ジョン・ピルジャー。もうひとつのヒロシマが近づいている。我々が今、阻止しない限り。
<記事原文>John Pilger: Another Hiroshima is coming – unless we stop it now
RT 論説面 2020年8月5日
ジョン・ピルジャー
ジョン・ピルジャーはジャーナリスト、映画製作
者、作家。彼は、英国のジャーナリストが受ける最高の賞を二度受賞したことのある二名のうちの一人。ドキュメンタリー映画でエミー賞と英国アカデミー賞(BAFTA)を受賞。他にも多数の賞を受賞しているが、中でも特筆すべきはロイヤル・テレビ・ソサエティの最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したことだ。ピルジャー氏の1979年の大作『カンボジアゼロ年 』は、英国映画協会より二十世紀における最も重要なドキュメンタリー映画10選のひとつに選ばれた。
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年8月15日
1967年に私が初めて広島を訪れたとき、階段に残された影はまだそこにあった。それは、休憩していた人の姿を完全に残していた。脚を広げて、背中を曲げて、片手を横に置いて、その女性は座って銀行が開店するのを待っていた。
1945年8月6日8時15分、その女性と影は花崗岩の石の上に焼けうつされた。
私はその影を1時間以上ずっと見つめていた。それから、川辺に歩いて行った。そこでは生存者たちが今でも掘っ立て小屋で暮らしていた。私は幸夫さんという人と会った。幸夫さんの胸は原爆が投下された時に着ていたシャツの柄が焼き付けられていた。
幸夫さんは、その日広島で拡がった巨大な閃光をこう表現した。「青っぽい光だった。電気がショートしたような感じだった」。そのあと竜巻のような風が吹き、黒い雨が降った。「私は地面に投げつけられた。残っていたのは植えていた花の茎だけだった。すべてが動かず静かだった。そして、私が立ち上がると、裸で無言の人たちがいた。肌や髪の毛がない人たちもいた。自分は死んだんだと思っていた。」
9年後、私は再度広島を訪れ幸夫さんを探したが、幸夫さんは白血病ですでに亡くなっていた。
「広島の廃墟には放射能はない」。ニューヨーク・タイムズは、1945年9月13日の一面にこういう見出しを載せた。まさに、これこそ嘘の情報を人々に植え付ける古典的な手口だ。「ファーレル将軍は」、ウィリアム・L・ローレンスはこう報じた。「原爆が危険で長期間にわたる放射能を出すことをきっぱりと否定している」。ローレンスはピューリッツァー賞を受賞した。
オーストラリアのウィルフレッド・バーチェットだけが、原爆投下直後の広島に危険を冒して乗り込んだ勇気溢れる唯一の記者だった。マスコミを統制していた連合国の意向を無視しての行為だった。
「私がこの記事を書くのは、世界に警告を発するためだ」。バーチェットは、1945年9月5日" ロンドンのデイリー・エクスプレス紙にこう書いた。べビーエルメス製のタイプライターを手に瓦礫の中で腰を下ろして、バーチェットは外傷がないのに死に瀕している人々で溢れる病室の様子を書いた。彼はこの病気を「原爆ペスト」と名付けていた。
この記事のせいでバーチェットは取材許可証を没取され、攻撃をうけ悪口を言われた。バーチェットが目撃した真実は、決して世に出ることが許されなかった。
広島と長崎に投下された原爆は、犯罪行為のために作られた武器を爆発させるという計画された大量虐殺行為だった。しかし、この犯罪行為は嘘により正当化された。そしてこの嘘こそが、21世紀の米国が戦争をはじめようとする宣伝行為の基板をなしているものだ。そして米国が今新しい敵であり標的であると目しているのは、中国だ。
広島の原爆投下から75年間、もっとも長続きしている嘘は、原爆が太平洋戦争を終わらせるため、そして人々のいのちを救うために投下された、という嘘だ。
「原爆投下がなかったとしても」、こう結論づけているのは、1946年の米国戦略爆撃調査団だ。「日本各地での空襲だけでも、日本が無条件降伏を受け入れ、米軍による本土侵攻を防ぐ十分な理由付けになっていたかもしれない」。「全ての事実を詳しく調査した。その調査には生き残った日本の指導者たちの証言も入っている。調査団の見方としては、日本は以下のことがなかったとしても降伏していただろう、ということだ。
①原爆が投下されなかったとしても
②ロシアが対日戦争に参戦しなかったとしても
③米軍による本土侵攻が計画され熟考されていなかったとしても」。
ワシントンにある国立公文書館には日本が早くも1943年から和平交渉を求めていたことを示す文章が残されている。米国側は全く取り上げようとはしなかった。1945年に東京のドイツ大使館から送られたが、米国により妨害された電報を読むと日本が必死に和平を求めていたことがあきらかだ。その中には「どれだけ条件が厳しくても降伏する」との一文もあった。それでも米側からは何の応答もなかった。
米陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、トルーマンにこう伝えた。「私は米空軍が日本を爆撃し尽くして新兵器が“その威力を示す”機会を失ってしまうことを“懸念している”」と。後にスティムソンはこう認めている。「どんな努力も払われなかったし、和平に向けたどんな行為も真剣に取り上げられなかった。そう、(原子)爆弾を使わなくてもすむような降伏のさせかたについては」。
