はてなキーワード: 新興宗教とは
コロナ禍のちょっと前に母が怪しい新興宗教にハマり始めたことがあった。
頭ごなしに否定すると更にどっぷり浸かりそうだったので、デザイナーの友達と一緒に嘘の新興宗教のパンフレットと設定を作り、「それよりもいいのがある」と母に紹介した。
あえて怪しくかつ滑稽な設定にすることで、母に客観的に新興宗教の怪しさを感じてもらう狙い。
母は集会に行きたいと興味を持ってくれたが、そこまで考えていなかったので私達は大慌て(5人のチーム)。
レンタルスペースを借りて、そこに母を連れていき、チームの中に劇団員の知り合いがいたので創主(一番偉い人という設定)を演じてもらった。
最初から最後まで映像に記録し、後日復習にと母に見せたら「こんなんで幸せになったらわけないわ」と大笑いしていた。
まず、感情的なレッテル貼りで議論を封じようとしている時点で、あなたの主張の説得力は大きく損なわれているよ。こちらは宗教一般を否定しているのではなく、「生まれによって信仰を事実上強制される構造」の問題を扱っている。
あなたは「信仰の継承」と言い換えているけど、それが本人の自由意思に基づくものかどうかが問題なんだよ。子どもは親や環境を選べない。その中で、離脱の自由が実質的に制限されていたり、逸脱に対して心理的・社会的制裁が伴う場合、それは単なる文化継承ではなく、構造的な拘束になりうる。
そしてここを曖昧にして「イスラム教への差別」とすり替えているのが一番雑な点だと思う。問題にしているのは宗教の“中身”ではなく、「強制性・閉鎖性・離脱困難性」という普遍的な構造であって、それはイスラム教だろうがキリスト教だろうが、新興宗教だろうが関係ない。
「世界宗教だから安全」「歴史があるから正当」というのは論拠になっていない。歴史や規模と、個人の自由や権利が守られているかどうかは別問題だから。
それと、「2世を被害者と決めつけるな」という点についても雑だね。誰も全員を一律に被害者だとは言っていない。実際に問題を経験している当事者がいる以上、「そういうケースが存在する」という話をしているだけ。それを「アイデンティティへの冒涜」と言って封じるのは、逆に当事者の声を潰している。
さらに重要なのはここで、どんな宗教的戒律や文化であっても、日本で生活する以上は日本の法体系の下にあるということ。信教の自由は保障されているけど、それは「何をしてもいい自由」ではない。特に子どもの権利や個人の自由を侵害する形での強制は、宗教であっても正当化されない。
これはイスラム教に限った話ではなく、あらゆる宗教・文化に共通する前提だよ。
最後に、「差別につながる」という主張も短絡的。問題の指摘と差別は別物だし、むしろ区別しない方が議論を歪める。構造的な問題を議論すること自体を封じる方が、結果的に社会の理解を遅らせる。
結局のところ、あなたの主張は
という雑な等式で成り立っていて、論理的にはかなり脆い。
宗教を尊重することと、問題のある構造を批判することは両立する。そこを切り分けられない限り、この議論はずっと空回りすると思うよ。
また、知恵遅れの日本人がイスラムフォビアを発揮してるわ。右翼は自分の巣に帰れよ、はてなじゃなくて。
「信仰の継承」を「カルトの被害」とすり替えていることすら理解していないのだろうな。
18億人以上の信徒を抱え、長い歴史と豊かな文化を紡いできた世界宗教「イスラム教」に対する、あまりに短絡的で暴力的なレッテル貼りがコメント欄でされていてうんざりした。お前たちの薄い宗教観と一緒にするなよ。
神社も寺もキリスト教も全部ごっちゃ混ぜで、しかも全部に対して理解がなくて。あげく国中に新興宗教が溢れていて、信仰をしている人の人口が人口の2倍いるってお前らの国の方が狂ってるだろ。
お前たちの国の与党を支配している統一教会、それと一緒にするんじゃねえよ。
反社会的な活動や金銭的搾取、家族破壊が社会問題となった特定の団体(統一教会等)と、数千年の歴史を持ち、人々の倫理や生活の規範となっているイスラム教を同列に語ることは、論理的にも歴史的にも破綻している。この比較自体が、イスラム教を「特殊で危険なもの」としてマジョリティの側から排斥しようとする、典型的なイスラムフォビアの構図だよ。
