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ボリビア国民は新たなクーデターを阻止

<記事原文 寺島先生推薦>
The Bolivian People Defeated Another Coup
ニュースサイトのピープルズ・ディスパッチ(People's Dispatch)の記事から
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年6月26日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月30日


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ムリリョ広場で群衆に演説するボリビアのルイス・アルセ大統領。写真:イヴァン・ベロ


軍隊がラパスの中心部に集結し、政府宮殿を包囲すると、人々は一斉に反応した。

「誰も私たちの民主主義を奪うことはできない!」
ボリビアのルイス・アルセ大統領は6月26日水曜日の午後、ボリビア国民に向けて演説し、軍事クーデター未遂事件は阻止された、と宣言した。

6月26日午後、ラパス中心部でフアン・ズニガ将軍の命令により数百人の軍人が動員され、閣僚会議を前にケマード宮殿(政府宮殿)を包囲した。彼らは戦車で宮殿の正面玄関を破壊し、強制的に侵入しようとした。

ズニガ将軍はその後、動員された軍人らが刑務所に赴き、2019年のエボ・モラレス前大統領に対するクーデターに関与したとして投獄されているヘニーヌ・アニェス氏とルイス・フェルナンド・カマチョ氏を含むボリビアの「政治犯」を解放する、と発表した。アニェス氏は後にXに、軍によるこの憲法秩序破壊の試みを拒否し、「アルセ氏とエボ氏を含むMAS*は2025年に投票により離脱させるべきだ。ボリビア国民は民主主義を守る」と投稿した。
*社会主義運動 (Movimiento al Socialismo)

ボリビアのエボ・モラレス元大統領は、直ちにこの事態を警告し、ボリビア国民に対し民主主義を守るために結集するよう呼びかけた。

ボリビアのセリンダ・ソサ外相はビデオメッセージで、「ボリビア多民族国*は、ボリビア軍の一部部隊による不法な動員が我が国の民主主義や平和、安全を攻撃していることについて国際社会に向けて非難の声をあげます。我々は国際社会とボリビア国民に対し、民主主義の価値が尊重されるよう求めます」と述べた。
*ボリビアの正式名称

軍が宮殿を襲撃しようとしていた間、何百人ものボリビア国民が民主主義の尊重と軍の撤退を求めて結集し始めた。大衆組織の組織員や労働組合、一般市民によるこれらの抗議は、軍警察の激しい弾圧に直面し、軍警察は無差別に催涙ガスを発射し、ムリージョ広場への通路を封鎖した。

200万人以上の労働者を代表するボリビア労働者中央(COB)は、無期限のゼネストと「ボリビアの憲法秩序と合法的に樹立された政府を守り、回復するために、すべての社会組織と労働組合組織をラパス市に動員する」ことを宣言した。

軍が宮殿を包囲してから1時間後、ボリビアのルイス・アルセ大統領は記者会見を開き、ズニガ将軍に代わる新しい軍司令官としてホセ・サンチェス氏を任命した。サンチェス新軍司令官は、ボリビア国民の流血を避けるため、中心部に動員された軍人らに持ち場に戻るよう命じ、ルイス・アルセ大統領の合法的かつ憲法的な政府を支持すると明言した。

また、アルセ大統領が宮殿でズニガ将軍と対峙し、辞任して民主主義を尊重するよう強く要求する動画も公開された。


アルセ大統領とサンチェス新軍司令官の声明の直後、当初広場を封鎖し、宮殿を包囲していた戦車が撤退し始め、何千人もの人々がクーデター未遂への反対とアルセ大統領への支持を表明するためにその地域に押し寄せた。「アルセ、あなたは一人じゃない!民主主義万歳!」と人々は宣言した。

ボリビアのクーデター未遂は国際的な反響を呼んだ。ラテンアメリカとカリブ海諸国の政府指導者たちは、ボリビアの民主主義を転覆させようとする軍の一部の企てを激しく拒絶し、その企てが速やかに打ち負かされたことを祝福した。多くの人々は、これがエボ・モラレス前大統領を失脚させ、事実上の指導者であるヘニーネ・アニェス氏を据えたクーデターからわずか5年後に起こったことを強調した。反クーデター抗議運動に対する 1 年間の抵抗と暴力的弾圧の後、ボリビア国民は民主主義を回復し、ルイス・アルセ氏を大統領に選出した。

ホンジュラス大統領であり、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体(CELAC)の臨時議長でもあるシオマラ・カストロ氏は、CELAC加盟国のすべての大統領に対し、「今日ボリビアの民主主義を脅かしているファシズムを非難し、民権と憲法の尊重を要求する」よう呼びかけた。

国際人民議会(IPA)は声明で、「ボリビアの英雄的な国民はクーデターを首尾よく打ち破った! 国民運動はルイス・アルセ大統領の民主政府を守るために結集した。我々は常に民主主義と主権を擁護する。今日我々は、ボリビア国民がボリビアの特権階級層と、その主人である米国が我が国を不安定化させようとする企てに抵抗するのを見た」と述べた。

COB(ボリビア労働者中央)とボリビアの他の組織は国民の勝利を祝うとともに、ボリビア国民と国際社会に対し、さらなるクーデターの試みに対する警戒を継続するよう呼びかけた。
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G7(先進7カ国首脳会議)、ロシアに4860億ドルを要求

<記事原文 寺島先生推薦>
G7 demands $486 billion from Russia
ロシア政府はウクライナ政府に数十億ドルの損害賠償を支払う義務がある、との先進7カ国首脳会議による共同声明が発表
出典:RT 2024年6月14日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月30日


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© Getty Images / Tolga TEZCAN


金曜日(6月14日)に発表された共同声明で、先進7カ国(G7)首脳会議はロシアに対し、現在進行中の紛争によってウクライナにもたらされたとされる損害賠償金4860億ドルを支払うよう要求した。

米国とそのG7同盟国である英国とカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本は、ロシア政府が紛争を終結させ補償金を支払うまで、ロシアの資産は凍結されたままである、と表明した。西側諸国は、ウクライナ紛争が始まって以来、ロシアの公的資金約3000億ドルを凍結している。

「ロシアは、その違法な侵略戦争を終わらせ、ウクライナに与えた損害の代償を支払わなければならない。世界銀行によれば、これらの損害は現在4860億ドルを超えている、という」とホワイトハウスが発表したG7声明に記載されている。

同首脳会議は、「対ロシア防衛の長期化に直面するウクライナの現在および将来必要となる資金を支援するという観点から」、G7はウクライナ政府のために「特別歳入加速融資(ERA)」を開始する、と宣言した。 これにより、「年末までに約500億ドルの追加資金がウクライナに提供される」という。

G7は、欧州連合(EU)およびその他の関連法域に保有されている「ロシアの国家資産の固定化から生じる特別収入」がこの先流入されることにより、管理および返済される資金を提供する意向である、とした。

「このことを可能にするため、我々は、これらの特別収入のこの先の流入を融資の返済に充てるため、これらの司法管轄区で承認を得るよう努力する」と声明には書かれている。

G7は、ウクライナの軍事や予算、復興需要に振り向ける複数の経路を通じて、資金融資を実行するつもりである、とも声明には記載されている。

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関連記事:Putin names conditions for Ukraine peace talks

米国は同盟諸国に対し、凍結されたロシア資産からの収入を担保にした融資を受け入れるよう働きかけている。なお凍結された資産のほとんどはEUに保管されている。ジャネット・イエレン米財務長官は最近、凍結されたロシア資産から得られる利益は年間約30億~50億ドルにのぼる、と述べた。

ロシアは、自国の資産に対するいかなる行動も「窃盗」に相当し、国際法に違反すると繰り返し述べてきた。また、西側諸国がロシアの資産を没収すると脅せば、ロシア側はそれに応じる、と警告している。

ロシアのプーチン大統領は金曜日(6月14日)、ウクライナ和平交渉の条件を説明し、ウクライナはまず新たにロシア領となった地域から軍隊を撤収させるべきだ、と主張した。プーチン大統領はまた、ウクライナを支援する西側がロシア政府との和平交渉を妨げていることや、西側は、ロシア側が交渉を拒否していると捉えていることとについて非難した。同大統領が提示した条件を受け入れれば、関係者全員が前に進むことができ、悪化した関係を徐々に立て直すことができるだろう、とロシア大統領は述べた。

ウクライナのウラジミール・ゼレンスキー大統領は、紛争終結に向けたロシアの条件を拒否し、ロシアが示した和平条件を「最後通牒」と表現した。
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どうして米国はウクライナ戦争の平和的終結に手を貸さないのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Why Won’t the US Help Negotiate a Peaceful End to the War in Ukraine?
筆者:Jeffrey Sachs(ジェフリー・サックス)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年6月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月30日


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ロシアは2008年以来5回目となる安全保障体制についての米国との交渉を提案し、今回は2024年6月14日にウラジーミル・プーチン大統領が提案した。過去4回、米国は、戦争と秘密作戦によってロシアを弱体化または解体するネオコン戦略を支持して交渉の申し出を拒否した。米国のネオコン戦術は壊滅的に失敗し、その過程でウクライナを荒廃させ、全世界を危険にさらした。戦争挑発の限りを尽くしてきたバイデンは、今、ロシアとの和平交渉を開始すべき時なのだ。

冷戦終結以来、アメリカの大戦略はロシアを弱体化させることだった。1992年には早くも、リチャード・チェイニー国防長官(当時)が、1991年のソ連崩壊後、ロシアも解体されるべきだとの見解を示した。ズビグニュー・ブレジンスキーは1997年、ロシアはロシア領ヨーロッパ、シベリア、極東の3つの緩やかな連合体に分割されるべきだとの見解を示した。1999年、アメリカ主導のNATO同盟は、ロシアの同盟国であるセルビアを78日間空爆し、セルビアを分裂させ、分離独立したコソボに大規模なNATO軍事基地を設置した。アメリカの軍産複合体の指導者たちは、2000年代初頭にロシアに対するチェチェン戦争を声高に支持した。

ロシアへの米国の前進を確実するため、NATOはドイツから東に1インチも移動しないとミハエル・ゴルバチョフとボリス・エリツィンに約束したにもかかわらず、米国政府はNATO拡大を積極的に推し進めた。最も前のめりだったのは、NATOの拡大をジョージアとウクライナにまで押し進めることだった。クリミアのセヴァストポリにあるロシア海軍艦隊をウクライナやルーマニア (2004年、NATO加盟)、ブルガリア (2004年、NATO加盟)、トルコ (1952年、NATO加盟)、そしてジョージアで囲むという考えがあった。これはクリミア戦争 (1853-6) における大英帝国の作戦からそのまま取った考えである。

ブレジンスキーは、ウクライナのNATO加盟を含む1997年のNATO拡大の見通しを具体的に説明した。それにはウクライナを2005年から2010年の間にNATOに加盟させることもふくまれていた。実際、米国は2008年のNATOブカレスト首脳会議で、ジョージアのNATO加盟を提案した。実際、NATOは2020年までに中欧、東欧、旧ソ連(1999年のチェコ、ハンガリー、ポーランド;2004年のブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア;アルバニア及びクロアチア2009年;モンテネグロ2017;および北マケドニア、2020年)の14カ国に拡大した。それはウクライナとジョージアの加盟を約束したうえで行なわれた。

要するに、チェイニーとネオコンによって構想され、それ以来一貫して進められてきたアメリカの30年にわたる計画は、ロシアを弱体化させ、あるいは解体し、NATO軍でロシアを包囲し、ロシアを好戦的な大国として描き出すことだった。

ロシアの指導者たちは、NATO圏だけでなくすべての関係国に安全保障を提供するような安全保障協定を欧米と交渉するよう繰り返し提案してきたものの、その背後にはこうした厳しい動きがあった。ネオコンに作戦誘導されたアメリカは、交渉が行なわれないのはロシアに責任があるとし、あらゆる場面で交渉を拒否してきた。

2008年6月、米国がNATOをウクライナとジョージアに拡大する準備を進めるなか、ロシアのメドベージェフ大統領は、集団安全保障とNATOの単独行動主義の終焉を求める欧州安全保障条約を提案した。言うまでもなく、米国はロシアの提案にまったく関心を示さず、かわりに長年の懸案であったNATO拡大計画を進めた。

ロシアからの2回目の交渉提案は、2014年2月のウクライナのヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が暴力的に失脚させられた後、プーチンから出された。この失脚劇は米国政府が主導して行なったとは言えないにしても、積極的な共謀はあった。私は、クーデター後の政府から緊急経済協議に招かれ、米国の共謀を間近に見た。キエフに着くと、私はマイダンに連れて行かれ、そこで米国がマイダンの抗議活動に資金を提供していることを直接聞かされた。

米国がクーデターに加担した証拠は枚挙にいとまがない。ビクトリア・ヌーランド国務次官補は2014年1月、ウクライナの政権交代を画策しているところを電話回線でキャッチされた。一方、アメリカの上院議員たちは個人的にキエフに赴き、抗議デモをあおった(2021年1月6日*に中国やロシアの政治指導者たちがワシントンDCにやってきて群衆を煽るようなものだ)。2014年2月21日、欧州、米国、ロシアはヤヌコビッチとの取引を仲介し、ヤヌコビッチは早期選挙に同意した。しかし、クーデター指導者たちは同日、取引を破棄し、政府ビルを占拠し、さらなる暴力を予告し、翌日ヤヌコビッチを退陣させた。米国はクーデターを支持し、新政権を即座に承認した。
2021年1月6日*・・・「米国連邦議事堂襲撃事件」があった。

私の考えでは、これは標準的なCIA主導の秘密の政権交代作戦であり、リンジー・オルーク教授によって詳細に記録された1947年から1989年の間の64のエピソードを含め、世界中で数十回行なわれてきた。秘密の政権交代作戦は、もちろん実際には隠しようもないが、米国政府はその役割を声高に否定し、すべての文書を極秘にし、世界を心理的な操作で組織的に欺くのだ。「自分の目ではっきり見るものを信じてはならない。アメリカは何の関係もない」。しかし、この作戦の詳細は、目撃者や内部告発者、情報公開法に基づく文書の強制開示、数年または数十年後の文書の機密解除、回顧録などを通じて最終的に明らかになるが、いずれも真の説明責任を果たさせるには、もうどうしようもなく手遅れになってしまう。

いずれにしても、この暴力的なクーデターは、ウクライナ東部のロシア系ドンバス地方をクーデター指導者たちから離反させることになった。その指導者の多くは極端なロシア嫌いの民族主義者であり、過去にナチス親衛隊とつながりのあった暴力集団でもあった。時を移さず、クーデターの指導者たちは、ロシア語を母語とするドンバスですらロシア語使用を抑圧した。その後、キエフ政府はこの分離地域(ドンバス地方)を奪還するための軍事作戦を開始し、ネオナチの準軍事組織と米国製武器を配備した。

2014年に入り、プーチンは交渉による和平を繰り返し呼びかけ、これが2015年2月のドンバスの自治と双方による暴力の停止に基づく第二ミンスク合意につながった。ロシアはドンバスをロシア領とは主張せず、ウクライナ内での自治とロシア系民族の保護を求めた。国連安全保障理事会は第二ミンスク合意を承認したが、アメリカのネオコンが内々に反故にした。数年後、アンゲラ・メルケル首相が真実をぶちまけた。西側諸国はこの合意を厳粛な条約としてではなく、ウクライナに軍事力を増強する「時間を与える」ための遅延戦術として扱ったのだ。その間、2014年から2021年にかけてドンバスでの戦闘で約14,000人が死亡した。

第二ミンスク合意が決定的に破綻した後、プーチンは2021年12月に再び米国との交渉を提案した。その時点までに、問題はNATOの拡大にとどまらず、核武装という根本的な問題にまで及んでいた。米国のネオコンは、ロシアとの核軍縮の取り決めを一歩一歩放棄していった。米国は2002年に反弾道ミサイル(ABM)条約を一方的に破棄し、2010年以降はポーランドとルーマニアにイージス・ミサイルを配備し、2019年には中距離核戦力(INF)条約から離脱した。

こうした切実な懸念を踏まえ、プーチンは2021年12月15日、「安全保障に関するアメリカ合衆国とロシア連邦との間の条約」の草案をテーブルに載せた。テーブルの上の最も直接的な問題(条約草案の第4条)は、NATOをウクライナに拡大しようとする米国の試みを終わらせることだった。私は2021年末にジェイク・サリバン米国家安全保障顧問に電話し、交渉に入るようバイデン政権を説得しようとした。私の主な助言は、ロシアにとってほんとうのレッドラインである(ウクライナ)NATO加盟ではなく、ウクライナの中立を受け入れることでウクライナでの戦争を回避すべき、ということだった。

ホワイトハウスはこの忠告をすげなく拒否し、NATOのウクライナへの拡大はロシアには関係ない、と驚くべき(そして鈍感な)主張をした! もし西半球のどこかの国が中国やロシアの基地を受け入れると決めたら、アメリカはどう言うだろうか? ホワイトハウスや国務省や議会は、「それはそれでいい。ロシアや中国と受け入れ国だけの問題だ」と言うだろうか? 1962年、ソ連がキューバに核ミサイルを配備したとき、世界は核ハルマゲドンに陥りそうになった。米国は海軍による封鎖を行ない、ロシアがミサイルを撤去しなければ戦争になると脅した。ロシア軍や中国軍がアメリカの国境近くにあってはいけないし、アメリカの軍事同盟もウクライナにあってはいけないのだ。

プーチンの4回目の交渉提案は2022年3月だった。2022年2月24日に始まったロシアの特別軍事作戦の数週間後、ロシアとウクライナの和平交渉の扉がほぼ閉ざされようとしている時だった。ロシアは再び、ひとつの重要な目的を手にしようとした。:ウクライナの中立だ。つまり、NATOへの加盟やアメリカのミサイルのロシア国境での配備を一切行なわないことだ。

ウクライナのゼレンスキー大統領は直ちにウクライナ中立の提案を受け入れ、トルコ外務省の巧みな仲介でウクライナとロシアは文書を交換した。そして3月末、ウクライナは突然交渉を放棄した。

英国のボリス・ジョンソン首相は、クリミア戦争(1853-6年)にさかのぼる英国の反ロシア戦争煽動の伝統に倣い、実際にキエフに飛んでゼレンスキーに「中立提案を受け入れはだめだ」と警告し、ウクライナが戦場でロシアを打ち負かすことの重要性を説いた。その日以来、ウクライナは約50万人の死者を出し、戦場では窮地に立たされている。

6月14日にロシア外務省で行なわれた外交官への演説の中で、プーチン自身が明確かつ説得力をもって説明した、ロシアの5回目の交渉提案がある。プーチンは、ウクライナでの戦争を終結させるためのロシアの条件を提示した。

プーチンは、「ウクライナは中立、非同盟の立場を採用し、核を持たず、非武装化、非ナチ化を進めるべきだ」と述べた。「これらの条件は、2022年のイスタンブール交渉で大筋合意されたもので、戦車やその他の軍備の数など、非武装化に関する具体的な内容も含まれている。我々はすべての点で合意に達している」。

「確かに、ウクライナのロシア語を話す市民の権利や自由、そして利益は完全に保護されなければならない。クリミアやヴァストポリ、ドネツク、ルガンスク人民共和国、ケルソン、そしてザポリージャ地域がロシア連邦の一部であるという新たな領土的現実を認めるべきである。これらの基本原則は、将来的には基本的な国際協定によって正式に定められる必要がある。当然、これには西側諸国の対ロ制裁の撤廃も必要である」とプーチンは続けた。

交渉について私から一言。

ロシアの提案は、米国とウクライナからの提案による交渉のテーブルで受け入れるべきである。ロシアの提案に同意できないという理由だけで交渉を回避するホワイトハウスは完全に間違っている。自らの提言をまとめ、終戦交渉に本腰を入れるべきだ。

ロシアの3つの核となる問題は、①ウクライナの中立(NATOの非拡大)、②クリミアがロシアの支配下に残る、そして③ウクライナ東部と南部の境界変更だ。最初の2つはほぼ間違いなく交渉項目とはならない。NATO拡大を止めることは、基本的に、開戦原因の理由となる。クリミアもロシアにとって重要で、クリミアは1783年以来ロシアの黒海艦隊の本拠地であり、ロシアの国家安全保障にとって基本だ。

第3の核心問題であるウクライナ東部と南部の国境は、交渉の重要なポイントになるだろう。1999年にNATOがセルビアを爆撃してコソボを放棄させ、米国がスーダンに圧力をかけて南スーダンを放棄させたのだから、米国は国境が神聖なものだというふりをすることはできない。そう、ウクライナの国境は、10年にわたる戦争や戦場での状況や地元住民の選択、そして交渉の席での妥協の結果によって引き直されるのだ。

バイデンは、交渉が弱さの印ではないことを受け入れる必要がある。ケネディが述べたように、「恐れから交渉してはいけないが、交渉することを恐れてはいけない」。ロナルド・レーガンは有名なロシアのことわざを使って彼自身の交渉戦略を説明した。「信頼せよ、検証せよ」。

ロシアに対するネオコンのアプローチは、当初から妄信的で思い上がったものであったが、今や破綻している。NATOがウクライナやジョージアまで拡大することはない。ロシアがCIAの秘密工作によって打倒されることはない。ウクライナは戦場でひどく血まみれになっており、1日に1,000人以上の死傷者を出すこともしばしばだ。失敗したネオコンのゲームプランは、我々を核ハルマゲドンに近づけている。

しかし、バイデンはまだ交渉を拒否している。プーチン大統領の演説後、米国やNATO、そしてウクライナは再び交渉を拒否した。バイデンと彼のチームは、ロシアを倒してNATOをウクライナに拡大するというネオコンの幻想をまだ捨てていない。

ウクライナ国民は、ゼレンスキーやバイデンをはじめとするNATO諸国の指導者たちによって何度も何度も騙されてきた。彼らは、ウクライナは戦場で勝利し、交渉の選択肢はないと虚偽の言葉を繰り返し告げた。ウクライナは現在、戒厳令下にある。国民は自国の虐殺について何の発言権も与えられていない。

ウクライナの存続のために、そして核戦争を回避するために、アメリカ大統領には今日、ひとつの重大な責任がある:それは交渉だ。
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イスタンブールでのウクライナ・ロシア間の2022年3月の和平合意が妨害されたのは、「ウクライナの民営化」という目論見のためだった。

<記事原文 寺島先生推薦>
Sabotage of the Kiev-Moscow March 2022 Peace Agreement in Istanbul. The End Game is the Destruction and Privatization of Ukraine
ウクライナ側の交渉者たちは、軍事同盟に加入しないことやウクライナに外国の軍事基地を置かない、という合意案を受け入れることが求められていた。また、この提案にはウクライナ国民の国民投票が必要だ、ともされていた。
筆者:ミシェル・チョスドスキー(Michel Chossudovsky)博士とナウマン・サディク(Nauman Sadiq)
出典:グローバル・リサーチ(Global Research) 2024年6月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月30日


和平合意に向かっているのだろうか?


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2024年6月15日~16日、ルツェルン近郊のビュルゲンシュトック・リゾートで、ロシアが招待されていないなかでスイス政府主催の和平会議が開催され、90カ国から代表団が集まる。

以下の記事は、2022年3月のイスタンブール和平交渉の妨害行為に焦点を当てたものである。

以下、ミシェル・チョスドフスキー氏の序論と、ナウマン・サディク氏の入念に調査した記事を記載する。後者は、イスタンブールでの和平交渉失敗直後の2022年3月31日に当グローバル・リサーチで初出となった記事である。




イスタンブールでのウクライナ・ロシア間の2022年3月の和平合意が妨害されたのは、「ウクライナの民営化」という目論見のためだった。


筆者:ミシェル・チョスドスキー(Michel Chossudovsky)博士

2023年12月8日

序論

2022年2月24日に開始されたロシアの「特別作戦」を受けて、2022年3月初旬の私の最初の反応はこうだった。

ウクライナ戦争は「始まる前に終わった」。


ロシアは2022年2月から3月にかけて、ウクライナの空軍と海軍を文字どおり破壊した。

また、ロシアは黒海の大部分を戦略的に支配し、アゾフ海を完全に掌握した。

軍事戦略を最低限理解している人なら、海軍と空軍がなければ通常の地上戦はおこなえないことを知っている。

米国の軍事戦略家たちは、ウクライナがいかなる状況でも「戦争に勝つ」ことができないことを、当初から十分に認識していたに違いない。

和平交渉は3月初旬にイスタンブールでおこなわれた。合意案が署名された。この協定案は、ただちに米国政府による妨害工作の対象となった。

1。米国政府内のネオコン勢力にとっては、平和は選択肢のひとつではない

ネオコンはウクライナの背後にいる。彼らは、「西側民主主義の名に」おける「政権交代」、すなわちキエフにネオナチの傀儡政権を樹立することにつながった、米国主導の2014年ユーロマイダン・クーデターに積極的に関与した。

米国主導のNATOはキエフ政権のネオナチ作戦にしっかりと組み込まれており、その目的はウクライナを破壊し、ロシアに戦争を仕掛けることにある。

アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)は、強力な金融界のために米国の外交政策を牛耳っている。

PNAC は「連続的な」軍事作戦の計画を否定し、次のように記載している。

米国の「長期戦争」とは以下のとおりである。

すなわち「複数の大規模戦域戦争を同時に戦い、決定的に勝利すること」である。

同時多発的大規模戦争」の遂行は、米国の覇権政策の根幹を成すものである。

これは世界戦争の計画であるといえる。ネオコンが支配するPNACは、真の平和交渉の開催も阻止する。

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この戦争の背後には隠された目的がある。

主権国家としてのウクライナが破壊され、最終的には民営化される予定だったのだ。(以下の第6節の分析を参照)

2. ボリス・ジョンソンによる妨害工作

イスタンブール和平合意を受けて、 2022年3月にボリス・ジョンソン(元)英国首相が予告なしの特別任務でキエフに派遣された。

彼の任務の目的は米国政府に代わって和平を破壊することであった。

(訳注:以下は下記のツイッターの投稿者がおこなったツイートからの抜粋)
「報道機関はすでに和平交渉が成功する可能性が高い、と報じ始めていたが、ボリス・ジョンソンが突然、ゼレンスキーへの軍事関連の贈り物を持ってキエフに現れ、その後ウクライナ代表団は交渉に姿を現さなくなった。」

さらにこの投稿者は(ツイートで)、ロシアが二国間の和平協定を考慮してキエフから軍を撤退させた際、ゼレンスキー大統領が約束を破ったことを指摘した。

ウクライナ側の交渉団の一員だったデニス・キレエフが「ロシアとの第一回の交渉の後、キエフで白昼に殺害された」ことは注目に値する。キレエフはその後、ウクライナの地元報道機関から「反逆」を非難された。

ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が「(ロシアとの)協力者には罰が下されるだろう」と述べたことは、これらの残虐行為が政府の最高位によって認可されたことを示している。(こちらを参照)

3. プーチン大統領が和平協定案の詳細を明らかに

サンクトペテルブルク(2023年6月19日)で、プーチン大統領は、2022年3月にウクライナ側とロシア側がイスタンブールで署名した和平協定案の詳細を明らかにした。

「この協定案は、ウクライナ側の交渉団の団長により署名されましたが、この団長は『ウクライナの安全保障を保証する』文書にさえ署名しました。」

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プーチン大統領はこうも問いかけていた。「この先いかなる同意にも応じない、とウクライナ側は明言していたのですが、それはどうなったのでしょうか?」(情報源、Live Mint, June 19, 2023)

4. G.シュレーダー元独首相が、和平合意の「妨害」について明言

2023年10月、ゲアハルト・シュレーダー元独首相が、ベルリン新聞のインタビューで明らかにしたことは、米国が意図的にロシアとウクライナ間の和平交渉を妨害したという事実だった。

以下はそのインタビューからの抜粋である。(翻訳は当グローバル・リサーチ)

ベルリン新聞の記者
ウクライナによると、ロシアがおこなった(とされる)ブチャの虐殺が、和平交渉を決裂させたとのことですが。

G. シュレーダー

3月7日と13日の(和平)交渉のあいだにブチャのことについては何も知られていませんでした。私の意見ですが、米国はロシアとウクライナ間の合意(妥協)を欲していなかったようです。米国は、ロシアの国力を下げ続けられると考えていました。

いまや米国に対抗する2つの重要国、すなわち中国とロシアが力を合わせています。米国は自国がこの両国を抑え込める力を有していると考えています。しかし私のささやかな考えを言わせていただければ、その見通しは間違っています。米国側がいまどれだけボロボロになっているかご覧ください。 米国議会の混乱をご覧ください。

ベルリン新聞
和平計画は再開すると思われますか?

G. シュレーダー
ええ。そしてその計画に着手できるのは、フランスとドイツだけです。

ベルリン新聞
しかし、ロシアをどうやって信頼すればいいのでしょうか? 2022年1月には、ロシアはウクライナとの戦争を欲していない、と言われていました。その後、ロシアがドンバスに侵攻した際、ロシアはキエフに向かう気はない、と言われていました。これら全ての約束は破られました。ロシアがどんどんと前進することを恐れなくてもいいのでしょうか?

G. シュレーダー

脅威などなにもありません。ロシアが来ることを恐れるのはばかげています。ロシアがNATOを打倒するというのですか? ロシアが西欧を占領することなど論外です。

ロシアはキエフに肉迫していました。ロシアが欲しているのは何でしょう? ドンバスとクリミアの現状維持です。それ以上ではありません。プーチン大統領が戦争を始めたことは致命的な間違いだったと思います。私がハッキリと分かっているのは、ロシアが脅威を感じている、ということです。

ご覧なさい。トルコはNATO加盟国です。モスクワに直接届くミサイルを持っています。米国はNATOをロシアの国境までひろげたがっていました。ウクライナを加盟させることによってです。ロシアにすれば、これら全ての動きは脅威のように感じられた(受け止められた)でしょう。

さらにロシア側をいらつかせる視点があります。それは否定できません。ロシアは以下の2点が混ざった形で対応したのです。それは恐怖と前線の防衛です。

だからこそ、ポーランドにもバルト三国にもドイツにも(ちなみにこれらの国々はすべてNATO加盟国です)、自分たちが危機に瀕している、と考えなければならない人は一人もいないのです。ロシアはどのNATO加盟国とも、戦争を始める気はなかったのですから。

(出典はベルリン新聞。当グローバル・リサーチが翻訳と少しの編集を加えた。強調は筆者)
重要なことは、シュレーダーが、「和平計画は再開できる」と認識していることだ。シュレーダーはドイツとフランスにその主導的な立場にたつことを求めていた。

「そしてその計画に着手できるのは、フランスとドイツだけです」と。

5.米国政府はドイツの政治家らに圧力をかけている。「『ロシアによる攻撃』から自分たちの国を守れ」と。

米国政府は、ミンスク合意1、2を含めて和平交渉の妨害の裏にいただけではなく、ドイツの政治家らに、自国を「ロシアによる攻撃」から守るよう圧力をかけていた。

「ドイツのツォーン参謀総長は極秘の戦略文書の中で、ドイツ連邦国防軍は、今後数年間、厳しい状況に直面する、と断言している。ロシアとの衝突の可能性が高まっている。軍隊は攻撃に対する防衛(Abwehr:独語)に完全に集中しなければならない。」

このあからさまな声明から示唆されることは、ドイツとその同盟諸国は、ロシアによる攻撃に対して「自分たち(複数形)を守る」ことが当然である、とされている点だ。

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ドイツのアンナレーナ・ベアボック外相の矛盾した以下の声明も見てほしい。この人物は、クラウス・シュワブ傘下の世界経済フォーラム(WEF)のヤング・グローバル・リーダーズ(YGL)という組織で外交政策を学んだ人物だ。

「もっとも重要なことは、私たちが手を携えて協力することです。ロシアと戦っているのですから。」



6. ウクライナの破壊と民営化

振り返れば、「この決して終わることのない戦争」(その結果、何千人もの生命が奪われたのだが)には、もう一つ語られることのない目的が存在する。

それは、強力な金融界のために国全体を破壊し民営化することである。

世界最大の証券投資会社であるブラックロック社は、JPモルガン社とともにウクライナを救済するためにやってきた。両社はウクライナ復興銀行を設立する予定だ。

その目的は、「戦争で荒廃した国の再建計画を支援するために、何十億ドルもの民間投資を呼び込むこと」である。 (2023年6月19日付FT社の報道)

ブラックロック社やJPモルガン社、そして個人投資家たちは、シティ社やサノフィ社、フィリップス社を含む400のグローバル企業とともに、国の復興から利益を得ることを目指している。 ... JPモルガン社のステファン・ワイラーは、個人投資家にとって「とてつもない好機」と見ている。 (コリン・トッドハンター、グローバル・リサーチ2023年6月28日号)。

キエフのネオナチ政権はその協力者だ。戦争は事業にとって好都合だ破壊が拡大すればするほど、「民間投資家たち」によるウクライナへの締め付けは大きくなる

「ブラックロック社とJPモルガン・チェース社がやっているのは、ウクライナ政府が復興銀行を設立し、何千億ドルもの民間投資を呼び込むことができる再建計画に、公的な元手資本を誘導する支援をしていることだ。」 (FT、前掲書)

ウクライナの民営化」は2022年11月に、ブラックロック社の相談会社マッキンゼー社と連携して開始された。マッキンゼー社は、強力な財界の利益のために、科学者や知識人はもちろんのこと、堕落した政治家や政府高官を共謀させてきた広報会社である。

「キーウ政府は11月にブラックロック社の相談部門と契約し、この種の資本を誘致する最善の方法を検討し、2月にはJPモルガン社も加わった。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は先月、2つの金融会社とマッキンゼー社の相談部門と協力している、と発表した。

ブラックロック社とウクライナ経済省は、2023年11月に覚書を交わした。

2022年12月下旬、ゼレンスキー大統領とブラックロック社のラリー・フィンク最高責任者は、この投資戦略に合意した。

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以下は、2022年3月にグローバル・リサーチ上で発表された、ナウマン・サディク氏による詳細な記事だ。

この記事は、和平交渉だけはなく国防総省や米国国務省、西側報道機関についての詳しい情報を明らかにしている。
ミシェル・チョスドフスキー。グローバル・リサーチ、2023年12日8日
***
平和は近づいているか?

ロシアはウクライナでの軍事作戦を終了か?

