拷問、飢餓、処刑: 東グータの市民がテロリスト支配下の生活を語る
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Torture, starvation, executions: Eastern Ghouta civilians talk of life under terrorist rule
エバ・バートレット
2018.6.10
エバ・バートレットはガザ地区やシリアでの経験が豊かなフリーランスのジャーナリストで、人権活動家でもある。彼女の著作はブログ"Gaza"で読むことができる。
先週私が書いたのは、、化学兵器でグータ市民を攻撃したというのは証拠のない主張であると、グータ市民が私に話してくれたことです。そして彼らはテロリストによる犯罪やホワイト・ヘルメットの役割についても話してくれました。
サラフィー主義テロリストグループ、ジャイシュ・アル=イスラムは、企業メディアのよって親切にも「反逆者」と呼ばれていますが、シリアで自由や人権のために戦ってはいない。東グータをそれ以前に支配していた他のテロリストグループとも違う。
(さらに読む「爆心地のシリア市民は、化学兵器のでっち上げを暴露する」)
ジャイシュ・アル=イスラムは、爆撃に対してシリア市民を人間の盾として利用し、檻に閉じ込め、拘束したのであった。ジャイシュ・アル=イスラムは市民をミサイルや迫撃砲で攻撃し、1万人以上を殺したテロリストグループの仲間だった。
その地域を占拠しているファイラク・アル=ラーマンと他のテロリスト派閥は、恐怖政治で人々を支配し、男や女を斬首し、人々を餓死させた。
ジャイシュ・アル=イスララム:餓死と刀による処刑
私が東グータとダマスカスのすぐ南のホルジレ難民センター(今はほとんどがグータからの人々)を訪れた時、私はジャイシュ・アル=イスラムやその他の勢力下の生活や、なぜ市民が飢えに苦しまねばならなかったのかについて最初に尋ねた。答えは、私や他の人が東アレッポやマダヤやアル=ワエルで聞いたように、テロリストたちが援助物資を盗み、食料全てを管理していたからだ。そして普通の人々では買えないような不当な値段で売っていた。
サバ・アル=ムシュレフは、ハンムリエやザマルカのテロリストが子供達に対して非情であり、彼女の子供達が、食料が豊富なテロリスト指導者のゴミから腐肉をあさっていたことを話してくれた。
ホルジレ難民キャンプで、ジャイシュ・アル=イスララムの残虐さを語るサバ・アル=ムシュレフ
「私はザマルカに住んでいました。子供達は飢えでほとんど死にかけていました。私の娘は栄養失調で、皮膚は黄色くなりました」とサバは私に話してくれました。「私は娘を診療所へ連れて行きましたが、そこでは薬がないと言うのです。『娘は死にかけています。どうしたらいいですか』と私が言うと、診療所はドゥーマ市民だけのものだと言うのです。私はザマルカの代表者のところに行って頼みました。『どうか子供達のために何かしてください。子供達は飢えていて、二日間何も食べていないんです』。彼は『ここにあるものは、ザマルカ市民用だけです。あなたはマージ・アル=スルタンから来ました。』あなた方の代表者のところに行きなさい。ここにはあなた方のための援助物資はありません」と言われたことを私に話してくれました。
私がサバと話していたとき、彼女は東グータ地区から来た他の3人と一緒にいました。彼らの証言は止めどなく、みんなが体験した恐怖についてありったけを話してくれた。
28歳のドゥーマ出身マームード・スーリマン・キャレドは、ジャイシュ・アル=イスラムによる拘束や拷問について話した。
ホルジレでマームード・スーリマン・キャレドは拘束や拷問について話てくれた。
「私が夜に買い物に出かけたとき、彼らは私を尋問しました。彼らは私が政府軍の手伝いをしていて、体制のために働いていると疑ったのです。彼らは私をアル=タウバー刑務所に連れて行きました。そこで彼らは私を拷問したのです。彼らは私を椅子に縛り付け、手やつま先に電気ショックを与えたのです。彼らは2本の線を私のつま先に結びつけ、それからもう一方の端をインバーターに結びつけ、私に電気ショックを与えたのです。彼らは何か白状するまでそれを続けました。私は白状しませんでした。私は自白することなど何もありませんから、自白しませんでした。彼らは2日間わたしを拷問しました。彼らがしたことは、私をひどい近視にしたことです。わたしの目に電気が走ったように感じました。」
