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白人の米国は「善良な黒人たち」の方を好む。モーガン・フリーマンやコリン・キャパニック、そしてトランプについて


<記事原文 寺島先生推薦>White America Prefers “Good Blacks”: On Morgan Freeman, Colin Kaepernick, and Trump

ブラック・アジェンダ・リポート 

2017年9月17日

ポール・ストリート

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年7月10日
 

「好戦的で残忍な白人大統領と彼の仲間の白人主義者のアメフトファンたちは、選手に“善良な黒人”でいることを望んでいる。つまり、言われるままに自分自身を傷つけて義務的に多数派である白人や直属の白人の主人たちに仕えるような黒人だ」

 「NFL(ナショナルフットボールリーグ)の(白人の)所有者の1人が、我々の旗を軽視するような行為をしたものに対して、こう言うのを見たくはないか?「あの(黒人の)くそ野郎を今すぐフィールドからつまみ出せ。クビだ。クビだ!(歓声)」、2017年9月22日、ドナルド・トランプ大統領はアラバマで白人の支援者に向けてこう言った。

 白人米国社会の大部分では、米国の黒人を「善良」か「悪者」かで決定的に区別している。その「善良」か「悪者」かの区別は黒人の振るまいで決まる。このことには長い歴史がある。

 たとえば1960年代、モハメド・アリは「善良な黒人」だった。当時の彼はカシアス・クレイという名のただの陽気で冗談好きなオリンピックの金メダリストにしか見えなかった。ほとんどの白人たちはクレイの良さを認めた。それは「悪い黒人」であるソニー・リストンを破ってヘビー級のチャンピオンになったときだ。リストンは街の悪党として多くの白人たちをやっつけていた。

 しかし「クレイ」が改名して「アリ」になり、誇り高い黒人主義者となり、白人の米国帝国主義者たちによるベトナムの褐色肌の農民たちの殺害を援助することになる徴兵を拒否したとき、アリは「悪い黒人」になった。 米国の白人たちは、フロイド・ペーターソンやジョー・フレージャーのような好戦的でない黒人の闘士を、偉大な黒人主義者であるモハメド・アリよりも好むのだ。

 クレバランド・ブラウンズ(アメフトのチーム)のラニングバックのポジションをつとめた偉大な黒人であるジム・ブラウンは、「善い黒人」だった。しかし、それは、彼がアメフトのフィールドで政治的なことに関しては口を閉ざし、新しい記録を更新している間だけのことだった。ブラウンが白人の米国から評判を落としたのは、彼がアメフトをやめて1年後のことだった。ブラウンは、モハメド・アリ・サミットの開催をよびかけたのだ。その会議のために、国内の有数の黒人運動選手たちがクレバランドに集まり、アリが徴兵を拒否したことを支持した。白人からの批判を受けながらも会に参加した勇気あるスポーツ選手の中には、バスケットボールのボストン・セルティックス所属の偉大なビル・ラッセルや後にNBA(米国バスケットボール協会)のスーパースターとなる ルイス・アルシンンダーもいた。アルシンダーは後に、名をカリーム・アブドゥル=ジャバーと改名した。

 ジム・ブラウンが、白人の米国からの評判を落としたのは、モハメド・アリ・サミットの開催を呼びかけ、アリが徴兵を拒否したことを支持した後のことだ。
 
 何百万人もの米国の白人たちは1968年のメキシコ・オリンピックの200メートル走で米国の短距離走者であるトミー・スミスとジョン・カルロスが金メダルと銅メダルを取るのを目にして歓声を上げた。しかし、スミスとカルロスがメダルの表彰台で、ブラック・パワー・サルートのポーズ(公民権運動で行われた黒人差別に抗議するポーズ)をとって拳を突き上げたとき、そのことは白人の米国では大きな醜聞になった。

