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カナダ政府が元ナチス兵を賞賛したことで暴露されたカナダ政府の長年の対ウクライナ政策の真実

<記事原文 寺島先生推薦>
Canada’s Honoring of Nazi Vet Exposes Ottawa’s Longstanding Ukraine Policy
筆者:マックス・ブルメンタール(Max Blumenthal)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2023年9月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2023年10月11日





ナチス・ドイツの武装親衛隊の志願兵だった人物を「英雄」として祝福したことで、カナダの自由党は、カナダによる長年の対ウクライナ政策に光を当てることになった。これまでカナダ当局は、ウクライナのファシスト民兵に軍事訓練を施してきたし、第二次世界大戦後、ナチスの元親衛隊を国内に何千人も引き受けていたのだ。


 カナダで2番目の権力者の座に就いているクリスティア・フリーランドは、ナチス・ドイツのもとで働いていたウクライナの代表的な宣伝広報担当者の一人であった人物の孫娘だ。

 1943年春、ヤロスラフ・フンカ氏は新兵として第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』に入隊した。当時この師団はナチス・ドイツで大量虐殺(ジェノサイド)政策を構想した人物であるハインリヒ・ヒムラーの訪問を受けていた。この大隊の結成式で司会をつとめていたヒムラーは、第三帝国の政策に支援するために志願兵となったウクライナの人々に対する誇りをあからさまに示した。

 それから80年後。カナダ下院のアンソニー・ロタ議長も、ウラジミール・ゼレンスキー大統領歓迎式典に招待されたフンカ氏に対して、称賛のことばを矢のように浴びせかけた。ゼレンスキー大統領は、ロシアとの戦争に必要なさらなる武器と金融支援を求めてカナダを訪れていた。

 「本日議会にお迎えしているのは、第二次世界大戦時にウクライナの軍人であった方です。この方はウクライナがロシアから独立するために戦われた方で、98歳になられた今でも、ウクライナ軍への支持を続けておられます」とロタ議長は9月22日にオタワで開かれた議会での催しで高らかに述べた。

 「この方は、ヤロスラフ・フンカさんです。私が誇りに思うのは、フンカさんが私の選挙区であるニピシング—ティミスカミング地区のノースベイ市にお住いである、ということです。フンカさんはウクライナの英雄でもありカナダにとっても英雄です。フンカさんの軍でのあらゆるご活躍に感謝の意を表します」とロタ議長はことばを続けた。

 聴衆から万雷の拍手が湧き起こり、ジャスティン・トルドー首相、ゼレンスキー大統領、クリスティア・フリーマン副首相、カナダ軍ウェイン・エア参謀総長やカナダの各政党の党首が立ち上がって、フンカ氏の戦時中の活躍に対する賞賛の意を示した。


 フンカ氏がナチスの協力者であったという記録が暴露された後に―その事実は議長がフンカ氏の紹介をした時点で明らかになっていたはずなのだが―カナダの指導者層が―なぜかエア参謀長官は例外だが―急いで保身のための表面的な釈明に走ることになったのは、カナダのユダヤ人協会から非難の声を浴びせられて、しゅんとさせられたからだった。

 この出来事は、今や国家上の大問題に発展し、カナダの諸新聞が一面で大きく取り上げ、トロント・サン紙はこんなおどけた見出しの記事を出した。「あのナチが帰ってきた」と。さらにポーランドの教育省大臣は、犯罪者としてフンカ氏を引き渡すことまで要求した。

 自由党は今回の件を偶然の間違いであるとして火消ししようと躍起になっており、一人の自由党国会議員は党員らに、「この件が政治問題になることを回避するよう」促していた。カナダのメラニー・ジョニー外相はロタ議長の解任を強行したが、これは議長を生贄にして自身の党が取った集団的な行為の責任を有耶無耶にするためだった。

 いっぽうトルドー首相は、今回の出来事は、「深く恥ずべき」行為であったと認め、その理由を「ロシアによる喧伝行為に反撃する」ためだ、とした。こんな言い方をすれば、まるでロシア当局が90代のナチス協力者をカナダ議会に潜り込ませて、映画『クライシス・オブ・アメリカ*』よろしく、首相や側近らを、フンカ氏を英雄として迎えるよう洗脳したようにとれる。
*2004年の米国映画。湾岸戦争から帰ってきた兵たちの体にマイクロチップを埋め込み、政治を我がものにしようとする陰謀があった、という筋書き


