アメリカが誘導した新自由主義の悪夢から覚醒するチリ
Chile awakens from US-induced neoliberal nightmare
RT Home/Op-ed/ 30 Oct, 2019 16:00
<記事原文>寺島先生推薦
https://www.rt.com/op-ed/472221-chile-protests-neoliberal-nightmare-us/
(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年11月)
Anti-government protest in Santiago, Chile October 28, 2019 © REUTERS/Henry Romero
原文URL https://www.rt.com/op-ed/472221-chile-protests-neoliberal-nightmare-us/
10月になると、驚くべき敗北が南米のアメリカと同盟関係にある国々にもたらされた。 それはアメリカが南米に悪意を持って押しつけたモデルの失敗でもあった。
「僕はバルパライソ(訳注:チリ中部の都市)の行進に参加していたんだ。 人がいっぱいいた。 本当に平和的な行進だったけど、国会から約2ブロックの所に来ると、警察が待っていた」と、筆者の兄(弟)アルフレドが音声メッセージで語っている。
「ここでは抗議する権利なんかない。 何ができるかって? 闘い続けなければならないのさ。」 何十万という抗議する人々が、警察の激しい抑圧行動にも拘わらず、チリの街頭に途切れることなくあふれ出る様子を見ると、高ぶる神経と喜びの感覚を抑えるのは難しかった。
不安な気持ちを抱いた国内外のチリ人はこんなメッセージを受け取っていた。 少なくとも、チリの各都市の大通りや広場を埋め尽くす河のような人波の映像は見ていた。 多くの人々は、この間の国政のあり方に一致団結してNO!の声が上げられる様子を見て、自分達の主張の正しさを確認した。 同時に、軍が街頭で巡回する様子に、抜きがたい恐怖心も持っていた。 無防備なデモ隊に実弾が発射されたり、とても暴徒には見えない歩行者の頭を警棒で割ったり、警察は、と言えば学生達をまとめて、家の外に出さないようにしていたのだ。
チリでこんな光景が展開したのは、これが初めてではない。
米国の支援を受けたアウグスト・ピノチェトの暴虐な軍事体制によって、国の構造改革の基礎はシカゴから呼び入れられた「フリー・マーケット」信奉者たちのイメージの中に置かれた。 ピノチェト将軍のクーデターが起こるまで、チリは、「奇跡」とまで呼ばれたことを為し遂げていたのだ。 民間部門は生活のあらゆる領域に入り込んでいたし、社会主義体制下のいろいろな法的、倫理的束縛から自由だった。 だが経済的には1930年代以来という不況に見舞われていた。 GDPは14.3%の下落、4人に1人が失業状態だった。
右翼クーデターの血塗られた後遺症から第一波のチリ人が脱出した後、私の家族と同じような家族は、1980年代における第二波の大規模な国外移住の集団となった。 職を求めて国を離れたのだ。
チリ人が、1988年、投票でピノチェトの支配を終了させた時、はっきりしていたのは、これで国からの抑圧はお仕舞いになるだろうという期待があったことだ。 同様にピノチェト体制の下で作られた政府機関、法律、そして規範に変化が生じるだろうという期待もあった。 しかし、その後約30年間の文民政権(その内20年間は「左翼」と言われる政権だった)で国民が知ったのは、豊かになってきたとは言うけれど、それは自分達には無縁だった、ということだ。
クラウディオ・ブラーボ(チリ代表チームとマンチェスター・シティFCのゴールキーパー)が今回デモが始まってから数日、次のようなツィートをしている:
「彼らは我々の水も電気もガスも教育も健康も年金も医療も道路も森もアタカマ塩原
も氷河も交通も民間に売ってしまった。 他にもあるのか? これだけでも十分すぎるじゃないか? 我々は少数者のためのチリなんか望んでいない。」
ブラーボ(本来左翼とは言い難い)が表明したこの気持ちは、街頭デモの情況とそれに参加した人々の気持ちを集約していた。
ピノチェット独裁体制後のチリ政治指導層の総意はピノチェットと企業が設定した新自由主義国家の運営を継続することだった。 その後ろ盾として米国政府があった。 公共サービスの民営化や規制緩和はもちろんピノチェット体制下で始まったことだが、キリスト教民主党や、チリ社会党や、他の党派から成る「コンセルタシオン」は、こういった政策にブレーキをかけたり、転換させる動きをすることはほとんどなかった。 多くの点で新自由主義の流れを継続させたのである。
抗議行動がサンチャゴ市の地下鉄から始まったことは偶然でも何でもない。 サンチャゴ市における高速鉄道である地下鉄は、官民連携の下、次々と建設され、出来上がった地下鉄網の民営化は社会主義者だったミシェル・バチェレ大統領の下で始まった。
セバスチャン・ピニエラ政権が地下鉄料金の値上げを発表した時、それは「有識者会議」の決定だから、ということが根拠とされた。 地下鉄利用者には、「いつもより早起きして、帰宅時間を遅らせれば、ラッシュ時料金を払わなくて済む」という言葉が投げつけられた。