キャレドは、ドゥーマで見た処刑のことを話してくれました。「彼らはトラックで23ミリマシーンガン(対空)を持ってきて、頭を吹き飛ばしたのです。そのあと彼らはシリア軍が彼を殺したと非難しました」。携帯の写真は、椅子に座っている頭部のない男でした。銃撃の残骸さえなかった。
「ジャイシュ・アル=イスララムは食料を安く売ったために、彼の頭を吹き飛ばしたのです。彼らは高値で売りつけたかったからです。だから人々は貧しいままで、彼らのためにトンネルを掘ったり、彼らの戦闘に参加させられるのです。」
今年5月2日カフル・バトナでは、通りは日常の生活で賑わっていて、清掃作業をしていたり、電気工事作業員が町の電力を復旧させていました。シャワルマ*を売る店の外で、ムータズ・アル=アフダルは、お米を売ったかどでジャイシュ・アル=イスララムに15日間拘留されたことを話してくれました。
(*訳注:肉を、鉄串に突き刺した状態で直火で焼き、薄く切ったものを生地で包んだレパントの食べ物)
カフル・バトナでムータズ・アル=アフダル
「彼らは我々の商品を没収して、我々を投獄したのです。彼らの統制下でしか誰も仕事をすることが許されません。」
刀で処刑することや、子供や大人の誘拐のことや、臓器をなくして戻ってきたものもいることを彼は話してくれました。
「私たちは小さな町に住んでいます。人々は話し始めました。一人の子供がここで誘拐されました。もう一人がそこで・・・。誘拐された人たちの中には、彼らの臓器が取り去られていた人もいたのです。一人の子供は埋められ、納屋でわらに覆われて死んでいました。彼はまだ生きているのに、縛られ、わらで覆われていました。誰がやったかわかりません」とグータから来たほかの市民は臓器泥棒のことを話してくれました。
さらに私はムハンマド・シェイカーに出会いました。彼は中央のロータリーを指して、そこでテロリストの処刑が行われたことを話してくれました。
テロリストが市民を処刑したカフル・バトナ広場を示すムハンマド・シェイカー
「彼らはよく人々をここに連行してきて処刑したのです。ときどき刀で、また銃で。彼らにとってはごくありふれたことでした。今シリア軍がここに来てからは、人々は歩き回ったり、自由に移動することができます。しかし以前は、道路には誰も見かけることはありませんでした。」
広場近くのアイスクリーム店で、アブダラ・ダルボウもそんな処刑を見かけたと言いました。彼は抗議行動のことも話してくれました。
「私たちは何度もテロリストに抗議しました。私たちは飢えていて、彼らは我々を殺していたからです。抗議しているとき、ときどき彼らは我々を銃撃しました。彼らは私たちを殺しました。彼らは私たちを本当に殺したのです」。シリア政府は我々にそんなことはしませんでした。軍隊がここに入ってきたとき、彼らは私たちにパンを配ってくれました。それより前には、私たちは写真でしかパンを見たことがなかったのです。
4月9日私はドゥーマを歩いていると、手押し車でオレンジを売っているヤーヤ・ムハンマド・ハモに会いました。私がジャイシュ・アル=イスラム支配下の生活はどうでしたかと尋ねると、彼は答えてくれました。「飢え、飢え、飢えだ。もし彼らに宗教があるなら、そんな宗教などくそくらえ。宗教はみんなを飢えさせはしない。」
テロリストは自分たちを餓死させると、ドゥーマのヤーヤ・モハメド・ハーモは語った
青果売りの男たちに化学兵器について尋ねたところ、一斉にノーの答えが返ってきた。そしてドゥーマに送られてくる援助物資についても話してくれた。年配の男の人が語気を強めて語ったことは、ドゥーマにはたくさんの食料があり、5年は十分暮らせるが、それをテロリストたちは奪ってしまったのだという。
私がドゥーマに入るとき見た農場についても聞いてみた。その答えは、ジャイシュ・アル=イスラムが農地も家畜もすべてを支配したという。一人の若者が私に語ってくれたことは、テロリストがバスでドゥーマを離れる前に、動物はすべて撃ち殺したという。
男たちは、のどをかき切るジェスチャーをしながら処刑について話してくれた。一人の若者は、別の殺害について説明してくれた。処刑者は人の口にピストルを当てて、引き金を引いたという。