 この出来事がただの間違いでないことは明らかだ。カナダ政府と軍の幹部がフンカ氏を議会に歓迎する前から、ファシストのフーリガンらの戦闘組織に外交上の支援を施し、キエフに国粋主義者による政権を樹立させることに手を貸し、明らかにナチスの考え方を推進している現在のウクライナ軍諸部隊への訓練を監督してきたのだから。

 カナダ政府がフンカ人を賞賛したことにより、カナダの第二次世界大戦後の政策に掛けられていた覆いも外された。カナダ政府は、ウクライナのナチス協力者を国内に匿い、武器を与えることで、カナダ国内の共産主義勢力に対する突撃部隊として徴用していたのだ。戦後、カナダへ移住した多くの一団の中にクリスティア・フリーランド副首相の祖父もいた。この人物は、ナチス占領下のポーランド内部で、ヒトラー配下のウクライナ人宣伝広報担当者のひとりとして役割を果たしていた。

 カナダの官僚らはこの無様な記録を抑え込もうと画策してきたが、フンカ氏が議会に現れたことと彼のオンライン日記の不穏な内容によって、その記録は劇的に再浮上したのだ。


第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』の一員として前列中央にいるヤロスラフ・フンカ氏


「我々はドイツ兵を喜んで歓迎する」

 2011年3月、米国の元ウクライナ戦闘員協会が出した記録には不穏な記述があったが、その内容は最近まで気づかれないままだった。この記録はヤロスラフ・フンカ氏が執筆したものであり、第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』に志願兵として入団していたことを誇り高く回想していた。ドイツ国防軍が故郷のベレジャニに初めて入った際、フンカ氏はそのナチスの国防軍を、「神秘的なドイツの騎士」と表現し、自身が14SS武装擲弾兵師団に入隊していた時期は、人生で最も幸せな日々だった、と回想していた。



 「6年生の時、40名の級友のうち、6人がウクライナ人、2人がポーランド人、残りはポーランドから逃げてきたユダヤ人の子どもたちでした。なぜ、ドイツという文明の発達した西側の国からユダヤ人たちが逃げ出しているのだろう、ってみんなで話していました」とフンカ氏は記載していた。

 サイト「ユダヤ人のウェブ図書館」では、「文明化された」ドイツ人の手により虐殺されたベレジャニ在住のユダヤ人たちについて、以下のように詳述されている:「ソ連による占領が終わった1941年にベレジャニには1万2千人のユダヤ人が住んでいたが、そのほとんどはヨーロッパでのナチスの軍事機構を恐れて逃げてきた人々だった。1941年10月18日におこなわれたホロコーストの際、500~700人のユダヤ人が近郊の石切場でドイツ人により処刑された。さらに12月18日には、「ユダヤ人評議会*」が貧者であると報告した1200人が森で射殺された。1942年、ユダヤ教の祭日であるヨム・キプルの日(9月21日)、1000~1500人がポーランドのべウジェツ強制収容所に追放され、何百人もが市街地や自宅で殺害された。同じくユダヤ教の祭日であるハヌカーの日(12月4・5日)には、さらに何百もの人々がべウジェッツ強制収容所に送られ、1943年6月12日、ゲットーや強制収容所に残っていた最後のユダヤ人1700人が殺害され、逃げ出せることができたのはほんのひと握りの人々だけだった。この戦争を生き延びることができたベレジャニのユダヤ人は100人にも満たなかった」と。
*ナチス・ドイツ占領下の東欧でのユダヤ人自治組織

 フンカ氏によると、ソ連軍がベレジャニを占領した時、フンカ氏や近所の人たちは、ナチス・ドイツの到来を待ちわびた、という。「毎日、私たちは辛抱強くポモニャールイ(リヴィウ)の方を見て、あの神秘的なドイツ軍騎士たちがやって来て、あの憎たらしいリャークス(ウクライナ人が使うポーランド人に対する蔑称)に銃弾をぶち込んでくれる日を待ちわびていたのです」 とフンカ氏は回想している。

