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またぞろ世界戦争を煽り始めた英米。その目論見を金輪際許してはならない

<記事原文 寺島先生推薦>
They’re at it again… the U.S. and Britain, inciting global war, must be defeated for good
出典:Strategic Culture 2024年11月22日の社説
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年11月25日


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© Photo:Public domain


米国の帝国的侵略者とそのNATO戦線は敗北に終わるのか、それとも世界を最終的な世界戦争へ追いやるのか。

今週は世界にとって運命の分かれ道となる。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は重大な発表の中で、ウクライナにおける3年間の代理戦争は今や世界的な次元に達していると述べた。

この破滅的な瞬間の責任は、米国のエリート主義支配者とその共犯者である英国にある。彼らは自分たちの覇権帝国を守ろうと必死になって、世界の破局を煽っているのだ。

11月21日のプーチンの発表は、ロシアが英米の侵略に対する報復攻撃を開始したわずか数時間後に行なわれた。ロシアの新型極超音速弾道ミサイルは、ウクライナ中部のドネプロペトロフスクにある軍需センターを破壊した。オレシュニクと呼ばれる通常兵器を搭載したミサイルが初めて実戦配備された。マッハ10の速度で複数の弾頭を発射した。このような特異な兵器に対する防空手段はない。

オレシュニク攻撃は、11月19日と21日に米英がロシア連邦の紛争前の領土に対して長距離ミサイルを発射したことに対するものだった。米英軍が直接関与したことは間違いない。モスクワが指摘するように、ウクライナ政権にはこうしたNATOの最新兵器システムを運用する人員も兵站能力もないからだ。

結論は明白だ。世界は第三次世界大戦の瀬戸際にあり、それは必然的に核の大火となり、地球上の生命の終焉を早める戦争である。この人類が直面している災厄を想像するだけで目もくらみそうだ。

大衆へ欧米が発信する見え透いた嘘

滑稽なことに、あるいはもっと正確に言えば、狡猾に、西側の政治家やメディアは今回の事態の拡大的進行についてロシアを非難している。彼らの告発は事実と著しく矛盾している。西側の大衆は、戦争の流れと原因について嘘を並べ立てられている。

無謀極まりない行動として、米英はウクライナ領内から長距離ミサイルでロシアを攻撃した。ATACMS(エイタクムス)とストームシャドウは、ロシア西部のブリャンスク州とクルスク州を狙って発射された。アメリカ製ミサイルATACMS(エイタクムス)はロシアの防空によって撃墜され、イギリスのストームシャドウ巡航弾はクルスクで死者を出した。

この攻撃は、米英によるロシアに対する公然の戦争行為であった。それゆえ、ロシアの指導者は、ウクライナにおける代理戦争は今や世界的な次元に達したとコメントした。

このような兵器をロシア領土に配備すればモスクワは戦争行為と見なすだろう、とロシアは数週間前に、はっきり警告していたにもかかわらず、米英の指導部はこの侵略に踏み切った。また、ロシアが11月19日に核防衛ドクトリンを改定し、核保有国(米英)から供給された非核保有国(ウクライナ)の領土からの長距離通常兵器の使用は共同攻撃となり、ロシアに核武力による報復の権利を与えると定義したわずか数時間後のことだった。

こうして事態は世界核戦争の領域に突入した。

米国と英国がATACMSとストームシャドウミサイルで攻撃を開始したからには、ロシアはこれらの地域とNATO同盟の他の地域を攻撃する法的権利を持つことになる。ロシアは今回そうした選択は取らずに、オレシュニクの標的をウクライナの領土に限定した。

今後数日間で何が起こるかは、米国とそのNATO加盟国次第だ。これまでのところ、ホワイトハウスと国防総省は(非常識にも)戦況悪化の原因をモスクワに求め、米国はウクライナからロシア領土への長距離ミサイルの配備を継続すると言っている。狂気が勝つかどうかはまだわからない。

ロシアは信じられないほどの自制を示している。

米国とNATOが何カ月にもわたって、いや何年にもわたって執拗な挑発行為を繰り返してきたにもかかわらず、ロシアは行動を激化させるどころか、信じられないほどの自制を示してきた。

米国とその同盟国は、腐敗したネオナチのウクライナ代理政権を継続的に武器として利用してきた。ウクライナの元大統領で女装コメディアンのウラジーミル・ゼレンスキーは、今週、欧州議会でスタンディング・オベーションを受けた。ロシア政府はこうした動きが世界大戦につながると繰り返し警告している。

この狂気は、「ロシアは虚勢を張っている」という傲慢な西側の考えとともに、ゼレンスキーのより多くの武器と数千億ドル相当の西側の納税者への飽くなき要求によって増幅されている。

なんという妄想だろう! 西側の指導者たちはロシアンルーレットに興じているのだ。米国とNATOの同盟国は、今やロシアによる攻撃の正当な標的なのだ。ロシアは今週、西側諸国の防衛を突破する能力を持っていることを証明し、ロシア領土をさらに攻撃すれば、それには応じる、と警告している。

プーチン大統領は、西側の支配エリートたちに、自分たちがしようとしている選択についてよく考えるよう警告した。奈落の底から撤退し、代理戦争の外交的終結を交渉することもできる。あるいは、避けられない惨事へとエスカレートし続けることを選ぶこともできる。

理性を逸脱した西側支配層

しかし、深刻な懸念は、西側の支配層が理性も正気も逸脱しているように見えることだ。米国の覇権国家は、グローバルパワーとしての末期的崩壊と帝国覇権の喪失という存亡の危機に直面している。ロシアと戦争を始めることは、たとえ破滅的な状況に陥っても、米国に率いられた西側帝国主義体制が対応できる唯一の方法であるようなのだ。

ここで重要なのは、バイデン政権があと数週間で不名誉な形で退陣することだ。ドナルド・トランプ次期大統領は、迅速な交渉を通じてウクライナ紛争を終結させると約束した。米国のディープ・ステートは苦境に立たされている。

アメリカ国民が11月5日にトランプに投票したのは、バイデン政権と民主党、そしてディープ・ステートの恒常的な戦争主義に従順に固執する民主党を否定するためであった。

1月20日のトランプ大統領の就任を前に、米国の支配層は交渉による解決を阻止するためにウクライナでの代理戦争を必死に推し進めている。

バイデンがATACMS(エイタクムス)の使用を承認し、英国の手下であるキーア・スターマー首相がそれに続いたのは、厚顔無恥なUターンだった。わずか一カ月前には、彼らはそのような動きを拒否していたのだ。トランプ大統領の当選とロシアとの外交の見通しにより、西側の体制派は代理戦争を激化させている。

2022年2月24日にロシアがNATOの侵略を阻止するための特別軍事作戦を開始して以来、今週でウクライナ紛争は1000日目を迎えた。紛争は最も危険な地点に達している。

ロシアは今週もまた、外交的解決に前向きであることを繰り返した。2021年末に敵対行為を防ぐための遠大な安全保障案を提示したときと同様である。西側のエリートたちはその機会を逸し、代わりに戦争の道を選んだ。彼らはまた、2014年と2015年のミンスク合意、そして2022年3月のイスタンブール和平合意を台無しにした。何百万人もの犠牲者を出してもなお、彼らは 「民主主義とルールに基づく秩序を守る」というグロテスクな仮面をかぶって、さらなる戦争、虐殺、世界規模の戦争を望んでいる。

アメリカ国民はこの紛争の終結を望んでいる。トランプ次期政権は、この民意を尊重する意向のようだ。

しかし、正気、道徳、民主主義は、米国の帝国主義支配層とNATOの共犯者が共有する資質ではない。

アメリカのディープ・ステートによるクーデター、その昨今

注目すべき点がいくつかある。11月22日は、61年前に米国の大統領JFKが米国のディープ・ステートによって殺害された日だ。クーデターは、米国の軍国主義と軍産複合体の経済的既得権のために、ソ連との冷戦を維持するという目的のために実行された。

ここ数年はずっと米国のディープ・ステートは、ウクライナでの代理戦争の平和的な終結を求める米国民の民主的な願いに反して、別のクーデターを試みている。米国の支配エリートは、彼らの利益を維持し、帝国の実存的な理由のために、ロシアとの戦争が持続することを望んでいる。ジョー・バイデンは、トニー・ブリンケンやジェイク・サリバンのようなディープ・ステートの工作員が目の前に押しつけた命令に署名している脳死状態の大統領だ。そして、彼は老人ホームに迷い込むか、今週ブラジルで開催されたG20サミットの陽気な写真撮影のようにアマゾンのジャングルに迷い込むのだ。

ウクライナ代理戦争はナチス・ドイツに逆戻り

このような長い視点で見れば、ウクライナの代理戦争をより広い歴史的文脈の中に適切に位置づけることができる。ウクライナ紛争は2022年2月に始まったわけではない。2014年2月、選挙で選ばれた大統領に対してCIAが支援したキエフでのクーデターで始まったわけでもない。2004年に米国が資金援助したウクライナのオレンジ革命で始まったわけでもない。この対立は、少なくとも1945年にソ連がナチス・ドイツに勝利したときにまでさかのぼる。そのとき、アメリカとその帝国主義同盟国は、NATOとして知られる新しく作られた帝国主義の道具によって冷戦を作り出し、一部にはロシアを秘密裏に攻撃するためにウクライナのファシストの協力者を配置することによって、即座に対応した。第二次世界大戦後、CIAとラインハルト・ゲーレン少将のようなナチスの残党は、イギリスのMI-6とともに、ソ連を打ち負かすために一致団結した。今日ウクライナで起きていることは、本質的に西側の帝国権力を誇示し、維持するための組織的な対立の集大成である。

ロシア、中国、BRICS、そしてグローバル・サウスの台頭は、世界的な権力と特権を維持しようとする西側の帝国主義的な怒りと敵意を増幅させた。この世界的な権力と特権の覇権的西側システムは、典型的なファシズムと新植民地主義である。

歴史的宿敵

この岐路には、深い歴史的宿敵がいる。米国の帝国的侵略者とそのNATO戦線は敗北に終わるのか、それとも世界を最終的な世界戦争へと突き進むのか。

ロシアは虚勢を張っているわけではない。第二次世界大戦だけで2700万人から3000万人が死亡したファシストの圧政を倒すために、すでに歴史的な犠牲を払っているため、引き下がることはない。ロシアは、帝国主義の侵略による痛みと苦しみのために、西側の政権が決して理解したり真似したりできないような方法で、挑戦的で毅然とした態度をとっている。

正気が勝つだろうか? アメリカ国民とヨーロッパ国民は、犯罪者であるエリート支配者の責任を追及する重大な義務を負っている。

「我がミサイルの後にあるのは静寂のみ」。ロシアの黙示録的戦術がついに開始!! 世界は終末に向かうのか !?

<記事原文 寺島先生推薦>
“After us, silence”: Russia’s “apocalyptic” troops officially engaged in the special military operation
筆者:ルーカス・レイロス(Lucas Leiroz)
出典:Strategic Culture Foundation 2024年11月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年11月25日


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ロシア連邦は初めて戦略ミサイル部隊を使用したが、これは緊張の高まりの始まりに過ぎない。

2024年11月21日は、伝説的かつ恐れられているロシア連邦戦略ロケット軍(RVSN)が初めて実戦展開した日としてロシアの軍事史に残ることになるだろう。

ソ連時代に創設されたロシア海軍特殊部隊は、大陸間弾道ミサイルの兵器庫を管理するロシア軍の独立部門であり、まさに「黙示録の軍隊」、つまり地球規模の大惨事を引き起こすことができる火戦力を担当している。もちろん、ロシア海軍特殊部隊は、キューバ危機やノルウェー事件など、冷戦中のすべての主要な核緊張に関与していた。ロシア海軍特殊部隊は、これまで何度も戦闘警戒態勢を敷いてきたが、実際の軍事衝突はこれまで一度も起こっていない。

しかし、NATOは予想を上回る程度にロシアに対する挑発行為を激化させ、ウクライナ紛争を史上最も危険な安全保障危機に変えることに成功した。西側諸国-ウクライナ側が、(ロシア)連邦の紛争のない領土に対する長距離攻撃を中止するよう求めるロシアの再三の警告を無視したため、ロシア側は最も恐れられている軍隊を召集し、前例のない作戦を承認する以外に選択肢がなかった。

標的として選ばれたのは、ドネプロペトロフスクの軍事装備工場だった。使用された兵器は、これまで実戦でテストされたことのない新型ミサイルで、「オレシュニク」という愛称がついていた。ウクライナにとって幸運だったのは、このミサイルに核弾頭が付けられていなかったことだ。それでも、驚くべき速度と高い殺傷力をもつ通常兵器として機能した。

ドネプロペトロフスクへの攻撃から理解すべき主な点は2つある。ひとつは、これはロシア側にとってのテストであり、初めてオレシュニク・ミサイル技術を実際の戦闘状況で使用し、その絶対的な有効性を確認する機会を得た点だ。もうひとつは、この攻撃は敵にとって一種の「最後の好機」となり、ウクライナに対する大きな警告となった点だ。

ロシア側は、ウクライナによるブリャンスクとクルスクへの攻撃に核兵器で応戦することもできただろう。そうした決定は、ロシアの核戦略の最近の改革に完全に沿うものだったはずだ。しかし、クレムリンが決定をくだす際には、再び慈悲と緊張緩和への願望が優勢となり、「最終的解決」の前にNATOとウクライナの双方に警告が発せられることになった。

NATOにとって、その伝言は明確だった。ロシアの大陸間弾道ミサイルを阻止できる軍事技術は存在しない。核兵器使用の決定が下されれば、大西洋同盟とその代理勢力はそれを阻止する術もなく、標的は攻撃されることになるだろう。

ウクライナにとって、警告はさらに深刻なものだった。ロシア側は、ネオナチ政権を「助ける」人はない、と明言した。明らかに、ロシアの攻撃は米国によって適時に察知されていた。さまざまな監視事業には何千人もの監視員が参加しており、彼らの具体的な任務は、そのような動きを察知し、核危機が発生した場合に間に合うように対応を準備することである。言い換えれば、米国側は攻撃が起こっているのを察知しながら、何もしなかったということだ。

おそらく米国は恐怖から反応を控えたのだろう。あるいは標的がウクライナであると想定したために反応を控えたのかもしれない。しかしいずれにせよ、反応はなかった。米国側は、標的が撃たれて数分後まで、ロシアの弾頭に核物質が含まれていたかどうかの確認もなしに、核報復の緊急計画を発表しなかった。言い換えれば、米国は危険な不確実性に直面し、沈黙を守ることを選んだのだ。

米国の不作為は、ウクライナに与えられた最高の警告だった。米国は、自分たちの代理人を守るために何もしないことを明言したのだ。ロシアがウクライナに対して核兵器を発射すれば、ウクライナ当局は独力でその結果に対処しなければならない、ということだ。それ以上に、ロシアの攻撃がNATOを標的にするかどうかを米国が予測できなかったことを強調しなければならない。だからこそ、即時の報復作戦がおこなわれなかったことはさらに深い意味を持ち、西側同盟の「集団防衛」さえも疑問視されることになるのだ。

ウクライナ人が教訓を学び、緊張緩和に着手していればよかったのだ。しかし、事件から数時間後、ウクライナ当局は再び長距離ミサイルを使用し、今度はクラスノダールを攻撃し、暴力を前例のないほど激化させた。言い換えれば、ウクライナ人は、自分たちだけで戦うこと、そして外国からの支援がなければ核戦争の結果に苦しむことになることを知りながらも、越えてはならない一線を越え続けているのだ。

緊張が高まっている時期にこれらの主題について書くのは困難だ。なぜなら、すべてがいつでも変わる可能性があるからだ。この分析が発表される頃には、ウクライナは報復に直面する可能性があり、私がここで述べたことはすべて遅れた情報になるかもしれない。しかし、クレムリンの今後の決定にかかわらず、11月21日はロシアの軍事史における画期的な日であり続けるだろう。今や大陸間弾道ミサイルが戦場に配備され、ロシア海軍は特別軍事作戦に本格的に参加している。

ウクライナ側の意思決定者たちが、RVSN の宣伝文句である「我々の後は沈黙しかない」ということばを思い出すのは興味深いかもしれない。これらの部隊が全力を発揮する許可を得た瞬間、敵陣に音はなくなるだろう。ウクライナ側が縦深攻撃をやめなければすぐに手遅れになるだろう。

9/11を実行したのは、イスラエルである。

<記事原文 寺島先生推薦>
Israel Did 9/11
筆者:ワイアット・ピーターソン(Wyatt Peterson)
出典:The Unz Review 2024年9月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年10月15日


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2004年9月11日、ニューヨーク・タイムズ紙は9-11同時多発テロ発生から三年経った節目としてある意見記事を出した。その記事は、その日に起こったことについての重要な事実が政府諸機関により隠蔽され続けていることの認識から書き始められていた。

「9/11発生以来3年間、私たちが認識し始めた事実は、何が起こったかが分からなくても何が起こったかを知ることは可能である、という点だ。つまり、個人や人々が知っている事実と真に公開されている事実の間には差異がある、ということだ。9/11調査委員会が出している報告は、私たちが公式に知る必要がある情報の一部である。それ以外の答えは不足している」

全国紙がこのような書き方をした記事を載せるのは尋常ではない。米国民が、世界を変えるような大事件について、公共の福祉に奉仕するものとして選ばれた政府がついたウソを飲まされざるを得なくなっている状況を示唆することは、この報道機関には、この日に本当に起こったことを突き止め、その責任者を追求する意思がないことを示している。三千人近い米国民が白昼殺されたのに、世界の人々にはありえない説明しか与えられなかったのに、事件からまだ3年しかたっていなかったあの時点で、ニューヨーク・タイムズ紙は誰が、なぜあのようなことをおこなったかの調査に踏み切ろうという意思は持っていなかった。

米国に真に真摯な報道機関が存在するのであれば、あんなあからさまな攻撃を起こした下手人らが無罪放免で逃げ切れるような事態にはならなかっただろうし、「カッターナイフしか持っていなかった19人のアラブ人が世界最強として知られていた最も洗練された技術を持つ最先進国米国を出し抜いた」という明らかにおかしい嘘話がまかり通ることはなかっただろう。公式説明が真実ではありえないことを示す基礎情報は無数に存在しているのに、報道機関は最大限の努力を払ってその全ての証拠を無視し、 不都合な真実を提示するものは全て、呪わしい「陰謀論者」である、として誹謗中傷してきた。驚くべきことに、2001年9月23日という早い時期に、政府の公式説明に異論を唱え、19名の「乗っ取り犯」のうち5名は生きており、サウジアラビアやモロッコで無事に暮らしており、9/11の朝に、ニューヨークやワシントンDCの近くにはいなかったことがわかった、という記事が報じられた。この衝撃的な報道があったにもかかわらず、この19名の顔や名前は、9/11の実行犯であるという事実が変えられることはなく、この衝撃的な報道は、それ以外の他の多くの報道と同様にオーウェルの小説に出てくる「空白の記憶の穴」に急いで放り込まれた。

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そうなれば、聞きたくなるかもしれない。「では本当にやったのは誰なのか?手段と動機、機会をもっていたのは誰なのか? 誰が9/11という衝撃的な犯罪を起こし、その後、自分たちの痕跡を隠そうとしたのか?」と。

では、手始めに、ウサマ・ビン・ラディンと彼の手下である中東の40人の盗賊は容疑者から外して問題なかろう。これらの二流悪党には洗練さが欠けており、9/11に匹敵するような大それた事件を起こせる執行機関も持っていなかったからだ。実際、FBIの「最重要指名手配者のテロリスト」とされたビン・ラディンポスターには、9/11に関することは全く記載されておらず、書かれていたのは1998年の2件の米国大使館爆撃事件のことだけだった。記者にその理由を問われたFBIの当時のレックス・トゥーム捜査活動担当部長は、以下のように返答した。「ウサマ・ビン・ラディン容疑者について、9/11の件が記載されていない理由は、FBIにはビン・ラディン容疑者と9/11を結びつける確固とした証拠を有していないからです」と。多くの米国民には知られていないことだが、1980年代のソ連によるアフガニスタン侵攻の際、ウサマ・ビン・ラディンの名はCIAの工作員名簿に記載されており、ビン・ラディン一族は米国支配者層内の何人かと仕事上の繋がりを持っていた。(1978年、ジョージ・W. ブッシュとウサマの兄サーレム・ビン・ラディンは、テキサスに拠点を置くアルブスト・エネルギーという石油会社を設立した。ビン・ラディン一族とブッシュ一族は長期に渡って仕事上の付き合いを持っていた。)

9/11のような激しいテロ事件の首尾は、標的となる観衆を騙すためにどんな煙幕をまくかにかかっている。背が高く、浅黒い肌の色をして、ターバンを頭に巻いたビン・ラディンの姿は、米国民にとって、テロリストの見本となるくらいの完璧な風貌だった。9/11が起こるまで何年もかけて、ハリウッドはテロリストのこのような典型的な風貌を民衆に植え付け、このような姿の刷り込みは意図的な効果を狙ったものだった。ランド研究所のブライアン・ジェンキンスは、1974年に以下のように語っていた。「テロ行為の目的は、それを見ている人々を標的にしたものであり、実際に被害を受けた人が標的ではありません。テロ行為とは劇場で見せる出し物のようなものなのです」と。9/11などのテロ事件について調査する際は、これらのことばを念頭に置く必要があり、これらのテロ事件の多くが、「SITE諜報団」のリタ・カッツのようなイスラエルの工作員により説明されていることにも注意が必要である。

9/11のような作戦の遂行に何が伴うかについては、攻撃の直後に、ドイツの国内諜報機関である連邦憲法擁護庁長官のエックハルト・ヴェルテバックからいくらかの洞察が得られていた。ヴェルテバックは2001年後半、調査記者のクリストファー・ボリンに対し、「致命的な精度」と「計画の大規模さ」には、国家情報機関の「固定された枠組み」が必要だったはずだが、それはアルカイダのような「緩やかな集団」のテロリストには見られないものだ、と語った。その後まもなく、ドイツ情報機関の元長官アンドレアス・フォン・ビューローもボリン記者に次のように語っていた。「攻撃の計画は、技術的にも組織的にも見事な成果でした。数分から1時間以内に4機の巨大飛行機を乗っ取り、複雑な飛行操作で標的に突っ込むことは、国家情報機関の長年の支援なしには考えられません」と。元CIA分析官で米国務省の対テロ対策副局長だったラリー・ジョンソンは、今回の攻撃について「歴史上、これに匹敵するものはありません。これに近いのは旧ソ連の諜報活動だけです」と語り、ドイツ側の評価にかなりの信憑性を与えている。

明らかに、9/11攻撃は、成功させるには何年もの計画と、政府や軍、報道機関からの膨大な支援を必要とした極めて高度な作戦だった。無国籍の寄せ集めの過激派組織が、大した抵抗もなく、これほどの規模の犯罪を遂行できたというのは、まったく笑止千万だ。

得をしたのは誰なのか?

「我々はツインタワーとペンタゴンへの攻撃、そしてイラクにおける米国の戦争から利益を得ている。」—ベンヤミン・ネタニヤフ、「ネタニヤフ首相、9/11攻撃はイスラエルにとって良いことだと発言」ハアレツ紙(2008年4月16日)

9/11のようなテロ行為が起きたとき、常に問われるべき質問は「誰が得をするのか」である。誰が得をするのか。これが非常に重要な質問である理由は、歴史が「犯罪から得をするのは、その犯罪を犯した本人である可能性が高い」と教えているからだ。2万人以上が死亡したと思われた9/11の日に、ベンヤミン・ネタニヤフ首相はニューヨーク・タイムズ紙の記者ジェームズ・ベネットのインタビューに驚くほど前向な態度を示していた。

「今夜、この攻撃が米国とイスラエルの関係にどのような意味を持つかと問われ、ベンヤミン・ネタニヤフ元首相は『非常に良いことです』と答えた。その後、彼は『まあ、非常に良いというわけではありませんが、私の言っていることには、おいおい共感が得られるでしょう』と発言を訂正した。」(『テロの日:イスラエル:流された血は両国を近づける絆とみられる』ニューヨーク・タイムズ紙、2001年9月12日)

さて、自分自身に問いかけていただきたい。たったいま起こったことを、どんな理由があろうとも「とても良い」と正気で評する人とはどんな人だろうか? 答えは、この残虐行為に何らかの利益を見出した人だけだ。7年の間隔を置いておこなわれた、上記に引用したネタニヤフ首相の率直な発言から明らかになったのは、9/11 がイスラエルにとって間違いなく有益であったことを私たちに伝えている、という点だ。私が最近書いた記事「ビビ(ネタニヤフ)の対テロ戦争計画」で説明したように、イスラエルの戦略家たちは、イスラエルのための戦争を仕掛けるために、長い間、米軍を中東に引きずり込もうとしていた。必要なのは、適切な口実だけだった。

2001年9月11日までに起こっていたこと

「米国とヨーロッパのすべての諜報機関は、モサドがこの悲惨な攻撃を計画し、実行したことをよく知っている...」 — フランチェスコ・コッシガ、元イタリア大統領、コリエーレ・デラ・セラ(2007年11月30日)

イスラエルがこの攻撃を予知していたことを示す最も古い兆候の一つは、1979年にユダヤ系米国人のマイケル・エヴァンス記者がモサドの創設者イッセル・ハルエルにおこなったインタビューで明らかになった。エヴァンス記者はエルサレム・ポスト紙(2001年9月30日)で次のように回想している。

「私は元モサド長官イサル・ハルエル氏とアラブのテロリズムについての会話を交わした。彼が私に熱いお茶とクッキーの皿を手渡したとき、私は彼に尋ねた、「テロ行為が米国に来ると思いますか、もしそうなら、どこで何のために起こるのでしょうか?」と。ハルエル氏は米国からの訪問者である私を見てこう返答した。「私はテロ行為があなた方の米国で発生することを心配しています。米国にはテロと戦う力はあるが、意志はありません..」と。そしてテロの発生場所について、ハルエル氏は続けて、「ニューヨーク市は自由と資本主義の象徴です。テロリストはエンパイア・ステート・ビルディングを攻撃する可能性が高いです。というのも、その建物が米国で最も高いビルであり(それは間違いだが)、そして米国の国力の象徴だからです。21年後、ハルエル氏の予言の最初の部分が現実になった。違ったのは、ワールド・トレード・センター(WTC)のツインタワーはエンパイア・ステート・ビルディングよりもはるかに高かったことだけだった。

1987年、イサル・ハルエル配下の上級工作員の二人、ピーター・ツヴィ・マルキンとアブラハム・シャローム・ベンダーは、ワールド・トレード・センター(WTC)の警備契約を獲得した。それは両名がシャウル・アイゼンバーグの所有するテルアビブの「アトウェル・セキュリティ社」という会社で働いている間のことだった。マルキンとベンダーは、何十年にもわたってハルエルの下で働き、プルトニウム密輸や1960年のアルゼンチンからのアドルフ・アイヒマンの誘拐など、モサドの極秘任務に関与していた。ハルエルは、ダモクレス作戦の一部としての彼の活動が暴露されると、最終的にモサドの長官の辞任を余儀なくされた。その中には、手紙爆弾の郵送や、エジプト人と一緒にロケット計画に取り組んでいたドイツ人科学者の暗殺などが含まれていた。

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モサドの工作員、アブラハム・シャローム・ベンダーとピーター・ツヴィ・マルキンは、1987年に、シャウル・アイゼンバーグ所有のテルアビブにあるアトウェル・セキュリティ社の代表として、WTCの警備契約を確保した。

ピーター・マルキンとシャローム・ベンダーのアトウェル・セキュリティ社の上司、億万長者の大物シャウル・アイゼンバーグは、極東で非常に強力なモサドの工作員で、ユダヤ人テロリスト集団である「イルグン」と「上海ベタール」の結成を支援した。彼はまた、1970年代を通じてヘンリー・キッシンジャーと緊密に協力し、ポル・ポトのクメール・ルージュのような血に飢えた共産主義暴力組織に武器を密輸した。これらの人々は、さかのぼること1987年から世界貿易センターの警備契約を獲得しようと試みていた不愉快な人物であり、その契約により、ニューヨークの空港や港湾、通勤電車の支配権も得られるはずだった。1984年にイスラエルの国内治安機関シン・ベットの長官を務めていたベンドールが2人のパレスチナ人の10代の青年を殺害した罪で有罪判決を受けたことをニューヨーク港湾局が発見し、取引を中止するまで、すべてが計画どおりに進んでいた。この小さな挫折にもかかわらず、ベンダーはジュールズ・クロールとモーリス・グリーンバーグ所有の会社クロール・アソシエイツ社で働き続け、1993年にFBIが扇動したトラック爆破事件の後、世界貿易センター複合施設の警備契約を獲得した。

民営化

シオニストが世界貿易センターの警備契約を手にしたことにより、次の目標は、この巨大な建造物の所有権を獲得することへと移った。

1972年に開業した日から、ツインタワーはニューヨーク・ニュージャージー港湾局の国営所有となっていた。しかし、2000年までに、市の役人は、修復に何十億ドルもかかると考えられていた時代遅れのアスベストだらけの物件を捨てることを熱望していた。ロナルド・ローダーは、パタキ知事傘下のニューヨーク州民営化委員会とニューヨーク州民営化研究評議会を率いた人物で、最終的にWTC第1と第2ビルを初めて私有化することを決定したのも彼だった。ローダーは、世界ユダヤ人会議の長年の議長であり、ベンヤミン・ネタニヤフが政治界で目立つ存在になったことに最も責任のある人物である、と言われてきた。彼は、ヘルズリヤの学際的センターへの資金提供を通じてイスラエルの諜報機関とつながりがあり、そこでローダー政治・外交・戦略学校を設立した。さらに、ローダーと彼の良き相棒エフード・バラクは、ジェフリー・エプスタインが関わっていた世界規模の悪ふざけの背後にいる原動力となったレスリー・ウェクスナーの「メガ・グループ」の一員だった。

WTC複合施設の民営化は、超シオニストのラリー・シルヴァースタインとフランク・ローウィが、2001年7月にこの施設の99年間の賃貸権を購入する道を付けることになった。そしてその契約には、テロ攻撃を受けた場合に両者の補償範囲を倍増させるように条件を変えられた保険契約も含まれていた。これらの施設には、ジュールズ・クロールとモーリス・グリーンバーグが所有していたエース・リミテッドとマーシュ・マクレナンが保険をかけていたが、その後まもなく、他のさまざまな企業にその負債を売却していた。これらの負債を購入した人々はその後すぐに打撃を受けることになった。9-11の攻撃後、シルバースタインは、これらの施設を購入するために1400万ドルしか出していなかったにもかかわらず、45億5000万ドルの保険金を授与されることになった。それは、我が国の祖先が「ユダヤ人の稲妻*」と呼んできたものの典型的な事例だった。シルヴァースタインはベンヤミン・ネタニヤフと個人的に非常に親しい友人であり(ハアレツ紙は、彼らが何年もの間、毎週日曜日に電話で話していた、と報じている)、フランク・ローウィはかつてイスラエルのゴラニ旅団と地下テロリスト集団ハガナーの一員だった。ニューヨーク港湾局の会長、ルイス・アイゼンバーグ(ネタニヤフのもう一人の取り巻き)が取引を交渉し、シルバースタインとアイゼンバーグの両者は、米国最大のイスラエルの資金調達機関であるニューヨーク統一ユダヤ人アピール(UJA)連盟の役員だった。これらの証拠だけでは不十分とお考えの方に申し添えるが、当時のルイス・アイゼンバーグの上級顧問、マイケル・グラスナーは、巨大シオニスト・ロビー団体、AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)の南西地域政治部長だったのだ!
*ユダヤ人の稲妻・・・ユダヤ人が不正な申し出により保険金を不当に入手する様を揶揄した表現

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9/11後、WTCの共同所有者ラリー・シルバースタインは、この施設を購入するために1400万ドルしか出していなかったにもかかわらず、彼には45億5000万ドルの保険金が支払われた。

WTC1&2の賃貸権を保有していたことに加えて、ラリー・シルヴァースタインは、9/11の午後5時20分に、飛行機にぶつからなかったにもかかわらず、自由落下速度で不可解な崩壊を見せた「ソロモン・ブラザーズ・ビル」であるWTC 7を所有していた。2002年9月10日の米国のTV局であるPBS局の「米国・再建」という番組で、シルバースタインは、事前に仕掛けられた爆発物を使って建物が取り壊されたことを認めるような発言をおこない、以下のように回想していた。

「消防署の司令官から電話があり、彼らは火を封じ込めることができるかどうかわからない、と言ったのを覚えています。私が言ったのは『ご存知のように、私たちはひどい人命の損失を出したので、最も賢明なことはこれ以上被害を出すことを回避することです』ということでした。そして、消防団は撤退するという決定を下し、私たちは建物が崩壊するのを目にすることになったのです」と。

FDNY(ニューヨーク消防局)のダニエル・ニグロ局長は、シルバースタインが語った状況の際の司令官だったのだが、その日、シルバースタインと話したことはなく、シルバースタインと話した人も知らない、と発言している。
以下の動画を参照



「私はシルバースタイン氏の発言をよく知っていますが、私の記憶の限りでは、その日、私は彼とは話をしなかったし、彼と話をした、と私に言った人がいた記憶もありません」と。

予知と準備

「1948年3月、『パレスチナの兵力要件』に関する統合参謀本部の文書は...「シオニストの戦略は、ユダヤ人の最大の目的を確保することを意図した一連の作戦を絶えず拡大し深めることに米国を巻き込もうとするだろう」と予測した」 — スティーブン・グリーン、Taking Sides: America's Secret Relations with a Militant Israel (1984)

イスラエルが9/11攻撃を予知していたことを示す多くの兆候がある。

・ 9月11日の攻撃の直後、5人のイスラエル人が逮捕され、71日間拘留された。ABCニュースによると、最初の飛行機がノースタワーに衝突したとき、この男たちは写真を撮影し、祝福していた。そしてハアレツ紙(2001年9月17日)は、彼らが「歓声を上げ」、嘲笑の叫び声を上げている姿を目撃されたと報じ、その姿を不審に思った目撃者が警察に通報することにつながった、という。男たちはその日の午後遅く、ニュージャージー州バーゲン郡の警察に逮捕され、彼らは複数の外国のパスポートやカッターナイフ、現金4700ドル、そして彼らと陰謀を結びつける疑わしい印が付けられた地図を所持していたことを明らかにした。さらに、バンを検査するために連れてこられた爆弾探知犬は、爆発物の残留物を検出した。バーゲン郡警察署長のジョン・シュミディグは報道機関にこう語った。「ニュージャージー州登録と側面に書かれた白いシボレーのバンを警戒するように警告を受けました。 9-11テロ後に、リバティ州立公園で祝う3人の人物が目撃されました。3人は飛び跳ねていた、とのことでした」と。ニュージャージー州の新聞「ベルゲン・レコード」紙は、翌日の記事でこの事件について報じ、同紙のパウロ・リマ記者は、情報源からの話として、こう記した。「彼らが乗っていた車には何カ所かに印が付けられた地図があった。彼らは9-11のテロに夢中になっているように見えた。何が起こるか分かっているような感じで、リバティ州立公園で過ごしていた」と。後に明らかになった事実は、二人の男、シヴァンとポール・カーツバーグは、モサドの下で働いており、他の男たち、ヤロン・シュミュエル、オデッド・エルナー、オメル・マラマリも、諜報機関と繋がりを持っていたことだった。それ以来、彼らは「踊るイスラエル人」として知られるようになった。

彼らが働いていたニュージャージー州に本拠を置く会社、アーバン・ムービング・システムズ社は、モサドの代理施設であるとして知られていた。信頼度の高いユダヤ系新聞「ザ・フォワード」紙(2002年3月15日)は、アーバン・ムービング・システムズ社がFBIによってイスラエル諜報機関の隠れ蓑として認識されていたと報じ、CIAの対テロ作戦責任者ヴィンセント・カニストラーロは、CIA内ではこの事実が常識である、と明言した。当局に一度尋問された後、アーバン・ムービング・システム社の所有者であるドミニク・スーターは、すぐに店を閉め、事務所の掃除さえ怠るほどの慌ただしさでイスラエルに逃げ帰った。同社を訪れたABCニュースの記者たちは、その光景を「まるで大急ぎで閉鎖されたかのようだった。携帯電話が転がっていた。事務所の電話はまだ接続されていた。そして、何十人もの顧客の財産が倉庫に残っていた」と報じた。(出典:ABCニュース、2002年6月24日)