第二に、イスラム教徒2世を「被害者」と決めつけることは、彼らのルーツとアイデンティティに対する冒涜。
コメント欄に見られる「救済」を装った排外主義的な視線は、2世が自らの文化や信仰の中に、どれほど豊かな精神的支えやコミュニティの絆を見出しているかを完全に無視している。外部の人間が、自身の価値観こそが唯一の「正解」であると過信し、異なる背景を持つ若者を「洗脳された犠牲者」と定義することこそが、多様性を否定する真の「抑圧」だよ。
第三に、このような言説が現実の差別に直結することを認識すべきよ。
「カルトと同様に危険だ」という言説を広めることは、日本で暮らすイスラム教徒の子供たちが、就職、結婚、日常のあらゆる場面で不当な偏見に晒されるリスクを増大させる。匿名掲示板での無責任な「感想」は、実社会におけるヘイトスピーチの土壌となり、共生社会を根底から破壊する刃となる。同和差別の悲劇から何も学んでないな。韓国人、中国人に対しての差別と全く同じだな。お前たち頭空っぽなのか?どれだけ差別の歴史繰り返せば学習するんだよ。救いようがないな。
宗教的な教育や習慣を「被害」と呼び変え、他者の生き方を一方的に憐れむその傲慢な態度こそが、今の日本社会が向き合うべき「闇」だよ。日本人に必要なのは、無知に基づく断罪ではなく、異なる背景を持つ隣人への真摯な理解と敬意だよ。頭が空っぽみたいだから難しいだろうけどな。なんせ、自民党を戦後80年間ほぼ一貫して支持しているようなアホな国民性だから。
・マスキッパみたいな食虫植物が虫を捉える部分を閉じるのに関係するイオンを発光させ可視化した映像だと謳う映像
こういうのって全部科学知識がなきゃ本来は鵜呑みにできるものじゃなくて「ただの合成画像じゃないの?」って突っ込んでいいはずなんだけどなぜか普通の人間ってテレビでその画像を捉えたという科学者が名指しの状態で紹介されると普通に信じるよね。
イオンを発光させるなんてどうすればいいのかも知らない人間たちがさ。私も知らなけど。
そういう情報を受け取り方って宗教を信じるのと何も変わらないんじゃないの?そんな人たちが新興宗教の信者を馬鹿にしてるんでしょ?おかしいよ。
dorawiiより
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製作者の負の側面が制作物には関係ないってのがよく言われることで、
歌手とか楽曲ならヤクで逮捕されようが、良い曲に罪はないともよく聞くことだ
「かむながらのみち」が所有している身曾岐神社でライブを行っており、境内にはゆずグッズが売られている
※宗教法人が身曾岐神社を7億ほどで買収して所有した事になっているが、ゆず北川のお金ではないかと言われている。真偽は不明
個人的に、ヤクは売人側とか犯罪組織へ加担しているとはいえなんか許せる気はする
一方で宗教法人はどうかっていうとなんかすっきりしないなあと思う
「かむながらのみち」のやばいうわさも聞くが、そこまで暴力的・排他的ではないらしい
俺や近しい人が「かむながらのみち」から被害を受けたこともない
それでもなんか気持ち悪い
この差は何なのだろう
ヤクとかその他の犯罪は自分の解像度が高くて、犯罪として取り締まられるってところで納得しているんだろうか
新興宗教に関して言えば解像度が低く、わからないことが気持ち悪いということのほかに、オウムや壷のように
よっぽどじゃなきゃ悪いことをしていてもお咎めという制度的な所が引っかかっているのかもしれない
制作者の負の側面が制作物には関係ないとは書いたもの、一方で、制作者の背景や経緯という主にプラス面は制作物への評価に
多分に影響しているように思える
母国が困難な時に他国へ逃げ出しているような人間ということですね
偉大なペルシャの歴史が未開新興宗教と黒いヒジャブに覆い隠されているからです。
まあイランの1000年は日本のそれほど継続的な歴史と同一性の高い民族を編めたとは思えませんが。
それを台無しにしている母国について一言の批判を述べるガッツもない玉無しに
悔しいですか?