 1941年7月、ナチス・ドイツ軍がベレジャニに入った時、フンカ氏は安堵のため息をついたという。「私たちは喜んでドイツ兵を歓迎しました。人々は開放されたと感じ、もう二度と真夜中に玄関のドアが叩かれるような恐ろしいことは起こらないと思いました。少なくとも、やっと夜に安心して寝られるようになった、と」とフンカ氏は記載している。

 その2年後、フンカ氏は14SS武装擲弾兵師団の第一師団に入団した。この師団はハインリヒ・ヒムラーの個人的な命により結成されたものだ。ヒムラーが1943年5月にウクライナ人志願兵(以下の写真参照)を調査した際、オットー・フォン・ヴェヒターというナチスが任命したガリツィア地区知事が同伴していたが、この人物はクラクフ市内にユダヤ人ゲットーを作った人物だった。



 「皆さんの故郷は前よりもずっと美しくなりました。というのも、我々の力によりと言わねばなりますまい、あのような住民たちを消したからです。連中がこのクラクフの良き名を汚していたのですから。そうです、あのユダヤ人たちが、です。私がポーランド人たちを抹殺するよう命じれば、あなた方がずっと熱望していた行為を行なう許可を与えることになりますね」とヒムラーがウクライナ兵たちに言った、と伝えられている。


「ヒトラー配下で虐待や殺人を犯してきた指導者層が、カナダ憲兵隊の命により受け入れられてきた」

 第二次世界大戦後、カナダの自由党政権は何千ものユダヤ人難民を「敵国人」と分類して、元ナチスとともに一連の捕虜収容所に収容した。その収容所には有刺鉄線が張られていたが、このような措置を取ったのは、これらのユダヤ人難民が移民先のカナダで共産主義の種を撒くことを恐れてのことだった。同時にカナダ政府は、何千ものヒトラー配下にあった元ウクライナ兵には即座に市民権を与えた。

 このような状況を憂いて、「カナダ在住ウクライナ人」という通信社は1948年4月1日に以下のような記事を出した。「(新たにカナダ国民となった)人々の中には、ドイツ軍やドイツの警察で働いていた正真正銘のナチスがいる。報道によると、ヒトラー配下で虐待や殺人を犯してきた恐ろしいSSの刺青を入れた指導者層が、カナダ憲兵隊の命により受け入れられてきた、という。彼らは欧州各国で受け入れが拒否された人々だ」と。

 この記事では、改心していないナチスを反共産主義の突撃隊であると報じ、彼らの「思想的指導者たちは、すでに第三次世界大戦を起こすことに躍起になっており、世界規模での新たなホロコーストを起こそうと広報活動に勤(いそ)しんでいる。こんなことを許せば、カナダは滅んでしまう」と論じた。

 1997年、 サイモン・ウィーゼンタール・センター*のカナダ支所は、14SS武装擲弾兵師団に所属していた2000人以上の元兵士を受け入れたとして、カナダ政府を訴えた。
*ロサンゼルスに本拠地を置く反ユダヤ主義監視団体

 同年、米国のドキュメンタリー番組である「60分」は、「カナダの暗黒の秘密」という特集番組を出し、バルト諸国出身の1000人ほどのナチスの元親衛隊員が第二次世界大戦後カナダ政府から市民権を付与されていた事実を明らかにした。カナダの歴史家であるアーヴィング・アベジャ氏はこの「60分」の取材に対して、カナダに入国するもっとも安易な方法は、「親衛隊の刺青を見せることでした。そうすれば反共産主義者であることが一目瞭然ですので」と述べた。

 さらにアベジャ氏によると、ピエール・トルドー首相(ジャスティン・トルドー現首相の父)が、アベジャ氏にした話として、同首相政権がナチス移民者について沈黙を保っていたのは、「カナダ国内のユダヤ人と東欧出身者層の間の関係が拗れることを懸念していたから」だったという。

 ヤロスラフ・フンカ氏は戦後にカナダ政府が歓迎したウクライナ人元ナチス兵の一団の中の一人だった。ベレジャニ市議会のサイトの記載によると、フンカ氏がオンタリオ入りしたのは1954年のことで、即座に「ウクライナ民族会議(UNA)第一師団兵協会の一員になったが、この組織は『自由なウクライナ人世界会議』という団体の関連組織だった」という。