この攻撃を撮影し、祝福したとして逮捕された5人の男たちは、71日間拘留され、その後、司法次官補でイスラエルの二重国籍者であるマイケル・チャートフの指示でイスラエルに釈放された。ハアレツ紙の報道によると、「二人の著名なニューヨークの議員」が彼らのために激しいロビー活動をおこなったとのことであり、オンライン雑誌「カウンターパンチ」のクリストファー・ケッチャム記者(2007年3月7日)によると、他ならぬジェフリー・エプスタインの不名誉な弁護士アラン・ダーショウィッツが、米国政府との事態を円滑にするために個人的に介入した、という。イスラエルに戻ると、5人のうち3人はヤイール・ラピドのテレビ番組に出演し、米国での生活について話した。彼らが犯罪現場のすぐ近くで何をしていたのかと尋ねられたとき、オデッド・エルナーはこう答えた。「私たちの目的は、その出来事を記録することでした」と。

(動画は原文サイトをご参照ください。訳者)

5人の「踊るイスラエル人」のうち3人は、ヤイル・ラピドのテレビ番組に出演し、彼らが9/11に「事象を記録する」ためにニューヨークにいたことを認めた。

* 9/11攻撃に対する警察の対応を監督したNYPD(ニューヨーク市警察)の署長は、バーナード・ケリックだった。ケリックは、9/11にニューヨークで逮捕されたイスラエルの工作員の報告と矛盾するような情報が自身の警察署から出てくるのを阻止していた。9/11の二週間も前の2001年8月26日、ケリックは億万長者のエイタン・ヴェルトハイマーとイスラエルで会い、彼から「25万ドルの無利子融資」を手に入れていた。2007年11月8日、ケリックはニューヨーク州ホワイトプレインズ市の連邦大陪審に、税金詐欺と、ヴェルトハイマーから受け取った25万ドルについて連邦政府に虚偽の陳述をした罪で起訴された。検察官はまた、ケリックが2001年から2003年の間にユダヤ人の不動産王スティーブン・C・ウィトコフから約23万6000ドルを受け取った、として告発した。

* イスラエル所有のインスタント・メッセージング会社、オディゴ(Odigo)社が、攻撃の数時間前に、受信者にWTCに近づかないように指示する警告を送信するために使われていた。(オディゴ社の米国本部は、WTCからわずか2ブロックのところにあった)。同社の副社長であるアレックス・ディアマンディスはこう述べた。「メッセージには、一定の時間内に何か大きなことが起こると書かれていました。そして実際にそうなりました。警告どおりに。攻撃があるという警告が他のオディゴ利用者に発信された可能性はありますが、同社は他の受信者がメッセージを受け取った、との報告は受け取っていません」と。オディゴ社の最高責任者であるミカ・マコーヴァーは、ハアレツ紙(2001年9月26日)にこう語っていた。「なぜこのようなメッセージが送られたのか全くわかりません...誰かが冗談のつもりで送った内容が、偶然に現実のものになってしまったのかもしれません」と。この話は、2001年9月27日にイスラエルのマスコミとインドのニューズバイト紙のブライアン・マクウィリアムズによって報道された。エルサレム・ポスト紙のオンライン報道(2001年9月12日)によると、後に同紙のブレット・スティーブンス編集長が立証した(記事名「レターズ」、エコノミスト誌、2003年1月9日)内容によれば、イスラエル外務省は、攻撃時にWTC地域にいたと考えられている4000人のイスラエル人の名前をまとめていたが、死亡したのは1人だけだ、という。オディゴの機能には「People Finder(人見つけ)」と呼ばれるものがあり、この機能を使えば、国籍などの共通の特性に基づいて大規模な集団にむけてメッセージを送信することができた。

* ZIMシッピング社は、かつてシャウル・アイゼンバーグが所有していたイスラエルの大企業で、ワールド・トレード・センター・ノース・タワーに一万平方フィートの事務所を持っていた。9/11の1週間前、ZIM社は自社の事務室を空にしたことで、賃貸契約を破り、5万ドルの保証金を失った。最高経営責任者のショール・コーエン・ミンツは、2001年11月17日にUSAトゥデイ紙に、「まるで神の行為のように、私たちは動きました」と語った。神の行為なのか、それとも事前に知っていたからなのか?この攻撃に関与したと考えられるイスラエルのスパイを調査していたFBI捜査官マイケル・ディックは、ZIM社の調査を始めた。しかし彼はすぐにマイケル・チャートフ司法次官補によって職務を解かれた。

* 9/11の数週間前に米陸軍高等軍事学学校(SAMS)が発行した報告書は、イスラエルの諜報機関モサドについて以下のように警告していた。「冷酷で狡猾で、米軍を標的にし、それをパレスチナ-アラブの行為のように見せかける能力を持っている」と。この報告書は、2001年9月10日にワシントンタイムズ紙によって一面記事として掲載されていた。

* 9/11の直前に、ユナイテッド航空(UA)とアメリカン航空(AA)で、法外な量のプット・オプション*が買われていた。プット・オプションは、将来価値がすぐに下落すると考えられる株式に付けられるものだ。UA社のプット・オプションの95%程度が2001年9月6日に購入され、AA社の11万5000株が9月10日に購入された。これらの購入は通常の25倍の規模だった。2001年10月15日、証券監督者国際機構(IOC)は、プット・オプションからの利益は、世界貿易センターのビルに収容されている複数の企業に対しても購入され、その額は数億ドルに上り、「これまでにおこなわれた最大のインサイダー取引」になる可能性がある、としていた。明らかに、「事情通」の誰かが「直感」を持っていて、これらの会社の株価がすぐに急落するだろうと感じ、現金化を求めていた、ということだ。すべてのプット・オプションを扱った会社は、ドイツ銀行の子会社であるABブラウン投資銀行だった。9/11の時点で、CIAの事務局長は、ABブラウン投資銀行の元最高経営責任者で会長のアルビン・「バジー」・クロンガードだった。英国のインディペンデント紙(2001年10月14日)は以下のように報じていた。「調査員が困惑したことに、同行は「プット・オプション」の多くを購入していたことも明らかになった。プット・オプションは、株式売買仲介者が事実上、株価が下落する株に対して賭けるものである。1998年までABブラウン投資銀行は、CIAの現事務局長である「バジー」クロンガードが率いていた」と。ABブラウン銀行とアルヴィン・クロンガードは、ヤイル・シャミールの会社、シテックスとのつながりを通じて、イスラエル国家と強いつながりを持っていた。クロンガードの妻、シェリル・ゴードンは、ロスチャイルド資産運用会社の長年の従業員だった。
*プット・オプション・・・将来のある期日(満期日)までに、あらかじめ決められた価格(権利行使価格)で株式の買い取り・弁償を請求できる権利

2001年6月、アメリカ麻薬取締局(DEA)は、米国本土で活動している大規模なイスラエルのスパイ組織の存在を詳述した60ページの内部報告書をまとめた。この報告書は2001年12月にマスコミに流され、9/11に先立つ数ヶ月間に、200人の若いイスラエル人(多くは軍情報機関とつながりがある)がスパイとして逮捕されていたことが明らかになった。イスラエルのスパイは、「美大生」という隠れ蓑を使って、麻薬取締局や他の連邦政府の建物に潜入しようと試みていた。この報告書によると、その「美大生」のほとんどが「軍事情報や電子信号傍受、または爆発物を専門とする」イスラエル軍の部隊に勤務していたことを認めた、という。逮捕された男の一人はイスラエル軍司令官の警護係で、もう一人のアラン・オフェックは悪名高いイスラエルの将軍の息子だった。逮捕された人々の一人であるペール・セガロヴィッツは、ゴラン高原の第605大隊に所属し、「建物や橋、車、その他必要なものは何でも爆破できることを認めた」とDEAの報告書は述べている。

フォックス・ニュースのカール・キャメロン記者は、2001年12月にこのスパイ組織に関する4部構成の暴露記事を制作し、その中で彼は、9/11の結果として、さらに60人のイスラエル人が反テロ法の下で逮捕され、拘留され、その中には「一握りの現役イスラエル軍人」が含まれていた、と述べた。これらの男たちの多くは、9/11飛行機乗っ取り犯とされた人物がいた場所のすぐ近く、フロリダ州ハリウッドに住んでいた。実際、イスラエル軍情報将校から「美大生」に転身したハナン・セルファティは、モハメド・アッタがシェリダン通り3389番地に住んでいる間、シェリダン通り4220番地にアパートを借りていたのだ! 9/11以前に容疑者の近くに住んでいたという、同様の「偶然の一致」は、さらに6つの都市中心部で確認された。イスラエルが、9/11の直前に、米国の利益に反する何かを企んでいたことは疑いようがない。オンライサイトの「サロン」の2002年5月7日の記事で、クリストファー・ケッチャム記者は次のように書いている。
ほぼ2年間、美大生であると偽って主張していた何百人もの若いイスラエル人が、連邦政府機関、特に麻薬取締局に出没していた。誰もその理由を知らないし、誰もその理由を知りたがっていないようだ」と。

* 1998年12月、フィリップ・ゼリコウやアシュトン・カーター、ジョン・ドイッチ(全員ユダヤ人)は、フォーリン・アフェアーズ誌に「壊滅的なテロリズム:新たな危険への挑戦」と題する記事を執筆した。この記事の最初の章「変革する出来事を想像する」には、壊滅的なテロリズムが、おそらく早ければ「来月」にも米国アメリカに到来する、との警告が記載されており、その際に米国がどのように対応すべきか、そしてその結果として米国がどのように変わることができるかを詳述している。フィリップ・ゼリコウは、世界貿易センターの破壊のような米国に対する壊滅的なテロ攻撃は、「米国を一変させる出来事」であり、「米国の歴史の分水嶺となる出来事」であり、「真珠湾のように...過去と未来を前後に分け」、「その後の社会」は、「厳しい措置や市民的自由の縮小、市民に対するより広範な監視、容疑者の拘留、殺傷力のある武力行使」を特徴とする、としていた。この状況が実現するまでに2年以上かかったが、書かれていたことの多くは、9/11の後、PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)に群がる勢力が待望の「新しい真珠湾攻撃」という口実を手に入れたときに実現した。

「公共神話の創造と維持」に関する博士論文を書いたゼリコウは、ジョージ・W・ブッシュによって9/11委員会の事務局長に任命された。アシュトン・カーター(オバマ政権下で国防総省長官)とジョン・ドイッチ(1995-96年CIA長官)は、「壊滅的なテロリズム」が書かれたとき、ロスチャイルド・ノース・アメリカの独占的関連会社であるグローバル・テクノロジー・パートナーズ社の上級幹部だった。ドイッチは2001年に政府機密の取り扱いを誤った罪を認めたが、ビル・クリントン大統領が、任期最後の日に彼に恩赦を与えた。

空港の「安全管理体制」

「おそらくいつの日にかは実現するだろうが、もし真実が語られることが決められたのなら、国家(イスラエル)がコロンビアで起こっていることよりも千倍も汚い行為に関与してきたことがわかるだろう」 — ラファエル・エイタン中将、「コロンビア・コネクション」、エルサレム・ポスト紙(1989年9月1日)

乗っ取られた便が出発した空港での安全管理と乗客の監視を担当していたのは、インターナショナル・コンサルト・オン・ターゲッティド・セキュリティ社(ICTS)の完全子会社であるハントリーUSA社というイスラエルの会社だった。

ICTS社は1982年にイスラエル人のメナヘム・アツモンとエズラ・ハレルによって設立され、2001年9月11日にはリオル・ズーカーの支配下にあった。同社は、イスラエルの国内治安機関シン・ベットの多くの代理人を雇用しており、シン・ベットは、国際的なコカイン密輸で有名なイスラエルのエル・アル航空の警備も担当している。メナヘム・アツモンは、1996年にエフード・オルメルトと共にベンヤミン・ネタニヤフの選挙運動の共同財務官として務めていた間に犯した金融犯罪で懲役刑を宣告された。オルメルト(2006年から2009年までイスラエルの首相)は、後に2016年に汚職の罪で投獄されることになる。興味深いことに、オルメルトはたまたま9/11の前日にニューヨーク市にいたが、この事実は、オルメルトが2001年9月10日にベイタル・フットボール・クラブをニューヨークの二人のイスラエル系米国民実業家に売却したことを報じるエルサレム・ポストの記事が出るまでは表に出なかった。オルメルトは、9/11の時点でエルサレムの市長だった。なぜ彼の訪問が秘密にされていたのか、不思議だ・・・。それはさておき。

ICTS社はオランダに拠点を置き、設立以来、イスラエルの諜報工作員によって運営されてきた。同社の所有者はCukierman & Co.社であり、この会社の創設者のロジャー・クキアマンは、エドモンド・デ・ロスチャイルド・グループ社の元最高経営責任者で、イスラエル総合銀行の会長でもある。重要なことに、ロジャー・クキアマンは、1995年にイツハク・シャミル首相の息子、ヤイル・シャミールを指導的地位に任命したボアズ・ハレルのカタリスト基金の会長でもあった。ICTS社の子会社であるハントリーUSA社は、イスラエル国防軍(IDF)とシン・ベットの元構成員によって運営されている。9月11日、同社はボストンのローガン空港とニュージャージーのニューアーク空港で警備と乗客の監視を管理したが、実際に旅客機を乗っ取った人物が誰であれ、カッターナイフよりも立派な武器を持っていたとしても搭乗が許されていたに違いない。ICTS社には、安全管理を妨害してきた疑いが持たれる長い歴史があり、以下のテロがおこなわれた現場の安全管理を担当していた。

* 2001年に「靴爆弾犯」リチャード・リードが飛行機に搭乗した、パリのシャルル・ド・ゴール空港

・ 2011年の爆破事件で37人が死亡し、173人が負傷した、モスクワのドモジェドヴォ国際空港。

・ ISISの仕業とされる2016年の爆撃で32人が死亡し、300人以上が負傷した、ブリュッセル空港

* 2007年7月7日、3つの地下鉄と1つのバスで同時に爆弾が爆発し、52人が死亡し、700人以上が負傷した。ロンドンの地下鉄。この事件は7/7攻撃という名で知られるようになる。爆発のほぼ直後、モサドのエフレイム・ハレヴィ長官は、エルサレム・ポスト紙に「今日、ロンドンの交通機関で起きた複数の同時爆発」について書いたが、ロンドン警察を含む誰も、爆発が同時だったことを後になるまで知らなかった。不思議なことに、ICTS 社の英国事務所は、バス爆弾が爆発したまさにタヴィストック・スクエアにあり、ベンヤミン・ネタニヤフは当時ロンドンにいた。イスラエルの会社Comverse/Verint社は、7月7日の攻撃の1年前に、ロンドンの地下鉄に「動画による監視網」を設置する契約を与えられていた。あの日、その監視網が故障する、と誰が予想できただろうか?

・ナイジェリアの実業家・銀行指導者の息子で元経済開発大臣のウマル・ファルーク・アブドゥルムタラブが、下着に爆発物を詰め込んだ状態で飛行機に搭乗することを許された、アムステルダムのスキポール空港。この事件は、米国のラピスカン社が攻撃的な監視道具となる人体読み取り装置を空港に配置する道を開くことになった。マイケル・チャートフがその名が実態を表す「チャートフ(ユダヤ語で「悪魔」の意)・グループ」と名付けた会社は、安全/危険管理に焦点を当て、「より安全な世界を実現する」と自画自賛していた会社だったが、この会社は偶然にもラピスキャン社の代理会社であり、この製品の配置により大金を稼いだ。チャートフ・グループ社は、「下着爆弾犯」がパンツの中に爆発物を入れてICTS社による警備をよろめきながら通り抜ける前から、スキャナーでいっぱいの倉庫を準備していた、と言われている。

隠蔽工作

9/11のような規模の犯罪を隠蔽するためには、制御しなければならない3つの重要な側面がある。

• 発生直後に出されるその事件の解釈とその解釈をその後永続的に続けること、その事件が一般に説明される方法の制御。

・ 調査と証拠の入手経路の制御。

・ 法的証拠開示を防ぐために、訴訟を制御し、法的証拠開示を防ぐ。

犯罪の解釈

公式説明の発信源はエフード・バラク

9/11の朝、イスラエルの元首相で、支配者層のサヤレット・マトカル傘下の先鋭部員で、イスラエル国防軍(IDF)の司令官であるエフード・バラクが、都合よくロンドンのBBCスタジオに座り、その日の攻撃の責任者が誰なのかを全世界に伝える準備ができていた。誰も何が起こっているのか全く分からない大混乱状況の中であり、さらに世界で最も洗練された諜報/監視機関として知られていた米国の保安体制が、一日で4回も無能状態にされた状況であったにもかかわらず、なぜかイスラエルの元首相が、誰がやったのかを知っている、と示唆していた。すなわち、「ウサマ・ビン・ラディン」だ。さらに、彼がどこに隠れているのかも把握していた。それは「アフガニスタン」だった。バラクはそれから、イスラエルの戦略家たちが何十年も計画してきたとおりに、米国が中東で「テロに対する作戦的で具体的な戦争」を開始する時が来た、と発言した。バラクよる9/11攻撃の説明は、攻撃の直後、証拠の収集が始まるずっと前にBBCスタジオから発信され、政治家や報道機関に疑う余地なく受け入れられる公式説明となった。それは今も決して変わっていない。

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イスラエルの元首相エフード・バラクは、9/11の翌朝、BBCニュースで、米国に「テロに対する作戦的で具体的な戦争」を開始するよう呼びかけた。

エフード・バラクは、9/11に関与したシオニスト犯罪網とあらゆる段階でつながっている。1980年代、イスラエル軍事情報部(AMAN)の長官として、バラクは、CIA工作員ウサマ・ビン・ラディンを含む、アフガニスタンのグルブッディーン・ヘクマティール傘下の猛烈な反欧米イスラム教過激組織に武器を与え、訓練し、この先に訪れるであろう「対テロ戦争」のための完璧な悪の象徴を作り出していた。彼はこの作戦で、米国下院議員チャーリー・ウィルソンと彼の最高補佐官/操り主であるイスラエルのズヴィ・ラフィアによって支援された。バラクからビン・ラディンとヘクマティールの訓練を任された男は、ヘブライ語を話す二重スパイのCIAの工作員アリ・モハンマドで、彼は1998年にアフリカの二つの米国大使館の爆破を組織した役割により終身刑に服しながら、どういうわけか米国の刑務所から跡形もなく姿を消していた。バラクの国際犯罪の裏社会とのつながりをすべて明らかにするには、かなりの量の作業が必要になるだろう。中でも注目すべき事実は、バラクがジェフリー・エプスタインの親しい仲間であり、仕事仲間であり、マイケル・チャートフが取締役を務めていたカービンという会社に関与していたことだ。ギディ・ワイツがイスラエルの新聞ハアレツ紙(2019年7月11日)に以下のような見出しの記事を書いた。

「暴露記事:ジェフリー・エプスタインは、2015年、エフード・バラクと数百万ドル相当の共同提携を締結していた」

「米国の億万長者の金融家ジェフリー・エプスタインは、未成年の少女が関与した新たな性的人身売買の容疑で性犯罪者として今週逮捕されたが、エプスタインは元首相のエフード・バラクと提携関係を結んでおり、この元首相の政治活動始動に投資していた。

2015年、バラクは自身が唯一の株主である合資会社を設立した。その会社は、2014年に設立されたリポーティ・ホームランド・セキュリティ社に投資し、主要株主になった。昨年、リポーティ社はカービン社に社名を変更した。同社は、緊急対応事業のための通話処理および識別機能を開発している。

バラクはカービン社の会長であり、ビジネス系報道機関の報道によると、彼の会社への個人的な投資は合計で数百万ドルにのぼる、という。ハアレツ紙は、エプスタインが投資のかなりの部分に資金を提供し、この取り組みの協力者になったことを突き止めた。」


興味深いことに、バラクのいとこであるデイヴィッド・ブロッグは、ペンシルベニア州上院議員アーレン・スペクターの長年の首席補佐官であった。スペクターはウォーレン委員会の若きユダヤ人弁護士として、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺の公式説明の露骨な異常性を説明するために、ばかげた「魔法の弾丸*」理論をでっち上げた。イスラエルの指紋は、JFKと彼の弟ボビーの暗殺のいたるところに見える。マイケル・コリンズ・パイパーの『最後の審判』とローラン・ギエノの『語られざるケネディの真実』は必読書だ。
*魔法の弾丸・・・一発の銃弾が、ケネディ及び同乗していたコナリー知事の両者を撃ったという公式説明の信じられなさを揶揄することば。

ハウアーの時代

エフード・バラクが、米国は中東で「対テロ作戦戦争」を開始する必要があると英語圏全体に告げてから間もなく、別の専任シオニスト工作員が米国のテレビ局を巡回し始めた。9/11のとき、ジェローム・ハウアーは、世界貿易センターの警備を担当する会社、クロール・アソシエイツ社の業務執行取締役だった。彼は以前、1996年から2000年までジュリアーニ市長の緊急事態管理室(OEM)の局長を務め、WTC第7ビルの23階に、ニューヨークの全ての緊急通信周波数を監視できる1300万ドルの司令部センター室の建設を主導した。9/11騒ぎの他の多くの関係者と同様に、ハウアーはシオニストと深いつながりを持っている。彼の母親はかつて、「シオンの娘」という団体のニューヨークのハダサ支部の名誉会長を務めていた。

タワーが崩壊したわずか数分後、ジェローム・ハウアーはダン・ラザーとともにCBSニュースに出演し、このTV局網の視聴者に政府からの公式説明を伝えた。ハウアーは、タワーが倒れたのは単に飛行機にぶつかり、その結果生じた火災が原因で、建物の構造的完全性が弱まり、建物が崩壊したためだ、と主張した。彼はまた、「瓦礫のせいで7号棟に入ることができなくなっており、関係者らは構造の安定性を心配しています」と警告した。鉄骨の高層ビルが火事で倒壊したことはこれまで一度もなかったので、彼がWTC第7ビルに関して「関係者はその構造安定性を心配している」と言うのはばかげた発言だった。ハウアーが実際にやっていたことは、人々に前もって彼が知っていたことについての心構えを持たせることだった。つまり、その後、午後5時20分に、WTC第7ビルが物理法則に従わない形で自由落下速度により崩落することになっていたことだ。そのビルは飛行機にぶつかりもせず、比較的小さな火災を被っただけにもかかわらず、だ。それにもかかわらず、ハウアーの滑稽なおとぎ話は公式説明とされ、ツインタワーの破壊に関する彼のたわごとは、三年後、仲間の共謀者フィリップ・ゼリコウによって全文が書かれた、深刻な欠陥のある9/11委員会報告書が採用することになった。おそらく偶然ではないだろうが、ハウアーの推薦により、元FBIテロ対策部長のジョン・オニールが米国の調査会社であるクロール・アソシエイツ社の安全管理部責任者としての仕事に就くことになった。オニールは、アルカイダとオサマ・ビン・ラディンに対する彼の捜査が、FBI内部の人々によって妨害されていると苦々しく不満を漏らしていた。オニールはその新しい仕事に就いた初日、9/11攻撃で亡くなった。

ブッシュ&フライシャー

この全てが進行しているとき、1000マイル離れた小学校の教室で劣等生よろしく座っていたジョージ・W・ブッシュ大統領は、イスラエルの報道官アリ・フライシャーによって進行中の出来事についての最新情報を得ていた。この道化師の少年のようなブッシュが、9/11の計画について、どの程度の洞察力を持っていたかを知るのは不可能だ。その朝、デビッド・ルービンスタイン所有のカーライル・グループ社の幹部らと面会していた彼の父親のほうが、おそらくもっと多くのことを知っていただろう。子ブッシュは、彼の精神的無能さゆえに、おそらく作戦の責任者として形だけの役割を果たすことだけ任されていたのだろう。だからこそ、子ブッシュは陰謀から遠く離れたところにおかれていて、イスラエルと米国の二重国籍者であるアリ・フライシャーが行動を起こしたのだろう。

教室の後ろからブッシュのために手書きの看板を掲げたのはフライシャーだった、そこには「まだ何も言うな」と書かれていた。その後、彼は、まだエマ・E・ブルッカー小学校にいる間に、ブッシュからの国民への演説を一字一句個人的に準備した。信じられない! 調査記者のクリストファー・ボリンは、以下のような疑問を呈していた。「犯罪の背後に誰がいるのか、事実上何も知られていないのに、フライシャーはどうやって大統領が何を言うべきか分かったのだろうか。フライシャーは熱心なシオニストであっただけでなく、彼の兄はイスラエル空軍の退役軍人によって所有され、支配されているイスラエル所有の会社の社長であり、そのうちの一人はエフード・バラクの会社の提携業者だった」。アリ・フライシャーは、9/11作戦の主要容疑者であり、当然のことながら、壊滅的なイラク戦争を熱烈に支持していた。彼はまた、非ユダヤ人を憎む激しい人種差別主義者のメナハム・メンデル・シュナーソンが何十年も率いていた過激な正統派の宗教団体、ハバド・ルバヴィッチの一員でもあった。

調査の制御

9/11は、米国史上最悪の大量殺戮事件だったのに、どういうわけか、犯罪として捜査されることはなく、法廷で誰も責任を問われなかった。標準的な法的手続を取るのではなく、政府は、この攻撃をペンタゴンへの攻撃によって可能になった「戦争行為」であると宣言し、米国は、米国史上最大の犯罪現場の証拠が慌てて破壊される中、事前に選ばれていた中東諸国の侵略へと急いでいた。

WTCの現場から運び出された何千トンもの鋼鉄は、鉄塔の解体に爆発物が使われたかどうかを証明するものであったが、細かく切り刻まれ、他の廃物と混ぜられ、当時鉄鋼価格がトン当たりわずか80ドルというここ50年間で最低だったにも関わらず、中国に出荷されていた。2002年1月、米国の『消防工学』誌の記事で、編集者のビル・マニングは、重要な証拠が破壊されたことを非難した。

「3か月以上にわたり、世界貿易センターの構造用鋼材は、廃物として切断され、販売され続けている。高層ビルの設計慣行と火災条件下で何が起こったかについて多くの質問に答えることができるこれらの重要な証拠は、中国へゆっくりと向かう船便の途上にある...証拠の破壊と撤去は直ちに止めなければならない」と。

この重要な証拠の破壊を監督した人物は、マイケル・チャートフ司法次官補だった。

チャートフはイスラエル国民で、愛国者法という市民の自由を破壊する法律を共同起草し、2005年に国土安全保障省長官に任命された。彼の母、リヴィア・アイゼンは、モサドの最初の工作員の一人であり、彼の父はユダヤ教の聖典タルムードを教えるラビ(導師)で、ニューヨークのユダヤ神学校で教えていたが、この神学校は、9/11やシオニストによる他の犯罪事例、例えば「バーニー・マドフのねずみ講事件」のような犯罪事件の主要人物の結びつきを構築してきた著名なイェシーバ(ユダヤ教の学習所)である。

2005年のUSAトゥデイ紙は、9/11攻撃の直後、チャートフが振るった権力について、いくつかの洞察を報じている。

「9月11日のテロ攻撃の数分後、ジョン・アシュクロフト司法長官がミルウォーキーから急いで戻っている間は、マイケル・チャートフが采配を振るっていた。

当時、司法省の刑事部門の部長だったチャートフは、司法省とFBIを長い間分断してきた厄介な境界線を破った。ワシントンのペンシルバニア・アベニューへと急いで駆け下りていた混乱状態に陥った人々を見下ろす、FBI本部の5階の一室にある危機管理センターに、チャートフは対策本部を構えた。その後の20時間、彼は、米国史上最も致命的なテロ攻撃に対する政府の初動対応を指示した。」


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司法長官補佐官のマイケル・チャートフ。イスラエル国籍をもち、モサドの工作員の息子であり、国民の自由を疎外する愛国法の起草者の一人だった。

しかし、チャートフが指揮したのは、9/11テロ攻撃に対する米国政府の初動対応だけではなかった。この攻撃の隠蔽を総合的に取り仕切る役割も果たした。

9/11攻撃の証拠を集め、その犯罪を処罰することも、司法省刑事部長としてのマイケル・チャートフの任務だった。しかしそのような任務は果たさずに、チャートフはこの犯罪に責任をもつユダヤ人脈のために、隠蔽工作に手を貸していた。証拠の押収や隠滅を監督したのがマイケル・チャートフであり、そのいっぽうで、機密情報(SSI)規制を持ち出して、9/11の遺族が情報に入手することを拒否した。彼が2005年に国土安全保障省の長に就任した後も、この妨害は何年も続いた。1993年にヴィンス・フォスターの死の真相を暴くために働いたジョン・H・クラーク弁護士が、かつてチャートフについてこう言ったのも不思議ではない。「彼は不正直なろくでなしだ」と。

現場にいたユダヤ人騎士

マイケル・チャートフが事件発生現場の清掃活動の指揮を任せたのは、2000年から2002年までルドルフ・ジュリアーニ市長の緊急事態管理局の局長だったリチャード・シャイラーだった。シャイラーは、この事件発生現場での活動が認められ、ニューヨーク・ラビ評議会から名誉ユダヤ騎士の称号を授与されたことから、「事故発生現場のユダヤ人騎士」という俗称で知られるようになった。シャイラーにはWTCの清掃活動の全権が与えられていた。2001年10月15日付のニューヨーク・マガジン誌の記事「市長を支える男」は、WTC現場でのシャイラーの主な役割について詳述している。

「9月11日以来、シャーラーはFEMA(連邦緊急事態管理庁)を含む100の連邦、州、地方機関を調整しながら、米国史上最大の事件の後始末を担当している。彼は、何千人もの従業員と400億ドルにものぼる予算を持つ会社の最高経営責任者の働きを担っている。」

シャーラーの監視の下、すべての鋼鉄はWTCの現場から持ち出され、ニュージャージー州にあるユダヤ人所有の2つの廃品回収工場に運ばれた。2002年4月、ニューヨーク・デイリー・ニュース紙は以下のように報じた:

「事故発生現場から約18万5101トンの構造用鋼材が運び出された。この鋼鉄の大半は、ニュージャージー州の廃材処理場に迅速に送るという市の決定に従って再利用工場に運ばれた。市の性急な動きは、鋼鉄をもっと徹底的に調べるべきだったと考える多くの犠牲者遺族を激怒させている。先月、火災の専門家が議会に語ったところによると、廃材を保存する権限が調査官になかったため、約80%の鋼鉄が調査されることなく廃棄された、とのことである。」

リチャード・シャイラーとマイケル・チャートフは、9/11の重要な証拠を隠滅し、犯罪を犯した犯罪者組織による妨害に加担した罪で起訴されるべきだ。事故発生現場の清掃現場での彼らの行動には、他に説明がつかない。この2人のシオニスト工作員は誰を庇っていたのか? ウサマ・ビンラディン? ハリド・シェイク・モハマッド?そんなことは、ありえない。

あらゆる腐敗にもかかわらず、9/11の朝、3つの巨大な超高層ビルが破壊された本当の原因を突き止めようとする誠実な捜査官たちがまだ数人いた。彼らがどのような扱いを受けたか、もう想像がつくかもしれない。ニューヨーク・タイムズ紙の2002年2月2日付の記事「タワー崩壊の手がかり探し」と題されたニューヨーク・タイムズ紙の2002年2月2日付の記事には、ほんの一握りの本物の技術者たちが、調査のために残骸からできる限りのものを引き揚げようとしたときに繰り広げられた混沌とした光景が描かれている。

「9月11日に2つのタワーが崩壊した瞬間から、技術者やその他の専門家たちは、ジェット機の衝撃に耐えられるように設計されたビルが、なぜ、どのようにして完全に崩壊したのかという途方もない疑問に答えようと苦闘してきた。しかし、連邦政府による広範な調査が約束されているにもかかわらず、また、犠牲者の家族やその他の人々から、あらゆる手がかりを握っている可能性のある鋼鉄の破壊を止めるよう何週間も呼びかけられていたにもかかわらず、ジャージー・シティの廃品置き場では、英雄的でもあり滑稽でもある光景が演じられ続けている。」


「技術者の一団は、まるで山羊のように、鉄骨の山に突撃をかけ、タワーの柱の破片を奪う。技術者たちは押しつぶされないように時間を計って進入する......そのすべてを通して、技術者たちは、自分たちが最も役に立つものを捕まえ、保存しているという楽観論を公言している。しかし、確かなことは言えないことも彼らは認めている。未知数の鉄柱が、検査されることもなく、保存されることもなく、遠くアジアの工場に送られているのだ。」

ベンヤミン・ネタニヤフの親友マイケル・ブルームバーグが、9/11後、前例のない3期にわたるニューヨーク市長になった際、彼は「鋼鉄の破片を見るだけでは何も教えてくれない」と言って、この犯罪的な証拠破壊を最小限にしようとしたことはよく知られている。報道によると、銃を強奪する法律を作ろうとしているブルームバーグは、NYPD(ニューヨーク市警察)とNYFD(ニューヨーク市消防署)の従業員がその日に経験したことについて話すと、起訴し、雇用と年金を失うと脅迫することで、隠蔽工作に一役買っていた、という。その経験談とは具体的には、タワーの爆発のことや瓦礫の中の溶鉄についての話などのことだ。2011年8月26日のクリス・スミスによるニューヨーク・マガジン誌の記事は、9/11により未亡人になった人々に対するブルームバーグの感情をこう要約している:

「マイケル・ブルームバーグは9/11のおかげで市長になれたが、9/11の後遺症については鈍感であるように見えることもある。彼はかつて、9/11の未亡人に「済んだことは受け入れて」と言って、前に進むべきだと言ったのが印象的だった。」

ブルームバーグは、9/11の残虐行為の犯罪者を隠蔽したシオニストの工作員のなかの一人だ。彼は、シオニストの友人マイケル・チャートフが共著した「米国愛国者法」の熱烈な支持者であり、「テロとの戦い」を基礎とした米国憲法の書き直しを絶えず訴えている。オンラインサイトのミントプレスの記事で、調査記者のホイットニー・ウェッブは、ブルームバーグと歴史的な性犯罪者ジェフリー・エプスタインとハーヴェイ・ワインスタインとのつながりを詳しく説明している。

「ブルームバーグとエプスタインは、モート・ザッカーマンのような同じニューヨークにいた報道機関の幹部とも親しい友情を共有していた。報道機関は、エプスタインの元仕事仲間であるザッカーマンを、ブルームバーグの「長年の救済者」である、と表現している。別の例では、エプスタインの元広報担当者ハワード・ルーベンスタインはブルームバーグの長年の支持者であり、ブルームバーグが市長の任期制限を回避し、ニューヨーク市長として3期目を追求するという物議を醸す行為を推進する原動力となっていた、と報じられた。」

「エプスタインとブルームバーグのもう一人の共通の仲間は、不名誉なメディア王ハーヴェイ・ワインスタインだ。ワインスタインは、2003年にニューヨーク・マガジン誌の買収を求めたエプスタインの投資組織の一員だった。その投資組織のもう一人の構成員、MSNBC局の常連解説者、ドニー・ドイチュで、彼は最近、ブルームバーグの立候補を熱烈に支持している。」

「ワインスタインは最近、強姦で有罪判決を受け、数十人の告発者がおり、これらの告発者らが近年のワインスタインの性犯罪について名乗り出ることを決めたことが、「Me Too」運動に火を付けることとなった。ワインスタインは、エプスタインの親友で仕事仲間だった元イスラエル首相エフード・バラクともつながりがあり、ワインスタインが告発者を威嚇するために雇った元モサドのスパイにワインスタインを個人的に紹介したのはバラクだった。首相であることに加えて、バラクは、エプスタインの米国内の未成年の少女に対する性的恐喝作戦を後援した外国諜報機関であるイスラエル軍情報局の元長官でもある。」

