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琵琶湖竹生島の水神と魚食の旅(1)

0518竹生島02神社03八大龍王拝所04海01 八大龍王拝所から海を望む


竹生島宝厳寺・都久夫須麻神社のナマズ・白巳信仰

 琵琶湖北方に浮かぶ竹生島の祭神が、水神たる巳(み=へび)と黄色のオオナマズだという問題に関心を抱き、5月18日(土)、歴史遺産保全特論の履修生などで調査に訪れた。まず、ナマズに関しての考察を記す。竹生島の神社入口にあった参拝案内図(図1)をみると、3尾のナマズが描かれていた。その色は左から、青、緑、紫であり、黄色のナマズが描かれていなかった。教授が歴史遺産保全特論の授業開始前に紹介してくださった前畑政善・田畑諒一『ナマズの世界へようこそ』 (琵琶湖博物館ブックレット、 2020)には、琵琶湖において体色の黄色いナマズは昔から「弁天ナマズ」として知られており、竹生島宝厳寺本堂に祀られている弁才天に由来しているらしいとある。このことから、黄色のナマズは竹生島の神であるため、あえて描かなかった可能性が考えられる。


図1 竹生島の参拝案内図 図1 案内板


 次に、白巳が神の使いとして崇められていることについては、まず図2(左)のように、都久夫須麻(つくぶすま)神社=竹生島神社)に白巳大神が祀られていた。そのうち、右の巳については、黄金色の玉(ぎょく)を持っていた。また中央にも、図2(右)のように白い巳の模様のあるものと、木槌に巳が巻きつくものが見られた。


図2 白巳大神01 図2 白巳大神02 図2 白巳大神


 他にも、かわらけ投げをした竹生島八大龍王拝所の中にあった板絵には、図3(左)のように龍が白く描かれており、白巳(はくみ=しろへび)の仏教的(もしくは中国的)変身と思われる。また、図3(右)をみると、右側の龍が玉を持っており、白巳神社の巳の構図と同じであった。このことからいつ頃からか白巳から白い竜に信仰が変化した可能性もあるのではないかと考えられる。それはおそらく宝厳寺の成立・発展、あるいは竹生島神社と宝厳寺の習合プロセスと関係しているであろう。


図3a 図3b 図3 八大龍王拝所の水神表現

0518竹生島02神社03八大龍王拝所03記念撮影01 図4 龍王所での記念撮影


本堂本尊弁才天像の特別開帳

 ご神体の祀られている弁財天堂(本堂)が、今回特別に開創千三百年記念で本尊御開扉しており、実際に拝観することができた。その際、肝心の肩から上は御簾で隠されていたが、厨子外に置かれた御前立(おまえだち)には頭に絡みつく巳を確認することができた。御前立は弁才天像の模像だと説明されたが、説明しているガイド本人が「開帳は今日から始めって、まだちゃんと教えてもらっとらんねん」との発言があり、発言を信頼できないのが残念である。特別拝観代金千円を払い、写真撮影禁止で、この準備状況は困ったものだと思う。なお、側壁のマンダラには龍を描いていた。


図5 唐門に描かれたウサギと鳥 図5 豊国廟から移築されたという宝巌寺唐門(国宝)、奥に観音堂(重文)


 教授によると、観音堂や舟廊下の辺りの建物の一部は桃山時代まで遡り、弁財天堂(本堂)は昭和再建の建物であるという。実際、「竹生島・宝厳寺~西国第三十番札所~」のサイトには、昭和17年に現在の本堂が再建されたと記されている。同サイトによれば、明治元年の神仏分離令で大津県庁より廃寺とし、神社に改めよという命令が下った際、信者の要望により廃寺を免れたが、本堂の建物のみ神社に引き渡し、大弁才天像は昭和17年の再建まで本堂のないまま仮安置されていた。 
 帰りのフェリーの時間が迫るなか、石段を下りる際、アオダイショウを見つけた。その近くにヘビ(鳥?かもしれないが:図6)の卵を見つけた。ヘビが実際に肉視できる範囲に今もいることから、巳の信仰をより身近に感じた。
 このように、実際に竹生島宝厳寺を訪れた結果、ベンテンナマズについては詳しくは分からなかったけれども、水神たる白巳については、ご神体も御前立同様おそらく頭に巳がのっていたであろうと考えられる。また、竹生島八大龍王拝所の龍についても、巳の仏教化と思われる。建物自体、桃山時代の修復であって、それ以前から存在していたことは確実であり、文字記録等をみても中世以前から信仰されていたことが窺える。実際に、白巳関連のものが多いなど、信仰について考える上で貴重な体験ができたと思う。