 この新たなウクライナ系カナダ人の中に、マイケル・チョミアックがいた。この人物はカナダ当局で2番目の権力者であるクリスティア・フリーランド副首相の祖父に当たる。報道関係者そしてカナダの外交官としての彼女の経歴をとおして、フリーランド副首相は祖父が唱えた反ロシア論という遺産を前進させてきた。またそのいっぽうで、戦時中のナチス協力者らを公的行事の際は褒め称えてきた。


2020年3月2日の集会時に、誇らしげに「ウクライナ擁護者協会(Ukrainian Partisan Organzation)ののぼりを掲げるクリスティア・フリーマン副首相。この団体は、第二次世界大戦時にナチス・ドイツと共闘していた


カナダ政府、ヒトラー配下のウクライナの代表的な広報活動家らを歓迎

 ナチス・ドイツがポーランドを占領下に置いていた間ずっと、ウクライナ人報道関係者であったクラクフ在住のマイケル・チョミアックは、「クラクフスキーヴィスティ(クラクフ通信)」という名の出版物を編集していた。この通信は、ナチスによるソ連侵攻を応援していた。「ドイツ軍が我々に自由という宝物をもたらしてくれようとしている」と同通信は1941年に報じ、ヒトラーを賛美し、 第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツェン』の志願兵に対してウクライナ国民の支持を集めようとしていた。

 チョミアックは戦時中のほとんどの日々をクラクフ市内の広々とした2つの邸宅で過ごした。これらの邸宅はナチス占領者がユダヤ人家主から押収したものであった。チョミアックの記載によると、「フィンケルシュタイン博士」という人物が所有していた多くの家具を自身の管理下にある「アーリア化された」別の邸宅に移しかえたという。


パーティで、ナチス占領下ポーランドの報道関係者の代表エミル・ガスナーと共にいるマイケル・チョミアック

 カナダでチョミアックは、ウクライナ・カナダ協会(UCC)に参加した。この団体は、ウクライナから移住してきた人々の中に過激な国粋主義を植え付ける組織であり、強硬な反ロシア政策をとるよう、カナダ政府に政治的な圧力をかけていた。ウェブサイト上で、このウクライナ・カナダ協会は、第二次世界大戦中にカナダ政府から直接支援を受けていたことを以下のように自慢している:「(同ウクライナ・カナダ協会の樹立に対する)最終的かつ決定的な推進力の源はカナダ国軍からのものでした。カナダ国軍は、ウクライナ出身の若者たちが軍に入隊するかどうかを案じていたのです」と。

 ウクライナ・カナダ協会の初代代表のヴォロディミル・クビヨヴィチは、クラクフでチョミアックの上司だった。クビヨヴィチはさらに、第14SS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』の創設にも関わっており、創設時には、「この歴史的な日を迎えられたのは、ガリツィアのウクライナ人が、英雄であるドイツ軍の兵や武装親衛隊と腕を組み合うことができたという好機があったからこそです。そしてその共通の恐ろしい敵は、ボリシェヴィキでした」と語った。


ソ連時代のウクライナでの政権交代工作員という影の姿をもったフリーランド現副首相は報道関係者としての経歴を培っていった

 1984年のチョミアック没後、孫娘であるクリスティア・フリーランド現副首相は祖父の足跡を追うかのようにウクライナ国家主義者向けの様々な出版物の記者として活動していた。フリーランド現副首相は、クビヨヴィチが残した「ウクライナ百科事典」に当初から寄稿していたが、この百科事典には、ステパン・バンデラといったナチス協力者らがもつ負の歴史を有耶無耶にする意図があり、バンデラのことを「革命家」であると評した。その後、フリーランド現副首相は、 エドモントに本拠地を置く「ウクライナ通信」という通信社の職員となったが、その通信社は祖父が編集者をしていた通信社だった。

 1988年に編集された「ウクライナ通信」(以下の写真を参照)では、フリーランド現副首相が共著者となっている記事が掲載されていた。その記事には『自由のための闘争』という著書の広告が載せられているが、この本の内容は、ウクライナのSS武装擲弾兵師団『ガリーツィエン』を賛美するものだった。

