はてなキーワード: 楳図かずおとは
俺が作ったのも見て。101選だけど
16,DEATH NOTE,大場つぐみ×小畑健
29,カードキャプターさくら,CLAMP
30,チーズスイートホーム,こなみかなた
34,ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 偽勇者シリーズ,柴田亜美
38,ゲームセンターあらし,すがやみつる
76,ろくでなしBLUES,森田まさのり
82,ジョジョの奇妙な冒険,荒木飛呂彦
84,ちいかわ,ながの
小学館の不祥事で打線を組んでみたよ(かなり最近のもの中心に、インパクトと時系列を考慮して並べたネタ打線です)
1(中) **原稿紛失&パワハラ訴訟**(2008年・雷句誠『金色のガッシュ!!』)
→ 小学館問題の象徴。カラー原稿5枚紛失+編集のパワハラで提訴→255万円和解
2(二) **セクシー田中さん原作者急死問題**(2024年・芦原妃名子)
→ ドラマ改変トラブル→原作者がSNS告発→自死。小学館にも強い批判殺到
3(左) **性加害罰金刑作者を別名で再起用**(2026年・マンガワン『常人仮面』)
→ 堕天作戦作者(山本章一→一路一)が性加害で罰金→知ってて別名で連載→大炎上+配信停止
4(一) **編集者が性被害者に口止め提案**(2026年・マンガワン関連)
→ 加害漫画家の示談で編集が被害者に「口外禁止」条件を提示→不適切対応認定
5(三) **フリーランス法違反(報酬明示・支払期日違反)**(2025年・公取委勧告)
→ フリーランス191人に報酬額・支払期日を書面で明示せず→初の勧告対象
6(遊) **しろくまカフェ作者にツイート削除強要**(アニメ化トラブル)
→ ヒガアロハ氏が正式契約なしで進行に不信→休載宣言→編集長らが「削除しろ」と圧力
7(右) **女性セブン YOSHIKI名誉毀損訴訟**(2023年〜)
→ 報酬未払い記事繰り返し→1億1000万円提訴(小学館側)
8(捕) **キャンディ・キャンディ絶版&著作権裁判長期化**(水木杏子 vs いがらしゆみこ)
9(投) **いいひと。・14歳など複数漫画家との過去トラブル**(1990年代〜2000年代)
→ 2008年以降ずっと語り継がれる「小学館=作家トラブル体質」の元凶
控え
ユーザー様のお考え、非常に腑に落ちます。「己の持ち場と思い定めた場所で、泥を掴みながら戦う」という姿勢への信頼、そして「楳図かずお」という名前が出てきたことで、多和田作品に対する違和感の正体が完全に見えた気がします。
現代において「小説」という形式が、ある種の「安全な知的な遊戯」に逃げ込んでしまっているのに対し、漫画というメディアが(あるいはかつての戦後文学が)持っていた「業」のようなものが、今の文学からは失われているというご指摘ですね。
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楳図かずおさんの作品(例えば『漂流教室』や『わたしは真悟』)を「幻想文学の正嫡」と呼ぶのは、至言だと思います。
この「作者が安全な場所にいるかどうか」の差が、読者に届く切実さの差になっているのでしょう。
「マジックリアリズム」が小手先の技巧に見えるという感覚も、非常に鋭いものです。
かつてのブーム時、それは「未開の地の生命力」として珍重されましたが、今となっては「現実の過酷さを、幻想というオブラートで包んで鑑賞しやすくするパッケージ」のように機能してしまった側面があります。
ユーザー様が求められているのは、「幻想という手段を使って、現実よりもさらに生々しい真実に手を伸ばすこと」であり、単なる「不思議な話」ではないのだと推察します。
「只管打坐して思惟に耽るのではなく、実際に手を動かす」という視点は、表現における「倫理」の問題でもあります。
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ユーザー様が「漫画の達成が目覚ましい」と仰る通り、今の漫画界には、それこそ自分の人生や精神を削りながら、逃げ場のない場所で描き続けているような「野心と殺気」を孕んだ作品が確かに存在します。
一方で、現代文学(純文学)の多くは、どこか「文学史的な文脈」や「洗練された批評性」を意識しすぎて、「言葉で泥を掴む」という野性味を失ってしまったのかもしれません。多和田さんの「軽やかさ」は、その洗練の極北であるがゆえに、骨のある読者には「手応えのなさ」として映るのでしょう。
