ自身であった。

 CIAはジェッリを通じて、多数のファシストを党員に抱えるキリスト教民主党に資金を供給していたのである。

 フェデリコ・ダマートはイタリアの諜報機関の一員で、1950年代から1970年代までイタリア内務省予備局を率いていたが、諜報機関の活動は公にされず、秘密裏におこなわれていた。



 イタリアの諜報機関員ダマートは、NATOとアメリカを結ぶ北大西洋条約特別局の局長となった(8)。

 ダマートの主要任務は、内務省内の秘密のイタリア国家憲兵カラビニエリ(主に国内の取り締まり業務をおこなう)の中核であり、カラビニエリは彼の個人的支配下にあった。これは「予備役軍」であり、「保護局」としても知られていた(9)。

 コットレルはこう書いている。

 「この影の組織(保護局、Protective Service)は、ローマのおしゃれなシシリア通りにある巧みに偽装された事務所で、戦略情報局OSS(後のCIA)と仲間だった」

 フェデリコ・ダマートは選りすぐりの代表者なので、イタリアを代表してNATOの前身である大西洋条約の交渉に当たった。保護局は、ダマートの支配下にあって、初期グラディオの出発点であった。

 1969年、イタリアは本格的な政治危機に陥っていたが、その根底にあったのは、ほとんど人為的なものだった。
 1969年12月12日、ミラノのフォンターナ広場にある国立農業銀行で起こった大爆発は、グラディオの戦闘開始であり、それが「鉛の時代」と呼ばれるようになった。即座に過激派とされた左翼がその責任を負わされることになった。イタリアの工業地帯の不安を煽ったという罪である。

 グイド・サルヴィーナ判事は、1988年に調査を開始して次のように結論づけた。農業銀行爆破事件は、イヴ・ゲラン=セラックのアジンター・プレス社と、イタリアの著名なネオ・ファシスト組織である「オルディネ・ヌオーヴァ」(新秩序)および「アバンギャルド・ナツィオナーレ」(国民軍前衛部隊)の間で計画された作戦であったと。

 1990年8月、キリスト教民主党党首でイタリア首相ギリオ・アンドレオッティは6回首相を務め、その後7回目の首相を務めていたとき、自分が上院の特別調査委員会に召喚されていることに気がついた。
 それは上院によって急遽、召集されたもので、イタリア国内に秘密のパラレル・ステート「裏国家・併行国家」が存在するという報告を調査するためのものだった。
 またさらに、この秘密のパラレル・ステートは、既成の軍組織の外で活動する独自の秘密特殊部隊を備えていたという報告だったのである。

*「並行国家(パラレル・ステート)」とは、アメリカの歴史家ロバートパクストンによって造られた用語で、組織、管理、構造において国家に似ているが、正式には合法的な国や政府の一部ではない組織や機関の集まりを表す。

 アンドレオッティ首相は、長年にわたってイタリアに秘密部隊が存在していたことを認めた。しかし、それは形式的にはNATO組織の一部と言った。
 アンドレオッティ首相は聴衆に向かってキッパリとこう断言した。この秘密部隊はソビエトの侵攻に備え、イタリアを守るための予防措置であり、それ以上の脅威ではなかったのだ、と。
 そして、ソ連の脅威が薄れたことが明らかになった1971年に、その秘密部隊は解散された、とアンドレオッティ首相は主張した。
 アンドレオッティ首相は主張した。それが秘密だったのは、いわゆる「残留部隊」の存在をロシア側に知られてはならないからだったのだ、と。
 そして彼は付け加えた。いずれにせよ、NATO諸国はすべてそのような軍隊を持っていたので、イタリアだけではなかったのだ、と。


画像。1990年8月、特別調査委員会でグラディオ作戦の存在を告白するイタリア首相ギリオ・アンドレオッティ


 アンドレオッティ首相は証言の中で次のことをことを認めた。この秘密軍隊はグラディオとして知られ、国土の隅々にまで十分な在庫のある武器庫がり、これらの武器庫はNATOから供給されたものだったということを。

 しかし、アンドレオッティ首相が証言の中で明かさなかったのは、彼自身がグラディオの一員であり、長年にわたりイタリアの地下組織のなかで強力な一員であったということだ。

 アンドレオッティ首相は、暗殺されたアルド・モロの後任者として、イタリアの首相に就任した人物である。モロについては先に述べたように、グラディオの犠牲者の一人だった。

 ヴィンチグエラは、ネオファシスト組織「新秩序(オルディネ・ヌオーヴォ)」「国家前衛部隊(アヴァンガーディア・ナツィオナーレ)」に所属し、テロ行為や暗殺をおこなっていた。
 が、1972年のペテラノで自動車爆弾によりカラビニエリ(イタリアの国家憲兵)3人を殺害した罪で、現在終身刑で服役中である。
 彼の証言は、フェリーチェ・カッソン検事が捜査していた西ヨーロッパ各地のグラディオ・ネットワークをつなぎ合わせるのに役立った。



 ガーディアン紙のインタビューの中で、ヴィンチェンツォ・ヴィンチグエラは、彼と彼の友人たちが、彼が言うところの「超組織」の傭兵だったと語っている......。

 「超組織だよ。口実となったソ連の軍事侵攻はなかったがね......
 この超組織はNATOに代わって仕事を引き受けたんだ。イタリアという国の政治的なバランスが左傾化するのを防いでいたんだ」

 だから、西側諸国からもしこんな話が、つまり今日、仮想敵国から偽旗作戦の「警告」があったという話があったとしても、一粒の塩でおいしくいただくのではなく、1ポンドの塩を加えて、「塩っ辛すぎて、こんなもの食えたもんじゃない」と言ってやるべきなのだ。




[第4部では、イギリス、アメリカ、またNATOの、グラディオ作戦への関与と、世界の麻薬と性の売買が、アメリカを経由してどのように結びついているかを論じる予定です。また、このネットワークがケネディ大統領殺害にどのように関与していたかも論じる予定である]。

著者の連絡先は、cynthiachung.substack.com

*第11 衝撃パラシュート連隊:フランス軍のエリートパラシュート連隊で、かつてはSDECEの武装支部として機能していた。Dupas中尉が設計した記章は、月明かりの下でヒョウと金色の翼を備えている。


*「政治的に正しい」が褒め言葉から侮辱にどのように移行したか:
1964年、ジョンソン大統領が「政治的に正しいからではなく、正しいから」政策を制定すると述べたとき、「政治的に正しい」が褒め言葉から侮辱に変わった」とされた。
https://www-washingtonpost-com.translate.goog/lifestyle/style/how-politically-correct-went-from-compliment-to-insult/2016/01/13/b1cf5918-b61a-11e5-a76a-0b5145e8679a_story.html?utm_term=.19da582509e3&_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
1985年:「民主党員と共和党員の両方が、赤字が1986年の選挙の重要な問題であると信じている場合、バランスの取れた予算に投票することは、政治的に正しいことです」のように使われている。

*「一粒の塩」で発言するということは、その真実についてある程度の懐疑的な見方を保ちながら、それを受け入れることを意味する。
「塩。少しは良いかもしれないが、多すぎれば有毒」
 「1ポンドの塩」で、ということは、決して真に受けたり、受け入れてはいけない,ということを言っている。



ゼレンスキーの正体:人気を博した芸能人から不人気なピノチェット式新自由主義者への変身

<記事原文 寺島先生推薦>
The real Zelensky: from celebrity populist to unpopular Pinochet-style neoliberal
筆者:ナタリー・ボールドウィン(Natylie Baldwin)   2022年4月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>   2022年6月8日



<訳注>
 以下の論考では、2014年の政変がアメリカ主導のクーデターであったこと、またキエフ政権の主要ポストがネオナチで占められていることへの言及は、ほとんどありません。彼女がハリコフ生まれのウクライナ人だからなのかもしれません。
 しかし、そのような著者であっても、彼女はこの論考で、喜劇俳優だったゼレンスキーが大統領に立候補したときの公約を投げ捨て、チリのピノチェト将軍を思わせるような独裁者に見事に変身していった過程を鋭く分析しています。
 翻訳して紹介したいと思った所以(ゆえん)です。




 ウクライナの学者オルガ・ベイシャは、「ヴォロディミル・ゼレンスキーが広く嫌われている新自由主義政策を受け入れ、ライバルを弾圧し、その行動が現在のロシアとの戦争の火に油を火を注いだ」と言っている。

 2019年に国の最高権力者に上り詰めた喜劇俳優のヴォロディミル・ゼレンスキーは、おそらくトランプ弾劾劇場の端役(はやく)として以外は、平均的なアメリカ人にはほとんど知られていなかった。
 しかし、2022年2月24日にロシアがウクライナを攻撃すると、ゼレンスキーはアメリカのメディアで突然Aリスト(特に支持された人々の名前のリスト)の有名人に変身した。
 アメリカの視聴者が当初、目にしたのは、悲劇的な出来事に打ちのめされて恐らくは自分の処理能力を超えて完全にお手上げ状態であるように見えた一人の男のイメージだったが、最終的には彼の賛同者になった。
 最初のイメージが、次に「カーキ色の服を着た疲れを知らないヒーローが、小さな民主主義国家を統治し東からの独裁者の蛮行をたった一人で食い止める」というイメージに発展するのに時間はかからなかった。

 しかし、西側メディアが丹念に作り上げたイメージの向こう側には、もっと複雑でお世辞にも良いとは言えないものがある。
 ゼレンスキーは、平和の追求を公約に掲げ、73%の得票率で当選したが、その他の綱領は曖昧なものであった。ロシア侵攻の前夜、彼の支持率は31%に落ち込んでいた。それは、不人気な政策の追求が原因だった。

 『ウクライナの民主主義、大衆主義、新自由主義:仮想と現実の境界で』の著者であるウクライナの学者オルガ・ベイシャは、ゼレンスキーの権力の獲得と、大統領就任後の権力の行使について研究している。
 以下のインタビューでベイシャは次の点について論じている。
 ① ゼレンスキーの新自由主義の受け入れと権威主義の増大、
 ② 彼の行動が現在の戦争にどのように貢献したか、
 ③ 戦争を通じての彼の逆効果的かつ自己中心的なリーダーシップ、
 ④ ウクライナ人の複雑な文化・政治観とアイデンティティ、
 ⑤ 2014年に「ユーロマイダン(欧州広場)」で起きたカラー革命の最中およびマイダ ン後に新自由主義者と急進右派と連携したこと、
 ⑥ ドンバス地方全体をロシアが占領したことは2014年当時よりも地元住民に人気がないのではないかという点。
(マイダン広場で起きたカラー革命:アメリカが裏で指導したクーデターで、親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領の追放をもたらした。)


ナタリー・ボールドウィン:
 あなたの経歴を少し教えてください。 出身地や現在の研究分野に興味を持たれたきっかけは何ですか?

オルガ・ベイシャ:
 私は、ロシアとの国境線上にあるウクライナの都市ハリコフ(下の地図参照)で生まれたウクライナ人で、父や他の親族が今も住んでいます。ハリコフは戦前、ウクライナ有数の教育・科学の中心地でした。
 住民はウクライナの「知の都」に住んでいると自負しています。1990年には、党の支配を受けない最初のテレビ局が設立され、すぐに最初のニュース番組が放送されました。
 その頃、私はすでにハリコフ大学を卒業しており、ある日、大学の友人からこの番組でジャーナリストとして働かないかと誘われました。

 出典:https://www.nikkei.com/theme/?dw=22012404
(日経新聞22年4月5日)


 翌日から、未経験の私は取材を開始しました。数ヵ月後には、ニュース番組の司会者になりました。私のような、流星のように速く司会者になるなんていう華々しい経歴は、とくに例外ではありませんでした。

 無秩序に増え続ける新しいメディアは、メディア・ワーカーをどんどん要求しました。その多くは、ジャーナリズムの教育も人生経験もない、野心的な若者たちでした。
 私たちを結びつけていたのは、西洋化への願望、ソ連崩壊後の変化を特徴づける社会的矛盾への無理解、「改革に対していだく労働者の懸念」への無関心でした。
 私たちの目には、労働者の懸念は「逆行」、つまり文明が何であるかを理解していないと映ったのです。私たちは、自分たちを革命的な前衛であり、選ばれた進歩的な改革者であるとみなしていました。
 私たちメディア労働者こそが、ウクライナの新自由主義化を推し進めるのに好ましい環境を作り出したと思っていたのです。
 しかし、新自由主義は西洋化や文明化として提示されましたが、それらは社会にあらゆる悲惨な結果をもたらしました。このことに気づいたのは、数年後のことでした。

 その後、キエフのテレビ局で歴史ドキュメンタリー番組の制作を監督しているうちに、私は気づいたのです。
 歴史の一方向的な進歩と「野蛮人」に対する西洋化の必然性という神話が、旧ソ連諸国だけでなく世界中で新自由主義化の実験にイデオロギーの基盤を提供しているということに。
 西洋化というイデオロギーの世界覇権への関心が、私をまずコロラド大学ボルダー校の批判的メディア研究の博士課程に導き、その後、現在の研究へと導いてくれたのです。

ナタリー・ボールドウィン:
 ウクライナの社会学者たちの学術的な研究によると、最近の世論調査では、 ほとんどのウクライナ人はアイデンティティの問題(「私が何者であるか」という問題)にはあまり関心がなく、仕事や賃金、物価といった問題に関心を持っていることがわかりました。
 あなたの仕事は、2019年以降ウクライナで制定された民衆の感情に反する新自由主義的な改革に多く焦点を当てています。
 多くのウクライナ人が経済問題についてどのような見方をしているのか、またその理由について話していただけますか?


オルガ・ベイシャ:
 私が住んでいた社会環境(ウクライナ東部、クリミア、ハリコフ)には、民族的アイデンティティの問題に関心を持つ人はほとんどいなかったのです。
 私はいたずらに「私の社会環境」を強調するつもりはありませんが、ウクライナは複雑で分断された国です。
 というのは、社会的に重要な問題すべてにおいて、南東部(すなわちロシア側寄り)と北西部(欧米寄り)で見解が正反対に分かれているからです。1991年のソ連からの独立宣言以来、ウクライナでは2つのナショナル・アイデンティティの考え方が対立してきました。
 「ウクライナ民族」対「スラブ民族」です。ウクライナ民族思想は、ウクライナの文化、言語、ウクライナ民族を中心とした歴史がウクライナ国民国家の統合力として支配的であるべきだという考えに基づいており、ウクライナ北西部でより強く支持されてきました。
 他方、ウクライナとロシアという2つの主要な民族、言語、文化によってウクライナ国家が成り立つとするスラブ思想は、ウクライナ南東部では普通に受け入れられているものです。
 しかし、一般的には、多くのウクライナ人が経済的な問題にずっと関心を寄せていることは、どちらも同じことだと納得できます。

 実は、ソ連崩壊後の1991年のウクライナ独立も、かなりの程度、経済的な問題でした。多くのウクライナ人がロシアとの政治的な分離を支持したのは、ウクライナが経済的に豊かになるという期待、つまり西側の宣伝用ビラが約束したものだったからです。
 しかし、この経済的な希望は実現されませんでした。むしろソビエト連邦の崩壊は、ウクライナの新自由主義化、つまり社会領域の市場化とソビエト福祉国家の崩壊によって、多くの点で人々の生活を根本的に悪化させました。

 ゼレンスキーが始めた新自由主義的な改革はどうでしょうか。世論調査によってその人気を判断することができます。最大72%のウクライナ人が、ゼレンスキーの土地改革を支持しなかったのです。これが彼の新自由主義的プログラムの最重要なものでしたが。
 人々の憤りにもかかわらず彼の党が新自由主義的プログラムを承認した後、ゼレンスキーの評価は、2019年春の73%から、2022年1月には23%にまで低下しました。理由は簡単です。裏切られたという深い感覚でした。
 非公式の選挙綱領すなわち「人民の僕(しもべ)」という番組で、ゼレンスキー・ホロボロドコ[*]は次のように公約しました。
 「もし先生を大統領として生活させ、1週間だけ国を治めることができたら、大統領を先生として生活させる」と。
 控えめに言って、この公約は果たされませんでした。ウクライナ人ではなく、グローバル資本の利益のために改革がおこなわれ、人々はまたもや騙されたことに気づいたのです。
[*ホロボロドコ。テレビ番組でゼレンスキーが演じた教師.著者註]


 ロシアの「侵攻」(*)によって、経済の安定とアイデンティティの問題の優先順位はどの程度変わったと思いますか? 民族主義者=超国家主義者、穏健派=左派、それぞれの政治的運命はどうなるとお考えですか?
(*訳注:プーチン大統領は「特別作戦」という用語をもちいている。「戦争」でも「侵略」でも「侵攻」でも「介入」でもない。)