「ワインスタインとのつながりがあるブルームバーグが立候補したことに対して、この先、強い異議の声が上がる可能性がある。例えば、ワインスタインはブルームバーグの市長選の選挙運動の主要な支援者であり、ブルームバーグがもう一度選挙に立候補できるようブルームバーグに代わって、詐欺電話で使う自動電話の録音までしていた。いっぽう、ブルームバーグはワインスタインを慈善団体の理事に任命し、ワインスタインは後にブルームバーグが彼の映画会社を支援したことを称賛した。ブルームバーグとウェクスナー、エプスタイン、マクスウェルとのつながりは沈黙の扱いを受けているが、一部の報道機関(主に右寄り)はブルームバーグとワインスタインのつながりを報道している。しかし、主流報道機関がブルームバーグに対して、これらの関係を直接取り上げるよう圧力をかけることはほとんどなかった。」


シオニストの廃品回収所

事故発生現場から出たすべての鋼材を扱った2つの廃品回収業者は、ヒューゴ・ノイ社とメタル・マネジメント社だった。どちらの会社も、たまたまシオニストによって所有され、運営されていた。それは、メタル・マネジメント社のアラン・ラトナーとヒューゴ・ノイ社のロバート・ケルマンである。(メタル・マネジメント社のニューアークを拠点とする事業は、9/11の直前に連邦破産法第11条の適用から回復し始めたばかりで、この廃品回収業務は問題を抱えたこの会社に棚ぼたの利益をもたらすことになった)。

ヒューゴ・ノイはドイツ系ユダヤ人で、1930年代にメノ・リサウアー、ヴァルター・ロスチャイルドとともに最初の会社を設立し、1960年代初頭に自身の名前で会社を設立した。1999年、ヒューゴ・ノイの息子ジョンは、アジアでの取引を仲介することを明確な目的とした分社を設立した。(アジアはシャウル・アイゼンバーグが活動していた場所であり、WTCの犯罪現場の証拠が最終的に輸送された場所であることを思い出してほしい)。この新しい国際貿易部門はヒューゴ・ノイ・シュニッツァー・グローバル・トレードと呼ばれ、ネイサン・フラッチャーとジェフダ・サーという2人のイスラエル系ユダヤ人が率いていた。

ヒューゴ・ノイのもとで働く前、フラッチャーとサーはともに、巨大シオニスト犯罪者でありモサドの資産家であるマーク・リッチのグレンコア・インターナショナル社(最高経営責任者はアイヴァン・グラゼンバーグ)で働いていた。マーク・リッチは、エフード・バラクやシモン・ペレス、エフード・オルメルトの3人の元首相とイスラエル国家の他の要人らから猛烈な働きかけを受け、ビル・クリントンの任期最後の日に、脱税や電信詐欺、恐喝を含む多くの犯罪の恩赦を受けた。

調査報道記者、クリストファー・ボリンは、その著書『9-11の解決』の中で、ネイサン・フラッチャーとジェフダ・サーによるさまざまな旅を要約している:「マーク・リッチやグレンコアとの初期の付き合いから、ヒューゴ・ノイやミッドランド・グループに至るまで、サーとフラッチャーは常にイスラエルやモサドと密接に結びついた企業で働いてきた。ヒューゴ・ノイは、イスラエルのディモア市におけるイスラエルの核計画とつながりがあったという疑いをもたれている。アグア・アグロという会社やオーレン・ガフリというイスラエル人への多額の投資をおこなっていたからだ。このガフリという人物は、ボリンによれば 「世界貿易センターの220エーカーのコンクリート床を粉砕できるくらいの高エネルギーをもつナノ・コンポジットによるコーティングの専門家」だったという。

アラン・ラトナーは2000年にメタル・マネジメント社の社長に就任した。彼の常務執行取締役は2001年6月に雇われたダニエル・ディエンストというユダヤ人だった。ディエンストは以前、イスラエル国家と非常に強い結びつきのある投資銀行CIBCワールド・マーケッツ社(旧オッペンハイマー・アンド・カンパニー)に勤めていた。ディエンストもラトナーも、9/11の隠蔽を助けるために「ちょうどいい時期」に配置されたようだ。2005年、メタル・マネジメント社とヒューゴ・ノイ社は合併し、シムズ・グループ・リミテッド社となった。

アラン・ラトナーとロバート・ケルマンは、それぞれの会社の取締役として、WTCから25万トン以上の鋼鉄を検査する前に犯罪的に「処理」することを自ら監督した。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、ヒューゴ・ノイ社は、24時間体制で12時間交代の勤務態勢を組み、大量の労働力を使って鋼鉄を細かく切断し、他の金属と混ぜてからアジアの製錬所に送った、という。メリーランド大学防火工学科のフレデリック・W・モーラー助教授は、『ニューヨーク・タイムズ』紙(2001年12月25日付)の取材に対し次のように語っていた。「重要な証拠となりうるものが取り除かれ、再利用される速度の速さには驚かされる」と。不思議なことに、ヒューゴ・ノイ造船所に船が入場するためのクレアモント水路は、9/11の1ヶ月前に、大型船が入船できるようにするため、場所によっては20フィート以上深く浚渫されていた。ヒューゴ・ノイ社はこの計画に2400万ドルの自己資金を投入していた。

米国史上最悪の犯罪の証拠が持ち去られ、破壊された2つの廃品置き場が、どちらもシオニスト・ユダヤ人によって管理されていた確率は? ゼロだろう? WTCから瓦礫を運び出すために雇われたトラック運送会社でさえ、イスラエル人が経営していた。パワーロック・テクノロジーズ社のヨーラム・シャルモンは、SecuritySolutions.comのインタビューで、清掃作業中にGPSで運転手をどれだけ厳密に監視していたかを明らかにした。

「私たちは行動形式を特定し始めることができました。運転手が遅れて到着した場合、運輸の分析員がその理由を調べます。もしかしたら、運転手は昼食のために車を止めるかもしれませんし、渋滞にぶつかったかもしれません...負荷が非常に敏感な材料で構成されていたため、大きな懸念がありました。例えば、ある運転手が長い昼休みを取った...それについて犯罪的なことは何もなかったのですが、この運転手は解雇されました」と。

ユダヤ人は米国人口の2%強を占めているに過ぎず、イスラエル人はそれよりはるかに少ない。それなのに、どういうわけか、彼らは9/11という架空劇の最初から最後までのあらゆる節目に見出される。親愛なる読者の皆さん、どんなに頑張っても、アフガニスタン人やロシア人、シリア人、イラク人、中国人の組織的な一団がテロ計画に関与していることは見当たらない。イスラエル人とサヤニム・ユダヤ人だけがシオニストの大義を果たすことに極端に献身的だった。サヤニムはヘブライ語で「助け手」または「協力者」を意味し、モサドをできる限り助ける意思のある世界中の国々のユダヤ人を指すことばだ。

訴訟の抑制

9/11隠蔽工作において役割を果たしたもう一人の有力な共謀者は、ケネス・ファインバーグだった。ファインバーグはシオニストの弁護士で、彼の卑劣な経歴の中で多くの注目を浴びる詐欺に関与してきた。例えば、2008年の金融危機の後、どの銀行が納税者の救済金を受け取るかを決めたのは彼だった。彼の妻、ダイアン・ファインバーグは、ラリー・シルヴァースタインとルイス・アイゼンバーグが共に所属していた組織であるユナイテッド・ユダヤ・アピールの幹部であり、モサドと密接な関係を持つ特権階級組織であるユダヤ機関の理事も務めていた。

ケネス・ファインバーグは、明らかに、9/11隠蔽工作を支援するのにふさわしい資格を持った人物だった。したがって、彼が9/11犠牲者補償基金の責任者に選ばれたのは驚くことではない。この基金は、犠牲者の家族が9/11攻撃について声を上げたり、9/11に関与した航空会社や政府、治安機関に対する将来の訴訟に関与したりするのを防ぐために特別に組織されたものだ。悲しみに暮れた家族がファインバーグの支払い金(その財源は米国の納税者)を受け取ったら、彼らは事件について公に話すことも、裁判所を通じて正義を追求することもできなくなった。それはシオニストの詐欺師たちによるもう一つのつじつま合わせだった。97%の家族がすぐに政府の口止め金を受け入れることに同意した。その申し出を断り、代わりに法廷に持ち込むことを選んだ残りの3%は、「特別調停者」としてこの工作の実行者として任命されたユダヤ人弁護士シーラ・バーンバウムから嫌がらせと脅迫を受けた。この役割により、バーンバウムは、ファインバーグの基金を通じて提示された補償金に従い、受け入れるように家族に圧力をかける任務を負っていた。彼女は、スキャデンアープス国際法律事務所(エリック・フリードマンが代表)の提携者として長年培った粘り強さでこの仕事をこなした。スキャデンアープス社はイスラエル国家と非常に強いつながりがある。同社の上級提携者には、ユダヤ人相互互助組織であるブナイブリスの名誉毀損防止同盟の元全国会長であるケネス・ビアルキンがいる。

ヘラースタイン判事による「司法消耗戦」

96の家族がファインバーグとバーンバウムの口止め金を拒否し、代わりに裁判所を利用して、愛する人に実際に何が起こったのかについての事実を知ることを選んだ。関係する家族にとって不幸なことに、すべての事件の裁判は、ニューヨーク南部地区の米国地方裁判所のシオニスト判事であるアルビン・K・ヘラースタインの法廷で結審された。

ヘラースタインは、ビル・クリントン大統領から指名を受けた後、1998年に高尚な司法の地位に上り詰めた。彼はタルムードを重んじるユダヤ人で、マイケル・チャートフや、9/11後に逮捕されたイスラエルのスパイの釈放を支援した仲間の裁判官マイク・ムカシーと同じニューヨーク市の正統派機関のいくつかとつながっている。このムカシーは、『踊るイスラエル人』5人を含む、9/11後に摘発されたイスラエル人スパイの釈放に協力した人物である。

明らかに、このようなお膳立てがなされたことは、またぞろシオニストの工作員が進行中の隠蔽工作に援助を貸すのに適した位置におかれた別の例だった、と言える。9/11不法行為訴訟の全てを統括する唯一の判事として、ヘラースタインは、あらゆる場面で手続きを遅らせ、あらゆる場面で妨害した結果、攻撃から10年後の2011年、公開裁判を受ける希望をまだ抱いていた最後の家族であったボストンのバヴィス一家は、ヘラースタインが事件に関する決定を下し、彼らが裁判を続けることを不可能にした後、法廷外で和解した。その後、この家族は、ヘラースタインが「2001年9月11日の出来事につながった真実が裁判で決して語られないように、本質的に事件を骨抜きにした」と不満を漏らしていた。

同様の苛立ちは、ヘラースタインによる腐敗した陰謀裁判所を通じて正義を求めようとしていたすべての家族が感じていた。

ボストン・ヘラルド紙の記事(2010年3月6日)は、11便の客室乗務員だったサラ・ロウの家族が遭遇したヘラースタインとの闘争についてこう報じた。「マンハッタンのこの裁判官は、2001年9月11日のテロ攻撃で殺害されたボストンの客室乗務員の悲しみに暮れる家族によって非難されている。彼が公開裁判を妨害し、遺族に戦いをあきらめさせたからだ。法廷での日を望んでいた96家族のうち、9/11の責任者であるテロリスト・ネットワークが意図したとおり、裁判にかけられた事件は一つもなかった。ヘラースタインの共謀者ケネス・ファインバーグは、同判事による司法妨害を称賛し、「彼は最初から事件が解決しなければならないことを知っていて、そこにたどり着いた」と述べた。(ニューヨーク・タイムズ、2016年9月9日)

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正統派ユダヤ教のアルビン・ヘラースタイン判事は、9/11の犠牲者の事件が一度も裁判にかけられることがないようにした。彼の息子、ジョセフ・ヘラースタインは、9/11不法行為訴訟の主要な被告であるオランダのICTS社を代表する法律事務所で働いていた。

ヘラースタイン判事による利益相反

ヘラースタインは詐欺師であり、それについては疑問の余地はない。9/11の白昼堂々とした2977人の米国民の殺害に責任のあるシオニストのご主人様を守るための司法手続きにおいて彼が恐ろしい誤用をおこなったという事実は、この男に対する吐き気を催す現れである。しかし、ユダヤ人が所有する諸報道機関は、彼が被害者の家族に一人ずつ法廷外での解決を強要し、「被害者らは情報を得るよりもお金を取る方を選んだ」と報じることで、ヘラースタインに賞賛を浴びせていた。しかし、これらの報道機関が報じなかった事実は、ヘラースタイン判事が明らかな利益相反行為をおこなっていたことであり、そもそも彼からこの訴訟を統括する資格をすぐにでも剥奪すべきだ、という事実だった。

ヘラースタイン判事の息子、ジョセフ・ヘラースタインは、イスラエルのアミット・ポーラック&マタロン法律事務所の正統派ユダヤ教信者弁護士であったが、彼は偶然にもICTS社の親会社の弁護士をしていた。このICTS社は、9/11の際、空港警備に責任を持っていた会社であり、9/11不法行為訴訟の主要な被告人だった。通常の状況下であれば、このような状況はヘラースタイン判事を事件から排除するのに十分すぎるほどの理由になったはずだ。「合衆国判事の行動規範書」には以下のように明確に記されている。

「裁判官は、裁判官の公平性が合理的に疑われるような訴訟手続においては、その資格を喪失しなければならない、その中にはそれだけに限定されるわけではないが、以下のような状況も含まれている。すなわち、裁判官もしくは裁判官の配偶者、またはそのいずれかから3親等以内の血縁者、またはその配偶者が、訴訟手続において弁護士として活動する場合、である」

しかし、悲しいかな、当時は通常の状況ではなかったのだ。アルビン・ヘラースタインは、9/11の不法行為訴訟や訴訟の判事になることを自ら辞任するどころか、ICTS社を訴訟の対象から退けた。いっぽう、ユダヤ人所有物報道機関は、このような根本的な利益相反について報道しないことで、忠実にその役割を果たした。

「9/11訴訟における主要被告に対するヘラースタイン判事の非倫理的なつながり」と題する記事で、クリストファー・ボリンは次のように書いている。

「ヘラースタインは、彼の息子が、ICTS社の親会社であるクキエルマン&カンパニー社で働き、密接に関係している法律事務所、アミット・ポリャック& マラトン事務所の弁護士であるため、9/11不法行為訴訟において、明らかな利益相反を抱えている。」

「これは、無視することも許すこともできない明らかな(そしておそらく犯罪的な)利益相反を示している。「米国裁判官のための行動規範」書には、9/11不法行為訴訟におけるヘラースタインの利益相反を理解するのに非常に役立つ、金銭的およびその他の利益相反を指摘する項目がある。」

「アルヴィン・ヘラースタインと彼の息子ジョセフは、現在の役職に移る前に、有名なユダヤ人法律事務所であるストロック・ストロック・アンド・ラヴァン事務所で働いていた。ビル・クリントン大統領は1998年にアルヴィン・ヘラースタインをニューヨークの連邦地方裁判所判事に任命し、ジョセフは2001年にイスラエルに移住した。彼ら2人とも利益相反が存在することを知っているので、報道機関からのインタビューを望んでいない。ストロック・ストロック&ラヴァン事務所は、9/11陰謀を始めるにあたり重要な役割を果たしていた。彼らは、ラリー・シルバースタインが2001年7月にワールド・トレード・センターの賃貸権を取得した際に、シルバースタイン・プロパティーズ社の弁護士だった。彼らはまた、ゴールドマン・サックス社やAIG社、サーベラス・キャピタル・マネジメント社という、ジョージ・W・ブッシュとバラク・オバマによる1兆ドルの救済に関与した主要な詐欺企業の3社の弁護士でもあった。」

「ストロックは、ロスチャイルド家や他の高位のシオニストの弁護士をしてきた長い歴史がある。」

「ヘラースタイン判事が密接な家族付き合いをしているロスチャイルド家が資金提供しているモサドと関係がある業者が、彼が9/11不法行為訴訟の処理に選ばれた理由を説明している。彼は、9/11の欺瞞と有罪者を守るために、証拠開示を阻止し、裁判を阻止することで、9/11訴訟の管理役に選ばれた。アルヴィン・K・ヘラースタイン判事が、裁判なしに全ての9/11訴訟を法廷外で解決するという任務を完了すれば、彼は引退して、イスラエルに引きこもらなければならないのではないか、と私は思う。彼と彼のシオニストの取り巻きたちが、いかに多くの人々のために正義を妨害してきたかを非常によく知っているので、彼はひどく不当な扱いをした人々の近くで平和に暮らせないことをおそれているだろうからだ。」


遺産

9/11委員会報告書

「政府と軍の高官が、議会や委員会、マスコミ、そして国民に、誰がいつ何を知っていたかについて語ったことは、ほぼ完全に、そして不可解なことに、真実ではなかった。」 - ジョン・ファーマー、9/11委員会上級顧問

今、我々は9/11という茶番劇の最終段階にまで到達した。それは朽ちることのない遺産、だ。陰謀者にとっては、彼らが人々に信じてほしいと願っているようなことの成り行きの説明により、公衆の心を絶えず固めてしまうことが不可欠である。9/11犯罪者連中は、19人のアラブ人がカッターナイフで、世界で最も洗練された監視体制を出し抜き、三つの鉄骨の高層タワーを二機の飛行機で倒すという政府が公式に出したおとぎ話で米国民を驚かせようと多大な努力を払ってきた。シオニストが米国の報道機関を所有していることにより、このような説明だけが大衆がこれまでに聞いた唯一の話である状況を確固なものとしている。ただし幸いなことに、真実を求める活動家たちは、インターネットを通じて、政府の説明に内在する多くの不条理に対する認識を広めることに大成功を収めている。ここ数年、世論調査は一貫して、米国民の大多数が、2001年9月11日に起こったことについての政府の説明について深刻な疑念を抱いていることを示している。この懐疑論と戦うために、政府と連邦政府の資金に大きく依存している政府が完全に所有している諸機関は、疑似科学的なうわべの説明を流すことで、彼らの茶番話を国民に納得させることを目的とした、深刻な欠陥のある一連の報告書を発表してきた。その中で最も注目すべきは、9/11委員会報告書である。

アメリカ合州国に対するテロ攻撃に関する全米委員会(9/11委員会)は、ブッシュ政権が一年以上にわたってその設立を妨害した後、2002年11月27日に設立された。この組織は、ほぼ2年後の2004年7月22日、政府のばかげた言説を反証する山のような証拠には蓋をし、ブッシュ内閣の高官が大衆の詮索好きな目や耳から逃れて秘密裏に証言するのを許した後、怪しげな委員会報告書を発表した。フィリップ・ゼリコウは、政権の大物内部関係者で、この役につく第一候補だった卑劣なシオニストのヘンリー・キッシンジャーが、大衆の抗議と、密かに所有しているキッシンジャー・アソシエイツ・グループ社の仕事上の顧客を明らかにすることをキッシンジャーが断固として拒否したため、辞任を余儀なくされたことを受けて、ブッシュ大統領によって9/11委員会の事務局長に任命された男だった。ニューヨーク・タイムズ(2002年11月29日)でさえ、キッシンジャーが任命されるという驚くべき状況に眉をひそめていた。キッシンジャーを選ぼうとしたことは、ホワイトハウスが長い間反対してきた調査を封じ込めるための巧妙な策略ではないのではないかと疑ってもおかしいことではない。

結局のところ、ゼリコウはその仕事にふさわしい人物だった。タフツ大学の学生として、彼は「公共の神話の創造と維持」に関する博士論文を書いた。9/11委員会報告書を主宰したまさにその人物が、偶然にも大衆を欺き、広く信じられている「公式神話」を拡散する専門家だったのが奇妙だと思うのは、貴殿だけではない。これはまさに彼が委員会報告書を書く際にしたことであり、その中身がとんでもないごまかしだったため、トーマス・キーン委員長のような彼自身の組織の構成員のでさえ、この報告書は失敗するように仕組まれている、として反対意見を表明していた。

ゼリコウが調査するはずだったまさにその人々との深いつながりが、大規模な利益相反を引き起こし、ヘラースタイン判事と同様、ゼリコウは即座に同委員会の事務局長にふさわしくない、と失格にすべきだった。ブッシュ大統領の「情報化時代の国家安全保障に関する対策委員会」の一員として、ゼリコウは2002年にホワイトハウスの「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」を執筆し、その中で、2003年のイラクのように、米国にとって全く脅威ではないが、イスラエルに対して敵対的と認識された国々に対して、あれほど壊滅的な効果をもたらした先制攻撃戦争主義を概説していた。ゼリコウがこの戦略の考案者であるということは、彼が9/11委員会の事務局長に任命されたとき、委員長のトーマス・キーンやリー・ハミルトンを含む委員会の委員たちには知られていなかった。彼の利益相反関係は余りに明白だったので、彼がその地位に任命されたとき、ジョージ・ブッシュの対テロ顧問リチャード・クラークは、先見の明を持ってこう述べていた。「ゼリコウ以上に明らかな利益相反関係を持つ人物がいるだろうか?」と。

ゼリコウは、最初から最後まで捜査のあらゆる側面を支配し、明らかに怪しいテフィリン*の花綱をつけた大物の尻尾をおさえられないよう苦心していた。彼は職員の雇用や解雇に関わり、すべての調査努力を指揮し、公式説明を裏付けない全ての基礎情報に蓋をし、極端な拷問によって得られた誤った自白、例えばハリド・シェイク・モハンマドの多くの非道な主張を証拠として認めさせた。米国のジャーナリスト、ポール・スペリーは、米国のマスコミの中で、当たり前のことをあえて指摘した数少ない人物の一人だった。
*テフィリン・・・ユダヤ教徒が身につける衣装

「彼には投票権がないが、元テキサス州のこの弁護士は、議長を含むどの委員よりも間違いなく大きな影響力を持っている。ゼリコウは、調査の分野や記者会見用の資料、公聴会の題目、証人、証人に対する尋問をどこまでおこなえるかを選んでいる。彼はまた、ホワイトハウスと法的に戦う価値がある戦いを選び、ライス米大統領補佐官(国家安全保障担当)の証言*をめぐる最新の降伏、いや交渉と言うべきか、に関与していた。そして、最高責任者は大部分について彼の勧告に従っている。事実上、彼が議題を設定し、調査を実行している。」
*ライス証言・・・イラクとアルカイダの関係について虚偽の内容を発言していた。

「彼はまた、実に不愉快な利益相反の臭いを放っているのに、どういうわけか、米国史上最も重要な捜査職の一つとして彼を審査した弁護士はそのことに気づかなかった。」


委員会の委員で元米国上院議員のマックス・クレランドは、このスペリーによる評価に同意しているように見えた。任命されて間もなく抗議して辞任したクレランドは、「これは詐欺だ。気味が悪い。米国はだまされている」と述べていた。彼は正しかった。ゼリコウによる9/11委員会報告書の内容は、余りにごまかされたもので、午後5時20分、47階建てのWTCビル7号ビルの自由落下崩壊にさえ触れていなかった。委員会の仲間たちによれば、フィリップ・ゼリコウは、彼の「調査」が始まる前から、最終的に現れるであろう報告書を、既にほぼ完全に書き終えていたという。

ベンジャミン・チャートフ

ベンジャミン・チャートフは、2005年春に出版された「9/11の嘘を暴く」と題するポピュラー・メカニクス誌の記事の主任研究員だった。この記事は、その1年後に出版された「9/11神話を暴く:なぜ陰謀論が事実に立ち向かえないのか」という題名の本の基盤として使用され、そこには、エンターテインメント・ウィークリー誌の編集長として、有名人のゴシップを書く大御所として有名なユダヤ人のジム・メイグスが含まれていた。メイグスのような強烈な頭脳が関わっている中で、誰がこの一味が出す結論を疑うことができようか?

表紙で「陰謀論は厳然たる事実には耐えられない」と自慢しているにもかかわらず、チャートフの記事も、それがもたらした本も、9/11で、一体何が実際にWTCタワーの破壊を引き起こしたのか、あるいは乗っ取られた飛行機が、一体なぜ迎撃されなかったのか、首尾一貫した説明を全く生み出せなかった。それにもかかわらず、チャートフの研究は、主流報道機関の多くによって、彼らが「9/11陰謀論」と呼ぶものに対する最終的な答えとして引用されている。偉大な研究者で神学者の故デイビッド・レイ・グリフィン教授は、2007年の著書「9/11の暴き方」で、ポピュラー・メカニクス誌の記事を完全に破壊し、こう書いている。

「9/11真相究明運動のすべての主要な主張を扱っているどころか、著者たちは、一般の読者の目には誤りであると思われる主張だけを扱っているように見える。彼らは、公式説明とは違う論を唱える陰謀論者たちは「自分たちの理論を支持すると思われるいくつかの迷走した情報以外、全ての情報を無視している」と主張しているが、この声明は『9/11神話の誤りを暴く』の著者の手法を表すのによりふさわしい。」

さて、一体なぜベンジャミン・チャートフとCIAとつながりのあるポピュラー・メカニクス誌は、9/11で何が起こったかについて、これほど容易く反証可能な非科学的な説明を公表して、自分たちの輝かしい評判を傷つけようとしているのだろうか? その答えは、おそらく、ベンジャミン・チャートフが、9/11の陰謀者マイケル・チャートフのいとこだからだろう! 不屈のジャーナリスト、クリストファー・ボリンが、ベンジャミン・チャートフに個人的に連絡を取り、マイケル・チャートフと関係があるのかと尋ねた際、この「9/11の嘘を暴く」の主任研究員は、居心地悪そうに「わからない」と答えた。しかし、ボリンがニューヨーク州ペラムにいるベンジャミン・チャートフの母親に連絡を取り、同じ質問をしたとき、彼女は「はい、もちろん、彼はいとこです」と答えた。

この不都合な事実は、ジム・メイグスが「9/11神話を暴く」の「あとがき」で取り上げ、ボリンの発見の重要性を軽視しようと最善を尽くしていた:「クリストファー・ボリンがベンの母親に電話をかけた。母親は、そう、母親はマイケル・チャートフが遠い従兄弟かもしれないと思っている、と答えた...ベンとマイケル・チャートフが遠い親戚である可能性はあります」

メイグズがずる賢い変更を加えて、この2人にある程度の距離を作るよう仕組もうとしていることに注目していただきたい。「はい、もちろん」は「はい、彼女は考えている」になり、「彼はいとこです」は「遠いいとこかもしれない」に変えられている。グリフィン教授は以下のように書いている。

「メイグスに対する疑念の表明は驚くべきものだ。 彼は、自分と彼の優秀な研究員が数カ月で9/11に関する中心的な真実をすべて発見できた、と主張している......それなのに、自分たちの組織の一員が国土安全保障省の長官と関係があるかどうかを確かめることができなかったのだ!......真実がどうであれ、ポピュラー・メカニクス誌はその本に対してこの告発がなされるのを避けるためにあらゆる手段を講じたようだ。 ベンジャミン・チャートフが雑誌記事の上級研究員であると自称し、その記事を担当した記者一覧の先頭に彼の名前が大きく表示されていたのに対し、彼の名前は編集者のひとりとしてこの本の表紙にはない。 彼の名前は「記者/ライター」にも「研究者」にも記載されていないし、この本の専門家記載欄のどこにもない。 実際、「あとがき」以前に彼の名前が言及されているのは「謝辞」の部分だけで、そこでは、記事が発表された当時は研究部門の責任者であったにもかかわらず、多くの「もとの取材班の班員」 の一人として感謝されているだけである。 おそらく、この本だけを読んで、国土安全保障省長官の関係者であるチャートフに多大な恩義がある、とは誰も思わないだろう。

NISTの隠蔽工作

「私の意見では、NISTによる世界貿易センタービルの調査は、決定的な原因究明がなされなかったこと、具体性のある勧告と原因との関連付けが十分でなかったこと、調査において事実を追求する権限をすべて十分に行使しなかったこと、政府弁護士が事実究明を発展させるのではなく、むしろ抑止するよう指導したことにより、期待を裏切っている。」 —ジェームズ・クインティエール教授、 メリーランド大学防火工学院下院科学委員会委員(2005年10月26日)

米国国立標準技術研究所(NIST)は、2005年9月に「世界貿易センター災害調査の最終報告書」を発表した。言うまでもなく、それは典型的な納税者の資金により印刷されるに値しないしろものだった。NISTは当時、ウィリアム・ジェフリー(本名ジャッフェ)という名の出自を隠したユダヤ人が率いており、2005年5月25日にジョージ・W・ブッシュによって指名された後、組織の所長に任命された。この茶番劇の他の多くの人々と同様に、ジェフリーは、隠蔽工作に彼の役目を貸すのに「ちょうど適切な時期」に配置され、2005年5月25日にジョージ・W・ブッシュに指名されて所長に任命された。世界貿易センタータワーの「崩壊」に関する報告書が作成されるちょうどその時期にNISTの指揮を執り、3年後、第7ビルに関する研究所の報告書が発表される直前に退任した。

ウィリアム・ジェフリーは、1952年に姓をジェフリーに変えたロシア系ユダヤ人のヘレン・アンナ・エンゲルキングとアラン・サミュエル・ジャッフェの間に生まれた。2005年にNISTの所長になる前、ジェフリーはDARPA(ペンタゴンの邪悪な技術部門)に勤務し、国土安全保障省の科学技術部門の設立に尽力した。特に、国防空偵察局の技術担当副官補佐を務め、RQ-4グローバルホーク無人航空機のセンサーの開発に取り組んだ。

WTCタワーの破壊に関するNISTの報告書の作成を監督したのはジェフリーだった。彼の取り組みの主任調査員/計画責任者は、スティーブン・カウフマンというユダヤ人で、執筆時点では、サイバーセキュリティ・インフラストラクチャセキュリティ庁(CISA)のインフラ構造危機管理部門の部長を務めていた。

NISTの「調査」中、ジェフリーと彼の調査班は、三つの鉄骨タワーを倒壊させるために爆発物が使われた証拠を一度も探さなかったし、WTC複合施設の瓦礫の下に溶けた金属の存在も調べなかった。明らかに、カウフマンやジェフリー、そして彼らの部下であるシャム・サンダーとジョン・グロスは、3つの巨大な建物の前例のない破壊を本当に引き起こした原因を突き止めることに興味がなかった。専門家らは、これらの人々は、火災の温度やコンクリートの熱膨張、鋼の熱伝導率について嘘をつき、演算を改ざんし、重要な基礎情報を調べなかったという罪を犯していると結論付けている。NISTの報告書を完成させた後、ウィリアム・ジェフリーは、1984年から2018年までイスラエル人のイーガル・ブルムが運営する研究所でナノテクノロジーを応用した外壁塗装用の塗料であるナノコンポジットを開発しているスタンフォード研究所(SRI)の最高責任者に就任した。ブルムは、SRIで30年以上にわたり、化学科学技術のアソシエイトディレクターとして働いていた。

9/11記念碑

私は9/11の至る所にイスラエルの指紋があると言ってきたが、その指紋はまさに最も微細な詳細に至るまで徹底して見出すことができる。9/11記念碑は、かつてゴラニ旅団の奇襲部隊に所属していたイスラエル市民のマイケル・アラドによって設計された。アラドは、自身がマイケル・ブルームバーグの親しい個人的な友人であると述べていた。彼の父モシェ・アラドは、米国とメキシコのイスラエル大使であり、イスラエル外交問題評議会の理事を務めていた。彼は2019年にテルアビブで亡くなった。

公式説明によると、アラドは2003年に9/11記念碑を建設するための公募に応募した、とのことだったが、貴殿はそのことをご存知なかっただろう。彼は採用された!全米50州と世界94カ国から集まった1万3683人の応募者という史上最大のデザイン応募者の中から、元イスラエル大使の息子が、偶然にも一位に選ばれたのだ。なんという幸運だろう! 彼が世界のシオニズムやマイケル・ブルームバーグと結びついていたこととは何の関係もなかったことは間違いない。陰謀論者たちよ、そのような詮索は捨てるがよい。

9/11記念碑のためのアラドのデザインは、世界貿易センターの再建を監督するために選ばれたダニエル・リベスキンドというポーランド系ユダヤ人が作成した当初の骨組的な基本計画と一致していた。リベスキンドのデザインは、多くの批評家によって浅はかで、魂がなく、刺激的ではないと評されてきた。9/11の記念碑は、これらの記述と一致している。今日では、それは事実上、非ユダヤ人が毎日巡礼し、恐ろしい記念碑を建設した人々が所属するまさにその一団がもたらした、あの日の恐怖を熟考するための宗教的な場所となっている。この記念碑は、犯罪の責任者が感受性の強い人々の心に架空の言説を描かせるのに最も効果的な方法の1つである、と言える。そう考えると、9/11の記念碑は、それが本当は何であるかが露呈している。つまり、この記念碑は、ユダヤ人による不気味な軽蔑を表しているだけはなく、アラブ人に対する憎悪を増大させるのを助けているのだ。

さらにもう1つの侮辱を加えるために、デビッド・シルバーマンが率いる一団は、9/11記念碑から世界貿易センターの十字架を削除するように訴訟を起こした。グラウンド・ゼロのWTCの瓦礫から掘り出された鉄骨で形成されたこの橋は、キリスト教の十字架によく似ているため、希望の感動的な象徴としてクレーンで吊り上げられた。訴訟を起こすにあたり、シルバーマンは報道陣に次のように述べた。

「いわゆる聖なる人々によって祝福され、イスラム教徒のテロリストを止めることも、その名の下に3000人が殺されるのを防ぐこともできなかった彼らの神が、十字架に似た瓦礫を私たちに与えることだけを気にしていたことを思い出させるものとして提示されている」

結論

ここまで提示してきた情報は、米国史上最悪のテロ攻撃にイスラエルが関与していることを示す入手可能な基礎情報の一部に過ぎない。イスラエルは、攻撃を実行し、その後それを隠蔽する手段や動機、機会を持っていた唯一の国だ。したがって、圧倒的な証拠の優勢が直接テルアビブにつながることは驚くべきことではない。米陸軍士官学校の元戦略研究部長、アラン・サブロスキーは以下のように語っている。

「9/11とアフガニスタンとイラクでの戦争の証拠の痕跡は、PNAC(アメリカ新世紀プロジェクト)やAIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)、そして彼らの仲間から続いている。ブッシュ政権のほとんどがユダヤ人のネオコンを通じ、その線はイスラエル政府に繋がる。どれだけ否定しても政治的な陰謀を駆使しても、その本質的な現実を変えることはできない。出典

私が示したように、9/11は、シオニストの政治的・軍事的戦略家によって定式化された何十年にもわたる企みに従って、イスラエルの敵に対して戦争をしかけるために、米軍を中東に引きずり込むための好戦的な理由として機能してきた。9/11の理由と、その犯罪に関与した犯罪網を理解することは、現代の地政学的状況、特に10月7日の事件とそのますます厄介な余波を理解するのに役立つ。対テロ戦争は、イスラエルがナイル川からユーフラテス川まで領土を拡大し、ガザとヨルダン川西岸からすべての非ユダヤ人住民を一掃するまでは終わらない。これを追求するため、イスラエルの工作員は、ヒズボラやフーシ派、イランや、石油が豊富な地域に対するイスラエルの覇権に反対する他のあらゆる人々と戦うため、米軍を中東に引き入れようとして、再び懸命に働いている。もし米国民が、イスラエルの欺瞞によって正当化される中東でのもう一つの戦争を支持するように感情的に操作されるのを許すなら、我々全員にとって絶対的な大惨事になるだろう。私たちは、そのようなことが起こるのを許すことはできない。この記事で学んだことを応用して欲しい。警戒し、何よりも報道機関が伝えていることを強く疑って欲しい。なぜなら、イスラエルの企みを推進するために嘘をつくことがこれらの報道機関の最大の目的なのだから。実際、それがこれらの報道機関の存在理由なのだから。
(著者や代表者の許可を得て「Truth Blitzkrieg」から転載)