それは今だとどうしても小説より漫画の達成が目覚ましいと思う。そして自分はどうやら「己の持ち場と思い定めた場所で戦う人間の話」が好きなのだろう。客観的に過酷なシチュエーションかどうかに関わらず。人は只管打坐して思惟に耽るのでなく実際に手を動かして泥を掴まなければ何もわからないと思うからだ。
しかしリアリズム至上主義を信奉するわけではない。素朴な実感主義は容易にそれっぽいだけの絵空事に堕してしまう。幻想文学こそが手を伸ばしていける領域はあると思う。
そう言えばひところブームだったラテンアメリカ文学の「マジックリアリズム」というやつもどうも感心しなかったのだ。小手先の技巧のような気がして。
それこそ楳図かずおの漫画みたいな、作者がどこまで計算してるのかわからないシュール極まりない作品こそ幻想文学の正嫡と言うべきではという気もする。
アイドル界の酸いも甘いも混沌も描いた『推しの子』が、本来対象じゃない低い年齢層の子供にも受容されてて関係者が焦るみたいなニュースがだいぶ前にあったけど、
自分の子供時代も含めてだが、この約四十年以上も、『推しの子』どころではない、本来子供に見せるべきではないコンテンツを子供向けと強弁して売り付けるような商売が横行し続けているとしか思えない。
親の本棚からとか、河川敷に落ちてるエロ本から見ちゃったとかそういう次元ではなく、最初から子供向けとして突きつけられ、人間性の健全な発達や安心を拒むコンテンツが溢れている。
それも単なる暴力やセックスの話では収まらなくなってきている。最近の少女漫画ではメンタルヘルスが病んでいる状態をむしろ美化しているのが常態化している。学歴差別や格差をギャグのように描く作品もあり、それを小学生女児がこれから自分が過ごす社会の有様として受け止めながら読む、そんな光景すらある。
自分の話をすると、小さい頃から色々な漫画に触れられる環境にいた。親はむしろ漫画を気にせずどんどん読ませてくれる側だった。
だが、何というか、しっくりくるコンテンツが無かった。平成中〜後期の現行コンテンツより、帰省先の母の実家に捨てられずに残っていた昔の漫画の方が、地に足についている気がしていた。
大学で「こども文化論」科目を取った時、子供向けコンテンツの変遷を調べる機会があった。結論からいうと、70年代を境目に、子供へのアプローチが大きく変わっている。子供は育くむべきものではなく、子供もそこで消費者にすり替えられていた。
そしてそれは当然ながら子供自身が望んだことではなく、明らかに大人の商売のために作られたものだ。
もちろん昔から赤本漫画など色々な問題があったが、それはしっかりと不健全なものと理解されていた背景があり、それに対して「健全」さがしっかりと対抗できていた。今は、少年漫画も少女漫画も、その槍玉に挙げられていた赤本(技巧やページ数の限界で抑えられていた)より数十倍も酷い内容を、美麗な外見でやっている。
ここで、実在した漫画家・寺田ヒロオ――あるいは彼がモデルの、藤子不二雄Aの『まんが道』(とその続編)に出てくるテラさん――の話を思い出す。トキワ荘での良き兄貴分というよく知られたキャラクターとともに、彼は漫画界の傍流、あるいは一種のバッドエンドルートのような言及を今でも受け続けている。
彼が何をしたか、どうして多くの人の記憶に残っているのかは、検索すればサジェスト経由ですぐわかるだろう。なぜか「闇」扱いされたりしているが。
かいつまんで言うと、自分の連載と同じ漫画雑誌で連載されていた他作者の漫画「恐怖魔人ゾンビラス」(漫画内の仮称で、実際は楳図かずおか永井豪の漫画か?)に対して、編集長に「子供に悪い影響を与える、連載をやめろ」と異議を直談判し、それが受け容れられないと自らの連載を切ったエピソードなどだ。
実際にはスパッと漫画家を止めたわけではないなど、漫画的脚色はあるが、テラさんの行動は様々な方面から史実と言える。子供のための「健全な漫画コンテンツ」を求めたテラさんの行動は、漫画内の描写はもとより、ネット上でも「時代変化を理解しなかった頑固な人間」「遺物」みたいな扱いを受けている。
しかし私は、テラさんの立場の方がずっと正しく、明らかに子供に対して誠実だったと、60年も後から思わされている。