この「パンが食べられないのならケーキを食べたら」的なテクノクラートの仮面を被った国民の現状への無知、そして党派を問わずあらゆる政治家達の恥知らずな腐敗もあり、それらが国民の日々抱える生活のフラストレーションを刺激した。 そしてついにはこの怒りが最高潮に達したのだ。
セバスチャン・ピニエラ右翼政権は、この怒りに対して急遽「処方箋」を提示。 無意味な内閣改造やわずかばかりの最低賃金や年金の増額である。 しかしこういった施策では不十分で、事態はもっとその先を行き、もはやそんなことで国民の気持ちが収まることはないだろう。
街頭でチリの人々が口にしているのは、「30セント(運賃の値上げ分)が問題じゃない!」 新自由主義体制下の「この30年が問題なんだ!」 それをアメリカ政府とその腰巾着達が、モデルとして前に押し進めし、力尽くで国外に輸出した。
アメリカの企業は、その利害の繋がりを長い年月チリに持っている。 それが主要な理由の一つとなって、1973年のクーデターと独裁政権の支援にアメリカ政府が関わり、チリでアメリカ資本が投入される場を回復することになった。 このアメリカ企業のチリにおける利害が、この地域におけるチリの政治的役割の中核になっている。 律儀に喧伝されるアメリカ企業の利害とチリ歴代政府が推し進める新自由主義のモデルは切っても切れない関係にある。 それはまたアメリカ政府の外交政策の諸原則(ベネズエラ政府転覆の企てや同国の石油への関心を隠そうともしないことなどに見て取れる)とも横並びになっている。
30年以上も経過して、大多数のチリ人は、やっと、新自由主義モデルから覚醒し、このモデルは宣伝されているようなものではないことを世界に向けて語った。 チリの街頭で起こっていることは、新自由主義への弔鐘だ。 銃口を向けて産み出された新自由主義施策への弔いの鐘が、まさにそれが産み出されたその場所で鳴っているのだ。
だが南米でチリだけがこの闘いの戦場になっているわけではない。
10月上旬、エクアドルではレニン・モレノ政権によって施行された緊縮政策に反対する大規模な抗議デモが行われた。 この緊縮政策はアメリカに支配されたIMF(国際通貨基金)との合意事項に基づいている。 10月下旬には、ボリビアでエボ・モラレスが4期目の大統領当選を果たした。 さらに、アルゼンチンではアメリカと連携していた現職マウリシオ・マクリ大統領が1期目で驚きの敗北を被った。
チリでのこの動きを、第二の「ピンクの潮流」とか、その種の流れとして括るには時期尚早かもしれないが、はっきりしているのは、サンチャゴの街頭だけには止まらない何か大きなものが起こっていることである。 これは南米のアメリカ政府と同盟関係を結んでいる国々と、彼らが南米諸国の国民に無理矢理押しつけようとしてきたモデルにとっては悪いニュースだ。
By Pablo Vivanco
RT Home/Op-ed/ 30 Oct, 2019 16:00
<記事原文>寺島先生推薦
https://www.rt.com/op-ed/472221-chile-protests-neoliberal-nightmare-us/
(翻訳:寺島メソッド翻訳グループ 2019年11月)
Anti-government protest in Santiago, Chile October 28, 2019 © REUTERS/Henry Romero
原文URL https://www.rt.com/op-ed/472221-chile-protests-neoliberal-nightmare-us/
10月になると、驚くべき敗北が南米のアメリカと同盟関係にある国々にもたらされた。 それはアメリカが南米に悪意を持って押しつけたモデルの失敗でもあった。
「僕はバルパライソ(訳注:チリ中部の都市)の行進に参加していたんだ。 人がいっぱいいた。 本当に平和的な行進だったけど、国会から約2ブロックの所に来ると、警察が待っていた」と、筆者の兄(弟)アルフレドが音声メッセージで語っている。
「ここでは抗議する権利なんかない。 何ができるかって? 闘い続けなければならないのさ。」 何十万という抗議する人々が、警察の激しい抑圧行動にも拘わらず、チリの街頭に途切れることなくあふれ出る様子を見ると、高ぶる神経と喜びの感覚を抑えるのは難しかった。
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チリでこんな光景が展開したのは、これが初めてではない。
米国の支援を受けたアウグスト・ピノチェトの暴虐な軍事体制によって、国の構造改革の基礎はシカゴから呼び入れられた「フリー・マーケット」信奉者たちのイメージの中に置かれた。 ピノチェト将軍のクーデターが起こるまで、チリは、「奇跡」とまで呼ばれたことを為し遂げていたのだ。 民間部門は生活のあらゆる領域に入り込んでいたし、社会主義体制下のいろいろな法的、倫理的束縛から自由だった。 だが経済的には1930年代以来という不況に見舞われていた。 GDPは14.3%の下落、4人に1人が失業状態だった。
右翼クーデターの血塗られた後遺症から第一波のチリ人が脱出した後、私の家族と同じような家族は、1980年代における第二波の大規模な国外移住の集団となった。 職を求めて国を離れたのだ。