 これは興味深い質問です。確かに人々の最優先順位は生き残ることであり、そのために安全が第一の関心事となっています。
 自分の命を守るために、何百万人ものウクライナ人が、私の母や子持ちの妹もそうですが、ウクライナを離れてヨーロッパに向かいました。彼らの多くは、永遠にヨーロッパに留まり、外国語を学び、外国の生活様式を取り入れる準備ができています。
 こうした動きはすべて、アイデンティティ(自分が何者か)の関心事を優先させるとは言い難いものです。
 しかし一方で、民族感情の高まりと、侵略に直面した国家の強化もまた明らかです。私が個人的に知っているハリコフ人の中には、これまで使ったことのないウクライナ語で投稿を始めた人さえいます。自分たちの民族的アイデンティティを強調し、外国の侵略に反対であることを示すためです。

 これもまた、この戦争の悲劇的な側面です。2014年のマイダン革命は、南東部の多くの人々が支持しませんでした。この革命は南東部の人々を「奴隷」「ソフキ(ソビエト精神を持つ奴ら)」「バトニク(ロシア政権を支持する典型的ロシア野郎)」に変えてしまいました。
 これらは後進性や野蛮さを示す蔑称です。このように、マイダン革命家たちは自分たちを歴史の進歩勢力と考え、反マイダン革命の人たちを「他者」と見なしたのです。なぜなら彼らはロシアの言語と文化に固執しているからだと。
 


上の画像は「ロシアボイコットの映画」。このキャンペーンのアクションで「バトニク」の画像を使用しているウクライナの活動家

 親ロシア派のこの人たちは、ロシアが自分たちの街を砲撃し、自分たちの生活を破壊するとは、決して想像できなかったでしょう。彼らの悲劇は2つあります。まず、彼らの世界はマイダンによって象徴的に破壊され、そして今、ロシアによって物理的に破壊されようとしているのです。
(*訳注:オルガ・ベイシャは現在すでにヨーロッパに亡命しているので、ドネツク地区の情勢については西側メディアの報道によっているものと思われる。ロシア軍がドンバスを攻撃しているのは、そこを支配しているネオナチ勢力の拠点であり、市民は攻撃対象ではない)

 これらの動きの結果、戦争がどのように終わるのか、今のところ不明です。もし南東部がウクライナに残れば、攻撃的なナショナリズムに抵抗するすべてのものの破滅が完成する可能性が高い。
 完全なウクライナ化もロシア化も望まなかったこの独特の国境文化は、おそらくこれで終わりを迎えるでしょう。
 現在ロシアが豪語しているように、もしロシアがこれらの地域の支配権を確立したら、少なくともハリコフのように大きな被害を受けた都市では、大衆の恨みにロシアがどう対処するのか私にはほとんど予想がつきません。
(*訳注:オルガ・ベイシャは現在すでにヨーロッパに亡命しているので、ドネツク地区の情勢については西側メディアの報道によっているものと思われる。ドンバスの多くの民衆は「やっと地下生活から解放された」という喜びを語っている)

 ゼレンスキーに話を移します。あなたが本の中で指摘していることのひとつは、ゼレンスキーが一種のハーメルンの笛吹きとして、その有名性と演技力を駆使して曖昧で感触のよい議題(平和、民主主義、進歩、反腐敗)を提示したために、彼を人々が支持するようになり、実際には人気がないであろう別の議題、特に新自由主義経済の議題を覆い隠してしまったということです。 彼はどのように選挙戦を展開し、大統領に就任した後は何を優先させたのでしょうか。

 私の近著で提示した基本的な主張はこうです。ゼレンスキーと彼の政党の驚くべき勝利は、彼が出演したテレビのシリーズの成功なしには説明できない、と。
 後には、新自由主義的改革を大量生産し,ポンポンと軽率にゴム印を押して承認するという、議会マシンに変貌してしまったのです。
 多くの観察者が信じるように、テレビシリーズはゼレンスキーの非公式な選挙プラットフォームとして機能しました。
 わずか1601語で構成され、具体的な政策がほとんど書かれていない公式の綱領とは異なり、彼の30分番組51話は、ウクライナの発展のために何をすべきかという詳細なビジョンをウクライナ人に提供するものでした。

 ゼレンスキーが番組を通じてウクライナ人に伝えたメッセージは、明らかにポピュリズム(大衆主義)です。番組の中では、ウクライナの人々は、内部分裂のない、問題のない全体として描かれており、番組はオリガルヒや腐敗した政治家・役人を排除することが主題になっていました。
 つまり、オリガルヒとその傀儡(かいらい)を排除して初めて国は健全になる。彼らの一部は投獄されるか国外に逃亡し、彼らの財産は合法性とは無関係に没収される。ゼレンスキーが大統領になれば、政敵に対して同じことをすることになる、というわけです。

 興味深いことに、この番組は、シリーズ放送開始の1年前、2014年に勃発したドンバス戦争のテーマを無視しています。欧州広場でのいわゆる「尊厳革命」や、ロシア・ウクライナ関係は、ウクライナ社会で非常に分断しやすい問題なので、ゼレンスキーは仮想国家や視聴者、ひいては有権者の票を逃がさないよう、それらを無視したのです。
(訳注:2014年3月にアメリカ主導でおこなわれたクーデター後、ドンバスと総称されるドネツク州およびルガンスク州で抗議活動がおこなわれた。
 それに対してウクライナが軍事攻撃を仕掛け、2018年までは「反テロ作戦」として,その後の2022年までは「合同部隊作戦」として、一方的にドンバス地方を攻撃し続けてきていた。
 この間、ウクライナの攻撃をやめさせようと「ミンスク協定」が何度か結ばれたが、いずれもウクライナが破り続けていた。)


 仮想と現実の境界でおこなわれたゼレンスキーの選挙公約は、ウクライナの「進歩」が主な内容でした。それは「近代化」「西洋化」「文明化」「正常化」として理解されています。
 この進歩的な近代化言説のおかげで、ゼレンスキーは新自由主義的改革の計画をカモフラージュできたのです。これはなんと新政権誕生からわずか3日後に開始されました。
 選挙戦を通じて、ゼレンスキーが強調した「進歩」の理念は、本来は、民営化・土地売却・予算削減などとは決して結びつかないものでした。
 ゼレンスキーが立法府と行政府を完全掌握して大統領としての権力を確固としたものした後に初めて、彼は明言したのです。ウクライナの「正常化」「文明化」とは、①土地や国有・公共財の民営化、②労働関係の規制緩和、③労働組合の権限縮小、④公共料金の引き上げ等々、であると。

 2014年のクーデター後、ゼレンスキーの任期前に、多くの外国人が経済・社会の重要ポストに任命されたことは貴著でご指摘の通りです。
 同様に、ゼレンスキーの関係者の多くはグローバルな新自由主義機関と密接な関係にあるので、経済および金融にたいして単純な理解しか持ちあわせていないゼレンスキーを、彼らが操っている証拠があると指摘されていますね。

 2014年の親欧米派による政権交代がもたらす影響について、その点をお話しいただけますか? この政権交代で誰が大きな利益を得るのか、彼らは一般的なウクライナ人の利益をまったく考えていないのでしょうか?

 そう、2014年のマイダンの政権交代は、ウクライナの歴史において、統治者を決定することに西側の介入があったという点で全く新しい時代の幕開けとなりました。
 確かに、ウクライナがソ連崩壊後の1991年に独立を宣言して以来、アメリカの影響力は常に存在していました。米国商工会議所、米ウクライナ関係センター、米ウクライナ経済協議会、欧州ビジネス協会、IMF、EBDR、WTO、EU。
 これらのロビー活動や規制機関はすべて、ウクライナの政治決定に大きな影響を及ぼしてきました。

 しかし、マイダン革命以前のウクライナの歴史では、外国人を閣僚に任命したことは一度もなく、マイダン革命後に初めて可能になりました。
 2014年には、ナタリー・ジャレスコ(米国籍)がウクライナ財務大臣に、アイヴァラス・アブロマヴィチウス(リトアニア籍)がウクライナ経済・貿易大臣に、アレクサンドル・クヴィタシヴィリ(グルジア籍)が医療大臣に就任しました。
 2016年には、ウラナ・スプルン(米国籍)が医療大臣代理に任命されました。より低いランクの役職にも、その他多くの外国人が就きました。
 言うまでもなく、これらの人事はすべてウクライナ人の意思ではなく、グローバルな新自由主義機関の勧告によるものであり、マイダン革命自体がウクライナの人口の半分に支持されていなかったことを考えれば、驚くにはあたりません。

 すでに述べたように、こうした「マイダン革命」に反対している「他者」の大半はウクライナ南東部に居住しています。東部に行けば行くほど、ヨーロッパ的な課題を掲げたマイダン革命に対する拒絶反応が、強くまとまっていることがわかります。ドネツク州とルガンスク州(ウクライナ東部のロシア語系住民が多い2地域)では75%以上がマイダン革命を支持せず、クリミアでは20%しか支持していませんでした。

 2014年4月にキエフ社会学研究所が発表したこれらの統計数字をもってしても、西側の権力機関はぬけぬけと次のように主張して憚(はばか)らなかったのです。マイダン革命は「ウクライナ人」の蜂起であり、全体として全く問題ない蜂起だった、と。
 これは非常に強力なイデオロギーのトリックですが。
 「国際社会」のメンバーたちが「欧州広場」にやって来て、「革命家」たちに抗議運動を奨励・煽動した際に、マイダン革命に反対の意見を持つ何百万人ものウクライナ人を軽んじたのです。その結果として、内戦を激化させ、結局のところ今日のような惨状につながったのです。我々は為す術なく見ているだけです。
(訳注:「国際社会」のメンバーたちとは、国際社会とはつまりアメリカのことであり、そのメンバーたちにはヌーランド国務次官補(当時)やマケイン上院議員などがいた。)


 ウクライナの新自由主義化に投資する外国の利益についてはどうお考えですか。ウクライナ人の名の下に実行されてはいますが。

 それらは多様ですが、私が注意深く分析している土地改革の背後には、西側諸国の金融ロビーがありました。欧米の年金基金や投資ファンドは、減価する資金を運用したかったのです。
 そのために、彼らはIMF、世銀、EBRD(欧州復興開発銀行)、さまざまなロビー団体を巻き込んで、自分たちの利益を主張し、根回しをしたのです。もちろん、ウクライナ人の利益とは関係ありません。


 ゼレンスキーは、言論・報道の自由、政治的多元主義、異なる政党の扱いなど、民主主義に関してどのような「実績」を残してきたのでしょうか?ソ連崩壊後のウクライナの歴代大統領と比較してどうなのでしょうか。

 私は、「民主主義は新自由主義的な幻想であり」、「国民によってではなく超国家機関によってコントロールされる新自由主義的な政治体制には,民主主義は存在しえない」と主張するジョディ・ディーン(ニューヨーク州のホバート・アンド・ウィリアム・スミス・カレッジの政治学部のアメリカの政治理論家および教授)に同意します。
 前述したように、マイダン革命後、これらの超国家機関によって外務大臣が任命され、ウクライナにおける自分たちの利益を提示するようになったことで、特にそれが顕著になりました。
 しかし、改革に熱心なゼレンスキーは、さらにその先を目指したのです。2021年2月初旬、まず3つの野党系テレビ局――NewsOne、Zik、112 Ukraine――が閉鎖されました。
 戦争が始まる前の2022年初めには、もうひとつの野党系チャンネル「ナッシュ」が禁止されました。
 戦争勃発後の22年3月には、数十人の独立系ジャーナリスト、ブロガー、アナリストが逮捕されましたが、彼らのほとんどは左派的な見解を持っていました。
 ところが4月には、右派寄りのテレビチャンネル「チャンネル5」と「プリアミ」でさえ閉鎖されました。
 さらに、ゼレンスキーは、すべてのウクライナのチャンネルに、戦争に関する政府寄りの見解のみを紹介する単一のテレソン(24時間テレビマラソン)を放送することを義務づける法令に署名しました。

 これらの動きはすべて、独立したウクライナの歴史において前例のないものです。ゼレンスキーの支持者たちの主張は、すべての逮捕とメディア禁止は軍事的な都合から考慮対象外にされるべきであるというものです。
 彼らの主張は、最初のメディア閉鎖がロシア侵攻の1年前に起こったという事実を無視するものです。ゼレンスキーはこの戦争を政権内の独裁的傾向を強化するために利用しているだけだと私は考えています。
 ゼレンスキーが政権を握った直後、つまり、議会をコントロールし、国民の気分を無視して、新自由主義的改革をゴム印を押すかのように、軽率に承認するための政党マシーンを作りあげたときから、政権の独裁的傾向は形成され始めているのです。


 国家安全保障・防衛会議(NSDC)は、2021年にゼレンスキーが特定の人々つまり主に政敵を制裁するために使われました。NSDCとは何なのか、そしてなぜゼレンスキーがそんなことをおこなっていたのか、それは合法的なものだったのか、説明してもらえますか。

 2021年に支持率が急落した後、ゼレンスキーは政敵に対する超法規的制裁という違憲プロセスを開始しました。これを強要したのは国家安全保障・防衛会議(NSDC)でした。
 これらの制裁は、違法行為の証拠なしに、該当する個人および法人の超法規的な財産の差し押さえをおこなうものでした。
 NSDCによって最初に制裁を受けたのは、野党「生活のため」(OPZZh)の2人の国会議員、ヴィクトル・メドヴェチュク(後に逮捕、尋問後に顔を殴られる姿がテレビで放映された)とタラス・コザック(ウクライナから脱出できた)と彼らの家族でした。
 これは2021年2月に起こったことで、2022年3月には11の野党が禁止されました。野党の禁止と野党指導者の逮捕・制裁の決定はNSDCがおこない、大統領令で発効させたのです。

 ウクライナ憲法では、NSDC(国家安全保障・防衛会議)は調整機関であり、「国家安全保障と防衛の領域における行政機関の活動を調整し統制する」とされています。この憲法の精神は、NSDCが2021年からおこなっている政敵の起訴と財産没収とは何の関係もありません。
 したがって、このゼレンスキー政権の政策・実行が違憲であることは言うまでもありません。有罪か無罪かを判断し財産を没収することができるのは裁判所だけだからです。
 しかしゼレンスキーにとって問題は、ウクライナの憲法裁判所がゼレンスキーの傀儡となる準備が整っていないことが判明したことです。
 ウクライナ憲法裁判所のトップ、オレクサンドル・トゥピツキーがゼレンスキーの違憲改革を「クーデター」と呼んだのです。
 だから、その後、ゼレンスキーはNSDCに頼って不人気な政策を進めるしかなかったわけです。「反体制派」の裁判官トゥピツキーはどうなったのかというと、2021年3月27日、またもやゼレンスキーは、ウクライナ憲法に違反する形で、彼の裁判所判事就任を取り消す政令に署名しました。

 スターリンの支配下で内務人民委員部(NKVD)は「トロイカ」を創設し、簡単で迅速な捜査の後、公開で公正な裁判なしに人々に刑を宣告しました。NSDCのケースでも,これとよく似た展開が観察されています。
 NSDCの会議には、大統領、首相、ウクライナ治安当局の長官、ウクライナ検事総長など、国家の重要人物がすべて参加しています。1回のNSDCの会議で、数百人の運命が決まってしまいます。ゼレンスキーはNSDCの決定を実行に移し、2021年6月だけでも538人の個人と540の企業に対して制裁を科しました。


 ウクライナ政府や国家保安局SBUと提携しているとされる「ミーロトヴォレッツ」リスト(*)についてお聞きしたいのですが。
 私の理解では、これは「国家の敵」のリストであり、その敵の個人情報が掲載されていますね。このリストに載った人たちの何人かは、その後、殺害されています。
 このリストについて、どのような経緯で掲載されることになったのか、また、民主的と言われる政府の中でどのような位置づけなのか、教えてください。



(訳注:「ミーロトヴォレッツ」(ピースメーカーの意)はウクライナのキエフを拠点とするWebサイトで、「ウクライナの敵」と見なされる人々、「その行動にはウクライナの国家安全保障に対する犯罪の兆候がある」と見なされる人々の個人情報を公開している)