「テロリズムとは、文字通り恐怖政治のことなのだ」と屋台売りのトウフィク・ザーラは話してくれた。
ホワイト・ヘルメットは好意的どころか、テロリストと共謀していた。
ホワイト・ヘルメットは人々を助けていたかどうかという私の質問に、ザーラは答えてくれた。
「市民防衛はテロリストグループのためだけ、ただ彼らのためだけ、ジャイシュ・アル=イスラムのためだけに活動した」。これは通りの店で働いているマフムド・マフムド・アル=ハムリが繰り返し言ったことでした。「ホワイト・ヘルメットは市民防衛と呼ばれています。彼らは市民のためと言われていますが、それは逆です。彼らはジャイシュ・アル=イスラムのために活動していたのです」と言った。
カフル・バトナでシャワルマ露天商のムータズ・アル=アフダルは、「ジャイシュ・アル=イスラムは、ある日ホワイト・ヘルメットをかぶって私たちを攻撃してきました。翌日ヘルメットが残っていました」と話してくれました。アイスクリーム売りの若者アブダラは、一般市民がホワイト・ヘルメットに近づくことができないので、何も知らないと答えました。
カフル・バトナのムタズ・アル=アグダール
それ自体奇妙なことだ。ホワイト・ヘルメットの狙いが、市民を救済することとされていて、またホワイト・ヘルメットのセンターがドゥーマやザマルカやサクバにあるのだから。
ホルジレ難民センターのマルワ-ン・クレイシェは、ホワイト・ヘルメットについてたくさん語ってくれた。
ホルジレ難民センターのマルワーン・クレイシェは、ホワイト・ヘルメットの攻撃について語ってくれた。
「3・4年前グータにやってきた最初の市民防衛メンバーは外国からやってきました。彼らはアラブ人ではなく、アラビア語も話しませんでした。彼らはテロリストの防衛隊でした。彼らはしばしばテロを行いました。彼らはたくさんのお金を持っており、市民防衛隊に加わって、人々を攻撃するのにそのお金を使いました。
ホワイト・ヘルメットがどこかへ行きたいと思ったとき、テロリストはよく彼らと行動を共にして、彼らのために道を開けさせました。彼らが偽旗攻撃をする場所に到着した瞬間、彼らは10個の発煙弾を投げ、ひどい煙を出して、何も見えなくしました。彼らはしばしば人々を射撃しました。そして煙がなくなったあとで、彼らは撮影を始めます。彼らは銃弾が空になるまで撃ちまくって人々を殺すので、一言もしゃべることはできませんでした。
サクバのホワイト・ヘルメットセンター
もし誰かの腕の血管が切れたら、彼らは直ちに切断して、傷口を縫います。その間に撮影するのです。もし誰かの足が弾丸やガラスなどで傷ついたら、最初の治療は切断でした。」
クレイシェの切断に関する話は、サクバから来たハナディ・シャクルの話とも一致した。彼女は、ジャイシュ・アル=イスラムに加わった夫が彼女を辞めさせるまで1年間看護婦として働いていた。
サクバの兵器工場
「ややひどい怪我の場合はいつでも、この人は切断しなければならないと彼らはよく言いました。我々は薬の供給が不足している、だから切断が一番よい選択だとよく言いました。彼らは人々を治療しなかったのです。ほんの少しの治療ですむ人でさえ、彼らはよく切断するだけだったのです。」
医薬品の欠如という主張は、東アレッポの時のように嘘であることがわかりました。サクバの地下病院だけでも、医薬品や盗まれた医療機器がいっぱいある部屋を私は見ました。シリアのジャーナリストは、東グータの他の場所でもそのような貯蔵庫があることを報告していました。
ハナディ・シャクルによれば、「運び込まれる医療食料援助は、すべて消えてしまいます。彼らはそれを売り、お金にするのです。すべてはテロリスト指導者の懐に入ってしまった」ということです。
東グータが解放されていた時、企業メディアは虐殺の偽情報を掻き立てるのに忙しかった。ちょうど企業メディアがアレッポが解放される時も偽情報を流していたように。彼らはテロリスト支援者から流される話を作り出し、いつもシリア政府を飢餓のかどで責めるのだ。そして東グータを占拠していた過激派グループの犯罪やテロリズムをごまかそうとしてしていたのだ。
実際、逮捕者の犯罪やシリア軍に解放された時の開放感について、グータ市民は言うことはたくさんあった。しかし企業メディアはそれには興味を示さず、そんな話は彼らの政権転覆にはふさわしくないのだ。