チリ人が、1988年、投票でピノチェトの支配を終了させた時、はっきりしていたのは、これで国からの抑圧はお仕舞いになるだろうという期待があったことだ。 同様にピノチェト体制の下で作られた政府機関、法律、そして規範に変化が生じるだろうという期待もあった。 しかし、その後約30年間の文民政権(その内20年間は「左翼」と言われる政権だった)で国民が知ったのは、豊かになってきたとは言うけれど、それは自分達には無縁だった、ということだ。
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「彼らは我々の水も電気もガスも教育も健康も年金も医療も道路も森もアタカマ塩原
も氷河も交通も民間に売ってしまった。 他にもあるのか? これだけでも十分すぎるじゃないか? 我々は少数者のためのチリなんか望んでいない。」
ブラーボ(本来左翼とは言い難い)が表明したこの気持ちは、街頭デモの情況とそれに参加した人々の気持ちを集約していた。
ピノチェット独裁体制後のチリ政治指導層の総意はピノチェットと企業が設定した新自由主義国家の運営を継続することだった。 その後ろ盾として米国政府があった。 公共サービスの民営化や規制緩和はもちろんピノチェット体制下で始まったことだが、キリスト教民主党や、チリ社会党や、他の党派から成る「コンセルタシオン」は、こういった政策にブレーキをかけたり、転換させる動きをすることはほとんどなかった。 多くの点で新自由主義の流れを継続させたのである。
抗議行動がサンチャゴ市の地下鉄から始まったことは偶然でも何でもない。 サンチャゴ市における高速鉄道である地下鉄は、官民連携の下、次々と建設され、出来上がった地下鉄網の民営化は社会主義者だったミシェル・バチェレ大統領の下で始まった。
セバスチャン・ピニエラ政権が地下鉄料金の値上げを発表した時、それは「有識者会議」の決定だから、ということが根拠とされた。 地下鉄利用者には、「いつもより早起きして、帰宅時間を遅らせれば、ラッシュ時料金を払わなくて済む」という言葉が投げつけられた。
この「パンが食べられないのならケーキを食べたら」的なテクノクラートの仮面を被った国民の現状への無知、そして党派を問わずあらゆる政治家達の恥知らずな腐敗もあり、それらが国民の日々抱える生活のフラストレーションを刺激した。 そしてついにはこの怒りが最高潮に達したのだ。
セバスチャン・ピニエラ右翼政権は、この怒りに対して急遽「処方箋」を提示。 無意味な内閣改造やわずかばかりの最低賃金や年金の増額である。 しかしこういった施策では不十分で、事態はもっとその先を行き、もはやそんなことで国民の気持ちが収まることはないだろう。
街頭でチリの人々が口にしているのは、「30セント(運賃の値上げ分)が問題じゃない!」 新自由主義体制下の「この30年が問題なんだ!」 それをアメリカ政府とその腰巾着達が、モデルとして前に押し進めし、力尽くで国外に輸出した。
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アメリカの企業は、その利害の繋がりを長い年月チリに持っている。 それが主要な理由の一つとなって、1973年のクーデターと独裁政権の支援にアメリカ政府が関わり、チリでアメリカ資本が投入される場を回復することになった。 このアメリカ企業のチリにおける利害が、この地域におけるチリの政治的役割の中核になっている。 律儀に喧伝されるアメリカ企業の利害とチリ歴代政府が推し進める新自由主義のモデルは切っても切れない関係にある。 それはまたアメリカ政府の外交政策の諸原則(ベネズエラ政府転覆の企てや同国の石油への関心を隠そうともしないことなどに見て取れる)とも横並びになっている。
30年以上も経過して、大多数のチリ人は、やっと、新自由主義モデルから覚醒し、このモデルは宣伝されているようなものではないことを世界に向けて語った。 チリの街頭で起こっていることは、新自由主義への弔鐘だ。 銃口を向けて産み出された新自由主義施策への弔いの鐘が、まさにそれが産み出されたその場所で鳴っているのだ。
だが南米でチリだけがこの闘いの戦場になっているわけではない。
10月上旬、エクアドルではレニン・モレノ政権によって施行された緊縮政策に反対する大規模な抗議デモが行われた。 この緊縮政策はアメリカに支配されたIMF(国際通貨基金)との合意事項に基づいている。 10月下旬には、ボリビアでエボ・モラレスが4期目の大統領当選を果たした。 さらに、アルゼンチンではアメリカと連携していた現職マウリシオ・マクリ大統領が1期目で驚きの敗北を被った。
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チリでのこの動きを、第二の「ピンクの潮流」とか、その種の流れとして括るには時期尚早かもしれないが、はっきりしているのは、サンチャゴの街頭だけには止まらない何か大きなものが起こっていることである。 これは南米のアメリカ政府と同盟関係を結んでいる国々と、彼らが南米諸国の国民に無理矢理押しつけようとしてきたモデルにとっては悪いニュースだ。
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