「自分たちの思い通りの」世界にするという戦後を見越していたスティムソンの外交政策と歩調を合わせていた冷戦体制計画者ジョージ・ケナンが残した有名な一言がある。彼の一言からは、「ロシア人たちを威嚇するには、原子爆弾という銃を腰に置いておくのではなく、(原子)爆弾を使う」ことを彼らが強く望んでいたことがはっきり分かる。原爆を作るマンハッタン計画を指揮したレズリー・グローヴス将軍はこう証言している。「ロシアが我々の敵国だという幻想は私にはなかった。この計画はその基本のもとで行われた」。
広島が破壊された翌日、ハリー・トルーマン大統領は満足げにこう語った。「実験は大成功だった」。
その「実験」は、戦争が終わった後もずっと続いた。1946年から1958年にかけて、米国は太平洋のマーシャル諸島で67回の核実験を行った。その規模は、広島に投下された原爆を12年間毎日投下するよりも大きな規模だった。
そこに住んでいた人間や環境に対する影響は壊滅的なものだった。ドキュメンタリー映画『来たるべき対中国戦争』の撮影をしている間、私は小さな飛行機を借りてマーシャル諸島のビキニ環礁を訪れた。そここそが、米国が世界で最初の水素爆弾を投下した場所だ。その大地は汚染されたままだ。私の靴はガイガー放射能測定機で「安全ではない」と表示された。椰子の木はこの世の者ものとは思えない姿で立っていた。鳥は一羽もいなかった。
私はジャングルを抜けコンクリートでできたくぼ地まで歩いた。そこが、1954年の3月1日の朝、核爆弾のボタンが押された場所だ。太陽はすでに昇っていたが、もう一つの太陽が昇り、礁湖にある島全体が蒸発させられ、後に残ったのは広大な黒い穴だった。空から見ると恐ろしい光景だ。まさに風光明媚な場所にある暗黒の穴だ。
放射能の灰は、素早く、「予想もできない」状態で拡がった。公式記録には「風向きが急に変わった」とある。この記述が、これ以降続くたくさんの嘘の最初の嘘だった。開示された文書や被害者の証言がその嘘を明らかにしている。
核実験の場所の調査を命じられた気象学者ジーン・カーボーはこう言った。「米国は放射能の灰がどこに向かうのかを知っていた。実験当日でさえ、現地の人々を避難させる機会はあった。でも、現地の人々は避難させられなかった。私も避難させられなかった。米国は、放射能がどんな影響を与えるかを研究するために、「標本豚」を必要としていたのだ」。
秘密裡ではあるが、広島と同様にマーシャル諸島は多くの人たちのいのちを標本にした実験材料にされた。これが4.1計画だ。この計画は、ネズミを使った科学研究から始められ、それが「核兵器による放射能にさらされた人間はどうなるか」の実験に変わっていった。私が2015年に出会ったマーシャル諸島の住民たち、(彼らは私が1960年代と70年代にインタビューした広島の生存者たちと同じような感じだった)は、 さまざまなガンに苦しめられていた。そのガンはおもに甲状腺ガンだった。すでに何千人もが亡くなっていた。そこで住んでいる赤ちゃんたちは、奇形をともなって生まれることがしばしばあった。
ビキニとは違い、ロンゲラップ環礁附近では、水爆実験期間中住民は避難させられなかった。ビキニからの風を直接受けて、ロンゲラップ環礁の上空は暗くなり、一見雪のように見える雨が降った。食料や水は汚染された。そして住民たちはガン患者になった。このような状況は今でもかわらない。
私はネルジェ・ジョセフさんと会った。彼女はロンゲラップ環礁で撮った彼女の子ども時代の写真を見せてくれた。幼い彼女
は顔にひどいやけどをしていて、髪の毛がほとんどなかった。「私たちは爆弾が爆発した日に井戸で水浴びをしていたんです」とジョセフさんは語った。「白いほこりが空から落ちてきました、私は手を伸ばしてその粉をつかみました。私たちはその粉を石けんの代わりに使って髪の毛を洗ったのです。数日後、私の髪の毛が抜けはじめました」。
レモヨ・アボンさんはこう語った。「私たちの中には病気で苦しんでいる人もいました。下痢になった人もいました。怖かったです。私たちは“これは世界の終わりに違いない”と思っていました」。
私が自分の映画の中で使った米国の公式映像には、島々の住民を「従順な未開人」と表記している。その映像では、爆発後に米国原子量機構のある役人がこう自慢している様子が映されている。「ロンゲラップ環礁は、地球上でこれ以上ない最大に汚染された地域である」、と。さらにこう付け加えている。「汚染された環境で、放射能を受けた人間を調査することは非常に興味深い」。
米国の科学者や医学者たちは「放射能を受けた人間」の研究によってめざましい経歴を手にいれた。彼らは、このちらちら画像が飛ぶ映像の中で、白衣を身にまとい、筆記版を手におもいやりのある表情をしている。ある住民が10代でなくなったとき、その青年の家族はその青年を研究していた科学者からお悔やみのカードを受け取ったそうだ。
私はこれまで5つの核爆弾の「爆心地」について報告してきた。日本、マーシャル諸島、ネバダ州、ポリネシア、そしてオーストラリアのマラリンガ。戦場同伴取材よりもずっと、この地域を訪問したことは、偉大な力による無慈悲で非道な行いを深く知ることになった。その偉大な力とは、帝国主義であり、帝国主義の持つ冷酷性こそが人類の真の敵なのである。