リヴィウ留学中に、フリーランド現副首相は、後に報道関係者として華々しい活躍を見せる基盤を築いた。ハーバード大学でロシア文学を専攻していたという姿の裏で、フリーランド現副首相はウクライナ内での政権交代工作に協力しており、世界的な大手通信諸社で反ロシア論説を展開していた。

 「フリーランド女史は、ソ連国内の人々の生活、特に非ロシア人らの生活についての『偏向した』記事を無数に出すことで、報道界から将来有望な記者になるであろう人物として目を向けられるようになるきっかけを作った」とカナダ放送協会(CBC)は報じた。

 KGB(ソ連国家保安委員会)の文書を引いて、カナダ放送協会は以下のように、フリーランド現副首相を、事実上の工作員だった、と評した:「多くの厄介事を引き起こしていた当時学生だったフリーランド女史は、ソ連を忌み嫌っていたが、ソ連の法律については熟知しており、法律をうまく使って自身の利益に繋げる術を知っていた。同女史は自身の行動を上手に隠し、監視の目から逃れ、(さらにはその知識をウクライナ関係者らにも流し)、巧みに『偽情報』を流していた」と。

  1989年、ソ連の警備組織であるKGBは、フリーランド現副首相のビザを抹消したが、その理由は、同女史が、ウクライナの国家主義者の候補者らのために「選挙に出馬する正真正銘の指南書」をソ連国内にこっそり運び込んでいたからだった。

 同女史は即座に報道の世界に逆戻りし、ソ連崩壊後のモスクワで仕事を手にし、ファイナンシャル・タイムズ紙やエコノミスト紙、そして最終的にはロイター通信の特別編集員の座についた。この通信社は英国を本拠とする巨大通信社であり、現在ロシアに対する英国の諜報機関工作の代理人のような役割を果たしている会社である。


マイダン後のウクライナで、カナダ政府はナチスを訓練し、保護してきた

 フリーランド女史は2013年、カナダ議会で自由党員として議席を獲得したが、このことは同女史がロシアでの政権転覆を煽るための最も強力な武器を手にしたということだ。報道界にもつコネを利用して、同女史は代表的な伝統的諸新聞に論説記事を発表した。一例を挙げると、ニューヨーク・タイムズ紙ではウクライナのいわゆる「尊厳の革命」に関して西側各国政府に軍事支援を行なうよう促す記事を出した。この2014 年の「革命」により民主的に選出された大統領が暴力的に排除され、その代わりに親NATO政府である国家主義者がその座に就くことになった。

 この武力政変のさなか、C14という組織に属するネオナチ勢力の一団がキエフ議会を占拠し、その建物にウクライナ国家主義者の紋章と白人至上主義の象徴を飾り付けた。その中には米国南北戦争時の南部連合の旗もあった。2014年2月18時、暴動鎮圧の機動隊がファシストのフーリガンを追い払った際、暴徒らはカナダ大使館に逃げ込んだが、この時は確実にカナダ保守党政権からの承認を受けていた。「カナダ政府は、(ウクライナ)政権以上に抗議活動者らに共感を感じていました」とウクライナ内務省当局者はカナダ放送協会の取材に答えた。


2014年、カナダ外務省はキエフ市役所を占拠し破壊したネオナチ勢力(上記写真を参照)に逃げ場所を提供

 ネオナチ民兵に対するカナダ政府による公的な支援は、2015年の選挙で自由党のジャスティン・トルドーが首相に就任した後、さらに強化された。 2017年11日、カナダ軍と米国防総省は、キエフに数名の役人を派遣し、ウクライナのアゾフ大隊に多国籍訓練を施した。(それ以来、アゾフ大隊はその記録を自身のサイトから抹消している)。

 当時のアゾフ大隊は「白人の指導者」と自称していたアンドリー・ビレツキー氏の管理下にあったが、この人物はこう宣言していた。「この危機的状況における我が国の歴史的使命は、白人が生き残るための白人による最後の聖戦を主導することです...そしてこの聖戦の相手は、ユダヤ人率いる劣等人種たちです」と。