 もちろんこのようなことはスポーツの世界だけで起こっていることではない。偉大な黒人俳優であり歌手でもあるポール・ロブスンは、第2次世界大戦中、ブロードウエイの「オセロ」の演技で白人の聴衆から喝采を浴びた。白人たちは、ロブスンがラトガース球場での全米大学フットボール選手権に参加した時と同じように、彼に歓声を送ったのだ。しかし、ロブスンは、戦後、反人種差別者であり、左寄りの政治観をもっていることを明らかにした際、拒絶されブラックリストに入れられた。

 聞き分けの良い白人の下僕であった黒人のブッカー・T・ワシントンは、1901年にセオドア・ルーズベルトに招かれホワイトハウスで会食した。しかし、米国の大統領の中で、白人の好敵手であり批判家であった、かの偉大なW・E・B・デュボイスに会食の招待を申し出た人はかつていない。デュボイスは、NAACP(全米黒人地位向上協会)の創設者であり、白人至上主義に抗して黒人は武力に訴えた活動をすべきだと主張していた。

 
ベルフォンテは、白人の米国にとってはただの素敵な存在に過ぎなかった。それは、彼が「バナナ・ボート・ソング(デイ・オー)」のようなカリブ海民謡調の歌を歌うハンサムでお気楽な人物だとしか見られていなかったあいだのことだ。彼に対する白人人種たちからの株が落ちたのは、1960年代に黒人の平等を求める闘争に対して説得力のある発言をし、金銭的な支持も行うなど、彼の左派的な世界観が明らかにされたからだ。


 ロブスンは、戦後、反人種差別者であり、左寄りの政治観をもっていることを明らかにした際、拒絶されブラックリストに入れられた。

 白人の南部で広く批判されていた間も、マーチン・ルーサー・キング牧師は、1960年代初頭は、多くの白人米国人からは善良でリベラルでキリスト教徒であり温厚な「善い黒人」だと見なされていた。それは、比較の対象となる完全に「悪い黒人」が当時存在したからだ。優れたそして怒れる黒人ナショナリストであるマルコムXのことだ。しかし、穏健派でリベラルな考え方を持つ白人たちからのキングに対する評価が落ちたのは、キングが自らの急進的な立場を明らかにし、ジム・クロー法の廃止の訴えをしていた南部から彼自身が「相関する3つの悪」と呼んだ①人種差別主義②貧富や階級間の不平等③帝国主義的な軍国主義と対決すべく、北部の都市地域や全米に運動拠点を移したときだ。

 人種差別や抑圧された階級や帝国主義的な戦争に対する闘争に身を捧げた黒人女性は、何千万人もの白人たちに愛されるテレビやラジオの司会者になることは全くあり得なかった。そんなことができたのは、白人の小間使いだったオプラ・ウィンフリーくらいのものだ。ウィンフリーは白人のエゴにすり寄り、大量消費主義的な考えを受け入れ、その利点を利用しさらに白人新世代の「自己愛」という文化に乗っかることによって運を手に入れたのだ。

 彼女以外で、喜んで白人権力に義務的に貢献することによって、個人的な大「成功」を成し遂げた黒人女性には以下の3名がいる。一人目は、コンドリーザ・ライスだ。彼女は、完全な帝国主義者であったジョージ・W・ブッシュの国家安全保障問題担当大統領補佐官をつとめた。二人目は、オマロサ・マニゴールト-ニューマンだ。彼女は、白人主義者であることを公表しているドナルド・トランプが司会をつとめていたテレビ番組『アプレンティス』の中心的なアシスタントを務めていた。三人目は、ドナ・ブラジルだ。人種差別主義者である白人のクリントン一族や他の右派の企業寄りの民主党議員たちに長らく手下として仕えた。

 クラレンス・トーマス、コリン・パウエル、エリック・ホルダー、そしてバラク・オバマが、白人や帝国主義的権力に従順に従うことにより地位を向上させた輝ける黒人男性の例だろう。