オーストラリアの砂漠地域にあるマラリンガのタラナキ爆心地を撮影したとき、私はこの冷酷性を強く感じた。お皿のような形をした噴火口の中に方尖塔が立っていて、そこにはこう記されている。「英国の原子力兵器実験がこの地で1957年10月9日に実施された」。そして噴火口のふちにはこんな標識が記されている。
警告:放射線障害
この地点から数百メートルの範囲での放射線の程度は永久に安全といえる状況にならない可能性があります。
視野の範囲内、いや視野の範囲外でも、この大地は放射能汚染されていた。むき出しのプルトニウムが横たわっていた。タルク(滑石)のようにあちこちに点在していた。プルトニウムは人間にはとても危険な物質だ。たった3分の1ミリグラムのプルトニウムにふれれば50%の割合でガンになってしまう。
この標識をみた可能性がある唯一の人たちは、オーストラリアの先住民だ。彼らには核実験の警告はなかった。公式説明によると、先住民たちの運がよかったら、「ウサギのようにシッシと追い払われていた」、そうだ。
今日、思いもよらないような宣伝攻撃が私たちをウサギのようにシッシと追い払おうとしている。私たちは、毎日のように繰り返される反中国言説に疑念をもとうとはしていない。この反中国言説は反ロシア言説に急速に取って代わった。中国と関係することはすべて、悪者あつかいされ、忌み嫌われ、脅しに使われる。武漢もファーウェイも。なんとややこしいことか。もっとも酷評されている「私たちの」リーダーがそう言っているのだから。
現在のこの反中国宣伝攻撃はトランプ政権から始まったものではない。バラク・オバマ政権からだ。オバマは2011年オーストラリアを訪問し、アジアー太平洋地域における米海軍について、第2次世界大戦以降最大となる増強をすると宣言した。突然、中国が「脅威」となったのだ。このことは言うまでもなくばかげたことだ。脅威となっているのは、米国が自国を、世界でもっとも裕福で、世界で最も成功している国で、世界でもっとも「欠くことのできない国」だと思っている、救いようのない精神病患者のような見方をしていることなのに、だ。
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今まで一度も議論にならなかったことは、米国が弱い者いじめをする際に示すどう猛さだ。国連加盟国の30カ国以上が、米国による制裁に苦しんでいる。その制裁は血に染まったものだ。防御力のない国々を爆撃し、その国の政権を転覆させ、その国の選挙を妨害し、その国の資源を横取りしている。
オバマの宣言は、「アジア基軸戦略」として知られている。その戦略を推進している一人に、国務長官だった、ヒラリークリントンがいる。彼女はウィキリークスによると、太平洋を「アメリカ海」という名称に変えたがっていたそうだ。
クリントンが決して戦争挑発姿勢を隠そうとしない一方で、オバマは商売の達人だった。「私は自信をもってこう言う」。2009年、新大統領オバマはこう言った。「アメリカは、核兵器のない世界の平和と安全を求め続けていく」、と。
オバマは冷戦終了後のどの大統領よりも核弾頭への予算を増やした大統領だった。「使用可能な」核兵器が開発された。それがB6-12モデルとして知られる核爆弾であり、それは元アメリカ統合参謀本部副部長のジェームス・カートライト将軍によると、「小さくなったので使おうという気持ちが増す」爆弾だそうだ。
標的は中国だ。今日、400を超える米軍基地がほぼ中国全土をミサイルや爆弾や戦艦や核兵器で取り囲んでいる。オーストラリア北部から太平洋を抜けて東南アジアや日本や韓国、そしてユーラシア大陸を横切ってアフガニスタンやインドに米軍基地がある。この状況をある米国の戦略家がこう私に語った。「完全な首縄だな」。
ベトナム戦争以来米国の戦争を計画してきたランド研究所の研究が本になっている。タイトルは『中国との戦争。考えられないことを思考する』。米軍からの指令を受け、同書の著者は同研究所の冷戦戦略家の長だったハーマン・カーンの評判の悪い売り文句を思い出したのだ。「考えられないことを思考する」。これは、カーンの著書『熱核戦争論』の売り文句だった。その著書は「勝利できる」核戦争について綿密な計画を述べたものだった。
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カーンの終末論的な見方には、トランプ政権の国務長官であるマイク・ポンペオも同意している。 ポンペオは狂信的な福音主義者であり、「終末の歓喜」を信じている。ポンペオはたぶん今生きている人間の中でもっとも危険な人物だ。「私はCIAの長官だ」と彼は自慢している。「嘘をつき、インチキをして、盗む。CIAの訓練でやってきたのはそんなことだ」。ポンペオが今強迫観念を持っている相手は中国だ。
ポンペオの過激主義の行き着く先がどこなのかについて論じている英米のメディアはあってもほんの少しだ。英米のメディアは、中国に関する神話や作り話を公平だと見なすのが標準だとされている。かつてのイラクについての嘘と同じだ。ひどい人種差別主義がこの宣伝攻撃の裏側にある。肌の色が白いのに、「黄色だ」と決めつけられ、中国人は移民排斥法で米国への移民が禁じられている。理由は肌の色ではなくて、彼らが中国人だからだ。人々には、中国人は腹黒く、信頼できず、ずるくて、貧しくて、病的で、道徳心がないという考えを植え付けさせている。
