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サーロー節子氏 ノーベル平和賞授賞式演説


<記事原文寺島先生推薦>サーロー節子氏ノーベル平和賞授賞式演説

<記事翻訳寺島メソッド翻訳グループ>
2020年7月28日

 閣下

 誇り高きノルウェー・ノーベル委員会のみなさん
私とともに活動してくれる活動家のみなさん、今この場所におられる方々、そして世界中におられる方々。

 みなさん

 このような賞をベアトリスさんとともに受けられたことは本当に名誉あることです。これも、ICAN運動をともに尽力してくれたすべての愛すべき同志のおかげです。みなさん一人一人が、私に胸が震えるほどの希望をくれました。その希望とは、核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせることになるという希望です。

 私は、ヒバクシャの一員としてここで話しています。そう、私たちヒバクシャは、奇跡とも呼べる幸運を得て、ヒロシマとナガサキの原爆の惨劇を生き抜いてきました。ここ70年以上ものあいだ、私たちは核兵器の完全な放棄を目指して活動してきました。
 
 私たちは、あの恐ろしい武器の製造や実験により被害を被った人たちとも協同しています。ながらくその名を忘れられていた地域の人々、たとえばムルロアやエッカーやセミパラチンスクやマラリンガやビキニの皆さん。皆さんの大地や海は放射能で汚されてしまい、皆さんの体は実験材料として使用され、皆さんの文化は永遠に破壊されてしまいました。

 私たちは、被害者になることを拒否してきました。私たちは、一瞬の炎で焼き消されることや、放射能で少しずつ世界が害されていくのをただ待つことを拒否してきました。私たちは、恐怖の中でいわゆる巨大な力が世界を「核兵器の夕暮れ」に変え、さらには無謀にも世界を「核兵器の真夜中近くまで」連れて行くことを、黙って指をくわえて待つことを拒否してきました。そうではなくて、私たちは立ち上がりました。私たちは、自分たちが生き抜いた証言をみんなに伝えてきました。そして、私たちはこう言ってきました。「人類と核兵器は共存できない」と。

 今日、この会場にいらっしゃるみなさんに感じて欲しいのは、広島と長崎で亡くなった全ての人の存在です。私がみなさんに感じて欲しいのは、25万人の魂の叫びです。彼らは、私たちの頭上や私たちの近くにおられます。一人一人に名前がありました。一人一人が誰かに愛されていました。彼らの死を無駄にしないことを彼らと約束しましょう。

 あれは、私がほんの13歳だった時でした。そのとき、私の愛すべき街広島に、米国が初めての原子爆弾を落としたのです。今でもあの朝のことは鮮明に覚えています。8時15分、窓から目がくらむような白い閃光が見えました。続けて、自分が空中に浮いているような感覚を持ったのを覚えています。

 静寂と暗闇の中で、私が意識を取り戻したとき、自分の体が倒壊した建物の下敷きになっていることが分かりました。そのうち、私の級友たちの消え入るような声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神様、助けて」

 そのとき突然、私はだれかの手が私の左肩に触れるのを感じました。そして、ある男性が私にこう言っているのが聞こえてきたのです。「あきらめるな!進め!いま助けてやるから。むこうの隙間から光が見えるだろう?全速力でその隙間に向かって進んでいくんだ」。私が這い出ると、倒壊した建物は火に包まれました。その建物にいた私の級友のほとんどが、生きたまま焼き殺されました。私の周りの全ての人が、想像もできないようなうめき声をあげていました。

 お化けのような姿をした人たちが、脚を引きずって歩いていました。身の毛もよだつような傷を負った人たち、血を流し、焼けただれ、黒焦げになり、ふくれあがった人たち。手に自分の眼球を抱えている人たちもいました。お腹が裂けて内臓が飛び出ている人たちもいました。人間が焼けるにおいがあたり一面にただよっていました。

 たった一つの爆弾が、このように、私の愛する街を完全に破壊してしまったのです。広島の住民のほとんどが一般市民でした。その一般市民たちが焼かれ、蒸発させられ、炭にされてしまいました。その中には、私の家族や私の351人の級友たちもいました。

 それから何週間、何ヶ月、何年たっても何千もの人々が亡くなり続けました。突然でしかも不思議な死に方で。そう、それが後から来る放射能の恐怖です。今日でも、放射能は生き残った人たちを殺し続けています。