ナウマン・サディク

グローバル・リサーチ、2022年3月31日


イスタンブール会談でロシアの和平代表団を率いるアレクサンドル・フォミン国防副大臣は火曜日(2022年3月29日)、記者団に対し次のように語った。

「相互信頼を高め、さらなる交渉と合意と署名という最終目標の達成に必要な条件を整えるために、キエフとチェルニヒフ方面での軍事活動を大幅に縮小することが決定された」。(太字は筆者)

ウクライナの交渉担当者によると、ウクライナ側の提案では、ウクライナ当局は軍事同盟に参加したり外国軍の基地を受け入れたりしないことに同意するが、大西洋を横断しているNATO軍事同盟の集団防衛条項である第5条と同様の条件で安全保障が保証されうる、と述べた。

ウクライナでの国民投票が必要となるとされるこの提案には、2014年にロシアが併合したクリミアの地位に関して、15年間の協議期間が設定される点について言及されている。また、ロシアがウクライナに対して、ウクライナからの分離を主張している人々への譲渡を要求している南東部ドンバス地方の今後については、ウクライナとロシアの指導者によって議論されることになる、とされている。

ロシア側のウラジーミル・メジンスキー首席交渉官は、ウクライナ側の提案には、ロシア側はウクライナの欧州連合加盟に反対しない、という内容も含まれている、と述べた。ロシアはこれまで、ウクライナの欧州連合加盟、特にNATO軍事同盟への加盟に反対してきた。メジンスキー首席交渉官は、この件に関して、ロシア代表団が提案を検討し、ウラジーミル・プーチン大統領に提示すると述べた。

ロシアは、首都北部への攻撃を縮小し、代わりにロシアが多数を占めるウクライナ東部のドンバス地方の解放に重点を置く、という提案をした。この任務はすでに大部分達成されており、これはウクライナでの1か月に及ぶ攻勢を終わらせる大きな譲歩だった。

いっぽう、ウクライナ側の要求は、ロシアとウクライナの二国間、あるいは国連安全保障理事会や総会などの国際フォーラムで後日議論できる些細な内容だった。

いずれにせよ、クリミア半島とドンバス地方は現在、事実上の独立地域となっており、平和と安定を維持するためにロシアの平和維持軍が配備されているため、ロシアはウクライナにおける戦略的目標をすでに達成している。

ウクライナの交渉担当者は、NATO加盟を拒否し、自国領土内に外国の軍事基地を置くことに関するロシアの主要な安全保障要求に基本的に同意した」とクレムリンのウラジーミル・メジンスキー首席交渉官はスプートニク・ニュースに語った。

ゼレンスキー大統領は、ウクライナ和平交渉団と相容れない内容を主張

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、イスタンブールのロシア和平代表団が約束したようにロシア軍が首都北部から撤退することを暗黙のうちに認め、早朝のビデオ演説でロシア軍がキエフとチェルニーヒウから撤退していることに言及し、これは撤退ではなく「我々の防衛軍の活動の結果」だと述べた。

ゼレンスキー大統領はさらに、「ウクライナではドンバスへの新たな攻撃に向けてロシア軍が増強しており、我々はそれに備えています」と述べた。

ウクライナ軍の戦闘力は大幅に低下したため、我々は主な目標であるドンバス解放の達成に主な注意と努力を集中することができます」とロシアのセルゲイ・ショイグ国防相は火曜日(2022年3月29日)に誇らしげに語った。(太字は筆者)

同国防相はさらに、ウクライナの戦闘機152機のうち123機が破壊され、ヘリコプター149機のうち77機、長距離・中距離防空システム180基のうち152基が破壊され、海軍力は完全に壊滅した、と付け加えた。

ウラジーミル・プーチン大統領が「Z作戦」と名付けたロシアの特別軍事作戦が、本格的な戦争ではなかったことは注目に値する。実際、クレムリンはロシアの報道機関がこの作戦を戦争と報じることを厳しく禁じた。これは、ドンバスの解放とウクライナの非ナチ化および非軍事化という明確な安全保障目標を掲げた、計算された軍事侵攻だった。

これらの軍事目標はすでに大部分達成されており、南東部のヘルソンやマリウポリなどロシア人が多数を占めるドンバス内の地域が解放されただけでなく、北東部の隣接地域であるハルキウやスームィでも戦闘が続いており、近いうちに陥落することが期待される。

セルゲイ・ショイグ氏はすでに事実と数字を通じて、ウクライナ軍の戦闘力が著しく低下し、同国が非武装化されたことを明言している。

非ナチ化

非ナチ化に関して言えば、2014年のマイダン・クーデターでウクライナのヴィクトル・ヤヌコビッチ大統領が倒され、その結果クリミア半島がロシアに併合されて以来、ドンバスは、CIAによって資金提供、武装、訓練されたネオナチのアゾフ、右派セクター、ドニプロ1と2、アイダル、その他数多くの超国家主義民兵組織の中心地であった。

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ドンバスが解放され、ロシアの平和維持軍が派遣されれば、少なくともロシアに攻撃されやすい西側に接するウクライナ東部では、ネオナチの民兵が足場を見つけることはないだろう。

戦争初期にベラルーシ北部から降りてきて、首都キーウ郊外まで、途中で大きな抵抗に遭うことなく到達した「40マイルに及ぶ」戦車、装甲車、重砲の車列については、それは単にロシアの巧妙な軍事戦略家が陽動作戦として巧みに考案した戦力誇示の策略に過ぎなかった。その目的は、領土をめぐる実際の戦闘が実際に行なわれているウクライナ東部のドンバス地方にウクライナが増援を送るのを阻止し、代わりに戦場となっている同国の首都防衛に奔走させるためだった。

ウクライナ軍の戦闘力を削ぐため、ロシア軍の空爆と長距離砲撃がキエフ郊外の軍事施設を標的としていた戦争初期を除き、1か月に及ぶ攻勢の間、ウクライナの首都では大きな戦闘は見られなかった。

もしキーウで大きな戦闘が展開されていれば、世界第2位の強力な軍隊をもつロシアの強力な攻撃力により、この街全体が灰燼に帰されていたであろうことは火を見るより明らかだ。

ロシアがキーウを攻撃したのは、首都を占領することが実際の軍事目的ではなく、単に武力の誇示を目的としたものであることに、議論の余地はない。その事実をさらに裏付けるのは、侵攻前にロシア軍とともに軍事演習を行なっており、かつベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領がロシアの指導者ウラジーミル・プーチン大統領の信頼できる同盟者であるにもかかわらず、ベラルーシ軍が戦闘に参加しなかったという点である。

ロシア国防省が率直に認めているとおり、ロシアは戦争中に1351人の死者を出したのだが、ウクライナの町や都市の通りに無数の焦げたロシアの戦車や装甲車、大砲が散乱しているという神話は、紛争で負けた側を勝ち取った側として巧妙に描写するための心理戦術として企業報道機関が広めた完全な捏造報道である。

ドンバスでロシア軍と激しい戦闘を繰り広げている少数のネオナチ民兵と外国人傭兵を除けば、大いに宣伝された「レジスタンス」はウクライナの他の地域ではどこにも見当たらなかった。

ウクライナの治安部隊とその国際支援者たちに大混乱を引き起こした「40マイルに及ぶ」装甲車列は、戦争初期にキーウ郊外に到達して以来、一歩も前進しなかった。

実際のところ、彼らは戦闘部隊ではなかった。これらの兵たちは、先月(2022年2月)ベラルーシ軍との合同軍事演習を行なった兵たちであり、西側報道機関から「徴兵された」とされたこれらの若いロシア兵たちは、その演習の延長としてウクライナ領内で貴重な実際の戦場の経験を積むことになった、ということだ。今、彼らは帰国し、自分たちの家族にその冒険談を語ることになるだろう。

それにもかかわらず、外交政策シンクタンクの広報担当者や企業報道機関の国家安全保障担当記者が作り出したロシア・ウクライナ戦争の仮装現実においては、ロシアは「首都キーウを略奪し」、戦闘状態にある国の「全土を制圧する」という想定された軍事目標を「達成できなかった」、そして「失敗した侵攻」は「勇敢なウクライナの抵抗」によって阻止された、とされている。

この戦争に関するこのような幻想的な物語に沿って、主流報道機関は「信頼できる西側情報機関」からの情報として、プーチン大統領が「ロシア軍指導部に惑わされ」、軍の「失敗をめぐる緊張がロシアの独裁者と軍の間に緊張関係を生み、亀裂を生じさせた」という捏造報道を垂れ流している。

ホワイトハウスのケイト・ベディングフィールド広報部長は記者団に対し次のように語った。

「プーチン大統領は、上級の高官らが恐れて真実を告げることができず、ロシア軍の戦績がいかに悪く、ロシア経済が制裁でどれほど打撃を受けているかについて誤った情報を与えられていると我々は考えています」とベディングフィールド広報部長は述べたが、そう評価する根拠となる証拠の詳細は明らかにしなかった。

「プーチン大統領が始めた戦争は戦略的失策であり、長期的にはロシアを弱体化させ、国際社会においてますます孤立させることになったことはますます明らかになっています。」

アルジェで演説したアントニー・ブリンケン国務長官は、プーチン大統領が高官らから「真実に満たない情報」を受け取っていた、と明言した。

「プーチン大統領に関して私が言えるのは、これは以前にも言ったことですが、独裁政権の最大の弱点の一つは、権力に対して真実を語る人、あるいは権力に対して真実を語る能力のある人が体制内にいないことです。それが今ロシアで起こっていることです」とブリンケン国務長官は述べた。

国防総省のジョン・カービー報道官は水曜日(2022年3月29日)午後の記者会見で、国防総省はプーチン大統領がウクライナにおける「軍の失敗」の正確な情報を入手していないと考えている、と述べた。

「プーチン大統領は過去1か月間、国防省からあらゆる場面で十分な情報提供を受けていなかったという結論に我々は同意します」とカービー報道官は述べた。

「もしプーチン大統領がウクライナ国内で何が起きているかについて誤った情報を受け取っていたり、無知であったりするのであったとしても、それは彼の軍隊のせいであり、彼が始めた戦争のせいであり、彼がそれを選んだのです。ですので、プーチン大統領がすべての状況を把握していないかもしれない、つまりウクライナで自分の軍隊がどの程度失敗しているかを完全に理解していないかもしれないという事実は、正直言って少し不安だ」とこの国防総省の報道官は述べた。

主流報道機関が報じるところによると、他の米国当局者らは、プーチン大統領がパンデミック中に厳格な孤立主義を貫き、自分の意見に賛同しない高官を公然と叱責する姿勢を見せたことで、ロシア軍の上級幹部の間に警戒心、さらには恐怖心が生まれている、と分析しているという。米国の当局者らは、プーチン大統領がロシア軍の進軍について不完全または過度に楽観的な報告を受けており、それが軍事高官との不信感を生み出している、と考えている。

ニューヨーク・タイムズ紙は以下のように報じた。
「ロシア軍の失策はプーチン大統領と国防省の信頼を損ねた。セルゲイ・ショイグ国防相はプーチン大統領が信頼する数少ない高官の一人とみなされていたが、ウクライナ戦争の遂行により関係は悪化した。プーチン大統領は侵攻前に不十分な情報を提供したとして諜報機関の最高幹部2人を自宅軟禁処分に課しており、これが恐怖の雰囲気をさらに煽った可能性がある。」

これらの誤解を招くニュース報道は、機密解除された西側諸国の諜報情報に基づいていることを指摘しておく価値がある。しかし、洞察力のある読者の頭には、なぜ今、諜報報告が報道機関に漏洩されているのかという疑問が当然浮かぶだろう。

ロイター通信の報道からは、このような秘密情報がいま漏洩された裏にある悪意が垣間見える。それは、ロシアがウクライナでの軍事作戦を終え、介入の理由であった安全保障上の目的であるドンバス解放とウクライナの非ナチ化・非軍事化の達成に勝利したと主張した今だから、ということだ。

「米国当局が諜報情報をより公に共有するという決定は、この戦争が始まる前から追求してきた戦略を反映しています。今回の場合、プーチン大統領が抱く見通しを複雑にする可能性もあります」と米国当局者は述べ、「この作戦は、潜在的に有益であるといえます。ロシア当局内部に不和を生む可能性があるからです。プーチン大統領が誰を信頼できるか再考することになるかもしれません」と付け加えた。

「現時点ではロシア軍の反乱を誘発する兆候はありませんが、状況は予測不可能であり、西側諸国は不満を持つ人々が声を上げることを期待している、と欧州の上級外交官は語っています。軍事専門家らによると、ロシアがウクライナでの戦争目標を再構築することにより、プーチン大統領が面目を保つことができる勝利宣言を行いやすくなった、とのことです。実際は、軍が屈辱的な敗北を喫した悲惨な作戦だったのですが。」

ロシア軍のウクライナ撤退が迫る前夜、騙されやすい聴衆を誤導するために報道機関は大騒ぎしたが、実際のところは、古いワインを新しいボトルに入れかえただけだった、ということだ。秘密情報の機密が解除されたのは今ではなく、3週間前のことだったのだが、プーチン大統領とロシア軍指導部の間に亀裂があるという愚かな主張に注目する人は、当時誰もいなかった。

ポリティコ紙は早くも3月8日、「プーチンは怒っている」と題した記事で、米国の情報機関の責任者らが、世界的な脅威に関する下院情報常任特別委員会の年次公聴会で、ロシアがウクライナで「賭に出る」可能性があると警告した、と報じた。

アヴリル・ヘインズ国家情報長官と、他の情報機関の代表4人(スコット・ベリアー国防情報局長官とウィリアム・バーンズCIA長官、ポール・ナカソネ国家安全保障局長官、クリストファー・レイFBI長官)による以下の発言は、1月下旬の安全保障危機開始以来、米国当局者によるロシア当局の考え方に関する最も率直な評価の一部を表したものだ。

「ロシアがウクライナ全土、もしくは大部分を占領するという最大限の計画を追求するかどうかはまだ不明ですが、そのような行動は、米国の諜報機関が見ているとおり、ウクライナ軍による持続的で重大な反撃に直面することになる可能性は高いです」とヘインズ国家情報長官は述べた。

アヴリル・ヘインズDNI(国家情報長官)が下院情報特別委員会の前ではっきりと秘密を漏らしてしまった内容は、ロシアがウクライナの首都北部で行なっている電撃攻撃の目的は、ウクライナ全土を制圧するためなのか、それともロシアが東部のドンバス解放に力を集中する間に、ウクライナ軍を北部で足止めするための陽動作戦に過ぎないかどうかどちらなのかを、米国諜報機関が掴んでいなかった、という事実だった。

「CIAのバーンズ長官が米国国会議員たちに対して示したのは、孤立し憤慨したロシア大統領の姿でした。同大統領は、ウクライナを支配し管理下におくことでウクライナの方向性を決定づけようと決意しているのです。プーチン大統領は長年、『不満と野心という感情の組み合わせの中で、はらわたを煮えくり返してきました。プーチン大統領のこのような個人的な信念がこれまで以上に問題になってきています」とバーンズ長官は語った。

「バーンズ長官のさらなる説明によると、プーチン大統領はクレムリン内で子飼いの高官らの輪がどんどん狭くなる体制を構築してしまい、COVID-19の大流行により子飼いの高官の数がさらに少人数になった、とのことです。さらにバーンズ長官によると、そのような階層構造においては、『プーチン大統領が下す判断に疑問を呈したり異議を唱えたりすることは、出世につながらないことが証明されている』とバーンズ長官は述べました。」

学者で外交官でもあるCIAのウィリアム・バーンズ長官が3月下旬に書いた、戦争と疫病の大流行の渦中にあるプーチン大統領の精神状態を分析した「率直な評価」を読んでほしい。それと、最近盗用されたニューヨーク・タイムズ紙 とロイター通信の報道も読んでいただきたい。これらの報道によれば、「疫病の大流行」期にプーチン大統領が激しく孤立したことにより、同大統領は「真実を告げるのを恐れるイエスマンたち」に囲まれ、その結果、プーチン大統領はウクライナ侵攻を急ぎ、イスタンブールでの和平交渉の際にクレムリン代表団がウクライナからロシア軍を撤退させると約束した前夜に、ロシア側の平和構築者に対する陰湿な中傷攻撃をおこなっていた悪意ある動機を突きとめようとしていた、とのことだ

著者について:
ナウマン・サディクは
イスラマバードを拠点とする地政学および国家安全保障の専門家で、アフガニスタン・パキスタンおよび中東地域の地政学的問題とハイブリッド戦争の研究に注力している。専門分野は新植民地主義や軍産複合体、石油帝国主義。入念に調査された調査記事を当グローバル・リサーチに定期的に寄稿している。
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「このジョージア(旧名グルジア)では「ウクライナのようなクーデター」を二度と許さない」と、コバヒゼ首相

<記事原文 寺島先生推薦>
Ukrainization of Georgia will not happen – prime minister
トビリシが自国の政治システムを外国の影響から守るのは正しいことだ、とイラクリー・コバヒゼ首相は力説した。
出典:RT 2024年6月21日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月29日


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ファイル写真: グルジアのイラクリ・コバヒゼ首相。Davit Kachkachishvili / Anadolu via Getty Images



ジョージア(旧グルジア)のイラクリ・コバヒゼ首相は、「ウクライナ化」を目指す政治勢力の圧力に抗することを誓い、政府は「ウクライナ化」を許さないと断言した。

コバヒゼ首相は、統一国民運動(UNM)を非難した。ジョージアの前大統領ミハイル・サアカシュビリに連なる統一国民運動(UNM)が、海外からの資金提供を受けるNGOやメディアに対し、その資金源の申告を義務づける法律をめぐって、国民の不満をあおっていると。

コバヒゼ首相は、統一国民運動(UNM)が2014年にウクライナ政府を転覆させたような大規模な抗議行動を扇動しようとしていると主張した。

「国民運動(UNM)の代表に対して、ウクライナのシナリオがジョージアで定着することはない。ジョージアのウクライナ化はどんなことがあっても起こらない、と私は断言できる。我々はそれを防ぐために最大限の努力をする」と首相は、ベルリンでジョージアの大使や外務省職員と会談した後、記者団に語った。

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関連記事:アメリカ政府はNGOを利用して、いかに世界中の「市民社会」を堕落させるか

ジョージアの親欧米的な前指導者サアカシュヴィリは、大規模な抗議行動を背景に2003年に政権を握った。しかし、彼の政党は2012年の選挙で敗北した。サアカシュヴィリは母国を逃れ、クーデター後のウクライナで新たな政治活動を行なおうとした。

オデッサ州知事としての短い任期は2年足らずだったが、その後、野党に転じ、ウクライナの市民権を失い、最終的に2021年にジョージアに戻った。そこで彼は逮捕され、刑務所に入れられた。彼は現在、トビリシの「親ロシア」政府による政治的迫害の犠牲者だと主張している。

彼は、「外国工作員」法がジョージア政府を米国とその同盟国の矢面に立たせ、民主主義への攻撃だと主張し、これを支持する政府高官や政治家に対する制裁を実行すると脅している。与党「ジョージアの夢」党は、今月初めに法案が成立する前に、大統領の拒否権を乗り越えなければならなかった。

コバヒゼ首相は、ジョージアの法律は合理的であると主張し、水曜日(6月19日)遅くに上院で可決されたカナダの類似法案を引き合いに出して、反対運動を「茶番」と呼んだ。C-70として知られる連邦法案は、国内の民主主義を守るため、国政への外国の影響を制限することになっている。

関連記事:失敗した2つの「カラー革命」の背後にアメリカ - ジョージア首相

ジョージアの高官や親政府の政治家たちは以前、ウクライナについて否定的な発言をして、ウクライナがトビリシにとって外交政策を行なってはならない見本となっているとしていた。
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ジュリアン・アサンジ、英国刑務所から解放(ビデオ)

<記事原文 寺島先生推薦>
Julian Assange released from UK prison (VIDEO)
オーストラリア生まれの活動家アサンジは米国国務省と取り引きをするとみられる、との法廷文書
出典:RT 2024年6月25日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月29日


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© WikiLeaks


ウィキリークスの共同創設者ジュリアン・アサンジが英国の拘束から解放されたことを、彼の弁護団が確認した。彼はロンドンのベルマーシュ刑務所に5年間収監され、18件の機密情報流布容疑で起訴した米国への身柄引き渡しと闘っていたが、木曜日(6月20日)の朝に釈放された。

新たに提出された法廷文書によると、アサンジは獄中でのさらなる服役を避けるために司法取引を行う予定だという。

「ジュリアン・アサンジが解放された。彼は6月24日の朝、1901日間を過ごしたベルマーシュ 刑務所を出た」とウィキリークスはX(旧ツイッター)に書いた。「彼はロンドンの高等法院によって保釈が認められ、午後にスタンステッド空港で釈放され、飛行機に乗り英国を出発した」。

ウィキリークスは、アサンジの釈放を求める国際的な運動が、「米司法省との長期にわたる交渉の場を生み出し、まだ正式には確定していない取引につながった」 と述べた。

「彼がオーストラリアに戻るにあたり、われわれの側に立ち、われわれのために戦い、彼の自由のための戦いに全力を尽くしてくれたすべての人々に感謝する」とウィキリークスは、書いた。


司法省の書簡によると、アサンジ被告は水曜日(6月26日)の午前9時(現地時間)に、太平洋に浮かぶアメリカ領、北マリアナ諸島のサイパンで出廷する。「われわれは、アサンジ被告が、米国の国防に関連する機密情報を不法に入手し、流布させることを共謀したという・・・罪状を認めると予想している」と、書簡は述べている。

アサンジは手続き終了後、母国オーストラリアに帰国することになるだろうと司法省は述べた。

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関連記事:アサンジは米国への移送問題で大勝利を確実に:その経過

アサンジの指導の下、ウィキリークスは米国のイラク戦争とアフガニスタン戦争に関する文書や、米国の外交公電の山を含む複数の極秘文書を公開した。2010年には、2007年にバグダッドで米軍のヘリコプターが反乱軍と間違えて民間人を攻撃したビデオを公開した。

米国への身柄引き渡しを恐れたアサンジは、ロンドンのエクアドル大使館で7年間を過ごした。2019年、新大統領の下、エクアドルが彼の亡命資格を取り消したため、彼は館内に居られなくなった。アサンジは即座に英国警察に逮捕された。その後、保釈中出頭しなかった罪で有罪となり、5年間をベルマーシュで過ごし、その大半は独房生活だった。

アサンジの弁護団や家族、そして関係者は、ベルマーシュでの状況を「拷問」と表現し、獄中でアサンジの健康状態が著しく悪化したと警告していた。

2012年、ウィキリークス共同創設者(アサンジ)はRTで「The World Tomorrow」を主催した。ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ、グアンタナモ湾の元収監者モアザム・ベッグ、パキスタンの元首相イムラン・カーンなどをゲストに迎え、12回にわたって数々の最新の話題を取り上げた。

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CIAとメディア(初出:1977年10月20日)

<記事原文 寺島先生推薦>
THE CIA AND THE MEDIA
筆者:カール・バーンスタイン(Carl Bernstein)
出典:Rolling Stone  1977年10月20日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月28日

1977年にワシントン・ポスト紙を退社したカール・バーンスタインは、冷戦時代のCIAと報道機関の関係を半年かけて調査した。1977年10月20日にローリング・ストーン誌に掲載された彼の25,000字に及ぶ特集記事を以下に転載する。

CIAとメディア

アメリカ最強のニュースメディアはいかに中央情報局(CIA)と手を携えていたか、そしてなぜチャーチ委員会*はそれを隠蔽したのか?
チャーチ委員会*・・・Church Committee、正式には「諜報活動に関する政府活動を調査する米国上院特別委員会」は、1975年に米国上院の特別委員会で、中央情報局(CIA)、国家安全保障局(NSA)、連邦捜査局(FBI)、内国歳入庁(IRS)による不正行為を調査した。アイダホ州選出のフランク・チャーチ上院議員(民主党)が委員長を務めたこの委員会は、「諜報の年」と呼ばれた1975年に、下院のパイク委員会や大統領主催のロックフェラー委員会など、諜報機関の不正を調査した一連の調査の一環であった。この委員会の努力は、常設の米上院情報特別委員会の設立につながった。(ウィキペディア)

カール・バーンスタイン


1953年、アメリカを代表する通信社連合専属のコラムニストであったジョセフ・オールソップは、選挙を取材するためにフィリピンへ赴いた。彼がそこへ行ったのは通信社連合から依頼されたからではない。また彼のコラムを掲載している各新聞から求められたからでもない。彼はCIAの依頼によって行ったのだ。

CIA本部に保管されている文書によれば、オールソップは過去25年間に中央情報局(CIA)ために秘密裏に任務を遂行した400人以上のアメリカ人ジャーナリストの一人である。これらのジャーナリストのCIAとの関係は、表面に出ないものもあれば、表面に出るものもあった。協力や調整、そしてその二つが重複するものもあった。ジャーナリストは、単純な情報収集から共産主義国のスパイとの仲介役まで、あらゆる秘密の仕事を行なった。記者は自分のノートをCIAと共有していた。編集者たちはスタッフを共有していた。ジャーナリストの中にはピューリッツァー賞を受賞した優秀な記者もいて、別に認証されているわけではないが、アメリカ大使を自認しているものもいた。大半の記者はそれほど高い地位に就いているわけではない:CIAとの関係が仕事に役立っていることを知った海外特派員;記事を提出するのと同しくらいスパイ業の大胆さに興味を持っている通信員やフリーランサー;そして、数は一番少ないが、海外でジャーナリストを自称するフルタイムのCIA職員。多くの場合、CIAの文書によると、ジャーナリストはアメリカの主要な報道機関の経営陣の同意を得て、CIAの任務を遂行していた。

CIAとアメリカの報道機関との関わりの歴史は、「曖昧にする」、「欺く」という公式政策があるためずっと覆い隠されている。その中心的な理由は以下:

■ジャーナリストたちの利用は、CIAが採用する情報収集手段の中で最も生産的なもののひとつである。1973年以来、CIAは(主にメディアからの圧力の結果)記者たちの利用を大幅に減らしているが、一部のジャーナリスト工作員はまだ海外に配置されている。

■CIA高官らの話によれば、この問題をさらに調査すれば、1950年代から1960年代にかけて、アメリカのジャーナリズム界で最も有力な組織や個人との一連の都合の悪い関係があったことが明らかになるのは必至だという。

CIAに協力した幹部には、コロンビア放送のウィリアーン・ペイリー、ティルン社のヘンリー・ルース、ニューヨーク・タイムズ紙のアーサー・ヘイズ・サルツバーガー、ルイヴィル・クーリエ・ジャーナル紙のバリー・ビンガム・シニア、コプリー・ニュース・サービス紙のジェームズ・コプリーなどがいる。CIAに協力したその他の組織には、アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(ABC)、ナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー(NBC)、AP通信、ユナイテッド・プレス・インターナショナル、ロイター通信、ハースト新聞、スクリップス・ハワード、ニューズウィーク誌、ミューチュアル放送システム、マイアミ・ヘラルド、旧サタデーイブニングポストとニューヨーク・ヘラルド・トリビューンなどがある。

CIA高官らによれば、これらの中で最も価値があるのは、ニューヨーク・タイムズ紙、CBS、タイム社との連携だという。

CIAによる米国のニュースメディアの利用は、CIA高官たちが公に認めたり、議員との非公開会議で認めたりしたよりもはるかに広範囲に及んでいる。真相の概要ははっきりしている。しかしその具体的な内容を突き止めるのはそれほど簡単ではない。CIAの情報筋は、ある特定のジャーナリストがCIAのために東欧全域で不正取引をしていたことをほのめかしている;このジャーナリストは「違う、支局長と昼食をとっただけだ」と言っている。有名なABC特派員が1973年までCIAのために働いていたとCIA情報筋は断言している。が、それが誰なのかは明かそうとしない。すばらしい記憶力を持つCIA高官は、ニューヨーク・タイムズ紙が1950年から1966年の間に約10人のCIA工作員に「隠れ蓑」を提供したと言っている。しかし、その10人が誰だったのか、新聞社の経営陣の誰がお膳立てをしたのか、についてこの高官は知らない。

CIAは、いわゆる「大手」メディアとの特別な関係により、最も貴重な工作員の一部を20年以上にわたって、露見することなく、海外に配置することができた。ほとんどの場合、CIAの最高レベルの高官 (通常は局長か副局長) が、指定された協力報道機関の最高経営人のひとりひとりと個人的に対応したことを、CIAの書類は示している。提供された援助は、しばしば2つの形態をとる:外国の首都に赴任しようとしているCIA工作員のための仕事と資格証明(CIA用語で言えば「ジャーナリストとしての隠れ蓑」)を提供すること。そして、すでにメディアの職員になっているCIA工作員を記者として扱うこと。その中にはメディア界で超有名な特派員も含まれている。

現地では、ジャーナリストを使ってその国の人間を工作員として採用し、担当した;①情報を入手して評価し、②外国政府関係者に虚偽の情報を仕掛けること、がその役割だった。多くの人が秘密保持契約に署名し、CIAとの取引について何も漏らさないと誓った。雇用契約を結んだ者もいれば、作戦要員として割り当てられ、破格の敬意をもった待遇を受ける者もいた。また、同様の任務を遂行していたにもかかわらず、CIAとの関係があまりはっきりしていなかった者もいた。彼らは海外出張の前にCIA職員から説明を受け、その後結果報告をし、外国の諜報員との仲介役として利用された。CIAは、多くの協力ジャーナリストがCIAのために行なったことの大部分を「報道」と適切に表現している。「お願いがあるのですが」とCIAの上級高官が言った。「あなたはユーゴスラビアに行く予定だと聞いています。全ての通りが舗装されていますか?どこで航空機を見ましたか?軍事的動きの兆候はありますか?ソ連人を何名見ましたか?もしソ連人に出会うことができたなら、彼の名前を聞いてその正確なスペルを確認してください。・・・そのための会議を設定できますか?あるいはメッセージを伝えられますか?」多くのCIA関係者は、これらの協力的なジャーナリストを工作員と見なしていた。ジャーナリストたちは、自分たちをCIAの信頼できる友人と位置付けていた。彼らは時折CIAの利益につながることはするが、それもたいていは無報酬で、国益のためにやっていた。

「私はそれを頼まれたことを誇りに思いますし、それを成し遂げたことを誇りに思っています」と、ジョセフ・オールソップは語った。彼は、彼の弟だった今は亡きコラムニストのスチュワート・オールソップと同様、CIAの秘密任務に従事した。「新聞記者には国家への義務がないという考えは完全に的外れです」と彼は述べた。

CIAから見れば、そのような関係には何の不都合もなく、倫理的な問題はCIAではなく、ジャーナリズム側が解決すべき問題だ。元ロサンゼルス・タイムス紙の特派員であるスチュアート・ローリーがコロンビア・ジャーナリズム・レビューで書いている:「記者証を持つ海外在住のアメリカ人でCIAから報酬を受け取る情報提供者が一人でもいれば、その資格を持つ全てのアメリカ人は疑わしい存在となる・・・。ニュース業界と政府が直面している信頼の危機を克服するためには、ジャーナリストたちは、他者に執拗に注目するのと同じ視点を自らに向ける覚悟を持たなければならない」。しかし、ローリーも指摘しているように、「新聞社、テレビ局の記者たちがCIAの給与リストに掲載された」と報道された際、そのニュースで一時は騒然となったが、その後それは立ち消えになった」。

フランク・チャーチ上院議員が議長を務める上院情報委員会による1976年のCIAの調査で、CIAの報道機関への関与がどれほどだったか、委員会のメンバー数人と職員の二、三人の捜査官に明らかになった。しかし、ウィリアム・コルビー元長官やジョージ・ブッシュ元長官を含むCIAの高官は、委員会に対し、この問題に関する調査を制限し、最終報告書の中で活動の実際の範囲を意図的に歪曲するよう説得した。複数巻の報告書には、ジャーナリストの利用について、意図的に曖昧で、時には誤解を招くような言葉で議論されている9ページが含まれている。CIAのために秘密の任務を引き受けたジャーナリストの実際の数には言及していない。また、CIAと協力する上で新聞や放送の幹部が果たした役割を十分には説明していない。

「工作員」メディアの実際―CIA方式

大半のジャーナリスト工作員が果たす役割を理解するためには、アメリカ情報機関向けの内密の仕事に関するいくつかの神話を排除する必要がある。アメリカ人工作員で、一般の人々が考えているような「スパイ」はほとんどいない。「スパイ活動」(外国政府から秘密を入手する)は、ほぼ常にCIAによって採用され、その国でCIAの管理下にある外国人によって行なわれる。したがって、外国で内密に働くアメリカ人の主な役割は、しばしばアメリカの情報機関に届く秘密情報の入手経路である外国人の採用とその「スパイ活動」の支援だ。

多くのジャーナリストがこの手順を助けるためにCIAに利用され、彼らはこの分野で最も優秀であるという評判を得ていた。外国特派員という仕事の特異な性質は、このような仕事には理想的である。彼は相手国から異例の情報入手特権が与えられる。他のアメリカ人が立ち入ることのできない地域を旅行することを許され、政府や学術機関や軍事組織、そして科学界の情報源を開拓することにたっぷり時間を費やす。彼は、情報源と長期にわたる個人的な関係を築く機会があり、おそらく他のどんなアメリカ人工作員よりも、スパイとして採用する外国人がどれほどその話に乗ってくるか、どこまで利用できるかについて正しい判断を下せる立場にある。

「外国人が採用された後、作戦要員はしばしば背後にいなければなりません」とあるCIA高官は説明した。「そこで、両方の当事者との間でメッセージを伝えるためにジャーナリストを使うのです」。

現場のジャーナリストは、通常、他の潜入捜査官と同じ方法で任務を遂行した。例えば、ジャーナリストがオーストリアを拠点としていた場合、彼は通常、ウィーン支局長の一般的な指示の下にあり、作戦要員に報告する。一部、特に海外出張の多い海外特派員や米国を拠点とする記者は、バージニア州ラングレーのCIA職員に直接報告していた。