オーストラリアの雑誌『速報 』は、「黄色の危険」という恐怖を広めるのに精を出した。まるですべてのアジアが重力のように中国一国に引きづられて植民地にされてしまうかのような書きっぷりだった。歴史家のマーティン・パワーズが書いているように、中国の近代化や中国の宗教に基づかない道徳や「リベラルな考え方を知ってしまうこと」を、欧州は恐れていた。「だから18世紀の啓蒙活動において、欧州は中国が果たす役割を抑圧する必要があった。だからこそ、西欧の優越性という神話を揺るがす中国をおそれて、何世紀にも渡って中国は人種差別の標的にされるということが安易に行われたのだ」。
シドニー・モーニング・ヘラルド紙において、中国への攻撃を止むことなく続けているピーター・ハーチャーは、オーストラリアで中国の影響を広めている人たちのことをこう表現した。「ネズミやハエや蚊やスズメみたいなやつら」。ハーチャーは、好んで米国の扇動家スティーブ・バノンを引用するのだが、今の中国の指導者たちの「夢」を解釈するのがお好きらしい。そして彼はその夢の秘密を知っているようだ。彼によると、その夢は中国の指導者たちが2000年前の「天命」を受けたのだそうだ。ああ、バカバカしい。
この「天命」に対抗するため、オーストラリアのスコット・モリソン政権は、地球上で最も安全な国であり、主要な貿易相手が中国であるオーストラリアに、1000億ドル以上の値段の米国ミサイルを用意し、そのミサイルの矛先を中国に向けている。
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なぜそんなことをするのか、そんな証拠はぽたぽた落ちてくる。歴史上、アジアに対する激しい人種差別を行ってきた国なので、中国系オーストラリア人たちは、自警団を結成して宅配業者を守ろうとしている。スマートフォンで撮影された動画には、宅配業者が顔面を殴られたり、中国人夫婦がスーパーマーケットで人種差別を受けている模様が映されている。 4月から6月の間でアジア系のオーストラリア人への人種差別事件がほぼ400件起こっている。
「私たちはあなたがたの敵ではありません」。中国のある高官の戦略家が私にこう語った。「しかし、もしあなたがた西側諸国の方で、私たちが敵だと決めたのであれば、私たちは、遅延なくその準備をする」。中国の軍備は米国と比べれば小さい。しかし中国は、急速に軍備を拡張している。特に戦艦を破壊するよう製造された海軍ミサイルの発展は目ざましい。
「史上初めて」憂慮する科学者連合のグレゴリー・クラッキーさんはこう書いている。「中国は核ミサイルを警戒態勢に配置し、核攻撃の警告があった場合にすぐに発射できる態勢を取っている。これは中国の政策において非常に重大で危険な変化だ」。
ワシントンで、私はアミタイ・エツィオーニさんと会った。彼はジョージ・ワシントン大学の国際情勢学が専門の卓越した教授である。彼はこう書いた。「中国への盲目的な攻撃」が計画された。「この攻撃は(中国から)核兵器を使った先制攻撃であると誤解される可能性がある。 そうなると中国は、使うか負けるかの二者択一の選択を迫られる。つまり、それは核戦争に繋がってしまう」
2015年、米国は単一の軍事演習としては冷戦時代以来最大の演習を行ったが、その内容のほとんどは高度な秘密で守られている。戦艦と長距離爆弾が「中国を想定した空と海での戦争」を想定して演習された。「中国を想定した空と海での戦争」(ASB)はマラッカ海峡の海上輸送路を閉鎖し、中国が石油やガスやほかの原材料を中東やアフリカから輸送する道を塞ぐ演習だ。
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そのような動きは、中国が一帯一路構想を欧州に向けてかつてのシルクロードに沿って発展させていることを恐れての動きであり、さらに中国が南沙諸島での紛争地域となっているサンゴ礁や島に滑走路を緊急建設していることに対しても同じことだ。
上海で、私は张丽佳さんと会った。彼女は北京を拠点に置くジャーナリストであり、小説家だ。彼女の最も売れた著書は、皮肉をこめた『社会主義は素晴らしい!』という題名だ。彼女には、混乱を呼び残忍だったあの文化大革命の中で育ち、さらに米国や欧州に移住した体験がある。「多くの米国人の想像では」、彼女はこう語った。「中国人は惨めな暮らしぶりで、自由と呼べるものはない抑圧された生活を過ごしていると思っているようだ。黄色の危険という考え方は決して米国人の頭から去りはしない。米国人たちは、5億人が貧困から抜け出させてもらったことを知らない。いや、その数は6億人だという人もいる」。
現在の中国の目を引くような発展、貧困の大規模な解消、自信、民衆の満足度、(これらは米国のピュー研究所などによる科学的根拠がある世論調査の結果で明らかだ)などは意図的に西側諸国では知らされておらず、誤解されている。このことひとつ取ってみても、誠実な報道を放棄している西側メディアの嘆かわしい状況が伝わる。
中国の悪い面の代表的なものや、私たちが好んでよくつかう「権威主義」という言葉は、私たちがメディアからそう見るように仕組まれたうわべの姿に過ぎない。そう、私たちはずっと小説の登場人物である悪の超人フー・マンチューの話を繰り返し繰り返し聞かされているかのようだ。もうそろそろ、そうなっている理由を考えるときだ。次のヒロシマが起こることを阻止することが手遅れになる前に。