 レバランド・ジェシー・ジャクソン・シニアでさえも、ここで言及するに値する人物だ。1990年代の中旬に、彼は南部出身の人種差別主義者であるビル・クリントンの票集めに協力していた。そのクリントンといえば、若い精神障害者である黒人の死刑囚リッキー・レイ・ドクターを冷血にも死刑に追いやった人物だ。クリントン大統領は、人種差別主義者である白人のニュート・ギングリッチやトム・ディレイといった共和党員と共謀して何百万人もの黒人の女性や子どもたちを生活保護の対象から追い出し、人種差別的な投獄を大量に増やし、さらには無慈悲な「三振法(三度目の罪を犯したら終身刑になるという法律)」という法律で人種差別的な警察国家への道を進めた大統領だ。ジャクソンは、こっそりとそんなクリントンのために活動していたのだ。ジャクソン(エレイン・ブラウンが2003年の優れた著書『小さなB(黒人)の怒り』の中で描いている通りだが)は、黒人の監獄を訪問し、黒人の囚人たちに、米国が人種差別でがんじがらめにされているのは、囚人たちが責任を持って期待されるような行動をとっていないからだという講演を行っている。
クラレンス・トーマス、コリン・パウエル、エリック・ホルダー、そしてバラク・オバマが、白人や帝国主義権力に従順に従うことにより地位を向上させた輝ける黒人男性の例だろう。

 聞き分けのいい「善い黒人」というのは、自分の居場所をわきまえていて、革新的に政治を変えようとすることは避け、白人たちが罪の意識を持たず日々を気持ちよく過ごせるようにする黒人だといういやな刷り込みはハリウッド映画で行われている。例をいくつかあげると、①『グリーンマイル』(マイケル・クラーク・ダンカンが、トム・ハンクス演じる白人の監視員の肉体と精神を奇跡的に治癒した巨漢の黒人死刑囚ジョン・コーフィ役を演じた)②(ケアスティン・ウエスト・サバリに言わせれば)「人種差別的なファンタジー映画」である『ドライビング Miss デイジー』(モルガン・フリーマンが忠実な黒人の運転手役を演じ、ジム・クロー法時代の南部を舞台に、彼の雇い主である白人女性となれなれしくも友人になり、彼女の自尊心を満足させるストーリーだ。③『アンフィニッシュライフ』(フリーマンがロバート・レッドフォード演じた苦虫をかみつぶしたような白人牧場主の補佐役として仕える独り者の黒人役を演じた)④『シャーシャンクの空に』(フリーマンが、ティム・ロビンス演じる白人の銀行員の刑務所仲間であり脱獄共犯者であり彼の精神的な支えとなった黒人役を演じた); ⑤『ミリオンダラー・ベイビー』 (善良な老人であるモルガン・フリーマンが、ヒラリー・スワンク演じる白人女性ボクサーのトレーナー役を演じた)⑥さらに(『ドライビング Miss デイジー』と同じ白人監督が撮った映画) 『Mr. Church』 (エディ・マーフィーが、ガンで死ぬ直前の独身の白人女性に雇われ、彼女の娘を養い、最終的には彼の残りの人生すべてをそのナルシストの娘の事実上の父親として過ごした映画)。解説者である黒人のケアスティン・ウエスト・サバリは、昨年ルート誌で『Mr. Church』について適切な批評を以下のように記している。

 「白人のハリウッドは、白人米国人の小世界を映しているものでないと全く成り立たない。それは黒人たちが、自分の気持ちをごまかして、飼い主に言われるままかいがいしく働く馬のように、「はい、だんなさま;いいえ、奥様」と聞き分けよく振る舞う世界だ。黒人が生活を変えてしまうような敵対する存在ではだめだ。この国においては、画面上で崇拝という形で表現されるそのような忠実な黒人たちは特別な好感をもたれるのだ。これは、リベラルな白人が黒人たちを彼らの世界から救い出しているという幻想だ。実際は白人たちがその黒人たちにより仕えられ救われているのに、だ。さらに、「黒人たちは永遠に従者的な階級に置かれ、社会に参加できるのは条件つきだ」という権力関係を強化する大量のイメージを常に流し続けている。その規則の第1条は、「可能な限り黒人たちを人から怖がられない存在として描くこと」。この規則が白人の映画制作者たちの心からしばしば出現する規則なのだ。つまり、黒人たちは自分たち白人を保護してくれる目立たない存在であり、黒人たちを平等になりたいと思ったり願ったりしていないという状況下に置くのだ」