 国家主義的なウェブサイト「ミーロトヴォレッツ」は「ウクライナ内務省顧問の地位にある代議士が2015年に立ち上げた」――これが国連の報告書の記述です。
 この代議士の名前はアントン・ゲラシチェンコ。アルセン・アヴァコフ前内務大臣の元顧問です。
 2014年にアヴァコフの庇護のもと、民族主義的懲罰大隊が創設されドンバスに派遣されました。これは、マイダン革命に対する民衆の抵抗を弾圧するためのものでした。
 「ミーロトヴォレッツ」は、クーデター反対派を威嚇する一般的な戦略の一部となっています。「人民の敵」、つまりマイダン革命に反対する意見を公に表明したり、ウクライナの民族主義的な課題に挑戦したりする勇気のある者は誰でも、このウェブサイトに記載されるのです。
 キエフのアパートの近くで民族主義者に射殺された有名な時事評論家(ジャーナリスト)オレス・ブジナや、自宅で民族主義者に殺された反対派代議士オレグ・カラシニコフの住所も「ミーロトヴォレッツ」に載っており、殺人者たちが犠牲者を探し出すのに役立ちました。
 下手人の名前はよく知られています。しかし、彼らが投獄されないのは、極右過激派に政治が支配されている現代のウクライナでは、彼らが英雄とみなされているからです。

 「ミーロトヴォレッツ」がドイツの元首相ゲアハルト・シュレーダーを含む有名な外国人政治家の個人情報を公開し、国際的なスキャンダルになった後も、このサイトは閉鎖されませんでした。
 しかし、ドイツ在住のシュレーダーとは違って、「ミーロトヴォレッツ」にデータが載っている何千人ものウクライナ人は安心することができません。2022年3月に逮捕された人たちは全員、「ミーロトヴォレッツ」に載っていました。
 その中には、オデッサの新聞『タイマー』の編集者ユーリ・タカチェフや、YouTubeチャンネル『キャピタル』の編集者ドミトリー・ジャンギロフ など、私が個人的に知っている人もいます。

 「ミーロトヴォレッツ」に名前が載っている人たちの多くは、幸いにもマイダン革命の後にウクライナから脱出することができました。中には今年3月の大量逮捕の後に脱出できた人もいます。
 そのうちの1人が、ジャンギロフの同僚タリク・ネザレッズコです。2022年4月12日、すでにウクライナ国外にいて安全な状態にある彼は、YouTubeに投稿し、ウクライナの保安局を「ゲシュタポ」と呼び、その機関員に捕まらないための忠告を視聴者に与えています。

 ウクライナは民主主義国家ではありません。そこで起こっていることを観察すればするほど、実のところ、新自由主義者が賞賛するアウグスト・ピノチェト(当時のチリ大統領)の近代化路線に思いを馳せることになります。
 長い間、ピノチェト政権の犯罪は究明されていませんでした。しかし、最終的に人類は真実を発見したのです。ウクライナでも早くそうなってほしいと願うばかりです。
(*訳注:ピノチェトは、1973年アジェンデ大統領をクーデターで倒し、軍事政権を樹立。
 アジェンデ政権が推進した国有化政策からの180度の転換を図り、公営企業体の民営化、森林・漁業資源の私有化、さらに社会保障の民営化、外国資本の直接投資の促進など,新自由主義政策を推進した。この間、言論の自由が抑えられ、左派系の人々が誘拐され3000人以上が「行方不明」となった。
 83年以降は、全国ストライキを初め、独裁反対運動が激化し、84年には戒厳令が出された。88年の大統領選挙ではピノチェトが民主政党連合の候補者に敗れ、ようやく90年に民政移管が実現、16年半にわたる軍事独裁政治が終わった。ピノチェトは軍事独裁政権下の反政府活動弾圧で3000人以上の犠牲者を出した責任を問われていたが、裁判中に死去。)


 ウクライナの社会学者ヴォロディミル・イーシェンコは、NLR(NewLeftReview)との最近のインタビューで、西ヨーロッパとは異なり、ソ連崩壊後の東ヨーロッパでは民族主義と新自由主義の間に提携が見られると述べています。
 これはドンバスでも富裕層の間で観察されました。あなたはそれに同意しますか? もしそうなら、その組み合わせがどのように進化したのか、説明していただけますか?

 ヴォロディミルの意見に賛成です。ウクライナで見られるのは、民族主義者とリベラル派の連合体であり、それはロシアに対する敵対心と、ロシアとの協力を主張するすべての人々に対する共通の敵対心に基づいています。
 現在の戦争に照らせば、このリベラル派と民族主義者の結束は正当化されるように見えるかもしれません。しかし、この同盟はこの戦争のずっと前、2013年のマイダン運動結成時に作られたものです。
 マイダン革命が主張したEUとの連合協定は、リベラル派にとっては民主化、近代化、文明化という観点が強く、ウクライナをヨーロッパの統治水準に近づけるための手段としてイメージされていました。
 彼らにとっては、ロシアが主導するユーラシア経済連合は、「ソ連の国家主義」や「アジアの専制主義」への文明的後退を連想させるものでした。ここで、リベラル派と民族主義者が合体するのです。民族主義者は民主化のためではなく、明確な反ロシアの立場からマイダン革命を積極的に支持したのです。
(*訳注:「ソ連の国家主義」や「アジアの専制主義」という言い方は、この論考の著者がプーチン大統領や習近平国家主席を「独裁者」とみなしていることを推測させる。)

 デモが始まった最初の日から、過激な民族主義者がユーロマイダン革命の最も活発な闘士でした。ユーロマイダンを、進歩・近代化・人権などと結びつけるリベラル派と、この運動を自分たちの民族主義の課題に利用する極右との間の結束は、市民の抗議行動を違憲な権力の転覆をもたらす武装闘争へと変化させる重要な前提条件でした。
 革命における極右の決定的な役割は、ウクライナ東部で「違法なクーデター」に対する大規模な反マイダン運動の形成にも決定的な要因となりました。
 覇権主義的な反マイダン言説がキエフでの権力交代を「クーデター」と呼んだからです。少なくとも部分的には、私たちがいま観察していることは、マイダン革命の間に形成された、このリベラルと極右過激派の悲劇的な結果なのです。
(*訳注必要:「覇権主義的な反マイダン言説が、キエフでの権力交代を『クーデター』と呼んだ」とあるが、この政権交代はクーデター以外の何物でもなかった。この点からも、この論考の著者オルガ・ベイシャの見方はかなりアメリカ寄りであると思われる。)


 ゼレンスキーとウクライナ極右勢力との関係について教えてください。

 ゼレンスキー自身は、大統領になるまでは、極右的な意見を表明したことはありませんでした。非公式な選挙政策として使用された彼のTV番組『人民の僕(しもべ)』では、ウクライナの民族主義者は否定的に描かれており、彼らは愚かなオリガルヒの操り人形に過ぎないように見えるのです。
 ゼレンスキーは、大統領候補として、前任のポロシェンコが署名した「公務員・兵士・医師・教師に、ウクライナ語の知識を必須とする言語法」を批判しました。「我々は社会を強固にする法律や決定を主導し、採択しなければならず、その逆はない」と、2019年に候補者であるゼレンスキーは主張しました。

 しかし、大統領就任の直後、ゼレンスキーは前任者の国粋主義的政策に転換しました。
 彼の政府は、2021年5月19日、ポロシェンコの言語法に厳密に沿って、公共生活のあらゆる領域でウクライナ語を促進するための行動計画を承認し、右翼民族主義者を喜ばせ、ロシア語を話す人々を落胆させました。
 ゼレンスキーは、極右過激派による政敵やドンバスの人々に対するあらゆる犯罪の起訴について何もしていません。
 ゼレンスキーの右翼化の象徴的出来事は、ブジナ殺害の被告人の一人である民族主義者メドベージェコを支持するとゼレンスキーが表明したことでした。メドベージェコは、ゼレンスキーが2021年にロシア語の反対派チャンネルを禁止することにたいして、公に賞賛した人物です。

 問題は、なぜか、ということです。人々の「ゼレンスキーは和解の政治を追求する」という期待にもかかわらず、なぜナショナリズムにUターンしたのでしょうか。
 多くの分析者が考えるように、極右過激派はウクライナ国民の少数派でありながら、政治家、裁判所、法執行機関、メディア関係者などに対して、殺害をためらわないからです。
 ゼレンスキーのメディア対策担当官は、「ゼレンスキーはユダヤ人だからナチス支持にはなれない」という言葉を何度でも繰り返すかもしれません。
 が、真実は、極右過激派が彼らの民族主義的なやウクライナ人至上主義的な計略に立ち向かう勇気ある人々に対して殺人もいとわないことによって、ウクライナの政治プロセスをコントロールしている、ということなのです。
 亡命中のウクライナで最も人気のあるブロガーの一人であるアナトリー・シャリーのケースは、この点を説明する良い例です。シャリーや彼の家族は常に死の脅迫を受けているだけでなく、過激派は、彼の政党(2022年3月にゼレンスキーによって禁止された)の活動家を常に威嚇し、殴り、辱めるのです。
 これがウクライナの過激派が言う「政治的狩猟(政治サファリ)」なのです。
(*訳注:著者オルガ・ベイシャは「極右過激派」「極右」と表現するが決して「ネオナチ」という言葉を決して使っていないことに注目してください。また、ゼレンスキーも自分が暗殺されるかも知れないという恐怖からネオナチ勢力に抵抗できないのだということも、ここでは明言を避けている。)


 エスカレートすれば重大な意味を持つ紛争に関して、いまゼレンスキーは世界の舞台で最も影響力のある人物です。
 その彼が、悪と独裁の勢力に対抗する民主主義と正義の権化であるかのようなイメージで支持を集めるために、ショービジネスのような手練手管を駆使していることが気になります。まるで、マーベル・コミック・ブック(*)の世界をベースにした映画のようです。まさに、外交と相反するような筋立てです。
 ゼレンスキーはウクライナの戦時指導者として建設的な役割を担っていると思いますか。
(*訳注:マーベル・コミックは、ウォルト・ディズニー・カンパニー傘下のアメリカ合衆国のニューヨークに本社を置く漫画出版社)

 私はゼレンスキーの戦争演説を定期的に見ていますが、「善の軍隊が悪の軍隊に攻撃されている」と永久に繰り返す彼の筋立ては、外交的解決につながることはほとんどないと自信を持って言うことができます。
 明らかに、このような世界最終戦争「ハルマゲドン」(*)に政治的解決はあり得ません。より広い意味での情勢では、この神話的な戦争は、普通の枠から外れています。
 すなわち、初期ドンバス戦争でウクライナ軍が敗北したあと、2015年に締結されたミンスク和平協定の履行を、彼が長年にわたって拒否してきたという事実です。
 このミンスク協定によれば、ドンバスはウクライナ国内の政治的自治を受けなければならなかったのですが、この点は極右にとっては考えられないこと、受け入れがたいものだったのです。
 キエフ政権は国連が承認したこのミンスク協定を履行せず、8年もの間、ドンバスと境界線上で戦闘を続けています。
 この領土(ドンバス地域)に住むウクライナ人の生活は、悪夢に変わってしまいました。ドンバスで戦う極右過激派(訳注:すなわち、ネオナチ)にとって、ドンバスの人々は「ソフキ」や「ヴァトニキ」と同じであり、慈悲や寛容に値しないのです。
(*世界最終戦争「ハルマゲドン」。終末におこなわれる善と悪の最終決戦。この後、キリストの再臨があるとするので、キリスト教徒たちの憧れでもある。恐ろしい話である。)

 現在の戦争は2014年の戦争の延長線上にあります。2014年の戦争は、キエフ政権がマイダン革命反対派の反乱を鎮圧するためにドンバスに軍隊を送ったことから始まったもので、いわゆる「反テロ作戦」を前提にしていました。
 このような広い文脈を認めることは、ロシアの「軍事作戦」を承認することを前提とはしないものの、起こっていることの責任がウクライナにもあることを認めることを意味します。
 現在の戦争の問題を、野蛮に対する文明の戦い、独裁に対する民主主義の戦いという言葉でくくることは、情報操作以外の何ものでもなく、このことは状況を理解する上で不可欠です。
 子ブッシュ大統領が911後に発した「あなたはわれわれの味方かテロリストの味方か」という公式を、ゼレンスキーも「文明世界」に向けて大宣伝しています。これで、非常に都合よく、現在進行中の大惨事に対する個人の責任を回避できるのです。

 この一面的なストーリーを世界に売り込むという点では、ゼレンスキーの芸術的手腕は計り知れないものがあるようです。彼はついに世界の舞台に立ち、世界は拍手喝采しています。元コメディアンのゼレンスキーは、満足感を隠そうともしません。
 2022年3月5日、ロシア軍の侵攻から10日目、フランス人記者の「戦争が始まって、自分の人生はどう変わったか」という質問に、ゼレンスキーは喜びの笑みを浮かべながら答えました。
 「今日、私の人生は美しい。私は自分が必要とされていると信じています。必要とされること、それが最も重要な意味だと思います。自分が、ただ息をし、歩き、何かを食べているだけの空虚な存在ではないことを実感すること。みなさんと生きろと。」

 つまり、ゼレンスキーは、「戦争によって与えられた世界的な舞台で」「活躍するユニークな機会を享受している」と言っているのです。
 戦争が彼の人生を美しくし、彼は生き生きしているのです。
 それとは対照的に、何百万人ものウクライナ人は、その人生がまったく素敵なものどころか、何千人もの人々がもはや生きていないのです。


 アレクサンダー・ガブエフは、ロシアの指導層がこの国に関する専門知識を欠いていることが、この紛争の一因であると指摘しています。
 また、ロシアのコメンテーターが、ウクライナは親西欧派と親ロシア派で優劣をつけていると言っています。これはどちらの側に大きな要因があると思いますか?


 マイダン革命以降、ウクライナで起きている社会的なプロセスをロシアの指導層が十分に理解していないという主張には、私も同意見です。
 実際にウクライナの人口の半分はマイダン革命を歓迎しておらず、南東部に住む数百万人はロシアが介入してくれることを望んでいました。私の親族や旧友は皆、これらの地域に居住しているので、これは確かなことです。
 しかし、2014年当時はそうであったことが、今は必ずしもそうであるとは限りません。あれから8年が経過し、新しい社会環境の中で育った新しい世代の若者たちが育ち、多くの人々が新しい現実に慣れたのです。
 結果的には、たとえ彼らの多くが、極右やウクライナ化の政治を軽蔑しているとしても、戦争をそれ以上に憎んでいます。現場の現実は、意思決定者の予想以上に複雑なのです。


 ロシア人ではなく、自らを欧米人と同一視するウクライナ人たちの優越感についてはどうでしょうか。


 これは真実であり、「自らを欧米人と同一視するウクライナ人たちの優越感」は、そのとおりです。
 私としては、「マイダン」後の物語の中で最も悲劇的な部分です。というのも、まさにこの優越感こそが、自分を「進歩的」だとみなす親マイダン派が「後進的」だと蔑視する親ロシア派と共通言語を見出すことを妨げたからです。
 これが、ドンバス蜂起、ウクライナ軍によるドンバスへの「反テロ作戦」、ロシアの介入、ミンスク和平合意とその不履行、そして現在の戦争へとつながっているからです。



キーワード:ドンバス、ロシア、ウクライナ、ウクライナSBU、ウラジミール・プーチン、ヴォロディミル・ゼレンスキーゼレンスキー

ナタリー・ボールドウィン(Natylie Baldwin)は、ロシアとアメリカの外交政策に関するライターで、「The View from Moscow:Understanding Russia & US-Russia Relations」の著者である。

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ウクライナ問題、世界の多数派は米国よりロシアに味方する

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On Ukraine, the World Majority Sides With Russia Over US
(ウクライナ問題、世界の多数派は米国よりロシアに味方する。)

投稿先:Anti-War.com

著者:ジョン・V・ウォルシュ(John V. Walsh)

投稿日: 2022年4月28日

<記事飜訳:寺島メソッド飜訳グループ>

2022年6月6日

 ロシアは、ダイナミックな東洋と急速に発展する南半球に軸足を移している

 2014年には、現在のウクライナ紛争につながる2つの極めて重要な出来事があった。

 1つ目は、誰もが知っているウクライナのクーデターで、米国の指示のもと、ウクライナが長年抱えてきたネオナチ勢力の支援を受けて、民主的に選ばれた政府が転覆させられたものである。

 その後まもなく、新たに発足したウクライナ政府によって、ロシアと友好的なドンバス地方に今回の戦争の最初の砲撃が行われた。ロシア、フランス、ドイツが合意したミンスク協定に基づく停戦が試みられたが、米国に支援されたウクライナはこれを拒否し、1万4000人の命を奪ったドンバスへの砲撃は8年間続いている。2022年2月24日、ロシアはついにドンバスの虐殺とNATOの脅威に対応することになった。

ロシアは東に目を向ける--- 中国が代替経済の原動力となる

 2014年の2つ目の極めて重要な出来事は、あまり注目されず、実際、西側の主流メディアではほとんど言及されなかった。IMFによると、同年11月、中国のGDPが購買力平価ベース(PPP GDP)*で米国のGDPを上回った。(このGDPの指標は、IMF、世界銀行、さらにはCIAによって計算され、発表されている)。ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツやグレアム・アリソンなど国際関係の研究者は、この指標を国家の比較経済力を測る最良の指標と考えている)。PPP-GDPランキングで中国の地位に注目し、しばしば言及する人物の一人が、他ならぬロシアのプーチン大統領である。
*[訳注]2通貨がそれぞれ自国内で商品・サービスをどれだけ購買できるかという比率。一般に
通貨の対内購買力はその国の物価指数の逆数である。


 ウクライナにおけるロシアの行動は、敵対する西側から、よりダイナミックな東側や南側への決定的な転換を意味する、という見方がある。それは冷戦終結後、数十年にわたり西側に対して平和的な関係を求めてきた結末である。ロシアは東方への軸足を移す中で、ウクライナとの西側国境の安全確保に全力を注いでいる。

 ウクライナでのロシアの行動を受け、必然的に米国の制裁がロシアに浴びせられることになった。中国はこれに参加せず、ロシアを非難することを拒否した。プーチンのロシアと習近平の中国は、特にルーブル・人民元建て貿易で、欧米のドル支配の貿易体制から独立し、長年にわたって接近してきたのだから、これは当然のことである。

世界の多数派は米国の制裁を支持しない

 しかし、その後に大きな驚きがあった。インドが中国とともに米国の制裁体制を拒否したのである。バイデンからモディへの電話や、米国、英国、EUの高官がインドに出向いていじめ、脅し、その他インドを威嚇しようとするなどの大きな圧力にもかかわらず、インドはその決意を守り続けた。インドは「重大な結果」に直面することになる、といつもの米国の脅しが炸裂した。だが、インドは動じなかった

 インドとロシアとの軍事的、外交的な緊密な関係は、ソ連時代の反植民地闘争の中で築かれたものである。ロシアの輸出品に対するインドの経済的利益は、米国の脅しで打ち消すことはできない。今、インドとロシアは、ルーブル・ルピー交換による貿易に取り組んでいる。実は、ロシアは、米国の独断を前にして、インドと中国を同じ立場に立たせ、自国の利益と独立を追求させる要因になっていることが分かった。さらに、ルーブル・人民元の交換貿易はすでに現実のものとなり、ルーブル・ルピーの交換も控えており、ドル・ユーロの独占に代わる人民元・ルーブル・ルピーの貿易の世界、「3R」をじきに目撃しようとしているのだろうか。世界で2番目に重要な政治関係であるインドと中国の関係は、より平和的な方向へ向かおうとしているのだろうか。世界で1番重要な関係とは?

