「国外駐在国家主義」への道「国民-国家」の勃興と衰退のテクノロジー的、心理的要因
<記事原文>Towards Expat Nationalism
Technological and Psychological Factors for the Rise and Decline of the Nation-State
The Unz Review -
2020年3月2日
ギヨム・ドロシャ
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>
2020年4月3日
今日グローバリズムとポピュリズムとの間の緊張関係が話題になっているが、後者はしばしば国家主義的である。グローバリストの言い分は、一般的にあまりにも楽観的であり、国民や国家の時代は終わったと思い込んでいるにすぎない。実際には、国民-国家という存在が衰退の道を辿っているとはいえ、政治のあらゆる場面で、国民-国家という要因は依然として不動の現実であり続けている。
「国家」が衰退しているのは2つの点である。第一に、西欧諸国はいたるところで崩壊しつつあり、それぞれの中核となる民族は、特に大都市では急速に拡大するヒスパニック系、アジア系、アフリカ系、イスラム系の定住者達に押されている。大都市ではそれが目立っている。そして米国においては、その傾向が最南端に位置するすべての州に広がっている。
主要都市の多くははっきり言って消滅している。ロンドンはもはやいかなる意味でもイギリス国家の一部であるとは言えない。実際、サディク・カーン市長(訳注:初のイスラム教徒市長)下のロンドンは、この事実を強調するために苦心してきた。「誰でもロンドン、みんながロンドン」と主張する。同じように、パリはもはや本当の意味でフランス国家の一部ではないし、ロサンゼルスやニューヨークもアメリカの中西部と同じ国家に属しているとは言えない。
第二に、欧米のエリートたちは、心理的にますます国家から離れている。これらと同じ「グローバル都市」の住民は、もはや自分たちの歴史的な国家の核心を識別することができず、実際に、(面白くもおかしくもない)右翼政党に臆面もなく投票し、大都市階級の最新のイデオロギー・ファッションと同調しない田舎の人々に対して、程度の差こそあれ、恐怖と嫌悪感を抱いている。このように、これらのエリートたちは、自国民の経済的、文化的、人口統計学的な利益を守る必要性を感じていない。こんなことはよく言えば「自分勝手」で、最悪の言い方をすれば「人種差別主義者」というとんでもない罪のらく印を押されてしまう。今日、多くの左翼政党は、国境や国民性という概念そのものを公然と軽蔑している。「国民的連帯」など、どこ吹く風だ。
自国への帰属意識を持たないエリート層が出現してきた現象は、「国民国家」の「国家」の部分も今日では衰退していると多くの人が考えるようになった説明のひとつにもなっている。しかし、これはまったく不正確な言い方だ。国家は衰退の兆候を示しておらず、実際には、すべてを覆い尽くし、明らかに肥大化している。グローバル化の風が吹きまくる今日、移民問題や経済問題に直面して、国家が行動を起こさないとすれば、それはその手段を持たないからではなく、単にエリート指導層が自分たちの有権者を守ろうという気持ちを失ったからである。
このような傾向に対して、腹を立てるだけで何もしない、では能がない。そうではなく、なぜ国民国家は生まれたのか、なぜ衰退しているのかに思考を巡らすべきなのだ。
2つのアプローチからこのことを考えてみたい。一つ目は、心理面からだ。人間の心理は、人間の生活の基本的な事実であり、少なくとも大きな枠組みで捉えればあまり変化はしていない。
もう一つは、テクノロジー面からだ。過去数千年の間に人間の日常生活に目を見張るような変化を可能にしてきたのは、私たち人類が作り上げてきたテクノロジーだ。
心理的な面から言えば、重要なのはアイデンティティの問題であると私は思う。自分をどの民族に同一視するかは、人間の本性にもともと具わった衝動に見える。それは、子どもが言語を受け入れる能力と極めて似通っている。そのことは、どんな幼児でも異なる人種や発音を本能的に識別し、自分の親が属する人種や発音を好むことからも明らかである。現代史を見てみると、「共通言語の欠如」がある社会(オーストリア・ハンガリー、カナダ、ベルギー、ソビエト連邦 ....)や「共通言語の欠如」と「多民族である」両方か、どちらか一方がある社会(アメリカ合衆国、ブラジル、南アフリカ、マレーシア ....)が原因で、社会が共通の民族的アイデンティティに統合できないケースが何度も何度も見受けられる。もちろん、この上に文化的、宗教的要因を加えると、国民はさらに細かな「民族集団」に分化する。しかし、原則的には、共有言語と自分の祖先がどの大陸出身であるかが、「民族集団」を形成するための2つの基本的な要素であるように思われる。