ヒトラーは、第二次世界大戦の前から、ウォール街、米国連邦準備銀行、英国銀行から資金提供を受けていた。

<記事原文 寺島先生推薦>
Hasan Nasrallah Died on the Road to Liberate Palestine
ナチス・ドイツへの米国の投資。ロックフェラーがアドルフ・ヒトラーの選挙キャンペーンに資金提供
筆者:ユーリ・ルプツォフ (Yuri Rubtsov) & ミシェル・チョスドフスキー (Michel Chossudovsky) 教授
出典:Global Research 2024年9月23日(2016年5月14日初出)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年10月9日


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写真:ヒトラー、シャハト、プレスコット・ブッシュ

以下はミシェル・チョスドフスキーによる紹介記事、それに続くユーリ・ルプツォフによる次のようなタイトルの記事である。
 
歴史:アドルフ・ヒトラーは米国連邦準備銀行、英国銀行から資金提供を受けていた。

ユーリ・ルプツォフによる入念な調査に基づくこの記事は、アドルフ・ヒトラーのナチス政権への融資におけるウォール街と米国連邦準備制度の役割に光を当てている。(下にスクロール)

   
                   米ドルの力
                  1932年の密約
         ウォール街がヒトラーの選挙運動に資金提供
              筆者:ミシェル・チョスドフスキー
                  2023年11月21日

                        小さな修正、2024年9月22日

紹介

第一次世界大戦から現在まで:ドル建て債務は、米国主導のすべての戦争の背後にある原動力だった。

ウォール街の債権者たちが主役だ。

ウォール街の債権者たちはナチス・ドイツを強く支持していた。彼らは1941年のバルバロッサ作戦とソ連侵攻を資金面で支援した。

 「1932年1月4日、英国の金融家モンタギュー・ノーマン (イングランド銀行総裁)、アドルフ・ヒトラーとフランツ・フォン・パーペン(数ヶ月後の1932年5月に首相となった)との会合が開催された。この会合で、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAPまたはナチス党) への資金援助に関する合意が成立した。

この会合には、米国の政策立案者やダレス兄弟も出席していた。これは、ダレス兄弟の伝記作家たちが言及したがらないことである。

1年後の1933年1月14日には、アドルフ・ヒトラー、ドイツの財政家クルト・フォン・シュレーダー男爵フランツ・フォン・パーペン首相、ヒトラーの経済顧問ヴィルヘルム・ケップラーとの会談が行われ、ヒトラーの計画は完全に承認された」。(下に掲載するY. ルプツォフ論文)


1933年3月にアドルフ・ヒトラーが首相に就任すると、ウォール街の影が色濃く見える大規模な民営化プログラムが開始された。

1933年3月、アドルフ・ヒトラーによりドイツ帝国銀行総裁に再任されたハルマール・シャハト博士は、フランクリン・D・ルーズベルト大統領によりホワイトハウスに招待された(1933年5月)。

「アメリカ大統領およびウォール街の大手銀行家たちとの会談の後、アメリカはドイツに総額10億ドルの新規融資を割り当てた」 [PPP*の推計では2023年の237億ドル相当] (同Y. ルプツォフ論文)

           *PPP(官民連携)Public Private Partnership

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Newspapers.com

それからわずか1年後の1934年4月には、エコノミスト誌が「軍事費の増大により、財務大臣は新たな財源を模索せざるを得なくなっている」と報じている。その中にはドイツ帝国鉄道(ドイツ国鉄)の民営化も含まれていた(ゲルマ・ベル著、20ページより引用)。ナチス政府は、国営造船会社や国営インフラ、公益事業も売却した。

「ナチス・新自由主義」的な傾向を持つ、おそらく「条件付き」の民営化プログラムが、ドイツのウォール街の債権者との交渉項目となった。ドイツ銀行やドレスナー銀行を含む複数の大手銀行も民営化された。

「ナチス党政府は、1930年代半ばにいくつかの国営企業の公的所有権を売却した。これらの企業は、鉄鋼、鉱業、銀行、地方公益事業、造船所、船会社、鉄道など、幅広い分野に属していた。

さらに、1930年代以前に政府が提供していた一部の公共サービス、特に社会・労働関連のサービスは、主に党内の組織を中心とした民間部門に移管された。」(バルセロナ大学ゲルマ・ベル)


民営化プログラムの収益は、未払い債務の返済とナチス・ドイツの上向きになっていた軍需産業複合体の資金源として使われた。

フォード社やゼネラルモーターズ社など、多くの米国の複合企業がナチス・ドイツの兵器産業に投資していた:

ゼネラルモーターズ社もフォード社も、1939年の開戦時にドイツの自動車市場の70%を支配し、その後急速に再編されてドイツ軍への軍需物資の供給業者となったドイツ子会社の経営については、ほとんどあるいはまったく責任を負わないと主張している。

・・・一部の例では、米国政府の文書が示すように、ルーズベルト政権による国内工場での軍需生産拡大の要求に抵抗していた時期に、ゼネラルモーターズ社とフォード社の米国人経営者は、ドイツ工場の軍需生産への転換に同調した。 (ワシントン・ポスト紙、1998年11月30日)



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敵と寝所を共にするアメリカ名家。プレスコット・ブッシュの役割

重要:ジョン・ロフタスの記録された歴史分析によると、「アメリカの名家」はナチスから富を得た。

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画像:(右)プレスコット・ブッシュ上院議員と息子のジョージ・H・ウォーカー・ブッシュ。(1950年代)

プレスコット・ブッシュ (ジョージ・W・ブッシュの祖父)は、ブラウン・ブラザーズ・ハリマン&カンパニーの共同経営者であり、ユニオン・バンキング・コーポレーションの取締役でもあつた。同社は、第三帝国の軍需産業に深く関与していたティッセン・シュタール社をはじめとするドイツ企業の利益と密接なつながりを持っていた。

ブッシュ家とナチス・ドイツの戦争経済とのつながりは、ニュルンベルク裁判でナチス・ドイツの鉄鋼王フリッツ・ティッセンの証言で初めて明らかになった。

ティッセンはプレスコット・ブッシュのパートナーだった。

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「1945年から1949年にかけて、ニュルンベルクでは、アメリカ占領地域において、ナチス戦犯容疑者に対する最も長期間にわたる、そして今となっては最も無駄な尋問が始められた。

億万長者の鉄鋼王フリッツ・ティッセンは、その鉄鋼複合企業がナチスの戦争機械の冷徹な心臓部であった人物であるが、米国と英国の合同尋問チームに対して延々と話し続けた。

... 連合国(ニュルンベルク)の調査官たちが理解していなかったのは、彼らがティッセンに正しい質問をしていなかったということだ。ティッセンは、彼の家族が秘密裏に銀行チェーン全体を所有していたため、外国の銀行口座を一切必要としていなかったのだ。

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ジョン・ロフタスは、ニクソン政権時代に、米国司法省のナチ戦犯検察官(元)であった。


第二次世界大戦終結時、彼はナチスの資産を譲渡する必要はなかった。彼がしなければならなかったのは、ベルリンの彼の銀行からオランダの彼の銀行を経由してニューヨーク市の彼のアメリカ人の友人に、株式、債券、証書、信託などの所有権書類を譲渡することだけだった。ティッセンのパートナーであるプレスコット・ブッシュとハーバート・ウォーカーは・・・将来の合衆国大統領の父であり義父であった。(ジョン・ロフタス『ダッチ・コネクション』2002年9月)。

主流メディアが歴史的記録を慎重に隠蔽していたため、アメリカ国民はブッシュ一族とナチス・ドイツのつながりについて知らなかった。しかし、2004年9月、ガーディアン紙が次のように暴露した:

ジョージ・ブッシュの祖父である故プレスコット・ブッシュ米上院議員は、ナチス・ドイツの資金援助者との関与で利益を得た企業の取締役兼株主だった。・・・

彼の事業取引は、1942年に敵国通商法に基づき、彼の会社の資産が差し押さえられるまで続いた。その取引は、60年以上経った今、ドイツで、アウシュビッツの元奴隷労働者2名がブッシュ一族に対して起こした損害賠償請求の民事訴訟、そして選挙前の論争のきっかけとなった。
(ベン・アリスとダンカン・キャンベル著『ブッシュ大統領の祖父がヒトラーの権力掌握にいかに貢献したか』、ガーディアン紙、2004年9月25日、強調は筆者)



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画像はガーディアン紙

プレスコット・ブッシュは1950年に政界入りした。1952年にコネチカット州の上院議員に選出され、1963年1月までその職を務めた。

ブッシュ家とナチズムとのつながりを示す証拠は、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(父) ジョージ・W・ブッシュが政界入りするはるか以前から入手できた。ブッシュ(父)のCIAでの勤務は言うまでもない。

米国メディアは完全に沈黙を守った。ジョン・ブキャナン(2003年10月10日付ニューハンプシャー・ガゼット紙)によると:

「米国メディアが60年間にわたって無関心で、さらに否定さえしていたにもかかわらず、新たに発見された米国国立公文書記録管理局と米国議会図書館の政府文書により、ジョージ・W・ブッシュ大統領の祖父であるプレスコット・ブッシュが、1926年から1942年まで、ナチス・ドイツの戦争機械の資金調達を担った人物のビジネスパートナーおよび米国の銀行業務担当者として働いていたことが明らかになった。議会がブッシュおよび「敵国人」パートナーに対して積極的な措置を取ったのは、1942年のことだった。

米国財務省の報告によると、ブッシュと彼の同僚は、ドイツの実業家フリッツ・ティッセンとの金融同盟を隠そうとしたことも文書は示している。ティッセンは鉄鋼と石炭の大富豪で、1920年代半ばから、アドルフ・ヒトラーが民主主義原則とドイツ法を転覆させて権力の座につくのに個人的に資金を提供していた。さらに、機密解除された記録は、米国の象徴であるW・アヴェレル・ハリマンの弟であるE・ローランド・ハリマンやブッシュ大統領の母方の曽祖父であるジョージ・ハーバート・ウォーカーを含むブッシュと彼の仲間たちが、米国が戦争に参戦した後も1年近くこのドイツの産業界の大物(フリッツ・ティッセン)との取引を続けていたことを明らかにしている。


プレスコット・ブッシュの会社の資産、すなわちユニオン・バンキング・コーポレーションは1942年に敵国通商法 (下記参照) に基づいて差し押さえられたが、ジョージ・W・ブッシュの祖父はナチス・ドイツとの商取引で起訴されることはなかった。
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「1952年、プレスコット・ブッシュは、そのナチス党員であった過去がほとんど報道されることなく、米国上院議員に当選した。

ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ、ジェブ・ブッシュ、ジョージ・W・ブッシュが実施した政治キャンペーン期間中に、ブッシュとナチのつながりを米国の報道機関が取り上げたという記録は一切ない。ただし、2000年11月にサラソタ・ヘラルド・トリビューン紙が関連のない記事の中で短く言及したことと、2001年にボストン・グローブ紙が短く、しかし不正確な記事を掲載したことは例外である。(ジョン・ブキャナン、前掲書)


真珠湾攻撃(1941年12月)までは、ウォール街はドイツと取引をしていた。

真珠湾攻撃 (1941~1945年) の直後、スタンダード・オイル社はベネズエラやアルゼンチンなどのいわゆる「中立国」の仲介でナチス・ドイツに石油を売って「敵と取引」していた。

スタンダード・オイル社(ニュージャージー州)が仕組んだナチス・ドイツへの米国からの石油供給がなければ、第三帝国はソビエト連邦に侵攻することはできなかっただろう。これはジャック・パウウェルズ博士の著書に詳細に記されている:

「第二次世界大戦は、米国が独裁政権に対して民主主義、自由、正義の側で無条件に戦った『聖戦』として広く称賛されている」。


1944年6月にアメリカが西ヨーロッパを解放した一方で、語られることのない真実として、アメリカの企業がナチス・ドイツと積極的に協力していたという事実がある:

スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー(現在のエクソン) は、ドイツの企業連合IGファルベンと緊密な関係を築いていた。1930年代初頭までに、デュポン、ユニオン・カーバイド、ウェスティングハウス、ゼネラル・エレクトリック、ジレット、グッドリッチ、シンガー、イーストマン・コダック、コカ・コーラ、IBM、ITTなど、およそ20社もの米国の大企業の幹部たちはドイツとのつながりを持っていた

最後に、多くの米国の法律事務所、投資会社、銀行が、米国のドイツにおける投資攻勢に深く関与していた。その中には、有名なウォール街の法律事務所であるサリヴァン・アンド・クロムウェル、銀行のJ.P.モルガンとディロン・リード・アンド・カンパニー、ブラウン・ブラザーズ・アンド・ハリマンが所有するユニオン・バンク・オブ・ニューヨークが含まれる。・・・


(ジャックス・R・パウウェルス、強調は筆者)

ミシェル・チョスドフスキー、2023年11月21日、更新、2024年9月22日

***

歴史:ヒトラーは資金援助を受けていた
連邦準備制度と英国銀行から

筆者:ユーリ・ルプツォフ
2016年5月


第二次世界大戦:80年以上前、歴史上最大の殺戮が始まった。

「戦争責任」の問題に切り込むのであれば、まず次の重要な質問に答えなければならない。

   ・誰がナチを権力の座につける手助けをしたのか?
   ・誰がナチを世界破滅の道に送り込んだのか?

ドイツの戦前の歴史全体を見ると、第一次世界大戦後に世界が陥った金融不安の中で、「必要な」政策が講じられていたことがわかる。

戦後の西側の開発戦略を決定づけた主な構造は、英国と米国の中央金融機関である英国銀行と連邦準備制度(FRS) 、そしてドイツの金融システムと中欧における政治プロセスを完全に支配する手段として設立された関連金融・産業組織であった。

この戦略を実施するために、以下の段階が想定された:

1. 1919年から1924年にかけて、米国によるドイツ経済への大規模な投資の準備を進める。
2. 1924年から1929年にかけて — ドイツの金融システムに対する支配の確立とナチズム(「国家社会主義」)への財政支援。
3. 1929年から1933年にかけて、深刻な金融・経済危機を誘発し、ナチスが政権を握ることを確実にした。
4. 1933年から1939年まで—新たな世界大戦の準備と勃発を目的としたナチス政府との財政協力とその拡大主義的外交政策への支援。

第一次世界大戦「戦争準備」

第一段階では、アメリカ資本のヨーロッパへの浸透を確実にする主な手段として、第一次世界大戦の戦時債務と、それに密接に関連するドイツの賠償問題から始まった。

米国は第一次世界大戦参戦後、同盟国 (主にイギリスとフランス) に88億ドルの借款を与えた。1919年から1921年にかけて米国に供与された借款を含む戦争債務の総額は110億ドル以上であった。

この問題を解決するために、債権国はドイツに対して戦争賠償金の支払いに非常に厳しい条件を課そうとした。これは、ドイツの資本が国外に流出し、税金を払うことを拒否したために発生したもので、国家予算の赤字は担保のないドイツマルクの大量生産によってしか補填できなくなった。

その結果、ドイツ通貨は崩壊し、1923年には「大インフレ」が起こり、1ドルは4兆2000億マルクの価値を持つに至った。ドイツの産業家たちは賠償金の支払いのあらゆる活動を公然と妨害するようになり、最終的に1923年1月のフランスとベルギーによるルール占領という有名な「ルール危機」を引き起こした。

英米の支配エリート層は主導権を握るために、フランスが冒険的な行動に走り、問題解決能力の欠如を証明するのを待った。ヒューズ米国務長官は次のように指摘した。

「アメリカの提案を受け入れるには、ヨーロッパが成熟するのを待つ必要があります」。


この新しいプロジェクトは、イングランド銀行の頭取モンタギュー・ノーマンの指導の下、「JPモルガン・アンド・カンパニー」の奥深くで開発された。彼の構想の中核には、パリ講和会議でウィルソン大統領の法律顧問を務めたジョン・フォスター・ダレス (後のアイゼンハワー大統領政権の国務長官) の提案を受けて1922年3月に「ドレスナー銀行」を代表するハルマール・シャハトがいた。

ダレスは、このメモを最高責任者である「JPモルガン・アンド・カンパニー」に渡し、同社はイングランド銀行総裁のモンタギュー・ノーマンと協議した上で、H. シャハトを推薦した。

1923年12月、H. シャハトはドイツ帝国銀行の総裁となり、英米とドイツの金融エリートを結びつけるのに尽力した。

1924年夏、ロンドン会議で「ドーズ計画」 (この計画を立案した専門委員会の委員長である米国の銀行家でモルガン・グループの銀行の取締役の名にちなんで名づけられた)が採択された。彼は賠償額の半減を求め、その財源の問題を解決した。しかし、主な課題は米国の投資に有利な条件を確保することで、それはドイツマルクの安定化によってのみ可能であった。

この目的のために、この計画はドイツに2億ドルの大規模な融資を行い、その半分はJPモルガンが占めた。

英米の銀行は、ドイツの支払いの移動だけでなく、予算、通貨流通システム、そしてその国の信用システムの大部分を支配するようになった。

ワイマール共和国

1924年8月までに、古いドイツマルクはドイツの新しい安定した財政状況に取って代わられ、研究者G.Dプレパルタが書いているように、ワイマール共和国は次のような準備をしていた:

「史上最も絵に描いたような経済援助と、それに続く世界史上最も苦い収穫」―「止めることのできないアメリカ人の血がドイツの金融静脈に流れ込んだ」。


その結果はすぐに現れた。

これは主に、毎年の賠償金が、いわゆる「不条理なワイマールの輪」によって形成された同盟国の債務額を補填するという事実によるものであった。

ドイツが戦争賠償金として支払った金は、米国で売却、質入れされ、姿を消した。その後、米国の「援助」計画としてドイツに返還され、英国とフランスに与えられた。一転して英仏は米国の戦争債務を支払うことになった。そして利息が上乗せされ、再びドイツに送られた。結局、ドイツでは誰もが負債を抱え、ウォール街が融資を撤回すれば、ドイツが完全に破産してしまうことは明らかだった。

第二に、支払いを確保するために正式な債権が発行されたが、実際にはドイツ軍事産業の潜在力を回復させることになった。

実際には、ドイツ人は融資のために企業の株式で支払われたので、アメリカの資本は積極的にドイツ経済に統合され始めた。

1924年から1929年にかけてドイツ産業に投じられた外国からの投資総額は、ほぼ630億金マルク(うち300億は融資)に達し、賠償金の支払いは100億マルクであった。収入の70%は米国の銀行家たちによって提供され、そのほとんどがJPモルガン系の銀行だった。その結果、1929年にはドイツの産業は世界第2位の規模となったが、その大半は米国の有力な金融・産業グループの手に握られていた。

ナチス・ドイツへの米国の投資。ロックフェラーがアドルフ・ヒトラーの選挙キャンペーンに資金提供

ドイツの兵器の主な供給者である「IG・ファルベンインドゥストリー*」は、1930年のヒトラーの選挙運動の45%に資金を提供し、ロックフェラーの「スタンダード・オイル社」の支配下にあった。
IG・ファルベンインドゥストリー*・・・(イーゲー・ファルベンインドゥストリー、Interessen-Gemeinschaft Farbenindustrie AG)は、戦間期ドイツの化学産業トラストである[1]。略称はIGファルベン (I.G. Farben)。(ウィキペディア)

モルガンは「ゼネラル・エレクトリック」を通じて、AEGやジーメンスを介してドイツのラジオおよび電気産業を支配していた(1933年まで、AEGの30%の株式は「ゼネラル・エレクトリック」に所有されていた)。また、テレコム会社ITTを通じて、ドイツの電話ネットワークの40%を支配していた。

さらに、モルガンは航空機製造会社「フォッケウルフ」の30%の株式を所有していた。

デュポン家が所有する「ゼネラルモーターズ」は、「オペル」の経営権を掌握した。

ヘンリー・フォードは「フォルクスワーゲン」の株式の100%を所有していた。

1926年に、ロックフェラー銀行「ディロン、リード社」の参加により、「I.G.ファルベン」に次ぐドイツで第二の工業独占体である冶金企業「フェライニヒテ・シュタールヴェルケ」(スチールトラスト)が誕生した。ティッセン、フリック、ヴォルフ、フェグレラなどが関与している。

アメリカとドイツの軍事産業複合体との協力関係は非常に緊密かつ広範なものであり、1933年にはドイツの主要産業部門やドイツ銀行、ドレスナー銀行、ダナート銀行(ダルムシュタット国立銀行)などの大手銀行がアメリカの金融資本の支配下に置かれていた。

英米の計画において重要な役割を果たすはずだった政治勢力が同時に準備されていた。つまり、ナチス党とアドルフ・ヒトラー個人への資金提供についてのことだ。

ドイツ首相のブリューニングが回顧録に記したように、1923年以降、ヒトラーは海外から多額の資金を受け取っていた。その資金がどこに流れたのかは不明だが、スイスとスウェーデンの銀行を通じて受け取られていた。

また、1922年にミュンヘンで、A.ヒトラーと米国駐ドイツ軍武官のトルーマン・スミス大尉との会合が行われたことも知られており、スミス大尉はワシントンの上官(軍事情報局)のために詳細な報告書をまとめ、その中でヒトラーを高く評価していた。

ヒトラーは、スミスの知人の紹介でハーバード大学を卒業したドイツ系アメリカ人の実業家エルンスト・フランツ・セジウィック・ハンフステングルと初めて知り合った。ハンフステングルは、ヒトラーが政治家として形成される上で重要な役割を果たした。ヒトラーは、英国の有力者たちとのつながりと意思疎通を確保しながら、多額の資金援助を受けて政治家に転身した。

ヒトラーは政治の世界で準備を整えていたが、ワイマール共和国下のドイツが支配する中、彼の政党は公的生活の傍流にとどまっていた。 状況は1929年の金融危機の始まりとともに劇的に変化した。

1929年秋、連邦準備制度が引き金となってアメリカの証券取引所が崩壊した後、英米金融機関の戦略の第3段階が始まった。

連邦準備制度とJPモルガンは、中欧の銀行危機と経済恐慌に触発され、ドイツへの融資を停止することを決定した。1931年9月、イギリスは金本位制を放棄し、国際決済システムを故意に破壊し、ワイマール共和国への「金融的酸素」の流れを完全に断ち切った。

しかし、ナチス党には財政的な奇跡が到来した。1930年9月、ティッセン、IGファルベン、実業家エミール・キルドロフ(アドルフ・ヒトラーの強力な支持者)からの多額の献金により、ナチス党は640万票を獲得し、帝国議会で第2党の地位を獲得した。その後、海外からの多額の投資が活性化した。

ドイツの主要な実業家と外国の金融家の間の主なつながりとなったのは、H. シャハトであった。

1932年秘密協定:ウォール街がヒトラーのナチスに資金援助

1932年1月4日、英国の金融家モンタギュー・ノーマン (英国銀行総裁)、アドルフ・ヒトラーとフランツ・フォン・パーペン(数ヶ月後の1932年5月に首相となった)との会合が開催された。この会合で、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAPまたはナチス党) への資金援助に関する合意が成立した。

この会合には、米国の政策立案者やダレス兄弟も出席していた。これは、ダレス兄弟の伝記作家たちが言及したがらないことである。

1年後の1933年1月14日には、アドルフ・ヒトラー、ドイツの財政家クルト・フォン・シュレーダー男爵フランツ・フォン・パーペン首相、ヒトラーの経済顧問ヴィルヘルム・ケップラーとの会談が行われ、ヒトラーの計画は完全に承認された。

ここでようやくナチスへの政権移譲の問題が解決し、1933年1月30日、ヒトラーが首相に就任した。こうして、戦略の第4段階が実行に移された。

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英米の支配エリート層は、この新しいナチス政権に対して非常に共感的な態度をみせた。

ヒトラーが当然ながら戦争賠償金の支払いを拒否した際、英国もフランスも、その支払いの督促をしなかった。

さらに1933年5月の訪米後、H.シャハトは再びドイツ帝国銀行の頭取となった。アメリカ大統領やウォール街の大銀行家との会談の後、アメリカはドイツに総額10億ドルの新規融資を行なった。

6月、ロンドンへの出張中にモンタギュー・ノーマンと会談したシャハトは、20億ドルの英国からの融資と、旧債務の返済減免も求めた。

こうして、ナチスは前政権では達成できなかったものを手に入れた。

1934年夏、英国は英独譲渡協定に調印し、これが第三帝国に対する英国の政策の基礎の一つとなった。そして1930年代の終わりには、ドイツは英国の主要な貿易相手国となった。

シュレーダー銀行は英国におけるドイツの主要代理人となり、ニューヨークにある彼の事務所は1936年にロックフェラー家と提携して「シュレーダー・ロックフェラー社」と呼ばれる投資銀行を設立した。

ヒトラー自身が認めたように、彼は外国からの融資を前提とした4か年計画を立てていたため、まったく危機感を抱いていなかった。

1934年8月、ドイツのアメリカ・スタンダード石油(ロックフェラー家所有)は73万エーカーの土地を取得し、ナチスに石油を供給する大規模な石油精製所を建設した。同時に、ドイツはアメリカから航空機工場用の最新設備を秘密裏に受け取り、ドイツ製飛行機の生産を開始した。

ドイツは、アメリカの企業であるプラット・アンド・ホイットニー社、ダグラス社、カーチス・ライト社から多数の軍事特許を取得し、アメリカの技術がユンカース87を製造していた。1941年、第二次世界大戦が激化する中、ドイツ経済への米国からの投資総額は4億7500万ドルに達した。スタンダード石油は1億2000万ドル、ゼネラルモーターズは3500万ドル、ITTは3000万ドル、フォードは1750万ドルを投資した。

英米とナチス・ドイツのビジネス界の緊密な財政・経済協力関係が背景となり、1930年代には宥和政策が第二次世界大戦へとつながっていった。

今日、世界の金融エリートたちは「大不況2.0(2008年)」を実施し、その後「新しい世界秩序」への移行を進めている。


ユーリ・ルプツォフは歴史学博士、ロシア軍事科学アカデミー会員、第二次世界大戦国際歴史家協会会員である。

子ども殺しネタニヤフが国連演説を始めると議場から退出者続出

<記事原文 寺島先生推薦>
Watch: Mass Walkout as Child Killer Netanyahu Begins UN Speech
筆者:アンドリュー・アングリン(Andrew Anglin)
出典:UNZ 2024年9月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年10月6日



太っちょアメリカ人の犬どもを除いて、全世界が彼を嫌っていることを考えると、ビビ(ネタニヤフ)が国連総会での演説に果たして現れるかどうかさえ不明だった。

しかし、彼は胸を張って、ホロコーストの名のもとに罪のない人々を際限なく虐殺し続ける必要性を語るために入ってきた。

彼が昨年、何十万人もの罪のない人々を殺し、来年にはそれ以上の人々を殺す予定であることは悲しいことだが、アドルフ・ヒトラーが靴の束を積み上げた時ほど悲しいことではない。したがって、殺害は継続されなければならない。

ロイター:

イスラエルは、自国の消滅を望む「野蛮な敵」と対峙しながらも、平和を求めていると、金曜日(9月27日)に行われた注目の国連演説で、ベンヤミン・ネタニヤフ首相は述べた。



「我が国は戦争状態にあり、その存亡をかけた戦いをしています」と、国連総会での演説でネタニヤフ首相は述べた。「私たちは、これらの残忍な殺人者から自分たちを守らなければなりません。私たちの敵は、私たちを滅ぼそうとしているだけでなく、私たちの共通の文明を破壊し、私たち全員を専制と恐怖の暗黒時代に戻そうとしているのです」。
     ・・・
演説の中で、彼は紛争の責任をイスラエルの宿敵であるイランに負わせようとした。イスラエルは7つの前線でテヘランから自衛している、と彼は述べた。

「イラン国内でイスラエルの力が及ばない場所はありません。それは中東全体にも当てはまります。イスラエルの兵士たちは、虐殺される子羊になどにはなっていません。信じられないほどの勇気をもって反撃しているのです」と、ネタニヤフは拍手の中、演説した。その間、イラン人を含む一部の代表団は退席した。
彼はまた画像資料を携えてきた。私はこれが現実だとは思えないが、彼はそれをやってのけた。

彼は、アメリカ人がまん丸太り、底抜けに陽気で、おつむが少し弱いことを知っている。だから、視覚的な補助が必要で、それがないと彼らの頭は混乱してしまうのだ。

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以下がそのスピーチの全体だ。もし見たいなら(どうぞ)。結局のところ、ちょっとした歴史になっている。私は個人的には見ていないが、おそらく見るだろう。私はその文字起こしを読んだが、それが正確だったかどうかさえわからない。全体像を把握するには、視覚資料を見る必要があるだろう。



映像はこちら

国連にこんな姿で現れるなんて、みんなに嫌われていることを承知で、まったく大胆な行動だ。

中東の半分以上の国々を巻き込んだ大規模な戦争を正当化する彼の狂気じみた戯言に影響される者はいないだろう。アメリカ人がそれを愛しているのかもしれない。なぜなら、アメリカ人は本当に、本当にユダヤ人を愛しているからだ。彼はいつでも好きなときに米連邦議会で演説することができることになっている。

だから、悪魔のような姿で現れて、自分の意見をはっきりと述べた彼には一目置こう。

南半球18カ国は、ウクライナ紛争の「永続的な解決」を求めて共同声明

<記事原文 寺島先生推薦>
‘Friends of Peace’ issue Russia-Ukraine statement
グローバル・サウス(南側諸国)は、今回の紛争の「永続的な解決」を求めている。
出典:RT 2024年9月28日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年10月5日


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2024年9月27日、ニューヨーク市の国連総会で、新たに立ち上げられた「平和友好国」という組織の閣僚会議を共同主催したセルソ・アモリム(左)と王毅。X/@SpoxCHN_LinJian


中国、ブラジル、および「平和友好国」団の他の10数か国は、ウクライナとロシアの間の紛争の即時終結を求めており、中国の最高外交官である王外相は、両国にとって「平和が唯一の現実的な選択肢である」と宣言した。

中国の王毅外相とブラジルのセルソ・アモリン大統領顧問が招集した「平和友好国」団は、金曜日(9月28日)、ニューヨークの国連総会の傍らで初の閣僚級会合を開催した。王外相は、この会合を今回の紛争に関する「客観的かつ理性的な」対話の場と表現し、その出席国の大半はグローバル・サウス(南側諸国)だった。NATO加盟国のうち、会議に外交官を派遣したのはハンガリーとトルコのみだった。

中国やブラジル、その他11か国の出席者が署名した共同声明の中で、同組織は「国連憲章に基づく包括的な外交と政治的手段を通じて、紛争当事者による包括的かつ永続的な解決」を求めた。

この和平は、中国とブラジルが今年初めに発表した6項目の計画に従って達成されるべきだ、とこの声明は勧告している。計画では、双方が激化や挑発を控え、人道支援と捕虜交換を増やし、核の脅威やエネルギー基盤施設への攻撃を控え、すべての和平提案が「公正な議論」を受ける国際和平会議に出席することを求めている。

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関連記事:Zelensky accuses Brazil and China of colluding with Russia

「ロシアとウクライナは互いに引き離すことのできない隣国であり、友好関係を築くことが唯一の現実的な選択肢です」と王外相は金曜日(9月28日)の会談で述べた。

「『平和友好国』加盟諸国は皆、平和を愛する国々です。私たちはウクライナ危機を創り出したわけでもなければ、その当事者でもありません。ウクライナ問題に関して、私たちは利己心や地政学的な意見を持っていません。私たちは平和への支持を表明し、ロシアとウクライナの平和のための友好国となるためにここに集まりました」と同外相は述べた。

王外相の発言は西側諸国では無視された。会談直後、記者団に対し、アントニー・ブリンケン米国務長官は中国が平和を望んでいると宣言しながら、自国の企業がロシアに軍事装備品の部品を売るのを許可していると非難し、「納得できない」と述べた。

王外相は「米国は中国を中傷したり陥れたりするのをやめるべきです」と応じ、「北京は常に平和と対話の促進を主張しており、政治的解決を促進するために独自の努力をしてきました」と付け加えた。

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関連記事:China accuses US of ‘smear’ campaign

「ウクライナのウラジミール・ゼレンスキー大統領は水曜日(9月26日)の議会での演説で、「代替案、中途半端な和解案、いわゆる一連の原則」はロシアに利益をもたらすだけであり、自らが提唱する10項目の「和平案」だけが紛争を解決できる、と主張した。

ゼレンスキー大統領の主張によると、ロシアに対し、クリミア半島の支配権をウクライナに引き渡し、賠償金を支払い、自国の当局者を戦争犯罪法廷に引き渡すよう求めているが、クレムリンはこれを「現実離れしている」として却下した。

ロシアのマリア・ザハロワ外務省報道官は先週、ロシア当局は「現地の状況を考慮した真剣な提案」について話し合う用意がある、と述べた。同報道官は、いかなる計画も、ウクライナ側がロシアのドネツクやルガンスク、ヘルソン、ザポリージャの各地域から軍を撤退させ、軍事的中立を約束することを条件としなければならない、と付け加えた。

西側はRTを沈黙させるのに躍起だが、グローバル・サウス(南側諸国)は声を上げて反撃している。

<記事原文 寺島先生推薦>
As the West tries to silence RT, the Global South speaks out
世界的ネットワーク(RT)を抑圧するための米国主導の「外交キャンペーン」は、米国政府が望んだ暖かい歓迎を受けてはいない
筆者:アンナ・ベルキナ(Anna Belikina)
RTの副編集長兼コミュニケーション、マーケティング、戦略開発部門の責任者
出典:RT 2024年9月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年10月4日


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© RT / RT

米国政府は最近、RTに対して新たな制裁を発動し、米国務省は、米国、カナダ、英国の外交官を通じて、「同盟国やパートナー国を世界中から結集し、RTがもたらす脅威に対処する」という新たな「外交キャンペーン」を発表した。

つまり、西側諸国以外の国々をいじめ、自国民がRTの内容に接触できないようにして、西側諸国がほぼ独占している情報への流れを回復しようという計画である。ラテン・アメリカや中東、そしてアフリカは、米国務省のジェームズ・ルービンにとって特に懸念すべき地域である。なぜなら、米国の外交政策がこれらの地域で普遍的な支持を得られなかったからである。

ルービンが記者会見で述べたように、「世界の多くの国々が、皆さんが思うほどウクライナを全面的に支援していない理由のひとつは、RTの視聴者や読者が幅広い範囲に広がっていることに起因しています」。

人々がどのニュースソースに接近すべきか、あるいは接近すべきでないかを自分たちで考え、決定することについて、西側エリート集団以外は誰も信頼していないことは明らかで、ルービンは米国がRTを「どのように扱うかについて他の政府が独自の決定を下す手助けをするでしょう」と約束した。

この声明には、特に標的にされている国を考えると、恩着せがましく新植民地主義的な態度がにじんでいる。

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© RT / RIA Novosti
関連記事:Anna Belkina: RT isn’t going anywhere

そのため、この数週間、米国主導の最新の十字軍遠征に反対するさまざまな声が上がっているのを目の当たりにして、心強く感じる。

インドの有力紙のひとつであるThe Hinduは、RTに反対するよう「米国高官たちがインド外務省に同調的な行動を呼びかけている」という情報を最初に報道したメディアのひとつとなった。「政府の高官たちは、制裁に関する議論はインドには関係がないと述べたが、メディア組織を禁止するなどというのは、欧米諸国の『二重基準』を示していると元外交官は述べた」。

インドの経済紙フィナンシャル・エクスプレスも「インドはロシアとの長年の友好関係や、メディア検閲に対する自国の立場を考えると、この(RTの禁止の)要請に対して行動を起こす可能性は低い・・・インドでは、RTは多くの英語圏の視聴者に情報を届け、ヒンディー語のソーシャルメディアを通じても配信範囲を拡大することで、非常に多くの視聴者を獲得している。RTの主な使命は西側の物語に対抗し、世界情勢に関するロシアの視点を提供することだと主張して、インドや世界の他の地域で人気が高まっている」 と述べた。

中東では、サウジアラビアのオカズ紙が、「(自由な) 言論が米国と西側諸国にとって脅威になると、RTを禁止したように、透明性の欠如、誤った情報の拡散、内政干渉、憎悪の扇動という口実で、米国と西側諸国が他国との関係で行なっているような言論の自由に制限を課すというのは逆説的である」と述べている。

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レバノンの主要日刊紙アル・アクバルは、「それを禁止しようとするあらゆる試みにもかかわらず・・・ RTは放送を続け、帝国主義戦争の支持者の間で懸念を引き起こしている。こういった取り組みは、また、彼らの主張を紙面化する筆者たちの偽善と、彼らが声高に主張する「言論の自由」や「報道の自由」などが誤っていることを示している。彼らはRTが「偽情報の代弁者」だと主張しているが、もしそうなら、なぜそんなに恐れるのだろうか? もしRTが本当に嘘を流しているなら、視聴者は気づくことができないのだろうか? (これがうまくいくのは)西側の支配者たちが自国民を単純で簡単に騙されると見ている場合だけであり、その結果、西側メディアのあらゆる方面から誤った情報がもたらされることになる」と書いた。

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関連記事:Fyodor Lukyanov: Here’s the real reason why the US sanctioned RT

「西側の支配者たち」は、自国民だけでなく、世界の人々のほとんどをこのような軽視と不信の目で見ていると言っても過言ではない・・・しかし、少し脱線した。

ラテン・アメリカでは、ウルグアイの時事雑誌Caras y Caretasが次のようにRTを称賛した。「国営メディアであることを超えて、真実の編集方針を維持し、創造的で、独創的で、信頼できるものにする視点を明らかにすることで、その人気と信頼性を高めてきた・・・RTは世界の非常に多くの人々と、ますます多くの政府や国の目を開くのに役立ってきた。これが、米国とメタやフェイスブックのような覇権的なメディア複合体がRTとその役員に課した制裁の理由であり、信じられない、ばかげた告発で彼らを裁いた。報道の自由の擁護者であると主張し、RTがロシア諜報機関の隠れみのであると非難する米国政府高官の声明は、覇権的帝国主義の物語に代わる物語を前にした無力感の表明にすぎない」

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アーメン。

ニカラグア副大統領のロサリオ・ムリーリョは、RTに支援の手紙を送った。その中で、彼女は米国当局のRTに対する行動を厳しく非難し、いつになったら「彼らが恥知らずにも制裁と呼ぶ攻撃(まるで神の力で処罰を下せるかのように)が、世界の独裁者としての地位を主張すること以上に意味がないことに気づくのか」と問うた。彼女はRTの「仕事と、創造的で思慮深く、わかりやすく、繊細で感動的な方法」を称賛し、RTが「様々な工夫をして意思を伝える」ことを称賛した。

多くのアフリカの報道機関も、アメリカの世界的な検閲の偽善について発言している。ナイジェリアの新聞The Whistlerは、最新の西側メディアの命令とその植民地主義的な含みをこのようにまとめた:「アメリカ人はロシアと喧嘩をして、このロシアのニュースチャンネル(RT)を閉鎖した。ワシントンのアメリカの政治家が署名した命令は、RTを供給しているヨーロッパの会社にRTのストリーミングを停止させた・・・その結果どうなったか? 私たちナイジェリア人は、ある日目が覚めると、ワシントンとモスクワで起きたある出来事のせいで、RTをテレビで見たりFacebookで配信したりすることができなくなっていた。この厚かましさを想像してみてほしい! これはアメリカ人とヨーロッパ人が、ここアフリカの誰にも聞かずに決めたことだ。彼らは私たちが自分たちのテレビで何を見て、何を見てはいけないかを決めたのだ」。

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政治、社会、文化が驚くほど多様な多くの国々が、米国の世界秩序の押し付けに反対の声を上げていることは心強いことだ。それらはRTの声は、必要とされているだけでなく、歓迎され、求められていることの証明となっている。

昨夜、米国政府の行動に対するRTの反応の一環として、モスクワの米国大使館の正面を明るい緑色のRTロゴでライトアップし、「我々は立ち去らない」というメッセージを表示した。

米国でも、西側諸国でも、世界の他の地域でも立ち去ることはない。

またどこかで!