 インドはパワーシフト[力関係の変化]の一例である。195カ国のうち、米国の対ロシア制裁を引き受けたのは30カ国に過ぎない。つまり、世界で約165カ国が制裁に加わることを拒否していることになる。これらの国々は、世界の人口の圧倒的多数を占めている。アフリカ、ラテンアメリカ(メキシコとブラジルを含む)、東アジア(日本、韓国、この2国はどちらも米軍に占領されているため主権がない。それとシンガポール。さらには中国の反乱軍である台湾を除く)のほとんどが拒否している。(インドと中国だけで、人類の35%を占めているのだ)。

 さらに、現在40カ国がアメリカの制裁対象になっており、アメリカの強引な経済戦術に反対する強力な勢力が存在するのである。

 最後に、最近のG20サミットでは、ロシア代表が発言したときにアメリカが主導して、退場したのはたった3つのG20諸国代表であり、これらの主要な金融国の80%が退場を拒否している。同様に、今年バリ島で開催されるG20でも、米国はロシア代表を締め出そうとしたが、現在G20の議長国であるインドネシアに拒否された。

ロシアの側につく勢力は、冷戦時代のようにわずかではない。

 これら「南半球」の反対派諸国は、もはや冷戦時代ほどわずかではない。PPP-GDP[購買力平価ベース]の上位10カ国のうち、5カ国が制裁を支持していない。そして、その中には中国(第1位)とインド(第3位)が含まれている。つまり、1位と3位の経済大国が、この件ではアメリカに反対しているのだ。(ロシアはこのリストの6位で、5位のドイツとはほぼ同等で、ロシアの経済力が無視できないという考えを覆すものである)。

 これらの立場は、国連のどんな投票よりもはるかに重要である。そんな投票は、大国が強要することができ、世界ではほとんど注目されない。しかし、一国の経済的利益と世界における主要な危険に対する見方は、その国が経済的にどのように反応するか、例えば制裁に対してどのように反応するかを決定する重要な要素である。米国の制裁に「ノー」と言うことは、自分の口があるところに自分のお金を置くことだ。

 欧米の我々は、ウクライナ危機の結果、ロシアが「世界で孤立」していると聞いている。もしユーロ傀儡諸国と英語圏を対象とするならば、その通りである。しかし、人類全体として、また世界の経済成長の中で考えると、孤立しているのはアメリカである。そしてヨーロッパでも、亀裂が生じつつある。ハンガリーとセルビアは制裁体制に加わっていない。もちろん、ほとんどのヨーロッパ諸国は、自国の経済にとって重要なロシアのエネルギー輸入から目を背けることはしないし、実際そうすることはできない。米国が第二次世界大戦の再来(冷戦、熱戦の双方)を目指すことによってもたらされる米国の世界覇権という壮大な計画は、大きな挫折を味わったようである。

 多極化する世界に期待する人々にとって、ウクライナにおける米国の代理戦争という残酷な悲劇から生まれたこの出来事は歓迎すべきことである。より健全で、より豊かな多極化の可能性は広がっている。そこに到達できるだろうか?

ジョン・V・ウォルシュは、アジア・タイムズ、サンフランシスコ・クロニクル、イーストベイタイムズ/サンノゼ・マーキュリー・ニュース、LAプログレッシブ、アンチウォー・コム、カウンターパンチなどに平和と医療の問題について寄稿している。

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和平協定締結を提言したキッシンジャー(99歳)をウクライナは罪人扱い

 <記事原文 寺島先生推薦>
Kissinger turns 99, declared ‘enemy’ by Ukraine
The elder US statesman was declared an “accomplice in the crimes” of Russia for urging a swift peace deal
(99歳になったキッシンジャーがウクライナから「敵だ」との宣告を受ける。
迅速な和平を求めたことで米国の高齢政治家の彼が、ロシアの「共犯者」だとの宣告を受けた。)

投稿者: RT

投稿日: 2022年5月27日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月7日



中国北京の人民大会堂で習近平と会談するヘンリー・キッシンジャー。2018年11月8日



 5月27日に99歳になったヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が、ウクライナ政府と繋がっている活動家集団から、キッシンジャーの誕生日を機に「ミロトヴォレット(平和を作るものたちという意味)」というウェブサイトに名を乗せられた。「ロシア当局の共犯者だ」という汚名を着せられたキッシンジャーがブラックリスト入りになったのは、 キッシンジャーがウクライナ政府とロシア政府の間の和平交渉を行うことと、この2月以前の状態に戻すことを要求したことを受けてのことだった。

 2014年に創設されたウェブサイトのミロトヴオレットのホームページ(なお、このホームページには亡くなったロシア兵たちの悲惨な姿がモザイクを付けられて載せられている)は、公的に以下のような人々の情報が調べられるサイトだ。すなわち、このサイトが指定した「親ロシア派テロリスト、分離主義者、金銭目当ての傭兵、戦争犯罪者、殺人者」たちの情報だ。このサイトには、ロシア軍人からハンガリーのオルバーン・ヴィクトルまで幅広い層の人々が掲載されている。オルバーンは、ロシアの石油や天然ガスに対する制裁に反対している人物だ。ミロトヴオレットは、SBU(ウクライナ保安庁)の管理下にあると考えられている。

 キッシンジャーがミロトヴオレットから非難されたのは、「ロシアのファシスト勢力からの喧伝や恐喝を拡散し、ウクライナの領土の割譲を主張した」からだった。さらに、このような行為のため、キッシンジャーは「ロシア当局がウクライナとウクライナ国民に対して犯した罪の共犯者となったのだ」と同ホームページのキッシンジャーの欄に記載されている。

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When Henry Kissinger gives advice on ending the Ukraine conflict, the West should listen

 今週(5月最終週)はじめ、キッシンジャーがスイスのダボスで開催された世界経済フォーラムの出席者たちに対して語ったのは、ウクライナ政権とロシア政権間の和平協定の合意が数ヶ月のうちになされ、ウクライナでの紛争がNATOとロシア間の世界規模の戦闘に拡大しないようにしなければならないということだった。キッシンジャーが語ったところによると、そのためにはウクライナは少なくとも「紛争前の状態」に戻すことを受け入れるか、 クリミアは自国領であるという主張を取り下げるか、ドネツクとルガンスク両人民共和国の自治を承認しなければならないとのことだった。
 
 キッシンジャーは国際関係に関する学派であるレアルポリティーク学派の提唱者として著名だ。この学派はイデオロギー的な立場よりも各国の実用的な利益に重きを置く考え方を取っている。ニクソン大統領下の国務長官であったキッシンジャーは、1970年代に米中間の外交関係構築に力を注いでいたが、その目的は中国政府がソ連(ロシア)と同盟関係を結ぶことを阻止することであった。

 ダボス会議での発言において、キッシンジャーは8年前のことについて触れ、ウクライナ危機の端緒はキエフでの軍事クーデターにあったとし、さらにキッシンジャーがウクライナに呼びかけたのは、中立国になり、「ロシアと欧州の架け橋になるべきです。欧州内の同盟に加盟するのではなく、です」と語った。

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Russia responds to Zelensky’s call for talks

 米国やNATOの指導者たちは、キッシンジャーのこの助言を受け入れず、2月のロシアの軍事行動開始以来、前例のない規模で多くの軍や武器を東欧に投入してきた。そんな中で、キッシンジャーが西側の指導者たちに念頭に置いてほしいと強く求めたのは、「ロシアは建国400年の歴史の中で、常に欧州において重要な役割を果たしてきた国で」あり、「ロシアが中国と恒久的な同盟関係を結ばざるを得ない状況に追い込む」ことは避けるべきだという事実だった。この考え方は、キッシンジャーが、1970年代に中国に対して取っていた姿勢を幾分か反映するような考え方だ。

 キッシンジャーが出した交渉や譲歩の要求を、ウクライナのウォロデミル・ゼレンスキー大統領は拒否し、同大統領は5月25日、同じダボス会議での自身の演説でこう語った。「ウクライナはすべての領土を取り返すまで闘います」と。ただしゼレンスキーは今週(5月最終週)、世界各国の指導者たちに向けてロシアとの関係についてこうも言っている。「手遅れになる前に、外交努力を模索し進めることになるかもしれません」と。

 これに対しロシアのドミトリー・ペスコフ報道官は5月27日、「ウクライナ大統領は常に相矛盾した発言を繰り返しているので、大統領の意図を完全に理解することは不可能です。大統領の態度が本気で、現状をしっかりと認識しているかどうかは分かりません」と語っている。

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ニューヨークタイムズも、ネオコン主導の「ウクライナ発、核戦争」を危惧し始めている

<記事原文 寺島先生推薦>
New York Times Repudiates Drive for “Decisive Military Victory” in Ukraine, Calls for Peace Negotiations.
(ニューヨーク・タイムズ紙はウクライナにおける「決定的な軍事的勝利」はないとし、和平交渉を呼びかける。)

出典:Pressenza New York

2022年5月24日

著者:ジョン・V.ウォルシュ(John V.Walsh)

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月5日



 ウクライナは「現実を見据えること」と米・NATOの関わり方には「いろいろな限界があること」に基づいて交渉する必要がある、とNYTは述べている。

 1週間前に、私たちは5月11日付のNew York Timesの記事に触れた。その記事にはウクライナにおける米国の状況が必ずしも芳しくないことと、方向転換を示唆するオピニオン記事が掲載されていた。

ジョン V.ウォルシュ

 さて、5月19日、NYTの編集方針を完全に掌握している「編集委員会」は、これまでのほのめかしのような態度から明確な呼びかけに移行し、「この戦争は複雑化している。そしてアメリカはそれに対する準備が整っていない」という意味不明なタイトルの社説を掲載した。「意見欄」の冒頭から、編集委員会は、ロシアに対する「完全勝利」は不可能であり、ウクライナは「現実を見据えること」と米国の関わり方には「いろいろな限界があること」を反映した方法で和平交渉をしなければならないと宣言している。NYTは、会社が一体となって、エリートの世論を形成する主要な役割を担っているため、その発表を軽んじてはならない。

 ウクライナ人は米国の「いろいろな限界」に合わせ、新たに芽生えた米国の現実主義のために犠牲を払う必要がでてくるだろう。

 NYT5月の社説の公式見解には、次のような重要な一節がある:

3月の社説では、米国とその同盟国からウクライナ国民とロシア国民に向けてのメッセージはこうでなければならないと主張した。つまり、どんなに時間がかかっても、ウクライナは自由になるということだった...」

 「その目標の転換はありえないが、結局のところ、ロシアとの全面戦争に突入することは、アメリカにとって最善の利益にはならない。たとえ交渉による和平がウクライナにいくつかの難しい決断を要求することになるとしても、だ」と。

 曖昧さをなくすために、社説ではこう宣言している:

  「ウクライナがロシアに対して決定的な軍事的勝利(ロシアが2014年以来掌握した領土をウクライナがすべて取り戻すことを含む)を収めるというのは現実的な目標ではない。...ロシアの力は依然として強大だ...」

 バイデン大統領とウクライナ国民が何をすべきかを確実にするために、編集委員会は次のように続ける:
 「・・・バイデン氏はまた、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領とウクライナ国民に対して、米国とNATOがロシアに立ち向かうには限界があり、武器、資金、政治的支援にも限度があることを明確に伝える必要がある。避けて通れないのは、ウクライナ政府の決断が、その手段が現実を見据えたものであること、ウクライナがあとどれだけの破壊があっても大丈夫なのか、の2点をきちんと踏まえること、だ。

 ヴォロディミル・ゼレンスキーは、この言葉を読んで、きっと汗をかき始めることは間違いない。米国の面子を保つために、自分とウクライナは何らかの犠牲を払わなければならないと、彼が仕える主人たちの声がしているのだ。彼が選択肢を考えるとき、彼の思考はきっと2014年2月と、米国が支援したマイダンのクーデターに巻き戻されるにちがいない。このクーデターでヤヌコビッチ(Yanukovych)大統領は、大統領職から、ウクライナから、そしてほとんどこの地上から慌ただしく退場することになったのだ。

ウクライナ戦争は代理戦争、それもあまりに危険すぎる戦争だ

 NYTの論説委員たちの目には、この戦争はウクライナ国民を大砲の餌にした米国の対ロシア代理戦争になっている―そして手がつけられないほど制御不能に陥っていると映る:

 「今回の紛争において今の流れは一筋縄ではない。それでバイデン大統領とその閣僚たちは明確な目標を置くことに消極的になっているのかもしれない。」

 「米国とNATOはすでに軍事的、経済的に深く関与している。非現実的な期待を持つと、米国もNATOも、犠牲の大きい、長期にわたる戦争にさらに深く引きずり込まれりかもしれない...」。

 「最近ワシントンから好戦的な発言が相次いでいる:
 ① バイデン大統領の「プーチン氏は権力の座に留まることはできない」という主張
 ② ロイド・オースティン国防長官の「ロシアは弱体化しなければならない」という発言
 ③ ナンシー・ペロシ下院議長の「勝利が得られるまで」ウクライナを支援するという誓言など、
これでは、支援の宣言として盛り上がっても、交渉に近づくことにはならない。」


 NYTはこれらの発言を「煽り立て」として退けているが、米国の外交政策を担当するネオコンにとって、その目標は常にロシアを崩壊させる代理戦争であったことはあまりにも明白である。代理戦争が今始まったわけではない。ずっと代理戦争は続いていたのだ。ネオコンは、第一次冷戦が終わって間もない1992年に、当時国防次官だったネオコン系のポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz)が発表したウォルフォウィッツ・ドクトリンによって動いている:
 「我々は、敵対するいかなる国もある地域を支配下に収めることを阻止するよう務める。その地域とは、しっかりと管理下にある資源が豊富にあり、その資源を利用して世界規模の力を十分生み出せよ地域のことだ。

 「潜在的な競争相手が地域や世界の大国を目指すことすら抑止する仕組みを維持しなければならない。」


 次のことははっきりしている。もしロシアが「強大すぎて」ウクライナで負かすことなどできないのであれば、超大国としてのロシアを引きずり落とすことも無理な話だ。

NYT、3月から5月にかけての論調の変化。どう変わったか?