RT 論説面 2020年8月5日
ジョン・ピルジャー
ジョン・ピルジャーはジャーナリスト、映画製作
者、作家。彼は、英国のジャーナリストが受ける最高の賞を二度受賞したことのある二名のうちの一人。ドキュメンタリー映画でエミー賞と英国アカデミー賞(BAFTA)を受賞。他にも多数の賞を受賞しているが、中でも特筆すべきはロイヤル・テレビ・ソサエティの最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したことだ。ピルジャー氏の1979年の大作『カンボジアゼロ年 』は、英国映画協会より二十世紀における最も重要なドキュメンタリー映画10選のひとつに選ばれた。
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年8月15日
1967年に私が初めて広島を訪れたとき、階段に残された影はまだそこにあった。それは、休憩していた人の姿を完全に残していた。脚を広げて、背中を曲げて、片手を横に置いて、その女性は座って銀行が開店するのを待っていた。
1945年8月6日8時15分、その女性と影は花崗岩の石の上に焼けうつされた。
私はその影を1時間以上ずっと見つめていた。それから、川辺に歩いて行った。そこでは生存者たちが今でも掘っ立て小屋で暮らしていた。私は幸夫さんという人と会った。幸夫さんの胸は原爆が投下された時に着ていたシャツの柄が焼き付けられていた。
幸夫さんは、その日広島で拡がった巨大な閃光をこう表現した。「青っぽい光だった。電気がショートしたような感じだった」。そのあと竜巻のような風が吹き、黒い雨が降った。「私は地面に投げつけられた。残っていたのは植えていた花の茎だけだった。すべてが動かず静かだった。そして、私が立ち上がると、裸で無言の人たちがいた。肌や髪の毛がない人たちもいた。自分は死んだんだと思っていた。」
9年後、私は再度広島を訪れ幸夫さんを探したが、幸夫さんは白血病ですでに亡くなっていた。
「広島の廃墟には放射能はない」。ニューヨーク・タイムズは、1945年9月13日の一面にこういう見出しを載せた。まさに、これこそ嘘の情報を人々に植え付ける古典的な手口だ。「ファーレル将軍は」、ウィリアム・L・ローレンスはこう報じた。「原爆が危険で長期間にわたる放射能を出すことをきっぱりと否定している」。ローレンスはピューリッツァー賞を受賞した。
オーストラリアのウィルフレッド・バーチェットだけが、原爆投下直後の広島に危険を冒して乗り込んだ勇気溢れる唯一の記者だった。マスコミを統制していた連合国の意向を無視しての行為だった。
「私がこの記事を書くのは、世界に警告を発するためだ」。バーチェットは、1945年9月5日" ロンドンのデイリー・エクスプレス紙にこう書いた。べビーエルメス製のタイプライターを手に瓦礫の中で腰を下ろして、バーチェットは外傷がないのに死に瀕している人々で溢れる病室の様子を書いた。彼はこの病気を「原爆ペスト」と名付けていた。
この記事のせいでバーチェットは取材許可証を没取され、攻撃をうけ悪口を言われた。バーチェットが目撃した真実は、決して世に出ることが許されなかった。
広島と長崎に投下された原爆は、犯罪行為のために作られた武器を爆発させるという計画された大量虐殺行為だった。しかし、この犯罪行為は嘘により正当化された。そしてこの嘘こそが、21世紀の米国が戦争をはじめようとする宣伝行為の基板をなしているものだ。そして米国が今新しい敵であり標的であると目しているのは、中国だ。
広島の原爆投下から75年間、もっとも長続きしている嘘は、原爆が太平洋戦争を終わらせるため、そして人々のいのちを救うために投下された、という嘘だ。
「原爆投下がなかったとしても」、こう結論づけているのは、1946年の米国戦略爆撃調査団だ。「日本各地での空襲だけでも、日本が無条件降伏を受け入れ、米軍による本土侵攻を防ぐ十分な理由付けになっていたかもしれない」。「全ての事実を詳しく調査した。その調査には生き残った日本の指導者たちの証言も入っている。調査団の見方としては、日本は以下のことがなかったとしても降伏していただろう、ということだ。
①原爆が投下されなかったとしても
②ロシアが対日戦争に参戦しなかったとしても
③米軍による本土侵攻が計画され熟考されていなかったとしても」。
ワシントンにある国立公文書館には日本が早くも1943年から和平交渉を求めていたことを示す文章が残されている。米国側は全く取り上げようとはしなかった。1945年に東京のドイツ大使館から送られたが、米国により妨害された電報を読むと日本が必死に和平を求めていたことがあきらかだ。その中には「どれだけ条件が厳しくても降伏する」との一文もあった。それでも米側からは何の応答もなかった。
米陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、トルーマンにこう伝えた。「私は米空軍が日本を爆撃し尽くして新兵器が“その威力を示す”機会を失ってしまうことを“懸念している”」と。後にスティムソンはこう認めている。「どんな努力も払われなかったし、和平に向けたどんな行為も真剣に取り上げられなかった。そう、(原子)爆弾を使わなくてもすむような降伏のさせかたについては」。