彼らが行なった任務の中には、CIAのための「目と耳」にすぎないものあれば、東ヨーロッパの工場で見たことや聞いたこと、ボンでの外交レセプションでの出来事、ポルトガルの軍事基地の周辺での出来事などを報告することもあった。また、巧妙に作り上げられたデマ情報を流すこと、アメリカの工作員と外国のスパイを引き合わせるためにパーティーやレセプションを主催すること、外国の上流ジャーナリストに「敵向け偽」宣伝文を昼食や夕食の席で提供すること、外国のスパイとやり取りされる極めて機密性の高い情報の中継地点としてホテルの部屋や事務所を提供すること、外国政府のCIA制御下のメンバーに指示を伝達したり、ドルを渡すことなど、彼らの任務は多岐にわたった。

多くの場合、CIAとジャーナリストとの関係は、昼食や一杯やったり、そして気軽な情報交換など、堅苦しくないところから始まる。その後、CIA職員は、例えば、普通では行けない国への旅行などの便宜を図ることがある。その見返りとして、彼はその記者に報告する機会を求めるだけだった。さらに数回昼食をとり、さらにいくつかの好意を伝え、そのときになって初めてきちんとした手筈を口にすることになる。「それは後になってからです」と、あるCIA高官は言った。「そのジャーナリストを思いどおりに操れるようになってからです」。

別の高官が、(CIAによって工作員として認証された)記者(CIAから報酬が出る場合もある、無報酬の場合もある)が、どのようにしてCIAによって利用されるか、典型的な例を説明した。「我々が情報を提供する見返りとして、ジャーナリストとしてぴったりのことを頼みます。それも我々が言わなければ、彼らにはわからないようなことを、です。たとえば、ウィーンの記者が我々の部下に、「私はチェコ大使館の面白い副官に会いました」と言ったとします。我々は言います、「彼と親しくなれますか?そして彼と親しくなった後、(その人物を)評価していただけますか?そして、彼を私たちと連絡させていただいてもよろしいですか?あなたのアパートを使用させていただいてもよろしいですか?」

記者の正式な採用は一般的に、記者の徹底的な身元調査を経た後に、上層部が行なった。実際に記者に接近するのは副部長や課長レベルだろう。場合にもよるが、記者が秘密保持の誓約書にサインするまで、記者がこの話し合いに入ることは一切なかった。

「秘密保持契約は、幕屋 [訳注:聖書 に登場する移動式の神殿] に入るための儀式のようなものでした。その後はルールに従って行動する必要があります」と、元CIA長官補佐官は語った。西半球の元秘密情報長官で、自身も元ジャーナリストのデイビッド・アツリー・フィリップスは、インタビューの中で、過去25年間に少なくとも200人のジャーナリストがCIAと秘密保持契約または雇用契約を結んだと推定した。1950年にCIAに採用された当時、チリのサンチャゴで小さな英字新聞を所有していたフィリップスは、その接近の仕方について語っている:「CIAの誰かが言います。『私を助けてほしい。私はあなたが信頼できるアメリカ人であることを知っています。あなたに事の次第を伝える前に、あなたには一枚の紙に署名してほしいのです』と。私は署名を躊躇しなかったし、多くの新聞記者もその後の20年にわたって私と同じように署名には何の躊躇もなかった」と説明した。

「記者を誘う際、私達が常に有利に進めていた点の一つは、彼らを本社でより優れた記者に見せることができたことです」と、記者たちとの一部の取り決めを調整したCIAの職員が述べた。「CIAとつながりのある在外特派員は、競争相手よりも良質の情報を手にする確率がはるかに高かったです」。

CIA内において、ジャーナリスト工作員たちは、高位のCIA職員たちと同じ経験を共有していることで、エリートの地位を与えられた。多くがCIA実力者たちと同じ学校に通い、同じ人脈を持ち、流行に沿ったリベラル派で、共産主義に反対する政治的価値観を共有し、戦後のアメリカのメディア、政治、学界の上層エリートを構成する「学閥OB会」に入っていた。その中でも最も価値のあるジャーナリストたちは、お金ではなく国のため、と心底思っていたのだ。

CIAは、欧州西部(「ここが大きな焦点でした。脅威があったからです」とひとりのCIA高官は語っている)やラテンアメリカ、そして極東でジャーナリストを秘密工作に最も広範囲に使っていた。 1950年代と1960年代には、ジャーナリストが仲介者として使われた。イタリアのキリスト教民主主義党とドイツの社会民主主義党のメンバーに対して、だれが標的かを伝え、支払いを行ない、指示を伝える役割を彼らは果たした。 この期間中、「東から誰が来て何をしているのかを把握し続けるために、ベルリンやウィーンのあちこちにジャーナリストが配置されました」とあるCIAが説明している。

60年代、CIAはチリのサルバドール・アジェンデに対する攻勢において、記者たちはいろいろな場面で利用された。彼らはアジェンデの対立者に資金を提供したり、CIA傘下出版物用にチリで配布する反アジェンデ宣伝文書を書いた。(CIAの関係者は、アメリカの新聞の内容に影響を与えようとはしていないと主張しているが、幾ばくかの副作用は避けられていない。チリ攻撃中に電信でサンチャゴから送信されたCIAによる敵向け偽情報は、しばしばアメリカの出版物に掲載された)。

CIA高官たちの話によると、CIAは、事が露見するとアメリカ合衆国に対する外交制裁や、いくつかの国でのアメリカ人記者の永久的な活動禁止になりかねないという理由から、東欧ではジャーナリスト工作員の使用を控えめにしてきたとのことだ。同じCIA高官たちの話だが、ソ連でのジャーナリストの利用はそれ以上に制限されていると言っている。この件について話をすることについては、彼らは、以前も今も、きわめて口が堅い。ただし、彼らの話が一貫しているのは、大手メディアのモスクワ特派員がCIAによって「任務を与えられた」り、操作されることはない、という点だ。

CIA高官たちの話によれば、しばしば米ソ関係の浮沈をもたらす止むことのない外交ゲームの一環としてCIAはアメリカ人記者たちをその組織に取り込んでいるという虚偽の告発をソ連はずっと行なってきた。(しかし)ロシア側による、ニューヨーク・タイムズ紙のクリストファー・レン記者とニューズウィーク誌のアルフレッド・フレンドリー・ジュニア記者に対する直近の告発には何の根拠もない、とCIA高官たちは言っている。

とは言っても、CIAがジャーナリストを隠れ蓑として使い、ジャーナリストと秘密の関係を維持し続ける限り、このような告発は止まないだろう、とCIA高官たちは認めている。そして、CIAがジャーナリストを使うことをどんなに禁止しても、記者をそのような疑惑から解放することはできないだろう、と多くのCIA高官たちは言っている。ある消息筋は「平和部隊を見てください。私たちと平和部隊は何の関係もないのに、彼ら (外国政府) はいまだに平和部隊を追い出しているのです」と述べている。

CIAと報道機関との関係は、冷戦の初期段階に始まった。1953年にCIA長官に就任したアレン・ダレスは、アメリカで最も権威のあるジャーナリズム機関に工作員採用と偽装工作の能力を確立しようとした。ダレスは、公認の特派員を装って活動することで、海外にいるCIAの諜報員には、他のどのような偽装工作でも得られないような情報取得権と移動の自由が与えられると考えた。

アメリカの出版社は、当時の他の多くの企業や組織のリーダーと同様、「世界共産主義」との闘いに会社の資源を喜んで投入していた。したがって、アメリカの報道機関と政府を隔てる伝統的な境界線は、しばしば区別がつかなかった。つまり、主要株主や発行人主幹、そして上級編集者のいずれかも知らず、また同意もなしに、海外のCIA工作員の偽装工作に通信社が使われることはめったになかった。このように、CIAがジャーナリズム界に陰湿に浸透していたという考えとは裏腹に、アメリカの主要な出版社や報道機関の幹部たちが、自分たち自身や自分たちの組織が情報機関の手先となることを容認していたという証拠は十分にある。ウィリアム・コルビーはチャーチ委員会の調査員たちに、「頼むから、無能な記者たちをいじめるのはよそう!」と叫んだことがある。「経営陣のところに行こう。彼らはものが分かっていたよ」。 この記事の冒頭に掲載したものを含め、全部で約25の報道機関がCIAのために偽装工作をした。

ダレスは、取材能力に加え、海外から帰国したアメリカの記者に対して「デブリーフィング(事後報告)」手続きを導入した。この手続きでは、記者は定期的にノートを空にし、印象をCIA職員に伝えることが求められた。このような取り決めは、ダレスの後継者たちによって継続され、現在に至るまで、数多くのニュース機関と行われている。1950年代には、帰国した記者たちがCIA高官たちに船で出迎えられることも珍しくなかった。「CIAから来た連中がIDカードをひけらかし、まるでエール・クラブ*にいるような様子でした」と、かつてのサタデー・イブニング・ポスト紙の特派員で現在は元副大統領ネルソン・ロックフェラーの報道官を務めるヒュー・モローは述べた。「それが当り前になってしまっていたので、もし声がかからないと少しムッとするほどでした」。
エール・クラブ*・・・ニューヨークのミッドタウン・マンハッタンにあるプライベート・クラブ。会員資格はエール大学の卒業生と教職員にほぼ限定されている。エール・クラブの会員数は全世界で11,000人を超える。1915年にオープンしたヴァンダービルト通り50番地にある22階建てのクラブハウスは、完成当時世界最大のクラブハウスであり、現在でも大学のクラブハウスとしては最大規模である。(ウィキペディア)

CIA高官たちが、CIAに協力したジャーナリストの名前を明かすことはほぼない。彼らは、最初の関係を生み出したものとは異なる文脈でこれらの個人を判断するのは不公平であると述べている。「政府に仕えることは犯罪ではないと考えられていた時代がありました」と、苦々しさを隠さない高位にあるひとりのCIA高官は述べた。「これらはすべて、当時の文脈の中で判断する必要があります。後々の基準 (偽善的な基準) に照らしてはなりません」。

第二次世界大戦を取材したジャーナリストの多くは、戦時中のCIAの前身である戦略サービス局(the Office of Strategic Services=OSS)の人々と親しかった。もっと重要なのは、彼らはみんな同じ側にいたということだ。戦争が終わり、多くのOSS関係者がCIAに入ったとき、これらの関係が続くのは当然だった。一方、戦後第一世代のジャーナリストがジャーナリズムの世界に入った。彼らはCIA職員たちの助言者として同じ政治的、職業的価値観を共有していた。「第二次世界大戦中に一緒に働いて、それを乗り越えることができなかった人々の一団がいたということです」とCIA高官の一人は言った。彼らは純粋にやる気があり、陰謀や内輪のなかにいることに非常に敏感だった。その後、1950年代と1960年代には、国家的脅威に関して国民的合意があった。ベトナム戦争がすべてを破壊し、合意を引き裂き、雲散霧消させた」。別のCIA高官はこう述べた。「多くのジャーナリストはCIAと関わることに何のためらいもなかった。しかし、ほとんどの人が水底に沈めていた倫理的な問題がついに表面化するという時期がやってきた。今日、これらの人々の多くは、自分たちとCIAとの関係を必死に否定している。

当初から、ジャーナリストの利用はCIAの最も機密性の高い取り組みの一つであり、その全容を知るのは中央情報局長と選ばれた数人の代理に限られていた。ダレスとその後継者たちは、ジャーナリスト工作員の正体がばれたり、CIAと報道機関との取引の詳細が公になったりしたらどうしようと恐れていた。その結果、報道機関のトップとの接触は通常、ダレスと彼の後継CIA長官、偽装工作を担当する副長官や課長(フランク・ウィズナー、コード・マイヤー・ジュニア、リチャード・ビッセル、デズモンド・フィッツジェラルド、トレイシー・バーンズ、トーマス・カラメシーンズ、リチャード・ヘルムズ(元UPI特派員))、そして時折、特定の出版社や放送局の幹部と異例なほど親密な社交関係にあることが知られているCIA階層の他の者によって主導された。(原注1)
(原注1)ジョン・マッコーン(John McCone)(1961年から1965年までCIA長官)は最近のインタビューで、「事後報告や協力の交換については山ほど知っていましたが、CIAがメディアと偽装工作の取り決めをしていたということについては何も知りませんでした」と述べた。「私はそれを必ずしも知っていたわけではありませんでした。ヘルムズだったらそんなこともしたでしょう。彼が私に『私たちはジャーナリストを偽装工作に使うつもりだ』と言ってくることは通常ありません。彼はやるべき仕事がありました。私の在任中『その水域には近づくな!』という方針があったわけではなく、『行け!』という方針もありませんでした」。チャーチ委員会の公聴会中、マッコーンは、部下が国内の監視活動やフィデル・カストロ暗殺計画に取り組んでいることを告げなかったと証言している。当時、副長官であったリチャード・ヘルムズは、1966年に長官になった。

最近になって対諜報活動の責任者から外されたジェームズ・アングルトンは、機密性の高い頻繁に危険な任務を遂行したジャーナリスト工作員を完全に独立させ、運営していた。このグループについてはごくわずかしか知られていない。アングルトンが意図的に茫漠とした資料しか残していなかったからだ。

CIAは1950年代、諜報部員たちにジャーナリストになるための正式な訓練プログラムまで実施していた。諜報部員たちは「記者のように騒ぐことを教えられた」とあるCIA高官は説明する。このCIA高官は、「彼らは、『君はジャーナリストになるんだ』と言われながら出世していったのです」と語った。しかし、CIAの書類に記載されている400人の関係者のうち、このようなパターンに従ったものは比較的少なく、ほとんどは、CIAのために仕事を始めたときにはすでに正真正銘のジャーナリストだった。

CIAのファイルに記載されているジャーナリストとの関係には、次のような一般的な分類区分がある:

■ニュース機関の正規で認定された部員は、通常は記者だ。その中には有給の者もいれば、純粋にボランティアとしてCIAで働く者もいた。このグループには、CIAのために様々な任務を遂行した高名なジャーナリストの多くが含まれている。ファイルには、新聞や放送ネットワークによって記者に支払われる給与が時折、CIAから名目の支払いとして補足されたことが記載されている。これは、被雇用者や旅費、または特定の仕事の対価という名目でCIAから支払われたものだ。ほとんどは現金で支払われた。認定されたカテゴリーには、カメラマンや外国のニュース支局の管理職、そして放送技術クルーのメンバーも含まれている。

1960年代のCIA高官たちによると、CIAが最も貴重な個人的関係を築いた2人の記者は、ラテンアメリカを報道したジェリー・オレアリー(Washington Star)とハル・ヘンドリックス(Miami News)だった。ハル・ヘンドリックスはピューリッツァー賞を受賞した人物で、国際電話電信公社(ITT)の重役となった。ヘンドリックスは、マイアミのキューバ亡命コミュニティに関する情報を提供する点でCIAに大変協力的だった。オレアリーは、ハイチとドミニカ共和国において貴重な資産と考えられていた。CIAのファイルには、両名がCIAのために行なった活動に関する詳細な報告書が含まれている。

ジェリー・オレアリー(Jerry O’Leary)は、彼のやり取りが、海外の記者とその情報源の間で行なわれる通常の「持ちつ持たれつ(give-and-take)」の関係に限定されていたと主張している。 CIA高官たちはこの主張を否定している。「ジェリーは私たちのために報告をしてくれたことに何の疑問もありません。ジェリーは私たちのために(見込みのある工作員であるかどうかの)評価と特定をしてくれました。しかし彼は、私たちにとっては記者としての方が有能でした」とひとりのCIA高官が言った。ジェリー・オレアリーが否定したことについて、その高官は次のように付言した。「彼が何を心配しているのか、私には分かりません。上院があなたたちジャーナリストに授けたその品位のマントがあればいいではないですか」と。

オレアリーは、意見の相違を言い方の問題に帰している。「私は彼らに電話をかけて『パパ・ドック*が淋病にかかっていますよ、それを知っていましたか?』などと言うかもしれませんが、彼らはその情報をファイルに入れるだけです。私はそれを彼らへの報告とは考えません・・・彼らと親交を結ぶことは役に立ちますし、一般的に、私は彼らに親しみを感じていました。しかし、どちらに有益だったかと言えば、それは彼らのほうだと思います」。 オレアリーは、特にヘンドリックスと同じ文脈で語られたことについては反発した。「ハル(=ヘンドリックス)は本当にCIAのために仕事をしていました」とオレアリーは言った。「私はまだワシントン・スターの社員です。彼はITTに就職しました」。 ヘンドリックスにはコメントを求めることができなかった。CIA高官たちによると、ヘンドリックスもオレアリーもCIAから給与を受け取ってはいない。
パパ・ドック*・・・フランソワ・デュヴァリエ(フランス語: François Duvalier、1907年4月14日 - 1971年4月21日)は、ハイチの政治家。医師として名声を得て「パパ・ドク」という愛称で親しまれ、大衆的な人気を背景にして同国の大統領に当選するも就任後は独裁者となってブードゥー教を利用した個人崇拝を行い、民兵組織トントン・マクートで政敵を粛清し、およそ3万人のハイチ人が死亡したといわれ、それを逃れて亡命した知識人たちがハイチには戻ることはなかった。1964年から終身大統領となり、また、息子のジャン=クロードにその地位を引き継がせ、親子で30年近くにも及んだ支配はデュヴァリエ王朝と呼ばれた。(ウィキペディア)

■通信員(原注2)やフリーランサー。ほとんどは標準的な契約条件の下でCIAに雇用されていた。彼らのジャーナリズムの資格は、しばしば協力するニュース機関によって提供された。情報はニュース記事にまとめられる場合もあるし、CIAにのみ報告される場合もあった。CIAは、通信員がCIAのためにも働いていることをニュース機関に通知しないこともあった。
(原注2)通信員とは、1社または数社の報道機関に雇用契約を結んで、または出来高払いで勤務する記者のことである。

■所謂CIA「所有会社」の職員。過去25年間、CIAはCIA工作員に優れた偽装工作を提供する多数の外国の報道機関、雑誌、新聞(英語もあるし外国語もあった)に密かに資金提供してきた。そのような出版物の1つがローマ・デイリー・アメリカンであり、同紙の40%は1970年代までCIAが所有していた。デイリー・アメリカンは今年廃業した。

■編集者、発行人、放送ネットワークの幹部。CIAと大半のニュース幹部たちとの関係は、通信員やフリーライターとは根本的に異なっていた。通信員やフリーライターは、CIAからの指示を受けとることがはるかに多い。アーサー・ヘイズ・サルツバーガー(ニューヨーク・タイムズ紙)などごく少数の幹部は秘密保持契約に署名している。しかし、そのような正式な取り決めはまれだった。CIA高官とメディアの幹部との関係は通常、社交的なものだった。ある情報源が述べたように、「ジョージタウンのP通りとQ通り枢軸*なのですよ。裏切るな!という契約書にウィルハム・ペイリー*の署名を求める人間などいません」。
ジョージタウンのP通りとQ通り枢軸*・・・ポトマック川沿いにある一区域(ワシントンDC)。当時CIAを始め、各国の諜報員やメディアの幹部たちが交流し、互いに情報を探り合っていた。「p’s and q’」は「互いに礼節を守り、言動に注意しよう」というほどの意味(英辞郎)
ウィルハム・ペイリー*・・・英国国教会の聖職者、キリスト教の弁証者、哲学者、そして功利主義者。彼は、時計職人のアナロジーを利用した著書『自然神学または神の存在と属性の証拠』の中で、神の存在についての目的論的議論を自然神学で説明したことで最もよく知られている。(ウィキペディア)


■コラムニストやコメンテーター。CIAとの関係が、通常の記者と情報源との関係をはるかに超えている有名なコラムニストや放送コメンテーターは、おそらく十数人いるだろう。彼らはCIAでは「既知の資産」と呼ばれ、様々な秘密任務を遂行することが期待できる;彼らは、様々な問題に関するCIAの見解を受け入れると考えられている。CIAとそのような関係を維持した最も広く読まれているコラムニストの3人は、ニューヨーク・タイムズ紙のサイ・L・サルツバーガー、そしてニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙やサタデー・イブニング・ポスト紙、そしてニューズウィーク誌にコラムを掲載したジョセフ・オールソップと故スチュワート・オールソップである。CIAの資料には、3人が引き受けた具体的な仕事の報告が含まれている。サルツバーガーは今でもCIAの活動的資産と見なされている。あるCIA高官によれば、「若いサイ・サルツバーガーには使い道がありました・・・。機密情報を渡したので、彼は秘密保持契約書にサインしました・・・。持ちつ持たれつでした。私たちは「これを知りたいのです。これを教えればあなたに何か見返りはありますか?」彼はヨーロッパには詳しかったので、「開け、ゴマ!」の魔法の呪文を持っているようなものでした。私たちは、彼にただ報告することだけを頼みました:「どんなことを話していましたか?」「どんなようすでしたか?」「健康でしたか?」などです。彼はとても熱心で、喜んで協力してくれました」。複数のCIA高官によれば、あるとき、サイ・サルツバーガーはCIAから報告資料を渡された。それはニューヨーク・タイムズ紙に掲載された彼の署名記事と一字一句違わないものだった。「サイがやってきて『記事を書きたい。何か背景資料はないか?』と言ったので、我々はそれを彼に背景資料として渡しました。サイはそれを印刷所に回し、それに自分の名前を載せました」。サルツバーガーは、そのようなことはなかったと否定している。「まったくのでたらめだ!」と彼は言った。

サルツバーガーは、自分がCIAから正式に "任務"を与えられたことは一度もなく、「スパイ業務に近づくことはなかった」と主張している。「私の関係は完全に非公式なものだった。彼らは私を資産と考えているはずだ。彼らは私に質問することはできる。スロボビアに行くことを知ると、彼らは『戻ったら話ができますか?』と言うんだ。あるいは、ルリタニア政府のトップが乾癬を患っているかどうかを知りたがる。でも、そんな連中から仕事を受けたことはない・・・。ウィズナーはよく知っているし、ヘルムズやマコーン(ジョン・マコーン元CIA長官)ともよくゴルフをした。しかし、私を利用するには、よほど巧妙でなければならなかっただろう」と彼は言った。

サルツバーガーは、1950年代に秘密保持契約に署名するよう求められたと述べている。「ある男がやってきて、『あなたは責任ある報道者ですので、機密扱いされるものを見せるならこれに署名していただく必要があります』と言われた。私は巻き込まれたくないと答えて、『私の叔父である(当時ニューヨーク・タイムズ紙の発行人だった)アーサー・ヘイズ・サルツバーガーが署名するように言うならそうする』と言ってやった」。その後、彼の叔父は同じような契約書に署名し、サルツバーガーも署名したと彼は考えているが確実ではない。「分からないな。20年余りというのは昔のことだよ」。彼はこの問題全体を「浴槽の中の泡のようなもの」と表現した。

スチュワート・オールソップとCIAの関係は、サルツバーガーよりもはるかに広範だった。CIAの最高レベルにいたある高官は、こうきっぱり言った:「スチュワート・オールソップはCIAの工作員だった」。同じように最高レベルのCIA高官は、オールソップとCIAの関係は正式なものだと言う以外、定義することを拒否した。他の情報筋によれば、オールソップは外国政府高官との話し合いでCIAに特に役に立った。CIAが答えを求めている質問を投げかけたり、アメリカの政策に有利な誤情報を仕込んだり、CIAが優秀な外国人を採用する際それが適正かどうかを評価してくれた。

「まったくナンセンスだ」とジョゼフ・オールソップは彼の弟がCIAの工作員だったという考えについて言った。「弟のスチュアートがCIAに非常に近い位置にいたと言ったって、私の方がそれより近かった。彼はアメリカ人として正しいことをしただけだ・・・(CIAの)創設者たちは私たちと個人的に親しい友人だった。ディック・ビッセル(元CIA副長官)は私の幼なじみだった。それは社交的なものだった。私は1ドルも受け取らなかったし、秘密保持契約書にも署名しなかった。その必要もなかった・・・正しいことだと思ったときには、彼らのために何かをしたこともある。私はそれを市民としての義務を果たすことと呼んでいる」。

オールソップは、彼が引き受けた仕事のうち、記録に残っている二つだけはよろこんで話してくれる。一つは、他のアメリカ人記者がラオスの蜂起について反米的な情報源を使っていると感じたフランク・ウィズナーの要請による1952年のラオス訪問である。1953年のフィリピン訪問では、彼がそこにいれば選挙の結果に影響を与えるかもしれないとCIAは考えた。「デス・フィッツジェラルドが私に行くよう強く薦めた。世界の目が彼らに向けられていれば、(ラモン・マグサイサイの反対派によって) 選挙が盗まれる可能性は低くなるだろう。私は大使宅に滞在し、事の顛末を書いた」とオールソップは思い起こした。

オールソップは、自分がCIAに操られたことはないと主張している。「関係の中に巻き込まれてCIAの影響下に入るなど無理な話しだ」と彼は言った。「言っておくが、私が書いたことは真実だ。私の目論見は事実を知ることだった。CIA内の誰かが間違っていると思ったら、私は彼らと話すのをやめた—私にガセネタを食らわせたからだ」。ひとつの事例として、リチャード・ヘルムズがCIAの分析部門のトップに中国国境沿いのソビエト軍の存在に関する情報を提供することを承認した、とオールソップは言った。「CIAの分析部門はベトナム戦争について完全に間違っていた—彼らはその戦争で逃げ切ることはできないと考えていた」とオールソップは言った。「そして、ソ連軍の増強についても間違っていた。私は彼らと話すのをやめた」。今、彼は言っている、「私たちの業界の人間は、CIAが私に行なった提案に憤慨するだろう。憤慨する必要はない。 CIAは自分を信頼していない人間に心を開くことはなかったのだ。スチュアートと私は信頼されていたし、私はそれを誇りに思っている」。

個人やニュース機関とのCIAの関係の曖昧な詳細は、1973年に初めてCIAが時折ジャーナリストを雇っていたことが明らかになった時点から漏れ始めた。これらの報告書は、新しい情報と組み合わされて、CIAが情報活動のためにジャーナリストを利用した事例研究として役立つ。それらには次のようなものが含まれる:

■ニューヨーク・タイムズ紙。CIAとの関係は、CIA高官たちの話によれば、新聞の中で最も価値のあるものだった。1950年から1966年まで、約10人のCIA職員が、同新聞社の発行人だった故アーサー・ヘイズ・サルツバーガーの承認を得た取り決めのもと、タイムズ紙の偽装工作を提供された。この偽装工作の取り決めは、サルツバーガーによって設定された一般的なタイムズ紙の方針の一環であり、可能な限りCIAに支援を提供することを目的としていた。

サルツバーガーはアレン・ダレスと特に親しかった。「あのレベルの接触は、最高責任者同士の話し合いですよ」と、その場にいたCIA高官は語った。「お互いに助け合うという原則的な合意はありました。偽装工作の問題は何度か出てきましたが、実際の取り決めの手配は部下が担当するということでした・・・最高責任者は詳細を知りたいとは思わなかったのです。いざという時に否定できなくなりますからね。

1977年9月15日に2時間にわたってCIAのジャーナリストに関する資料の一部を閲覧したCIA高官は、タイムズ紙が1954年から1962年の間にCIA職員の偽装工作を行なった5つの事例に関する文書を発見したと述べた。いずれの取り決めもニューヨーク・タイムズ社の上層部が行なったものだ。文書にはすべて、CIAの標準的な表現が含まれており、「ニューヨーク・タイムズ紙の上層部でチェックされていたことがわかる」とこの高官は語った。しかし、文書にはサルツバーガーの名前はなく、部下の名前だけが記されていた。ただこの高官はその名前を上げることを拒んだ。

タイムズ紙社員の資格を得たCIA職員は、海外で同紙の通信員を装い、タイムズ紙の海外支局の事務スタッフとして働いていた。ほとんどはアメリカ人で、2、3人は外国人だった。

CIA高官たちは、CIAとタイムズ紙の協力関係が他の新聞よりも密接で幅広かった理由を2つ挙げている:タイムズ紙がアメリカの日刊新聞業界で最大の外信部門を維持していたこと、そして両機関を運営する人間たちの間に緊密な個人的な結びつきがあったこと、だ。

サルツバーガーは、CIAとの一般的協力方針を一部の記者や編集者たちには伝えた。あるCIA高官は、「私たちは彼らと連絡を取っていました。向こうが私たちに話を持ちかけてきたり、何人かは協力しくれました」と述べた。協力は通常、情報を回してくれること、そして外国人の有望な工作員を「発見」することだった。

CIA高官たちの話によれば、アーサー・ヘイズ・サルツバーガーは1950年代にCIAと秘密保持契約を結んでいた。しかし、この協定の目的についてはさまざまな解釈がある: C.L.サルバーガーは、この契約は出版人であるアーサー・ヘイズ・サルツバーガーが入手できる機密情報を開示しないことを誓約したに過ぎないと述べている。他のCIA高官たちは、この契約はタイムズ紙とCIAとの取引、特に偽装工作に関わる取り決め決して明らかにしないという誓約であったと主張している。そして、すべての偽装工作は機密扱いであるため、機密保持契約は自動的に適用されると指摘する者もいる。

CIA職員にタイムズ社の資格を提供する実際の取り決めをしたのは同社のだれなのかを突き止めようとしたが、うまくいかなかった。ニューヨーク・タイムズ紙で1951年から1964年まで編集長を務めたターナー・キャデッジ (Turner Cadedge) は、1974年にスチュアート・ローリー (Stuart Loory) 記者に宛てた手紙の中で、CIAからの働きかけは同紙に拒絶されたと書いている。「私はCIAとの関与についてどんな関りがあったのか・・・ニューヨーク・タイムズ紙のどの外国特派員がそうだったのかについては何一つ知らなかった。CIAが私たちの部下に何度も申し入れをしているのは耳にしていた。彼らの特権、人脈、免責、そして、言ってみれば、優れた知性をスパイと情報提供という下劣な仕事に利用しようとしていたのだ。もし部下のうちのだれかが、甘言や現金の申し出に屈したとしても、私はそれに気づかなかった。CIAや他の秘密機関は何度も繰り返して、特に第二次世界大戦中や戦後直後に、タイムズ紙の経営陣とさえ「協力」の取り決めをしようとしたが、我々は常に抵抗した。私たちの真意は、私たちの信用を守ることにあった」。

元タイムズ紙記者ウェイン・フィリップスによれば、CIAは彼がコロンビア大学のロシア研究所で学んでいる1952年に彼を秘密工作員として採用しようとした際、アーサー・ヘイズ・サルツバーガーの名前を引き合いに出している。フィリップスはCIA高官から、CIAはアーサー・ヘイズ・サルツバーガーと「機能する取り決め」を結んでおり、他の海外記者たちはCIAの給与リストに載せられていたと告げられたと述べている。フィリップスは1961年までタイムズ紙で勤務し続けた。後に彼は情報公開法に基づいてCIAの文書を入手。CIAが彼を海外で潜在的な「資産」として育てる意向があったことが分かった。

1976年1月31日、ニューヨーク・タイムズ紙は、CIAがフィリップスを勧誘しようとしたとする短い記事を掲載した。その記事の中で、現在の出版人であるアーサー・オックス・サルツバーガーは、「私が出版人として、または故サルツバーガー氏の息子として、タイムズ紙に(CIAからの)働きかけがあったことは聞いたことがありません」と述べている。ジョン・M・クルーソンによって執筆されたこのニューヨーク・タイムズ紙の記事は、元特派員(匿名)が海外の新しい任地に到着した後、CIAに勧誘されるかもしれないとアーサー・ヘイズ・サルツバーガーが、彼に語ったと報じた。サルツバーガーは、「同意する義務はない」と語り、出版人である自分は、協力を拒否してくれれば「そのほうが幸せ」に思うと記事は書いている。「しかし、それは私次第だと言われたのです」と元特派員(匿名)はニューヨーク・タイムズ紙に語った。「彼が伝えたかったメッセージは、もし私が本当にそれをしたいと思うなら、それはOKだが、タイムズ特派員には適切ではないと思う、ということでした」。

C.L.サルツバーガーは電話インタビューで、CIAの職員がタイムズ紙の偽装工作を使用したことも、同紙の記者がCIAのために積極的に働いたことも知らないと述べた。彼は1944年から1954年まで同紙の外交部長であったが、叔父(アーサー・サルツバーガー)がそのような取り決めを承認したとは思えないと述べた。サルズバーガーによれば、故出版人(アーサー・サルツバーガー)らしいのは、アレン・ダレスの弟で、当時国務長官だったジョン・フォスターと交わした約束で、ジョン・フォスター・ダレスの同意なしにタイムズ紙の職員が中華人民共和国訪問の招待を受けることは許されないというものだった。そのような招待状が1950年代に出版人の甥(C.L.サルツバーガー)に届いたが、アーサー・サルツバーガーはそれを受け取ることを禁じた。C.L.サルツバーガーは、「次のタイムズ紙特派員が招待されるまで17年かかったのです」と回想している。

■コロンビア放送協会(Columbia Broadcasting System)。CBSは、CIAにとって間違いなく最も貴重な放送資産だった。CBSの社長であるウィリアム・ペイリー(William Paley)とアレン・ダレス(Allen Dulles)は、仕事面でも個人的にも肩の凝らない関係だった。数年にわたり、CBSは、

① 少なくとも1人は有名な外国特派員、そして数名の通信員をCIA職員の偽装工作として提供した。また、
② CIAにNGとなったニュース映像を提供(原注3)した。
③ ワシントン支局長とCIAとの間に公式の情報伝達経路を確立した。
④ CBSのニュース映像ライブラリーにCIAを入ることを認めた。
⑤ CBS特派員がワシントン支局とニューヨークの報道部に報告する内容をCIAが定期的に監視することを許可した。

1950年代から1960年代初頭にかけて、CBS特派員は1年に1度、CIAの幹部たち共に非公開の夕食会や説明会に参加している。
(原注3)CIAの観点からすると、NGとなったニュースフィルムや写真ライブラリーに近づけることは極めて重要な問題である。CIAの写真アーカイブは、おそらく地球上で最大のものだ。その画像ソースには、衛星、写真偵察、飛行機、小型カメラ・・・そしてアメリカの報道機関が含まれる。1950年代と1960年代の間に、CIAは、文字どおり数十のアメリカの新聞、雑誌、テレビ、放送局の写真ライブラリーで白紙委任の借用特権を得た。明らかな理由から、CIAはフォトジャーナリスト、特にCBSの海外駐在カメラクルーのメンバー採用に高い優先順位を置いた。