「モルガン・フリーマンは、あの人種差別主義者である“ゴールド・ウオーター・ガール”のヒラリー・クリントンがドナルド・トランプに敗北したのは「ロシアの介入」のせいだとクリントンの民主党と一緒になって非難している」

 上記の映画目録で、何回もモルガン・フリーマンの名が繰り返されたことに気づいて欲しい。『ワイルド・チェィンジ』(1989)において、フリーマンはニュージャージー高校の黒人校長ジョー・クラーク役を演じ、白人から賞賛を浴びた。それは、クラークがスラムに住む黒人生徒たちを野球のバットでむち打つこと(クラークによると、それは“奴らが分かる唯一のことば、すなわち暴力”)で、責任ある人間に矯正させたからだ。こういうやり方が、黒人が成功するために忠実に白人の主人に仕えるという定番のコインの裏側にあたるものだ。つまり、社会でのきちんとした振る舞いを少ししか身につけていなかったり、間違った振る舞いを身につけてしまっている自分と同じ人種である黒人たちをたたきのめすというやり方だ。これこそが、囚人の数を増やすのに取り組んでいたクリントンを援護射撃していたころ、レバランド・ジャクソンが黒人の囚人たちに対して唱えたお経の中身だ。

 今フリーマンは白人権力者にこびをうるという危険な賭けをしている。不合理な集団である白人の「リベラル」やネオコンや新マッカーシズムたちで構成される「ロシア調査委員会」が作成した動画に出演したのだ。このばかげた動画の中で、フリーマンは「ゴールドウオーター・ガール」であった人種差別者ヒラリー・クリントンが、「ロシアの干渉」のせいでドナルド・トランプに敗北したことを糾弾するクリントン民主党と歩調を合わせている。敗北の原因を、ヒラリーの気がめいるような性格であったり、人種主義的な考え方であったり、社会経済を重視する考え方であったり、帝国主義の保守的な考え方のせいにはしないで。

 バラク・オバマと彼を操る者たちは、白人の米国の「善い黒人」と「悪い黒人」の区別をしっかり理解していた。彼らは自信をもって、オバマを「ジェシー・レバランド・ジャクソンとは違う黒人」として売り出した。オバマは白人至上主義の決まりに則って行動していた。彼は無情にも、彼が師事した昔から「悪い黒人」だった牧師、怒れる反人種主義者で、反帝国主義者であった聖職者のジェレマイア・ライト師を捨て去り、それを踏み台にして権力への階段を登ったのだ。大統領として、オバマは注意深く、敏感な白人の人種差別主義者のボタンを押さないよう気をつけていた。オバマは自分が黒人であるというアイデンティティを上手く使ったことで、そのボタンがすでに押され、白人の人種差別主義者たちを刺激していることを知っていた。オバマ大統領は、黒人に特化した問題については注意深く距離を取り、人種については常におぼろげな表現を使っていた。そうすることで、白人のウオール街の権力者たちの権力と富をまもり、世界中に展開する白人による帝国主義的な侵略を、サブサハラ地域にまで拡大して前進させることになった。

「彼は無情にも、彼が師事した昔から「悪い黒人」だった牧師、怒れる反人種主義者で、反帝国主義者であった聖職者のジェレマイア・ライト師を捨て去り、それを踏み台にして権力への階段を登ったのだ」