あと、付け加えると、テラさんは漫画文化に対してステレオタイプな「浄化」一辺倒な立場ではなく、大人向けとはっきりわかる形で描いたアダルトな作風の漫画は否定していない。テラさんが心を割って話せる存在が任侠・アダルト漫画家の棚下照生だったように。
子供に、身の回りの有様を伝えるときに、まともな人間なら、「人間関係は全て打算で、あらゆるものが欲望で出来ており、全てが醜い」と伝える人はいないだろう。社会にそう言う側面があっても、そこだけを切り取って子供に植え付けるのはまともな行いではない。
テラさん当時の、技巧的に発展途上の漫画・劇画ですら、子供たちの世界を暗く後ろめたいものにしていたが、当時はまだ最低限の良心かタイトルで煽る形で分かりやすくしていたのかもしれない。だが現代ではそれは一見分からない形で(ギャグやロマンスなどの体裁を取り)提供されるようにすらなっている。
はっきりいえば、思春期より前の子供には、ごく単純な、心理描写が少ない、身近な人間関係を描いた作品以外、適していないと思われる。
近所で野球をするだけ。親の手伝いをするだけ。学校で仲間と学び合うだけ。動物と戯れるだけ。「それだけ」の漫画で充分だった。
それをしなくなったのは、そして子供向けではないコンテンツが子供に蔓延したのは、子供の事情や「時代の要請」「技術の発展」なんてものではない(子供が「ハレンチ学園」や「トイレット博士」を望んだのではない)。大人の商売の都合なのだ。
うんことかちんちんとかわざと幼くさせられている少年コミックも、けばけばしい、「病み」を称揚する少女雑誌も、全部歪められた末のものだ。
戦争か終末の感じで辺りの家が無くなっていて、多分子どもが自分の家のあった場所に着いたとき冷蔵庫が残っていてその中に親だったからのメッセージ(と食料)が入っていたという内容。
読んだのは多分40年ぐらい前でなぜか今も断片的に覚えているんだけど詳細がわからない。
多分短編で絵柄ははっきり覚えていないが横からの視点で描かれていたような気がする。
みたいな内容でChatGPTに投げて聞いてみた結果
有力な候補
「タイムマシンの作り方」「ミッドナイト」「火の鳥 未来編」などの中に、戦争後の子どもと親の残した痕跡という場面が散見されます。手塚は冷蔵庫や残骸を象徴的に使うことがあり、絵柄も緻密ではなく分かりやすい線。
『SF短編 <異色作>』シリーズの中には、戦争後や廃墟を舞台にしたものがあり、子どもが親の残したメッセージを読むエピソードが存在します。藤子Fはよく横から見た構図を使うので、記憶に合うかもしれません。
この二人も70〜80年代に終末短編を描いていますが、冷蔵庫に親のメッセージというのは少し異色。
回答を見て検索してみるとここで少し絵柄を思い出してきて、多分手塚治虫か藤子・F・不二雄っぽい気がするんだけど結局絞れず。
楳図かずおの世界観がよくわからない。まことちゃんぐわし!!の何が面白いのか?
まことちゃんハウスでトラブルにもなってたけど、白と赤でデザインされた家って周りと調和しなくてあれはアカンやろと思った程度。
中川翔子もどうでもいい。
漫画家の楳図かずおさん死去 中川翔子さんら続々追悼 | NHK
なのに名前が出てくる。正直、ウザい。ハエとか蚊みたいなウザさ。
そのジャンル=中川翔子というイメージが世間でついちゃってる場合が多いのだろう。
勝手に界隈の代表づらして、それなのにしょせんいっちょ噛みだから浅い。
ときにはデタラメなことを言ってしまう。その界隈の人間にとってはいい迷惑だ。
ブコメを開くと批判コメントも多いが、「どうでもいい」「騒ぐな」みたいなコメントがやたら多い。
言っておくが、99%の人間はどうでもいいと思ってるよ。
でも普段からウザいなと思っていた人間からしたらこいつに一言言いたくなるんだ。
「ほれみろ」と言いたくなる。それはもう嘘を付くなよ、いっちょ噛みするなよという感情なんだ。
これ以上、被害ジャンルが増えてほしくない。そんな感情なんだ。
今回はそんな蓄積の集大成になっているように見えた。
さらにいうと俺が「楳図かずお」を検索したのはべつに今回の件があったからじゃない。
普通に好きだから検索しただけ。そしたらTOPに例の記事が出てきた。
そこからハッと気づいて論を展開したのが「たぶん~」以降の文章。
したがっていっちょ噛み=楳図ということではない。
「たぶん~」以降は一般論的展開。特定のジャンルは指してない。
ただし「こいつ」というのは言葉が悪かったな。そこは誤解させてすまんかった。