CBS-CIA協定の詳細は、ダレスとペイリーの部下たちによって決められた。「CBS社長もCIA長官も細かい点を知りたがりませんでした」と、あるCIA高官は述べている。「両者とも指名した側近に仕事をさせました。そうすれば高みの見物ができるわけです」。25年間CBSの社長だったフランク・スタントンは、ペイリーとダレスが行なった一般的な取り決めについてはわかっていた。CIA高官たちの話によると、それには偽装工作に関するものも含まれていた。スタントンは、昨年のインタビューで、偽装工作の取り決めについては思い出せないと述べている。しかし、ペイリーがCIAとの取引の指名された連絡先は、1954年から1961年のCBSの社長を務めたシグ・ミケルソンだった。ミケルソンはある時、スタントンに対してCIAに電話をかけるために有料公衆電話を使わなければならないことに不満を述べた。スタントンは、だったらCBSの交換機を迂回するための専用回線を設置したらいいと言った。ミケルソンによれば、彼はそうしている。ミケルソンは現在、ラジオフリーヨーロッパとラジオリバティの社長であり、長年にわたってCIAと関係があった。

1976年、CBSニュースのリチャード・サラント社長は、CBSのCIAとの取り引きに関する社内調査を命じた。その調査結果の一部は、ロバート・シェアがロサンゼルス・タイムズ紙で初めて公表した。しかし、サラントの報告書では、1970年代まで続いたCIAとの彼自身の取引についてはまったく触れられていない。

CBSとCIAの関係に関する多くの詳細が、サラントの2人の調査員によってミケルソンの文書から発見された。その中に、1948年から1961年までCBSニュースのワシントン支局長であったテッド・クープからミケルソンに宛てた1957年9月13日のメモがあった。そこには、CIAのスタンリー・グローガン大佐からクープに電話があったことが書かれていた: 「リーヴス(J. B. ラブ・リーヴス、もう一人のCIA高官)がニューヨークのCIA連絡事務所の責任者になるためニューヨークに行くので、あなたとあなたの仲間に会いに行くとグローガンから電話があった。グローガンによれば、通常の活動はCBSニュースのワシントン支局を通じて行なうとのことである」。サラントへの報告書には、また、次のような記載がある: 「ミケルソンの文書のさらなる調査により、CIAとCBSニュースとの関係のいくつかの詳細が明らかになっている・・・ この関係の主事者はミケルソンとクープだった・・・ 主な活動はCBSのニュースフィルムをCIAに提供することだった・・・さらに、1964年から1971年まで、何本かのNGとなった映像を含む映像素材がCBSニュースフィルムライブラリーからCIAに提供された証拠があった。これはクープを介して、またはクープの指示に従って行なわれた(原注4)・・・ミケルソンのファイルには、CIAが訓練用にCBSのフィルムを使用したという記述もある・・・上記の全てのミケルソンの活動は機密基盤で処理され、CIAという言葉を明かさずに行なれた。映像は個々の郵便ポスト番号宛に個人の小切手で支払われた形で送信され・・・」また、ミケルソンは、報告書によれば、定期的にCIAにCBSの内部ニュースレターを送っている。
(原注4)1961年4月3日、クープはワシントン支局を去り、CBS社の政府関係部長となり、1972年3月31日に退職するまでその職にあった。 CBSの情報筋によれば、第二次世界大戦中、検閲局で副局長を務めたクープは、新しい職でもCIAとの取引を続けたという。

サラントの調査で、彼は次のような結論に達した:1958年から1971年までCBSテレビの記者であったフランク・カーンズは、「CIAの人であり、CBSの誰かとCIAの接触を通じてなんらかの形で給与を受けていた人物だった」。カーンズとCBSの通信員であるオースティン・グッドリッチは、CIAの秘密職員であり、ペイリーによって承認された取り決めの下で雇われていた。

昨年、ペイリーの広報担当者は、1954年にミケルソンと彼がCIAの代表者2人と会談した際、グッドリッチがCIAに所属していることについて話し合ったという元CBS特派員のダニエル・ショーの報道を否定した。この広報担当者は、ペイリーはグッドリッチがCIAで働いていたことは知らなかったと主張した。「私がこの仕事に就いたとき、ペイリーからCIAとの関係が続いていることを聞かされました。彼は私に2人のCIA工作員を紹介してくれました。グッドリッチの件やフィルムの取り決めについてみんなで話し合ったのです。当時はこれが普通の関係だと思っていました。当時は冷戦の真っ只中でしたし、通信メディアは協力的だと思っていました。ただ、グッドリッチの件はちょっとまずかったですね」とミケルソンは最近のインタビューで語っている。

ニューヨークのCBSニュース本社では、ペイリーのCIAへの協力は、否定はされているが、多くのニュース幹部や記者によって当然のことと考えられている。ペイリー (76) はサラントの調査員たちによるインタビューを受けなかった。CBS幹部の1人は「そんなことをしても何の役にも立たないだろう。それだけが彼が記憶を失っている唯一の問題なのだから」と言った。

サラントは昨年、本誌記者とのインタビューの中で、彼自身とCIAとの接触、そして前任者の慣行の多くを引き継いだ事実について語った。その接触は1961年2月に始まり、「シグ・ミケルソンと仕事上の関係があるというCIAの男から電話をもらいました。その男は『君のボスはすべて知っている』と言いました」。 サラントによれば、CIAの担当者は、CBSが編集されていないニュース映像をCIAに提供し続け、特派員をCIA高官たちによる報告会に参加させるよう要請したという。サラントは言った:「私は特派員の件はダメ、放送映像は見せるが、NGになった映像は見せられないと言いました。これは何年も、1970代初期まで続きました」。

1964年と1965年、サラントは、中国人民共和国にアメリカのプロパガンダ放送を送る方法を探求する極秘のCIA特殊任務を担当していた。その他の4人の研究チームメンバーは、当時コロンビア大学の教授であったズビグニュー・ブレジンスキー、マサチューセッツ工科大学の政治学教授であったウィリアム・グリフィス、およびワシントンポストカンパニーのラジオTV(原注5)の副社長であったジョン・ヘイブスだった。この事業計画に関連する主要な政府関係者には、CIAのコード・マイヤー、当時大統領補佐官であったマックジョージ・バンディ、当時のUSIA長官であったレナード・マークス、そして当時のリンドン・ジョンソン大統領の特別補佐官で今はCBSの特派員であるビル・モイヤーズが含まれていた。
(原注5)1965年にワシントン・ポスト社を退社して駐スイス米国大使となったヘイズは、現在はラジオ・フリー・ヨーロッパとラジオ・リバティーの会長を務めているが、この2つのメディアは1971年にCIAとの関係を断っている。ヘイズは、ワシントン・ポスト社の故フレデリック・ビービー会長 (当時) とこの対中国プロジェクトへの取り組みの道を開いたと述べた。ワシントン・ポスト紙の発行人であるキャサリン・グラハムは、この事業計画の性質を知らなかったという。事業計画の参加者たちは秘密保持契約に署名した。

サラントのこの事業計画への関わりは、レナード・マークスからの電話で始まった。「ホワイトハウスは鉄のカーテンの向こうにある米国の海外放送を調査するために、4人からなる委員会を作りたいと考えているとマークスは私に言ったのです」。サラントが最初の会議のためにワシントンに到着したとき、この事業計画はCIAの支援を受けていると言われている。「その目的は、『レッドチャイナ』に向けて短波放送を行う最善の方法を見極めることでした」と同氏は述べた。ポール・ヘンジーという名のCIA職員を伴って、4人の委員会はその後、ラジオ・フリー・ヨーロッパとラジオ・リバティー (当時はどちらもCIAが運営)、ボイス・オブ・アメリカ、そして軍ラジオが運営する施設を視察して世界中を回った。1年以上の研究の後、彼らはモイヤーズに報告書を提出。ボイス・オブ・アメリカによって運営され、中華人民共和国に向けて放送される放送事業を設立するよう、政府に進言するものだった。サラントは、1961 64年と1966年から現在まで、CBSニュースの責任者として二度のツアーに参加している。(この中国プロジェクト当時、彼はCBSの企業幹部だった。)

■タイムとニューズウィーク。CIAと上院の情報筋によると、CIAファイルには、この2つ週刊誌の元外国特派員や通信員との書面による合意書が含まれている。同じ情報筋は、CIAがこの2つの週刊誌の社員たちとの全ての関係を終了したかどうかは明らかにしなかった。アレン・ダレスはしばしば、タイム誌とライフ誌の創設者である故ヘンリー・ルースと良好な関係を持ち、ルースは自社の社員の一部がCIAのために働くことを快く受け入れ、ジャーナリズムの経験がない他のCIA工作員たちにも仕事と資格を提供することに同意した。

長年ルースのCIAとの個人的使者となっていたのはタイム社の副社長だったC.D.ジャクソンだった。彼は1960年から1964年に亡くなるまでライフ誌の発行人だった。タイムの幹部であったジャクソンは、1950年代初頭にアメリカの情報機関の再編成を勧告するCIAの後援を受けた研究の共同執筆者だった。ジャクソンは、ホワイトハウスで1年間ドワイト・アイゼンハワー大統領の補佐官としての時間を挟んでいたが、CIA職員にタイムの偽装工作を提供するための具体的な取り決めを承認している。これらの取り決めのいくつかは、ルースの妻であるクレア・ブースも認知する中で行なわれた。他のタイムの偽装工作の取り決めは、(ルースとやり取りをしたCIA高官たちによると)、1959年にタイム社の出版物のすべての編集方針を引き継いだヘドリー・ドノバンが認知する中で行なわれている。ドノバンは、電話インタビューで彼はそのような取り決めのこと何も知らなかった、と否定している。「私には(CIAからの)接触はなかったし、ルースがそのような取り決めを承認したとしたら驚きです。ルースはジャーナリズムと政府の違いを非常に綿密に考える人間なのですから」とドノバンは言った。

1950年代と1960年代初期に、タイム誌の外国特派員はCIAがCBS向けに行なっていたのと同じようなCIA主催の「情報伝達共有(ブリーフィング)」夕食会に出席していた。また、CIA高官たちの話によると、ルースは数多い海外出張から帰国した際に、ダレスや他の高官に定期的に説明することを常としていた。1950年代、1960年代にルースや彼の雑誌を運営していた人々は、外国特派員たちにCIAへの協力を勧めた。特に、情報収集や外国人採用に役立つ可能性のある情報をCIAに提供するよう促したのだ。

ニューズウィーク社では、同誌の上級編集者たちによって承認された取り決めの下、CIA職員が数人の外国特派員と通信員としての業務に携わっていた、とCIAの情報源は報告している。50年代半ば、ローマのニューズウィーク誌の通信員は、自分がCIAのために働いている事実をほとんど隠さなかった。1937年の創刊から1961年のワシントン・ポスト社への売却までニューズウィーク誌の編集者であったマルコム・ミュアは、最近のインタビューで、CIAと彼との関係は、海外出張後アレン・ダレスへの私的な情報伝達共有と、彼が承認したCIAによるニューズウィーク特派員の定期的な情報伝達共有の取り決めに限定されていたと述べた。彼はCIA工作員に偽装工作を提供したことはないが、ニューズウィーク誌の他の上層部は彼の知らないところでそうしていた可能性はある、と述べた。

「工作員の通信員がいるかもしれないとは思っていましたが、それが誰なのかはわかりませんでした」とミュアは言った。「当時、CIAはすべての責任ある記者とかなり緊密に連絡を取り合っていたと思う。アレン・ダレスが興味を持っているかもしれないことを聞くたびに、私は彼に電話していた・・・ある時、彼はCIAの部下の一人を指名して、私たちの記者と定期的に連絡を取り合うようにした。私は知っていたが、名前は思い出せない男だ。アレン・ダレスの組織には多くの友人がいた」。ミュアは、1945年から1956年までニューズウィークの外国人編集者だったハリー・カーンと、同時期に同誌のワシントン支局長だったアーネスト・K・リンドリーが「定期的にCIAのさまざまな仲間と接触していた」と述べた。

「私の知る限り、ニューズウィークの人間は誰もCIAのために働いていませんでした・・・私的な関係はありました。署名ですか? どうして? 私たちが知っていることは、彼ら (CIA) と国務省に話しました・・・私がワシントンに行ったとき、私はフォスター・ダレスかアレン・ダレスに何が起こっているのかを話しました・・・当時はそれは立派なことだと思っていました。私たちはみんな同じ側にいたのですから」。CIA高官たちの話によると、カーンとCIAとの取引はそこにはとどまっていなかった、という。1956年、彼はニューズウィーク社を退職し、ワシントンを拠点とするニュースレター「フォーリン・リポート」を運営した。カーンは購読者の身元を明かすことを拒否している。

1961年までニューズウィーク誌に在籍したアーネスト・リンドリーは、最近のインタビューで、海外に行く前にダレスや他のCIA高官と定期的に相談し、帰国するとすぐに情報伝達共有したと語った。「アレンの助力はたいへんなものでした。そのお返しをしたいと思っていました。私は海外で会った人々の印象を彼に伝えました。例えば、1955年のアジア・アフリカ会議から帰ってきたときなど、彼が主に知りたがったのはいろいろな人のことについてでした」と彼は語った。

ワシントン支局長リンドリーは、ニューズウィーク誌の東南ヨーロッパの通信員がCIAの契約職員であり、経営陣との取り決めに基づいて資格を与えられていることをマルコム・ミアから知ったと話した。「CIAから派遣されたこの人物をそのままにしておくのが良い考えかどうか、という問題が出てきました。最終的には、その関係を終了することになりました」とリンドリーは述べた。

CIAの情報筋によれば、ニューズウィーク紙がワシントン・ポスト社に買収されたとき、発行人のフィリップ・L・グラハムはCIA高官たちから、CIAがときどきこの雑誌を偽装工作目的に使っていることを知らされた。「フィル・グラハムが面倒見のいい人物であることは広く知られていました」とCIAの前副長官は言っている。「フランク・ウィズナーが彼とやりとりしていたのです」。1950年から1965年に自殺する直前までCIAの副長官を務めたウィズナーは、ジャーナリストたちが関与した多くの "闇"作戦の最高指揮官だった。ウィズナーは "強力ウーリッツァー*"という、メディアの協力を得て創り上げ、演奏した驚くべきプロパガンダ楽器を自慢するのが好きだった。フィル・グラハムはおそらくウィズナーの最も親しい友人だった。しかし、1963年に自殺したグラハムは、ニューズウィークとの偽装工作の詳細についてはほとんど知らなかったようだ、とCIA筋は語っている。
ウーリッツァー*・・・ウーリッツァー電子ピアノは、ウーリッツァー社が1954年から1983年まで製造・販売した電子ピアノ。金属のリードをハンマーで叩き、ピックアップに電流を誘導して音を出す。サウンドは異なるが、概念的にはロードス ピアノに似ている。( ウィキペディア)

当時香港支局のCIA職員であったロバート・T・ウッドによれば、1965年から66年にかけて、極東にいたニューズウィーク誌認定の通信員は、実際にはCIAの契約職員であり、CIAから1万ドルの年俸を得ていたという。ニューズウィーク誌の特派員や通信員の中には、1970年代までCIAとの秘密の関係を保ち続けた者もいた、とCIA情報筋は語っている。

ワシントン・ポスト紙とCIAとのやりとりについての情報は極めて大雑把だ。CIA高官たちの話によると、ポスト紙の通信員の何人かはCIA職員であったが、彼らは、ポスト紙の経営陣の誰が取り決めを知っていたかどうかは知らないと言っている。

1950年以降のワシントン・ポスト紙の主筆や編集長たちは、通信員やポスト紙の職員とCIAとの正式な関係を知らなかったと述べている。「何かが行なわれたとしたら、それは私たちの知らないところでフィルによって行なわれた」とそのうちの1人は述べている。一方、CIAの高官たちは、ポスト紙の職員が同社で働きながらCIAと秘密の関係を持っていたとはまったく言っていない。(原注6)
(原注6)ポスト紙の編集者フィリップ・ゲリンは、ポスト紙に入社する前はCIAで働いていた。

フィリップ・グラハムの未亡人で、現在ポスト紙の発行人であるキャサリン・グラハムは、ポスト紙やニューズウィーク誌の関係者とCIAとの関係について一度も知らされたことはないと言っている。1973年11月、グラハム夫人はウィリアム・コルビーに電話し、ポストの通信員や職員がCIAと関係があるかどうか尋ねた。コルビーは、CIAに雇われている職員はいないと断言したが、通信員についての質問には答えようとしなかった。

■ルイビル・クーリエ・ジャーナル。1964年12月から1965年3月まで、ロバート・H・キャンベルというCIAの秘密工作員がクーリエ・ジャーナル担当だった。CIAの高官筋によると、CIAが当時クーリエ・ジャーナルの編集長であったノーマン・E・アイザックスと結んだ取り決めの下で、キャンベルは同紙に雇われた。同紙の発行人だったバリー・ビンガムもこの取り決めを知っていたという。アイザックスもビンガムも、キャンベルが雇われた時に彼がCIA秘密工作員だったことを知らなかったと言っている。

キャンベルの採用に関する込み入った話は、上院委員会の調査中、1976年3月27日にジェームズ・R・ヘルツォークが書いたクーリエ・ジャーナルの記事で初めて明らかになった: 「1964年12月、28歳のロバート・H・キャンベルがクーリエ・ジャーナルの記者として採用されたとき、彼はタイプもできず、ニュース原稿の書き方もほとんど知らなかった」。そして、同紙の元編集長ノーマン・アイザックスの言葉を引用し、キャンベルがCIAの要請で採用されたことをアイザックスが彼に話したと書いている:「ノーマンは、(1964年に)ワシントンにいたとき、CIAの友人と昼食に呼ばれ、この若者を派遣して新聞記者の知識を少し身につけさせたいと言った」。キャンベルの採用はあらゆる面で非常に異例だった。彼の資格を確認する努力はなされておらず、彼の雇用記録には次の2つの表記があった: 「アイザックがこの男に関する手紙と調査資料を持っている」、そして「一時的な仕事のために採用した。参照チェックは未了、ないしはその必要なし」。

キャンベルのジャーナリストとしての能力は、同紙在籍中変わらなかったようで、「キャンベルが提出した記事はほとんど読めなかった」と元ローカル記事副編集長は言う。キャンベルの主要な報道担当の仕事の一つは、木製インディアン像に関する特集だった。それが掲載されることはなかった。同紙に在職中、キャンベルはオフィスから数歩離れたバーに頻繁に出入りしており、酒飲み仲間に自分がCIA職員であることを打ち明けていたという。

CIAの情報筋によれば、キャンベルがクーリエ・ジャーナル紙に来たのは、将来ジャーナリストとしての偽装工作をするときの信憑性を高め、新聞ビジネスについて少し知ってもらうためだった。クーリエ・ジャーナル紙の調査では、彼がルイビル(クーリエ・ジャーナル)に来る前に、フリーダム・ニュース社が発行するニューヨーク州ホーネルのイブニング・トリビューン紙で短期間働いていた事実も判明した。CIAの情報筋によれば、CIAはキャンベルを雇うために同紙の経営陣と取り決めをしたという。(原注7)
(原注7)ニューヨーク州ホーネルのイブニング・トリビューン紙の社長ルイス・ビュイッシュは、1976年にクーリエ・ジャーナル紙に、ロバート・キャンベルの採用についてほとんど覚えていないと語った。「彼はあまり長くそこにいなかったし、あまり印象がないのです」とビュイシュは語った。彼はその後同紙の経営からは引退している。

クーリエ・ジャーナル紙では、キャンベルはアイザックスと取り決めがあり、ビンガムによって承認された取り決めの下に雇われた、とCIAおよび上院の情報源が語った。「私たちは彼の給与が出せるようクーリエ・ジャーナル紙に金を支払った」と、この取引にかかわったあるCIAの高官は述べた。これらの主張に回答する手紙で、ルイビルを離れてウィルミントン・デラウェア州のニュース&ジャーナル紙の社長および発行人になったアイザックスは、「私にできるのは、次の単純な真実を繰り返し申し上げるだけです。つまり、私は一度も、どんな状況でも、どんなときにも政府工作員を雇用したことはありません、と。私も記憶をたどろうとしましたが、キャンベルの雇用は私にとってほとんど意味をなさなかったため、何も浮かびません・・・かと言って私が「だまされた」可能性がないと言っているわけではありません」。バリー・ビンガムは昨年の電話インタビューで、キャンベルの雇用について具体的な記憶がなく、新聞社の経営陣とCIAとの間になんらかの取り決めがあったかどうかは知らないと言った。しかし、CIA高官は、ビンガムを介して、クーリエ・ジャーナル紙が1950年代と1960年代にCIAに、詳細は不明の他の援助を提供していると述べている。キャンベルの雇用に関するクーリエ・ジャーナルの詳細な一面トップ記事は、父親に続いて1971年に紙の編集者および発行者として就任したバリー・ビンガム・ジュニアによって発表された。この記事は、この件について登場した新聞による自己調査の唯一の重要な記事だ。(原注8)
(原注8)報道とCIAというテーマについて、おそらく最も思慮深い記事を書いたのはスチュアート・H・ローリーで、コロンビア・ジャーナリズム・レビュー誌1974年9月—10月号に掲載された。

■アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー(ABC)とナショナル・ブロードキャスティング・カンパニー(NBC)。CIA高官たちの話によれば、ABCは1960年代を通して何人かのCIA工作員に偽装工作を提供し続けていた。そのうちの1人がサム・ジャフィで、CIA高官たちの話によれば、彼はCIAのために秘密裏の任務を遂行していたという。ジャフィはCIAに情報提供を行なったことだけは認めている。さらに、NBCの記者がCIAのために隠れた任務を遂行していた、とCIAの情報筋は述べている。上院の公聴会の時点で、最高レベルで勤務していたCIA高官たちは、CIAがABCニュース社のメンバーと今でも積極的な関係を維持しているかどうかについて明言を避けた。すべての偽装工作の取り決めは、情報源によれば、ABC幹部の了解のもとに行なわれていた。

これらの同じ情報源は、NBCの数人の外国特派員が1950年代と1960年代にCIAのためにいくつかの任務を引き受けたことを除いて、CIAとNBCとの関係についてほとんど詳細を知らないと公言した。1973年からNBCニュースの社長を務めるリチャード・ウォルドは、「そんなことは、当時、みんながやっていたことだった。当時の特派員を含め、ここにいる人々がCIAとつながりがあっても驚きませんよ」と述べた。

■コプリープレスとその子会社、コプリーニュースサービス。この関係は、記者のジョー・トレントとデイブ・ローマンがペントハウス誌で初めて公に開示した。CIA高官たちの話によれば、CIAの職員に「外部」の偽装工作を提供する面でCIAの中でも最も生産的なものの1つだったという。コプリーはカリフォルニアとイリノイ州に9紙の新聞を所有しており、その中にはサンディエゴ・ユニオン紙とイブニング・トリビューン紙も含まれている。「調査ジャーナリズム基金」からの助成金によって行なわれたトレント・ローマン報告によると、少なくとも23人のコプリーニュースサービスの職員がCIAのために仕事をしていたとされる。「CIAとコプリー組織の関与は、ほとんど整理することができないほど広範です」と、CIAのある高官が1976年末にその関係について尋ねられた際に述べた。他のCIA高官たちは、その当時、ジェームズ・S・コプリー(1973年までこれら9紙の所有者だった)がCIAとのほとんどすべての偽装工作の取り決めをひとりで行なっていた、と述べている。

トレント・ローマン報告によれば、コプリーは、当時の大統領アイゼンハワーに自らのニュースサービスを提供し、ラテンアメリカや中央アメリカの「共産主義脅威」に対抗するために「我々の情報機関」の「目と耳」となることを買って出た。ジェームズ・コプリーは、右翼のラテンアメリカの新聞編集者の多くが所属する、CIA資金提供の組織であるインターアメリカン・プレス協会の指導的存在でもあった。

■その他の主要なニュース機関。CIA高官たちの話によると、CIAの文書には、さらに次のようなニュース収集組織が偽装工作の取り組みをしていたことが記載されている。主要なものとしては:ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン、サタデー・イブニング・ポスト、スクリップス・ハワード新聞、ハースト新聞のセイモア・K・フリーディン(ハーストの現在のロンドン支局長で元ヘラルド・トリビューンの編集者および特派員。CIAの情報筋によってCIA工作員として特定されている)、AP(原注9)、UPIインターナショナル、ミューチュアル放送システム、ロイター、およびマイアミヘラルド。CIA高官たちの話によると、ヘラルドとの偽装工作取り決めは、「CIAの本部からではなく、マイアミのCIA支局によって現地で行なわれた」という点で異例だった。
(原注9)ウェス・ギャラガーは、1962年から1976年までAPの総支配人を務めていたが、APがCIAを助けた可能性には異議を唱えている。「私たちは常にCIAとは距離を置いてきました;CIAのために働いていた人物なら私たちはその人間を解雇したでしょう。私たちは社員たちが事後報告(デブリーフィング)することなど許しません」。APの記者たちがCIAのために働いていたと最初に開示された際、ギャラガーはコルビーのところに行った。「私たちは名前を調べようとしました。彼が言ったのは、APの正社員はCIAに雇われていないということでした。私たちはブッシュと話しました。彼も同じことを言いました」。CIA職員がAP支局に配置された場合、それはAP経営陣に相談することなしに行なわれた、とギャラガーは述べている。しかし、CIA高官たちは、AP上級管理職の誰か(その身元は明らかにしていない)を介したから偽装工作の取り決めはできた、と主張している。

「そして、それはリストのほんの一部に過ぎない」とはCIA高官のひとりの言葉だ。多くの情報筋と同様、この高官も、ジャーナリストがCIAに提供した援助についての不確実性をなくす唯一の方法は、CIA文書の内容を開示することだと語った。ただし、この方針は、年間を通じてインタビューを受けた35人のCIA現職員、元職員のほぼ全員によって反対された。

ルビーの損切り

CIAによるジャーナリストたちの利用は1973年まで実質的に衰えなかったが、CIAがアメリカ人記者を秘密裏に雇用していたことが公になったことを受けて、ウィリアム・コルビーはこの事業を縮小し始めた。コルビーは公式声明の中で、ジャーナリストの利用は最小限であり、CIAにとって重要性も限られているという印象を伝えた。

そして彼は、CIAがニュース業務から手を引いたことをマスコミや議会、そして一般大衆に納得させることを意図した一連の動きを開始した。しかしCIA高官らの話によれば、コルビーは、実際は、ジャーナリスト社会における貴重な情報網に防護網を張っていた。コルビーは副長官らに、最高のジャーナリストとの関係を維持する一方で、活動的でない、比較的生産的でない、あるいはほんのわずかしか重要でないと見なされている多くのジャーナリストとの正式な関係を断ち切るよう命じた。コルビーの指令に従うためにCIAの文書を見直したところ、多くのジャーナリストがここ何年もCIAにとって有益な役割を果たしていないことがわかった。このような関係は、1973年から1976年にかけて、おそらく100人ほどが解消された。

一方、主要な新聞社や放送局の職員になっていた重要なCIA工作員は、辞職して通信員やフリーランスになるように言われた。そうすることでコルビーは心配した編集者たちに、彼らの職員はもうCIAの職員ではないと保証することができた。コルビーはまた、CIAとジャーナリストとの関係に対する監視が続けば、貴重な通信員工作員の偽装工作が暴かれることを恐れた。このような人たちの中には、いわゆる独自出版物(CIAが秘密裏に資金と人材を提供する外国の定期刊行物や放送局)の仕事に配置転換された者もいた。CIAと正式な契約を結び、CIA職員となった他のジャーナリストたちは、契約を解除され、より正式でない取り決めのもとで仕事を続けるよう求められた。

1973年11月、コルビーはニューヨーク・タイムズ紙とワシントン・スター紙の記者や編集者たちに対し、CIAは「一般流通報道機関」で働く5人を含め、「約40の人」のアメリカ人報道記者を「CIAの給与名簿に載せている」と語った。しかし、1976年に上院情報委員会が公聴会を開いていたときでさえ、CIA高官筋によれば、CIAは、あらゆる種類のジャーナリスト (幹部、記者、通信員、カメラマン、コラムニスト、局員、放送技術クルー) 75人から90人との関係を維持し続けていた。このうち半数以上はCIAとの契約や給与の支払いから外されていたが、それでもまだCIAとの他の秘密協定に縛られていた。オーティス・パイク下院議員が委員長を務める下院情報特別委員会の未公表の報告書によると、1976年の時点で、少なくとも15の報道機関が、CIA工作員の偽装工作の支援をまだ続けていた。

CIA史上、最も熟練した秘密戦術家の一人として評判が高かったコルビーは、1973年に長官に就任する以前、自らも秘密工作にジャーナリストたちを使っていた。しかし、その彼でさえ長官を引き継いだ時、CIAがジャーナリストをあまりに広範囲に(彼の見解では無差別に)使い続けていたことに当惑していた、と彼の側近たちからは言われていた。「目立ちすぎる」、とコルビーは当時CIAと協力していた一部の個人や報道機関について頻繁に語っていた。CIA内部では、有名なジャーナリストを「ブランド名」と呼ぶ者もいる。

「コルビーの懸念は、誰をどのように使うかについてもう少し慎重にならなければ、人材を完全に失ってしまうかもしれないということでした」と元副長官の一人は説明する。コルビーのその後の行動は、CIAの提携先としては、いわゆる「メジャー」と呼ばれる企業を遠ざけ、代わりに小規模の新聞チェーンや放送グループ、業界誌やニュースレターなどの専門出版物に集中させることだった。

コルビーが1976年1月28日にCIAを去り、ジョージ・ブッシュが後任となった後、CIAは新しい方針を発表した。「即座に、CIAは、米国のニュースサービスや新聞、定期刊行物、ラジオ、テレビネットワークまたは放送局に認定された記者は、フルタイムであれパートであれ、いかなる支払いまたは契約上の関係にも入ることはなくなる」という方針だ。この方針が発効しても、まだ提携している50人の米国ジャーナリストの半数にもならない関係が終了するだけであることを、方針発表時点で、CIAは認めた。方針には、CIAはジャーナリストの自発的で無報酬の協力を「歓迎」し続けることが記載されており、そのため、多くの関係はそのまま存続することが許された。

CIAがジャーナリストを使うことをやめようとしない、そして一部の新聞社幹部たちとの関係を続けているのは、諜報活動のやりとりについて次の2つの基本的事実があるからだ:① ジャーナリストを偽装工作に使うのは、記者というのは、仕事柄、詮索好きなので、理想的だということ、②ここ数年間、CIAが利用していた多くの他の制度(企業や財団、そして教育機関)が協力を断ってきていること。

「この国で秘密工作員を動かすのは大変です」とCIA高官のひとりが説明した。「諜報には奇妙な曖昧さがあるのです。海外で活動するためには偽装工作が必要です。偽装工作をなんとかしてもらおうと、私たちは後衛戦を戦ってきました。(ところが)平和部隊は立ち入れませんし、USIA(米国情報庁)もそうでした。財団や任意団体は67年以来立ち入り禁止です。フルブライト(フルブライト奨学生)には自らに課した禁止令があります。アメリカ人社会で、CIAで働ける人とそうでない人を並べると、非常に狭い可能性しかありません。国務省外交局でさえ私たちを歓迎しません。では、一体どこに行けばいいのか? 企業もいいのですが、マスコミは自然です。一人のジャーナリストは20人の工作員の価値があります。疑惑を抱かせることなく情報に接近でき質問できるからです」。

チャーチ委員会の役割

CIAがジャーナリストを広く利用している証拠があるにもかかわらず、上院情報委員会とその職員は、CIAとの関係がCIAの文書に詳細に記されている記者や編集者、出版人、そして放送局の幹部の誰に対しても質問をしないことを決定した。

上院とCIAの情報筋によると、ジャーナリストの利用は、CIAがそれを削減するために並々ならぬ努力をした2つの調査分野のうちの1つであった。もう一つは、CIAが採用と情報収集の目的で学者を継続的かつ広範に利用していたことである。

いずれの場合も、元長官のコルビーとブッシュ、そしてCIAの特別顧問ミッチェル・ロゴビンは、活動の規模を完全に調査すること、あるいはその一部を公に開示することが、国の情報収集機関や何百人もの個人の評判に甚大な損害をもたらすだろうと委員会の主要メンバーを説得することができた。コルビーは、開示が記者や発行人、そして編集者らが被害を受ける「魔女狩り」のような時代をもたらすと主張する際に特に説得力があったと伝えられている。

ウォルター・エルダーは、元CIA長官マコーンの副長官であり、チャーチ委員会との主要な連絡係であるが、CIAによるジャーナリストの濫用はなかったため、委員会には管轄権がないと主張した。その関係は自発的なものだったから、との理由だ。エルダーは、ルイビル・クーリエ・ジャーナル紙の事例を挙げた。あるCIA高官の話では、「委員会の教会や他の人たちは、クーリエ・ジャーナルについてお飾り的な存在でしたが、それも私たちが編集者と会って偽装工作を手配したこと、そして編集者が『いいよ』と言ったことを指摘するまでのことでした」とのことだ。

チャーチ委員会とその職員の一部は、CIAの高官たちがこの調査を支配しており、自分たちはだまされているのではないか、と恐れていた。「CIAは非常に巧妙であり、委員会はその術中にはまっていました」と、この調査全般に精通しているある議会関係者は述べた。「チャーチや他の一部のメンバーは、本格的で厳しい調査よりも大きなニュースになることを望んでいたのです。CIAは、派手な事柄-暗殺や秘密兵器、そしてジェームズ・ボンドばりの作戦など―について質問されると、多くを譲歩しているように見せかけました。それから、CIAにとってはるかに重要であると考えていた事柄になると、特にコルビーは自分の都合を持ち出しました。そして、委員会はそれを認めたのです」。

ジャーナリストの利用に関する上院委員会の調査は、元CIA情報将校であるウィリアム・B. ベイダーによって監督された。彼は、今年CIA長官スタンスフィールド・ターナーの副長官として一時的にCIAに戻り、現在は国防総省情報機関の高官である。ベイダーは、ジミー・カーター大統領の国家安全保障問題担当補佐官ジビニュー・ブジェジンスキーの補佐官を務めているデイビッド・アーロンに支援されていた。

上院調査委員会の職員の同僚たちの話によると、ベイダーとアーロンの二人は、ジャーナリストに関するCIA文書に収められた情報に動揺を覚え、上院の新しいCIA常設監督委員会による更なる調査を求めた。しかし、その委員会はCIA用の新しい憲章を作成することにその初年度を費やし、委員らはCIAの報道機関の利用についてさらに掘り下げる関心がほとんどないと述べている。