 ドンバスで7年間に及ぶ虐殺、そして南ウクライナで3ヶ月の戦乱の後、NYT社説委員会は突然、戦争のすべての犠牲者とウクライナの破壊に同情が沸き起こり、意見を変えたのだろうか?数十年にわたるNYTの記録を考えると、他の要因が働いているように思われる。

 まず、ロシアは西側諸国の悲観的予測に比べ、予想外にうまく事態に対処している。

 プーチン大統領への支持は80%を超えている。
 世界人口の35%を占めるインドや中国を含む195カ国中165カ国が対ロ制裁への参加を拒否しており、ロシアではなくアメリカが世界の中で相対的に孤立している状態である。

 バイデンが「ラブル(瓦礫)」になると言ったルーブルは、2月以前の水準に戻っただけでなく、3月の1ドル150ルーブルに対して今日は59ルーブルと、2年ぶりの高値で評価されている。 

 ロシアは豊作が予想され、世界はロシアの小麦と肥料と石油、ガスを喉から手が出るほど欲している。それらはすべて(ロシアの)大きな収入源となる。

 EUは、ガス代をルーブルで払えというロシアの要求にほぼ屈している。イエリン(Yellin)財務長官は、ロシアの石油禁輸は西側諸国の経済をさらに悪化させると、自殺願望にしか見えないヨーロッパ人に警告している。

 ロシア軍は、ウクライナ南部と東部でゆっくりと、しかし着実に前進している。これまでの戦争で最大の戦いであったマリウポリでの勝利の後のことだ。ウクライナにとっては戦意を喪失させる敗北であった。

 米国ではウクライナ危機以前から高かったインフレ率がさらに上昇し、8%以上に達し、FRBは金利を引き上げてインフレを抑制しようと躍起になっている。その影響もあって、株式市場はベア・マーケット域*に接近している。戦争が進むにつれ、ベン・バーナンキ(Ben Bernanke)前FRB議長とともに、高失業率、高インフレ、低成長の時代、つまり恐怖のスタグフレーションを予想する人が多くなっている。
ベア・マーケット域*・・・20%以上の株価下落を示す弱気な株式市場のこと

 アメリカ国内では、この戦争への支持が低下する兆しがある。最も顕著なのは、下院の共和党員57人と上院の共和党員11人が、ウクライナへの武器提供の最新一括提案法案に反対票を投じたことだ。この一括提案法案には、かなりの助成金と戦争利得者向けの隠れた大盤振る舞いが含まれている。(驚くべきことに、民主党は一人も、最も「進歩的」な人でさえも、ウクライナで激化する戦争の火に油を注ぐことに反対票を投じなかったのである。しかし、それはまた別の話である)。

 また、米国の世論は依然としてウクライナへの関与に賛成である一方、反対の動きの兆しも見られる。例えば、ピュー・リサーチセンターの報告によると、米国が十分なことをしていないと感じる人は、3月から5月にかけて減少した。ガソリンや食料の価格が上昇し、タッカー・カールソン(Tucker Carlson)やランド・ポール(Rand Paul)のようにインフレと戦争の関連性を指摘する声もあり、スタグフレーション(経済活動の停滞と物価の持続的な上昇が併存する状態)がさらに進行すれば、不満が高まることは間違いないだろう。

 最後に、この戦争が民意を失い、そのしわ寄せが増えるにつれ、2022年と2024年には、ジョー・バイデンと、NYTが代弁者になっている民主党にとって、選挙での惨事が待ち構えていることになる。

NYTの社説は、ネオコンの正気とも思えぬ目標に警鐘を鳴らしている。

 今すぐ交渉による解決策を見いだせという訴えには、パニックの気配がある。米国とロシアは世界の主要な核保有国であり、数千の核ミサイルを発射予告(Hair Trigger Alert)している。緊張が高まっている時、核兵器によるハルマゲドンが起こる可能性は、決して絵空事ではない。

警鐘は正当なものであり、パニックも当然だ。
 ネオコンは今やバイデン政権、民主党、共和党のほとんどの外交政策を掌握している。しかし、担当のネオコンは、NYT社説が要求するように、あきらめて合理的で平和的な方向に向かうだろうか。これは第一級のファンタジーである。あるコメンテーターが指摘したように、ヌーランド(Nuland)、ブリンケン(Blinken)、サリバン(Sullivan)のような戦争屋にはバック・ギアがなく、常に倍掛けをして元を取ろう(double down)とする。彼らは人類の利益にも、アメリカ国民の利益にも貢献しない。彼らは、本当のところはアメリカに対する裏切り者である。彼らの正体を暴き、信用を失墜させ、舞台正面から退場させなければならない。私たちの生存は、それにかかっている。

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プーチン大統領の爆撃はウクライナを廃墟にもできたはずだ。しかしそれを控えたのは何故か

<記事原文 寺島先生推薦>
Putin's Bombers Could Devastate Ukraine But He's Holding Back. Here's Why - Global ResearchGlobal Research - Centre for Research on Globalization
(プーチンの爆撃機はウクライナを壊滅させる可能性があるが、彼はそれを控えている。その理由はここにある。)

筆者:ウィリアム・M・アーキン(William M Arkin)

抜粋掲載:グローバル・リサーチ (Global Research)

2022年5月22日

出典:ニューズウィーク (Newsweek)

2022年3月22日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月4日



 以下のウィリアム・アーキンによる文章はニューズウィーク誌に掲載されたものであるが、米国情報機関内の分析とインタビューに基づく内容で、ロシアの軍事作戦の本質について鋭い理解を提供している。
 
 これまでに書かれたウィリアム・アーキンの記事はここで読める。

 ウィリアム・M・アーキンは、元・米国情報局の職員であり、受賞歴のあるベストセラー作家である。Global Researchはこれまで彼の著作をいくつか掲載している。転載を許可してくれたニューズウィーク誌に感謝する。なお、以下の文章はニューズウイーク誌に掲載されたものからの抜粋である。

***

 いまロシアが引き起こしているウクライナ戦争は破壊的なものであるが、それにも拘わらず、ウクライナが被っている被害は、想定されていたものよりは小さく、殺害されている民間人の数も少ないと、米国の情報専門家は言っている。

 この残酷な戦争におけるロシアの行動は、ウラジーミル・プーチンがウクライナを解体し、民間人に最大の損害を与えることに熱心であるという広く受け入れられた見解とは異なる物語を語っている――その物語を聞くと、ロシアの指導者が戦略的バランスをとる行為を選択していることがわかるのだ。もしロシアがもっと攻撃的な意図を示しているのであれば、米国やNATOの介入を求める声はもっと大きくなっただろう。そして、もしロシアが全面的に介入すれば、プーチンは逃げ場を失うことになったかもしれない。ところが、プーチンはそのような袋小路に入り込むことはなく、交渉の材料となる領土を十分に確保した上で、ウクライナ政府が交渉せざるを得ない状況に追い込むことを狙っている。


 このようなロシアの限定的な攻撃の背後にある考え方を理解することで、和平への道筋をつけることができるのではないか、と専門家は言う。

 ロシアが侵攻してから約1カ月、ウクライナの市や町が何十カ所も陥落し、国内最大級諸都市をめぐる争いが続いている。国連の人権専門家によると、この戦闘で約900人の民間人が死亡している(米国の情報機関は、この数は国連の推計の少なくとも5倍とみている)。また、約650万人のウクライナ人が国内避難民となり(全人口の15%)、その半数が安全を求めて国外に流出している。

 国防情報局(DIA)に勤めるある上級研究員は、ニューズウィーク誌に「破壊は大規模である。とくにヨーロッパやアメリカ人が見慣れているものと比較すると」と語っている。

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 しかし、同上級研究員は、対戦相手を巻き込んだ地上戦の被害の状況を見れば、実際に何が起きているのかを見誤ってしまうことはないと、言う。 (その分析家は機密事項について話すために匿名を求めた。) 「キエフの中心部はほとんど触れられていない。そして、ほとんどすべての長距離攻撃は軍事目標に向けられている」。

 西側から最もよく見える首都キエフでは、市当局の発表によると、2月24日以来、約55棟の建物が被害を受け、222人が死亡している。ここは人口280万人の都市である。

 「ロシアの実際の行動を理解する必要がある」と言うのは、元空軍将校で、イラクとアフガニスタンでの米軍の戦闘目標の承認に携わったことのある弁護士である。この将校は現在、国防総省に助言を与える大手軍需企業で分析家として働いているが、匿名を条件に包み隠しなく話すことを承諾された。

 「もしロシアが無差別爆撃をしているから、人材が不足しているから、あるいはまた技術的に無能だから、より大きな被害を与えることができないのだと思い込んでしまうなら、いまの起こっている紛争のほんとうの姿は見えてこない」。

 この分析家の見解では、戦争によって南部と東部で未曾有の破壊がもたらされてはいるが、ロシア軍は実際には長距離攻撃には抑制的な姿勢を示しているということだ。

 先週末までの24日間の戦闘で、ロシアは約1,400回の攻撃出撃を行い、約1,000発のミサイルを投下した(ちなみに、米国は2003年のイラク戦争初日でそれより多くの出撃を行い、兵器を投下している)。空爆の大部分は戦場上空で行われ、ロシア軍機が地上部隊に「近接航空支援」を行うための空爆だった。米国の専門家によれば、全ての空爆のうちの残り20%未満が、軍の飛行場、兵舎、支援物資の貯蔵所を狙ったものであるとのことだ。

 これらの空爆の一部は、民間建造物を損傷・破壊し、罪のない民間人を殺傷しているが、ロシア軍の能力に比べれば、死者や破壊の程度は低い。

 国防情報局(DIA)の分析員は、「殺戮と破壊が実際よりもはるかにひどくなる可能性があったと受け入れるのは......難しいことだと思う」と言う。「しかし、事実がそう示している。このことは、少なくとも私には、プーチンが意図的に民間人を攻撃しているのではなく、交渉の糸口を残すためには被害を抑える必要があると彼が考えていることを示唆している」と述べた。

 ロシアは2月24日、ウクライナへの侵攻を開始し、約65の飛行場と軍事施設を標的とした空爆とミサイル攻撃を行った。初日の夜には、少なくとも11の飛行場を攻撃した。さらに18の早期警戒レーダー施設を含む約50の軍事施設と防空施設も攻撃している。

・・・

 実際、体系的な空爆作戦は行われておらず、空爆により戦略的に意味のある成果は出ていない。空爆とミサイル攻撃は、当初は露軍の作戦の一翼と思われていたが、実際はほとんど地上軍への直接支援にとどまっている。

 「ロシア空軍を空飛ぶ大砲だと思うとよい。」と退役した米空軍の上級将校は本誌へのメールで回答している。「ロシア空軍は、単独行動を起こす軍ではない。ロシア空軍は、戦略的な航空作戦は行っていない。この30年間にアメリカが起こした紛争においてよく見られたような航空作戦はとっていないのだ」。

 ウクライナの防空ミサイルには固定式と移動式の両方があり、耐久性と致命的な破壊力を持っていることが証明されている。

 キエフ在住の軍事専門家オレグ・ジュダノフ氏は、キエフ・インディペンデント紙に「防空ミサイルが防御力に優れ、効果的であったことは、キエフだけでなく国中の人々を驚かせた」と語っている。

 ウクライナの軍事記者イリア・ポノマレンコも、戦闘機やミサイルからキエフを守る防空体系は「特に効果的だった」と語る

 「キエフを狙うミサイルのほとんどは迎撃されている」とポノマレンコ氏は言う。

 ロシアは、都市を守る固定式の防空施設は爆撃していない。米国の専門家によると、プーチン配下の将軍たちはキエフの都市部の標的を攻撃することに特に消極的だった。

 その結果、クレムリンの当初の予定がロシアが実際に制空権を狙っていたのか、あるいはキエフでの被害を抑えるつもりだったのかは定かではないが、プーチンが長期的な攻撃計画を修正せざるを得なくなったのは間違いないだろう。

 紛争開始後約4週間にわたり、キエフに向けて発射されたミサイルはほとんどない。ウクライナのメディアは、2月24日以降、キエフとその近郊の上空でロシアの巡航ミサイルや弾道ミサイルが迎撃された事件を10数件報告している。米国の専門家によれば、これらのミサイルはすべて、明らかに公的な軍事施設を標的にしたものだった。

 大西洋評議会は今週、軍事報告書の中で、「ロシアの移動式S-300地対空ミサイル体系がまだ作動しているという事実は、ロシアが動的または時間的に微細な動きのあるものに対しても標的を定める能力を有していることを示す強力な証拠である」と主張した。

 しかし、国防情報局(DIA)の分析官はこれに同意していない。「どんな理由であるかはわからぬが、ロシアは明らかにキエフの巨大都市内部への攻撃に消極的である」。

 「そうなんだ。たしかに、彼らは[動くものを標的にすることにおいて]または空軍の優位性を確立することにおいては米国のレベルには及ばないかもしれない…しかし、ロシア空軍は地上軍の指示にしたがう形で行動している。そして、この戦争はアメリカによる戦争とは異なる。戦いは地上で行われているのだ。地上での戦いでは、ロシアが前線で破壊する可能性のある戦略的なもの(橋、通信、飛行場など)は、彼らが前進するにつれて自分たちがどれも使用できなくなる」。

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ドネツク人民共和国軍に参加する元アメリカ兵は語る。「ロシアは民族浄化を阻止した。そして勝利を確信している」。

<記事原文 寺島先生推薦>
Russell Bentley: “The U.S. and NATO Are Waging War With Russia in Ukraine… but Russia is Assured of Victory”
(ラッセル・ベントレー: 「米国とNATOはウクライナでロシアと戦争している...しかし、ロシアは勝利を確信している」)

投稿元:INTERNATIONALIST 360°    

2022年5月19日

投稿者:フィニアン・カニンガム(Finian Cunningham)

<記事飜訳 寺島メソッド飜訳グループ>  

2022年6月2日



 ラッセル・ベントレーはドネツク人民共和国に8年間住んでおり、現在は正式な市民権を取得している。


 「西側のニュースメディアは、ロシアがウクライナで失敗と敗北に直面しているという荒唐無稽な妄想を膨らませています」と、過去8年間ドンバスで戦い、生活してきた元アメリカ兵のラッセル・ベントレーは言う。戦略文化財団の次のインタビューで彼は「ロシアは、キエフ政権だけでなく、その手先である米国やNATO列強をも打ち負かす圧倒的な勝利を確信しています」と述べている。

 例えば今週(5月第3週)、ニューヨークタイムズとBBCは、ロシアがマリウポリで「勝利」したことを遅ればせながらしぶしぶ認めた。というのも、同じ西側メディアは何週間もの間、その南部の港町におけるNATOが支援し公然とナチスに属していたアゾフ大隊の「勇敢な防衛者」の活躍を賞賛してきたからだ。

 ラッセル・ベントレーは、彼の勇気と真実の報道で国際的な支持を得ている人物である。このインタビューで彼は、彼がナチス・キエフ政権と呼ぶところによる、民間人に対する破壊と戦争犯罪についても証言している。彼は語る。

 「ロシアが2月24日に特別軍事作戦(Z作戦)を開始したのは、キエフ政権と米国が他のNATO諸国と協力してドンバスに対する大規模な致命的攻撃を計画していたからです。しかしその攻勢は、ロシアの介入によって先取りされました。ロシアは軍事的に優位に立っていますが、NATO諸国はこの紛争に首まで突っ込んでおり、全面的な世界大戦の脅威となっています。ところが西側メディアは、米国、NATO、欧州連合がナチスと戦争犯罪者を支援しているという現実を隠して、その重大な危険性を国民には知らせず、「ウクライナ防衛」に関する嘘を嘲笑的にどんどん増やしています」。

 彼は、第二次世界大戦にまで遡って、西側諸国がいかにしてドイツのナチスの残党を自分たちの権力構造に同化させて、今日明らかになっている悲惨な結果をもたらしたてきたか、その歴史的な政治経過をたどる。

 テキサス州出身のラッセル・ベントレーは、ドネツク人民共和国に8年間在住し、現在は正式な市民権を取得している。彼は2014年末に米国を離れ、NATOに支援されたキエフ政権から離脱した共和国を守るためにDPR(ドネツク人民共和国)の軍隊に入隊した。罪のない人々が「NATOナチス」の手によって苦しめられていることが彼に志願を決意させたという。ベントレーは最前線で戦い、多くの戦友が殺されるのを目の当たりにしてきた。その一人、セルゲイ・リセンコは、戦勝記念日の5月9日にヴォルナヴァハの戦いで戦死し、彼は最近、その葬儀に参列した。ここ最近は、ドンバスやウクライナで何が起きているのかを世界に伝えるために、放送や通信の仕事をしている。彼は自分の映像放送はYoutubeで検閲されているが、ウクライナのナチス大隊のプロパガンダはずっと許可されていると苦々しく指摘する。

インタビュー

 質問者欧米のニュースメディアは、ロシアのウクライナへの軍事介入が失敗であるとの報道ばかりしています。ドンバスの現場にいる人たちから見て、ロシアの作戦はどうなっているのでしょうか?