(翻訳:新見明)
<記事原文>https://www.rt.com/op-ed/429349-syrians-tell-terrorists-white-helmets/
<新見コメント>------------------------
東グータで化学兵器が使われたという偽情報のことを、何度かこのブログでも紹介してきた。そしてホワイトヘルメットが欧米・反政府勢力の偽の情報発信源になっていることも明らかになっている。
「テロリストの実行可能性が、東グータ化学兵器工場で明らかになる」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-39.html
しかし欧米メディアでは、未だにアサド政権が化学兵器を使って、シリア住民を虐殺しているという情報が、ホワイトヘルメットを使って流されている。そしてホワイトヘルメットはアメリカNED(全米民主主義基金)から税金を使って資金援助されているという情報もある。
櫻井ジャーナル2018.06.16
「アル・カイダ系集団と一心同体の白ヘルに米政権は660万ドルを払い続けると宣言」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201806160001/
この翻訳記事は、著者が実際に解放された東グータに入り、住民から聞き取った情報ということで、生々しく、しかも真実味がある。
支援物資が全てテロリスト指導者に渡ってしまって、しかもその支援物資を高く売りつけてもうける。医薬品はたくさんあるのに、すぐ切断するだけの治療であったりする。極めつけは偽情報がどう作られるかも具体的に語られている。
「彼らが・・到着した瞬間、10個の発煙弾を投げ、ひどい煙を出して、何も見えなくししました。・・・そして煙がなくなった後で、彼らは撮影を始めます」と偽情報が作成場面が語られています。
日本のメディアが、現場から直接取材しておらず、欧米情報の受け売りであることは、この記事をよむとよくわかる。
なお登場するアラビア語の氏名については、できるだけ調べたり、アラビア語を勉強していた後輩に聞いたりしたが、まだ不正確な点があることをご容赦願いたい。
Torture, starvation, executions: Eastern Ghouta civilians talk of life under terrorist rule
エバ・バートレット
2018.6.10
エバ・バートレットはガザ地区やシリアでの経験が豊かなフリーランスのジャーナリストで、人権活動家でもある。彼女の著作はブログ"Gaza"で読むことができる。
先週私が書いたのは、、化学兵器でグータ市民を攻撃したというのは証拠のない主張であると、グータ市民が私に話してくれたことです。そして彼らはテロリストによる犯罪やホワイト・ヘルメットの役割についても話してくれました。
サラフィー主義テロリストグループ、ジャイシュ・アル=イスラムは、企業メディアのよって親切にも「反逆者」と呼ばれていますが、シリアで自由や人権のために戦ってはいない。東グータをそれ以前に支配していた他のテロリストグループとも違う。
(さらに読む「爆心地のシリア市民は、化学兵器のでっち上げを暴露する」)
ジャイシュ・アル=イスラムは、爆撃に対してシリア市民を人間の盾として利用し、檻に閉じ込め、拘束したのであった。ジャイシュ・アル=イスラムは市民をミサイルや迫撃砲で攻撃し、1万人以上を殺したテロリストグループの仲間だった。
その地域を占拠しているファイラク・アル=ラーマンと他のテロリスト派閥は、恐怖政治で人々を支配し、男や女を斬首し、人々を餓死させた。
ジャイシュ・アル=イスララム:餓死と刀による処刑
私が東グータとダマスカスのすぐ南のホルジレ難民センター(今はほとんどがグータからの人々)を訪れた時、私はジャイシュ・アル=イスラムやその他の勢力下の生活や、なぜ市民が飢えに苦しまねばならなかったのかについて最初に尋ねた。答えは、私や他の人が東アレッポやマダヤやアル=ワエルで聞いたように、テロリストたちが援助物資を盗み、食料全てを管理していたからだ。そして普通の人々では買えないような不当な値段で売っていた。
サバ・アル=ムシュレフは、ハンムリエやザマルカのテロリストが子供達に対して非情であり、彼女の子供達が、食料が豊富なテロリスト指導者のゴミから腐肉をあさっていたことを話してくれた。