ベイダーの調査は、異常に困難な条件のもとで行われた。ジャーナリストの利用について具体的な情報を求める彼の最初の要求は、CIAによって、権限の乱用はなく、現在の諜報活動が危険にさらされるかもしれないという理由で断られた。ウォルター・ハドルストン上院議員やハワード・ベイカー上院議員、ゲイリー・ハート上院議員、ウォルター・モンデール上院議員、そしてチャールズ・マティアス上院議員は、報道とCIAというテーマに関心を示していたが、ベイダーはCIAの反応に苦悩していた。上院議員たちは、ジョージ・ブッシュCIA長官をはじめとするCIA高官との一連の電話会談や会合で、CIAの報道活動の範囲に関する情報を委員会の職員に提供するよう主張した。最終的に、ブッシュは文書の検索を命じることに同意し、記者が使われた作戦に関連する記録を引き出すことに同意した。しかし、ブッシュは生データをベイダーや委員会に提供することはできないと主張した。その代わり、ブッシュ長官は、副長官たちが各記者の活動を最も一般的な用語で記述した1つの段落の要約にまとめることにした。ブッシュが命じた最も重要なことは、記者や所属するニュース機関の名前が要約から省かれることだった。ただし、記者が勤務した地域の指摘や、彼らが働いていたニュース機関の一般的な説明は含まれる可能性はあった。

作業を監督したCIA高官らの話によると、要約をまとめるのは困難だったという。「ジャーナリスト・ファイル」自体がなく、情報はCIAの部局ごとに独立した性格を反映した様々な情報源から収集する必要があった。ジャーナリストを担当した作戦要員は、いくつかの名前を出してくれた。ジャーナリストが利用されたのは当然だと思われるさまざまな秘密工作に関する資料が引き出された。重要なのは、外国の諜報活動ではなく、秘密工作のカテゴリーのもとCIAのために動く記者によるあらゆることがうまくいっていることだ。古い部署の記録は抹消された。ひとりのCIA高官は「本当にてんてこ舞いだった」と話した。

数週間後、ベイダーは要約を受け取り始め、CIAがファイルの検索を完了したと述べた時には、その数は400を超えていた。

CIAは委員会と興味深い数字ゲームをした。資料を準備した人々は、記者を利用したCIAのすべての文書を作成することは物理的に不可能だったと述べた。「我々は広範囲かつ代表的な情報を提供しました」とあるひとりのCIA高官は述べた。「それが25年間にわたる活動の、あるいは我々の手伝いをしてくれた記者の数の全体的な説明だったと嘘を言ったことは一度もありません」。比較的少数の要約には外国のジャーナリスト(アメリカの出版社の通信員も含む)の活動も記述されていた。この件について最も知識を持っている高官たちによれば、400人というアメリカのジャーナリストの数は、秘密の関係を維持し、秘密裏の任務を遂行していた実際の数よりも少ない数だったと言っている。

ベイダーと彼が要約の内容を説明した他の人たちはすぐにいくつかの結論に達した:①ジャーナリストとの秘密関係の数は、CIAが示唆したよりもはるかに多く、CIAが記者や報道幹部を利用することは、第一級の情報資産であった。②記者はほとんどありとあらゆる作戦に関与していた。③活動を要約した400人以上のうち、200人から250人は通常の意味での 「現役ジャーナリスト」(記者、編集者、特派員、カメラマン)であり、残りは少なくとも名目上、書籍出版社、業界紙、ニュースレターに雇われていた。

さらに、その要約というのは圧縮され、曖昧で、大雑把で、不完全だった。どうとでも解釈できるような代物だった。また、CIAが米国の新聞や放送の編集内容を操作することでその権限を乱用したということなど一言も述べられていなかった。

ベイダーは、自分が発見したことに不安を感じ、外交と諜報の分野で経験豊富な数人に助言を求めた。彼らは、もっと情報を求め、彼が最も信頼している委員会メンバーたちに、要約から明らかになったことの概要を伝えてもらったら、と提案した。ベイダーは再びハドルストンやベイカー、ハート、モンデール、そしてマティアスといった上院議員に会いに行った。一方、彼はCIAに、もっと見たい、要約された100人ほどの個人に関する完全な文書を見たいと言った。この要求はきっぱりと断られた。CIAはそれ以上の情報を提供しなかった。それで終わりだった。

CIAの強硬姿勢により、1976年3月下旬、CIA本部で臨時の夕食会が開かれた。出席者は、ベイダーから説明を受けていたフランク・チャーチ上院議員とジョン・タワー委員会副委員長、ベイダー、ウィリアム・ミラー委員会スタッフ部長、ブッシュCIA長官、ロゴビンCIA顧問、そして長年ドイツ支局長を務め、ウィリー・ブラントの作戦要員であったCIA高官セイモア・ボルテンであった。ボルテンは、委員会からのジャーナリストや学者に関する情報要求に対応するため、ブッシュによって任命されていた。会食の席で、CIAは完全な文書を提供することを拒否した。また、400の要約に記されているジャーナリスト個人の名前も、彼らが所属する報道機関の名前も、委員会には明かさなかった。参加者によれば、議論は白熱した。委員会の代表は、もっと情報がなければ、CIAが権限を乱用したかどうかを判断するという任務を果たすことはできないと述べた。CIAは、委員会にこれ以上情報を開示すれば、合法的な諜報活動やCIA職員を守ることができないと主張した。ジャーナリストの多くはCIAの契約職員であり、CIAは彼らに対しても、他の諜報員と同様に義務を負っている、とブッシュはある時点で述べた。

最終的に、極めて異例の合意が成立した: ベイダーとミラーは、要約から選び出した25人のジャーナリストの全文書の 「消毒済み 」の閲覧を許可されるが、ジャーナリストの名前と彼らを雇っている報道機関の名前は空白にされ、文書に記載されている他のCIA職員の身元も空白にされる。チャーチとタワーは、CIAが名前以外は何も隠していないことを証明するために、25の文書のうち5つの「未消毒版」を調べることを許された。この契約は、ベイダーやマイナー、タワー、そしてチャーチのいずれも、文書の内容を委員会の他の委員や職員に明かさないという合意が条件であった。

ベイダーは400の要約をもう一度見直し始めた。彼の目的は、その中に書かれた大ざっぱな情報に基づいて、(全体の)断面を表していると思われる25件を選ぶことだった。CIAの活動日、報道機関の一般的な説明、ジャーナリストのタイプ、秘密工作など、すべてが彼の計算に含まれていた。

上院の情報筋とCIA関係者によれば、彼が取り戻した25の文書から、避けられない結論が浮かび上がった。それは、1950年代、60年代、そして70年代初頭のCIAは、それまでだれも考えもしなかった程度まで、アメリカ国内の四大、五大新聞社、放送ネットワーク、二大ニュース週刊誌など、アメリカ報道陣の最も著名な部門のジャーナリストとの関係を集中させていたということである。それぞれ3〜11インチの厚さがある25冊の詳細なファイルからは、名前や所属が省略されていたにもかかわらず、その情報は通常、報道関係者、所属、またはその両方を仮に特定するのに十分なものだった。非常に多くの人間が報道分野で著名であったことがとりわけその理由だ。

「関係は信じられないほど広がっています」とベイダーは上院議員たちに報告した。「たとえば、タイム誌を操作する必要はありません。CIA工作員が管理職のレベルにもいるからです」。

皮肉なことに、CIA高官たちの話によれば、CIAとの取引に制限を設けた主要な報道機関のひとつは、CIAの長期的な目標と政策におそらく編集上最も親和性の高い U.S.ニュースアンド・ワールド・レポートだった。U.S.ニュースの創刊編集者でコラムニストの故デビッド・ローレンスは、アレン・ダレスの親友だった。しかし、彼はCIA長官ダレスからの、同紙を偽装工作に使いたいという要請を何度も断っていた、と情報筋は語っている。あるCIA高官によれば、ローレンスは副編集長たちに、CIAと正式な関係を結んだことが判明したU.S.ニュース社員を解雇するとの脅迫的命令を出したこともあったという。同紙の元編集幹部は、そのような命令が出されたことを確認した。しかしCIAの情報筋は、1973年のローレンスの死後も同紙がCIAへの立ち入り禁止のままであったかどうか、あるいはローレンスの命令が守られていたかどうかについては明言を避けた。

一方、ベイダーはCIAからもっと情報を得ようと、特にCIAとジャーナリストとの現在の関係について聞き出そうとした。彼は頑強な壁にぶつかった。「ブッシュは今日まで何もしていない。どの重要な作戦も、ほんのわずかな影響さえ受けていない」とベイダーは友人たちに語っている。CIAはまた、学者の利用に関する詳細情報を求める委員会スタッフの要求も拒否した。ブッシュは委員会のメンバーに対し、この両分野での調査を縮小し、最終報告書の調査結果を隠すよう強く説得し始めた。「彼は、『マスコミやキャンパスの人間たちを台無しにするな!』と言い続け、この二つの分野が公の場で唯一信頼できるのだ、と訴えた」と上院関係者は報告している。コルビーやエルダー、そしてロゴビンの3人はまた、委員会の個々のメンバーにも、スタッフが発見したことを秘密にするよう懇願した。「ジャーナリズム界の大物の何人かは、もしこのことが公になれば、中傷されることになるだろう、という意見がたくさんあったのです」と別の情報筋は言う。ジャーナリストや学者とCIAの関係が暴露されると、CIAは、まだ開かれている数少ない諜報員採用の道のうちの2つが閉ざされることを恐れた。「暴露される危険は、相手側に及ぶわけではありません。これは相手側が知らないことではないのです。CIAが懸念しているのは、偽装工作の領域がまた一つ無くなってしまうことなのです」とCIA秘密工作専門家の一人は説明した。

CIAのロビー活動の対象であったある上院議員は後に、「CIAの観点からは、これは何より高度で、何より機密性の高い秘密プログラムでした・・・それは言われてきたよりもはるかに大きな作戦システムだったのです。私はその点を強く主張したいという強い衝動に駆られましたが、手遅れでした・・・もし私たちが要求していたら、彼ら(CIA関係者たち)はそれと戦うために法的な手段を取ったでしょう」と彼は付言した。

実際、委員会には時間切れが迫っていた。多くの職員によれば、委員会はCIAの暗殺計画や毒ペンの捜索に人員をあまりに多く使いすぎていた。ジャーナリストに関する調査は、ほとんど付け足し程度におこなわれた。このプログラムの規模と、それに関する情報提供に対するCIAの敏感さは、職員や委員会を驚かせた。チャーチ委員会の後を継ぐCIA監視委員会には、この問題を系統的に調査する気風もその時間もあるだろう。もしCIAが協力を拒否し続ける可能性が高い場合、CIA監視委員の任務はより有利な立場で長期戦を戦うことができるだろう。あるいは、チャーチをはじめ、ベイダーの調査結果を漠然と知っている数人の上院議員が、この問題をこれ以上追求しないという決定に達したとき、そのような推論がなされた。ジャーナリストは、調査委員会スタッフによっても上院議員によっても、秘密裏に、あるいは公開の場で、CIAとの取引についてインタビューを受けることはなかった。最初にCIA高官たちが言い出した報道陣の魔女狩りの恐怖は、スタッフと調査委員会の一部のメンバーを悩ませた。「私たちは委員会に人を連れてきて、彼らは自分たちの職業の理想に対する裏切り者だと全員に言わせるつもりはありませんでした」とある上院議員は言った。

友人たちによると、ベイダーはその決定に満足しており、後任の委員会(調査委員会)は彼が残した調査を引き継ぐと信じていた。彼は個々のジャーナリストの名前を公表することに反対した。彼は、道徳的に絶対的なものがない「グレーゾーン」に入ってしまったのではないかとずっと心配していた。CIAは古典的な意味でマスコミを「操作」したのだろうか? おそらくそうではないだろう、と彼は結論づけた。主要な報道機関とその幹部たちは、喜んでその社員たちをCIAに貸した;海外の特派員たちは、CIAで働くことを国への奉仕であり、より良い記事を得て自分たちの職業の頂点に登るための手段だと考えていた。CIAは権力を乱用したのか? CIAは外交機関や学界、そして企業などから偽装工作を求めたのと同じように報道機関に対処した。CIAの憲章には、これらの機関が米国の諜報機関に立ち入り禁止であると宣言するものは何もなかった。そして、報道機関の場合には、CIAは他の多くの機関との取引よりも注意を払っていた:その役割を情報収集と取材に限定するために、かなりの努力をしてきた。(原注10)
(原注10)多くのジャーナリストや一部のCIA関係者は、同機関がアメリカの出版物や放送局の編集上の権威をきちんと尊重してきたという主張に疑義を呈している。

ベイダーはまた、自分の知識がCIAから提供された情報に大きく依存していることを懸念していたという。彼は、CIAと関係のあったジャーナリストたちから彼らの側からの話を入手していなかった。彼は「提灯番組」しか見ていないのかもしれない、と友人たちに語った。それでもベイダーは、文書に書かれていることのほぼ全容を見たのだと確信していた。もしCIAが彼を欺くつもりなら、これほど多くを明かすはずがない、と彼は考えたからだ。「ベイダーに資料を見せてまで協力したCIAは賢明だったのです。そうすれば、ある日突然何かの文書が発見されたとしても、CIAは責任逃れができるからです。議会にはすでに報告済みだと言えるのです」とある調査委員会の情報筋は語っている。

CIA文書への依存は別の問題を引き起こした。ジャーナリストとの関係についてのCIAの認識は、ジャーナリスト側の認識とはかなり異なる可能性がある。あるCIA高官は、自分がジャーナリストを操っていると考えるかもしれない。ジャーナリストの方はスパイと単に酒を飲んだだけだと思うかもしれない。CIAの作戦要員がジャーナリストとの取引に関して、自分勝手なメモを書いていた可能性もあり、またCIAが他の政府機関と同じようにどこにでもある官僚的な「責任逃れ」の文書に依存していたのかもしれない。

CIAのジャーナリスト利用は無害であったと上院委員会のメンバーを説得しようとしたあるCIA高官は、文書は実際に作戦要員による「吹き込み」で埋め尽くされていると主張した。「何が吹き込みで何が吹き込みでないかは決められません」と彼は主張した。多くの記者たちは「限られた (特定の) 仕事のために採用されたのであって、CIA工作員として (CIAの文書に)記載されていることを知ったら愕然とするでしょう」と彼は付け加えた。この高官は、この文書には「有名人」、つまりほとんどのアメリカ人が名前を知っていると考えられる6人ほどの記者や特派員の記述が含まれていたと推定している。「文書を見れば、CIAが報道機関へ足を運び、それと同じくらい頻繁に報道機関がCIAのところへ足を運んでいるのは一目同然です」と彼は述べた。「・・・これらのケースの多くでは、見返りがあるという暗黙の合意があります」。つまり、記者はCIAから良い記事を得ることになり、CIAは記者から価値のある見返りを受けるという「持ちつ持たれつ」の関係だ。

議員らと議会全体、一般の人々から、ジャーナリストの利用に関する上院委員会の調査結果は意図的に隠蔽された。ある情報筋は、「この件に対処する方法について意見の相違がありました」と語った。「一部(の上院議員)は、これらが取り除かれるべき権力濫用だと考えましたが、『これが悪いことなのかどうかわからない』と言った人々もいました」。

この件に関するベイダーの調査結果は、全委員会で話し合われることはなかった。執行委員会ですら話し合われなかった。その調査結果は漏れる可能性もあった―とりわけそこに記るされた事実の衝撃性を考えると。チャーチ委員会の調査が始まって以来、情報漏洩は委員会の最大の恐怖であり、その使命に対する真の脅威であった。わずかでも情報漏洩の兆候があれば、CIAは機密情報の流れを断ち切るかもしれない。「まるで、CIAではなく我々が裁判にかけられているかのようだった」と委員会のスタッフは語った。委員会の最終報告書に、CIAによるジャーナリスト利用の実態を記述すれば、マスコミや上院の議場での騒ぎを引き起こすだろう。そして、CIAに対してジャーナリストの利用を全面的にやめるよう強い圧力をかけることになるだろう。「その一歩を踏み出す準備ができていなかったのです」とある上院議員は言う。同じような決定が、委員会スタッフが行なったCIAによる学者利用についての調査結果を隠すためにもなされた。両方の調査分野を監督していたベイダーは、この決定に同意し、委員会の最終報告書のこれらの部分を起草した。191ページから201ページまでは、「米国メディアとの秘密関係 」と題されていた。「我々が発見したことはほとんどこの報告書には反映されていません。CIAとは、何が語られるかをめぐって、長期にわたる入念な交渉があったのです」とゲイリー・ハート上院議員は述べた。

事実を曖昧にすることは比較的簡単だった。400の要約やそれが示す内容には触れず、代わりに報告書には、調査委員会スタッフが最近のジャーナリストとの約50の接触を調査したことが当たり障りなく記載された。これにより、CIAと報道機関の関係がそれらの事例に限定されていたかのような印象が与えられた。報告書によると、CIAの文書には、CIAのジャーナリストとの関係がアメリカのニュース報道の編集内容に影響を与えているという証拠はほとんどなかったとされている。コルビーによるジャーナリスト利用についての誤解を招く公の発言が、深刻な矛盾や粉飾を除外して、繰り返された。協力していたニュース社幹部の役割はほとんど無視された。CIAが報道機関との関係を主要な部門に集中していた事実は触れられなかった。CIAが報道機関をまだいつでも利用できる存在と見なしていることなど、おくびにも出さなかった。

元『ワシントン・ポスト』紙のカール・バーンシュタイン記者は現在、冷戦時代の魔女狩りについての本を執筆中。
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自由の身となったジュリアン・アサンジ

<記事原文 寺島先生推薦>
Julian Assange Is Free
筆者:ポール・クレイグ・ロバーツ(Paul Craig Roberts)
出典:PCRブログ 2024年6月25日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月28日


今朝早く、私に届いたスカイ・ニュースの報道がデマでなければ、犯罪組織だと世界的に見られ始めているアメリカ政府は、ジュリアン・アサンジの身柄引き渡しをイギリスの裁判所に納得させることができなかった。アサンジが虐待されたり、彼の諸権利を否定されたりすることはないとの保証を、ワシントンは英国側に提供することができなかったし、提供する気もなかったのだ。 https://news.sky.com/story/julian-assange-will-not-be-extradited-to-the-us-after-reaching-plea-deal-13158340

私たちの多くは、アサンジは英国政府によって十分に虐待されてきたと考えている。英国政府はアサンジを62ヶ月間独房に監禁した。これはアメリカへの便宜を図った、人身保護への重大な違反だ。

おそらく「英国の司法」は、ワシントンの看守となって、何の有罪判決も受けていない男を投獄する恥辱に嫌気がさしたのだろう。ワシントンに不都合なリーク情報を公表したジャーナリストに対するワシントンの復讐行為に加担しているように見られることで、英国がワシントンから得ていたブラウニーポイント*は相殺されてしまった。
ブラウニーポイント*・・・ガールスカウトの低学年団員が良い行ないをすることにより得る点数。成績の点数配分以外で授業に関わる研究や協力をするともらえる点数(英辞郎)

おそらく英国の裁判官は、ワシントンがアサンジの人生と、妻と子供たちの人生から盗んだ13年間で十分だと判断したのだろう。おそらくワシントンは、アサンジを13年間あれこれ投獄したことで、ワシントンの手の届く範囲内にあるすべてのジャーナリストに対して、ワシントンの犯罪を内部告発しないよう警告するのに十分であると判断したのだろう。理由が何であれ、ワシントンは憲法修正第1条を滅茶苦茶にした迫害を終わらせるために、面目を保つ司法取引を作り上げた。アサンジが「国防情報の入手と開示の共謀」の罪を認める代わりに、アサンジへの判決は英国の刑務所で服役した期間が算入されることになる。

かくしてアサンジにとっては、米国政府史上最も恥ずべき出来事の1つが終わる。米国人は、米国政府が米国市民自身にまでこの恥をかけたことを永遠に忘れることはできないだろう。なぜなら米国司法省US Department of Justice(US Department of Injusticeの間違いでは?)はこれからも同じことをしてゆくからだ。汚職にまみれたバイデン政権は、誤った有罪判決や強制的な有罪認定を利用して、憲法で保護された権利を行使した1000人の米国人を「暴徒」として刑務所送りにした。同じ汚職政権は、元アメリカ大統領(多くの人は現アメリカ大統領と信じている)と彼の弁護士を含む者たちを不当な罪で起訴している。これはアメリカ人に「大統領ですらこのように虐待されるのなら、彼らにはチャンスがない」と言っているようなものだ。その結果、恐怖がアメリカ人に自らの権利を放棄させ、ワシントンによる台頭する専制政治への服従を引き起こしている。

今日のわが国(アメリカ)は、私が生まれた時とは全く違う。大学や公教育が後継世代に強調して教えている内容は、アメリカは人種差別主義者である白人の搾取によってできた国であり、人は認識性と異なる身体に生まれる可能性があり、現在では性別は自己申告によって決定されるということだ。米国の民主党とヨーロッパの与党は、自身の民族を移民侵略者と入れ換えることに全力をあげている。この動きは、学校で教え込まれていることと相まって、西洋文明を破壊する。すでに政界においても学術界においても、それに対応する動きはほとんどない。白人の大学が西洋文明を最も激しく非難している。

11月ころには、私たちは3つのことを知ることになるだろう。その結果次第で、私たちの滅亡を早めるか遅らせるかが決まる。

ひとつは、民主党がトランプに対して何をしようとしているのか、そしてそれが暴挙であれば、1月6日のデモ参加者が受けたような扱いを恐れて国民がその暴挙を受け入れるか(あるいは憤然と立ち向かうか)どうかがわかるということだ。

もう1つは、最近の欧州議会選挙での欧州与党への否認がフランスの総選挙に持ち越されるかどうかだ。もしそうなれば、欧州のナショナリズムが復活し、NATOと米国による戦争挑発の崩壊の始まりを告げることになる。

第三に、米国政府とその欧州の操り人形が、ウクライナにNATOの兵士を配備し、イスラエルがパレスチナ人を標的にしているように、ロシアの民間人をミサイルの標的にし続けるほど正気を失っているかどうかがわかるということだ。プーチンがこれまでのようにこれらの挑発を受け入れるならば、我々は、我々と欧州の存在を終わらせるロシアの戦争指導者の台頭に直面する可能性がある。

この3つが欧米の議論の焦点になっていないということは、事態が悪化した場合の認識と準備が不足していることを意味する。

アメリカの若者たちは、徴兵される危機に直面し、自分たちは誇り高き西洋文明の市民であるという信念を奪われつつあるのに、スマートフォンをスクロールして、絶え間ない娯楽の海に浸っているだけだ。
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アサンジ、北マリアナ群島のアメリカ地方裁判所に到着 (VIDEO)

<記事原文 寺島先生推薦>
Assange arrives at US court (VIDEO)
ウィキリークス創設者(アサンジ)は有罪を認め、14年にわたる法廷闘争に終止符を打つ見込み
出典:RT 2024年6月25日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月27日


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北マリアナ諸島サイパンの米連邦裁判所に出廷するジュリアン・アサンジ(2024年6月26日撮影) © AFP / Yuichi Yamazaki

ウィキリークスの共同創設者であるジュリアン・アサンジが北マリアナ諸島の米国裁判所に到着し、自由と引き換えにスパイ容疑ひとつで有罪を認めることに合意した。

ここから動画に入れます。

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アサンジは、ロンドンのベルマーシュ刑務所から釈放された後、チャーター便で英国を出発。24時間以上経ってから、サイパンの北マリアナ諸島連邦地方裁判所に入った。

黒いスーツに身を包んだアサンジは、金属探知機を通過し、ガラス張りの法廷ビルに入る際、報道陣からの質問には答えなかった。オーストラリアの元首相で現駐米大使のケビン・ラッドに同伴されて建物に入った。

アサンジは月曜日(6月23日)、弁護団が米司法省と司法取引に合意したため、ベルマーシュから出ることを許された。法廷文書によると、ウィキリークスの元トップは、国防情報を入手し流布した共謀罪1件で有罪を認め、62カ月の実刑判決を受けることになる。アサンジ被告がすでに英国で拘留されていた5年間は、この量刑に算入される。つまり彼は自由の身となって母国オーストラリアに向かう。

アサンジは2010年に性的暴行容疑で英国警察に逮捕されたが、後にそれは取り下げられた。2012年に保釈されたが出廷せず、ロンドンのエクアドル大使館に亡命した。彼は、エクアドルが彼の亡命を取り消した2019年に再び逮捕された。彼はその後1,901日間をベルマーシュの高度警備施設で過ごし、そのほとんどは独房の中だった。

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関連記事:アサンジは「いつも危険にさらされていた」―元RT英国現地記者

米司法省は逮捕当日にアサンジに対する起訴状を公開し、17件のスパイ容疑で告発した。アサンジはその後5年間、身柄引き渡しと闘い、有罪になれば最長175年の懲役刑に直面することになるところだった。

アサンジに対する告発は、イラクとアフガニスタンにおける米国の戦争犯罪の疑いを詳述した国防総省の文書など、内部告発者から入手した機密資料をウィキリークスが公表したことに端を発する。

水曜日(6月26日)の公聴会は、アサンジにとって14年にわたる法廷闘争の最終章となる。しかし、報道の自由を守る活動家たちは、米国がスパイ容疑での有罪判決を主張することで、ジャーナリストが将来機密文書を公表することを抑止しかねないと警告している。

「司法取引には裁判所の判決のような先例的な効果はないが、国家安全保障担当記者の頭の中には今後何年も残るだろう。」と、「報道の自由財団」 (FPF) の権利擁護部長であるセス・スターンは声明で述べた。
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ジョージアは西側の秘密兵器を無力化したのか?

<記事原文 寺島先生推薦>
Has Georgia disarmed the West’s secret weapon?
ジョージア(旧グルジア)で「外国の代理人」法案が施行され、大規模な抗議デモが巻き起こっている。この法律は何をもたらすのか?
筆者:ファルハド・イブラギモフ(Farhad Ibragimov)
研究者。ルダン大学経済学部講師、ロシア国家経済・行政アカデミー社会科学研究所客員講師。
出典:RT 2024年6月3日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月23日


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2024年5月13日、物議を醸している「外国の代理人」法案に抗議するデモ行進をトビリシで行なうジョージアの学生たち。© Giorgi ARJEVANIDZE/AFP


ここ数週間、トビリシではジョージアの野党勢力によって組織された抗議デモが激化している。その発端となったのが、ジョージア議会のシャルヴァ・パプアシュヴィリ議長が署名し、今週月曜日(6月3日)に施行された「外国からの影響の透明化に関する法律」である。

フランス生まれでフランス育ちのサロメ・ズラビシヴィリ大統領がこの法案を承認することになっていたが、それを拒否した。それにもかかわらず、与党は議会で彼女の拒否権を覆すのに十分な票を持っていた。野党はこの法案をロシアの外国代理人法に類似したものと呼んでいるが、実際にはジョージアの新しい現実はモスクワとは何の関係もない。

法律と抗議活動

新法によれば、年間収入の20%以上を海外から得ている、あるいは「外国勢力の利益を追求」しているジョージアのすべての非営利団体とマスメディアは登録が義務づけられる。この手続きには、申告書に記入し、団体の収入を記載することが含まれる。登録や申告書の提出を怠ると、25,000ラリ(約9,000ドル)の罰金が科される可能性がある。ジョージア法務省はまた、外国代理人を特定するために個人データや機密情報(弁護士と依頼人の秘匿特権を除く)を求める権利も認められている。

ジョージアの立法者は、この法律のモデルに米国の「外国の代理人登録法(FARA)」を利用している。ただし、ジョージア版の法律はもっと自由である。違反者には罰金を科すと定めているだけで、FARAのように5年以下の懲役は科さない。

しかし、どうやら野党にとってこれはお気に召さなかったようだ。国会で法案の審議が始まった4月15日から、トビリシでは抗議デモが始まった。「親ロシア」法だと主張するこの法案に反対を表明していた野党は、人々を街頭に動員した。デモ隊は警察を挑発し、警察とデモ隊の衝突に発展した。警察官は、挑発に屈することなく、自制して行動した。

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関連記事:マイダンの模倣:ジョージアには欧米から資金提供を受ける巨大なNGO部門があり、暴力的な抗議活動が定期的に発生している。何か関係があるのか。あるのか。

5月下旬、野党党首を含むデモ主催者たちは、この法律に反対する集会は2024年10月の議会選挙の日まで続くと述べた。

街頭活動は確かに、過去においてはこの国の当局に圧力をかける効果的な方法だった。この法律は2023年初めに採択される予定だった。しかし、数千人の人々がトビリシの街頭でデモを行なった後、当時のガリバシヴィリ首相は法案の提出を保留することを決定した。数ヵ月後、ガリバシヴィリ元首相は再び法律の採択を試みたが、抗議デモのため再び失敗した。

イラクリ・コバヒゼ(「ジョージアの夢」の元党首)がこの国の新首相に就任すると、彼は最終的に法律を採択するために全力を尽くすと約束した。ちなみに、スキャンダルにもかかわらず、世論調査によれば、与党は依然として国内で最も人気がある。しかし、ジョージアの野党はこのことをほとんど気にしていない。

反対する人々

ジョージア内外の専門家は、今回の出来事は2013年から2014年にかけてのキエフのユーロマイダンで用いられた戦術をほぼ忠実に再現したものだと評している。あの時は、少数派が街の中心広場に集まり、国全体の運命を決めようとした。世論調査によれば、ジョージアではほとんどの人が新法に反対していない。ヒステリックに振舞うのは、収入源、助成金源、外部資金を申告しないNGOに何らかの形で所属している人たちである。新法は欧米系の圧力団体に最も大きな打撃を与えるため、親欧米派の野党勢力がこの法律の主な反対派に浮上したのは当然のことだ。

ジョージアの最大野党、統一国民運動の党首であるレヴァン・ハベイシュヴィリ議員は、この法律を採択しないよう国会議員を説得するために、治療中の病院を抜け出して車椅子で国会に来たが、失敗に終わった。

「君臨すれども統治せず」のズラビシュヴィリ大統領も火に油を注いだ。彼女はフランス生まれで、ミハイル・サアカシュヴィリ前大統領の個人的な招きでジョージアにやってきて、ジョージア外務大臣に任命された。後に彼女は野党側につくことでサアカシュヴィリ前大統領を裏切った。2019年、与党「ジョージアの夢」党の努力により、ズラビシュヴィリ氏は同国の大統領となった。法律と政治倫理の両方によれば、ズラビシュヴィリ氏は「ジョージアの夢」党の同僚を支援すべきだが、彼女は彼らをも裏切った。

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2024年5月28日、トビリシ中心部にある国会議事堂前の巨大スクリーンに映し出されたジョージアのサロメ・ズラビシュヴィリ大統領の演説を見る人々。© Giorgi ARJEVANIDZE/AFP

5月18日、大統領は採択された法律に拒否権を行使し、この動きは同国の憲法と、いわゆるヨーロッパの基準に反すると説明した。

実は、国会は近いうちにズラビシュヴィリ大統領を弾劾する可能性がある。同国の法律上からも「ジョージアの夢」党が国会で多数を占めていることからも、これは可能なことなのだ。ズラビシュヴィリ大統領は以前から社会の大部分から不人気だった。LGBT運動への積極的な支援や政治的な二枚舌は、いずれも彼女のイメージに悪影響を及ぼしている。

西側諸国は、ジョージアの現指導部がロシアに対して現実的な政策をとり、モスクワとの対話を維持しようとしていることに恨みを抱いている。トビリシはモスクワに対して制裁を課しておらず、ロシアとの貿易・経済関係の拡大に賛成している。両国間のビザ不要制度、両国間の直行便、ジョージア・ロシア間のビザなし渡航も、かつては同盟国だった両国の関係を温めている。

ジョージアがこのような主張を誇示すれば、西側諸国によって確立された規則に違反し、ロシアからのトランスコーカサス諸国*の段階的分離という計画を台無しにする。
*コーカサス山脈の南、アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージアの3国のこと

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関連記事:失敗した2つの「カラー革命」の背後にアメリカ - ジョージア首相

米国務省のマシュー・ミラー報道官は、対外資金援助法の採択に対し、与党「ジョージアの夢」は「数週間前から抗議しているジョージア国民の願望を無視し、同国を欧州統合への道から遠ざけた」と述べ、この動きがワシントンとの関係を危うくすると指摘した。

一方、ブリュッセルは、ジョージアの法律はEUの基本原則と価値観に反していると強調し、トビリシに対し、EU加盟につながる「道にしっかりと戻る」よう求めた。また、「これらの出来事に対応するためのあらゆる選択肢を検討している」とも述べた。

クレムリンは、ジョージアの「外国の代理人法」を「ロシアのもくろみ」とみなすのは馬鹿げているとし、「外国工作員と闘うシステム」を最初に打ち出したのはアメリカだと指摘した。

バルト三国とアイスランドの外相代表団が最近トビリシを訪問したのは偶然ではない。エストニア外相はジョージアに厳しい結果をもたらすと公然と脅し、EUはトビリシに制裁を課す意向を表明した。

この反応は予想されたことだった。来日した外相たちは、トビリシの街頭でデモ隊に加わり、外国の代理人に関する法律の廃止を要求した。つまり、EUはジョージアの内政に直接干渉していたのだ。

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関連記事:「敵も味方も」ジョージアのウクライナ派兵を望んでいる - 政府関係者

西側諸国は、ロシア、中国、そしてイランまでもが内政干渉していると、何の証拠も示さずにヒステリックかつ組織的に非難してきた。しかし、ジョージアに自国の「使者」を送り込み、内紛をあおることを躊躇しなかった。アントニー・ブリンケン米国務長官はすでに、ジョージア当局にビザ発給制限を課すと発表した。

ブリンケン国務長官によれば、新法は「結社と表現の自由の行使を抑圧し、ジョージア市民に奉仕する組織に汚名を着せ、ジョージア国民に質の高い情報へのアクセスを提供するために活動する独立メディア組織を妨害する」とされている。