「自分たちの思い通りの」世界にするという戦後を見越していたスティムソンの外交政策と歩調を合わせていた冷戦体制計画者ジョージ・ケナンが残した有名な一言がある。彼の一言からは、「ロシア人たちを威嚇するには、原子爆弾という銃を腰に置いておくのではなく、(原子)爆弾を使う」ことを彼らが強く望んでいたことがはっきり分かる。原爆を作るマンハッタン計画を指揮したレズリー・グローヴス将軍はこう証言している。「ロシアが我々の敵国だという幻想は私にはなかった。この計画はその基本のもとで行われた」。
広島が破壊された翌日、ハリー・トルーマン大統領は満足げにこう語った。「実験は大成功だった」。
その「実験」は、戦争が終わった後もずっと続いた。1946年から1958年にかけて、米国は太平洋のマーシャル諸島で67回の核実験を行った。その規模は、広島に投下された原爆を12年間毎日投下するよりも大きな規模だった。
そこに住んでいた人間や環境に対する影響は壊滅的なものだった。ドキュメンタリー映画『来たるべき対中国戦争』の撮影をしている間、私は小さな飛行機を借りてマーシャル諸島のビキニ環礁を訪れた。そここそが、米国が世界で最初の水素爆弾を投下した場所だ。その大地は汚染されたままだ。私の靴はガイガー放射能測定機で「安全ではない」と表示された。椰子の木はこの世の者ものとは思えない姿で立っていた。鳥は一羽もいなかった。
私はジャングルを抜けコンクリートでできたくぼ地まで歩いた。そこが、1954年の3月1日の朝、核爆弾のボタンが押された場所だ。太陽はすでに昇っていたが、もう一つの太陽が昇り、礁湖にある島全体が蒸発させられ、後に残ったのは広大な黒い穴だった。空から見ると恐ろしい光景だ。まさに風光明媚な場所にある暗黒の穴だ。
放射能の灰は、素早く、「予想もできない」状態で拡がった。公式記録には「風向きが急に変わった」とある。この記述が、これ以降続くたくさんの嘘の最初の嘘だった。開示された文書や被害者の証言がその嘘を明らかにしている。
核実験の場所の調査を命じられた気象学者ジーン・カーボーはこう言った。「米国は放射能の灰がどこに向かうのかを知っていた。実験当日でさえ、現地の人々を避難させる機会はあった。でも、現地の人々は避難させられなかった。私も避難させられなかった。米国は、放射能がどんな影響を与えるかを研究するために、「標本豚」を必要としていたのだ」。
秘密裡ではあるが、広島と同様にマーシャル諸島は多くの人たちのいのちを標本にした実験材料にされた。これが4.1計画だ。この計画は、ネズミを使った科学研究から始められ、それが「核兵器による放射能にさらされた人間はどうなるか」の実験に変わっていった。私が2015年に出会ったマーシャル諸島の住民たち、(彼らは私が1960年代と70年代にインタビューした広島の生存者たちと同じような感じだった)は、 さまざまなガンに苦しめられていた。そのガンはおもに甲状腺ガンだった。すでに何千人もが亡くなっていた。そこで住んでいる赤ちゃんたちは、奇形をともなって生まれることがしばしばあった。
ビキニとは違い、ロンゲラップ環礁附近では、水爆実験期間中住民は避難させられなかった。ビキニからの風を直接受けて、ロンゲラップ環礁の上空は暗くなり、一見雪のように見える雨が降った。食料や水は汚染された。そして住民たちはガン患者になった。このような状況は今でもかわらない。
私はネルジェ・ジョセフさんと会った。彼女はロンゲラップ環礁で撮った彼女の子ども時代の写真を見せてくれた。幼い彼女
は顔にひどいやけどをしていて、髪の毛がほとんどなかった。「私たちは爆弾が爆発した日に井戸で水浴びをしていたんです」とジョセフさんは語った。「白いほこりが空から落ちてきました、私は手を伸ばしてその粉をつかみました。私たちはその粉を石けんの代わりに使って髪の毛を洗ったのです。数日後、私の髪の毛が抜けはじめました」。
レモヨ・アボンさんはこう語った。「私たちの中には病気で苦しんでいる人もいました。下痢になった人もいました。怖かったです。私たちは“これは世界の終わりに違いない”と思っていました」。
私が自分の映画の中で使った米国の公式映像には、島々の住民を「従順な未開人」と表記している。その映像では、爆発後に米国原子量機構のある役人がこう自慢している様子が映されている。「ロンゲラップ環礁は、地球上でこれ以上ない最大に汚染された地域である」、と。さらにこう付け加えている。「汚染された環境で、放射能を受けた人間を調査することは非常に興味深い」。
米国の科学者や医学者たちは「放射能を受けた人間」の研究によってめざましい経歴を手にいれた。彼らは、このちらちら画像が飛ぶ映像の中で、白衣を身にまとい、筆記版を手におもいやりのある表情をしている。ある住民が10代でなくなったとき、その青年の家族はその青年を研究していた科学者からお悔やみのカードを受け取ったそうだ。
私はこれまで5つの核爆弾の「爆心地」について報告してきた。日本、マーシャル諸島、ネバダ州、ポリネシア、そしてオーストラリアのマラリンガ。戦場同伴取材よりもずっと、この地域を訪問したことは、偉大な力による無慈悲で非道な行いを深く知ることになった。その偉大な力とは、帝国主義であり、帝国主義の持つ冷酷性こそが人類の真の敵なのである。
オーストラリアの砂漠地域にあるマラリンガのタラナキ爆心地を撮影したとき、私はこの冷酷性を強く感じた。お皿のような形をした噴火口の中に方尖塔が立っていて、そこにはこう記されている。「英国の原子力兵器実験がこの地で1957年10月9日に実施された」。そして噴火口のふちにはこんな標識が記されている。