 在職中オバマがやってきたことは、黒人有産階級の同盟であり、白人を喜ばせるような同盟である新・全米都市同盟が貧しい黒人たちや労働者階級の黒人たち(「黒人のおじちゃん」とその仲間たち)に、「どうすればもっと人から尊敬される人間になれるか、どうすればもっと白人のようになれるか」について説教をする癖をつけたことだ。オバマは、米国黒人たちに、責任感をもち、適切な文化を身につけ、白人たちをほっとさせるような身のこなし方で物事を考えたり、行動したりする必要性を説いた。そうすることによって、人種問題に目をつぶった米国資本主義体制から与えられるであろう偉大な「チャンス」を手にすることが出来ると。その資本主義体制は、候補者だったオバマが選挙のために著した2006年の大いに保守的な著書である『大いなる希望を抱いて』(この著書のタイトルは下品にもオバマが見捨てたレバランド・ライトのことばから借用したものだ)の中で描かれているものだ。オバマは、その資本主義体制を「人類史上最善の幸福」の源であると表現している。

 スポーツの話に戻ろう。自らが人種差別主義者であると公言しているドナルド・トランプ米国大統領がナショナル・フットボール・リーグ(NFL)について最近発言したのだが、そのことばの中にある白人たちの激しい醜さに目を向けて欲しい。先週アラバマ州において、トランプは、人種差別主義者である白人の支持者たちの心に語りかけていた。そのとき、トランプは、米国国歌が演奏されている間に膝をつくことで、米国が殺人的であり人種差別的である警察国家になっていることに抗議した黒人のプロアメフト選手たちに怒りをぶちまけた。さらに、トランプはNFLが死に至るような選手同士の衝突を防ぐ取り組みをしていることに対しても、ののしりの声を上げた。アメフトというスポーツは、CTE(慢性外傷性脳症)や他の脳の病気を引き起こすという圧倒的な証拠があるにも関わらず、だ。

「NFLのオーナーの一人が、こう口にするのを見たくはないか?そう、誰かが我々の国旗を侮辱したときに、「あのくそやろうを今すぐフィールドからつまみ出せ。クビだ。クビだ。(歓声)。」そうしようと思っているオーナーは、きっと何人かいるさ。そのオーナーの一人はこういうだろう。「あいつは俺たちの国旗を侮辱した。クビだ」。そんなオーナーは、この国で一番の人気者になれるだろう」

「NFLの面白さが下がっている。大幅に、だ。その理由は、もし強く攻撃しすぎたら、15ヤードのペナルティになるからだ。そんな奴はゲームから放り出せ。そんなルールがゲームをつまらなくしているんだ。ほら、あいつらがやりたいことはこうさ。攻撃することさ。攻撃したがっているんだ。そんなルールが、ゲームを面白くなくしているんだ!」

「でも、もっとゲームをつまらなくしているのは何かわかるか?みなさんがテレビをつけたとき、我々の偉大な国歌の演奏中なのに、膝をついているやつらが映っていたとしたら。そんな姿を目にしたら、そんなことをしているのがたった一人の選手だったとしても、球場を後にしよう。ささっと身支度をして出て行こう。さっさと出て行こう。こんなゲームは二度とごめんだ、二度とだ」

「俺たちのような白人が求めているのは、黒人の善い運動選手たちが文句も言わず、お互い血を流し合って死ぬまで闘う姿だ」

  このトランプの演説は、本当にとんでもないちっぽけな人種差別主義者の怒りにまかせた演説だ。いったい何を言っているのか?以下は、トランプがいわゆるSNS上で2日前につぶやいたアメフトについてのコメントを私が分析したものだ。