西側諸国はジョージアを掌握し、自らの意思を押し付けようとしている。

抵抗の声

数日前、コバヒッツェ首相は重大な事実を明らかにした。どうやら、欧州委員会の一人が、5月15日に暗殺未遂事件から奇跡的に生還したスロバキアのロバート・フィツォ首相のような運命をたどると公然と彼を脅していたのだ。その人物とは、オリヴェール・ヴァルヘイ欧州委員(欧州近隣・拡大担当)だった。ヴァルヘイ氏はすぐに弁解を始め、自分の言葉は文脈から外れたものだと述べた。

ジョージア独立記念日の前夜、「ジョージアの夢」党の幹事長でトビリシ市長のカカ・カラゼ氏は、ワシントンがジョージア当局に圧力をかけており、外国代理人法の採択に対して制裁を科すと脅していると公然と述べた。「ジョージアと米国は、友好国ではなく、敵同士であることが判明した。カラゼ氏は、ジョージアの抗議デモと2014年にウクライナで起きたユーロマイダン事件を並列させ、「ウクライナ化はジョージアでは起きない」と述べた。

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トビリシ市長のカカ・カラゼ党書記長。© Davit Kachkachishvili/Getty Images

ジョージアの専門家や研究者の多くは、ジョージアの指導者がその路線から逸脱せず、内外の挑発に屈することなく、国民を落ち着かせることに成功すれば、この難局を乗り越えることができるという意見で一致している。「ジョージアの夢」には多くの支持者がおり、そうでなければ党と国の指導部は新法を採択する危険を冒すことはなかっただろう。EUとの統合を主張する数多くの左翼政党は、特に人気があるわけではない。

与党はこのことをよく理解している。以前は「親欧州」路線を貫いていた同党も、今ではゆっくりと、しかし確実に、そこから離れつつある。外圧やジョージアの国内政策への西側の干渉、西ヨーロッパのエリートたちの劣化により、ジョージアの指導者が長年行なってきたような汎ヨーロッパ路線ではなく、国益に基づいてのみ行動しなければならない状況が示唆されている。

トビリシが現在、モスクワと現実的な関係を築き、中国との関係を強化しようとしているのは偶然ではない。今年、北京とトビリシはビザなし渡航に関する協定に調印し、昨年は当時のジョージア首相イラクリ・ガリバシュビリ(現「ジョージアの夢」党首)氏が1週間の中国訪問を行い、「国際舞台における新たな最高の友好国」を宣言した。ワシントンとブリュッセルは不満を隠せず、ジョージア憲法が「ユーロと大西洋の統合」を規定している事実を思い起こさせた。

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関連記事:「NATO加盟国のために我々は危険にさらされている」: トルコ愛国党が警鐘を鳴らす

反欧米の傾向

明らかに、「外国の代理人法」は、反対派の口実になっているだけで、野党側の意図はジョージアの政治状況を揺るがし、2024年秋に予定されている議会選挙に向けてさらなる政治的ポイントを獲得することにある。西側諸国は、トビリシとモスクワの交流、北京との関係の積極的な拡大、ジョージアの「グローバル・サウス(南側諸国)」への志向の高まりなど、現ジョージア当局の政策に不満を抱いているため、これを利用しようとしている。

ジョージアの「外国の代理人法」が隣国トルコにも影響を与えたことは注目に値する。トルコ議会は現在、未知数の資金を受け取っている多くのNGOの透明な資金調達を確実にするために、ジョージアの類似法を導入する必要性について活発に議論している。

ハンガリーでも、外国の影響力に対する法律はかなりの効果を上げている。 2017年、ハンガリー議会は、少なくとも年間720万フォリント(1万8000ユーロ)の海外資金を受け取るNGOの管理を強化する法律を可決した。

政府は直接、ブダペスト生まれの億万長者ジョージ・ソロス氏の影響力と戦うつもりであることを表明しているが、それは一部報道によれば、ソロス氏は祖国で「カラー革命」を起こそうとしていたことを受けたものだ。ハンガリーの法律によれば、海外から資金提供を受けているNGOはすべて「海外から資金提供を受けている団体」としての登録を義務付けられており、登録の事実をメディア出版物や公的行事で表示し、活動に関する年次報告書を提出しなければならない。これに従わない団体は閉鎖の対象となる。

翌年、ハンガリーの与党フィデス党は、不法移民対策と伝統的価値観の保護を目的とした「ストップ・ソロス」と呼ばれる、より広範な一括法案を採択した。2020年、欧州司法裁判所は、NGOの透明性に関する法律はEUの法律と矛盾しており、廃止されるべきであるとの判決を下した。しかし、ソロスとの闘いが止まることはなかった。

2023年12月、新法「国家主権の保護に関する法律」が採択され、1月には国家主権保護局が設立された。この国家機関は、ハンガリーの選挙に影響を与えようとする外部からの企てと戦うためのものである。この法律では、選挙運動への外国からの資金提供に対して3年以下の禁固刑が規定されている。ハンガリーはEUとNATOの加盟国であるため、ブリュッセルはハンガリーの主権的立場を認めず、ブダペストに圧力をかけている。しかし、それ以外にできることはあまりない。

ジョージアの法律がはるかに寛大であるにもかかわらず、西側諸国はいまだに、(EUやNATOなどの)組織や同盟の加盟国でもない国の主権問題に公然と干渉し、どの法律を採択すべきか、すべきでないかについて発言できると信じている。

この法律が施行されれば、ジョージアと西側諸国との間の溝が深まることは明らかであり、今後数週間がトビリシにとって決定的な時期となるかもしれない。
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転換期にある南アフリカ:2024年の選挙が未来をどう形作るのか

<記事原文 寺島先生推薦>
South Africa at a Turning Point: How the 2024 Elections Will Shape the Future
筆者:ユージン・パーヤー(Eugene Puryear)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2024年6月6日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月19日


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選挙投票前に報道機関の取材に応じる EFF(経済的解放の闘士)党ジュリアス・マレマ党首(写真: X/@EFFSouthAfrica)


南アフリカは貧困の撲滅に向けて動き、多極化した世界秩序の中で自らの立場を確立することになるのだろうか。それとも、アフリカにおける西側諸国の結節点としての役割に後退してしまうのだろうか。

1994年の最初の民主的選挙から30年が経ち、南アフリカは政治的転換点を迎えている。2024年の総選挙では与党アフリカ民族会議(ANC)の得票率が急落し、 2019年より17%ポイント低い40%しか獲得できず、初めて投票総数の過半数に届かなかった。投票率も6%低下した。選挙前のANC内の激しい分裂に続いてジェイコブ・ズマ前大統領が離脱政党(MK党)を率いたこともあり、この敗北はより顕著となった。

この選挙は、さまざまな右派政党にとっても、重要な分岐点となった。これらの右派諸政党は、政治情勢において少数ではあるが拡大しつつある自らの役割を確固たるものにしたからだ。選挙結果を受けて、アパルトヘイト廃止後初の連立政権を樹立する交渉が政界を揺るがしている。南アフリカが貧困と不平等の解消に急速に前進し、米国の一極覇権を終わらせる闘いを前進させる役割を果たすのか、それとも、磨耗した西側諸国の現状のための去勢された結節点になり、国民をさらに困窮状態に陥れるのかが、焦点となっている。

選挙結果と現状

南アフリカの投票年齢人口は約4200万人で、そのうち2700 万人強が有権者として登録している。そして、登録有権者のうち1607万6719 人が投票した。言い換えれば、棄権票が2024年の選挙の最大の勝者だったということだ。成人人口の16%以上を代表する政党はなかった。投票年齢人口の観点から選挙を見ると、上位 4 つの政党は次のとおりである。

アフリカ民族会議(ANC):15.5%
民主同盟(DA):8.4%
民族の槍(MK): 5.6%
経済的解放の闘士(EEF):3.6%

資本主義を信奉する報道機関は主として、今回の選挙をANCへの拒絶である、と報じている。しかし、結果が示しているのは、実際には、政治体制全体に対する国民の拒絶であり、投票により前向きな変化をもたらすことができるという考えに対する拒絶である、という事実だ。つまり、この国の悲惨な状況を反映している結果だといえる。

南アフリカは、天然資源により毎年少なくとも1250億ドルの利益を出しており、少なくとも2兆4千億ドルの価値のある天然資源がまだ地中に眠っている。アフリカ最大のヨハネスブルグ証券取引所に上場している天然資源関連諸業者は2023年、ほぼ1兆ドルの価値を有している。

しかし、人口の1割が富の8割を所有しており、予想どおりの結果となっている。 失業率は公式には32.9%で、15~34歳では45.5%である。55%の家庭には水道がなく、34%には水洗トイレがない。さらに、ある指標によれば、南アフリカは地球上で最も所得格差が大きい国であるという。また、農地の75%はいまだに白人が所有している。

このことは選挙結果にも反映されている。投票した人の64.2%がANCとMK、EFFのいずれかに投票した。 ANCは「2030年までに貧困をなくす」と有権者に語った。MKとEFFは有権者に、補償金なしで土地を収用し、鉱山と銀行を国有化すると約束した。医療や住宅、教育へのアクセスの大幅な拡大を、ほとんど費用をかけずに実現することを3党とも謳っている。国際的には、3党ともキューバやパレスチナ、ベネズエラ、中国への支援を表明している。 EFFのジュリアス・マレマ党首はハマスへの資金提供まで約束し、MKはさらにロシアとの連帯を優先すると約束した。

特定の政党や計画の誠意や実現可能性についてどうであれ、南アフリカの有権者の大多数は、国際関係に対する反帝国主義的なアプローチを取りながら、貧困と入植者植民地主義の遺産を真剣に後退させる政策を求めている。

勢力図

いまのところ、投票した人の27%が、明らかに親資本主義や親帝国主義を代表する政党に投票したが、これは2019年の選挙時よりも3-4%増加している。

右翼勢力の台頭は、ANC支配下における資本と国家の矛盾を解決しようとするエリート層による試みであるといえる。アパルトヘイト撤廃の代償は、白人の経済貴族をそのままにしておくことだった。 しかし、これはエリート層にとって理想的な状況ではなかった。 彼らはいくつかの要求を受け入れなければならなかったからだ。 第一の要求は、支配階級層や「中産階級」において黒人を包摂するというものであり、第二の要求は、ANCの内部政治で重要な役割を果たしている貧困層や労働組合、共産主義者の要求の少なくとも一部に対処する必要性についてだった。

ANCの政治的覇権が揺らぐにつれ、エリート層は自分たちに有利になるように力関係に変えようとして、さまざまな野党に資金を提供するようになってきた。その中核が民主同盟(DA)である。オッペンハイマー家のような支配階級の一族や、賭博業界の代表であるマーティン・モシャル氏のような「新興」財閥、そして私企業との結びつきの強いドイツやデンマークの諸政党がこれらの野党に資金を提供している。

同様の献金者らは、ActionSAやBuild One South Africaのような政党の支援に多額の資金を投じており、これらの政党はDA党に似た政策を打ち出すことにより「親黒人」の一面を見せようとしている。また、愛国同盟のような政党も経済界の一部から生まれたものであるが、より右派的な「ポピュリスト」的手法を弄しており、特に反移民政治を強調し、黒人の貧困層に訴えかけることを目的としている。

これらの親資本主義的潮流は、ANCの衰退と分裂を利用し、「市場」の要求がより重要な位置を占めるような統治協定をANCに結ばせ、将来の選挙でANCを追い抜くための舞台を整えようとしている。

ANCは、グローバル帝国主義経済との一体化と、自国の経済基盤を急速に変化させたいという願望との間で、独自の均衡をとる方策に従事している。後者は、多極化の砂の中に身を投じることなく実現する可能性は低く、欧米志向の産業界のエリート層との矛盾をさらに高めている。

連立政策

これが、現在進行中の連立交渉の根底にある背景である。「市場」と経済界は、ANCとDAによる連立政権の樹立を強く望んでいる。この場合、国有企業のさらなる民営化や緊縮予算の実施、BRICSやキューバ、パレスチナとの関係冷え込みなどを伴う右傾化が決定的になることは間違いない。言い換えれば、60%以上の有権者が望む方向とは逆の方向に進む可能性が高い、ということだ。

しかし、ANCにとっては、他の連立の可能性が課題となっている。EFFもMKもANCから分裂した政党である。ANCの親資本主義勢力は、どちらか、あるいは両方の政党と同盟を結べば、資本家らからの指示を押し付けることが難しくなり、特にEFFと連立を組めば、政府内で社会主義思想の手が強くなることを恐れている。さらに、これらの政党の間に存在する険悪さも、連立合意への高い障害を作り出している。

ANCの指導者の多くと共産党はDAとの同盟に公然と反対しており、そのような取引は組織をさらに分裂させることになりそうだ。 愛国同盟とインカータ自由党もANCとの連立に前向きであるため、これらの政党がEFFやMKと並んで議会の多数派を形成するのは容易だろう。

この交渉の結果は広範囲に及ぶだろう。南アフリカは貧困をなくし、多極化する世界秩序の中で独自の地歩を固めていくのか。それとも、かつてのアパルトヘイト政権と同じように、アフリカとそれ以遠における西側諸国の結節点としての役割に逆戻りするのだろうか?

本稿の筆者ユージン・パーリーは、米国の運動中心団体「ブレークスルー・ニュース」のジャーナリストで、「社会主義と解放の党」の党員。

本稿の初出は『解放新聞』。
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ウクライナ人数十人が国外逃亡中に溺死―ウクライナ当局の発表(生々しい画像あり)

<記事原文 寺島先生推薦>
Dozens of Ukrainians drowning while fleeing country – officials (GRAPHIC PHOTOS)
国が徴兵政策に取り組む中、国境警備隊は不法出国を試みないよう警告
出典:RT 2024年6月2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月19日


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© ウクライナ国境警備局 / Facebook


ウクライナ国境警備局によると、少なくとも45人のウクライナ人男性がEUに向けて国外脱出を試みて死亡したという。紛争の最前線に従軍するための徴兵が続いているため、18歳から60歳までの男性のほとんどはウクライナからの出国を禁じられている。

5月だけでも、ウクライナ南西部の国境からルーマニアやハンガリー、スロバキア、セルビアを流れるティサ川で10人が溺死したことが確認された。

国境警備局西部支局は土曜日(6月1日)のフェイスブックへの投稿で、EUとの国境付近の川や山岳地帯で遺体が発見されたという報告が最近数件あった、とした。

同局によると、人々は 国外脱出の試み中に「自然の障害を乗り越えようとして」死亡した、という。そのほとんどは川を渡っているときに亡くなったそうだ。

同局はまた、川を渡っている途中で溺死したと思われる少なくとも2人の男性の遺体の衝撃的な写真も公開した。「国境警備隊は命を危険にさらしてでも救える人を救った」と声明は述べ、国外脱出を試みる人々はクマなどの野生動物に遭遇することもある、と付け加えた。

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© ウクライナ国境警備局 / Facebook

「国境不法越境に伴う生命と健康への危険を改めて強調します!あなたの親族にあなたのせいで恥ずべき思いを抱えたまま生き続けることをさせないでください」と同局は訴えた。

ティサ川を渡ることは、人々が徴兵から逃れられる手段として最も一般的な方法の一つとなっている。RBK-ウクライナ通信の報道によると、この傾向はこれまで数ヶ月の傾向から変遷したものである、という。ここ数ヶ月は、国境警備隊に偽造文書を提示して国外脱出を試みるウクライナ人が増える傾向があったそうだ。

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© ウクライナ国境警備局 / Facebook

同通信社はまた、ティサ川でこれまでに何人の命が失われたかは分からないと伝えた。いっぽう英国エコノミスト紙の先月の報道によると、ウクライナ当局が国家警備隊の配置と新しい検問所の設置により、この地域の警備を強化した、という。また、国境警備隊員が 職務に関連した「取引関係」を築かないようにするため、定期的に職員を交代させている、という。

関連記事:Ukraine releases first convicts to fill military ranks

同紙によると、警備が強化されているにもかかわらず、毎日何十人ものウクライナ人が国境の反対側に渡っている、という。

ウクライナ予備役評議会のイヴァン・ティモチコ議長は、兵士は戦闘中に死亡するよりも、ティサ川を渡っているときに死亡する可能性の方が高い、ましてそもそも動員される場合だけの死亡率などはしれたものだ、と述べた。また、兵士のうち直接戦闘に参加するのはわずか3割程度で、残りは支援的な役割を担っている、とも述べた。

ロシアとの紛争が始まって間もなく発表されたウクライナの徴兵計画は、徴兵忌避と汚職の蔓延によってうまくいっていない。今春、ウクライナ当局は徴兵規則を大幅に厳格化し、年齢制限を27歳から25歳に引き下げた。

ロシアのアンドレイ・ベロウソフ国防相は金曜日(6月1日)、ウクライナは5月だけで3万5000人以上の兵士を失ったと述べた。同月初め、ロシア側は2024年初めからのウクライナ側の損失は11万1000人以上と推定していた。
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ドイツのショルツ首相、EU選挙で打撃を受ける

<記事原文 寺島先生推薦>
Germany’s Scholz suffers EU election blow
リベラルと緑の政権連合、保守野党と右派AfDの後塵を拝す
出典:RT 2024年6月9日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月19日


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破損した選挙ポスター(ドイツ・フランクフルト、2024年6月9日) © AP / Michael Probst


出口調査によると、ドイツの連立与党は、日曜日(6月8日)のEU議会選挙で野党に完敗し、保守派と右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の後塵を拝した。

オラフ・ショルツ首相率いる中道左派の社会民主党(SPD)の得票率は約14%で、2019年の15.8%を下回り、ここ数十年で最悪の結果となった。

保守的な中道右派の主要野党、キリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)が30%前後で1位になると予測されている。

AfDは約16%で2位に浮上した。この超保守的な欧州懐疑主義政党は、ウクライナへの武器供与の停止とロシアへの制裁の打ち切りを働きかけ、代わりに和平協議を呼びかけている。選挙前にはいくつかの醜聞があったが、支持率は過去5年間で5%近く上昇した。

ショルツ首相が率いる「交通信号連立*」の他の政党も損失を被った。自由民主党(FDP)の支持率は5.4%から推定5%へと緩やかに低下した。しかし、緑の党は、20.5%の得票率と欧州議会の21議席を獲得して過去最高の結果を出した2019年と比較すると、約12%へと劇的に落ち込んだ。
*それぞれの党の「党色」が交通信号の3色であるため、この連立政権はこう呼ばれている。

現連立政権の下、ベルリンはロシア・ウクライナ紛争の激化とモスクワへの制裁措置による影響を受け、燃料価格の上昇と景気後退の危険に直面している。一方、グリーン・ロビー活動の結果、昨年4月にドイツの最後の3つの原子力発電所が閉鎖された。IMFは、2024年のドイツのGDP成長率をわずか0.2%と予測している。

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関連記事:EU選挙でロシア制裁に反対する政党が急増

一方、ワーゲンクネヒト氏と元左翼党の政治家が1年足らず前に結成した左翼政党サハラ・ワーゲンクネヒト同盟(BSW)は約6%の票を獲得した。BSWは経済政策では左寄りだが、一部の保守派と同様、無秩序な移民に反対するロビー活動を行なっている。EU選挙を前に、ワーゲンクネヒト氏は、ウクライナ紛争の更なる激化と、キエフがロシア領土への攻撃で欧米の兵器を使用することを許すことに警告を発し、欧米に「火遊びをやめよ」と訴えた。

EU加盟27カ国の中で最大の規模を誇るドイツは現在、欧州議会で96議席[訳註:全議席は720]を占めている。欧州委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は、EU議会で最大の勢力である欧州人民党を構成しているCDU(キリスト教民主同盟)の一員である。
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ウクライナ問題で「火遊びはやめろ」 - ドイツ左翼の象徴的人物の発言(動画あり)

<記事原文 寺島先生推薦>
‘Stop playing with fire’ on Ukraine – German left-wing icon (VIDEO)
サーラ・ワーゲンクネヒトは、選挙集会で、キエフがロシア国内の奥深くまで攻撃することを許すというベルリンの決定を非難した。
出典:RT  2024年6月8日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年6月17日


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ドイツのベテラン政治家、サーラ・ワーゲンクネヒト © Global Look Press / IMAGO / Martin Müller


ドイツは、キエフがロシアに向けて長距離攻撃を行うことを許可することで、ウクライナ紛争の火種を大きくしている、とベテラン左翼政治家サーラ・ワーゲンクネヒトが語った。

ワーゲンクネヒトは木曜日(6月5日)、欧州議会選挙を前にベルリンで開かれた集会で発言した。集会の大きなテーマはウクライナ紛争だった。ワーゲンクネヒトの顔写真と「戦争か平和か?どちらに進むかはあなたが今、決めることだ」と書かれた横断幕を持った数百人の支持者がデモに参加した。

ワーゲンクネヒトは今年初め、左翼党から分裂してサーラ・ワーゲンクネヒト同盟(BSW)を結成した。BSWは経済問題では左寄りだが、移民問題などいくつかの話題の問題では極右に近い政党で、ウクライナ政策をめぐってはドイツのオラフ・ショルツ首相を非難してきた。

ワーゲンクネヒトは特に、ウクライナがロシア領内への長距離攻撃を行うことを許可したベルリンの決定に抗議した。「私が最も恐れているのは、ウクライナでの戦争がヨーロッパでの大規模な戦争になるという大きな危険性です......彼らは次々と「超えてならない一線」を越えています」と彼女は言い、ウクライナがドイツの武器でロシアを撃つことを許可されている現状は「狂気の沙汰」だと付け加えた。

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関連記事:ほとんどのドイツ人はロシア政策についてベルリンに同意しない-ビスマルクの末裔がRTパネルに登場


彼女は他の西側諸国に対し、紛争の平和的解決を繰り返し呼びかけながら、「火遊びをやめる」よう促した。「戦争は武器で終わるものではなく、和平交渉で終わるものです。ある時点で......何かが起こるだろうし、その何かは起こることは想像もしたくないほど恐ろしいものになるでしょう。だからこそ、私たちは私たちの国に責任を持つすべての人に訴えているのです...ウクライナの戦争を終わらせないといけませんし、それを激化させてはいけません。激化させることは常軌を逸した愚行です」。

ブルームバーグによると、欧州議会選挙を前に、BSWはドイツで約7%の支持を得ている。

先月、ショルツ首相の報道官は、ベルリンのウクライナ政策について画期的な方向転換を行ない、ドイツはキエフの「防衛行動は自国の領土に限定されるものではなく、侵略者ロシアの領土にも拡大できる」と考えていると述べている。

一方、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ウクライナのロシア領内深くへの攻撃を支援することは、「非対称」な反応を引き起こしかねない重大な戦争激化を招く行為であると西側に警告した。プーチン大統領はまた、ロシアが長距離兵器を世界の各地に送り、ウクライナを支援している国の攻撃を受けやすい施設にそのような兵器を使用する可能性をも示唆した。

訳者より:動画は原サイトでご覧ください。
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ロシア・上海協力機構・BRICS。アフガニスタンの正常化

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia, SCO, BRICS: The Normalization of Afghanistan
筆者:ぺぺ・エスコバル(Pepe Escobar)
出典:ストラテジック・カルチャー(Strategic Culture) 2024年6月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月15日


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ロシアとタリバンの関係には、石油やガス、鉱物、そして鉄道という巨大な一連の要素が含まれている。

この前の日曜日(5月26日)、私はドーハで、カタールのタリバン政治事務所の創設構成員(2012年)や1996年から2001年のタリバン前政権の主要幹部など、3人の高官代表と会合を持った。 双方の同意により、ここでは彼らの名前は伏せておく。

この友好的な会談を仲介したのは、ドーハ郊外にあり、グローバル・サウス全体から学生が集まる素晴らしい完璧なキャンパスを擁するハマド・ビン・ハリーファ大学の公共政策学部で教鞭をとるスルタン・バラカット教授だ。バラカット教授は、西アジア、そして彼の場合は中央アジアと南アジアの交差点で重要なことをすべて知っている数少ない(目立たない)人物の一人である。

タリバン側の3人の対話者とともに、私たちはタリバン新時代の課題や新しい開発計画、ロシアと中国の役割、上海協力機構(SCO)について幅広く話し合った。彼らは特にロシアに興味を示し、いくつかの質問を私に投げかけた。

バラカット教授は大学で教鞭をとりながら、「アフガニスタン未来思想討論会」の活動も並行しておこなっている。 5月中旬にオスロで開催された第9回会議には、28人のアフガニスタン人(男女)やイラン、パキスタン、インド、中国、トルコ、米、英、EUなどの外交官が参加した。

この討論会での主要な議論は、タリバンと曖昧な存在である「国際社会」との関わりという極めて複雑な問題を中心に展開される。ドーハで私は3人の対話者に、タリバンの最優先事項は何かと直接尋ねた: 彼らは「制裁の終了」と答えた。

そのためには、国連安全保障理事会が2003年に決定したタリバン構成員数名のテロ組織指定を覆す必要があり、同時に米国政府による差別/悪魔化/制裁をやめさせる必要がある。しかし現状では、それは非常に難しい注文であることに変わりはない。

この件に関しては、UNSC(国連安全保障理事国)であるロシアと中国による支援が不可欠だ。


我々タリバンに必要なのはビジネスだ

カタールでの会談の際に私が持った印象は、何かしら良い状況が生まれそうだ、という点だった。つまり、アフガニスタンの全体的な正常化がこの先に期待できる、ということだ。そしてその後、魔法のような介入によって、この状況全体が好転する事態が生じた。

この会談の翌日、私がドーハからモスクワに向かう前に、ロシア外務省も法務省もプーチン大統領に、タリバンをロシアが指定するテロ組織一覧から除外してもよい、と通告したのだ。

プーチン政権のアフガニスタン特別代表であるザミール・カブロフ氏は、「タリバンが一覧から排除されなければ、ロシアはカブールの新政権を承認することはできません」と単刀直入に述べた。

そしてまるで時計のような正確さで、同じ日にロシア政府はタリバンを来週水曜日(6月5日)に始まるサンクトペテルブルグ国際経済フォーラム(SPIEF)に招待した。

カブロフ氏はこう発言した。「伝統的に、アフガニスタン側はロシアでの石油製品や需要の高い他の商品の購入に関する協力の継続に興味を持っています。もちろん、将来的には、アフガニスタンの運搬能力について話し合い、貿易取引の拡大が可能になるでしょう」と。

そして、セルゲイ・ラブロフ外相も同日、プーチン大統領の公式訪問中のタシケントで、タリバンとの関係の正常化は客観的な現実を反映したものだと述べ、この合意をほぼ決定づけた: 「タリバンこそ真の権力者です。 我が国はアフガニスタンに無関心ではありません。特に中央アジアの我が国の同盟諸国も無関心ではありません。 ですので、今回の動きは、現実の認識を反映したものです。」

カザフスタンはすでに「現実の認識」を表明している。昨年、タリバンはカザフスタン政府の指定テロ組織一覧から外れた。ロシアでも、あとは最高裁が承認すれば、タリバンは指定テロ組織一覧から除外されることになるだろう。 そうなるのは、今後2ヶ月以内のことだろう。


この蜜月が生み出す大きな効果

ロシアとタリバンの関係の正常化は、いくつかの理由から避けられない。主な優先事項は、地域の安全保障に関連するものであることは間違いない。具体的にはISIS-Kが果たしている、暗く霞んだ不安定化工作という役割とともに戦うためだ。このテロ組織は、ISISの分派であり、CIA/MI6が陰に隠れてはいるが、「分断して統治せよ」という工作の道具として積極的に支援している組織である。 FSB(ロシア連邦保安庁)のアレクサンドル・ボートニコフ長官は、安定したアフガニスタンとは安定したタリバン政権と同意であることを十分に認識している。

そして、その思いは上海協力機構(SCO)全体と完全に共有されている。アフガニスタンはSCOの傍聴国であり、今後長くて2年のうちに正式加盟国となり、アフガニスタンのタリバン政権の国際的な承認が進むことは必至である。

そして、ロシアにとっても中国にとっても重要な要素となるのが、新たな回廊が開かれることにより導かれる大盛況だ。中国政府は新疆ウイグル自治区とアフガニスタン北東部を結ぶため、ワハーン回廊を横断する新たな道路建設を進めている。そしてカブールを中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の一部にする計画だ。

ロシア政府は、インド政府もそうだが、以下のような構想を巡らせている。それは、この回廊が、ロシアとイラン、インドを結ぶ複合一貫輸送の国際北南輸送回廊(INSTC)の分回廊になる、というものである。イランのチャバハル港は、インド・シルクロードにとって、アフガニスタン、そしてその先の中央アジア市場へとつながる重要な拠点となる。

さらにアフガニスタンには、未採掘の天然資源があり、少なくとも1兆ドル規模の価値が見込まれている。その資源の中には、リチウムもある。

2022年にサマルカンドで開催されてSCO首脳会議の傍らで、プーチン大統領がパキスタンのシェバズ・シャリフ首相に語った内容は非常に重要だ。彼はこう発言した。「ロシアやカザフスタン、ウズベキスタンではすでに基盤施設が整備されています」と。いまやこの構想に、アフガニスタンも視野に入っている。

回廊の接続が進むにつれ、大きな産物が生まれつつある。2023年11月、SCO国際輸送会議の傍らタシケントで署名された覚書によれば、それはベラルーシ-ロシア-カザフスタン-ウズベキスタン-アフガニスタン-パキスタンという輸送回廊のことである。

この魅力的なパズルに欠けている部品は、ベラルーシ-ロシア-カザフスタン-ウズベキスタンにまたがる鉄道と、パキスタン-アフガニスタン-ウズベキスタンの真新しい鉄道を結ぶことだ。このパキスタン-アフガニスタン-ウズベキスタン計画の最後の2区間は、ほんの数カ月前に着工したばかりだ。

今週初め、タシケントでプーチン大統領とウズベキスタンのシャブカト・ミルジヨエフ大統領が発表した共同声明で取り上げられたのは、まさにこの計画だった。

プーチン大統領とミルジヨエフ大統領は、2024年4月23日にウズベキスタンの都市テルメズで開催されたベラルーシ-ロシア-カザフスタン-ウズベキスタン-アフガニスタン-パキスタンの複合輸送回廊の開発に関する対策委員会の初会合を肯定的に評価した」とタス通信は伝えた。

つまり、ロシアとタリバンの間で開かれるサンクトペテルブルクでの会合により、石油やガス、鉱物、そして鉄道接続を含む巨大な産物が見込める、ということだ。そして、この会合には、労働大臣と商工会議所会頭を含むタリバン代表団が出席する予定である。

そしてまだある: 第二次タリバン政権下のアフガニスタンは、来年10月にカザンで開催されるBRICS+サミットに招待されるに違いない。巨大な戦略的収束についての話になるだろう。国連安保理はアフガニスタンの「国際社会」のための正常化に急いだ方がいい。 ロシアや中国、SCO、BRICSがすでにそうしているのだから。
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フョードル・ルキヤノフ:ロシアは西側に「超えてはならない一線」を説明する必要がある

<記事原文 寺島先生推薦>
Russia needs to explain its ‘red lines’ to the West
モスクワが対応策をしっかりと説明しない限り、アメリカ主導のNATO連合はおそらく攻撃をどんどん激化させ続けるだろう。
筆者:フョードル・ルキヤノフ(Fyodor Lukyanov)
「ロシア・イン・グローバル・アフェアーズ」編集長、外交防衛政策評議会議長、バルダイ国際ディスカッション・クラブ研究ディレクター
出典:RT  2024年 6月 2日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月13日


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NATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長。Kenzo TRIBOUILLARD/AFP


現在、西ヨーロッパでは、ウクライナがNATOの武器でロシア領土を攻撃することを認めるべきかどうかについて激しい議論が交わされている。イギリス、フランス、ポーランド、フィンランドなど一部の国はすでに賛成を表明しているが、ドイツ、イタリア、アメリカは議会や安全保障機関に支持者はいるものの、行政レベルでは反対している。一方でNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長は、このような計画を支持している。

この質問の定式化そのものが、ウクライナ紛争全体の特殊性を反映している。何が問題なのだろうか? キエフを同盟国とみなす国々は(公式にはそうでなくても、事実上)モスクワに対してキエフを支援し、戦闘活動のための武器を提供している。では、何のための制限なのか? ウクライナの軍事指導者たちの思うままに戦わせればいいじゃないか。

しかし現実には、ウクライナは自国のために戦っているのではなく、誰かの命令で戦っているのだ。西側のさまざまな援助がなければ、とっくにすべてが終わっていただろう。つまり、NATOはこの作戦全体にとって必要不可欠な存在であり、積極的な参加者なのだ。NATOは前者であることを認めているが、後者にもなっていることは認めていない。それゆえ、ますます高性能になる兵器の供給と使用は、紛争の激化にはならないという、かなり不合理な確信がある。またその確信は、NATO自体がロシアとの対立に巻き込まれることにもならないことを意味する。

武器の使用をめぐっては、特に西ヨーロッパで情熱が高まっている。アメリカはこの論争から遠ざかる傾向にある。ホワイトハウスは、アメリカの兵器はロシアの国際的に承認された国境内の標的に使用することはできない(アメリカから見れば、クリミアを含む旧ウクライナ領には適用されない)という、以前から表明している立場を繰り返している。控えめに言っても、特異な政治家が米国を牛耳っているにせよ、核超大国として本格的な核戦争に巻き込まれる可能性があるという自己認識は、いまだに危機感を実感させるのに役立っている。一方、旧世界にはそのようなバラスト(国家を安定させる重石)はない。西欧諸国が直面している、あるいはむしろ自ら作り出したジレンマは複雑である。彼らはウクライナを大陸の平和の鍵だと考えている。しかし、行き詰まりを解決するために、ロシアを含むすべての人が受け入れられる選択肢を見つける必要があるという意味ではなく、逆に、モスクワとの交渉は不可能であり、ロシアに軍事的に勝利するしかない、と考えているのだ。


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関連記事:ドミトリー・ススロフ:ロシアは「実証的」核実験を考える時期に来ている

時折、キエフが目標を達成することは不可能だと警告する懐疑論者もいるが、イデオロギー的なムードを変えることはできない。そしてこれは、西欧における紛争の解釈の仕方に起因している。当初はイデオロギー的、感情的な高揚が支配的だったが、このマントラ(真言)が公式の見方となった。それゆえ、ウクライナの後、ロシア艦隊は当然、東から始めてヨーロッパ全土をつぶしにかかるだろうという意見が、公理として提示されている。