同一化は、少なからず「社会化」から始まっているように思われる。幼児は、自分が両親と同じ大陸の人種であると仮定し、両親と常に接触し、両親の特徴を見、両親の声を聞くことによって、両親と同じ「民族集団」に自分を同一化するようになる。これとは対照的に、自分とは人種が違う養父母に育てられた子ども(白人の両親に育てられた黒人の子供、またはその逆の場合)は、非常に葛藤した感情を持つようになり、養父母の「民族集団」との完全な同一性は感じなくなる可能性が高い。これは、白人と黒人のハーフであるにもかかわらず、ヨーロッパへの親和性を感じなかったバラク・オバマのような混血児の子供たちにまさに当てはまる。彼は回顧録の中で説明している:「そして、(ヨーロッパで過ごした)最初の約1週間が終わる頃に、私は自分が間違っていたことに気がついた。ヨーロッパが美しくなかったわけではなく、すべては私が想像していた通りだった。ただ私は自分をヨーロッパに自己同一化することはできなかったのだ。
家族という要因は、特に両親が同じ民族である場合には、自分がどの「民族集団」に属するのかを決める強力な推進力となるようだ。ヨーロッパ全体を見渡すと、その社会で使われている言語があるのに、国がそれ以外の言語の使用を認めていて、十分な数の家族が家庭で後者の言語を話すので、自然とあらたな「民族集団」が発生し、その結果「民族間の緊張」が生まれている地域がある。カタルーニャ、フランドル、そして実際バルカン半島の大部分などがその例だ。
家族は、明らかに人々が社会化する主要なあり方一つである。しかし、それ以外にも、街、学校、職場、教会など、そして本、新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなどの様々なメディア・テクノロジーも「社会化」の役割を担っている。
思うに、民族的・宗教的アイデンティティの表現力と可能性は、これらのテクノロジーの波に晒されながら、有史以来ずっと変動を繰り返してしてきた。
遠く太古の昔、人々は部族を主なアイデンティティとし、それぞれがそれぞれの神を持ち、自分の血筋にのみ忠誠を誓っていたようだ。
文字の発明によって、個々の部族を越えた長期的で均質な帝国と宗教の官僚機構を作り上げることが可能になった。それゆえ、ギリシャ人や他の古代国家がしていたような純粋排他主義的アイデンティティ操作は、やがてローマ帝国の「二重の市民権」に取って代わられるようになったのである。キケロは、自分の故郷の郷土愛国主義と帝国ローマへの愛国主義の両方を口にしている点で象徴的である。
帝国と宗教(この問題で言えば言語も)の拡大は民族の拡大よりはるかに容易だった。民族というのはある一定の人口稠密度を超えるや否や極めて高い「粘着力」を必要とする傾向があるからだ。コンスタンティヌス帝とアショカ王のような偉大な皇帝は、キリスト教や仏教をうまく利用して、もしそれがなければバラバラになってしまう臣下たちに共通のアイデンティティを与える一つの手段としてそれを使ったようだ。中世を通じて、人々は様々な地域のアイデンティティとキリスト教という共通のアイデンティティを持っていた。書物は各国語ではなく主にラテン語で出版され、知識人の間ではキリスト教というアイデンティティが奨励された。
中世以降、特にヨーロッパでは、状況は劇的に変化した。識字率が安定して向上し、地域語の使用も広がったことで、地域語が突然国語に昇格したのだ。国家のアイデンティティは、知識人の間ではルネサンス期にまで遡る。(そんな早い時期ではないにしても、11世紀の『ローランの歌』にまでは遡れる)マキアヴェッリの悪名高い『王子』の結末で、イタリアを統一して(フランスとスペインという)野蛮人を追放することが呼びかけられていた。ルターはドイツ語でドイツの貴族に退廃的な教皇制のくびきからの解放を促し、モンテーニュは小生意気な『エセ-』の中で、フランス人の祖先であるガリア人について既に典型的な言葉で語っている。
このように、15 世紀から 20 世紀にかけて、ますます多くの人々が、言語学で言うところの様々な情報媒体によるネットワーク、すなわち、印刷機の登場、民衆の識字率向上、新聞の普及、国民学校教育制度の整備などを通し社会化されていく中で、国民のアイデンティティが着実に台頭していく様子が見られる・・・国家は大衆を社会に組み込むことに気を配っているので、別に驚くことではない。戦争が、1914 年までに、国家主義をヒステリックに叫ぶ場になっていたとしても。