ホルジレ難民キャンプで、ジャイシュ・アル=イスララムの残虐さを語るサバ・アル=ムシュレフ
「私はザマルカに住んでいました。子供達は飢えでほとんど死にかけていました。私の娘は栄養失調で、皮膚は黄色くなりました」とサバは私に話してくれました。「私は娘を診療所へ連れて行きましたが、そこでは薬がないと言うのです。『娘は死にかけています。どうしたらいいですか』と私が言うと、診療所はドゥーマ市民だけのものだと言うのです。私はザマルカの代表者のところに行って頼みました。『どうか子供達のために何かしてください。子供達は飢えていて、二日間何も食べていないんです』。彼は『ここにあるものは、ザマルカ市民用だけです。あなたはマージ・アル=スルタンから来ました。』あなた方の代表者のところに行きなさい。ここにはあなた方のための援助物資はありません」と言われたことを私に話してくれました。
私がサバと話していたとき、彼女は東グータ地区から来た他の3人と一緒にいました。彼らの証言は止めどなく、みんなが体験した恐怖についてありったけを話してくれた。
28歳のドゥーマ出身マームード・スーリマン・キャレドは、ジャイシュ・アル=イスラムによる拘束や拷問について話した。
ホルジレでマームード・スーリマン・キャレドは拘束や拷問について話てくれた。
「私が夜に買い物に出かけたとき、彼らは私を尋問しました。彼らは私が政府軍の手伝いをしていて、体制のために働いていると疑ったのです。彼らは私をアル=タウバー刑務所に連れて行きました。そこで彼らは私を拷問したのです。彼らは私を椅子に縛り付け、手やつま先に電気ショックを与えたのです。彼らは2本の線を私のつま先に結びつけ、それからもう一方の端をインバーターに結びつけ、私に電気ショックを与えたのです。彼らは何か白状するまでそれを続けました。私は白状しませんでした。私は自白することなど何もありませんから、自白しませんでした。彼らは2日間わたしを拷問しました。彼らがしたことは、私をひどい近視にしたことです。わたしの目に電気が走ったように感じました。」
キャレドは、ドゥーマで見た処刑のことを話してくれました。「彼らはトラックで23ミリマシーンガン(対空)を持ってきて、頭を吹き飛ばしたのです。そのあと彼らはシリア軍が彼を殺したと非難しました」。携帯の写真は、椅子に座っている頭部のない男でした。銃撃の残骸さえなかった。
「ジャイシュ・アル=イスララムは食料を安く売ったために、彼の頭を吹き飛ばしたのです。彼らは高値で売りつけたかったからです。だから人々は貧しいままで、彼らのためにトンネルを掘ったり、彼らの戦闘に参加させられるのです。」
今年5月2日カフル・バトナでは、通りは日常の生活で賑わっていて、清掃作業をしていたり、電気工事作業員が町の電力を復旧させていました。シャワルマ*を売る店の外で、ムータズ・アル=アフダルは、お米を売ったかどでジャイシュ・アル=イスララムに15日間拘留されたことを話してくれました。
(*訳注:肉を、鉄串に突き刺した状態で直火で焼き、薄く切ったものを生地で包んだレパントの食べ物)
カフル・バトナでムータズ・アル=アフダル
「彼らは我々の商品を没収して、我々を投獄したのです。彼らの統制下でしか誰も仕事をすることが許されません。」
刀で処刑することや、子供や大人の誘拐のことや、臓器をなくして戻ってきたものもいることを彼は話してくれました。
「私たちは小さな町に住んでいます。人々は話し始めました。一人の子供がここで誘拐されました。もう一人がそこで・・・。誘拐された人たちの中には、彼らの臓器が取り去られていた人もいたのです。一人の子供は埋められ、納屋でわらに覆われて死んでいました。彼はまだ生きているのに、縛られ、わらで覆われていました。誰がやったかわかりません」とグータから来たほかの市民は臓器泥棒のことを話してくれました。
さらに私はムハンマド・シェイカーに出会いました。彼は中央のロータリーを指して、そこでテロリストの処刑が行われたことを話してくれました。
テロリストが市民を処刑したカフル・バトナ広場を示すムハンマド・シェイカー