 ラッセル・ベントレー: ドンバスとロシアの多くの人々は、Z作戦の、特にその初期段階での行動を懸念していました。当初は深刻なミスもあったからです。ただ、これはどの戦争でも避けられないことです。ロシアは純粋に、民間人の犠牲とインフラの破壊を最小限にするためにあらゆる努力をしてきました。米国ナチスが、軍が国を侵略し破壊する際に「巻き添え被害」と呼ぶものです。米政権は2014年以来、ウクライナのすべての政治的・軍事的政策と決定を完全に掌握しており、それには民間人を人間の盾として使い、死と破壊を最大化するというウクライナ軍ナチスの決定も含まれています。ロシアは冷酷無比で、極悪非道な敵にさえ怯みませんでした。戦争法を遵守し、人道的な模範を示すことで名誉と道徳を維持しようとしながらそうしてきたのです。それは、クイーンズベリー侯爵のルール*を使うボクサーが、金属製の拳当てとナイフまで持ったMMAファイター**と戦おうとしているようなものです。しかし、そのボクサーは勝っています。軍事的、経済的、政治的に。
*現在のボクシングの基礎となったルール **Mixed martial arts 総合格闘技


 ロシアは勝っています。そして私たちも勝ちます。ウクライナ軍とNATO諸国が、ロシアがZ作戦で設定したすべての目標の完全達成を阻止しようとしても、それはできないでしょう。米国、EU、NATOナチスの支配下にあるナチ化されたウクライナは、ロシア存立に対する脅威であり、ロシアはそのような覚悟をもってそれに対処することになるからです。ロシアが必要と考える限り、ウクライナは非ナチス化、非軍事化されるでしょう。それは間違いありません。

 実際、ロシアは圧勝しています。標準的な軍事理論では、突撃隊は3対1の数的優位がなければ勝利のチャンスはないとされていますが、ロシアはこれまで1対1以下の突撃部隊で戦略的目標をすべて達成してきました。双方の死傷者報告をそのまま信じることはできませんが、ロシアがウクライナ軍の人員と装備に戦略的損失を与えながら、自軍の数を軍事的に許容できる作戦レベルに維持していることは、まともな観察者であれば否定できません。ロシアがウクライナでこれまでに使用した軍事力はごく一部(約15%)です。ウクライナでのロシアの軍事作戦を批判する素人の将軍や机上の司令官は、ほとんどの場合、軍事戦術や戦略についてあまりにも無知で、この問題について意見する資格はありません。だから口を出すべきではありません。心配は無用です。私たちは勝っているのですから。

 質問者西側メディアでは、米国がロシア軍を標的とするキエフ政権軍を助けるために情報を供給していることに暗黙の了解があります。米国とNATOがキエフの軍事作戦を可能にするために情報を提供しているという証拠を多く見たことがありますか?

 ラッセル・ベントレー: はい。米国は、EUやNATOの子分たちとともに、2014年以来、ウクライナを政治的、経済的、軍事的に完全に支配してきました。民間人や兵士の死者、一生の障害を負った人、吹き飛ばされたり焼かれたりした家、心理的トラウマを負った子供、お腹をすかせ行き場のない犬や猫、これらはすべて、米国、EU、ウクライナ政権とその軍隊を所有し支配するナチの犯罪責任です。2014年から続いているウクライナ戦争全体は、現実には西側ファシズムの対ロシア代理戦争であり、ロシアは世界支配という彼らの目的に対する主な障害物であるからです。

 米国とNATOは2014年以来、ウクライナに特殊部隊と高度に訓練された傭兵(ISISのテロリストを含む)を配置しています。私はこれを直接確認できます。衛星、AWACS*、無人機、ELINT**、SIGINT***からのウクライナへの情報提供は、2014年以来、同じく最前線の戦闘行動に直接関与している専門家アドバイザーや訓練教官の提供と同様に、大きな戦力拡大要因であり、これも直接確認することができます。数十億ドル相当の武器弾薬の提供は、「最後のひとりのウクライナ人までロシアと戦え」という欧米の命令とともに、ウクライナを回復不能な破綻国家にする欧米ナチの意図をむき出しにするものです。アフガニスタン、イラク、リビア、ソマリア、イエメンなどでも同じでした。ウクライナは現在、正真正銘の外国人ナチスの占領下にあり、1941年から1943年にかけてのナチ占領時代と変わるところは何もありません。今日のウクライナ軍は、ウクライナを「守る」のではなく、それを意図的に破壊しています。キエフからウクライナを支配している外国の純粋なファシスト政権に代わって破壊しているのです。ただ実際には、その政権はワシントン、ロンドン、ブリュッセル、そしてテルアビブにあるのですが。

*AWACS【エーワックス】Airborne Warning and Control Systemの略で,早期警戒システムを搭載した空中警戒管制システム(早期警戒機)のこと。
**《electronic intelligence》電子情報。 外国の発射するレーダー波・ミサイル誘導電波などの電磁波を傍受・測定して得られる情報・知識。
***シギント【SIGINT】《signal intelligenceからの造語》通信を傍受して分析する、軍事・安全保障上の 諜報活動の総称。


 米国とNATOの継続的な支援がなければ、ウクライナの売国奴政権はすでに降伏し、戦争は終結し、何千人もの命が救われていたでしょう。つまり、この戦争の開始、拡大、継続に対する絶対的な道徳的、法的、実際的な責任は、彼らにあるのです。ロシアが戦争を始めるのではなく、われわれが終わらせるのです。そしてこの戦争も、いずれにせよ勝利して終わらせるつもりです。避けられない政治的な非ナチ化と軍事的な敗北までにウクライナがどれだけの破壊と苦痛を受けるのかを決めるのは、私たちに敵である米国とNATOなのです。

 質問者以前はキエフ政権軍の支配下にありましたが、現在はロシア軍の支配下にあるドンバス地域では、状況の変化に対して市民の反応はどうですか?

 ラッセル・ベントレー: 解放されたばかりの地域、特にヴォルナヴァハやマリウポリなど、最も激しい戦闘と破壊が起こった地域を何度も訪れました。もちろん、自分の家や街の大部分が破壊されるのを喜んでいる人はいませんが、そこにいる人々の大半、90%以上は、ナチスのテロリストの抑圧と占領から解放されたことを喜んでいると言えるでしょう。強姦、強盗、殺人、拷問、人身売買、臓器売買など、さまざまな犯罪が報告されていますが、これらの犯罪は現在停止しており、現在集計・調査中であり、犯人は裁かれることになります。

 ロシアは毎日、1日あたり数百トンの人道支援物資を運び込んでおり、解放された多くの都市では、電気、ガス、水道のインフラがすでに修理されたり、交換されたりしつつあります。一方、西側諸国はウクライナに数十億ドル相当の致死的軍事援助を送っていますが、キエフ政権がいまだに「防衛」しているという地域の人々には1ドルも送られていません。特にマリウポリの人々は、アゾフ大隊のナチスがどのようにして民間人を人間の盾として利用し、また彼らを虐殺までして、それをロシアの「侵略」のせいだと非難しようとしたかを自分の目で見てきました。さらにロシアは、罪の責任を負わないナチスの強姦者、拷問者、殺人者から彼らを解放しました。ロシアは人道的援助をもたらし、再建と修復を支援している唯一の国です。もちろん、解放された地域のまともな市民は皆、大喜びしています。喜んでいないのはナチスと戦争犯罪者だけです。

 質問者: CIAが支援した2014年、キエフ・クーデター後の8年間、分離主義共和国であるドネツクとルガンスク(DPRとLPR)の人々の生活はどのようなものだったのでしょうか?

 ラッセル・ベントレー: 戦場での生活は決して楽ではありません。2014年春にドンバス共和国の人々が立ち上がり、外国のファシスト支配に服することを拒否して以来、彼らは常に軍事攻撃、経済封鎖、政治的迫害を受け続けています。それでも、非常に困難な状況にもかかわらず、私たちは勝ち残り、生き延びるだけでなく、繁栄してきたのです。生活費から政治的自由まで、文字通り人間の生活の質に関するあらゆる指標において、ドンバス共和国はキエフ政権下のウクライナの一部の人々よりもはるかに良い結果を残しています。

 ウクライナでは、2014年初頭のマイダンのクーデター直後から生活の質の急激な悪化が始まりました。新政権はアメリカ国務省とCIAが選んだ手先たちで埋め尽くされた後、ウクライナ軍とナチスのテロリスト大隊が、クーデターに抗議するあらゆるウクライナ市民に対して解き放たれたのです。これは、オデッサ、マリウポリ、ハリコフ、ルガンスク、ドネツク(他の多くの場所)での虐殺と、あらゆる政治的反対意見に対するテロリストの弾圧につながりました。例えば、ウラナ・スプリンは親バンデラ家のアメリカ生まれの医師で、保健大臣に任命され、ウクライナの国民医療制度を破壊しました。米国生まれの「投資銀行家」で国務省職員のナタリー・ジャレスコは、ウクライナの財務大臣に就任し、2014年から2016年にかけて、ウクライナの国庫を平然と略奪しました。逃亡中のグルジアの元大統領、ミハイル・サーカシビリ(グルジアの汚職で服役中)は、2015年5月から2017年11月までオデッサ州(州)知事に任命されました。彼の治世下、オデッサは性奴隷や人身臓器売買、有毒廃棄物の違法・無規制な輸入の一大拠点となりました。

 他の地域と同様、Covid-19の大流行による経済的混乱以来、ドンバス共和国の物価は著しく上昇し、ここ数ヶ月はさらに上昇しました。賃金はある程度物価と歩調を合わせており、家賃、光熱費、燃料など一部の物価は実際には横ばい状態です。キエフ政権と欧米による経済封鎖にもかかわらず、ドンバス共和国はごく普通の、概して満足のいく生活水準を享受し続けています。医療も教育も無料であり、その質もロシアに匹敵します。賃金はロシアの方が高いが、物価もロシアが高いので、生活水準はウクライナより良く、ロシアと同程度であることが一般的です。ロシアは軍事、経済、エネルギー、食糧の安全保障がしっかりしているので、共和国も将来的に同じように期待できます。公式にはともかく、実質的、政治的にはロシアの一部であるので、同程度の生活水準を期待でき、今後もそうでありたいと願っています。

 質問者ロシアが2月24日に軍事介入を開始して以来、DPRとLPRの住民の治安状況は改善されたのでしょうか?

 ラッセル・ベントレー: ロシアのウクライナへの介入について理解する上で最も重要なことは、その介入は、ウクライナ軍による共和国の主要都市であるドネツク、マケフカ、ヤシヌバタ、ゴロフカ、ルガンスクへの差し迫った大規模な軍事攻撃を防ぐための先制的防衛行動だったことでした。これらの都市はすべて文字どおり最前線にあり、市街地はウクライナ軍の軍事拠点からわずか10~12キロメートルしか離れていません。もしロシア軍が躊躇し、計画通りに攻撃が行われ、ウクライナ軍が私たちの市街地、あるいは郊外の人口の多い市街地にまで進出していたら、彼らの「人間の盾」戦略が直ちに実行され、市民はロシアの主な軍事的優位性であるロシアの大砲、ミサイル、航空戦力を防御する盾として利用されていたことでしょう。

 また、最も冷酷なナチスの戦犯大隊で構成された攻撃部隊の第二波は、都市の大量虐殺と民族浄化を任務としていたことも明らかでした。今も同じです。その第二波が起こっていれば、引き続く市街戦だけではなく、ウクライナの「アインザッツグルーペン*」がロシア民族を意図的に狙って大量殺害することによって、何十万人もの民間人が死亡していたのです。それは80年前にナチス・ドイツがこれらの同じ都市で実際に行ったことなのです。そして、人間の盾、大量虐殺、民族浄化の戦略は、米国とNATOの戦争犯罪者によって計画、命令されたことは否定できない事実であり、疑いの余地なく証明されています。だから、ロシアの介入は、ロシアが躊躇していたら破滅していた我々都市の住民を救うことになったのです。
*アインザッツグルッペンは、ドイツの保安警察 と保安局 がドイツ国防軍の前線の後方で「敵性分子」を銃殺するために組織した部隊である。直訳すると「展開集団」である。正式名称は「保安警察及び保安局のアインザッツグルッペン」という。

 2月下旬のZ作戦開始以来、2014年から続いているウクライナの砲撃は著しく増加し、特に我が軍が活動しない露天市場や住宅地など、民間人を標的とした攻撃が増えています。砲撃も民間人の死者も増えていますが、計画されていた大量殺戮に比べれば、ロシアが数万、数十万単位で我が国民を救ったことは間違いないでしょう。どちらが我々の安全保障を高めているかははっきりしています。

 質問者NATOに支援されたキエフ政権からの侵略を防ぐために、ロシアは2022年よりもっと早く介入すべきだったと思いますか?

 ラッセル・ベントレー: 多くの人がそう思っていますし、私も一時期そう思っていました。しかし、今では、もっとはっきりとした別の見方ができるようになりました。ウラジーミル・プーチンはロシアの大統領であり、彼が明確に述べているように、彼の仕事はロシアとロシア国民を守ることである。それ以外のことは二の次です。2014年、ロシアはウクライナへの侵攻に対して軍事的、経済的、政治的に準備ができていなかった。なぜなら、ウクライナへの侵攻はNATOとの全面対決のリスクがあり、実際、今もそのリスクがあることを理解しなければならないからです。それは軍事だけでなく経済、政治、情報面でもそうだっただろうし、今もそうです。もし、彼がその前にあからさまな介入をしていたら、彼は西側のナチス勢力が彼(とロシア)のために仕掛けた罠にはまったでしょう。ところが、プーチンは見事に手を打ち、罠を回避し、ロシアの準備が整ってから介入し、実際に米国とEUが来るのを待ち構えていたのです。そして彼らはそこに来ざるをえなかったというわけです。

 ロシア経済は、規模においては、米国やEUより大きくないかもしれないが、実際の力は、どちらよりも、いや両方合わせたより、とさえ言ってもいいが、はるかに強いのです。ロシアの経済、エネルギー、食糧の安全保障は、すでに世界的に進行しつつある経済戦争を生き残るだけでなく、勝利を収めることは確実です。その一方で、米国と(もっと深刻な状況の)EUは経済的、政治的な崩壊(破壊ではないにしても)を避けられない状況にあります。

 ヨーロッパとウクライナは今年、飢饉に近い食糧危機に直面するでしょうが、まさに市民が支配者にそのような状況を設計することを許したからです。EUとウクライナの誤った支配者によるロシアの燃料と肥料に対する完全に自発的な制裁こそが、パン一斤が年末までに現実的に10ユーロになり、それを買う余裕のある人にも十分なパンが手に入らないという状況の進展を可能にしたのです。EUの支配層が米国の命令に従ってロシアのガスの購入を拒否したため、欧州の肥料生産は停止しています。国民を養うための十分な農業生産に必要な肥料が、簡単に言えば、生産されていないのです。つまり、今年、ヨーロッパの人々の食糧が足りなくなるのです。人々は急激な食糧不足と物価上昇に直面し、さらには飢餓に陥るでしょう。

 EUの首脳陣が国民のことを少しでも考えていれば、このような事態は簡単に避けられたはずです。彼らは考えていないのです。そして、彼らは愚かではないし、誰もそこまで愚かにはなり得ません。唯一の現実的な結論は、彼らが意図的に苦難と飢饉を作り出しているということです。そういうことなのです。

 ロシアは今、この怪物たちと対決し、彼らを倒すか破壊する用意ができています。ロシアの軍隊は準備万端であり、ロシアの経済、エネルギー、農業部門も準備万端です。ロシアは、中国をはじめ、イランやインドなどの戦略的国家、アフリカ、南米、中東の多くとの同盟関係を強固なものにしています。ロシアは、通常兵器であれ核兵器であれ、第三次世界大戦を戦う準備が整っています。私が2015年から言っているように、"As goes Donbass, so goes the world."(ドンバスがうまくいけば、世界もうまくいく。) なのです。これは真実です。

 ロシアは、ウラジーミル・プーチンという素晴らしい指導者の下、一日も早くもなく、一日も遅くもない完璧な攻撃時期を選んだと正直に言うことができます。プーチン大統領を批判しようとする人は、それを口にすること自体、自分自身の醜態をさらすことになり、自分があまりにも無知で、このテーマについて意見を持つ資格も、ましてやそれを述べる資格もないことを証明するだけに終わります。残念ながら、そのような人はかなり多いのです。

 質問者ロシアは介入の目的として、ウクライナの「非ナチ化」を強調しています。その取り組みはどのように進んでいるのか、また今後、ウクライナ国家に対するナチスの影響力の復活を防ぐにはどうすればよいのでしょうか。

 ラッセル・ベントレー: 非ナチ化過程の最初の部分は、明らかに彼らの軍事力の無力化、ナチスや戦争犯罪者の逮捕、そして彼らの犯罪の調査です。このプロセスは急速に進んでおり、ロシアがウクライナ、特にドンバスとキエフをより多く解放するにつれて、加速されるでしょう。

 主要な戦争犯罪者の裁判と処刑は、非ナチ化過程の不可欠な部分です。より小さな「歩兵」戦犯も取り上げなければなりません。正義と現実的な理由によって、彼らの処刑も要求されます。ナチスは狂犬や毒蛇、あるいは殺戮と人間の血の味を覚えた反省のない大量殺人者のようなものです。彼らに道理を説くことはできないし、彼らに欠けている同情心や人間性に訴えることもできません。彼らは悲惨な状態から解放されなければならないのです。

 ソビエト連邦の最大の過ちの一つは、いま私たちが代償を払っていることですが、多くのドイツのナチス戦犯を西側に逃がし、ナチズムという悪性のウイルスを潜伏させ、繁殖させ続けたことでした。ナチズム、すなわち「ヘレンヴォルク」(支配者民族)と「ウンターメンシェン」(下等民族)という哲学―ひとにぎりの人々が優れており、彼らが「劣った」人間だと考える人たちを、家畜や奴隷にしたり、昆虫のように駆除したりできるという哲学―を懲りずに擁護する者は、その子孫にこの下劣な哲学を伝え、その伝統は継承されていきます。

 ドイツのオラフ・ショルツ首相の祖父がSS総帥であった可能性は十分にあるが、証明はされていません。カナダのクリスティア・フリーランド副首相の祖父がウクライナのナチスの協力者であり、フリーランドがバンデリストの前任者の遺産を引き継いでいることは議論の余地がありません。彼女自身、それを公然と認めています。ナチスの最悪の戦争犯罪者の何人かは、司法からの逃亡を手助けされただけでなく、西側で富と政治権力の地位を与えられたことも、同様に証明された事実です。ビジネスや家族における以前のナチスのコネクションは、エリート寡頭政治家や政界への参入の障害にならないばかりか、多くの場合、必須条件ではないにしても、確実に有利に働くようです。I.G.ファルベンの子孫であるモンサント/バイエルの取締役や、プレスコット・ブッシュやヘンリー・フォードの子孫に聞けばわかるでしょう。ナチズムの哲学は、根絶されなければなりません。永久に。

 質問者ウクライナとドンバス共和国の平和的共存は、将来的に可能でしょうか?