その頃には、国家がすべてになっていた。家族、社会、州、新聞、本、学校、領土......すべてが国家という事実に支配され、調和してお互いを強化し、存在のあらゆる面を支配していた。だから、フランス人がイタリアの国境を越えたり、あるいはイギリスに上陸したとき、彼らは法が全く異なる、本当の別世界に入ったと感じることができた。今日では絶対にそんなことは起こらない。
国家とは、個人がその中で生き死にし、繁栄の可能性を持った、個人の個性を超越した実存的な事実であった。したがって、数多の偉人達が結末の見えない運動に参画し、身を犠牲にしたとしても驚くことではない。その流れで言えば、シャルル・ド・ゴールはフランスは「おとぎ話の中のお姫様やフレスコ画のマドンナのように、余人にはない特別な運命を背負った国」と感じていたし、ルーマニアの哲学者ペトレ・ツツェアは「バルカン半島はヨーロッパのお尻だ」と、ド・ゴールと同じように人々を浮き浮きさせ、元気づける情念を持って説明していたのである。ソルジェニーツィン、ヒトラーなどもそうだ。
宗教とビジネスだけにはこの縛りがなかった。とは言っても、宗教が国旗に包まれ、ビジネスが地域の状況に適応しなければならないことはいくらでもあった。
社会学的には、国民国家のピークは、戦後の時代、つまり1950年代のアメリカ、1960年代のフランスで達成された。これは、私たちの教育機構やその他の官僚機構が、それ自体目的となり、時間を無駄にしてお金を分配するための口実となった瞬間でもあった。テレビ時代だった。この時代はグローバリズムの始まりで、エリート達はそれを受け入れた。それ故、「フランスのグローバリズム」、「アメリカのグローバリズム」などはあったが、統一されたグローバリスト階級はまだ存在していなかった。
今日、人々は日常生活の大部分をスクリーンの前で過ごすようになった。著作権や国家的生態系(イラン、中国、ロシア)の制約はあるが、欧米ではインターネットの利用は基本的に地域の制約から免れている。私はパリ、ドバイ、またはティンブクトゥのどこでもこの記事を書くことができる。パリにいるアメリカ人が、英語圏の会社で働き、アメリカのメディアを通じて自分の意見を発表し、基本的には自国から出ていてもエリート白人社会という泡の中で生活することは可能だ。アラブ系移民は、彼がたまたま住んでいる場所がどこであろうと、アラブ・イスラム教のオンライン圏に住むことができるし、サウジが資金提供している地元のワッハーブ派のモスクに頻繁に通うこともできる。
こんな風にスクリーンの前にいればいいのだから、地域の制約から免れた仕事が可能になる。――かくして大企業や研究機関、名門企業などは、ますます国家から離れてゆく。
オルタナ右翼のリチャード・スペンサーが提案した、ある種「大西洋横断ローマ帝国」のような民族国家は、今日では突飛なもののように思われる。しかし、ドイツ人がオランダ人や北欧人と同じように機能的に英語を第一言語として話すようになれば(それは、おそらくほんの20年後におこることだろうが)、西欧統一に向けた言語的バリアはなくなるだろう。
「シャンパン」という上質の発泡性ワインはシャンパーニュ地方でしか生産してはいけない理由でもあるのか?どんな法律があって日本の領土外では、美味しいラーメンを作ることは不可能だと言うのか?
このように、私たちの社会が、着実に「非国家主義化」してゆくことは不可避だろう。下は第三世界からの移民、そして上は「アングロ・グローバリゼーション」(訳注:エリート白人層が核となったグローバル化)の両方から。これまでは、小規模で根無し草だった国際主義的なグローバリスト集団が、国家という概念から飛び出した、より大規模で数を増やしつつある階級に成長しているということなのだ。大きな問題は、私たちのライフスタイルが軟弱になってしまうことである。人々は、「教育」システム、どうでもいいような事務仕事、そしてスクリーン、といったどこにでもついて回る仮想空間の中で朝から晩まで時を過ごす。そんな生活をしていれば、私たちの生物としての機能が同時に劣化することは火を見るより明らかだ。―― 男性ホルモンを測るテストステロンレベルの低下を見たらいい。快適な生活ばかりするから苦痛や不快感に耐えたり、踏ん張る力がなくなってくる。そして痛みを伴う様々な真実を認知することもできなくなる。痛みを伴う真実の数がどれくらいあるかは神のみぞ知る、だ。ましてその真実を受け入れ、その真実に沿って生きることが私たちにできるのか?。
大きくはテクノロジー的に動かしようのないこれらの傾向を否定するというのは、どう見ても「そうあれかし!」の願望的思考でしかない。
「国外駐在の国家主義」は必要なのだ!
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