 私が広島のことを思い出すたび、当時4歳だった甥の英治の姿が私の心に浮かびます。彼の小さな体は、誰のものともわからない溶けた肉の塊になってしまいました。英治は消え入るような声で水を求めていました。死によって苦しみから解放されるまでずっと。

 私にとっては、英治が世界の全ての無垢な子どもたちの代表に思えるのです。その子どもたちは、今この瞬間にも、核兵器によって脅威を与えられています。

 毎日毎秒、核兵器は、私たちが愛する全ての人と、私たちが大切に思っているすべてのものを危機に陥れています。もう、こんな狂気には耐えられません。


 私たちの怒り。生き抜くための厳しい闘い。そして灰燼から立ち上がって復興に取り組んできたこと。私たちヒバクシャは、世界の人々に黙示録的な兵器のことについて警告を発しなければいけない、という使命感を持ってきました。何度も何度も、私たちは被爆の証言を世界の人々に伝えてきました。

 しかし、それでもまだ、広島と長崎への原爆投下を、非道な行為であり戦争犯罪だととらえることを拒否している人たちがいます。彼らは、原爆は「良い爆弾」であり、そのおかげで「正当な戦争」を終わらせることができた、という宣伝を受け入れているのです。

 この神話こそが、核兵器製造競争という悪夢を生んだのです。その競争は今日までずっと続いています。

 核保有9カ国は、いまだに世界中のすべての都市を焼き尽くし、地球上の全ての生命を破壊し、未来の住民たちがこの美しい世界で住めなくなるかもしれないという怖さで、私たちを脅し続けています。

 核兵器を持っていることが、その国の力の偉大さを示すわけでは全くありません。逆にその国がいかに深く堕落しているかを表していることにしかなりません。

 核兵器は必要悪などではありません。完全な悪です。

 今年の7月7日、私は歓喜に溢れる声をあげました。その日、世界の大多数の国々が、核兵器禁止条約の採択に賛成票を投じたのです。

 人類が持つ最も邪悪な一面を見てしまった私が、この日は人類が持つ最も素晴らしい一面を目にすることができたのです。

 私たちヒバクシャは、この72年間ずっと核兵器禁止を待ち続けていたのです。

 この契機を核兵器の終わりの始まりにしましょう。

 すべての責任ある指導者のみなさんは、この条約に同意してください。

 この条約を拒否した者はすべて、後に厳しい歴史の審判を受けるでしょう。

 もはや、彼らが持ち出すあいまいな理屈では、核戦争が起こったときに引き起こされる大虐殺をごまかせないところまで来ています。

 もはや、「抑止力」ということばが、「(廃絶ではなく)軍縮を前提とした抑止力」という意味だけになることはありません。

 もはや、私たちはキノコ雲の恐怖の下で生きることはありません。

 核兵器保有国の政治家の皆さん、
そして、いわゆる「核の傘」の元にある保有国の同盟国の政治家の皆さんに、私はこう伝えたい。
 「私たちの証言を聞いて欲しい。私たちの警告に耳を傾けて欲しい。そして、あなた方が選択する行為が、重要な意味を持つことを分かって欲しい。あなた方はみなそれぞれ、人類を絶望の恐怖に陥れる体系の中に組み込まれているのです。悪の陳腐さに警告を発しましょう」

 世界中の全ての国家の大統領や首相のみなさんに、心から願います。「この条約に賛同してください。核兵器の使用によって世界が滅亡するかもしれない脅威を、永遠に取り除いてください」

 煙が立ちこめる建物の下敷きになった13歳の私は、前進を続けました。光に向かって進み続けました。そして生き抜くことができました。今、私たちに見える光は核兵器禁止条約です。

 ここにいらっしゃる皆さんと、私の話を聞いて下さっている世界中の皆さんに、もう一度あのことばを繰り返します。廃墟となった広島で私に呼びかけられたあのことばを。
「あきらめるな!進み続けろ!
光が見えるだろう?光に向かって這っていけ!」

https://hibakushaglobal.net/2017/12/11/ican-oslo3

 今夜、オスロ市街を、たいまつに灯火をつけて私たちは行進します。核兵器の恐怖という暗黒の夜から抜け出すために、ともに進んでいきましょう。

 どんな障害にぶつかっても活動を続け、前進を続け、他の人々にも光を分け与えていきましょう。

 これこそ私たちの熱い思いであり、私たちが参画することこそ、大切な世界が持続するために必要なのです。




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