図6 ヘビ?の卵 図6 蛇の卵?


図7 喜兵衛の料理 図7 喜兵衛の御膳


フードロスを防ぐ喜兵衛

 八幡堀の喜兵衛では、鯉料理や近江牛、赤こんにゃくなど、近江地方の郷土料理を堪能した。専門のシェフではなく、近隣在住9名の主婦が町家を食堂にして運営する雰囲気の良い料理屋であり、川魚料理を学ぶ学生として、とても良い体験ができた。図7に料理の写真を載せておく。どれも美味しかったが、私はとくに、鯉の煮付けが美味しかった。輪切り丸ごとの状態だったのも贅沢で驚いたが、卵まで含んでおり、とても美味しかった。格別の日本料理であってご飯が進み、一人だけ2回もおかわりさせていただき、恐縮している。少し話がずれるが、ご飯の量については、お客様に応じて量を変えて出しておき、おかわりシステムにするというお話が、私の専門分野が廃棄物であり、私もフードロス削減にも繋がるとすぐに感じ、もったいない精神を感じることができた。実際にお話の中でも「半分の量で出しても、『もう半分でお願いします』と言われることもある」というお話や、逆に「2口ぐらいしか食べていないのを見ると涙が出る」というお話からも、主婦の方が食べていただけてとても幸せという感じで話して下さり、私も作っていただき幸せだと感じた。
 喜兵衛の入口にもナマズか鯉か分からないが図8のようなぬいぐるみがあり、やはり淡水魚が身近にあることを理解した。喜兵衛自体も良い雰囲気であったが、重要伝統的建造物群「近江八幡」の町並みもきれいで気持ち良かった。屋形船(図9)もあまり見る機会がないため、昔ながらの町並みの良さを再認識することができた。訪れることができて本当に良かった。機会があればまた行きたい。


図9 屋形船 図8 喜兵衛入口のぬいぐるみ 図8・9


大橋三輪神社のドジョウ鯰鮓

 今回、実際にナレズシを作る文化が現在まで残っている大橋三輪神社で、自治会の会長兼氏子総代の多胡さんと元会長兼元総代の大隅さんにお話を伺うことができた。大隅さんがとくに泥鰌鮓について詳しい。ドジョウが水神たる白巳の代替、ナマズは琵琶湖の主であり、両者とも神霊の意味がある。それをナレズシにして神前に供えるのは示唆的である。
 ナレズシ作りについては、まず集落の西地区と東地区で浸ける際の手入れが違うというお話があった。ナレズシは毎年9月23日に漬け、5月1日に開封する。この間、月1回上澄み液の量を確認し、大隅さんがいる西地区では塩水を足しカビを取るのに対して、大橋の東地区では上澄み液を張りっぱなしにしているという。見た目では分からないが、味の違いはたしかにあり、西と東の対抗意識を感じることができた。また、塩水を足すというアイデアは参考にはなるが、一般の漬物ではそうしたプロセスはないだろうと思った。我々が応用してよいか否か、微妙なところである。琵琶湖の西側と東側で浸ける魚が違うというお話もあった。西側では鮎、東側ではナマズとのこと。探せば、ほかにも鯰を漬ける地域があるかもしれない。
 大橋集落では郷土文化本を刊行され、各世帯に無料で配布している。これについて、現総代の多胡さんと元総代の大隅さんで認識が異なり、編集に携わった大隅さんは大切なものだと話されていたが、この地区に来たばかりの多胡さんは、ナレズシについてはよく知らないと話された。また、ナレズシの味についても、多胡さんの方は正直臭くて美味しくないとの感想をもっておられるが、大隅さんは慣れてから美味しく感じると誇らしげに語られた。土着か新参かによってスタンスの違いがあり、文化とは前者に係るものだということがよく分かり、興味深かった。