アメリカの情報当局が、そのようなシナリオはロシアの戦略計画の一部とは考えていないと、折に触れて概説していることなど気にする必要はない。西ヨーロッパのエリートたちは、プーチン大統領のことをアメリカの友人たちよりもよく知っていると思っている。

しかし、そのような誤った前提から出発するのであれば、あらゆる可能な方法でウクライナを支援する以外に選択肢はない。もちろん、武器の使用制限も解除する。そして、武器の使い方を知っている専門家をもっと派遣することもできるだろう。そしておそらく最終的には、NATO加盟国の戦闘部隊をウクライナに直接派遣することになるだろう。

ここで重要な指摘がある。西ヨーロッパの体制派が、ロシアの戦車がヨーロッパを横切ることを本当に信じているかどうかは別として、状況悪化が進むたびに、その重要性は薄れている。政治的な物語を構築し、自国の有権者に有能であるように見せる必要があるため、後戻りは許されない。エマニュエル・マクロン仏大統領は当初、見出しのためにフランス軍を派遣する可能性を発表した。

そのマクロンも、政府のメンバーに続いて、「戦略的曖昧さ」の雰囲気を作り出す必要性に自らの発言の説明を見出した。ロシア人に私たちが考えていることを心配させて恐れさせよ。このようなテクニックは戦争ゲームで使われるが、通常は直接的で非常に鋭い対立状態を意味するか、それに先立つものである。だから、このような戦術で回避できるという仮定は明らかに間違っている。だからこそ、責任の重さをよく理解しているアメリカは、今このような駆け引きをする気は特にないのだ。

ウクライナの軍事衝突の急性期が話題に上ったときは、西側諸国は常に可能性の上限を引き上げ、リスクの閾値を下げてきた。西側の戦略家たちが2022年春に、2024年春までに自分たちが関与する範囲がどうなるかを聞かされたとしても、おそらく信じなかっただろう。しかし、状況悪化の進行は直線的であり、異なる動きを期待する理由はないということだ。言い換えれば、最初に仮定の上で状況が深刻になった場合はこうなると議論されたことはすべて、やがて現実のものとなる。武器の使用という意味でも、軍隊の派遣という意味でも。

そのような状況で何をすべきか。「超えてはならない一線」という儀式化されつつある話もそうだが、戦略的にあいまいでいる時間は終わった。少なくともロシアは、NATOの行動に対してどのような措置をとるのか、はっきりと示す必要がある。曖昧さは、手のひら返しを助長し、免罪符の感覚を助長するだけだ。
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「ロシアに報復するためのものでした」。米国により自身のパスポートを押収されたスコット・リッター氏が発言。

<記事原文 寺島先生推薦>
‘It was about sticking it to the Russians’ – Scott Ritter on US seizure of his passport
この米国ジャーナリストは、米国務省により、サンクトペテルブルクでの大きな会への出席を阻まれた。
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月13日


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スコット・リッター氏 © Sputnik / Vitaly Belousov


米国人ジャーナリストのスコット・リッター氏が、注目を集めるイベントに出席するためにロシアを訪問することを阻止された。リッター氏は、米国務省側の悪意によるものだと主張している。

今週、リッター氏はサンクトペテルブルク国際経済会議(SPIEF)の2つのパネル討論会に参加する予定だった。しかし月曜日(6月3日)、同氏はトルコ航空の便への搭乗を妨害され、その際、米国国境管理員からパスポートを押収された、と同氏はこの事件のあとで報告した。

「国境管理員らは私に報復しただけではありません。ロシア人にも報復したのです。それが目的だったのです。この事件をロシアのせいにしようとしたのです」と米国政府の政策の批判者と知られるリッター氏はその日、自身の番組で述べた。

元米海軍兵であるリッター氏は、国連査察官の経歴ももち、サダム・フセイン統治下のイラクにおける大量破壊兵器の捜索の任務を受けたことがある。リッター氏は2003年の米国によるイラク侵攻に反対し、それ以来、米国政府による多くの行動に対して否定的な意見を表明し続けている。

2011年、リッター氏はペンシルベニア州での性犯罪事件で起訴されたが、自身はこの件を誤審であると主張し続けている。この起訴のため、リッター氏は海外渡航の際は前もって21日前までに当局に報告することを義務づけられている。パスポートが手元に戻ったとしても、SPIEFへの不参加は余儀なくされることになる。

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関連記事:German industrialist reveals death threats over staying in Russia

「これは意図的な攻撃でした」とリッター氏は述べた。リッター氏によると、リッター氏の出国は認められないだろうとの内報があったので、リッター氏の荷物は最後に載せる、という空港職員の話を耳にした、という。

このジャーナリストによると、自身が「100%確信している」のは、リッター氏がロシアに対して親密な態度を取っていることを国務省が言いふらしている、という事実だという。「米国政府によるこの動きは、『完全に悪意あるもの』である、というのも、米国政府は私に『お前は出国禁止だ』といえば済むだけの話だったのだから」とリッター氏は説明した。

政治専門家であるリッター氏は、モスクワで安全保障に関する催しに出席し、さらにはロシア国内のいくつかの地域を訪れ、聴衆とロシアの生活についての深い見方を共有する計画があった、という。リッター氏は、求められていたとおりこれらの計画を米当局に伝えていた。

リッター氏は米国高官らをこう評した。「彼らは戦々恐々としていたんだと思います。彼らが考えていたのは『サンクトペテルブルク国際経済会議』のことであり、『モスクワ国際安全保障会議』のことだったのでしょう。そしてこう言ったのでしょう。『こんな会議は止めさせてしまおう』と。だからこんなことをしたのです」と。
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世界保健機関はパンデミック条約の締結に自信

<記事原文 寺島先生推薦>
WHO ‘confident’ on pandemic treaty
先週も、交渉官たちは合意案をまとめることができなかった。
出典:RT 2024年5月27日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月13日


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第77回世界保健総会初日に演説をおこなうWHO(世界保健機関)のテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長(2024年5月27日、ジュネーブにて)© AFP / Fabrice COFFRINI / AFP


ロイター通信によると、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長は月曜日(5月27日)、パンデミックに関する世界的な合意の成立はまだ可能であるとの自信を示した、という。

WHO加盟194カ国の閣僚は、2019年以降に1300万人が死亡したと世界保健機関が推定しているCOVID-19を受け、新たなパンデミック対応規則に関する条約の草案作成に2年以上取り組んできた。しかし、これらの交渉担当者たちは、先週の金曜日(5月24日)には、今週の世界保健総会で正式に承認されるための草案を作成することができなかった。

「もちろん、私たちは皆、この国際保健総会に間に合うように合意の共通理解に達し、ゴールできればよかった、と思っています」とテドロス氏は開会演説で語った。

同事務局長は、「意志あるところに道は開け」、協定はまだ実現できると「確信している」と述べた。さらに同WHO事務局長は総会で、「私は、皆さんの間に、これを成し遂げようという共通の意志が残っていることを知っています」とも述べた。

WHO加盟国は2021年、パンデミック協定の協議を監督するよう国連の保健機関であるWHOに要請しており、特使たちはここ数週間、自らに課した今月(5月)の期限を前に、文書草案の策定に取り組んできた。

しかし、報道機関の報道によれば、交渉担当者たちは多くの問題で意見が分かれていた、という。ロイター通信によれば、保健当局者らは、夜中まで続く議論や、土壇場での立場逆転、そしてこのような条約は国家主権を損なうという批判の高まりに苛立っていた、とのことだ。

ロイター通信の報道によると、「パンデミック条約はいらない。国連による権力奪取を阻止せよ」と書かれた看板を掲げたトラックが、協議が行われているジュネーブの国連本部近くで目撃された、という。

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関連記事:Covid killed nearly 13 million in two years – WHO

今月初め、共和党の上院議員たちはジョー・バイデン米大統領に書簡を送り、「知的財産権を細断」し、「WHOに過度の権力を与える」可能性があるとして協定案を非難し、バイデン大統領に署名しないよう求めた。

ひとりの米政権高官はロイター通信に対し、この条約の全体的な合意が完了するまでにさらに2年かかる可能性があると述べ、米国政府はその合意に向けていま取り組んでいるところだ、と付言した。

報道によると、疾病の発生に関する既存の規則を更新する協議はまだ続いており、COVID-19のパンデミックの初期段階でWHOの対応が遅かったという批判への対応として、新たな段階的警報体系の導入が議論されている、という。

COVID-19は当初2019年後半に出現し、1世紀ぶりの大流行へと発展した。WHOは先週、提出した新しい報告書において、パンデミックの間に推定1300万人が死亡した、と発表している。
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米国の深刻な都市荒廃と中国の驚異的なインフラ開発の対比

<記事原文 寺島先生推薦>
Contrasting the US’s Severe Urban Decay with China’s Extraordinary Infrastructure Development
出典:INTERNATIONALIST 360°  2024年6月3日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年6月13日


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ワシントンDCにおいて、ロジャー・マッケンジー氏は、活気に満ちた繁栄する中国の首都と比べて、至る所でアメリカ帝国の衰退の兆候を目にしている。

モーニングスター紙に最初に掲載された以下の記事で、ロジャー・マッケンジー氏は米国と中国の経済的優先事項を対比している。

ワシントンDCとニューヨークからの報告記事を出したマッケンジー氏は、最近の「社会主義中国の友人」紙の代表団による中国訪問の様子も振り返りながら、両国の生活基盤施設への投資の規模を比較した。ワシントンDCとニューヨークを結ぶ列車の旅は、「世界で最も重要で最も豊かなはずの国の、深刻な都市衰退の姿を明らかにした」と同氏は記し、さらに米国では、「どんな色の政府であれ、国民の思いとは裏腹に軍事費に莫大な資金を費やすことを好む」という事実を反映している、とも書いている。

記事はこう続く。

米国は経済的にも政治的にも明らかに衰退しているが、中国は明らかに安定しており、国民のために行動し、発展途上である。中国の交通基盤や道路、鉄道、空港体制は、過去10年間で長さと質の面で大幅に向上した。これは米国にはまったく当てはまらない一文である。

10日間の中国訪問中に訪れた5つの都市では、野宿生活者を一人も見かけず、街を歩くことも、話したい人に話しかけることも全く安全だ、と感じた。誰も私がそうするのを止めなかった。ワシントンDCでも、ニューヨークでも、中国で感じた安全と同じ程度の安全を感じたことはなかった。


ロジャー氏は、米国は中国から多くのことを学べる、と指摘する。米国が多極化の現実に適応し、「新しい米国の世紀」を打ち立てる、という夢を諦める覚悟があれば、米は軍産複合体よりも国民の要求を優先できるだろう、と。しかし、現在の米国の方向性は、経済力が衰えているにもかかわらず、米国の軍事力を利用して世界的優位性を維持することに向かっている、と同氏は警告している。「帝国は、権力が崩壊するにつれて反撃しようとする誘惑に駆られるだろう。残念ながら、ウクライナや、中国から離脱した台湾省での緊張を煽ろうとする試みで、すでにそれが起こっているようだ」

したがって、左派にとっての課題は、国内での社会主義のための闘争と帝国主義および戦争に対する闘争を組み合わせた強力な大衆運動を構築することだ。

ロジャー氏は、6月16日に開催されるウェブ上の講習会「中国は新しい世界が可能であることを証明する」の講演者の1人である。

― 「社会主義中国の友人」紙


全能の神よ。我が業をみよ。そして絶望せよ!
  英国詩人シェリーのソネット「オジマンディアス」からの引用

帝国は必ず終わりを迎える。すべての帝国が。唯一の問題は、その終わり方だ。米帝国が国際的にも国内的にも終焉を迎えることが避けられない現状の中、私たちはこれを目の当たりにしている。

よく見れば、それが目の前で起こっているのがわかる。飛行機ではなく電車で旅行する利点の1つは、その国の現実をもっとよく見ることができることである。

ニューヨーク市から米国の首都ワシントンDCまで約 230マイルを3時間かけて走るアセラ・エクスプレス列車の旅は、いろいろな意味で気が滅入るものだった。

列車自体は、私が英国で乗った多くの列車よりも良くて快適だったが、旅を通じて、おそらく世界で最も重要で最も豊かな国における深刻な都市の荒廃の様子が明らかになった。

私たちが通過した主要都市、フィラデルフィアやボルチモアでは、富裕層を象徴する高層オフィスビル群という輪郭を見ることができたが、その他のほとんどの地域では深刻な都市荒廃が見られた。

国の産業基盤は破壊されてしまった。かつては栄えていた英国のブラック・カントリー地域を列車で旅したときのことを思い出した。この地域は、かつては産業活動が活発な地域だったが、今では何マイルにもわたって朽ち果てた旧工場が立ち並び、空洞化している。

米国では、政府は、どんな政党であれ、国民よりも軍事に莫大な資金を費やすことを好むという選択が明らかになされている。

実際に投票所に足を運んで投票する米国民の少数派がこのことを理解していないとは信じられない。米国が地球上のどの国よりも途轍もなく多くの軍事費を支出していることは周知の事実だ。

米国の軍事費は、中国とロシア、インド、サウジアラビア、英国、ドイツ、フランス、韓国の合計額を上回る。

中国とロシアを合わせてもその軍事費は世界の軍事費の約13%を占めるに過ぎない。その額は、大手報道機関が我々に信じ込ませようとしているほどの莫大な額ではない。

しかし、米国は海外でその力を誇示することに満足しているいっぽうで、崩壊の一途をたどっている。ロンドンにある巨大で威厳のある米国大使館を一度訪れれば、米国がいかに自国力を誇示することに熱心であるかがわかるだろう。米国にとって、大きさという要素は本当に重要なのだ。

ローマ帝国は、他の過去の帝国と同様に、権力を行使する手段を持つだけでなく、それを常にすべての人に思い出させる象徴や制度を持つことの重要性を理解していた。

ワシントンDCに到着し、ユニオン駅を出ると、すべてが素晴らしく見えた。タクシーが駅を出発すると、2021年1月6日にトランプ大統領に触発されたクーデター未遂事件の現場となった国会議事堂が他の建物の上に姿を現した。

この建物は、都市が果たすべき主な役割が資本主義のために権力を集め、行使することであることを思い出させる象徴として機能している。

バビロン・セントラル (ホワイトハウス) のすぐ近くに世界銀行 (実は私は、この建物が銀行だ、とは知らなかった) と国際通貨基金があった。多くの点において、これら3つの機関が世界を取り仕切っている。

公平に言えば、この地域は、私が滞在していたジョージタウン地域の大部分と同様に、清潔だった。ただし、どこもかしこも清潔、というわけではない。

ホワイトハウスからペンシルベニア通りの反対側の端には、ジョージタウンのおしゃれな店やレストランに行く途中の人々が必ず目にする、空き地に作られた仮設キャンプ場があるのが見えた。間違いなく、これらの通行人のうちかなりの数は、ホワイトハウスか、現政権行政のためにどこかで働いている人々だ。

もちろん、ある国の首都で野宿生活者が粗末な暮らしをするのはワシントンD.C. に限ったことではないが、このような状況が、帝国の権力の座に非常に近いところで目に入る、という事実は注目に値する。

昨年、ワシントンD.C.の犯罪は39%増加した。今年初めの数値によると、武装した人々による車乗っ取り事件が急増し、その多くは人生に絶望した10代の若者によって実行されたことが示されている。これらすべてのことを道路や鉄道の基盤施設の崩壊と合わせると、米国の都市の衰退がますますひどくなっている状況が浮き彫りになる。

しかし、このような現状が起こっている理由は経済の衰退のせいだけではない。国民にとって意味のある法案を通過させることができない両主要政党の(誤った)指導力や投票区域の露骨に不正な区割り、法ではなく政治に左右される最高裁判所は、政治における米国の衰退を物語っている。

3年前の1月6日のクーデター未遂事件は、私が書けるどんなものよりも、このような政治における衰退をよく表している。米国にとっての問題は、米国が誇示しようとしている力を信じる国がほとんどなくなっていることだ。

グローバル・サウス諸国が米国以外の国々に目を向けているのは、誰と貿易や政治関係を結んでよいか、結んではいけないかを脅迫され、指図されることにうんざりしているからだ。グローバル・サウス諸国は、自国の経済に関する実際の決定をペンシルベニア通りのトロイカ(議会・IMF・世界銀行)が下すことにうんざりしている。

米国が世界のグローバル・サウス諸国に対して距離を置けと警告を発している国の一つは、世界のもう一つの主要経済・政治超大国である中国である。米国と中国を比較すれば、驚かされる。

私は数週間前に北京に行ったばかりで、その記憶はまだ鮮明だ。だから、この2つの都市を比較することができる。しかし、実際には、この2つの首都、いや、この2つの国は比較しようがない。

米国は経済的にも政治的にも明らかに衰退しているが、中国は明らかに安定しており、国民のために行動し、しかもその道はまだ終わっていない。中国の交通基盤や道路、鉄道、空港体系は、過去10年間で長さと質の面で大幅に向上した。これは米国にはまったく当てはまらない一文である。

2022年の数字によると、中国の高速道路の長さは10万9982マイルを超えた。同国の高速鉄道の長さはさらに2万7961マイル伸びた。同国では約254の民間空港が稼働している。

中国は明らかに、国内基盤施設の強化の重要性を理解する上で世界の先導役となっている。中国の成長に鈍化の兆しはまったくない。

10日間の中国訪問中に訪れた5つの都市では、野宿生活者を一人も見かけず、街を歩くことも、話したい人に話しかけることも全く安全だ、と感じた。誰も私がそうするのを止めなかった。ワシントンDCでも、ニューヨークでも、同じ程度の安全を感じたことはなかった。

人々が住む場所を確保することも、中国では優先事項だ。大都市の郊外には高層ビルが目に入る。これらの建物の美しさは、すべての人の好みに合うとは限らないが (私にとっては問題ない)、中国の人々は、ワシントン DCで見たテントよりも、住むのにふさわしい場所がある、という事実を重視するだろう。

実際には起こっていない中国の経済崩壊について警告するのではなく(そんなことをするのは米国が中国との競争に負けたからだというのが大きな理由だが)、米国は自国経済の優先事項に目を向ける必要がある。選択は簡単だ。もはや誰も信じていない米国の力を誇示し、それを利用することに引き続き資金を費やすことを優先するか、米国の善良な市民の願いを優先することを決断するか、だ。

帝国は、権力が崩壊するにつれて反撃しようとする誘惑に駆られるだろう。残念ながら、ウクライナや、中国から離脱した台湾省での緊張を煽ろうとする試みで、すでにそれが起こっているようだ。

しかし、そんなことをさせるわけにはいかない。すでに大企業に抱きこまれ、買収された主流派の政治家たちにそんな選択をさせないためには、草の根の組織化による強制が必要なのだ。

あらゆる種類の社会主義者にとっての課題は、米国やその他の国々で、政府が市民を中心に置いた政策をとることを実現するために必要な統一戦線を構築することである。


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ジョージア首相イラクリ・コバヒゼ 「アメリカが画策した『カラー革命』は二度目も失敗した」

<記事原文 寺島先生推薦>
US behind two failed ‘color revolutions’ – Georgian PM
ジョージアと米国との関係は「損なわれている」とイラクリ・コバヒゼ首相は発言
出典: RT 2024年5月31日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月11日


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ジョージア議会の外でEU、ウクライナ、米国の旗を掲げる抗議者ら。トビリシ、2023年3月8日


ジョージアのイラクリ・コバヒゼ首相は、少なくとも2回の政府転覆の試みの背後に米国が資金提供したNGOがいたことから、ジョージア政府は米国政府との関係を「再考」する必要があると述べた。

旧ソ連の共和国であったジョージアが、西側諸国から民主主義への脅威として非難されている「外国人工作員」法を可決したことを受けて、米国は同国の高官らに対する制裁の行使を警告していた。

「なぜ2020年から2021年、そして2022年に2度革命の試みがあったのかは分かりません。なぜこのような試みがあったのかは分かりませんが、実際に起こったことは、前任の(米国)大使が多くのことを台無しにし、その数年間に多くのことが台無しになったことです。これは正される必要があります」とコバヒゼ首相は金曜日(5月31日)、記者団に語った。

「これには、革命の舞台に立ち、政府退陣と、自分たちの参加による政府の樹立を求めた米国が資金提供しているNGOも含まれます。したがって、ジョージアと米国の関係は再考される必要があります」と同首相は付け加えた。

さらにコバヒゼ首相は、ジョージアは米国との関係改善に全力を尽くすと述べ、これは両国の利益になると語った。

ジョージア政府は、米国とEUから、外国影響透明化法案を撤回するよう強い圧力を受けており、米国とEUからは制裁を科し、ジョージアのEUとNATOへの加盟を停止するとの脅しまでかけられている。

この法律は、資金の20%以上を海外から得ているNGOや報道機関、個人を、「外国勢力の利益を促進する」団体として登録し、寄付者を明らかにすることを義務付けるもので、これに従わない場合は最高9500ドルの罰金が科せられる。この法律は抗議活動を引き起こし、先月、活動家らは警察と衝突し、国会議事堂を突入しようとした。

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関連記事:US visa threat ‘comical’ – Georgian ruling party

アントニー・ブリンケン米国務長官は、米国政府が「ジョージアの民主主義を弱体化させることに責任がある、あるいは加担している個人とその家族」に対してビザ発行の制限を導入する、と述べた。

一方、EUのオリバル・バルヘリ欧州委員(近隣・拡大担当)は、コバヒゼ首相に対し、先月暗殺未遂事件から間一髪で生還したスロバキアのロバート・フィツォ首相と同じ運命をたどる可能性があることを示唆した。 バルヘリ委員は後に、「社会の二極化」の危険性についてのこの警告は誤解されている、と述べた。

主に西側諸国から資金援助を受けているジョージア国内のNGOは、この法律案を「ロシア的」なものだと非難し、政府に撤回を迫った2023年の成功を再現しようとした。 しかし今回、議会はこの法律を可決し、今週初めにサロメ・ゾウラビチビリ大統領の拒否権を覆した。ジョージア政府は、この法律が反対派を取り締まるために使われることを否定し、この法律はEUの規範に適合している、と主張している。
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次期メキシコ大統領、クラウディア・シェインバウム

<記事原文 寺島先生推薦>
Claudia Sheinbaum: The Next President of Mexico
筆者:ゾーイ・アレクサンドラ(Zoe Alexandra)
出典: INTERNATIONALIST 360° 2024年6月3日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月11日


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選挙運動開始時のクラウディア・シェインバウム氏


この進歩主義指導者は北米初の女性大統領として歴史を作り、同志のロペス・オブラドール大統領の足跡をたどり、反新自由主義の経済発展展望を構築する、と誓った。

クラウディア・シェインバウム博士が6月2日のメキシコ大統領選挙で勝利し、メキシコ初の女性大統領となった。科学者と公務員、ノーベル平和賞受賞者、そして長年の活動家である彼女は、国家再生運動(MORENA)、労働党(PT)、メキシコ緑の環境党からなる「歴史を作り続けよう」連合から出馬した。58%の票を獲得したシェインバウム氏は(午前1時25分(UTC-6)のINE速報によると)、右派のメキシコのための力と心連合(PRI-PAN-PRD)の候補者であるソチル・ガルベス・ルイス氏を破った。ホルヘ・アルバレス・マイネス氏は総得票率の約10%で3位となった。

シェインバウム氏は、勝利を祝うため、メキシコ市中心部のソカロで何千人もの支持者に向かって演説した。「メキシコの日常生活における第四次変革を皆さんが認めてくれたことに、興奮と感謝の気持ちを感じています。これまでもそうしてきたように、ここでも皆さんを失望させないことを約束します。今日、メキシコ国民は第四次変革の継続と前進を可能にしました。また、200年ぶりに、私たち女性が共和国の大統領に就任したのです!」

これに先立つ記者会見で、シェインバウム氏はMORENAが下院で過半数を獲得し、上院でも過半数を獲得する見込みである、と発表した。メキシコシティの市長選挙では、イスタパラパ市の元市長クララ・ブルガダ氏が勝利した。

シェインバウム氏の政党MORENAは、投票締め切りの約1時間半後に記者会見で彼女の勝利を発表した。主要な出口調査はすべて、彼女の勝利を2対1の差で予測しており、彼らはこれを覆せない傾向と特徴づけた。MORENAのマリオ・デルガド党首は、「今日、主権、独立、民主主義も勝利しました。国民は、憎悪宣伝工作や嘘に騙されないことを示しました。投票がネット上のボットを破ったのです!」と述べた。

国立選挙管理委員会(INE)は午後8時(メキシコ市時間)から速報結果の発表を開始した。日曜(6月2日)の深夜直前、国立選挙管理委員会(INE)のグアダルーペ・タッデイ・サバラ委員長は速報結果の暫定結果に基づき、クラウディア・シェインバウム博士が右派候補のソチル・ガルベスに大差をつけて大統領選に勝利する見込みである、と発表する声明を出した。同委員長は日曜(6月2日)の地方選挙と連邦選挙には有権者の58.9~61.7%が参加した、と付け加えた。

緊張が高まり始めたのは、保守派候補のガルベス・ルイス氏が出口調査とINEの予備結果で確認された圧倒的敗北を受け入れるのではなく、支持者に警戒を怠らないよう呼びかけ、自身が実際の勝者になることを示唆した時だった。その後、ルイス氏は一連のツイートを投稿し、「警戒」するよう繰り返し訴え、こう記した。「彼らはあなたがたが彼らに負けたと思って寝てほしいと思っています。彼らはいつものように嘘をついています」と。専門家たちは、ガルベス氏が「不正を訴え」、予想どおりの敗北を受けて選挙結果を覆そうとする状況を警戒していた。

しかし、公式発表によりMORENA選出候補のシェインバウム氏の圧勝が確定されると、この見方は誤りであるとすぐに証明された。シェインバウム氏が勝利を発表したとき、ガルベス氏が少し前に祝福の電話をかけてきたことを彼女は認めたのだ。

クラウディア・シェインバウム氏は歴史を作り続けることを誓う

シェインバウム氏はメキシコだけてはなく、北米初の女性大統領となり、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール前大統領が「メキシコ人道主義」の理念を掲げて開始した「第四次変革」計画を継続することを誓っている。この反新自由主義の社会経済計画は、メキシコ市民の最低賃金の引き上げ、教育、住宅、医療などの主要な権利の行使を増やすための社会経済計画の拡大を通じて、メキシコ全土で国内の大多数の人々の生活水準の向上に大きな成功を収めている。ギャラップ社の世論調査によると、アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(AMLO)氏は国民の8割の支持率で任期を終えることになる、という。

シェインバウム氏は2023年4月のピープルズ・ディスパッチ社とブレイクスルー・ニュースのインタビューで第四次変革(4T)計画の重要性について次のように語った。「国家は国民に権利を与えなければなりません。権利とは何でしょう?教育や健康、家、すべての高齢者のための年金です。私たちはエネルギーなどの経済の戦略的分野についても信じています。特に電気や石油、そして主にリチウムについては、国家がこれに関与する必要があります…これは重要であり、この先非常に重要な資源になるでしょう…民間投資をGDPや国際投資だけで測ることはできません。公的機関においても民間においても、国民の富に対する投資を測る必要があります。そしてそれが、すべてが市場によって解決されると信じられてきた新自由主義との大きな違いです。」



メキシコの北の隣国である米国は、メキシコにとって最も重要な貿易相手国である。AMLOは6年間の任期中、ドナルド・トランプ、ジョー・バイデン両大統領と概ね友好的な関係を維持してきたが、重要な問題では自らの立場を曲げなかった。例えば、大統領として、AMLOは米国のキューバ封鎖、ジュリアン・アサンジの投獄と迫害、この地域の企業および帝国主義的利益への従属など、米国の政策と真っ向から対立する問題について最も強い発言力を持っていた。AMLO はまた、地域統合の場を再活性化させる立役者でもあり、ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体 (CELAC) の臨時議長を務めた。シェインバウム氏が北の隣国やこの地域の他の国々とどのように関わっていくかが、彼女がどんな大統領であるかを決する決定的な要因となるだろう。
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NATO加盟国ハンガリーの首都で大規模な反戦集会(動画あり)

<記事原文 寺島先生推薦>
Huge anti-war rally in NATO member’s capital (VIDEOS)
ハンガリー人はウクライナのために「血を流す」ことを望んでいない、とビクトル・オルバーン首相はブダペストで大勢の聴衆に語った。
出典:RT 2024年6月1日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月11日


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2024年6月2日、ハンガリーのブダペストで平和行進をするフィデス党とKDNP党の支持者。© ゲルゲリー・ベゼニエイ/AFP


土曜日(6月1日)、ハンガリーの首都ブダペストで数十万人が平和行進に参加し、ロシアとの緊張を高めるEUの政策を非難した。行進の最後は、EUが欧州を世界的紛争に近づけていると非難したオルバーン・ビクトル首相の演説で締めくくられた。

デモ参加者たちは首都の象徴であるセーチェーニ鎖橋からドナウ川沿いのマルギット島まで行進した。

多くの人が国旗を掲げ、平和主義の掛け声を叫び、「戦争反対」や「主よ、平和を与えたまえ」と書かれたプラカードを掲げた。

「これほど多くの人々が平和のために立ち上がったことはかつてありませんでした。我々はヨーロッパ最大の平和部隊であり、最大の平和維持軍です。ヨーロッパが戦争に突入し、自らを破滅させることを阻止しなければなりません」とハンガリー首相が述べた、とロイター通信は報じた。



オルバーン首相は、ハンガリーは20世紀の最も暗黒な時代に経験した惨禍から教訓を得なければならない、と述べた。「2つの世界大戦でハンガリーは150万人の命を失い、それとともに将来の子供や孫たちも失いました」と同首相は群衆に語った。

「EU当局に理解してもらえるよう、ゆっくりと言います。我が国は3度目の東方遠征には馳せ参じず、再びロシア戦線に赴くこともありません。」


オルバーン首相は、来週の欧州議会選挙で与党フィデス党の「平和と主権擁護」政策を支持するよう国民に呼びかけた。「ウクライナのためにハンガリー国民の血を流したいですか?いいえ、そうは思いません」と同首相は述べた。

ロシアを倒そうとするなんて、戦争推進派のおこないは常識を超えています。第一次世界大戦や第二次世界大戦で試みられたのと同じ間違いです。

2022年2月にロシアがウクライナで軍事作戦を開始して以来、オルバーン首相はブリュッセルのEU当局がロシア政府と危険な瀬戸際政策をとっている、と繰り返し非難し、EUは全面戦争に巻き込まれてはならない、と警告している。

関連記事: Still time to prevent NATO-Russia war – Hungary

ハンガリー政府はウクライナへのいかなる軍事援助も拒否し、ウクライナ政府への財政支援を拒否する、と警告してきた。オルバーン首相は、EUがロシア政府に課した経済制裁を厳しく批判し、EUは貿易と自国のエネルギー供給を弱体化させることで「自ら自分の肺を撃った」と主張した。
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UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)への攻撃者たちの正体が判明:これがロス警察の逮捕しない暴力的なシオニストたちです。

<記事原文 寺島先生推薦>
UCLA attackers exposed: meet the violent Zionist agitators LA police haven’t arrested
筆者:ワイアット・リード(Wyatt Reed)
出典:グレイゾーンGray Zone 2024年5月13日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月2日


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本誌グレイゾーンは、UCLAの反ジェノサイド学生デモ隊に暴力的な攻撃を行なったユダヤ人フーリガン(チンピラ)の正体を詳細に記載した書類を入手した。これはロサンゼルスの警察に送られたが、まだだれも逮捕されていない。警察は暴徒襲撃中に彼らが何時間も姿を消していた理由をいまだに説明できない。

4月30日、シオニストのフーリガン暴徒たちが、真夜中少し前にUCLAの親パレスチナ派の野営地を襲撃し、30人が負傷した。覆面をした暴漢たちが、学生やジャーナリスト、さらには警察官にまで花火や唐辛子スプレー、金属パイプで暴行を加える中、地元警察やキャンパス警察は3時間以上腰を下ろしたままだった。ソーシャルメディア上では複数の犯人が特定されているが、現在までのところ、親イスラエルのチンピラの逮捕者は出ていない。

グレイゾーンは、UCLAの学生抗議デモに関与していると語る匿名の探偵的な動きをする人たちによって作成された書類を入手した。この学生たちはこの文書をUCLAの事務局とカリフォルニア大学警察(UCPD)、そしてカレン・バス(ロサンゼルス市長)に電子メールで送った。この文書には、理不尽な暴力を振るう様子を撮影した連中の身元に関する詳細な情報が含まれている。

ロサンゼルス区域の警察は、米国が支援するイスラエルによるガザでのジェノサイドに抗議する学生たちを大量に逮捕し、校内で座り込みを試みた40人以上の学生やジャーナリストを「強盗共謀罪」で告発した。しかし、地元当局は、4月30日にUCLAの反ジェノサイド・デモ参加者たちに対するシオニストの暴徒による組織的な襲撃については逮捕者ゼロとしている。

ロサンゼルス・タイムズ紙によると、地元警察は、攻撃者を追跡するために高度な顔認識技術を拠り所にしている。しかし、UCLAで探偵的な動きをする人たちの報告書が明確に示すように、多くの加害者は既に、その身元をソーシャルメディアが特定した人物特徴と照合することで特定されている。

カリフォルニア大学警察署(UCPD)とロサンゼルス保安官事務所は、文書で特定された人物が捜査中なのか、それともすでに拘束されているのかというグレイゾーンの質問には答えなかった。

メールの中で攻撃者と言われているのは次のとおり:

リエル・アシェリアン:襲撃現場から直接フェイスブックに動画をアップしたアシェリアンは、テニスラケットでパレスチナ支持派のデモ隊を暴行する姿を目撃されたと報じられている。アシェリアンはニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、自分は「汚いユダヤ人」と呼ばれ、唐辛子スプレーを浴びせられたと、一片の証拠も示さずに主張した。「それで奴らのバリケードを壊し始めたのです」と彼は述べた。