あなたは今住んでいるトルコについて少しの感謝も述べなかったですね。
あなたのことをイランに踏みとどまって戦火に耐えながら生活している愛国者かと勘違いするでしょう。
実際には女々しく逃げ出して人の悪口しか能のない裏切者の寄生虫なのに。
物理的に隔絶された日本人は確固たるアイデンティティを持っています
アングロサクソンになることはないし
なろうと思うこともないのです
「我々はアラブ人と違う」と言いながら
悔しいですか?
「戦場のリアリズムを描いた」――。富野由悠季監督(84)が手がけたアニメ「機動戦士ガンダム」がテレビ放映されてから46年。これまで70以上のシリーズ作品が生み出され、その原典として今なお、愛され続けています。戦争体験から遠ざかった世代が大多数となった戦後80年、アニメなどフィクションを通して描かれる戦争はどう変わったのか。視聴者の意識は。〝最初のガンダム〟にこめた思いとともに、語りました。
――今年も、最新作「機動戦士ガンダム ジークアクス」が大きな話題を呼びました。富野さん以外が監督したものも含め、映像化されたものだけで70作品以上になります。時代ごとの新しいガンダムシリーズから入ったファンが、1979年放送の初代ガンダムを見るという流れができています。
本当に嫌な言い方なのですが、僕以降のガンダム作品は一切見ていません。作り手が違えば、他人が口をはさむのはよくないからです。ガンダムという作品が商品になってしまい、作家の立場からは何も言えなくなったのです。
ちょっと違うなと思う作品もあるし、逆に、ああ僕には作れないよねと思った作品もある。だから、ガンダム人気を支えてくれるための新作というのは認めるんだけれども、元の作品とは一緒にしてもらっちゃ困るというプライドもあります。
ガンダムは発表当時、人気がなくって、めちゃめちゃにへこんだ時期もあります。それが今、こうして親しまれているのはうれしいものです。
昔は「子どものもの」「絵空事」でしかなかったアニメという媒体を、考える材料として見てくれているというのは、うれしいですよ。だけど、困ったこともある。40年、50年経って、ガンダムというタイトルは残っても、原作者の名前というのは消えていくのも宿命なのです。そういう歴史的なところに足を踏み込んでしまった、というのはちょっと寂しいなとも思います。
――ガンダムで描かれた戦争の描写には、どんな思いを込めましたか?
ものすごく簡単です。子どもたちに、戦闘行為というのは乱暴な行為だからやってはいけませんよっていうことを分からせるということしかないですね。
ただ、当時の観客がそれを理解しているかと言ったら、ほとんど理解していないんです。それはもう仕方ないことで、理解してもらうのに20年、30年、かかるんだという覚悟はしていました。
独裁者をどう止められるのか
――長年のガンダムファンの一人として、かつては「ジオンにもジオンの正義がある」という捉え方が少なくなかったように思います。今、SNSなどを見ると、ジオン公国の独裁や大量殺戮(さつりく)に対して、批判的な見方が増えているように感じます。
僕の立場としては、良かったなと思っています。視聴者の年齢が上がってきて、みんなが勉強してきたんですよ。だってガンダムなんて46年前の話ですよ。かつてのアニメファンが成長して、大人になっていく中での理解が広まっていったのだと思います。
むしろ、僕が今、困ったなと思っているのは、実際問題として想像したときにギレン・ザビ(ジオン公国総帥)のような独裁者をどうすれば止められるのか、ということ。
作中ではザビ家内の権力闘争の結果、妹(キシリア)の手によってギレンが殺され、独裁体制は崩壊しましたが、現実はそう簡単にはいっていないでしょう?