 「黒人男性の数は米国民の6%くらいになるが、NFLの登録選手は70%だ。巨大プランテーション農場のボスであり人種差別主義者であることを公言している白人主義者のドナルド・トランプが望んでいるのは、黒人たちがSTFU(=Shut The Fuck Up、黙ること)し、アメフトリーグが、選手たちが脳に損傷を受けざるを得なくなることに対する心配をしなくなることだ。その脳の損傷が起こる原因は、国技的なスポーツである神聖なアメフト競技において何度も繰り返される超高速での衝突のせいであると考えることが自明でありまた自然だ。NFLのファンは不均衡に白人ナショナリストが多く、裕福な者も多く、白人も多い(球場のファンの85%以上は白人だ)が、そんなファンたちやトランプ主義(ファシスト予備軍)の支持者たちも、トランプと一緒になって口角泡を飛ばしている。基本的に彼らが求めているのは善い黒人の運動選手たちが、文句も言わずにお互い死に至るまで血を流し合って競技する姿だ。「俺たちを楽しませてくれたらいい。あとは黙っておれ。それがおまえたちの役目だ。さあ、ボールを出せ!おー、あの攻撃を見たか?すごい。もう一度あいつをもっと激しく攻撃しろ。もっと激しく、だ。さあ、担架がきた。さあ、あのくそ野郎(このことばは、トランプが殺人的で人種差別的国家である米国に抗議するため膝をついた黒人の選手たちを呼ぶときに実際に使ったことばだ)をフィールドからつまみ出して、新しい奴を出せ。さあ」。基本的に、奴らが望んでいるのは、人種差別的な闘犬であり、闘鶏ショーだ。どれだけトランプは、アラバマでのアメフト暴言の際の「あのくそ野郎」ということばの前に「黒人の」ということばを入れ込みたかっただろう!もしそのことばを入れ込んでいたなら、トランプが得た歓声はもっと大きなものになっていただろう」

 戦闘的で無慈悲な白人大統領と彼の仲間である白人主義者のアメフトファンたちは、選手たちが「善い黒人」であることを望んでいるのだ。それは、従順に自分自身を傷つけることにより、多数派である白人たちと自分たちの直属の上司である白人たちに忠実に従うような黒人のことだ。

 優れた技術をもつクオーターバックのアルコリン・キャパニックは白人種族主義者であるNFLのオーナーたちにより、“ブラック”リスト入りさせられたが、彼も、「善良」であり白人たちを楽しませる黒人から「悪い黒人」へのラインに踏み込んだ多数の有名な黒人の中の一人だ。それは、キャパニックが人種差別主義に対して謙虚な形で公に意思を表明したからだ。具体的には、全米で起こっている白人警官による黒人殺害事件に対する抗議だった。

 個人的には、私はオレンジ色を帯びた野獣(トランプのこと)やNFLの人種差別主義的な白人ファンたちに、くそったれだと言いたい。奴らにユニフォームを着させて、お互い闘わせて球場の駐車場で白人種族主義者たちの脳みそを飛び出させてやろう。この格式ある白人たちの闘技場の群衆たちを巨大な再教育キャンプに連れて行こう。そのキャンプでは、フランツ・ファノンや、W.E.B・デュボイスやマーチン・ルーサー・キングやマルコムXらのボスターが貼ってあり、彼らが、白人たちが風力原動機や太陽光パネルを日の出から日没まで作り続けているのを監視している。白人たちのきわめてくだらない退屈なSUVと薄型テレビを闘技場の駐車場と奴らの豪邸から押収して溶かしてしまって水と風と太陽光発電として再利用しよう。

 白人たちを守り、生きるために必要な生態系のために白人たちを指導する仕事は、大規模な「元囚人の社会復帰のための就職先提供事業」として、何百万人もの米国黒人たちにしてもらえばいい。そう、その黒人たちは、新しいジム・クロー法によって課された終身刑という重罪を取り消してもらってその仕事をやればいいのだ。

 これが、私が本当に起こったらいいのにと思っていることだ。

Paul Street’s latest book is They Rule: The 1% v. Democracy (2014). This essay appeared previously, under a different title, on Counterpunch

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