欧米の取り締まりが続く中、MetaがRTを禁止: ここ数年の動向のまとめ

<記事原文 寺島先生推薦>
Meta bans RT as Western crackdown continues: A 2022-2024 overview
西側諸国は近年、広範囲にわたる制裁と報道機関規制を通じてRTの影響力を制限する取り組みを強化している。
出典:RT 2024年9月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年9月20日


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© スプートニク/イリヤ・ピタレフ


ロシアのマルチ・メディア放送局RTは近年、西側諸国から前例のない監視と制限に直面している。同局に対する措置は2022年から2024年にかけて大幅に強化されている。

RTの影響力と作戦能力を抑制しようとする西側諸国の取り組みが強まっているのは、より広範な地政学的緊張とメディア環境の変化に対する懸念を反映している。

2022年:強化策が取られた

2022年は、西側諸国や団体がRTネットワークに対して厳しい措置を課し始めたため、RTにとって重要な節目となった。2月には、オーストラリアの大手放送局FoxtelとニュージーランドのSKYがRTの放送を中止した。3月までに、制限の波は大幅に拡大した。

FacebookやInstagramなどのプラットフォームを運営しているMETA社は、ウクライナ紛争のため、欧州連合全域でRTとロシア国営通信社スプートニクへのアクセスを制限した。同時に、X(旧Twitter)やその他のプラットフォームはシャドウバン*を確定し、RTの放送内容の可視性をさらに低下させた。
*シャドウバン・・・アカウントや投稿が他の利用者に表示されにくくなる、あるいは表示されない現象を指す俗語

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関連記事:Attacks on RT reveal the sad truth about the West

欧州連合はRTとスプートニクを全面的に禁止し、衛星やウェブサイト、ソーシャルメディア上で封鎖した。ロシアとの金融取引も制限された。

英国のメディア規制当局オブコムは、RTの放送免許を取り消し、同局のウクライナ報道が公平性を欠いているとして29件の調査を開始した。

YouTubeはRTとスプートニクのアカウントを永久に削除し、TikTokとTelegramもEUや米国、カナダ全域でRTのアカウントを封鎖した。

欧州委員会の代表者は、EUの禁止措置は例外的かつ一時的な措置である、と述べた。

オランダでは、インターネット・プロバイダーがRTとスプートニクのウェブサイトを封鎖し、オーストリア国民評議会はウクライナに関する「偽ニュース」を抑制するためにRTの放送を禁止した。

フランスの銀行ソシエテ・ジェネラルは、RTフランスの従業員の給与口座を凍結した。

英国はRTに制裁を課し、刑事告発の脅迫の下、支局を閉鎖し、金融業務を制限した。

米国では、衛星放送事業者の DirecTV/AT&Tと Dish TV、および OTT 事業者の ROKUがRT Americaを放映局一覧から外した。カナダもこれに追随し、CRTCが RTのライセンスを取り消し、Rogers や Shaw Cable などの大手ケーブル放送業者が放送を停止した。

RTのオンライン上の存在がさらに狭められ、グーグルは推奨サービスから同社のサイトを封鎖し、アップルやグーグルなどのアプリ・ストアはRTアプリを削除した。

12月には、欧州連合(EU)がRTの親組織であるANO「TV-Novosti」に制裁を科した。

2023年:継続される制裁

RTに対する制限措置は2023年まで継続された。

1月に、RT Franceのすべてのアカウントがフランス財務省によって凍結された。

EUは2月にRTアラビア語とスプートニク・アラビア語の放送を禁止した。

3月にドイツ当局はRT DE Productions GmbHの口座を凍結した。

6月までに、EUは新たな制裁措置の一環として、RTバルカンを放送禁止リストに追加した。

関連記事:US has declared war on free speech – Russia

2024年: 制裁と外交対策の強化

2024年にRTへの圧力は新たな高みに達した。

米国はRTとその創設者マルガリータ・シモニャン氏、および数人の幹部に制裁を課した。制裁はRIAノーボスチやスプートニク、ラプトリーにも及んだ。FBIはRTをロシア政府の喧伝の道具とみなした。

米国はまた、モルドバでの活動を含め、RTと関係のある3つの団体と2人の個人に制裁を科した。アントニー・ブリンケン国務長官は、RTが民主主義と米国の選挙を損なっている、と批判した。

英国とカナダによる協調外交対策は、RTの行動を諜報活動として扱うことを意図しており、特に南半球におけるRTの影響力拡大に焦点を当てている。

FBIは20人の捜査官を動員して米国内のRT社員の自宅を捜索し、RTの指導者層と業務について尋問した。

フェイスブックやインスタグラム、ワッツアップを所有するメタ社は、同社が「外国の干渉活動」と呼ぶ行為を理由に、RTやその他のロシア政府系報道機関を世界中の自社アプリから禁止した。

「NATOが核保有国ロシアに侵攻。世界は第三次世界大戦がはじまったことに気づいていない」。

<記事原文 寺島先生推薦>
“A NATO invasion of nuclear Russia is currently underway, and the world is unaware that it is in World War III”. Has President Putin’s Patience Reached Its Limits?
筆者:ピーター・ケーニッヒ(Peter Koenig)
出典:Global Research 2024年8月18日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年8月27日


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NATOによる核保有国ロシアへの侵攻が現在進行中であり、メガトロンが報じたように、世界はそれが第三次世界大戦にあることに気づいていない(2024年8月14日)。

ロシアのクルスク地方は、現在、NATOの兵器や兵士、兵站などであふれており、その多くが破壊されている。下の地図を参照。

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ウクライナはクルスク侵攻でロシアを不安定化させようとしている。(BingMaps/Institute For The Study Of War/USA TODAY)

ビデオ映像からは、数十のNATO車両や防空システム、戦車などが見られる。クルスク地方でロシア軍に破壊され、捕らえられたものも撮影されている。

NATO軍の指導の下、約1万1600人のウクライナ軍は、クルチャトフ市とその原子力発電所を征服することができなかった。どうやら、ゼレンスキー大統領は、ウクライナ側に残っていた全兵士と、追加のポーランド(NATO)部隊を使ったようだ。

ロシアのアプティ・アラウディノフ将軍は、クルスク地域を侵略する目的は、ロシアとの今後の交渉のための強力な地位を確保することだった、と指摘した。ところが、ウクライナと、ウクライナの欧米のご主人様の敗北で、ウクライナ政権は、自身の死刑執行令状に署名したことになった。

ウクライナ側の損失は2000人以上だ。

アラウディノフ将軍は更に、ウクライナ側の特別作戦は、ロシア軍の完全勝利と、ウクライナ政権とワシントンとロンドンにいるその主人たちの降伏で、2024年末までに終了する、と予測している。(YouTubeチャンネルのボルジックマン 2024年8月15日)



欧米による降伏が実際に起こるかどうかは、まだわからない。末期的な状況にあっても、面目を失うことは欧米の習慣にはない - したがって、ロシアに対するNATO直接攻撃という、更なる侵略の可能性がある。

この時点でもプーチン大統領は、ロシアの領土が侵略され、NATO軍によって、ロシア人が自国の領土で殺害されているにもかかわらず、まだ宣戦布告を拒否している。そして、より直接的なNATO攻撃が計画されるかもしれない。今のところ、米国政府は「やりたい放題(getting away with a murder)」だ。まさに文字どおり。

一歩一歩、米国政府とそのNATO諸国は、次から次へと越えてはならない一線を越えてきた。
・まず、ウクライナにNATO兵器を提供。
・その後、ウクライナにNATO軍が侵入。
・その後、ウクライナにF-16戦闘機を提供。
・次に、西側から供給された洗練された兵器の使用をNATO兵士が指揮
・その後、ロシア領土へのNATOの進軍。その後、NATOの無人機と航空機がロシア領土内のロシアの標的を攻撃し、最後にはNATO軍がロシア全土を占拠しようとし、ロシア人捕虜を捕らえ、ロシア人を殺害。

ロシア全土の空港は、NATO無人機によって数週間にわたって絶えず爆撃されてきた。

2024年8月9日、ロシアの国営放送は、ウクライナ北東部との国境から約280キロ離れたリペツク地域のロシア空軍基地で爆発が発生し、続いて火災が発生し、ウクライナ/NATO軍が飛行場を攻撃し、倉庫やその他のいくつかの施設を誘導空爆で破壊した、と報じた。この攻撃はNATOの専門家らが指導したものだ。

ウクライナ・NATOが小型の戦術核兵器を使用したのではないかと推測する人もいる。しかし、そのような侵略の証拠はなく、ロシアは沈黙を守っている。

ロシア軍によると、彼ら自身の(ロシアの)攻勢には、約1000人の兵士と20両以上の装甲車と戦車が含まれていた、という。
こちらを参照。(このページは、モスクワ・タイムズの該当ページはもう存在しないという理由で、Googleにより削除されている。あえてリンク先を示したのは、西側による検閲の証拠を示すためだ)。

ロシア軍は、ドンバスで絶えず前進しており、過去10年間で約1万8千人を殺害したアゾフ・ナチスの卑怯な攻撃から、ロシア語話者たちを守っている。

ロシアは、自国の領土で、NATOの兵器から重く痛ましい打撃を受けている。NATOは、通信や兵站、NATOの指揮などの形で、いたるところに存在している。

35カ国以上が、ロシアに対するこれらの致命的な攻撃を実行するための武器をウクライナに供給するために、何千億ドルも納税者の税金を投資しており、加えて、西側が「外国人傭兵」と呼んでいるNATO兵士もロシア領内に存在している。

ロシアがナチス・ドイツを打ち負かした第二次世界大戦から約80年後、ウクライナに与えられたドイツの戦車は、第二次大戦時に天下分け目の重要な戦いがおこわれたクルスク地方を再び通過している。

しかし、今日のファシズムがうごめき、1940年代の時代を彷彿とさせるかのように生き生きと活動している。いまやネオ・ファシズムは、ウクライナに端を発している。それが、バンデラを信奉するアゾフ大隊だ。ナチス・ドイツの同盟者であったバンデラは第二次世界大戦中、何十万人とは言わないまでも、数万人のロシア人を殺害した。

プーチン氏は、ウクライナのナチズムを根絶し、ウクライナを中立でNATO非加盟国にすることを断固として主張し、それが和平交渉の重要な条件だった。

多くの人々は、ロシアがウクライナと小規模な軍事紛争をしているという幻想にまだ陥っており、米国政府・NATOの代理戦争としておこなわれているウクライナでの対ロシア戦争が、1943年の第二次世界大戦の状況よりも遥かに危険な状況になっていることに、気づいていない。

NATOは、ロシアとの対決を目指して、徐々に東欧に旅団を配置しようとしている。

ロシアの反応をじっくりと見守りながら、「どこまで行けるか」という観察ごっこをしているかのようだ。NATOが抱えているかもしれない困難は、旅団に兵士を配置することである。欧州の若者は、欧米の戦争屋や欧米の軍需産業の利益のために死ぬことを望んでいないからだ。

メガトロンの報道によれば、NATOは最終的にベラルーシに侵攻するつもりである可能性が高い、という。

プーチン氏と彼の顧問たちは、NATOの大胆さを読み間違え、NATOはさらなる戦争の激化を避けるために、ウクライナからロシア領に侵入しないことを望んでいた、と考えていたのだろうか?

さて、すべてのレッドライン(超えてはならない一線)が、何度も何度も越えられたとしたら、どうなるのだろうか?

最近の声明で、元ロシア大統領ドミトリー・メドベージェフ氏は、ロシアはもはや躊躇すべきではない、と語った。

「いまこの瞬間から、(ウクライナに対する)特別軍事作戦は、本質的に公然と治外法権的になるべきです」と、ロシア安全保障理事会の副議長を務めるメドベージェフ氏は、木曜日(8月15日)のSNSの投稿で主張した。

「我が国は、まだウクライナ領であるとされている地域に踏み込むことができますし、またそうすべきです。オデッサやハリコフ、ドネプロペトロフスク、ニコラエフ、さらにキエフへも、です。国境と認識されている区域に関して制限があってはなりません」と。こちらを参照。

*

もしプーチン大統領が、ロシア領土に対する更なる欧米/NATO侵略に耐えるつもりがあるとすれば、それは彼が強力な対応を用意しているからかもしれない。というのも、ウクライナ・NATOがロシア領土でおこなっていることは、「偽旗」ではなく、明らかに純粋な挑発であるため、プーチン大統領の反応を「偽旗」に対する反応である、として非難できないからだ。

ロシアは、超精密な超音速戦術核兵器で、欧米の意思決定中枢や軍事中枢、金融中枢を同時に一掃する軍事能力を持っており、人命の損失を最小限に抑えながら、欧米の権力構造を無力化することができる。

*
ピーター・ケーニッヒは地政学の専門家であり、世界銀行と世界保健機関(WHO)の元上級経済学者で、30年以上にわたって世界中で働いた。著書に『Implosion – An Economic Thriller about War, Environmental Destruction and Corporate Greed』、シンシア・マッキニー氏との共著『When China Sneezes: From the Coronavirus Lockdown to the Global Politico-Economic Crisis』(Clarity Press – 2020年11月1日)がある。

ピーターは、グローバリゼーション研究センター(CRG)の研究員。北京の人民大学重陽研究所の非常勤上級研究員でもある。

ビクトリア・ヌーランドが7月11日を第三次世界大戦開始日に見据える。

<記事原文 寺島先生推薦>
11th July: The date set by Victoria Nuland for WWIII
筆者:tts-admin
出典:ザ・トゥルース・セイカー(The Truth Saker)   2023年6月24日
初出は、TFIGlobal.com 2023年5月31日。 筆者は、アンシュ・パンディ (Ansh Pandey)
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月23日





 ウクライナでの戦争は、常に緊張状態に置かれている。つかの間の平穏が訪れても、すぐに事態が警戒すべき規模に激化してしまう。その影に潜んでいるのは、悪名高い影の政府だ。この影の政府が、権力者らが繋がっている見えにくい網であり、米国の外交政策を密室で形成している、と言われている。

 ヌーランドが、とんでもない爆弾発言をした。ウクライナ政府とのビデオ会議において、大胆にもヌーランドは、7月11日に第三次世界大戦が勃発する可能性があると宣言したのだ。そう、皆さん、大惨事へのカウントダウンが正式に始まったのだ。


7月11日に勃発する第三次世界大戦

 報道によると、削除されたキエフ当局者とのビデオ会議で、ヌーランドは、第三次世界大戦は7月11日に始めるのが効果的だと述べ、米国とその友好諸国は16年以上かけてその戦争を戦うことになる、と述べた…7月11日が選ばれたのは、リトアニアでの一日間の日程で開かれるNATO首脳会議が行われる日だからだ。

 ヌーランドによるこの大胆な宣告には身震いさせられる。ヌーランドの考えでは、米国とその友好諸国が、終わることのない16年戦争に引き摺りこまれるというのだから。その事実だけでは恐怖を感じない人々のために付け加えるが、ヌーランドが設定した開戦日が、NATO首脳会議と同日なのだ。まるで、ヌーランドがその戦争の進め方に少し劇的な要素を付け加えたかったかのように。

 NATO首脳会議が近づくにつれ懸念されていることは、この会議の目的が何であるのか、という点だ。差し迫ったこの戦争に対する避けられない反撃から欧州を守るためなのか。あるいは、不利な条件を取り除き、空中での惨事を避けることで、ウクライナを無傷で守るために、何機の戦闘機が必要なのかを決めるためなのか。


ヌーランドとは何者か?


 
 非常に人騒がせな女性であり、「民主改革と、ウクライナと西側とのつながりの強化」を揺るぎなく支持する人物として知られている。そしてヌーランドは、プーチンやプーチンに同調する者たちの動きに対して、恐れることなく攻撃を加えてきた。

 ユーロマイダンでの抗議活動の際には、ヌーランド女史は明らかな影響力を示していた。ヌーランドは反対派を支援する立場を取っていたのだが、漏洩したテープの記録からは、ヌーランドが背後から影響力を示していたことがうかがい知れる。ヌーランドは、ウクライナでのこの事件に消せない痕跡を残している。


ロシア政府に対する攻撃

 さらに、ロシア政府がヌーランドにとっての主な標的であり、これは現在のこの戦乱において見逃すわけにはいかない事実だ。プーチン政権を転覆することによりヌーランドが望んでいるのは、ナワリヌイを長とする暫定政権の設立だ。

 西側各国政府の計画から全く抜けているのは、和平に向けた話し合いや外交的な解決法が無視されている点だ。米国の影の政府は、大きくはっきり聞こえる伝言を送っている。「プーチンは何としてでも排除されなければならない」。

 これが、ロシア政府に対する攻撃が、急に大きく増えている原因だと言える。先日ロシア政府は、ウクライナから突然のドローン機による攻撃を再び受けた。そのため、状況はもっと不安定になっている。 

 世界が崩壊の淵に追いやられるなか、核戦争が起こる可能性も、不気味に広がっている。緊張が激化するなか、核攻撃の応酬が起こる可能性が、常に存在する悪夢になっている。そうなってしまえば、その結果は計り知れないほど壊滅的なものになろう。それは直接核戦争に関わっている国々だけではなく、世界すべてにとっても、である。

 時計の針が7月11日に近づくにつれて、私たちの心は落ち着かなくなっている。世界の運命は、不安定な均衡のなかにあり、私やあなた方のような普通の人々は、これから迎えるであろう恐ろしい結果について思いを巡らせるしかなくなっている。

 私たちの世界の運命は、私たちが団結力を発揮できるかにかかっている。その前に立ちはだかるのは、影の政府が描いている破壊へ向かう無謀な道筋だ。破壊へのカウントダウンは続いている。しかし、私たちにはその道程を変える力がある。私たちを奈落の底へ突き落とそうと脅してくる権力に立ち向かえるかどうかは、私たちにかかっている。


ローマクラブ『成長の限界』の著者が世界人口の86%削減を促進

<記事原文 寺島先生推薦>
Club of Rome “Limits to Growth” Author Promotes Genocide of 86% of the World’s Population
筆者:ローダ・ウイルソン(Rhoda Wilson)
出典:Global Research  2023年6月5日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年7月17日


デニス・メドウズは、ローマクラブの『成長の限界』の主要な著者の一人であり、世界経済フォーラムのメンバーだ。




***

 デニス・メドウズは、ローマクラブの『成長の限界』の主要な著者の一人であり、ローマクラブの名誉会員および世界経済フォーラムの一員だ。もし、彼の思想が彼の著書の出版以降、その声量を落とし、「反・人間」の考えを弱めたと思うなら、それは間違いだろう。

 以下は、2017年の動画でのメドウズの発言だ。彼は、将来避けられない86%の世界人口の虐殺が「慈悲深い」独裁の下で平和に達成されることを望んでいる、と述べている。彼の発言:

 「もし私たちに賢明な、非常に強力な独裁政権があれば、世界人口80億または90億を[ ]することができるでしょう・・・そして人々が低い生活水準を持っている場合・・・ しかし、私たちは自由を望み、高い生活水準を求めているので、世界人口は10億人になるでしょう。現在は70億人ですから、減らさなければなりません。これがゆっくりと、比較的平等になるよう比較的ゆっくりと進むことを願っています。つまり、そうすれば人々はこの(人口削減という人類の)経験を共有するのです」。





 この記事の最後に明らかになるように、メドウズの言葉が国連気候変動会議COP1で最初に提示された「1995グローバル生物多様性評価」と響き合っているのは偶然ではない。こう書かれている:

 「農業の世界」では、人類のほとんどが農民であり、50億から70億人を支えること ができるはずだ・・・対照的に、現在の北米の物質的生活水準での工業化された社会の合理的な推定人口は10億人だ。

Global Biodiversity Assessment, UNEP, 1995, pg. 773

 この思想の支持者たちが言及しないのは、Worldometerによれば、現在の世界人口は80億人を超えており、彼らの恐怖を煽る予測とは一致しない点だ。十分な理由があって彼らは現実の筋書きを避けるのだが、それは彼らが想定する型がごまかしであり、データを操作しているからだ。

関連記事:Limits to Growth, Climate Change, Digitization of Everything and Worldwide Censorship — All Leading to WEF and the Behemoth Cult Commanding It

 COVID-19危機中のニール・ファーガソンによる予測演算の操作は多くの人々に知られるようになったが、強力なマルサス主義者の繋がりは過去の大半の世紀にわたって同じ手法を利用して自ら掲げる計画を売り込み、押し付けてきた。

 マルサス主義者とは、トーマス・マルサス(1766年-1834年)の信奉者たちを指す。マルサスは、人口水準は常に幾何学的な成長に向かい、一方で農業資源は算術的な成長に向かう傾向があり、比較的予測可能な「危機点」が生じるという数学的な論文を提唱した。マルサスは、イギリス帝国を代表する社会技術者たちは、これらの「危機点」を科学的に管理して「人間の群れ」を取り扱うべきだと信じていた。マルサスは、自然が支配階級に対して重要な課題を達成するための特定の手段を与えていると信じていた。それは戦争、飢饉、そして疫病だ。

 1968年に設立されたローマクラブは、すぐに西側世界に支部を設立し、その会員は、全員、社会の最良の統治形態は科学的独裁であることに同意していた。

 ローマクラブは、世界的な非政府組織(NGO)であり、国家元首、王族、ビジネスリーダー、国際金融家、学術研究者、研究所の科学者、国際連合(UN)、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、そして経済協力開発機構(OECD)などのグローバル・ガバナンス*機関の管理者などを集めて会議を開催している。ローマクラブは、ビルダーバーグ・グループ、王立国際問題研究所(RIIA)、そして外交問題評議会(CFR)の「円卓」構造に倣っており、代表者が持続可能な開発のマルサス主義的な生態学に基づいて、世界の自然資源と人的資源を公共と私的な管理下で計画する会議を支援している。
*地域や国境を越えて解決する、政治的相互作用のこと

 1972年、ローマクラブの『成長の限界』は、マサチューセッツ工科大学(MIT)から集められた統計学者チームによって計算されたコンピュータ演算予測の結果を公表した。これは、ジェイ・フォレスターとデニス・メドウズを名目上の代表とするMITチームによって2年間にわたって行われた研究の集大成だった。『成長の限界』はおそらく「持続可能性」についての最も影響力のある書籍だ。それは現在の反人間主義運動の聖書であり、グリーン・ニューディール・計画の設計図となった。

 ローマクラブの『成長の限界』は、原則としてマルサス主義的であるだけでなく、参考文献の調査からも、人口管理に取り組んできたさまざまなマルサス主義的な優生学者や関連機関による幅広い引用により支持されていることが明らかになっている。

 2012年の記事は、『成長の限界』の40周年を祝いながら次のように述べている:「『成長の限界』を今日読み返す価値があるのは、他のどの本よりも、この本は人為的な気候変動の概念を大衆に紹介したからだ」。他の理由でも『成長の限界』を読み返す価値がある。

 その一つの理由は、『成長の限界』が、世界の気温と人口成長、資源喪失、そして「汚染」という定義の曖昧な分類といった経済変数を結びつけた最初の本であったことだ。メドウズと彼の共著者たち(その中の一人は彼の妻)は、線形方程式を使用して将来の傾向を推測し、次の二つの大きな誤謬をさらけ出した:

■ 物理的な時空の構造は、探知可能な宇宙において本質的に非線形であり、したがってどんな計算能力を持ってしても線形方程式によって表現することはできない。人間の創造的思考は、ひらめきや真理への愛、尊厳、美などの、形式化できない存在の状態に結び付いているため、二進法では近似することができない。ローマクラブのプログラマーたちは、これらの事実を無視し、彼らのソフトウェアと同様に宇宙が二進法であると仮定した。

■データセット自体は、政府政策を形成しようとするコンピュータプログラマーの操作によって容易に歪められ、再構築される可能性がある。我々は、イギリスインペリアル・カレッジのニール・ファーガソンが、将来の筋書きの誤った結果を導くためにこの手法が使用しているのを既にしっかり目撃している。そして同じ手法が生態演算にも適用されている。

 『成長の限界』を読み返すもう一つの理由は、この本が超国家組織に与えた影響を明らかにすることになるからだ。数十年にわたり、ニューエイジ*の指導者であるバーバラ・マルクス・ハバードは、新たな世界秩序を導入するために人口の四分の一を減らすことを提唱し、トランスヒューマニズム**とマルサス主義的な持続可能な開発を支持してきた。これは、グレート・リセットや第4次産業革命の要の考え方だ。ハバードのマルサス主義的な人口過剰理論は、『成長の限界』に一部触発されていた。実際、ハバードの『共創の書』には、生態的な災害につながる「成長の限界」を警告する多数の文章がある。彼女はまた、ローマクラブの共同創設者であるアウレリオ・ペッチェイと個人的に会っている。ペッチェイは世界経済フォーラムの背中を押し、1973年の第3回世界経済フォーラムで『成長の限界』のマルサス主義的な教義を採用させようとした。
*20世紀後半に現れた自己意識運動であり、宗教的・疑似宗教的な潮流(ウィキペディア)
**新しい科学技術を用い、人間の身体と認知能力を進化させ、人間の状況を前例の無い形で向上させようという思想(ウィキペディア)


 最後になるが、今回取り上げたローマクラブのメンバーであり、『成長の限界』の著者(デニス・メドウズ)は、独裁政権が世界人口の86%をゆっくりと「平和に」削減することを望んで予測演算を操作したのだ。

 『成長の限界』やそれが推進する計画を決して賞賛してはならない。なぜなら、それは我々の死を促進しているからだ。

Sources
Dennis Meadows [Club of Rome] ‘6 billion People Have To Go’, Why Not News, 21 April 2022
The Club of Rome and the Rise of the “Predictive Modelling” Mafia, Unlimited Hangout, 21 November 2022
Barbara Malthusian Hubbard: From Limits to Growth to UN Agenda 2030, Unlimited Hangout, 3 March 2023
The Revenge of the Malthusians and the Science of Limits, Unlimited Hangout, 28 June 2022

イゴール・マカロフ:G20の政策顧問団は、アメリカの身勝手な「ルールに基づく国際秩序」にうんざりしている。

<記事原文 寺島先生推薦>
Igor Makarov: G20 policy advisors are tired of America’s self-serving ‘rules-based international order’
The ‘Global South’ is starting to question whether Western countries, and primarily the US, should be allowed to continue dictating the international agenda
「グローバルサウス」は、西側諸国、特にアメリカに国際的な課題を決定させ続けることを許していいのかどうかを疑問視し始めている。
筆者:イゴール・マカロフ(Igor Makarov)
イゴール・マカロフ:高等経済学院(HSE)の准教授、気候変動経済学の研究・教育ラボの責任者そして、HSEの現代世界経済の編集長。
出典:RT 2023年5月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月12日



美術家が、G20外相会合に先立ち、インドのニューデリーでG20のロゴを描いている© Arrush Chopra / Getty Images


 私は、先週ムンバイで行われたThink 20の臨時会議に参加した。Think 20は、G20のための「アイデア銀行」を自称し、シンクタンクや高レベルの専門家を集めて、G20に関連する政策課題について議論する。

 そこで出される提案は決して些細なものではない。現在、世界は一連の同時的な構造的危機に直面している:経済、債務水準、持続可能な開発目標、そして、それらとは別に、気候変動がある。とりわけ、世界はグローバル・ガバナンス(一国では解決できない世界規模の課題への対応)の危機にも直面しており、その基本的な構造は(今とは)異なる時代(国々の力の均衡が異なり、異なる目標を持っていた時代)に開発された。

 主な批判の対象は国際金融機関だった。問題は、それらが先進国によってどれだけ効果的に運営されているかではなく(これも大いに議論されている)、共通の目的のために大量の資金を集める任務に十分に対応できていないことだ。世界には多くの持続可能な開発課題に対処するための金融資産は十分にあるが、それらを必要な場所に向けることができていない。



関連記事:数十人の死者と何万もの避難者:インドのムンバイ州の民族間闘争の中で起こったこと。

 例えば、過去5年間における先進(主に西側)世界における資本コストは1.5-2%だったが、アジアでは8%、アフリカでは16%、サハラ以南のアフリカでは22%だった。西側での金融政策の引き締めは、途上国にとって状況をさらに悪化させるだけだ。国際金融機関の役割は、貧しい国々に援助を提供することよりも、世界中の十分な民間の貯蓄を開発事業に振り向けるために、投資家のリスクの一部を引き受けることだ。

 たまたま出されたインドの不満は、世界銀行が自国インドの3兆ドル(米ドル換算)を超える経済に対して雀の涙(たった数十億ドル)の資金提供しかしていないことだ。

 2つ目の必要性はデジタル化だ。焦点は、サービスや公共インフラのデジタル化(産業に利用できる欧米とは対極的)に置かれている。これが機能する例として、インドで開発されているデジタルIDシステムがある。このシステムは銀行口座とつながっている。その結果、南アジアの国でのデジタル取引は中国よりも4倍多く、米国と西ヨーロッパを合わせたよりも11倍多くなった。

 その目的は2つある。1つは、より多くの人々(特に女性)を経済活動に参加させることを容易にすること。もう1つは、技術革新を促進することだ。途上国は、中国の成長モデルであったような西側の産業を受け入れることがますます困難になるため、技術革新は特にサービス部門を通して構築される必要がある。さらに、新たな技術によってグローバル企業がますます外注を行えるようになるため、この傾向が強まっている。



関連記事:アンドレイ・スシェンツォフ:EUの新加盟の東欧諸国が、EUを支配してきた手法

 多国間主義は不可欠だ。ただし、問題は一方ではアメリカ、もう一方では中国がそれにどの程度準備ができているかということがある。

 アメリカは次の選挙の結果やその過程そのものに関心があり、世界規模の問題にはそれほど関心を持っていない。一方、中国は中国中心の形式である「一帯一路構想」などの形でこれまでに問題解決に参加してきた。ある参加者がロシアを批判し、世界秩序を乱していると攻撃しようとしたが、ブラジルの議長によって厳しく非難され、その後インドの議長にも同様に反論された。

 一般的に、ムンバイでの「ルールに基づく秩序」という話題は、だれの目にもうんざりするものだった。わずか数年の間に私が見てきたのは、代表者たちがこのような秩序の危機を宣言する姿勢から、だれが実際にルールを作るべきかと主要な人々問う姿勢への明確な変化だ。

 全般的な印象として、2022年から2025年までのインドネシア、インド、ブラジル、そして南アフリカのG20の連続した議長国(彼らの間で非常に活発なやり取りがある)は、これらの国々によって新たな言説を形作るために最大限に活用されるだろう、ということがある。もちろん、これは自動的にはグローバル・ガバナンスの改革にはつながらないが、これらの変化への持続的な圧力となるだろう。

広島におけるインド首相モディ氏:世論、政治、現実

<記事原文 寺島先生推薦>
Modi at Hiroshima: Optics, Politics, Reality
https://libya360.wordpress.com/2023/05/22/modi-at-hiroshima-optics-politics-reality/
筆者:M.K.バドラクマール (Bhadrakumar)
出典:INTERNATIONALIST 360°2023年5月22日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月11日

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モディ首相(左から4人目)&G7首脳会議特別招待者の家族写真(広島、2023年5月21日)


 インドの首相ナレンドラ・モディの海外訪問は、国内の視覚効果を考慮して注意深く演出されたイベントだ。おそらく、今日はその意味合いが一層強まるだろう。総選挙が迫っているからだ。モディはカルナータカ選挙での壊滅的な敗北の後に広島で表舞台に立つことになった。それは与党バジパイ・ジャンタ党(BJP)の政治的な側面にとっても、モディの個人的な側面にとっても同じくらい強い意味合いを持っている。

 しかし、今回の視覚効果は絶大だった。追従の芸術において、かつては達人であったバイデン大統領は、モディの上を行くために身をかがめ、さらにはサインを求めてモディの「人気」を羨んだと述べている。

 のんびりとした南西部の沿岸都市である広島が、「強力なメッセージを発信する」という象徴的な意味合いで、G7サミットの舞台として選ばれたというのは、私たちの分断された時代の逆説の一つとしか言いようがない。そうは言っても、アメリカが1945年に広島に「リトルボーイ」という原子爆弾を投下(歴史家たちの結論では、まったく不必要な行為だった)し、推定14万人の人々を殺害し、核戦争の理論を恐ろしい現実に変えた唯一の国であることを忘れることはできない。