暴力によらない、政治的な手段で独裁者を止めるにはどうすればいいか。その難しさを考えさせられているのが、ガンダムの真骨頂なのです。
――作中で描かれるジオンの設定を見ると、ドイツなど第2次世界大戦の枢軸国のイメージが重なります。設定の意図は?
明確に敵というのは分かりやすく作らなければいけないのですから、皆さんが知っている独裁体制を利用しただけです。
増えすぎた人口を移したスペースコロニーの中で、独裁国家を作る。自分たちは「棄民」である、地球には帰れないらしいという境遇になれば、やはり「反地球」の行動を起こすだろうという設定は見事にできたと思っています。
そうしてフィクションを描いたつもりが、20、30年もしないうちに、次の独裁者の誕生が現実になってしまいました。
ロシアやアメリカの現状や、中南米、アフリカ、中東各国の事例を見ても、今の国際政治は、アニメ以下でしょう。このまま、行き着く先まで問題のある政治家たちを是認していったらどうなるのか。
独裁者のような人間が大国を動かしている21世紀って、すごく変な時代でしょう。まさにポピュリズムが生み出したものだろうと思っています。
――今の世界情勢と、かつての大戦前夜を重ねてみる人もいるようです。
80年前を振り返った時に、ナチスのヒトラーという人も選挙で選ばれたんだという事はよく知るべきです。政治哲学者で思想家のハンナ・アーレントは著書「全体主義の起源」で、一般大衆のことを「群衆」「モッブ」と呼んでいます。独裁というのは、独裁者が1人で起こすわけではないのです。まず、独裁者を生み出す群衆がいて、その上に立って旗振り役ができるやつがトップに立つ。
日本の場合、真珠湾攻撃で開戦したときに著名人を含めて、かなりの人が「これで気が晴れた」みたいな言い方をしている。勢いにのって、国民までもが軍国主義化していた。僕は、これは新興宗教と同じだと思っています。
――朝日新聞を始め当時の新聞も、婦人会や在郷軍人会などの不買運動に屈して、筆を曲げてしまった。そして、戦争を賛美する論調になった新聞はよく売れ、新聞が軍部と一体化してしまったという負の歴史があります。
軍だけでなく、コモンセンスとしてものをしゃべることができるメディアでなくなったのです。昭和16(1941)年の段階で、すでにそうではなくなっていましたよね。一番汚いと思ったのは全滅を「玉砕」と言い換えるような、負け戦だと思わせない言葉づかいですね。戦艦大和を沈められても「世界最大の戦艦だった」と誇るような言葉づかいは、戦後もずーっと残っているのです。
軍事技術者だった父
――富野さんは終戦時3歳。父親は軍事技術者だったそうですね。
化学の技師でした。戦闘機の与圧服の開発などもしたみたいですが、一番は、ゴムを使った雨がっぱみたいなものを作らされていた。風船爆弾の気球を作る仕事もやらされていたようです。
父が戦後、何度か僕に言った言葉があります。国に裏切られた、と。あの戦争にもどこかで光明があるんじゃないかと思っていたらしい。きっと日本は勝つ、とすり込まれていたんですね。
働いていた神奈川県小田原市の工場の近くにも焼夷(しょうい)弾が落ちたことがあったのに、なんで日本が勝てると思ったんだろうか。不思議でしょうがないんだけど、その時代の日本を考えると、父が特別に軽率だったとは思えないですね。
――戦争そのものへの忌避感は持ちながらも、兵器やアニメの戦闘描写をかっこいいと感じるという人は少なくないと思います。私自身もそうです。この矛盾について考えていました。