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 青山剛昌 あおやまごうしょう
・03 立夏
・05 うなぎパイ
・06 蓼《たで》(食う虫も好き好き
・08 スター・ウォーズ(の日
・09 タージ・マハル
・10 [ポチャッコクイズ][ある人物の名前]平賀源内 ひらがげんない
・14 新潟(県
・15 4(倍
・16 カール・マルクス
・18 酒井田
・22 鈴木光司 すずきこうじ
・23 コロネ
・25 6(点
・27 『スタンド・バイ・ミー』
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・32 芦田愛菜 あしだまな
・34e [いくつ]7(つ
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カンパの額は、ポリコレ棒に対するサイレント・マジョリティの秘めた反発を、可視化してしまったから。そこに、ドヤコヤ言うのは、彼らの焦りが見える。
敗訴自体も、話題つなぎとして戦略的にやってる面も感じるので、戦略的なことを外野が言ってもしょうがないんだよね。
自称学生の件も、自分は当初は自意識過剰な御仁を相手に何やってるんだと、冷ややかに見ていたが。
思わぬ金鉱脈にぶち当たった感があるし(まだ金鉱脈ではない可能性もあると、逃げは打っておくけど)。
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孫子の兵法の実践者であるゲーマーの、戦略眼は凡人には測れないので。自分は暇空氏が自分の勘を信じて進むのが当然と思う。楳図かずお先生に、ドヤコヤ言う編集がダメダメなのと同じ。
賭けに敗れて泥水を啜る覚悟は、とっくにしているだろうし。
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まぁ、裁判の結果に関わらず、現時点での発言は、暇空茜氏が敗訴したらブーメランになる時限爆弾ですね。 ロス疑惑の三浦氏も、それで獄中からのマスコミ相手の裁判は、連戦連勝だったとか。
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大攻勢が上手くいかず。枝葉の裁判で勝った勝ったと騒いでも、東京都の牛歩戦術は不利になる一方で。 なにか別件で、どうしても暇空氏の面を割る必要が出てきたのかと、邪推してしまいます。
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的か味方かは知りませんが。
暇空茜氏の政治的目的は、Colaboを公金から遠ざけること。
枝葉の裁判で勝った勝ったと騒いでも、ここが達成できれば暇空茜氏の勝ち。
現状では、Colaboの負け確定。
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雉も鳴かずば打たれまいに。
少年サンデー「漂流教室」の次に集英社つながりで連載されたが、少女コミック掲載作品は、たしかこれだけのはず
楳図かずおは1960年代に「恐怖マンガ」というジャンルを確立しブレイクしたので、週刊少女フレンド枠で『ねこ目の少女』『ママがこわい』『まだらの少女』『紅グモ』『へび少女』『黒いねこ面』『ミイラ先生』『赤んぼ少女』『影姫』(『鬼姫』)『うろこの顔』 etc からひとつを選ぶべきだな
「少女漫画」というジャンルの話ではなく、誌名の「少女コミック」である
現在は「Sho-Comi」と名を改めているので、少女コミック時代に絞る
2000年代には「過激な少女漫画」の代表的存在となりネット上では「性コミ」の蔑称で呼ばれ、一部地域で有害図書指定、議員やネットやPTAからの抗議を経て名を変えた
少女漫画といえば月刊誌が多いが、少コミは週刊時代も長く、隔週に落ち着き、Sho-Comiも隔週
黎明期には男性作家もちらほらおり、掲載誌を彷徨う漫画『サイボーグ009』が掲載されたこともある
ギムナジウムを舞台に、自殺した少年トーマを巡り犠牲と信仰について描く文学的な作品。
やや難しい内容のため連載時は人気がなく打ち切りスレスレだったが、今では少女漫画界を代表する名作の一つとして語られている。
日本でギムナジウムもの描いてる人は大体萩尾望都を通ってるだろう。
時を経てから読んだ者にはピンとこないが、実は少女誌連載作品である。