家族がナチスだったことが明らかになるや、フリーランド女史は人々に嘘をついた

 いっぽうカナダでは、問題の多いフリーランド女史の家族経歴が報道機関により初めて取り上げられた。 2017年1月に、外務大臣(フリーランド女史はその職を利用して、ロシアに対する制裁とウクライナへの武器の輸送を大声で主張するもの、と見られていた)に任命された数週間後、 同女史の祖父がナチス占領下のポーランドでナチスの広報活動の仕事をしていたという事実が、独立系報道諸機関からの多くの記事のネタとなった。

 この事実の報道に対するトルドー政権の対応は、サイバー戦争をけしかけている、としてロシアを非難することだった。「現状は明らかに警戒すべき段階に達しています。だからこそ首相は、ほかの何を差し置いてでも我が国のサイバー上の安全体制の再確認を奨励したのです」とラルフ・グッデール公安相(当時)は明言した。

 チョミアックの経歴を掘り起こして報じた通信社の中で、ロシア政府と繋がっていた通信社はあったとしてもほんの数社に過ぎなかった。チョミアックがナチスに協力していたという事実を初めて報じた報道機関には、米国に本拠地を置く独立系報道機関であるコンソーシアム通信社がある。フリーランド女史側は、報道官を通して、「外相の祖父がナチス協力者だった」という事実をキッパリと否定した。

 カナダの報道機関がこの件に関する数名のロシア外交官の話を報じた際、フリーランド女史は即座にこれらの外交官の国外追放を命じ、外交官という立場を利用して、「我が国の民主主義を妨害しようとしている」と非難した。

 しかしその頃には、フリーランド女史の家族の秘密が明るみになり、カナダの大手報道機関が取り上げるようになっていた。 2017年3月7日、グローブ・メディア通信社は、1996年の『ウクライナ研究誌』の記事を取り上げたが、その記事では、フリーランド女史の祖父が本当にナチスの広報活動担当者であったことがハッキリと記されており、彼女の祖父が書いた文章が、ユダヤ人大虐殺を焚きつける助けになったとも記載されていた。なおこの記事を書いたのは、フリーランド女史の叔父のジョン=ポール・ヒムカであり、ヒムカはその記事の序文で、「問題点の指摘と文書の明確化」の手助けをしてくれた、として姪に感謝のことばを綴っていた。

 「フリーランド女史は20年以上も前から、自分の母方の祖父が。ナチス占領下のポーランドでナチスの新聞社の編集長をしていたことを知っていた。この新聞は第二次世界大戦中ユダヤ人を貶(けな)し続けていた」とグローブ・メディア通信社は報じた。

 今年の9月、何百人もの同胞とともに、多大なる熱意を持ってヒトラー親衛隊の決死隊員だった人物に拍手喝采を与えた後、フリーランド副首相は再び自身の権力を発動することにより、この出来事を記録から消し去った。

 恥ずかしい場面が繰り広げられた3日後、フリーランド副首相は議会に再登場し、ある提案に無言で頷き承認の意を示した。その提案とは、カリーナ・グールド下院政府総務が出したものであり、アンソニー・ロタ議長がヤロスラフ・フンカ氏を承認した事象を「下院の補遺議事録」と「複合媒体に残されていた音声や映像記録」から抹消する、というものだった。

 ホロコースト教育が何十年ものあいだ公的に支援されてきたおかげで、市民たちに「決して忘れてはならない」ことを求める呪文がリベラル派民主主義の追いかけるべき道標になっていた。しかし今のカナダ政権においては、この目指すべき道徳的道標が、目の上のたんこぶになってしまっているようだ。この道標のせいで、個人の輝かしい経歴に傷が付けられ、ウクライナでの戦争が下火にされてしまう恐れがある。


筆者マックス・ブルメンタール(MAX BLUMENTHAL): オンラインサイトのグレーゾーン(The Grayzone)編集長。受賞歴のある報道関係者であり、数冊の著書の著者であり、『共和党のゴモラ』『ゴリアテ』『51日戦争』『凶暴性の管理』などのベストセラーも出している。多くの出版印刷物や動画報告、『ガザの殺人』など数編のドキュメンタリーを発表しておる。ブルーメンタールがグレーゾーンを設立したのは、2015年のことで、米国による終わることのない戦争とその反動として米国内で起こっている影響について光を当てる報道をおこなっている。
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