民衆の支援で軍は成立しているんです。軍装の兵士が正しく起立している姿を見るとかっこいいじゃないですか。「死に装束」なのにかっこいい。戦死という悲劇すら美しく見せるためには、戦死者に対しては、礼を尽くさなければならない。「兵隊さんたちありがとう」と思わせる、そしていざとなった時に民衆が戦力になっていく構造は、有史以前からあったんですよね。
ガンダムでは、地球降下作戦を指揮したジオン軍のガルマ・ザビの戦死を、ギレンが国威発揚に利用するという描写を入れました。だから僕には痛切に分かることなんだけれども、平和時の一般の国民にはなかなか通じません。どうしてか。「アニメの話でしょう?」。それでおしまいなんですが、この感覚もまた当然のことだと思っています。平和なら、ね。
――戦後80年が経ち、「はだしのゲン」など、実際の戦争の被害を題材にした作品の描写が「残酷だ」と敬遠されることが増えています。ガンダムシリーズなどのフィクション作品でも「人が死ぬ描写が重い」と感じる人も多いようです。
ガンダムでは戦場のリアリズムを描きましたから、当然の感想だと思います。
作り手である僕自身も、敵だろうが味方だろうが、人が死ぬカットを作るのはものすごくつらいのです。絵空事だからって、笑っていられない。登場人物が命を落とす場面では、担当する声優の顔が見えるんです。
今のバトル漫画なんかを見ていると、リアリズムでは戦闘していないですよね。死ぬ寸前までいっても絶対死なないような。そういうものを見慣れている世代にとっては、リアルな戦争を描いた作品を見る気にはならないのでしょうね。
――戦争を知る世代がいなくなったとき、映像作品で今までと同じような戦争の描き方はできると思いますか。
架空の戦争としての物語はあるでしょう。でも、リアリズムで作るというきめの細かさを持った作品は出てこないでしょう。戦っているらしくしているだけで、それは戦争ではありません。
エンターテインメントでなければ客を呼べないと考えたとき、リアリズムを持って問いかけることは難しいだろうし、そういう視点を持った映画人がどれだけいるだろうかと。現に、飛んでくる弾丸やミサイルをかわすといった、シューティングゲームやアクション映画のような作品になっているでしょ?
「ニュータイプとは何か」今も
――ガンダムでは、優れた洞察力を持つ人類を指す「ニュータイプ」という概念を提示し、人が分かり合えるかもしれないという希望も描かれました。ファンの間では今でも、「ニュータイプとは何なのか」という話題で盛り上がります。
ニュータイプは、ガンダムの物語をきれいにまとめるための「方便」だったけれど、僕が一番困ったのは、ニュータイプになるための方法を、子どもたちにきちんと示すことができなかったこと。その意味では、敗北感がとても強い。それはまだ続いています。
新しいガンダムを作る気がまだあるかといえば、それは、ある。これだけ気にいらないガンダムがいっぱいあるんだから(笑)。
世界中の人間が一気にニュータイプになるかもしれないという楽しい作品が作れたらいいなと思っているけれど、それはアニメの中で考えるしかないことです。そう簡単に作れるとも思えない。やっぱり、アニメは難しいよ。
https://digital.asahi.com/articles/ASTBR2C33TBRPITB00JM.html
『ニンジャスレイヤー』のファン(通称:ヘッズ)は、独特の「忍殺語」を操り、内輪ノリが非常に強いコミュニティに見えがちです。
外から見ると**「何を言っているかわからない集団が、妙なテンションで盛り上がっている」**という、いわゆる「クソオタク」的な閉鎖性や奇妙さを感じやすい土壌があるのは事実でしょう。
・忍殺語という「高い壁」
ヘッズたちは、新しく読み始めた人を「ニュービー」と呼び、手厚く歓迎(囲い込み)する文化があります。