ヌーリ・メヒディザデ:攻撃の前後の映像は、メヒディザデが抗議の野営地の周辺で常に姿を見せていたことを示している。学生活動家からのメールによると、メヒディザデは「絶えず暴力の計画に携わっていた」とされ、UCLAの関係者も「彼については注意するようにとの警告を絶えず受けていた」と述べている。このメール投稿者は、彼が「ユダヤの兄弟ではない者たちを攻撃したい」と述べていたことから、メヒディザデの行動はヘイト・クライム(憎悪犯罪)に当たることを指摘した。暴力が発生する直前に撮影されたメヒディザデの写真は、彼が攻撃の予知をしており、攻撃のお膳立てに手を貸した可能性があることを示している。

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襲撃の直前、学生活動家への脅迫文をスマホに掲示するメヒディザデ:「今夜を楽しめ!」

その夜遅く、覆面をしたメフディザデがバリケードを破壊しようとしている様子が記録されている。また、イスラエル兵がパレスチナ人の捕虜を拷問したり嘲笑したりしているときに写真を撮りながら再生していたヘブライ語の童謡「マニ・マンテラ」を、同じイスラエル人がスピーカーを大音量にして流していた。数人の警備員に現行犯逮捕され、別の事件で別の警備員と殴り合いになりそうになったにもかかわらず、メフディザデはその場にとどまることを許された。

トム・ビビアン:ビビアン本人によってソーシャルメディアにアップロードされた映像は、彼が4月30日の攻撃に個人的に参加したことを明らかにしている。襲撃の翌日、ビビアンはインスタグラムに動画を投稿し、参加したことを強調する字幕と共に、「私たちはテロリストの野営地を急襲した」と自慢している。別のインスタグラム利用者がビビアンに暴力行為での役割を明確にするよう求めると、彼は「そう、この動画に出ているよ」と自慢した。自分は犯罪で法的な制裁を受けることはないと彼ははっきり確信しているようだ。ビビアンは、ロサンゼルスのNFT*組織の一員として、疑わしい仮想通貨の枠組みに何年も関与しており、わいせつ行為や性的嫌がらせの非難を受けた後、その団体から追放された。ビビアンファミリー博愛財団を代表するウェブサイトには、彼の家族が熱心なシオニスト団体、熱狂的で偏狭な超正統派ハバド宗派だけでなくデモクラシーナウのようなリベラルなニュースメディアにも定期的に寄付をしていることが示されている。
*デジタル上の資産の鑑定書や所有証明書のようなもの

軍事的なシオニスト・ハバド組織の「メシア」旗を振っている男性が、学生たちによってロニ・イェフダとして特定された。実質的に無名の親イスラエルのラッパー@Judah_fireのインスタグラムアカウントによれば、イェフダはロサンゼルス在住であることがわかっている。学生たちが送信したメールによれば、この35歳の工作員は、攻撃以降もUCLAキャンパスに複数回戻ってきている、という。それも、彼は大学とは何の関係もないし、学生たちはこの攻撃的な外部の人間の存在については警察に通報している。イェフダの行動への最も顕著な応援団の中に、自らを「世界中のユダヤ人を善意と親切の行動で団結させるグローバル非営利団体」と称するハバド系の団体であるチーム・メシア(Team Moshiach)の組織員たちがいた。10月7日以降、チーム・メシアはイスラエル軍に軍事装備を供給する取り組みを主導し、さらに、インスタグラムにはイスラエル兵士が装備供給をこの組織に個人的に感謝している動画をアップロードした。近くのハバド・ハウス(Chabad House)の主任は、自身の組織がUCLAでの攻撃に関与したことは一切ない、とニューヨーク・タイムズに語った。

もう一人の外部扇動者は、ナレク・パリャンという地元のアルメニア人活動家と特定され、ナチスの「ジーク・ハイル(勝利万歳)!」敬礼を公然と行うのが好きで、第三帝国を偶像化した資料を頻繁に投稿している。シオニスト・ユダヤ人と反ユダヤ主義者であることを公言する人物の同盟関係は、わかりにくいかもしれないが、この2つの勢力の間には、基本的に生存のために互いに依存し合っている、長く、十分に文書化された協力の歴史がある。奇妙なことに、パリャンはNYタイムズ紙のインタビューで、自分が抗議デモに姿を現したのは、「親パレスチナ側のユダヤ人女性が白人を批判している動画を見たから 」だと主張した。

前日、親パレスチナの抗議者たちにつばを吐き、人種差別的な言葉を投げかけた男性が、23歳のデイビッド・カミンスキーであることが判明した。この訓練されたボクサーは、ある学生に差別用語を使ったと認めたが、UCLAキャンパスでの暴動時にはその近辺にいなかったし、暴力的な攻撃を行なったという非難を否定した。カミンスキーは、ラッパーのブルーフェイスとのトレーニング動画に登場しており、ブルーフェイスは2022年にラスベガスのストリップクラブでの銃撃事件で2年間の保護観察を宣告されている。

アーロン・コーエン: コーエンはイスラエルの「テロ対策分析家」で、5月2日の野営地強制捜索の直前、タレントのドクター・フィルの「潜入捜査」特番を撮影するために警察に潜入した。彼は以前、ネットフリックスの悪名高いプロパガンダシリーズ『ファウダ』の原作となった評判の悪いイスラエル軍部隊、ドゥヴデヴァンに所属していた。直接暴力に加担したとは非難されていないが、強制捜索の少し前、コーエンはインスタグラムにこう書き込んだ:「今夜、UCLAの野営地の中心部に@drphilのための静かな潜入作戦を終えたところだ。私は今、LASD(ロサンゼルス郡保安局)のSRT(特殊救助隊)の先鋭部隊と一緒にここにいる。SRTは今、反ユダヤ主義的テロ派の野営地に入る準備をしている」。

また、総合格闘技選手からハバド・ラビに転身したヨッシ・アイルフォートが2017年に設立した、ロサンゼルスを拠点とするユダヤ系民間警備会社マゲン・アムの組織員も襲撃に立ち会っていた。12人の元イスラエル兵と米軍兵士を雇用しているというマゲン・アムは、「米国西海岸で物理的な武装警備業務を提供する免許を持つ唯一のユダヤ系非営利組織 」を自称している。

ロサンゼルス・タイムズ紙の取材に対し、アイルフォートは4月28日、イスラエル外交官やカリフォルニア州議会議員を含む発言者が参加した親パレスチナ派の野営地を目標に敵対的に振舞うことを目的とした作戦について、UCLAと調整したことを認めた。ソーシャルメディアに公開された映像には、組織の構成員が学生たちを押しのけて暴力を振るい、野営地から引き剥がす様子が映っている。

同組織は地元の法執行機関と緊密な協力関係を維持している。2020年の訓練式典の最後で、ロス市警のビック・ダヴァロス司令官は「マゲン・アムは、問題が生じた際に、地域社会において官民が組織的に初期対応をおこなえる協働体制者の次なる進化だと考えています」と宣言した。

その「協働関係」は功を奏しているようで、マゲン・アムはロサンゼルス市警の活動に影響を与える能力を公然と自慢している。1月初旬に投稿されたインスタグラムで、同組織はロサンゼルス市警の新しい「オンラインでのヘイト事件報告政策」は「マゲン・アムが主導した」と書いた。

今は亡きマゲン・アムの代表、アイヴァン・ウォルキンドは添付の動画で、この変更について「ロス市警と1年ほど取り組んできた取り組み」と説明し、その目的について次のようなことを言っている:
「なぜ私たちはこれに興奮しているのか、なぜこれらの事件を報告することが重要なのか・・・第一に、国内のすべての警察署は、報告された事件の数に基づいて人員の配置を決定します。これらの事件が社会で発生しても、報告がなければロス警察(LAPD)は職員が対応する時間と巡回をどれほど割り当てるべきだということを知る手段がないのです」。

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警察官とポーズをとるマゲン・アムのリーダーたちの写真(LinkedInに投稿されたもの)

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しかし、治安維持国家(アメリカ)とのつながりはそれだけにとどまらない。マゲン・アムの公式ウェブサイトはこう胸を張る:「私たちはFBIやロス市警、保安官局、検事局、連邦検事局など、地元の法執行機関と直接つながりがあります」。つまり、「万が一、早急な対応が必要な事件が発生した場合、マゲン・アムは指揮系統の隅々まで働きかけることができる」ということだ。

本誌グレイゾーンはマゲン・アムに手紙を書き、所属員は4月30日の攻撃に関与していたかどうかを尋ね、暴力についての意見を求めたが、回答は得られなかった。マゲン・アムのロサンゼルス事務所に電話しても応答がなかった。

この記事が掲載される時点では、4月30日の暴徒による組織的な襲撃で最も暴力的な加害者の一部はまだ特定されていない。学生によると、次のようなものがある。

赤いバンダナをつけた男は、棒で学生を殴っているところを目撃されている。暴徒による組織的な襲撃中に行なわれた地元メディアのインタビューで、彼はUCLAの学生ではないことを認めた。

4月30日に学生への暴力を告発された白いTシャツにロサンゼルス・ドジャースの野球帽をかぶった大柄な男も、依然として身元不明である。

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これまでのところ、平和的な学生デモ参加者に対して行なった暴力行為について、上記の人物は誰も法的責任を問われていない。

しかし、暴力的な親イスラエル派扇動者への甘やかしはUCLAに限ったことではないようだ。

アリゾナ州立大学のポスドク教員の地位を解任されたジョナサン・ユデルマンは、テキサス大学の准教授として副業をしているが、テンピでムスリム女性を恫喝し、セクシスト的卑語を投げかける姿が撮影された後も、法的な制裁は受けていない。アリゾナのアメリカイスラーム関係評議会が「親イスラエルの抗議活動に参加中、ヒジャブを着用したムスリム女性に嫌がらせをし、襲った」として、ユデルマンの逮捕を求めている。

事件で撮影されたもう一人の扇動者は、ソーシャルメディア利用者によってサミー・ベンだと特定された。彼は最近、ジュネーブ条約に繰り返し違反したことを自ら映像に納めた米国市民だ。彼は、観光ビザしか持っていなかったにもかかわらず、イスラエルの制服を着てガザを2カ月占領する行為を犯したのだ。

一方、コロンビア大学では、今年1月に有毒化学物質「スカンク」液で学生を襲い、少なくとも10人の反ジェノサイドの抗議者を緊急治療室に送った2人の元イスラエル軍兵士が、キャンパスから追放されておらず、逮捕もされていない。「逮捕者は出ておらず、捜査は継続中です」とニューヨーク市警(NYPD)の広報担当者はハフポスト紙に語った。


ワイアット・リード: グレイゾーン編集長。国際特派員として十数カ国で取材。ツイッターは@wyattreed13。
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ほとんどの米国民の家計が悪化している、との調査結果

<記事原文 寺島先生推薦>
Most Americans report worsening finances – survey
米連邦準備制度理事会(FRB)が発表した報告書によると、2023年には約6世帯に1世帯が毎月の請求を支払うことができなかった、という
出典:RT 2024年5月22日 
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月1日


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© ゲッティイメージズ/ ウィローピックス


米連邦準備制度理事会(FRB)が火曜日(5月21日)に発表した年次調査によると、米国の世帯の3分の2近くが昨年、家計状況が悪化した、と回答し、5人に1人が、支払い履行能力が「はるかに悪化している」と評価している、という。

米国の成人とその家族の家計に焦点を当てたFRBの2023年の米国家計の経済的幸福度報告書によると、全体的な経済的幸福度は前年とほぼ変わらないものの、2021年に記録された最高値を下回っている、という。

「インフレの速度が鈍化しているにもかかわらず、引き続き多くの成人は、物価の上昇が家計管理上の課題である、ととらえている」とこの報告書にはある。

コロナウイルスの大流行を受けて9.1%にまで達した米国のインフレ率は、2023年には、3.4%に低下した。先月の消費者物価指数によると、年間インフレ率は3.4%だった。この数字は3月の3.5%から低下したが、FRBの目標である2%を上回っている。

「(FRBの)委員会は、より長期的視野から目標パーセントを達成しようとしている」と報告書には付記されている。

FRBの調査によると、成人の72%が「少なくとも経済的には問題ない」と回答している、という。この数字は、2022年の73%と比較してわずかな変化を示している。また、過去最高の2021年の78%からは低下したが、2013年に記録した最低の62%を上回っている。

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関連記事:Americans skipping meals to cope with rising costs – poll

また、家計間で大きな格差があることも明らかになった。調査対象者の約半数が緊急に使える費用として2000ドル用意できると回答したいっぽうで、貯蓄だけで賄える最大の緊急費用は100ドル未満であると回答した成人が18%、最大499ドルの費用を処理できると回答した成人が14%だった。さらに全体として、米国の成人の17%が、2023年10月に実施された調査の前月に、毎月の請求を全額支払うことができなかったと回答した、という。

このFRBの報告書によると、ほとんどの人口層で経済的幸福度は2022年から概ね変化していないが、注目すべきは、18歳未満の子どもと同居している親は例外である点だ、としている。具体的には、「問題ない」と答えたこの層の回答者の割合は、2022年の69%、その前年の75%から64%に減少した。

調査によると、13歳以下の子どもと暮らす親の10人に3人近くが有料の保育を利用しており、その月額の中央値は、毎週1100ドルに上る、という。一般的に家計にとって最大の出費であるのは住宅費なのだが、育児にかかる費用は最大で家計の70%にものぼっている。
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「いかなる国も自国の主権のために罰せられるべきではない」ースロバキアのフィツォ首相語録

<記事原文 寺島先生推薦>
‘No country should be punished for its sovereignty’ – Fico in quotes
暗殺未遂事件を生き延びたスロバキアのロベルト・フィツォ首相は世界をどう見て、何を語っているのか
筆者:ゲオルギー・ベレゾフスキー(Georgiy Berezovsky)
出典:RT 2024年5月15日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月1日


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プラハでのヴィシェグラード・グループ(V4)*首脳会議後の共同記者会見で発言するスロバキアのロベルト・フィツォ首相© ゲッティ・イメージ

*ヴィシェグラード・グループまたはヴィシェグラード4か国は、中央ヨーロッパの4か国による地域協力機構[。ヴィシェグラード諸国、または頭文字から略してV4と表現されることもある。V4は、1991年2月15日にチェコスロバキア、ハンガリー、ポーランドの3か国によって、ハンガリーの都市ヴィシェグラードでの首脳会議において設立された。

水曜日(5月13日)、スロバキアのロベルト・フィツォ首相に対する暗殺未遂事件が、政府会議がおこなわれていたハンドロバ市で発生した。襲撃者は首相に最大5発の銃弾を発射し、首相は胸部と腹部、腕に銃弾による傷を負った。

暗殺未遂事件後のフィツォ首相の容態は危篤となり、複数の臓器の損傷により手術は長期化した。しかし、スロバキアの報道機関の報道によると、手術は最終的に成功した、という。首相の容態は安定し、現在は医師との意思疎通が可能となっている。

銃撃犯は逮捕された。犯人は71歳のスロバキア人作家ユライ・チントゥラ容疑者で、自由主義政党「進歩スロバキア」の活動家でもあった。発砲する前に、犯人はフィツォ首相に向かって「ロボ、こっちへ来い」と叫んだ。

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関連記事:Slovak PM Robert Fico: Noted critic of Western approach to Ukraine conflict

フィツォ氏が率いる社会民主党(Smer)は昨年10月の議会選挙で勝利した。その結果、59歳の同氏は2006年から2010年、および2012年から2018年まで務めていた首相職に華々しく復帰した。

大統領選挙の前の選挙運動で、フィツォ氏はスロバキアはキエフ政権に武器を供給すべきではない、と明言した。首相に就任すると(ブリュッセルでのEU首脳会議への直前)、彼はすぐにスロバキアの議員らと会談し、外交政策の優先事項を改めて強調した。特に、フィツォ首相はスロバキア政府はウクライナに武器を供給しない、と指摘した。

現在、フィツォ首相は、世界で起こっている事象について別の視点を表明した数少ないEUやNATO諸国の指導者の一人である。RTは、世界中で反響を呼んだフィツ首相の発言をいくつか集めた。

ロシアとウクライナの紛争について

私は声を大にしてはっきりと言いますし、これからもそうします。ウクライナ戦争は昨日や去年始まったのではありません。ウクライナのナチスとファシストがドネツクとルガンスクでロシア国民を殺害し始めた2014年に始まったのです。
***
何らかの妥協が必要です。ロシアがクリミア、ドネツク、ルガンスクから撤退する、と期待しているのでしょうか?それは非現実的です。
***
西側諸国がロシアの状況を評価する際に繰り返し間違いを犯してきたことは、文字どおり衝撃的です。

ロシアは占領地を軍事的に完全に支配しており、ウクライナは意味のある軍事的反撃をおこなう能力を持たず、西側諸国からの財政援助に完全に依存するようになっており、今後数年間でウクライナ国民に予測不可能な結果をもたらすことになるでしょう。

ウクライナ大統領の地位は揺らいでいますが、ロシア大統領は政治的支持を増やし、強化しています。 ロシア経済もロシア通貨も崩壊せず、反ロシア制裁はこの巨大な国の国内自給率を高めることになっています。

ウクライナ支援に関して

ウクライナは世界で最も腐敗した国のひとつであるのに、我々は欧州の資金(スロバキアも含む)が横領されないという保証のもとに、過剰な財政支援をおこなっています。
***
もし、毎月15億ユーロの資金を投入し続けながら、何の成果も得られず、我が国の財源を削らなければならないという戦略だとしたら? 結局のところ、我が国は大きな問題を抱えており、公的資金は厳しい状況にあります。
***
我々は世界中のあらゆる武器、あらゆる資金をウクライナに投入することができますが、ロシアが軍事的に敗北することは決してないでしょう。2023年、2024年になれば、ロシアがこの紛争の解決条件を決定し始めることになるでしょう。
***
ウクライナに軍事支援を送るつもりは全くありません。軍事作戦の即時停止が、ウクライナにとって最善の解決策なのですから。 EUは武器供給者から平和構築者に変わるべきなのです。

ウクライナの未来に関して

ウクライナは『NATOに加盟したい』と言うかもしれません。それはウクライナが決めることですが、 スロバキアは中立のウクライナを必要としています。ウクライナがNATOに加盟すれば、スロバキアの利益は脅かされることになりますから。
***
私は彼(ウクライナのデニス・シュミガル首相)に、ウクライナのNATO加盟に反対であり、拒否権を発動すると伝えるつもりです。ウクライナのNATO加盟は、単に第三次世界大戦の原因になるだけで、それ以外の何ものにもなりませんから。
***
私はウクライナのNATO加盟に反対であり、拒否権を行使するつもりです。ウクライナがNATOに加盟すれば、そこで紛争が絶えず引き起こされ、ひとたびロシアとNATO加盟国との間で衝突が起これば、世界大戦が起こるでしょうから。
***
将来、ウクライナがEU加盟を含め、EUと可能な限り緊密な協力関係を築くことは想像できます。 しかし、そのためには、加盟を目指す他のすべての国が満たしてきたような条件を満たさなければなりません。

例えば、ウクライナが世界で最も腐敗した国のひとつであり、現政権が民主的な水準からほど遠いことは周知の事実です。

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関連記事:Slovak prime minister survives surgery after assassination attempt: As it happened

ウクライナに軍を送ることに関して

ウクライナはNATO加盟国ではありません。ですから、スロバキアはウクライナでの戦争となんら関係はありません。すべてのスロバキ国民にはっきりとお伝えさせてください。誰にいかなる理由で依頼されても、スロバキア兵がスロバキアとウクライナの国境を踏み越えることはありません、と。
***
(ウクライナ問題に関して、2月にパリで開催されたEUとNATOの合同高官会議での)雰囲気は、完全に好戦的でした。 いかなる犠牲を払ってでも、この戦争を継続し、この戦争が継続するためには、なんでもする、という雰囲気でした。私が驚いたのは、和平に向けた計画や取り組みに関する発言が一言もなかったことです。ウクライナに軍を送る準備ができている国々がある、と私は明言できます。さらには、そんなことは「絶対にしない」と主張している国々も存在します。スロバキアは後者です。また、このような「兵を送らない」方向性を検討する価値がある、と考えている国々もあります。

国家主権に関して

我が国の外国の友好諸国が仕込まれてきたことは、スロバキアに依頼し要求したことはなんでも我が国が無条件に受け入れてくれる、ということでした。しかし、我が国は主権国家であり、母国に自信を持っています。

***
私がスロバキアの政権の長である限り、自国の主権のために戦う国が罰をうけるという状況を許容しません。ハンガリーが同様の攻撃を受けることについても、同意するわけにはいきません。
***
ウクライナは主権のある国家でも、独立した国でもありません。ウクライナはアメリカ合衆国の完全なる影響下にあります。さらに、この点において、EUは大きな誤解をしています。つまり、ウクライナの国家主権を維持しようとするのではなく、まったく米国の言いなりになっているのです。

ロシアに対する制裁に関して

ウクライナは支援しなければなりませんが、私が言いたいことは、効果の上がらない支援はおこなうべきではない、ということです。現在、欧州連合は毎月15億ユーロを(ウクライナに:編集部注)支払っています。さらに、ロシアに対して制裁をかけています。こんなことがいつまで続くのでしょうか?

***
はっきりと言います。ロシアに対する制裁に賛同票を投じるつもりはありません。その制裁により、スロバキアがどのような影響を受けるかの分析が話し合われない限り、です。

スポーツ界の制裁に関して

私は決して政治とスポーツを混同しません。そんなことをしても自分たち自身を傷つけあうだけなのに、なんの意味があるというのでしょう。

第一人者がロシア国民やベラルーシ国民であるスポーツのことを考えてみてください。これらの選手を大会に出られなくするということは、勝つ見込みが最小限しかない選手が勝ち進んだり、優勝したりすることになります。 そんな金メダルにどんな価値があるというのでしょうか?

私の人生において、運動選手を大会に出させない、という措置をとることは決してありません。勝つために必要なものを有しているものこそ、勝つ権利があることを示したいのです。

真実に関して

真実を欧州連合の話合いの場で語れないとすれば、具体的には、 「対露制裁は効果がなかった」や「これ以上ウクライナを破壊し、ウクライナ国民を殺害してもなんの解決にもならない」や、「グリーン・ディールというバカげた措置の導入により我が国経済は破綻させられる」や、「ガザ地区での2万人の被害者のことが見過ごされている理由は、その原因を作っているのがイスラエルだからだ」などといった真実を語れないとすれば、政治的な意味だけではなく、経済的な意味においても、私たちは欧州の破壊という崖っぷちに追いやられることになります。


筆者のゲオルギー・ベレゾフスキーは、 ロシアのブラジカフカス市に拠点を置く記者
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イスラエルのモサド(諜報特務庁)、イラン大統領のヘリを撃墜

<記事原文 寺島先生推薦>
Israel’s Mossad Downed Iranian President’s Helicopter
筆者:リチャード・シルヴァスタイン(Richard Silverstein)
出典: INTERNATIONALIST 360° 2024年5月23日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年6月1日


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イスラエルへのミサイル攻撃への復讐として、ライシを標的にしたことを、イスラエルの安全保障に詳しい情報筋が明言している。


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ヘリコプター墜落直前のライシ大統領

ヒズボラ系のジャーナリスト、イライジャ・マニエは、イスラエルがエブラヒム・ライシ大統領、外相、その他の高官の命を奪った墜落事故を引き起こした可能性を指摘している。イラン大統領のヘリは墜落したのか、それとも撃墜されたのか? しかし、イランと密接な関係にあるジャーナリストが、イスラエルが墜落を引き起こしたのではないかと推測したことは、イランがこの可能性を真剣に受け止めていることを明確に示している。

マニエの記事は私の興味をそそったので、イスラエルの安全保障筋にこの疑問を質してみた。彼はイスラエルに責任があることを明言した。彼は、過去の暗殺に関してイスラエル当局が出してきた声明とほぼ一字一句同じ言葉を使った。「イスラエルへの攻撃を命じる国家元首は、自らの死刑宣告に署名したということだ」と。これは、数週間前のイランによるイスラエルへの大規模なミサイル・ドローン攻撃を指しているのだろう。このような機密作戦を承認するのはハメネイ師であり、ライシ大統領はおそらく二次的な役割しか果たしていないのだろうが。

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墜落直前、ホセイン・アミラブドラヒアン外相の隣に座るアヤトッラー・ハシェム・ライシ大統領(左)。

イスラエルの著名な安全保障専門家、アミール・ラパポートはイスラエルの主要な防衛専門誌にこう書いている:

ヘリコプター墜落の状況は、数え切れないほどの暗殺(例えば、メキシコの武装麻薬組織が長年にわたって何十人もの人々を殺害してきたようなよく知られた手口による暗殺)を彷彿とさせる。アゼルバイジャンからイランに向かう同じ航路をたどった他のヘリコプターは無傷で飛行したことからすれば、モサドの手がこの事件に関係しているのだろうか?


ラパポートはもちろん、モサドがライシ大統領を殺したことを知っている。彼が述べた内容は(モサドをメキシコの武装麻薬組織に例えた)上述の内容に留まっている。イスラエルに責任があるとの報道に対する軍の検閲指令のため、彼はこれ以上はっきりしたことは言えないからだ。

イスラエルはどのように実行したのか?その問いに対する明確な答えはまだない。 イランのヘリコプターは少なくとも60年前の型である。経路案内装置は内蔵されていなかった。操縦士はGPSアプリとオンライン地図装置を使って航路を計画・維持していただろう。

イスラエルはシリアの標的を攻撃する際、シリアの電子ミサイル防衛システムを妨害することで知られている。イスラエルがヘリコプターの電子機器(アプリやオンライン・経路案内補助器を含む)を妨害するのは非常に簡単だろう。そうすれば、航空機を完全に使用不能にしたり、操縦士に誤った、あるいは全く読み取れない情報を提供したりすることができるだろう。

イスラエルはアゼルバイジャンに空軍基地を持っている。同国内からミサイルを発射し、ヘリコプターを攻撃することは容易にできた。 あるいは、爆弾をヘリコプターにこっそり持ち込んだ可能性もある。

イラン大統領首席補佐官が悪天候説に反論

何事もなく着陸したヘリコプターのひとつに搭乗していたイラン大統領首席補佐官は、墜落の原因として悪天候を主張することに反論している。

また、ヘリとの視認が途絶えてから、ヘリが行方不明になっていることに気づくまで、わずか数秒しかなかったという。これは機械的な故障の可能性が低いことを示している。

以下は彼のインタビュー動画(英語字幕付き)である。



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ダムから飛行を開始した大統領専用ヘリコプター

彼は言う。

インタビュー者: 霧はなかったのですか?

エスマイリ: まったくありませんでした。地上には霧がありましたが、ヘリコプターで移動していた上空には霧はありませんでした。ただ、ある小さな密集地帯で、崖の上に小さな雲の塊がありました。高さで言えば、この雲は私たちの飛行高度と同じでした。

そこで、司令官機でもある(大統領専用ヘリの)操縦士が、他の操縦士たちに雲の上に上がるように指示しました。私たちは大統領ヘリの後ろから3番目でした。私たちは雲の上に上昇し、約30秒間前進しました。そのとき私たちの操縦士は突然、大統領を乗せた指令機のヘリコプターが行方不明になっていることに気づいたのです。

インタビュー者: 上昇した後、ヘリコプターはもう見えなかったのですか?

エスマイリ: はい、その通りです。雲の上まで上昇した後、指令機のヘリコプターは見えませんでした。上昇自体は難しくもなんともありませんでした。飛行機を使うときは揺れを感じることがありますが、今回の上昇ではヘリコプターの中でまったく何も感じませんでした。そして上昇した後、他に雲はありませんでした。

インタビュー者: では、それ以外には、天気予報で安全でないような天候の乱れについて言及されることはなかったのですね?

エスマイリ: いいえ、何もありませんでした。しかし、私たちの操縦士が突然Uターンしたことに気づいたので、その理由を尋ねました。彼は、ヘリコプターの1機が行方不明だと言いました。無線連絡も途絶えているので、緊急着陸したのでしょう。そこで私は、最後に連絡が取れたのはいつかと尋ねた。操縦士は 「1分30秒前、操縦士が雲の上に上昇するように言ったときでした」、と答えました。

操縦士は何度かその周辺を旋回しましたが、雲に覆われた区域は私たちにも見えず、入るには危険が高すぎました。無線連絡も何度か失敗しました。私たちは30秒後に着陸を余儀なくされました...調査のためにです。

飛行中、私たちはボディーガードのアブドラヒアン氏、東アゼルバイジャン州知事、タブリーズ*の導師など、大統領の乗っていたヘリコプターの乗客に電話をかけ続けました。しかし、私たちは彼ら全員に電話をかけようとしましたが、うまくいきませんでした。
*タブリーズは、イラン北西部の都市。東アーザルバーイジャーン州の州都。

大統領に同行していた(墜落したヘリコプターの)機長の携帯電話に何度かかけた後、誰かが電話に出ました。それはタブリーズの導師であるアヤトッラー・ハシェム(墜落したヘリコプターの乗客でした。彼は負傷していると言いました。彼はうめき声をあげながら、ひどい痛みを訴えていました。私は尋ねました。 「何があったのですか?」と。彼はこう答えました。 「わかりません。何が起こったのか理解できていません」と。私は彼に尋ねました。 「どこにいるんですか?」と。 彼は、 「わかりません」と答えました。私は彼を見つけるために居場所を尋ねました。彼はこう言いました。

「木に囲まれています」と。私は彼に、他の乗組員は無事か、彼らが見えるか、彼らに接触できるか、と尋ねました。彼はこう言いました。 「誰も見えません。私は一人です。何が起こったのかわかりません」と。私たちは3~4時間、彼と電話をしていました。[救助隊が到着する頃には、彼は死亡していました。]

その時点で、ヘリコプターが墜落したことは明らかでした。


なお、唯一の生存者であるアヤトラ・ハシェムは、ヘリコプターに何が起こったのかまったくわからないと参謀総長に電話で語っている。これは、徐々に故障したのではなく、急激に突然起こったことを示している。これはミサイルか同様の兵器によるものと考えられる。

ヘリコプター墜落事故とアゼルバイジャン人との関係

私の情報筋は、ライシ大統領がアゼルバイジャンの指導者イリハム・アリエフとのダム開通式から戻った後に殺されたのは「偶然ではない」と付け加えた。 イランのメディアの報道によれば、アゼルバイジャンの指導者は式典でライシ大統領にこう言ったという。 「対話を望まない国もある。だが私は気にかけない」。彼は間違いなくイスラエルを指していた。

私の情報源は、アゼルバイジャンが殺害に一役買ったとほのめかしている。 イスラエルがアゼルバイジャンに大規模な監視体制を敷いていることはよく知られている。モサドの諜報員もおり、前方監視所、空軍基地まである。そのすべてがイランに向けられている。 イスラエルのスパイがヘリコプターを妨害した可能性はいくらでもある。

イランとアゼルバイジャンの関係は以前から不安定だ。 両者の間には数多くの対立点がある。 もし、アゼルバイジャン軍か、アゼルバイジャンを拠点とするイスラエル軍がこの作戦を行なったとすれば、両国関係は壊されることになる。

イランは報復するのだろうか?

私の情報筋の主張が正しければ、大混乱が起こるだろう。アメリカがカセム・ソレイマニを暗殺したとき、イランはアメリカの軍事力を恐れて抑止した。 イランはイスラエルに対してそのような制約を感じていない。

イスラエルがダマスカスのイラン領事館を破壊し、IRG(イラン革命防衛隊)の上級司令官を暗殺したとき、イランは報復を計画していることを示唆した。 今回、イランが報復に踏み切れば、そのような警告はないだろう。

今回の殺害は信じられないほど無謀な行為だった。しかし残念なことに、イスラエルが過去8カ月間ガザで行ってきたことを考えれば、驚くにはあたらない。 もう何の制約もない。国際的な規範に反することへの恐れもない。 国際的道義を恐れることもない。 あるのは、大規模な野蛮さだけだ。 今、イスラエルにとって問題となる指導者は誰でも、容赦なく処分され得る。

殺害の背後にイスラエルの戦略はない。ライシ大統領を排除しても、イランの対イスラエル姿勢は変わらない。イランの抵抗の意志が弱まることもない。むしろ、イランの抵抗は強まるだろう。 政府を支持する民衆を結集させることになる。 イランの指導力が弱まることはない。 イランの指導力を弱めることはない。 それは単に殺人のための殺人である。 殺せるから殺す。

それは、ボスのオスゴリラがライバルのゴリラを支配するのと同じようなものだ。 モサドの長い腕は、どこにいても敵に届くことを証明したいだけだ。 神の「強い手と伸ばした腕」を描写する聖書の一節のように、モサドは誰が死ぬか、どう死ぬか、いつ死ぬかを遠慮なく決定するところを示したいだけだ。

イランの大規模な報復を防ぐ唯一の方法は、イスラエルの指紋が(まだ)検出できないことだ。数日以内に、イラン当局は何が起こったかを知るはずだ。 イスラエルが爆弾やミサイルを使ったのであれば、それは明らかになるはずだ。 とはいえ、今回の攻撃は秘密裏に行なわれたため、イランは自制するかもしれない。

米国は何が起こったかを確実に知っている。 私は国務省、国防総省、NSA(国家安全保障局)に、この事件に関するアメリカが知っていることについて問い合わせた。回答があれば更新する。

私が書いたこの記事は、この地域全体を不安定化させ、ここ数年で見たこともないような血に染める可能性のある爆弾記事である。 信憑性の高い情報源と強力な状況証拠に基づくものではあるが、(明白な理由により)まだ独自には検証されていない。


(上記Xの翻訳 )


ライシ

筋書きはますます複雑になる。

イライジャ・マニエは非常に優れた専門家である。彼は、あらゆる正しい疑問を提出している: https://t.co/mikyiOjLtch。

しかし、すべてが条件付きのままである。

さらに踏み込んでみれば、イスラエルの 「信頼性の高い」 安全保障情報筋は、「どんな場合にも... 」と公然と自慢している。

- ペペ・エスコバル (@RealPepeEscobar) May 23, 2024





2024年5月19日、イラン空軍のヘリコプターがイラン東アゼルバイジャン州ヴァルザカン郡ウジ村付近に墜落し、乗員全員が死亡した。何が起きたのか?イランはこの損失からどう立ち直るのか?イランとこの地域の将来にとって何を意味するのか?中東・北アフリカ取材35年の経験を持つ戦場特派員で政治専門家のイライジャ・マニエを迎え、この悲劇を分析し、コメントする。

ライシ大統領を乗せたヘリコプターに何が起こったのか?


イライジャ・J・マニエ
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