図10 人身御供 図11 年輪
図10 人身御供の神話伝承  図11 境内広葉樹の年輪観察


 歴史については、人身御供の伝承(図10)が天平時代(8世紀)まで遡るというとお話があった。昔は白巳が女の子を呑み込んでいたが、その代わりとして、ドジョウ鯰ナレズシをお供えするようになったという伝承である。やはり白巳が関係しているのである。また、神社がいつごろからあるのか、指標になるかもしれないので、5年ほど前に伐った広葉樹の切り株の年輪を調べたところ、半径約500mm、年輪幅は5mm前後であり、樹齢は百年程度と推定される(図11)。明治末~大正初の植樹であろう。これ以外の歴史的証拠は文献史料しかない。天平時代(8世紀)まで遡る証拠はないが、平城宮木簡データベースで「鮓」「鮨」を検索すると、各地の荷札木簡で20件以上ヒットするので、魚介類は生ではなく、ナレズシとして献納されるものが少なくなかったことが分かり、琵琶湖のフナズシ等も当然都に租として運ばれていたと思われる。

 今回お話をうかがい、実際に文化を継承していく中で集落内に対抗意識があったり、慣れ親しんでいるかどうかで祭礼や味覚に対するスタンスに違いがあったりなど興味深いお話を伺うことができ良かった。歴史については、天平時代まで遡る可能性があるということに驚いたが、中国の字書では漢代まで遡るので、ナレズシの起源は先史時代ということも分かる。日本の場合、とくに米作が普及した弥生時代の文化とナレズシの関係は深いと想像され、米(水田)普及の遅れた東日本ではサケ・マスの燻製(トバ)が盛んになって、両者(ナレズシvsトバ)今に至るということかもしれない。とても興味深い。

全体の感想

 今回琵琶湖へ赴き、実際に文化に触れることで、色々と興味深いことを考えることができた。信仰や文化の継承、歴史の深さなどとても興味深い内容であった。行くことができ本当に良かった。ありがとうございました(図12)。


図12 全員での記念写真 図12 喜兵衛での記念写真


5/23(木)のナレズシの試食について

 私自身、橋本先生がいらっしゃる東鯷人カフェに参加できないと分かった際、大橋三輪神社から頂戴したドジョウナレズシが食べられないのではないかと、じつは心配していた。しかし、教授が一度試食しようと提案され、良かった。実際食べてみると、まず、私自身も麹飯漬けに加わったナレズシ(図13)については、発酵の酸っぱさで魚本来の味がしたり、魚の皮の風味を感じたりすることができ、正直思っていたより美味しいと感じた。一方、ドジョウナレズシ(図14)については、違う種類の酸っぱさを感じツンとくる梅干しのような酸味を感じ、こちらは違う意味で美味しかった。ドジョウナレズシの塩加減については少し感じたが、思っていたほどきつくはなかった。魚自体もねばねばせず、サクッと噛めたのと、魚の身の色合いが白くなっており、上手くいっていそうである。当日カフェに参加することができないのは残念であるが、後で橋本先生がどんな反応をされるのか、またナレズシの起源や歴史についても皆さんから窺えれば幸いである。(M2 DH)


図13 ナレズシ01 図13 ナレズシ02
図13(左) 自主制作した鯰ナレズシ  図14(右) 大橋三輪神社のドジョウ鯰鮓


《参考文献》
・竹生島・宝厳寺~西国第三十番札所~「宝厳寺のいわれ」
https://www.chikubushima.jp/origin/ (参照日2024-05-22)
・竹生島・宝厳寺~西国第三十番札所~「ギャラリー」
https://www.chikubushima.jp/gallery/ (参照日2024-05-24)

《連載情報》 琵琶湖竹生島の水神と魚食の旅
(1)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2848.html
(2)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2849.html
(3)http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-2855.html

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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