これが親切心から来るものであっても、外から見れば**「宗教的な熱狂」や「新興宗教の勧誘」**のような、ちょっと引いてしまう光景に映ることがあります。
ホームレスの振りして誰かが助けてくれたらその人に大金をプレゼントするみたいなドッキリ。
アメリカの見てたら助けようとする人もだいたい苦労人だったり家がない人だったり自分も全然お金ないんだけど
だから痛みが分かるのか数ドルでもなにかしら助けようとしてくれるんだけど
それだけじゃなくてもうひとつ特徴があってそれは必ず神に祈りをささげてる。
神を信じてるからあなたにも救いがある私があなたに会ったのも神の意思だみたいなこといって
あなたを助けることは神の意思、教えなんだ一緒に祈ろうみたなことを言ってる。
例えば悪い新興宗教にハマって、お金を吸い取られて、周りにも迷惑をかけるようなことがあったらそれは幸せではない。
世界をよくするとは思えないし、本人は幸せなつもりでもそれは独りよがりでしかない。
じゃあそういうのじゃない宗教ならどうなんだろう。
信じる神がいることで善き人であろうとする、そうやって生きようとすること。
信じる神がいるから辛いことにも耐えられる。いや、辛いことがありすぎるから信じる神が必要、どちらが先かみたいな話。
幼いころに母親と妹をいっぺんに亡くした。
父親は自分を見失ってしまい、子供だった俺ともう一人の妹は親戚の家でしばらく過ごした。
半年くらいして父親とまた暮らし始めたとき父はイエス・キリストを信じるようになっていた。
日曜には教会に通わされて教会の他の子供たちと遊んだり聖書をアニメにしたやつを見たりした。
俺は全然意味が分からないし、田舎にある仏壇のほうがどっちかっていうとしっくりきた。
俺だけがついていけなかった。
そうやって父と妹はクリスチャンになった。
「あんときな藁にもすがる思いなのになにに祈ればいいかわからんかった」
「だから神様がほしくてそれがたまたまキリストだった。仏とかじゃなかったのは俺もよくわからん」
「それで俺まで死なずにすんだと思った。お前らのことももちろんあったけど、それくらいギリギリだった」
「だから助けてくれたっていうのがあって、そっから真剣に向き合うようになった」
だけど、祈る先が欲しいと思う。
しんどいときに、これはあなたが与えた試練なんですねって言い聞かせたい。
日本には良い宗教観があると思う。八百万の神。万物に宿る神々。
素敵な考え方だとずっと思ってきた。
「あの人」と呼べることは依存性を高めてくれる。
あの人に祈ろう、あの人に祈りが通じること、それが具体的にイメージできるとき、強い力を生むのだと思う。
祈る神がいたら心が楽になるだろうか。
父ももういないし妹に聞いてみたらいつからでもいいのと言われた
わかんない、お父さんのついでになっただけだし、そんなに良い信者だとは思わない
だけどお祈りしてるときの雰囲気、神聖な落ち着いた感じ、あれで心が落ち着くってのはある。
確かに、神を本気で信じてるかどうかは置いとくとして、お祈りしてるときの神妙なムードは、心を落ち着かせるものがあると思う。
俺は死んだ母を神様の代わりにしてきたなと気づいた。
母が見たら悲しむぞ、と思うのは神様は見てるぞ、と同じ意味だ。
違いはそれを知らない人と共有できるかできないかだ。
心がいよいよ苦しくなったら100億年ぶりに教会に行ってみようかな。
2025年の韓国リサーチ「宗教認識調査」(全国成人2万3000人対象)によると、宗教人口は以下の通りです。
• 仏教:16%
• 若年層(18〜29歳)の72%が無宗教。30代以下でも60%以上が無宗教。
• 宗教人口の高齢化が深刻:プロテスタント信者の44%、カトリック信者の50%が60歳以上。
• プロテスタントは特に福音派・ペンテコステ派が主流で、政治的・社会的に影響力が大きい。