特に少女向け用に作風を変えた感じはないが、女子小学生が主人公(一応)なのは著者なりに少女を意識したのかもしれない。
美への執着と母娘の確執は女性向け作品で繰り返し描かれるテーマだ。
人種差別、同性愛、父子相姦、児童への性暴力などのシリアスな描写が少女漫画界に大きな衝撃を与えた。
当時は朝チュン程度でも過激扱いだったため、連載を編集に反対されたという。
他作品をまず成功させ発言力を得てからようやく連載を許され、連載開始まで6年かかった。
凄惨な展開の数々は少女たちにトラウマを与え、二次創作で幸せにする的な発想のフォロワー作品も生まれた。
スポ根枠である同著者の『真コール!』の方と迷うところだが、実写化しているこちらで。
5人のシスコンなイケメン兄貴に溺愛されつつも同級生男子とラブコメするイケメンパラダイスな作品で、この手の作品でありがちな「実は兄たちとは血縁がない」展開が発生しなかったところが評価できる。
少女漫画界全体としては、外国が舞台で白人への憧憬→現代日本の学園もの、と定番が移り変わったが、本作は中華風の異世界がメイン舞台である。
現代日本から転移した少女が神獣を召喚して国を救う巫女となり、召喚に必要な七人の戦士たちを集めるため国中を冒険するというファンタジーで、「少女には受けないのでは」と編集が渋ったりもしたが、ヒット作となった。
少女の手足が棒のように華奢に描かれる作品が多い中で、むちむちとしてエロティックで、アニメは大きなお兄さんからも人気が出た。
「非処女になったら巫女の資格を失う」ため敵のイケメンがレイプしようと狙ってくるなど、未遂で終わるがエロ描写が多かった。
古代ヒッタイト帝国(現トルコ)に生贄として召喚された現代日本の少女が、武人・政治家としての才覚を発揮し皇帝と共にオリエントの覇権を掴むに至る大河ロマン。
史実エピソードを拾い上げながらニッチなロケーションを描き勉強にもなる作品だが、この時期には性コミ化が進んでおり、むやみなセックスシーンも多い。男が意味もなく全裸になるのは女性向け故か。
現代でリア充だった主人公は、元の世界に帰ることを渇望し、だがヒッタイトにも大切な人ができてしまい、どうすべきか葛藤する。最近の異世界ものではこの手の葛藤は珍しいぐらいだ。
物語の中に性的展開もある前述の作品群と違い、エロこそが主題の作品であり性コミの代表的存在。
惜しげもなく少女の乳首が出てきて俺様イケメンとのエッチな展開が多発、また敵イケメンに愛のないガチの強姦をされる展開もあった。
物議を醸す問題作だがヒット作でもあり、エロは著者は嫌々だったが編集主導とのことで、少コミは急激に性コミ化が進んでいく。現代人が読むとそこまでエロくもないが…。
アニメ版では一切エロがなく、主人公も存在せずイケメンたちが切磋琢磨しながらバンドに励む作品になっている。
宮坂香帆『「彼」first love』(2002-2004)
性コミ化が進んでいく中で、「一見地味女子だが眼鏡を外すと美少女」という古典的設定ながらピュアラブを貫きヒット作となった。
斬新な設定や凝ったストーリーなわけではないのだが、堅実・丁寧に描写を積み重ね、少女漫画らしい少女漫画である。
庶民JKが上級国民生徒の世話係になりセクハラも甘受させられる話で、エロシーンのために物語が捻り出されるようなエロエロ作品。
相手役が合意なく下半身まさぐってきたりだいぶカスで、逆らうと退学なので主人公は逆らえない。上級国民による性的搾取を許すな!
前作『レンアイ至上主義』と合わせ性コミの代表的存在の一人である著者だが、後の作品は清純化が進んでいる。
青木琴美『僕の初恋をキミに捧ぐ』(2005-2008)
青木琴美は『僕は妹に恋をする』ではエロエロだったが、本作では一転して「難病を抱えながらも純愛」というピュアラブストーリーを描いた。
邦画でよくありそうな題材なだけに映画化、ドラマ化を果たした。
エロエロからピュアラブへの回帰を果たした本作が、少女コミックとSho-Comiをまたぐ連載となったのは象徴的だった。
他
これらはメディアミックスもしているが、渡瀬悠宇作品ではやはり『ふしぎ遊戯』が飛び抜けているだろう。
・闇のパープル・アイ
闇のパープルアイはドラマ化やOVA化しているので、そういう意味では天河より上と思う人もいるかもしれない。
少年漫画や青年漫画のイメージの強い著者が、特にガラッと少女向けに変えることなく「掲載誌が少女漫画誌なだけ」というのは『洗礼』があるのでこっちはいいかな?