 広島は、その方向を180°転換させられロシアと中国を非難することになった。G7サミットは、口にすることと実際の行動が真逆な世界の指導者たちで溢れていた。英国の首相リシ・スナクは、キエフに劣化ウラン弾を供給した後、広島に飛んだ。その弾薬はすぐにウクライナ中部のフメリニツキー市で爆発し、周辺地域の土壌を数十年にわたって汚染する可能性のあるガンマ線のレベルを大幅に上昇させた。

 G7は「ダブル・スピーク」が滴っていた。かつての植民地強国は「経済的な強制」について雄弁に語ったが、巧妙に南アフリカを特別招待国から除外し、代わりにコモロスを選んだ。なぜコモロスなのか? それは、コモロスにとって最も重要な国は、かつて植民地国家だったフランスだからだ。そんなコモロスが広島で生意気な行動を取るはずはないだろう。

 もちろん、広島での皮肉な光景はモディの注目を逃れるはずもなかった。彼のG7サミットの作業部会9での「外交的でない」発言は、国連が単なる「話し合いの場」という愚かな現実や、国際法や主権、領土の完全性への尊重の必要性、現状変更への一方的な試みなどについて述べたものであり、西側の指導者たちは、彼の話を聞きながら、気まずさに身をよじらせたことだろう。

 それがモディの意図でなかったにしても、彼が述べたこと(コンマやセミコロン、ピリオドを含めてその一字一句)は、実際にはアメリカによるシリア領土の1/3の違法占拠について凝縮して語っていた。ちなみに、シリアは国連の創設メンバーの一つであり、1945年10月24日から加盟している。G7が見るも無残な光景を呈しているのは間違いない。

 しかし、モディのウクライナ大統領ゼレンスキーとの会談こそが彼の卓越したコミュニケーション技術を引き出した。歯切れのよい英語で書かれた外務省の味気ない声明でも、二人の短い会話の雰囲気が分かる。

 モディは次の3つの重要点を述べた。第一に、彼にとってウクライナの戦争は政治的または経済的な問題ではなく、「人間性、人間の価値の問題」である。第二に、インドは「前進する方法を見つけるために」対話と外交を支持し、紛争解決に協力する意思がある。第三に、インドはウクライナの人々に対して人道支援を継続するだろう。

 私たちはゼレンスキーがこの難しい会話をどのように処理したのかは分からない。おそらく、彼は実際にはモディに「ウクライナの現状について」短く説明したに過ぎないかもしれない。モディの発言からは、彼がインドの中立を堅持し、ウクライナ危機の発生原因やロシアの西側との対立の複雑さ、さらにはNATOのウクライナへの拡大(ゼレンスキーがそれを受け継いだ)や国家主権の喪失といった煩雑な問題をうまく避けたことが伝わってくる。

 代わりに、モディは高い視点に立ち、戦争による人々の苦しみに言及し、「対話と外交」を優先することを強調した。指弾することがモディの意図ではなかったかもしれないにしろ、ゼレンスキーの心に不安を引き起こしたかどうか、を私たちが知ることは絶対にないだろう。

 皮肉なことに、ゼレンスキーの一連の失策がなければ、戦争は勃発せず、現在の暴力のレベルまでエスカレートすることもなかっただろう。彼がドンバス地域に連邦内での地方自治を提供するミンスク合意を拒否したこと、ドンバス地域の疎外問題に対して軍事的解決を追求する頑固さ、昨年3月下旬のロシアの介入から数週間後にイスタンブール協定から撤退したことなどは、英米による後ろ楯としての行動があり、英米はモスクワ政権を強制的に転覆するという独自の目的を持っていた。

 モディは我を忘れて自分のウクライナの紛争解決に個人的名声を賭けてしまったのかもしれない。明らかに、このトンネルの出口に光は見えていない。バイデンは軍事的な敗北やウクライナ国家の崩壊の様子を受け入れることはない。また、ロシアも自らの存在に関わる戦争と考えている問題で妥協することはない。

 (ウクライナ)政府は、インドが冷戦後の時代に本当に一度も開かなかった、西側とロシアという扉を通り、美しい庭園に至らせるなどという魅力的な見通しについての妄想にふけるべきではない。そんなものは、はっきり言って、存在しない。インドには調停者となるだけの資格も影響力もない。

 本当に心が挫けてしまうのは、モディがブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァと手を取り合い、知的資源を共有するという素晴らしい機会が失われたことだ。両国は両方ともグローバルサウスを擁護する大国なのだ。しかし、ワシントンがゼレンスキーのルーラとの約束を阻止することで、計画が狂ってしまった可能性もある。(ゼレンスキーは姿を現さなかった。)

 モディは、アメリカへの今後の国賓訪問(6月21日から24日)を視野に入れて、広島を訪れた。さらに、最近バイデン政権からは、技術移転に関するインドの要望に対してより良い見方が可能かもしれないという打診があった。

 西側からの圧力は、モディ政権にウクライナに関する中立を放棄させようと、今後も続くだろう。最近、欧州連合もこの問題に公式に取り掛かっている(「EU calls out India on Russia sanctions」という私の記事を参照されたし)。しかし、インドの押し返しは信じるに足る。その最も確かな兆候は、モディの「抱擁外交」への転換だ。つまり、ソーシャルメディアにおいてとは言え、外務大臣ジャイシャンカールは、「BJPの核心支持層」に対して素っ気ない言い方をしている。

 問題の核心は、インドとロシアを結びつける戦略的な関係が、国際法に完全に適合しているということだ。そしてそれは、クライナがその一症状に過ぎない不安定な国際状況において、「win-win」の精神と、相互信頼と相互信用に染め抜かれている。

 客観的な現実は、インドとロシアのエネルギー協力(西側にとっては目障り)が、相互の利益に叶うので、より一層深まる可能性さえある。ブルームバーグ紙が週末に報じたところによれば、石油取引を除いても、4月には中国とインドがロシアのアジアへの石炭輸出の2/3以上を占め、エルニーニョ現象の出現により今後数週間でさらに増加する見込みだ。エルニーニョは定期的に起こる温暖な気候パターンであり、その地域で干ばつを引き起こす可能性がある。

 権威ある学術誌Scienceの研究によれば、今年のエルニーニョ現象は5月から7月にかけて発生すると予想され、特に強くなる可能性がある。同紙が引用する専門家の意見:

 「現在のこの灼熱の気温の中で最悪の場所は南アジアだ・・・自国民の基本的な要求さえ満たせない状況では、国際問題に過度の配慮をすることはとてもきびしい・・・ [南アジアの人々] は自問している: アメリカとの対立を避けるか、エネルギーの大幅な割引を諦めるか、どちらを選ぶべきか」。

道化師王子ゼレンスキーのサウジアラビアと日本への「托鉢」旅

<記事原文 寺島先生推薦>
Clown Prince Zelensky’s Saudi And Japanese Slime Trail
筆者:デクラン・ヘイズ(Declan Hayes)
出典:Strategic Culture 2023年5月24日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月6日


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 この先、日本・台湾・韓国は、サウジアラビアに倣い、できるだけこっそりと、支配者である米国から距離をとるようにすべきだ。

 西欧歴訪を終えたばかりの、道化師王子ゼレンスキーの興ざめの出し物の次の公演先は、サウジアラビアと日本だった。両国とも、 外交辞令や覚え愛でたくする努力が強く求められる国だ。ゼレンスキーは両国で、いつものGIジョー(米国の男子向け兵士人形)さながらの服装を身にまとい登場したが、ゼレンスキーが提唱していた自分勝手な言い分はどれも、計り知れず、取り返しのつかない害をなすだけのものだった。

 まず訪れたサウジアラビアでは、シリアのアサド大統領やアラブ諸国の指導者たちが、この地域で物事がどう進んだかを示した。それは日本でのG7でも同じだった。皆きちんとした服装をして、ルールに従って行動し、事を済ませた。

 これは本当の話だが、日本の成田空港について、最初に目にするモニター画面には、大きな字でこう書かれている:「日本へようこそ。決まりは守ってください」と。そのような決まりのひとつには、「ローマに入ればローマのやり方に従え」というものがある。今回の場合は、「日本に来たら日本のやり方に従え」だが。この決まりは大事だ。日本人に問えば誰でもこう答えるからだ。「出る杭は打たれるよ」と。 丸い穴にピッタリはまる四角のネジなどないのだから。日本でもサウジアラビアでも、 人はその場にあった服装や振る舞いをすべきなのだ。GIジョーの格好が許されるのは、コスプレをする10代の子どもたちまでだ。

 そんな考えはゼレンスキーやお付きのならず者たちには全くなかったようだ。ナチスを真似た軍服姿で登場し、サウジアラビアから通行人役を与えられたが、サウジアラビアからはとっと追い出されたようだ。覚えておいていただきたいのは、サウジアラビアはこの会議で、シリアのアサドと会食し、中国の支援を得て、イランやイエメンとの関係も修復していたという事実だ。

 ではゼレンスキーは何をしたというのか? ゼレンスキーは、アラブ諸国全体に対して、勉強不足の知識をもとにイランやシリア、ロシアの悪口を言ったのだ。その行為が持つ意味は、ゼレンスキーを操る影の勢力があまりにも傲慢で、あまりにも無知なため、アラブ諸国の空気を読めていなかったということだ。「2023年版アサド政権との関係正常化阻止法」を有する米国と、米国の対シリア政策をオウム返ししているナチス・ドイツのアンナレーナ・ベアボックがアラブ諸国をいつどこで失ったのかを知りたいのであれば、彼らはあの愚か者がサウジアラビアで見せた息を呑むほど無知な振る舞いを見るだけでいい。

 当ストラテジック・カルチャーが5月19日に出したG7の広島の集いについての社説は素晴らしかったが、その記事に付随されていた写真にはG7の指導者(原文ママ)たちしか写っておらず、フォン・デア・ライエン委員長などEU関係者が写っていなかったのが玉に瑕だった。これではまるで、EU関係者が歌う歌が、歌なしのカラオケで流れているような写真になってしまった。これらの指導者が、7人の侍なのか、7人の小人なのか、はたまた七つの大罪なのか、彼らが見せる姿にあった呼称で呼ばれればいいだけの話だが、ともかく、あの場面での何枚かのストック写真(後で広報に利用するため予め撮られてあった写真のこと)は、まるで10代の子どもたちが自身のSNS上にあげるような写真に見えた。

 この印象は、彼らが広島を闊歩している姿からも再び浮かび上がった。1945年に行われた悪名高いテロ攻撃の犠牲者たちを馬鹿にするかのように、広島にある平和記念碑を背景に使って写真を撮っていたのだ。これは、ポルノ俳優など社会に高い影響力を持つ人たちがすることと同じことだ。誤解のないように付け加えるが、こんなSNS上で影響力を誇示する人たちの投稿と言えば、見かけだけで中身は全くないのだから。

 日本の首相がバイデンの手を引いて誘導しなければならなかった場面を見てお笑いになられた後で見て欲しいのは、カナダのおバカさんトルドーが、韓国の首相の前で大股を広げている様子だ。こんな格好をするのは、SNS上の人気者であって、一国の指導者ではない。次に見ていただきたいのは、イタリアの首相の姿だ。可愛らしく、この悪党集団の中に自分が入れたことだけで嬉しそうだ。日本の首相とともに、顔を黒塗りにしたことがあるトルドーからトランスジェンダー(体の性と心の性が一致しない人)の権利についての講義を聞く羽目になったとしても、だ。さらに米国の駐日大使もこの講義の講師の一人だったのだが、本当のことを言えば、この大使は米国が長崎や広島や沖縄、そして東京で犯した戦争犯罪について、起きているうちはずっと日本に謝り続けないといけないはずなのだ。

 おっと、ウクライナのGIジョーもこの集まりに加わったことを忘れてはいけない。ゼレンスキーが、彼を影で操るフランスの諜報機関が用意した航空機に乗って広島に現れたとき、MI5の手先であるBBCは、ゼレンスキーが出席したことは、事態を大きく変えることになると高らかに報じた。なんでそうなる? ゼレンスキーが持参したのは、この会議のために用意した托鉢用の器だけで、ゼレンスキーのことも、彼が繰り出すいつもの聞き古された歌謡と舞踏も、もう誰の目にもとまらなかったはずだ。いつも同じ歌しか歌えない物乞いが、施しをくれる人々から相手にされないのと同じように。

 広島でのバカ騒ぎの宴での話題の焦点は、中国に因縁をつけることだったのだが、考えるべき点は、その話し合いの首尾はどうだったかと、なぜインドと超大国のコモロ諸島がこの余興に招待されていたのに、南アフリカとフィリピンが加わっていなかったかという点だ。インドには直面すべき経済上の課題があったため、ナレンドラ・モディ首相は、中国への因縁づけやG7が焚き付けている他の火種に自国は巻き込まれたくないという立場を外交上示すために参加したのだった。小国のコモロ諸島がアフリカ代表として参加した理由は、 ゼレンスキーを操るフランスの勢力が、コモロ諸島なら管理できそうだと考えたからであり、南アフリカをG7が抑える事は不可能だということを知っていたからだ。それは、ヤンキー(米国)の戦争屋が、フィリピンを抑えられないことを理解していたのと同じだ。 G7が狙いを定めていたのは中国を強く非難することだったから、この両国は応じないことが分かっていたからだ。

 ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ大統領がゼレンスキーとの面会を断った理由は一つだけ。一目見てゼレンスキーがただのウクライナのおバカさんだと見抜いたからだ。そして、日本を凌ぎ、いまや世界最大の自動車輸出国となった中国は、もちろんこの会議に呼ばれなかった。というのも、中国は東アジアの悪党だと思われているからだ。そう、1973年の石油ショックの際に、日本がそう思われていたのと同じように。広島でのサーカス公演は、中国を弱体化させる話し合いに終始していたが、経済巨大国である中国にケチを付けられるのは、いわゆる人権問題についてだけなのだ。

 ウクライナの大統領が、ブラジルやインドの気を引けなかった一つ目の理由は、ゼレンスキーに魅力がないからだ。そして二つ目の理由は、インドやブラジルは、ロシアの主要な貿易相手国なので、ゼレンスキーのような負け犬に構っている暇はないからだ。 そのゼレンスキーと言えば、広島の話をするのに、自分や自分が持ってきた托鉢用の鉢を中心にした話しかできないのだから。

 このウクライナのおバカさんにとって一番大事な問題は、ポルノ俳優のような自分が、MI5に手を貸してもらい、キエフ政権の頂点に君臨できた、という点だ。 ただし、ゼレンスキーだけがMI5に手を借りて、広島にやってきたおバカさんではない。 英国のリシ・スナクもそうだ。何の地盤もないところから、ウィリアム・ヘイグ(元保守党党首)から無投票当選が確実な選挙区を譲ってもらい、投票も受けずに議員の座に割り込み、首相にまで上り詰めた人物だ。

 愚か者のリズ・トラス(英前首相、G7時期に台湾を訪問した)、顔を黒塗りにしたことがあるトルドー、失禁して茶色くなったズボンを履いていたことのあるバイデン、それとクック諸島を見れば、中国やロシアは好機到来だと喜んだに違いない。え、クック諸島? その通り、クック諸島も招待されていた。太平洋で中国を止めるためだ。クック諸島の人口は、1万5040人。中国の方がちょっと多いかな?クック諸島のGDPは3億8400万ドル。これも中国の方がちょっと多いかな? でも、安心してください。クック諸島には、道化師王子ゼレンスキーが味方に付いてくれたようだ。

 現実世界の話に戻ると、G7の統制下にある資本は世界全体のGDPの3割弱にすぎない。クック諸島のGDPを足しても、だ。もちろんそれよりも少ない資本で世界を支配下に置くことは理論上不可能ではないが、主要部門であるロシアが持つ防衛産業と中国が持つハイテク部門の広大な領域を手放した状態でそれを成し遂げるのは困難だ。

 これらのことは、通行人役として報酬をもらっている、ゼレンスキーやトルドー、他のSNS上で影響力をもつ人々にとってはなんの関心も持てないことであろうが、両耳の間にある灰白質の中身が少しでも詰まっている、日本や韓国や台湾などの産業界の重役にとったら大問題のはずだ。

 日本の岸田文雄首相もそのような人物の中の一人のはずなのだか、どうやらそのような方向性を取り損ねているようで、顔を黒塗りしたことのあるトルドーや、神が我々に与えたもうたゼレンスキーと同じく、通行人役に徹しているようだ。岸田はこの18ヶ月の間に16カ国ほどを訪問した。具体的には、インドやアフリカ諸国、東南アジア諸国だが、その微妙な外交関係が、日本の切り札になったことはない。日本が好んで選んできたのは、たいてい悲惨な結末しかもたらしてこなかったのだが、 どこかの超大国とひっつく道だけだからだ。

 この先、日本・台湾・韓国は、サウジアラビアに倣い、できるだけこっそりと、支配者である米国から距離をとるようにすべきだ。日本は米国とは広大な国境を接している;カナダの道化師やウクライナの道化師と繋がっている米国と太平洋と呼ばれる国境を接しているのだが、その太平洋を国境とするもう一方には、中国、韓国、台湾がある。そちらの国境からは、双方にとって友好的で利のある関係が、クック諸島、ソロモン諸島、さらには未だに米国の占領下にあるグアムやハワイ両地域の善良な人々と結べる。

 これらの太平洋諸国にとっても、世界全体にとっても、不必要なのは、CIA、その手下であるGIジョー、黒人の権利に理解のある振りをする人、プッシー・ライオット(訳註:ロシア政府に反旗を翻したロシアの女性ロックバンド) 、女性の権利拡大を主張する俳優らが、ソーシャル・メディア上で、広島、長崎、東京、京都といった東アジアの文化の中心地にむけて毒を吐く行為だ。これら日本の諸都市では、これらの勢力が不要であるだけではなく、文化や階級、華やかさ、儀礼という点において日本と比べて完全に劣っている。

ナチス・ドイツは敗北した…しかしファシズムは一時的に停止したに過ぎなかったことを、ウクライナでのNATOの代理戦争が示している

<記事原文 寺島先生推薦>
Nazi Germany’s Defeat… But a Pause for Fascism as NATO’s Proxy War in Ukraine Demonstrates
出典:Strategic Culture Foundation 2023年5月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月1日


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 1945年のナチス・ドイツの敗北は、ファシズムに対する長期にわたる歴史的な闘いの一休止にすぎないことが判明した。私たちはその闘争がウクライナで、そしてロシアに対する米国の無謀で精神異常な攻撃とともに展開しているのを目の当たりにしている。

 今週は、1945 年 5 月にナチス・ドイツが敗北してから78周年を迎えた週だった。邪悪な第三帝国は打ち負かされたが、より深い怪物は倒されていなかった。ナチス・ドイツは西側帝国主義ファシズムの一つの型にすぎなかったのだ。戦後、そのファシズムは、アメリカ合衆国とその衛生国家である様々な西側諸国により最大限の力と共に再出現した。

 ワシントンとその西側衛星国を第四帝国と表現するのは誇張ではない。

 ソ連・米・英・それ以外の西側同盟諸国の間の戦時下での臨時軍事同盟は、すぐに冷戦に移行したが、それは歴史上最も破壊的な戦争の戦火がまだくすぶっているときのことだった。このような両勢力のねじれた関係をみれば驚かされる。

 西側の軍国主義がこのように再構成された様は、1945年に設立された国連が、すぐさま米国が主導する西側勢力と1949年に結成されたNATO枢軸諸国から嘲笑の対象になったことから説明できる。これら西側勢力とNATOは外国に対して数え切れないほどの侵略行為を行ってきた。朝鮮戦争(1950年代)から現在のウクライナでの戦争に至るまでずっとそうだ。

 1945年の冷戦と、今のウクライナでの戦闘の起源をたどれば、第2次世界大戦終了時に米・英がナチス第三帝国と結んでいた秘密の関係にまで行き着く。


ナチスの戦争機構を再び利用

 ほかの情報源の中でも特に、開示された米国の公文書が明らかにしたのは、何万ものナチスやナチス親衛隊の役員、これらの勢力に協力した人々が、米・英当局により再雇用されていた事実だった。ほとんど明らかにされてこなかった事実は、対ソ連戦争に携わっていた第三帝国の残党が再雇用された事実だった。

 ナチスの最終的解決(訳注:ユダヤ人虐殺の遠回しの言い方)に実際に加担していたウクライナのファシスト勢力は、何百万人ものスラブ系民族を殺害したが、これらの勢力が西側勢力により採用され、対ソ連前線の裏で行われていた代理戦争にかり出されていた。ステファン・バンデラやミコラ・レベドといった大量殺人に加担した人々は、米・英の諜報機関の工作員たちにより保護され、彼らの極悪非道の行為を継続することができた。元ナチスのスパイ部長だったラインハルト・ゲーレン少将が任された使命は、ウクライナとバルト海沿岸のナチスのゲリラを結びつけ、ソ連に対する秘密戦争をけしかけることだった。第2次世界大戦後の数十年間に欧州の西側各国が利用していたこの秘密の部隊にいた人々の名前は少ししか明らかになっていない。その多くは、ソ連社会を妨害するための命令やテロ行為の訓練を米国で受けていた。

 米国の戦略情報局(OSS)の諜報機関の幹部であったアレン・ダレスやジェームス・ジーサス・アングルトンは、故意に欧州内のナチスを採用し、次の戦争であると目されていた対ソ連戦において利用しようとしていた。ナチスの戦争犯罪者の戦争犯罪を回避させる経路が用意され、その経路を利用して、西側の諜報機関は、何千ものナチス関係者を採用しただけではなく、第三帝国が恐怖政治の下で積み上げていた、大量の金(きん)や戦利品をも確保した。この裏金が、その後何十年間にもわたって行われてきた米国による秘密工作の資金に充てられたことを、デビッド・タルボットが著書『悪魔のチェス盤』の中で明らかにしている。クリストファー・シンプソンの影響力の大きい研究である「素晴らしい金髪をもった野獣」も参照あれ。

 以下はCIAが、第2次世界大戦時にナチスと内通していたことと繋がる、世界各地で起こしたクーデターや画策のほんの数例だ: イタリア(1948)、シリア(1949)、イラン(1953)、グアテマラ(1954)、コンゴ(1960)、キューバ (1961)、ドミニカ共和国(1961)、ブラジル(1964)、インドネシア(1965)、チリ(1973)。これらはそれぞれ独立した出来事や日時ではない。米国帝国主義が世界規模に展開した侵略の1枚の綴織のようなものだ。今のウクライナの状況を、この綴織に加えることもできるだろう。


ナチスという敵を排除するための臨時的な軍事同盟というご都合主義

 西側勢力がソ連と軍事同盟を結んでまで、ヒトラー政権を倒そうとしていた理由を問うのはいい質問だ。結局のところ、米・英の支配者層と金融界の首脳は、1930年代にナチスの軍事勢力に手を貸していたが、その目的はソ連や共産主義全般を倒させることにあった。疑いのないことだが、戦時中の同盟関係というのは、ドイツ帝国を排除したいという西側のご都合主義的な取り決めに過ぎなかったという事実だ。当時、ナチス・ドイツは扱いにくい敵帝国になっていたからだ。フランクリン・D.ルーズベルトのように、根っからファシズムに反対している指導者もいたが、ルーズベルトは、国内の指導者層内のファシスト分子から失脚させられる危機に直面した。

 戦後になると西側の軍事同盟は裏切りの様相を見せ、ナチスの関係者を採用することまでしていた。西側支配者層内の危険分子は、ソ連に対して新たに開発された原子力爆弾を使用するよう積極的に動いていた。レズリー・グローヴス将軍は、マンハッタン計画を監督していた人物だが、同将軍が国防総省の科学者らに明言していたのは、この原子力爆弾の真の標的はソ連であり、かねてから広言していたナチス・ドイツではないという事実だった。「想像を絶する作戦(Unthinkable Operation)」や「ドロップ・ショット作戦」という作戦が実際に計画されていて、ソ連が原爆を開発する前に、ソ連に対して先制攻撃を行おうとしていた。

 したがって、西側の報道機関や科学界、ハリウッドによる美化作戦にも関わらず、冷戦は第2次世界大戦から続く戦争であるとみるのが正しい見方なのだ。ソ連に対して原爆による先制攻撃をしかけようとする秘密作戦は、欧州各地でナチスの歩兵らを現地採用する作戦と並行して行われていた。ソ連はいわゆる「大祖国戦争」で、少なくとも2700万人を失ったが、そのソ連は西側がこの先裏切ることに気づいていた。ソ連が目にしたのは、ナチスとの関係を絶つといういわゆる戦時中の同盟関係が崩れ、戦争犯罪者を引き渡すという同意が踏みにじられている姿だった。冷戦は、西側勢力が示した最大の裏切り行為であり、西側が欺瞞や冷酷な好戦性を消すことができないという証拠であったと言える。 


戦勝記念日の祝福を犯罪行為とみなす西側指導者層

 あの日からほぼ80年が経ち、今週欧州各地では夢のような催しが開かれた週だった。ロシアではナチス・ドイツに対する戦勝記念日の行進が、伝統的で華麗な式典とともに行われたが、西側各国では、大規模な公的祝賀会は全くなかった。欧州の支配者層、一例をあげれば、欧州委員会の委員長であり、ナチスの末裔でもあるウルズラ・フォン・デア・ライエンらは、装いが改められた「欧州記念日」を祝う方を好み、戦勝記念日は無視しているようだ。実際、欧州の支配者層は、戦勝記念日を祝福した人々を犯罪者扱いすることまでしている。

 このような状況の何がおかしいのだろうか? おそらくそのおかしさは、西側主流報道機関が、第2次世界大戦のことを間違って説明し、おかしな省略を加えて報じていることから来るのだろう。あの戦争時のより深い帝国主義的な陰謀やその皮肉な結末を理解している人々にとったら、そんなおかしさは感じないのだろう。 

 実際、欧州各国の市民たちが組織した戦勝記念日を祝ういくつかの催しは、当局から妨害された。ドイツやバルト海湾岸諸国などの欧州各国の警察は、ベルリンでの赤軍の勝利を祝うため、市民たちが戦没者記念碑にソ連の旗を掲げるのを禁止した。しかし、これらの国々では、ウクライナのファシストの支持者たちが旗を振ることや、赤軍に敬意を払ってナチズムの敗北を記念することを妨害することは許されている。

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、赤の広場での行進時に発した声明の中で正しく表明していた通り、今は宣戦布告のない戦争が再びロシアに対して行われているのだ。 本当に驚くべきことなのだが、第二次世界大戦の恐怖の記憶がまだ息づいている中で、このようなことが起こっているのだ。本当に筋が通った考え方をしていて、道徳心のある人にとっては、このような状況は、腐敗した状況であるように映っていることだろう。しかし、帝国主義者やファシストを奉じる野獣の本性というものを正しく理解すれば、 野獣というものは血と肉で育てられずにはいられない存在であることは、しっかりと頭に入っているはずだ。野獣を抑えることはできない。殺さない限りは。


より大きな戦争の中のウクライナの戦場の位置づけ

 ウクライナでの武力衝突は、米国が主導するNATO軍事枢軸とロシアとの戦争というより大きな文脈の中の戦場に過ぎない。プーチンが述べた通り、世界はいまこの惑星の未来や地球の生命の実在的な方向を決めるあらたな歴史的な岐路に立たされているのだ。

 今週、さらに多くの武器がNATO勢力からキエフ政権に供給された。米国は軍事援助としてさらに120億ドルを計上(これまで既に投じられた300~500億ドルへの上乗せとして)し、英国は長距離巡航ミサイルの供給を発表した。このミサイルがあれば、ロシア領内の奥深くまで攻撃が可能となる。ドイツの最高軍司令官カルステン・ブロイアー少将は、ウクライナの諸部隊を調査し、この先予想される反撃についての評価を行った。 NATO枢軸全体が、いま事実上ロシアと交戦状態にある。もはや代理戦争などではなく、完全な全面戦争へと向かっているのだ。核兵器を使った交戦の危機がこれほど高まっているのは、1962年のキューバのミサイル危機以来なかったことだ。誤解のないように付け加えるが、今の酷い状況を作り出したのは、米国と米国の西側衛星諸国が、ロシア側が提案していた外交努力や安全保障協定に応じようとしなかったせいだ。

 不快なキエフ政権は、2014年のCIAが支援した暴力的なクーデターにより権力の座についたのだが、毎週のように過去のナチスの人々などの名誉を挽回し、通りの名前をこれらの人々にちなんだ名前に変換している。2014年に樹立された現政権の目的はロシアに対する手先となることであり、NATOの武器や軍事訓練士らが送り込まれたことを、イェンス・ストルテンベルグNATO事務総長は今週報道機関に対して述べた

 米・英が、第二次世界大戦終結時に第三帝国の残党を雇用したのは、西側の指導者層の階級内には、無数のファシスト分子や「例外主義者」が存在し、これらの人々が、米国には世界に対する優先権と世界支配の権利が神から与えられていると信じていたからだ。これは米国当局に蔓延する考え方である。米国の戦略諜報局 (OSS)はその後1947年にCIAに引き継がれたのだが、CIA創設の命を下したのはハリー・トルーマン大統領だった。(この大統領が広島と長崎に原爆投下を命じた人物だ)。 そしてこの大統領こそ、米国のファシズムを体現するような人物であり、その脇には国防総省の軍産複合体(MIC)があった。CIAとMIC、ウォール街の諸銀行、米国資本主義を奉じる企業支配者層が、影の政府や私企業が支配する政府の代表なのだが、この勢力こそまさにファシズムだ。選挙制度は、ただの「民主主義」の隠れ蓑にすぎない。同じことは大多数の西側諸国やそれらの国々で取られているまやかしのような選挙制度にもあてはまる。真の権力者は選挙で選ばれていない財閥集団の中にいる。端的に言うと、本質的に西側諸国はベニヤ板でできた民主主義のもとでのファシスト体制なのである。まるで、豚に口紅を塗っているようなものだ。

 CIAは英国と共に、筋金入りのナチスを採用し、彼らを利用して、戦後何十年も続いた冷戦期に、世界を暗殺やクーデターや戦争という恐怖に陥れた。ファシストを奉じる米国の支配者層は、米国の大統領のひとりさえ暗殺した。それが、1963年11月22日のジョン・F ケネディだ。ケネディは、ソ連と平和的な関係を築こうとし、ロシアに対する原爆を用いた先制攻撃という作戦に応じなかったため暗殺されたのだ。それはカーチス・ルメイ将軍など国防総省の幹部らが求めていたことであった。


冷戦の終結がもたらすと思われていた平和がなぜ訪れなかったのか

 ファシストの歴史が何十年もの間続いてきた事実は、1991年に冷戦が終結した際に実現すると思われていた平和がなぜ訪れなかったのかの説明になる。今から30年以上前、ソ連は解体したが、それによってより平和な世界が構築されることはなく、国際関係の安定も成し遂げられなかった。

 主に米国の支配者層が牽引しているファシズムを奉じる西側勢力は、他の世界と平和共存できることはない。その理由は、西側の資本主義的帝国主義に基づく政治体制の行き着く先は、全世界を覇権と支配のもとで管理する社会になると考えられるからだ。西側社会の基礎が、このような不平等な人間関係をもとにしたものであり、そのような基礎を支えるために、軍国主義や侵略、国家によるテロ行為、戦争が必須となっているのだ。

 ナチス・ドイツは1945年に敗北したが、それはファシズムに対する戦いのより長い歴史から見れば、単なる小休止にすぎなかったことがわかる。いま私たちの目前には、ウクライナで展開されている戦争があり、さらに米国当局によるロシア、中国、イランなどの国々に対する狂気のもとでの侵略が繰り広げられている。その侵略の理由は、これらの国々が、米国による世界支配にひれ伏して、従属しようとしていないからだ。

 西側の支配者層が、戦勝記念日を祝福する素振りさえ見せないことにはなんの不思議もない。戦勝記念日など、西側の支配者層にとったらなんの意味もないからだ。西側の支配者層が裏切り行為を見せているのは、ロシア国民だけではなく、何百万人もの西側諸国の市民たちに対しても、だ。西側諸国の市民たちも、自分たちの命を犠牲にして、ナチスのファシズムを倒そうとしているのだから。

ブラジルのルーラ大統領の訪中が示したのは、ラテン・アメリカはもはや米国の「裏庭」ではないという事実だ。

<記事原文 寺島先生推薦>

Lula’s China trip proves Latin America is no longer the ‘backyard’ of the US
The Brazilian president has asserted his country’s role as a player in its own right in the new multipolar world

ブラジル大統領は、新たな多極化世界において自国が果たすべき役割を断言

筆者:オリバー・バーガス(Oliver Vargas)
* ラテン・アメリカを拠点にしている記者。ブラジルのカワチュン・ニュース社の共同創設者の一人。ポッドキャストの番組「ラテン・アメリカ再考」の司会者。

出典:RT

2023年4月18日 

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年4月29日



2023年4月14日。北京の人民大会堂での歓迎式典で、妻同伴の中国の習近平国家主席(左)とブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領(右)© Ricardo STUCKERT / Brazilian Presidency / AFP


 ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領は、高い期待が持たれていた中国への訪問から成功裏に帰国したところだ。この訪問により、ラテン・アメリカが果たす役割が強まっているという良い兆候や熱意が生み出された。

 中国の習近平国家主席による歓迎式典の様子から、関係するすべての人々にとって、この訪問がうまくいきそうな最初の兆候が見て取れた。習近平国家主席とルーラ大統領が、赤絨毯を進んでいるときに、中国軍の演奏団が演奏した曲が「Novo Tempo(新時代)」だったからだ。この曲は、80年代のブラジルの曲であり、米国が支援していた独裁政権に対する反政府運動と関連のある曲だ。

 非公開の会合で、15項目の二国間協定や基本合意書が署名されたが、その中には投資取引、研究計画、開発計画、食品規格、国営通信社、技術移転、および第7次中国・ブラジル地球資源衛星(CBERS)建設の協力に関する内容が含まれていた。この会議は数年に及ぶ両国の戦略的同盟関係に基づいて開かれたものだ。2009年、中国は米国に変わってブラジルの最大の貿易相手国となり、この会議は両国のこれまでの関係強化の過程をさらに深めるものとなった。

 ただし、この訪中のもっとも興味深い側面は、両国の指導者が行った公式発表の声の強さだった。というのも、この公式発表は、ただの外交辞令の域を超えるものであり、両国が世界における指導者的立場を果たそうとする意図がはっきりと示されており、これまで長年続いてきた米政権のもとでの単極支配に挑戦する内容だったからだ。



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 「私が毎晩考えているのは、なぜ全ての国がドル建てで貿易を行うよう強制されているかについてです。自国貨幣立てで貿易できないものでしょうか?」とルーラ大統領は上海での催しで語った。ウクライナでの紛争も議題に上がり、ルーラ大統領は、米国が何十億ドル相当もの武器をキエフ政権に送り込むことで、戦争を抑制するどころか、激化させていると語った。さらに、同大統領はこう語った。「必要なことは、米国が戦争を誘発する行為をやめ、平和に向かう発言を始めることです。 欧州連合も和平についての話し合いを開始しなければなりません」と。


ラテン・アメリカ自身の利益の再確認

 この訪中が明らかにしたのは、国際社会において、ラテン・アメリカと米国支配に異議をもつ国々の関係がぐっと近づく幕開けが始まっているという潮流だった。ルーラ大統領帰国後に注目を集める次なる大きな出来事は、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相によるブラジル訪問だろう。同外相は、ラテン・アメリカ諸国訪問を予定しており、ベネズエラ、キューバ、ニカラグアを訪問することになっている。

 ラブロフ外相のブラジル訪問が機会となり、ロシアとラテン・アメリカ間の共通の利益の分野についての話し合いが持たれることになるだろう。具体的には、貿易や投資、エネルギー、防衛に関することだ。同外相はさらに、文化交流を強化しようとするだろうが、これは米国当局が、ロシアやロシア文化に対する嫌悪感を世界規模で促進させようとしている中でのことだ。

 ルーラ大統領の訪中が成功裡に終わったことで、ラテン・アメリカ諸国の政府には明らかに更なる弾みがつき、今週のロシア使節団の訪問を受け入れる体制がしっかりとできたようだ。中国とロシアと結びつくことで、双方にとって利のある協力関係を築けるという状況は、米国が上から目線で申し出てくるような傲慢な態度とは好対照となっている。



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 しかし、ラテン・アメリカは、多極化世界樹立の過程にただ受動的に参加するだけの存在ではない。元ブラジル大統領でルーラ大統領の盟友でもあるジルマ・ルセフ氏(この人物も米国が支援したクーデターの被害者)は、新たな任務として、上海のBRICS開発銀行の総裁に職に就いた。この任務は、ブラジル・中国、ロシア・インド・南アフリカにとって重要な重みをもつ任務である。さらにはこの先BRICSは、「BRICSプラス」 として、グローバル・サウス諸国における新興経済大国を加えていく可能性もある。


米国からの逆襲

 米国当局は大統領職に就いてからずっと、ルーラ大統領のご機嫌を取ろうとしてきた。ブラジルはラテン・アメリカ最大の経済大国であるため、そうしないことは賢明ではない、ということだ。米国務省はルーラ大統領の就任を妨害しようとしてブラジル国会議事堂を攻撃した右派の暴動者らを公式に非難する声明を出したが、その声明の中にあった、「ブラジルの民主主義」を支持するという文言には、米国はルーラ氏の大統領職をはく奪するために動くことはない、という意図が込められていたと思われる。つまり、ボリビアやベネズエラの左派大統領に対して米国内が行ったようなことをルーラ大統領にするつもりはない、ということだ。

 そのため米国当局は、ルーラ大統領の訪中やこの先行われるラブロフ外相の訪問に対して公式な反応を見せていない。ただしラテン・アメリカ内の親米「分析家」や「専門家」らは口を挟み、以下のような主張を行っている。すなわち、中国やロシアと接近することは、ルーラ大統領にとって「オウンゴール(間違って自陣のゴールに得点してしまうこと)」になる、というものだ。



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 ラテン・アメリカ最大の右派デジタル報道機関のひとつであるアルゼンチンに拠点を置くウェブ・サイトのインフォ・バエが、こんな題名の記事を出した。それは、「ルーラ大統領の訪中は、ブラジルにとって失点となる危険性がある」というものだ。 この記事の筆者は 、中国が持つ意図に疑念を表明し、以下のように記していた。「ブラジルは、原料や天然資源という点において世界で最も豊かな国の一つなのだから、自立できるのに必要なものは全て揃っている。外国の助けなどは要らないはずだ。ただしブラジルが自立するためには、政治家の汚職を克服し、汚職に関する厳粛な調査を実施しなければならないだろう」と。

 産業の国有化を非難し、米国との自由貿易を歓迎してきたこの報道機関が、突然踵(きびす)を返し、「第三世界中心主義」や「独立主義」を主張し始めたというわけだ。

 ブラジルが米国の怒りを買うことを懸念する報道機関もいくつかある。「アメリカ季刊誌」という雑誌(西側の石油産業が資金提供している報道機関)に執筆している オリバー・シュテンケル氏は最近以下のように述べた。「訪中時にルーラ大統領がウクライナの話をすればするほど、ブラジルは西側から中立国ではないと認識され、ブラジルは欧米から、欧米に対してよりもロシアに近い立ち位置にいるととらえられてしまう危険が高まります」と。

 おそらく、「ロシアに近い立ち位置」や、欧米に対するよりも中国に近い立ち位置でいるほうが、ラテン・アメリカにとって実り多い未来を迎えることがこの先わかるだろう。米国政府寄りの立場をとってしまえば不平等な貿易協定やクーデター、軍事介入など悪いことしか招かないだろう。ルーラ大統領の訪中が示したのは、そうではないもっと平等な国家間関係がありえるということだ。さらに、ラブロフ外相によるラテン・アメリカ訪問が素晴らしいきっかけとなり、ラテン・アメリカがこのような国家間関係を打ち立て、国際社会におけるラテン・アメリカの存在価値向上に結びつくことだろう。

パンデミックの影響、露制裁の反動で、G7の経済力はBRICSに追い越された!