韓国キリスト教の中心は大韓イエス教長老会(PCK)やメガチャーチ群です。反共産主義・親米・伝統家族観が強く、保守政党「国民の力」を支持する層が多いです。
極右勢力の象徴。尹錫悦前大統領支持デモを主導し、LGBTQ反対・反左派集会で大衆を動員。「影の支配者」と呼ばれるほど政治的影響力大。
保守団体「セーブコリア」を率い、尹前大統領弾劾反対デモを全国で展開。反共・反北朝鮮を強く主張。
2025〜2026年に左派政権下で「政教癒着」捜査が加速。新天地イエス教や旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が選挙介入疑いで家宅捜索を受け、保守教会も標的化されるケースが増加。「宗教右派の台頭 vs 左派政権の締め付け」という対立構造が鮮明。
人権・弱者支援・環境問題に積極的だが、中立的・人道的。日本との歴史問題では「慰安婦」「強制徴用」などで日本政府批判の共同声明を出すが、聖書を直接政治スローガン化せず、社会教説に基づく倫理的訴えに留まる。
◦ 例:福島処理水海洋放出反対で日本カトリックと共同声明(2021年)。「いのちの尊厳」を強調するが、過度な政治利用は少ない。
◦ 評価:日本カトリック同様、政治的中立意識が高く、信仰の政治化を避ける傾向。
日本基督教団と1984年に宣教協約を締結。歴史認識(植民地支配の反省)や人権問題で日本基督教団社会派と密接に連携。共同声明で日本の歴史責任を強調するケースが多い。
韓国のキリスト教系メディアはプロテスタント保守派が主流で、政治色が強いです。
メガチャーチ系YouTubeや「全光焄TV」など。反左派・反LGBT・反北朝鮮を強く主張し、尹前大統領支持層を動員。政治集会報道が活発。
韓国基督教会協議会(NCCK)関連報道は平和・和解を強調するが、保守派からは「左派寄り」と批判される。
プロテスタント保守派は反共・伝統価値擁護を強く打ち出し、左派政権の宗教規制(新天地捜査など)を「信教の自由侵害」と反発。カトリック系は穏やかで、人権・環境中心の報道が多い。
日本基督教団社会派と韓国のキリスト教団体(特に在日大韓基督教会=KCCJ)は、1984年の宣教協約以来、歴史認識・人権問題で密接に連携しています。
1967年の日本基督教団「戦争責任告白」をきっかけに、KCCJと共同で「植民地支配の反省」「在日コリアン人権」をテーマにした声明を繰り返し出しています。 辺野古問題では、KCCJが反基地運動を支援し、日本基督教団社会派(金井創牧師ら)が抗議船「不屈」の運用に深く関与する形で協力関係が強化されました。
◦ 韓国の保守右派福音派(反共・親米・伝統家族価値重視)は、日本基督教団社会派(左派・反基地・構造的罪批判型)とイデオロギー的に正反対のはずです。
◦ それでも歴史問題(慰安婦・強制徴用・植民地支配)という一点でトーンが重なり、共同声明や平和運動で連携します。
◦ これは「日本政府批判」という共通の敵意識による戦略的協力で、信仰の本質とは無関係に機能しています。
◦ 辺野古事故でも、KCCJ関連ネットワークが日本基督教団社会派の平和学習を間接的に支える構造が見られます。
韓国では正統キリスト教(プロテスタント・カトリック)と異端・新興宗教の政治関与が大きく異なります。
◦ 韓国起源の新宗教。政治介入疑惑が強く、2025-2026年に李在明政権下で特別捜査を受けています。
◦ 日本では自民党との癒着問題で注目されましたが、韓国国内でも尹錫悦前政権時代に政界との関係が問題視されました。
◦ 特徴:組織的党員加入や献金を通じて政治に影響力を行使。保守右派との結びつきが強いが、正統キリスト教からは「異端」と強く批判されています。