警告:放射線障害
この地点から数百メートルの範囲での放射線の程度は永久に安全といえる状況にならない可能性があります。
視野の範囲内、いや視野の範囲外でも、この大地は放射能汚染されていた。むき出しのプルトニウムが横たわっていた。タルク(滑石)のようにあちこちに点在していた。プルトニウムは人間にはとても危険な物質だ。たった3分の1ミリグラムのプルトニウムにふれれば50%の割合でガンになってしまう。
この標識をみた可能性がある唯一の人たちは、オーストラリアの先住民だ。彼らには核実験の警告はなかった。公式説明によると、先住民たちの運がよかったら、「ウサギのようにシッシと追い払われていた」、そうだ。
今日、思いもよらないような宣伝攻撃が私たちをウサギのようにシッシと追い払おうとしている。私たちは、毎日のように繰り返される反中国言説に疑念をもとうとはしていない。この反中国言説は反ロシア言説に急速に取って代わった。中国と関係することはすべて、悪者あつかいされ、忌み嫌われ、脅しに使われる。武漢もファーウェイも。なんとややこしいことか。もっとも酷評されている「私たちの」リーダーがそう言っているのだから。
現在のこの反中国宣伝攻撃はトランプ政権から始まったものではない。バラク・オバマ政権からだ。オバマは2011年オーストラリアを訪問し、アジアー太平洋地域における米海軍について、第2次世界大戦以降最大となる増強をすると宣言した。突然、中国が「脅威」となったのだ。このことは言うまでもなくばかげたことだ。脅威となっているのは、米国が自国を、世界でもっとも裕福で、世界で最も成功している国で、世界でもっとも「欠くことのできない国」だと思っている、救いようのない精神病患者のような見方をしていることなのに、だ。
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Why the US really accuses Russia & China of weaponizing space
今まで一度も議論にならなかったことは、米国が弱い者いじめをする際に示すどう猛さだ。国連加盟国の30カ国以上が、米国による制裁に苦しんでいる。その制裁は血に染まったものだ。防御力のない国々を爆撃し、その国の政権を転覆させ、その国の選挙を妨害し、その国の資源を横取りしている。
オバマの宣言は、「アジア基軸戦略」として知られている。その戦略を推進している一人に、国務長官だった、ヒラリークリントンがいる。彼女はウィキリークスによると、太平洋を「アメリカ海」という名称に変えたがっていたそうだ。
クリントンが決して戦争挑発姿勢を隠そうとしない一方で、オバマは商売の達人だった。「私は自信をもってこう言う」。2009年、新大統領オバマはこう言った。「アメリカは、核兵器のない世界の平和と安全を求め続けていく」、と。
オバマは冷戦終了後のどの大統領よりも核弾頭への予算を増やした大統領だった。「使用可能な」核兵器が開発された。それがB6-12モデルとして知られる核爆弾であり、それは元アメリカ統合参謀本部副部長のジェームス・カートライト将軍によると、「小さくなったので使おうという気持ちが増す」爆弾だそうだ。
標的は中国だ。今日、400を超える米軍基地がほぼ中国全土をミサイルや爆弾や戦艦や
ベトナム戦争以来米国の戦争を計画してきたランド研究所の研究が本になっている。タイトルは『中国との戦争。考えられないことを思考する』。米軍からの指令を受け、同書の著者は同研究所の冷戦戦略家の長だったハーマン・カーンの評判の悪い売り文句を思い出したのだ。「考えられないことを思考する」。これは、カーンの著書『熱核戦争論』の売り文句だった。その著書は「勝利できる」核戦争について綿密な計画を述べたものだった。
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カーンの終末論的な見方には、トランプ政権の国務長官であるマイク・ポンペオも同意している。 ポンペオは狂信的な福音主義者であり、「終末の歓喜」を信じている。ポンペオはたぶん今生きている人間の中でもっとも危険な人物だ。「私はCIAの長官だ」と彼は自慢している。「嘘をつき、インチキをして、盗む。CIAの訓練でやってきたのはそんなことだ」。ポンペオが今強迫観念を持っている相手は中国だ。
ポンペオの過激主義の行き着く先がどこなのかについて論じている英米のメディアはあってもほんの少しだ。英米のメディアは、中国に関する神話や作り話を公平だと見なすのが標準だとされている。かつてのイラクについての嘘と同じだ。ひどい人種差別主義がこの宣伝攻撃の裏側にある。肌の色が白いのに、「黄色だ」と決めつけられ、中国人は移民排斥法で米国への移民が禁じられている。理由は肌の色ではなくて、彼らが中国人だからだ。人々には、中国人は腹黒く、信頼できず、ずるくて、貧しくて、病的で、道徳心がないという考えを植え付けさせている。
オーストラリアの雑誌『速報 』は、「黄色の危険」という恐怖を広めるのに精を出した。まるですべてのアジアが重力のように中国一国に引きづられて植民地にされてしまうかのような書きっぷりだった。歴史家のマーティン・パワーズが書いているように、中国の近代化や中国の宗教に基づかない道徳や「リベラルな考え方を知ってしまうこと」を、欧州は恐れていた。「だから18世紀の啓蒙活動において、欧州は中国が果たす役割を抑圧する必要があった。だからこそ、西欧の優越性という神話を揺るがす中国をおそれて、何世紀にも渡って中国は人種差別の標的にされるということが安易に行われたのだ」。