<記事原文 寺島先生推薦>
G7 vs BRICS
筆者:スコット・リッター (Scott Ritter)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2023年3月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年4月27日

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2022年6月28日、ドイツ・クリュンのシュロス・エルマウで行われたG7首脳会議。(ホワイトハウス/アダム・シュルツ) 


PPP調整後の世界GDPで、BRICSがG7を上回る

 昨年夏、世界で最も影響力のある経済大国を自認するG7(Group of 7)が、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヒェンに近いシュロス・エルマウに集まり、年次総会を開催した。その焦点は、追加制裁によるロシアへの懲罰、ウクライナのさらなる武装化、そして中国の封じ込めにあった。

 同時に、中国はテレビ会議を通じてBRICS経済フォーラムを開催した。ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカで構成されるBRICSは、いわゆる発展途上国と呼ばれる国々で、経済的な絆の強化、国際的な経済発展、G7の反動的な政策にどう対処するかに焦点を当てている。

 2020年初頭、ロシアのセルゲイ・リャブコフ外務副大臣が予測していたのは、国際通貨基金が予測する購買力平価(PPP)の計算に基づき、BRICSがその年の後半に世界全体に占める割合でG7を追い越す、ということだった。

 (購買力平価(PPP)為替レートによる国内総生産は、その国で生産されるすべての財とサービスの合計額を米国の物価で評価したもので、単純なGDP計算よりも経済力の比較をより正確に反映するもの)
 
 その後、パンデミックが発生し、世界経済がリセットされたことで、IMFの予測は無意味なものとなった。世界はパンデミックからの回復に集中し、その後、2022年2月にロシアがウクライナに侵攻した後、欧米がロシアに対して大規模な制裁を行ったことによる影響に対処することになった。

 G7はBRICSの経済的挑戦に耳を傾けず、ジョー・バイデン米国大統領の政権の信条であった「ルールに基づく国際秩序」の防衛を固めることに注力した。


誤算

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G7首脳やウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領と仮想通話するジョー・バイデン米大統領(2月24日)。(ホワイトハウス/アダム・シュルツ)


 ロシアのウクライナ侵攻以来、G7を中心とするロシア侵攻を非難し経済的制裁を求める側と、BRICSを中心とするロシアの行動を支持するわけでもなくまた制裁にも加わらないという微妙な立ち位置で、世界を覆う思想的分裂が起きている。このため、世界経済の実態を把握する上で、知的空白が生じている。

 米国とG7友好諸国は、制裁がロシア経済に与える影響と、欧米に与える打撃の両方を誤算していたと、今では広く認識されるようになった。

 メイン州の無所属上院議員であるアンガス・キングは、次のことを記憶していると最近述べた

「1年前にこれが始まったとき、制裁はロシアを麻痺させるという話ばかりだった。ロシアは潰れてしまい、街頭で暴動が起きるという話だったのだが、実際にはうまくいかなかった......(中略)制裁の仕方が間違っていたのか? うまく適用できなかったのだろうか? 私たちは、ロシアが制裁を回避する能力を過小評価していたのだろうか? なぜ、制裁体制がこの紛争に大きな役割を果たさなかったのだろうか?」

 なお、IMFは、この制裁の結果、ロシア経済は少なくとも8パーセント縮小すると計算していた。実際の数字は2%で、ロシア経済は――制裁にもかかわらず――2023年以降も成長すると予想されている。

 このような誤算は、世界経済やG7とBRICSが果たすそれぞれの役割について、欧米の考え方に浸透している。2022年10月、IMFは従来のGDP計算に重点を置いた年次世界経済見通し(WEO)を発表した。2022年夏にBRICSが政治的な挑戦を行ったにもかかわらず、IMFはG7が依然として世界経済を主導する同盟として強固であると計算していたため、主流の経済専門家は安心したのである。

 2023年1月、IMFは2022年10月のWEOの更新版を発表し、G7の強い立場を強調した。IMFの首席経済学者であるピエール=オリヴィエ・グランシャによると、「見通しに対する危険度の均衡は依然として下方に傾いているが、10月のWEOよりも不利な結果への偏りは少ない」という。

 この前向きな姿勢が、欧米の主要な経済専門家たちが、この更新版のデータを深く掘り下げることを妨げたのである。私は、個人的に、保守的な編集者たちが「古いデータ」から現在の関連性を引き出そうとすることに消極的であると断言できる。

 幸いなことに、「世界経済と金融市場の分析に全体を網羅する手順を採用するブティック型マクロ経済調査会社」と自称するエイコーン・マクロ・コンサルティングのリチャード・ディアスのような経済専門家も存在する。ディアスは、IMFのバラ色の見通しを福音として受け入れるのではなく、専門家が本来すべきこと、つまりデータを掘り下げ、関連する結論を導き出したのだ。

 IMFの「世界経済見通しデータベース」に目を通したディアスは、G7とBRICSのPPP調整後の世界GDPの割合を比較分析したところ、驚くべき発見をした: BRICSがG7を上回っていたのだ。

 これは予測ではなく、達成された事実を述べたものである:BRICSはPPP調整後の世界GDPの31.5%を占め、G7は30.7%を占めていた。G7にとってさらに悪いことに、予測された傾向は、この2つの経済圏の間の溝が今後ますます広がっていくことを示していた。

 BRICSの世界的な経済力の蓄積が加速している理由は、主に3つの要因に起因しているものと考えられる:

  ・ Covid-19のパンデミックによる残留的な影響、

  ・ ウクライナ侵攻後のG7によるロシア制裁の反動と、G7の経済政策に対する途上国の反発の高まり、そして、

  ・ 各国の経済的潜在力を高めることを支援するという純粋な願いよりも、植民地主義時代後の傲慢さに根ざしていると考えられる優先的な動き、である。


成長格差

 BRICSとG7の経済力が、それぞれ中国と米国の経済に大きく影響されていることは事実である。しかし、これらの経済的枠組みに参加している他の国々の相対的な経済的軌道を無視することはできない。BRICSの大半の国々が今後数年間は力強い成長を遂げるという経済見通しを示しているのに対し、G7諸国は、現在のロシアへの制裁という自業自得の部分もあるが、低成長、英国の場合はマイナス成長であり、この傾向を覆す見込みはほとんどない。

 また、G7加盟国が固定的であるのに対し、BRICSはアルゼンチンやイランが申請し、サウジアラビア、トルコ、エジプトといった地域の主要経済大国が参加に関心を示しているなど、拡大傾向にある。さらに、イランとサウジアラビアの関係を正常化させた中国の外交的功績が、この潜在的な拡大をより爆発的なものにしている。

 米ドルの世界支配が続く見通しが立たなくなり、ロシアと中国が推進するユーラシア大陸横断経済同盟の経済的可能性も相まって、G7とBRICSは相反する軌道に乗った。BRICSは、PPPだけでなく実際のGDPでも、今後数年でG7を追い越すはずである。

 しかし、主流の経済専門家たちが、この結論に達するのを首を長くして待っていてはいけない。ありがたいことに、リチャード・ディアスやエイコーン・マクロ・コンサルティングのように、古いデータから新しい意味を見出そうとする異端児も存在する。

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スコット・リッターは、旧ソ連に駐在した元米海兵隊の情報将校である。旧ソ連では軍備管理条約を実施し、ペルシャ湾では砂漠の嵐作戦、イラクでは大量破壊兵器の武装解除を監督した。近著に『Disarmament in the Time of Perestroika』(クラリティ・プレス刊)がある。

BKL(モスクワの最新地下鉄)に見る多極性構造:「ニューコイン」列車に乗りながら

<記事原文 寺島先生推薦>

Moveable Multipolarity in Moscow: Ridin’ the ‘Newcoin’ Train

筆者:ペペ・エスコバー(Pepe Escobar)

出典:Strategic Culture

2023年3月10日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年3月29日

新しいコイン


新しい通貨は、単なる決済単位ではなく、この先、資本や準備金を蓄える「外部通貨」になることができるはずだ。

 旧繊維街のテクスティルシュチキから、至高主義・構成主義のギャラリーであるソコルニキ(マレーヴィチ*が住んでいる!)まで、そして豪華な鉄骨アーチのリジスカヤから130メートルのエスカレーターのあるマリーナ・ロッシャまで、モスクワ全体を71キロ、31駅で一周するビッグサークルライン(キリル文字ではBKL)(訳注:今年3月に開通したモスクワの地下鉄)の楽しさよ。
* カジミール・セヴェリーノヴィチ・マレーヴィチ。ウクライナ・ソ連の芸術家。特に画家として知られ、戦前に抽象絵画を手掛けた最初の人物である。 (ウィキペディア)

 BKLはまるで多極性世界の首都(モスクワ)の、生きて、呼吸して、走っている比喩のようだ。アート、建築、歴史、都市デザイン、ハイテク交通、そしてもちろん、中国新シルクロードの友人たちの言葉を借りれば、「人と人との交流」がぎゅっと詰まっている。

 ちなみに習近平主席は、21日にモスクワに来るプーチン大統領とBKLに乗る予定になっている。

 だから、何十年もの経験を持つ、世界の金融市場のトップに立つ経験豊かな投資家が、世界の金融システムに関する重要な洞察を共有することに同意したとき、私がBKLに乗ることを提案し、彼がすぐにそれを受け入れたのも不思議なことではない。彼の名前はS.Tzu氏としておこう。以下は、私たちがBKLに乗りながら行った会話を最小限に編集したものである。

 時間をお取りいただきありがとうございます。しかも、こんな素晴らしい場面設定です。現在の市場の乱高下を考えると、(市場動向を見つめる)画面から離れるのは大変なことでしょう。

 S. Tzu: そうですね、現在、市場は非常に厳しい状況です。この数ヶ月は2007-8年のことを想起させますが、金融市場基金と サブプライムローンではなく、最近はパイプラインと国債市場が吹き飛んでいます。私たちは面白い時代に生きています。

 あなたのお近づきにならせてもらった理由は、ゾルタン・ポザールが提唱した「ブレトン・ウッズ*3」の考え方について、あなたの見解を伺いたいと思ったからです。あなたは間違いなく、その最先端を走っていますね。
* ブレトン・ウッズ体制とは、第二次大戦後に米国を中心に作られた、為替相場安定の枠組み。金・ドル本位制による固定為替制度を取っていた。またブレトン・ウッズ2とは、1973年に固定為替制が廃止され、変動相場制に移行されたことを指す。

 S. Tzu: ずばり本題に入っていただきました。新しいグローバルな金融秩序の出現を目の当たりにする機会は非常に少ないのですが、私たちはそのような機会を目にする一つの時代を生きているのです。1970年代以降でいうと、今から14年以上前に登場したのビットコインが、これから数年後に私たちが目にするものに近い衝撃を持っていたのかもしれません。ビットコインが登場した時期が偶然ではなかったように、現在の世界金融システムの地殻変動の条件は、何十年も前から醸成されていたのです。「この戦争が終わった後、『通貨』は二度と同じものにはならないないだろう...」というゾルタンの洞察の通り、今は金融秩序が変わる時期として完璧な時期のです。


「外部通貨」を理解する

 ビットコインの話が出ましたね。当時は、これの何が画期的だったのでしょうか?

 S. Tzu: 暗号の側面はちょっと置くとして、ビットコインの最初の成功が見込まれたこととその理由は、ビットコインが中央銀行の責任ではない「(ゾルタン氏の優れた用語を借りれば)外部」貨幣を作ろうとしたことがあったからでした。この新しい単位の大きな特徴のひとつは、採掘可能なコインを2100万枚に制限したことで、現行の体制の問題点を見抜くことができる人たちの心に響きました。今でこそそれほどでもないですが、近代的な通貨単位が中央銀行の後ろ盾なしに存在し、デジタル形式の事実上の「外部」貨幣となりうるという発想は、2008年当時としては画期的だったからです。言うまでもなく、ユーロ国債危機、量的緩和*、そして最近の世界的な悪性インフレは、多くの人が何十年も感じてきた不協和音を増幅させただけでした。現在の「(再びポツァール氏の上品な用語を用いれば)内部貨幣」体制の信頼性は、現在行われている中央銀行の準備金凍結や破壊的な経済制裁に至るずっと前に、破壊されてしまっていたのです。残念ながら、信頼に基づくシステムの信頼性を破壊するのに、中央銀行の保管口座にある外貨準備を凍結して没収することほど有効な方法はありません。ビットコイン誕生の背景にある認知的不協和が検証されたのです。「内部通貨」体制は2022年に完全に兵器化されました。その意味合いは深いです。
* 中央銀行が市場に供給する資金を増やすことで金融市場の安定や景気回復を図る措置のこと。

 さて、いよいよ核心に入ってきています。ご存知のように、ゾルタン・ポツァールは次の段階で新しい「ブレトン・ウッズ3」体制が出現すると主張しています。それは一体どういう意味なのでしょうか。

 S. Tzu: ポツァール氏が、現在の欧米の「内部通貨」体制を別のものに変えることを指しているのか、それとも現在の金融体制の外側に、代替案として「ブレトン・ウッズ3」の出現を示唆しているのか、私にもよくわかりません。ただ、政治的な意思の欠如や、以前から蓄積され、近年急激に増大した過剰な政府債務がありますから、現段階で欧米で「外部通貨」制度をまた繰り返しても成功することはあり得ないと私は確信しています。

 現在の欧米の金融秩序が次の進化段階に移行する前に、これらの未払い債務の一部を実質的に削減する必要があります。歴史を振り返れば、その移行はデフォルト(債務不履行)かインフレ、あるいはその2つの組み合わせによって起こるのが普通です。可能性が高いと思われるのは、欧米諸国政府が金融抑圧政策に依存して、船を浮かせ(国を沈没・破綻させないように、の意)、債務問題に取り組もうとすることです。私は、「内部通貨」体制の管理を強化するための多くの取り組みが行われると予想していますが、それはおそらくますます不評を買うでしょう。例えば、CDBC*の導入もその一つでしょう。この点で、これからが大変な時代になることは間違いないでしょう。同時に、現在の「内部通貨」による世界金融秩序に対抗する、何らかの「外部通貨」体制が出現することも、現段階では避けられないと思われます。
* 中央銀行デジタル通貨あるいは中央銀行発行デジタル通貨は、中央銀行が発行したデジタル通貨の一種で、デジタル不換紙幣。現在のCBDCの概念はビットコインに直接触発された通貨管理に由来するが、CBDCは国家の中央銀行が中央集権的に発行する、という点で仮想通貨や暗号通貨とは異なる。(ウィキペディア)

 それは、どうしてですか?

 S. Tzu: 世界経済は、貿易、準備、投資のすべての必要性を、現在の兵器化した状態の「内部通貨」体制にもはや頼ることはできません。制裁と外貨準備の凍結が他国の政権を交代させるための新たな手段であるならば、世界中のすべての政府は、貿易と外貨準備のために別の国の通貨を使うという選択肢を考えているはずです。しかし、現在の欠陥だらけの国際金融秩序に代わるものは何なのか、それは明らかではありません。歴史を振り返ると、金本位制に還元できない「外部通貨」方式で成功した例はあまりありません。そして、金だけ、あるいは金と完全に交換可能な通貨だけでは、現代の通貨体制の基盤としてはあまりにも制約がありすぎるという多くの理由があります。

 同時に、最近増えている現地通貨での貿易も、現地通貨が 「内部通貨」である以上、残念ながらその可能性は限られています。多くの国が、輸出の対価として他国の地域通貨(あるいは自国の通貨)を受け入れたくないという理由は明白です。その点では、マイケル・ハドソンに全面的に同意します。「内部通貨」はその国の中央銀行の負債であるため、その国の信用度が低ければ低いほど、投資可能な資本が必要となり、他国がその負債を保有することに抵抗が出てきます。IMFが要求する典型的な「構造改革」のセットが、例えば、借り手である政府の信用力の向上を目的としている理由のひとつはそこにあります。「外部通貨」 は、IMF と現在の「内部通貨」 金融体制の人質になっていると感じている国や政府によってこそ、ひどく必要とされているのです。


「ニューコイン」の導入

 多くの専門家が「新通貨」の研究をしているようです。例えば、セルゲイ・グラジエフ。

 S. Tzu: そうですね、最近の出版物でそのような示唆がありました。私はこれらの議論には関与していませんが、確かにこの代替体制がどのように機能するかを私も考えてきました。ポツァール氏の「内部通貨」と「外部通貨」という概念は、この議論において非常に重要な部分です。しかし、これらの用語の二元性は誤解を招きます。新しい貨幣単位(便宜上「ニューコイン」と呼ぶことにします)が解決すべき問題に対して、どちらの選択肢も完全に適切とは言えないからです。

 説明させてください。現在の米ドル「内部通貨」体制の武器化と同時に制裁の激化により、世界は事実上「グローバル・サウス」と「グローバル・ノース」(「東」と「西」よりも少し正確な用語です)に分裂しているのです。ここで重要なのは、ポツァール氏がすぐに気づいたことですが、サプライチェーン(供給網)や商品もある程度武器化されつつあることです。友好国への外部委託の動きは今後も続きます。つまり、ニューコインの最優先事項は、北の通貨に頼らず、南半球内の貿易を促進することなのです。

 もしそれだけが目的であれば、人民元や元を貿易に使う、ユーロやECU(ユーロの前身貨幣)、あるいは中央アフリカのCFAフランのような新しい共有通貨を作る、IMFのSDRのような参加地域通貨のバスケット*に基づく新しい通貨を作る、金にペッグ**する新しい通貨を作る、あるいは既存の地域通貨に金をペッグするなど、比較的単純な解決策が選択できたはずです。しかし、残念ながら、これらの方策がそれぞれ新たな問題を引き起こしている例は、歴史上いくらでもあります。
* 固定相場制の一つで、複数の貿易相手国の為替相場を一定水準に固定する制度
**金などを基準とした固定相場制のこと


 もちろん、新しい通貨単位には、これら二つの可能性では対応しきれない別の目的が並行して存在します。例えば、すべての参加国は、新しい通貨が自国の主権を希薄にするのではなく、強化することを望んでいるはずです。次に、ユーロや以前の金本位制の課題は、「固定」為替レート、特に最初の「固定」が通貨圏の一部の国にとって最適でなかった場合の、より広い問題を示すことにありました。特に、最初の「固定」が通貨圏の一部の国にとって最適でなかった場合、問題は時間の経過とともに蓄積され、しばしば激しい切り下げによってレートが「再固定」されるまで続きます。参加国が通貨政策において主権を維持するためには、グローバル・サウス内部の相対的競争力を長期的に調整する柔軟性が必要です。また、商品のような変動しやすいものの価格決定単位になるのであれば、新しい通貨は「安定的」でなければならないでしょう。

 最も重要なことは、新しい通貨は、単なる決済単位ではなく、将来的には資本と準備のための「外部通貨」貯蔵庫となる力をもたなければなりません。実際、私が新しい通貨単位が出現すると確信しているのは、妥協した「内部通貨」金融体制の外に、準備や投資のための実行可能な代替手段がない現状があるためです。

 それで、こういったすべての問題を考慮して、どんな解決策を提案されますか?

 S. Tzu:最初に明々白々なことを申し上げます。この問題を技術的に解決することは、ニューコイン圏への参加を希望する国々の間で政治的な合意形成に至るよりずっと簡単です。しかし、現在の必要性は急を要しているので、必要な政治的妥協点は、すぐに見つかると私は考えています。

 ですので、まずは、ニューコインの技術的な設計図の一つを紹介させてください。まず、ニューコインは部分的に(少なくとも価値の40%を)金に裏打ちされるべきであると申し上げましょう。その理由は後でお分かりいただけるかと思います。ニューコインの残りの60%は、参加国の通貨バスケットで構成されることになります。金がこの仕組みにおける「外部通貨」としての軸となり、通貨バスケットの要素が参加国の主権と通貨の柔軟性を維持することを可能にするということです。そしてニューコインのために、中央銀行を設立する必要があるのは明らかです。というのもこの中央銀行から新しい貨幣が発行されることになるからです。この中央銀行は、通貨スワップ*の取引先となるとともに、この体制の決済機関の役目を果たし、規制をかけることもできます。どの国も、いくつかの条件を満たせば、自由にニューコインに参加することができます。
* 異なる通貨間の金利を交換する取引のこと

 まず、ニューコインに参加しようとする国は、国内の保管場所に抵当権等が設定されていない金があることを証明し、対応する額のニューコインを受け取るのと引き換えに一定額の金を有していることを誓約する必要があります(この際に前述の40%の比率が適応されます)。この最初の取引は、ニューコインを裏打ちする「金プール」へ金を売却することにより、経済的等価性が保たれることになります。つまり、そのプールに裏打ちされたニューコインの比例額との交換になるということです。この取引の法的形式は実際にはあまり重要ではなく、発行されるニューコインが常に少なくとも40%の金で裏打ちされていることを保証するために必要なだけです。全部の参加国が十分な所有量が常に存在すると確認できるのであれば、各国の金所有量を公にする必要すらないのです。年に一度共同監査が行われ、監視体制が整備されれば十分でしょう。

 第二に、ニューコインに参加しようとする国は、自国通貨による金価格の算定方法を確立する必要があります。おそらく、参加する貴金属取引所の1つが、それぞれの自国通貨で金の現物取引を開始することになるでしょう。これにより、各国の自国通貨の公正な相場が確立されることになります。「外部通貨」の仕組みが使えるので、長期的な調整が可能になるからです。ニューコイン参加前の各国の通貨における金価格は、新たに発行されるニューコインのバスケットにおいて高くなります。各国は主権を維持し、自国通貨をどれだけ放出するかは自由ですが、その放出量は、最終的にはニューコインの価値に占める自国通貨の割合で調整されることになります。同時に、ある国が中央銀行からニューコインを追加で入手できるのは、追加の金塊の誓約との引き替えに限られます。その結果、ニューコインの各参加国の金換算の価値は透明で公正なものとなり、ニューコインの価値も透明化されることになります。

 最後に、中央銀行によるニューコインの放出や売却は、ニューコイン圏の外部にいる人が金と交換する場合にのみ許可されます。つまり、外部の人間が大量のニューコインを入手する方法は、現物の金と引き換えに受け取るか、提供した商品やサービスの対価として受け取るかの2つだけです。同時に、中央銀行は金と引き換えにニューコインを購入する義務を負わず、「*取り付け騒ぎ」のリスクも取り除かれることになります。
* 銀行が信頼を失い預金者が銀行から預金を引き出そうと殺到することにより生じる混乱

 間違っていたら訂正してください。この提案では、ニューコイン圏内のすべての取引と、すべての外部取引の基準を金相場に固定するようです。この場合、ニューコインの安定性はどうなのでしょうか? 結局のところ、金は過去において(価格が)不安定でしたので。

 S. Tzu: 例えば、金のドル価格が大幅に下落した場合、どのような影響があるのか、ということだと思います。この場合、ニューコインとドルの間に直接的な相互関係はなく、グローバル・サウスの中央銀行がニューコインと引き換えに金を買うだけで、売るわけではないので、裁定取引*は極めて困難であることがすぐにわかるでしょう。その結果、ニューコイン(または金)で表される通貨バスケットの変動率は極めて低くなります。そして、これこそが、この新しい通貨単位の「外部通貨」の軸が貿易と投資に与える意図したプラスの影響なのです。明らかに、いくつかの主要な輸出商品は、グローバル・サウスによって金とニューコインのみで価格が決定され、ニューコインに対する「銀行の取り付け」や投機的な攻撃はさらに起こりにくくなります。
* 市場間、現物・先物の価格差で利益を得る取引(英辞郎)


 時間の経過とともに、グローバル・ノースで金が過小評価されれば、輸出やニューコインと引き換えに、金は徐々に、あるいは急速に、グローバル・サウスに引き寄せられるでしょう。これは「外部貨幣」体制にとって悪い結果ではなく、準備通貨としてのニューコインの幅広い受容を加速させるでしょう。重要なのは、ニューコイン圏外では現物の金準備が有限であるため、不均衡は必然的に是正されるであろう、ということです。というのもグローバル・サウスが主要商品の純輸出国であるという状況はこの先も変わらないでしょうから。

 今おっしゃったことには、貴重な情報が詰まっています。近い将来、全体を再検討して、あなたの考えに対する読者からの反応を議論すべきかもしれませんね。さて、マリナロシャ駅に到着したところで、そろそろ降りましょう!

 S. Tzu: これからもよろしくお願いします。またの機会を楽しみにしています!

ジョージアの「外国の工作員排除」法案廃案事件から、世界が冷戦時代に回帰している様が見える

<記事原文 寺島先生推薦>

Fyodor Lukyanov: Why is everyone looking for ‘foreign agents?'
The latest fashion is a sign that the pendulum is swinging back to the Cold War-era of separate blocs

フョードル・ルキャノフ:なぜ皆が「外国の工作員」を探しているのか?
最新の潮流が示しているのは、世界各国が、いくつかの集団に分かれていた冷戦時代への揺れ戻りつつあることだ。

筆者:フョードル・ルキャノフ(Fyodor Lukyanov)
「世界情勢におけるロシア」誌の編集長。外交及び防衛政策委員会幹部会議長。ヴァルダイ国際討論クラブの研究部長。

出典:RT

2023年3月17日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年3月29日



ジョージア政府及び外国の工作員に関するロシアの法律の採択に反対する抗議活動でプラカードを手にした抗議者たち。ブリュッセルの欧州議会近辺にて。2023年3月8日© Valeria Mongelli / AFP


 ジョージアが今月(3月)上旬に新聞の見出しを飾ったのは、ジョージア政府が「外国の工作員」に関する法案を通過させようとしたことについてだった。この法案(実際には、法案は2つ存在していた)は、最終的には却下され、この件に関する政府の取り組みは当座のところ取りやめられることになった。この事象が普通でないのは、ジョージア政府が親露でも反西側でも全くないのに、突然に世界の報道機関からこれほどまで激しく蔑まれたことだ。

 もちろん、今の世の中は、何でも白黒を付けたがる世の中だ。とはいえ、この事例は、より広い文脈から見た方がより興味深い。

 「外国の工作員」という考え方は、第二次世界大戦前夜の米国で、敵国からのプロパガンダ(自分たちにとって都合のよい情報を広く流す行為)に対抗するために導入されたものだ。この古い考え方が、21世紀のいま復活している。最近まで、この「外国の工作員」という考え方は、ロシアと西側の論争で使われてきた。西側は、ロシア政府を非難し、この考え方を、公共の場から異論を唱える人々を排除するために利用しているとしていた。ロシア政府の主張は、市民には、外国からの資金が国内でどう使われているのかを知る権利があるというものだったが、西側からは、そのような主張は自由を制限することを正当化する口実に過ぎないと片付けられている。西側の主張では、「文明社会」は「政府から独立した組織から」資金提供を受ける権利があるというものだ。

 この点において、今あちこちでますます頻繁に見受けられるようになった根本的な矛盾が存在する。その矛盾とは、NGOが国境を越えて資金提供を行うということが、良いことだとされるだけではなく、当たり前で必要なことであるという考え方だ。そしてこの考え方が、リベラル(自由)なグローバリゼーション(世界の一体化)の時代の産物であり特徴になっているのだ。 論理的に考えれば、この視点は、リベラルなグローバリゼーションという概念からすれば、自然とそこに帰結するものなのだ。その目的が、貿易面や経済面、さらには理想だが政治面における障壁を取り除き、世界単一の規制当局を創設することにあるとすれば、非政府組織が各国政府と結びつくことは全く許されないこととなるだろうし、世界規模の諸組織と可能な限り繋がらなければならなくなるだろう。



関連記事:マイダンとの共鳴:ジョージアには西側が資金提供している巨大なNGO勢力と暴力的な反政府運動がある。繋がりはあるのだろうか?


 各国のNGOが世界規模の組織と繋がるべきだという考え方は、市民社会に関する古典的な定義とは矛盾する。その本質とは、まさにボトムアップ(下意上達)だからだ。つまり、各国の国内から動きが起こるべきだという考え方だ。しかし西側の考えによれば、トップダウン(上意下達)のやり方が是とされている。もちろん、そうするのが都合がいいときに限られているが。

 5年前、米国は対外政策の中核に、大国間の敵対関係の復活を明記した。その政策は、それまでの冷戦終結後の時期に取られていた政策と一線を画すものであった。冷戦終結後には、この流れが今の西側の対外政策の本質になったのであるとすれば、全ての手段はその方向で講じられていて、以前唱えられていた、「金に国籍はない」や「情報は障壁なく伝えられるべきだ」といった方針は、新たな政策においては、もはや想定外となったのだ。

 この20年間、社会・政治面においても、情報活動においても、各国家の間にはかなりの程度まで開かれた関係が確かに築かれてきた。その理由のひとつは、冷戦後に各国の大使館職員の数がどんどんと増やされたことにある。市民社会とのやり取りも含めて大使館の仕事範囲が拡大されていたからだ。しかし2018年を境に、外交官の数が大幅に減らされたのだ。そのことは、諸国間の関係が崩れたことと関係があるのだが、客観的根拠もある。それは大使館の仕事が昔に戻りつつあることだ。つまり、仕事範囲が狭まったために、そんなに多くの職員が必要なくなったのだ。

 同じような現象が報道活動においても当てはまる。冷戦終結後は、報道活動は比較的自由に行うことが許されていた。しかし、この分野における風潮が変わり、情報活動業界において西側が有する情報源が世界を牛耳っている現状に疑問を唱える声が、西側以外のところからあがってきたのだ。

 西欧や米国では、ロシアのニュース報道機関(中国の報道機関に対しても一定程度)に対して制限措置をとっている理由の説明として、ロシアと中国の報道機関は、国家が資金を出しているという事実をあげている事実をあげている。いっぽう西側の報道機関は、国所有の報道機関もあるが、多くが民間企業であるという説明だ。



関連記事:西側は「地獄からの制裁」によりロシア経済は崩壊すると考えていた。その目論見が外れた理由とは?


