第5回「めざせ、ブータン!」其弐
とんぼの見える家
5月9日(木)、ぼくたちは鳥取市智頭町にある西谷新田を訪ねました。昨日の報告にもあるように、西谷新田は集落全体をNPO法人化している数少ない自治体です。新田地区は、澄んだ空気と清らかな水、そして町の93%が森林という非常に豊かな環境に恵まれた地域です。ここでは「都市と農村の交流」がキーワードとなっており過疎化が心配される中、さびれていく村をどうにか復活させようという村の人たちによる絶え間ない努力が日々なされています。例えば、農業体験などの交流事業を進めると同時に「人形浄瑠璃の館(清流の里)」、ロッジ「とんぼの見える家」を経営しています。さらにこの村では5ヵ年計画を継続させて4期が過ぎようとしています。平成5~10年の第1次計画では、ハード面の充実化を図るべく上のような施設を作り多くの人を迎えれるようにしました。第2次計画では、ソフト面の充実化を図るべく、講演会をおこなったり、子どもたちに気軽にこの村を訪れるようなイベントを企画しました。第3次計画では「合併」をテーマに村の活性化を検討した結果、大きくなった自治体では、末端まで配慮が行き届かず、細かい土木工事こ(水路の修復など)が後回しにされるというデメリットが発生したので、「自分のことは自分でやる」という発想をもつようになったそうです。そして平成20~25年の第4次計画では、高齢者対策に力をいれており、福祉施設を設けることで高齢者の介護をしつつ若い世代の介護士を雇用し、介護・雇用の一石二鳥の効果を期待しいます。
西谷新田は他県から移住者を迎える過疎地として脚光をあびています。昨日紹介されたパン屋さん、茅葺き民家の居住者さんがその一例ですが、3棟のログハウスで構成される「とんぼの見える家」には、北海道の北見市、広島県の福山市、東京都の調布市から移住者は暮らしておられます。西谷新田のみなさんが自分たちの村をよりよくするために一生懸命努力している姿はとても素敵だなあと思いました。
西岡京治のこと
先週今週と続けて「棚田」をみました。同級生たちが作成した配付資料にはネパール、中国雲南、フィリピンなどの広大な棚田の写真が掲載されたいました。ブータンもまた見事な棚田があるそうです。その棚田の関係深い日本人が西岡京治(にしおかけいじ)さんです。
西岡さんは、坂谷神社で話題になった照葉樹林文化の提唱者、中尾佐助さんの弟子にあたる方で、1962年に中尾さんを隊長とする大阪府立大学東北ネパール学術探検隊に副隊長として参加されました。64年から、海外技術協力事業団(JICA=現在の国際協力機構)の農業指導者として夫人とともにブータンに赴任し、以後28年間、白米などの穀物・野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾などに尽力されました。1980年には、ワンチュク国王から、民間人に贈られる最高の爵位ダショーを授かりました。外国人では初の受爵者であり、今なおダショーの爵位を得た外国人はいません。
1992年、ブータンで亡くなり(享年59歳)、国葬が執り行われ、パロ盆地が見渡せる丘陵上に埋葬されました。いま、そこに西岡京治記念チョルテン(ストゥーパ)が建っています。西岡さんの在ブータン28年の生きざまは、西谷新田20年のNPO法人活動とどこか共鳴しあうところがあるように思えてなりませんでした。(経営学科1年K.Y)