シドニー・モーニング・ヘラルド紙において、中国への攻撃を止むことなく続けているピーター・ハーチャーは、オーストラリアで中国の影響を広めている人たちのことをこう表現した。「ネズミやハエや蚊やスズメみたいなやつら」。ハーチャーは、好んで米国の扇動家スティーブ・バノンを引用するのだが、今の中国の指導者たちの「夢」を解釈するのがお好きらしい。そして彼はその夢の秘密を知っているようだ。彼によると、その夢は中国の指導者たちが2000年前の「天命」を受けたのだそうだ。ああ、バカバカしい。
この「天命」に対抗するため、オーストラリアのスコット・モリソン政権は、地球上で最も安全な国であり、主要な貿易相手が中国であるオーストラリアに、1000億ドル以上の値段の米国ミサイルを用意し、そのミサイルの矛先を中国に向けている。
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なぜそんなことをするのか、そんな証拠はぽたぽた落ちてくる。歴史上、アジアに対する激しい人種差別を行ってきた国なので、中国系オーストラリア人たちは、自警団を結成して宅配業者を守ろうとしている。スマートフォンで撮影された動画には、宅配業者が顔面を殴られたり、中国人夫婦がスーパーマーケットで人種差別を受けている模様が映されている。 4月から6月の間でアジア系のオーストラリア人への人種差別事件がほぼ400件起こっている。
「私たちはあなたがたの敵ではありません」。中国のある高官の戦略家が私にこう語った。「しかし、もしあなたがた西側諸国の方で、私たちが敵だと決めたのであれば、私たちは、遅延なくその準備をする」。中国の軍備は米国と比べれば小さい。しかし中国は、急速に軍備を拡張している。特に戦艦を破壊するよう製造された海軍ミサイルの発展は目ざましい。
「史上初めて」憂慮する科学者連合のグレゴリー・クラッキーさんはこう書いている。「中国は核ミサイルを警戒態勢に配置し、核攻撃の警告があった場合にすぐに発射できる態勢を取っている。これは中国の政策において非常に重大で危険な変化だ」。
ワシントンで、私はアミタイ・エツィオーニさんと会った。彼はジョージ・ワシントン大学の国際情勢学が専門の卓越した教授である。彼はこう書いた。「中国への盲目的な攻撃」が計画された。「この攻撃は(中国から)核兵器を使った先制攻撃であると誤解される可能性がある。 そうなると中国は、使うか負けるかの二者択一の選択を迫られる。つまり、それは核戦争に繋がってしまう」
2015年、米国は単一の軍事演習としては冷戦時代以来最大の演習を行ったが、その内容のほとんどは高度な秘密で守られている。戦艦と長距離爆弾が「中国を想定した空と海での戦争」を想定して演習された。「中国を想定した空と海での戦争」(ASB)はマラッカ海峡の海上輸送路を閉鎖し、中国が石油やガスやほかの原材料を中東やアフリカから輸送する道を塞ぐ演習だ。
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The world must wake up to and resist the 'New Cold War' because US actions against China endanger all of HUMANITY
そのような動きは、中国が一帯一路構想を欧州に向けてかつてのシルクロードに沿って発展させていることを恐れての動きであり、さらに中国が南沙諸島での紛争地域となっているサンゴ礁や島に滑走路を緊急建設していることに対しても同じことだ。
上海で、私は张丽佳さんと会った。彼女は北京を拠点に置くジャーナリストであり、小説家だ。彼女の最も売れた著書は、皮肉をこめた『社会主義は素晴らしい!』という題名だ。彼女には、混乱を呼び残忍だったあの文化大革命の中で育ち、さらに米国や欧州に移住した体験がある。「多くの米国人の想像では」、彼女はこう語った。「中国人は惨めな暮らしぶりで、自由と呼べるものはない抑圧された生活を過ごしていると思っているようだ。黄色の危険という考え方は決して米国人の頭から去りはしない。米国人たちは、5億人が貧困から抜け出させてもらったことを知らない。いや、その数は6億人だという人もいる」。
現在の中国の目を引くような発展、貧困の大規模な解消、自信、民衆の満足度、(これらは米国のピュー研究所などによる科学的根拠がある世論調査の結果で明らかだ)などは意図的に西側諸国では知らされておらず、誤解されている。このことひとつ取ってみても、誠実な報道を放棄している西側メディアの嘆かわしい状況が伝わる。
中国の悪い面の代表的なものや、私たちが好んでよくつかう「権威主義」という言葉は、私たちがメディアからそう見るように仕組まれたうわべの姿に過ぎない。そう、私たちはずっと小説の登場人物である悪の超人フー・マンチューの話を繰り返し繰り返し聞かされているかのようだ。もうそろそろ、そうなっている理由を考えるときだ。次のヒロシマが起こることを阻止することが手遅れになる前に。
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