 西側によるこの言い分(すべてに当てはまるわけでは全くないが)が正しいとしても、近代の西側諸国の社会・政治構造においても、国家と非国家組織が密接に絡み合っていることは事実だ。したがって、今の西側の構造においては、公的には政府から独立しているとされている組織が国家の意を受けた活動に従事することもありえるのだ。逆もありえるが、そうなることは極めて稀だ。

 そうかもしれないが、これまでの経済や政治におけるグローバリゼーションの形から逸脱すれば、社会に近づこうとする古いやり方はもはや維持できないことになる。 そしてこのような古い形は、もはや、ロシアと西側のあいだの問題の原因になっていない。というのも、当初ロシアは可能な限り自国を外に向け、西側社会と統合しようという期待を持っていたが、その後そのような目的を考え直し、そのような方向性から手を引いたという歴史があるからだ。そのような外に開こうという方向性は、1990年代から2000年代にかけて急速にロシアに根を下ろしてはいたのだが。

 中国を例に取れば、経済面に関しては世界の国々との結合を深めてはいるが、社会・政治面を、外国勢力に差し出すことは決してなかった。しかし「誰が誰に、どこから資金を出しているのか」という縛りが急速に強められていることが、世界のどの国においても共通の懸念になっている。そしてそれは、その国の政体がどうであるかは関係ない。

 異論を唱える人が全て外国の工作員であると決めつけてしまう今の新たな状況は危険だろうか? 間違いなくその答えは、「そう」だ。どの国の政府も同じ本能に駆り立てられている。残念なことに、この新たな現状は、「開かれている」というこれまでの時代を受けた避けられない到着点なのだ。いまや振り子はゆり戻され、冷戦期のような真逆の方向に逆戻りしている。

分離独立の問題を抱えている国は、ドンバスだけではなく、よく知られたコソボ、カタルーニャを含めて世界にはいくつもある。

<記事原文 寺島先生推薦>

Kosovo, Donbass and Catalonia are famous examples, but do you realize how many countries have problems with separatism?
More than 100 governments recognized Kosovo’s self-proclaimed independence 15 years ago, but most of them have their own issues of this kind

コソボ、ドンバス、カタルーニャは有名な例だが、分離独立の問題を抱えている国がどれだけあるかご存知か? 15年前にコソボの独立を承認したのは100カ国以上の政府だが、そのほとんどがこの種の問題を抱え込んでいる。

筆者:ゲオルギイ・ベレゾフスキー(Georgiy Berezovsky)
* ウラジカフカズ在住のジャーナリスト。ウラジカフカズは、ロシア連邦の北カフカス地方に位置する北オセチア共和国の首都。

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2023年3月10日


コソボ・アルバニア人の「自己決定」運動の支持者数百人が、プリシュティナ中心部で抗議デモを行いながら行進している。© Dimitar DILKOFF / AFP Japan


 2008年2月、アルバニア系分離主義者が多数を占めるコソボ議会は、同州のセルビアからの独立を宣言した。ベオグラード*はこれに反対したが、翌日にはアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、アルバニアがこの新しい「国家」を承認した。その年の暮れには、50カ国以上が続いた。
*セルビアの首都。かつてのユーゴスラビアの首都。

 現在、コソボの主権を承認している国連加盟国は、ほぼ100カ国。しかし、ベオグラードの外交努力により支持を撤回した国もあり、この数字は常に流動的である。それにもかかわらず、プリシュティナは117カ国が「独立」を支持していると主張し続ける。

 実際には、国連に属する国の半数以上がコソボの独立を承認していない。その中には、中国、インド、旧ソビエト諸国のほとんど、そしてEU加盟国であるギリシャ、スペイン、キプロス、ルーマニア、スロバキアが含まれている。




関連記事:カーテンの向こうにいる男。ジョージ・ソロスのプロパガンダ実行機関がいかにメディアを堕落させたかを暴露する新報告書


 ロシアはコソボの独立宣言に反対する主要な国のひとつであり、世界秩序に及ぼす影響について一貫して述べてきた。しかし、よくよく考えてみると、世界の大半の国家が、重大なものからごく小さなものまで、何らかの形で分離独立の問題に取り組んでいることがわかる。


バルカンのパッチワークキルト*
*布を接ぎ合わせて一枚の布にしたもの。

 コソボの地位問題は、バルカン半島で新たな国家的存在の出現をもたらした分離主義の最新の事例に過ぎない。この地域の崩壊は「バルカン化」と呼ばれているが、それは当然である。

 前世紀末、バルカン半島の大部分はユーゴスラビアという統一国家に編入された。現在では、その代わりに7つの独立国が存在するが、これで終わるとは決して言えない。

 セルビアが最初に直面したのはアルバニア人の分離主義だったが、モンテネグロ、ギリシャ、北マケドニアなど、この地域の他の国々にもアルバニア人の共同社会(コミュニティ)が存在する。特に北マケドニアでは、コソボに隣接する同国西部に、全人口の25%を占めるアルバニア人が住んでいるため、その脅威は深刻だ。


スコピエのダウンタウンで反政府デモが行われるなか、マケドニアとアルバニアの国旗を振る人々を見守る男性。© Dimitar DILKOFF / AFP Japan


 セルビアはコソボ問題に加え、セルビア人だけでなくハンガリー人も住む自治区であるヴォイヴォディナにも潜在的な問題を抱えている。

 コソボもまた、独自の内部課題を抱えている。コソボの北部には、セルビア人を中心とした飛び地があり、彼らは祖国から孤立することを好まない。同様に、ボスニア・ヘルツェゴビナでも分離主義の問題は避けられない。その一部であるスルプスカ共和国は、独立またはセルビアとの統一を志向し、将来について中央政府と矛盾する見解を示すことが増えてきた。



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 ボスニアのクロアチア人の飛び地や、クロアチア自体にもセルビア人の飛び地があり、深刻度は低いものの、同じ問題が見られることがある。


イベリア半島。2カ国では足りない

 もし、マドリードに半島の大部分を束ねる王様がいなかったら、「バルカン化」は「イベリ化」と呼ばれていたかもしれない。スペインでは、他のどの西ヨーロッパ諸国よりも多くの分離主義運動が行われている。

 カタルーニャの問題は、全世界がよく知っている。ちょうど5年前の2017年10月、そこの自治体は独立を問う住民投票を行い、投票者の9割以上がスペインからの分離を支持したにもかかわらず、失敗に終わった。マドリードはこの民意の表明を認めようとしなかった。その結果、カタルーニャ分離独立運動の指導者の何人かが逮捕され、他の指導者は国外に逃亡した。しかし、それでも地元住民の思いは消えない。

 カタルーニャの問題に加えて、バスクの分離主義もある。これはカタルーニャとは異なり、より過激な形態をとることが多い。ETA(エウスカディ・タ・アスカタスナ=バスクと自由)の過激な民族主義者は、40年以上にわたってスペインとスペイン王室からの独立を求めて戦い、800人を殺害した。2018年、同団体は自己解散を発表したが、だからといって問題がなくなったわけではない。この地域の最大政党のひとつであるバスク民族主義党は、いまだにマドリードからの独立という考えを支持している。


スペイン北部のバスク地方都市ドノスティア(サンセバスチャン)で、10月1日に実施予定のマドリードからの独立を問う住民投票とカタルーニャを支持するデモで、バスクとカタルーニャの旗を掲げるデモ隊。© Gari Garaialde / AFP


 スペインは、17の自治体(地域)に分かれている。分離主義まではいかないが、それぞれの自治体で、ある程度、地域自治の考え方が盛んである。地方選挙では、アラゴン、アンダルシア、カスティーリャ、アストゥリアス、カンタブリア、ガリシアなどの自治州で、独立と自治の強化を訴える候補者が定期的に大きな得票率を獲得している。

 イベリア半島のもう一つの国、ポルトガルでも、すべてが甘美で明るいわけではない...リスボンの権力から自由になろうとする地域が、大西洋の海を隔てて存在するからだ。大都市から離れているのは事実だが。マデイラ諸島やアゾレス諸島のことである。



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イギリス。バラバラになった王国

 スコットランドの分離主義は、ここ数年、ロンドンを悩ませている。前回の地方選挙で独立支持派が勝利した後、彼らはイギリスからの分離独立を問う2度目の住民投票を実施する意向を表明した。1回目は2014年に行われ、55%が離脱に反対し、45%が離脱を支持した。投票結果に自信を持ったロンドンは、その時はスコットランド人の意思に干渉しなかった。

 しかし、その2年後、英国はEU離脱を決議し、エジンバラは、スコットランド人が明らかにEU残留を望み、62%の圧倒的な反対票を投じたことから、新たな住民投票を要求した。スコットランド当局は2023年10月に新たな住民投票を実施することを望んでいたが、昨年11月、英国の最高裁判所は、独立に関する国民投票はロンドンの同意がなければ実施できないとの判断を下した。今回、トーリー(保守党)政権下の議会は、それを認めるつもりはない。エジンバラは諦めるつもりはなく、前スコットランド政府のトップであるニコラ・スタージョンは、「スコットランドの民主主義は否定されない」と約束した。

 先週、スタージョンはスコットランドの第一大臣としての辞任を発表したが、それでも後継者について、その人が「スコットランドを独立へと導いてくれる」と自信を見せた。


スコットランド・エディンバラで行われたAUOB(All Under One Banner)の行進のため、スコットランド独立派の支持者がホリールード公園から市街地を抜けてメドウズに向かう。© Ewan Bootman/NurPhoto via Getty Images


 北アイルランドとの関係も、ロンドンにとっては小さくない問題である。2022年春の地方選挙では、アイルランド共和国との統一とUKからの分離独立を主張するシン・フェイン党が第一党となった。ブレグジットの際にロンドンとEUの間で結ばれた「北アイルランド議定書」が、分離派の人気上昇に貢献したと思われる。この議定書では、(EU加盟国の)ダブリンとベルファストの間の単一の関税空間を維持することを求めているが、そのかわりブリテン島と北アイルランドの間に関税が課されることになるからだ。

 ロンドンの問題はこれにとどまらず、コーンウォール、メルキア(ウェストミッドランドとイーストミッドランド地域)、ノーサンバーランド、ヨークシャー、ジャージー、ウェールズでも程度の差こそあれ分離主義者の活動があり、さらにはイングランド自体の英国離脱の話もある。しかし、これらはスコットランドやアイルランドの問題に比べれば、陳腐なものに見える。



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西ヨーロッパ。国の中にさらに国がある国々

 西ヨーロッパの国々は、そのほとんどが模範的な単一国家であり、一般的にはそうであるように思われる。しかし、地域における帰属意識(アイデンティティ)が強く、自治の拡大が望まれ、分離主義的な傾向があるのも事実である。

 例えば、フランスでは、南部に7地域にも及ぶ広大な面積を占めるオクシタン族という問題がある。積極的なフランス語化政策も、この問題を決定的に解決するには十分ではなかった。この地域のすべての標識は、オクシタニア語でも記載されているのが常である。

 北西部に位置するブルターニュ地方もまた、強い地域性を持っている。その住民は独自のケルト語を持ち、自分たちをフランス人ではなく、ブルトン人と呼ぶことを好む。20世紀後半には、ブルトン革命軍の武装組織であるブルトン解放戦線が、祖国の独立を主張するスローガンを掲げながら、テロを起こしたこともある。コルシカ島では、今世紀に入っても、独立のために暴力的な手段をとることを辞さない過激派がいる。

 オクシタン党、ブルトン党、自由コルシカ党など、各分立派は、自治権の拡大から完全な独立まで、さまざまな政策を掲げている。コルシカ民族解放戦線(FLNC)は昨年夏、16件の放火を行い、非コルシカ人が所有する夏の住宅や建設会社、パトカーを爆破したと主張している。


フランス、バスティアでのコルシカ民族主義グループ「F.L.N.C」の記者会見。© LEGRAND/Gamma-Rapho via Getty Images


 EUの経済機関車であるドイツが、チェコやオーストリアと国境を接し、国土の約2割を占める豊かな地域、バイエルンで問題を起こしている。バイエルン人は、他のドイツ人とは大きく異なる。その方言は、公式には認められていないものの、実は別の言語と考えられている。地域の独自性は極めて強いものの、バイエルンは少なくとも公には分離主義を口にすることはほとんどない。しかし、紛争がないときでも、ベルリンはミュンヘンを注視している。



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 ドイツの主要政党の一つであるキリスト教民主同盟は、その代表が繰り返しドイツの首相に選ばれているが、バイエルン州では選挙に参加していない。バイエルン州のキリスト教社会同盟は、バイエルン州の分離主義者や急進的な民族主義者の政党を吸収し、純粋なバイエルン州のキリスト教社会同盟と同盟を結んでいる。

 イタリアでは、ロンバルディア州とヴェネト州の北部地域で独立の問題が議論されている。そして、これらの議論はローマにとってむしろ不愉快なものである。たとえば、ヴェネトの政治家たちは、ヴェネト語をイタリア語と並ぶ地域の公用語として認めさせることに成功した。2014年3月、この地域で行われたオンライン投票では、回答者の89%が主権を持つヴェネト連邦共和国の創設を支持した。しかし、まだ住民投票には進んでいない。これらの地域でより大きな独立を望むのは、主に経済的な要因からだが、南チロルでは、国家的な問題も一役買っている。第一次世界大戦後にイタリアの一部となったこの豊かなドイツ語圏の地域は、100年以上前からオーストリアとの統一を望んでいる。

 西ヨーロッパで最も崩壊の可能性が高いのは、間違いなくベルギーである。ベルギーは、全く異なる民族が住む2つの地域から構成されている。オランダ語を話すフラマン人が人口の約6割を占め、フランス語を話すワロン人が4割を占める。フラマン人は、失業率が2倍、1人当たりGDPが3分の1という南隣のワロン人が、自分たちを犠牲にして生活していると考えるのは当然である。30年前、フランドル(フラマン人が住む地域のこと)はこの状況に不満を抱き、統一ベルギーを連邦制に移行させることに貢献した。今、フランドルは自治権をさらに拡大しようと闘い、ワロン人はその努力をはねのけようとしている。

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ブリュッセル近郊のウェゼンベーク・オッペム市で、フラマン民族主義グループ「Voorpost(アウトポスト)」のメンバーが、フラマン民族の独自性を支持するデモの際に、フラマンの旗を振り回している。© Dominique Faget / AFP


まだまだ、ある...。

 分離主義の問題は、東欧、特にソビエト後の空間ではさらに深刻で、中央と地域の当局が合意に至らないために、しばしば戦争が勃発している。トランスニストリア、アブハジア、南オセチア、ナゴルノ・カラバフ、ウクライナ東部などである。



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 しかし、分離主義的な願望は、ヨーロッパに限ったことではない。アジア、アフリカ、そしてオセアニアでも見られる。特に植民地支配を経験した国々では、外圧によって国境線が引かれることが多く、地域の要因や部族や民族の伝統的な母国を無視した国境線が引かれてきた。

 今日、最も強力な非ヨーロッパ諸国も、この問題と無縁ではない。たとえば、中国が直面している分離主義の脅威は、世界中がよく知るところである。米国は最近、台湾、チベット、新疆ウイグル自治区、香港、マカオの独立を主張することが多くなっている。半世紀余り前、北京は内モンゴル自治区の分離独立と戦っていたが、人口動態の変化により、この問題はあまり意味を持たなくなった。

 とはいえ、外から見ると一枚岩のように見えるアメリカでさえ、11の小国に分けることは容易である。カリフォルニア州やテキサス州など、個々の州の独立を主張するアメリカ人の話は時々メディアに登場するし、カスケーディアやニューアフリカ共和国など、地域全体の独立を主張する興味を引く運動も存在する。

 いずれにせよ、世界中の分離独立運動を網羅したリストは、図書館の別室を占領してしまうだろう。

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© independent.co.jp


解決策はあるのだろうか?

 モスクワにあるバルダイ国際討論クラブ*の企画担当責任者ティモフェイ・ボルダチェフは、「世界的に見て、分離主義は、解離、新しい壁の建設、民族主義の台頭に対する反応である」と考えている。
*専門家の分析センターで、2004年にロシアの大ノヴゴロドで設立された。(ウィキペディア)

 「もし本当の全世界一体化(グローバリゼーション)があれば、分離主義は存在しない。国境は透明化され、人々はどこに住もうが構わなくなるからだ。」

 分離主義とは、名ばかりの国の国粋主義に対する闘争である。

 ドンバスや東ウクライナの住民は、なぜキエフの権力から抜け出したいと思うのか。その理由は、ウクライナの国粋主義である。南オセチアやアブハジアでグルジアとの決別を望む分離主義者が現れたのはなぜか? トビリシがこれらの地域にグルジアの国粋主義を押し付けようとしたからだ。それだけである。分離主義の背景には、常に大きな国の国粋主義がある」とこの専門家はRTに語っている。



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 モスクワ国立国際関係研究所欧州法学部の准教授であるニコライ・トポルニンは、少し違った見解を持っている。彼によれば、「分離主義的傾向とグローバルな統合過程との間に明確な関係はない」という。

 「それぞれのケースには、それぞれの歴史、特徴、ルーツがあります。しかし、多くの場合、分離主義の背景には、歴史的、文化的、宗教的、言語的、教育的、経済的な理由が複雑に絡み合っています」とトポルニンは指摘した。

 ある意味、グローバリゼイション(世界統一化)は分離主義を助長している。その結果のひとつが、グローカリゼーション(世界地域化)の出現であり、消滅すると思われていた地域差は、むしろ強まっている。「合併や統一が進む代わりに、分離主義的な傾向、地域差への関心の高まり、古い伝統への関心の高まり、方言の復活など、逆の傾向が生まれ、強くなっている」と彼は述べている。

 このような状況下で、分離主義に対抗するには、弾圧と譲歩の2つの方法しかない。各国はこの2つの方法を同時に採用し、分離主義を志向する活動家を迫害すると同時に、分離主義地域にさらなる自治権を与えることが多い。しかし、ティモフェイ・ボルダチェフによれば、より普遍的な処方箋があるという。

 「分離主義の問題に理論的な解決策はあるのだろうか? ある。それは帝国主義だ。分離主義に対する唯一の処方箋は帝国主義である。つまりロシア、中国、そしてある程度は米国のような、多国籍、多会派の大国のことである。」

市民の抗議運動には、価値付けられるものとそうでないものがある

<記事原文 寺島先生推薦>

Worthy and Unworthy Protest

筆者:マーガレット・キムバレー(Margaret Kimberley)

出典:INTERNATIONALIST 360°

2022年11月30日

<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>

2022年12月8日


2021年、ロンドンでの「法案を潰せ」抗議活動に参加中の市民たち (Photo: Extinction Rebellion)

 抗議活動が祝福される国々もあれば、抗議活動が無視される国々もある。抗議活動は、人権として尊重されるべきものだが、政権転覆といったよこしまな動機のために利用されることもある。

 英国と北アイルランドは抗議活動を不法行為にする法律が成立する瀬戸際に置かれている。「治安秩序法」案が下院を通過し、貴族院で承認され、法律になる見通しだからだ。この法案は、「国の生活基盤施設を妨害」したり、建築や交通を遮る、いかなる抗議活動も禁じている。この法案により、警察権力は、「合理的な理由」なしで、捜査が可能になる。この法律では、「治安維持に対する深刻な行為を防止する命令 (SDPO) 」が認められている。この規則は意図的に曖昧に作られているので、違反する可能性さえあれば、警察は対象者を逮捕する権利が与えられ、最長2年間は次の抗議行動に参加できなくなる。この禁止に伴い、警察は、この法律に違反していると思われるものは誰に対しても、電子的に監視する権利が与えられる。これらの措置により、市民によるいかなる大規模な抗議活動を事実上阻止することができる。これらの条項に違反した者は、有罪が確定すれば、最大51週間、刑務所に収容される可能性がある。

 保守のトーリー党政権は、この治安秩序法を通過させる構えで、「野党」の労働党は、この件や、この件に類似する別の件に反対する様子はほとんど見せていない。もとは左翼だった労働党は、万一政権を奪還したとしても、この法案を廃案にするどころか、 それを厳しく批判することすらしないという様相を呈している。

 このことを念頭に置いた上で、英国は常に、イランや中国の抗議活動を支持する姿勢を示していることを見ることが肝要だ。英国の外務大臣は、イラン政府を.厳しく非難して、こう語っていた。「我が国の今のイラン政府に対する見方ははっきりしています。外国の関係者を非難するのはやめて、自国民が持つ懸念に責任を持ち、耳を傾けなさい、ということです」と。英国民が、自国政府が国民からの声に聞く耳を持たないと感じても、集団行動を起こすことで、そんな声を伝えることはもはや不可能になるのだ。刑務所に放り込まれる覚悟があれば別だが。

 明らかに、ある抗議活動は、他の抗議活動よりも価値があると見られているのだ。そしてそれらの抗議活動にどう対応するかは、完全に政治的な判断だ。

 ハイチでの大規模な抗議活動は、米国や新興財閥たちが、国民に押し付けた傀儡指導者たちに対するものだった。その米国や新興財閥たちは、カリブ海の石油を、自分たちの利益のために盗んでいた。それなのに、これらの抗議活動は、無視されるか、無法者による運動だと誤った捉えられ方をされている。ハイチ国民による抗議活動は常に、注意を払うべき価値のあるものだとしては扱われていない。

 欧州各国市民たちも、自国政府に対する抗議活動を行っている。ライプツィヒでは、ドイツ国民が「米国は国に帰れ」と叫び、77年間駐留している米軍に出ていくよう求めていた。フランスチェコ共和国では、何千もの人々が集まり、自国がNATO加盟国から抜けるよう要求していた。これらの抗議活動は、EUの各国政府が、米国とともに、ロシアに制裁を加えていることに繋がるものだ。この制裁により、何百万もの人々に、インフレとエネルギー不足が引き起こされているからだ。しかしこれらの抗議活動も、無視されるか、「極右勢力」だと決めつけられ、主張の正しさが否定されている。

 このような抗議活動者たちが、米国でほとんど注目されていない理由は単純だ。これらの抗議活動が、ワシントンの政策と相容れないものだからだ。

 市民に抗議する権利があることは、国際法で認められている。しかし米国や米国の友好諸国から出される声明は、政府の干渉により常に毒されている。イラン国民は、警察に留置された一人の若い女性の死亡に対して政府に抗議活動を起こしたが、米国は、警察が年間1000人の市民を殺害することを許可している。さらに米国には、イランの内政に干渉してきた長い歴史がある。多くの政治家や世論形成者は、そのことはイラン政府の政権転覆を狙ったものであったと公言している。この同じ手口が、中国でも繰り返された。中国で起こったゼロコロナ政策に対する抗議活動は、中国共産党や中国の政治体制全般に対する抗議活動であるとされたのだ。

米国市民や欧州市民がすべき最善の行為は、まず自国の政策や政治を見直すことだ。衝動に駆られて、人権問題複合体*を後追いし、間違った結論を出してはいけない。そんなことをすれば、自国政府の邪悪な目的に手を貸すことになるだけだ。
 *「軍産複合体」をまねた造語。様々な人権の擁護のために活動している組織の集合体。

 我が国(米国)の市民たちは、世界最大の刑務所体制のもとで生活している。さらに健康福祉体制も先進国と見られている国の中で最悪だ。賃金は低く、セーフティ・ネット(困窮者緊急救済保証)は意図的にビリビリの穴だらけにされている。学生の学費の借金や、医療費の借金が何千ドルにもなる危険がある国に住む国民が、自分たちと同様の酷い状況下で生活していない他国民よりも自由であると、どうして言えるのだろうか?

 米国の例外主義は、強力な麻薬であり、他のことでは分別のあるふるまいができる人でも、この件に関しては、自分たちはよい暮らしをしていると思わされ、世界各国の人々は、自分たちが守ってあげないといけない存在である、と思わされてしまうのだ。米国の大統領が選挙に勝ち、大統領府に入れるのは、国民が何を必要としているかについて、嘘をついているからだ。米国大統領は大統領府に入るやいなや突然、自分の手は縛られているから、選挙運動のときにした公約はどれもを果たせなくなった、と宣言し出すのだ。

 こんな二枚舌を通用させるのに必要なことは、他の国々を悪い国であると描くことだ。 そうすることで、政府は意図的に人々の意志に障害を与え、人々は残りの人類に対して強力な権利を有する陣営に与するよう説得される。もちろん、政府は人々に自分たちが政権転覆という夢にほだされている事実や、世界中の人々の意志を弱体化させる方策を模索し続けているとは伝えない。その一方で、自分たちは、慈悲深いという印象を与えようとする。

 米国民も欧州市民も、人権問題が心配なら、まずは自国の人権問題を見つめることから始めないといけないことを悟るべきだ。そうすれば、他の国々の人々の苦境について、いつ意見を述べればいいかが分かるだろうし、自分たちが他国にしか存在しないと思っている権威主義的な政権のもとで自分たちも暮らしている事実におそらく気がつくはずだ。

 このような政治的判断が下されるのは、抗議活動の件だけではない。英国メディアは今、一体となって怒りを示している。それはBBCの記者が逮捕され、短期間拘束されたからだ。中国の上海で、抗議活動を取材中のことだった。もちろん、記者が罰を受けることを恐れることなく、仕事ができるというのは当然のことだが、その英国自身は、米国の要請を受けて、記者のジュリアン・アサンジを未だに投獄している。

 米国・EU・NATOが、世界全体を支配しようとし続ける限り、世の中の風潮は、「偽善」であり続けるだろう。ハイチやフランスやドイツやイランの人々は皆、抗議活動が可能であるべきだし、主権を求める要求は尊重されるべきだ。 彼らが、自分たちが求めるような暮らしを送れていないとしたら、それは米国のせいだ。彼らから権利を奪った張本人として最もありえそうなのは米国だからだ。

主要五カ国のドル離れとその理由

Top 5 countries opting to ditch US dollar & the reasons behind their move

RT/ Home/Business News/   2019年1月2日 

(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年3月23日)

<記事原文>寺島先生推薦
https://www.rt.com/business/447915-top-states-ditching-dollar/

Top 5 countries opting to ditch US dollar & the reasons behind their move
© Getty Images

昨年は、世界の地政学的空間を二つの陣営に分裂させることになった出来事がたくさんあった。 二つの陣営の一つは、ドルを普遍的金融ツールとして使うことを支持する陣営であり、もう一つはドルから離反しつつある陣営である。 

アメリカ政府が仕掛ける様々な経済制裁や貿易摩擦によって国際的な緊張が高まり、標的となった国々は、現在のドル一辺倒の支払いシステムを見直さざるを得なくなっている。 

RTは最近の「脱ドル化」現象の真相を探った。 以下、主要五カ国のドル依存脱却の現状と依存脱却に至る理由をまとめた。

中国

米中間の貿易摩擦が進行中であることと、また中国の主要貿易相手国への経済制裁のため、世界第二位の中国経済は、やむを得ず自国経済のドル依存緩和へと舵を切っている。

中国政府には特徴的なソフトパワー・スタイルで、この問題に関してまだ声高な声明は出していない。 しかし、中央人民銀行は米国債の保有高を定期的に削減している。 それでもなお中国は世界最大の米国債保有国だが、2017年5月以来過去に例を見ないほどの保有高にまで削減した。 

さらに、中国は直ちにドルに背を向けることはせず、自国通貨である元を国際化する努力をしている。 これまでドル、円、ユーロ、そしてポンドで構成されていたIMFの通貨バスケットに、2016年、元が加わった。 中国政府は元の強化に向けて、最近次のような手段を講じている。 
    ① 金保有量を増やす
    ② 元建ての原油先物取引を手がける
    ③ 貿易相手国と元で交易する

野心的な「一帯一路」構想の一貫として、元の使用を促進するため、参加国へ「スワップ執行ファシリティ」*を導入する計画がある。 さらに、中国は「地域包括的経済連携(RCEP)」と呼ばれる自由貿易協定を積極的に推し進めている。 この協定には東南アジア各国が含まれる。 RCEPは「環太平洋パートナーシップ協定(TPP)」に容易に取って代わることもできるだろう。 アメリカはトランプ大統領が政権を取るとすぐに同協定から離脱したため、TPPの骨組みはガタガタになっているからだ。 RCEPには16カ国が参加しており、34億人近い人口をまとめ上げる協定となることが期待され、49.5兆ドル規模の経済基盤を形成することになる。 これは世界のGDPのほぼ40%にあたる。 
   *[訳注:スワップ執行ファシリティ(swap-execution facilities) ]  (「投資
   用語集」より)
      デリバティブ取引は実態把握が困難であり、そのためリーマン・ショッ
     クに端を発する金融危機を未然に防げなかったとの反省から、2013年
     10月から米国で導入された電子取引基盤のこと。
      デリバティブ取引の大半が情報開示の義務の無い店頭(OTC:over-the
     -counter)等の相対取引であったため、金融危機再発防止のたに制定さ
     れたドッド・フランク法(金融規制改革法)によりデリバティブ取引をスワッ
     プ執行ファシリティ(SEF)上で行うことが義務付けられ、取引所の売買と
     同様でそれぞれ複数の売買注文を受け付けて取引を成立させることと
     なり、取引の透明度の向上や金融規制当局の不正監視が容易となった。
     また、デリバティブ取引の清算後に取引情報蓄積機関(swap data
     repository)への取引報告も義務付けられている。
      EUにおいては、「組織化された取引施設(OTF:organized trading facility)」
     がSEFと同様な電子取引基盤として整備されている。


インド

世界第六位の経済大国にランクされるインドは、世界最大の商品輸入国のひとつである。 同国が世界のほぼすべての地政学的紛争からの影響をまともに受け、貿易相手国に課せられた制裁によって大きな影響があることは当然である。

今年初め、インド政府はルーブルを使ってロシア製S-400対空システムの対価を支払った。 アメリカがロシアに対して経済的なペナルティーを導入した結果である。 インドは、また、アメリカ政府がイランに対する経済制裁を再開した後、ルピーを使ってイランの原油を購入せざるを得なかった。 12月、インドとアラブ首長国連邦は「通貨スワップ」協定に調印し、第三者の通貨[ドル]を介さずに、交易と投資の拡大を図ることにした。

インドが購買力平価では世界第三位の国であることを考えると、同国のこのような動きは世界貿易におけるドルの役割を著しく低下させることにもなるだろう。 

トルコ

今年初め、トルコ大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンはドル独占を終了させる新しい政策を発表し、貿易相手国とは非ドル仕立ての交易を目指す、とした。 その後の声明で、エルドアン大統領は、中国、ロシア、ウクライナと自国通貨で交易する準備を進めていることを発表した。 また、トルコはイランとの交易にドルではなく自国通貨が使えないかどうかの議論も行った。 

こういった動きの背景には、いくつかの政治的、経済的理由がある。 トルコとアメリカの関係は、2016年のエルドアン大統領追放クーデター未遂事件以来、悪化している。 報道によれば、エルドアンはこのクーデターにアメリカが関与しているのではないかと疑っている。 そして、トルコ政府がクーデターの黒幕として非難している亡命中のイスラム聖職者フェトフッラー・ギュレンに、アメリカが隠れ家を提供していることを糾弾している。

トルコ経済が落ち込んだのは、クーデター未遂事件に関連して、アメリカの福音派牧師アンドルー・ブランソンがテロ容疑で逮捕されたことに対して、アメリカが経済制裁を導入してからだった。 

エルドアンは、アメリカ政府が、①世界貿易戦争の端緒を開いた、②トルコに経済制裁を科した、③イランを孤立させようとしたことを繰り返し非難した。

さらにトルコは、ドルから離れ、自国通貨を支える試みに取り組んでいる。 トルコ通貨リラはドルに対して昨年度比ほぼ50%安となっている。 リラ暴落に、猛烈なインフレと物価、公共サービスの値上げが加わり、事態はさらに悪化した。

イラン

イランは世界交易の場面に意気揚々と復帰したが、長くは続かなかった。 トランプは大統領当選後、2015年イランとの間で署名された「核合意」から離脱する選択をした。 この「合意」にはイギリス、アメリカ、ドイツ、ロシア、中国、そしてEUも参加していた。

石油資源の豊富なイランは、アメリカ政府が再開した厳しい経済制裁の標的となった。 アメリカは、同時に、この禁輸措置に違反するいかなる国もペナルティーの対象になる、と脅した。 一連の懲罰的措置でイランとのビジネスは禁止され、イランの石油産業は身動きが取れなくなった。

アメリカが経済制裁を発動したため、イラン政府はドルに代わる通貨で、輸出した原油の代金を受けざるを得なくなった。 インドの原油代金支払いはインド通貨ルピーで行う契約で、イランは何とか取引きをつなぎ止めることができた。 また、隣国イラクとは通貨を介在させない「バーター取引」の交渉も行った。 この二国は、相互交易にイラク通貨ディナールを使うことも計画している。 ドル依存の度合いを減らすためだ。 アメリカの経済制裁に関連して、銀行業務には種々の問題が発生している。

ロシア

アメリカは「ドルの信頼を失墜させる」ことで「戦略的には壮大な誤りを犯している」、とプーチン大統領は述べた。 プーチンは、ドルを使った取引きの制限や、ドルの使用を禁ずる指示を一度もしたことがない。 しかし、今年初め、ロシア金融大臣アントン・シルアノフは、次のように語った。 ロシアとしてはアメリカ国債の保有を止め、より確かな資産としてルーブル、ユーロ、そして貴金属に傾かざるを得ない、と。

ロシアは、自国経済の脱ドル化に向けた措置をすでにいくつか実施している。 2014年以来、様々な問題をめぐるアメリカの経済制裁のために、ずっしりとロシア経済に大きな負担をかけてきているためだ。  アメリカが、ロシアの金融システムを標的にした新たな、一層厳しい経済制裁の脅しをかけきたので、ロシアは、「国債銀行間通信協会(SWIFT)」、Visa、マスターカードに代わる自国支払いシステムを開発した。 

これまでのところ、ロシア政府は輸出取引きの一部で、ドル建てを止めることができた。 中国、インド、そしてイランを含む国々と「通貨スワップ」協定の署名をしている。 ロシアは最近、ドルではなくユーロを使ったEUとの交易を申し出た。

かつてはアメリカ国債保有高上位10カ国に入っていたロシアだが、それをほぼゼロにした。 アメリカ国債を売却したお金を使い、外貨準備高を増やし、自国通貨ルーブルを安定させるため金の備蓄に努めている。 

カール・マルクスの社会主義理念は、200年たって世界でどのように受け入れられているか

How the world still embraces Karl Marx's socialist ideals after 200yrs

RT World News 2018年5月5日
(翻訳:新見明 2018年11月14日)
<記事原文> https://www.rt.com/news/425918-karl-marx-socialism-global/


2018年5月1日スリランカのコロンボで社会主義戦線党により組織されたメーデー集会のカール・マルクス© Dinuka Liyanawatte © Reuters

革命的哲学者カール・マルクスの生誕200年後も、彼の仕事は未だ有効である。社会主義が復活していて、世界中の人々がマルクスの理想を受け入れている。

欧米世界で社会主義の政治家が最近人気を得ていることは、当然、資本主義からの変化を願っていることだ。アメリカでは自称社会主義者バーニー・サンダース上院議員が大統領候補の選挙運動中、社会主義革命を公言した。一方イギリスでは誇り高き社会主義指導者ジェレミー・コービンの下、労働党が昨年の選挙で大きな躍進を遂げた。

READ MORE: Karl Marx at 200: RT looks at the British political figures who still hold him dear
Meanwhile in Greece, the anti-austerity Syriza party – a radical left-wing coalition which promoted itself on its commitment to Marxism – swept to power in 2015 as the country was in the midst of a debt crisis.
カール・マルクス生誕200年:RTはマルクスを重視するイギリス政治家たちを考察する。一方、ギリシャでは、反緊縮のシリザ党がマルクス主義を推進し、極左連合を形成して、2015年の国が金融負債危機の最中に、政権の座についた。


マルクス生誕200年に先立ち、イプソスによって行われた世界的調査では、2万人の大人にマルクス主義の理想に関して調査した。例えば無償教育、医療の無償、ユニバーサル・インカムの権利についてである。


調査によると、10人中9人が、教育は無償で、医療も無償であることが人権であるべきだと考えている。ロシア人はどちらの項目にも最も支持が多く、次がセルビアだった。

無条件のベイシック・インカムの権利に関して、回答者の3分の2以上がその施策を支持した。28カ国すべてで約10分の8が、貧困層を支えるために富裕層がさらに多く課税されるべきだと考えている。最も多かったのはスペイン、セルビア、中国だった。

しかし、世界で3分の2の人々が、自由市場の競争は人々に最もよいものをもたらすと考えており、ほぼ70%が、才能のない人より、才能のある人が多く儲ける権利があると考えている。

中華人民共和国の人々はほとんど、社会主義の理想が社会の発展に大きく寄与するという主張に賛成であり、そしてインド、マレーシアが続いている。回答者は全般的に、社会主義の今日的可能性について意見が分かれている。半数が社会の発展に大きな貢献をすると答え、ほぼ半数が社会主義を抑圧の手段と考えている。

中国はマルクス生誕200年に大きな祝典を計画し、偉大な思想家の巨大なブロンズ像をマルクスの生誕の地ドイツのトリーアに贈った。


そのブロンズ像は、当然ドイツの意見を分断した。ドイツの東半分は1949年から1990年の再統一まで、共産主義ソ連によって支配されていた。論争があっても、記念碑は欧州委員会委員長のジャン・クロード・ユンケルによって除幕された。しかしその除幕式は「共産主義幹部会の米議会犠牲者」によって非難された。

「マルクス主義体制は少なくとも1億人を虐殺した責任がある。中国では6500万人、ソ連では2000万人以上、北朝鮮では200万人以上が犠牲になった」とそのグループはユンケルに再考を促し、もしくはマルクスの名でなされた「暴虐」に反対するように手紙を書いた。ユンケルの返事では「マルクスは全ての虐殺に責任があるわけではない。彼の後継者と自称する者が答えなければならない」と述べた。

マルクスは論争のタネになる人物であり続けている。しかしマルクスはソ連崩壊により死んで葬り去られた、という主張にもかかわらず、彼のイデオロギーは世界中で重要性を増している。


活動家達は、よりよき労働状態を求めた集会に参加する。2018年5月1日パキスタン、カラチ© Akhtar Soomro © Reuters /

このいつまでも残る影響は、世界中の労働組合が街頭に出て、よりよい労働者の権利を求めるメーデーの日に特に明かだ。カール・マルクスは、しばしば活動家が彼の写真を掲げているように、これらの集会で呼び覚まされている。 そしてよく「共産主義の父」として描かれる伝説の男が、今日も生きていることを資本主義者に思い出させるのだ。

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