◦ 近年急成長した異端団体。2026年1月に検察・警察の合同捜査本部が家宅捜索。
◦ 尹錫悦前大統領支援のため信者を党員に大量加入させた疑惑などで捜査中。
◦ 李在明大統領は「社会の害悪」「政教癒着の反乱行為」と強く非難し、解散命令を検討しています。
• 正統プロテスタント・カトリック:政治関与はあるが、比較的「信仰の実践」として位置づけ。歴史問題では日本基督教団と連携するが、選挙介入レベルの組織的活動は少ない。
• 統一教会・新天地:組織的・金銭的な政界癒着が特徴。信者を政治的に動員し、党員加入や献金で影響力を行使する点が正統キリスト教とは大きく異なります。
韓国のキリスト教分布はプロテスタント20%・カトリック11%・無宗教51%と、無宗教者が過半数を占めつつ、福音派の政治的影響力が非常に強いのが特徴です。 日本基督教団との「奇妙な共犯関係」は、歴史問題という一点で左派(日本)と保守右派(韓国)が戦略的に結びつく珍しい構造です。一方、統一教会や新天地のような異端団体は、正統キリスト教とは別に政界への直接的・組織的介入で問題視されています。この「共犯関係」と異端団体の政治関与は、韓国の宗教と政治の複雑さを象徴しています。
宗教は悪だという主張をしばしば見かける。自分も前まではそう思っていた。
最近思うのは、宗教にのめり込む人たちというのは、救いを求めているケースのほうが多いんじゃないかって思っている。
自分に焦点が当てられているものの、ただ幸せに過ごしていたいという願望からそういった教えに手を染めるんじゃないかと思う。
例えば一家離散の危機であったり、DV父、家族から邪険にされる、長く生きていたい、などで生きるにも生きられない、藁にすがりたいそういった人たちを宗教という居場所が助けてくれたのだろうな。
そういう見方をすれば宗教にのめり込む人たちの気持ちも理解できる。彼らはただ幸せになる手段を知らないだけなんだよね。
手段がわからない中で宗教にすがった結果、偶然にもそれが上手くいったと。
ただただ生きることに貪欲なだけなんだよね。ようは経験則に基づいた推論を教えという形で具現化しているだけに過ぎない。
もしこの仮説が正ならば悲惨だ。つまり信者の多くは数ある手段の認知が歪んでいて、かつその手段を論理的に組み立てたり、実行する能力が欠如している人たちが多いということになる。
こういった観点で見るとヴィーガンは面白くない。彼らは生に貪欲ではない。ヴィーガンを時折宗教と比喩する人もいるが自分はそうは思わない。
ヴィーガンの問題点は、動物の命を大切にしたいという論拠が一見宗教のように見えるが、宗教は藁にもすがる思いで信者になっている人が多いのにたいして、
動物がかわいそうであるという哀れみから成り立っていて性格が全く違う。
宗教は信仰するのに対して,ヴィーガンは(動物の命を)守るが全面にでてしまっている。
物心ついた時から普通だと思っていたことが、社会に出てから殆ど全てがそうじゃなくて、自ら変わろうとすることなく年を取り、両親や親族の存在はもう自らにとって何者でもなく、知人友人とは関わりが失せた。
《追記》
30代後半男性。物心ついた時に母方の下で育てられたが、後にそれが母方による連れ去り別居だと知った(父は既に逝去、某有名な地で「●●年●●月●●日頃」死亡と戸籍謄本に記載ある為恐らく孤独死)。母親と祖母を中心に一族の半分くらいは新興宗教信者(特に前述の二人は精神疾患傾向)。自分は一人っ子で小学校上がる前からトラブルメーカー、ずっと人見知りで挨拶の仕方とかギリギリ出来るがあまりよく分かっていない(人と目線を合わせられない)。機嫌や気分の良し悪しがあり、悪いと人格が最底辺化。