 ラッセル・ベントレー: はい、可能であるばかりでなく、高い確率で可能です。少なくともキエフを含むウクライナの解放と絶対的な非ナチ化の後、ドンバス共和国の政治・軍事指導者はロシアとともにウクライナの政治・経済・インフラの再建に責任を持つことになります。ウクライナはかつてソ連の工業・農業大国でした。それは再びロシア連邦でも同じことができます。ロシアにもドンバスにも、そうなることを喜び、そのために喜んで協力する友愛に満ちた人々が大勢います。私たちと一緒に新ウクライナを建設する一員になりたくない人は、私たちが西側に占領させるかもしれないウクライナ西部のどこにでも移住すればいいし、EUに行って自ら移民や二級市民になってしまえばいいのです。ポーランドではもうイチゴ狩りはできないかもしれませんが、EUでは仕事が常にあります。売春婦や殺し屋といった、つまり、親バンデラ派のウクライナ人の性に合った仕事があるのです。

 質問者なぜドンバスにはDPRとLPRという2つの別々の共和国が存在するのでしょうか?将来的に1つの国家に統合される可能性はあるのでしょうか?2014年のクリミアのように、最終的にロシア連邦に加盟するとお考えですか?

 ラッセル・ベントレー: これまでずっと2つの別々の共和国が存在していたことは、通常、FSB(ロシア国家保安局)がDPR(ドネツク人民共和国)を、GRU(ロシア対外軍事情報局)がLPR(ルガンスク人民共和国)を担当しており、両者の間に官僚間の対立があると、表面的には説明されています。この説には根拠がありそうですが、それがすべてでないことは確かです。両共和国の一般庶民には共通点も多いが、経済的、人口的、さらには政治的に大きな違いがあります。しかし、私たちは何よりも友愛に満ちた同志であり、お互いがいなければ生きていけないことを知っています。

 ドンバス共和国がロシア連邦に吸収されるとは思っていませんし、そうなることを望んでもいません。新生ウクライナの建設には、私たちがどうしても必要なのです。ロシアを愛し、尊敬し、感謝し、その友愛的な友情と支援を必要としながらも、私たちは自分たちの独自性(identity)を保ちたいと思っています。同様に、私の故郷テキサスが、アメリカに対して自分の独自性を保ちたいのと同じです。私はこの問題に関してみんなの代弁をしているわけではありません。おそらく大多数のためでもありません。私は、私自身や私の家族、そして私の友人の大部分のために代弁しているのです。

 質問者アメリカ主導のNATO諸国は、ロシアとの代理戦争をウクライナに限定すると思いますか、それとも他のヨーロッパ諸国にも拡大すると思いますか?

 ラッセル・ベントレー: ウクライナでのZ作戦は、現実の戦争であり、20年以上前のNATOによるユーゴスラビア攻撃以来、ヨーロッパで最大の戦争ですが、現時点ではまだ、ほとんど象徴的なものです。軍事的な結果はすでに問題外であり、ロシアはいつでも好きなだけウクライナとその軍隊をつぶすことができます。必要なときはいつでも、です。ウクライナ軍のナチスが毎日民間人を爆撃している一方で、ロシア軍はこれまで一度も、キエフ政権が占領したドンバス共和国地域の行政庁舎を爆撃したり、特定の政治・軍事指導者を狙ったりしたことがないという事実もそうです。同様に、キエフやリヴォフの政治家や軍人は、国内外を問わず、ロシアのミサイルの標的にはなっていません。見返りのある戦術がとられているように見えます。「戦争は他の手段による政治」であり、その裏では、純粋に情報通の一般大衆の識者でさえも全く把握していない政治がまだ行われていると私は確信しています。

 本当の戦争は経済的なものであり、すでに始まっており、世界的なものであり、ロシアはすでに敵に決定的な打撃を与えているのです。政治的、軍事的、そして何よりも経済的に、ロシアは台頭しており、ナチス西側は当然のように「ゲッテルデメルング(神々の黄昏)*」に向かっています。核兵器はワイルドカード(万能のカード)であり、どちらの側でもいつでも使用できます。ロシアは存亡の危機を感じれば、核兵器を使用することができます。西側ナチスは、おそらく偽旗作戦の挑発、あるいは人口減少計画の遂行のために核兵器を使用する可能性があるでしょう。山の下に隠れているオリガルヒの輩は全力の核交戦にも耐えられると彼らは考えているのでしょうね。ドクター・ストレンジラブ**の映画が現実に・・・。

* Götterdämmerung(神々の黄昏)-『神々の黄昏』は、リヒャルト・ワーグナーが1869年から1874年までかけて作曲し1876年に初演した楽劇。ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の4作目に当たる。
** ドクター・ストレンジラブ: 映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』。 巨匠キューブリックが近未来を舞台に、核による世界破滅を描いたブラック・コメディ。アメリカ軍基地の司令官が、ソ連の核基地の爆撃指令を発した。司令官の狂気を知った副官は、司令官を止めようとするが逆に監禁されてしまう。大統領は、ソ連と連絡を取って事態の収拾を図る。

 私は、この紛争・対立が全面的な核戦争に発展する可能性は、おそらくあると思っています。今年や来年ではないかもしれないが、時間が経てば経つほど、神の介入や他の天災によってその使用や必要性が阻まれなければ、その可能性は必然的に高くなると私は考えています。私は自分が間違っていることを願っています。しかし、事態が好転する前に悪化することは間違いないでしょう。

 欧米のメディアの98%はプロの嘘つきであり、宣伝屋です。彼らが書いたり言ったりすることは、ほとんど常に真実と正反対であり、そうでないときは、騙すために文脈を無視して真実の断片を使っているに過ぎないのです。

 質問者2014年末に米国からドンバス防衛のために武器を取って戦うというあなたの個人的な旅は、非常に驚くべき冒険の物語です。しかし、あなたが米国から受けたメディアの注目は、あなたを「ロシアの宣伝屋」として中傷することだけでした。アメリカのメディアがあなたの人生の旅に柔軟な関心を示さないことについて、どう思われますか?

 ラッセル・ベントレー: 欧米のメディアの98パーセントはプロの嘘つきで宣伝屋です。彼らが書いたり言ったりすることは、ほとんど常に真実と正反対であり、そうでない場合は、騙すために文脈を無視して真実の断片を使用しているだけです。前ホワイトハウス報道官のジェン・サキのように、彼ら、彼女らは、自分が嘘をついていることも、自分が嘘をついていることをみんなが知っていることがわかっていても、真顔で嘘をつくのです。これほど卑劣な生き物がこの世にいるだろうか?主よ、私はそうでないことを望みます。

 このクズどもは高給取りの「プレスティチュート(売春報道屋)」だが、売春婦でさえもっと名誉や人間性や尊厳があります。西洋の宣伝屋は、性病を患っていることを知りながら働き、進んでそれを顧客に渡す娼婦のようなものです。「真理の尊重はすべての道徳の基礎である」と正しく言われていますが、この言葉は本当に、本当に正しいのです。そして、この欧米メディアの売春婦たちは、真実、ひいては道徳の大敵なのです。私は、彼らが私について何を言おうが、全く気にしません。彼らの言葉は、私にとってはハエの鳴き声のようなものなのです。

 質問者ドンバスの人々のために活動しようと決心した理由を教えてください。

 ラッセル・ベントレー: 2013年から2014年にかけてのマイダン抗議運動が始まり、米国のヴィクトリア・ヌーランド特使が抗議者にクッキーを配っていた頃から、私はウクライナの動きを追っていました。2014年5月2日にオデッサの大虐殺があり、その1カ月後の6月2日にルガンスクの行政庁舎に対するウクライナ空軍による空爆(米国の命令があった)がありました。イナ・ククルザという女性がこの空爆で被弾し、両足を吹き飛ばされました。そのときひとりの男性がやってきてその様子をスマホで撮影したのです。イナはまだ生きていましたが、瀕死の状態で、その男性に「自分の電話を使って家族に電話をしてほしい」と頼みました。しかし、イナの命は長くは続かず、電話をかけることはできませんでした。そのフィルムから、イナ・ククルザがまっすぐカメラを見つめている象徴的な写真が作られました。その写真を見たとき、彼女は私の目を、私の魂を直接見て、私に直接、「あなたはこれをどうするつもりですか?」と問いかけているような気がしたのです。その瞬間、私はイナのような人々を守るためにドンバスに行き、夏の午後に罪のない一般市民であるイナを殺害したような人々は生かしてはおけないと思っている自分に気づきました。そして、私はそれをやり遂げました。彼女の写真を見てから6ヶ月後、私はドネツクのボストーク(東)大隊に所属し、前線に向かいました。これが彼女の写真です。今、私が人々に問いかけているのは、「あなたはどうするつもりですか?」ということです。


 ここに来て、私はドンバスを守り、ロシアを守るドンバス人の大義を担っただけではありません。ロシアを守る人は、人類の未来を守る人です。そして人類には、あらゆる国のあらゆる善良な人々が含まれます。最近の西側諸国の人々の大半は、洗脳されすぎて自分を取り戻すことができない糞食性のゾンビです。彼らは糞を食べ、それを好むようになり、食生活を改めようと提案すると怒り、気分を害する。しかし、「目覚め」てはいないが、気づいていて、歴史を知っている2%の人々は、何が危機に瀕しているかを理解し、Facebookページの「いいね!」を押す以上のことをして、それについて何かしようとします。この人たちは私たちの観客であり、人類の希望なのです。そして、まだ希望はあります。なぜなら、米国とEUの2パーセントならまだ何千万人もいるのですから。すべての善良な人々が団結し、協力し合わなければなりません。そうすれば、私たちはまだ勝つことができ、みんなのためにより良い世界を作ることができるのです。そして、もしできなかったとしても、ベストを尽くしましょう。他に何か良い方法があるでしょうか?

 質問者: あなたはドネツク人民共和国で市民権を得て、家庭を築き、人生を歩んできました。地元の人たちは、「テキサスから来た男」をどのように受け止めているのでしょうか?

 ラッセル・ベントレー: 2014年12月にここに来たとき、正直なところ、冬を越せるとは思っていませんでしたし、その予想には十分な理由がありました。私は54歳で、体型も崩れ、ロシア語も話せず、大きな戦争をしている小さい勢力の人民民兵の方にやって来たのです。相対するのは、NATOの支援を受けたウクライナ軍、ヨーロッパで3番目に強力な軍隊なのです。しかし、私はとにかく来てみたのです。マリファナ密輸でアメリカの連邦刑務所に5年間収監されたこともあります。でも、たくさんの素晴らしいこと、旅行、冒険、楽しいこと、嬉しいこともたくさんしました。しかし、ここドンバスでのこの8年間は、私の人生の中で最高の年月となりました。来月で62歳になりますが、アメリカでもEUでもどこでも、62歳で「人生最高の年月を過ごしている」と言える男性がどれだけいるのでしょうか。

 ここに来て、ドネツク人民共和国の軍隊に入り、戦い、勝つことを期待せず、進んで死に直面することは、大変な勇気がいることでした。自慢しているわけではなく、単純な事実なのです。そうすることで、私は人生で最も重要な教訓の一つを学び、証明したのです。なぜなら、恐れていては幸せになることは不可能だからです。だから、恐れてはいけないのです。勇気をもって行動することで、私は自分の人生の最良の部分を手に入れることができました。あなたも同じことができます。

 ここに来たとき、私は「インターネット・スター」になるとか、特派員になるとか、そういう考えも想像も野望もありませんでした。しかし、私は詩人でありシンガーソングライターであり、コミュニケーションとインスピレーションの才能がありましたので、カメラとコンピューターを使う私の仕事は、カラシニコフやRPG(ソ連、ロシアの対戦車擲弾)による仕事よりも私に感動を与えました。中国、オーストラリア、南アフリカ、南米、ヨーロッパのあらゆる国々、そしてもちろん、アメリカ全土、テキサス、メキシコで、人々は私の作品と名前を知り、敬意を払ってくれています。そしてドンバスとロシアではもちろん。しかし、私は名声や富を求めてここに来たのではありません。私の生涯で最も誇りに思うことは、共に戦った兵士たち、そして共に暮らす市民たちの尊敬と友情です。彼らは私が誰であるかを知っており、私がここにいることを本当に感謝してくれているのです。

 質問者西側のニュースメディアがロシアのメディアを検閲していることについて、また、米国、NATO、EUがロシアとの紛争を引き起こすことに大きな責任を負っていることについて、どのような批判的な意見をお持ちですか?

 ラッセル・ベントレー: それは彼らの臆病と虚偽を証明するものです。愚者は賢者を嫌い、臆病者は勇者を嫌い、嘘つきは真実を嫌います。最近、真実は嘘の海に溺れつつありますが、真実はまだそこにあり、それが真実であることに変わりはないのです。それは私たちの最も強力な武器であり、だからこそ彼らはそれを恐れ、抹殺しようとするのです。彼らは、私たちの1ドル分の真実が、10億ドル分の彼らのデタラメとウソに打ち勝つことを知っています。だからこそ、私たちは何としても真実を守らなければならないのです。勇気、真実、連帯、これらが私たちの武器です。私たちには、死ぬ覚悟と、殺す必要がある人と物を殺す意志がなくてはなりません。私たちは、単に国籍や人種や政治思想のために戦っているのではなく、人類の未来のために戦っているのです。ダバイ(さあ、戦いましょう)!


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ファイザー社の「機密」報告書は、自らの罪を告白。Covidワクチンは即刻すべて引き上げよ!