「彼らはよく人々をここに連行してきて処刑したのです。ときどき刀で、また銃で。彼らにとってはごくありふれたことでした。今シリア軍がここに来てからは、人々は歩き回ったり、自由に移動することができます。しかし以前は、道路には誰も見かけることはありませんでした。」
広場近くのアイスクリーム店で、アブダラ・ダルボウもそんな処刑を見かけたと言いました。彼は抗議行動のことも話してくれました。
「私たちは何度もテロリストに抗議しました。私たちは飢えていて、彼らは我々を殺していたからです。抗議しているとき、ときどき彼らは我々を銃撃しました。彼らは私たちを殺しました。彼らは私たちを本当に殺したのです」。シリア政府は我々にそんなことはしませんでした。軍隊がここに入ってきたとき、彼らは私たちにパンを配ってくれました。それより前には、私たちは写真でしかパンを見たことがなかったのです。
4月9日私はドゥーマを歩いていると、手押し車でオレンジを売っているヤーヤ・ムハンマド・ハモに会いました。私がジャイシュ・アル=イスラム支配下の生活はどうでしたかと尋ねると、彼は答えてくれました。「飢え、飢え、飢えだ。もし彼らに宗教があるなら、そんな宗教などくそくらえ。宗教はみんなを飢えさせはしない。」
テロリストは自分たちを餓死させると、ドゥーマのヤーヤ・モハメド・ハーモは語った
青果売りの男たちに化学兵器について尋ねたところ、一斉にノーの答えが返ってきた。そしてドゥーマに送られてくる援助物資についても話してくれた。年配の男の人が語気を強めて語ったことは、ドゥーマにはたくさんの食料があり、5年は十分暮らせるが、それをテロリストたちは奪ってしまったのだという。
私がドゥーマに入るとき見た農場についても聞いてみた。その答えは、ジャイシュ・アル=イスラムが農地も家畜もすべてを支配したという。一人の若者が私に語ってくれたことは、テロリストがバスでドゥーマを離れる前に、動物はすべて撃ち殺したという。
男たちは、のどをかき切るジェスチャーをしながら処刑について話してくれた。一人の若者は、別の殺害について説明してくれた。処刑者は人の口にピストルを当てて、引き金を引いたという。
「テロリズムとは、文字通り恐怖政治のことなのだ」と屋台売りのトウフィク・ザーラは話してくれた。
ホワイト・ヘルメットは好意的どころか、テロリストと共謀していた。
ホワイト・ヘルメットは人々を助けていたかどうかという私の質問に、ザーラは答えてくれた。
「市民防衛はテロリストグループのためだけ、ただ彼らのためだけ、ジャイシュ・アル=イスラムのためだけに活動した」。これは通りの店で働いているマフムド・マフムド・アル=ハムリが繰り返し言ったことでした。「ホワイト・ヘルメットは市民防衛と呼ばれています。彼らは市民のためと言われていますが、それは逆です。彼らはジャイシュ・アル=イスラムのために活動していたのです」と言った。
カフル・バトナでシャワルマ露天商のムータズ・アル=アフダルは、「ジャイシュ・アル=イスラムは、ある日ホワイト・ヘルメットをかぶって私たちを攻撃してきました。翌日ヘルメットが残っていました」と話してくれました。アイスクリーム売りの若者アブダラは、一般市民がホワイト・ヘルメットに近づくことができないので、何も知らないと答えました。
カフル・バトナのムタズ・アル=アグダール
それ自体奇妙なことだ。ホワイト・ヘルメットの狙いが、市民を救済することとされていて、またホワイト・ヘルメットのセンターがドゥーマやザマルカやサクバにあるのだから。
ホルジレ難民センターのマルワ-ン・クレイシェは、ホワイト・ヘルメットについてたくさん語ってくれた。
ホルジレ難民センターのマルワーン・クレイシェは、ホワイト・ヘルメットの攻撃について語ってくれた。
「3・4年前グータにやってきた最初の市民防衛メンバーは外国からやってきました。彼らはアラブ人ではなく、アラビア語も話しませんでした。彼らはテロリストの防衛隊でした。彼らはしばしばテロを行いました。彼らはたくさんのお金を持っており、市民防衛隊に加わって、人々を攻撃するのにそのお金を使いました。
ホワイト・ヘルメットがどこかへ行きたいと思ったとき、テロリストはよく彼らと行動を共にして、彼らのために道を開けさせました。彼らが偽旗攻撃をする場所に到着した瞬間、彼らは10個の発煙弾を投げ、ひどい煙を出して、何も見えなくしました。彼らはしばしば人々を射撃しました。そして煙がなくなったあとで、彼らは撮影を始めます。彼らは銃弾が空になるまで撃ちまくって人々を殺すので、一言もしゃべることはできませんでした。