<記事原文 寺島先生推薦>
Video: Pfizer's "Secret" Report on the Covid Vaccine. Beyond Manslaughter. The Evidence is Overwhelming. The Vaccine Should Be Immediately Withdrawn Worldwide - Global ResearchGlobal Research - Centre for Research on Globalization
(ビデオ:Covidワクチンに関するファイザー社の「機密」報告書。殺人どころではない。(殺人ワクチンである)証拠満載。Covidワクチンはただちに世界中から引き上げるべきだ。)

出典:Global Research

2022年3月21日

ミシェル・チョスドフスキー(Michel Chossudovsky)教授

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月2日



***

 以下のミシェル・チョスドフスキー教授へのインタビュービデオは、情報公開(FOI)手続きの一環として公開されたファイザー社の機密報告書に関連するものだ。

 この報告書は驚天動地の内容だ。このワクチンは2020年12月中旬に発売された。2021年2月末までに、「ファイザー社はすでに、ワクチンが原因とされる死亡例の報告を1200件以上受け、270件の妊娠のうち23件が自然流産、2000件以上の心疾患の報告など、数万件の有害事象の報告を受けている。」

 このファイザー社機密報告書は、2020年12月のワクチンプロジェクト開始から2021年2月末までの、すなわち非常に短い期間(せいぜい2ヶ月半)にファイザー社が記録した死亡例と有害事象に関するデータを提供するものだ。

ファイザー社の「機密」報告書には、「ワクチン」が死亡率や疾病率に与える影響に関する詳細な証拠が含まれている。この「当事者であるファイザー社」から発せられたデータは、巨大製薬会社、政府、WHO、そしてメディアに対する訴訟手続きに利用することができる


ビデオ:ラックス・メディア、キャロライン・メイユーのインタビュー。ミシェル・チョスドフスキー教授がファイザー社の「機密」報告書について、Covid19ワクチンを世界中で撤収することを視野に入れ、巨大製薬会社と対決する戦略と訴訟手続きを打ち出す

(映像は原文でご覧ください。)


数ある巨大製薬会社でも、ファイザー社は米国において犯罪歴がある_(2009年米司法省裁定)

Video: Pfizer Has a Criminal Record. Is It Relevant?
By
US Department of Justice,

 米国司法省(DoJ)による「詐欺的マーケティング」や「食品医薬品化粧品法違反の重罪」などの刑事責任を認めた大手製薬会社複合企業体(ファイザー社)を、私たちは信用できるのだろうか?

 国の保健当局は、Covid-19「ワクチン」が命を救うと言っている。それは嘘だ。

 世界的にワクチンの死傷者数は増加傾向にある。最新の公式数値(2022年4月3日)では、およそ次のように指摘されている:

 EU、米国、英国の人口8億3,000万人に対するワクチン接種関連死亡69,053人、負傷者10,997,085人。

 報告された症例に基づく。ワクチンに関連した死亡や有害事象を国の保健当局に報告するという面倒な手続きを踏むのは、被害者や遺族のごく一部に過ぎない。過去のデータ(公衆衛生のための電子化支援―ワクチン有害事象報告システム)によれば

 「医薬品やワクチンによる有害事象はよくあることだが、過小に報告されている。...食品医薬品局(FDA)に報告されるのは、薬剤の有害事象全体の0.3%未満、重篤な事象の1~13%だ。同様に、ワクチンの有害事象は1%未満しか報告されていない」。(強調は筆者)

 情報公開(FOI)手続きの一環として公開されたこのファイザー社機密報告書は、2020年12月のワクチンプロジェクト開始から2021年2月末までの、すなわち非常に短い期間(せいぜい2ヶ月半)にファイザー社が記録した死亡例と有害事象に関するデータを提供している。



詳細については以下の記事を参照
Bombshell Document Dump on Pfizer Vaccine Data
By
Prof Michel Chossudovsky, April 29, 2022



 ファイザー社のバイオテックワクチンは、2020年12月11日に緊急使用許可が下り、同月14日に米国で発売された。

 皮肉なことに、この「内部秘密文書」で明らかにされたデータは、政府やWHOが売り込んでいるワクチンに関する公式論を否定するものである。また、mRNA「ワクチン」がもたらす破壊的な結果を明らかにした多くの医師や科学者の分析の正しさも裏付けている。

 ファイザー社の「秘密」報告書には、「ワクチン」が死亡率や疾病率に与える影響についての詳細な証拠が含まれている。この「当事者であるファイザー社」から発せられたデータは、巨大製薬会社、政府、WHO、そしてメディアに対する訴訟手続きに利用することができる。 

 法廷では、この大手製薬会社(ファイザー社)の機密報告書に含まれる証拠(EU、英国、米国の各国当局がまとめた死亡や有害事象に関するデータと相まって)は反論の余地がない。なぜなら、それは彼らのデータであり、彼らの推定であって、我々のものではないからだ。

 銘記すべきこと:これは、報告され記録された症例に基づくデータであり、ワクチンに関連する死亡や有害事象の実際の数のごく一部に過ぎない

 これは事実上ファイザー社が、「そう、それは殺人ワクチンです」と罪を告白したことになる

 ファイザー社は、同社が世界中で販売しているmRNAワクチンが、死亡率と疾病率の波をもたらすことを十分承知していたのである。これは巨大製薬会社の人道に対する犯罪とでもいうべきものだ

 ファイザー社はそれが殺人ワクチンであることを最初から知っていた。

 それはまた、巨大製薬会社に脅かされ、買収されている腐敗した各国政府の罪の告白であり、裏切りでもある

 各国政府は、この殺人ワクチンの撤収を求める努力は一切行っていない。

 このワクチンは命を救うためのもの、と言うばかりだ。

 ファイザー社「秘密」報告書は次のサイト参照。 

<参考文献>

ミシェル・チョスドフスキー著『仕組まれたコロナ危機-「世界の初期化」を目論む者たち』(共栄書房2022)

ファイザー社のコロナ「ワクチン」については、本書の「第7章 大手製薬会社のコロナ“ワクチン”」や「第12章 これからの道」で詳しく述べられている。


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ウクライナは、生物研究所で作られた病原体をドローンで撒こうとしていた?

<記事原文  寺島先生推薦>
Briefing on the Results of the Analysis of Documents Related to the Military Biological Activities of the United States on the Territory of Ukraine
(ウクライナ領内における米国の軍事生物研究活動に関する文書の分析結果の概要)
 
出典:INTERNATIONALIST 360°
 
2022年5月11日
 
<記事翻訳  寺島メソッド翻訳グループ>

2022年6月1日
 

 
 ロシア国防省は、ウクライナ領内で米国とNATO同盟諸国が行っていた軍事用生物研究計画遂行の際に使用されていた物質の研究を続けている。ロバート・ポープ( Robert Pope)氏については当サイトの記事で既に以前触れた。同氏は、米国国防省国防脅威削減局(DTRA)傘下の協調的脅威削減(CTR)部門の責任者であり、「キエフにおける非常に危険な微生物の中央保管庫」という報告の原案者だ。

 2022年4月10日に出した声明において、ポープ氏はこう述べていた。「ウクライナで生物兵器の開発が行われていたという主張には何の正当性もありません」。以前同氏はこうも主張していた。「ウクライナとの共同研究を開始した際、米国関係者は生物兵器を検出しませんでしたし、現在も見つかっていません。さらに言えることは、ウクライナは生活基盤の開発に追いついておらず、生物兵器を製造する余裕などありません」と。

 ここで思い出していただきたいのは、「生物兵器」という用語には「生物学的製剤」も含まれているという事実だ。生物学的製剤とは、病原体微生物や毒素を含む製剤である。さらにそのような生物学的製剤を運搬したり、使用したりする手段も「生物兵器 」に含まれることを頭においていただきたい。

  訳註:生物学的製剤・・・化学的に合成した薬ではなく、生体が作る抗体(たんぱく質)を人工的につくり、薬物として使用した新しいタイプの薬

 ウクライナの医療界において優先されるのは、社会的に重大な影響を及ぼす病気であるHIVや、ポリオや、麻疹や、肝炎などなのだが、顧客である米国の関係者たちは全く違う疾病に関心を示していた。具体的には、コレラ、野兎病、ペスト、ハンタウイルス感染症だ。

 ウクライナ領内でロシアによる特殊作戦が行われた結果、生物兵器の材料と思われる特定の諸病原体の研究が、ウクライナで行われていた事実が明らかになった。それと同時に確認されたことは、ウクライナが製造会社にある注文をしていたことだ。その注文は、 噴射装置のついたバイカール社製ドローンの配備を行う可能性を示唆するものだった。

 さらに3月9日には、生物学的製剤噴射用の30リットル容量の容器のついた3機の無人航空機が、ウクライナのヘルソン地域でロシアの偵察部隊により確認された。さらに4月下旬にはカホフカ付近でもう10機が発見された。

 これらの情報からすると、先述した米国の専門家ポープ氏の主張の正当性が怪しくなってくる。

 既に当サイトの記事では、米国の手によるウクライナの生物研究所と研究施設の体系について報じている。その際に行っていた暫定的分析では、基本的にウクライナは生物兵器開発や新薬の試薬検査の実験場にされていた、と推測していた。

 ロシア国防省は上述の研究体系を明らかにすることが可能になったのだ。

 特記すべきは、ウクライナでの米国による生物兵器研究活動構想の中心には米民主党の指導者たちがいたことだ。

 そのため、米国の行政機関を通じて、軍による生物医学研究の資金に連邦政府予算を直接投入できる法的根拠が形成された。さらに政府の保証のもと、 民主党の指導者層の息のかかったNGOからも資金が集められた。具体的には、クリントン財閥や、ロックフェラー財閥、ソロス財閥、バイデン財閥からの投資だ。

 この研究体系には主要な製薬諸企業も加わっている。具体的には、ファイザー社、モデルナ社、メルク社、それに米軍と提携しているギリアド社だ。米国の専門家たちが手を回し、国際基準を回避して新薬の検査を行えるようにしている。その結果、西側諸国の製剤諸企業は 研究計画にかかる費用を大幅に節約でき、巨大な競争力を手にしている。

 政治家たちの息のかかった非政府諸組織や、生物技術関連諸企業が加担していることと、これらの団体の収入が増加していることにより、民主党指導者層は選挙資金を追加入手でき、その選挙資金の流通経路を隠蔽することが可能になっている。

 米国の製薬諸企業や、国防総省と契約している製薬会社に加えて、ウクライナ政府当局も軍による生物兵器開発に加担している。ウクライナ政府当局の主な役割は、不法行為の隠蔽や、実地試験や臨床試験の遂行や、必要な生体材料の供給だ。

 そうやって米国防総省は、事実上何の邪魔もされない国外での実験場で、多国籍諸企業の高度な技術施設を使って研究規模を大きく拡大してきた。それは生物兵器分野だけにとどまらず、抗生物質の耐性や、特定の地域で特定の人種に存在する抗体についての知見を得ることにもなった。

 さらに念頭におくべきことは、米国だけではなく、NATO同盟諸国もウクライナで軍事生物研究に取り組んでいた点だ。

 ドイツ政府は生物兵器から身を守るための国家計画の立ち上げを決定している。それは米国政府から独立したもので、2013年から開始されていた。ウクライナを含む12カ国がこの計画に加盟している。

 ドイツ側でこの計画に関わっていたのは、軍微生物研究所(ミュンヘン)、ロバート・コッホ研究所(ベルリン)、 レフラー研究所(グライフスヴァルト)、 ノフト熱帯病研究所(ハンブルク)だ。

 新たに発見された文書により明らかになったのは、2016年から2019年の間だけでも、3500件の血清検体をウクライナの25の地方住民から入手していたという事実だ。その回収を実行したのは、軍微生物研究所の軍所属の疫病学者たちであった。

 ドイツ連邦軍傘下の研究所が検体回収に関わっていたという事実から確証できることは、ウクライナの諸研究施設で生物学的研究がドイツ軍の主導で行われていたということだ。 このことから浮かぶ疑問は、ドイツ軍がウクライナ国民の生体資料を回収していた目的は何か?という疑問だ。

 入手された文書により、ウクライナの生物研究所にはポーランドも関わっていることが明らかになった。ポーランド獣医学薬剤研究所が関わっていた目的は、狂犬病ウイルスによる疫学的な危険性や、狂犬病ウイルスの拡散について評価するためだった。 この研究の特徴をあげると、この研究は米国に拠点を置くバテル研究所の協力のもとで行われていたことだ。このバテル研究所はアメリカ国防総省の重要な契約相手だ。

 さらにポーランドはウクライナのリヴィウ医科大学に資金提供しているが、この大学は米軍の生物学研究を行っている「疫学・衛生研究所」の一員であることも文書から明らかになっている。この研究所は2002年以降、軍民両用の物質や技術に関わる研究を行った経験のある専門家を再教育する取り組みを運営してきた。
 
 ロシア軍による特殊作戦に伴い、ウクライナでの生物学的事象に関するさらなる情報が入手できた。

 例えば、2020年に複数の医薬品に耐性のある結核菌を意図的に使用したことを示唆する物質が見つかった。この菌を使ってルガンスク人民共和国のスラビアノヴェルシク地方の人々を感染させようとしていた。

 偽札に見えるように作られたチラシに結核菌を含ませておき、ステポヴェ村の未成年の人々に配布していたのだ。この犯罪行為を組織した人々は、子どもの行動を考えに入れていた。つまり子どもというのは、「何でも口に入れてしまい」、汚い手でも食べ物を食べるという行動だ。

 細菌学的な研究の結果から確証されたことは、単離された細菌は、1次治療や2次治療で使用される抗結核剤に対して耐性を持っていたことだ。つまり、これらの結核菌で発症した病気は治療が非常に難しく、治療費も非常に高価になるということだ。

 ルガンスク人民共和国の衛生・疫学局が出した結論によれば、「これらの偽札に付着していた結核菌は人工的に付着されたと考えることが自然である。というのも、その物質には非常に危険な病原体の菌株が入っており、 感染を引き起こし、結核の症状を発症するのに十分な濃度であったからだ」とのことだった。

 ルガンスク人民共和国結核薬剤局の医師長が出した結論にはさらにこう記載されていた。「これらのチラシには、病原性の強い細菌が、意図的に人間の手により付着されていたと考えられるすべての兆候が見受けられる」と。

 すでに当サイトの記事で報じたことだが、最も防御が薄いと思われる人々を対象に、危険とおぼしき生物薬品が治験されていた。つまりハルキウ地方第3精神病院の患者たちだ。

 我々は、米国防総省が、第1精神病院(ハルキウ地方のストレルシェ村)に入院中のウクライナ国民に非道な臨床実験を行っていたという新しい情報を入手した。主要な被験者は40歳から60歳の男性患者群であり、肉体的に非常に疲労した状態にある患者群だった。

 米国との関連を隠すため、生物研究所の専門家たちは第3国を通って出国していた。以下はこの研究に直接関わっていたフロリダ州出身のリンダ・オポルト(Linda Oporto)氏の写真だ。

 2022年1月に、実験を行っていた外国籍の専門家たちはウクライナから緊急出国し、使用していた装置や薬品は西ウクライナに輸送された。

 ロシア国防省の専門家たちはマウリポリの2つの生物研究所について直接調査を行ってきた。

 慌てて始末したと思われる文書から見つかった証拠によって、米軍と協力して行われた研究資料が入手された。現存する文書の一次分析から示唆されることは、マウリポリはコレラ菌の回収や認定を行う中心地にされていたことだ。選択された菌株がキエフの公共医療センターに送られ、その医療センターが責任をもって順次米国にその株菌を輸送していた。これらの活動が始められたのは2014年からのことであることが、株菌の輸送記録から分かった。

 病原菌の破壊作業が2022年2月25日に行われたことを示す記録が見つかった。その記録により、コレラや野兎病や炭疽菌がこれらの研究所で扱われていたことが分かったのだが、その記録は衛生・疫学研究所で発見された。

 獣医学研究所の収集物の一部は急いで処理されなかった。保管を安全に保つため124種類の菌株がロシアの専門家たちの手により輸送され、これらの菌株についての研究が組織された。

 チフスやパラチフス熱やガス壊疽など、獣医学では使用しないような病原体の収集物が存在していたということは懸念に値する。このような事実から、研究所が正しくない使われ方をしていて、軍事生物研究計画に加担していたことが示唆される可能性がある。

 私たちはマウリポリの生物研究施設から得られた物質の全ての解明を続ける所存であり、その結果については後日お知らせする。

 ロシア国防省が入手した情報によれば、 挑発的な諸行為が準備されていて、大量破壊兵器を使用したとしてロシア軍が非難の対象にされていたとのことだ。これは「シリアで行われた筋書き」による捜査を踏襲するもので、必要な証拠を捏造し、ロシアにその責を負わせる作戦だという。

 このような挑発行為が行われる可能性が高かったことは、キエフ政権が、化学性毒物や汚染物質から皮膚や呼吸器を保護するための装置を要求していたという事実から明らかだ。ウクライナに有機リンの毒性の解毒剤を供給していたという事実は由々しき事態だ。2022年だけでも、22万瓶以上のアトロピンや、特別治療や消毒のための薬が、ウクライナ保健省の要求により米国から届けられていた。

 要約すると、入手した情報により確証されたことは、米国はウクライナ国内で攻撃用軍事生物研究計画に取り掛かっていて、特定の地域において自らの管理下で疫病の流行を起こせるかを研究していた、という事実だ。

 ロシア軍による特殊作戦が、ウクライナにおける米国の軍事生物研究の拡張に待ったをかけ、一般市民たちを対象にした人体実験を中止させたのだ。





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