サクバのホワイト・ヘルメットセンター
もし誰かの腕の血管が切れたら、彼らは直ちに切断して、傷口を縫います。その間に撮影するのです。もし誰かの足が弾丸やガラスなどで傷ついたら、最初の治療は切断でした。」
クレイシェの切断に関する話は、サクバから来たハナディ・シャクルの話とも一致した。彼女は、ジャイシュ・アル=イスラムに加わった夫が彼女を辞めさせるまで1年間看護婦として働いていた。
サクバの兵器工場
「ややひどい怪我の場合はいつでも、この人は切断しなければならないと彼らはよく言いました。我々は薬の供給が不足している、だから切断が一番よい選択だとよく言いました。彼らは人々を治療しなかったのです。ほんの少しの治療ですむ人でさえ、彼らはよく切断するだけだったのです。」
医薬品の欠如という主張は、東アレッポの時のように嘘であることがわかりました。サクバの地下病院だけでも、医薬品や盗まれた医療機器がいっぱいある部屋を私は見ました。シリアのジャーナリストは、東グータの他の場所でもそのような貯蔵庫があることを報告していました。
ハナディ・シャクルによれば、「運び込まれる医療食料援助は、すべて消えてしまいます。彼らはそれを売り、お金にするのです。すべてはテロリスト指導者の懐に入ってしまった」ということです。
東グータが解放されていた時、企業メディアは虐殺の偽情報を掻き立てるのに忙しかった。ちょうど企業メディアがアレッポが解放される時も偽情報を流していたように。彼らはテロリスト支援者から流される話を作り出し、いつもシリア政府を飢餓のかどで責めるのだ。そして東グータを占拠していた過激派グループの犯罪やテロリズムをごまかそうとしてしていたのだ。
実際、逮捕者の犯罪やシリア軍に解放された時の開放感について、グータ市民は言うことはたくさんあった。しかし企業メディアはそれには興味を示さず、そんな話は彼らの政権転覆にはふさわしくないのだ。
(翻訳:新見明)
<記事原文>https://www.rt.com/op-ed/429349-syrians-tell-terrorists-white-helmets/
<新見コメント>------------------------
東グータで化学兵器が使われたという偽情報のことを、何度かこのブログでも紹介してきた。そしてホワイトヘルメットが欧米・反政府勢力の偽の情報発信源になっていることも明らかになっている。
「テロリストの実行可能性が、東グータ化学兵器工場で明らかになる」
http://tmmethod.blog.fc2.com/blog-entry-39.html
しかし欧米メディアでは、未だにアサド政権が化学兵器を使って、シリア住民を虐殺しているという情報が、ホワイトヘルメットを使って流されている。そしてホワイトヘルメットはアメリカNED(全米民主主義基金)から税金を使って資金援助されているという情報もある。
櫻井ジャーナル2018.06.16
「アル・カイダ系集団と一心同体の白ヘルに米政権は660万ドルを払い続けると宣言」
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201806160001/
この翻訳記事は、著者が実際に解放された東グータに入り、住民から聞き取った情報ということで、生々しく、しかも真実味がある。
支援物資が全てテロリスト指導者に渡ってしまって、しかもその支援物資を高く売りつけてもうける。医薬品はたくさんあるのに、すぐ切断するだけの治療であったりする。極めつけは偽情報がどう作られるかも具体的に語られている。
「彼らが・・到着した瞬間、10個の発煙弾を投げ、ひどい煙を出して、何も見えなくししました。・・・そして煙がなくなった後で、彼らは撮影を始めます」と偽情報が作成場面が語られています。
日本のメディアが、現場から直接取材しておらず、欧米情報の受け売りであることは、この記事をよむとよくわかる。
なお登場するアラビア語の氏名については、できるだけ調べたり、アラビア語を勉強していた後輩に聞いたりしたが、まだ不正確な点があることをご容赦願いたい。
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